« 進むしかない議会改革?! | メイン | 学校の情報化推進のこと »

2009年04月14日

男女平等で失われたもの。

 市民の方とお会いして、子どもを取り巻く環境のことなどお話を伺いました。長年、幼稚園での勤務や今でも育児に関わるさまざまな活動をなさっている方なので、他の自治体の状況などの話も伺い、多摩市にも参考になりそうなことがあるかもしれないと情報をいただきました。

 その時に彼女が話していたことで印象的だったのは「男女雇用機会均等もいいことだし、女性が活躍すべき場が広がることはうれしいことだけれど、あの法律ができてから『母性』が大事にされなくなった気がするのよね。失われてしまった感じね。」ということ。 
 
 母性と言うのはまた説明し始めると長くなるのですが、「女性が持っている母親としての性質」としておいて、「今の社会は少子化を進める方向よね。」ということになるのは、例えば長時間保育を推奨するような状況は全く少子化対策になっていないことからも明らかです。朝は7時から、夕方を超えて夜は10時まで子どもを預けることが許されて推奨されていくような社会はやっぱりおかしい・・・・・私も個人的にはそう感じます。幸い、私は両親の助けがあり乗り越えられてきた部分もありますが、男性と同じような働きぶりが要求され、やれ夜からの会議、早朝からの活動など・・・そうやって同じように行動していかないと評価されず、「同等」とか「対等」を主張できない状況は「おかしいよなあ・・・・。」と感ずることも多々あります。子どもが体調が悪かったり、気分が落ち込んだりしていたらやっぱり仕事を休まなければならないけれど、「さぼっている。」と思われることもありそうだし・・・・という葛藤の狭間に追いやられることもありますし。

 ということで、私も自分の経験を踏まえて話をしていたわけですが、「政治をやる人がちゃんと理解をしないといつまでたっても変わらないわね。」と。


 「そうかも。」


 政治家は「ワークライフバランス」とは疎遠な生活をしがち。よほど意識しないと365日が仕事漬けになってしまうので、私も努めて「子どもとの休日」を考えるようにしているので。


 それにしても、女性がその権利を主張することに顔が輝かない男性もまだまだ少なくないのが実情で、議会でも「我が家は母ちゃんの方が強いよ~。」という野次が飛ぶことはこれまで何度とご紹介したとおり。政治に携わる人の理解と言うのは不可欠なものの、実は旧来的な「性別役割分担」が重んじられる世界に生きている人の方が多そうだな・・・・・というのは国にしろ、都にせよ・・・・・議員の顔ぶれをみると何となく察するに易しという感じですね。テレビなどで報道される「当選決定」の場面では当選人(男性)の隣で一緒に頭を下げる麗しい女性の姿があることが一般的なので。
 そういう意味でも個人的には政党関係なく小渕優子さんには頑張ってもらいたいと思っているのだけれど。


 今日は「男女平等で『母性』が失われたのよ。」というフレーズが新鮮でした。でも、これは決して、母親だけが子育てをしなければならないとか、子育ては母親の仕事といっているわけではないところがポイントです。「母性」を持ち出すと何か変な意味合いに受け取られたりすることもあるのですが、やっぱり「母親としての本能」というのは否定すべきものではないですよね。


 女性も男性も深呼吸して気持ちがいい、息苦しくない社会をつくりたいものです。


 ★こんな企画もあります!→女と男がともに生きやすい社会になるために 多摩市に「男女平等条例」があったらいいね!講演会 (TAMA女性センター市民運営委員会企画)

投稿者 hisaka : 2009年04月14日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/1977