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2009年04月09日

「弁当の日」はいいかも。

 「どうなる、どうする日本の食シンポジウムin多摩」に足を運びました。恵泉女学園大学と永山公民館の共催のようでしたが、公民館は場所を提供したってだけの感じで、このシンポジウムそのものの企画は大学のGPプログラムの活動の一環だったようです。大学の社会貢献事業の一つだと言えると思います。久しぶりに目頭が何度も熱くなる講演会でまたまた感化されました。

 講演会は助産師の内田美智子さんの「食卓から始まる生教育」と佐藤剛史さんの「ひろがれ弁当の日」。引き続き、恵泉女学園大学の藤田智教授から「生活園芸」を基礎教養科目に位置づけて取組んでいる事例報告がありました。


 「人はそこに居るだけで価値がある」、生まれてきたことが奇跡だと話す内田さんは30年間の助産師の経験を踏まえ、「Happyではない」出産の現場に出会っているからこそ、偽りなく語れることのような気がしました。そして、生まれたての赤ちゃんはどの子もみんな同じ。きっと100年前も、200年前もいつの時代も生まれたすぐはみな同じ姿だと言います。でも、それぞれの子どもたちは大人と大人が作ってきた社会に放り込まれ・・・・いつしか自分を大事にできなくなる子もいる・・・・・・子どもたちは犠牲者・・・・産婦人科で思春期の子どもたちの「性」に向き合いながら「生」を考え、そして最終的にたどりついたのが「食」であり「食卓」。


 「自分を大切に・・・・なんて言いながら、毎日が冷凍食品の食事だったら?子どもは『自分を大事』にされていると感じなくなるのは当然のことでしょう。」


 だから、手をかけて、心をこめて作るお料理が何よりのごちそう・・・・食は生きる源ですから、「何をどう食べるのか」「子どもたちに何をどう食べさせるのか」が大切なのでしょうね。


 例えば、安全な食材を選ぶのはどうして?・・・・子どものことを考えるから。冷凍食品を使わないのはどうして?・・・・子どものことを考えるから。・・・・という具合でしょう。
 
 私も上記二つはかなり気にかけています。何と言っても「おうちごはん」が好きな子どもであって欲しい。外食は雰囲気を楽しむものであって、本当においしい食事は「おうち」にあることを伝えたいと思っている私は外出時にもおにぎりや果物を持参するようにしています。コンビニおにぎりは手軽ですが、やっぱり食材がちゃんと見えているおにぎりは塩味加減が違います。料理はあまり得意ではないですが、子どもにとっては得意不得意ではないと思いこまないと・・・・。


 内田先生の語る「食」の大切さは「食べることを粗末にしないで欲しい」「食を粗末にすること=命を粗雑に扱うこと」と理解できるものでした。子どもの食を丁寧にすることは大人の責任。


 「いのちをいただいていのちをつないでいく」


 そのために今、大人ができることはどんなことでしょう。社会でできることは?


 その一つが「弁当の日」。これは2001年に香川県の滝宮小学校校長だった竹下和男さんが、子どもが育つ環境に「くらしの時間」を取り戻すため考案した取り組みです。食育の実践とも言えるでしょう。佐藤さんの講演では実際に全国に少しずつ広がりを見せている「弁当の日」の事例の紹介などがありました。

 なかなかの実践で、これはいいなあ!って思いましたが、やはりこの取り組みを一気に進めることは難しそう。いくら「素晴らしい!」と賞賛しても、学校現場に押し付けることは難しそう。ただ、全国の中には教育長の一声で一気に取り組み実践が始まった地域もあるみたいですが・・・・。
 まずは、多摩市内でもどこか1校でも取り組んでくれる学校はないかしら?私なんぞはつぶやく程度しかできないのが本当に空しい。

 もし、私が教員だったら、校長先生に反対されてもお許し出るまで交渉してしまいそう。今の時代だからこそ、こんな食環境だからこそ、そして食育の重要性がこれほどまでに言われているからこそ・・・取り組みたい活動なんだけれどな・・・。まあ、じわじわと「弁当の日」の広がりに期待するしかないか・・・・。本当はこの会場に市内小中学校の先生とか、教育委員会の方々などが参加してくれるといいですし、大学連携を進めるというならば、この場に市長も足を運んでもいいくらいだなって思いました。


関心のある方は・・・・こちらをぜひ!「ここ―食卓から始まる生教育

投稿者 hisaka : 2009年04月09日

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