« 3月定例会 補正予算は全会一致可決・定額給付金も可決 | メイン | 予算特別委員会2日目 »

2009年03月09日

予算特別委員会はじまる~「あれかこれか」時代

 2009年度予算の審議がスタートしました。今日は‘総括的質疑’ということで、来年度予算編成方針などを含めて、「何でもかんでも質疑できる」時間からスタートしました。概ね各会派から1名が代表して質疑をします。私たちの会派では順番制で私が担当。会派で意見交換したことを踏まえて質疑内容を構成しました。

 市長の表現の仕方では「選択と集中」となるようですが、私たちの会派は「あれもこれも」ではなくて「あれかこれか」の時代だと思っていて、右肩上がり時代のように市民からの要求や要望があれば何でもかんでも予算化できる時代ではないとの認識、だからこそ益々「なぜ、その事業に重点的な予算配分をするのか、手当てをするのか」の説明責任が問われ、税金の使い方に対する透明性を高めることが必要だと感じています。

 市長もその必要性については私たちと同じ認識で、全国自治体から国の「無駄ゼロ会議」のメンバーに加わった経験からも「市民目線できちんと捉えていきたい」という姿勢を宣言されていました。
 ちなみに市長は「無駄ゼロ会議」の内容については的確にそのポイントを説明して下さいました。(これは市長の持ち味で、市長はさすが優秀な行政マンだっただけあって説明はとてもお上手なんです。)


 ところで、多摩市の行政の「無駄」についてはすべて解消できたのか?


 副市長は「多摩市は国にも先駆けて行政改革に取り組んできた。昭和61年からのこと。」ということを何度も強調。


 改革というのは休む暇なしという面もあるので、絶えず取り組んでいるわけで、「無駄」の基準も時代背景とともに質・量ともに変化をしていくのだろうなあと理解はしているけれど、多摩市の場合には今回の予算・・・・・底をつきそうな基金、国への借金をしてまでも「市民の暮らしの維持のために」をうたい文句にしていることを考えれば、おそらく「無駄」なんてないはず?!(と思いたい)


 私の結論としては「無駄かどうか」については、見る人の立ち位置によって評価が変わるということ。だから、結局のところは市長の価値基準による「選択」がカギを握ってくると言えるのです。

 わかりやすい事例でいえば都知事が躍起になって招致しようとしている「オリンピック問題」。オリンピックを否定する人はいないでしょう。平和の祭典は素晴らしいことです。でも、これが市民生活、今の市民の暮らしの実態を直視したときに本当に優先すべき政策課題に挙げられるのかどうかはまさに価値観の違い。オリンピックのために毎年積み立てをしている1000億円という「とっておきの財源」があると共産党会派の小林さんも指摘をしていたけれど、まさにどこに税金を使っていくのか、使っていかないのかは市民が選んだ政治家の価値観が大きく左右するのです。
 


 来年度多摩市予算を見てみると・・・・・高齢者、障害者、子ども・・・・・と「弱い者イジメ」と言わんばかりの予算編成だと指摘する声もあるとおり、「そこから優先して見直しが必要なの?!」と思わず言いたくなるような部分が無きにしも非ず。詳細は今後質疑の中で明らかにされていくと思いますが、「市民の暮らし」に負担増を求めざるを得ない一方で、例えば「環境保全」「緑地保全」という名目で来年度も約2億円で「みどりの確保」をする予定になっていて、そのあたりの市長の判断基準には疑問が生じます。100歩譲って市長が言うように「一度失ったみどりを取り戻すことは至難の業」だからと緑地確保を否定しないまでも、「みどりの確保」をするにあたって、どの場所の「みどり」から確保していくのかという優先順位の決め方がいまいち見えていないことが問題でしょうね。
 
 
 その時々の環境変化に柔軟に対応する・・・・・と反論が飛んできそうですが、毎年の見直しの中で「それまで示されていなかった土地の確保、少なくとも戦略プラン(平成22年度までの多摩市のまちづくり計画書)や今後の財政見通しでの計画になかった緑地保全」が浮上してくるのは非常に不可解なのです。


 「みどりを増やす」「みどりの確保」に反対する人はいないでしょう。「オリンピック」と同じですね。でも、それを今、この時点で「優先すべき課題」と位置づけるのかどうか・・・・・そこに市長のスタンスが垣間見えることとなります。それについてきちんと市民に説明責任が果たされなければなりません。もちろん計画外のものが浮上してきたとなれば、それを取得しなければならない緊急性が語られなければならないでしょうね。

 というわけで「あれかこれか」時代に臨む市長のスタンスと私たちの会派のスタンスには少々齟齬もありそうです。

 それからもうひとつ。市長の施政方針で「環境政策推進本部」なるものの設置が示唆されていて、ここが引っ掛かるところ。昨年・・・すったもんだしながら「環境部」を廃止。その理由は効率的な組織運営をしていくため。環境部を解体することは時代に逆行すると反論をしてきた私にとっては驚くべき対応。まさか・・・環境部を解体したことが逆に「環境施策」全体の後退につながってしまったということ?!と問いたくなるのは当たり前。市長をわざわざ本部長に据えなくたって、円滑に環境施策が進むことが想定されての組織改正ではなかったの?

 それにしても「市民の暮らしと生活を守る」との視点で組み立てられた予算。その視点はおそらく市民生活の厳しさを認識していると思うわけですが、正直言って、そんなに苦しい市民生活、さらには今後の負担増を考えたとき・・・・・市長が語る「夢」の一部に位置づけられて今議会に提案されている「寄附条例」やら「いきいきTAMA基金」やらはどこまで機能していくのか本当に疑問。税負担さらにその上に寄附を求めていくわけで、そんなに余裕のある市民は一体どれだけ存在しているのだろう?
 


 今の税負担、それに見合ったサービスに納得のしていない市民が「寄附したい!」と思えるかどうかって・・・・・みなさんはどうお考えになりますか?

 いずれにせよ、これからの時代は「無駄ではないけれど、でも行政がやらない(というかできない)」との選択が求められる時代。議会も「あれかこれか時代」に対応していかなければならないけれど、結局のところ「人には我慢させるけれど、自分は我慢しない」と言わんばかりに、意見の潰しあいの泥試合?と思える場面も残存している限りではまだまだ?!
 市民の数だけの考え方があり、そんな市民が選んでいる議員どうし。だから基本的には「異質」なるお互い同士を「排除の論理」から潰そうとするのではなく、「どこまで歩み寄れるのか」「どこまで譲歩できるのか」というところから議論をしていきたいものですね。それが「あれかこれか時代」だからこそますます求められていると感じています。

 予算特別委員会は金曜日までの5日間。今日は歳入(収入)に対する質疑の途中で終わりました。明日から歳出(支出)に関する質疑も始まると思いますが、「選択と集中」の視点で編成された予算が「帯に短し、たすきに長し」になっていないかどうか・・・・この評価がかなり分かれそうな気配です。

投稿者 hisaka : 2009年03月09日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/1947