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2008年11月28日

都立多摩桜の丘学園の子どもたち

 都立多摩桜の丘学園・・・・と聞いても、「どこ?」と思われる方がほとんどだと思います。この4月から多摩養護学校が名称変更をしていますが、おそらくそのことはあまり知られていないでしょう。バス停も未だに「多摩養護学校」のままなので、地域でもなかなか気がつかないのではないかと思います。多摩養護学校はもともと知的障害と肢体不自由のある子どもたちが通う学校として開校しました。しかし、南大沢に新校が設置されたことに伴い、知的障害教育部門を移転し、肢体不自由教育に特化した活動が行なわれてきました。

 その後、都立学校の再編の動きの中で南大沢学園が職業訓練技術を磨くための学校に衣替え、そこで知的障害教育部門が再び多摩養護学校に戻ってくることとなりました。その間、例えば都立南野高校の活用などの検討もありましたが(これは地元地域の反対により断念。)、結局、多摩養護学校が再び「知肢併置校」の新たな学園としてスタートすることになったのです。現在、多摩養護学校改め多摩桜の丘学園では校舎を増築中。南大沢学園からの移転完了、学校としての新たなスタートの再来年度を目指した準備を進めているところです。

 今日は多摩桜の丘学園の学校公開と道徳地区公開講座。それにあわせて市議会議員を囲む懇談会の開催の案内をいただいていたので参加しました。市議会議員全員に案内が届いていたはずですが、定例会前の時期でもあり、学校公開から懇談会まで参加をした市議は私を含めて3名。懇談会から2名の議員が加わり、先生と保護者の方々との意見交換などを行いました。日々抱えている課題、将来への不安などの声が出されました。
 
 就労就業先の確保はもちろんのことですが、医療的ケアが欠かせない子どもたちの受け入れ先が地域に不足していることは従来からの課題です。実は今年度当初、医療的ケアのできる施設が都有地に誘致される計画あったのですが、地形の悪さなどを懸念事項として頓挫してしまったいう経過があります。朗報だと受け止めたことが、一寸先は闇に変わってしまったことに落胆が大きかった状況は察するに難くはありません。今後の展開に市行政はもちろんのこと、市議会も真剣に考えていかねばならないとの認識がありますが、さしあたっては受入れるにしても「場所」が必要になるわけで、用地をどう確保するのかを決めていかねばなりません。現実問題として考えておかねばならないのは、施設を受入れるための環境づくりで、住民意識ということだと感じます。ていねいな意思疎通と理解と認識をいかに深めていけるのかでは私たちが努力しなければならないところが大きいでしょうね。

 また、日々抱えている課題・・・ということで言えば、緊急で子どもの預け先を確保したりボランティアを確保することの困難さ、居住地域エリアにある学校との交流ではエレベーターがないことへの悩み(エレベーターがないので交流を最初から諦めてしまう場合もある)、移動支援への課題など新しい悩みと言うよりも、従来から出されている問題点がなかなか是正されないまま現在にまで至っていることを痛感させられる声が多数出されました。ノーマライゼーションとか共生とかって言葉だけが一人歩きして、実態が伴っていないこと、声なき声、弱者を大事にって言いながらもできていない、変えていけていない現実を突きつけられた気がします(自省も含めて)。何を大事にして優先しながら税金を使っていくのかが問われます。「子どもにハンディがあっても、私は仕事も続けたい。」・・・・自然な感情だと思いました。


 ところで、子どもたち・・・・昨年も学校公開で様子を見せていただいている私にとっては、ちょっぴり成長を感じる子どもの姿もありました。初めて学校公開に参加をしたと話す初老の男性は「採用されたばかりの新人教員はこういう学校に来て2~3年間くらいみっちりと研修を重ねるべきだ。」と強調していました。校長先生も「障害児教育に関わっている先生方は『これが教育の原点だ』と感じているのではないかと思う。」とお話しされていたように、子どもたち一人ひとりに向き合って先生自身も子どもとともに成長していける環境があるのではないかなと感じた次第です。私は子どもたちの瞳が透き通っている気がするんです。


 今後、都立多摩桜の丘学園は特別支援教育の拠点としてもそこにあるノウハウを生かし、多摩市内の小中学校の支援する役割を担うことにもなっています。今でも市内の小中学校それぞれとのつながりを持っているとの話ですが、ますますの連携が求められていくと感じます。「都立」と「市立」って同じ公立であっても何となく敷居の高さや壁がある感じがしてなりませんが、子どもたちや市民のために組織の理屈云々を乗り越えていくことが必要だと思います。そのためにはやっぱり「つなぐ役」を果たす場所(人?)がいるのかなあ・・・いずれにしても機能できることが求められるわけですが・・・・。

投稿者 hisaka : 2008年11月28日

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