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2008年08月06日

「困り感」のある子どもたちの支援

 東京都公立学校情緒障害教育研究会が主催をした研修会に参加しました。この研究会は情緒障害学級で通級での指導を行っている先生たちが中心となって運営しているところのようです。研修会は通級学級を指導する教員を対象とすると言うよりは、通常学級の教員に向けて学習に困難を抱えている子どもたちにどんな配慮をしたらいいのかなど支援の手法を伝え、学校や学級運営のヒントを学ぶ場として行われているもののようでした。
 今回の研修会から保護者の参加も可能になったとの話で、会場にはたくさんとは言えませんが関心のある一般市民の参加もありました。保護者にも公開するなんて・・・昔の発想では考えられないことかもしれませんね。とても意義あることだと思います。


 午前は東京学芸大学教授の小池敏英さんよりの講演、午後は小池さんをコーディネーターとするシンポジウム形式で小学校、中学校、東京都教育委員会からの1名ずつのパネラーから事例の報告その他がありましたが、何よりも価値があったのは、会場に参加をしていた2名の保護者からの体験談の発表だったような気がします。学校、とりわけ先生の子どもへの対応により、「落ち着き」が大きく変わったという経験を持つ保護者の声は切実でした。そのエピソードとはこんな風です。

 

子どもが3年生のときの担任の先生はとても几帳面で細かいところにもよく気がつく真面目な方だったと思います。ADHDの我が子は漢字の書き取りなどに困難を抱えていて、宿題は一応こなしたとしてもプリントの囲みの中にちょうど納めてきちんとした文字を書くことができず、枠からはみ出した字を書いていました。もちろん文字もある意味では伸び伸びとした書きぶりでした。(彼はとてもユニークな子どもで、例えば「あたま」という漢字が分からなければ、囲みの中に「頭」のイラストを描いてしまう子です。)先生は良かれと思っているのでしょうが、すべて赤ペンで囲みの中に「正しい答え」をきちんと書き直してくださいました。
 子どもにとっては毎日宿題を提出するだけでも大変。毎回毎回先生の手直しがされてしまったことで、学習への意欲は低下をし、宿題に取組むことができなくなってしまいました。
 
 ところが4年生になり担任の先生が変わりとてもおおらかな先生になりました。同じような漢字のプリントの宿題についても、何か回答が書いてあれば○をつけてくださいました。そして3年生のときは忘れ物など失敗をすると漢字プリントの宿題が増える・・・というペナルティがありましたが、4年生になってのペナルティは大好きな給食でおかわりができないというものになり、子どもがそのペナルティをある意味で励みにしながら、毎日学校に通うことができました。漢字プリントの宿題もまただんだんと取組めるようになり、学習への意欲も少しずつ回復してきました。不登校にならず、保護者も安心することができました。

 子どもにはそれぞれに特性もあり、「困り感」が違います。子どものことを正しく理解をして対応をしてくださることで子どもが大きく変わるということを身をもって体験しています。その子その子に応じた少しの配慮をして欲しいと思います。


 特別に配慮の必要な子どもだから・・・という理由ではなく、子どもたちの一人ひとりの個性を理解しようとする姿勢、そして子どもの多様な可能性を伸ばしていくことのために不可欠なのは、何よりも先生たちが一人ひとりの子どもにどう向き合っていくのかという気力なのだろうなと思いました。「ものさし」は一つではないということなのでしょうね。もう一人の保護者の方の事例も同様な内容でした。地理がとても大好きで都道府県の位置と名前を全て覚えているけれど、漢字で書くことが苦手。テストでは全てひらがなで回答をしていましたが、先生がちゃんと○をつけ、「正答」として取り扱ってくれたことが子どもの励みになりやる気にもつながっていきました・・・ということでした。半分の点数でももらえたらありがたいのに・・・・保護者もうれしかったし、子どもが何しろ一番喜んで、次に向けて頑張る気持ちが生まれている。


 学習に困難を持っている子どもたちは少なくありません。つまづきを解消させるために努力させることは必要でしょう。しかし、その中には「努力してもうまくいかない」「反復練習をしても習得が難しい」という子どもたちがいることを教員がどこまで理解しているのかが特別支援教育、ディスレクシアを持つ子どもたちの支援に必要な観点。そのことが保護者の発言で納得させられた気がします。

 とは言え、この会場・・・・都内全体の教員に呼びかけをしていると思いますが、まだまだ人数としては一部。本来は全ての教員に聞いてもらいたい話で、このような研修会に足が向かない方々がむしろ聞くべき話ではないか・・・なんて感じてしまったり(多摩市からは何名の教員が参加していたかしら?)。知的な発達の遅れはなくても読み書きに「困り感」がある子どもへの支援の必要性は今後ますます高まっていくはずです。多摩市の場合にも通級学級を増設していますし、事実通常学級でも支援を必要としている子どもたちの数が増えていると聞いています。子どもたち一人ひとりの「個」に応じた教育を進めていく必要性が特に強調されるようになったのは近年になってからかもしれませんが、実は・・・別に今に始めるべきことというよりは、もともと教員が子どもたちに接するときの不可欠な態度ではないかと思うのは私だけ?(実際に教員免許も持っていませんし、教育学などを学んだわけでもないので偉そうな立場で発言することは控えたいと思いますが)


 いずれにせよ、先生たちが「困り感」を抱えている子どもたちはもちろんのこと、全ての子どもたちにていねいに向き合った授業を行えたり、子どもたちに接していく時間を持つためには・・・・・現代社会の「忙しさ」から解放されなけれはいけないでしょうね。先生たちが抱えている「忙しさ」を解くためには、何をすべきなのでしょう。そこを見極めていくことの必要性をますます感じさせられたのでした。これは今すぐ解決できる問題ではなくて、深刻な深刻な社会に根差す課題ですね。

投稿者 hisaka : 2008年08月06日

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