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2008年07月25日

改革派首長が語る地方議会

 東京財団の主催で行われたフォーラムに参加しました。「改革派首長」として名を馳せた人物たちから二元代表制を機能させるための議会改革の必要性に提言があったのは興味深いですね。

 しかし、議会改革をするために必要なのはいわゆる「改革派首長」たちの政治姿勢。「馴れ合いをやめる」「根回しは一切しない」ことで従来型議会や古びた慣習やしきたりに縛られている議員たちの意識に「揺らぎ」効果があるようですね。もちろん「改革派首長」にもいくつかのタイプはあるようですが、全く根回しをしない原理主義型「改革派首長」の場合には混乱を来たしている場合も多いとの分析がされていたのは面白いところ。議員側とのある程度事前の調整?耳打ち?ネゴシエーション?・・・・・・・・・はしつつも、議員になびき引っ張られるわけではなく、首長自身の支持基盤をしっかりと「市民」に置くことが大胆な改革につながるという発言は力強いものでした。

 「市民の支持基盤」・・・・・これはとても重要ですね。

 というのも・・・・多くの場合には「首長の選ばれ方」に問題がありそう。「形式的」に選挙で選ばれるけれど、事実上は議員同士の談合で選ばれた人物が当選しており、市民の選ぶ権利を形骸化させていることもあるのではないか?との指摘はご尤もで、結局のところ、「談合で選ばれた市長がその後も議会との談合政治で市政運営を進めていく」・・・・・なんて事例は全国津々浦々あまたあると思うからです。談合で選ばれた首長が「談合政治」を変えようと思うとき、議会や議員からは「議会軽視」なんて言われて血祭りにされることも?!(って身近に事例がありそう。)


 我が多摩市政の場合はどう?・・・・・・・・ここは市民一人ひとりの評価があってしかるべきで、それに先立つ私の考えはあえて伏せておきたいと思います。


 首長選挙では「無所属」を名乗りながらも、政党推薦があったり、パンフレットには支持・応援者として議員の名前が連ねられている場合も多いですね。これが「談合」であるかどうかは別として、議員もまずは市政の現場を担っている立場として、市政の将来を見据えて「相応しい人物」を推薦していくことの責任を負っているような気もしていますが・・・。
 ただ、大事なことは自分が推薦したり応援した人物が当選した暁にはどうするのか?ということでしょうね。「応援してあげた見返り」を求めるという手法は前時代的。少なくとも私は「見返り」を求め合うような関係性をつくりたいとは思わないですね。


 今日の発言者の橋本大二郎さんが「自分の家の庭先のことだけ考えている政治家の行動を慎むべき」と仰っていましたが、この表現が的を得ていて私には大ヒットでした。

 ということで、改革派首長の存在が議会や議員の改革に大きく寄与することは言うまでもありません。が、実際のところはどうなんでしょうね?最初のうちは反発するものの・・・次第に議会や議員が改革派首長に飼いならされているのではないかと思えてしまう部分もあり、やはり、地方議会改革は‘議会発!’でなければ本質的な部分に根差す(最も重要なのは「議員の意識改革」)ものにはなっていかないように感じた次第です。
 なぜなら、改革派首長が退任してしまえば「元通り」になることが目に見えている気がするので。

投稿者 hisaka : 2008年07月25日

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