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2010年05月21日

奥深い議会のルール

 午前中に議会運営員会がありました。議会基本条例関連の規則や要綱を決めるための話し合いです。前回に引き続きの議論でしたが、合意形成を図るって本当に難しいことだとつくづく感じるものです。
もともと議会の諸規定というのは全国市議会議長会におつくりいただいた「標準会議規則」に準じていて、困ったときの「市議会議長会頼み」というのが一般的です。議会運営上のことでちょっとしたお困りごとなど、前例に倣えない(前例がない場合)の対応などについてはすぐにお伺いすれば、解決策を指南してくれるというわけです。
 
 でも、議会基本条例を制定するともなれば、多摩市議会オリジナルになるわけで、全国市議会議長会にアドバイスを求めたところで、「自ら考えよ!」と言われるのがオチでしょう。議会事務局もこれからは「多摩市議会ルール」で対応することが一層に求められることとなり、「一般的には」という枕詞が通用しないようになっていくのかもしれません。

 でも、議会のルールを決めるというのは非常に奥深い仕事。出来上がった文章表現そのものだけでは見えてこないのかもしれませんが、そこに至るまでの過程、背景に実にさまざまな価値観と考え方のぶつかりあいもあり、今日の場合にも議会傍聴のルールを決めるにあたり、「邪魔にならないからルールがあってしかるべき」とする立場と「なくてもいいルールはなるべくなくす」とする立場での平行線の議論がしばし続きました。・・・・・開かれた議会を標榜している多摩市議会としては傍聴者を取り締まるような規則はなくしていくべきで、傍聴者の良識にある程度委ねていけばいいと思うのですが、「何かの時にルールがないと困るし、混乱するだろう。」という意見もあり、中間点を見出していく作業を取りまとめる委員長の苦労を思わずにはいられません。


 議会のことに限らず、どんなことにでもルールを決めていく、制度を決めていくという限りには様々な意見の集合集結させ、最大多数で合意できるところを模索する作業が必要とされますが、議員同士の議論というのは一旦平行線をたどるとそのまま・・・だったりすることが多く、「決めきれない」場合も少なくありません。誰かから見れば瑣末なことかもしれないけれど、その人にとっては何よりも重要なコダワリでポリシーという場合には絶対に譲ってもらえないということもありますし。


 議員というのは本来自己主張の塊で、「我が正義」と思いこんでしまいがちなので、そこは私も日々気をつけねばならないと思っているのですが、考えを捻じ曲げるとか、変えるとか・・・ではなく、いい意味でさまざまな見解に触れながら、自分の考え方も見つめなおしていくという気持ちがなければ、務まらないなあと思います。


 何はともあれ、ルールを決めるというのは助詞1つの使い方、そしてまた各議員の言葉の表現の好みの問題にも配慮をしながら、最大多数の最大合意を目指す作業であると思い知らされます。傍聴席から眺めていると「くだらない。」「つまんないところで‘こだわり’がぶつかり合っている」と映ることもしばしばですが。

投稿者 hisaka : 2010年05月21日

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