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2008年10月17日

子どもたちの学力は本当に伸びているのか?

 学力向上シンポジウムに参加しました。市内小学校6校と中学校1校の取組み事例の発表があり、その後、基調講演というプログラムで開催されました。

 各学校の取組みをこのような形で共有できることはとても参考になりそうです。加えて基調講演も「当たり前」のことが述べられていると思いましたが、現実的には「当たり前のことが当たり前にできていない」ということなのかなと感じさせられる内容のものでした。終わった後、私の近くに座っていた方々(どこかの学校の先生たち)は「非常に参考になる話だった。」と話をされていました。


 何となく・・・・全体の参加者の印象としては学校関係者で、しかも事例発表をする学校の先生方が中心という感じ。本音ベースでは発表のかかわりのない学校の先生方は、このような場に時間を割いて参加をする余裕を見出すことすら難しいのかもしれませんね。「芸術の秋」という季節は各学校とも学習発表会や合唱コンクールなどなどの行事が目白押し。本当はもっと多くの先生方が参加して、各学校の事例発表について質疑応答や意見交換ができるといいなと思いますが、まだまだその段階には至らずというところ。第3回目なので仕方がないのかもしれませんが、個人的には各学校の取組みや実践をただ単に聞くだけではなく、質問などしてみたいと思いました。


 さて、「学力向上シンポジウム」ということで、各学校とも目指しているのは子どもたちの「学力向上」であることは間違いないわけですが、子どもたちの学力は本当に伸長しているのでしょうか?

 
 今の子どもたちにとって必要なことは巷でも指摘されているように「自己表現力」となるみたいですね。どの学校も子どもたちが自分自身の考え方をまとめて伝える力、応用力や発想力などなど・・・・・「知識の量ではなく、身につけた知識をどう使いこなせるかの応用力」に着目をしているようでした。


 ・・・・・ってこれって文部科学省、もちろん多摩市教育委員会も呪文のように唱えている「生きる力」のことではないのかしら?「生きる力に確かな学力」・・・・ここから既に5年は経過しているのに、年々子どもたちの生きる力の低下云々と言われていることそのものが本当に不可思議な話。子どもたちの力が低下しているのか、それともそれを取り巻くあらゆる環境に問題があるのか・・・・・・私は多分後者が原因だと思っていますが、そうなってくると今度は「第一義的には‘家庭’が悪い」と結論づけられて議論が各家庭や各個人の自己責任論の方向に流れていきそう。「自己責任」と言う言葉が本当に便利に使われているような風潮を最近感じている私は「家庭の責任」だけに押し込めることができないと思っているのですが。


 いずれにせよ、子どもたちの学力が本当に伸びているのかまでの検証はされていない・・・というよりするのは難しいのが実情なのかもしれませんね。本腰で検証をするのであれば、一人の子どもの状況を年々ずっとていねいに後追いしていくことが必要になるわけですから。そこまでできるエネルギーを持てるかどうか。その時間を割けるかどうか・・・・そしてその調査をするために必要な人員と経費措置ができるかどうか・・・・・。

 でも、とかく事例発表をされていた学校、そして先生はそれぞれに工夫をしたり意欲的に取組んだりしていることはよくよくわかりました。それを各学校の工夫どまりで終えてしまうのか、つまりは各学校の特色や努力、校長先生の経営手腕への評価などで終わらせるのかどうか・・・・ここから問われてくるのが教育委員会の力量と言うことになるでしょう。各学校の努力云々とその評価だけで終わらせておくのがきっと一番のお手軽なのかもしれませんね。でも、本来はそこから一歩先に進んで、多摩市全体の取組みをどうやって作っていくのかを編み出していくことが必要だと私は考えています。


 さて、この学力向上シンポジウムは今後のどのように展開していくのでしょうね?今日も教育委員の方もいらっしゃいましたが、これらの取組みをどのように受け止めて考えていくのか、一歩先に進んだ議論をして欲しいと願います。

投稿者 hisaka : 2008年10月17日

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