« 気晴らし・・・・。 | メイン | 一体・・・選挙はいつ? »

2008年10月15日

市民感覚にフィットしない議会改革?

 三多摩議会改革フォーラムの研修会で多摩市議会の「議会出前委員会と市民との対話」というテーマで報告をしました。いただいたテーマがでっかすぎて・・・・・・議会では出前委員会は実施したけれど、市民との対話をするまでには至っていないでしょ・・・・っていうのが私の感想なので。飾って脚色しても仕方ないですし、正直に語っておきました。


 目指すところは「市民との対話」かもしれませんが、議員間でも議論も対話もできていない状況で市民との意見交換・議論に対話なんて・・・・・・まだまだハードルがめっちゃ高すぎて。そこまでには到達できていませんし、いつになったら到達できるのかとその険しき道のりを挫けずに一歩一歩進むことこそ今求められていること。


 それよりもやっぱり気になるところは「市民感覚」。


 「多摩市議会って公開度も高い!」とお褒めの言葉をいただくわけですが・・・・「公開度が高い=議会に対する市民満足度も高い」ではないわけで、いわゆる周辺自治体の多くでは非公開で実施されていると言う代表者会議、全員協議会なども市民傍聴が不可能ではない多摩市議会が市民から信頼され愛される?広場になっているかと言えば全くそうではないことに留意することは必要ですね。
 

 もちろん、市民を全くシャッタアウトしてしまうことは考えられないことですし、「市民に公開する必要なし」と非公開で行われることを是として運営されている議会に対しては、そもそも「議会は誰のためのものであるのか。」を度外視した姿だと思います(ただし、内容によっては非公開とすべき場合があることもまた事実で、そこは説明責任の果たし方によりいくらでもクリアすることは可能です。)。私の常識では「原則非公開」という考えこそ非常識。議会は「原則公開」にすべきで、公開することは市民への説明責任を果たすとの観点からしても第一歩だと思っています。
 ちなみに、多摩市議会の場合も代表者会議には議事録が存在しませんし、市民が議会で市民のために行なわれたさまざまな取組み、活動を全て把握したいと思ってもそうはいかない面があります。でも、決して市民から隠れた場所で会議をしているわけではないとなれば、ある意味で「こそこそ非公開」で行っているよりは「ほっと安心」はできるのではないでしょうか?


 もし私が市民なら、議事録がないことには不満かもしれませんが、それでも公開して実施されていると聞けば「じゃあ、見に行ってみよう。」となると思うので。もし、シャッタアウト議会であれば「入場お断り」されてしまうわけで、議会に対する疑心暗鬼の念が募るでしょうね。きっと。


 というわけで、「公開していく」というのは説明責任の時代においては当然なことで、それをも実現できていない自治体議会とは時代に取り残され、全く市民感覚には乖離したところで運営されているとしか言わざるを得ないのです。
 なので、やっぱり多摩市議会の場合も今の時代にあった公開手法を取り入れ、市民感覚にフィットした取組みは進めていくべきで、インターネットを通じた映像の配信(ライブじゃなくてもいい)をすることが欠かせなくなっていると思います。でも、ここには「予算措置どうする?」という経費的対応の壁が立ちはだかっていて頭の痛いところです。
 


 それにしても「公開」「非公開」というレベルで「改革」談義をしている議会って・・・・・市民感覚には全くフィットしませんよね。そして、「会議を公開したことが改革だ!」と満足してしまうともなれば、ますます市民との距離は離れていくこと間違いなし。


 市民はもっと先を望んでいます。


 というか、市民は議会に当たり前の姿を望んでいます。議員同士が討議をしたり、市長と議会で「このまちの姿」や「このまちの将来」を議論したりしている姿を。

 「今は、そうなっていないでしょ・・・・・・・。」というわけで、まさに今日の研修会の最後に指摘されていたように「首長との馴れ合い議会をやめてくれ!」というのが市民感覚。ちょっと議会を覗いてみるとそこは「チロリン村」の世界だった・・・・・という市民からの感想をいただいたことがありますし、形骸化して、セレモニーしか行っていない議会に対し「この人たちをどうして税金で養っているのか。」という思いを強く抱かざるを得ないと言われたこともあります。


 今の議会改革は・・・・「本質」を外れた周辺の周辺の周辺部分での議論しか進んでいない!なんてことのないようにしていきたいものです。


 ところで、今日の他市議会の議員さんに指摘されて気がついた多摩市議会の前時代的慣わし?それは本会議では「飲食一切禁止」なのですが、委員会の場合には「お茶」が出ていること。委員会の時には事務局の方がお湯飲みに緑茶を準備してくださるのですね。
 でも、「高い給料をもらっている職員にそんなことさせるなんて。」・・・・お茶なんていらない!・・・・と
「お茶出し中止」している議会が今は主流のよう?!

 私は委員会の時にはお茶が出るのが当たり前の環境で議会活動をしてきたわけですが、他市の議員から見ると「まだそんなことを職員にやらせているの!飲み物なんて欲しかったら、議員が自分でベットボトルなどなど準備したらいいじゃない!」と半分お叱りのお声もいただきました。


 本会議のときにほとんど発言する機会がないのとは異なって、委員会の時にはそれなりに議員もかは発言することもあるし、口が渇くから「お茶」が出るのかなと思っていたわけですが、それって時代錯誤な習慣だったようです。


 
 もし、従来どおりお茶が欲しければ・・・・議員が準備する?・・・・なんてルールに変えたとしたら、今度は「新人がお茶汲み係」ってなるのかしら?まさか「女性がやる」なんてことにはならないはずですね。


 「委員会ではお茶がある」という多摩市議会のルールもそろそろ止め時?

 でも、確かに私がOL時代にも窓口に来たお客様にはお茶だしをする係りでしたが、同じ職場の同僚や上司たちの分までお茶を準備するなんてことはなく、みんなが銘銘に「マイカップ」で好きな飲み物を仕立てていたっけ。

 「先進的!」と巷?この業界では評されている多摩市議会で「まだそんなことやってんの!」的なしきたりがあるという事実を市民はどんな風に受け止めるのでしょう。「どうして傍聴している市民にはお茶は出ないの?」なんて冗談を仰る方もいらっしゃいました。


  市民感覚や時代環境にマッチした場づくりを進めていきたいものです。

投稿者 hisaka : 2008年10月15日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/1845