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2003年02月02日

第一小学校建替えの全体意見交換会

 午前中は「住井すゑ百歳の人間宣言」という記録映画を6月に市内で上映するための準備会に出席しました。この映画の撮影をした南さんとは高齢者の社会参加を考える会で出会いました。なんと、びっくりなのは南さんの息子さんは私のゼミの先輩なのです。私は南さんに完成披露の試写会に誘われて都心まで足を運んだのですが、住井すゑという女性のパワーには本当に感動しました。彼女のように「平和」にこだわりたいとの思いを強くしました。そこでこの映画を市で上映するというので、実行委員会に加わることにしたのです。でも実行委員会のメンバーは毎年平和映画を上映する企画に関わっている人が大部分で、私の出る幕もなく、手際良く今後のスケジュールまで決定しました。
 午後からは多摩第一小学校の建替えについて全体意見交換会でした。予想ではもう少し観客が多いかと思っていましたが、会場には空席が目立ちました。市の広報でも1面に載っていたのですが、PR効果はそれほどなかったのかと残念でした。
 プログラムは予定どおりに経過説明、ワークショップの手法説明、基調講演とすすみ、休憩を挟んで全体意見発表が行なわれました。全体意見発表では市民ワークショップの代表、PTA代表、教職員代表と児童代表がそれぞれの意見を述べました。大人たちはみんな無難な意見を述べていたと思います。児童もきっとしっかりと心の準備をしていたのか、5人とも落ちついて発表していました。客席も児童たちの発言には注目をしていたようですが、突飛と思えるような意見はなく、彼らたちの学校生活の中で感じている不便さがそのまま表われていました。というのも今、小学校には車いすを使用している生徒が通っているので、バリアフリーを意識するようでした。新しい学校にはスロープをつけたり、段差を無くしたりバリアフリー化を進めてもらいたいということが皆の共通意見となっていたからでした。それにしても小学生でも太陽光パネルや風力発電の提案をするあたり、地球環境の学び方が想像できます。若者にとって環境破壊が切実なものだということを感じ取っているのでしょう。
 私は個人的に学校の地域開放についてもっと意見を聞きたかったのですが、時間の制約があったからか、それほど深い議論にはなりませんでした。意見交換会というよりも意見発表に終始してしまい、会場からの質問も受け付けなかったので、終了後には幾人かの市民から不満の声も上がっていました。けれども今回は出された意見は一旦全て受け入れて・・・という方向で考えていたので、今日の意見交換会に参加した人にもご意見募集ということでポストイットを配布していました。なかなか今回の会の主旨を理解してもらうのは難しかったようです。やはり会場との質疑応答はあっても良かったのかもしれません。
 ただ、ある市民が突然挙手をして発言をしましたが、「そもそも第一小学校の建替えが必要なのか?」というところを議論したのかという意見でした。なぜ「建替えありき」で議論をするのですか?と言われたのですが、私自身も建替えが必要であるかどうかについては既に議会でも判断をされてきたわけで、その議論をもう一度市民サイドで行なうとするならばちょっと議論をする場所が違うかなあとも思いました。市民参加の仕組みのありかたにも問題があるのかもしれません。どこで事業計画の決定をするのか見送りをするのか・・・これについてもいよいよ議会だけではなくもっと市民参加をまじえて行っていく必要があるのかもしれません。全ての市の取り組みは議会によって承認されています。それに基づいて行政は事業を実施していくからです。・・・となった場合には行政としてもその事業をやめるならば、きちんとそれなりの手続きをする必要があります。つまり、彼の言うように「そもそも」を議論するのは恐らくワークショップの場所ではないように思ったのです。例えば予算決定の仕組みの中に市民を参画させていくなど、新しい在り方を考えることが不可欠でしょう。
 もちろん私自身も「建替えあり」との視野しか持たずに参加をしていたことは確かです。それは少し視点として薄っぺら買ったのかもしれません。でも、少なくともこのワークショップに参加している市民たちは純粋に「建替え」があるんだったら、その実施計画づくりに参加しようという熱意がある人ばかりでした。「建替えをするかしないかを考える会」ではなかったからです。それを思うと参加した市民の人たちを批判することも非難することもふさわしく無いように思いました。
 帰り道にいろいろと考え込んでしまいました。台所事情が苦しい多摩市で本当に有効に税金を使うってどういうことなんだろう?それも市民の方に納得をしてもらうってどうやればいいのだろう?いろんな思いがあふれてきました。議会が必ずしも完璧ではありません。それはいつの時代でも同じだと思います。朝の日曜討論を見ていてもイラク攻撃のことを話題にしていましたが、「国連の決議が必ずしも正義とは言えない。」という発言もありました。その通りだと思いました。私はやはり「自分たちでもっと責任を負える」形に変えていかなくてはいけないし、そのためには市民自身の意識改革もどうしても求めていかなければなりません。税金の使い道についても、本当に真摯に利益誘導型ではなく市民たちが話し合うことが出来たとするならば、議会はいらなくなるのかもしれないし、市民の本当に望んでいることが実施出来るのかもしれません。でも現実にはとても難しいし、まだ実現出来るにしても先のことだと思うのです。
 でも今日の出来事はきっと忘れられないと思います。「そもそも」から議論すべき・・・ということですが、一体どこのタイミングでしたらいいのかすべきなのか私自身ももっと心して考えなくてはならないと思ったからです。市民参画言う易し、まずは行動できる仲間を増やしていくしかありません。

投稿者 hisaka : 2003年02月02日

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