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2006年08月18日

思いをつなぐ

 私はいろいろな場面で「思いをつなぐ」ことほど大切なことはないなと思っています。

 今日は「多摩火工廠って何?」というタイトルで元東京都議会議員の白井たけしさんのお話を伺いました。

 「多摩火工廠」と聞いても、よくわからないかもしれませんが、正式名称は「多摩サービス補助施設」のこと。もっとわかりやすく言えば「多摩弾薬庫跡地」のことです。多摩市と稲城市の両市にまたがって存在している「アメリカ軍のためのレジャー施設」。休日になると将兵やその家族が遊びにくるようです。
 面積は185ha。その敷地のうち多摩市の面積は約23%、稲城市は約77%です。この場所は山や谷があり、そしてまた多摩川からの水蒸気により上空から見つかりにくいという立地のために選ばれたとのことです。(しかし、実際は米軍はこの場所の存在は把握していて、戦後になり、ここを使用することを最初から決めていたよう。そのために爆撃を受けなかったのではないか。というのが白井さんのお話でした。)


 たまたま話を聞きに来た参加者の中には、実際に12歳の頃に火工廠内で労働していたと言う人があり、その体験談もリアルに聞くことができました。そしてまた、火工廠建設のため、タダ同然で土地の買収に応じた地元の方もいらっしゃいました。土地買収の際には、火工廠が建設されることなどの説明はほとんどなく、ただ単に役所に「認印」の持参だけが命令されたようです。当時のことを想像すれば、有無を言わず、心の中ではいろいろなことが錯綜しつつも、「お国のために」と・・・認印をついたのではないかと思われます。

 戦後になり、すぐに返還を要請すれば元の所有者の土地が変換された事例もあるようですが、ここの場合には返還運動なども起きず、そのまま今にいたっていると言うのが現状です。返還を求めた経緯もあるようですが、「手遅れだった。」というのが地元の方のお話でした。(泣き寝入りだったのかなあ・・・・と思いました。)

 白井さんは「この場所が返ってきていないのだから、まだ戦後とは言えない。」とおっしゃっていました。そして「戦争のことも、この場所のことも風化している。」ことに危惧していると述べておられました。
 私はこのことに尽きると思いました。この思いをつないでいくことが、今、必要なのではないかと改めて感じました。そのためには、火工廠のことを知ることからはじまります。私も今日初めて聞く話ばかりでした。語り部の存在は重要です。


 
 「9.11」のアメリカでの事件以降、この場所も厳重なる体制がしかれています。以前は、グループや団体見学などの受入にも場合によっては対応してくれた時もありました。しかし、今は、何度か申しこんでも全く拒否されているのが事実です。(ネットの場合には都議会議員を通じて申し込んで見るのですが、まったくダメなのです。)

 しかし、今度の10月から人数は限定、なおかつ稲城市民に限るということですが、季節ごとに2日間ずつほど中の見学が許可される模様です。先般、稲城市では見学希望者を募ったそうですが、多摩市でも制約制限つきでもいいので、稲城市と同じような市民の見学(立入)ができるような交渉を進めて欲しいなと思います。
 


 私も一度だけ、現地の見学をしたことがあります。実際に見るということの意味深さ、戦争を知らない世代にとっては「手がかり」になる場所だとを感じた記憶が蘇ったのでした。思いをつなぐためには足を運んで現地を見ることが不可欠だとの思いを一層強くしているところです。

投稿者 hisaka : 2006年08月18日

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