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2003年09月25日

異分野の人と交流をしながら

 午前中はネットの会議がありました。12月定例市議会に向けて一般質問のテーマ決めをしました。大きなテーマとしては「補助金改革」にすることになりました。夏に八王子市と我孫子市に視察に行ったので、その話を踏まえての質問を中心に、これからの市民自治社会を見据え、補助金改革をどう進めていくのかなど聞いてみたいと考えています。
 補助金については数多くのところで物議を醸し出している部分もあり、別途フリーディスカッションをして、まずは問題点を整理することにしました。

 さて、今日は<utif>というグループの定例会に呼ばれ、話をしました。東京大学の学生が中心になっていることもあり、初めて東大の本郷キャンパスに行ってきました。赤門には感激しました。今、校舎建替えをしているようですが、「予算がつかなかったから、工事が半分しか進んでいなかったんですよ…。」という医学部のセミナー棟はやっと残り半分の工事に着手しているようで、それにはちょっと笑ってしまいました。
 なぜ、このグループに呼ばれたかというと、実は私はOLの時にちょくちょく色々な会合に顔を出していたのですが、そのときに出会った人が立ち上げた会だからです。さすがOLの時は、学生時間にあわせることはできずメーリングリストの幽霊会員として活動に参加していました。毎月一回例会を開き、いろんな分野の人に話しを聞いてディスカッションをしていこうというのがこの会の一番大きな目的だと思います。
 たまたまメンバーの一人が多摩市で議員をしている…という縁で今日は話題提供者を引き受けたというわけです。私はこれからの政治家は本当の意味で「価値判断を迫られる」と思っています。
 もちろんこれまでも価値判断で政治が進んできたと考える人も多いと思いますが、今まではとにかく右肩上がりの経済成長があったわけです。確かに無駄にハコモノばかりを造ってきた面もありますが、実は福祉についても同じように向上してきたと言えると思います。それが「あれもこれも」の行政だと言われる所以です。財政が厳しくなり、ようやく「あれかこれか」という本当の意味での選択が迫られるようになったと思います。そこに政治家の価値観が問われるわけです。だからとても難しい…という私自身が抱えている課題も含めて話をしました。せっかくなので感想を。


○政治家はファシリテーター
 岩永さんは上記のように言っていました。昔は政治家がTopDown方式で色々決定していたが、今はそういう時代ではない。と。
これは、僕が描く将来の医師像に近くて、とても驚きました。医療も、パターナリズム(医者が一方的に治療行為を行う)から脱却して久しいですが、なかなか患者さんのための医療とはなっていない現状もあります。医師の自己満足な行為は多く、その現われが、最近の医療過誤訴訟の頻発であり、医療への警告なのではないかと思っています。

 絶対的な選択が無い場合、相対的にしか価値判断ができない場合、この場合にこの選択は対話であるべきだと思っています。正解などないのです。お互いの対話によって新しく生まれるのが、その場合での選択であり、それこそが<お互いに>Bestな選択なのだと思っています。そして、医療・治療行為(抗がん剤、放射線療法、実験的医療)だけがその患者さんになし得る治療法では決してなく、看護やその患者さんの人生に合わせた施行など、医療行為以外で救われる方々は非常に多いと確信しています。 むしろ、病院・医師が更に病気を生み出しているのではないかとさえ思う状況が僕には多く見られます。 そこで、今後の医療は、医師が患者さんの治療法を本当の意味で、医療の範囲内だけではなく選択できるような、ファシリテーターの役割が、今後は期待されるのではなかろうかと、自分は夢想しています。

 こういう医療の道を目指している学生をなまで聞く機会はなかなかないと思います。医師も政治家もある意味、とても強い力をもつ立場としては似ていると思います。「権威」という言葉に象徴されるようにです。でも彼が書いているように、「自己満足」の世界で完結してしまっては、本来生み出すべきものを見失ってしまう気がします。
 それにしても、さすが・・・というかとてもアカデミックなメンバーで、私は会の雰囲気に恐縮しちゃった部分もありました。でも、私にとっては非日常の空間がとても居心地がよく、色々な自分の持ち場で挑戦している人と議論をすることの大事さを感じました。

投稿者 hisaka : 2003年09月25日

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