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2003年07月28日

最大効率を追求する時代から・・・

 自治体議会政策学会の最終日。「景観・環境問題と参加型社会づくり」というテーマで聞いた東京農業大学の学長である進士五十八さんの都市環境の話はとても面白いものでした。「環境」=緑の行政についてに留まらず、いかに人間の住まう‘環境’づくりが必要なのかについての先生の考えを聞きました。環境心理学にも環境が変わると行動が変わるという分析があるそうです。

 そもそも環境問題は100年前と比べて、人口が4倍にしかなっていないのに、経済が20倍の成長を遂げ、エネルギーが25倍も増加したことに原因があるという事実を再確認しましたが、この驚くべき発展の中で、全てが専門家任せの最大効率が最優先される社会になり、全体を見まわして判断できる人が存在しなくなったと言います。そして「議員向け」の研修を意識したのかなと思いましたが、「全てについてわかっていて、全てのことに発言出来るのが議員。にわか勉強で得意げに演説するのではなく、もっと自分のモノの見かたを磨いてから発言をしていくことが必要だ。」ということを聞きました。
 先生は自治体の環境審議会みたいな会で「議員」と同席するそうですが、専門家から見ると当然の知識などを最もらしく述べている議員を見ると腹立たしいと言います。もっと大事なことがあるのではないか?と言いたくなるのだそうです。それは専門家ではない「感覚」であり、生活実感、「市民の感覚」での発言だそうです。

 環境アセスメントの手法が用いられていますが、それに対しても、様々な生態系の専門家が集まってくるけれど、みんなが自分の専門分野のことだけを主張しただけで終わってしまう。私もあまり詳細はわかりませんが、とにかく研究も細分化されていて、環境アセスメントが「環境の要素の寄せ集め」に陥りがちで、結局は‘環境’という全体像が見えてこないのが現状だと言うのです。
 そこで、全体をバランス良く見まわせるのが「議員」ではないのか?という先生の今日の主張へとつながるわけですが、私はそのことについて疑問符で、「そんなに持ち上げられてもな…」と思ってしまいました。全体を捉えるバランス感覚を身につけることほど至難の技はないよなと痛感しています。
 「縦割り社会」がどうして進んだ原因や「個人勝手主義」が広がるのも、やっぱり全体との調和をどう図るのかについて考えることの難しさに帰するのではないかというのが私の考えです。

 それにしても先生の話しは示唆富んでいて、まだ消化しきれていないのですが、とにかく「衣食足りて礼節を知る」というのが環境問題だという言葉にとても共感しました。「礼節」というのはアメニティのことで、もともとはアモーレを語源にしている「アメニティ(快適環境)」とは一人一人の‘美意識’を磨きながら高められると言うわけです。機能的、視覚的、生態的、社会的、精神的な観点から環境を捉え直すのは、一人一人の市民の感性に委ねられるのであって、効率を追求するあまりに土木や建築などの専門家に任せても本当に自分たちの求める‘美’を創り出すことは出来ないということかな…とおぼろげに感じました。

 さらに今日は、市民自治基本条例についての学習会をしましたが、効率を求めれば求めるほど行政と市民との「協働」が遠のいていくように思いました。市民との協働を進めなくてはいけない時代、一般的に言われている「行政の効率性」には逆行するようですが、もう少しスローペースでじっくりと物事を見極め、動かしていく必要性があるのかもしれません。いづれにしても、様々な分野が専門化しすぎて、「大事なことは何か?」が見えにくくなっている今日この頃です。自分のやっている以外の領域を知ることの大事さをつくづく感じています。

投稿者 hisaka : 2003年07月28日

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