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2003年07月27日

政策過程を大事にしたい。

  自治体議会政策学会に参加しました。昨日から3日間のプログラムですが、私は今日からの参加です。
 今日は「住民主権への動き-自治基本条例を中心に-」、山梨学院大学の日高昭夫さんの話しを楽しみにしていました。
 日高先生はもと多摩ニュータウンに住んでいたそうで、中央大学を卒業しているということと合わせて親近感がわきました。先生の話の中でやはり最も勇気づけられたことは、「これが自治基本条例っていうカタチがあるわけでもなく、自治基本条例の取組みはとても先進的で、まだまだ研究も途上段階にある。でも、最終的にはこの条例は市民に共有されていないと意味がない。そういう点で、市民参加によって策定しようとする自治体が多い。」…なるほど…「一番大事なのは、カタチではなくて策定過程です。立派なモノを作ったとしても、市民と共有できていなければ意味がありません。制定過程での議論が重要です。」
 この言葉を聞けただけで、私は大収穫で、そして元気になりました。多摩市の市民自治基本条例は制定過程を大事にして進めてきたはずです。市民と共有しながら条例制定を進めてきた…という点では、どこの自治体よりも新しい取組みだったと思います。

 今日はその他にも市町村合併をめぐる動向やマニフェスト論、三位一体改革についても聞いてきました。フリーディスカッションの市町村合併については各自治体で活躍されている議員さん方の意見を聞くことが出来て、勉強になりました。
 ただ、合併をめぐっての「住民投票」へ話題が移り、「住民投票をどう考えるか?」という議論の時に、今の政治的無関心な状況を見ていると住民投票が本当に有効な手段と思えない、ある意味で「エセ住民投票」となってしまう…という意見が出されました。情報が不足している中での住民投票反対という立場もありました。もちろん、現実を見ると、合併問題についても賛成反対の判断材料という点では、情報が不足気味であることは確かです。でもだからと言って、住民投票に否定的な立場をとったり、全く無意味だと言い切ることができるのでしょうか?
 私自身は住民投票をするにあたって、住民の判断材料が少なすぎるという風に議員自らが発言するのはいかがなものかと感じました。なぜなら、そのように感じるのなら、議員自らが、客観的に公正に、住民の判断材料を提供するために行動をするべきだと考えるからです。最初から「住民には判断できない」なんて決めつけるのには同意できません。
 議員が全て決めることが住民のためになると考えているのでしょうか?もちろん、議会でも首長だけでも決定し難いから…という言い逃れや責任逃れのための手段として住民投票を用いるのにも賛成できません。でも、住民と真剣に将来を考えていくための一手段として住民投票を選択することは決して、民主主義を創るにおいては無駄にはならないと思います。
 住民自身だって最初から正答を出せるとは言えないけれど、でも、いろいろな場面を捉えて、自分たち自身で「判断する」ことを積み重ねることが、私たちが将来像として描く‘自治’を確立へもつながっていくと思うからです。私は、もちろんむやみやたらに住民投票を用いようとは考えないけれど、住民が自分たちで‘まち’のことを直接決定していく仕組みは必要だという立場をとりたいと思います。

 自治基本条例も住民投票も、要はその仕組みを使いながら、市民が本当の意味で自立をしていくための、自らが育っていくための手段であると考えています。議員自らが市民の可能性を摘んでしまうことだけは避けなければならない…これが私の考えです。

投稿者 hisaka : 2003年07月27日

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