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2002年12月13日

議員の審議なるもの

 議会の決定というのはとても重たい。なぜなら、議会の意志はまがりなりにも全市民の合意の上に成り立っているものだからです。
 今日は建設環境常任委員会に出席しました。審議案件が少なかったで午前中に終了できると勝手に想定していたのですが、大幅に時間をとったのは陳情が議会での審議になじむかどうかについて頭を悩ませたからでした。
 というのは「落川の地名を残してください」という市民からの申し出についてです。市では「町界町名地番審議会」を設置しています。飛び地や町界が複雑に入り組んだりしているので整理しているのです。ところでこの審議会のメンバーには議会からも議員5名が加わっています。つまり「落川の地名を残すのかどうか」についてはその審議会のなかで結論を出すのが本来の筋です。審議会ではちょうど来月に、該当する落川地区の検討にも入るという情報もあり、今、議会でこの陳情を審議することの是否を考えたわけです。
 実は、この落川地区については昭和59年当時に「東寺方」という名称で一本化することが市民メンバーもいる(町名をどうするかなどを話し合うための)地区委員会が決定しています。審議会はその決定を尊重して、落川地区を東寺方へと変更することを前提にしてきました。それから18年間経って、その間なんのリアクションもなかったのに、突然に議会、そして市長に対しても「落川存続」を求める願いが提出されたわけです。
 私はそこがとても不思議でした。町名を存続するのかどうかについては、昔からの土地への愛着などを考えると身がきられる思いがする・・・という気持ちも理解できないわけではありません。けれどもなぜ、今、このような陳情が議会にまで提出されてしまったのか、審議会にも、これまで何の申出もなく、働きかけもなかったとの経緯も聞いても理解することができないわけです。
 落川地区の住民の方はもともと「東寺方自治会」に所属をして、地元のお祭りなども仲良く、一緒に行なっているわけです。そして東寺方自治会からも審議会メンバーは輩出されています。ただ、落川地区在住の住民ではありませんが、市の方でも、落川地区在住を条件にメンバーを探す努力はしたけれども叶わなかった・・・という経過も存在します。
 ・・・・いろいろと市側の説明を聞くにつれて、私はどんどんと不思議な気持ちになりました。「どうして、これまで静かだったところに、こんな動きが突如出現したんだろう?」未だによくわかりません。
 結果的には、この陳情は「審議打切」としました。1040名の署名つきの陳情で、「落川の地名存続」に対する住民の願いについて、議会としても思いは十分に受け止めるものだからです。でも、私たちが出来ること、出来る範囲を考えてみると、審議会での決定を拘束するべきではなく、やはり審議会の中で議会に陳情が提出された状況や、市長にも願い書が出されていることを踏まえて再度、結論を出してもらう方がいいのではないかという判断です。経過を聞いてみると一旦は住民合意の上で「東寺方で一本化」したことを尊重してきたわけで、今になってこの住民合意をも覆すことがいいのか悪いのか・・・という判断も難しいところです。
 ゆかりある地名・・・に対して、やはり古くからの住民は思いも強いことと思います。これについてはそこに住んでいる住民自身が納得をした上で変更など行なうしかありません。本当は議会などでもあまり議決するにはなじまないような問題ではないかと思っています。割りきれないものがあるからです。
 今回、この陳情についての委員会の結論への賛否はもちろんあると思います。でも「町名をどうするか?」については私たちだけで決めていい問題ではないと判断したのです。その判断を行なう場所として学識経験者も交えた審議会が存在するわけで、議会としては審議会で結論出されず、その審議過程をまずは優先したいという思いがありました。審議会が住民を無視していたわけでもありません。
 今後の審議の中で、今回の陳情が出された事実をどう受け止めていくかの動向を見守りたいと思いました。一筋縄では行かなそうです。
 個人的には今回の議会と審議会との関係性などを考える機会を得られて、「議会決定」の重みを実感することが出来ました。その責任の重さというのは想像以上のものだと思います。つまり私自身の日常の発言や行動も実はものすごく責任が重いもので、ちょっとそれを考えるとプレッシャーを感じます。それに耐えきれるのかどうか?これは自分との勝負でしかないなあと改めて思いました。

投稿者 hisaka : 2002年12月13日

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