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2002年11月09日

上野千鶴子 ネットを斬る?!

 多摩ネットの20周年記念でお招きした上野千鶴子さん。本人曰く、田嶋陽子のようにマスコミの露出度は低いけど、その筋、フェミ界(フェミニズム業界)は知る人ぞ知る存在・・・私は彼女はとっても有名人だと思っていたけれど。噂通りのズバズバトークには全く頭が下がりました。
 今日のテーマは「女性の政治参加と地域社会」でした。彼女はまず「女が政治参加をして一体何をしたいのか?何をしようとしているのか?」と投げかけました。女性に参政権が認められて、一体何が変わったのか、現実を変えてきただろうか?彼女の見解は「否」でした。いわゆる55年体制という利権構造を温存してきたのもまた‘女性’であると言い放ちました。そして「女なら誰でもいいのか。」と終始口にしました。女なら誰でもいいわけではないと思います。「おんなも様々」なのです。そして「女性の政治家もいろいろ」です。
 彼女は横山ノック氏の支持母体がそのまま横滑りしただけで当選した大阪府知事の太田さんと市民が大きく動き当選したと言われる千葉県知事堂本さんはまったく同じか?ただ比較することはできないといいます。「一体の何のために戦うのでしょうか?」
 さて彼女はネットは非常識の仕組みを政治に持ちこんだと言いました。議員の歳費管理やローテーション制度は既得権に甘んずる議員の最も「否」とするところです。ネットワークを組み、全体で研修会を行うなど政策立案、提言能力をつけてきたのが強みだとしてきしました。ところが彼女はこの運動をしてきている人こそがある意味で従来型利権構造の恩恵に預かってきた女性だと言うわけです。
 生協運動、生協の組合員は既婚率が高いそうで、いわば無業の主婦に支えられているのです。そして彼女らは専業主婦の減少が始まる1983年以降も「主婦」でいられた人だと指摘しました。つまり高学歴、高経済階層に属する女性たち、彼女らの夫はいわゆる大企業勤務で、利権構造に守られてているのです。そんな彼女たちには時間もお金にもゆとりがあるわけです。だからネットの運動の中でフェミニズム、女性固有の問題である‘ジェンダー’の視点が弱いのは当然のこと、フェミニズム業界とは妻、主婦、母という社会が与えた女の指定席に居心地悪い人たちがつくる場所で、ここは全く生協運動の組合員とは対置するからです。なかなか面白い観点でした。
 とはいえ、彼女は歴史上で偶然的に持ち合わせた「資源」、時間とお金のゆとりを使えるだけ使うべきである、そのことは何ら批難を浴びる必要なく、主婦、「安心な食べ物を!」良き母、良き妻で夫がいたから立候補できるネット議員だからこそ非常識な仕組みを政治に持ちこんだしまったと言いました。
 女をとりまく政治と社会の在り方も介護保険導入により大きく変わりました。女性のアンペイドワークにも賃金が払われるようになったからです。これまで介護は私事でしたが、これが社会化したからです。家族革命で行政革命でもあります。行政革命では介護保険制度の担い手として新たにNPO、ボランティア団体が台頭してきました。それに従事する多くも女性です。これまでの枠組が変わろうとしています。「これからどうやって地域をつくっていくのか?」自治体の役割も大きくなります。そして議会という税金の使い道を決定する期間、所得再分配をどう行うかを決めるところ、意志決定をする場所にやはり女性が増えていくことは必要だと指摘しました。
 政治と市民の距離が近いことが大切。彼女が最後に言ったことは、まさに私自身の最大の課題です。必ずしも女性が議員になれば実現出来ることとも言えません。最終的には女性男性の区別ではなく「現状をどう変えていきたいのか?」を明確に持ち、それをどこまで貫けるかなのです。いろいろな意味で励まされたような、そしてまだまだクリアすべき壁が立ちはだかっていることを思い知らされた講演会でした。私自身の立場は彼女の言うところの「主婦」ではありません。私の役割はどこにあるのでしょうか?これについても考えさせられました。

投稿者 hisaka : 2002年11月09日

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