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2004年06月19日

「なかったことになる?」

  昨日に引き続いての話題ですが、議員の議場での発言に明確な誤りがあったとき、訂正をします。私も‘言い間違い’をした際(これは、例えば名称を間違えたときなどの簡単な訂正に留まる範囲)、その場で議会事務局の方に指摘をされ、「…と言ったところを・…と訂正します。」と発言をしたことがあります。議事録に載せる際には訂正したもので記載されます。
 このようにその場で発言の字句訂正を行うことは時々ありますが、内容の不適切発言があった際、その部分の「取消」が認められています。これは議事録では×××と掲載されます。3月議会での議員同士のやりとりの中でも適当ではないと思われる部分を×××表記にするため、その部分を受けた次の私の発言についても引用箇所が×××になりました。

 さて、今回の新聞報道に関わる一件をめぐる議場での発言。これについても誤解を招くようなことになったと議場での発言の取消しが行われました。3月議会の際も、その場での発言の取消しだったので、後日になり、取消すことができるのかと私は初めて知りました。
 そもそも私は議場であっても議場でなくても、そして議員であってもなくても、発言には自分で責任を持つことが大事だと思っているため、字句訂正の言い間違いを指摘されれば別ですが、「発言を取消す」ということはあり得ないと思っています。そうでなければ発言をしなければいいわけで、もちろん失敗したなと思うこと、言わなかったほうが良かったと思うこともたくさんありますが、それでも発言してしまったという行為を自分できちんと受けとめて、その後に生かす、または誤解を招くような発言があれば、それをリカバーするように行動なりすればいいと考えています。これは日常的にどんな場面どんな場所でも私は同じです。
 しかしながら、議事録というのは公文書であり、発言がしっかりと残ります。その時はわからなくても、後日配布された議事録を読むと、「消し去りたいな…」と思うような箇所も時たまあります。そういうことを感じながら、私は自分自身の発言の重さや言葉に対する感覚を磨かなくてはと常に思うのです。議事録はそういう意味でも非常に重要な役割を果たしています。
 議事録が完成する前に、速記の方がそのまま文字おこしをした「原本」が存在します。この「原本」は、速記者が聞き漏らしなどでおかしな言葉になっていたりして、そういう簡易な訂正は議長に一任しています。この「原本」がいつまで保存されるのか、その位置づけがどうなっているのか…よくわかりませんが、いずれにしても発言が取消された場合に、その発言は「なかったことになる」のだそうです。

 私はこれがとても理解できずにいます。というのも、昨日設置した調査特別委員会は「多摩市議会改革議員連盟会派の政治倫理に関する調査特別委員会」ですし、この特別委員会への付託は議案通りに記載すれば「多摩市議会改革議員連盟会派の政治倫理に関する問題と増田匠議員の議会内の発言について」となっています。
 しかし、議事録では「なかったこと」、取消された発言を一体どのように扱えるのかと疑問なのです。議会事務局の説明では「発言したという事実行為は残る。」ということで、調査特別委員会では議事録の「原本」で、ありのままの発言に対して調査をすることができるそうですが、何だか不思議です。私はどうしても、それについては変だと感じずにいられませんが、事務局が一応「大丈夫」というお墨付きをくれたために、渋々ながら納得せざるを得ませんでした。

 結局、私が思うことは「発言の取消し」って何なのか?と言うことです。滅多に起こらないことなのかもしれませんし、起こさないようにすべきというのが当たり前のことです。しかし、今回のような場合、どう考えればいいのでしょうか。
 もし自分だったら、どうするのか…とあてはめて考えてみましたが、私なら、例え不適切であり、問題にされたとしても、それはそれで自分の責任で請負う覚悟をするなと思いました。逃げも隠れもせずに、現実を受け止めたほうが、自分にとっては辛くても、心地よさがあるように思ったからです。

投稿者 hisaka : 2004年06月19日

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