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2003年10月17日

決算特別委員会最終日・・・会派分裂ではないけれど。

 今日が決算の審議も最終日。とても辛い一日でした。一般会計では消防費、教育費…そして特別会計へと審議が移りました。
 
 一般会計の決算の認定について、会派で見解が分かれてしまいました。自分に正直に判断をしたら、どうだったかな…と思いますが、そこは私はやはり生活者ネットワークという組織を背負っているので最終的な決断を下すことには覚悟がいりました。
 「できれば決算を認定したいね。」ということで会派の中では早朝の朝遊説後の打合せでは意見調整をしていました。ところが事態は急変したのです。

 というのは開会直後の出来事でした。ある議員が質疑したわけですが、その際に‘普通なら’市長が答弁をしなかった場面で突然に市長が出てきたのでした。今までの3日間の間で市長が答弁に立ったのはたったの1回で、ほとんどは部課長さんが答弁をしていました。
 
 部課長さんの答弁は何だかとても歯がゆい感じを受けていて、もっと明確な答えがほしい!と思ったり、これは市長が答えるべきことじゃないの?という場面でも、市長はただじっと自席に座っているだけで、課長(だいたいは決算委員会では課長答弁が通常)に変わって部長が最後に責任をもった発言をする・・というのが進みかたでした。

 どんなに市長に答弁を求めても「市長に代わりまして…」と部長答弁に留まってきたのに、今日は質疑者が市長を指名したわけでもないのに突然市長がすっと手を上げて答弁に立ったのでした。

 ところが、この答弁の仕方がとても不自然だったのです。まずは原稿が4枚くらいあったように見えました。もちろん、私たちも質問の組立てをする上では担当者にヒアリングをするので、担当側もだいたい議員から飛んでくるであろう質問を予測して答えを考えるわけです。その意味では市長も何らかのやりとりをしていて、予測の中でその答えを原稿として書いていたのかもしれません。
 市長は「プラン・ドゥ・シー」と言うべきところを「ピー・・・・・」と間違って読んでいました。こういうのが妙に耳に残るわけです。明らかに原稿がありそうだなあ…と様子が見てる私たち(の会派)に伝わってくるのでした。これについては、見なかったことにしても、市長の発言の中にどうしても納得できない部分があったのです。それは「今までの答弁が不十分な部分があった。」という意味合いが含まれていたことです。

 私は腹立たしい気持ちを通り越して情けなくなってしまい、そして悲しくなりました。なぜなら、私もまだまだ力量不足の部分もあるし、全く歯が立たないな…と反省する時もありますが、でも自分の発言している時にはいつも自分の持てる力は100%は発揮しようと努めています。考えたことや思ったことは自分なりに伝えきりたいと臨んでいます。
 つまり私は、部課長さんの答弁はそれなりに100%の回答で返ってきていると思っていました。もちろん部課長さんの答えが不十分なら、それはフォローとして市長が答弁すべきなのです。(なぜなら、部課長さんの答弁は市長の答弁でもあるのです。)その場その場で真摯にやりとりをしていると感じていました。それは勘違いだったのでしょうか?私の思い込みだったのかと耳を疑ってしまいました。

 そもそも今まで全く答弁に立たなかった市長が「市長部局の最後と言うことで…」といきなり消防費のところで答弁にたち「これまで色々な議員さんから補助金についてのご指摘をいだたきましたが・・…その中ではなかなか答弁が不十分な点もあり…」と行財政診断白書からアクションプラン策定にかける意気込みを淡々と話はじめました。
 
 「なぜ、今?」場面の異質さがありました。全く市長の態度が意味不明なのです。だったら、そのときそのときの部課長さんのフォローでどうして市長が答弁に立たないの?「トータル的に、行財政診断白書も踏まえた答弁としては不十分さもあった」と言うけれど、「行財政診断白書」という前提は部課長さんも既に承知済みなはずでしょう?もし、そうでなければ事前にきちんと意志統一がはかれていないってこと?

 どちらにしても議員側が100%でやっているのに、市長は自分の感覚からすると部課長さんの一回一回の答弁には少し不十分さを感じた、必ずしも十分でないと思っていたとしたら・…私は精一杯やっている自分にとても虚しくなったのでした。

 そして多摩市の政治のありかたに疑問でした。議員(議会)は100%で体当たりしているのに、市長は?…市長も100%でヤリトリをするのが本来のありかたでしょう!真摯に受け答えをしていくってどういうことなの?私はもう一回初めから決算特別委員会をやり直して欲しいと思いました。しかるべき時に職員の発言を市長はフォローしなければ本物の答えにはなっていないじゃないの!

 「発言の内容が大事。」…もちろんそうだと思います。でも私はなぜ市長が教育費に入る前にトータルな視点から、質疑には直接関係のないことにまで話を及ぼして、行財政改革に臨む自身の態度表明をしたのか、市長の発言の中味は素晴らしかったかもしれないけれど、私は「今頃になって・・・。」と思いました。

 財政にだけ注目すれば、予算の最終調製権は市長にあるわけで、行財政診断白書、そしてアクションプランを作成するために色んな厳しい指摘を聞いていきたい…という態度を表明するのなら、教育費まですべてすべての審議が終了した後でいいじゃない!総括的に最終場面で発言をしたのなら、すっと受け入れられたと思います。でも、明らかに出る場面が違いすぎました。市長は議員に対して公平な態度で接するべきだと思っているので、その私の価値観においては、やっぱり市長の今日の行動には不可解でした。

 同じ会派の篠塚議員はこれに対して、ものすごく怒り「もう認定しない」と結論付けてしまいました。私も初めは同じように思いましたが、お昼休みに「冷静に考えてみて…。」とたしなめられた部分もあり、話合いをして、最終的には生活者ネットワークとしてどうするのか?という立場を尊重しました。そこで私たちの会派内で態度が調整できなかったのです。そのことにも私はとても残念ですが、会派内では納得しての結果です。どっぷりと疲れました。
 
 私個人的には「決算の認定をしよう」と思いきって手を挙げるギリギリまで迷いました。監査委員の同意をした時と同じくらいに苦しい選択でした。感情論だけでは物事は進まないということもわかります。でも「信念」は感情の部分に深く根ざしていると思います。そこに照らしあわせて今日の議事の流れを考えれば、鎮かな怒りを押さえるのにしばらくは時間がかかりそうです。

投稿者 hisaka : 2003年10月17日

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