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2003年07月02日

少数の価値だってあるはず。

 午前中は大和田一紘さんから「三位一体改革」についての話を聞きました。大和田さんの話は一度聞いておいたほうがいい!とも進められてきたので、とても楽しみでした。実は、昨日から三多摩自治体学校のプレ学習会が「財政講座」がスタートしましたが、こちらの講師にもお招きしています。
 今月末に行財政診断白書なるものが発表される予定ですが、大和田さんは市民が自分たちの手で「白書づくり」できるようにと各地域に出向いては市民とともに財政の見方などから丁寧に指導をしています。さすが、財政分野での勉強不足の私にとっても大和田さんの話はわかりやすく面白かったです。
 三位一体改革については、特に国庫補助金負担金を2006年度までに数兆円の削減を目指すとしているけれど、何をどのように減らしていくのかが示されていないことを問題視すべきだと言われました。一体何を削減するのかが明らかにされないままに、全てが一律にカットされる状況・…これは多摩市でも全く同じだと思いました。とにかくお金がなくなれば「一律10%カット(たぶんもっと厳しくなっていくはず)」みたいに、全部頭打ちにしてしまう傾向があるけれど、必要なところがどこかを見極めた上で、不必要な部分は削減するのが本来だと思うからです。
 特に「補助金」なるものは何十年前からもずっと拠出しつづけているものもあります。時代にそぐわないものも恐らくあると思いますが、それでも打ち切りしないのは「既得権」になっているからです。「公費を市民のために平等を使うとは何か?」そのことを真剣に考えるべきですが、特に地方自治体の財政については市民がどうやって使っていくのかを決定出来る仕組みに変えるのが理想です。これが「自治」だからです。「市民たちが自分たちで判断をする」。最終的に行きつくのは、やはり「税金をまちづくりにどう使うのか」を市民で決めるだと思っています。

 午後は久しぶりに「地誌学」講座に参加しました。東京の地域問題として「日の出町の最終処分場」が終わり、今日は「産業廃棄物」がテーマでした。
 毎回授業の感想を書いていますが、次の授業はその中からいくつか紹介がなされます。日の出町の最終処分場をめぐっては住民の戦いが今でも続いています。それに対して「まだ反対運動が続いているらしいがそれも心の中では無駄だと思っているに違いない。」という感想がありました。「本当に無駄なんだろうか?」感想を紹介している先生自体も驚きを持っていましたが、私も正直驚くとともに悲しい気持ちになりました。なぜなら、それは政治を始めとして、社会に対するあきらめ感と通じるものがあるからです。私は「どうせ投票したって変わらない。」と言われたことを思い出しました。
 むしろ「無駄だと感じているのに・・・なぜ行動しつづけるのか?」そのことを考えてもらいたいと思いました。
 
 私は‘今’という一点だけを見た時には変わっていないのかもしれないけれど、か細くでも続けていくことで変えていける部分があると思っています。例えば行財政改革の問題でも、市民の中に財政を勉強しようという人が少数でも生まれることで私は変わっていくと思います。「何を言ったって行政も議会も耳を貸さない」とあきらめるのではなく、耳を貸してもらえるように自分たちできちんと学習を積み重ねていこうとする気持ちこそ私は重要だと思います。
 私はゴミ問題についても今でも反対し続ける人がいることが歯止めになっている部分があると思います。どうせゴミは出るんだから仕方ない…と思った時、私はもっともっとゴミ問題が深刻化すると考えています。

投稿者 hisaka : 2003年07月02日

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