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2003年02月26日

「時間をかける」が大事

 今日は夜に2つの会議が重なってしまいました。一つは「住井すゑ百歳の人間宣言」の上映に向けての打合せ、そして高齢者いきいき祭の企画運営委員会です。「あら、忙しいのにこんなところに来て大丈夫?」と心配の声をかけてもらってはじめて、こんな時間にひょっこりと会議に顔を出している私って変なのかな?と思ってしまいます。
 けれども私自身は、市民と一緒にやっていくということの中で一番重要なのは、一見時間を効率良く使っていないと思えるような思考錯誤の時間を参加している人みんなで共有することだと考えているので、やはり私も参加を表明したメンバーの一人としては出来る限り会議に出席したいと思っています。
  今日、一通のFAXが届きました。映画「一票のラブレター」という作品のことを採りあげた読売新聞の記事でした。私もまだ観に行けていない映画ですが、若者たちが非常に感銘を受けるイラン映画だそうです。そのFAXには若い人たちが選挙に行かなければ政治の流れを変えられないと書かれていました。私も同感でした。辛いところです。「子供たちは選挙に行かないのよねー。」とこぼす方にしょっちゅう出会うからです。なぜ若い人は選挙に行かないのでしょうか?その一番の要因は「変わる」ことを実感していないからです。恐らくそれは若い人だけではなく多くの人が同じ思いを抱いていると思います。
 長野県の知事選挙を機に長野では有権者の意識が変わったと聞いています。一人一人がリアリティを持ててこそ、そのことが次の「変える」力にと結びついていくのではないかと私は長野を傍観しています。多摩市の一人でも多くの人が一票のリアリティを持てるように・・・そのためにはやはり投票率を上げていかなくては全くの無意味だと考えています。
 ステイツマンとの活動は思考錯誤続きです。例えば、より市民に声を届けるための朝遊説計画。永山駅では一般的にみんながマイクを持つ場所ではなく、東西南北と4ヵ所の立ち位置を決めて遊説をしています。これは恐らくちょっぴり珍しいと思います。これも思考錯誤です。でもそのことが少し効果をあげているとも思います。というのも私自身が、例えば北側から歩いてくる人、南側から歩いてくる人・・・・のようにの朝の急ぎ足の方の顔までを覚えられるからです。マイクで話しながら「あ、いつもの人だ!」と思う瞬間がうれしくなります。初めは4ヵ所で遊説をやるというアイデアは珍しすぎて「変」なように感じましたが、今まで約10か月ほどやってきた効果が自分自身に上がっているのにはつくづく良かったなと感じます。
 時間をかけるほうがいいこと、時間がどうしてもかかることの方がきっと多いんだろうなと思いながら毎日を過ごしています。そういう意味ではステイツマンと私がやろうとしていることには「時間をかける」愉しみがあるように思います。それを考えるとどんな風になるかわからない、ちょっと先に期待あり、不安もあり。いづれにしても「時間」を大事にしなくてはと思うのです。

投稿者 hisaka : 2003年02月26日

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