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2002年11月20日

この‘まち’の行方

 未利用地等検討特別委員会の第二回目。午前中には東京都、午後は公団のニュータウン担当者を招き、話を聞きました。
 都も公団もニュータウン事業からの撤退を表明しているので、今、ニュータウン地域内に所有する土地=未利用地の売却に躍起になっています。売却先はもちろん民間事業者です。これまでニュータウンの街並みなどを含めた住環境を維持して来れたのは、紛れもなく公団や東京都のおかげです。けれども民間事業者に売却されることで、ニュータウンの住環境の維持に不安の影を落としています。なぜなら民間事業者は敷地内に建ぺい率容積率めいっぱいの建物を建設しようとするのは当然のことだからです。そうなるとこれまで維持してきた環境を壊しかねないのです。ニュータウン区域の住宅地はだいたい容積率は200%ですが、容積率に余裕を残して建設した団地がほとんどです。民間事業者にも周辺環境の調和を訴えたとしても、それを承諾するかどうかは業者判断です。市が指導しても従わなかったとして、それへの厳格な対抗措置はありません。一体どうすればいいのでしょうか?特に公団所有の点在する未利用地問題は深刻です。
 そして、今日の話を聞いていて他の委員が「気になる点」と指摘をしていましたが、とにかく「多摩センター地区は魅力がない!」と言われます。未利用地の問題は多摩市の活性化、とりわけ多摩センター駅前にある未利用地の活用で‘まち’の活力をどう回復してのかという視点があります。これについて知恵を絞って考えるわけですが、どうも突破口が見つからないのが現状です。都も公団も企業誘致を図るための営業活動をしているけれど「魅力なし」「没個性」で都心回帰のあおりも受け、本当にどうしようも出来ない状態です。センター駅の活性化を絡めた時には北側地域は都の所有、南側は公団所有なので東京都と公団と多摩市でどうしていくかの結論を早く見出したいものです。
 私が思うことは「この‘まち’の行方について」最終的な責任を担っていくのは多摩市であり、多摩市民であること、公団でも東京都でもないということです。もちろん形態を変えるかもしれないけれど、公団も都もニュータウンには関わる方針・・・とは言いますが、これまでの新住事業からはすっかり手を引くわけで、今後は多摩市が中心になり‘まち’を担っていくのです。とするならば地方分権の時代だし、もっと多摩市に任せてもらいたいです。そして多摩市の市民に裁量権を与えてもらいたいです。結局はこれまでのニュータウンの赤字を解消したいために土地を売却することだけを考えている、言葉はいろいろと並べ立て、いかにも‘まちづくり’を一緒にしたいように考えていそうだけれど、本音のところがチラチラと見え隠れするような発言が多々見られました。
 公団は「ニュータウン事業の赤字を抱えている。」とは言いましたが、私は「多摩市域におけるニュータウン開発事業の赤字」として数字を明らかにしてもらいたいし、もしそれで多摩市域開発で多額の負債を抱えているとするならば、それはそれで多摩市としても開発していただいた代償として未利用地処分にもっと積極的に関わる必要もあるのかもしれません。でも、それが全くあきらかにされず、多摩市としてどこまで責任をとればいいのかが明確でないことがわかりました。多摩市開発でかかった費用を回収できているのかいないのか、「公団は別に儲けなくてもいい」との発言もありましたが、それならば原価回収しているのかどうかの現状について、きちんと整理してもらった数値を見なくては納得できません。
 未利用地かもしれないけれど、多摩市の市民にとっては住環境保全にも役立っている緑地もあります。そこが住宅地という土地利用計画になっていたとしてもどうでしょうか?あと3年以内には公団がニュータウンから去っていく中で、この‘まち’を最終的に請負っていく市民たちが「みどり」として保全したいと決断したとしたら、それは私たちの結論を公団は尊重すべきではないでしょか?それが今の時代にあった‘まちづくり’の手法です。
 未利用地の問題はとてもさまざまな思惑が混在しています。特にセンター駅前地区について言うならば、多摩市として、今後目減りしていく税収、これをリカバーすべく活性化に向けた‘まちづくり’にはどうしても公団や都の協力が必要です。でも、多摩センター駅活性化に関わる以外の未利用地について考えてみるならば、これまでのような状態であったとしても当面困ることはないのかもしれません。むしろいきなり民間事業者による開発が進むことを避けたいからです。という形で多摩市としても難しく、きわどい判断を迫られています。でも、どちらにしても目先のことだけで動くことだけはやめてもらいたいです。‘まち’の主人公は市民です。これを原点にしてもう一度‘まちづくり’を捉え直す必要があります。
 今日の委員会のいろんな意見を聞きながら思ったのは、これまでの‘まちづくり’の中でいかに市民がないがしろにされて来たのかということ、そして今でもまだ、都、公団ともに‘市民’という言葉は知っていても本当に‘市民’なるものの顔を見ていないということです。いつもは多摩市に対してももっと‘市民’の方を向いて欲しいと思うわけですが、今日は多摩市はまだがんばってる方じゃない!と感じてしまいました。

投稿者 hisaka : 2002年11月20日

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