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2004年09月10日

やっぱりこれは。。難題

 委員会が開催されました。条例改正の2案件の審査はスムーズで、両改正についても委員会では全会一致で「可決するものとする」となりました。

 さて、学校跡地施設の問題について。これは南永山小学校の跡地施設の資産活用(売却)に反対する陳情です。内容そのものを否定するわけではありませんが、やはり、今までの議論の流れがよくわからないために、私自身は、もう一度その経緯を知りたいと考えていました。
 既に、現在進行中の多摩市の第4次総合計画。この計画は基本構想(第4次基本構想)に基づいて構築されたプランと言えますが、議会での議決された基本構想にも学校跡地等の資産活用については明記してあります。学校跡地施設を社会教育施設として転換していこうという文脈ではなく、明らかに、行財政運営、とりわけ財政基盤の強化と結びついたところに位置付けられ、将来の都市像構築とともにしっかりと書きこまれている部分です。
 さらには、この構想に基づき、構想を受けて策定されている計画部分でも、構想を裏切ることなくきちんと資産活用が視野に入れられています。この計画策定には市民が関わっています(しかし、関わった市民の方にお話を聞くと、ほとんど声が反映されていないと主張されていますが)。ワークショップ形式を導入した画期的な手法でした。さらに、参加した市民の中から数名と、議会からも議員が加わり、学識経験者などとともに最終的に計画を確定するために開催される審議会参加しています。その意味では、当時は市民、議会、行政ともとりあえずは足並みが揃っていたと言えます。
 つまり、私自身はその時に学校跡地等、施設の資産活用問題をどのように議論してきたのかと言う経過が気になるのです。また、97年には諏訪・永山地区の学校跡地施設に関して活用方策を検討するための市民懇談会が開催されており、その際にまとめられた最終報告書にもしっかりと「資産活用」の方向性が打ち出されているのです。報告書などだけを追っていくと、確かに、行政の言い分(長年にわたって検討を重ねてきている)も一定は理解します。けれども、じゃあ、その懇談会は何を意図して「資産活用」を示したのか…やはり、懇談会での議論を知る必要がありそうです。

 もちろん時代、環境の変化もあるので、方針が変えざるを得ないこともあります。しかしながら、行政の進もうとしている道と市民の進みたい道との分岐点に差し掛かっているのか、足並みの乱れが、今回の陳情が提出されているのです。私の中では、当初は同じ道の上を歩いていたはずなのに…と考えられる要素があり、一連の経過を再度押さえておきたいし、過去をひも解いてから、考えなおしてみたらどうかと思っています。

 また、今回の陳情は「南永山小学校跡地の資産活用」となっていることも一点、問題があります。行政が今回示した方針案には、他数校も同様の資産活用の方向性が視野に入れられていることがわかります。では、議会はどう判断するのか。南永山小学校跡地だけの問題を考えて、陳情に採決をしていいとは言えません。
 これについては委員会の他メンバーも同様の見解を持っていました。そこで、全員の合意を得て、再び陳情を継続審査とし、「学校跡地施設の活用問題」について個別案件として調査や視察を行う事項と決定しました。陳情の提出者の方々が傍聴にいらしていて、委員会で結論を出さないことに不満の空気が広がりました。しかし私は、なぜ議会がそうしたのか…ギリギリでの賢明な判断だったのではないかと思っています。つまり、南永山小学校跡地だけを限定にした議論は出来ないと言うことだからです。

 私たちの委員会としても、この陳情はとても重い案件です。それだけに慎重な取扱いをして、今後の'まち'の方向性を決めていかなければと考えていることは確かです。

投稿者 hisaka : 2004年09月10日

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