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2004年05月02日

条例をつくるって?

多摩市で自治基本条例の制定にたどりつく過程でも、立法技術の難しさを感じました。そして思ったことは、本当に市民が求めるような条例、つまり市民立法をしていくことってできるんだろうか?と感じました。
 なぜなら、やはり条例を制定する時には法律を無視することはできないとからです。法治国家とは言われるものの、日常の中でいちいち法律を意識しながら生活しているわけではありませんが、法律があるから私たちの生活が守られていることは言うまでもありません。
 ところが、身近な生活の中から発見した課題解決のために、市民の自由な発想に基づいて条例をつくろうとすると、実は法律がとても壁になるように思います。一つの法律の解釈をめぐっても、大体は‘定説’みたいなものがあり、それにのっとるのが手っ取り早く、そして間違いがないと言えます。市民自身が持ち合せているユニークさ、地域地域ごとにそのユニークさは当然ながら変わってくるわけですが、それを純粋に生かすなんてことは現段階では不可能に近いなあと思っています。法の制約があることのプラスの面もありますが、法の存在が逆に障害になってしまう場合もあります。地方分権で地域が重視される時代にさしかかかり、特に法律と条例との関係性は変質していることは間違いありません。

 なぜ、私がこんなことを考えているかと言うと、ネットで取組んでいる「条例づくり」を抱えていることがあります。それからもう一つ、今日と明日にある授業で「条例づくり」をしてみようという課題が出ているからです。実は私は、授業の課題によって、冒頭に書いた自治基本条例の策定過程で感じた疑問は、まだまだ序の口であることを思い知りました。
 と言うのも、授業での課題は実際の法制技術が求められていて、「行政行為」を踏まえながら条例づくりに挑戦をしています。この「行政行為」というのが非常に微妙で難しいもので、深く考えさせられています。ただ単に理念的なものを謳う条例だけではなく、市民の自由に何らかの規制を設けるような条例を制定するとなれば、様々なケースを想定しながら、慎重にことば選びをする必要があり、順序立てもしていかなくてはなりません。その難しさを実感させられています。
 
 大学時代には憲法と民法しか履修しなかった私には実務的な技量を身につけることが課題です。そうでなければ本来の意味での議員の立法権を生かすことにつながらなりません。議員の立法権を生かすということは、ただ単に思いの丈を言葉に表現するだけでは不十分で、本当は行政の法制担当者同様の技術が求められることをのだとつくづく感じています。ここは条例などを読みこむときに認識不足のあまりに、ほとんど意識せずにきていたところなので、改めて「市民のルールとは何なのか?」という観点を持ち、例規集などを読んでみたい、むしろ読む必要があるなと考えさせられた次第です。
 自治体の条例制定権が拡大する中での地方議会の役割、そして議員が求められているスキルに追いつくためにすべきことは山積しています。そしてもう一方で、市民が議会や議員に求めるべきことについても、今までとは変わっていくのだと思っています。

投稿者 hisaka : 2004年05月02日

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