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2004年02月20日

美辞麗句はいらない!

  都市計画審議会がありました。多摩市の都市計画決定等は上級庁である都の権限がまだまだ大きく、市では学識経験者や関係者(警察や消防等)、公募市民と議員を含めた審議会を開催し、そこに意見を諮った後、東京都に対して意向をお伝えしなければならない…というのが法律上の決まりになっています。市長の諮問機関には議員がいることには疑問がありますが、もちろんこの場合は市議会の決定を仰ぐ必要がありません。それはいかがなものかということで、恐らく諮問機関ながら議員を参加させる仕組みになっているのだと思います。法律はやっぱり賢くつくられています。

 今日の議題の中に東京都の都市計画マスタープランの案が示され、都に対する意見を集約がありました。行政が作成する文章は本当に上手だなあと思って感心して事前に読んでいましたが、「こんな書き方で大丈夫なのだろうか?」と思える部分がいくつかありました。正直、私は都市計画審議会の委員としては専門知識も不足していて勉強不足なので、あまり積極的に意見を言うことを控えているのですが、他の人がもし指摘をしなければ、一言だけでも意見を言おうと考えていました。
 するとやはり同じことを感じている人は多かったようで、「美辞麗句を並べただけに過ぎないと感じます。」というとても率直な意見が出されました。そして「何を根拠にどんな分析をしたのかがまったくわからない。」という厳しい意見がありました。これも同感でした。
 というのもニュータウンは既に現在進行形で高齢化が進んでいて、特に初期入居地域では深刻な問題になっているにも関わらず、「今後一斉に高齢化が進む」という認識。建替えやバリアフリーの問題についても、もう今すぐにでも解決してもらいたいのに「(これから)適切な対応が必要」というようなのんびり口調…。全くここに暮らしている人の認識とは乖離している気がしました。やっぱり都の職員を中心に机上の空論でつくられた計画だなと私はつくづく感じていたのですが、そのことをズバリと指摘をし意見として他の委員さんよりあがってきたのでとてもすっきりしました。
 「計画」ってなんのためにあるのでしょう?マスタープランというのは一番の拠所となる計画なんだそうです。一応、評価出来る点といえば団地の更新(建替えなど)への対応をしていくことはボヤッとでも考えには入れてくれてそうだと言うことです。東京都となれば多摩市だけではなく、他の地域のこともあるので、どのようなバランスを取りながら記述がなされているのかも実は見ていかなくてはならないわけですが、事前に送付された資料でも多摩市に関連する部分だけのコピーが送られてきただけだったので、その判断もなかなか難しいところだなと感じました。
 後から考えて、事前に東京都のホームページででも見ておくべきだったと反省しましたが、とにかく東京都にとっての多摩ニュータウンが一体なんだったのか?どんな位置づけをしていくのかの明確な方向性が全く感じられないマスタープランの案でした。

 このことは、実は多摩市の作成するさまざまなプランについても当てはまります。その意味では「計画のつくり方」という点でも一つ研究課題あるなと考えたのでした。

投稿者 hisaka : 2004年02月20日

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