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2004年01月19日

認識と「ことば」での表記

  継続案件の自治基本条例についての審議がありました。12月議会の時には市長が委員会に出て、説明と質疑応答をほんの少し行っただけでした。実質、今日から本格的な審議に入りました。
 最初に総括的な質疑をした後に、逐条的に前文から順を追って丁寧に条文をチェックしていく作業となりました。委員会としては条例案が議案となる前の段階でも委員同士の意見交換含め、条例最終案に至るまでの経過をたびたび行政側から聞きながら、問題意識などを高めきたつもりです。しかしながら、もちろん各委員個々人の意見を調整するにはまだこれからかなりの時間と議論が必要な気がしました。
 しかしながら、その前に今日は「まだまだこの条例案は文章として練られていない。」という結論に至りました。もっとも顕著に表れたのは「まちづくりにおいて『市民は主権者』であるとの認識はありますが、主権者としてしまうと不都合が生じてしまうので『主体者』と表現しました」との行政側の説明です。主権者と言ってしまうと、例えば選挙権のような権利も発生してしまうという理解があるからです。自治基本条例の中では居住者だけが「市民」ではありません。そこで『まちづくりの主権者である市民』と表現することは行政的にはまずいと考えるのです。・…結果、総則のところでは『まちづくりの主体者である市民』という風に表現してあるわけですが、ここにもまた行政側の説明との齟齬が生じています。というのは、再三再度「まちづくりの主体者は市民のみならず、市議会や行政などケースバイケースで主体は様々である」と繰り返してきたにも関わらず、目的のところには「主体者は市民(のみ
です」としか理解できないような表現になっているのです。
 とても難しいわけですが、実は条例をつくる時にはこういう細かい表現が大事になってきます。もちろん行政側も細心の注意を払いながら、法制担当者と文章をつくってきたとは思うわけですが、どうも行政側の説明と「条例案にある表現」との差異が生じているのです。しかもその理由が「認識はあるけれど表現上では(主権者ではなく)「主体者」となりました」というのはあんまりだと思います。条例は言葉です。その文章に表現してある言葉が大事で、その言葉はなるべく正確でなければなりません。しかも自治基本条例であればなおさらです。市民にとっても理解しやすいような表現であるべきなのです。10人の市民が「主体者」を、認識としては「主権者」と読み替えてくれることを期待するのでしょうか?

 それにしても委員の大方の多摩市の条例案に対する印象は…「他の自治体で制定してある条例はもっとシンプルでわかりやすい表現になっているけれど、多摩市のは奥が深いのかもしれないし、そのほうが正確性あるのかもしれないけれど、本当にわかりにくい…。」

 それからもう一つ。「今までは、行政から出されたものに対してはなるべく修正案を出さないようにしてきたのかもしれませんけれど、でもそれは今までのやり方ですから。やっぱり出されたものに対してはきちんと審査をして議会としてしかるべき結論を出すべきです。」という趣旨での新人議員さんらしい発言。これはなるべく波風立てたくない…と考えているような他の議員さんに対する新人ならではの牽制だなと思いましたが、私も心底同感しました。
 ちょっとは議会の流れも動いていることを実感して、明るい気分になりました。

投稿者 hisaka : 2004年01月19日

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