「ほうれんそう」の最終号を配り終えました。

都議会議員の補欠選挙が終わって、しばらくぶりの更新です。ちょうど一ヶ月くらい経過しました。「落ち着きましたか?」という連絡をいただくこともあって、少しだけ近況報告を。

選挙が終わってからも、それほど生活が変わるものでなく、その後、中央大学のキャリアデザインの授業の呼ばれ…例年通りにスピーチをしたり、あとは、選挙の収支報告、そしてまた、市議会レポートとして発行してきたニュースをいつもよりも多めに印刷をして、配布する作業など一通り…「これは、やっておこう」と思い描いていたことに一区切りがついたところです。ありがたいなあと思ったのは市議会事務局のみなさん。自動失職になってからも、お世話になりました。選挙後、控室はすぐに片づけに行って、22年間保有してきた?持ち続けてきた資料などの整理もしましたが、それ以上に…今年度分の政務活動費の精算とか議員報酬についても一部返納するとか…職員さんの対応失くしては最後の最後まできちんと終えることができないものだなを実感。

それにしても、今までも気にしてきましたが、国民健康保険税とか住民税とか…自分の手元から納めなければならないとなると、その負担感をさらに増して感じます。ちなみに、よく尋ねられるのですが、「退職金はありません」ので、前年度の収入に応じて支払わなければならない税金類は全て預貯金から納めなければなりません。まあ、その負担は小さくはありません。結構、大変だなと思います。

とりあえず、娘が残りの大学生活は満喫できるようにだけ…言ってみれば、娘が路頭に迷わないように「常に備えよ」は心がけて生きてきたので、ついに20歳にもなり、年金事務所から「年金徴収」の振込票などが送られてきたことは計算外だったものの、まあ、アルバイトも継続してもらいながら、何とか凌いでもらおうと思っております。

私の活動は今のところは…変わらずに継続しています。今後はまたスタイルを変えるかなとか思っていますが、「じゃ、終わり」「じゃ、辞める」というのではなく、やっぱり「フェアな政治」「フェアな社会」をつくっていきたいとの気持ちは変わらないので。毎朝とたまにの報告はフェイスブックページに、何となく今まで通りに更新しています。まるで土足で外から踏み入れるような…正直、複雑な気持ちが入り混じりながら、稲城市内でも選挙活動をしてきたこともあったので、それについてのお詫び交じりでお礼の気持ちを込めながら、稲城市の駅にも足を運んでいます。多摩市ではしらた満議員、稲城市では武田まさひと議員がいつもご一緒してくださるので本当にありがたく。私の見えていないところ、私の知らないところで、本当にたくさんのみなさんに支えていただいてきたこと、そして今も支えていただいていることを日に日に重みを増して、感じているような気がします。

何事にも感謝を忘れてはいけない。「ひとりの力で生きているなんてことは絶対にない‥‥そのことを肝に銘じて生きるこどだな。」‥‥認知症になっても、思い出すように力強く語っていた父の言葉ですね。何度も思い出すようにしないといけないな。

さて、地域への配布と発送作業も終わりましたので、最終号を掲載しました。

第175号(最終号)_もっと「対話」しよう。私たちも参加して。 ~聴く力・表現力・思考力を育む対話~

図らずも…と言いますか、6月市議会では「対話できる学校をつくってほしい」という想いで一般質問をしたのですが、それは、自分自身が本当に本当に大切にしてきたことであって、自分もまだまだその実践は甘すぎると思っていますが、これからも自分の生きる姿勢として持ち続けていきたいことです。よかったら、ご一読いただけると、幸いです。

 

メールやお手紙、お電話などへの対応も遅れ遅れになっておりますが、少しずつお返事などしていきたいと思います。こんな私に多数の励ましなどをいただいてしまって、むしろ恐縮しております。本当にみなさま、ありがとうございます。