「おたがいさま」のある社会に。

また、冬に戻りました。今日も私は午前中から、一般質問前の答弁調整がありました。今回は施政方針について質問するので、調整も何もないかなーという感じがしております。市長は市政運営にどう向き合っているのかを一番聞きたい。

それにしても、この寒さ。いろんなところでご縁をいただいている皆さんと、時々、連絡を取り合ったりしていますが、一人で暮らす高齢者の方の安否については気になるものです。

歳を重ねると、どんなにかお達者な方であっても、やっぱり、若い時とは異なるものですね。動作はどうしてもスローになっていきますし。それでも、外出したい、しようとする意識をお持ちで、出かけた先で転倒してしまうとか、そんなこともあるみたい。それでも、「他人様にお世話になるのは申し訳ない。」とおっしゃり、自分で何とかしなければ‥‥と踏ん張っている方も多いような印象もありますが、「困ったときはお互い様」という言葉は何のためにあるのでしょう…とか言いながら、お手伝いをさせてください…という気持ちになるのは、父を他所に任せているからなのかもしれません。認知症が進行している父とは離れて暮らし、他に介護をお願いしている分、ここで私ができる高齢者のみなさんへのお手伝いができるといいなあという気持ちでボランティア。

お子さんがいらしても、市内や近隣に住んでいるわけではなかったり、現役で仕事をしていると、平日日中昼間はなかなか対応できないことも多いですね。私自身が時々ですが、お手伝いをすることで、気持ちが救われている部分もあるだけの話しですが、「介護予防」という言葉を頭の片隅に、お節介になりすぎずでの手伝い。

これから、後期高齢者がもっと増えていくので、地域でどう支えていけるのかは課題。しかし、訪問介護報酬が下がるとか…そうなると、そのしわ寄せは…どこに?住み慣れた地域で、在宅で。理想と現実と、そして、実際問題として、社会保障費全体のやりくりと。お金の使い方、それを考えるところの議論…どう行われてきたのか、行われているのか、ちゃんとフォローしておかないといけないですね。結局、問われるのは、最終的には「私たち一人一人がどうしてほしいか?」なのです。

それとは別にして、「おたがいさま」で助け合えるというか、譲り合えるというか、そんな社会全体の空気感、欲しいですね(取り戻したい?)。