3月議会 一般質問ひとくぎり。

今日で一般質問が終わりました。このメンバーでの一般質問は今日で最終回なので、ひとくぎりです。この任期で引退されることを表明されている議員さんもいらっしゃるので、ちょっと寂しい感じも。

ところで、昨日のブログに書き忘れた大切なことがありました。それは、この写真…かつて公園に配置されていた「もえるごみ」「もえないごみ」…公園からごみ箱が撤去されることになっても、撤去することができなかった遺物なのですが、「まちの歴史」を物語る大事な財産ではないかと私は思っていて…これも、多摩中央公園が大規模改修されてしまうとすべて撤去されてしまうのかなあ。誰が思いついたのかわかりませんが、撤去できないかわりの再利用を意外とお褒めもいただき、「これいいね!」と言っていただけるので、個人的には気に入っているのです。みっともない…とか思えなくて。むしろ、かわいらしい。

今日の一般質問では、公明党の荒谷さんが「不登校問題」を取り上げておられ、やっぱり、この問題に今すぐ、何ができるか考えないといけない…と強く思ったことと、議場ではほぼ全員がそう感じているとも思っていて、何とか取組みをバージョンアップさせて、ステップアップしていきたいのだけれど。

私は「どの子もみんな」という気持ちがとても強く、ずっと子どもたちの暮らす地域や社会のことをわりと真ん中に考えながら、政策提案などもしてきたつもりなのですが、今、子どもを取り巻く状況は良くはなっていないと思っていて…そこがとても辛くもあり、力及ばないなと思うことも多く。

学校に足が向かな子どもたちのこと、箱の中に押し込めようとすればするほどに苦しくなってしまう子どもたちのこと…いろんな子どもたちがいることをもっと受け止めて、対応していけるような、包容力というのか、「おたがいさま」と寛容になる力を一人ひとりが持てるような…というのか、そんな社会になればいいなとずっと思っているのですが、今は、どんどんその真逆になっていて、人間関係にギスギス感が漂っている…コロナ禍がますますそれを助長しているようにも感じているのは私の気のせいならいいのですが。

こうした状況、必死に何とかしたいと思って対応している大人が少ないわけではなく、問題意識を抱いている人は多いようにも捉えています。

でも、不登校の子どもたちがどんどん増えている状態にあり、荒谷さんが指摘されていたように、多摩市の小規模な小学校と中学校の児童生徒数を上回っているのが現状。今は、「子どもたちを学校に引き戻すことだけが道ではない」という考え方にも理解が広がっている気もしますが、それでも、社会は冷たいと思う。学校に行けなくなってしまうと、その先の道、将来への不安が膨らむ一方というのが実情で、言われているほどに社会に受け止める力がないように思っています。多摩市だけでなく、もっと大きいところ、日本の教育システムにも関わる大問題だと思っているのですが、その根幹が変わっていくことを待っているだけでは事態は悪化するばかり‥‥子どもの成長は止まってくれないので、私たちでできることを何とかやれるといいのですが。

ほぼ全員がどうにかしないといけないと思っている課題、もっとスピード感もって対応していけるといいのに、そうそう簡単には進まずで、「壁」がある。よほどの強権発動しない限り、ぐぐぐぐっと前には行かないところにも歯がゆさがあり、ため息にも似た空気を吐き出してしまうこともありますが、ここで引き下がるわけにはいかないと、また気合いを入れ直すというわけなのでした。

こうしたことは、他にもあって、常に自分自身の力不足と向き合いながら、「それでも、がんばろ!」と気合いの入れ直しばかりな日々。「一筋縄ではいかないから良い!」と考えることもまた大切かなと思ってます。価値観の違う個性の集合体=社会でもあるので、そんなに簡単に自分の想いだけがスーッと通ることのほうが「稀」と言えば「稀」ですから。「改選」の時期が近づくと、今までの議員活動やらを振り返る時間が本当に多くなり、「あれもこれも」‥‥とやりきれていないことばかりで反省が多いなあ。

そんなわけで、明日は補正予算の審議があるのですが、また、それについても自分の勉強不足というか、「どう考えればいいの?」という問題にぶつかっております。「今さら、そんなこと、質疑するわけ?」とか思われそうなのですが、素朴に疑問に思ったことを聞いてみるかなあ…とちょっと思い悩んでいるところです。