「お茶を楽しむ会」があると伺い、桜ヶ丘にある集会所に足を運んできました。30年もののプーアール茶で、その間、ずーっと寝かせて発酵させてきたというお茶をいただいたり、白毫銀針という白茶をいただきながら、お茶にまつわるクイズを解いて、「烏龍茶」の名前の由来が「色と形」であることや、椿が「お茶の木」と同じ種類であることなど豆知識を伝授していただける中国茶のコーナーで、ちょっとだけ賢くなり、さらには八女のお抹茶と煎茶をいただくコーナー…とまさに今日のテーマ「お茶を楽しむ」の通り、存分に味わい、充実したひとときを過ごすことができました。
高齢化が進めば進むほどに、「歩いて行ける範囲」が狭くなってくること。そしてまた、近い場所でも坂道が険しく、その高低差に幅阻まれ、行きたくても行けない方もいらっしゃる…という話しもあり、この街にとって「移動」を支える公共交通の仕組みづくりは以前にも増して、力を注いでいかねばならない問題ではないかと思うものです。若かったときには気にもしなかったことも、だんだんと歳を重ねる体力の低下とともに気がつくことも多いという話しはしょっちゅう耳にすることでもあり。ただ、気力たっぷりとお持ちの方も多く、あとは、ほんの少しのフォローさえあれば、在宅引きこもりにならず、「行くところ」を見つけて、外の空気に触れることができ、コミュニケーションもできる。高齢になり、運転免許を返納し、暮らし方のスタイルを変えていくとき、躊躇うことにないような環境にしていけると良いのに…と痛感するのは、やっぱり自分の両親もその年齢の域に達しているからですね。
「一人ではなく、誰かと一緒に」
というのがポイントで、次はみんなで映画を見る会が企画され、プロジェクターでスクリーンに投影して、映画を見るそうですが、「ひとりとは違う」としみじみと語ってくださったかたの声、コロナ禍にあり、「つながる」と隔たりあった時期があり、その一言に込められた実感がとても印象的でした。
地域の中にこうした「通いの場」があることも当たり前ではなく、何しろ支え手の存在があってこそ。他の地域でもこうした場を主宰されている方がいらして、お招きいただいたこともありますが、「みんながより良くなるために」という純粋な気持ちで取り組んでおられるみなさんのところには、本当に素敵な方が集まるものだなあ…今日もまた、そのことを確認できた有意義な時間でした。
プーアール茶(黒茶) とても好きなお茶。
白毫銀針(白茶) ふんわり甘さを感じます。茶器がかわいらしい。おままごとを思い出しました。
抹茶(八女) 八女の抹茶は珍しい感じ。器も素敵。
煎茶。自分の雑な淹れ方を反省。丁寧に入れると深みが増すのですね。
毎週1回開催されているそうです。「また、よろしくお願いします。」と深々とお辞儀をされる姿に「来週もまた、いらしてくださいね」という声をかけずにはいられないだろうなあ…と支え手である世話人の皆様の気持ちを想像してみたりして、それだけでほっこり。ありがたいなあと‥‥感謝の気持ちでいっぱいになります。これからもこうした場が続いていくように応援したいですね。支え手の皆さんが息切れせず継続していけるようにサポートしていけることが大切。