どんな図書館行政をめざすのか。どんな図書館にしたいか。

観察力、洞察力と集中力。ボタニカルアートの作品展があったので立ち寄りました。この間、ようやく知ることのできた「ナンキンハゼ」。かわいい。

さて、多摩中央公園に新設される図書館の建設現場も外囲いが取り払われ、今まで以上に近隣の方から注目を集めているようです。図書館が建設されるまでの紆余曲折を思い出し、過去を振り返れば、いろいろ思うこともあるのです。図書館建設にあたって、私は会派での話し合いも踏まえ、「反対」を表明しましたし。ただ、建設されて、完成目前になっている建物を見ると、これからは、ここがよりよく運営されていくことを願うばかりで、あとは、そうなっていくように見守りながら、時に叱咤激励するしかないなと思っています。

もちろん、新しい図書館になれば、設えも変わり、居心地なども多少変わっていく部分もある。ただ、それはやっぱり一時的なものにすぎず、大事なことは、そこで行われる図書館行政のなかみであり、運営だと感じています。建物が良くなれば、新しくなれば、運営の仕方がガラリと変わる…なんてものではないですね。「新しくて立派な図書館が建設された」=「いい図書館になった」‥‥ではないので。建物が古いとか新しいとか、そんなことは関係もなく、「いい図書館」と言われるような運営がされていくことが必要。

「多摩市立図書館」

多摩市の図書館として、何を特色にしていくのか、多摩市の図書館に来なければ、知ることができない情報、手に入れることができない知識…こうしたところにこだわりを持ち、運営されていくことが求められると思っていますが、それは、はっきり言って、今でも、「現在も」そうなっていなければならないこととも言えます。

建物云々は別として、「いい図書館」と言われ、注目されるような図書館行政が多摩市にあるかどうか、ここが肝心で、図書館行政を評価するときの視点として欠かせないところと思っています。「建物が新しくなっただけ」で終わってしまって、満足してはいられないのdす。

こうした点を指摘してくださる市民の方にお話を伺うことができ、なるほどなと思った次第です。先日、多摩市に中央図書館をつくる会の皆さんが企画した学習会に参加した時にも感じたことですが、「中央図書館があってもなくても、やるべきこと、できること、なすべきことが行われているのか。」という点がとても大事。

「新しい図書館ができるから、市民参加を取り入れていきたい」…ではなく、今でも市民の参加を取り入れながら図書館運営に活かしていくことが求められるでしょうし、そのことは今に始まったことではなく、ずーっとその必要性が指摘されてきたことだなと。図書館運営に必要とされる人材育成もどのくらい大事にして、取り組んできたのか?とか、そうしたことがもっと問われていく必要があります。新設される図書館の建物管理のこと一つとって考えても、当然ながら、「新たなコスト」がかかっていくわけで、地域にある図書館の存続問題も含め、全体として図書館行政をどうするの…に対する道筋がまったく見えてこなくて心配です。

「これ以上、図書館行政にはお金をかけることができません。人を増やすこともできません。」

今まで、議会や市民に対し、このように説明されてきました。この状況は現在も変わっていないと言えるでしょう。そんな中で、キラキラの図書館建物が完成し、その先、どう継続するのか、持続可能にしていくのか…「なるほど」と思えるような状況説明など一切なし…という状況に不安ばかりが先立ってます。

でも、冒頭にも書いた通り、図書館建設は着々と進み、外の囲いも外され、ガラス張りの立派な建物が登場している状態。見るたびに複雑な思いがする一方、ここをよりよく市民が活用していけるよう、利用してもらえるように働きかけを続けないといけないとも思うのでした。

特色のある図書館をつくっていく。そこを多摩市立図書館の魅力にするとして…今、どんなことが考えられているのでしょう。例えば「健幸都市」を掲げる多摩市の図書館として、しかも「中央図書館」を名乗るなら、それにふさわしいどんな内容が企画され、創造されているのかとか気になるところ。どんな図書館行政をしたいのか、そのうえで、どんな図書館にしたいのか、中央図書館にしていくのか、地域の図書館にしていくのか…現実離れせず、語られていくことが求められそう。将来にわたって、今以上に潤沢な資金が確保でき、図書館運営ができる…とは考えにくいので。

週末、私も多摩センターに行く用事があるので、図書館建設の現場近くまで足を運んでみたいと思います。しかし、寒いですね。風も冷たい一日でした。

パルテノン大通りのペナント。思いっきり、破かれてます。それほど強い風だったのかなと思います。これ、早く修復しないと、まちの寂れ感を醸し出しますね。