ヤングケアラー

今月は児童虐待防止啓発月間。そのタイミングに合わせて、健幸まちづくりシンポジウムが開催されたので足を運んできました。「ヤングケアラーに気づき、つなぐために」というテーマ。議会でも「ヤングケアラー」のことは話題になっていますし、世の中的にも取り上げられる機会も増えているので、多摩市でも着目し、支援体制の構築を進めていこうとしています。小学校5年生から高校生までの年齢を対象としたアンケート調査を実施し(約9,200人)、まずは実態把握からと言う段階です。

「ヤングケアラー」については、今日のシンポジウムでも指摘をされていたとおり、「お手伝いをしている」という認識にある子どもたちも少なくありません。実際に、子どもと言うのはよほどのことがない限り、‛よその家’のことはわからないですし、自分がお手伝いをしなければならない状況があったり、自分のことは自分でやらなければならないような困難な状況があっても、「そうすることが自分にとっては当たり前」という受け止めで、日々を過ごしているのではないかと感じます。自分の日々、自分の生活に何の疑問も持たずにいる子どもたちに「ヤングケアラー」であることを伝えること、認識させることの難しさがあるような気がしていて、自覚してもらうことが酷と言うケースもあります。家族の問題を知られたくないという場合もあると思います。ですので、とてもデリケートな問題であって、子どもの心を傷つけることなく、そしてまた、その家族を傷めることなく支援をするというのは、簡単ではないと捉えています。

今日のシンポジウムは、前半は講演会、後半はパネルディスカッションという形式だったのですが、今日のところは、多摩市内にもヤングケアラーが存在していること、あるいは、相談支援の中からヤングケアラーに気がついて、支援につなげていくことの必要性があるということが確認された感じでした。まあ、シンポジウムのテーマで、「ヤングケアラーに気づき、つなぐために」というタイトル通りには内容が構成されていたのですが、私は「なぜ、今、ヤングケアラーなのか」という点について、問題認識などが深堀されていくまでには至らなかったのがいささか残念。個人的には、「ヤングケアラーを取り上げる意味、意義」は、単に子どもたちの支援をするということに留まらず、家族も含めて支援をしていくという視点が求められると思いますし、それも含めて、社会の現状その他、突き詰めていくべきかなと思います。社会で支える介護や子育て…これだけ言われていても、やりきれていない現実があること、セーフティネットを張り巡らすことの必要性がものすごく言われていて、現場が疲弊するほど努力をしていても…でも、無理、難しい…限界になっている状態…ここにもっと私たちが視点を向けていくべきなのでしょう。分かりやすく言えば、「お金があれば解決できるのか」「お金があっても解決できないのか」…というあたりも。

今の日本社会で指摘される「貧困さ」がそのまま、子どもたちにしわ寄せになっている‥‥そんな気もします。

今後、多摩市でも「ヤングケアラーの実態調査」をした後、現状を把握してから、どう対応し、対策をするのか…具体的に見えているわけでもなく、ただ、調査をしただけ…にはならないと思っていますが、「その後、どうするの?」が問われます。いずれにせよ、重たい課題。「ケア」というのは難しい。お仕着せであってはいけないということも含めて…。