先週金曜日から予算特別委員会が始まっています。来年度の予算審査…市長選があるとはいえ、行政の継続性というよりは、はっきり言って、福祉、教育、医療といった市民生活の維持に必要な予算がほとんどで、新規に事業をやると言っても残念ながら、それほど特色をもって取り組むことができない現状であって、「骨格予算」にはせずに、本予算というか「年間予算」という格好で、粛々と予算が計上され、来年度の市政運営に向けた準備を整えているという感じです。
税金を使う使わないで…議会を二分するような内容がないということですね。予算委員会初日は総括的質疑でした。市長の施政方針演説を裏付けするのが予算。その意味では、少なくとも3人以上の議員で構成されている会派は、代表質問をやっていることを思うと、総括的質疑ってどこまで必要なのかなあなんて思いながら、聴いておりました。
それにしても、来月の市長選。正直言って、市長選に立候補すると名乗りを上げている皆様の顔ぶれ。なぜ立候補しているのかよくわからない方々ばかりなので…。特に議員の職を辞めて、立候補を名乗り出ている方に対しては「?」がついてしまうのです。なぜなら、現市長との政策の違いが全く分からない。もっと言えば、今まで、現市長の批判はほとんどせず、すべてその政策を後押ししてきた方ばかりなのです。例えば、パルテノン多摩の大規模改修、図書館の建替え、北貝取小学校の大規模改修など…「慎重にすべき」という態度を示したことはなく、すべてに賛成してきた方々ばかり。だから「謎」なんです。本来は、今の市長の方針の賛同できない…だから、立候補する…ということなのに、ことごとく現市長の市政運営を認めてきて、背中を押してきただけの方々が、「なぜ、立候補?」…みたいな。議員として示してきた態度や姿勢が、全く問われないで終わってしまう市長選にならないことを祈ります。
改めて、「出たい人より、出したい人」…。
この視点はとても重要だと感じています。昨日、大学時代の恩師の偲ぶ会に出席をしたので余計にそう感じるのかもしれませんが。
私がそもそも多摩市政というか、議員になったきっかけとは‥‥多摩市民自治基本条例を策定する市民ワークショップにしたから。それは、私の恩師が関わっていることを知り、大学卒業してから2年ほど経過し、当時の仕事もつまらないし…と先生に会えるかもしれないとノコノコ出かけて行ったことから始まります。議員になるなんて、自分の人生設計にはなかったことを今でも思うとき…えっ?もしや道をを間違ったかあ…なんて、振り返ることも無きにしも非ず。そんな私を支えてくれてくれたのが先生。迷いや悩みは先生が吸収してくれた気がします…なので、昨年、先生の訃報を耳にした時には大泣きしました。
何と言っても、私、議員に立候補するかしないかを迷ったときには真っ先に先生にも相談。その時に先生は「失うものや捨てるものがない人がもっと挑戦した方がいい。」「だから、いいんじゃない。」っておっしゃったんです。だから、私は「じゃあ、やってみよう。」って思ったんですね。なぜなら、先生にとって「出したい人」のカテゴリーに入ると思ったので。
ああああああ‥‥それから、考えても、かれこれ、それから20年もたってしまった。今でも「出したい人」であるかどうか…ここは、客観的に考えるべき点かもしれません。自戒を込めて。
恩師である辻山幸宣先生には多摩市自治基本条例の制定の時にもとてもお世話になり、当時、議会で協議をするときにもたくさんの示唆をいただきました。公明党の安藤邦彦さん、そして、共産党の小林憲一市議と一緒に、そして菊地冨美男さんと共に苦労してきたことも思い出しました。そして、気が付いたのですが、私はやっぱり、「議会」という機能の果たす役割をもっともっと高めたいと思っているなあと。議会では、一人の意見だけでなく、複数の視点から意見が交わされて、物事が決定していくので、そういう意味では「民主主義」なんですよね。首長は唯我独尊でやろうと思えばできる。でも、議会はそうではない。そして、首長唯我独尊、独裁にならないように質すのが議会の機能。地方自治の制度って、実は良くできた仕組みだなあと思ったりもしています。その代わり、意思決定までにもたもたしてスピード感がなくて、イライラするとか言われることもあります。ただ、「民主主義」を実践しようとすればするほどに、もたつくことに寛容にならなければいけないのかも。帰り道にまたあれこれあれこれと考えてしまったのでした。
先生に最後にあったのは3年くらい前。「議長」という肩書が重すぎたころに先生と会い、「やっぱり、頑張ろう」って思いなおしたこともあったかなあと。その後、コロナ禍となり、先生が体調を崩されて入院されていたことは聞いていたのですが、全くお見舞いにも行けず、葬儀にも参加できず…。そして、ようやく昨日、偲ぶ会の開催…でも、オンラインでした。ただ、私はゼミ生の代表として「思い出」についてスピーチをしなければならなかったので会場まで足を運んだのです。まだまだ先生のことを思い出すだけで、涙が止まらなかったので、予想裏切ることなく、お見苦しいスピーチになってしまいました。どんな時も「凛」としていないと務まらないのに。涙をこらえることができなかった自分に至らなさを自覚。
また、明日からも予算審議。「そんなに簡単じゃないんだよなあ。地域も、住民も…。」という先生のボヤキまがいな一言をを励みにして、頑張りたいと思います!