毎年、児童館が作成している活動報告書。決算審査の始まる前くらいまでに完成するので昨年度分はまだ仕上がっていないらしい。昨年度についてはコロナ禍での活動が記録されていると思うので貴重な資料になると考えていて、早く内容を見たいと思っています。私の手元にある一昨年度の報告書でも年度末からの新型コロナ感染に伴い、予定されていた事業が一部中止になったことの記載がありますが、概ね年間活動の状況を読み取ることができます。
そういえば…と会派控室の書棚を探して引っ張り出してきたのは10年前の活動報告書。
比較をすれば一目瞭然で、児童館がどれだけ事業拡大してきたのかがわかります。特に地域の子育て支援拠点になって以降の活動はそれ以前の児童館の在り方や役割にも質的変化を遂げるきっかけになったような気がしていて、児童館が「児童福祉法」に基づいて存在していることを改めて意識させられるものです。
ただ、その中にあって、児童館職員もまた「ただ、子どもと遊んでいるだけではない」という存在価値と意義をどれほど示すことができているのか…この点は問われるところかもしれません。もちろん、児童館活動の内容を正しく把握した上でその活動あるいは担う職員の評価がなされていくべきであり、評価する側の理解度が問われている点も指摘したいと思っていますが、正直、今の多摩市の現状では双方とも十分とは言えない状況があるのではないか?と感じています。ですので、今、多摩市の児童館にとって必要なことは「客観的な評価」を取り入れていくことだと考えています。
今年度の当初予算で、児童館の事業費がバッサリ削減されていた。
これに驚愕したことが発端で、今回の一般質問につながっています。コロナ禍にある子どもたちを支援してきた児童館に対する評価が「事業費削減」になってしまうの?と疑問に思えたからです。個人的には子どもたちに大人気の出前牧場の予算など削減されていることはとても悲しい。また、いろいろな事業などに協力してくださる方々への謝礼金についても容赦なく半分以下に削られているという状況…財政の厳しさは理解しますし、特に、「子育て支援施設」としての活動以外の児童館事業には国や東京都の財政的支援が見込めないこと等事情が様々あることは察します。とはいえ、「これが児童館に対する評価」なのかと思うとやりきれなくなるわけです。
もちろん、まだコロナが続いているから…と言われれば否定もしませんし、予定していた事業どおりに実施できないこともあると思います。でも、予算無くして活動はできない。当初段階でバッサリと削減されてしまったことの意図がどうしても理解できないのは…市長は「未来への投資」については立ち止まることはしない、手綱は緩めないと公言しているから他なりません。
私にとっては「子ども=未来」であって、児童館の予算削減は後順位にあるとしか思えないのですね。児童館10館全体の事業費は年間で数百万円であり、そこが市財政に与える影響がいかほどなのでしょう。費用対効果の面からも検証された結果の予算削減だとすると、どんな査定がされてきたのかと思います。もちろん、子育て環境の充実という視点から言えば、保育園や学童クラブの増設など必要な対応を講じていることは理解していますが、しかし、子どもの貧困、広がる格差、その中で子どもたちの体験や経験格差を埋めるところにもまた児童館活動の役割が再度増してきたようにも感じる今日この頃。例えば、児童館には民間事業者などが企画をしたキャンプなどのチラシが届いていますが…参加費は高額!数千円で参加できるようなプログラムは見当たりません。また、コロナ禍にあり非日常(長期休暇)の楽しみだけでなく、日常の楽しみもまた奪われている子どもたちにとっての児童館はどんな存在?…児童館の日常、その営みを再評価するタイミングになっているような気がするものです。
時代環境と共に児童館の役割や期待されることは変化してきました。乳幼児期の子どもと親の支援に力を入れるあまりに、学齢期以降の子どもたちへの支援の視点が薄くなっている印象もあります。でも、少子化、保護者の忙しさ、コミュニティ機能の低下…子どもたちが置かれている社会の状況を考えるなら、学齢期以降の子どもたちの支援の必要性もまた増している可能性もあります。
なので、やっぱり、児童館どうするのか、今一度議論していくべきですね。専門家でも何でもない議員の私があれこれ言うというよりは、先にも書いたように、現状を踏まえた「客観的な評価」が欲しいところ。議会でも「児童館どうあるべき」が議論されたり、評価されてきたこともありますが、それからも一定の時間は経過し、状況変化していることもまた押さえておきたいものです。児童館の事業費がなぜ削減されるのか…現状把握と客観的な評価を踏まえ、「多摩市にとっての児童館」を議論してから再考してほしいと願うばかりです。その原点にあるのは「児童福祉」…ここ外してはならない、忘れてはならない点です。