子ども教育常任委員会が開催されました。パルテノン多摩の大規模改修、そしてまた図書館再整備のことについて、特別委員会を終了させたため、私たちの委員会でその後のフォローをしていくことになりました。所管調査事項として、残りの議員任期の間で委員会で議論していくこととなります。
パルテノン多摩の大規模改修については「基本計画素案(案)」というものが報告されました。これについては市民説明会も開催していく予定とのこと。それに先立ち、私たち議会にも説明したいということのようでした。ここで改修するということは、「あと30年は使い続ける」という決断でもあり、そしてまた後世に対しても使い続けていくことを強いることにもなっていく・・・その重みを共有したいと感じています。それだけにていねいに、そしてまた慎重な議論を重ねていくことが大事。
「もっと市民に使われる施設にしたい」という想いがあり、居心地の良さや使い勝手をより良くすること、人が集まる場所にするための工夫を盛り込んでいくことは必要ですが、時代や環境と共にまたいつか「飽き」が訪れることがあるとすれば、その時に、また次の一手を打つことができるようにもしてあげてほしい、しなければならない…とも思います。今、考えたことが30年後も通用するなんてことは「あり得ない」ことを前提にし、施設づくりをしていく視点をどこかで持ち合わせておきたいなあと。「今は今」そして「将来は将来」…「その時にはまたその時に考えればいい…」というのもまた考え方の一つかもしれませんが、「その時はその時」であっても、「その時」が来た時に「どうしようもない」とならないようにしたいものです。
一方、パルテノン多摩が文化行政の発信基地でもあり拠点になっていくならば将来的にここに何を築いていくのか?という視点が必要不可欠。きっとそれが時代が進んでも「不変の価値」になっていくと思うからです。ただ人が集まって、賑やかになって…それだけでいいの?ということもあります。要は「人を集めて何をしたいの?」ということが問われる。「人が集まれば活性化」とはならないでしょうから…。
「市民に喜んでいただけるようにしたい」
大規模改修の議論の中でよく聞く言葉です。しかし、それは言わずもがなの当然のこと。わざわざ市民に忌み嫌われるようなことをしないはずなので。ただ、それだけでは「なぜ、それを私たちは税金を使ってまでやる必要があるのか?」の説明としては不十分。そこに何を見出していくのか?あるいは既に見出せているのか?が市民にも理解されるとき、はじめて、パルテノン多摩の将来がさらに開けていくと私は考えています。
なかなか伝わりにくい文化行政の価値、そして意味や意義を語ること、そして語るだけではなく、具体的な取組みとしてカタチにしていくことですね。きっと。
「開放的なはずなのに『なぜか』閉鎖性を感じる」「開かれているはずなのに、『なぜか』すごく窮屈感がある」…「なぜか」を言葉にして一つずつ解きほぐしていくと、パルテノン多摩の今後の在り方をどうしていくべきなのか、もう少し見えてくるかなあなんて思ったりしています。市民とも一緒に「共通言語化」できるのかどうか…今週末から、再びパルテノン多摩についてワークショップが開催されるようですが、その中での議論に期待しましょう…ということですね。
多摩センターでヤギが元気にしている姿を見ているだけで飽きない・・・。いい風景です。#多摩市イイトコ1000