清里にある「萌木の村」に行ってまいりました。同じ会派の4人とともに。意外とスムーズに到着したので、駅周辺も散策。今は、かつての「清里」とは一転し、駅前などは閑散と、閉店している店舗も多く・・・私の記憶にある面影は失われていました。夏休みのお盆シーズンは混んでいたのかもしれませんが、それにしても時間が早すぎて人がほとんどいなかったことを考慮したとしても、「ホントに人がいない」場所になっていました。清里の森まで足を運び、歩いてみました。多摩センターを髣髴する・・・レンガ、街灯などのおしゃれさ・・・「あまりに似過ぎる」・・・・。メンテナンスが行き届いていないようで、階段のレンガは崩れ、道路面のレンガは浮いていて、、、「つくったものを大切に維持していくこと」そして「それができなくなるとは?」・・・まちの盛衰を考えさせられました。
さて、私たちの「萌木の村」訪問の目的は「自動演奏楽器」です。パルテノン多摩の自動演奏楽器をどうしていくべきか?考えるためのヒントと材料、もっとちゃんと情報を得ないといけないと考えたので。萌木の村にある「オルゴール館」は約260台のコレクションの一部が展示されており、説明を受けながら、その音を楽しむことができます。同じことをやっていても人は来ない・・・・ちょうどピアノ演奏とオルゴールのコラボレーション企画があり、そちらも鑑賞させていただきました。ちなみに、こちらのオルゴール館のスタッフの職人さんに、パルテノン多摩にある7台の自動演奏楽器の大半について年間の保守点検をしていただいております。
・・・で、これが主目的で「聴けて良かった」で終わったわけではありません。こちら「萌木の村」の舩木社長さんにお会いしてまいりまして、自動演奏楽器のことから、文化や芸術に対するお考え等など幅広い意見交換をしてきました。
自動演奏楽器購入当初の状況、「パルテノン多摩は高い価格で買わされた」とする話もしっかり聞いてまいりまして、今さら悔いても仕方がないわけですが・・・とんでもない時代だったことも確認してきました。そうは言っても、所有してしまい、今は「市民の財産」になっているアンティークの品々・・・・今後の方向性をきちんと見定めていかねばなりません。それにしても100年そこそこ前の楽器たちは「アンティークでも何でもない」のだそうですね。私たちはアンティークなどと誤解していましたね。ヨーロッパに行けば「こんなものはアンティークにはならない」と伺いまして・・・・「知らなければ、騙されるよな」と思いました。200年、300年昔のものはアンティーク。私たちの保有しているモノはまだ「アンティーク」の領域ではありません。
あっ、これずっとずっと持ち続ければ「いつかはアンティークになるのか?!」・・・。
そんなことで、舩木社長はご自身が直接、自動演奏楽器を買付されるだけあり、世界中へのネットワークもお持ちですし、かなりの目利きでいらっしゃることは確か。そんな社長さんの視点からパルテノン多摩にある自動演奏楽器をご覧いただくと「もちろん、価値のあるもの」ではあるそう(「高く買わされているんだよね♪」という説明つき)。そして、大切に音を出し続けるためには「30年ごとにオーバーホールしなければならない!」ことも教えていただきました。温度湿度の管理はもちろん不可欠。さらには定期点検は不可避。大事にし続けるってとても労のかかること。古いものであれば古いものであるほどに難しいというのは、古美術品などの維持管理などと同様ですね。
要するに、パルテノン多摩は大規模改修に30周年を迎えていて、開館当時はなかったけれど、いつしか買い揃えられていった7台の自動演奏楽器たちも、ついにオーバーホールによるメンテナンスをしなければならない時期!ですね。恐るべし、そのための費用は「楽器の価値の15%」。こうした楽器には図面がないために、分解した人がもう一度組み立てるしかその手法はない・・・ってことも聞いてまいりました。ここが極めて重大な視点です。私たちはそこまでして、これらを持ち続け、子どもたちに残していくべきなのか。残していけるだけの「体力」はあるだろうか?それは決してお金だけの問題ではなく。
「活かすためのソフトが必要!」
やっぱり、ここがキーワード。舩木社長は「ソフトはないの?」って聞かれました。でも、現状ではとても「ある!」と自信を持って言えるような状況にはありません。
あああああああ・・・・やっぱり最後は「人」の問題に行きついた・・・・って私たちは皆、思いました。とは言え、私たちとしてはその前に「オーバーホールによるメンテナンス費用に1台あたり約300万くらいだろうねえ」と聞いてしまったので、かなりそこで思考停止していたのもまた事実。これ、維持していくことって難しい。そして、今回の大規模改修で・・・4階のあの場所から自動演奏楽器を運び出していく作業を考えても頭が痛い。なぜなら、一度分解しなければならないものもあるかです。分解しないとあの場所から運び出せない大型のもの。もえぎの村の大きな楽器なども大掛かりにメンテナンスをするときには床一面が部品でしきつめられてしまうくらいに・・・解体されるのだそうで。ここまたポイントですね。要するに私たち、あれを運び出して、パルテノン多摩の4階フロアをどうにかしようとする場合の費用ってタダならない!ってことなんです。仮にもパルテノン多摩のどこかにまた戻すことを考えるにせよ、保管場所だって必要ですし。
「一度手離したら、二度と手には入らない。」
そのとおりですね。だから悩むわけです。決して価値のないものではないから。でも、私たちが持ち続ける必要性が問われている。本当にこれらのものが市民の財産としてパルテノン多摩にあり続けることが必要不可欠なのかって・・・・。
「お金では買えない価値」
ということまで話が及ぶと、人それぞれの見識や価値観の問題にまでつながってきて、「いい」「悪い」って言えなくなってきますね。本当に難しい。
非常に密度の濃い約3時間を過ごしてまいりました。
さらに、ついでに足を伸ばしてきたのは八ヶ岳少年自然の家、フレンドリーふじみへ。
少年自然の家・・・「雨漏り」してたみたい。フレンドリーふじみの方は館内は見ませんでしたが、利用されている方がおられるようでした。夏休みもお盆過ぎの時期なので、少年自然の家は静かでした。
パルテノン多摩の問題、もっと議会でも状況を正確に把握しておきたい。全体で正しい認識を持つことがまずは出発点になる。自動演奏楽器のことについても同じですね。「素敵だから」だけで、持ち続けることはかなりハードル高そうなので。素敵であり続けるための費用への合意もまた重要な視点。