組体操のピラミッドが崩壊して、生徒たちが重軽傷を負ったと話題になっていますね。先日、小学校の運動会でも高学年5、6年生合同の組体操がありました。そういえば、私もやったな・・・・「下の方だったな」と思い出していましたが、これ、本当に怖い。下にいても怖いけれど、一番てっぺんで立たされる子ども・・・足がガクガクしているんだろうなあ・・・と。私は「一番上でなくて良かった。」と思っていた記憶があります。
全員で揃って演技する。確かに腕を交叉してウェーブ(波)とか、きれいです。揃いの動作が決まると感激しますし。とは言え、娘が他人を担いだりして、、、、落としやしないかと本当に冷や冷やしながら、演技成功すればホッとしての繰り返しで私は一連の演技を見ておりました。最近、学校のリスクに関連して内田良さんの「教育という病-子どもと先生を苦しめる「教育リスク」を読んでいたので、とにもかくにも、無事に終わってほしいと祈るような気持ちだったわけです。
ですので、今回の組体操ピラミッド崩壊について・・・報道によれば、本番まで一度も成功したことがなかったともされていて、「恐ろしい!」と思いました。大阪市では「ピラミッド5段以上禁止」になったそうですが、それもそれだなあ・・・と。一律にそんな規制をかけても意味がないように感じてしまうのですね。5段であっても危ないことは危ないでしょうし・・・・・。結局、先生たちが「我が学年、我が校の児童生徒」についてどう見極めているのか?という点を問題にしてほしいとも感ずるのです。こういう崩壊事故があると、それこそ、一斉に禁止令がしかれそうな恐れもありますし、「もう、組体操やらない。」になってしまいそうな気もします。あまりにも極端と言うか、何と言うか・・・・。
うちの娘は「もともとの予定」があってもやりながら違う風に変わる・・・と言っていました。本当はやる予定だったことが、やっぱり危ないからやめた・・・になったということですね。要するに、「理想の演技」はあったとしても、先生の思い描くような演出通りにはいかないというか、プラン通りにはいかない。子どもの力量に応じたプランに微修正、調整をかけるということになるでしょう。修正修正かけながら、「気合い」とか「気力」では何ともならない、どうにもいかないところがあるかどうかをきちんと分析し、本番につなげていくことで崩壊は防止できる可能性はあるように思うのですね。先生の指導力とか、子どもたちを捉える力にも関わってくる感じがするのです。先生たちが根性論的な精神論に走っていくだけになれば、子どもたちが犠牲になるのは当然のことでしょう・・・・。そうなると崩壊危険度が高まることは容易に想像できます。
そもそも、現代の子どもたちはこうした組体操に耐えうる「身体づくり」ができているのか?から考えてみても、何となく不安ですよね。体格だけを比べてみれば、昔の子どもたちよりも大きくてスタイルが良い子どもたちも増えていますけれど、でも「どっしり感」に欠ける分、こうした組体操的な演技、しかもピラミッドのようなものに短期間で取組んでいくことにまず無理があるのかも。あまりにもにわか仕立て過ぎて。「野生児」というか、野原を走り回るとか、木登りをしまくるとか・・・・私の子ども時代にもなかったことですが、今はますますないのでは?と思ったりすると、昔ながらの組体操をそのまま踏襲するのは当然ながらムリ!
観客の期待はあったにせよ、その期待にどう応えるか・・・そりゃ、大きいピラミッドが完成した瞬間には感慨深いというか、感動を覚えるわけですが、個人的にも、今年の運動会では、「早く、終わって。無事終わって。」・・・・の気持ちが先立ち、感動し損ねた感もあったひとときでした。組体操・・・今後、どうなっていくのでしょうね。「だから、やめる。」ではあまりにも思考停止すぎる気もします。
ちなみに、ピラミッドなどタワー的なものをつくるときには、全教職員総出で見守るという感じでした。きっとそのくらい、先生たちも「冷っ」としているし、ドキドキしている証。感動と引き換えのリスク。リスクがある分感動も大きい。どちらをどう選ぶのか?・・・大事なことは安全確保。そして、子どもたちが一生懸命演じ切れる内容になっているということ。ちょっとハードル高いところに挑戦することは重要なことですから。
難しいですね。観客としての期待もほどほどに・・・。例えピラミッドが2段、3段であったとしても先生も子どもたちも一生懸命やっている姿があれば、それでいいのではないかなあと私は思います。