2007年11月05日

なぜか議会への報告。。。

 代表者会議と建設環境常任委員会が合同で協議会を緊急開催。

 内容は端的に言えば「補助金の流用」ということ。聞こえがとても悪いものの、予算の執行が予定通りに行かない見込みがある場合には他の事業に充当(流用)して実施する場合もあるらしい。今回はたまたま金額が大きかったので、協議会に諮っておきたかった模様。

 実は最近、公共工事の入札が振るわない。というのは、行政の見積価格が民間業者の感覚にはあわないことが大きな原因。つまり見積価格が安すぎるらしい。最近は原材料の価格も上昇しているらしく、行政が提示する価格で工事を受注しきれないらしい。赤字がわかっていて仕事を受注しないのは当然のこと。
 今回の場合も、明神橋の人道橋設置工事について入札にかけたところ、最終的には全ての事業者が「辞退」したらしく、工事の引き受け手がなかったことが原因。東京都から2800万円の補助を受け、実施する工事の今後の予定に狂いが生じてしまい、年度内に工事完了のめどが立たなくなってしまったため、補助金の取り扱いをめぐって東京都とも協議を重ねてきたとの話でした。

 その結果、今年度予定されていた明神橋の工事は来年度に先送りし、来年度に予定していた工事を前倒しで今年度実施していくことで協議が成立。2800万円の補助が別の工事で活かせることが可能になるように東京都との調整を図ったと言う説明がありました。。ちなみに別の工事は「上の根大通り」「馬引沢北通り」の道路工事とのこと。補助金は今年度中に使い切らなければならないために、早急に2つの道路工事実施にあたってに手続きが必要なので進めさせて欲しい(というより、そのように進めていきます。)との宣言がありました。


 仮に議会が「進めるべきでない。」と判断した場合にはどうなるのでしょうね。実は私たちの会派は「進めるべきれはない。」という判断をしていたものの、本日開催された協議会では「他の事業に充当することになりました。」という報告止まり。何だか丁重に・・・格式ばって議会への‘ご報告’をした真意はどこにあるのでしょう?なんて思ってしまいました。金額の多寡には関らず、流用すること自体が原則的にはルール違反。今後は、同じようなケースがある場合すべてのことを議会に報告していただけるのでしょうか?金額が小さければ、議会にわざわざ諮らずとも市長の判断で流用する場合もあるやに聞いているものの、わざわざ議会に諮ったということは・・・・。


 どうやら、それなりにお墨付きが欲しいということなのかもしれませんね。事前に報告があったということで、何か問われた場合には「議会が知らないで実施したことではない。」と説明ができることになりますね。議会と一心同体で責任を分かち合える体制がつくれたことにもなりますから。
 東京都からの補助金の枠の問題やらで、2800万円を逃すよりもいいんじゃないの・・・と話す人もいましたが、そういう問題に片付けてしまっては安易過ぎるのではないかと感じています。

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2007年10月19日

多摩動物公園に行きました。。。

 今日は他市で活動している議員の方々と多摩動物公園の見学をしました。もちろん単に動物を見に行っただけではありません。動物園についての講義も受けました♪多摩動物公園は来年50周年を迎えるそうです。歴史がありますね。見学の最後に出会ったゾウは43歳で日本で最高齢だとの話でしたが、それにもまたびっくりしました。

 「動物園とは何か」・・・と尋ねられたらどう回答するでしょうか。副園長さんの講義の冒頭で質問されたことです。私は思わず答えに給したのですが、動物園は「動物を集めて飼育し、なおかつ一般の供覧に供する」ようにする場です。近代ヨーロッパでは貴族が趣味的に動物を飼育していた歴史もあるそうで、「一般の供覧に供する」というところがポイントになるのだそうです。美術館などとも同じですね(セレブの趣味だけにはしないということ?)。
 何といっても動物の収集(コレクション?!)と飼育が役割のうちでも重要になるのですが、多摩動物公園の特徴は「昆虫」なんだそうです。全部で2万6313の個体(387種類)があるそうですが、そのうち昆虫は1万7614個体(196種類)とのことで、約半分が昆虫とのこと。そして、1958年(昭和33年)の5月5日にオープンした当初から上野動物園のセカンドズーとして位置づけられ、運営がされてきたのだそうです。


 現在は指定管理者による運営になっており、その契約期間は10年とのこと。管理者は財団法人東京動物園協会です。動物園の運営費は人件費は除いた部分で「20億円はかかっていないと思うけれど」とのことでしたが、かなり財政的には厳しい状況に置かれているようです。特に光熱水費への出費が嵩むようです。例えば、今日は見学の中でかつてローランドゴリラ2匹が飼育されていた場所の見学をさせてもらったのですが、寒さに弱いゴリラたちのお部屋にはフロアーヒーティング(床暖房)も完備。もちろん暖房は欠かせないわけで、生命を守るための対策には何よりも配慮しているようでした。また、最近は私たちの食卓でも「食糧の値上げ」が話題になっていますが、動物たちの餌の値段も10%は高騰しているらしく、それにも頭を悩ましているとの話でした。見物客とは一味違った観点から動物たちをしげしげと眺めてしまいました。

 そしてライオンの寝部屋の見学やら、アフリカゾウの寝部屋も見ることができました。ちょうど閉園前にゾウたちがそれぞれの部屋に戻る様子、飼育係の方々の動きも間近で見ることができました。そして、ゾウにりんごを1つあげました。鼻でひょいっとりんごを掴み、口の中に放り込むのですが、ゾウの鼻汁が手につきました。貴重な場面に立ち会うことができて感激しました。


 動物園の今後・・・のことですが、多摩動物公園でも指定管理者になり、ますます独自性の発揮に力を入れている模様です。特に動物園というと対象が「子ども」という固定観念が強いですが、「大人向けの動物園」「大人も楽しめる動物園」を念頭にさまざまな企画をしていきたいとのことでした。
 そして、動物たちについては「環境エンリッチメント」動物の身体・心をともに維持していくために努力をしたいとのことでした。ある意味で自由のない動物たちのストレスへの最大の気くばり気遣いということになるのでしょうか。・・・・冒頭に戻れば、なぜ「動物園があるのか」という根本的なところにも立ち返る問いになるのかもしれません。もっと突き詰めて根源的な私たちへの問いかけをされる部分なのかもしれませんが、動物園の動物たちの姿に私たちはどんな「心」を持てばいいのでしょうか。

 「自然への賛嘆や畏敬の念を感じる場にもして欲しい」

 そんな動物園側の思いをどこまで感じ取り、受け止めることができるのでしょうね。今日も遠足で多くの小学生や園児たちが訪れていました。子どもたちが出口に向かっていく後姿を「私の子ども時代の記憶は遥か彼方だなあ・・・・」と思いながら眺めていました。そして、動物園も「経営」という観点から考えると時代の流れとともに存続の危機と常に背中合わせ置かれている現実をしみじみと認識した一日でした。

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2007年10月18日

贅沢施設の終末期・・・・?

 パルテノン多摩の評議会がありました。議題は補正予算と現在の取り組みについて進捗状況の報告でした。

 先般、20周年を迎えたパルテノン多摩については書いたとおりですが、やはり今日の評議会でも話題になったのが長期修繕費のこと。とても粗い見積もりながらもざっと試算すると今後12億から13億円は必要になるそうです!

 これに対して評議員の一人である多摩センター某映画館で支配人をなさっている方は「民間企業だと考えられない。」と仰っていましたが、そのとおり・・・・民間企業だと考えられないと言うよりかあり得ないという状態が現在のパルテノン多摩。「12億から13億あれば、新しい映画館が一つ作れてしまう。」・・・・とてもわかりやすいご意見過ぎました。まさに民間感覚!

 
 とりあえずも名誉挽回をするならば、ホールの音響設備などのメンテナンスは適宜実施をしているし、今後もする予定はあるとのこと。けれども、老朽化している外壁などの工事にまで手が回らないというのが状況だそうです。簡単に言えば、「外観がみすぼらしいだけです。」ということになるのかもしれませんね。

 それはそうと、一般的にも公共施設の特徴は「建設時には完成後のランニングコストのことまで考えていない。」ということで、お金があれば(市民は打ち出の小槌を持っているわけではなく、必至に働いて税金を納めているだけの話)お金があっただけにふさわしい?ふんだんに奇妙奇天烈なデザインを施したり、調度品など豪華すぎて安っぽいものを購入したりするのが特徴のようですね。これも、かつての話なのかもしれませんが。かつてに建設されてしまった公共施設については、「過去から現在にそして未来へ」の遺物になっていくことを考えると、ぞーっとしてしまいます。パルテノン多摩の場合は実際どうであったのか私も詳細把握しているとは言えませんが、一つ一つの調度品などを拝見するに・・・・汎用性がきかなそうなものが多く、メンテナンスも「特注」しなければならなそう?!

 でも、それを「市民が望んだから。」と言われるのは不本意です。文化ホールのような施設を望んだ市民もいたでしょう。しかし、市民が望んだことを適切に反映した「文化の殿堂」になっているのかは心底疑問です(こんなに豪華なもの、敷居の高い施設を望んだのかしら?)。本当に今後どうなっていくのでしょうね。


 昨年から指定管理者による運営を実施していますが、パルテノン多摩と同様な施設では指定管理者が管理するのに耐えられず、途中で投げ出してしまうという例もあるようですね。パルテノン多摩は「財団法人」による運営になっており、過去からの蓄積もあることを考慮しても「やーめた!」となるとは思えませんが、正直、民間の理屈で言えばパルテノン多摩の指定管理を引き受けるのは「割に合わない」のだと思います。


 何といっても長期修繕計画が作成されていても、そのうち達成されているのが30%前後にしかなっていない贅沢施設。指定管理を引き受けるにしてもよほどの覚悟と自信が必要になると思われます。少なくとも長期修繕計画については計画通りに実行されていてはじめて、指定管理者としても円滑な引継ぎができると言えます。現実問題そのようにはなっておらず、指定管理者の受け手を現在の財団以外に求めることもまた難しいのではないかと考えています。


 議会では「パルテノン多摩の売却」という声もありますが、売却したところで、施設がそのまま維持されていく保障も100%ではありませんし、やはり今の状態を何とか軌道修正しつつ、「税金で維持していくことの意義」が市民にも伝わるような施設づくりをしなければならないでしょうね。全国にはパルテノン多摩と同じような贅沢施設は点在しています。まさに「終末期の贅沢施設たち」・・・・・?そうならないような知恵と工夫こそが必要。まずは、パルテノン多摩の今後のあり方や運営を密室で議論しているような状況の改善が求められそうです。
 

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2007年10月08日

パルテノン多摩は20歳になりました!

 3連休・・・パルテノン多摩では20周年を記念した催しがありました。私はパルテノン多摩の評議員(いわゆる議会の充て職)なので、記念公演を鑑賞する機会を得ました。多摩市の世論調査で「パルテノン多摩」の認知度はものすごく高い!しかし、その一方で「パルテノン多摩は敷居が高い!」という声が少なくないのも事実。

 ・・・・・さて、パルテノン多摩の実力はいかに?・・・・ということが試されたのが週末に開催されたイベントだったのかもしれません。私が鑑賞をした大ホールでの記念公演に限って、勝手ながら判断するに、お世辞にも「認知度」に見合った成果が発揮されていたとは思えないのが実情です。成人式を迎えたパルテノン多摩は新たなる活路を見出す必要があるのではないか?と思いながら、会場を後をしましたが、気持ち的には物寂しい感じがしました。

 それにしてもイベントづくしの連休でした。多摩センターでは中央公園でクラフトフェア、桜ヶ丘ではせいせきフェスティバルが開催されていましたし、市民が地域で退屈しない連休であったとは思います。選択肢もあっていいなとも思います。けれども、パルテノン多摩を中心にしたイベントを市全体で創り上げていくような・・・・そんな多摩の文化創造をコンセプトにした催しを企画することもできるなあと考えてしまいました。なので、余計にパルテノン多摩が「認知度」に見合った実力発揮とは言い難い状況におかれてしまったことが残念でならなかったのでした。


 20周年を記念した「市民参加企画」。もっともっと盛り上がってもいいのではないか?・・・・部外者が感じたり考えたりすることは容易くて、実際の現場は相当なる苦労を重ねているのでしょうね、きっと。


 実は、20周年記念公演の鑑賞をするのに合わせ、パルテノン多摩の理事会と評議会のメンバーの合同で意見交換会が開催されました。十分な意見交換にまで至らなかったのですが、そこで意見されたことのうち「パルテノン多摩の文化事業という以前に、市全体の文化政策が見えない。」、「市がパルテノン多摩のことをどう考えているのかが見えてこない。」という意見が述べられていて、私も「それはそのとおり」と思いました。評議会や理事会のメンバーでさえ、もしかする十分にパルテノン多摩のことを把握できていないのではないか・・・・とさえ感じた会議でしたが、何はともあれ優先すべきは「パルテノン多摩の課題はどんなことなのか?」という点を財政的にも、事業内容的にも見つめ直し、しっかりと全体像を把握することだと思っています(自分への今後の宿題を課す意味でも)。

 もちろん「パルテノン多摩は決して頑張っていないわけではない。」という意見もあり、それも「そのとおり」と思いました。けれども私は「それなりにやっているのかもしれないし、今後もそれなりに進んでいくのかもしれない。でも、それなりにやっていて許されるような時代ではない」という気がしていて、パルテノン多摩が何を担っており、それに合致した事業をどう展開していけるのか市民に理解される形で示されなければならないと感じています。
 
 示せていなければ、そしてまた今後示せなければパルテノン多摩はただ単なる「金食い虫」としか扱われないでしょう。それは市民にとっては憂慮すべき事態です。実際にパルテノン多摩の維持管理だけにもコストがかかります。そして文化事業を進めていくためにはある程度のお金は必要。それを踏まえるならば、多摩市の「金食い虫」が「金食い虫」と批判されないだけのパフォーマンスを展開できなければならないと考えています。


 市民にとっての「パルテノン多摩」って一体どんな存在なんだろうか?改めて考えさせられた3連休でした。

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2007年07月05日

七夕イベント☆

 明後日は七夕ですね。子どもが通っている保育園から「短冊」を手渡され、「あ~そう言えばと思い出しました。」

 先週から始まっている諏訪商店街のイベント「諏訪近隣交流フェスタ・七夕セール」が後半3日間を迎えます。法政大学の保井美樹准教授のゼミのみなさんが諏訪商店街の活性化を通じて「まちづくり」をテーマにした実践的な活動をされてきました。その集大成?、、、、ここから更なるステップ?・・・・学生たちが協力をし、商店街のみなさんと取り組んでいる企画のご紹介です。

 すでに、新聞(多摩版)に掲載されたり、先週末はチラシも新聞折りこみされていたいました。(ちなみに、チラシはゼミの学生による手づくり。)


 私は先日日曜日、足を運びましたが・・・静かな午後のひとときに‘ちょっとした’にぎわいと人の交流がありました。子どもたちに大人気は「どんぐりパン」のパン教室。弾力あるパン生地を成型し、子どもたちが飾り付けを楽しんでいました。
 また、スーパーマーケットの出店がままならず(すでに3店舗が撤退)空き店舗になっている場所を会場にしたシンポジウムもなかなか好評でした。


 そして、七夕の飾り、多摩美術大学の学生が協力をして作成したという「竹の輪」でつくったおしゃれな飾りは一見の価値ありかも。「こんな工夫ができるのか。」って見るだけでうれしくなる作品です。涼しげにカラン・コロンと揺れていました。
 

 さてさて、後半3日間、さらに本格的なにぎわいが期待できます。ステージが設置され、吹奏楽の演奏などは法政大学のサークルの協力にて。掲載された新聞記事を見たつながりで、晴天の場合には「ポニー広場」も。

 最大の目玉企画は・・・・「七輪横丁」。
 空き店舗に炭と七輪。商店街で食材を購入し、そこで自由に焼いて食べることができます。もちろん、アルコールもどうぞ!ということで、先週はプレ企画として行ったようですが大好評だったとか。今週末はすでに予約まで入っているそうです。こちらは週末13時~20時まで。
 夕方からは子どもたちにも楽しい「夜店」も出店。わたあめ、ヨーヨーつり、かき氷。なんと・・・・商店主さんたちにより急遽実施することになったとか。計画外の企画とのことです。


 週末の天気が心配されますが、ぜひ、ぜひ、ぜひご覧下さい。「諏訪商店街」という小さなエリアにみんなの知恵と努力と汗。その雰囲気を眺めるだけでも心が和やかになるように思います。先週末、木陰のベンチに座っていたおばあちゃんが子どもたちの姿に目を細めていた様子がとっても印象的でした。
 

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2007年05月19日

地道な活動が実を結ぶ。

 「由木かたくりの会」で代表の野口洋子さんが「地域で暮らし,働くことをめざして - 「かたくりの会」の 20 年」をテーマにお話をされるとのこと伺ったので足を運びました。最寄りの京王堀之内駅からは歩いても行ける距離でしたが、案内どおりに東京薬科大学行きのバスに乗りました。2つ目の停留所「帝京大学中高北」で下車しますが、アナウンスで「かたくりの家前です。」との案内がありました。降り立ったところに、まだ新しい建物がありました。

 建物の正面玄関の左側にベーカリー「もりの窯」があり、パンの販売があったので早速・・・・覗いてみました。パン工房の片隅に並べてあるパンの種類は豊富でした。天然酵母の焼きたてパンが並んでいました。星野天然酵母を使用しているとのことです。もちろん、パン好きの私は食パン、クロワッサン、あんパン、フランスパンがなかったのでラスク、調理パンではカレーパンを購入しました。
 その後、建物内に入ると、すぐに「花畑かたくり」というレストランコーナーがあり、お客さまがいらっしゃいました。デッキもあり、心地よい空のもと、屋外でランチを楽しんでいらっしゃる方々もいました。

 さて、野口さんの話ですが、20年前に子どもが通学をしていた多摩擁護学校時代に立ち上げた子どもたちの放課後活動から始まります。最初は学校内の施設で、そして活動を自立させるために学校外で子どもたちが使用できる場所を探すことから、活動拠点を確保と活動内容の充実のために少しずつ積み上げてきた活動が着実に実を結び、「社会福祉法人」としてスタートしたのが一昨年のことです。社会福祉法人をつくるための苦労話などもいろいろと伺いましたが、何しろ会を引っ張ってきた方の努力とパワーはすごいですね。
 印象に残ったのは「母親たちだけの活動だったらここまでには至っていない。」ということです。「母親が子どものために一生懸命になっていることに‘やや’冷やかな父親たちもまきこみ、そして協力者を広げていくこと。」ということでした。‘協力者’の存在といえば、「かたくりの家」の周辺の農家の方々の力がとても大きく、農作業の場を提供し、仕事づくりへの協力や活動場所の確保としての土地の寄付など、地域との信頼関係を育みと‘共生’への理解を広げてきた20年の歩みは、にこやかな野口さんの話ぶりだけではわからない苦労の連続であったことと想像できます。
 とても短い時間でしたのでまだまだ歴史のほんの一部しか聞くことができなかったのですが、これからの新たな事業展開には注目をしたいことがあります。地域において「地域協働事業推進プロジェクト」(仮称)の設置を検討して、「かたくりの家」を中心として、障害者福祉の枠にとどまらないまちづくり拠点をつくるための取組みを進めていくというのです。
 
 何もなかった時代とは違い、すでに一つの大きな成果に達成できた状況に出会うことばかり、その体験や経験を伝え聞くことの方が多いように思いますが、まだまだ目指さなければならない、追求しなければならないことはたくさんあります。それを一緒に考えていきたいですね。

 ちなみに、「かたくりの家」のレストランのシェフもパン工房の職人さんも ‘プロ’。そこがポイントです!

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2007年05月16日

朝食にパンはいかが?

 諏訪商店街にどんぐりパンがオープンしました。以前は聖ヶ丘にあったのですが、端的に言えば立ち退き要請があったために移転しました。

 どんぐりパンでは知的障害を持つ方々がパンやケーキの製造やさをり織りをつくる活動をしています。これまでの聖ヶ丘の場所も住宅に囲まれていたというものの、決して便利な場所にあったわけではなく、製造しているその場で直売することはなかなか難しく、そして買いに行くにも交通の便などを考えるとなかなかお客の広がりにも限界があったので、諏訪商店街に移転してリニューアル・オープンしたことが転機になるのではないかと感じています。団地内にある商店街の活性化は悩みですし、特に諏訪商店街は活気がないと言われてきましたが、それでも人通りが全くないわけではありません。お客の広がりは生まれるだろうと思っているので、どんぐりパンのファンを増やせる好チャンスではないかと思います。
 
 また諏訪商店街にとっても明るい話題なのです。空き店舗が連なっているとそれだけで元気なく見えてしまうので、シャッターが上がることは望ましいことです。今日も近所にお住まいの方が「パン大好きだから、うれしいわ。毎朝買いに来れそうね。」とお話をされていました。焼きたてのパン屋さん、パン工房の香りも漂うのかなあ・・・と想像するだけでうれしくなります。
 
 ちなみに私はカスタードクリーム入りのメロンパンが一押しです。大きさとクリームの量が私にちょうどいいので。ぜひ一度おためしあれ!


 晴れやかな日差しの中で行われたオープンセレモニーは笑顔が絶えることなく、どんぐりパンのこれからの発展につながっていくと感じさせられるものでした。

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2007年05月03日

こどもまつり2007

 恒例のこどもまつりに足を運びました。‘多摩センターは宝島’・・・ということで、子どもにとってはやっぱり宝の島でした。行くところ行くところ・・・・子どもは大はしゃぎしていました。
 でも・・こどものみならず、パルテノン多摩の市民ギャラリーには「つみ木ひろば」があったのですが、ここで真剣につみきで遊んでいるのはこどもではなく大人!特にお父さんの眼差しは真剣でピラミッド風につみ木を積みあげている姿には印象的でした。それから多摩中央公園のカヌーも。親子で楽しめる企画もありました。会場全体を歩き尽くしましたが、連休初日のこどもまつりは随分と定着してきました。参加団体も定着をしているように思います。出店している団体も‘おなじみ’になってきました。
 けれども、いつも従来通りにやっていればいいというのではなく、毎年の工夫とか目新しさが付け加わっているような気がします。一昔前のガーデンシティ(懐かしすぎる!?)・・・・は行財政の再構築とやらで中止になり、こどもまつりに衣替え?リ・スタートになり大きく変わったのは主催者。「毎年変わり映えなく前年踏襲型」で行われていた行政主導型(市民の実行委員会でしたが)フェスティバルとは異なり、常に新鮮さを付加しようとする意欲は異なるのかもしれませんね。

 でも・・・こだわるようですが、「大人が準備」「子どもがお客さん」から、子ども参加型の要素をもう少し取り入れることができたらと思っていますが、そこは今後の課題として。それから、もう一つはもう少し市民活動団体の出店が増やせればいいなということ。
 あとは、こういう機会に一体どのくらいの‘ゴミ’が発生するのか調査してみたい!

 ところで、うれしい話を聞きました。「昔あそびコーナー」ではベーごま回しをやっているのですが、昨年に遊びに来てくれた小学生が、今年は中学生になり「今日、ここにくるのを楽しみにしていた!待っていた!」と真っ先に来てくれたのだとか。そんなささかな会話のやりとりが、こどもまつりの原動力になっていくのだろう・・・と思います。「昔あそびコーナー」は日常的に市内で活動している市民の方々が連休返上で汗をかいていますので。

 また、来年も1年間の成長を経て楽しみに待ってくれる子どもたちがいるのでしょうね。

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2007年03月27日

夜逃げの後?

 「街づくりシンポジウム」に参加しました。「平日の昼間に開催するなんて、一体誰に来てもらいたいのでしょうか?」というお尋ねがメールであったのですが、私もせっかく開催するならもう少し人が集まりそうな日程調整ができなかったものか・・・・と思いました。
 けれども、その心配を裏切るかのようにベルブ永山のホールはほぼ満席。基調講演とパネルディスカッションに2部構成のシンポジウムで、関係者も多数参集していたようでしたが、閑散とした寂しい会にならなくてよかったと言うのが感想です。

 このシンポジウムはこの6月から本格施行される「街づくり条例」の制定記念として開催されたものだったので、主には条例の今後を展望した話題が展開されました。「条例をせっかく制定しても使いこなさなければ意味がない。」「ただ制定をした・・・というだけでは市長の自己満足。」という視点から、条例に期待することなど少々散漫な議論になりかかりつつも、街づくりを主体的に担う市民の存在の重要性が強調されていたように思います。特に後半のパネルディスカッションでも、市民自身の存在が鍵になることを5人のパネラーそれぞれの立場から指摘していました。

 今日のパネルディスカッションで大ヒット?!だったことですが、地元の不動産事業者代表としてパネラーになっていた方が「多摩市はかわいそうだ。」と発言をしたことでした。・・・・・どういう意味かというと、多摩市域の6割を占めるニュータウン開発は、都市機構や東京都と一緒になってやってきたのに、この時代になりすっかりと縁を切られた?!!!・・・・・言ってみれば親戚のような関係で仲良く仕事をしてきた間柄なのに、気がついてみれば夜逃げ同然で逃げられてしまったのと同じような状況になっているというのです。何とも言い得て妙ですね。「夜逃げ後」・・・・取り残された多摩市?!笑うに笑えない話ですが、事実として、ニュータウン事業は途中で放棄されてしまった感が拭いきれないですよね。ニュータウン地域内の未利用地の現状に対する憂慮を指摘されていたのですが、私もそれについては共感しました。

 結局はニュータウン開発の歴史を辿っても、そして今の未利用地の活用に着目をしても外部事業者、大資本が入りこんできて、地元の事業者では太刀打ちできないのが現状なのでしょう。それはニュータウン開発と言う巨大プロジェクトの宿命なのでしょうか?

 「夜逃げ後」とは言っても、もぬけの殻になっているわけではないところはせめてもの救いだと考えていますが、都市機構に対しては無責任さを感じずに入られず、腹立たしさも覚えます。
 最近・・・賃貸住宅の大規模修繕が盛んに行われているようで、壁面の塗り替えを行っているのですが、その色があまりにもポップなカラー過ぎて街の景観にそぐわないのではないか?と思えるようなものもあります。どうして、そんなカラーにするのかと思っているのは私だけはなさそうです。賃貸住宅ですから文句を言えないのかもしれませんが・・・・やっぱりもう少し周辺環境などに調和させるとかしてほしいものです。


 それから、今日の街づくりシンポジウムでもうひとつ印象的だったことですが、来場者の90%は男性だったことでした。その理由をどう分析すればいいのでしょうか?行政の分析を尋ねてみたいと思いました。

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2006年11月24日

良好な住環境のため?

 今日は比較的時間には余裕がある一日でした。次の定例会で提出される「財産の取得について」という議案が気になっています。そこで市長が取得したいと考えている土地のいくつかに足を運びました。提案された場所は全部で6ヶ所ありますが、そのうち頭の中ですぐにイメージのつかなかった場所をまず見ることにしました。

 ちなみに、当該議案の趣旨は「多摩ニュータウン内に残る緑地等用地を、独立行政法人都市再生機構から購入することに関し、議会の議決を得るものである。」となっています。ここで欠けているのは「何のために購入するのか」ということではないかと思います。議案説明を受けた時も直感的にそう感じました。・・・・というのも、全部で6ヶ所の土地ですが、「緑地の確保といわれれば、確かにそうかもしれないけれど、でも・・・・」といささか疑問に思われる場所もあったからです。
 購入する土地の面積合計は約2万平方メートル。価格は5,500万円と示されています。説明によると「時価相当約12億円なので相当程度安価。」とのことでしたが、約2万平方メートルが市民の財産になるということは、そこにはある程度の管理費がかかってくる・・・とまず思いました。永山駅前の雑木林の話でも同様でしたが、‘みどり’を「良質」「良好」に維持するためには整備する費用が必要です。今、永山雑木林を守る会ではその費用の捻出に頭を悩ませているのが実情ですし、都市再生機構もこの雑木林に対しては約10年間ほど放りっぱなしに近い状態にしていたこともまた事実です。さっさと身軽になりたい都市再生機構がそのために様々な策を講じているというのは周知のとおりです。

 ところで、全部で6ヶ所とは以下のとおりです。説明に配布された資料より(場所/面積/土地利用計画/都市計画)
 
 ①唐木田2丁目(唐木田小田急操車場脇)/5,400㎡/その他公益/準工 
 ②鶴牧2丁目(鶴牧2丁目ペデ南)1,500㎡/その他公益/第一種中高
 ③落合5丁目(プロムナード多摩中央)3,500㎡/その他公益/第一種中高
 ④永山2丁目(永山2丁目斜面地)2,400㎡/その他公益/第二種中高
 ⑤馬引沢2丁目(馬引沢斜面地)4,700㎡/-/第一種中高
 ⑥聖ヶ丘4丁目(聖ヶ丘4丁目尾根幹線沿い)2,500㎡/独立住宅/第一種中高

 このうち実際に見てきたのは①、②、③と④。特に④はだいたいわかっていたけれど・・・という感じだったので、もう一度再確認してきました。とてもよく?手入れがしてあり、少し小高い丘の上は見晴らしがよかったです。見晴らしを維持するには必要な場所だと感じました。②については、鶴牧西公園のところですし、長細い土地にまたもやマンションが建設されては大変なので、取得することには異論は無いけれど・・・・。あとは③についても、ちょうどプロムナード多摩中央の西側の法面にあたる場所ですが、とかく多摩センターの高層マンションラッシュを考えると・・・・取得したいと考えるのもわかる・・・。

 私がよくわからないのは①。市長は「唐木田駅には町田市や八王子市からの利用者も多く、駐輪場などの整備が課題になっている。」と話していました。そこでこの土地の一部に駐輪場などを整備してもいいと考えている・・・との説明も受けたのですが・・・・当該地はちょうど大妻学院の多摩キャンパスのところで、言ってみれば尾根幹線よりも南側・・・・改めて、場所の確認をするに「駅前駐輪場にしては場所が遠すぎるのでは?・・・誰が止めるだろうか」と思いました。今回取得する6ヶ所のうち、一番面積が広い。

 ⑤と⑥については議案についての検討が始まるまでに確認しておきたいと思いますが、⑥は尾根幹線沿いでバッファーゾーンと言われてきた場所。議会でもあそこもきちんと緑地として確保しておくべきだとの意見もあり。


 以上6ヶ所、全部を取りまとめて一括して5,500万円。本当に市民の財産にしてHappyなのかどうかを考えなければ・・・・。この財産取得の案件は極めて判断が難しくなりそう。都市再生機構のお荷物整理に協力しているだけにはなりたくないなあ・・・・。安価で取得した土地に管理費がものすごいかかるとしたら「安物買いの銭失い」になってしまうのではないか?と思っているのですが・・・・。

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2006年10月31日

ここは永山駅!!

 ここ数日間、どうしても居心地悪くて解せないこと。

 それは、永山駅前のことです。
 駅前の良好な環境を守りたい、多摩市の住宅都市としての魅力を維持したいとの市民の願いが叶って、駅南側の雑木林が都市再生機構から多摩市への譲渡が成功したのは7月のこと。賛否両論あるとは言え、個人的にはとても喜ばしい出来事でした。
 ところが・・・反対側(北側)と言えば、レジャー施設の増築・増床。横を通過するとものすごい音漏れ。レジャーを否定しないものの、一応は駅前で住宅や保育園、学校が近隣にあることにもう少し配慮が欲しいと感じてきました。ただし、この建物に設置されているエレベーターについては重宝されていて、保育園に送迎する時に使用するベビーカーなどはかなり助かっている模様なので、その点でありがたさも覚えています。

 
 さて、永山駅前には同種のレジャー施設2店舗あるのですが、一方がフロアの拡張をしたことに伴って、同業者どうしの商売合戦が激しさを増しています。そして、駅の北側にはあまり美しいとは言えない風景に様変わりしてしまいました。特に看板が立ち並んでいるのは市民からもとても不評で、何とかならないものかとの苦情は多いところです。もちろん音漏れについても苦情はあります。


 そんな中で、「ドッカーン!」と新兵器登場???。駅北側に、どでかいスクリーン?電光掲示板が設置され、早朝からアミューズメントパーク?の紹介が次々と画面に投影されるようになりました。夜はそれはそれは煌煌ときらめいていて、住宅都市とは思えないような駅前の様相に・・・・・。電光掲示板の設置は先週の水曜日・木曜日あたりではないかと思いますが定かではありません。しかし、先週月曜日に永山駅で遊説をやった時には設置されていなかったことだけは確かです。


 早速、私は行政の担当部署に電話をし、問合せをしました。すると・・・・「電光掲示板の設置については、通行の妨げになるような看板の撤去を条件して、事業者と調整をしていた」らしいことが判明。「えっ、もう設置されたんですか?」というような返答でした。
 これは交渉ごとだと思うのですが、「そりゃないよ~・・・・。」と泣きたくなるというのが私の感想。まだ交渉ごとがまとまっていないうちに事業者が設置してしまったのかどうかはわからないのですが、いずれにしても、あんなにドデカナ電光掲示板の設置を認めていいの?というのがそもそもの疑問です。

 
 ここは永山の駅前。新宿や渋谷の繁華街、同じ多摩地域でも立川、八王子、町田の駅前にある商業地域などとは全く異なるのでは?
 突如、設置された電光掲示板にただただ私は唖然としているだけです。おそらく・・・市民も議員も設置されてはじめて気がついたと思います。事業者と行政サイドでは色々とやりとりがあったようですが、その情報は全く知りませんでした。


 いまさら・・・例えばルールなどを作っても、遡及適用することは不可能だと思われますし(営業妨害だとされる可能性高い)。議員としてできることは何かあるの?!・・・・・と心底情けなくなっています。そしてもしも交渉ごとがまとまらないうちに事業者側が設置してしまった・・・・というのが事実であれば、行政?市長の交渉力(二人も助役がいるのに!)に課題が多いと指摘せざるを得ません。多摩市は「子育て・子育ち環境」が重点施策なはずなのに?!それにも随分と逆行しているとしか思えなくて・・・・。

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2006年10月28日

ハロウィンと小さな秋の収穫祭と

 ハロウィンin多摩センターを見に行きました。仮装した子どもたちでにぎわっていて、親子で楽しむイベントが成功している気がしました。来場者の年齢層は若い世代。孫を連れている高齢世代は見かけましたが・・・・・。

 その喧騒をくぐりぬけて、鶴牧・落合商店街の広場で行なわれた「つるまき・まちひろばオープンバザール」まで足を伸ばしました。商店街の前のオープンスペースを生かした手づくりのこじんまりしたお祭り。草花の苗を販売したり、小鳥の巣箱づくりやどんぐりを使ったクラフト、地域の音楽家によるコンサート、小野路の野菜などの販売、そして地域のお料理名人たちが腕をふるう小さなレストラン・・・・恵泉女学園大学の学生さんたちも参加していました。
 このお祭りのチラシには「思い思いに、秋の一日が過ごせればと思います。小さいながらもこの町にしかない秋のお祭りに育っていけばなぁと思ってます。」というメッセージがのっていましたが、顔の見える地域の関係づくりをするためにはちょうどいい規模でアットホームな雰囲気。集まってきた人が自然に会話をして交流が生まれていました。何と言っても大きなテーブルがひとつ。そこを囲み、いろいろな話題に花が咲いていました。
 オープンスペースを生かし、ちょっとした飲食もできるし、みんなで囲むひとつのテーブル。知人の顔を見つければ「ちょっと、こっちへ」と気軽に声もかけられ、テーブルに招き入れてしまえるような感じです。
 
 商店街も軒並みシャッター通りと言われていたひところからちょっと復活。小売店ではなく事務所機能などとしてのテナントも増えつつあります。でも、地域コミュニティの核になれる中心の場所にあるのが「近隣センター」です。いわゆる商店街の活性化でイメージするようなお祭りではないかもしれませんが、地域の人と人とをつないでいくことを目的とした「小さな秋の収穫祭」の取組みが続いていけばいいなあと感じながら帰路につきました。


 再び、鶴牧・落合商店街から多摩センター駅前に。終了時間に近づいたハロウィンはまだまだ賑々しく、出店では最後の値下競争が始まっていました。
 ハロウィンも今年で3回目(確か。。。)になり定着してきた感じもします。このイベントが実施される前のことを思い出すと、ちょうど同時期「いきいき多摩ふれあいフェスティバル」が毎年開催されていました。イベントのコンセプトも開催の手法も全て違っているので単純に比較することができないわけですが、市民の顔が見えた「いきいき多摩」のお祭りは「市民の広場」的な役割を果たしていた気がします。そのときには市民の活動団体などの出店が多くありました。その頃がちょっと懐かしいかも。

 市民にとっての「小さな収穫祭」、市民にとっての「ハロウィン」のイベント。‘まちおこし’ではないですが、まちにとっての‘イベント’の意味を考えさせられた一日でした。
 

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2006年08月16日

ビジネススクエア多摩

 「ビジネススクエア多摩」を訪問しました・・・・と言ってみたところで、ピンと来る市民は一体どのくらいいるでしょうか?

 東永山複合施設(東永山小学校跡地)の東永山創業支援施設のことです。雨が降っていたので永山駅からタクシーに乗ったのですが、運転手さんが「ここはしょっちゅう名前が変わるんだよねえ。」とこぼしていました。複合施設だけにお客さんによって行き先指定の仕方が変わるのでしょね。ついこの間、私も「子ども家庭支援センターに行ってください」とお願いした気がします。


 さて、「ビジネススクエア多摩」(せっかくなので愛称を使用!)ですが、たまたま入居者の一人が知人であることがわかったので、早速にオフィスを訪問したわけです。
 先日、千代田区のちよだプラットフォームスクエアに行ったので、ついつい比較をしてしまうわけですが、「そもそもビジネススクエア多摩のレイアウトなどは誰が考えたのでしょう?」というのがまず最初の私の疑問点でした。
 
 以前は学校だったと言うことで教室を利用しているため、施設的な制約はあること、そして財源的にも制約があることは承知の上ですが、施設の雰囲気やレイアウトはとても重要だと考えています。暫定活用だから仕方がないのかもしれませんが、欲を言えば、もう少し「おしゃれ」な薫りがあってもいいのに・・・・と思いました。でも「外見ではなくて内容があれば」ということで、とりあえずはこの施設の入居者の満足度を優先したいと思います。


 というわけで、インキュベーションブースの入居者に話を聞いてみました。「賃料が安いところには助けられている」。(賃料: 共益費相当額として15平方メートル未満 10,000円/15平方メートル以上 15,000円)・・・学校の跡地なので見た目はいいとは言えないけれど「人間には適応能力」があるので、今ではこの環境に満足しているし、何よりも「駅からここまで歩いてくる時の‘みどり’がいい。」との感想。気持ちがとても癒されるのだそうです。そこは都心で働くのとは一味違った魅力にできるのかもしれません。
 
 施設的な満足度ということで、ハード面の問題もありますが、それ以上に大事なことは「ソフト面」。話を聞いた知人を含めた入居者の方々は口々に「人が一番大事。」とおっしゃっていました。ブースと言っても個室に近いので、仕事をしていてメンタル的に厳しい状況になったりすることもあるようですが、そんな時、同じ入居者どうしでおしゃべりをしたり、インキュベーショマネージャーの方に相談できることが何よりも支えになっているという話でした。あとは事務をやっている受付を担当している方がいらっしゃるのですが、その方の存在も大きいと言うこと。
 
 賑々しい場所ではなく、どちらかと言うとひっそりとしていて、今のところはお世辞にも活気溢れる場所とは言い難いので、ブースにて一人で作業をしていると煮詰まってしまいそう・・・・。「人間はやっぱり一人では生きられないからねえ。人との交流が大事だし、そういう中から新しい知恵とか発想がとかアイデアが生まれて来るんだよねえ。」という言葉に実感がこもってました。(なので、私たち(私+学生2名)が訪問したことを入居者の方々はとても喜んで下さいました。)

 このインキュベーションブースの入居期間は3年間までという期限付。全部4ブースありますが、現在のところは入居者は3名。秋以降にあと1名の入居が決定しているそうです。晴れて全ブースの入居者決定ということで、3年後にどんな状況になっているのか・・・・なかなか予想し難いわけですが、私としてはせめてもう少し、施設そのものの活気が欲しいと感じます。ニーズが増えればブースの増設もあるでしょうし、そうなればもっと人も増えて、施設そのものに明るい雰囲気や活力が出てくると思うからです。さらなる相乗効果も期待できますね。活気や活力が出てくれば、自然とそこには人が集まり、交流が生まれていくわけですので・・・・。


 いずれにせよ、施設については

「この施設や実施する事業を通して、潜在的な市民のキャリアを引き出し、創業・起業支援に役立てていくとともに、市民の創業・起業意欲を喚起することが目的です。
 なお、この施設は平成21年までは「試験的運用」として、この期間の実績を検証し、得られた市民ニーズや運営のノウハウを反映することで、本格的な恒久施設として整備していきます。」

 ということなので、行政がどのように実績検証するのかも注目したいと思います。まずは、「ビジネススクエア多摩」というのも、「東永山創業支援施設」というのもまだまだ知名度が低すぎるのが現状なので、施設を知ってもらう、活用してもらうためのアイデアをもっと出すことが必要ではないかなと感じているところです。

 *あわせて、多摩市の創業支援事業としてはeワーク情報局多摩もあります!

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2006年08月10日

まちの活性化

 今日は活性化?になればいいな・・・という話題から。多摩センターの「ペンタくん」のビルは7月末で売却されたと聞いていました。その話題が建設情報サイトに掲載されていたと教えてもらいました。
 

ニューシティコーポ、「ペンタくん」多摩センター店をマルチテナント型商業施設に
2006/08/10

 ニューシティコーポレーションは、7月に取得した「ペンタくん」多摩センター店に複数のテナントを誘致し、商業施設として利用することを決めた。屋内型の住宅展示場となっている1階~3階の吹き抜け空間をショールームとして賃貸する予定で、テナントには住宅メーカーや自動車会社を想定している。4階~8階には飲食店やスポーツクラブ、エステティック店などを誘致する。

 ペイントハウスが本社兼ショールームとして使ってきた施設で、地上8階地下2階建て、延べ床面積3万3800m2の規模を持つ。ニューシティコーポレーションは、京王線、小田急線、多摩モノレール線の多摩センター駅から徒歩5分という立地を生かし、近隣住民が気軽に立ち寄れる商業施設にする意向だ。

 このニューシティコーポレーションとは・・・・外資が出資している法人で、不動産投資の会社です。価値を高めて、転売するのが商売で、バブル後、米国等のこのような会社が都心のビルリニューアル、リートを形成し、立て直し役えを担ってきました・・・・という事で、大躍進している(‘ぼろもうけ’?)会社だと聞いたのですが、検索サイトで調べたところ、渋谷のほうで建築紛争の当事者になっているようですね・・・・(う~ん・・・若干心配かなあ・・・・)。
 ちなみに、この会社のリリースした情報にもこの話題が掲載されていました。


 さて、今日は代表者会議があったのですが、市議会で会派構成が変更になったのでお知らせします。新政クラブ会派3人がそれぞれ解散して一人会派(自由民主党多摩市議会、改革無党派クラブ、自民党)という名称に変更しました。会派のネーミングは難しいですね。改めて感じました。自由民主党多摩市議会と自民党・・・との区別しにくいかもしれませんね。
 それから、今日の会議では久しぶりに市民の関心が高いだろう「政務調査費」のことが話題になりました。「政務調査費を海外視察に充当できるのかどうか」が来春の改選後にひとつ課題として出てきそうです。市議会としての海外視察は1999年から当面の間自粛しているのですが、基本的に政務調査費にには使途の制限はありません。使途については議員個々人の良識に任されている部分です。私自身は情報公開と説明責任を果たし、市民に納得が得られるのであれば海外調査をすることも時には必要かもしれないと思っています。でも、カタコト英語もしゃべれない私には縁のない話かな・・・と考えているわけですが・・・・。


 ところで、朝から快晴。台風の心配もなくなって、せいせき多摩川花火大会が滞りなく行なわれたようです。今日は市議会からも清掃ボランティアに参加する人がいるようでした。私は明日の朝の清掃に参加をしようと思います。今日は我が家の北側の部屋から子どもと一緒に花火を見ました。無音でパッと開く大きな大きな花火を見ながら、「人出がどれくらいなのかな?」とか「清掃ボランティアは活躍しているのかな?大変だろうな。」と想像していました。花火大会も地域の活性化イベントのひとつに位置付けられるものですね。 

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2006年08月08日

スマートオフィスが魅力!

 ステイツマンのメンバーとともに、千代田区にあるちよだプラットフォームスクエアの視察をしました。

 多摩市でも旧東永山小学校跡地に創業支援施設を開設しています。以前から、ちよだプラットフォームのことは噂で聞いていたので、何か多摩市で学べるところもあるのではないか?と足を運びました。

 「ここの場所にパワーを感じる。」「ここにいる人たちの顔は生き生きしている。」・・・これが、一緒に視察をしたメンバーたちの感想です。これに全てが凝縮されていると思います。


 ホームページを見てもらってもわかるのですが、もともとは千代田区の中小企業センターをリメイクして蘇ったビル。とてもおしゃれでスマートなオフィス!「ここで仕事してみたい!」という気になるような場所でした。
 もともとは公社が運営していて毎年1億円の赤字を出していた場所。どうにかして赤字を解消したい、そしてそのためには有効活用の方法を模索したい・・・ということで活かしたのが地域力と市民力。地元の人たちも交えた中、研究会がたちあがったようです。


 江戸時代の歴史をひも解くと「家守」という存在があり、神田地域でも多くの職人が育っていったそう。ここに注目をした事業展開がットしました。実施主体は民間。PPP、官民パートナーシップによる運営です。それによって赤字は解消。


 実際に足を運んで見ることが一番。民間ならではの発想とアイデアを感じました。とにかく噂通り、「活気」「活力」、そして「可能性あるな」ということを感じずにはいられない場所でした。共有で使用できる会議室やサロン、おしゃれなカフェなどなど・・・・若い人もいれば高齢の方も集まってきて、各々作業をしたり打合せをしたり・・・・。
 ここに集まってきた人どうしが出会い、新しいモノが創造されていっているような雰囲気がありました。

  
 

PPP事業とは-PPP(Public Private Partnership:官民パートナーシップ)事業は、社会資本整備や行政サービスの提供に民間主体等を活用し、公民協調により事業を実施する手法。PFI、民営化、民間委託等がある。
 


 

 視察内容としては館内を案内してもらい、その後、特に多摩市としてはこれからポイントになるかなと思われるコミュニティビジネスの支援をしているNPOの方にお話を伺いました。
 これからの時代、団塊の世代と地域を考える際に注目されているのがコミュニティビジネス。しかし、コミュニティビジネスを起業するというのはたやすいことではありません。起業できても継続が難しいことも事実です。起業後のフォローアップできる体制がなければならないと思いますが、それを行政がそれ単独で行なっていくことは、マンパワー的に厳しいわけで、やっぱりここには専門家専門機関が求められそうです。多摩市で考えればNPOセンターなどもその受け皿になれるわけですが、そう考えると創業支援施設との役割分担どうするの・・・・みたいな話にもなりそうです・・・。

 と思ってみると、NPOセンターがあって、創業支援施設があって、そしてまた市民活動情報センターやボランティアセンターなどなど・・・わざわざ縦割り行政式に取組まなくても、そしてまた縦割り行政式で取り組まない方が市民の利便性向上になるような体制づくりができないのかなと思わざるを得ません。これらの施設を区別して、場所も分断して設置することのメリットがほとんど思い浮かばないので。

 ところで、多摩市の創業支援施設は愛称が決まったようですね。ロゴも募集したようです。愛称がいつ決定したのか、わからないのですが「ビジネススクエア多摩」と言うようですね。ロゴもどんな手法で最終決定していくのでしょうか?


 ちよだプラットフォームは地域の文化や風土に上手く馴染んだからこその成功事例だと感じています。つまり、多摩市で創業支援施設をする場合にも、「多摩ならでは」みたいなものが必要になりそうで、だからこその多摩市での起業、創業になるのではないか考えています。でも、そこが一番難しい部分で「多摩ならでは」はまだ発掘されているとはいい難い状況です。
 一概に比較することはできないことは重々承知ですが、今日の視察会で感じたこと、学び取ったことを頭に置きながら、来週中に東永山創業施設まで足を運ぼうと考えています。

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2006年07月18日

図書館を避難?!

 「図書館本館のことでお話しが・・・。」ということだったので、会派のメンバーで生涯学習部長に会いました。

 どうやら私たちの会派にも説明がめぐってくるということは、ほとんど庁内的には合意形成もできつつあり、政治的にも決着がつくことを見込んでのことだと思うので、この場で話題に出すことに支障はないと考えていますが・・・・・・・・・・・、図書館の本館を現在の市役所隣から、学校跡地施設に移転させようという計画が急浮上している模様です。場所は旧西落合中学校跡地。
 生涯学習部的?というか、教育委員会的?というか・・・市長的?には、9月定例会の補正予算で、それに対応するための設計費用を計上したいという考えのようです。


 部長が今日の説明のために持参してくれた資料は①図書館の配置図と②学校跡地施設の恒久活用方針。
 ①については、現在存在している図書館6館(本館、東寺方、関戸、聖ヶ丘、永山、豊ヶ丘)フに西落合中学校の箇所を1つ追加して、それぞれを中心に半径1㎞の円を描いた地図。②は記憶にもまだまだ新しいところにある市民をまきこみ、議会でもスッタモンダのひと悶着あった学校跡地活用の‘恒久的な’活用方針で、旧西落合中学校については「民間の活力を導入した地域の活性化」とされているもの。


 ①は当然ながら、多摩市の西部・・・つまり多摩センター地域には図書館サービスが手薄なことを説明するため。②は、「限られた財源は、生涯学習施設の充実など、新たな施策推進に充てる」となっているけれど、今すぐに財源に出来るわけではないので、図書館という生涯学習施設として暫定的に活用することも一つの手法だと説明するため。


 ・・・・どちらも、話を聞く限りでは「ご尤も」かもしれないけれど、よくよく考えてみると、暫定活用を止めるために「恒久活用方針」を決定したのに、またまた暫定活用をスタートさせようとする方針がニョキニョキと出てきたことが腑に落ちず、どうやって納得すればいいの!!!

 しかも、よく聞いてみると、現在の本館は耐震性が乏しいので、市民の安全を考えたとしても図書館をどこか別の場所に避難させたほうが望ましいと考えているものの、それはあくまでも暫定的な措置。実のところ・・・この4月から始まっている第4次総合計画総合計画「戦略プラン」に基づいていえば、「中央図書館(機能)」をどうするのかも再度議論することになっており、仮に駅至近のもっと便利な場所(もちろん、多摩センター)にそれが実現するのであれば、暫定活用の旧西落合中学校は閉鎖していきたいと目論んでいる様子。(じゃあ、そのあとに財源化?!)


 ちなみに、図書館の耐震性が乏しいことは平成8年からわかっていた話。それなら、なぜ、学校跡地施設の恒久活用方針にて、「図書館の本館を移転する」としなかったのだろう。これが第1の疑問。

 それから、仮に現在の市役所隣の本館を「中央図書館(機能)」の最終的方向性が見えるまで存続させようとすれば、耐震補強工事などにざっと見積もりをして3億から4億円ほどかかりそうだと試算。それよりは、新耐震基準で建設されている旧西落合中学校に移動させたほうがいいという判断のよう。ここに移転する際は、同時に旧東永山小、旧南永山小に分散して保管している蔵書(閉架書庫)もすべて集約していくような方向で考えをまとめている様子です。
 さて、移転するためにはエレベーターを設置しなければならず(これはハートビルド法)、冷房も必要だし、もちろん最低限の施設を整備も必要で、ざっと見積もっても数億単位の投資(出費)にはなりそうとか。


 ・・・・・多摩市の家計簿には、どこにそんな余裕があったのかなあ・・・出費をする余力?と考え込んでしまうのは正直なところ。確かに、多摩センター地域の図書館に対する利便性は格段に高まり、それは一面では市民サービスの向上と言えるかもしれませんが、暫定的にしか使わなというのに、それなりの投資することが、全体的な視点で考えた時、どこまで優先されるべき事項となるのでしょう?
 もちろん、「図書館の避難」=市民の安全確保であるという点はわかりますし、いつ訪れるのかわからないのが天災・・・しかし、「暫定活用では無い!!」というなら話は全く別かもしれませんが・・・・「暫定」という部分に妙に引っかかる・・・・。
 

 いずれにしても、「図書館本館の移転」という話の内容というよりは、アノ学校跡地の恒久活用方針がどのような将来見通しと将来ビジョンのもとで描かれたものだったのかを疑わざるを得ません。一体何のために策定した方針なんでしょう。こんなに簡単に方針が変わってしまうというのも「スゴイ!」ことなのでは?


 今、ここに至って、突然に、緊急的に図書館を避難させなければいけないから・・・というのは理由にはならないはずですし。先にも書いたとおり、既に平成8年の時から耐震性に乏しいと言われてきたわけですから。
 どうやら、頭の悪い私には、市民サービスの向上につながる素晴らしい提案も「素晴らしい」とすんなりと受け入れられない不可解な部分がたくさん・・・・。困ったものです。

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2006年04月26日

多摩ニュータウン研究

 今日、手元に届いた多摩ニュータウン学会の冊子は、ぜひ多くの方にも見ていただきたい内容です。
 ちょうど今年の1月に開催した公開研究会「謎解きニュータウン・蔵出し資料を読む」の報告が掲載されていました。内容がとても面白かったと評判の研究会だったので、参加できなくて残念に思っていたので、早速目を通したのですが、 中に、ニュータウン開発について基本方針が大きく変更された経緯などを記した報告がありました。
 その終わりを締めくくる一文を紹介します。

。「首都圏の住宅不足に対応しようとする国や東京t、そして多摩ニュータウン開発事業をなんとか早く進めようとする3施行者(都、公団、公社)に対抗して頑張っていた、当時の多摩町、多摩市の職員の心意気が分かっていただけたと思います。」
私はこの一文がとても心に響いて、共感するものを覚えました。そして、今、いろいろな意味で岐路に立たされているニュータウンと多摩市の未来に向けて、そのときに発揮したのと同じような心意気が必要ではないかと感じています。
 そして、そこには職員だけではなく、ここに住んでいる人たちの思いがなければならないし、もちろん住んでいる人たちの思いを汲み取る議会のあり方も問われているでしょう。

 ところで、ニュータウン学会でも「多摩ニュータウンの未来に向けて、私たちがすべきこと、できること」というテーマでワークショップを行うようです。ニュータウン学会の活動の振り返りと今後の課題などを見出す目的もあると思いますが、それ以上に市民、研究者、職員、議員など多くの人たちが集まり、このテーマで議論しあうことの意味が大きいと思います。ぜひ、お時間のある方に参加していただきたいと考えています。

 *おしらせもご覧ください。

投稿者 hisaka [まちづくり]

2006年02月27日

公募型補助金

 今、多摩市では「補助金評価市民委員会」が設置されています。昨年度から議論を重ねていますが、既存の全補助金を見直し対象としてきました。夏ごろに提出された中間報告書がありますが、この報告書では行政にとっても市民にとっても耳の痛い見解が出されています。
 ところで、今年度から公募型補助金として「市民提案型まちづくり補助金」が始まりました。公募型補助金で補助金を獲得した団体は、その補助の成果を市民向けに報告をする予定です。既に来年度に補助対象となる事業の募集や審査も終了していますが、今年度引き続き助成が決定した団体もあります。つまり、今年度補助に関し、その成果など市民向けに報告をする前に(報告をしていないにも関わらず)、翌年度の補助が確定していることになり、よくよく考えてみると「???」と首を傾げてしまいます。これをどのように改善していけるのかは、課題のひとつだと思っています。

 多摩市がやっているように公募型補助金の取り組みを進める自治体は増えつつあります。それは歓迎すべきことだと思いますが、ただ闇雲に公募しても税金のばらまき感が否めないような気がします。ある論文で「・・・形だけの、あるいは杜撰に行なわれる提案公募事業は、時にその分野の活動に混乱をもたらし、関係する個人や団体の発展を阻害することにすらなる。」と意見を読みましたが、全くの同感です。
 例えば、女性問題、消費生活問題について行政が取り組むという視点から出されていた補助金(女と男が共に生きるフェスティバルや消費生活フォーラムなど)が廃止されてしまいましたが、補助対象とされていたイベントの企画内容の改善が課題であったにせよ、‘廃止’が意味するところをきちんと捉えておく必要があるでしょう。その他にも多摩市の一大イベントになっており、市内外から多くの人を集めてきた「TAMA映画フォーラム」も公募型補助金への移行を迫られた事業です。
 補助金見直しの必要性はありながらも、それとは別に各事業の発展を行政がどのようにサポートしていけるのかは大事な視点だと思いますが、確かに先の指摘のように補助金廃止とともに先細りが迫られるケースも少なくないようです。そのことを市民力のなさに責任転嫁されては困ってしまいます。女性問題、消費生活問題などは必要な政策課題だと思っているので。

 もちろん何が必要であるのかないのかについてはさまざまな意見があると思います。しかしながら「杜撰に行なわれる提案公募事業」の罪深さに目を向けていけねばならないと感じます。「なぜ行政が補助をしてきたのか」、そのことの意義、そこに果たすべき行政の役割を一つ一つていねいに検証しながら、精査してきたのかが問われます。何事も完璧にはいかないことを考慮したとしても、「提案型まちづくり補助金」事業があまりにも急いでスタートしたあまり、そのプログラムの組立てが不十分になっている気がしています。実は、そのような提案公募のプログラム組み立てなどに関して、日本社会にはその専門性がほとんど蓄積されていないそうです。要するに、取り組みながら考えていかざるをえないのでしょう。

 というわけで「公募型」補助金を取りいれたことだけに満足をせず、今後、この仕組みがよりよいものに発展していくための情報収集など、職員の力量に期待したいですね。

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2006年01月31日

計画づくりのスキル

 改定作業が進められてきた第2次健康福祉推進プランの原案がほぼ完成し、委員会で説明を受けました。
 この第2次健康福祉推進プランは高齢者保健福祉計画(介護保険事業計画)、障がい者基本計画、児童福祉計画、保健・医療計画、生活援護計画の5つの個別計画からなる膨大な計画ですが、児童福祉計画については、次世代育成支援地域行動計画に移行しています。今回は児童福祉分野は対象外になりましたが、今まで総論に含まれていた地域福祉分野が新たな個別計画としてまとめられているので、ボリュームとしては変らず、むしろ改定によって更に内容が増えている感じがします。

 計画改定作業について、私が懸念していたのは、もともとの第2次健康福祉推進プランはコンサルティング業者への丸投げ計画書であるという事実。今回は業者任せにせず(その金銭的な余裕はなく)、職員自らが改定作業を手がけるとなれば、まずは相当な作業量になると思っていました。その通り、完成してきた原案を見れば、職員の苦労が感じられます。
 しかし、残念ながら、そもそもこの計画はどのような方針もしくは考えにより改定作業がなされてきたのでしょうか?そのことが全く見えず、伝わらないというのが致命的です。個別計画それぞれは市民参加を得るなど、力作かもしれませんが、個別計画どうしのつながりがあり、全体的な健康福祉推進プランなる必要があります。しかし、原案として示された5つの計画の印象は「バラバラ」ということ。例えば、構成やレイアウトも含めた統一感がなく、全体のまとまりに欠けているのです。

 その原因を考えると・・・。改定作業をしている職員は一人ではありません。高齢者、介護保健、障害者、保健医療、地域福祉・・・などなど、同じ健康福祉部内だとしても別々の担当者が作業をしています。つまり縦割り行政の仕組みの中で、ばらばらに改定作業を進めている職員が存在しているのです。結果、「隣りのことまでわからない・・・」という縦割り行政の弊害がそのまま明らかになった・・・というわけです。
 
 コンサルに丸投げしてきた時代とは異なり、市民参加を得ながら職員が計画づくりを進める時代です。まずは「計画づくり」のスキルそのものを磨く必要があるでしょう。さらには、今回の健康福祉推進プランの改定作業を考える時、どのような構成にするのか、内容にするのか、市民にとってわかりやすい表記の仕方やレイアウト、用いるデータなどなど健康福祉部全体で改定作業を進めるにあたり共有すべき事項がいくつか上げられると思います。それらの情報共有があり、作業を進めなければ、最終的に統一感のある計画書として完成しないように思います。一体、どうなっていたのか・・・・?と少々疑問に思っています。

 さらには、現在第4次総合計画の後期計画も戦略プランとしてまとめられています。これは市の最も上位にある計画だといえるので、そこも意識しながら健康福祉推進プランの個別計画がたてられねばなりません。個別計画と言っても、さまざまな部署に関連するような事項も足す含まれているので、そのことも確認をしつつ最終的なまとめがなされるのだと思います。

 今日、示された5つの原案では「障がい者基本計画(原案)」だけに、取組むべき施策、そしてその「担当課」「関連課」が明記されていました。誰が責任を持って、その施策を推進していくかを明確にすることは重要なことだと思います。市民にとってもわかりやすく、そして行政の担当者の立場からしてもハッキリするというのは望ましいことです。

 いずれにせよ、行政計画をつくるためのスキルアップが求められていることを感じます。もちろん、直接作業をする人間、そしてまた全体的に内容をチェックしてアドバイスする人の力量が問われていることを感じずにはいられませんでした。

 「この計画は一体、何のためにつくるのか・・・。」今日の委員会の中で最も本質的な指摘がありましたが、作業をこなすだけで手一杯の状況だと、最も重要な部分が見過ごされるのかもしれません。今更、委員会であれやこれや言っても・・・・と思いながらも、少しでも完成度の高い健康福祉推進プランになるように意見を述べていきたいと思います。次回、この件に関する委員会の開催は2月の中旬以降に予定されています。


 
 ちなみに・・・昨日の活動報告はおやすみしました。あまりにも頭が痛くて。

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2006年01月25日

雑木林・・・その後

 ここのところ何となく気分的にしんどい日が続いていて、とうとう昨日の活動報告を書かずに過ごしてしまいました。その理由は何かなあと考えるのですが、一つにはここ数日の国会中継を見ている自分自身の気持ちを知らず知らず市議会を傍聴している市民の気持ちに重ねているからかもしれません。そして、耐震偽装問題で明らかにされてきた政治家との関係やライブドアの問題をめぐる政治家の発言などなど・・・政治への期待感が失墜していくような出来事が続いています。政治の役割を考えさせられる日々です。


 今日は永山駅前雑木林を守る会の駅前キャンペーンに参加しました。12月市議会に提出した請願が無事採択された報告と、署名協力へのお礼です。「お世話さま」とか「これからも頑張って下さい」と声をかけてくれる方が何人もいました。約一時間あまりで、用意していたチラシ600枚はほぼ配り終わるほどの反響でした。この市民の反応のよさにはびっくりです。素知らぬフリをして目の前を通過していった方が雑木林のことだとわかるとわざわざ引き返してくれるほど・・・。「守る会」の雑木林に対する純粋な思いが市民に届いていることを実感しました。

 ところで市長と都市再生機構の交渉はどうなっているのでしょうか。先般、「守る会」が市長との面会をした際には「あとはお任せ下さい」と言われて終わったようです。署名を集めて議会に請願を提出し採択され、都市再生機構にも要望書を提出し・・・・あとは、市長の交渉力に期待するのみ。そっと交渉の行方を見守ることしかできません。「無償」というのはどうやら難しいようで、水面下では出来る限り低価格で・・・と交渉が進められているようです。

 さて、キャンペーンの前に行なわれたミーティングでは、価格交渉の行方を心配するのではなく、多摩市の財産になることを前提に活動を展開していこうとの話になりました。特に、雑木林の魅力や価値をもっと広めていきたいと次なる活動を思案中です。現段階では3月21日にパルテノン多摩で開催される「アースビジョン多摩」においてスライド上映とパネル展示を開催することが決定しています。前々から議論になっている雑木林保全プランについても本格的に取組む予定です。
 ところで、関係者向け・・・ということですが、今週の金曜日27日の14時から、ベルブ永山でも「アースビジョン多摩」で上映予定のスライドを見る会があります。「守る会活動記録ビデオ」です。ご覧になりたい方、ご参加下さい。問い合せは永山駅前雑木林を守る会事務局まで。

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2006年01月20日

市民の立場で進めて欲しい

 建設環境常任委員会がありました。尾根幹線道路沿い、南野3丁目に15階建てのマンション建設が浮上し、早ければ2月初旬から着工される予定です。周辺環境を考えるとかなり突飛な高さのマンションです。近隣住民の方々はマンション建設計画の見なおしを求めています。今日はそれに関する陳情の審査でした。住環境の悪化を危惧する方々の陳情でした。もちろん、結果は「採択」。
 でも、「採択」されたとしても、それがどのくらいの効力を持てるのか・・・過去の事例を見ると正直情けなくもなりますが、議会が「採択」をしたということを受け、行政が事業者にどう対応していくのかが問われます。

 陳情審査の中で行政との質疑を聞いていると、多摩市のまちづくりの将来そのものが本当に不安になります。都市計画の整備方針がまとめてある「マスタープラン」ですが、これは「大まかな概念をまとめたにすぎない」という説明に終始し、個別の土地についてはその都度その都度対応をしていくというようなニュアンスでした。その際、「近隣住民との合意」があるべきだとは言うものの、そのために行政がどのような役割を果たすのかという点については相変わらずお茶を濁したような答えしかありませんでした。ただ、「(法律に反していなければ)こうしなければならないと指示することは難しい」ということだけはしっかりと断言していました。

 今日も話題になったことは、多摩市にはまちづくりの権限がないということ。桜ヶ丘にオープンしたパチンコ店についても、当初、多摩市は「スポーツジム」ができると思っていたそうです。「多摩市は騙されたんだ」という表現で意見を述べていた議員がいましたが、騙されたのかどうかはわかりませんが、いずれにしても多摩市の無力さを露呈した事例だと思います。

 行政の職員は法律に則った事務手続きを粛々と進めていくという立場かもしれません。でも少なくとも、市長はそうではありません。市民の立場にしっかりと立ち、まちづくりを進めるためには法律と戦わなければならない場面もあっていいと感じます。市長には勇気を持ち、市民の立場でまちづくりを進めてもらいたいものです。

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2006年01月18日

地域安全安心マップ

 昨年に引き続き、諏訪児童館、青少協、PTAが主催の「北諏訪地域安全安心マップづくり」が開催されました。今日は「説明会」、次回は「取材活動」、そして最終回は「まとめの作業」(地図づくり)と全部で3回の活動です。昨年は残念ながら参加できなかったので、今年こそ・・・と思い、子どもたちとともにマップづくりを楽しみたいと考えています。
 
 このような地域マップづくりの取組みは全国各地に広がっていますが、授業の一貫としてでなく(例えば総合学習の時間などに取組むのではなく)、北諏訪小学校区のように、児童館や青少協、PTAの連携のもとで行われることが大事なことではないかと感じます。地域の人と関わりながら一緒につくりあげることの意義が大きいでしょう。専門家もそのことを指摘しています。


 さて、この取組みが成功する秘訣はやはり「中心人物」たる‘まとめ役’といえるでしょう。参加する子どもたちから大人までをとりまとめながら、最終回まで導いていく役割を担う‘人’です。
 北諏訪地域の場合には要を担っているのが諏訪児童館の男性職員なのですが、とても上手に場づくりをしてくれていると思います。子どもたちの主体性をいかに引き出すのか、その‘コツ’を心得ています。子どもたちとの会話ひとつをとっても、非常に上手です。なおかつ、日頃からとても積極的に青少協の活動にも関わっていることもあり、地域の人たちやPTAの方々との連携もスムーズ。地域マップづくりとは実はとても大変な作業です。青少協のメンバーだけでもできず、PTAだけでも取り組めないことだと感じます。やはり児童館の存在があって初めて、地域マップづくりが成り立つように感じます。

 なぜなら・・・・もちろん前年度の実践があることに助けられているのかもしれませんが、場のコーディネートをしていく児童館職員がいてこその活動だからです。安全安心マップづくりに対する知識があり、そしてマップづくりのスキルに基づいた白地図の準備、事務用品など裏方の事前準備なども含め、支えているのは児童館職員です。その点で、北諏訪地域のマップづくりは、いまや‘まとめ役’を担っている職員の力なくしては成り立たない活動になっています。

 ここで、ちょっとひとりごと。「彼が諏訪児童館から他部署に人事異動してしまっても、この活動が継続されていくだろうか・・・・。」そのことが少し心配です。北諏訪地域はいい人材にめぐりあっている気がしています。
 
 

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2005年12月20日

またマンション問題が・・・・。

 南野地域に15階建てのマンションが建設される予定で、近隣住民に説明会が行われているところです。ちょうど尾根幹線沿いの角地です。これに関しては、12月上旬に建設予定のマンションの図面などを入手し、その大きさにびっくりしました。正直言って、周囲の環境にはまったく調和しないような15階という高さ。周辺の住環境のことを考えると、またマンション紛争が発生するのではないかと危惧していました。

 ちょうど、昨日の議会運営委員会では、当該マンション建設に関わる陳情が提出されており、住環境が著しく阻害されることになるような建設に歯止めをかけて欲しいという内容でした。建設事業者は近隣住民に対する説明を一応は行っているようですが、建設計画を変更する余地は見受けられない模様です。2月上旬から着工予定らしく、昨日提出されていた陳情の審査も少なくとも1月中に行って、結論を出さなければなりません。結論を出したところで、そのことがどのくらいの効力を持つのかが微妙ですが、陳情が提出されていることや、近隣住民の方の動きを重視して、行政には事業者への対応をしてもらう必要があるでしょう。 

 今、「(仮称)街づくり条例」が検討されており、先般は中間報告がまとめられていましたが、市民の関心はとても低いというのが実態のようです。中間報告の説明会への参加者もとても少ないと聞いています。マンション紛争などの発生を予防するためにも、この条例の内容には期待したいわけですが、いまいち市民の関心が低いようなので、ここは行政にももう少しPRをがんばってもらいたいところです。

 南野地域のマンション問題はどのような解決の糸口が見つかっていくのでしょうか・・・・。不安を抱えている住民の方の気持ちは穏やかではないと思っています。

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2005年11月07日

市長任せの危険

 「永山駅前雑木林を守る会」の会合。

 今日は新しい参加者も入れて、15名ほどが集まって、署名の進捗状況や今後の活動方向について議論しました。市議会への請願提出にあたっては、言うまでもなく、会合に参加している議員が所属する会派以外のところにも協力依頼をすることが課題です。2つの会派と正式な面談が必要なのですが、1つの会派については送ったファックスに何の回答もなく、もう1つの会派とは改めて日程設定をしてする運びになっています。

 それから今日までの経緯について情報交換。

 当該雑木林を所轄している都市再生機構の東日本支社長との面談を申し入れ、10月31日に代表を含めた数名が出向いたのですが、業務担当者にしか会うことができず、再度「支社長」に会うべく日程調整をしたいと考えています。・・・が、「そう簡単に支社長は市民には面会しないだろう!」「直接に話をすることは難しいのではないか」との意見が出ました。私も同感です。しかしながら、「市への無償譲渡」を迫るのであれば、やはり担当者では埒があかず、支社長レベルでの判断を仰ぐ必要になるでしょう。
 今回の都市再生機構の雑木林売却計画については、事前に多摩市に断わりをせずして市民に素案の素案?を公表した経緯があります。それに対して支社長がわざわざ多摩市長のところにまで足を運んで謝罪したらしいです。そのことを考えると市民との面会もできる可能性もあり、粘り強く交渉を求めなければなりません。もしも、許されるなら、市に仲介してもらうというのも手かもしれません。

 ところで、都市再生機構はグリナード永山から永山ハイツに行くための歩道橋の補修工事と「階段のつけかえ」を行い、雑木林を囲うための柵設置工事をするとしています。
 柵工事についてですが、下草刈りや木々の剪定などを行ったので雑木林内の見とおしも良くなり、スカスカの状態で、人が中に入りやすくなっている・・・・つまり立入禁止するために柵を設置するのだそうです。雑木林を市民から遠ざけようとするような柵を設置するとは・・・売却問題でピリピリしている状況をさらに刺激するかのような柵設置とは・・・誤解を招きます。でも都市再生機構は雑木林の「管理者」として柵設置を主張しているようです。(それならどうしていままで厳重に柵を設置していなかったのかと思いますが・・・都市再生機構も不思議な行動をとりますね。)
 今日の話合いでは「階段のつけかえ」工事の必要性について議論になりました。すでに工事については日程が示されているようですが、どういう工事をするのか、つけかえる橋がどんな橋になるのか等、確認しなければなりません。工事と雑木林との関係が気がかりだからです。これは全く別物として考えてもいいのではないか(階段つけかえ工事は都市機構から多摩市に歩道を移管するために行うようです)という意見もありましたが、「工事内容」が明らかでない限りは予断を許さないというのもわかります。

 都市再生機構の一つ一つの言動、そして多摩市(多摩市長)の動き方にとかく慎重姿勢で望まねばなりません。
 何しろ、先日の新聞報道により、市民の中には「すでに市長がが当該雑木林の買取りを表明したから大丈夫」と思っている人も多く、署名への協力を求めると「今更、署名活動をしなくてもいいのではないか。」と言う人がいます。でも、市長は買取るつもりかもしれませんが、都市機構は決して多摩市への売却を決定したわけではありません。その当たりを勘違いして、市長をあてにすることはできないのです。
 都市機構の担当者も「多摩市への移管を再優先したい。」と語っているそうですが、「100%の決定」との意志表示はしていません。

 市長の基本姿勢はあったとしても、「不確定要素」「不確実な要素」がまだまだ残されており(むしろ大部分が不安)、本当はそれらを明確にして、その上で市民を喜ばせて欲しかったと思います。(本当はそうすべきです。)今の状況では「本当はどうなるかわからない。」にも関わらず、少々見切り発車してしまっているように感じるのは私だけではありません。
 都市再生機構については、多摩市議会で採択された陳情に対しも、誠意を示してくれたかと思うと、蓋をあけてみれば、必ずしもそうでなかった・・・と思えるような事例(諏訪1丁目に10階建てマンション)があったばかりです。

 とりあえず、都市再生機構は21階建て高層マンションと3階建て商業ビル高層は白紙に戻したとしているようですが、これにホッとしていられないというのが守る会の立場です。引き続き、署名運動を活発化していくべく行動しなければなりません。
 その第1弾?として・・・。雑木林を毎日目で楽しんでいるかもしれませんが、中には入ったことがないという市民も多いでしょう。守る会では「現地案内」をして、雑木林を実際に体感してもらいたいと考えています。現在、枯れ枝や枯れ木、またゴミなどが目立っている状況らしく、それらの片付けを実施したいと考えています。それについては守る会のホームページをご覧下さい。近日中に日程が決定するはずです。参加自由です。(ただし、都市機構からのOKをもらわないと実現できないのですが)
 また署名に協力をしてくれる方、ホームページからも署名用紙がダウンロードできます。一人でも二人でも集めて下さると幸いです。

 市民が雑木林売却情報を知り、そして「守る会」を結成し、永山ハイツ住民有志との連携を図り、署名運動までに発展しつつある・・・その状況を市長が察知して、「買取り」という方針を急遽決定したというのは紛れもない事実です。しかし、それは「買取る予定」であって、価格交渉もまだほとんどゼロの段階に近く、本当に多摩市が雑木林を守ることができるのかは未定です。
 「任せる時代」は終わり。市民側でも主体的なる活動を展開し、「市民で雑木林を勝ち取る」という心意気がなければ、都市再生機構から無償譲渡は夢のまた夢、さらには市長の買取り交渉に際しても「金額に見合った‘緑’しか残してもらえない」という最悪な結末になるやも知れません。

 でも、守る会では「永山駅前雑木林」保全プランを準備したい!という意気込み十分です。

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2005年11月02日

けんもほろろ?

 諏訪1丁目の都市再生機構の土地処分先が決定し、まだ素案の素案の段階かもしれませんが、事業者より計画図が提示されました。この土地の処分については、3月議会に近隣住民から提出されていた陳情が採択されており、都市再生機構の対応が注目されていました。
 なんと示された図では、10階建!という高さでした。・・・確かに14階建てくらいまで建てられるという話があったので、そこから考えるなれば‘まし’と言えるのかもしれませんが、しかし、この計画に近隣住民が納得するのだろうか?と思います。現段階では、全部で82戸の予定とのことです。これは行政指導が入る前の図面だそうで、実際にはこれをもとに今後の微調整はするのでしょう。しかし階数変更などの大幅修正をする可能性はゼロに近いと思われます。なぜならば開発については、歩道の拡幅もしてもらえ、広場スペースの確保もされる予定で、行政としての条件づけには一定程度応えていると言えるのです。つまり、階数についても少しは譲歩しているとなれば、法律違反をしていない限り、行政がさらなる指導を講じることはなかなか考えにくいです。ちなみに、配置計画の基本的な考え方には「周辺環境に違和感なく溶け込む計画としました。」ということです。
 
 でも、陳情者であった住民の方々が望んでいたのはタウンハウスなどと同種の「低層住宅」だったはずです。議会での陳情の採択も、都市再生機構の前にはあっけなく敗退ということなのでしょうか?

 それにしても都市再生機構は土地を売却さえできれば、あとは開発事業者と住民との関係で交渉が進むことになり、「我、関せず」の立場へ。都市再生機構の身のこなしには目を見張るばかりです。不動産屋の都市再生機構がいかに上手く無責任体制を渡り歩いているか、この事例にも表われている感じがします。もちろん「高さは10階にまで下げさせることには成功しました。」と答えるのでしょうが・・・・。

 今日はこの土地のところを2往復したのですが、10階建ての棟が立つと「空、狭く感じるな・・・」と思いました。

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2005年11月01日

‘まち育て’の時代

 今日1日は毎年恒例の市制施行記念式典。自治功労賞や市民表彰が行われていますが私は欠席しました。私の感覚に照らすと、これらの表彰制度のあり方ももっと抜本的に見直すべきだと感じています。これだけ市民活動熱が高まってきて、さまざまな分野で活躍する市民が多くなり、なおかつ価値観も多様化している時代です。誰を表彰するのかしないのか、それに対しても様々な見解があると感じます。現在のように行政内部での基準(もちろんこれも一定見直しをかけているようですが)により、表彰するしないの区別をすることが望ましいとは思えないのです。例えば、市民参加で表彰の基準を作成してみるとか、市民参加で表彰者を選んでみる等、もしくはせっかくの自治基本条例の存在を考えると、自治推進委員会から推薦してもらうというのもあるかもしれませんし、工夫をしていく必要があると思います。
 そこで、私は北諏訪小学校で障害者への理解を深める行事「ひとときの和」への出席を優先したというわけです。「ひとときの和」は市内の学校を毎年2校ずつ開催される行事です。当該学校関係者と障害者団体の方々を中心メンバーとする実行委員会が企画し、児童たちとの交流を行います。午後からは全校児童が体育館に集まり、身体障害、聴覚障害、視覚障害それぞれの立場からのスピーチを聞いたのですが、子どもたちは両手を上げて、手をキラキラさせる動作が「拍手」だと教えられた次の瞬間から、拍手の仕方を変えました。その場に聴覚障害者の方が居あわせているとの認識が、即、「パチパチ」から「キラキラ」拍手へと変えたのだと思います。子どもたちの反応がとても印象的でした。

 さて、今日はうれしいお知らせです。都市再生機構がタウンハウス諏訪とグリーンメゾン諏訪の間に広がっている諏訪3丁目地域の緑地を多摩市に寄附する準備をしています。
 住人の方から、「当該土地を多摩市に移管するに当たり、緑地の名称募集の案内が出ている」との情報をもらったので、さっそく公園緑地課の担当の方に確認をしました。この場所については年度当初から、多摩市への寄附を要請していた緑地だったそうです。もうひとつ貝取緑地の一部についても同様の要請をしていたようです。この2ヵ所については都市再生機構が「寄附」を承諾してくれる格好になり、順次手続きを進めている状況とのことでした。緑地保全の観点からは喜ばしい話です。
 「諏訪3丁目の緑地を寄附するから、永山駅前の雑木林はあきらめてください。」というわけではないようなので安心しました。

 ところで、私はパルテノン多摩で行われたシンポジウム「高齢社会の新しい生活交通を探る」に参加してきたのですが、パネルディスカッションのパネラーだった都市再生機構東日本支社多摩事業本部長の発言に思わず拍手を送りたいと思いました。そして同時にその意気込みで永山駅前の雑木林のことも考えてもらいたいと強く思いました。
 というのは、「これからは街を熟成させていく時代」「まち育ての時代」・・・つまりニュータウンにおける都市再生機構の役割が、単なるハード面ではなくソフト面の充実にシフトしていくべきだという話をしていたからです。環境保全とか、高齢化に対して都市機構がどう役割を果たしていけるのかが課題という趣旨のことを言っていました。そうであるならば、不動産屋のように土地処分行為をしている現在の状況が発言にそぐわないのです。

 ぜひ、次には、永山駅前の雑木林も都市再生機構は多摩市に「寄附」してもらいたいです。


 もう一つ。こちらは9月議会の補正予算で私たちの会派が修正案を提出した乞田川の人道橋について。昨日の夜、東京都の説明会が行われたそうですが、そこに出席した人によると、やはり川沿いの桜の木を8本犠牲にするとのことでした。いただけない話です。年月を経て、大きく育ってきた桜の木。育つのは大変なのに、一瞬でばっさりと切り倒されるのかと思うと心が痛くなります。あそこは桜並木がとてもきれいだったのに本当に残念です。

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2005年10月26日

今年もやってきました。

 多摩センターでのイルミネーションの季節になりました。今週末は「ハロウィンIN多摩センター」が開催されます。つい先日には、新聞折りこみに11月15日の映画館オープンのチラシが入っていました。平日昼間の多摩センター、そして休日にも足を運ぶことがしばしばありますが、以前よりはにぎやかになっているように感じます。でも、多摩センターの活性化というのは、ただ単に人がいるだけのことではなく、経済的な活力をも底上げしていくようなものが求められているのです。
 その点から多摩センターの活性化を評価するならば、及第点にはほど遠いのが事実でしょう。映画館の効果が大きく期待されるわけですが、南大沢、橋本、新百合ヶ丘というライバルとどこまでしのぎを削ることができるでしょうか?
 お客さんというのは常に欲張り。できれば一つのところで複数の楽しみを享受したいと考えるのが普通です。「映画だけ」「イルミネーションだけ」しかなければ、満足度は低いわけで、その意味では「イルミネーション+映画」という組合せができたことには期待できる部分もあります。とはいっても、問題は昼間でしょう。そして昼夜限らずですが、私は‘コ洒落た’飲食店がない!という悩みはいまだ解消されておらず、これは致命的だなと思っています。

 ところで、多摩センターと言えば、パルテノン多摩。公募して他事業者との競争を経るという洗礼を受けずに、そのまま指定管理者制度に移行するそうですが、今よりもどのくらいサービス内容が充実するのでしょう。この間もとある人と話していた時に、「例えば午前中の利用は9時から。でも、9時前に行って会場準備などをしたいと思っても準備することが許されず、時間にならなければ鍵を借りれない!」、非常に不便だと言っていました。時は金なりで働いている人にとっては会議なども9時ピッタリから始めたいみたい・・・。でも、鍵の受け渡しをする事務所のところではすでに職員が勤務体制にあるにも関わらず、鍵を絶対に渡してもらえないという状況。これって「お役所仕事」と批判される仕事スタイルそのもののような気がします。厳格にするほうが間違いないというのはその通りかと思いますが、それならば準備時間分も含めて利用時間を10分でも前倒ししておくとかできないのでしょうか。指定管理者になれば、そのあたりも民間サービスを意識して変っていくのかどうか・・・。それにしてもパルテノン多摩って見れば見るほど、すごくお金のかかった施設だと感じています。ため息がでるほど「立派」。
 そういえばパルテノン多摩でも映画の催しがありますが、新しくできる映画館とどんな違いを出していくのかも楽しみです。今、映画館でも色々な割引制度が工夫されてきて、1,000円で気軽に鑑賞できるようになっています。団塊の世代層を狙っては既に50歳以上の夫婦割引もありますし。

 それはさておき多摩センターはこれからどんな‘まち’になっていくのでしょうか。むしろ、どんな‘まち’を目指しているのかという点で考えるとスーパー温泉ができるとも聞いています・・・・いまいち市長はどんな‘まち’のイメージを描いているのかがわからなくなります。一時は「音楽の街」とかっていう‘まちイメージ’があったやいも記憶してますが。多摩センターにてこ入れをするというのは市長の重点施策。でもそのイメージがなかなか伝わらない状況というのは、今も昔もそう変わっていないようです。

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2005年10月24日

雑木林のその後

 永山駅前雑木林を守る会の3回目の打ち合わせ。
 既に新聞(10月21日付読売新聞)では市長が「緑として残す。機構側とは価格交渉しようという話をしている」と述べたことが報道されています。しかし、買取交渉は正式なものではなく、ただ単に都市再生機構が(仮にもフライング的に)永山ハイツ住民に示した開発計画案が一応白紙(もしくは一時中断)になっただけとの認識を持つべきだという話になりました。都市機構側が今回の一件について市長に対する謝罪があったそうです。市の方には何の連絡もなく、住民に計画案を提示したことはやはり軽率だったと言うことでしょう。(当然のことです!)

 とはいっても、何せ、当初は10月に都市再生機構は開発事業者の選定に入り、来年3月には事業者の決定を行うという急なスケジュールまで示していたと聞いています。機構側は多摩ニュータウン事業の収束にあたり、切羽詰った状況にあるようで、何が何でも売れ残り物件(資産)を処分することだけに勤しんでいる様子です。もちろん処分する時には、それなりの価額が提示されるわけです。
 つまり、市長が「緑として残す。」としているかもしれませんが、それは今後の交渉次第。市長と機構側との価格交渉が成立する確約もなく、その保証がされているわけではありません。冷静に現在の状況を思うと、市長の発言を安易に受け止めることはできないでしょう。

 今日の会合では、「都市再生機構全体の財政状況は厳しいかもしれないけれど、多摩ニュータウン事業としては十分に採算がとれているのではないか」、そのことから「無償譲渡を強く迫ることもできる」という意見も出されました。しかし、中には「無償譲渡」が最も望ましいけれど、「お金を出してでも譲受したい」という熱意も同時に伝えていきたいという声もありました。
 いずれにしても都市再生機構に対し、当該雑木林がいかに貴重で大事な存在であるのかを説明しにいくことになりました。市民が雑木林を保全したいと考えている熱意を一日でも早く伝えに行くのです。最終的にどうなるのかはわからないものの、「雑木林を市民に」を合言葉にこれからの活動を展開していくことが共有化されました。

 それにしても、市長も機構側と早速に価格交渉をするとは・・・・。個人的には、まず手始めには「無償譲渡」の交渉から進めていくべきではないかと考えています。買取る姿勢を決して否定はしませんが・・・・。
 
 しかし、聞くところによると当該地の地目は宅地。平成15年ごろから、機構は住宅を建設したいと市に打診をしていたとか。それについて住宅は認めないけれど、駅前の活性化(商業施設など)に資する開発ならば一定程度認めるということで数回の交渉があったようです。
 そのことから判断すると、市長が「緑として残す」というふうに方針転換したのはいつ?・・・ついつい最近のことになるでしょうか。もちろん市民にとっては願ってもない方針変更とは言え、あまりにも簡単に「緑化基金で買取りたい。」と話している市長の気軽さに市民のほうが慎重になっているところです。
 「緑化基金を永山駅前の雑木林の保全だけに使うことはできないでしょう!」「全市的な視点を持って基金の取扱いだって考えなければならないのでは?」・・・雑木林を守る会の市民のほうが賢明でしょう。

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2005年10月18日

街づくり条例があったら

 今日の午後に行われた「街づくり条例案検討市民委員会」を途中まででしたが傍聴しました。ちょうど中間報告作成に向けての素案について意見交換でした。今日の会議を踏まえて中間報告を完成し、パブリックコメントを募集する予定になっている模様です。

 傍聴席で見てきた資料では、街づくり条例は「恵まれた緑や都市基盤と調和したまちなみや景観を守り育んで、次世代に引き継いでいくこと、市民、開発事業者、行政がそれぞれの責任と役割を自覚し、協働して街づくりを進めていくことが求められている。」という理念に支えられ策定することが書かれていました。この条例の策定までにはあとまだ一年ほどかかります。今日は、永山駅前の雑木林のことが頭にちらつきながら、傍聴席で座っていましたが、今の市内の開発状況などを見ていると、策定する頃には「時既に遅し」という事例がいくつもあるように思えてなりません。この条例の考え方に照らし合せるならば、もちろん永山駅前の雑木林が保全されて当然だと感じます。
 開発と保全とはいつも表裏一体の関係にあります。時代環境の変化により、今は「保全」に重きが置かれなければならないと考えています。街づくり条例ができる頃、都市再生機構は既に多摩ニュータウン事業から撤退しています。条例が策定手続き中であることを「これ幸い」とした土地売却が進んでいるように思えてなりません。

 さて、今日の市民検討委員会では市民への情報提供に関して有用な意見がいくつか出されました。中間報告を公表し、市民から意見を募集するにしても、その情報提供のあり方が非常に重要で、「わかりやすい資料づくり」を求める意見です。
 「きれいな言葉だけ並べた文章すぎると、市民には伝わらない。」(特に市民検討委員会でも熱心に議論されたところや意見をまとめるのに苦労した箇所などに、さらに市民からの意見を求めたいとする立場からは、委員会内でのさまざまな意見を伝えることも必要ではないかということ)、また、固定観念に結びつかないようには気をつける必要があるものの、ビジュアル的にとらえることができるような資料の必要性(文字情報ではイメージがわきにくい)、そして市民にとって「街づくり」という言葉そのものが非常にわかりづらいという意見(街づくり条例で言うところの「まちづくり」って何かを明らかにしなければならない。)もありました。これらは、一市民としての視点が生かされた大事な意見だなと思いました。
 最終的に取り纏めるのは事務局である都市づくり部になるので、その手腕が問われることになります。どんな風に意見が活かされてくるのかが楽しみです。
 それにしても私は「あ~、今すでに街づくり条例があったらなあ・・・・。」と心底その思いを強く持ちました。


 ところで、市民への情報提供に関して思うことですが、現在、多摩市では「ごみの有料化(減量化)」に向けた全庁的な取り組みをしているはずですが、ホームページを見ても、その熱意が伝わってこないのは大変残念です。例えば出前説明会なども行っているのに、トップページではそのことが全くPRされていません。全体眺めてみましたが、ごみの問題に関することがトップページで強調されていないのは不思議です。並々ならぬ決意を持って「ごみの有料化」に取り組むことを宣言していたわりには・・・と思います。市長メッセージが更新されて「公共施設の使用料」の話題になっていますが、前回9月の「環境問題(ごみ)を考える ごみの分別・資源化と処理について~現状とこれから~」を引き続きトップページからのワンクリックで見ることができる必要もあるでしょう。(公共施設使用料ももちろん大事ですが。)
 自治基本条例ができ、情報公開や情報共有の点からもホームページの充実については、市長もかねてから認識していると答えています。市長はこの週末、駅前にて有料化導入に向けたキャンペーンをやる予定みたいですが、それよりもまずは、ホームページ上で市長の熱意が届くようにすべきでしょう。ホームページは今や情報発信の媒体として無視できない存在です。市長が一市民としてホームページを見た時、どんな評価をするのかなと思う今日この頃です。

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2005年10月13日

雑木林を守る会・進捗状況など

 永山駅前の雑木林を守る会の会合があったので、参加しました。この会の代表者が決定しました。多摩市民環境会議などでも活躍されている浅井さんです。永山ハイツ住民でもいらっしゃいます。
 さて、昨日あたりは雑木林にショベルカーのような工事車輌が到着していたようです。草刈りなどをしていますので、大量に発生した「草木枝」を回収するための道具?・・・かもしれませんが、こんなに状況的にはピリピリしている中で、ショベルカーが来るとそれだけで不信感が募ります。私は今日は駅側から雑木林を眺めてみたのですが、ずいぶんとサッパリしてしまったと思います。ひつじ牧場で毛の刈られた羊がいますが、そういうイメージです(ちょっと極端?!)。
 今日の報告では今週土曜日には「雑木林を楽しむ会」が永山ハイツの集会所で会議を持つことや今月末に都市再生機構が永山ハイツ管理組合との意見交換会をする予定になっていることが報告されました。土曜日の「雑木林を楽しむ会」はこの事態を受けて、俄仕立てで結成された会ではなく、こちらも永山ハイツ住民の方が中心になり、従来から活動を続けている会です。14時からの会合には市民で関心のある方にも集まってもらいたいとのことでした。
 都市再生機構が住民に示した素案(機構側はあくまでも一例に過ぎないとしているようですし、確定したわけでもない・・・と説明しているようですが)をきっかけに広がっている波紋ですが、これを契機に、多摩市内全体の「みどり」の問題を考えていくような流れをつくれる可能性が大きいです。永山ハイツ住民だけの問題ではなく、多摩市全体の問題もあるという認識が今日の会合に集まってきた市民の方々で共有されています。私も個人的には多摩市のまちづくりの流れを変えていけるかもしれないと期待しています。
 現在の市内の状況としては、超高層の大型マンションが至る地域で建設され(もしくは建設予定で)、そしてミニ開発される地域も増えてきました。開発することを全部否定するわけではありませんが、行け行けドンドンで人口増を願った開発が進められている傾向が強いです。市長は人口増を狙ってか住宅の建設を進めていますが、多摩市の状況を見ると住宅が建設されているわりには人口も世帯も微減傾向が続いています。この状況に市長がどう考えているのかは明らかにされていません。ちなみに前にも書いたかもしれませんが、多摩センター地域に完成済みの新規分譲住宅ですが市内での移動が半分以上ということがわかっています。

 「みどりを守る」というのは、ある特定地域だけの問題ではありません。大げさかもしれませんが、多摩市のみどりを守ることが多摩市だけの問題でもないように、今回の雑木林を守ることが、特定の狭いエリア、言ってみれば永山地域だけの問題でもないのです。
 いい方向に事が進むことを願って、活動に関わっていきたいと思っています。 

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2005年10月06日

もっと高層だった?

 グリナード永山2号館は増改築工事がほぼ終了して、あとは建物内の店舗のオープンを待つばかり。自転車置き場も有料で約200台。有料駐輪場といても3時間は無料で、そのあとは5時間ごとに100円なので、永山周辺で買い物をするくらいなら十分に無料時間中で対応できるとは思います。それにしても、オープンしてから3日間、天候の悪さも手伝って駐輪場は閑古鳥がないています。昼過ぎには2台だけ停車しているのをみかけました。

 さて、すぐ近所に住んでいる橋本議員とともに管理会社の新都市センター開発株式会社に話しを聞きに行きました。予想通り・・・?今まで飲食店舗が軒を連ねていた1階部分、そして2階部分は現在1階で営業しているパチンコ店がフロア拡大すること、3階部分にはパチンコ店の事務所と飲食店が2店舗入居するとのことでした。
 昨日も北諏訪地域の青少年問題協議会があったのですが、そこでもどんな店舗が入居するのかが話題になっていました。特にゲームセンターになるのかどうかで不安の声があがっていたのですが、パチンコ店であればとりあえず「18歳未満お断り」ですので、落ち着けるのだと思います。

 私は永山駅までの通路の封鎖が解除されてから毎日のように通行させてもらっています。以前に、新都市センター開発株式会社の担当の方に住民の一人として電話をかけた時には、「あそこの通路は当社のもので、道路ではありませんので。」という口調で、他人の敷地を横切って駅までの近道をさせてあげているんだと言わんばかりの説明を受けたわけですが、今日の話合いはとっても穏便に私たちの要望を受けとめて下さったようです。
 まずはガラス張りなので、パチンコ店の様子が外から丸見えになるのか?という問題。これについては目隠しをしてくれるそうです。多摩センター駅下のパチンコ店(経営者が同じ)は外から中がかなり見える状況です。それよりは目隠ししてくれるように・・・今後調整してくれる予定とか。
 私は通路がずいぶんと狭くなってしまって、気になっていることに愛煙家と嫌煙者といかに共存できるのか?という問題があります。健康増進法ができて、駅構内での喫煙が全面禁止されてから、改札抜けたとたん煙草に火をつける人が増えました。子どもたちも通りますし、特にタバコを持っている人が手を下ろすとちょうど小さい子どもの顔の前あたりだったり・・危険だなと感じることもあります。通路が狭いことを考えるとなおさらです。できれば「禁煙のご協力」の貼り紙でもしてもらいたいとお願いだけしておきました。
 それから、タバコの問題で言えば、ちょうど駐車場からの出入り口付近は「喫煙所化」していることがしばしばです。それについても対策が欲しいと思っています。

 それにしてもあの通路。ちょうど諏訪1丁目側から歩いて、駅方向に曲がる瞬間の角が危険です。向こう側が見えないので、自転車などがきた場合などぶつかる可能性が大きいと思っています。カーブミラーでもつけてもらいたいぐらいに危険です。私も通行したその日から人とぶつかりそうになったので、余計に安全確保の点では心配があります。
 あと、パチンコ店には開店前、店舗入口付近に列ができますが、それについても聞いてきました。2階入口には列をなさないように店舗側と調整をしてくれるみたいです。
 それから、今、ちょうどシェフワールドの改装が始まりましたが、テイクアウト用窓口を設置するとか。駅の北口側も一層、にぎやかになりそうです。にぎやかになることを否定するわけではありませんが、にぎやかになればなるほど、ごみが増え、ごみが散らかる可能性が高いです。新都市センター株式会社には敷地内の清掃をマメにしてもらいたいものです。

 いろいろな思いを要望してきたわけですが、会社側からは「実はもっと建物の高さを高くする計画もあったんですよ。」という話しがでました。住宅を上に乗せようかという話もあったみたいですが、新都市センター株式会社が住宅を手がけたことがなかったので、取り止めたそうです。ここは、ただの話しで終わって良かった…と思いますが、これは不幸中の幸いってこと?!でも、ニュータウンの玄関口でもある駅前。パチンコ店による賑わいというのは、やっぱり似合わないなあと思っています。

#永山駅前雑木林を守る会
市長との面談が「10月20日(木)1時~1時30分」と回答されたようです。
こちらの希望にすべて添えるというわけではないと思いますが、ホームページで公開されている市長の予定を見る限りでは、それ以前でも「昼休み」の時間であってもあうことが可能?もしくは夜間でも???
これも、きっと優先順位をどうつけるのかで変わってくるのでしょう・・・ね。

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2005年10月03日

雑木林を守る

 昨日、パルテノン多摩で開催されていた「環境フェスタ2005」に足を運びました。多摩市民環境会議が主催です。市民による循環型の暮らしづくりがテーマでした。この週末は小学校の運動会やら、地域のお祭りやら、イベントが目白押しでした。そのために参加者がいまいち少なかったのが残念ですが、シンポジウムの内容や展示など、とても充実していました。
 ちなみに、「エコライフ度」のチェックは結構参考になります。毎年私もチェックしながら自分の生活を見なおしてみるのですが、「エコライフチェック」のなかで私が相変わらずできないのが「シャワーの流しっぱなし」「食器洗浄の時の水の流しっぱなし」。ライフスタイルを変えることなしに環境問題を語ることはできず・・・また心を入れ替えて、「心がけ」をしたいと思いました。
 「環境にやさしい生活」というのは難しいことではありません。簡単に取り組めることから進めたいものです。例えばレジ袋の削減の取組みから。今週末の5日水曜日は「レジ袋NOデー」。そして多摩市内で行われる「ノーレジ袋キャンペーン」は今週8日土曜日(正午から1時までがイトーヨーカドー(多摩センター)、2時から3時がグリナード永山(永山)、4時から5時が京王ストア(聖蹟桜ヶ丘)の予定)に行われます。ごみの減量に取組んでいる市民の方が中心となり、行政職員と協力をしたキャンペーン活動を展開します。最近はコンパクトなマイバックも登場しています。マイバック持参でのお買い物スタイルを広げてきたいものです。
 昨日のシンポジウムでは「昔は買い物篭を片手に、買い物に出かけた。」という話がありましたが、「買い物カゴ」と言ったら、スーパーマーケットに置いてあるもので、家から持って出かけるという発想がないなあと感じました。


 さて、今日は永山駅前の緑地開発のことについて意見交換会をしました。先週の金曜日、実は市民の方とともに公団の職員が当該緑地(雑木林)の自然環境調査を行っています。約1時間ほど、タマノカンアオイ探しと植生観察と草刈り、伐採作業の進捗状況の確認を行ったようです。その報告によれば、「タマノカンアオイ」については見る術もなく、すでに犠牲になっていたものが多数あると言うことです。
 都市再生機構側はニュータウン事業を来年3月に終わらせるわけですが、それまでにとにかく売却の目途をつけたいとのことで、民間でも多摩市にでも購入してもらいたいと漏らしていたそうです。市が購入できないのであれば、‘やむを得ず’他に売却しなければならないとか。
 ちなみに、既に当該土地の測量が終わっているそうです。ここは大きなポイントとか。測量が終わっていれば、あっという間に売却までの手続きを進めることが出来るとの話をききました。つまり、都市機構では着々と売却の準備を進めていて、あとは看板を立てるだけ・・・ということでしょうか。でも、今年度の都市再生機構の土地処分計画に当該土地は入っていないとのことで、それだけ急浮上の開発計画。何が都市再生機構をそんなに急がせ焦らせているのでしょう。
 
 それから、都市再生機構は、グリナード永山から永山ハイツへの歩道橋の途中右側の階段を、「維持管理のため」とかで、1~2ヶ月のうちにつくり直すと予定らしいです。
 この件では市長も「緑地を守りたい」という考えを述べていますが、しかしどこまでその言葉どおりに動いてくれるのか未定です。都市再生機構の急ぎ方を見ていると、それにしっかりと追従していくには、多摩市の意思決定もそう時間をかけていられる問題でもありません。都市再生機構は多摩市との間で土地処分をする際のルールを約束しています。しかしながら、今回はそのルールを無視するような進め方。それについても疑問です。「都市再生機構のフライング」なのでしょうか。現状を見聞きする限りでは「フライングであって欲しい」と願うばかりです。
 議会としても超党派の議員でネットワークで、当該雑木林を守るための取組みを進めていきたいと考えています。 

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2005年09月15日

強引に進むのか?緑地の開発

 永山駅前の緑地開発について。多摩市は一体、どのくらい強く「緑地保全」の意向を示したのでしょうか?今日はその続報ですが、永山ハイツの管理組合には【草刈り】【間伐】といきなり今日から10月末までに実施するとの貼り紙があったらしいです。土地利用については、まだ何も決まってなかったはずなのに・・・・。多摩市の意向はどんなにして汲み取ってもらえたのでしょうか?緑地の維持管理だとはいうものの、一ヶ月半もかけて実施する草刈と間伐とは?またまた、明日にでも多摩市にもそのことが伝えられているのかどうかを問合せしなくてはならないと思っています。

 ところで、今日の文教常任委員会では、かなり注目されていた「第1小学校に自校方式の給食を」と望む陳情は全会一致で趣旨採択になりました。
 この陳情は、現在進められている第1小学校の建替え事業に際して、給食の提供方式を変更し、現在のセンター方式から自校方式にしてもらいたいという内容でした。建替え事業は市民参画のワークショップ方式で実施されてきました。私も基本設計を考える市民ワークショップに参加をしていましたが、そのときに「自校方式」を主張したものの、多摩市の方針では自校方式導入の考えはないことが教育委員会の方から示され(当然ながら市長も了解しているはずだが)、最初から「センター方式」を前提として議論が進んできた経緯があります。
 その後、今年になって食育基本法が制定されるなど、社会環境も変化しているものの、教育委員会では多摩市の給食については「センター方式」を継続し、その中でよりよい環境整備を模索し、念願の強化磁器食器導入の実施がここにきて見えてくるようにもなりました。

 そんな中で浮上してきたのが「自校方式」という問題。もちろん、私もよりおいしい給食を望む点からは「自校方式」に大賛成。でも、今回の陳情をすんなりと受け入れることはできないというのが正直なところです。というのは、今議会の一般質問でも明らかにされたのは、どうやら「自校方式」を切望しているのが市長であり、教育委員会にも正式な検討依頼を出していないということ。
 仮に、第1小学校の建替え時に「自校方式」の導入を考えているのであれば、しかるべく手続きにのっとってまずは教育委員会に依頼をするのが筋です。市長のポリシーとして「自校方式」があるのであれば、教育委員会は市長から独立していることを十分に考慮した上での行動が求められます。
 しかしながら、行財政再構築の方針では「自校方式」の件など、どこにも掲載されておらず、給食についてはセンターの改修と統合、さらには民間委託検討の方向が示されています。(市長もちゃんと把握しているはず。)これとの整合性はどうなっていくのでしょう?
 しかも、第1小学校の建替えそのものも、市長の「お金がない宣言」によって、既にそのスケジュールが先送りになっている状況があるわけです。基本設計の完成に至る経過では、第1小学校の児童からも絵や作文などで意見表明の場がありました。「スケジュール通りに実施できない。」と言われたとき、子どもたちの夢が一瞬は危機にさらされて、本当に心が痛んだものです。

 にも関わらず、市長は一般質問の答弁の中で「私としては3年前に自校方式を検討するように依頼をした。」と言っています。それに対して「いつなのか?」を尋ねられ、学校教育部長が「正式には依頼されていない。」と答えると、その後の小休憩の際、議場の場で当該部長のところにまで顔色を変えて部長のところにまで歩み寄っていたのを目撃しています。・・・・・そして部長は休憩の後に「教育委員会の事務局には依頼はありました。」と答弁を補足したのですが、その一連の状況を見ていると「多摩市の組織運営は一体どうなっているのか?」と疑問に思えてなりませんでした。
 どんな依頼をしたのかはよくわかりませんが、「教育委員会」と市長との足並みが乱れていることは誰の眼から見ても明らかになったことは言うまでもありません。

 いずれにしても、以前に市長と意見交換をした時には自校方式・・・・でも民間委託・・・・そしてなるべくコストを削減するためにNPOに委託をする・・・・という考えを知っている私としては、安易に「自校方式」を進めることのほうが危険だと思っています。
 しかしながら、ここにきて「自校方式」への思いをちらつかせながら、しかも、第1小学校でそれが可能かもしれない・・・と言いながら、一般質問の答弁に立つ市長を見ていると、もっと早い段階で方針を出すことが必要だったのではないかと思えてなりません。 
 

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2005年09月13日

陳情を採択しても・・・

 昨年の議会で採択されていた百草団地にコミュニティ施設の整備を求める陳情が、ほぼ前回と同じ文書内容にて今議会にも提出されていました。
 内容は、百草団地内にある百草会館(集会所)を改装して欲しいというものです。市内の各地域にはコミュニティセンターがあり、高齢者の憩いの場として利用されているように、高齢化が最も進んでいる百草団地にもくつろぎのスペースがあり、交流できる場所をつくってもらいたいという要望です。

 今日の委員会では、陳情が採択されてから今日までの間、一体どんな取り組みをしてきたのかを問う質疑がありましたが、結局は「ほとんど何の取り組みもしていなかった。」ことが明らかになりました。それに対しては「いささか不満」との意見がありましたが、私もそれには同感でした。あわせて陳情採択の意味とその効力についても、改めて考えさせられた次第です。結果的に、委員会では「趣旨採択」になり、私も同様の結論を出しました。
 「趣旨採択」というのは不透明さが残る結論とも言えますが、今回の陳情では市内の他のコミュニティセンター施設などと同様に「お風呂」の設置も含まれているようだったので、その部分についてはどうしても後押しできないと感じました。「採択」と言いきるには難しいのが実情です。

 しかしながら、やはり百草団地にはその地域の特殊性を考慮して、今後どのようにこの地域に活力を持たせるのかを考える必要があるでしょう。第4次総合計画では百草団地は和田に計画されているコミュニティセンター(コミセン)と同じコミュニティエリアに属するとしてあるわけですが、コミセンには駐車場を設置しない方針からもわかるように、基本的には「徒歩圏」が一つの目安になり、それに基づいたエリアが設定してあります。でも、百草団地まで含めた現在のコミュニティエリアの考え方は変更を迫られていると感じます。なぜならば、仮に和田にコミセンが完成したとしても、百草団地在住の高齢者がわざわざ徒歩で通うとは考えにくいからです。高齢者になると行動範囲が次第に狭まってきますし、百草団地の立地条件を考えても、これを見直す必要性は高いでしょう。 このコミュニティエリアを見直すかどうかで、行政が描く今後の高齢化社会像が見えてくる感じがしますし、それへの対応姿勢が明らかになる気がしています。

 陳情では施設の維持管理などへの住民の協力は惜しまないことも述べてありましたが、高齢者が多いことを考えれば、どのような負担を求めていけるのかは熟慮すべきだと思っています。百草団地は賃貸住宅ですので、さらに維持管理に住民の金銭的な負担を求められるのかということも含めて、考えていかなければなりません。そう簡単に、住民の求めているコミュニティ施設ができるのかどうかはわからないものの、施設的には少しの改修など、工夫を施すことで住民要望に合致する部分を見つけられる可能はあるでしょう。まずは、既に採択された陳情への取組みが不充分だったことを踏まえて、要望者である住民の方々と地域の将来を見据えながら早急に協議をスタートすべきです。
 
 それにしても、今回のように、またまた同じ陳情の提出という事態が起きぬよう議会の「監視」機能を高めなければと思っています。

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2005年09月12日

一夜明けて

 選挙が終わりました。できる限りの手は尽くしたので、悔いはなく、これから進んでいく改革を見守るしかないなと思っています。私が応援していた石毛えい子さんが事務所びらきで述べた言葉が印象的でした。「あのヒットラーも国民の選挙によって、国民合意の中で選ばれた人。」。
 
 ところで、また開発の話が浮上してきたようです。場所は永山駅の南側、永山2丁目ですが、JTBのビルの北側の雑木林のところです。「多摩市には緑が多い。」、多摩市内の駅を降りたって、そのことを最も印象付けるのは永山駅前だと思っています。
 なんとそこに21階建ての住宅と3階建ての商業ビルの計画があるようです。永山ハイツの管理組合の方に都市機構から話があったとのことで、「多摩NT永山二丁目地区の土地利用の概要(案)」(H17.9.8 都市再生機構 東日本支社 業務第一部)という文章と添付した写真のような模型が、突然に示されたみたいです。住民の方から、あまりにも唐突なので驚いたので私に問合せがありました。しかし、私もそんな情報聞いたことがなく、以前から、都市機構が駅前開発を考えているらしいとの話は耳にしていたもののまさか・・・と思いました。環境に関する活動をしている市民の方からは、当該雑木林にはまだまだ貴重な動植物が生息していると聞いたことがあります。市でも調査をしていた記憶があります。
 計画はもちろん素案とされていて、これから話合いのなかで変更の余地もあると考えられます。今、示されている案でも敷地の半分は緑地として残すとしてあるようですが、雑木林を分断するかたちでマンションとビルの計画がされているために、当然ながら「けもの道」は断絶してしまいますし、狸などは住めなくなります。

 さらには、10月に都市再生機構はデペロッパーと交渉開始して、来年3月には決定し、開発を進めていくという急なスケジュールが示されたとのことです。私はこれを聞く限りでは、そして模型なども完成していることを考えると、既に交渉が成立しているの???と疑ってしまうわけですが、まさかそんなこと・・・あるわけないと思いたいです。

 早速、今朝は選挙明けとのこともあり、永山駅で挨拶をしました。ちょうど他党の議員さんもいたので、当該開発のことを聞いているのかを尋ねたところ、みんなが「知らない。」と言っていました。私も昨日の夜から選挙の結果以上に気になって気になっていたので、朝一番に都市づくり部長に電話をかけてみたところ、「そのような話は聞いていないし、都市機構の開発の意向を受けながら、まだ交渉中なはずだ・・・都市機構に確認をしてみます。」という返答でした。確認次第、その結果を教えてもらえるように依頼しましたが、今のところまだどうなったのかわかりません。

 今、ようやく「まちづくり条例」の策定をしているのですが、制定まではまだ一年ほどかかります。その間にどんどんと緑がなくなっていくとしたら・・・・「多摩市は緑が多い。」なんてPRすることはできなくなるでしょう。

 もちろん、この話が一人歩きしてしまっては困るわけですが、「模型までが住民に示された。」ということは事実です。この事実に沿って、今後、議会としてもどのように対応していけばいいのか考えていくことが必要です。この開発が本当に私たち多摩市民のための開発につながっていくのかどうか熟慮しなければならないでしょう。市民がどうしたいのかを一番に考えなければなりません。

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2005年08月08日

障害者の自立は・・・

 予想通り、衆議院が解散してしまいました。9月議会前というのに・・・またもや選挙か・・・都議会議員選挙が終わって、やっと落ち着いたところなのに。

 今日は厚生産業常任委員会があって、午前中は第2次健康福祉推進プランの改定に向けての説明と質疑、そして午後からは総合福祉センター内の第2つくし作業所すぎなの友生活訓練所、そして永山にあるつくし作業所の見学、あわせて社会福祉協議会の職員の方より説明や意見交換などもしました。

 障害者支援という課題は、今年度の当初予算が否決されたことに大いに関連する問題です。実際に現場を見て、もう一度、議会として考えていくことが必要だろうという問題提起もあり、市内の障害者関連の施設を順次、視察する方向です。今日は第1日目で、まずは渦中に置かれていたつくし作業所と第2つくし作業所の見学をしたのでした。
 昼下がりの施設はすぎなの友生活訓練所も含めて、とてもゆったりとここちよいペースで作業が行われていたような気がします。見知らぬ集団が突然に施設の見学と言うこともあり、もしかすると作業の邪魔をしてしまうのではないかと心配しましたが、作業をしている方々は平素と変わらず、指導員の指示に従いながら、コツコツと作業に取組んでいました。

 そういえば、衆議院が解散したので障害者自立支援法案も廃案になっていくのだと思いますが、「自立支援」って本当に難しい問題で、当事者を含め、現場で彼、彼女らを支えている人たちは本当に精一杯だなと感じます。今日も、そのことをまた一段と強く肌で感じた次第です。

 作業所で行われている作業には自主作業と受注作業があります。自主作業には陶芸品、紙漉き製品(今、とても忙しいそうです。丸いかたちの葉書が人気で、注文が殺到していて、作成が追いつかないぐらいとか)、そして公園の清掃なども行っています。そして受注作業と言うのは企業、事業者などからの軽作業の受託です。例えば今日、つくしさ業所では(紙)袋の取っ手をつける作業が行われていました。
 もちろん自主作業がどこまでできるのか、それによってどれほどの収入を獲得できるのかという面もありますが、やはり作業所では受注作業頼みの部分があると思います。しかし景気の低迷とともに受注が減少しているようです。特に企業は低賃金を求めて、海外の労働力を求めるようになっており、作業所は苦境にたたされているのです。

 障害者の自立が言われていて、自立を支えていくとはいうものの、作業所で働くみなさんの平均賃金は一人あたり月4~5千円が平均なのです。それに障害者年金が加わったとしても、それで十分に一人で自立して暮せるという状況には至らないのが現実です。だからこそ、親やまたは兄弟との同居に頼らざるをえないのです。もちろん委員会で見学をしたのが知的障害者の施設であることを前提に今日の活動報告を書いているので、障害者全般にこのことがあてはまるものではないと考えていますが、いずれにしても障害者の自立というのは一筋縄では解決できない問題です。

 見学から帰る車の中ではすっかり選挙のことが話題の中心で盛りあがっていました。私たちのくらしにとって大切な問題を見失わないような政治を進めていきたいものです。郵政の民営化だけが大問題ではないのです。

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2005年07月29日

総合計画の改定に向けて

 第4次総合計画について来年度から5ヵ年分の基本計画の見直しが進められています。今年の1月から総合計画審議会が開催され、議論が続けられています。議会選出の委員として途中まで参加してましたが、議会選出委員が退任することになった以後、たまたま日程の都合もつかず傍聴にも行けずじまいです。ホームページに掲載される議事録などを目を通したり、議会図書室に配架されている審議会の資料一式を時々見ていますが、その中に「こどもアンケート」の結果が公表されていました。まちづくりへの子どもの参画の一環で行われたアンケートだと思いますが、このアンケート結果をどのように生かしていくのかに注目をしたいです。
 アンケート結果からも一定の子どもたちの意見を掴み取ることができるわけですが、本当は子どもたちもまじえた議論の場があり、年齢関係なく ‘まち’のことをざっくはらんに話し合える場があるといいなと思いますが、まだまだその取組みが日常化されるためには時間がかかることでしょう。
 
 さて、自治基本条例により、審議会などへの市民参画も積極的に進めようとしていますが、明日の午後に総合計画審議会が主催のフォーラムが開催されます。
 平日の夜に開催されている審議会ですが、毎回数名の傍聴者がいるものの、なかなかその数には広がりが持てません。明日のフォーラムについても広報で周知はなされていたものの、どこまで開催のことが伝わっているのかなと思います。残念ながら、明日も私は参加することができないのですが、毎回2時間という限られた時間の中で膨大な資料を読みこなしながら(それはそれは非常にたくさんに資料で、これを消化するだけでも大変だと思われます。)、今までに積みあげてきた議論を少しでも多くの人達に共有できる機会になることを願っています。

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2005年07月21日

たま・まちせん

 今日はニュータウン地域の「住み替え」のことについて、専門家の話しを聞きに行きました。NPO法人多摩ニュータウンまちづくり専門家会議(たま・まちせん)の代表の秋元さんです。秋元さんは市内で建築研究所を開かれています。ちなみに明日、たま・まちせんの木曜サロンが開催される予定です。
 ぜひ、たま・まちせんのホームページをご覧いただきたいと思いますが、設立趣意書にあるように

 『私たちは、ニュータウンを愛する生活者の一人として、また、地域で活動するまちづくりの専門家として、住民のニーズを汲み取り、地域の様々な課題を解決するため、地域住民との協働によるまちづくりに取り組むことを目的として、「多摩ニュータウン・まちづくり専門家会議」(略称「たま・まちせん」)を立ち上げました。』

 「ニュータウンを愛する生活者の一人として」・・・本当に発揮される‘まちづくり’の力はここから生まれるのだと感じます。ニュータウンの住民としても、そして、もちろん「専門家集団」という点からすれば行政にとっても心強い見方です。公団や東京都よりも真剣に、この‘まち’の未来を考えてくれていると感じます。

 結局、秋元さんの話しで最も強調されていたことは「自分たちから動かないと行政を変えることは出来ない(ここには公団なども含みますが・・・・)。初めから、行政に期待はしない・・・というスタンスが大事。」ということでした。これは確かにその通りだと思いましたが、「自分たちで動く」という時に、まずはその動き方さえわからないという場合も少なくないと考えます。だからこそ、そこに「たま・まちせん」のようなサポート隊が果たす役割が大きくなってくるのでしょう。そう思いました。
 そしてもう一つ。住宅政策についても公営住宅の役割等を中心に話しをしてもらいましたが、現在、国土交通省では「新たな住宅政策に対応した制度的枠組みはいかにあるべきか」報告案に関しての意見募集を行っていることを紹介していただきました。これはかなり膨大な資料なのですが、さらりと見た印象から言えば、かなり専門的な様子で、資料なども含めて最後まで読めるかどうかが心配になってきました。
 こういうものにパブリックコメント(意見募集)を行うとのことですが、一体、どなたから意見を募集したいのかしら?・・・と素朴に感じてしまいました。

 ニュータウンの問題にも関係がありそうです。ぜひ、「たま・まちせん」の皆さんをはじめとして、行政の皆さんにも国の政策に対して意見をビシバシ、ドシドシと投げてもらいたいものです。

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2005年07月20日

多摩センター駅出張所

 今日は国際クラリネット祭を眺めてきましたが、その帰りに多摩センター駅出張所に立ち寄りました。先週から移転しているので、少しは落ち着いただろうと思ったからです。
 カリヨン館8階で非常に静かなところにありました。以前は線路の高架下だったので、電車が通過する度にガタガタ音があったわけで、その意味では私は移転してよかったと思っています。なぜなら、職員の立場で言えば、職場環境は決して良好とは言えなかったはずです。落ち着いて座って仕事してはいられないような環境だったと察します。しかし慣れというのは怖いもので、きっと、そのうち電車音も気にしなくなってしまうでしょう。こうなっては完全な「職業病」です。ここからまずは脱することが出来て何よりです。

 ところで多摩センター駅出張所ですが、かなり広い空間が確保されていて、先日の都議会議員選挙の時には駅前投票所としても活躍していた場所でした。フロアのちょうど中間あたりには間仕切があり、ここで区切れば、一つは立派な集会室としても活用できそうです。多摩センター駅前には地区市民ホールが廃止され、多摩ヴァンサン館もなくなってしまい、会議室の要望が高いので、ぜひ、ここを前向きに活用していけるように考えたいものです。きっと、施設の管理との兼ね合いもあり、いろいろと調整が必要になってくると思われますが、工夫できるかもしれません。
 こんなに広いスペースがあるのならば、時々出張相談会的なもの等もできそうですし、何かいろいろと活用のしがいがありそうに感じます。それにあまりにも白い壁が寂しいので、市民にちょっとしたギャラリーとして開放するというのもいいかもしれません。
 まだ、移転してから一週間しか経っていないので、今はやっと引越しを終了して落ち着けたところだと思うのですが、あまりにも静か過ぎる出張所というのも寂しくて、なんとなくこの寂しさが‘まち’のイメージになりやしないか・・・とすら思ってしまいます。これは考えすぎかもしれませんが、もしかすると、多摩センターに初めて来た人が、多摩市のことを聞きたいなと思った時、フラリと立ち寄るかもしれません。そんな場合に備えてみてもいいのかも・・・と思いました。

 それから、国際クラリネット祭ですが、会場のパルテノン多摩の中は少々熱気溢れていましたが、多摩センターの ‘まち’全体の雰囲気的には・・・・いまいち・・・と思いました。多摩センター活性化関連の補助金がいくばくかでもついていたことを考えると、‘まち’全体で盛りあがりたいと思いました。駅からパルテノン多摩までの大通りの街頭にはペナントがぶら下がっていましたが、何だか物寂しい感じがありました。聞くところによると、先日のパレードなどは相当な反響ぶりだったそうですが、「休祝日」「平日」関係なく、ムードをつくる工夫こそが大事なのではないかと感じました。
 ちょっと気になったのは協賛企業などに地元の企業の名前がなかったこと。普通だったら、多摩センター周辺の企業なども協力するのになと思ったのでした。そうすれば、もしかするともう少し‘街ぐるみ’という色合いも強くなり、遠方から(海外からも)はるばる足を運んでくれた人たちに「多摩センターがいい街だった。」って感想を持ち帰ってもらえるかも(ただし、その時だけでは仕方ないという意見もあるとは思いますが)。
 それにしても、国際クラリネット祭の実行委員会と地元市と連携というか、そのあたりを上手にコーディネートするというか、もう一捻り必要だというか・・・・。いまいち噛み合っていないように感じられたのが残念でした。
 

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2005年07月14日

住み続けられ街を目指すためには

 生活者ネットワークの調査活動として、旧公団の賃貸住宅を中心に「住み替え」の調査を行いました。約300弱の方から回答をもらいました。一軒一軒訪ね歩いて、ヒアリングによる聞きとりをして少しだけその実態が明らかになりました。

 それは住み替えを希望している人のなかで約半数以上が、同じコミュニティー内での移動を希望しているということです。今、旧公団の賃貸住宅の中には高齢者に対応した低家賃の住宅がありますが、同じ住区の中の高齢者用住居に移動出来る確率はとても低いと言います。歳を重ねれば重ねるほど、肉体的にも精神的にも引越しは辛くなるものですが、特に、新しい人間関係をつくる意欲という点で考えても高齢者にとってはできれば今まで住みなれた地域で最後まで・・・・というのが一般的だと思います。そのことを考えると、同じコミュニティー内での住み替えを出来る限り可能にするような対応策が必要です。
 「住み替えたい」と思っていても、今の場所を離れたくないという思いを持つ人も少なくありません。その意味では画一的な間取りで提供されているような賃貸住宅の場合には難しいのかもしれません。本来は多様な間取りがあり、家族構成の変化や生活の変化によって、そのコミュニティー内で移動可能な環境があれば一番いいわけですが、「量」重視で提供されてきたニュータウンの歴史を考えると厳しいものがあります。 


 そしてもう一つ。この高齢者用住居は空室を全面的なバリアフリー対応にリフォームをしてあり、なおかつ家賃も低く押さえてあるわけですが、ここには大きな問題があります。というのは、同じ高齢という境遇に置かれていたとしても、以前からずっと住んでいる人の場合には、昔のままで老朽化がすすんだままの状態、そして家賃も高齢者用住居よりも高いという状況が発生しているというのです。私の住んでいるところもそうですが、旧公団の賃貸住宅の場合には入居した時には住まいの不具合などを言えば、直してもらえるのですが、一定期間を過ぎるとそのままの状況で、細かいところの補修などには手が回らないといった状況です。格好の例としては「郵便ポスト」があると思います。やはり雨風にさらされて、かなり痛んでいたとしてもそのままの状態というのが多いと思います。住んでいる人にとっては郵便ポストまで含めて、家主である公団に借りているという意識があるために、自分で鍵をつけかえるなどなどの対応をするかと言えば、そこまではしないのが現状です。
 一定時期を過ぎれば外装のし直しはあっても、家の中までの修繕には至らないので、昔から住んでいる人は昔のままの状態で今に至っているわけです。これについては、やはり「できるかぎりいい状態で長持ちをさせる」という観点からも何とかすべきだと思いますし、先に書いたように、「新しくてきれいで住みやすいけど低家賃」「古いままなのに高家賃」という差があることをそのままにするのは、やはりいかがなものかと思います。

 多摩ニュータウンでもとりわけ初期入居地域では住宅の質ではなく量が注目され、その供給がまず第一でした。しかしながら、やはり時代とともに住居にも「質」が問われるようになり、今では「居住福祉」という言葉もあるように、「住む場所」というのが人権問題にもつながるとさえ言われています。
 そのとおりで、「安心できる住まい」があってこそ、働いたり、学んだり、遊んだりなど等、くらしを愉しむことができるのだと思います。ちなみに私は「住まい」で重要なことは「落ち着いて眠れること」だと思っています。安眠が確保されなければはじまらない・・・ということで「よく寝る」のは極めて大事な要素だという考えだからです。

 ニュータウンについては分譲住宅の建替え問題と同時に、賃貸住宅の問題も視野にいれて、考えていかなければならないなと思っています。

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2005年06月12日

多摩ニュータウンの最終赤字

朝日新聞の朝刊の一面に多摩ニュータウン借金総額3200億円という記事が掲載されていました。東京都単独でも赤字額が1千億円にものぼると報じられていました。これについて「税金で穴埋めへ」と見出しがつけられていたのですが、この文言の響きはいかようにも受け止めることができ、複雑な心境です。この借金総額だけで多摩ニュータウン事業の成功失敗の評価は下せないと思っています。
 ニュータウンが人工的につくられた街で理想的な住空間、住環境があるとするならば、それこそ私はこれからの展開こそ最も大事だと思っていますが、掲載されていた都市機構の担当者のコメントは「とにかく売っていくしかない」ということです。その言葉が今の多摩市の置かれている状況を表していると思います。理想的な‘まちづくり=ニュータウン建設’の時代はとっくの昔に終わっていて、もしかしたら今は‘まちこわし’時代に入っているのかもしれません。そしてその中で多摩市がまちづくりの主導権を握ってきたかと言えば、残念ながらその主導権はいつも他者の手のうちにありました。私はニュータウンの住環境が危機にさらされている今、まちづくりの主導権を多摩市に取り戻さなければならないと感じています。
 そのとき・・・「じゃあ、借金も含めて多摩市さんに差し上げます。」これが都市機構や東京都の態度であるならば、行政だけでなく市民、住民の力が必要です。とりわけ都市機構に対しては、多摩市行政とともに声を大にして、ニュータウンとしての価値を継続できるように訴えなければならないと思っているところです。

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2005年05月26日

議員提案を目指して

 現在、行政では公募市民もまじえた(仮称)多摩市街づくり条例案検討市民委員会を開催しています。2年計画で条例策定を目指すようで多摩市のホームページでも以下のように案内されています。

…多摩市基本構想に定める「くらしと都市機能が調和するまち」及び多摩市都市計画に関する基本的な方針に定める「ゆとりとふれあいの生活都市・多摩」をまちづくりの目標とし、地域と共に1人ひとりが安心して住み続けられるまちを市民・事業者及び行政が協働して構築してくための手法及び手続きを規定する条例の制定を検討します。…

 確かにじっくりと検討することも必要だと思う一方で2年ごしでの計画というのは少々遅過ぎやしないか、正直、マンションの建設ラッシュが続いており ‘待った無し’の状況ではないかと感じます。連光寺の大型マンション建設をはじめ、特にニュータウン地域内の未利用地の問題から、ミニ開発問題も含んでのことですが、都市計画の在り方が大きく問われています。いわゆる‘マンション紛争’など、維持してきた良好な住環境をこれからも守っていきたいという立場の住民と土地の利用計画者との間におけるせめぎあいに行政がどのような役割を果たすべきなのかが鍵になっているとも言えます。
 行政で設置した市民委員会でもそれらのことを視野にいれた話合いがなされるのだと思いますが、検討をしている間にも中高層の建物がニョキニョキと計画されてはたまりません。そこで、行政で検討している当面の間の緊急対応として、議会の有志により「マンション規制条例」を提案できないだろうかと検討中です。

 実は今日が2回目の勉強会だったのですが、私としては条例のなかにはぜひとも入れてもらいたいのが「情報共有」についてです。自治基本条例があるとは言え、まだまだ情報共有が徹底されているわけではありません。例えば、旧公団の土地処分についても、ほとんど売却先の目途がついた段階になって議会に報告されているような印象があります。おそらくは事前から多摩市との折衝もあるはずだと思うわけですが、全くその動きがオープンにされず、何となく水面下で物事が決定されていくような不信感を覚えます。そういう点からも、条例文の中に「自治基本条例に基づく情報共有」の徹底を市長に求めることが必要だと思うわけです。これについては、どうにか一文でもそのことを明記しようと言うことになりました。

 とかく中高層建物建設に関わる紛争を未然に防ぐためにも、早期に条例制定を目指したいのですが、そのためには現在の有志での勉強会をもう少し議会全体に広げていかねばなりません。その動きを作ることができるかどうかが大事です。条例を策定するには他市の条例を研究するなど、結構勉強することが多くて大変といえば大変なのですが、しかし条例文を作ること以上に至難の技であり苦心させられそうなのは、議会全体での議論に結びつけられるかどうかであると考えています。

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2005年05月22日

里山の思想

 多摩ニュータウン学会の総会と公開シンポジウムがありました。ニュータウン学会も9年目に入りました。今日の総会でも「宙に浮いていて何をしているのか前々わからない。」という会員からの意見が出されたように現在のところ、少し活動が停滞気味です。今までのニュータウン学会は「ニュータウンの新たな方向性」に目を向け、将来像をどう描くかを中心に議論を深めてきたと言えますが、今年度からはニュータウンの歴史やその軌跡に着目をした研究活動を行なう方針が出されました。

 今日のシンポジウムでは中沢新一さんの基調講演がありました。ここ多摩ニュータウンの地域が縄文時代は文明の中心地であったそうです。ニュータウンの歴史はたかだか30年ほどで歴史が浅いようにも言われるわけですが、実は縄文時代にまでさかのぼることが出来るという視点に新しさを感じました。はるか昔に存在していた里山、里山と育んできた思想にまで話が及び、非常に示唆に富んだ話を聞くことができました。 特に里山の思想については自然と人との調停(ネゴシエーション)であるとの捉え方により、それが今の日本人にも脈々と流れる感性になっているとの指摘がありました。とてもスケールが壮大な話だったわけですが、私もこういう話にはかなり関心があるので面白く聞くことができました。

 過去のニュータウンの軌跡を探ろうとしている今年度のニュータウン学会のテーマには相応しい話しを聞くことができたなと思いました。ただ単なるニュータウンの歴史だけでなく、そこにいた人々の気持ちや思いをも含んだニュータウンの記録、それは「ニュータウンの記憶」だと思いますが、ここまで踏み込んだ研究が進むなら、ニュータウン学会として、ものすごく意味あるものになりそうだと感じました。

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2005年05月06日

ベルブゼミ

 永山公民館の高齢者セミナーが衣替えをし、昨年から「ベルブゼミ」となっています。このゼミの公開講座に参加していました。「多摩市の20年後を予測する」というテーマで多摩ニュータウンタイムズ社主の横倉さんと首都大学東京(都立大)の上野淳教授がパネリストでした。
 横倉さんからは多摩ニュータウンを受け入れた多摩村民の視点から話がありましたが、ニュータウンの受け容れで失ったもののうち最も大きなものは「政治を失くしてしまったと言うこと」と指摘していました。地域リーダーを選び出すことが政治を蘇らせるために必要という主張でしたが、私にはそのイメージがあまり湧きませんでした。いわゆる地域リーダーと言えば、かつての‘ムラオサ’が思い起こされるからです。

 さて、私が興味深かったのは上野教授の話でした。先生は多摩ニュータウン関連の研究など実績のある方ですが、多摩市内で行なった調査をもとにした話でした。多摩ニュータウンと言えば丘陵地、坂道の多さなど移動の問題が何かと話題になります。急な階段といえば、バス停から団地まで、そして団地でも一階から自宅階までの昇降も含めて今後の多摩市にとって頭の痛い課題です。
 先生は団地居住高齢者の生活様態の研究から、外出における移動の問題はもちろんのこと、もっと注目すべきは住宅の中のバリアであると指摘してました。特に「安全で快適なお風呂とトイレの必要性」ということで、団地の多くはバリアフリー構造になっていないため、高齢者の日常生活を厳しくしている実態が報告されました。足腰が悪くなると自宅のお風呂にも恐くて入れないとか、トイレに行くのも大変だったりと、日常生活そのものに支障が出てきます。
 これからは古いものを壊して建て直しという時代ではなく、長持ちさせる、少しずつ改良を施しながら住みつづけることを考える時代だと言うのはそのとおりです。団地の建替えもなかなか大変です。その点から考えても、行政の支援策として「住宅のリフォーム助成」を今後もっと強化すべきだとおっしゃっていました。同感です。
 ゼミの参加者からはニュータウンの住人について「今、不便とか住みづらいとか言うけれど、もともとは自分で選んでそこに住んでいるのではないか。今更そのことの不満を言っても…」という趣旨の発言がありましたが、上野先生は多摩ニュータウンのこれだけの住宅ストックについて何も手を施さなければ、ゴーストタウンになることが目に見えていると言っていました。高齢者が安心して住み続けられる街にはなれないということです。「自立して健康だった高齢者がひとたび怪我でもして家にいるようになると一気に弱ってしまう可能性が強い。」、そのことをどれだけ回避できるのかが鍵なのです。だからリフォームと言うわけです。そのくらい住居内におけるバリアの問題、そして玄関外からも階段というバリアが高齢者等にとっては厳しい環境なのです。
 
 上野先生のスタンスでうれしいことは、ご本人も多摩市在住で「老いても安心して住み続けられる街」というのは自分自身のテーマでもあるというところです。先生の調査研究から見えてきた高齢者の持続的継続居住の条件、それに対して行政ができること、多摩市が「老いても安心」を確保できるように自分自身役立ちたいという言葉に力強さを感じました。

 今日の公開講座ですが、ベルブゼミ生として登録をしている人以外にも、私のような一般参加者が多数いて、永山公民館の集会室は席が足りなくなるほどの盛況ぶりでした。(比較的)高齢の方々の‘学び’に対する意欲の高さを感じました。

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2005年04月02日

行き交う人の「質」を変えていくためには?

 私は車に乗って出かけることはほとんどありません。たまたま今日は車で出かけましたが、多摩ニュータウン通りや尾根幹線の車の混み具合にびっくりしました。天気も良くて行楽日和だったこともあるかもしれませんが、思った以上の通行量でした。

 そしてさらに驚いたのはちょうど多摩境近辺の混雑です。沿道にある大型スーパーなどの店舗が軒を連ねていますが、大きな駐車場も満員に近くぞろぞろと買い物客が集まっており、これにもまた驚いたわけです。そして南大沢を通ればにぎわいがあり、駅からアウトレットモールまでのペデストリアンデッキを行き交う人々が多数見えたのでした。
 多摩センターにも少しずつ活気が蘇っていると言われ、確かに以前よりは人が集まってきている雰囲気も感じます。しかしながら来ている人の「質」がまったく違うなと思いました。今日、私が見た光景にいた大勢の人には「購買意欲」が溢れているということです。これが大きな違いになっていて、そのことが商業圏としても多摩ニュータウンの中心となるべき多摩センターの地位を確立できない所以だと痛感したのです。来客者の「質」は大きなポイントだと思いました。

 それにしての多摩市を通過していく車が数多いことを実感しました。多摩ニュータウンにおける人口移動が話題になっています。多摩市域ではなく八王子、稲城、町田市域のニュータウンに移動する人が少なくないという話です。多摩ニュータウンにおける「ドーナツ化現象」だと思っていたわけですが、南大沢、そして最近は若葉台など「商業圏」についても同じようなことが言えそうだと感じながら、多摩市への人の流れを創り出すために「我慢のしどころだった。」と後に振り返ることができる‘今’にしておきたいと感じました。

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2005年02月26日

成長している‘まち’

 知人を通じて、埼玉県の吉川市に遊びに行きました。吉川市はベッドタウンとして売りだし中の‘まち’です。多摩市と同様に旧公団による開発が行われたニュータウン区域があります。もともとは農村で市域に占める田畑面積は半分近くになっています。
 ニュータウンと言われる区域を案内してもらいましたが、駅からバスで10分くらいのところに近代的なデザインの建築物が広がっていました。ちょうどバスステーションのあるセンター広場風のところには至近の住民が買い物をする大きめのスーパーや病院などがありました。
 吉川市では団塊の世代と20代後半、30代の世代がほぼ同数存在しており、伸びているのは若い世代の転入者で、新しく開発されている区域ではプレハブ校舎を建てねば追いつかないほど子どもたちが増えているそうです。今、売りだし中の稲城市域のニュータウンと同じような感じがしました。
 このニュータウン地域内にある図書館など複合施設に立ち寄ると若い世代の親子で溢れていました。そのにぎわいに‘まち’の若さを感じ、多摩市でもかつてはこんな様子だったんだろうと思いました。新しい住民どうしの交流の広場や、いわゆる新住民と旧住民との調和は‘まち’の課題になっているのも多摩市と同じ現象です。
 今後まだまだ‘まち’としての都市化と人口増が続きそうな自治体で、一緒に訪問した友人らは「いろいろなことができそうな‘まち’」という印象を述べていました。多摩市などは「成熟している都市」と言われるわけですが、その雰囲気とは異なり、これからの‘まち’だなという兆しが感じられました。なぜならば、‘まち’に存在する楽しみの拠点に公共施設があり、土曜日の昼下がりにこんなにも若い人が集まってくるのかとある意味感心してしまったからです。
 今年の4月から市民参画条例が施行するとのことですが、成熟した多摩市での自治基本条例が運用されるのとはまた一味違い、これからの‘まち’で進んでいく市民参画が将来的にどんな‘まち’を描いていくのか、今後注目してみたいなと思いました。

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2005年02月09日

‘まちづくり’と思いやり

 永山駅の北側の工事が始まりました。グリナード永山の2号館のリニューアルオープンのためです。工事案内によると3階建てになるとのことです。

 さて、この工事に伴って今まで駐輪場になっていたところが閉鎖されました。すべての自転車なども撤去が行われ、今日は工事準備に入っている模様でした。ここの駐輪場は駅のすぐそばと言うこともあり、多くの利用者がありました。また、ここは諏訪1丁目からの駅に向かう道にもなっており、歩行者も多い場所です。ここが工事期間中に通行止になることは本当に不便です。歩行者は通行止めになる箇所の手前にある階段を利用し、少し遠回りで駅に行くことができますが、階段を利用しなければならないことは高齢者にはきついなと思います。
 当然に自転車利用している人には別の駐輪場案内や迂回道路の説明看板が出ているのですが、同時に車イス利用者にもそのことはあてはまります。車イスの方にとってはあまりにも遠回りすぎでかなりキツイ話だと思います。
 
 私は自転車と車イス利用者以外にも同じくらい不便になる人たちがいると思っています。それはベビーカーを利用している人です。特に保育所があるので、駅の方からベビーカーを押してくる人は多いですし、ベビーカーを押して買い物袋を下げている人の姿もよく見かけます。通行止めの期間、不便な思いをする人が本当に多いだろうなと感じます。朝早くから子どもを保育所に預ける人のことを考えると、のんびりと遠回りをすることもできず、ベビーカーを片手に持ちながら子どもを抱えて階段を利用すると考えられます。天候が悪い時は最悪だろうなと思います。階段はかなり古びているために、雨が降ると滑りやすくて危険です。
 歩行者などの安全確保は重要なので、通行止にするという判断について、必ずしも間違いだとは言えません。しかし駅のほうから「保育所」に向かってくる親子が必ず通行している道であるということがどのくらい考慮されていたのだろうかと思います。通行止しか安全確保策はなかったのかと感じます。工事が早朝から開始するとは考えにくく、ちょうど通勤時間の保育所に子どもを預ける時間帯、またお迎えの時間を考えても、工事真っ盛りの時間帯に重なるとは思えません。既にある保育所の配慮がまったくないところに多摩市における‘まちづくり’の進め方が表れているように感じます。
 ‘まちづくり’には思いやりの心が欠かせません。他人への配慮の気持ちをベースにしながら、まずはどうしていくことが最もベターであるのか話合いをするのだと思っています。いきなり出現した通行禁止案内板を見ながら、そのことをつくづく感じています。

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2005年01月23日

高齢者いきいき祭・グラン多摩フェスタ

 高齢者社会参加拡大事業運営協議会(高事協)が主催した芝居を見に行きました。私が地域活動に関わるきっかけになったのが、介護予防の観点で高齢者の社会参加を広げていくための仕掛けづくりを話し合うのが高事協です。その点からいえば、ちょっぴり思い入れがある会とも言えます。
 グラン多摩フェスタは「人とのつながり世代を超えて」をテーマにしながら、学校跡地を使用したお祭りからスタートしました。いろいろな市民活動を市民の手でつないでいくことがコンセプトにして取り組みを続けてきました。今回のお芝居は3回目の試みです。発声をするのも高齢者には一苦労と聞くとおり、セリフが聞きとれないこともあるのですが、演じている高齢者を中心の役者さんたちが何しろ楽しんでいる様子に溢れる舞台には文句のつけようがありません。
 舞台づくりの仕事にはチームワークが大切です。今回の場合には劇中劇のようなかたちでアマチュアジャズバンドの演奏、日本舞踊、ハーモニカ、社交ダンス、和太鼓、フラダンス等が演じられましたが、これもすべて普段は個々に活動している市民のグループです。つまり、市民グループ+αの市民によって作り上げられた舞台がこの公演で。個々の団体が日頃の活動を発表する形式になっていました。
 本番前までギリギリリハーサルをやっていたとのことで、何だかハチャメチャなところもありながらも観客の笑いを誘うところもあり、観ている人々にも笑顔になり、気分が爽快になるような舞台でした。
 
 さて、この舞台は‘まちづくり’そのもので、これからの多摩市が抱える課題解決の道筋やそのエッセンスが凝縮されているように感じます。80代の高齢者から小さな子どもまでが参加しているお芝居は異世代の交流があります。そして観に来ている人も一緒に懐かしい歌を合唱する場面も取り入れるところは、ただ見せるだけの舞台ではなく、お客を客にはさせておかず、役者の一部に引き込んでいくと言う作り方をしています。役者は一つの脚本の中の役割をそれぞれ果たしながら、舞台への参加を観客に呼びかけ、最後には客席と舞台とが一体になって終了しました。 
 「市民が主催し、市民の力でつくるからこそできる」…それがグラン多摩フェスタ公演の大きな特徴です。数団体を取りまとめるのはそう簡単ではないはずです。練習日を調整することだって難しいはずです。けれども今日の日のために互いに融通を聞かせながら取り組んだんだろうなと思います。ハチャメチャに進んでいくことも楽しさのうち。その気持ちが来年度の公演へともつながっていくのです。観客の中にも今度は役者で参加をしたいと言う人もいると思います。
 まちづくりはこんな風にして進んでいくんだなとしみじみ感じました。まちを元気にしていくのは市民です。

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2005年01月15日

コミュニティ行政って何?

 明日の政策ゼミのミーティングに向けて資料に目を通しました。大学生中心のゼミ生が選んだテーマは「まちづくり・コミュニティ」。とても抽象的なテーマだけにどのような項目立てをして一般質問ができるのか悩ましいところです。

 さて、私が手にした資料は平成9年の「多摩市コミュニティ行政研究会報告書」ですが、これは非常にいい内容がとりまとめられています。この研究成果が現在はどのように生きているのかが疑問…これが率直な感想ですが、「まちを拓く!パートナーシップ市民と行政」という副題がつけられており、この研究に関わっていた職員は「協働」の考え方に高い問題意識を持っていたのではないかなと思います。
 すでにこの中でコミュニティセンターごとの運営協議会と市を中間的な立場から間接的に支援をする「協働的なしくみ」が提案されており、市民活動をバックアップするための「中間支援組織」像が明らかになっています。この報告書の提言を活かした地域づくりが進んでいたらなあ…と報告書が出てから6年後の現在を考えさせられてしまいますが、私自身はこの研究に携わった職員が庁内に存在していることに心強さを感じます。
 ここで興味深いのはこの中間支援組織の所管施設としてはコミュニティセンター、地区市民ホール、老人福祉館となっているところです。この3つの施設は現状から言えば、施設の正確は異なり、まったく別個のものとして扱われています。建設された目的やらを考えるとそれは当然のことと言えるのかもしれませんが、市の行財政再構築プランにおいて公共施設の在り方見直しが目指されている中では、施設そのものの再編成を視野に入れることは必要です。つまり、名称に縛られず各地域に存在している施設をすべて地域住民の活動拠点として再度位置づけし直すのです。
 こういう作業をしていると、例えば比較的最近に建設され、デザインなども豪華なコミュニティセンターと老人福祉館や地区市民ホールの施設水準が違うという不満が出るのかもしれませんが、そのような市民感情を持つ時代ではないことを市民側も認識をしつつ、これからの地域づくりやコミュニティ形成のために何が必要であるのかという視点から考える必要があるのだと思います。そうでなければ、きっと話合いは成立ちません。「モノ取り」合戦であった今までのハコモノ行政の反省の上に、これからのまちづくりに必要な機能を再構築していきたいものです。
 
 とにかく、都心部より団塊の世代の「大移動」が起こります。昼夜間人口の構成が変化する3年後を見据えて、地域での居場所づくりをどう進めていけるのか、難しい課題とは言え、結構色々と思いをめぐらすことで楽しい地域像が描けてきます。

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2005年01月09日

銀行金庫跡に野菜畑

 朝日新聞の朝刊のトップにはかつての大手銀行の金庫として使用されていたビルの地下で「コメ・野菜工場」がスタートするという記事が掲載されてました。一体、このプロジェクトにはどのくらいの設備投資がかかっているのだろうかと関心があるものの、それはさておき「農」への注目を感じました。ここは、当初は就農を目指す元フリーターの若者数名が栽培を担当するとのことですが、現在、都心などで働く希望者にもその場が開放されていくようです。

 「農」がこんなに人気の理由ですが、育てる楽しみがあるのはもちろんのことです。しかし、気候などの外部要因により影響は受けるとは言え、一生懸命向き合えば‘裏切らない’というのが人気の秘密にあるのではないかと思います。つまり育て方により育ち方は違うわけですが、それでもいつか花開き実をつけるという結果が出せるのが「農」の魅力の源になっているように感じます。

 ところで、多摩市でもニュータウンの未利用地や学校跡地等を活用して「市民農園」にすればいいのではないか?という提案をよく耳にします。私もそれはとてもいいアイデアだと考えてきましたが、都心のビル地下に農園ができると聞けば、やはり市民農園はまちづくりにとって重要な要素だとの思いを一段と強めた次第です。「団塊の世代をどうする?」と数年後を見据えた話題が飛び交う昨今ですが、私は決して団塊の世代が地域に戻ったら農業へと誘導しようなどと考えているわけではありません。しかし、市民農園は地域で団塊の世代の人々を受け入れる場として果たす役割は大きいような気がします。
 会社に疲れにはない爽やかな疲れと、会社では裏切られ、無視されるとしても、どんなカタチであれ自分の頑張りに応えてくれる結果が出せるのが「農」です。思いつめた顔、眠そうな顔、多くの人は無表情でスーツ姿で急ぎ足、一斉に改札に向かっていく人の塊が今の朝のニュータウンの風景だとすると、農作業の器具を持って、農作業スタイルではりきってニュータウンを歩いている人の姿が増える風景は悪くないと思います。
 さらに「農」=みどりにもつながってきます。自分の趣味で「農」をしていたとしても、それはまちづくりへの参加にもなります。みどりの再生にもなり、そして多摩市ではなかなか成立しにくい「地産地消」を進めていくことにもなるからです。「農」をまちづくりに取り入れる効果をもっと評価していかねばならないと思います。

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2004年09月17日

地域の先輩が語ることの意味は大きい

 今日は、代表者会議でしたが傍聴には行かず、PPT(PEACE PROJECT@TAMA)でピースボートに派遣をした代表者の湯澤くんが、諏訪中学校の総合学習の時間に体験談を語る予定があったので、そちらに顔を出しました。PPTの活動にもすっかりご無沙汰をしていて、湯澤くんが帰国してからも一度も出会っておらず、とても楽しみに会場に足を運びました。
会場は諏訪中学校の多目的ホール。中学二年生が対象でした。湯澤くんがなぜピースボートに乗ろうと思ったのか、そして世界で撮影してきた写真を編集(音楽付き)したものを上映し、各地でのエピソードを話しました。正直、授業時間1コマでは時間が足りません。けれども、その中で時間配分も上手に、話を進めてくれました。

 最初は「景色が見たい」と思ってPPTのプロジェクトに応募したこと。まさか自分が選ばれると思わなかったこと。人見知りをする性格であること。船に乗って、各地に行って感じたことを生徒たちに語りました。私も初めて、湯澤君の体験談を聞いたので、感激しました。特に、湯澤君自身で編集をした画像には感動して、「いい旅を経験したんだな。湯澤君を代表者に選んでよかったな。」と思いました。そのくらい画像の編集に力が入っていました。

 そして、何よりも湯澤君はボスニアに行ったことが一番自分にとって衝撃的な出来事であったことを噛み締めながら語っていました。3つの民族が共存していたのに、ある日突然隣りの人と敵対関係になってしまい、殺し合いが始まり内戦へとつながったこと、その傷跡がいまだに残っている写真を見ながら、中学生たちに丁寧に見聞きしたことを伝えていました。
 そんな中、湯澤君が学んだこととして、いつも「なぜ?」という気持ちを大事にする必要があること、いろいろな報道に触れた時など、「どうして?」という気持ちを持つことから、問題意識は深まっていくという実感を一生懸命話していました。最終的には「どうして戦争が起きてしまうのか」「なぜみんなが平和に暮らせないのか」ということを湯澤君は考えるようになり、様々な問題を「なぜ」ということから解きほぐしてみると、他人を思いやれる心が生まれていくし、みんながそれぞれに平和に生きていけるような社会がつくっていける…そんなメッセージが込められているように私は感じました。
 ピースボートで世界一周に旅立つ前の湯澤君にはなかった自信を感じ、私も元気をもらいました。

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2004年06月10日

夏の風物詩はどうなる?

 私用が入り、厚生産業常任委員会の傍聴が出来ませんでした。今日の委員会ではこの6月議会に合わせて提出された陳情案件2つが大きな議題です。
 一つは「失業者の雇用促進対策」に関するもの、それからもう一つは「関戸橋の花火大会」についてです。

 一件目は、雇用対策と言うことで、現在、国から各自治体に対する失業者支援のための補助金を、今後も継続してもらいたいということ、それから「補助金」のしばりがありすぎて、自治体にとっては使い勝手の悪さがあり、弾力的な運用が可能になるようにしてもらいたいとの内容で多摩市議会としての意見書を国に提出して下さいという陳情でした。もちろん、これには賛成です。依然として、補助金を‘いただく’時には国からの様々な制約がつき、なかなか自治体独自で自分たちのやり方にあったお金の使い方が出来ない現実はまだまだ存在しています。「全く地方分権的発想に欠けている。」と思えるような国のやり方はちらほらと見え隠れするのです。

 話は横道に逸れますが、特に福祉分野では国に振りまわされているのが自治体の状況です。自治体独自での判断できる範囲が広がっている面もありますが、一方で、国でやりきれなくなった部分を住民に身近な自治体での決定という大義名分のもとで、いかにも自由裁量の範囲が広がったかのように見せているのが実態だと思います。介護保健制度や障害者の支援費制度がその典型例です。
 かつてはお金は出して、口も出す…のが国のやり方でしたが、今では方針や指針などは示して、口はある程度まで出すけれど…しかしお金は出しません!「自治体のみなさまは、自助努力でやってくださいね。それが自己責任ですよ!」…と地方分権を逃げ口上にして、国としての役割をスルリと自治体に転嫁しているのではないかしら?と思うことも多々あります。

 雇用対策に関する補助金については、相変わらずの国から地方へという体質をそのまま引きずっての運用が求められていて、国の優秀な官僚といわれる方々はもっと地域のことを見て欲しい…そうすれば、もっと地域が使いやすい補助金の運用の約束事を決められるのではないかと思えてならないのです。この陳情を採択して、国に意見書を上げることは賛成です。委員会でも採択されたようです。

 さて、もう一件の「関戸橋の花火大会」の継続を求める陳情について。こちらはどうやら委員会では継続審査となったみたいです。当然でしょう。なかなか議会としても判断の難しいところです。
 というのは、毎年盛大に開かれてきた花火大会の主催者は多摩市の商工会議所です。行政は運営費補助をしてきました。しかしながら、この運営費補助も段階的に減らしていくことで方針が出されていました。その途端に中止のニュース。私たちも3月議会の予算審議の際にこの事実を知り驚きました。主催者が中止を発表した限り、それでも多摩市の夏の風物詩として市が主催者になり継続出来るかと言えば、そこまでの体力がない現状があります。
 なぜ、花火大会の中止を決定したのかについては様々な憶測が飛んでいますが、市の運営費補助を削減したということも、もしかすると一つの理由にもなったのかもしれません。実は今年度の予算書には削減されているとは言え、関戸橋花火大会補助で予算が計上されていましたが、これは執行されないままになってしまうのでしょう…。非常に残念な話です。その意味では市としては、予算を議決した議会としても花火大会を継続していきたいという意向はあったことは確かです。
 去年のことを思い出すと、中州に数名が取り残された事件がありました。このことも関連するのかもしれません。それと全体的に経済の回復状況が悪いため、地域の企業からの寄付や出資も募りにくいこと等、さまざまな理由が相俟っているのだとは思います。でも、関戸橋の花火大会は多摩市だけではなく、他地域からも人が集まってきて楽しみにしていたことを考えるとやっぱり残念です。じゃあ、多摩市が主催者になれるかと言えば、現実問題、側面的な応援は出来ても、中心的に動くことは現状難しいと思われます。
 どうにか花火大会を継続できれば…、継続して欲しいという気持ちは、陳情者の多摩大学の学生有志と同じですが、だからと言って、議会として市に継続を要請するのならば、議会としてどのようにお金のやりくりをするのかを含めて考えなければ無責任と言えるでしょう。ただ行政側に「継続しなさい!どうやるかは考えなさい!」・…この一件についてはそのような態度を議会がとることは出来ないと私自身は考えます。
 厚生産業常任委員会では今までの経過も含めて、きちんとこの問題を捉えたいと考えて「継続」と判断したのでしょう。この対応が今のところは取るべき道としてよかったと思います。

 陳情の審査結果について、他の会派とのやりとりのなかで、どのように決まっていくのかと気がかりだったので、ホッとしました。

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2004年05月23日

ユニークなニュータウンライフ

  多摩ニュータウン学会の総会とシンポジウムがありました。一応、昨年から‘理事’という立派な肩書きがついているので、スタッフとしてお手伝いをしました。正直、この肩書きは荷が重過ぎます。名称を変えてもらいたい気がします。「企画運営スタッフ」くらいにして欲しいです。
 今年度の統一研究テーマは「ユニークなニュータウン・ライフを創ろう~共同体から共異体へ~」です。一人一人、互いの相異を認め合いながらともに生きる地域社会を!という意味が込められています。

 さて、今日はシンポジウムとして基調講演もパネルディスカッションも全て出演者を女性でした。基調講演でお招きした朝日新聞の研究員の佐田智子さんは「もともと女性たちが地域でこんなに活動していること自体が‘ユニーク’で特異で、すでにニュータウンは‘ユニーク’さを持っている」と言っていました。彼女は「いかにも団塊の女性たち」の特徴について「偉ぶらないで、自分の感覚でモノを言う」と分析していました。多摩市には酢づけのように専業主婦がいて、彼女たちが地域で発揮してきた力は非常に大きいと言うのです。
 なるほど、それは一理あるなと思います。ニュータウンは多くの男性にとってはベッドタウンで生活サイクルの中では「寝るだけの場所」。男性がもぬけの殻の昼間に地域にいた女性たちが、男性の経済力に支えられて活動をしてきたという状況はいかにも‘郊外’の典型だと思います。しかし、特に団塊の世代があと数年後には都心から地域へと戻ってくるわけで、この変化がまた地域をオモシロクすると言うのです。
 
 私はすでにこの社会状況の中で、地域でビジネスチャンスを狙っていたり、または起業した父親と同世代の男性などを知っていますが、なるほど新しい地域の担い手が生まれているなと思います。実に、男性の地域デビューの兆しどころか、すでに男性が地域での自分の将来を真剣に考えている、考えさせられているんだなということは、今日のシンポジウムの参加者を見てもわかります。出演者が女性ばかりのこの場所にも関わらず、圧倒的に男性で、しかも団塊の世代付近以上だと思われる年齢層の方が多いこと。これこそ、まさに、男性が直面している状況を映し出しているのです。
 何か地域に求めて行こう…という意欲があるのだと思います。今日、初めて来場したと言う方も6月にリタイアするんだと話していました。新聞での案内によって、今日のことを知ったそうです。考えてみれば、ほとんどと言っていいほどに地域の情報が新聞に取り上げられることもなく、市の広報をすみずみまで見るような男性も少ないでしょうから、情報源が限定されているのが男性だと思います。おまけに、男性は仕事のために「日経新聞」を読んでいる人が多くて、地域情報を探そうと言う視点を持ちながら新聞に目を通すという観点にも不足しがちだと考えています。
 どうやって地域での人との出会いを探していくか…これは自分次第だと思っているので、ちょっと偉そうですが、私の考えをお伝えしました。

 さて、パネルディスカッションでは地域でそれぞれに活動をし、活躍をしている女性たちがパネラーでした。女性はそれこそ自分の感覚で歯切れ良く発言をするために、会場の男性たちは何か反発など感じないのかしら?と思いましたが、誰一人「反論」も「反発」もせず閉幕。私としてはとても残念でした。特に、パネラーの一人のより「男性は地域に戻ってきた時に評論家になりがち」という指摘があって、これについて何か感じなかったかな?と思いましたが、これもまた女性たちの方がいいか悪いかは別としても「思いつきでの行動力」があるということかなと感じます。失敗することに慣れている…と言うことかもしれません。
 団塊の世代ではキャリアを捨て、家庭を支えてきた女性が多いのが特徴です。その意味では「生き方探し」が上手で、自分らしいを探すために色々な壁にぶつかってきた経験が豊かと考えられます。だから、失敗する勇気があると言えます。この団塊女性のパワーには私はついていけないし、理解し難いと思うことは多々あります。特にネットの活動を支えてきたのは、まさにこの母親と同世代の人たちばかり。私の母親自身を見ていてもですが、どこから出てくるかわからない‘粘り強さ’みたいなものを感じます。ネットの展開してきた運動などには全く無縁の人ですが、ネットで「私たちの活動はネットワークをつくる運動。」と主張する部分にも当てはまる気がします。
 私はネットは‘運動’をしているのか?と考えた時、今はちょっと違うのではないかと分析しつつあるために、そこにある気持ちを理解できない部分を抱えています。それはきっと私に彼女たちの‘粘り’がないからかなと思ったりしますが・・・。

 いずれにしても、男性にハッパをかけると言う意味では大成功だったかもしれない今日のシンポジウムでした。しかし率直な男性の意見を聞けなかったのが残念でした。
 壇上から「男性たちよ!がんばれ!」みたいなエールを送る地域での先輩分で女性たちにとっても姉御肌の女性に圧倒されたのかもしれません。圧倒されてしまったとすれば、まだまだ地域はオモシロクなれない。女性たちで支える地域にも限界が見えているし、男性の力は不可欠です。むしろ、男性も参加しやすい地域づくりに、実は女性がもっと配慮しなくてはいけないのかもしれません。

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2004年05月09日

迎える高齢社会に・・・

 午前中に鶴牧商店街の一角にあるデイサービス麻の葉の総会に参加しました。生活クラブ運動グループと言うことで、生活クラブの組合員を中心に立ち上げたNPO法人です。今年で総会も4回目、活動内容も随分と充実してきました。しかし、それに比して、厳しいのは収支状況。何とか賃金は払えている模様ですが、役員(理事)の人件費が払える状況ではなく、むしろ運営のために法人に貸付をしているのが現実です。
 利用者を拡大することで収入増は見こめるのですが、アットホームは雰囲気で、さらには高齢者だけではなく障害者、子どもたちとの交流までも視野に入れながら、少人数で一人ひとりに行き届いたケアをしていくことがモットーであり、設立理念でもあることから、むやみやたらと受け容れ人数を増やすわけにはいかないという悩みもあります。本来の事業のほかにも、収益事業としてガーデンシティ等では定着している「ジャンボシュウマイ」販売などをしていますが、こちらもまた労力には見合わない大変な作業の上に成立しています。
 それでも続けていくこと、そして地域での居場所の一つになっていくことの喜びがあるそうです。そこに支えられているのが事実でしょう。「継続は力なり」を信じて、活動を続けていく意気込み充分なメンバーたちを見ていると応援したくなります。
 鶴牧に立地していると言うことでは、総合福祉センターとも近いので、社会福祉協議会(社協)との連携の中で、例えば福祉機器の出張説明会等を行ないたいと考え、昨年は何度か話合いもしたそうですが、なかなか社協に頷いてもらえなくて残念とのこと。今後も粘り強く働きかけをしたいと報告がありましたが、社協がこのような取り組みを断わり、応援しないことはないと思いますので、前向きな姿勢を期待します。

 多摩市の高齢化はまだ深刻と言えるような状況にはありませんが、やはり今から10年後を見たうえで考える必要があるでしょう。

 午後から「ベルブゼミ」のオープンシンポジウムに行きました。「よみがえるかニュータウン、今日の一歩から」というテーマで講演会とパネルディスカッションが行なわれました。
 これは公民館セミナーとなっていますが、もともとは「高齢者セミナー」をリニューアルしたものだそうです。今までは公民館の職員だけでの企画だったものを、公民館運営審議会のメンバーや地域で活動をしている方なども交えて企画を立てたそうです。なるほど…「高齢者セミナー」のリニューアル版ということで、今日以降は平日午前中の開催が多いので、現役世代の参加を見込むとなれば難しいかなと思います。しかし今日の参加者、約50名ほどの顔ぶれを見ると、いわゆる団塊の世代くらいの「高齢者予備軍」の人たちが少なくなく、高齢期に入っていくこと、地域に戻ることへの準備への関心の高さを感じました。

 さて、基調講演では千里ニュータウンについて勢力的に取材されてきたという中村聡樹さんから、10年後の多摩ニュータウンの姿を想像させられるような話を聞く事が出来ました。一言で言えばニュータウンとは「循環できない‘まち’」ということです。若い世代はどんどんニュータウンから流出し、千里ニュータウンでも現在残ってるのは初期入居者。居住者の年齢と共にニュータウンも年を重ねていくと言うことです。10年先行して建設された千里ニュータウンの現在は、このまま多摩ニュータウンが突入していく姿に重なっていくのでしょうか?
 私はそれこそ「先駆者に学べ」ではありませんが、同じような道をたどっていくとすれば知恵が無さ過ぎるように思います。何とか今、10年後を想像しながら、行政としての対応を講じていく必要があるでしょう。もちろん行政だけではなく、住んでいる人自身で解決しなければどうしようもない問題もあると思います。
 例えば千里ニュータウンのエピソード。豊中市長が「5年間、5階で寝たきりの人を地上に下ろしてあげて欲しい」と自治会の人にお願いしたところ、自治会の人たちは、当初、その意味がわからなかったとの話です。ようやく市長のことばの意味を理解し、そこから始まったのは住民調査だったそうです。このように、地域の人たちが地域に住んでいる人の事を知らずに生活をしているのがニュータウンだと言います。
 多摩市だとどうなのか・・・・?隣の家の家族構成を知っているのか?と言われれば、特に私のように入れ替わりの激しい賃貸住宅に住んでいる人は答えようがありません。

 プライヴァシーが重視される時代です。もちろんプライヴァシーに土足で踏み込むような事はあってはならないと思います。けれども他人に干渉しないことと、他人に関心を持たないこととは違います。生活する、または「暮らす」という意味を問うてみると、そこには人と人とのつながりが不可欠でしょう。その意識が生まれにくいのがニュータウンの住まい方なのかもしれません。そこは住んでいる人たちの意識によっていくらでも変えていける部分です。

 今日のシンポジウムはここに書ききれないぐらい多くの示唆に富んだ話を聞くことができ、特にパネルディスカッションで登場した在宅ケアに積極的に取組んでいる太田秀樹氏の話には目からうろこでした。彼は「社会参加ができない‘まち’」で人間の尊厳を語ることが出来ないと言っていました。「選挙があるのに、それこそ5階で寝たきりの人はヘルパーさんと一緒に選挙に行けますか?」とサラリと言われてしまいましたが、本当にその通りだと思いました。社会参加することへの支援の充実こそが‘まち’には不可欠で、それは行政だけではなく地域の人たちの支援がなければできないことです。考えさせられた部分です。

 多くの人にも聞いてもらいないようの話でした。特に、これは市民向けの公民館の一セミナーとの位置づけしかされていないのかもしれませんが、福祉部の職員には関心を持ってもらい、足を運んでもらいたいなと思いました。「公民館でやっていること」と片付けてしまうのは、今までの縦割り行政の悪弊です。高齢化の問題はそれこそ市全体で取組む課題ですので、部署に違いを超えて職員同士も手を組んでいくことが大事だと思いました。公民館長からシンポジウム開催にあたっての挨拶がありましたが、これがまた素晴らしい挨拶で「講座を通じて、少しでも多摩ニュータウンが元気になるようにつなげてきたい」との思いに溢れていました。

 「どうやったら‘まち’を元気に出来るのか?」は積極的に‘まち’を歩かないとわからないのだと思います。今日の麻の葉の総会には、市民活動推進課の担当職員の方が来ていました。もちろん麻の葉から声をかけたそうですが、声をかけられても休日ですし、断わる理由はいくらでも考えられます。こうして仕事とは無関係に、足を運んでくれる職員の存在がどれほど貴重なのかがわかると思います。少数派かもしれないけれど、地道に市民とのつながりを作ってきた職員の努力を無駄にしたくないなとつくづく感じます。

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2004年05月05日

たまたま多摩で…きっかけを生かして!

 連休中の多摩市内の催しで、私が心待ちにしていたのが、今日の「たまたま多摩でビジネスプランコンテスト」。eワーク情報局のホームページを見て、これは一見の価値があるだろうとワクワクしながら会場に向かいました。
 会場はもちろん、パルテノン多摩5階にあるeワーク情報局のスペースです。3月議会でもeワーク情報局について、数人の議員は質問をしていたこと、そして私も多摩センターの活性化との関連で、今後の行方が気がかりなところ。このコンテストがもちろん事業プランの応募者にとってもですが、多摩市にとってもチャンスになるかもしれない…という気がしました。
 ちなみに、コンテストと言っても賞金が出るわけではなく、等身大のピューロランドから商品提供してもらったのかな?キティちゃんの人形が記念品で、あとはめでたく1位に輝けば、このeワーク情報局を拠点として本格企業に向けた活動が始められるというのが特典です。
 そしてもうひとつ、特筆すべきは、このコンテストの実行委員会について。「たまたま多摩の会」というグループを中心にして、‘多摩で起業する’をテーマに毎週定例で会議を続けている学生中心の若者たちでした。やはり主催者が若ければ、関心を持って集る人も若い世代。今日の一般来場者(観客)も圧倒的に若い世代ばかり。
 応募者は…と言えば、なんと年長は70歳だったそう。全部で11のエントリーがありましたが、学生は3人だけです。それにも関わらず、圧倒的に10代、20代で満員の会場には、学生、若者世代のベンチャービジネスへの関心の高さを物語っています。

 さて、コンテストは1組7分のスピーチで、収入役を含む6名の審査員により採点されましたが、今回のコンテストは2月末から企画の立ち上げをしたとのことで、応募者にとってもスタッフにとっても少々時間切れの中で開催されたのかな…という感が拭えなかったのが残念です。これは次回への課題かと思いますが、たった7分のスピーチと1つか2つの審査員からの質問だけで、プランの可否を判断するのはかなり難しいと思いました。最低プレゼンテーション10分、質問時間も同等くらい確保しなければ、なかなか判断は難しいと素人眼しかない私でも感じたことです。けれどもやはり2月末から準備を始めて、ここまでこぎつけたスタッフのパワーには感服ですし、何しろ周知期間が短かったにも関わらず11組もの応募があったことには驚きです。それだけ‘起業’は注目されているのだと思います。

 今回、一位に選ばれたのは学生の「ARTPORT」というプランでした。これはアーティストを目指す人、特に若い世代には多いというところに着目をし、彼らをプロデュースしようとの企画です。資金はアーティストファンドで賄う(ファンド一口は学生などでも手の届く範囲。イメージ的にはコミュニティファンドみたいなもの)というものでした。同じようなビジネスはアメリカではすでに展開されていると聞いたことがあります。この企画は、パルテノン多摩の一角にあるeワーク情報局を拠点にするとしたら、かなり可能性があるのではないかしら?と私も感じていました。何しろストリートミュージシャンの活躍の場所としての40mペデストリアンデッキが多摩センターの特徴の1つ。今後、仙台のようなジャズフェスティバル等に倣って、何か新しい企画もできるやもしれません。それにパルテノン多摩への市民参加の観点からも、この学生のプランがいい形でリンクできる可能性もあります。私も期待したくなったプランだったので、これが第1位に輝いたことには納得です。

 全体的にプランを見てみると、多摩市の特性など調査不足かなという感想を持ちました。「どうして多摩市で起業?」という質問に、「なるほどな」と思えるような回答がなかったことは残念でした。これはプランの応募期間が短すぎたからかもしれませんが、きっかけはたまたま多摩市…とプラスαで「せっかく多摩市で…」という部分も付け加えて欲しいなと思うのは、私の個人的な思いです。
 何はともあれ、エントリーした11名の事業プランそれぞれに感じたことは、「個性が生きているな」ということでした。プレゼンテーションの様子も企画の内容もオリジナリティがなければ「起業」には結びつかないと感じました。

 このビジネスプランコンテストは、今回限りとせずに続けてもらいたいなと思います。なかなか見る価値もあり、私の期待を裏切らない催しだったなと思います。面白かったです。
 そして、審査方法の工夫などについては、このコンテストだけに留まらず、今年度の新規事業になる企画提案方式の「まちづくりチャレンジ事業」の審査にも十分生かせる要素があるので、庁内での情報交換を上手く行なって欲しいと感じました。

 それから補足。このコンテストの企画の裏方の裏方は多摩センター活性化推進室です。担当の職員とちょっとお話をしましたが…学生時間に合わせた労働というのは体力差が歴然とするんだなと思います。それでも、パワフルに乗りきってきたらしく「おつかれさまでした」と心から思いました。

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2004年05月04日

ガーデンシティに行かなくちゃ!

 今年で22回目の開催となったガーデンシティ。これは多摩市の一大イベントです。天気の崩れが心配されるところですが、昨日、今日は風の強さに悩まされながらも、人のにぎわいは何とか順調。22回もやっているという積み重ねを無視することは出来ません。何せ、私が多摩市に転居してくる前から開催されていたわけですから・…。
 ゴールデンウイークと言えば=ガーデンシティ・・・「ガーデンシティに行かなくちゃ!」と待ちわびている人もいるでしょうし、市民活動に取組むグループも祝日返上で、活動資金稼ぎときっとお楽しみ要素もありで、出店します。この恒例行事の開催は、どこへ行っても人・人・人だらけの都心に比べ、多摩センターの広々とした空間と緑豊かな環境を提供し、にぎわっていても息苦しさはなく、ちょっと足を運んで楽しめる場になっていることは大きなポイント。そして普段は地域との接点のない市民にとっては市内での活動団体、友好都市の富士見町を知る機会、おそらく滅多にないだろう地元農産物を購入する機会など、さまざまな出会いを提供している場所でもあります。
 遠出するのではなく近場で楽しむゴールデンウィークの過し方in多摩市として紹介できる催しだと考えます。

 私も何となく足を運んでみるわけですが、毎年、同じようなお店が立ち並んでいるな…と思えばマンネリ化しているとも言えるのかもしれませんが、「ガーデンシティであの竹炭買わなくちゃ。」とか「あのお店あるかな?」と思いながらお店めぐりをしています。これもまた楽しみ方の一つで、マンネリ化していて面白くないと一方的に評価をすることもできないと思っています。
 さて、多摩市の財政再建において、このガーデンシティも帰路に立たされていることは間違いありません。毎年毎年、市からの補助金は少しずつ削減されてきましたが、3年後には補助金廃止の計画です。ガーデンシティ同様の多摩センターでのイベント、11月のいきいきTAMAの方は今年度から既に補助金廃止になりました。「補助金があるから実地する。」だから補助金がなくなれば開催も取り止め…というのはいかがなものかと思いますが、実際、市からの補助金はイベント開催の大きな力になっていたことは確かで、特に秋のいきいきTAMAはどうなってしまうのかなと思っています。一方、ガーデンシティの方は、段階的な補助金の廃止と市民力活用による自主開催を目指すようですが、もちろんこの時、お金は出さないけれどマンパワーとして職員の協力は継続することでしょう。そこは確認しておきたいところです。

 「イベントでのまちおこし」という発想そのものは既に使い古されて、そして単発イベントの効果についても評価の分かれるところです。成功事例もありますが、それ以上に失敗事例の方が多くあるのが実際にところでしょう。
 じゃあ、ガーデンシティはどうなんだろう?と考えてみるわけですが、私は22回も開催してきたという点では、決して単発で思いつきでまちの活性化を狙ったイベントとして位置付けることはなじまないと思っています。
 欲を言えばですが、最近流行りに流行っているガーデニングをもっと全面的に取り入れて、「花と緑」のガーデンを強調したらどうだろう?と思います。「ガーデニング」されたお庭に囲まれた‘まち’…虫対策だけが出来ていれば、とっても素敵だと思います。

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2004年04月04日

さをり織のファッショショー

 福祉作業所どんぐりパンが主催でさをり織りのファッションショーが開かれました。ベルブ永山5階のホールは満員でした。お客さんにはさをり織りファンと見受けられる人も多く、ファッションショーの前にはジャズバンドによる演奏がありましたが、早くショーが始まらないかとワクワクしている様子が伝わってきました。

 どんぐりパンのさをり織りは2年ほど前に永山商店街の福祉亭で展示会があり、そこにもとてもすてきな洋服などが出品されていました。まずは織りものを作成し、それをさまざまな洋品、小物にとしていくので、ファッションショーをするためにはかなりの期間が必要です。ある程度作品をためておかなかければならないからです。
 多分、今回が以前に引き続いた発表会だと思いますが、今回もまたとてもステキな作品が続々でした。ファッションショーでは作業所員の方とボランティアでモデルになった10人ほどの若い学生が中心で、さをり織りといえば、あまり若い人たちが着ている姿を目にする機会は少ないですが、なかなか若者が着ても似合うなあと思いながら舞台を見ていました。
 どんぐりパンは知的障害者の作業所です。私も顔見知りの友達が数名いますが、いつも通りの明るさと持ち前のユニークさで観客をわかせていました。ばっちりとポーズを決めてくれたときには、ひときわ大きな拍手がわき、もりあがっていました。人前に出るともなるとやはり緊張するのか、動きがちょっと堅かったり、かしこまっていたりとそれぞれに意識をしているようでしたが、それぞれ自分たちが作った織物での衣装を身にまとっていて、とてもステキでした。
 もっとたくさんの人に見てもらいたいなあとも思いました。ホールだけでやるのではもったいない気がしました。ショーが終わった後、展示即売会があったので、顔を出しましたが、ファッションショーで見ているのと実際に自分が着てみるのとではやっぱり全然イメージが違い、私としてはさをり織りの洋服を着るというのは…まだちょっとな…と勝手に思いました。
 きっとどれもステキな作品なのですが、それぞれ色合いなどもあり、自分が気に入った一点を見つけ出すのは簡単ではありません。結局小さな小物入れを購入しました。

 さて、多摩市では地場産業や地域産業の基盤がとても弱いと言われます。「地域経済」という切り口で見た時にも、循環しているのか?と言われれば、十分ではないと思います。前にも感じたことですが、この「さをり織り」の経済効果がどのくらいかは別としても、地域で障害者の雇用の場を作りだし、そして地域の人々が喜んで彼らの作品を購入していく…という一つの循環は、実は「地域でともに生きる」ということにもつながってくることです。これも立派に地域産業になれると感じます。しかし何よりも、重要なことは、さをり織りの作品を心待ちにしている人の多くは「地域で支えていく」という意識よりは、むしろさをり織りの大ファンであり、さをり織りが大好きな人たちであるという事実だと思います。だからこそ私は「さをり織り」の可能性を感じます。
 可能性を開いていくためには、頑張って「さをり織り」を作りつづけてもらわなくてはいけないし、そのための設備なども今以上に整備する必要があるのかもしれませんが、こんなに多くの人たちが地域で生まれた「さをり織り」を心待ちにしているなんて・…と私は展示即売会の会場へ行き、熱心に自分にぴったりの一品を探している人たちの姿を見ながら、何だか感激を覚えたのでした。

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2004年03月22日

巨大マンションの行方は?

 建設環境常任委員会を傍聴しました。何しろ多摩市が始まっての一大事、巨大マンション計画に対して住民からの陳情が提出されていて、これに対する審査が行なわれるからです。午前中は委員の現地視察をしたようです。

 今日の委員会では容器包装リサイクル法改正に向けての意見書を国に提出することを求める陳情(これは一生懸命署名集めをしました。)も全員一致で採択されました。このごみ問題と絡めてですが、もう一つゴミの有料化について全市民的な議論をして欲しい主旨の陳情もありましたが、こちらは継続となりました。ゴミの有料化については、現在審議会に諮問中であると言うことでは議会としての結論を出す時期ではないとの理由からです。
 そのヤリトリの中での部長が「ゴミを減量しなければならない。だけど清掃工場の効率から考えればゴミがなくてはならない。この2つの相反する課題を抱えている。」との発言が。何でも焼却炉の温度を高音に保ちつづけるためには一定量のゴミが必要で、ゴミを減量することによって温度が保てなければ、要は、高温にするために熱を購入しなければならないと言うわけです。
 そもそも稼動2年過ぎのまだまだ新しい清掃工場。ゴミ減量化時代を見据えた造りではないの?と私も驚きです。性能はものすごくいいようですが、その性能の良さを発揮するためには一定量のゴミが必要。・・・でも家庭系のゴミは減量傾向にある…となればプラスチックを燃やすことも考える(今でも一部焼却しているが)という風につながるのでしょか?ちょっとあんまりの発言に思わず傍聴者からも「落胆」のため息が聞こえました。

 さて大型マンションの問題ですが、建設現場の連光寺地区とマンション建設により日照権など居住環境が悪化すると思われる関戸地区の住民の方がたくさん傍聴にいらっしゃいました。
 陳情ではマンションの高さを「20階から10階へ」下げるように事業者に指導して欲しいという内容でした。陳情などの審査をする時には「文面通り忠実に」というのが大原則なので、「20階から10階」という風に限定的に書かれているところは審査をする上で少々ひっかかる部分でもありました。もちろん気持ちはわかりますが、事業者としては法的には何も違反をしていないわけで、議会としての判断をするにも後々問われる部分かなと思ったからです。

 私たちの会派でもどうすべきかを迷う面もありましたが、現状として、とにかく事業者が住民との話合いに応じる姿勢に欠けていて、非常に不誠実であること。行政も市長名により事業者に対して何度となく働きかけ、住民との協議の場をちゃんと設けることを要請しているにも関わらず事業者の回答がないこと。これらの経過を踏まえれば、確かに高さを10階へという陳情の文面通りに受けとめた審査は難しいけれど、この陳情を採択して、議会としての態度をしっかり示すべきだと判断をしていました。よく用いる「趣旨採択」だけは避けたいと考えていました。

 行政側からは先週の金曜日づけで事業者に対して再度通知書を出し、住民との協議を誠実に行うことなど要請をしていて、その回答期限を今月30日にしているとの説明がありました。
 議会には水面下で事業者の回答を待つという選択肢もあり、その回答を待ってから陳情の審査をしてもいいのではないか?という意見もあるようでしたが、会派では仮に今日結論を出すのではなく、「継続審査」にするのならば、30日の事業者側の態度を見て直後に委員会を開催し、さらに臨時議会を召集することが条件にしようと決めていました。もし閉会中の審査になり、委員会としては4月中にでも結論が出たとしても、本会議でなければ最終確定とは言えません。通常のままだと本会議ともなれば6月になってしまうので、それはいかがなものか?むしろ議会の態度が問われると考えたからでした。
 結局はさまざま質疑がかわされた後で、全委員とも採択。もちろん「10階」というところでは、後に法律に関わる議会の見解を問われないようにしなければなりませんが、どの委員の討論を聞いていても「事業者の態度の不誠実さ」を問題にしていたように思います。行政の事業者に対する働きかけ、行政が何とか手を尽くそうとしている努力も一定の明らかになりました。それにしても、さまざまな経過の中で悪い方向に事が進んでいることがわかりました。そしてやはり財産権重視、所有者第一主義にて成文化されている法律の欠陥も明らかにされたように思います。「まちづくり」という視点が希薄な法律で、「居住福祉」の発想に立たないからこそ、このような紛争が発生していると考えます。

 今後、どのように動いていくのかを注視したいと思います。昨日の傍聴席には事業者もいたそうで、会議の録音をしていました。(事前に申請があれば録音出来るのです。)30日の回答期限までに事業者はどう結論を出すでしょうか?行政も、議会も、そしてもちろん住民も気が気ではないという状況でしょう。
 お隣の府中では20階以上の建設計画が周辺住民の反対もあり、10階程度に高さを押さえたとの事例もあるそうです。ここは事業者の在り方が問われています。どんな態度を示してくれるのかがまずは第1関門です。

☆関戸の街を考える会☆のホームページはこちら↓
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~yosshii-y/sekido/index.htm

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2004年02月20日

美辞麗句はいらない!

  都市計画審議会がありました。多摩市の都市計画決定等は上級庁である都の権限がまだまだ大きく、市では学識経験者や関係者(警察や消防等)、公募市民と議員を含めた審議会を開催し、そこに意見を諮った後、東京都に対して意向をお伝えしなければならない…というのが法律上の決まりになっています。市長の諮問機関には議員がいることには疑問がありますが、もちろんこの場合は市議会の決定を仰ぐ必要がありません。それはいかがなものかということで、恐らく諮問機関ながら議員を参加させる仕組みになっているのだと思います。法律はやっぱり賢くつくられています。

 今日の議題の中に東京都の都市計画マスタープランの案が示され、都に対する意見を集約がありました。行政が作成する文章は本当に上手だなあと思って感心して事前に読んでいましたが、「こんな書き方で大丈夫なのだろうか?」と思える部分がいくつかありました。正直、私は都市計画審議会の委員としては専門知識も不足していて勉強不足なので、あまり積極的に意見を言うことを控えているのですが、他の人がもし指摘をしなければ、一言だけでも意見を言おうと考えていました。
 するとやはり同じことを感じている人は多かったようで、「美辞麗句を並べただけに過ぎないと感じます。」というとても率直な意見が出されました。そして「何を根拠にどんな分析をしたのかがまったくわからない。」という厳しい意見がありました。これも同感でした。
 というのもニュータウンは既に現在進行形で高齢化が進んでいて、特に初期入居地域では深刻な問題になっているにも関わらず、「今後一斉に高齢化が進む」という認識。建替えやバリアフリーの問題についても、もう今すぐにでも解決してもらいたいのに「(これから)適切な対応が必要」というようなのんびり口調…。全くここに暮らしている人の認識とは乖離している気がしました。やっぱり都の職員を中心に机上の空論でつくられた計画だなと私はつくづく感じていたのですが、そのことをズバリと指摘をし意見として他の委員さんよりあがってきたのでとてもすっきりしました。
 「計画」ってなんのためにあるのでしょう?マスタープランというのは一番の拠所となる計画なんだそうです。一応、評価出来る点といえば団地の更新(建替えなど)への対応をしていくことはボヤッとでも考えには入れてくれてそうだと言うことです。東京都となれば多摩市だけではなく、他の地域のこともあるので、どのようなバランスを取りながら記述がなされているのかも実は見ていかなくてはならないわけですが、事前に送付された資料でも多摩市に関連する部分だけのコピーが送られてきただけだったので、その判断もなかなか難しいところだなと感じました。
 後から考えて、事前に東京都のホームページででも見ておくべきだったと反省しましたが、とにかく東京都にとっての多摩ニュータウンが一体なんだったのか?どんな位置づけをしていくのかの明確な方向性が全く感じられないマスタープランの案でした。

 このことは、実は多摩市の作成するさまざまなプランについても当てはまります。その意味では「計画のつくり方」という点でも一つ研究課題あるなと考えたのでした。

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2004年02月06日

考えあぐねてしまう多摩センターの活性化

  政策ゼミのチームが多摩センターの活性化をテーマにしているので3月議会の一般質問は自ずから決まってしまう。商業の活性化について、いろいろ調べてみると、行政がリーダーとして頑張っても何ともならないところがあり、やっぱり地域で商業に営んでいる人たちが自分たちの知恵とアイデアで頑張っているように思います。行政の役割としては事業者をサポートするという裏方の役。例えば法令的なことで規制がかかりそう…な危険があれば、何とかそれを回避出来るような法令解釈の工夫することは職員の最も得意とする仕事ではないかなと思います。

 今日は政策ゼミのメンバーとインターン数名で多摩センター活性化に関する話を聞きに行きました。対応してくれたのは部長と「多摩センター活性化推進室」の室長さんでした。わりと行政マンっぽくないタイプの方々で、ざっくばらんな雰囲気のなか話が進んだのには、とても好印象だったようです。

 ご存知のように多摩センターには未だ30haの空き地があり、ここをどうやって活用すればいいのか…その活用の方法が鍵をにぎるのかもしれません。企業誘致なども思うように進まないのが現実です。
 私たちのチームでは「そもそも『活性化』ってなに?」というところから話が始まり、まだこれについても議論を深めなくてはいけないところですが、「多摩センターってあの広々としている感じがいいよねえ。」というのが共通の認識です。むしろ駅前に巨大ビルが林立するよりは今みたいな方が‘ホッ’とするよね…ということです。

 多摩センター駅の乗降客数はとても多いです。学生も多く利用します。しかしながら、インターンに来ている中央大学の学生が「小田急の改札からモノレールの駅までの間しか歩いたことがない。」と言うように、ただの乗換駅にしかなっておらず、「多摩センターでぶらっとする
。」なんて考えにも及ばないという人は少なくなさそうです。
 どうやったら人が寄ってくれるのか?集ってくれるのか?ということがとても悩ましい問題です。さらには多摩センターで「お金を使ってもらう。」というところまで結びつくのが一番いいのですが…。私たちの間では「行きたくなるお店がないよね。でも、多摩センターにあるからって行くわけじゃないよね。」というのも正直なところです。だから仮に若者向きのお店が来たとしても難しいだろうなと思っています。
 結局は「じゃあ、多摩センターに住んでいる人の不満ってどこにあるのかなあ?」と考えてみるのですが、住人にとってはそれほどの不満ってないのかもねえ…と思ってみたり。
 こう考え始めると結論も見えず「困ってしまうよね」と行き詰るのでした。

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2004年02月02日

行政も議会も何もできない?!

 インターン生が加わった朝遊説がスタート。いつもよりもにぎやかです。いわゆるビラ配りは簡単そうで難しいのです。冬は寒くて、ポケットに手を突っ込んでいる人が多いこと、とにかく足早に通りすぎる人が多く、さらにはやっぱりしかめっ面の人も多いのが朝。毎回様子も雰囲気も違うので正直緊張感もあり、新鮮味もあります。

 今日は午後から、建設環境常任委員会の勉強会?がありました。正式な委員会ではなく、委員同士の共通理解を深めるための集りでした。議題は現在、連光寺1丁目地区に建設されようとしているマンション問題についてです。

 多摩市でも初めての大型マンションの建設。計画では516戸で19階建ての計画です。計画地はちょうど川﨑街道沿いで向ノ岡大橋の南側の広大な土地です。
 ここは連光寺地区計画の一画にあり、もともとは土地利用計画が業務施設地区。例えば会社の本社ビルみたいな事務所など、業務施設が立地する予定でした。ところが経済状況の変化もあり、所有者は土地を手放すこととなりました。そして所有者変更とともに、 昨年に住宅・業務地区に変更しました。その際には都市計画法上の手続が必要です。私自身は前任期中は建設環境常任委員会のメンバーだったので、当時はあまり状況がよくわからなかったものの都市計画審議会で土地利用計画の変更が審議されていることなどの報告を受けた記憶があります。
 この地域では道路が狭く、まだ下水道が完備されていない唯一の場所でもあり、広大な土地の開発にあたっては、道路整備や下水道の敷設など整備が条件の中に含まれていました。つまり土地所有者は‘まちづくり’に協力をしながら開発をする義務があるということでした。もちろん、周辺には古くから住んでいる市民もいるので、住環境という面では細心の注意を払うことは当然のことでしょう。地域には地区の街づくり協議会もあり、広大な土地の土地利用計画の変更にあたっても住民合意をしっかりと取り付けなければなりません。業務施設地区から住宅・業務地区の変更については行政的な手続は踏んで行ったわけです。

 ところが、問題になっているのは…今までの話合いの中では建物についても概ね10階程度というイメージの中で進められていたようですが開発業者から住民に示されたのは19階建。その前には23階ほどだったそうで、一応は業者側も譲歩したみたいですが…。とにかく大規模で計画図を見ても「でっかい壁」が土地の形状に沿ってどーんとそびえたつ感じです。タワー状であれば少しは空間もあるので、気分的には開放感もあるかもしれませんが、類似のマンションの写真も参考に見せてもらいましたが、それこそコンクリートに圧倒され、圧迫感を覚える…というのが正直なところです。
 要するに周辺の住民にとっては「話しが違う」ということになっているのです。ところが…法律的には、それぞれ土地には高さ制限を設けていますが、それについてはクリアもしているし、何の問題もないわけで、あとは所有者本位で開発手続だけが進めば建築に着手されるという段階です。法律違反をしているわけでなければ、横やりを入れることは出来ません。実は地区計画の中でも高さについての取り決めがなく、業者側としては住民の反対があっても、調整役の行政が仲介しても、そして議会として住民の意向を汲み取ったとしても…結局は法律を遵守されている限りでは「歯が立たない」というのが現実なのです。
 そんな状況を見て住民の中には「行政のみならず議会も役立たない」という声もチラホラあがっているようで、そのことを非常に気にしている議員さんの発言がありました。その発言の中では「行政は現在の状況を、もっと住民に理解してもらえるようにすべき(つまり、法律的な観点ではある意味でどうしようもない・・・って言うことなのかなあ?)」との主張もありました。
 そもそもこの土地を巡っては色々な噂が飛び交っているのですが、事実として現在の開発業者は約40億円での土地購入を行なったとの話し。その前の業者は28億で購入したらしいのですが…。しかも、この土地譲渡が行なわれたのは土地が下落しているここ1年間の間のこと。この妙な譲渡状況についてもさまざまな憶測があり、見えないところで複雑に色々な思惑が絡みあっているようにも思います。

 一体ここの土地問題がどうなるのか?行政や議会は何が出来るのか?業者側は建設は手続が終わり次第に着手する勢いのようです。住民とは一応丁寧には今後も説明会などを進めていきたいとの説明はあるそうですが…。どうなるかはわかりませんが、もしもマンションが完成すれば新たに住まう人たちがいるわけです。私はその時のことも考えながら、この問題を見ていきたいと思っています。

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2004年01月06日

目的なく歩いても。

 ちょっとした用事があり、御茶ノ水まで足を運びました。大学の記念館が御茶ノ水にあるので学生の頃、たまに行くことがありました。
 まだ大学が休暇期間中で学生は見かけませんでしたが、御茶ノ水は私の好きな場所の一つです。学生街らしくちょっとごちゃごちゃ感があるのがいいなと思います。用事をさっさと済ませた後、すぐに帰宅しようかなと思ったものの、せっかくここまで来たのだからと古本屋街まで足を伸ばしました。しみじみと「古本屋街って本当に飽きない場所だよなあ。」と思いました。
 何の目的がなくてもフラリと寄りたくなるような魅力が古本屋街にはあります。真剣に本を探している人も見かけますが、何となくぶらぶらしている人もいて、人の動きを見ているだけでも楽しい場所です。目を見張るような値のついた本から、ワンコインで購入出来る本までいつまで見ていても飽きない要素がある場所です。見た目は同じような書棚が並び、本が積まれているけれど、その中味はいつも入れ替わっていると言うのも魅力です。
 
 私はあてもなくただフラフラ歩きながら、多摩センターのことを思い浮かべていました。そして私はやっぱり街の成り立ちが違うよな…と思ったのです。多摩センターは本当に人工的な場所だと感じるからです。古本屋街では両側ともビルだらけ。でも、どんなにビルが立ち並んでいても古びた自然な雰囲気が在るのとは違います。

 多摩センターの活性化はまちの重点政策です。現在は「毎週休日には何かイベントをやっている」という印象づけをしているようです。でも、何かやっていそうだから多摩センターに行ってみようという市民の動機づけにつながっているのかといえば私は全くそれには結びついていないと考えてます。たまたま買い物の行き帰りに遭遇しただけというイベントがほとんどのような気がします。

 目的がなくても楽しめる場所や要素があるかといえば、私自身のことを考えてみても、何かしらの目的がなければ多摩センターまでわざわざ行かないのが現実。自然に生まれた場所ではなく、あまりにも人工的過ぎて、ソフトウエアの部分も人工的にならざるを得ないからかもしれません。多摩センターに人を集めるためには常に頑張って知恵を絞って造り続けなえればならない気がします。どこかなにか自然な感じがなくて疲れてしまいそうです。どうやったらもう少し気軽に寄ることができるのかなと思います。「目的なくふらりと立ち寄れる」ことに寛容な場所ができれば、私はもう少し多摩センターが身近なところになるかなと感じます。できればパルテノン多摩にそういう場所があったら・…と考えているのですが、そのためには古本屋さんのオジサンのように多くは口出ししないで、必要な時だけに口を開いてくれるような人が不可欠だと思います。

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2003年12月14日

心和やかな昼下がりを

 多摩市出身の堀由紀さんとハンス・リケリンクさんのコンサートが無事終了しました。一応、司会としての役目も果たせて何とかほっとしています。
 障害をお持ちの方や高齢者の方が都心まで出かけて一流のコンサートを楽しむのはなかなか大変なことです。このようなコンサートを多摩市で開催出来る事は本当にうれしいことです。もちろん演奏をしてくださる由紀さんのコンサートへの理解がなければ開催することが出来ません。音を聞いて声を出したり、もし仮に席から立って演奏者に歩み寄ることがあっても・・・どんなことがあっても「大丈夫ですよ。」と、とても心丈夫にうなづいて下さいます。そんな由紀さんの心意気に支えられて、再び始まった演奏会でした。
 由紀さんのヴァイオリンの響きはとても柔らかく、そしてやさしいので会場全体がすーっとひきこまれていくのがわかりました。定員満杯ではない会場で、本当にゆったりと贅沢な時間を創り出すことに成功したように思います。このコンサートは、ほとんど中心人物一人が段取りなどを組み動かしているような印象を受けたのですが、その方はこれまでにもう数回、障害を持っている方々のためのコンサートなどを開催してきた市民プロの方です。自身の利益などは無関係です。私は行動力には脱帽ですし、このような活動は応援もしたいし、共感もします。
 さて、今回のコンサートでは事前にリクエスト曲を募集し、その曲にまつわるメッセージを由紀さんや会場の方とともに共有してから、演奏を聴くという新しい試みがありました。これもまたとても好評でしたが、リクエストして下さった方のエピソードには思わず、心がしんみりし、涙が込み上げてきそうになりました。(何といっても自分の口からメッセージを述べることは耐え難いということで、代読をしましたが、練習をしておかなければ声が詰まっただろうな・・・と思うような話でした。)来場者としか共有できない雰囲気ですが、何しろ本当にすばらしい音楽会であったことは間違いなしです。
 ぜひ、来年も由紀さんが来日されるのにあわせて、このコンサートが開催されれば、これほどうれしいことはありませんが、一人でも多くの市民の方に会場の空気を広げたいなあと言うのは私の勝手な思いかもしれません。このコンサートの趣旨はあくまでも障害をお持ちの方々とその家族を対象としているからです。しかしながら、それだけに留めておくのは少し残念な気もします。

 私はこじんまりとしたコンサートが大好きです。いろいろな場所で演奏者と聴衆者との距離がとても近く、そして音楽が本当に身近な生活の一部にとけこんでいくような・・・多摩市がそんな雰囲気のまちになって欲しいなと思っています。

 すてきなコンサートをお手伝いできて、ちょっとは気分がよくなりました。それにしても、困ったことに、家の中を歩いている分には元気だと思っていたのですが、外出となるとまったく状況が異なることがわかりました。それに、一番悪しきことは、私は常日頃から敏感なんですが、風邪をひくとさらに嗅覚が鋭くなり、普段は気にならないようなまちの臭い、特に排気ガスの臭いがやたらと鼻につき歩いていると気分が悪くなって仕方がないのです。多摩市の緑にもう少しがんばってもらいたい・・・などと思ってしまいました。

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2003年11月25日

生産緑地の話

 都市計画審議会があり、生産緑地地区の変更について決定しました。理由は市道の新設、拡幅に伴うものと相続によるというもの。前回の都市計画審議会で事前説明を受け、そして縦覧期間が過ぎたので正式な決定の運びとなったのです。

 生産緑地というのは、市街化されている地域内における緑地の保全の一手段で生産緑地法に基づいて指定されていますが、多摩市では‘みどり豊か’と言われているものの、近隣市と比較をすれば生産緑地地区の指定面積は少なく、一目瞭然で農地が少ないことがわかります。つまり、私は‘農’あるまちづくりに「人間らしさ」を感じてしまうわけですが、多摩市においては‘農業政策’とか‘食’政策の提案余地が狭いということになります。

 例えば給食にしても地場野菜がもっと流通していれば、子どもたちに対する食育も一味違ったカタチになるかもしれませんが、現状、給食センターで大量調理のため、材料にしても大量調達が可能でなければならず・・・が悩みの種。近頃は確か玉ねぎについては多摩市産がようやく導入されたと聞いていますが、実は細々とでも農業を営んでいる方が市内に存在するにも関わらず、食と農との顔の見える関係を地域の中でつくれないことは本当に残念です。私は食と農との結びつきを学ぶことはくらしの原点だと考えているので、日野市の学校給食の見学で、「今日の献立の○○は××地域の△△さんが作ったものです」という紹介を聞いた時は心の底からうらやましいと感じたことを改めて思い出しました。

 それにしてもやっぱり‘農’はくらしの原点。だからこそ、最近は市民農園なども大人気です。相続問題に絡んでくると、かなり生産緑地地域としての継続も難しいのが現状のようです。でも、何とか頑張って身近な‘農’を残したいなあというのが私の思いです。ちなみに、私は市役所への道すがらにある無人の多摩市産野菜の販売所がお気に入りです。

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2003年11月18日

30年間育ちすぎた松の木

 午前中に北諏訪小学校の6年生が行った松の間伐採の手伝いをしました。「忙しいだろうけど、もしよかったら、お手伝いに来てね。」と青少協の会長さんに松の伐採の話を聞いたからです。
 私が通っていた頃と比べて、松の背が随分とヒョロ高くなっていて鉛筆のようです。校長先生によると、今から30年前ほど、北諏訪小学校の第1期生たち(保護者ともども)斜面に松を植えたのだそうです。今の校長先生は若い頃にも北諏訪で教鞭をとられていたそうですが、その当時はまだ林業に従事している人や炭焼き小屋もあったという話です。
 今日も地元の人、特に馬引沢地区にはニュータウン造成前からの住人が多いのですが、その方々の協力を得ながら子どもたちとともに間伐採作業をしたのです。
 「地域に住んでいるボランティアの人・・・」という先生の紹介の後、代表の方が「どうして伐採をしなくてはいけないの?」という話をし、とてもわかりやすい説明で子どもたちの関心をぐっとひきつけたように思いました。
 私は・・・といえば、松が植わっている斜面下には遊歩道があるのでそこでの通行人の安全確保などの役目をもらい、あとは各グループ(全部で6班に分かれました)の木を切り倒す様子を見ていました。
 
 生木を切るのはとても大変なんだそうです。子どもたちも随分と苦労しながら、のこぎりを動かしていました。初めはぎこちなさそうな手つきの子どもも、だんだんに面白がっているように遠目からは見えました。やはり木が倒れる瞬間には「うわぁ!」というため息まじりの歓声が上がります。倒れた木を見ると、改めて今まで放置しすぎて手入れをしなかったために、大きくなりすぎているなあと感じるわけです。これで少しは太陽の光が入りやすくなります。
 途中で私の目の前を通った奥様が「まあ、切り倒しているのね。私もこれを植えたのよ。」と言いのこして去っていきました。「せっかく植えたんだけれど、大きくなりすぎたのねえ。」とおっしゃってもいました。何だか妙に歴史を感じてしまいました。

 そして私は自分の小学校時代と比べていました。私の時代よりもはるかに豊かな経験をしていると感じるわけです。というのも松の間伐採はもちろんのことですが、ちょうど集合場所のグランドには夏休み以降に畑が設置されているのですが、その畑からおそらく大根を間引いたのかな?と両手にたくさん持って流しに洗うに走る児童たちの姿も目撃したからです。私の時には教科書通りに小学校1年生でアサガオ、次にヒマワリという風に、あとはヘチマとジャガイモの栽培をした気がするわけですが、畑作業などを体験した覚えがないからです。

 机での勉強だけでなく、体験をたくさんとりいれる学習ということでは随分と充実しているように思いますが、昔はと言えば、別に学校で畑作業をしなくてもいくらでも近所で手伝うことも出来たし、土に触れる機会はイヤというほどあったわけで、その意味では子どもたちが学習することが膨大過ぎて、一年間だけでは足りなさそうに思ってしまいます。少なくとも昔の子どもも、今の子どもも小学校の‘6年間’という時間の長さにおいては平等だからです。

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2003年11月07日

多摩センターのご当地キティちゃん。

  生活クラブ運動グループで予算要望をするために市役所へ行きました。あまりにも久しぶりの市役所は懐かしい感じがしました。市議もほとんどが選挙中。一人だけ出庁ランプがついていましたが、4階の議員控え室は静まりかえっていました。「鬼の居ぬ間に○○・・・」なんてことはあり得ないと思いますが、議員の留守中に大事なこととか決まってたりして?とちょっぴりうがった見かたが頭を掠めました。そういう考えを持てている自分に、何となく人間が汚くなった気がしました。

 さて、今年は予算要望といっても、正直、お金がない!とお手上げ状況の市に対しての要望事項は限られてしまいます。大きな土木事業としては、給食センターの建替えを要望しているくらいです。あとは、ほとんど‘まち’を理念的に方向付けするために条例策定の要望(特に子どもの権利条例と男女平等推進条例、それから市民自治基本条例も含みます。)をしています。
 今回はひとこと提案のアンケート調査で「活性化」がテーマでした。そこで「多摩センター活性化に関しての提案」として、数項目も付け加えました。
 とにかく多摩センター駅前を活性化したいという思いはあるのですが、意外と調査をしてみると、私たちが考えているようなお店があったり、イベントをしてみたり・・・と行政も努力をしています。例えば美術館などもあります。しかし、多摩センター駅前はどこになにがあり、どんな催しをやっているのか?が一目でわからないという不便さがあります。そういう意味で「情報提供の工夫」をしてもらいたいということ。私はよく色々な場所へ行き、駅を降りた時、まずは銀行がどこにあるのかを探します。銀行が駅前のわかりやすい場所(ATMでもいい。)にあることと、郵便局がわかりやすいところにあると「便利さ」を感じます。
 つまりはせっかくハローキティの案内板もあるのに、何となく活用されていないのが現状。駅を下りてすぐに(改札出たら)わかる!というのが理想です。ここは何とかできたらいいなと思います。今は掲示板にペタペタ、ベタベタとポスターがはられているだけ。それもあまりきれいな貼り方ではないので「見てみよう」という気分がおこらないことも解決すべきと考えています。
 他には、駅の北側の乞田側沿いを散歩道としてもう少し整備できないかなあということ。それからストリートミュージシャン、ダンサーが活用できるベデストリアンデッキの活用。このペデの活用についても行政はすでに着手しつつある様子。
 最後はやっぱり市民からも「これが多摩市にあって良かった」と評価されたパルテノン多摩の活性化です。

 多摩センターは「ハローキティに会えるまち」なのですが、ちっともキティに会うことが出来ません。できればもっとキティちゃんを活用したいのですが、ロイヤリティが一番のネックだそうです。
 私はペイントハウスにキティの部屋があるということを聞いたので、ぜひ京王プラザホテルの一室をペイントハウスさんにキティちゃんで内装してもらい、一室限定で宿泊できる部屋をつくれないかと思っていたのですが、すでにそれは行政でも考えていた様子でした。そして、何と言っても私は多摩センターにご当地キティちゃんがないことに疑問を持ちつづけていたわけですが、それについても少し動きそうな気配です!

 私はちょうどベデストリィアンデッキから多摩センター駅方向に臨んだ時、駅の壁が殺風景に見えるのですが、ぜひそこにキティちゃんのキャラクターでおめかししてもらいたいと思っています。サンリオピューロランドは遊びおわって一旦門を出てしまえば、その余韻がまったく感じられないからです。つまり最後、多摩センターの駅にたどりつく時、キティちゃんが眼に入れば「また来たいなあ・・」とか「楽しかったなあ・・・」とか考えながら帰路につけると思います。これは私の勝手な思いです。そうすれば「ハローキティに会えた‘まち’」という感想が深まる気がするからです。

 ところで、今日耳寄り情報を聞いたわけですが、多摩センターの白山神社とサンリオ内でしか販売していない「お守り」があるそうです。これはまさに地域限定!私はまず、これを入手したいと思っています。そしてご当地キティちゃんですが、どんなデザインにするのかを考えてみましたが、なかなか多摩市の特徴などが思い浮かばず、多摩市オリジナルというのは意外に難しそうです。もし、ご当地キティが出来たなら、私は多摩市のお土産として方々に配るつもりです。

 選挙戦残すところあと1日です。私も今日、ベルブ永山で不在者投票してきました。列が出来るくらいに混み合っていてびっくりしました!(投票率はどうだろう・・・?)

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2003年10月23日

PEACE PROJECT@TAMA

 今日は急遽予定を変更して、ピースボートの事務所へ行きました。ピースボートでは約3ヶ月間ほどかけた船での地球一周の旅を運営しています。高田馬場にある元々「お金のないピースボートの連中たちの行きつけの居酒屋だった」(そうです。)場所が、現在の事務所になっていて、かなり立派でした。
 中では、次の乗船をする予定になっている老若男女が集い、作業をしていました。ピースボートではボランティアスタッフとして働くことで乗船料が軽減されるという仕組みがあるからです。正直「すごーい!こんなに色々な人が乗船するんだ!」と思いました。「3ヶ月間の楽園」とピースボートの旅を表現する人もいますが、その言葉がわかる気がします。でも、乗った人にしかわからないことがたくさんありそうです。ピースボートも知名度が上がり、いろいろと話題にも上りますが、外から見てあれこれと非難をしていても始まらないなあと思います。
 とにかく「自由」という雰囲気があります。特に誰かに強制されるわけでなく、自分が乗船する心の準備も兼ねて、自発的に事務所にやってきて、自分の役割を探して作業をしているのです。フリースクールの雰囲気に似ているように感じました。

 さて、PEACE PROJECT@TAMA(略称PPT)というのは、多摩地区在住でピースボートに乗船したいと思いのある人を「派遣代表者」として送りこんでしまおうという企画です。PPTが保険料を含めた140万円を負担して、本人負担は40万円。PPTが一人一万円の出資者を賛同者として募りながら、お金集めをしていきます。そして派遣代表者に応募してきた人を選考します。代表に選ばれた人は乗船中に多摩にレポートを送ってもらう等の約束がありますが、特にピースボートが港に停泊中は、現地の「コミュニティ」を見てもらいたいという思いがあります。

 実は、どうやって賛同者を募るのか・・・というところにも面白さがあり、呼びかけ人になっている人たちの責任もあります。派遣することは決めてしまったので、もしお金が集らなければしかるべき責任をとることとなります。だから必死にこのプロジェクトの趣旨への賛同者を集める必要があるのです。賛同者集めをしながら、縦割り市民活動の横のつながりもつくっていければいいなあと考えます。(得てして、市民活動は専門化しすぎていて、たこつぼ化している部分があるからです。)

 市民活動などが抱える悩みの中で、なかなか世代交代がはかれない、ずっと同じ人が中心で動かしている・・・・という状況が多々見受けられると思います。その一番の原因は、やっぱり新しい人材を育てるきっかけに出会いにくいところにあります。このPPTのプロジェクトでは新しい人材を発掘して、育てていこうという意味合いもあります。派遣代表者には、地域を元気にするための新しい風になってもらおうと考えています。・・・というのが理想図です。いろんな人たちが一人に思いを託すというのは結構面白いと思います。

 この趣旨についてピースボートの事務局の人たちも「面白がって」くれて、協力してくれることになり、着々と準備を進めている最中です。私は・・・と言えば、呼びかけ人になりながらお金集めをするというよりは、どちらかというと派遣代表者に応募してくれる人材発掘をしているところです。成功するかどうかは「海のもの山のもの」でまったくわからないのですが、「成功させるしかない!」わけで、一汗以上かく必要がありそう!
 
 ところでかつての話ですが、海外のとある町で、帆船の旅に参加をしたいという若者が、自分自身で各家をまわり、自分自身の帆船にかける思いを語りながら、出資者を募るという事例もあったそうです。その時、同じ帆船に乗り合せた日本人には大手広告代理店がどーんとバックについていたそうでっす。この2つをミックスさせた感じ…PPTではこれをモデルにしています。

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2003年10月19日

eワーク情報局@多摩センター

  総選挙に向けての活動は、自分自身の選挙しかやったことのない私にとっては何もかもが初めてで目新しいことばかりです。今日は午前中に「うぐいすデビュー」しました!自分のことを語ることは簡単ですが、ただのナレーターやアナウンスではなく、伝書バトではありませんが、アナウンスすべき内容に気持ちをのせることは難しいことがわかりました。
 数人から「えっ、動員されているの!」と怪訝な目つきで見られました。「選挙が仕事じゃないからね。」と釘をさされました。

 さて、ようやくe-ワーク情報局、パルテノン多摩の5階にあるシティサロンのスペースを活用して展開していますが、そこでの催しに参加できました。いつもタイミングが悪くて、なかなか様子伺いもできないままでしたが、とても気になる場所であり、気がかりな事業の一つだからです。
 というのは、何しろこれは今年度一年限りは総務省のいわゆるひも付補助金一千万円の運用により行われているわけで、来年度以降はどうするのかなあということ。もちろん、多摩センター活性化の一貫と理解しているわけですが、いまいちPR不足を感じていること。…あっというまに時間が経ってしまうので、成果があがらないままにこの事業をたったの一年間で終えるつもりなのかどうか?どうやってこの事業の評価をするのかなあという関心があります。当然ながら私自身もシティサロンという豪華パルテノン多摩の一角にあるスペースの有効活用という視点ももちながら、「eワーク情報局」に注目をしなければなりません。せっかく今年度スタートした事業には期待と不安が半々です。「補助金ありき」の事業ではないことは、来年度の展開によってわかるはずです。

 ちなみに今日の催しは「市民による講演会」でした。もともとこのeワーク情報局自体が市民の力を生かして運営されているものです。その点からいえば、私は気長に取組んでもらいたいなという気持ちもあります。今日の講演会はこじんまりと開催されましたが、なかなか味わい部会講座でした。やっぱりもう少し人が集まったらいいのになと思いました。

 今日は、ちょうど多摩センター活性化事業として「ハロウィン多摩」が三越前広場を中心に行われていましたが、こちらはまずまずのにぎわいでした。昨日と今日の2日間の開催でした。昨日は残念ながら見ることが出来ませんでしたが、職員自らが衣装などを自費で買いこんで仮装ショーに参加をしたそうです。見た人から感想を聞きましたが、「いやー・・・感心した・・・」と言っていました。
 三越前はいつになく盛りあがっているのをみました。私たちの会派では多摩センターの活性化としてイベントをやるのも多いに結構。人が集まり、にぎわいが生まれること自体には大歓迎ですが、何だか一発モノのイベントに終始してしまい本当の意味で私たちが求めるべき活性化ができているかといえば疑問だなと考えています。イベントを打ち上げて、もちろん一回限りで見れば人も集まるし、何となく成功感が味わえたとしても、それだけで終わり。・・・これでは虚しい限りなのです。何のための多額の投資なのかなあ・・と頭を抱えてしまいます。
 でも、悲しいかなこれが現実で、多摩センターに持続的なにぎわいを創り出せるだけの魅力を持たせられず、その間に他の地域が元気になっていくのを指をくわえてみている状況なのです。実は「多摩センターをどんな風にしたい?」ということが、明確に打ち出されているかと言えば、そこがまだまだ甘いのかもしれません。

 とにかく色々な仕掛けを試そうとしてる、そして多摩センターを元気にしようとの取組みをもう少し市民にもアピールして、市民にもっともっと評価してもらえるようにすべきです。多摩センターを素通りするだけの市民が「おっ!」と思えるような何かを見つけ出せればいいわけですが、それが一体何かがわからない。そもそも既に見つけられていればこんなにも苦労はしないか・・・。

 ちょうどハロウイン多摩が終わりにさしかかった頃、土日フル活動して、ちょっとヘトヘト気味な市の職員さんに出会いました。最後まで片づけを見守り、手伝っている職員の姿を見ていて思ったことですが、きっと、今、この場所を通過している人たちの中で、彼を多摩市の職員と思っている人は少ないだろうなーと。「本当にお疲れさまだよな」と心のなかでつぶやいておきました。

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2003年10月12日

格好つけるほうが格好悪い

 今日は議会後の3駅での遊説でした。桜ヶ丘からスタートしましたが、桜ヶ丘ではちょっとした駅前イベントがありました。京王ショッピングセンターが主催なのかな?という感じで、社員とおぼし気ネームプレートをつけた人が見張り番として数多く配置されていました。(遊説は出来ませんでした。)通常の休日よりは幾分にぎわっているように思いました。

 その次は永山駅。永山は通常の休日はいつも閑散としていて、人はまばらです。今日も電車に乗車する人と降車してきた人…がほとんど、お買い物客はほぼいない…時間帯の問題もあるのかもしれませんが、休日は‘マイカーでお買い物’というパターンが多く、とにかく最近コストコなど外資系の大きなスーパーが多摩境に出来た事もあり、人が流れているのかな?と思います。
 それからグラン多摩フェスタに行きましたが、ちょうどフリーマーケットも一緒に開催されていたこともありグリナードの4階広場とベルブ永山のところには人が集まってきているように思いました。国士舘大学の学生が昨年からボランティアとして参加しています。たまたま彼らがリードするフォークダンスに出くわしました。
 グラン多摩フェスタは別名「高齢者いきいき祭」。若者(若い男性)と手をつなぎ、輪になってマイムマイムを踊っている高齢の女性たちは楽しそうでした。

 そして最後の多摩センター。三越前ではベデストリアンデッキにいつもの露店が出ていました。とにかく空間が広々しているので、人の数が少なく感じます。でも、意外なのは市外の人も多いこと。ネットニュースを配布しても「私は多摩市じゃないので…」と断われることも多いです。

 やっぱり3連休の中日には人が少ないのかなあと思いながら、遊説終了後に南大沢に行ってみました。買い物がてらに南大沢を見に行ってみようと考えたからでした。駅に降り立った瞬間から活気があることを感じました。買い物に行く人が「うきうき」しているような雰囲気が漂っていること、それから若い人がたくさん下車したこと…そして改札を出た瞬間からとにかく人が‘いる’といううごめきのようなものを感じ、南大沢再生の起爆剤となったアウトレットモールには信じられないくらいの人が集まっていました。
 特に客層ですが、小さな子ども連れの家族と若いカップルが圧倒的多数。レジのところも軒並み列を作っているように見えました。「恐るべし購買力」を目の当たりにしました。人が集まるところには集まることがわかります。

 比較するのも情けない話ですが、多摩市の3駅では人の群れを感じなかったなと思います。つい最近まで南大沢は多摩市よりも、もっと活気がない‘まち’でした。それが仕掛け一つで見違えるようになったわけで、きっとやり方一つで多摩市も元気になるはず!と思います。
 多摩市内だけで解決しようとせずに、もっと幅広く多摩を救うためのアイデアを募集したいところですが、実は駅前活性化などで頭を悩ます自治体はどこでも同じような思いで空回りしているような気がします。私も批難だけするのではなく何か名案を思いつけばいいのですが・・・。

 ただ、私が思うことですが、多摩センターといえば「多摩の山の手」と言われた時期もありました。でもこのプライドはもう捨てた方が良さそうに思います。こうやって「山の手」イメージの多摩ブランドはゼロにしなければ、実態にそぐわないからです。いつまでもそれに拘っていると逆に格好悪くなっていく・・・まちの元気がなくなっていくことについて市民がどう考えるのかが大事だなと思います。

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2003年08月09日

キャラバンに出かける市民!

 大和市の自治基本条例をつくる会が市民向けの中間報告会に参加しました。昨日の雨の中、もしかすると中止かもしれない…と思って心配したのですが、すでに会場はざわめいていて、始まる寸前には満員になっていました。おそらく200人くらいはいたと思いますが、大半は市の職員のようでした。なぜなら、お互いに知り合い同士で「おっ、君も来ていたのか・・」みたいな会話が飛び交っていたからです。

 大和市の自治基本条例もワークショップ形式で進められていますが、「つくる会」自身は公募市民35名と、学識経験者に職員を加えた40名ほどで構成されています。なかなかユニークなメンバーがそろっているようで年代も様々でした。
 基調講演の後、「つくる会」メンバーの寸劇があり、休憩を挟んで市長もパネラーになった公開パネルディスカッションがメニューでした。自治基本条例は漠然としていて、わかりにくいテーマです。それを出来る限り、親しみ持ってもらえるように…という「つくる会」メンバーの努力が伝わってきました。
 私の後ろに座っていた人は「よくわからないなと思ってたけど、ちょっとイメージがつかめたなあ・・。」と話していました。

 主な論点として、多摩市の「つくる会」でも出ていたように①条例の最高法規性②市民とは?③住民投票④議会との関係があげられていました。そして会場からは条例の実効性をどう担保するのかについてという質問もありました。

 私が印象的だったのはパネラーと出た市長の言葉でした。「最終的には議決をいただかないといけませんからね。議員の方の見識が問われます。まあ、成立するかしないかはわかりませんが、私はこの条例を市民が策定していく、職員も含めて、みんなでつくっていくというその過程が一番大事だと思っているんです。」「間接民主主義と直接民主主義の対立なんて言われますが、対立はしません。」と客席に来ていた議員を意識してなのか言い切ったこともすごいなと思いました。

 大和市の「つくる会」は中間報告までに市民団体や、地元高校生との意見交換を行ってきました。そして市民説明会として今後、中間報告までの経過などを話すために地域へキャラバンと出かけているようです。そこは多摩市とは違っているところで、むしろ多摩市よりもいい取組みだなと思えるところでした。そして大和市のホームページを見ると自治条例の取組みについてとても詳しく掲載されています。多摩市もかつては掲載されていましたが・…。

 「つくる会」の市民自らがキャラバンをするところは、今後多摩市の「つくる会」でも取組んでみても面白いかなと思います。市の方では3回ほどの説明会をすると聞いていますが、その説明会も本来は「つくる会」と一緒に行えるのが一番理想的だなと思っています。「つくる会」も制定まで責任を持つことをパートナーシップ協定では約束をしていますし、市民協働による成果とするならば行政職員だけで説明のも説得性に欠けるからです。
 今度の説明会が市長が説明責任を果たす第1回目の時です。今後の動向には目が離せないなと思います。

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2003年07月12日

駄菓子屋さんのある風景

  今日のゼミで学生の卒業論文のテーマなど中間発表がありました。そのときに「駄菓子屋さん」をテーマにして調査をしてみたいという学生がいました。
 そう言えば多摩市には「駄菓子屋さん」があるのでしょうか?私の記憶では昔「つまんねい屋」という駄菓子屋がニュータウン通りにあって、自転車でわざわざ遊びに行っていた気がします。
 ところが今日、発表を聞いていると「駄菓子屋」というのは「パン屋」とか「ケーキ屋」とは違う使われ方で、歩いていける範囲に「○○商店」みたいなお店があり、そこに5円チョコや10円菓子とプラモデルみたいなオモチャが陳列されているような小さな商店のことをいうそうです。最近、レトロブームで「駄菓子屋」さんがもてはやされているように思います。先日までグリナード永山にも「駄菓子屋」風の店舗が入っていました。色とりどりのお菓子とお面や剣玉などが陳列されていて子どもよりも大人が「なつかしい!」と言ってお店を楽しんでいるようでした。私はついに「駄菓子屋」がこんなところにまで進出したんだとビックリしましたが、これは昔の「駄菓子屋」とは大きく違った性格のもので、私が小学生の頃に足を運んでいた「つまんねい屋」も実はこの一種に入ることを初めて認識したのです。
 つまり、私には「駄菓子屋」のある風景のイメージがつかないのですが、「駄菓子屋」を拠点にして作られる『親密圏』が、コミュニティを考えるキーポイントになるだろうというのが学生の着目点。私はその発表を聞きながら、ニュータウン地区には『生活圏』とは区別して語られる『親密圏』が想定された‘まちづくり’が進められてきたのだろうか?と思いました。というのは、コミュニティを大事にした‘まちづくり’の方向には『親密圏』のようなものがありそうに感じたからです。

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2003年06月30日

学校を地域に開いていくためには・・・

 中央大学で開催された都市政策セミナーに参加しました。このセミナーは法学部政治学科のゼミがいくつか集まって合同で企画をしています。私の学生時代にもありましたが、年に6回ほどセミナーを開催し、いろいろな人を招いてパネルディスカッションや講演をしてもらいます。今日のテーマは「教育」。2週連続講座で先週はフリースクール東京シューレの奥地圭子代表を招き、そして私が参加した今回は三鷹市立第4小学校の校長・貝ノ瀬滋さんの話でした。

 貝ノ瀬さんは「夢育の学び舎」構想の実現に校長として力を発揮なさっています。社会に活力を取り戻すためには、子どもたちを活力の在る人に育てなくてはならない、子どもたちが夢に向って元気に育っていける環境を創り出す…そのために地域社会と連携をしていこうというわけです。
 今までの連携は学校と家庭、地域の対等な関係があり役割分担の中で実現してきましたが、今や家庭も地域も単独で見れば教育力が低下をしているのが現実です。これからの教育は家庭も地域も学校もみんなで一緒に取組んでいく「融合型」の連携が目指されます。
 教育も随分と地方分権が進み、例えば年間100時間ほどある総合学習の時間は教科書もカリキュラムもなく学校ごとの自由裁量で内容を決定することが出来ます。まさに学校の自主性、独自性が問われ、ある意味でトップである校長の裁量権が発揮される部分です。

 三鷹第4小学校取組みは非常に有名ですが、学校をコミュニティスクールと位置づけ「教育ボランティア制度」を導入しています。
 ①コミュニティチャーは専門的な知識や技術を持った人が登録をし、主に総合学習の時間に活躍します。②学習アドバイザーは保護者が主体で算数や国語などの強化で先生の指導補助をします。事前には先生との打合せがあり、指導方法などで保護者側からの提案なども行っています。③きらめきボランティアは正規のクラブ活動以外の課外活動で放課後や休日などに子どもたちが自由に参加できる活動を支えます。手話や英会話、ハングル語、サッカーなどがあるそうです。

 教育ボランティア制度を始めるにあたっては、まずは地域の理解を得る必要があります。地域に説得・説明を行ったというように「学校の指導責任を放棄するのか」という声にも丁寧に答えました。学校が指導してきた内容に+αして、より豊かな学びを創っていきたいとの説明をしたそうです。子どもは「宝」というのは地域の思いと一致するところで、何とか動き出した試みです。
 恐らくスタートまでには紆余曲折在ったのかな?と思うのですが、当初はボランティア登録者20名でしたが、今では150名ほどの人が登録をしていて一日に20~30人ほどの地域ボランティアが学校に参画をしているそうです。貝ノ瀬さんが強調していたのは「先生と地域の人たちが一緒にやること、パートナーであり、決してボランティアは手伝いではない!」ということでした。教育現場に地域の人たちが参画をする、先生はボランティアをコーディネータしながら子どもたちにとって最大限いい学びの場を提供出来るようにしていく・…先生も学びます。「よく学ぶものこそよく教えられる」市民自身も難しいことをやさしく教える方法を学び、そして、もちろん子どもたちも先生や市民から学びます。…みんなの「学び」の場所になっているのです。

 この制度の評判は…もちろんいいに決まっています。ボランティア登録者は増えすぎて、活用しきれないくらいになっているそうです。子どもたちも地域の大人と触れ合うことに喜んでいます。地域の人たちも子どもたちとの交流で地域で挨拶をする機会が増えたと感じています。
 地域の中に学校があり、家庭があるわけで、地域が子どもたちにとって大人たちにとって心地よい居場所になる必要があるのです。貝ノ瀬さん自身、実際にはかっていないけれど地域が変わってきたことを実感しているそうです。

 さて、私が危惧をしたのは、貝ノ瀬校長なき後どうするのか?ということでした。人事異動は避けて通ることができないからです。校長の方針に左右されては困ります。そのことを尋ねると、すっかり手は打たれているようでした。
 教育ボランティア制度は今年の秋を目途にNPO化することに決めたのだそうです。そのことで学校と一定の距離を持ちながら活動することもできます。150人ものボランティアとの時間調整を学校が行うのは大変です。地域の自主運営により、学校の負担を軽減することにつながります。実際に教頭先生の負担はとても大きかったそうです。さらにはNPO化すれば、他地域の学校やフリースクールなどにもボランティアを派遣することが可能です。そのNPOには先生たちも登録をするそうで、異動してきた校長先生も自動的にメンバーになることを想定しています。これで教育ボランティア制度の継続性が担保され、活動そのものが広がっていく可能性大です。
 まさに貝ノ瀬さんが校長という立場で地域の仕掛人になり、コミュニティづくりに大きく貢献した事例です。「開かれた学校」というのは施設面での開放と教育内容そのものを開放していくという2つの側面があります。前者は進んでいますが、教育内容の開放はまだまだ進んでいません。けれども文部科学省が示している「地域に開かれた学校」とは後者のことだと思います。とはいえ、学校を開いたとしても地域がついてこなければ意味がありません。だからこそ、まずは地域づくりから手を加えていかなければ・・・。
 そこをしっかりと認識して、だったら学校をコミュニティづくりの起爆剤にしてしまおう!…地域ごと良くしてしまおう!と手腕を発揮した貝ノ瀬さんはやっぱり凄い人物で、パワーに圧倒されたのでした。「やる気」さえあれば…ということがヒシヒシと伝わってきました。

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2003年06月22日

子どもも大人も一緒に地域育て!

 日新カモミールの10周年記念シンポジウムに参加しました。2月にベルブ永山でKAWOの会のシンポジウムがありましたが、そのときのパネラーの一人が遠藤正さんで親子体験活動グループ「日新カモミール」の創設者でした。一度、その活動を見てみたいという興味があったので、今日はとても楽しみでした。
 会場の府中市立日新小学校は校舎の両側にテラスのある明るい学校でした。玄関を入るとカモミールの子どもたちが「いらっしゃいませ!どうぞ」ととても元気な声で迎え入れてくれました。受付の子どもも「どうぞ、こちらにお名前とか書いてください」と丁寧な応対をしてくれました。「よかったら大学の名前も・…」と言われました。(笑ってその場を凌ぎました…)

 今日は前半が週休2日制の仕掛人?今は文化庁文化部長の寺脇研さんの講演(寺脇さんは以前は文部省にいました。)、後半に習志野市立秋津小学校で地域開放している余裕教室の運営をしている秋津コミュニティの岸裕司さん、帝京大学の佐藤晴雄さん、そして遠藤正さんで「土日は子どもと遊々自適~地域と学校の連携による生涯学習の実践」をテーマにしたパネルディスカッションを聞くことが出来ました。
 官僚の立場で教育改革に取組んできた寺脇さんの話は非常に熱がこもっていて、週5日制を導入したことへの思いをたっぷりと聞くことが出来ました。印象的だったのは、学校5日制は目的ではなくて手段だということでした。学校を地域ぐるみで良くしていこう、親が地域が子どもに関心を向けさせる手段が週休2日の目的だときっぱり言いきったことです。「ゆとり教育」には批判もあるけれど、そもそもの思いを聞くことが出来て、週休2日の見方が少し変わりました。
 憲法では大人には子どもを見る「義務」が書いてあるように、子どもたちを育てるのは親、先生だけでなく地域の大人たちの役割だとおっしゃっていました。今は、子どもの6倍の大人がいるのだから、地域はもっともっと良くなれるはずなのに・…と少々ため息まじりの本音もチラリと見えました。
 
 学校評議員の制度も、職業的には校長先生がいても、決して学校は校長先生の私物でない…みんなで学校をよくしていこう、大人たちでいい学校づくりをしていく責任を分かち合うために導入したんだと言います。実際には形骸化していると言われがちですが、そもそもの目的を聞けば納得です。
 「まだ始まったばかりで、この制度がいいのか悪いのかは歴史が証明すること」という言葉には、‘よかった’と証明されるように行動をしていかなければならないと本人自らの決意も表れているように感じました。実際に寺脇さんは今、京都の小学校で活動をしているそうです。

 パネルディスカッションは実践取組の例でした。特に習志野の例では「お父さんの居場所づくり」をコンセプトにしていて、非常に面白い試みでした。見学に行こうと思います。場所柄も団地の中にある学校ということで多摩市にもちょっぴり似ている気がしました。余裕教室を地域開放し、そこは市民が運営している・…という所も一見の価値がありそうです。岸さんの「自分の子どもを幸せにするためには他の子どもも幸せにしなくてはならない!」との言葉には感激を覚えました。

 実践取組の話はどれも非常に参考になるものでしたが、たった一つ私が気になったことがありました。それは「子どもの参画」でした。例えば子どもたちと一緒に活動の反省会をしたり、活動企画を子ども主体で行うこともあるのかが気になりました。そこで何か子どもたちの意見をダイレクトに活かす仕組みがあるのかを質疑してみましたが、残念ながらその視点はまだカタチになっていないようでした。

 大人たちの目線から判断して子どもたちのためにいいコトをしよう!…そしていいコトをしてあげた!と満足をしているだけでは不十分。やぱり大人と子どもがともに評価したり、反省しながら進める実践が目指す姿であると思います。

 終了後、50歳くらいの男性が近づいてきて「子どもの視線は気にしなくていいんだよね…。今の子は何もないところから創り出すのって出来ないんだよな。時間かかるんだよ…」とわざわざ言いに来たのです。確かに時間はかかると思います。でも、私はいつも一番大事にしたいのは子どもの主体性や子どもの自発性だと考えているので、大人が準備をしてあげるのではなく、子ども達自身がいくら時間がかかってもいいから、自分たちの手で生み出すこと…その体験を大人が応援することを取り入れる必要はあるはずです。初めは‘お客さん’の存在かもしれないけれど、活動しながら、‘お客さん’を脱皮することが大事だと思います。あえて反論はしませんでしたが、「今の子はゼロから作り出すことってホント出来ないんだよ…。」ということを繰返しおっしゃっていたのには、何だか虚しくなりました。
 その一方で、帰り際、一人の女性が私のところに駆け寄って来て、「いい質問ありがとうございます。今まで欠けていた視点でした。本当にありがとうございました。」と頭を下げて下さったのです。とてもビックリしました。そのことに救われて、私は再び元気な気持ちを取り戻し、帰り道についたのでした。

 地域ぐるみでの子ども育てに必要なことは、まず地域の大人たちが地域人としてのキャリアを磨くことです。そのことが地域の教育力に結びついていくことを実感できたシンポジウムでした。子どもたちが地域の大人を「大切な人」「第2のお父さん」と呼んでいる様子が物語っていると思います。 

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2003年06月15日

焼きうどん的発想???

 町田市で行われた「焼きうどん的発想でまちを耕す!」という市民の会に参加しました。「私たちのまちのしくみを変えるには」というテーマで30分くらい話してもらいたいとのことでした。
 「焼きうどんてき発想」というのは・・・・固定観念にとらわれない新しい発想で・・という意味です。このキャッチフレーズをつけた張本人は20年前に居酒屋さんで初めて‘やきうどん’を食べて、非常に感激したそうです。うどん=ゆでるものという意識を大変革したわけです。素材をどう生かすか?それによっていかようにも味も変われば見た目も変わる!まさに新しいまちづくりの発想としてはピッタリではないでしょうか?
 ちなみになぜ「焼きうどん」が誕生したかというと、焼きそばの‘そば’が切れてしまったので急遽、うどんに変えてみた・・という逸話があるそうです。(本当かどうかは知りません。)

 「私たちのまちのしくみを変えるには」・・・私の結論では「自分が変わる」という一言で答えが出てしまうのですが、やっぱりそれで完結するにはあまりにもお粗末。事前にどうして議員になろうと思ったのか?、自治基本条例にかかわってどうだったか?などの話をして欲しいということだったので、今のところ私が考えている‘まちの新しいしくみ’の中で重要なポイントを話しました。
 とにかく私が考える一番のポイントは「議会の位置づけ」です。たいてい市民参加、市民参画、市民協働・…と言っても行政に対してのみのアクションであり、なかなか議会に対するアプローチをどうしていくか?という部分が見えてこないのが現状です。直接民主主義と間接民主主義との戦い!とも言える、議会をどう捉え、そして自分たちの場所として活用をしていくのか?というところを考えながら、議会と市民との垣根を乗り越える必要があると考えています。
 議員を‘先生’と呼ばなくなった時、私はいよいよ「焼きうどん」的発想が芽吹くと思います。そして新しくまちのしくみを変えていけるのではないかと感じています。

 行政権力も強ければ、議会の権力も強いのかもしれません。でもその権力ってどこから付与されたものなのでしょうか?「第3の分権」というように住民に対しても「自らの‘まち’は自らつくる」が実現出来るように権利を分けていくという発想があります。けれども、もともと権利を持っていたのは住民であり市民です。たまたま個々人が忙しくなりすぎて、自分自身の権利の一部を行政や議会にお預けしているわけです(お金を払っています=税金)。その意味で、私は分権というよりは返権、市民の持っている権利を返していく、戻していくという発想を持っていかねばならないと考えています。
 その発想は非常に心を楽にします。変な権力闘争や権利争いも起こすことは不必要だからです。だってもともと預けられていたもの、行政や議会の権力でも権利でもなく、市民のものであるからです。
 ただ、その権力や権利をどうやって戻していくのかが大事です。いきなり「ハイ、返します。あとは自分で何とかやってください!」と乱暴に言われたって困るからです。そのバランスをどうやってとっていくのか?そこに私自身は自治基本条例の存在があると考えています。行政と市民と議会が同じテーブルにつき、自分たちの‘まち’のこと、みんなで「権利について」を考え合うのだと思っています。
 市民は生き物だから‘まち’も生き物です。変化もするし育つと思います。ただ市民がカメレオンのように‘まち’の中で埋没していくのではなく、‘まち’がカメレオンのように市民の在り方によって色をまとっていく…私はそんなイメージを抱いています。今日の会のタイトルでも「まちを耕す!」となっていて、まさに自分たち自身で行動していこうという決意が感じられます。

 私は市民自治というのは行政区を越えていくと思っています。その意味で、隣の町田市で私と同じような意識を持っている方とともに新しい時代について意見交換できたことにうれしく思いました。

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2003年05月23日

もっと住みよい住環境に~「団地再生」の考え方

 ミニコミ誌に「団地再生」の話しが掲載されていました。日本では団地老朽化を迎えて、住棟の建替えることがあるけれど、ヨーロッパではよほどのことがない限り、20年から30年での建替えはなく、団地を長持ちさせながら使っていくことを考えるそうです。そのかわりに大規模修繕の時に、かなり思いきった改造、改善を加えて素晴らしい住環境を手に入れていると書いてありました。このように建替えに頼らない、団地の環境改善の手法を「団地再生」と呼びます。
 そこではスウェーデンのストックホルムの団地再生のことが紹介されていましたが、団地再生プロジェクトをリードした建築家は「住宅だけ手をつけても良好な住環境はできない」とし、自治体の住宅経営健全化も同時に提案、地域社会で全体で住宅が余り始めている中では団地の住戸数を減らして、生活の質を高めるための機能を付け加え住環境をより良くするリニューアルをしました。もともと1000戸ほどの規模の団地の300戸(もともと空家になっていた)は取り壊し、その跡地は共用スペースとして利用するように変え、住戸も様々なタイプの家族が住めるような住宅に変更(壁の取り扱いや内外装の改善を施す)しました。そのことで健全なコミュニティが生まれたといいます。
 さらには団地は同じような家並みが続くわけですが、外観にも手を加えて今までの面白味のなさを克服させ、冷たい画一的な団地環境を古い町や集落のような人間的な環境に作り変えたそうです。
 このヨーロッパの例は、団地リニューアルという点では事情がとてもよく似ています。でも、コミュニティの在り方が少し日本とは違うのかなという感じがしました。新たに設置した共同利用施設ですが、もともとヨーロッパの団地には共用室が珍しいわけでなく、この場合には更に共同洗濯場を設置して居住者が洗濯をしながらコミュニケーションも図れてしまうと効果まで生み出すことに成功しているのです。
 「共同体」という意識がニュータウンではなかなか醸成されにくく、そこを何とかしないと・・・・と動いているのが現状の多摩ニュータウンではないかと思います。先日のニュータウン学会でも「コミュニティ再生」・・・というよりは「コミュニティづくり」術に重点が置かれていました。コミュニティを創れば、団地の老朽化も何とか乗り越えることが出来るだろうとニュータウン建築をしてきた専門家の方は話していました。その話しと団地再生の話しは、まさに重なり合ったのですが、まずは「みんなで住んでいる」という意識を高め、コミュニティというつながりを創り出しながら、団地再生も並行しなければならないのが多摩ニュータウンで、状況の厳しさはヨーロッパにも増すように感じます。
 いづれにしても、ニュータウンをいいかたちで再生させながら、‘まち’を元気にしていきたいことは確かです。人口減少と住宅供給とのバランスとを調整しながら新しい方針をいち早くうちたてて行かねばなりません。聞くところによると、東京都の都市再生に多摩地区はかなり打撃を受けています。オフィスビルの過剰供給にも見られるように企業は多摩から便利な都心へと足が向いている傾向です。そして都心での住宅にも手が届くようになりました。多摩市にも大規模な住宅建設の予定が動いていたようですが、それも凍結になってしまったみたいです。
 昨日、都心で働いている友人に会いましたが、多摩市の空気がおいしいと言っていました。やっぱり都心に優る‘まち’の魅力は空気と緑だと思うわけです。そこを活かすためにどんなことができるのか?ベッドタウンとして造られた‘まち’だからこそ、「住んでよかった」の付加価値をもっと高めていきたいというのが私の考えです。

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2003年05月20日

市民力で乗り切ろう!永山福祉亭

 高齢者社会参加拡大事業協議会の総会。これは3年契約での行政からの補助事業で、高齢者が地域でいきいきと暮らすためにと様々な仕掛けを考えながら進んできました。一つには永山商店街の空き店舗を利用した地域の拠点としての福祉亭運営を福祉部門、もう一つは世代を超えた交流をつくるためのお祭り(グラン多摩フェスタ)をメンイに映画の上映、小学生との陶芸交流、落語教室などの文化部門の二本立てで高齢者の社会参加を進め、高齢者の生き甲斐づくりのお手伝いをしてきました。

 ニュータウンでは、地域コミュニティの形成が高齢社会を乗りきる合言葉のようになっています。けれども永山地域では高齢化の進行地帯にも関わらずコミュニティセンターもなく、さらには高齢者が歩ける範囲にちょこっと集えるような洒落た場所もなく・・・というのが現状でした。そこで人が自然と集まれる場として考えたのがいわゆる近隣センター(商店街)にミニギャラリーにもなり、ミニライブハウスにもでき、そして一服出来る場所、喫茶店のような機能を兼ね備えて永山福祉亭をオープンしたのは1年半ほど前のことです。
 初めは福祉亭の運営を協議会の直営方式でなく進めていたのですが、どうも当初の福祉亭企画意図から考えてみて軌道修正を図るべきではないかという意見が出され、補助事業としては最終年と位置づけられた今年に何とかいい方向性を見い出す必要があるとして、約半年前に福祉亭リニューアルプロジェクトが結成されました。今日はそのプロジェクトから新方針が提示されました。以前との大きな違いは、運営メンバーがほとんど手弁当でやっていくとの決断です。これまでは、人件費をかけなければ福祉亭を切り盛りする人がいなかったので、収支において人件費の占める割合が大きすぎたとの反省があります。そこでまずは人件費の削減に着手してます。本来の補助金の目的を実現するために、もっと有効な活用をするためにはどうしても人件費の切り詰めから取り組まなくてはならないのです。・・・ということで、何とも苦しい市民事業の実態を反映した計画案が発表されました。いわばスタッフの志だけで運営しようとの方向です。その中で、少しずつ収益事業(軽喫茶)をこなしていけば、売上を獲得し、何とか来年以降もこの福祉亭を存続させていけるというわけです。心配なのは、スタッフの志の持続ですが、むしろスタッフも若いわけではないので志はあっても、体力的な心配の方が大きいかな・・・と個人的には思っています。メンバーはゆくゆくは自主運営を目指すためにも、自力で収益をあげられるようにと悪戦苦闘中です。
 補助金(東京都と多摩市が半分ずつ拠出していて、今年は8百万)は今年度で終了することが決定しているので、何とかこの事業の意義を行政にも理解してもらいたいとの思いは協議会のメンバー全員が一致するところです。そうすれば来年度以降も、少しの補助をもらいながら、福祉亭を軌道に乗せ、自分たちの目指す福祉亭の自主運営へとつなげていくことが可能だからです。(・・・という将来像を描いています。)
 でもとにかく厳しい!市民のてづくり事業の良さと大変さがヒシヒシと感じられます。当然のことですが、儲け主義ではありません。その中では、私自身はどうにか福祉亭の利用者をまずは増やしたいと考えます。メニューなども一新し、日変わり定食は1日限定20食ですが、人気は少しずつあがってきているみたいです。メニューは一ヶ月前から公表されているので、事前にチェックをすれば食べたいものに出会うことが出来ます。その他、利用者の交流として囲碁、麻雀などの活動、相談事業として在宅支援センターと連絡をして高齢者の健康相談などを受けつけもします。そして今年度はサポート隊を結成して、高齢者の知恵を生かしながら子育て支援をしていくことも企画しています・・・・と盛りだくさんのメニューが提示され、とにかく福祉亭が地域の拠点として地域に愛される場所にしよう!というのが一番の目標です。今年度の事業方針を聞けば、こなせるのかどうかは心配なものの、少しは利用者の幅も広げられる可能性があります。だから期待をしてしまいます。
 飲食事業で何とか運営資金をつくり、そして福祉亭を維持する・・・ここを拠点にした地域交流をつくり、見知らぬ人だらけが集まって人と人とのつながりが希薄なニュータウンに新しい展開を作りたいと思っています。
 その道のりは険しいわけですが、今年一年の中で福祉亭がやっぱり永山地域に必要だと市民の人たちに思ってもらえるように、惜しみなく自分の力(市民力)を発揮している仲間に陰ながらの応援をしたいなと思っています。
 
 私が地域活動に一番最初に参加したのが、この高齢者社会参加拡大事業協議会の発足以前に行政が主催した懇談会でした。行政の補助金を使って活動をしていること、その意味では補助金をどうやって使いこなすか(全額使うことではなく、いかに有効に補助金を使って目的を達成しようとするのか)に対する市民の議論を聞くことは、非常に価値があるなあと感じます。補助をあてにしないで、事業を上手くまわしていきたい・・・・でも補助がないとまだまだ展開が難しい・・・という苦しい立場で市民力を最大限活かす辛さ、楽しさを目の当たりにしてます。


★ぜひ、リニューアルした福祉亭をちょっと覗いてみてください!そしてご意見やご提案をお寄せ下さい!市民でつくるためには・・・みなさんの声こそ、今、一番必要としています★

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2003年05月17日

必死で頑張る人たちがいるから。

  私はまだまだ経験不足で甘いなと思います。今日はNPO法人のプレイルームゆづり葉の家の総会に参加してきました。
 このNPO法人は昨年の6月に設立されましたが、もともとこの多摩市で25年間ほど知的障害児の放課後時間のコーディネート活動してきました。すべてが寄付で乞田のSさんのお宅を地域に開放して続けられてきた活動です。私は去年にはじめてこの活動のことを知り、非常に感動をしました。ほぼ私財を投げ打っての活動です。もう一つグループホームの運営事業も行なっていて、こちらも行政からの補助なしで続けてきたとのことです。知っている人は知っているけれど、知らない人は全く知らない活動だと思います。
 現状でも障害児を受け入れてくれる学童クラブが少なく、待機児がいると聞いています。この活動がどれだけ価値があるのかがわかります。そして何と言っても25年の長い年月を見ると、活動の継続の裏にある知的障害児とともに歩んできたご両親や支えてきたメンバーたちの思いの大きさを伺い知ることが出来ます。口で言うだけの‘共生’はやはり無味乾燥で、この活動を引っ張ってきたSさんの凄みを感じます。
 今日の総会ではこれまでの賛助会員の制度を後援会組織へと移行していくことが決まり、さらにはとても画期的だと思うのですが、組織内に「苦情処理部門」を設置し、利用者だけでなく、職員(と言ってもボランティア中心)の労働環境なども含めて、困ったことがあれば相談する窓口体制をスタートさせることが決定しました。
 人と人とのつながりを柱にしながら活動が広がっていくのがNPOだとすれば、やはりそれを担う人が気持ち良く働いていなければ、いいサービスも作っていくことができません。職員の就業規定も新たに制定し、「少し厳しめに作りました。」と担当者が説明していたようにちょっぴりハードな内容ではあるものの、これからもっともっと地域でしっかりと働ける組織にしたいとの意向が強く表明された総会になりました。私は来賓(はずかしながら)としてお招きを受け、総会の様子を傍らで見ていたのですが、心意気の裏にある必死さを感じながら、地域がきちんとこのような活動に呼応出来るような体制を作りたいと思いました。

 総会終了後には懇親会がありましたが、次にニュータウン学会もあり途中抜けしたことは少し心残りでした。
 ニュータウン学会では「明日のニュータウンの担い手は?」ということで基調講演と‘ニュータウンサミット’と呼称し港北NT、千葉NT、筑波NT、多摩NTからパネラーを招いたディスカッションが行なわれました。とにかくニュータウンもハードは完成して、その後どんな風に中味を充実していくかの時代に入っているという認識のもとで、コミュニティづくりを中心とした‘まち’の活性化について示唆に富んだ話を聞くことが出来ました。みなさんの話しにはもちろん共感するし、同感することもたくさんありました。多摩市でも新たな‘まちづくり’を模索している中では行政と市民との協働、NPOなどやはり市民力が注目されています。
 団塊の世代が帰ってきたらどうしよう?少子高齢化をどうのりこえよう?職住近接、コミュニティベンチャーのビジネスなど色んなアイデアを考えることが出来ると思います。私自身も市民力活用したいと考えています。
 でも私は、もちろんソフト面の充実も図る一方で切実な課題への対処法がなかなか見つからずに苦戦しています。というのはハードは年月とともに老化するということです。ソフトの面はいかようにでも作り変えることができるわけですが、建物はそんなに上手くは行かないのです。 私は最近まで住んでいた小学校時代の同級生が「建替えを待っていても、いつになるかわからない・・・。」というつぶやきを残して引っ越して行った現実にものすごく危機感を覚えました。例え、どんなにソフトが充実してきたとしても、‘まち’に愛着があって離れたくないと考えていても、住居問題は切実です。諏訪団地は特にそうです。配管設備などの老朽化はかなり進んでいる中では外観を何とかして、内装をおしゃれにしたら・・・というレベルの問題ではないわけです。これをクリアしていかなければならないとなれば、今の経済状況でゼネコン不景気を考えても私は自分自身では行き詰まっています。
 少子高齢化社会、そして人口減少社会へとだんだんとシフトしていくわけです。住居が余る時代になるというわけです。極端に言えば、そのとき多摩ニュータウンは必要とされるのということに危惧を抱きたいのです。もちろんヨーロッパへ行けば何百年と経過している建物があり、今でもそんな古い歴史と趣のある場所に住んでいる人がいます。でも多摩ニュータウンですが、聞くところによると人口急増期にトッカン工事で建設されて建造物の質に注目すれば、ヨーロッパとの比較はできないでしょう。
 そういう現実を見た時に、私は確かにソフトの充実を図ることも必要だけれど、ハードの更新の突破口をどうにか開きたいと思っています。ネットワークの時代だと言われます。そして人のつながりを再生させようとの動きは以前に比べれば高まってきたし、そして多摩市でも人々の意識や行動も変化してきました。
 これまではハードだけの一人歩きが問題視されてきたわけですが、今、少し論調的にはソフト重視に偏っている気がしています。目の前に立ちはだかっているのはソフトは成長し続けるけど、ハードは成長できないという限界性です。そのことについて質問をしたところ「 ソフトを充実させれば、ハードの更新も上手く行くのではないか・・・。」という回答がきましたが、私は決してそうは思えないのです。
 でも暗くなってばかりもいられないし、とりあえずは前進あるのみだな!と気を取りなおして、この‘まち’とここに住んでいる人たちと一緒に努力したい、考えていきたいと思いました。

 今日のプレイルームゆづり葉の家の総会の最後に、ある方がおっしゃいました。「新しいものをつくろう、例えばボランティアを新しく集めよう・・・と考えるのではなくて、今、すでにある活動を支援することで、そこから輪を広げることを考えて欲しいと思う。広げていくことはいくらだってできるんですから、私たちがやれるんですから。」・・・この言葉に励まされました。 

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2003年05月04日

未来型多機能都市TAMA?!

 ガーデンシティへ行きました。多摩市の3大祭りの一つです。毎年、同じような店が並び、変わり映えの無さに安堵と面白味の無さを感じながら多摩センター駅前のベデストィアンデッキを歩きました。
 少し外れに東京都のブースがありました。そこに置いてあったパンフレットをもらいました。「未来型多機能都市TAMA」のご案内でした。けれども中を開けば、中心は「南大沢」です。多摩センターのことは最終ページに触れられている程度です。何とも言えない気持ちになり、パンフレットを眺めました。もともと多摩センター駅前商圏内の都有地が駅北側に広がっている部分にしかないからかもしれませんが、南大沢の魅力が存分に語られ、そしてニュータウンのポテンシャルに目をつけた企業もやはり「多摩センター」以外に進出をしています。
 ガーデンシティで久々ににぎわっている通りを歩きながら、多摩センターのポテンシャルって何かなあと考えていました。私は多摩センター駅前の閑散として、寂しいと感じる人もいるかもしれないけれど、やっぱり解放感あるところが好きです。駅前と言うと大きなビルで圧倒される場合が多いけれど、こじんまりしていてちょっぴり上品で、無駄な空間の使い方にホッとします。たぶんこの空間が多摩センターの一番の特徴にできると思っています。
 今の多摩センターの駅前で一つがっかりなことは、せっかく都市計画の街なのに駅前に統一感がないことです。建物の色やカタチにも見渡した時に「美しい」と感じられないことは非常に残念です。バラバラ感がどうしても拭えないので、結局は‘まちのきれいさ’がアピールできないなと感じます。統一感のある外観の建物や、もちろん看板も統一されたデザインだったりすれば、もっとお洒落な空間が出来あがります。
 同じスターバックスでカフェオレをいただくとしても、調和が全く感じられない空間よりは、右を見ても左を見ても‘落ちつける’たたずまいがあれば、美味しさ倍増するはずです。
 もともと日本では街並みが乱れがちですが、ゼロからつくった街だからこそ、もっと気を遣いながら駅前整備することが出来たのではないか・・・と思うと残念でなりません。既に後の祭りだなと思いますが。
 それにしても未来型多機能都市としての‘まち’のアピールですが、「未来型多機能」とは耳障りのいい言葉だけれど、「それってどういうこと?」と思った時には実現した後に一体どんな‘まち’が完成し、そこにいる人たちが一体どんな風に暮らしているのか?という先のイメージは全く語られていません。ただ、「自然と調和したゆとりある住環境に教育・文化・商業・娯楽・業務等の多様な機能を導入し、」と書いてありますが、その多機能があるからどうなるの?どうしたいの?ということに言及されているわけでなく、非常に不親切だなあと思います。
 都市づくりは‘その先のイメージ’があるからこそ、さまざまな政策によりイメージに近づくような誘導をしていくのだと思います。これではいくら「新しい時代の多彩なニーズ」と書いてあったとしても、その「多彩さ」すらよくわからないままです。「こうなりたい!」だから「こうしていこう」が見えてこないことに不安です。
 ただ、土地を売却するだけなの?と逆に問いかけたくなるパンフレット。私には、このパンフレットの言う「未来型の多機能都市」のイメージが未だにわかないのです。

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2003年04月30日

手づくりのコンサート

 「二人が奏でる世界で一番素晴らしい空間へ」というタイトルで、パルテノン多摩で永井由里さんと水月恵美子さんのコンサートがありました。去年に引き続き2回目です。今年は選挙とぶつかってしまって、ほとんどお手伝いできなかったのですが、当日に少しだけスタッフとして参加しました。会場を借りる費用などを考えれば、ほとんど演奏料が払えないような状況ですが、それでもこのコンサートをつくる意味を共有しあっているので2度目を実現することが出来ました。去年よりはお客さんも増えました。
 演奏者の永井さんは驚くほどの経歴をお持ちの方です。市民グループの一人の方を通じて知り合いました。このコンサートは「もっと生活の中に音を楽しむ文化をつくりたい」との思いから出発しています。これは大人向きのコンサートですが、5月の中旬には親子向けコンサートもやります。去年も同じようなプログラムで、子どもと大人のコンサートをしました。特に子どもに対しては、いい音を知ってもらいたい!との強い思いがあり、入場料は破格です。
 去年、親子向けのコンサートの時に永井さんが言いました。「子どもが体をゆすったり、声を出したりすることを気にしないでください!音には心があるので、不安な音があれば子どもは落ち着かないで奇声を上げるかもしれないけれど、そのことはいいですから。」私はこの一言を聞いて以来、さらに永井さんを尊敬するのですが、実際に子どもはとなりのトトロの曲が始まると席をたって、うれしそうに会場内を歩いたり、思わず永井さんの近くにまで走りよったり・・・という場面がありました。それでも永井さんは少し笑顔になりながら、決して手を抜くことはせず最後まで曲を弾き続けるのでした。そして演奏会が終わっても、余韻がありました。子どもたちがグランドピアノをのぞきこんだり、ヴァイオリンを眺めたりするのにとっぷりとお付き合いしていました。「子どもの反応が一番なのよ!」・・・永井さんは子どもに‘いい音’を広めながら、‘音’を創り出しているんだなあと私は考えています。

 パルテノン多摩のホールを見て、「こんなに素晴らしいホールがあるのにもったいないわ!」と由里さんは言います。市民側も「自分たちの‘まち’のホールだから自分たちでプロデュースしていかなくちゃ!」との発想から、「自分たちが聞きたい音楽を自分たちの手で探し出し、そして自分たちでコンサートをつくり、それを自分たちだけのものにはしないで、みんなで楽しめるような場所に変えていこう」としています・・・たいていの場合は民間の事務所などの仲介で演奏家を探し、そして演奏会を開くのでその分、コストが高くなってしまいます。でも私たちはみんなボランティアで、コンサートをつくります。演奏者も含めて、‘思い’をカタチにしています。
 お客さんが満員になるのには時間もかかります。でもお客さんの数ではなく、私たちのこだわりは「来てくれた人たちがどれだけ満足して帰ってくれるのか?」にあります。永井さんの音は本当に素晴らしいです。私は素人ですが、永井さんの表現力には圧倒されます。水月さんも同様です。水月さんはフィンランドで学ばれたとのことですが、彼女のピアノは透き通っています。「清潔感のある音」という表現がピッタリです。
 私自身も久しぶりの心のビタミンを吸収した感じです。市民グループは儲けるためにコンサートを開いているわけではありません。そのことはもしかするとなかなか理解されにくいのかもしれませんが、プロの演奏家含め、みんなの思いだけで実現しているコンサートです。だからこそ、スタッフができることは、なるべくたくさんのお客さんを集めることなのですが、まだまだその点では私も力不足。次回はもう少し、お客集めに貢献しなくちゃと思っています。

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2003年02月16日

「それでも続けなくちゃね。」

 月に一度の自治会の定例会。いつもと変わらず賃貸住宅の悩まし姿。100戸以上はあるのに加入は半分以下、そして今日の出席者も4世帯のみ。会長さんのため息もあきらめに変わりつつあります。だいたい30戸くらい常時空き部屋もあり、寂しい感じです。
 最近、引越しがあって新しい人が入ってきているようだということで、自治会に加入してもらう作戦を考えることにしました。やっぱり何かの時に自治会の結束、コミュニティは重要です。「人数は少なくても細々でも続けなきゃね。」というここのアパートが出来てから18年間ずっと住みつづけている会長さんは言います。昔は子ども会も活発で夏祭りなどは盛りあがったそうですが、今ではほとんど子どもがいる世帯が住んでいません。駅に近いという便利さから家賃は高いのですが、部屋は狭いことが原因です。
 さて、自治会が活気づくのは住人としての共通課題を抱えた時です。例えば目の前に大きな建造物計画がある・・・反対の声が上がる・・・とか住宅に欠陥が見つかったとか・・・それらのことを共有化した時に自治会は力が発揮できます。そこで「住人アンケート」をして、住宅で困っていることを聞いてみようということになりました。私は外から郵便物が見えてしまう郵便ポストの交換や宅配ポストの設置を提案したいと思っています。家主の公団に交渉してもらうには自治会としての結束力が大事です。
 それにしても隣に誰が住んでいるのかすらわからない・・・状況は悩ましい限りです。どこの人が退去して、どこの部屋に新入居があったのかについても「プライヴァシー」を理由に公団も教えてくれなくなったからです。自治会長さんは空室のポストを数えては「あーまた30軒も空いてる・・・。」とがっかりするようです。そのため息を何とか解消したいと思います。私はいろんな課題にぶつかればぶつかるほどに地域やコミュニティが大事になってくるとわかります。環境問題を考えていても「ごみの分別」、または独り住まいの老人の安否確認、防災・・・などなど住人つながりが大事だと思います。でもそれをなかなか創り出せないのは住人の属性にも寄ります。ここは共働き世帯がほとんどで昼間はほとんどすっからかん状態、そして週末も地域に顔向けできるほどの余裕はないと思うからです。アンケートなども何度かトライしているようですが、なかなか成果があがってきませんでした。回覧版はほとんどまわらずです。本当にこまった状況ですが、それでも自治会を解散しなかったのはやはり住民つながりの重要性を認識している会長さんが「それでも続けることが大事だよ。」という思いを発してくれているからです。
 次の定例会までにアンケートの原案を考えることになりました。そしてお花見イベントも企画することにしています。一体参加をしてくれる人がどれくらいになるのかわかりませんが、細々した自治会でもその存在意義は大きいと私は考えています。私のすんでいる所の住人つながりの希薄さには本当に悲しくなるほどですが、それでも数人が続けることの意義を共有化している限りは私もあきらめずに協力していきたいと思っています。

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2003年02月11日

いよいよ男性もぞくぞくと地域デビュー!?

 鶴牧商店街の活性化を考えよう!という学習会「つるまき・まちひろばワークショップ」がトムハウスでありました。たまたま主催をした方が知り合いで、誘いを受けたので参加してみました。NPOコミュニティビジネスサポートセンターの澤登さんから「コミュニティビジネスとは?」の簡単なレクチャーを受けました。
 今、鶴牧商店街は本当に閑散としていて寂しいです。この活性化プロジェクトでは既に連続した3店舗を仮予約として5月くらいまで押さえてあります。つまり5月までに集まってきた地域の人たちを中心にして、商店街を活気付ける案を考えようというものです。店舗を連続して借りれることもあり、一体的なデザインをすることが可能です。少し広めのアーケードつきオープンスペースの有効利用などを含め、ぜひここを地域コミュニティ活性化の拠点にもつなげていきたい考えです。
 具体的な企画はこれからみんなで練り上げていきますがSOHOやコミュニティギャラリー、オープンカフェ、まちづくり支援情報室、リサイクルショップなどなどさまざまなことが考えられると思います。
 コミュニティビジネスは‘まちづくり’の観点からも注目を集めています。そして特に女性やリタイアした男性たちの新しいステージとしても魅力です。今日の学習会でも参加者は全員で30名ほど、そのうち女性は9名ほどで残りはもちろん男性、しかもそのうち恐らく50歳代以上の人が3分の2以上はいたように思います。この状況が象徴しているように、退職をしても元気な男性たちが地域での生き甲斐を探し始めているのです。これまでは女性が中心で地域づくりをしていたように思いますが、澤登さんが指摘をしていたように、男性が企業経験を地域に生かすことでコミュニティビジネスもより発展していくでしょう。今日、この場所で男性が地域に眼を向けつつあることを肌で強く感じることができました。
 コミュニティビジネスの役割や意義などはもちろん理解できるわけで、参加した方々はもともと意識の高い方ばかりでした。けれどもそこで問われるのは「行動力」。いかにして自分自身の思いを行動に移していくか、実現に向けて動けるかの点で、足踏みをしていたり、一歩踏み出せずにいるような、ジレンマに陥っているように思いました。商店街ににぎわいがなく、やっぱり元気を取り戻したいという思いは共通しています。そして地域のために何かできることをやっていきたい、そのことが自分自身のやりがいや生き甲斐につながりそうだということも感じてはいます。でも、どうやったらいいか手も足も出ない・・・という雰囲気の人が集まっていました。私はこのフツフツ感に上手く火をつけたら、ものすごいパワーになり、とっても面白いことができるに違いないと感じずにいられませんでした。
 ニュータウンのどの地区でも商店街の活性化は悩みの種です。どうにかして活気づけたいというのは共通の課題です。私の理想図は「おかいものごっこ」の出来る雰囲気を醸し出した、近所の人たちがエコマネーでヤリトリできるような場所です。「何か私に出来ることある?」と尋ねれば「・・・じゃあ、お願い」というような会話が聞こえる交差点になったらいいなと思っているのです。地域の人たちが地域に楽しさを見つけて明るく元気になれば、自然に商店街も元気になるように思うからです。
 それにしても今日の参加者はそれぞれにとてもユニークな方々ばかり。色々な知識や経験を地域に生かさないのは宝の持ち腐れです。地域の人材コーディネーターの存在が不可欠。コーディネートをするのはもちろん行政ではなく、地域の顔を知っている地域の人だと思います。このワークショップを主催した「つるまき・まちづくりチーム」がどんな動きをしていくのか楽しみです。アイデアの具現化には人材ももちろん資金も必要です。さまざまな条件が一致する「タイミング」もあります。「タイミング」を掴むも掴まないも、やっぱり行動にかかっていると思います。応援したいと思います。

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2003年02月03日

少しずつの広がりをつないでいかなくちゃ

 グラン多摩フェスタ2003に向けて、今日は企画運営委員会の説明会がありました。高齢者の社会参画を拡大していくため、とりわけ家に閉じこもりがちなリタイアして地域に戻ってきた元気な人たちが、地域で活躍出来るようなきっかけづくりを応援していきたいとの目的が大きくあります。「体験型、参加型」のイベントでこれまで2回開催してきました。
 この事業は東京都の3ヵ年補助事業(都と市が2分の1)なので、次回のお祭りが一応の区切りとなります。これまで2回は駆け足で過ぎ去った印象が強く、本当の目的である新たな人と人との交流を創りだして、高齢者の元気に新しい活力を生み出すことが出来たのかどうか?これが実行委員の運営チームの課題です。
 とにかく全てをてづくりで行うこと、「補助金をもらえばその中で全て使いきる」という意識を捨て、出来るだけ節約をしていく方針で1年目は50万円ほど補助金返却を行ないました。今年についても切り詰めたので少しほど返却できるのではないかという見込みです。でも、もし運営チームの人件費などを換算したらものすごい額になると思います。それを思うとまさに市民力恐るべし・・・って感じます。
 ところで今年は少し時間をかけながら祭を作り上げたいと考えました。これまでのように運営チームが祭の時期や開催場所(これまでは廃校を使ってきましたが)を決めてから、参加者に呼びかけるのではなく、グラン多摩フェスタを全くゼロからつくりあげるところに、まずは企画運営委員の募集をすることにしたのです。高齢者社会参加拡大事業協議会の文化部会が事務局を担う形になります。(文化部会はこれまでのグラン多摩フェスタの実行委員会の運営メンバー)
 前回までの反省を踏まえると、やはりイベントに持ちこみ企画で参加してもらうだけではなく、もっと主体的に取組んでもらいたいとの思いがありました。今日の説明会に集まったのは数名でしたが、私たちが考えた主旨には賛成してくれたようです。はじめは「えっ、日にちから自分たちで決めるの?」という小さな驚きも聞こえましたが、すぐに「11月は他のイベントもあるし、10月もそうだなあ・・・高齢者だから寒い時季もだめだし・・・。」と話しが盛りあがり、結局「敬老の日もあることだし9月がよさそう」という方向で話しがまとまりました。
 これは私が勝手に思っていることですが、「長寿を祝う会」を市民実行委員会形式で実施できないかという方向が庁内にはあるようで、既に市民の検討プロジェクトがたちあがっています。これまでは全て業者委託でイベント企画をしていて年間では約1千万ほどの予算が組まれていました。財政難の時代、やっぱりここにも市民力の活用なのかなと思っているのですが、グラン多摩フェスタの精神をこの「長寿を祝う会」の市民実行委員会に引き継いでもらえば、来年度で補助金が終わってしまうけれどグラン多摩フェスタリメイク版できるかなあと。
 なぜなら、今日の自己紹介の時にある参加者が本当にうれしくなることを言ってくれました。
 「これまで2回参加してきたけれど、参加してみて思っていたのは、とにかく運営委員の中心メンバーの人がいきいきしているなあと。私たちのような持ちこみ企画の参加者よりも、やっぱり祭を成功させようと動いている人たちが元気だなあと思いました。それを見ていると年齢は全く思いました。だから私たちも、そこから参加してみたいと考えています。準備段階から創っていくことにも挑戦してみようと。」
 この発言を聞くと、やっぱりグラン多摩フェスタの体験型参加型イベントの精神をどこかに残したいです。運営チームのメンバーの一番の目的であるところ、受身ではなく主体的な参加の気持ちを引き出すことに成功していることを思いました。
 少しずつでも参加者の「主体性」を引き出すことが‘まちづくり’になっているわけです。この祭のもう1つのスローガン「人との交流 世代を超えて」というのは私たちがこれから目指していく新しいまちづくりの精神の根幹だなあと私はいつも考えているのですが、グラン多摩フェスタの参加者が私たちの伝えたいことを少しでも感じ取ってくれること、そしてその気持ちをつないでいくことが大事になってくるよなあと思います。せっかくの芽をつんでしまわないように進め方をしていく必要があります。補助金が来年度で終了してしまうところで行政側にもちょっとひと工夫してもらいたいものです。

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2003年01月19日

これからの夢の創り方

 久しぶりに手をつなぐ親の会の会員の方たちにお会いしました。障がい者の支援費制度が始まることにはかなりの不安があるようです。始まってみないとわからないというのもある一面で、先日もホームヘルプサービスの利用時間に上限を設けるという厚生労働省の意向が示されていました。これでは介護保険制度でも同様ですが、「何かの時のために・・・・」として本当は使用したくても、予備時間としてわざと余らせるような事態も当然起こるでしょう。そのときの負担は本人と支える家族に重くのしかかるに違いありません。財政事情を考えると私も上限を決めたくなる役人の気持ちも理解できないわけでもありませんが、本当に必要な部分に今の税金が使われているかを考えた時には、私はどうも適正に国の予算が配分されているようには感じられません。
 そのときには国の言い分として「国としては上限を決めるが、結局は市町村が主体になるわけで、上限を超えた部分は市町村が補填しろ!」ということになるのでしょう。あんまりな話しだと思います。介護保険でも同様な状況があると思います。本当に中央にとって都合のいい「地方分権」です。最悪です。
 と言いながらもどうにかして、この状況を打破できるように今から備える必要があると考えています。私は一番必要なのは私たち自身も自立していくことだと思っています。「地域での支えあいの仕組みを作る」つまり地域の自立です。この時の地域というのは歩ける範囲を想定しています。だから私は地域が自立できる状況になった時、速やかにそれを支えていけるような行政のあり方が望まれると思っています。だから自治基本条例を策定する必要性を感じるのです。
 今、ボランティアやNPOを担っている世代は40代後半ぐらいからです。バブル世代の30代くらいの人は気持ちはあってもなかなか参加する心の余裕がない人も多いのかもしれません。でも私自身はバブル世代の人たちはおそらく学生時代にもそれほどにボランティアなどに関わってきた人は少ないように感じています。それに比べて、私の世代はちょうどNPOやボランティアが台頭してきた時期で、不況にさらされた就職難という壁にぶち当ったことがある意味で幸運だったのでしょうか?NPOやボランティアは当然のことで、それに対する理解も深いように思います。実際に学生時代に関わったNPOにそのまま従事する人もいるくらいだからです。
 要するに私は、私たちが30代になった時の地域の在り方に期待をしているのです。30代というのは体力や気力的もちょうどいい年代だと言われているからです。つまり私は自分たち世代の10年後を見た時にはNPOやボランティアが世代ごとで分断されることなく、次の世代へと流れをつないでいける気がするのです。私の周りにも30代にさしかかりそうなNPOやボランティア活動家がいます。そういう人たちに今後の地域は支えられていくのだと思います。今やNPOなどは学生にとっては一目置かれる存在でも在ります。そのときの社会に地域にどんな夢を託せばいいのでしょう?私はそれを今のうちからしっかりとビジョンを築く必要があると思っています。
 実は「今の子供たちには夢がない・・・」とある方に言われました。その方のお孫さんは小学生だそうですが、孫でさえも「地球温暖化を悲観しているのよ。」と言うのです。石油を使うことは彼女の時代には美しいお洋服に変わり、美しい商品になりという時代だったから次々と夢が膨らんでいったけれど、これからの時代にはそんなことあり得ないのもの・・・・と彼女自身も悲観していました。「本当に今の子どもたちはかわいそうよ。」と繰返し強調をしてました。確かにそうかもしれません。自分たちが当然と思っている生活様式によって蝕まれていく部分がものすごく多くあります。それを子ども時代から認識することの酷というのはあるでしょう。
 でも私は、それも現実として受けとめるからこそ、その次に見えてくること、考えなくてはならないことがあると思います。そこにどんな夢を描いていけるのかだと。でもその夢の創り方がものすごく一筋縄ではいかないのでしょう。もちろん私自身も同様です。
 これからのまちづくりのビジョンは私一人では描ききれないと思います。だから私は人と出会いたいです。そして子どもたちとともに未来の地域について語り合いたいです。

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2003年01月18日

地域と大学を結ぶために

 多摩大学の学生たちとNPOセンターを訪問しました。NPOセンターはちょくちょく顔を出しているのですが、本格的に話しを聞くための訪問は初めてでした。
 多摩大学は地域の大学なのに学生の姿などがなかなか見えてきません。最近一昨日の新聞に載っていましたが、国士舘大学の時本ゼミの学生たちが地域との連携を模索し始めています。私は学生が活動できる地域の地盤づくりにはぜひ力を注ぎたいと考えています。というのは学生が元気な‘まち’は地域全体にも活気が出てくると思うからです。
 特に多摩市には知識、経験ともに豊富な高齢者の方がたくさんいます。私もそうなのですが、若い世代と高齢者との交流は双方にとってメリットがあります。私はいつもいろんな知恵を教えてもらえるし、高齢者は高齢者で若い世代と交流することで元気が出るそうです。少々話しが長くなってしまうことは難点かもしれませんが、ゆっくりお付き合いをするとそれは有意義な時間を過ごせます。というわけで、学生は時間もたくさんあるし、多くの若い世代が地域に出かけてくれることで地域全体に力が出てくるのではないかと個人的には考えています。
 今、IT講習など行なっていますが、その講座を学生団体が担うといのもいいと思います。例えば商店街の空き店舗に学生のショップがあっても良さそうです。もっと地域を元気にしたいというのは私も、そして学生たち自身も多摩市にやってきてそう考えるみたいです。特に、多摩大学の周辺はニュータウン区域ということで食べ物やが無いコンビニもなく本当に不便です。これでは学生もつまらないと思います。なにか多摩市に「面白さ」を見つけて欲しいと願います。
 今日は具体的にNPOセンターの役割や、コミュニティビジネスの話しを聞きました。さすが学生たちもNPOへの関心も高く「NPOって何だと思うか?」と聞かれた時には正解を答えていました。けれども、実は机上での勉強の成果で、それが地域でどのように根をはっているのか?地域で実際にどんな壁にぶつかりながら活動をしているのか?について具体的なところまでは見えていないようです。私はそんな彼らの姿を見ていて、ぜひNPOセンターでインターンをやってみたらどうかと思いました。
 私は地域と学生をつなぐ窓口的な学生コーディネーターの組織があればいいなあと思っています。例えばNPOセンターで若い世代が必要なイベントなどがある時、わりに私に人探しの依頼が来るのですが、学生人材バンクがあれば、多摩市内のさまざまなNPOやボランティアと連携を図りながら活動をしていけると思うからです。地元の大学生が書くとなる必要があるのでぜひ多摩大学などで設置できたらいいなと考えています。私が一番大事だと思うのは「自分たちで考えて自分たちでやる」ということです。つまり誰か地域の大人が「学生人材バンク」を創っても意味ないので、学生自身が自分たちの思いに沿った組織づくりをして欲しいと思っています。学生と連携を図りたい市民はたくさんいます。NPOセンターの代表の橋本さんたちもそう考えているようでした。学生側からのやる気さえあれば、何でも出来る限りはサポートしますよ・・・という回答もありました。もちろんその企画内容にもよりますが。
 一緒に同行した学生たちは多摩にブロードバンドを広めたいと考えているようでした。市民サポートが出来ないかとの話しを持ちかけていました。これだけインターネットが普及しているけれども、でも実際にパソコンが故障してしまった時にはどうしようもないわけで、ちょっとフリーズしただけでも困り果ててしまいます。そう思えば学生たちの小回りのきくサポートグループがあるのは面白いと思います。
 私は地域と大学を結ぶ時、今日のように地域の人と学生をまずはつなげていくことが必要だと考えています。もちろん出会いをどのようにつなげて発展させていくかは、学生次第ですが、地域の人の生の声を聞きながら学生が何ができるのか?そして学生の思いを受けて地域の人たちが何をどうサポートできるのか?この関係が生まれていけば、大学も次第に地域に本当の意味で開かれてくると考えています。大学側が主催する生涯学習講座とは違う手法を探すために、今はできる限り学生と地域の人を結ぶお手伝いをしていきたいと思っています。

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2002年12月28日

たった一人のためにでも

 今日はふらっとライブハウス永山福祉亭へ行きました。香りのいいコーヒーが売りですが、私はココアを注文しました。シャッター通りの危機に瀕する商店街の活性化につながって欲しいし、高齢化がどんどん進んでいる永山地区で高齢者が歩ける範囲のお洒落なお店にもなって欲しい、さらには地域の交流地点として場所の活用をしてもらいたいと考えてきました。
 この事業は3年間の期限つきで補助金をもらって行なっているものです。私はまだOLをしていた頃に地域で世代間交流を図ることが多摩ニュータウンを豊かにしていくと考えていました。その思いの丈を、NPOセンターに行き、ぶつけたところ紹介されたのが、この高齢者社会参加拡大事業でした。当時はOLをやっていたこともあり、夜間の会議に参加するだけで精一杯でした。けれども私の楽しみは、会議に出て地域の人たちや、特に地域のお年寄りの方と接することで、ここの会議で改めて「高齢者は知恵袋」であると痛感したのです。
 会議の中から生まれたのがライブハウス永山福祉亭構想と、高齢者いきいきまつり「グラン多摩フェスタ」です。この会議は福祉と文化の分野に分けられていました。私は自分が生かせるといえば演劇活動かなあと思っていたので文化部会に属し、いきいき祭を担当していました。
 話しを戻すと、ライブハウス永山福祉亭ではさまざまなイベントを試みています。囲碁、将棋教室、最近ではダーツもあり、沖縄料理、そば打ち、そして落語の会、シャンソンを聴く会などの催しがあります。かなり好評のようです。けれども重要なことは、この場所がイベントがない日常的にどんな風に地域に根づいてきているのかということです。もともとは高齢者社会参加拡大が目的で、元気な高齢者を地域にひっぱりだし、その知恵や知識を活用したいのです。つまり、ライブハウス永山福祉亭がそのためにどんな役割を果たせているかがポイントになります。
 永山商店街は本当に不便なところにあります。もともと団地内の商店街は地域の人たちしか対象にして造られていないので仕方ありませんが駅からも遠く、気にはなっても思いきらなくては足が向かない・・のが正直なところです。でも地域福祉ということを考えればライブハウス永山福祉亭が地域の人たちのモノになっていれば、十分に役目を果たせていることになります。
 集客力的にはいまいちな場所ですが、ようやくオープンしてから一年ほどになります。だんだんと地域にも知られるようになってきている感じがします。福祉亭の中の喫茶のマスターは私と同い年の青年です。彼も随分と慣れてきたみたいです。若いマスターがいることは世代間交流にもつながります。でも、まだまだ補助金を頼らず自立して経営出来るまでには至っていません。でも、私はこの場所が確実に広がっている気がします。というのは今日で見るのが3回目のおじいさんがいたからです。声をかけてみると「うん、ほとんど毎日来ているんだ」と言いました。「家の中にいるのも暗くなっちゃうから。」だそうです。私はこの言葉を聞いてうれしくなりました。ライブハウス永山福祉亭の第一段階の目標は達成されているからです。私はきっとこの場所には次の段階があって、それはおじいさんの得意なことやおじいさんの知恵を引き出して、何か地域に役立てることの出来る場所がないかどうかを一緒に検討してみるということです。これが出来れば、おじいさんの社会参加の場所が広がっていくわけです。おじいさんの楽しい、面白い、もっと地域に出ていきたい!という気持ちを後押しできるのがこの場所だと思っています。
 そのことから考えてみれば、まだまだライブハウス永山福祉亭もやるべき課題が少なくありません。私はこの場所で地域の人財コーディネートを担えることが目標だと思っています。地域の人の発掘をし、地域活性化に一役かってもらわなくてはなりません。ここには潜在的にさまざまな経験を持った人がいるはずです。なぜならニュータウンというのはいろんな地域から人が集まって暮らしている場所だからです。
 今日、出会ったおじいさんの笑顔はライブハウス永山福祉亭に来て、さらにパワーアップしたのでしょうか?私はよくわからないけれど、実際のところどうなのでしょう?おじいさんにとって、お客さんだけの場所じゃなく、気持ちが前向きに明るくなれるような場所になってもらいたいと思っています。一人、また一人と地域の笑顔を増やしていくことで、きっとここが地域にしっかりと根づいた場所につながるはずです。そのためにはまだまだ時間がかかりそうですが、そのことを恐れるのではなく、地道に続けていくことの効果を信じて進めて欲しいと考えています。
 帰り道、私は独り暮らしの高齢者たちがどんなお正月を迎えているのかなあと想像をしながら、『みんなで迎えるお正月』が出来る場所もあればいいなあと思いました。

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2002年12月27日

ヘブン☆アーティストのお披露目

 東京都が大道芸パフォーマンスのコンテストをやったことは記憶に新しいと思います。コンテストで通過をすれば、東京都オリジナルのライセンスが取得でき、東京都の指定した場所で警察の眼も気にせず堂々と演じられるという試みです。
 実は多摩市の活性化にも一役買ってもらおうと、この度、パルテノン多摩の階段下広場が特設ステージとして都から許可が下りました。今日はそれを記念したオープニングイベントが、比較的暖かいものの寒空のもとで開催されるとの情報をキャッチしたので、早速出かけてみました。
 相変わらず人の動きはせいぜい多摩センターの駅からペデストリアンデッキの中腹、ちょうど三越前のクリスマスツリーの辺りまで。パルテノン多摩の方まで足をのばしてもらうのはさすがに難しいようでした。職員も大きなポスターを持って、通行人に呼びかけてはいましたが、なかなか人をパルテノン前広場まで向かせるのには一苦労です。
 ペデストリアンデッキを歩きながら、パルテノン前広場を見てみると、何かやっているようだけれど、でもあまり人も集まっていないし、遠くから見た印象はテレビか何かの撮影現場のようでした。多摩テレビが取材準備にカメラを回していたのと、ちょうどいい具合の観客はまるでエキストラのようでした。はっきり言って「えーっ、大丈夫なの?人が全然集まっていなさそう…。」と心配になりながら会場に到着。
 確かに東京都からの指定が下りたのがつい最近だったこともあり、PR不足は事実ですが、もうちょっと人が集まればいいのに…と寒さが余計に身にしみるようでした。今日は「海月」というグループのパフォーマンスでした。現在売りだし中のグループのようです。全く私にとっては目新しい大道芸でした。というのも、大道芸というとピエロとか手品のイメージですが、「海月」のパフォーマンスは歌と踊り。メンバーが全て30歳代なので、ジャニーズシニアって感じに、恐らくご年配の方には追いていけない風な楽曲に合わせた演技でした。遊園地とかのウルトラマンショーに近い気がしました。
 私もなかなか理解には難しい感じでしたが、それでもこんなのも大道芸の一つになるのかと勉強になりました。
 ところでヘブンアーティスト・…というネーミングですが、これは文字通り天国の芸術家ってことになるのでしょうか?誰がこう命名したのかわかりませんが、この由来を調べてみたいと思います。
 イベントが終了する頃には、若干、観客も増えて良かったと思いましたが、私には、これがどんな風に多摩センターににぎわいをもたらしてくれるのかと少々不安と期待が入り混じりです。
 多摩センター駅前には全体としての空間デザインが必要です。今年は大々的なイルミネーションが駅前全体を何とかつないでくれていますが、普段はペデストリアンデッキがあるにも関わらず、空間の連続性がなく、ひっそり寂しく、全ての建物が孤独に存在している気がします。イルミネーション後の多摩センターに新しいアイデアが必要です。「多摩センターに行くと何かおもしろいことやってる!」こんな風にいつも動いている場所に創りあげることが求められていると思います。

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2002年12月23日

えっ・・・ウソ・・それでいいのホントに!?

 多摩ニュータウン学会の研究大会に参加しました。午前中は大学生の研究発表でした。今年の7月に「学術・文化・産業ネットワーク多摩(ネットワーク多摩)」、いわゆる産官学の連携を目指した地域のネットワークが誕生しましています。地域は学生にとって素晴らしい体験の場でもあります。今日の発表では①多摩センタークリスマスツリーに関するイベント研究②多摩ニュータウン内保育園の園庭デザインというテーマで①についてはネットワーク多摩の学生部会なのかな?が行なった多摩センターのイルミネーションの点灯式イベントを中央大学の学生が発表し、②については多摩美大の学生が実際に南大沢のせいが保育園の園庭リニューアルに関わった事例が発表されました。
私は学生時代には地域活動とは無縁の生活だったので、彼らのことがとてもうらやましく思います。社会人になって地域に関わるようになり、一番感じているのは地域は宝箱だということでした。まさに、彼らの事例発表の中での共通した感想「いい体験になりました。」という言葉どおりだと思います。
 さて、午後からのメンイのシンポジウムですが、筑波大学の名誉教授の川手昭二さんが「私が考えるこれからの多摩ニュータウン~30年間の検証ふまえて」というテーマで基調講演をしました。彼はニュータウン建設当初、都市計画設計に公団職員として携わった一人のようです。私はいまや過疎化する勢いのこの‘まち’を造った人としてどんな発言をするのかと注目をしていました。彼の講演は多摩ニュータウンの都市計画がいかに素晴らしいか!ということを再三再度強調するものでした。そして多摩ニュータウンの「都市基盤こそが子孫に残せる財産」だと言うのです。私は思わず「えーっ!」と声をあげてしまいそうでした。私たちに残すべきは「都市基盤なの?!」と。むしろ設備更新にこんなにもコストのかかる都市基盤を残されて迷惑をしているのに・・・と。
 私たちはこの都市基盤に悩まされているわけです。どんなにか素晴らしいかもしれないけれど、あまりにも人工的過ぎて、階段が多すぎて、坂道ばかりで、多世代が住める‘まち’になっていないじゃないの・・と思うからです。彼は「実験都市」だと言いました。実験都市なら実験都市で成功なのか失敗なのかをきちんと検証してもらいたいです。実験結果に責任を持てずに逃げ腰の公団や東京都、この‘まち’に夢を託した人々に本当に訴えたいです。「残される私たちのことを考えてもらいたい!」・・・この都市基盤がニュータウンの最大の財産だなんて誰も思っていないのに。
 彼の考え方を全て聞いたわけではありませんが、私は日本の典型的な古典的な都市計画を学びました。まさに設計屋さん、技術屋的な発想しか持たずにこの‘まち’を造ったんだと思ったのです。そこには「人」や「心」が存在しないのです。‘まち’で一番大事なことは私は「人」だし「心」だと思っているのに、ニュータウン建設時の話のどこにも「心」を感じないわけです。ただ広い道路、多摩丘陵の環境を‘みどり’広域的につないでいくこと、独立した都市圏を形成させようとしていたこと・・・・私は話しの端々に「人の顔」「人の声」を探してみましたが、どの断面を切り取っても、この‘まち’を‘まち’から生まれる「まちの心」の事なんか視野には入れていないことがわかったのです。そして「都市基盤こそがニュータウンの財産」なんて・・・・。あまりにも情けなすぎると思うのです。
 今、団地のリニューアルに泣いているところがあります。一人暮しの孤独老人が増えています。未曾有のスピードで迎える高齢化に私たちがどうすればいいかともがいているのです。都市基盤だけが財産ではないことがわかったからこそ、新たな価値を見つけるために奮闘している人々がいます。ニュータウンを残してもらう世代に位置する私としては「ニュータウンの心」を残してもらいたいです。せっかく30年の歴史を持つニュータウンなのに堂々と残せるものが都市基盤だけだとしたらあまりにも陳腐でお粗末な結果だと思います。
 実験結果についての発表も無く、もしかするとまだ結果は出ていないのかもしれないけれど、私は少なくとも、この‘まち’はハード的には失敗しているかもしれないけれど、ソフトな面ではまだまだ期待しなくてはならないと思っているし、私は都市基盤以上に重要で価値あるモノをこの‘まち’で創っていきたいと考えています。
 都市計画だけの美しさがある‘まち’だからこその欠陥を埋めるために、NPOなど地域活動が活発化している状況があります。歴史をつくるのも拓いていくのも、この‘まち’に住んでいる人たち・・・私たちが残したいのはこの‘まち’の都市基盤ではなく、造られた無機質な‘まち’に魂を入れこむために奮闘してきた人の存在です。
 基調講演のあとにはニュータウンの中に‘魂’を入れるべく活動をしている人たちどうしのパネルディスかションがありました。時間の制約もあり、深いところの議論までには至らなかったものの、パネラーそれぞれが‘まち’に対しての愛着があり、情熱があることを感じました。 そして私はパネラー参加していた市の部長さんが多摩センターの活性化の触れて、「(いろんな人たちの)知恵を借りたい、行政だけでは解決できない!」と発言している姿を見て、随分と変わったなあと思いました。これまでの行政は市民にお願いされることはあっても、市民にお願いすることはなかったと思います。彼のような発言が突破口になるはずです。少なくとも参加のチャンスが広がっていることはわかります。行政ができないからこそ、ここに住んでいる人たちが何とかしなくてはなりません。出来ないくせに適当に「検討します。」と返答する不誠実さ、行政がその姿勢から脱却することが市民の信頼を勝ち取っていき、本当の意味でここにいる人たちのための「まちづくり」がスタートするんだと思います。
 実は私はニュータウン学会が設立された時に募集していた「ニュータウンへのラブレター」を書きました。その表彰式以来ぶりに出席した学会でした。当初入会したものの、幽霊会員だったのですが、今度はちょっと本気でこの学会に関わってみようかと考え中です。

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2002年12月17日

議会として考えた今後の未利用地

 未利用地等検討特別委員会も4回目の開催です。特別委員会の設置当初に12月までにニュータウン地域の未利用地についての検討をして、来月からは学校跡地の活用などについての検討をするスケジュールを決めていたので、今日の委員会では未利用地に対しての議会の見解をまとめることになりました。委員会の報告は3月なので、それに向けてのまとめをしました。良くも悪くも委員長が叩き台を作成してくれたので、それを元に議論することができ、意外にもスムーズに会議は進行しました。ただ、叩き台があるというのはメリットがある一方でデメリットもあることを感じました。なぜかというと、「そもそもどんな報告をするべきか」という議論が抜け落ちてしまうからです。本当は民主的に進めるとしたら報告書の枠組から議論をした方がいいと思いますが、そうすると時間的な効率は悪くなるのは目に見えています。もちろん叩き台は案なのでいくらでも修正の余地はあるわけですが、前回の委員会のなかでだいたいの報告書のフレームを決めていた方がよかったのではないかという気がしました。民主的に進めるのにはものすごく時間がかかることですが、どんなタイミングで合意を図っていくか、そのプロセスをきっちり押さなくてはならないと思うからです。
 さて、未利用地の問題には多摩センター駅前の活性化が大きく絡んでいます。というのもセンター駅前地区にはたくさんの未利用地があり、これを活用して‘まち’そのものの魅力を高めていきたいからです。多摩センターはそごうデパートが撤退し、カリヨン館にあったミニシアターもなくなり、周辺の南大沢や新百合ヶ丘、立川などに人が流れていってるのが現状で、めっきり集客力が低下しています。さらに、商業ベースではなく住宅に目を向けても、若葉台などのニュータウンとして現在開発が進行中のところへの人の移動もあります。つまり多摩ニュータウンは過疎化を辿っているのです。そこで、やはり周辺地域との競争力をつけていかなくてはなりません。これを「都市間競争」と言うそうですが、商業地域としても住宅地域としても魅力のある‘都市’をつくることが多摩市の大きな課題なのです。
 話しは変わりますが‘住む’ところとしての魅力を高めるためには、教育環境や福祉の環境などももちろん高水準に保つことが求められますが、それ以上に‘まち’の魅力を高めるためには、やはり住んでいる市民自身が‘まち’に対してどれだけの思いを持って、行動出来るかだと考えています。なぜなら、「ここにずっと住みつづけたい。」人がたくさんいることが‘まち’を活性化させるからです。
 「都市間競争」という言葉が報告書に掲載する文言としてふさわしいのかどうかの議論になりました。これには「どうして、こんなことが議論になるのかしら?」と私自身は不思議でした。地方分権時代にはいい意味で「都市間競争」が行なわれて、各自治体が切磋琢磨するほうがいいに決まっているからです。語感というか言葉に対するイメージを一致させることの難しさも感じました。
 報告書としては今後の課題と基本方針の東京都と公団に対してニュータウン事業を収束するにしてもソフトランディングできるような誠意ある対応をしてもらいたいことを議会として強く求めていく姿勢を打ち出すことが最も重要です。その認識は全委員の一致する見解でした。
 私自身は東京都や国に求めていく一方で、私が議会として市民とどんな‘まちづくり’をしていきたいか・・・という方針も打ち出したいと考えていました。まさに未利用地問題は私たち市民の‘まちづくり’の問題だからです。公団や東京都が一方的な土地処分を行ない、乱開発が進む恐れがあります。そして、地域エゴや住民エゴという言葉で片付けられるのかもしれませんが、未利用地処分の中で起こる住民とのトラブルはやはり避けたいものです。そのためには情報公開や市民参加を位置付ける必要があります。私自身は要綱行政の限界もあるので住民の参加を位置づけた「まちづくり条例等としての制度化を図る」として具体的な明示をしてもらいたかったのですが、「まちづくり条例なんていらないし、反対」という委員がいたので、これは叶いませんでした。そのかわり、公団の土地処分や事業者の開発には「市民の声を反映させるルールづくりをしていく」として盛りこんでもらえることになりました。
 この委員会にいて一番感じるのは、これまでの私がいかに狭いコミュニティにいたかということです。類は友を呼ぶ・・・と言いますが、「市民参加」に真っ向から反対する考えを持っている人はあまり周辺に集まってなかった気がします。そういう意味で、全く価値観が異なるをモロに体験できる議会の場というのは疲れるけれど面白いです。もちろん社会に出れば、特に会社などでも色々な価値観を持った人がいるわけですが、目的がハッキリしている分、あたりさわりない付き合いをすれば足りる部分があります。けれども議会は違います。あたりさわりない付き合いでは通用しません。なぜなら意見はきちんと主張しなければ自分自身の描いている‘まち’の未来に近づけないからです。
 とはいうものの、まだまだ萎縮しちゃうような面もあり、もっと心臓を鍛えなくてはならないと感じる今日この頃です。遠慮しないで、もっともっとずうずうしくなれ!というアドバイスを方々からもらうわけですが、なかなかこれは難しいことです。 

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2002年12月14日

終わりよければ・・・

 多摩第一小学校の建替えプロジェクトの流れで、市民から発案のあった「宝物探し大会」でした。
 とにかく準備が大変だったのですが、何といっても珍しいというか「お父さん3人組」の大活躍があって成功しました。一般的にPTAなども母親中心の組織だと思うのですが、このイベントを仕切ってきたのは父親3人組で、その準備というのは仕事の合間ではなく、ほとんど仕事を休止させて行なっていたのが実態です。10分おきくらいにメールで現在の準備状況が流れてくるのです。
 このイベントは「お金がない!」なかから始まっているので、宝物探しで山分けする宝物のかき集め、これは地元企業の方に協力していただき、それから終わった後に振舞うことにしていた豚汁の食材も地場野菜を提供してもらい、甘酒も地元のお酒やさんからいただきました。本当に地域の人々に支えられて成功できたこと、そして第一小学校の伝統の重みを感じずにはいられません。私の卒業したニュータウン地域に存在する学校だったら、きっと同じようにはいかないはずです。第一小学校の卒業生が地域にたくさん存在したことが、今日のイベント実施の大きな力です。
 多摩市ではよく既存地区とニュータウン地区とに分けて、昔から多摩市に住んでいる旧住民と新住民という考え方があります。その考えに立って見た時、今回の父親3人組は新住民なので、このイベントを通じて、地元の住民(第一小学校の卒業生たち)との協力をし、交流が出来たことは大きな成果です。実際に、リーダーを務めた方は「地元の農家の人とかと知り合うことが出来てよかったし、人間関係の輪が広がった」と言っていました。
 そして大きな成果として次に上げられるのは、地域が関わって学校を創り上げるという学校の地域開放にもつながることです。学校開放といっても、PTAや青少協が中心になるわけではなく、「手をあげた市民」が自分たちで試行錯誤をしながら、今回のイベントをつくりあげたことは、新しい地域開放のありかたとしてモデルにもなりそうに思います。もちろんPTAや青少協の方々の協力もあり、それがあったからこその成功ではありましたが、中心になったのはあくまでも父親3人組です。「学校は誰のもの?」への回答に、新しい選択肢を付け加えました。
 それから今回、市役所の職員の力も大きかったと思います。もともと第一小学校の建替えプロジェクトには教育委員会が関わっていますが、その担当職員の協力がなければ出来なかったことでもあります。さらに市長をはじめ、部長、課長さんたちも参加してくださいました。そして、もちろんのこと、職員も裏方として、このイベントを支えてくれました。今日も体育館の椅子並べやブルーシートの設置などは実行委員のメンバーだけでは手が回らない部分でした。素人の父親3人組は段取りの悪さを色々な場所で指摘されてきたわけですが、彼らの「気持ち」を支えて、職員がフォローし、カバーしてくれた部分が多くありました。これもまた「協働」です。
 そして、もともとワークショップに参加してくれている東京農業大学の学生、多摩大学、中央大学の学生たちの参加もありました。子どもたちを見ているとやはり私たち世代の若いおにいさん、おねえさんが大好きなんだなと感じます。父親でもなく母親でもなく、先生でもなく・・・という存在を子どもが求めていることは、最近、いくつかのイベントで子どもたちと関わっていて強く感じることです。私自身、学校にさまざまな人が関わること、いろんな大人が子どもと触れ合うことが大事だと思っているのですが、私たち世代が小学校などに関わる機会が少ないことは残念に思っています。今回のイベントで子どもたちは私たち世代とふれあってどんなことを感じてくれたのでしょうか。
 ところで今日のイベントでは寸劇をしました。私といえば「カッパ姫」の役をやりました。この寸劇の衣装はバオバブ保育園から借りてきたものです。「カッパ」の衣装を今後二度と着ることはないと思います。でも女の子が「かわいかった・・・。」と言ってくれたのでうれしかったです。このカッパをやるために私も駆り出され、この宝物探し大会のお手伝いをすることができたことはいい経験になりました。
 様々な失敗もありながら、それでも子どもたちの参加が190人ほどありました。途中、宝探しのためにクイズの回答をするのですが、そこに工夫があり「第一小学校に残したいものなんですか?」とか「小学校に新しくほしいもの、つけてほしいものありますか?」についてポストイットに書いてもらい模造紙にペタペタ貼ってもらいました。私もちょっとだけ子どもたちの様子を見ましたが、とても楽しそうに「クーラーがほしい」とか「エレベーターがほしい」という子どもらしく、現代っ子らしい回答をしていました。
 全体の反省会はまだしていませんが、父親3人組は「腰が抜けた・・・」という感想をもらしていました。中心メンバーはメンバーでこのイベントを通じて学べた多くのことを共有しています。この経験を次に生かさなくては・・・・。ちょっと疲れすぎで今すぐはムリですが、このノウハウ生かすこと、そして次々とノウハウを積み上げることが、きっと‘まち’の未来を楽しくするんだろうなあと思います。
 今日、うれしかったことがありました。それはいつもワークショップの中では気難しい老紳士がとっても素敵な笑顔で子どもたちと話をしている姿を見かけたことです。彼は「楽しかったよ」とニコニコ顔で帰っていきました。「久しぶりに子どもたちと交流したよ。」ということでした。彼は地域に学校を開放するなんてとんでもない!という意見を主張している人ですが、このイベントに参加したことでちょっと考えが変わったかな・・・?まだお聞きしていませんが、次に意見交換をするのが楽しみです。

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2002年11月29日

地域を支えていくアイデア

 すっかり風邪をひいて咳が止まらない。ちょっと活動は自粛だけれど、これだけはどうしても・・・・とばかりに午前中にライブハウス永山福祉亭に出かけました。
 ここは高齢者社会参加拡大事業の一環で解説された「人と人との出会いの場所」いわばフリースペースのようなところです。ライブハウスというので音楽のほうと間違えられ、スタジオのことと勘違いされることもありますが、音楽スタジオならおそらく「ライヴ」だと思います。
 福祉亭は永山商店街の空き店舗を利用しています。公団が家賃を軽減してくれています。もちろん目的が「公共」であるからですが、その分、この場所を地域の発信拠点にあるようにしていく必要があります。同じ商店街には決して安くない家賃で店舗を借りて経営し、団地内の近隣センターとして厳しい経営を迫られているところもあります。単純に比較することは出来ないけれど、福祉亭が商店街活性化へとつながることも、高齢者の社会参加と合わせての使命かなと私は勝手に思っています。
 ところでこの福祉亭にはお洒落な喫茶店「カフェノード」があります。そしてギャラリーとしての使用も可能です。私の今日の目的はギャラリーで展示されている「さをり織」でした。このさをり織を展示の主催者はどんぐりパンという障がい者の作業所でした。昨日からの3日間開催されるということで以前からお誘いを受けていたので、足を運んでみました。店内にはとても素敵な洋服やかばん、ぼうしなどが飾られていました。福祉亭の間接照明にぴったりで、暖かな雰囲気のなかで、色とりどりのさをりの作品が映えています。
 作品の展示を見に来た方がたくさんいらっしゃいましたが、聞くこところだと、昨日の初日はもっと人が多く、そしてあっという間に作品が売れてしまったとのことでした。お一人で十万円分くらい購入されたひともあるとか。デパートなどで購入する半額以下なので、たくさん買われる方の気持ちもわかります。
 さをり織自体は障がい者が、それを加工するのはボランティアさんたちだそうです。2年間分を今回展示したそうですが、織るのにも時間がかかり、なかなか作品がたまらない・・・と言っていました。そしてなるべく「売らない」ようにしているそうです。ひとつの作品しかなければ周りとの比較も出来なくて、なかなかいくらの値段をつけるのがいいか迷うそうですが、たくさんの作品があれば他との比較もしながら、ちょうどいい具合の値段設定が出来るからです。
 どんぐりパンの方は今回、福祉亭で展示が出来てよろこんでいらしゃいました。ギャラリーの賃料の相場を考えると福祉亭は一日5000円なので安いからです。公共施設では即売はできなので、こういう施設は貴重だと言います。そして福祉亭にとっても今回の展示によって、ここの場所を知ってくれる人を増やせたという大きな効果がありました。双方にとってメリットが生まれる、両者が笑顔になれるような関係があることは見ているほうもうれしくなります。
 でも、実は地域を支えていくアイデアってものすごく難しいと思います。福祉亭を見ていると高齢者の方も以前よりは多く足を運んでくれているようです。今日も新たにはじめて来たというお客さんがいました。彼は市内で勉強会を開いているそうですが、その定例会をぜひ福祉亭でやったらどうかと考えているようでした。ただ、今日はお客さんの出入りでバタバタしていたこともあり、「こんな状態じゃあ、、、無理だなあ。」とぽつりと言うので、私は一応フォローしておきました。ここに福祉亭の問題点を発見したのですが、喫茶店のカフェノード部分が忙しくなると店員がそれに負われてしまって、せっかく来てくれたお客さんとのコミュニケーションがとれていないのです。今回ももし、私がフォローできなかったら、彼はがっかりして帰路についたかもしれません。たまたま私が「はじめていらしたんですか?」と声をかけたことで会話が生まれたからでした。
 私はさをり織りのめがねケースを購入しました。本当は小さめのポーチが欲しかったのですが、すでに昨日で完売したそうです。残念。帰り道、福祉亭ばかりがにぎわっていてもつまらない、福祉亭と商店街そのものが元気になれるようなアイデアを見つけたいなと思いました。

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2002年11月20日

この‘まち’の行方

 未利用地等検討特別委員会の第二回目。午前中には東京都、午後は公団のニュータウン担当者を招き、話を聞きました。
 都も公団もニュータウン事業からの撤退を表明しているので、今、ニュータウン地域内に所有する土地=未利用地の売却に躍起になっています。売却先はもちろん民間事業者です。これまでニュータウンの街並みなどを含めた住環境を維持して来れたのは、紛れもなく公団や東京都のおかげです。けれども民間事業者に売却されることで、ニュータウンの住環境の維持に不安の影を落としています。なぜなら民間事業者は敷地内に建ぺい率容積率めいっぱいの建物を建設しようとするのは当然のことだからです。そうなるとこれまで維持してきた環境を壊しかねないのです。ニュータウン区域の住宅地はだいたい容積率は200%ですが、容積率に余裕を残して建設した団地がほとんどです。民間事業者にも周辺環境の調和を訴えたとしても、それを承諾するかどうかは業者判断です。市が指導しても従わなかったとして、それへの厳格な対抗措置はありません。一体どうすればいいのでしょうか?特に公団所有の点在する未利用地問題は深刻です。
 そして、今日の話を聞いていて他の委員が「気になる点」と指摘をしていましたが、とにかく「多摩センター地区は魅力がない!」と言われます。未利用地の問題は多摩市の活性化、とりわけ多摩センター駅前にある未利用地の活用で‘まち’の活力をどう回復してのかという視点があります。これについて知恵を絞って考えるわけですが、どうも突破口が見つからないのが現状です。都も公団も企業誘致を図るための営業活動をしているけれど「魅力なし」「没個性」で都心回帰のあおりも受け、本当にどうしようも出来ない状態です。センター駅の活性化を絡めた時には北側地域は都の所有、南側は公団所有なので東京都と公団と多摩市でどうしていくかの結論を早く見出したいものです。
 私が思うことは「この‘まち’の行方について」最終的な責任を担っていくのは多摩市であり、多摩市民であること、公団でも東京都でもないということです。もちろん形態を変えるかもしれないけれど、公団も都もニュータウンには関わる方針・・・とは言いますが、これまでの新住事業からはすっかり手を引くわけで、今後は多摩市が中心になり‘まち’を担っていくのです。とするならば地方分権の時代だし、もっと多摩市に任せてもらいたいです。そして多摩市の市民に裁量権を与えてもらいたいです。結局はこれまでのニュータウンの赤字を解消したいために土地を売却することだけを考えている、言葉はいろいろと並べ立て、いかにも‘まちづくり’を一緒にしたいように考えていそうだけれど、本音のところがチラチラと見え隠れするような発言が多々見られました。
 公団は「ニュータウン事業の赤字を抱えている。」とは言いましたが、私は「多摩市域におけるニュータウン開発事業の赤字」として数字を明らかにしてもらいたいし、もしそれで多摩市域開発で多額の負債を抱えているとするならば、それはそれで多摩市としても開発していただいた代償として未利用地処分にもっと積極的に関わる必要もあるのかもしれません。でも、それが全くあきらかにされず、多摩市としてどこまで責任をとればいいのかが明確でないことがわかりました。多摩市開発でかかった費用を回収できているのかいないのか、「公団は別に儲けなくてもいい」との発言もありましたが、それならば原価回収しているのかどうかの現状について、きちんと整理してもらった数値を見なくては納得できません。
 未利用地かもしれないけれど、多摩市の市民にとっては住環境保全にも役立っている緑地もあります。そこが住宅地という土地利用計画になっていたとしてもどうでしょうか?あと3年以内には公団がニュータウンから去っていく中で、この‘まち’を最終的に請負っていく市民たちが「みどり」として保全したいと決断したとしたら、それは私たちの結論を公団は尊重すべきではないでしょか?それが今の時代にあった‘まちづくり’の手法です。
 未利用地の問題はとてもさまざまな思惑が混在しています。特にセンター駅前地区について言うならば、多摩市として、今後目減りしていく税収、これをリカバーすべく活性化に向けた‘まちづくり’にはどうしても公団や都の協力が必要です。でも、多摩センター駅活性化に関わる以外の未利用地について考えてみるならば、これまでのような状態であったとしても当面困ることはないのかもしれません。むしろいきなり民間事業者による開発が進むことを避けたいからです。という形で多摩市としても難しく、きわどい判断を迫られています。でも、どちらにしても目先のことだけで動くことだけはやめてもらいたいです。‘まち’の主人公は市民です。これを原点にしてもう一度‘まちづくり’を捉え直す必要があります。
 今日の委員会のいろんな意見を聞きながら思ったのは、これまでの‘まちづくり’の中でいかに市民がないがしろにされて来たのかということ、そして今でもまだ、都、公団ともに‘市民’という言葉は知っていても本当に‘市民’なるものの顔を見ていないということです。いつもは多摩市に対してももっと‘市民’の方を向いて欲しいと思うわけですが、今日は多摩市はまだがんばってる方じゃない!と感じてしまいました。

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2002年11月18日

都市計画を身近に

 かなりへとへとになっていても、必ずやらなくてはならないことがある。これは誰でも同じこと。早朝の朝遊説をやりました。ステイツマンのメンバーが来てくれると思うだけで、「やらなくっちゃ!元気出さなきゃ!」って気持ちになれます。議員は個人は本当に非力だなあとつくづく思います。
 午前中はネットの運営会議で、午後からは保育室開放デーを見学、そして夜は東京ランポの方を講師に招いた「都市計画」の話がありました。
 都市計画のことはこれまでに何度となく話しを聞いているわけですが、法律が複雑に絡み合いすぎて、頭に入りにくいです。最近は建物を見るときにも容積率とか建ぺい率なんかを一応想像してはみるわけですが、せめて都市計画図を頭に入れてみようと思うものの、これもまた難しいところです。多摩市に限らず、日本の街並みと言うのは無秩序の看板や壁の色、電飾などが気になります。エリアごとの地区計画をつくりながら、街並みづくりをする必要について、憧れのドイツを思い出しながらつくづく感じます。いづれにしても今、必要なのはこの‘まち’の未来予想図です。ニュータウンのリニューアルを含めた‘まち’の活性化にどう取組んでいくのでしょうか?
 ところでつい先日発表された都の報告書の中で多摩市も業務核都市の仲間入りをして、東京都としても恐らくそれなりの支援をしてくれようとしている・・・と一応の明るい兆しが見えてきました。多摩センター地区の活性化にどう取組んでいくのかについては私自身もそうですが、なかなかイメージが描きづらいのが実情です。
 この間の土曜日から始まった多摩センター駅前のクリスマスツリーですが、イルミネーションの規模がこれまで以上で、それこそ都心とは違う雰囲気で楽しめるスポットとして宣伝したいくらいです。・・・・・ちょっとこれは自慢できそうで、知りあいにも是非!と進めたい一方でどうしても困る問題があります。それはおしゃれで気楽なお店がない!ということです。
 ホテルは高級過ぎるし、三越も畏まりすぎて、イトーヨーカドーやカリヨン館の中は閉店時間が早くて、かといってパティオ内にあるお店はちょっとファーストフード過ぎるし・・・居酒屋サンとしてもおしゃれっぽい雰囲気のものがない・・・・もちろん北口側ののっぽビルにはいくつか入っているわけですが、イルミネーションのある南口側と北口側は駅で分断されているので初めて来た人にはわかりにくいのです。駅構内も嫌だと思うし、ちょっといいかなーっていうのはスカイラークガーデンぐらいかもしれなくて、でもこれもイマイチなわけです。都心とは違って選択肢が狭いので、それだけ客層も狭まってしまうのは残念です。
 という感じで、そもそも都心と比較するのが間違いかもしれませんが、駅前が何となくだだっ広すぎて初めて来た人にとって‘ちょっといいお店’があると「また来年も来よう!」とつながるような気がしているのです。せっかくイルミネーションはいいけれど、寒い中ツリーを見て、そのあとにホッと一息つける「和む」お店が欲しいと思ってしまいます。これはかなり個人的な見解です。そしてサンリオがあるにも関わらず、キティちゃんのイルミネーションが一体もないのも残念です。やっぱりキティちゃんなどのキャラクターを活用してもらいたいです。これも個人的な見解。イルミネーションのキティちゃんと写真を撮りに来る目的の人がたくさんいると思います。
 とこれくらいしか思いつかないのですが、多摩センターの南口と北口の雰囲気があまりにも違いすぎます。寂れた駅前にならないようにしたいわけですが、南口の駅前は狭すぎて、道路を隔ててビルが建っているので息苦しいというのが私見です。それにあっという間に駅前エリアが終わってしまいます。私の心配はむしろ、多摩センターの北口側の開発を頑張りすぎて、成功したら、恐らく南口側が衰退してしまうのではないかということです。もし北口駅前におしゃれなビルが出来たなら、お客はみんなそっちに向かうと思うからです。
 まちづくりのビジョンとを描く時、特に駅前だと人の流れを考えることはとても重要なことです。今、多摩センターの駅を見てみたとき、とても残念なのは人の流れを急に止めてしまうようなデザインとなっていることです。これは住宅地が広がるから致し方ないのかもしれません。そのままイルミネーションを通って家に帰る人にとっては都合がいいつくりです。でも遊びに来た人にとっては、イルミネーション+αを駅前のどこに見出してくれるのかな・・・と思います。イルミネーションを十分楽しんだという気持ちがお店選びでストップすることは残念です、堪能した気持ちをそのまま引きずれるようなお店を見つけやすくすべきだし、そもそもそういうお店があるのかないのか?
 たまたま都市計画の学習会が多摩センターの会議室で行われたので、帰り道、必死にセンター駅前の活性化を考えてしまいました。イルミネーションを見るだけでなく経済効果も考えたなら、もうちょっと工夫が必要であることは間違い無しでしょう。都市計画を身近にしてしまうと、いらない心配をしながら‘まち’のことを考えてしまうなあというのが最近の思いです。

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2002年11月13日

ニュータウンのつくりかた

 昨年発足した多摩ニュータウンまちづくり協議会の2回目が開催されました。これは八王子市、町田市、稲城市、多摩市各助役と東京都、都市公団という多摩ニュータウン関連市と施行者により構成している「ニュータウンの未来図」についての情報交換などを行う場です。
 この会は一年間で幹事交代するので、今年は稲城市から多摩市助役が会長となり、事務局も多摩市が担当するようです。多摩ニュータウンの中で多摩市が果たす役割はとても大きなものがあると言えます。まだ事業継続中の他の三市とは違い、多摩市のニュータウンは既に成熟期から衰退期へと顕著に突入しているからです。他市にも当然訪れるであろう課題を先人として抱えるわけで、他のところでは多摩市と同じ轍を踏まないような方向で事業を進めていって欲しいとの思いがあります。
 協議会では「共通のまちづくりの課題」を解決することを命題としています。とりわけニュータウンの活性化が一番の主題になっています。昨年からもこれを検討するべく①公共施設の相互利用②市民生活支援システム(インターネット活用による)を個別テーマとして研究したようです。それから公共(空間)を市民とともに管理をしていく手法アダプト制度についてもニュータウン全体で取り組むことなども確認されていました。当然ながら「住民参加」は欠かせません。実質化しているかどうかは別としても‘ことば’だけでは「住民参加」が必須アイテムのように飛び出していました。
 各市からの状況や都、公団の報告を聞いていましたが、取り立てて目新しいものはなく、「この会議って一体何を情報交換して討議するのか」わからないセレモニーのように感じました。各助役などは準備されているメモをただ読み流すだけで、それに対する質問や議論は一切無し。ただ淡々と時間だけが過ぎていき、そして多摩市の助役が上手に会議をまとめて終わってしまいました。
 つまり、この協議会はおそらく儀式で、この場に至るまでに現場担当者たちの折衝があるんだろうと思ったわけです。本当は現場での議論を聞きたかったです。全て「異議無し」で終了するなんて・・・信じられないと思いました。報道関係の席もあり、会場内はちょっぴり緊張感漂う空間でしたが、この会議の模様はわざわざ取材に来る必要もなく、最終的な報告を書面でもらうだけでも十分なのにと思いました。
 ただ一点だけ、多摩市民だからというわけではありませんが、さすが多摩市だと思ったところがあります。それは「施工者としての公団や都のニュータウンをつくってきたという責務がある」ことをしっかりと押さえ、そしてニュータウン事業の今後に際しての調整役として都に期待したいとちょっと厳しくビシっと発言したことです。ニュータウンはインフラが高整備すぎて維持管理コストを請負う多摩市の負担はとても大きいし、団地建替え、バリアフリー、エレベーター設置などニュータウン事業初期には予想はしたかもしれないけれど、積極的には取組んでこなかったためのツケが相当あるわけです。これをどうやって解消していくのかを多摩市の責任だけで・・・というのはやはりいかがなものかと思います。
 ニュータウンのつくりかたは最終的な責任の所在を明らかにしないで進められてきた最悪的な手法だと思っています。時代の流れは読めないのは当然のことです。時代に翻弄されたあまりに、ニュータウンが市域の約60%の多摩市に酷な結果とならないようにしなくてはなりません。結局、犠牲になるのは「市民」だからです。

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2002年11月02日

まちは友だち!

 多摩南生活クラブ生協まちづくり委員会が主催した学習会に参加しました。テーマは「子どもの声を生かすまちづくり」です。子どもの権利条例を制定したことでも有名な川崎市の職員の方による事例発表です。
 川崎市では「まちは友だち!」というオリジナルの副読本があります。これはまちづくり局と川崎市立小学校社会科教育研究会の合作です。まちづくり局側は小学校の授業見学へ行ったり、授業カリキュラムを学んだり、そして教員側は都市計画のちょっと専門的なことを知ってみたり、という交流会から始めたそうです。そして互いの共通理解を深めて出てきた結論こそが「まちづくりは人と地域のつながり」でした。そこで①まちづくりへの参加②地域への関心③ルールの発見をねらいとした教材づくりをしました。
 その副読本の中味はもちろんですが、職員が縦割りの壁を乗り越えた交流をしていることが注目すべきところで最大のポイントです。そしてこれは「まちづくり一万人運動」だというのです。川崎市では全小学校を合わせると一学年で約1000人いるので、この教材を小学校3年生で配布することを10年継続したら、一万人の手に「まちは友だち!」を広められるからです。
 教材の内容はまずは小学校3年生でまち探検から始まります。そして次の段階でまち調べ、これはいわゆる「調べ学習」の一貫として、最終的に6年生ではまちづくりゲームに到達します。この教材を使って、誰もが「まちの主人公」になることを実現するのです。課題はこの教材を使いこなせる教員の育成だと思って話を聞いていました。すると、もちろん教材を活用するための教員マニュアルも作成中とのことでした。
 まちづくりに子どもの参加がどこまで認められるのだろうか?子どもに何が出来るのか?もちろん指摘がなされるそうです。けれども子どもにも相応の権利、「ささやかな決定権」を与えなければ何もスタートしません。それはわかっていてもなかなか「子どもの権利」への理解が深まれないのが現実です。
 「権利ばかりを主張するなんてけしからん。だからむやみやたらに権利を認めることは出来ない。」との反対意見はあっても、子どもの権利自体がまだ確立していないので、権利確立⇒義務の確立⇒本当の子どもの権利・・・と変化を遂げていくだろうとの提示をもらいました。これには私も励まされた気がしました。というのも「若いのに何が出来る。」と批難も受けることが多々ある中で、若い議員としての役割とか義務について、今は私自身が発見している途中なのかもしれないし、その中で確立していけるものもあるんだなと勝手に勇気づけられたからです。
 そして「まちへの愛着」がまちづくりの原動力だと指摘されました。これについても私は共感します。私自身も愛着を考え始めてからまちづくりに関わったからです。まちづくりは時間のかかるもので、人とのネットワークの中で学びあいをすること、しかも粘り強いことが重要です。多摩市ではまだまだ「子どもの参加・参画」施策は未整理のままで確立しているとは言えません。これからどう進めていくのかが問われている時期です。川崎市のような積み重ねがないので、いきなり川崎方式で進むことは考えられません。けれども時間をかけることを恐れずにじっくりと取り組みたいと思っています。

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2002年10月21日

地域で学校づくりしちゃおう!

 月曜日はいつも雨降り。今日も土砂降りの雨で、朝遊説。雨が降っている時にはテンションも低くなるし、せっかく配っているチラシも受け取ってくれる人が少なくて残念。
 午前中はネット事務所で稲城・多摩・東京都の情報交換をしました。この会議は一番面白くて、今日も都議の新井さんからいろんなことを教えてもらいました。新井さんはさすがに勉強もしているし、私以上に経験もあり、彼女の視点にはいつも学んでいるところです。私の気持ち的には門下生。今日も自治体のバランスシート作成の必要性などを聞き、ますます勉強不足を痛感したところです。公会計の考え方は難しくて、OL時代には決算書の整理をしょっちゅうしていたものの、なかなかその経験を生かすわけにはいかないからです。例え、赤字が出ていたとしてもそれを一概に非難することも出来ないからです。

 今日は午後からはリフレッシュ。こちらもOL時代から抱いていた夢の実現へ第一歩です。私は常に何かを表現していたい人間ですが、出来れば自分一人ではなく、たくさんの人と一緒になって創り出すことが大好きです。それは演劇部の経験が大きいのかもしれません。とにかく私はみんなで創り出すことの楽しさを子どもたちと共有したいと考えてきて、OLをしながら子ども向けに読み聞かせをしたり、歌を歌ったり等をしたいと構想中でした。
 ところが人生は面白いもの!議員になってしまって、その夢をまたもや先々へと延ばすハメになっていたのです。そんな私の思いを共有していた仲間の一人が公民館の保育室開放デーのちょっとした時間を利用してミニイベントをしようという話になり、今日は第1回目でした。プログラムは読み聞かせで「とりかえっこ」という絵本をパフォーマーの安倍久美子ちゃんが子どもとお母さんたちに披露しました。初めての試みですが、なかなか好評で次回も・・・という話になりました。次回には私のOL時代の友人がヴァイオリンの演奏をする予定で、私もちょこっとお手伝いするつもりです。

 そして今日は多摩第1小学校の建替のためのワークショップでした。こちらは傍聴のつもりで初参加しました。今までからも参加したかったのですが、なかなか都合がつかないのと、一応地域の人たちのワークショップということもあり、地域外の公募市民はいるものの、私自身は地域外だし、しかも立場は議員で、何となくしゃしゃり出るのも気が引けたので参加してきませんでした。でも、やはりどうしても参加をしたかったので、担当の職員の方に聞いてみたところ「来ても良い・・。」という了解を得られたので、傍聴に出かけました。
 しかしハプニング・・・というか人数の少ないグループに加わって欲しいと頼まれたので、いつしかどさくさに紛れて議論に参加してしまいました。私個人的な意見は述べずに、他の参加者の意見を聞いていましたが、ずうずうしくも途中から、広げられた模造紙に絵を描きながら、参加者の意見をまとめることをお手伝いしてしまいました。
 3つのグループがありましたが、共通している意見はやはり「地域開放」の視点でした。地域の住民が自由に出入りできて、そして子どもたちと交流出来るように、そして地域の交流の拠点として施設を活用したいと望んでいるようでした。あとは多摩川沿いという立地を生かして欲しいという要望が強かったと思います。最終的にはどのようにまとまっていくのか楽しみですが、曲線を大事にした建造物にしたいというのも願いのようでした。
 学校だとしても公共施設です。やはり公共のものとして地域みんなで大事にしていきたいという住民の気持ちがひしひしと伝わってきました。私は自分たちの手でつくることで生まれる愛着こそが大事だと思っています。それは結果ではなくて過程の問題です。私のいたグループでも「お金がかかりそうだなあ・・・」というため息まじりの声もありましたが、そこを「いや、いいのいいの。夢なんだから。今の段階は。とにかく欲しい物を出していこう!」と積極的にリードしてくださる人もいました。私はこのプロセスが大切なんだとつくづく思いました。
 最後に参加者より「私たちがこうして取り組んでいるけれど、先生たちやPTAの方はどうなっているんですか?情報交換とかしているのですか?」という核心をついた質問が飛び出しました。「自分たちだけが一生懸命やっただけでは意味がない・・・。」という含みがあるようでしたが、全くその通りだと思いました。
 このワークショップをリードしているのは市の職員です。すべて準備も職員が行っています。その段取りとか手際の良さには拍手を送りたいです。こんな風に職員がどんどんと地域に来て欲しいです。

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2002年09月24日

やっぱり「みんなで一緒にまちづくり!」が大事

 来年度に向けた予算要望の時期が近づいています。議会(議員)に対してもさまざまな団体などから働きかけがあります。 議会最終日の前日、今日は事務整理日で休会です。午前中に「手をつなぐ親の会」(障がい児、障がい者の親たちで結成しています。)と懇談会がありました。2週間くらい前に全議員に対し、出欠確認の手紙が来ました。これまでは要望書を持って、議会の開催中に一つ一つの会派をまわるというスタイルでお願いをしていたとのことです。けれども今回からは懇談会形式を採用し、代表などだけではなく会員の人とも本音でざっくばらんに話せるようにしました。初めての試みだそうです。代表の岩崎さんは「議会と行政とスクラムを組んで進めていきたいし、そうしなくてはならない。」との思いを話していました。例え個々の問題だとしても、親たちが切実に抱えている悩みを議員に対し投げかけながら、意見交換をすることが大切だと考えたそうです。
 出席した議員は私を含めて10名でしたが、皆が口にしていたのは「こういう場所に来て、勉強をしたい。」ということでした。私は「勉強をする」という表現はしっくり来ないので「意見交換をしながら一緒に考えていきたい」と述べました。というのも正直、例えば法律のこととかを含めた制度面については全く事前の勉強不足だからです。恥ずかしいけれどもそういう部分を自分で勉強をしながら、現実問題については、当事者の方々に教えてもらいながら、意見交換をして、その中で何が実現可能なのかを判断していく、一緒に見つけていくことをしていきたいという強い思いは持っています。
 今日の意見交換の中では『障がい者の自立』をどうやったら支えていけるのかが焦点だったように思います。特に学校卒業後の就労問題などは切実なものです。年齢によっても抱える問題は違いますが、やはり障がい者(児)が助けてもらいながらかもしれないけれど、自分自身を自分自身でステップアップさせるために何がしていけるのかということだと思います。自立支援センターとしての「のーま」の活用も話題にでました。「のーま」は開所したばかりなので、これからみんなで「のーま」を育てていこうという方向性では一致していたと思います。「いろんな意見や苦情とかをどんどん現場の人にぶつけることが大切」だと言う岩崎さんの意見には賛成です。
 「行政の職員も数年で担当を変わってしまうし、継続的な視点にたちながら政策を進めるということにはつながっていかない。」という批判もありました。私はその気持ちが本当によくわかります。「結局自分たち(行政職員)は身分も安定していて、何もしなくてもお給料もらえる。」という意見もありました。そのこともよく理解が出来る気持ちです。そこで私が最後に会の皆さんにお願いしたことがありました。まず、職員も今の人事制度のもとでは、数年で異動してしまうからこそ『障がい者基本計画』があることをお伝えしました。そして皆さんでこの計画の中味を点検してもらいたいとお願いしたのです。というのも私を含めて、なかなか当事者としての経験のない職員も計画策定の時点でさえ「イメージがわかない」と思うからです。一体何をどのように充実していくことがいいのか。今はどういう状況で、そしてどうやって何を改善していくことができるのか?そのために必要なものは何か?市民自身(親も含めた)で解決出来ることはあるのか?行政がやるべきことは何か?そういう問題について、一度、最初から見てもらって考えてもらいたいとのお願いをしてしまいました。計画の中にはたったのひとことで「充実する」とありますが、これをいくら眺めていても、何もわからない状態・・・私自身が置かれているからです。
 やっぱり「みんなで一緒に」念頭に置きながら計画をたてて、実行をしていくまちづくりが必要だと思います。いくら想像力を働かせたとしてもわからないことがたくさんありすぎます。だからこそ当事者参加が大切だと思うのです。その中で行政、議会、市民の役割分担も生まれるはずです。
 来年の予算要望としての懇談会だったのに、逆に、私自身が皆さんに要望をしてしまったというちょっと失礼だったかな…という反省が帰り道で心によぎりましたが、私の思いが伝わればそれで良し!にすることとしました。

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2002年09月18日

118ヶ所も未利用地があるなんて!!!

 今日は未利用地等を検討する特別委員会の一回目。少し緊張して出席しました。委員長が「この委員会には当選したばかりの議員さんもいることだし…」と強調をしていたけれど、本当にその通りで、私はこれまでの経過もほとんど全部わかっていないので、「あー憂鬱、周りの足引っ張りそう…。」というのが正直な気持ち。委員長の言葉には穴があったら入りたくなってしまったけれど、そういう意味ではとにかく議員自体がド素人の私に配慮してくれたのはありがたい…と前向き気分で行くしかないのが現実なのでした。

 まずは、委員9名の共通認識を…ということで未利用地の現状やニュータウンの歴史などを丁寧に聞くことができたのですが、とにかく「未利用地等」(この『等』には学校の跡地が含まれる)の検討といっても、その範囲は膨大なので特別委員会でやることを整理することから始めました。その結果、
 (1)全体的に未利用地をどうしていくのか?(公団・都との関係の中で)
 (2)多摩センター駅前の未利用地をどう活用していくのか?
 (3)学校跡地についての検討
という順番でそれぞれについて議会の見解を出していくことに決定しました。この特別委員会は来年の3月までで解散(4月に統一地方選挙があるし、当然のこと)なので、通算で5回ほどしか開催できない模様です。限られた時間を有効に使い、今後の方針を打ち出していくこと自体難しいと考えます。もちろんその為には相当に個人的な学習が必要だと、考えてみるだけでも、目の前に積まれた山のような課題。「ハぁ…」と一瞬ため息がもれますが、次回の開催は11月なので少し救われました。
 委員会全体ではやはり今後公団と東京都のニュータウン事業撤退の伴う土地処分について、誠意ある対応を求めたいという方向です。ニュータウン事業での赤字解消のために、多摩市民の住環境に配慮しない無茶な手法、無責任な撤退の仕方だけは阻止しなくてはならないとの思いは一致しています。それと共に閑古鳥…の多摩センター地区を活性化させるためにどうすればいいのか?ということ、少子化が進み、発生した学校跡地をどう活用していくのか?までを含めて検討をするのです。未だに私は、こんなに膨大な量をこなせるのだろうか?と心配になりますが、きっと決めたことなのでやり通すしかなさそうです。
 今日は行政側の意見として、ニュータウン建設当初には予想できなかった問題が起きて山積みな事(例えば未利用地をはじめ、住宅建替え問題など)や行政としても住民参加型のまちづくりルールなどを視野に入れる必要があると考えるという認識も聞くことができました。これはとてもうれしいことでした。
 ‘まちづくり’の原点は「私たちが住んでいるところは私たちが決めていく」ということだと思います。これまでは「私たちが決める」ことを忘れ、行政に任せっぱなしだった時代でした。けれども今はその考え方も随分と変わってきています。その意味ではまちづくりルールを市民とともに考えて策定していくことはとても大切なことです。ただ私自身は、ニュアンスの違いかもしれませんが、「住民参加型」というよりむしろ「協働のまちづくりルール」の方がいいな…と考えています。

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2002年09月15日

バリアフリーのまちづくり

 昨日と今日との2日間で開催されているNPOフォーラムに参加しました。土日や休日は何かと催しがあるので、今日は一日休日にしようかな…ともチラリ頭によぎったのですが、「まちづくり」をテーマに港北ニュータウン、千葉ニュータウンからもパネリストが来るということだったので楽しみに参加しました。 
 予想はしていたものの、参加者は多くは無かったけれど、本当に話を聞きたい人だけが集まっていた分熱心な雰囲気がありました。バリアフリーというとハードな面で、例えば車イスの方が通行しやすいように段差を無くした通路をつくるということはもちろんですが、何よりも見えないバリアフリー、人々の心の垣根(ソフト)をいかにして低くしていくのかが一番の課題です。つまり「まちづくり」というのは人々の暮すエリアをどうやって快適な心地よい空間を創り出せるかなので、そういう意味では他人同士がひしめき合う空間は心が通わないと、どんなに設備が整っていても、街並みが美しくても‘まち’が生きていない時もあるわけです。多摩ニュータウンは、そもそも設備だけが用意された‘まち’としては生命のないところに、たくさんの人が移住してきたので、その人々がどうやって色づけをしていくのか?が‘まち’として一番の課題であるし、そこがここの魅力にも変わります。これまではいわゆる会社人間だった方々がそろそろ引退を迎え、ニュータウンに帰ってきつつある今、彼らの力も加わり、ニュータウンの新しい息吹が生み出されているのかな?というのが私の見方です。
 NPOフォーラムのシンポジウムに話を戻しますが、港北ニュータウン、千葉ニュータウンと多摩ニュータウンではそれぞれの特性もありながら共通して抱える課題もあると話していました。この3つのニュータウンでは3NT交流会というのを国土交通省の音頭で開催してきましたが、今はその交流会も存続の危機にあるようでした。私は3つのニュータウンはもちろん造成された目的は同じかもしれないけれど、地形も違えば、歴史も違う、つまり住んでいる人の顔が全く違うので、そう単純に比較はできないな…と思うわけですが、やはり、建替え問題や高齢化の問題は共通化出来ると感じます。これらの問題をどう乗り越えていくのか?その中で自分たち自身で解決出来ること、そして行政に手助けをもらうことをまとめて提言書でも出せばいいのに…と思いました。
 シンポジストから「行政と市民間のバリアフリー」という話がありましたが、それこそ私は「市民と議会間のバリアフリー」のことをもう少し聞きたい気がしました。質問をしましたが、時間もなく回答が満足にしてもらえなかったのが残念でした。いわゆる市民活動などの団体は対行政…との構図の中で、行政の身動きが悪いとか、市民に対して情報公開しない…などなど苦情も聞こえて来るわけですが、その中に『議会』ひいては『議員』の姿がどこにも見えないのはとても不思議です。それはそれで別にいいわけですが、彼らは議員や議会という場所をどう位置づけて活動をしているのかな?というのには関心があります。それは、決して自分たち自身で解決出来る問題だからといって『議会』の役割が不要だとは言い切れないこともあると思うからです。だから、市民自治の道具としての制度(市民自治基本条例)が必要になってきたんだろうなと思うわけです。行政と市民、そして議会の役割を明記した条例があるとわかりやすくなるんだろうなと。

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2002年09月13日

やっぱり全会一致!

 今日は常任委員会でした。案件が少なかったのに、思ったよりも時間がかかって終わったら17時30分。庁舎は意外にクーラーがきいていて、終わりの方には冷えすぎたからか、唇の色が紫色になっていた。前の会社にいた時もそうだったけれど、古い建物は部屋ごとに室温の管理ができなくて全館でコントロールするのでどうしようもできず・…結局耐寒レースのようになって、「早く会議終わって欲しい…」と自分勝手にも思ってしまいました。

 さて、今日はやはり一番は「豊ヶ丘2丁目地区の住宅建設に関する陳情」が焦点でしたが、もちろんみんなの気持ちは多少違いはあっても同じ。全会一致で採択されました。市と公団とでは民間業者に土地を売却する場合のルール、事前にどんな手続きを取ればいいのか?という調整をするためのものです。豊ヶ丘2丁目地域については過去にも陳情や請願が提出され、議会でも採択されている経緯があるので、それを踏まえて公団は住民に誠意ある対応をしてほしいというのが市の姿勢です。公団側はここの住宅建設については一度白紙撤回をしていたのに、突然6月27日になって周辺住民あてに、土地の売却と集合住宅の建設についてお知らせを配布、これに驚いた住民たちが「聞いてない!」と今回の陳情再提出へと至ったわけです。市としても、公団の対応については充分でないと判断をし、きちんと住民との話合いをするようにと指導をしているとのことでした。
 でも、市がこの件について特に強調するのは「当該地には過去の経緯があるから」「当該地は特殊なケースで・・・。」ということなので、これにはやっぱり一言「ここが特別なケースとのことですが、これ以外の未利用地についても同じようなことが起きる場合もあるけれど、過去の経緯が無い時にはどうなるのでしょう?市はどう対応するのですか?」
 もちろん回答は「周囲の住民への情報周知についてはきちんとしてもらいたいと指導はしていきたいけれど、今のところ決まった手続きなどはないから検討していきたい…」という怪しいお返事。
 つまり、私が思ったのは大抵の場合、住民は突然建築計画の看板が設置されて、「あら、こんなところに住宅が建設されるの?」って思うわけで、その時には既に土地の売却が済み(国からも許可済み)だし、民間事業者は工事着手の段階!ここで反対を言っても、工事だけが進まないだけで、住民の反対運動も効力があまり無いのが現実です。
 となると、民間に土地が売却される前に、公団が周辺住民にきちんと周知徹底をする必要があり、もちろん市としても、周辺の住環境を壊さないように住宅建設などをしてもらうような方向での民卸し(公団の土地売却)を要請することが不可欠なのです。でも、今の市と公団とのルールでは土地売却の前にどのようなルールで周辺住民に告知をしていくのか?そして合意をとっていくのか?について手続きとして定められていません。そこが大きな問題です。つまり、公団が「告知については、周辺住民のポストにお知らせをいれたし、大丈夫です。」と言ってしまえば、それはそれで建築に関する協議などの次の段階に入ってしまうわけで、そうなると国への申請・許可などと、住民無視の構造がどんどんと進んでしまうのです。本当に危険だと思います。 
 早く市としての姿勢が欲しいと思います。市が住民を守るために、住民の声を聴いていくために、必要不可欠なプロセスはなにか?公団に対して、または都に対して求めるべきことはどういうことなのか?もう少し手続き的なことを決めてもいいような気がします。…決めるべきだと思います。
 住民の安心を維持することはものすごく大変なことです。でもここで、多摩市にがんばってもらわなくては…議会としても住民と行政と共に強権を放つだろう公団と都にきちんと態度を表明したいと考えています。今回の陳情を機に、新しいまちづくりの方向性が見つけ出せることを強く願います。

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2002年09月10日

ふりかえり・・・

 改めて昨日の議会をふりかえると、是非の選択が重大な判断であることを感じます。「これが本当に市民の判断になるのでしょうか?」とある人に言ってみると、あっさりと「議会は市民と乖離している方が多いけどね。」…。

 今日は休会だったので朝、市役所に向かい、金曜日の委員会に提出されている陳情などについて資料集めやヒアリングをしました。それから私にとっては一番の課題である来週の特別委員会。ニュータウン内の未利用地等を検討する…と言っても、ほとんどこれまで何の情報も無く過ごしてきているので、何をすれば良いのかすら分からない…のが現状。けれどもせめて法律には目を通す必要があるだろうなということで都市計画法と新住宅市街地開発法をうとうとしながら読んで過ごしました。午後になり、多摩センターの北側地区について問題点…これまで八王子市域だった部分が多摩市に編入されたことで用途地域の指定などをする必要があります。そのために、市としてどのように土地を活用していきたいのかを描きながら決定しますが、いまいちどうすればいのかわからなくて足踏み状態なのです。…を都議の新井さんたちと話し合いました。多摩センター駅前については私自身「別に今のままでもいいじゃない…」とか思ってしまうわけで、活性化を急がなくてもなあ・・・と思うわけですが、それにしても寂れているし活気が無いし「何とかしなくてはいけない」というのが他の人の意見でした。
 初めて知ったのは、今、とても華やかで人も多い南大沢地区は東京都が担当をして、多摩センター地区は公団が担当をして開発をしてきたそうです。南大沢と多摩センターを比較すると雲泥の差…です。多摩センター駅の北側地区は東京都の所有する空き地がたくさんあるわけですが、東京都としては南大沢地区にもっと全力投球したいそうで、そうなると多摩センターって都からも見放されてしまうのかしら…と危惧してしまいます。公団も都もニュータウン事業の赤字解消を急ぐわけで、とにかく未利用地(空き地)を売却したくてたまらない状況なわけです。事業がうなぎ上りだった時には多摩市と仲良しだったにも関わらず、今では多摩市はお荷物のような存在に…。公団や都のてのひらを返したような態度は、日本の官僚というか役所の体質をそのまま表しているように思います。
 「ハァ・・・大変…」と気が遠くなってしまいそうですが、そうも言っていられません。私としては『まちづくり条例』の提案をして乱開発を防がなくてはならないと思っているところです。宅地開発に関しては指導要綱はありますが、これは全て努力義務。住民への周知徹底が本当に住民の納得のいくまでしたかどうかは関係ありません。そのどりょくをすればいいわけですから…これでは困ってしまうので、何かそこにもう少し拘束力を付与しなくてはと考えています。

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2002年09月08日

ニュータウンの未利用地はみんなの問題!

 今回、建設環境常任委員会に陳情に豊ヶ丘二丁目住宅建設計画に関する陳情書が届いています。この陳情では住宅建設そのものにまるっきり反対をすると言うものではなく、もし建設をするにしても住民の意見をよく聞いてもらい、建設事業者と納得のいく合意を図ってもらいたいと切望するものです。
 ここの地区では1994年にも請願と陳情を提出していますが、これは全会一致で採択されています。その時から建設計画は中止をし、その間に公団がニュータウン事業からの撤退を発表。いわゆる公団が所有している土地(未利用地)を民間事業者に対して払い下げをするわけですが、その候補となっていることに住民が危機感を抱いているというわけです。つまり公団が民間事業者に譲渡すること、用地処分が終われば、すぐに民間事業者が住宅建設を開始することは予測できますが、その際には住民とどこまで話合いを詰めてくれるのかに不安を抱いているわけです。特に、該当地区は眺望が素晴らしいこと、良好な住環境、特に緑が豊富なことを理由に住まいを購入した人々もいるわけで、購入当初は問題になっている未利用地についても公団が開発するはずだったので、ある程度は住環境が維持出来るはずでした。ところが不況になった現在で、民間に土地が売り渡されるとどうなってしまうのかわかりません。もちろん建ぺい率、容積率いっぱいいっぱいで住宅建設をしないなんてことはありません。そこに一番の問題があるわけです。
 しかしながら、ここで多摩市としては何が出来るのでしょうか?この土地は公団ものであり、多摩市として指図できる筋合いは無いと言われればそれまでだからです。そうなってくると私は、そこに住んでいる人たちがどのくらい自分たちの住環境を守りたいのかという熱意にかかってくると思うわけです。そして、この問題は決して豊ヶ丘地区だけの問題ではなく、ニュータウン全体に普遍化出来ることなのです。
 さて、ちょうどこの地区にお住まいの方が私の高校時代の先輩だったので午前中、これまでの経緯などをゆっくりと聞くことが出来ました。そして私からは、先にも書いたとおり、この問題は多摩市全体のことだし、決して「住民エゴ」と言われるような活動に留まっては行けないと思うとお伝えしました。そのためには、今、陳情を出した人々が、このことがどれくらい多摩市という‘まち’にとって重要なことを理解して、外に働きかけていく必要があることを強調しておきました。もちろん私自身も、「住宅建設に反対するのではなく、既にそこに住まう住民との合意形成をきちんと図って欲しい。」という要望には賛成です。未利用地についてはこの議会でも特別委員会で審議されますが、今回の陳情については、一地区の問題としてではなくニュータウンを抱える多摩市の問題として取扱っていく必要性を強く感じているところです。

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2002年09月04日

‘まち’の行方。。。

 今日の議会で注目をしたのは多摩センター駅北側にある約20haの土地利用についてです。ニュータウン内の未利用地を検討するにあたっては、多摩センター駅前の活性化を含め、どうやって有効に土地利用を進めていくのか?再三ですが公団や都との調整を図っていくのか?が鍵です。残念ながら多摩市には「まちづくり条例」等がないので、‘まち’のデザインをつくる時に住民の意向をどうやって反映させるための仕組みが確立しているとは言えません。手続き的に住民の意見をしっかりと聞いていくことが担保されていないことはとても危険で、私は不安を覚えています。だからこそ議会で今度設置した特別委員会の役割は大きいと思うのですが、それにしても委員会は12月までで、おそらく4回ほどしか開催されない見込みです。この限られた会議の中で一体何を議論し、そして結果を出していくのか?私自身、何をすべきなのか?が見えない状態です。
 今日の一般質問で明らかになったのは、やはり多摩市がニュータウン内にある未利用地のことに苦慮していること、それから多摩センター駅前の活性化についても頭を悩ましているということです。私も多摩センター駅前の活性化を考えるとなかなかいい案が思い浮かびません。北側ももちろんですが南側もです。多摩センター駅は学生の時から使っていますが、駅そのものの魅力はなく、学生にとってもただの通過点にしかならない気がします。多摩センターの駅で足を止める場所がないからです。バスを降りてそのままホームへ!というのはモノレールが出来てからも変わらないと思います。モノレールの駅から京王、小田急線へ向かう歩道は殺風景でなんの面白味もありません。イトーヨーカドー、カリヨン館などがあっても、駅と一体化していないのでそちらの方まで足が向くことはほとんどないと思います。カリヨン館の中には比較的大きい書店がありますが、中央大学の学生は生協内の書店で充分ニーズが満たされるので、やはり魅力にはならないでしょう。
 …と考えると、それならどうやったら駅前の活性化が出来るのでしょうか?ある意味で今の学生はお金持ち。アルバイトで稼いだお金を自由に使ってくれる存在でもあり、学生の魅力をひきつけられれば儲けモノだと思います。妙案を浮かべることは相当難しいです。ただ、モノレールから歩いてくる時に雨に濡れなくてもいい方法・…それだけでもずいぶんと違うと思います。今は雨の時に傘をささなくてはならないのは不便です。モノレールから京王、小田急線の駅に歩いてくるまでの駅前空間を上手く利用して、そこに駅ビルのようなものがあり、雑貨の可愛らしいお店とか、ちょっとフラリと寄れるようなおしゃれカフェがあって、雨が降っても濡れないで移動出来るような工夫があれば、ちょっとは人が集まってくれるのかな?とも思います。なにせ駅前の広場や空間にゆとりがあることはいいのですが、現状は多摩センター駅周辺が一体化せず、ホテルにせよ、パルテノン多摩にせよ、サンリオピューロランドにせよ、分断して存在している感じです。
 ‘まち’の行方をどうしていくのか?本当は住んでいる人が考えることです。多摩センター駅前をどう活性化させたいのでしょうか?住んでいる人が望むのと逆方向に動いていくことがないように計画していく必要があると思っています。

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2002年07月06日

札幌滞在…代理人運動交流センター全国集会のため

投稿者 hisaka [まちづくり]

2002年07月05日

札幌滞在…代理人運動交流センター全国集会のため

投稿者 hisaka [まちづくり]