2005年04月24日

思わぬ陳情・・・・

 これから様々な市民団体などの総会シーズンです。一日にいくつもの総会を掛け持ちして予定のやりくりをする時期です。

 さて、私は今日は多摩視聴覚障害者協会の総会に出席したのですが、そこで思わぬ陳情が出されました。すでに私たち市議会議員のところにも今年度予算への要望としてまとめられた文書が届けられているのですが、そのなかの一つに市内学校跡地施設に聴覚障がい者センターへ転用してくださいというものがあります。聴覚障害者協会だけではなく、市内で活動をしている様々な団体は、その活動拠点、事務所機能を兼ね備えた場所を確保することが念願となっています。もちろん、議員もそのことは承知しています。その拠点施設として市内を見まわすと、やはり廃校の空き教室が目につくのは当然のことだと考えます。とはいうものの、学校跡地施設の活用方針でも課題になっていた「既得権」発生の問題などあるのは周知のことです。特に占用使用を許可するとなれば慎重な対応が求められます。市民誰もが公平公正に廃校施設を使用するという観点を第一に据え、早急に考えていかねばならないとしています。ここは行政でも議会でも同様の認識で一致しています。

 「思わぬ陳情」というのは、今日の来賓挨拶の中でのことです。何と出席されていた国会議員の方が挨拶の最後に来賓席の市長をはじめ私たち議員のほうを向いて次のような趣旨で述べたのでした。
 つまり、市内にはたくさんの学校跡地施設があり、空き教室があるのだから、場所はともかくとしても拠点としてどこかを確保していただきたい…というわけです。この国会議員の発言の意図を私は理解しかねます。
 
 その場に居合せた議員一同、市長はその発言をどう受けとめたのだろうか?と思います。私は苦笑いすらできませんでした。ただ一言「驚愕!」した出来事でした。学校跡地施設を具体的にどう活用していくのかは地域の問題です。
 もちろん国庫補助返還の軽減措置など、国会議員の仕事の中で協力してもらいたいことはあるわけですが、しかしそれと、この度の発言は全くの別物です。実はこの方は挨拶の冒頭では「地方分権」を強調されていました。そのことを理解されているのならば、国が地域に必要以上の介入をしないことが望ましいことも当然に把握されているはずで、ご自身の役割としてもきちんと認識されているはずではなかろうか…私にとっては不可解な発言により、突然に陳情がつきつけられたのでした。

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2005年01月19日

東京都の予算・知事原案

 来年度の東京都の予算案の資料が手に入れ、内容を確認しましたが、予算総額で規模が大きいのはもちろんのこと、主要事業内容から広がっていくまちづくりイメージのスケールの大きさを感じます。東京都直轄でやる事業もありますが、やはり生活に密着型、地域事情に適した事業展開が望まれるようなものについては基礎自治体である区市町村が行うわけで、東京都の役割としては財政的な支援になってきます。主要事業として原案に掲げられているものを見ながら、この予算がどのように区市町村に配分されていくのだろうか、そして多摩市のまちづくりにマッチしているような事業はあるだろうかと考えました。「地域の自立」を強調し、財政運営の自立もすべきとの立場からは矛盾する考えなのですが、国や都などの補助金に頼りたくなる、むしろ頼らねばならない部分が相当存在することも事実です。原案を眺めながら、各事業として計上されている予算額を区市町村での取り合いなんだろうなと思いました。 集権時代とは違い、自治体それぞれの知恵の働かせ方、そして何よりも自治体ごとのやる気が補助金獲得などにも反映されるように思います。その意味では‘取り合い’という競争にさらされ、自治体が互いに切磋琢磨できる関係にあることは望ましいと考えます。もちろん、ここには市長、職員だけではなく地域に関わる議員の力量が問われ、いかにして「自治体力」を高めるかがポイントになっている気がします。

 さて、来年度の予算原案ではやはり「安全安心のまちづくり」を始めとする治安対策に力が入れられるようです。特に地域の防犯力向上については今年度当初(11億円)の2倍以上、26億円が計上される模様です。また、警察力の強化についても67億円が76億円と大幅な増になっています。これについては昨年の調査で明らかになった都政への要望に応えたものと言えると思います。おそらく地域の防犯力向上に関しては多摩市も同じような方向性になるのではないかと思っています。

 それにしても東京都には隠れ借金が約9200億円あるそうで、特に多摩ニュータウン事業会計は平成18年度に資金ショートが発生する可能性があるとしています。すでに多摩ニュータウンを担当していたセクションは縮小整理されており、店じまいの方向ですが、実はここが店じまいされてしまっては全く困ってしまいます。これから団地建替え、リニューアル問題という大きな課題に向けて取組まなければならないからです。しかし、東京都の中でニュータウン事業は「お荷物扱い」されているようにも見受けられます。多摩市の立場から見れば、非常に不本意です。「ニュータウンの再生」はどうやら「都市再生」の一部として位置付けられていない模様です。ここは大いに不満です。東京都の規模は大きすぎて、各地域からのニーズには正直応えきれないのではないか…そう思ってしまいます。

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2004年06月15日

市町村合併のはなし

  市町村合併の話しは都会では、特に東京都内ではあまり話題にならずに来ています。保谷市と田無市が西東京市になり、五日市町と秋川市があきるの市になりましたが、これも今回の市町村合併の動きとはまた別の流れのなかで行なわれた気がします。「合併」についての話しを聞く機会がありました。すぐ近いところでは、まだ任意協議会ですが相模原市が津久井3町との合併を目指しています。
 相模原市は政令指定都市を目指すそうですが、そうなった時、神奈川県はどうなるのでしょうか?横浜、川崎についで相模原市までが政令指定都市になれば、県の役割って一体どんなことに集約されていくのかと思います。その存在意義が問われることにもなりそうです。
 ところで、相模原市の協議会ですが、なんとメンバーが50名で構成されています。この人数を聞くだけで、一体どんな議論が出来るのかと疑問に思います。きちんと議論が出来る人数の規模は考えられているものかどうか不思議です。この人数を聞いただけでも私は合併が本当に市民のほうに顔を向けて行なわれているのかしらと思ってしまいます。
 さらに、合併については住民投票で意向を聞く自治体が多いですが、とある市の住民投票は、有権者の50%の投票率があれば、その結果は「尊重され」、もし投票率が50%に届かなければ「参考意見」になるという枠組みで実施されるそうです。「尊重」と「参考意見」…どう違うのでしょうか?
 私は市町村合併で言えば、合併することで手に入る「合併特例債」の使い道をどうやって決定するのかしら…と思っています。というのも、合併前のそれぞれの自治体ごとにそれぞれ思惑があると考えるからです。財政が厳しくて行き詰まりを見せている中で、この特例債をあてにして事業が行なわれるケースもあるようです。つまり、特例債がどのくらい発行されるのかは県との協議が行なわれるので、あてにしていても思い通りの額面が手に入らないという場合も多々あります。その時に合併前自治体ごとの思惑の調整をどうやってしていくのだろうと感じるのです。
 合併が頓挫した地域の話では、合併が決まる前から、それを予定していた自治体がそれぞれに市庁舎の建設など、「ハコモノ」建設を始めたそうです。しかし合併が頓挫してしまったとのこと。その代償は一体誰が支払うのでしょうか?ちなみに議決機関を通過していることを見逃してはならないのです。
 例えば、相模原市の任意協議会ですが、予算は9千万円です。協議会の予算で1億円にせまる予算が計上されていて、驚きですが、仮にこの協議会が法定協議会にもつながることなく、途中解散して、合併話が頓挫してしまったら、その9千万円は一体何だったのかと思います。誰がその責任を負うのでしょうか。

 また、合併問題ではそのことによって、地域の議員はそれぞれ選挙区が変更したりするために危惧を抱いていて、議員が合併における壁になっている地域もあるとの話です。こういう話を聞くとますます合併が誰のために行なわれることなのかと思ってしまいます。
 そして、合併後も任期が来るまでは議員定数の特例があり、それまでに議員だった人は活動を続けられます。そのお蔭で馬鹿でかい定数を抱えた議会も存在しますし、合併するそれぞれで報酬が異なる場合には一番高い金額に合わせますので、またこれも市民に大きな負担となります。効率的、合理的な地域行政を行なうため…とは言うものの、公務員にしてみても合併後10年間はそれまで通りの立場が保障されますし、行財政改革とは隔たりあるところから、新しい合併後自治体は進むわけです。

 まだまだ議論が尽きないのですが、このような動きを見ていて、私は市民に顔を向けていくということを考えさせられています。結局、最終的に責任を負っていくのは市民だからです。そのことを頭に入れた時、今の財政難だけを切り取って「合併」推進していくことが本当にいいのか悪いのかはもっと議論すべきところだと思います。私は「自治」の単位は小さい方が好ましいという考え方だからです。

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2004年01月28日

自治体の仕事は借金の返済?!

 昨日、来年度の予算概要案について説明を受けたのとちょうどいいタイミングで、今日は市民セクター政策機構が主催する自治体公共政策研究会の財政についての学習会に行きました。
 財政の問題は学んでも学んでも…とても奥の深い難題だと思います。分権時代だとは言え、まだまだ国の影響が大きく、「三位一体」の改革も骨抜きだと批難されているとおりです。
 とにかく借金を借金で返済し、どんどん雪だるま方式で借金が増えつづけていることだけはわかります。一体どれくらいの借金があるのかよりも、本当に使ってもいいお金がどれだけあるのかを知りたいなと思います。
 今日は初めて見る資料がありました。それは総務省からの「内かん」という資料です。これは「私的なお手紙」という意味の言葉だそうですが、何てことなく国から地方への「指示書」にしか思えないお手紙。通達のようなものです。この中に地方が予算編成をする時の留意点などが縷縷書かれているのです。昨日の予算概要説明の時に「所得譲与税」が人口按分で税源として来るので約2億円くらいの増になるという説明がありましたが、ちょうど今日は「内かん」の記述を見ながら、そのことを確認しました。しかしながら、まだ決定ではなく、3月国会で正式に議決されなければならないので、もし否決されたら(ということはないのかもしれませんが)、なんという「皮算用」だったのかしら…?という事態に陥るのです。自治体の予算編成が綱渡りのような状況の中で行われていることがよくわかりました。
 それにしてもこの「内かん」という文書なのですが、とても分厚くて字がぎっしり。読み方のコツがあるそうです。「なお~」から始まる文章のところに重要なことが書いてあって、所得譲与税についての記述ももちろん「なお~」。さらに「慎重に対処されたい」と書いてあるのは、慎重に対応しなさいと言うことですが、「特に慎重に対処されたい」と書いてあるところは「やってはいけない」と読み替えなければならないそうです。官僚のつくった文章の読解力をつけるだけでも時間がかかりそうです。

 何はともあれ、国でも地方でもデフレ時代の財政運営の仕方を知らないという状況。経験がないから行動のとりかたがわからないのだといいます。自分のお財布の中が寂しくなったら、それなりの行動をとるよなあ…と私は自分に置き換えて考えてしまうのですが、そんなに単純で簡単な問題ではないみたいです。
 国の動きなど新聞を読んでいるだけでは不十分だということを学んで帰ってきました。

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2003年01月11日

大学に足を運んで

 懐かしい「ふるさと創生」の1億円の行方を追う番組を見ました。今日は午前中は「ほうれんそう」のポスティングを精力的にやり、午後からは大学の授業に出席したからです。授業ももう今年度最終だったので、ビデオを見て、一年間のまとめをする内容でした。
 1億円は実にさまざまな形に姿を変えていました。金のシャチホコは有名な話ですが、各地でコンサートホールや運動場、公営温泉場などがつくられました。いまやホールなど建物は、バブル絶頂の時期に建てられたチョー豪華施設過ぎて維持管理が大変になり、むしろ財政を圧迫しているお荷物です。今日の1億円の行方には、このお金をどうしたらいいものかと考えているうちに基金として積立てにまわしたことで、何と現在2億円になった!という驚きの変貌でした。当時の利率の高さ、何とバブリーな時代だったんだろうと改めて思います。貯蓄をした自治体は全国的にも他にもあるそうですが、番組では米原町のことが話題でした。
 米原町ではこの1億円分を町内24自治組織に分配することにしましたが、そのかわりに24地区ごとの地区まちづくりプランの策定を条件としました。最初は反発もあったそうですが、お金の使い道を地区ごとに話し合いながら、地区、地域の将来像も描いていくという一石二鳥の試みは大成功なようでした。面白いことは地区ごとの話し合いの委員会には必ず若い人、女性を3割入れることが条件だったことですが、若い人の年齢は45歳までです。
 やはりこれをきっかけとして地区や地域に関わる人も増え、世代間交流も生まれたといいます。住民の手づくり炭焼き釜、集会所に台所スペースを設置してサロン化する、川の土手に住民で花を植える、古民家を購入して住民の憩いの場にするなどの取組みが行なわれていました。まちに何かしたいなあと思っている人はたくさんいる。けれどもきっかけがなかなかつかめなかった。」という町民の感想がありましたが、ボールの投げかた次第で、受け取ってくれる人はきっといるのだと強く感じました。町役場の女性課長は「行政にも限界があるんです」と言いきり、住民と一緒にまちづくりをする時代であることを強調していました。
 私は番組を見ながら気がかりだったのは「議会の存在」でした。一般的にも「行政と市民」とを『協働』として、よりよい関係を模索しようとしていますが、私自身もこれを考える時に「議会」にどう触れればいいのか、悩みます。「これからはやっぱり議会はいらなくなるのだろうか?」と。
 ただし、最終的な「決定権」を今のところ握っているのは議会です。民主主義とは多数決に至るプロセスが大事です。住民の会議は喧喧諤諤で、かなり消耗戦になる場合が多いけれど、そのプロセスはかなり大切にされているのではないかと思います。しがらみ等もあり、もちろん難しい面もあると思いますが。そう考えると住民会議の決定をどう取り扱うのかなどきちんとした制度の枠組を作る必要がありそうです。例えば住民会議の決定と議会の決定が異なった時どうするのでしょうか?いづれにしても議会の持つ権限の大きさだけは認識させられます。
 私は議員になった時、先生に言われたのは「議員になってしまうな。」でした。今、その意味がよくわかってくるのですが、こうしてOL時代の意識と変わらずに学ぶ意欲や学生と接することのできる貴重な時間を持つ心を失わないということなのだと思います。その通りで、今日は久しぶりに学校へ行き、先生やゼミ生と出会い、しみじみとその大切さを感じました。確かにそのために割く時間は必要だけれど、「選挙だから忙しい。」というのはきっと言い訳に過ぎないのだと思いました。

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2002年12月18日

どうして自治基本条例が必要なの?

 今日は急遽予定を変更して財団法人地域活性化センターの研究員の方に会うことになりました。地域活性化センターというのは旧自治省の外郭団体として設立され、各都道府県や市町村の職員が一定期間出向してきて、研修をしたりなどするそうです。その研究のテーマとして自治基本条例をテーマにし、全国各地の事例を集め、その中で面白そうないくつかについては実際に訪問をして、条例づくりに関わった行政担当者や市民の話しをヒアリングして歩いているとのことでした。実は先週の末の土曜日に私は欠席しましたが、多摩市の市民自治基本条例をつくる会のワークショップが行なわれました。その様子なども見学し、その後多摩市の担当者にもヒアリングをし、そして今度はつくる会に関わった人と話しをするという流れでした。
 さすがに、一人は鳥取県から、もう一人は世田谷区に本籍を置いているだけあり、自治基本条例のことも随分と研究しているようでした。昨日は兵庫県の生野町を訪問してきたとのことで、バイタリティを感じました。私はたまたまつくる会の代表から「同席してみないか?」と誘われたので、ずうずうしく一緒に話しをさせてもらったわけですが、二人の研究員の問題意識がまとまっていることや、質問事項がとても丁寧に組み立てられているのには、私も見習わなくてはと思いました。
 研究員の方々は既に多摩市の職員に話しを聞いていることもあり、多摩市の自治基本条例制定に向けた流れを大方つかんでいるようでした。けれどもそれに関わった市民としての直接の声を聞いて、「随分とイメージが違ってきた・・・。」という話でした。そして聞かれたのが「自治基本条例って本当に多摩市に必要だったんでしょうか?」という質問でした。
 というのは、様々な自治体での調査をしてみると、自治基本条例の必要性が明確に発見できるそうで、世田谷区にしろ生野町にしても、まちづくりの歴史が古くからあったそうです。それに比べると多摩市では自治基本条例が突然発生した気がするというのが研究員の印象で、どうして多摩市で自治基本条例が制定されることになったのかが、いまいちよくわからないというのです。
 実は私も最近というか、自治基本条例制定をめぐっての様々な動きを調べるうちに、同じような疑問を抱いていました。そして「なぜ?」ということを掘り下げていくと、そこに見えてきたのは政治の渦なのです。つまり前市長の態度が最も大きく存在していることを感じてきたのでした。そして、突然に村から急成長した多摩市の行政自体に「まちづくり」の経験が多摩市のまちづくり哲学として成立してこなかったことも私が最近気づいたことです。これはなぜかというと、ニュータウンという市域の約6割も占めるところは公団や東京都がつくってくれました。なので多摩市自身が都市計画にしてみても「自分自身で考え」てきたかどうかと言えば、恐らく考えなくても出来てしまったと思うわけです。そして、そこにやってきた住民自身も公園や道路、図書館などが全て完備され、計画されている状態(最も古い新住民は別かもしれないけれど)だったので、自分たち自身で「まちづくり」を考えなくても、自動的に生活の利便性が保障されてきました。若い街にやってきた若い人たちにとっては十分過ぎるくらいに十分な‘まち’であったのです。新住民自身も多摩市の「まちづくり哲学」のなさに気がついていなかったし、そもそも気づく必要性も存在してこなかったのです。
 ところが少子高齢化が言われ、一気に‘まち’が老朽化しはじめて、「これは大変!」という状況が今です。そこには一番には「まちづくり」に最も必要なコミュニティの欠如が存在しました。人と人とのつながりが希薄過ぎるということは誰もが気づき始めています。そしてこれからの多摩市に必要なのは、昔の「ムラ」社会のような住人同士のつながりだとも言われるようになっています。
 要するに私が何を言いたいかというと、本来は「まちづくり哲学」の上に存在するものが自治基本条例だとすれば、多摩市には行政にも市民の中にも「まちづくり」に必要な経験の蓄積、そこにあるまちづくり哲学がほとんどない状況に自治基本条例を制定してもいいのかどうか?ということなのです。多摩市にとって自治基本条例がとても重いものだと感じているわけです。そのことについて、今日出会った研究員にズバリ指摘されました。要は「多摩市の自然な流れで自治基本条例制定を受けとめられない」ということです。悲しいかな当っていると思いました。
 とは言え、私は最近、なぜ自治基本条例が必要なのか?ということについて議会との関係があると思っています。今、多摩市では議員定数削減条例が提出されようとしています。ところがあまり議論なされていないのが現実です。そして減数条例がなんと年明け1月1日から施行されることとなっています。実は、来年1月末に報酬審議会が開催され、そこでは議員歳費のことも議論される予定でした。議員削減で経費が削減されるという側面ばかりが強調されています。そして報酬審議会を待たずに、先に減数してしまおうと言うわけです。ここにもまた、私があまり巻込まれたくない、触れたくなかった思惑が存在するように感じます。実際に議員一人一人の歳費削減をしないで、二人分を削ってしまえば・・・という知恵が働いているのだと指摘する議員がいるからです。
 私は議会が今後多摩市にとってどんなありかたをすればいいのか・・・その議論を踏まえた上で減数するのならいいと思います。でも、今回のような思惑が強く働いているのだとしたら、ものすごく残念なことで、議会として、または議員としての‘こころ’を問われる気もします。
 本来は議会とは市民を代表する場所です。それならば、議会のありかた自身も市民に論じてもらう必要があるわけです。市民が自分たちにとって必要な議会を設置していくべきだと考えます。私は、そこに自治基本条例の存在意義を見出しています。なぜなら市民自治にとって議会が必要だと位置づけるからです。私自身は今、多摩市において、市民自治基本条例は「議会」を市民の手で創るために最も必要だと考えています。
 そして多摩市の自治基本条例と言えばパートナーシップ協定抜きには語れません。そのことは強調して、研究員の方にお話をしました。つまりこれは市長が変わったとしても「まちづくり」の流れを変えないための切り札になるからです。パートナーシップ協定の意義、その意味の大きさを行政、市民ともに感じていることは確かなのです。

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2002年08月07日

えーっ!補助金のありかた

 住民に一番身近な行政としての市の役割は大きくなっています。だから国や都からの助成は不可欠です。もちろん財政の自主権とか、補助に頼らない行政のありかた…が理想のかたちかもしれませんが、現実問題そんなこと言ってられません。まだまだ財政の自立は遠い先のことです。特に福祉分野では国や都からの補助金を受けながらの事業がほとんどです。そこで、今日はどのように補助金が国や都から交付されるのか?という手続きや流れについて、特に、東京都では全国で先駆け、福祉局では包括補助金の制度を設けていることもあり、福祉部の担当課長さんより話しを聞きました。

 市が都に補助金を申請するときの手続きとしての不自由さなどを聞いてみると、とっても驚いてしまいました。というのも、市が予算を企てる時、予め都の要綱などがあるわけではなく、前年度にほぼ踏襲するはず…という見込み予想だけで予算を計上するとのことです。つまり当年度予算が承認される3月段階では、まだ当年度版の都や国の補助要綱が完成していないので、「補助が確実に、思い通りに来るかどうか」とってもあやふやだ…というわけなのです。これはびっくりしてしまいまいた。実際には、予算が承認された後から、都などと折衝をしていくということですが、ほぼ前年通り…と思っていても、当年度にようやく完成した補助要綱で微妙な変更点があったすると、それだけで思い通りにはいけない…という悲惨なことが発生しかねないということです。もらえないとどうなるのでしょう!『綱渡り』、行政の意外にもベンチャーっぽさを感じて、ある意味では感激でした。(そんなこと言っていられないけど)
 補助が来ないなんてことになると、すべて市が負担をしなくてはならない!そうならないように頭を悩ませ、汗をかき、苦労している様子がなかなか伝わってきました。そして、地方分権になったし、都と多摩市は対等なはずなのに、未だに都ありきの市…という在り方も痛感しました。「都に頭を下げる」という感じです。でも例えば、福祉分野の事業でも都からは住民参加を要請されるとのことですが、都は一体どういう住民参加があれば納得できるのでしょう?その指針すらはっきりないままにただ住民参加だけを要求してくるのも、なんだかチグハグな気がしてなりません。「住民参加をするので、補助金をいただきたいです。」こんな風にただ頭を下げて、補助金をもらうだけ…そんなことでいいのやら悪いのやら。何はともあれ「国が偉い、都が偉い…」相変わらず、こんな慣習が残りに残っていて、長年の積み重ねが、数年で払拭されるわけもなさそう。市の独自の裁量権が本当に活かせるような時代の到来は、まだまだ先のこと?気が遠くなりそうでした。

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2002年06月23日

広域利用は有効か?

 多摩市に中央図書館をつくる会の主催で「図書館の広域利用を考える-町田市と相模原市の相互利用を中心に-」という講座に参加しました。多摩市でもこの4月から日野市と稲城市との相互利用が始まりました。
 町田と相模原と同様多摩市の場合にも利用登録をします。共通カードを導入するわけではないので何枚も利用者カードを作る必要があります。たいしたことはありませんが、利用者側からすると一枚のカードを作成すればOKという方式のほうが便利です。

 さて町田と相模原の状況を見てみると、町田市への相模原市民の利用が非常に多くなっています。相模原を利用する町田市民と比べると利用登録者数で比較をしても約一万八千人ほどの開きがあります。これをどのように捉えるのかがとても大事なのです。というのも一自治体のサービスというのはあくまでも図書館の場合だと(在学・在勤を含む)住民のためにあるからなのです。そこには税金という問題がちらついていることを見逃すことは出来ません。いわば、この場合だと相模原は町田にオンブしているような格好になるわけです。この2市は図書館だけでなくホールなどの他の公共施設のついても相互利用しているということで町田市民としては相模原の立派な文化ホールを利用出来るし・・・・とはいうものの、両者間のバランスをどのように図っていくのかは大きな課題だと思います。例えば実際に両市のサービスの違いをクレームとしてくる利用者はいるといいます。けれども相模原の市民がどうやって町田に文句をいい、町田の市民がどのような根拠から相模原市に意見することができるのでしょうか?協定だけで結ばれているわけで、他市の市民はいわばお客さんとして特別に利用出来る扱いにしかなりません。あくまでも「同様」ではないことがポイントではないかと思います。そして私は責任の所在も明らかではないのが心配です。例えば町田市の図書館の備品を相模原市民が傷つけたり、または相模原市のホールの備品を町田市民が壊してしまった時にはどうするのでしょうか?滅多に起こらない・・・とはいえ、ちょっとしたモメゴトが発生した時の責任のとりかたがいまいち見えてきません。
 このような相互利用の発想は、地方分権と市町村の再編の流れの中で生まれてきているものです。市町村合併の動き、受け皿の小さい自治体の生き残り・・・というところで財政難の折、有効な資源活用策の一貫です。けれども私はそこからの発想でコトを進めることには納得しがたく思っています。何でもを「資金難!」という土俵から発想をするのはいかがかと考えます。最後に受付したいくつかの中に、相互利用による図書館サービスの相乗効果のことがありましたがその回答もいまいちでした。以前よりもサービスの質が向上した・・・というわけではなさそうです。ただ町田と相模原の図書館サービスの違いなどは見えるようになってきて、少しは視野が広がるとのことですが、利用者にとってはどうなのでしょうか?
 最終的にはやっぱりみんなが喜んで使えるような場所になっていくのが理想なわけです。講師の方が指摘していました。「図書館の意味が情報の獲得の場所・・・のように捉えられがちだけれど、ふらっと立ち寄って本と出会う・・・そういう場でもあって欲しい。」 私も同感です。なんだか難しそうとか暗いくて古い本の臭いが漂う図書館は嫌いです。気軽に立ち寄り、一冊のお気に入りを探し出せるそんな宝探しの場所だと思います。小さい頃に毎週日曜日こども図書館に行き、かわいい挿絵のついた本を楽しんで探していたことを思い出しました。

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2002年06月15日

国の役割と地方の現状?

 今日は土曜日。定例の学習会があります。先生からの課題は「国の役割と地方の現状」をどう考えるか?ってことです。今、総務省は5兆5億円を新たに地方に対して委譲すると言っています。それについて、財務省は交付税の財源保障機能廃止・・っと対抗していて、これをどう考えるのか?について自分の意見をまとめる時間がありました。

 国の役割は何?地方の役割って何?私は一体、このたびの地方分権って自治体に何をもたらしたのか?とつくづく感じてしまいます。権限だけは移ってきたけれど、財源は移ってこない。だから「言い逃れ」の根拠になってしまう。そして国も国で財源を渡さないくせに何かと言えば「地方分権」を訴える。やっぱり責任回避しようとしている気がしてならないのです。『無責任』を助長しているのではないかとさえ感じる、みんなが責任をとらなくたっていいような状況を生み出していると思うのです。そして最終的には何も知らされておらず、何も知ろうとしなかった庶民が責任を取らされるに違いないのです。なんて恐ろしい社会なんだろうと思います。国の役割と地方の役割を権限、財源の問題をとにかくスッキリして明確化する必要がある。そうしないと何もスタートしない気がする・・・・4日間の議会経験のなかで私が感じることでした。

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