2007年12月27日
先生のコミュニケーション力は?
議会が終了・・・・ほっとする前に、今日は最終最後、東京発達と教育研究会に参加しました。テーマは「教室にいる、コミュニケーションのとりにくい子どもたち~広汎性発達障害の観点から考える~」でした。小中学校が冬休みに入ったところなので、学校関係者(主に先生)が多く参加しているようにお見受けしました。
午前中は情緒障害通級学級の先生からは具体的な指導方法に関る話を伺い、午後は保護者、民間療育機関、公立小中学校の巡回相談をしている専門家も加わったパネルディスカッションでした。やはり心に残ったのは日々、我が子と葛藤する保護者からの発言でした。
「知能的にはいわゆる固定学級の特別支援学級(心障級)に通学するほどの状態ではなく、普通学級(通常級)で子どもの最大限の能力を伸ばしていきたいと思う。」・・・・でも、小学校入学直後から、すぐに新しい環境に馴染めずに座席にじっとしていることもできず教室内を歩き回ったり、時にはパニックを起こしてしまったり。「我が子は通常学級に通っていていいのだろうか?」と自問自答する毎日を続けているそうです。周囲からは同情もあってなのか「○○ちゃんは、かわいそうね。」と言われてしまうことも・・・・「子どもは一体どこに行けば、受け入れてもらえるのだろうか。」・・・・・・・・・・・・「親も子も身の置き場がないんです。」
多摩市内の学校でも同様な苦しい思いを抱えながら日々を送っている親子がいるのではないだろうか?彼らはどこに誰に相談をしているのだろうか?相談できているのだろうか?
先日も発達障害児を抱え、日々奮闘している保護者の方々にヒアリングする機会を得たのですが、多摩市内学校の現状を聞けば、異口同音に「学校の理解がない。先生の理解不足。」・・・・そして・・・・・「学校によって対応が全く違う。先生によっても全く違う。」・・・・・・「どの学校に通っているか、どんな先生に出会えるのか。」・・・・・・・・・・・・・・・・「運まかせ。」と言うことでした。
「いい先生に出会える確率を考えると高いとは思えない。」
そう諦めてざるを得ない状況があるとしたら、本当に憂うべきこと。そんな状況を打開するために出来ることを考えていかねばなりません。
現場の先生の実際はコミュニケーションのとりにくい子どもたちを抱えて途方にくれている教師たちがたくさん存在しているとも言われています。だからこそ、指導に即役立つヒントの得られる研修会には自発的に参加してもらいたいものです。例えば・・・・今日の研修会に多摩市内の学校から何人の教職員が参加していたのでしょうね。
2007年12月07日
12月定例会 一般質問5日目
朝一番で発言順。今日の質問は下記のとおり3点。
一 来年度以降の多摩NPOセンターについて
二 多摩市の教育行政について
三 ひまわり教室の今後と子どもの発達支援について
まずはNPOセンターについて。これまでずっと・・・むしろ・・・しつこく求めてきたNPOセンターに関する市民との話し合いの場がようやく設置される見通しになりました。年明けから開催されるようです。本来であれば、既に実施されていることが望ましく、来年4月からのNPOセンターの方向づけがなさるべきだったと思います。なぜなら、現在、NPOセンター事業を委託しているNPO法人との約束では「3年」一区切りとして随意契約(地方公共団体などが入札によらずに任意で決定した相手と契約を締結すること)が実施されてきたのですが、来年度以降については仕切り直しの予定があったからです。
NPOセンターは「公設備・市民設立・市民運営」という趣旨により運営されているのですが、その在り方が運営そのものの不安定さにつながってきたと考えています。いまや市民活動情報センターも設置されていることもあり、NPOセンターを単独でやっていく必要性も薄れているように思います。市民活動情報センターとNPOセンターを区別しなければならない理由はどこにあるのかもいまいち不明です。むしろ区別していることで力が分散してしまうような気もしますし、統合をめざしたほうが運営・事業費の面から見ても充実するようにも思います。
今のところNPOセンターは「民」、市民活動情報センターは「官」の運営になっているところが相違点ですが、区別して運営し続けることがいいものかどうか・・・・個人的にもさまざま思うところはありますが、あとは厚生産業常任委員会での議論にも委ねていこうと思います。厚生産業常任委員会では「NPOセンターについて市民と意見交換する場を設置して欲しい。」という内容の陳情が継続審査になっています。
次に「ひまわり教室」の件。前回9月定例会では「12月をめどに今後の方向付けを示していきたい。」と意気込んだ発言があったので、あえて質問項目にしたのですが、期待外れでした。前回の市長答弁をコピー&ペーストしたかのような内容にはいささかがっかりですが、こちらも継続的にフォローする‘し甲斐’があるのかもしれませんね。次回定例会でもあえて同じ内容で質問を続けようと思います。
そして最後に「多摩市の教育行政」のこと。10月に交替した教育長に対し、問題点を指摘し、改善の期待を大いに込めて発言しました。教育委員会は自ら懺悔するかのように下記のような検証・分析をし報告書を提出しています
「中長期の教育目標や教育目標など『地域の教育力向上の支援』のための根幹になる方針や方向性を提示していくために、『手続きの場』となりがちな教育委員改定例会や事務局の現状を改善し、『議論の場』に質的な転換を図っていく必要がある。」ってことは今まで、『議論の場』でなかったわけ?
なんて思ってしまいますが、確かに活発な議論がなされ教育目標や教育方針などが打ち出されてきたとはとうてい考えられないのが現実。「教育推進プラン21」については年次ごとの進捗状況を全く評価せず。そのために設置されたはずの「多摩市教育推進プラン21策定委員会」は冬眠したままで一度も開催されていません。
さらに、私が以前から求めている教育センターについても。
教育センターで相談員が行っている「話を聞く」、「遊び相手になる」などの支援が具体的ないじめ被害の再発防止や登校支援に結びつかないのが現状である。それぞれの組織及び制度を関係づけ、市民に横断的な始点で対応する立場の役がない。という分析がされているのです。現状について教育委員会自らが直視して述べていることです。教育長には的確に分析し、報告書をとりまとめた内容に則した改革に取組んでもらいたいと考えます。
このため、市民の要望や課題がたらい回しになることや、緊急的な対応に即応できず、それが新たな苦情・不満を再生産している状況がある。
最近は教育委員会不要論も聞こえてくるわけですが、その論を加速させてしまうのかどうか・・・・?教育委員会として果たすべき役割をしっかりと見据えながら、機能発揮してもらうことを求めたいと思います。私は教育委員会は必要だと考えています。時の権力に左右されず、しっかりとした教育行政を行っていくためにも。そのために教育長には期待するものです。
ということで、一般質問の一週間が終わると・・・・ひとやま越えた・・・という雰囲気が議場には広がりますね。でも一般質問よりも重要なのは市長が提案した一つ一つの議案に対する判断だと私は思っています。来週以降の補正予算審議や委員会での議論などなど丁寧な議論を積み重ねて結論を出せる議会でありたいですね。
2007年11月30日
続・食育公開授業
先日に引き続き、今度は小学校で昨年度から教育委員会の研究奨励校に指定され活動をしている北貝取小学校での公開授業・・・というか研究発表会に足を運びました。北貝取小学校で積み重ねられてきた実践は高く評価されているのは下記のとおり。
2002年 全国学校体育研究有料校表彰それだけに、多くの方が授業見学や研究発表、その後の講演会に参加されていました。市内の小学校の校長先生や教職員の方も大勢いらしていましたし、他の自治体からもたくさんの方々がお見えでした。
2004年 東京都教育委員会優秀校表彰(健康・安全推進校)
2005年 学校保健文部科学大臣表彰
2006年 日本学校保健会健康教育推進学校優秀校表彰
北貝取小学校では「食育」の授業を「食を知る」「食にかかわる」「食を楽しむ」と3つの観点から構成し、考案されています。カリキュラムの作成、そして授業に必要な教材も教職員オリジナルで考え出した「栄養バランスボード」を使用します。そして子どもの発達段階に応じた興味関心を上手に引き出しながら、食に対する学びを深めていけるにしています。
今日は授業を公開するため、全学年とも5時間目が「食育」の授業。なので、全ての学年の授業風景を見たかったものの・・・欲張らず小学校4年生の「おやつを食べたい!どんなおやつ?」という授業だけを見学しました。
授業はマーブルチョコA(合成着色料使用)とB(天然色素使用)の実験です。普段、子どもたちが口にしているものですね。ビーカーに水を入れAとBを溶かすと・・・・Aチョコが入った水は一気にきれいな色水にBチョコもほんのりと色水に・・・・・それぞれ上ずみ液を別ビーカー取り出してお酢を入れ、さらに白い毛糸を入れてからアルコールランプで煮沸すると・・・Aチョコの色水は白い毛糸を鮮やかに着色しました。
子どもたちは既にAチョコを水に溶かした段階から・・・・合成着色料がどんな物質であるのかを感じ取ることができるのでしょう。周りで見学をしていた私を含めた大人たちも「Aチョコの色水」に感嘆の声を上げていましたが、子どもたちは毛糸が鮮やかな色に染まった段階で「合成着色料」と「天然色素」との違いをはっきりと認識することができたようです。
学童クラブも卒業する小学校4年生は自宅でお菓子を食べるようになるため、子どもが自分でおやつを選択する力をつけることが必要になってくる時期・・・・そのタイミングに「おやつ」のことを学べるのは有効ですね。今日は着色料についての授業でしたが、「糖分」「塩分」「脂質」などについても学ぶ時間もあります。そしてもちろん・・・・「食を知る」だけでなく、「食にかかわる」「食を楽しむ」観点から実際の「おやつ作り」の実習もあります。
「これはいい授業だ!」と私の隣にいた男性が感想を漏らしていましたが、私も「受けたかった授業だ!」と思いました。
今日は北貝取小学校実践の集大成としての研究発表会に、おなじみの服部さんが「食育基本法」の意義を日本社会のモラルハザードとの関連での講演で彩を沿え・・・・閉会したのですが、何よりもやはり「校長力」の賜物だと私は感じました。現在の校長先生は2000年(平成12年)から就任されている方ですが、その先生の下で着実に蓄積されてきた実践そのものと言えるからです。
今後の課題は「検証をすること」。授業の成果が子どもたちにしっかりと結実しているかどうかが大事だということですね。授業だけで「食育」をすることはなかなか難しいことです。やはり服部さんも校長先生も強調していましたが、学校だけではなく「家庭」が大切になるのでしょうね。北貝取小学校の場合には上手に家庭の協力を得られるような工夫もされていて、保護者の方々も巻き込んだ活動の展開を進めているように感じましたが、それでも「食」というのは毎日毎日の実践。まずは大人が自分たちの食生活を見直すことからはじめなければ、本当の意味で進めるべき「食育」は社会全体に広がっていかないでしょう。
「食」をめぐる問題はさまざま考えさせられますね。それにしても、贅沢病にかかっている社会で取組んでいる課題であることを認識したいものです。
2007年11月27日
食育公開授業
諏訪中学校で食育公開授業があったので見学をしてきました。諏訪中学校は昨年度から教育委員会の研究奨励校になっています。見学をしたのは中学1年生の授業で「自分の力で朝食をプロデュース」ということで、学校給食センターの栄養士が指導にあたっていました。班ごとに「自分たちの朝食メニューを考える」というグループワークをしていましたが、「ごはん、味噌汁、トースト、サラダ、ヨーグルト、バナナ、目玉焼き・・・etc 」の写真を手がかりに栄養バランスのよい食べたい朝食?!について意見交換していました。事前に栄養バランスの学習などの成果もあってか、完成した朝食メニューは立派なものでした。
思わず我が家の朝食内容を振り返ってしまいましたが、朝食を食べていたとしても「その内容」が次に大事なポイント。「ごはん・味噌汁・サラダ・目玉焼き・バナナ」みたいなしっかりした朝食を食べている子どもたちの数は以外に少ないのではないかと思ったりしました。この授業を通じて「朝食の大切さを学び、自ら進んで朝食をとろうとする姿勢を育てる。」とのことですが、どこまで日々の実践につなげていけるのかといえば、子どもたちの意識だけでは改善できないところもありそうですね。
ところで、諏訪中で実施をした生活実態調査の結果が公表されていたのですが、「夕食時にテレビを見るかどうか」を尋ねる問いに対して、「夕食時にテレビを見ていない」と回答した生徒は10%以下でした。つまり、ほとんど90%の生徒は毎日かどうかは別としてもテレビを見ながら食事を食べていることになりますね。もしかするとその中には「一人で」食事をしている子どももいるのかもしれません。生活実態調査から見えてくる「子どもたちの食卓」そのものが「食育基本法」の精神からすると反するものだったりして?!
ちなみに「テレビを見ながら食事をする」というのは、政府の掲げる食育推進からすれば「論外」なことなのかもしれませんね。
「語りあおう その日のでき事 食卓で」これが今年度の食育標語のひとつ。テレビを見ていたら「語り合えない」でしょうし。食育基本法では・・・・
(子どもの食育における保護者、教育関係者等の役割)
第五条 食育は、父母その他の保護者にあっては、家庭が食育において重要な役割を有していることを認識するとともに、子どもの教育、保育等を行う者にあっては、教育、保育等における食育の重要性を十分自覚し、積極的に子どもの食育の推進に関する活動に取り組むこととなるよう、行われなければならない。
ということで、朝食の問題も「家庭の問題」であり、きちんとできていなければ「法違反」ってことになりそうです・・・・。
食育は大事だと思いますが、食育基本法は読めば読むほど・・・・不可思議な法律に感じます。「食」の問題は嗜好なども含めて極めて個人的領域に属するもの。法としてわざわざ条文化する必要性があるのかどうか・・・・そうする必要があるほどに「食」が乱れているとの反論が聞こえてきそうですが、私はやっぱり疑問に感じます。もちろん、「親が朝食を食べないから、子どもにも作らない。」なんてケースもあるやに聞いたことがありますし、「早寝・早起き・朝ご飯」というのは家族全体での生活習慣にも関連してくるもので、子どもだけの問題には片付けられないと思いますが・・・・法文化されることへの違和感を覚えるのは私の思い違いなのでしょうか?
2007年11月01日
学力向上シンポジウム
今日は市制施行記念日だったので午前中は式典に参加。市民表彰とは別に自治功労賞の表彰もあり。5期連続で市議をなさった元職の方が自治功労賞を受賞されていました。市民表彰など・・・そのものを否定するものではありませんが、市の選ぶ基準には該当しなくても社会(まちづくりの活動など)に貢献している市民は数多いことを考えると、表彰制度そのものを再検証してみてはどうかとも感じます。
さて、今日は昨年に引き続き第2回目の学力向上シンポジウムに参加し、前半に行われた各小中学校の取り組みについて発表を聞きました。5つの小学校と3つの中学校の実践発表でしたが、各学校がそれぞれに熱心な取組みをしていることがよく伝わるものでした。その成果がどう表れているのかまでは十分に把握しきれないものの、着実な取組みを積み重ねてきている学校ではその効果が子どもたちの学ぶ姿勢などにつながっているとしていました。
やはり、学力向上という観点から言えば、進学を目指した本格学習が行われる中学校の取組みが印象に残りました。
例えば、多摩中学校では補充教室としてサポートスクールの仕組みを立ち上げています。放課後、土曜日と補習学習をする場です。今のところは先生たちで実施しているようですが、今後、サポートスクール推進委員会を中心にし、外部指導員との連携も視野に入れた取組みを進めようとしている模様です。また、豊ヶ丘中学校からは4年前から夏休みに実施してきた補習教室の取組みが発表されたのですが、毎年毎年実施手法に改善を加えた結果、今年は生徒の約70%の参加があったとのことでした(4年前は参加率が22%でした)。
それにしても各小中学校の発表を聞いてもその取組みは千差万別。積極的に地域の人材を活用している学校とそうではない学校。授業時間外、放課後などに補習学習を実施している学校とそうではない学校などなど・・・・発表を聞いただけでも各学校それぞれの特色が打ち出されていることがわかります。これは、やはり学校経営者である校長先生の手腕によるものになるのでしょうか?
いずれにしても実践事例の発表(もちろんプレゼンテーションの仕方もあるのだろうが)を聞くことで、学校の違いを感じることが十分にできることは確かです。なるほど、保護者の視点からすれば「学校を選択したい。」という気持ちが生まれることも理解できます。学校選択制度があってよかった・・・と言う風にもなるのかもしれませんね。
でも、私自身は隣の地域、離れた地域の学校に行かなくても、通学区域内に指定されている学校に子どもたちが満足して通える環境づくりを優先すべきと考えています。その意味で、各小中学校の優れた実践事例をもとに全市の教育環境が底上げしていけるような仕組みをつくりたいものです。各学校が特色を打ち出すことは大歓迎で、学校(教師)そのものが活性化するような、モチベーションを高められるような競争力を持たせることは必要だと思います。そのために各学校長が工夫をし、力を発揮することも大歓迎!しかし・・・・だからといって、学校ごとにあまりにも差異(格差)がありすぎるのは望ましくないように感じる今日この頃です。
おそらく素人の私が見ても、学力シンポジウムに参加しただけで学校ごとの特色や力量を感じることができるわけで、教育の専門家から(例えば教育委員会の指導主事など)からみれば、一目瞭然で学校ごとの力の‘差’を把握しているのだろうと思った次第です。
2007年10月30日
学校の適正規模・適正配置
「多摩市立学校の一定規模及び適正配置等に関する審議会」では貝取・豊ヶ丘地域の小学校の統廃合問題について議論が進んでいます。全部で4校ある小学校を2校にし、学区域については南北で2分割する方向にまとめられています。つまり、北貝取地域と北豊ヶ丘地域で一つの学区となり南貝取地域と南豊ヶ丘地域で一つの学区になると言うことです。その上で学校の配置が検討されており、南の地域については廃校になる豊ヶ丘中学校を小学校施設に転換し使用するという考え方が示されており、概ね地域の合意が計られている模様です。
ところが、北の地域に対立構造が生じています。実は6月の段階では統合後は北豊ヶ丘小学校を使用するとの方向が示され、地域説明会が開催されていました。ところが、南の地域は豊ヶ丘中学校校舎を、北の地域は北豊ヶ丘小学校を使用することとなると、貝取地域には小学校が1校もなくなるという事態が発生します。それに対し、貝取地域の住民を中心に「貝取から小学校をなくさないで欲しい。」とする運動が起こり、その後の議論を経て、審議会では統合後は北貝取小学校を使用こととする方向転換をしたというのが経緯です。この変更に対し、今度は北豊ヶ丘地域からの疑問の声が上がってきたのです。
議会には6月末に貝取地域から、そして先般9月末にも豊ヶ丘地域から陳情が提出されていて、文教常任委員会の審査案件になっています。委員会(議会)では審議会の議論の途上で結論を下すことは望ましくないとの考えから「慎重審査」が続いていて、今後も続くものと思われますが、住民間争いのようになってしまった問題に議会が判断を下していくことには相当な時間を要すると感じています。双方の地域から出されている意見はどちらをとっても、それぞれ立場や視点を変えることで理解できるものばかりと言ってもいいでしょう。それだけに議会が判断をするにしても、大所高所からきちんと議論を進めていかねばならないと思います。
現在行われている審議会は教育委員会で決定済みの方針に基づき、学校の配置をどうするのかだけを議論する場と言ってもいいのかもしれません。つまり議論の大前提には「小規模校の解消」ということが存在しています。もしかすると、問われなければいけないのは「小規模校を解消する」ことを掲げている方針そのものなのかもしれませんね。方針決定をする過程では、パブリックコメントも行われていて、市民の意見はとりあえず反映されていることとなっていますが・・・・・。行政の方針決定過程に議会が立ち入ると言うことはあり得ないので、議会独自での調査活動を進めることも必要なのでしょうね。
ただ、教育分野の場合には政治的中立性が大きく問われることは言うまでもありません。つまり教育委員会の存在意義を危うくしてしまうような議論を展開はできないことにもなります。その意味で、議会でどこまで「教育論議」に踏み込めるのかも課題になるのでしょうね。目指すことは「教育環境の充実」というものの、厳しくなる財政環境に目を背けて議論することもできない現実がある。そこで問われる選択と判断を下すのは決して簡単なことではなく、ある意味で苦しさの伴うこと。議会が議員がますます問われる時代だと実感させられますね。
2007年10月17日
乳幼児健診の必要性を再確認。
乳幼児健診は年齢を重ねるごとに、その受診率が低くなってしまいますが、その年齢ごとに必要な検査内容が含まれているのでできれば受診率100%を目指して実施していきたいものです。
健診といえば、発育測定的な捉え方をしがちで身長・体重で大きさを測ることばかりに目が向くのですが、実は3歳児健診で聴力・視力検査があり、それが何よりも重視されなければいけないと実感しています。
というのは、私は「立体視」することができません。美容的にはほとんど問題がないので私も家族も気がついてこなかったのですが、会社に入ってから「内斜視」であることがわかり、そのせいで「3Dの画像」など捉えることができないことがわかったのでした。そう言えばそうだったかも・・・・と日常生活でそれほどに負担もデメリットも感じてはいないものの、視能訓練士の先生によれば「車の運転をする場合にはかすっちゃうとかバックするときに失敗しちゃうとか・・しやすいのよ。」とのことでした(私は幸い免許を持っていなかったのですが)。
それ以来、視能訓練士という職業のことを知り、しばらくは訓練にも通ってみたのですが、大人になってから矯正していくことはなかなか難しく、そのうち訓練することは諦めたという経緯があります。でも、小さいころから訓練することで矯正することはできるのだそうです。
ですので、多摩市の3歳児健診でただの視力検査で「見える」「見えない」のみならず、視能訓練の先生が対応をして下さることはとても心強いことです。でも、実は視能訓練士さんに診察してもらってることは知られていないと思います。ちょっと残念。
でも、一般的には「見える」「見えない」だけで考えてしまうので、まさか子どもが「立体視」できるかできないか・・・なんてことまで考えが及ばないのが通常と言えます。(視能訓練士の存在そのものも知らない人が多いはずです。)
ということで、私は子どもの3歳児健診で視能訓練の先生に精密検査を進められ、小児眼科に行きました。我が子には「立体視」する能力があるとわかり一安心を得ることができました。なので、余計に3歳児健診の発育測定以外の検査こそ大事だと実感するのですね。健診の意義と役割を再確認した一日でした。
・・・・やっぱり、子どもたちの心身ともの健康をしっかりフォローしていくことは重要です。本当は3歳児、4歳児、5歳児・・・という風に一年ごとに健診があればいいと感じます。発達障害児の支援という点でもその必要性は指摘されていますが、母子保健法に基づく健診のみならず、自治体独自で子どもたちの健康をフォローアップしていくための仕組みの充実を考えていきたいものです。
2007年10月16日
食物アレルギーと子どもたち
都の福祉保健局が主催した「子どもの食物アレルギーシンポジウム」に参加しました。会場は満員、子どもたちと「食」に関心のある方々の多さにびっくりしましたが、保育園や学校などで栄養士などをなさっている方、アレルギー児を抱える保護者などが主・・・・会場にいるのは圧倒的多数で女性だったことが印象に残ったシンポジウムでした。
アレルギーを持つ子どもたちの「食」を考えると言えば、保育園での食、幼稚園での食・・・・そして何よりも学校給食のことが即座に思い浮かぶのですが、多摩市の学校給食はセンターは新しくなり、食器も変わりましたが、アレルギー対応の給食を提供するまでには至っていません。給食センター方式でアレルギー対応の食事を作ることは困難だ(例えばアレルギー児一人一人の状況をきちんと把握することが求められます)とも言われますが、給食センターでアレルギー児のための「代替食」対応を図っている自治体もあります。もしくは「除去食」対応をしている場合もあります。
*代替食・・・・メニューについて食材を変えて対応する。
*除去食・・・・食べられない食品を除去して対応する。
→多摩市の給食センターはまだ対応し切れていません。
この問題は「子どもたちの育ちの環境」をどう確保していくのか、それぞれ自治体の考え方が反映されるところだと考えていて、子育ち施策においてどこまで肌細かな対応をしていくのか、できるのか、そして・・・したいのかに関ってくるものと考えています。
例えば、仮に多摩市でアレルギー児対応を実施するとしたら、まず先にそのために必要な人材を確保しなければなりません。アレルギー児専門の管理栄養士さんは必須です。さらに、アレルギー対応の場合には調理器具なども全て別個に準備し、そのための専用調理室も必要になります。新しい展開をさせていくためには、人的にも財的にも「テコ入れ」が欠かせないわけです。つまり、そこまでやる必要があるかどうかの最終判断はその自治体ごとの方針に大きく委ねられる・・・・ここで「費用対効果」の話が出るとしたら、市長の裁量が問われてきますね。
アレルギー児を抱えている家族の方の話を伺うと大変な苦労話を多く聞きます。給食を食べることができず、給食メニューとそっくりのお弁当を持参したり、給食の中で食べてはいけないものは残したり(子どもたちが自分で除去する)・・・実は、アレルギーで苦しんでいる子どもたちの存在をまずは周囲が正しく理解することが求められます。「アレルギー児だけ特別扱い」という視線にさらされて嫌な思いをすることも少なくないそうです。
また、現実問題として働いている親の場合には毎日のお弁当持参もかなりキツイものがあります。なので、私は給食センターでもアレルギー対応の給食が実現できる道を考えるべきと思っています。食物アレルギー児はその数も増えているのが実態。そして何よりも子どもたちにとって「給食の時間」は他にも変え難い楽しい楽しい時間であることを思えば、その時間に「苦痛」を感じてしまう子どもたちがいる現実を変えていきたいものです。その意味では、「必ずしも、みんなで同じものを同じように食べる」ということが前提の給食のあり方も変えていくことが必要でしょうね。「必ずしも、みんなが給食を食べるのが当たり前」というのも古典的な発想になりつつあるのかもしれません。
2007年10月11日
「いのち」を学ぶ
女性センターの市民センター運営委員会が主催をした「親と子で話せる‘「いのち」と「性」の講座’に参加しました。今日は第1回目で安達倭雅子さんのお話でした。長年、子ども110番で電話相談員を務めてきた安達さんの豊かな経験を踏まえて、子どもたちに「性」のことをどう伝えていけばいいのかについて伺いました。
昔よりも「性情報」に囲まれていて、子どもたちは「性情報」で頭でっかちになっていること。そのことで悩み電話をかけてくる子どもたちは年々増えているそうです。「『性教育』バッシング」が行われ、学校教育でもきちんと伝え教えることができていない状況の子どもたち。「性」に対する子どもたちの状況は「砂漠状態」。なので、そこに情報が流れてくると・・・・すべてが浸透していくということです。正しい知識や理解をしないまま、コミックなどで得た情報をそのまま受け取ってしまうわけですね。
子どもたちに「性」のことを尋ねられたらオロオロしてしまう大人も多い。そして「大人になったら自然にわかる。」という何となく納得させられてしまう決まり文句で、その場のお茶を濁してしまう・・・。
「寝た子を起こす」という考えで「性」の問題に触れたがらないのが日本ですが、「性」ついて知識を持てば持つほど、慎重に行動するようになるというのが安達さんのお考え。ご自身の経験から、事実に基づいたご見解なのでしょうね。今日の話については「暮らしの中の性教育」を読めば詳しいです。
「性」について正しく伝えることも難しいですが、「性教育」についても正しい理解をすることは難しいので、ぜひ関心のある方は本を手に取っていただきたいと思います。「性」の問題は「いのち」の問題で、自分自身の存在価値に感謝することにもなるのでしょうね。
「性」というと、「男」「女」という2分類だけがぱっと頭に思い浮かんでしまうという大人の固定観念から変えていかねばならないのでしょう。例えば、「インターセックス」という存在も意識できるかどうかも私たちの「性」に対する感覚が問われる部分だと思いながら話を伺っていました。「性教育」がその位置を獲得するためにはまだまだ時間がかかりそうですが、人権の問題として、「いのち」の問題として認識され、学校教育で当たり前のように行われることが必要だと感じます。
ところで、多摩市の教育委員会ではどんな風に位置づけられているのでしょうか?以前の一般質問の時には「味気ない答え」「一辺倒の答え」しかなかったことを思い出しました。
きっと何よりもまず大人たちが認識を変えなければいけないのでしょうね。女性センターがこのような学習の場を企画していくことの意義は大きい!女性センター(行政)主催ではなく女性センター市民運営委員会ならでは・・・・市民運営委員会だからこそ!できる学習会なのかもしれません。
市民が運営などに参画をしていくことの意味を再確認した気がします。市民の視点があるからこそ、実施できたのかもしれません。市民運営委員会頑張れ!・・・仮に、その活動を誹謗中傷するような政治が行なわれたなら・・・・闘わなきゃ!(笑)
2007年09月20日
週末のイベント♪
今週末の3連休は市内の各地でイベントが行なわれるようです。地域で活躍する市民の皆さんの力が発揮されているということなのでしょうね♪
でも、その一方で・・・参加する人が分散化してしまうのではないのか?なんていう危惧もあったりします。市民団体が個々に企画するイベントの日程調整は難しい・・・・けれど、せめて行政が主催者になるようなものに関しては何とか調整をつけてもらいたいものですね。
ということで、何が言いたいのかといえば、今週末・・・まずは永山公民館の行事としては一大イベントと位置づけられる「永山フェスティバル(永フェス)」が開催されます。そして市立多摩幼稚園の跡地では「家庭教育フェスタ」が開催されます。この二つがなぜ同日開催になるのか私はとても理解に苦しんでいます。
両イベントについては性格づけも異なり、ターゲットとする参加対象者も異なるのかもしれませんが、どちらも多摩市教育委員会生涯学習部に属するイベント。もちろん同じ生涯学習部内でも縦割り行政なので担当者的には永山公民館はあくまでも公民館だけ、生涯学習振興課はそこだけの範疇で仕事をしていることは容易に理解するのですが、そこを調整するために管理職が存在しているのではないか?と思えてしまうのは私だけでしょうか。
ちなみに、関戸公民館は国際交流センターと共催で「国際フェスタinTAMA」を実施することとなっています。
市民にとっては地域で楽しめるイベントが多様にあり、選択肢が広がっているとも受け止められるのかもしれませんが、教育委員会全体としてそれぞれのイベントに対しどう取り組んでいきたいのか?が見えないですね。
・・・・まあ、永山フェスティバルに関して言えば、「永山フェスティバルは、市民と地域商業施設と行政とが一体となって行われているお祭りです。」ということなので、すでに公民館の一事業として実施することそのものが馴染まなさそうな性格に変わりつつあるのかもしれませんが・・・・(だけど事務局を担うのは永山公民館)。
教育委員会大忙しの週末。職員の力はもともと分散しているので、イベントが重なる重ならないはあまり関係ないのかもしれませんが、私は「てんでバラバラ」な動きには疑問です。なぜなら、公民館でも「家庭教育(という言い方そのものは好きになれませんが)分野」は重点事項の一つになっているはずで、はっきり言えば、公民館の職員も「家庭教育フェスタ」にも協力しながら、教育委員会全体としてまとまりある取り組み方をすることが必要だと思うからです。まさに職員同士が問題意識を共有化していけるのかどうか、しているのかどうか・・・・・という根幹部分にも関ることになるでしょうね。
週末行事の重なり具合に、多摩市役所全体的な雰囲気?あり方を象徴していると感じざるを得ず、歯がゆさを覚えます。
議会では、明日から決算特別委員会がスタートします。全5日間、来週の金曜日が最終日です。
2007年09月05日
9月定例会 一般質問3日目
議員の発言時間というのは、その人に与えられた権利。持ち時間を自由に使って発言することが認められているわけです。そしてまた一般質問の場合、35分間の時間をやりくりして質問をするのですが、その持ち時間を残す残さないも自由です。
でも・・・・傍聴席で目を光らせている市議会ウオッチングの方々からさまざま評価を聞いていると、「時間を残す=発言を放棄」とも受け止めることができるようで、35分の発言時間を余すところなく使わないのは「けしからん」みたいに思われている節もあるのかなあと感じることもあります。
私は35分で実のある質問をすることの技術が難しいと思っています。たくさんの課題を取り上げたなら、時間は当然足りなくなるでしょうし、課題を絞り込んだとすれば、それなりに内容に調査を加えて質問内容を深めていくことが求められるからです。
議員になっても「一般質問って何?」というイロハから教えてもらうような場はなく、とりあえず「質問づくり」が始まるというのが現状。堅苦しさは入らないのかもしれませんが、きほんの「き」くらいは学べる場所が必要なのかもしれませんね。新人議員にとっては「質問」と「質疑」の違いだってわからないわけですから・・・・。(そもそも、違える必要があるのか。その違いを意識して発言をしている議員がどれほどいるのか。・・・・私の場合は違いを認識しつつも、発言自体には全然違いが反映されていない・・・ことを自覚しています。)ちなみに、自分自身の意見を含めて発言をしていいのが「質問」となっています。
さて、今日の一般質問では教育改革3法案に対する質問がありました。多摩市の教育委員会はとても礼儀正しい、上意下達の行き届いている場所だと思っているので、法案についての評価云々を尋ねたところで「・・・お答えしかねる」というのが正直なところでしょう。
とはいえ、実際に教育現場としては教員免許の更新をはじめとし、新たなことにも着手していかねばなりません。「教育の地方分権」で、地域の教育委員会の求められる役割が重視されつつあることを考えれば、忙しくなるのでしょうね。
でも・・・・教員免許の更新についてですが、一体どなたが更新できるできないを評価するのでしょうか。どういう場合に評価されないのでしょうか。判定基準の項目には「使命感や責任感、愛情」「社会性や対人関係能力」「子どもの理解」「教科の専門的知識」「教科の指導力」などがあるようですが、これだけで判定できるのものかどうかにも疑問が残ります。
教育委員会としては粛々とそして淡々と・・・・進めていくのだろうと思います。
あわせて、質問では「ゆとり教育」のことも尋ねていました。ゆとり教育のもとで授業時間が減り、喜んだのは学習塾だという指摘もありました。子どもたちの学力低下が指摘されていますが、そのこととゆとり教育の相関関係が実証されているのでしょうか?ゆとり教育をやめれば、学力が向上するのでしょうか?・・・私は疑問です。
多摩市教育委員会が以上のことについて具体的にどんな対応をしていくのかまでを深めたやりとりが聞けなかったのは残念です。
個人的に思うこと。多摩市教育委員会が独自施策として実施している「ピアティーチャー制度」「前学校に図書館司書配置」などにもう少し切り込んでいかねばならないような気がする・・・と最近考えます。
例えば・・・「ピア・ティーチャー制度」の導入をここ数年続けてきましたが、それによって「多摩市の子どもたちの学力が向上した!」という話を聞いたことがないですし。そしてまた、図書館司書の配置についても、配置すれば教育の充実なのかといえば決してそんなことはないでしょう。そして、司書が配置されたから、「子どもたちが読書好きになる」というのもまたちょっと違う気がしています。図書館司書がいなくとも、子どもたちの「本が好き」の心を育てていくことができなければ・・・・それこそ教員としての力不足ではないか?と思ってしまいます。
教育についてソフト面の充実にはお金を惜しまない!とする観点から、ピアティーチャーや図書館司書という人的配置には力を入れてきた多摩市ですが、その人的配置がどう有効に機能発揮しているのかについて検証する時期に来ていると私は思っています。
お金がふんだんに余って余ってしょうがない・・・という状況ではないことを考えると、いかに有効に税金を使っていくのか、子どもたちの教育環境整備によりよく効果を発揮できるような体制づくりこそ求められます。これは・・・決算特別委員会の課題です♪特別委員会の中で昨年度の評価・反省点などを質疑していきたいと思います。
2007年08月27日
デビュー待ち!強化磁器食器♪
このたび改築工事の完成した南野学校給食センターの内覧会に足を運びました。ピッカピかになった施設内では最新の機器が設置され、夏休み明けの配食に向けた準備が行われていました。
何といっても!強化磁器食器の導入が目玉。メラミン食器に変更したことを理由にして、お弁当を持参だったのは20数年前のこと。「メラミン食器さん、おつかれさまでした。」という感じです。食器を変更するということは、その食器に応じて保管する場所(保管庫)、洗浄器・乾燥機などの設備もリニューアルするわけで、悪評だったメラミン食器も相当程度長年使用し続けなかった理由があったのだろう・・・・と思いながら、感慨深く新しい食器を手に取りながら見学をしました。
強化磁器食器は少々重たいので、子どもたちの給食の時間にちょっと戸惑いがあるのかもしれない・・・と思いましたが、すでに市内の小中学校で試験的に使用してみた事例では問題がなかったようです。「なぜ、食器が変更したのか?」という時期に遭遇できるということの意味はとても大きくて、メラミン食器の導入に大反対する渦中に置かれたことが私の考え方にも多少なりとも影響を与えているように、「強化磁器食器」への変更で子どもたちが色々なことを考えてくれるように問題提起など投げかけていける教育があればいいなと思ったりしています。
ちょうど、今日は強化磁器食器を使用前にすべて洗浄するという作業を実施していましたが、気になるのはどんな石鹸をしようしているのかということ。油分などはかなり強力な洗浄液でなければ、汚れがきれいに取れないのではないか?と思いましたが、「ヤシノミ洗剤をしようしています。」という話でした。
ヤシノミ洗剤は自然で安全性も高そうに思うのですが「合成界面活性剤」が使用されていることをご存知なのかしら?・・・・・
また、最新式で「食べ残し」や調理の際の「野菜くず等」はすべて消滅型の生ごみ処理機へ。かなりの処理能力を発揮するようでした。この設備にはかなり注目が集まっていました。
「強化磁器に変更になってよかった!」と拍手拍手とはいうものの、食器が変わったからって「食事の中味」が変わるものではありませんね。献立を考えるのにはかなりな苦労があると伺っていますが、今後の課題はアレルギー対応の除去食、そしてまた私自身は「米飯給食」を進めていきたいと思います。京都ではすでに「毎日ご飯!」の給食に変わっていると聞いています。
それこそ・・・・日本のおいしいお米を食べないのは「もったいない」。「お米食べなきゃ。」「一粒一粒大事にしたい。」
食糧自給率の低さもあわせて考えながら、私は「ご飯を食べよう!」を広めたいと思います。
・・・・といいながら、私はパンが大好き人間です♪
2007年08月14日
続・積み重ねとビジョンと。
国分寺市に引き続き、今日は三鷹市の特別支援教育に関する話を伺ってきました。「ぜひ、三鷹市のお話を伺ってはどうですか?」とある方からご提案をいただいていたのですが、ようやく足を運ぶことができました。
三鷹市では「総合教育相談窓口」を設置しており、従来は教育委員会内部でも分散していた各種相談事業の窓口を一本化しました。そして、特別支援教育士の資格のある小学校教員として活躍されていた方を(口説いて)市職員として新たに採用し、発達障害のある子どもたちなどの支援体制を整えています。現場感覚のある方を職員として招き入れた理由については・・・・「どこの決定なのかはわかりませんけれど・・・・」とのことですが、いわゆる指導主事としてでもなく、総合教育相談窓口設置のためんに必要な人材の確保という観点での採用のようでした。学校現場の状況がわかる人を相談窓口に据えておく、しかも特別支援教育についても造詣の深い人材登用・・・・三鷹市の人事はセンスがあると思いました。
ところで、三鷹市では「三鷹市教育支援プラン」を策定しています。これは特別支援教育推進計画に該当するもので、三鷹市教育ビジョンのもとで策定されている5ヵ年計画となっています。
多摩市の場合には「教育プラン」はありますが、具体的に特別支援教育をどう進めていくのかなどの計画が長期的に描かれている状況ではありません。暗中模索・・・先が見えない中で、何となく「必要性」だけは認められながら事態が進んでいるように感じます。三鷹市のプランのように「障がいのある子もない子も支援する」という特別支援教育の位置づけを明確にすることそのものも必要であると思えます。
計画づくりについては「大変でした。」というのは正直なところの感想だったと受け止めましたが、三鷹市も自治基本条例に則してパブリックコメントなどの手続きを踏んでいるわけで、事務量として職員にかかる負担は少なくなかったはずです。
けれども、「市長をはじめとし、三鷹市全体で承認されているもの(計画)が存在していて、市民にも説明ができる。」
行政は計画づくりが得意で、計画策定疲れ・・・・になりがちだとはいうものの、やはり「計画」を持っていることの意味は大きいと感じさせる言葉ですね。
多摩市の場合には計画をつくる予定がなさそうですが、やはりきちんと目標をつくっていくことを大事にすべきだとは思います。どうやら・・・いつも手探り状況で、その時々で必要なことを場当たり的にやっているのが多摩市?!・・・なんて感じざるを得えず。「市民に説明できる仕事をしていく」ということを改めて考えさせられた昼下がりでした。
2007年08月10日
積み重ねと今後のビジョンと。
国分寺市のこどもの発達支援センター「つくしんぼ」に見学に行きました。多摩市で言えば「ひまわり教室」と同じ療育機関で、公設公営で運営されています。
「ひまわり教室」は再来年4月から現在の総合福祉センター内から教育センター内に移転することが決定し、すでにその準備に本格着手。教育センターはひまわり教室の移転に伴ってか・・・?これまで実施してこなかった耐震工事をすることになり、エレベーターもつける大々工事が行われることとなりました。
諏訪の複合施設は本当に・・・・「恒久活用」される学校跡地施設となったと言えるでしょうね。(って、学校跡地施設の恒久活用基本方針はどうなったのでしょうか?)
さて、移転することが決まった「ひまわり教室」については、行財政診断白書でも「何とかしなさい!」という重点事項の一つだったことは以前から指摘しているところですが、その後どうなってきたかといえば、行き先不明のレールの上を走っている感じです。行財政診断白書では「民間委託」の方向性でも示唆しているのかと思っていましたが、どうやらその後の状況変化で事情も変更しつつありますね。発達障害者支援法、特別支援教育などなどを背景にして「ひまわり教室」の存在をもう一度見つめなおし、やっとテコ入れの方向になってきたと考えています。
その点にて公設公営にてサービスを展開している国分寺市ではどのような取り組みが行われているのかを学んできたのですが、その内容の充実ぶり(もちろん、課題はさまざまあると思いますが多摩市と比べたら格段に)には驚きました。
多摩市と同様に専門職については嘱託職員、臨時職員としての雇用に頼るところが大きいわけですが、子ども家庭支援センター室長兼任の室長とつくしんぼ園長を中心に職員が一丸となってサービスの充実に取り組んでいる模様です。ちなみに常勤職員は4名配置されています(今年、常勤職員が1名削減され、嘱託職員が2名増えたとのこと)。
「人員削減時代だから、専門分野はどうしても非正規の職員の方々の力を借りなくてはならない。だから、非正規の職員の方々が働きやすい職場環境を整えていかないと。」という話が印象的でした。職場内研修や受講料のかからない外部の研修などを駆使しながら、職員のレベルアップも図っているとのことで、とかく人材育成こそ必要との認識で工夫をしているようでした。
サービスの質の向上は人材そのものに帰する部分が多いので、何よりもスキルアップを図っていかねばならないというのはそのとおりです。雇用形態に関わらず、それは必須の課題。「ひまわり教室」についてもまずは人材育成プログラムを作成することも必要だと感じました。
そしてそれよりもまず多摩市でもすべきことは「療育教室」という呼び方を変えていくこと。つくしんぼの場合も数年前から「こどもの発達支援センター」と変えたことにより相談件数が飛躍的に増えたそうです。といっても、今の「ひまわり教室」も「こどもの発達支援センター」として見合った内容にしてからの変更が求められそうですね。。。
さらに・・・「こども」というのは、子ども家庭支援センターや児童館などの対象範囲から考えても、「0歳から18歳まで」だと言えるので、せっかく教育センターの中に「ひまわり教室」を移転するのであれば、教育センターの相談機能とも(最初は)ゆるやかに統合させていきながら、最終的には「ひまわり教室」「教育センター」機能が一体的になることを目指すべきではないかと考えています。
「つくしんぼ」には国分寺市で進めてきたやり方があり、そこでの経験の蓄積がある。もちろん多摩市の「ひまわり教室」にもそれなりの蓄積はあると思っています。ただ、多摩市の致命的な点は将来像が描けていないということ。「つくしんぼ」の職員の方々は施設の将来像と、自分たち自身のスキルアップを重ね合わせながら現在を捉えているような感じがしました。だからこそ、意欲的になれるのかもしれませんね。多摩市も見習わなくっちゃ!と思いました。
2007年08月01日
まちの展望と学校の統廃合
文教常任委員会がありました。議題は学校の統廃合に関する陳情について。目下、審議会で議論が進行中の貝取・豊ヶ丘地域の小学校の統廃合ですが、陳情が提出された時点では貝取地域に小学校が1校もなくなるとの素案が示されていました。陳情は、素案をもう一度改めて欲しい、せめて貝取地域に1校は小学校を残して欲しいという趣旨のものです。
実は、素案の説明を行った地域懇談会での意見を踏まえて、審議会では改めて議論をしなおす状況になっているようです。もちろん地域懇談会でも貝取地域に小学校がなくなることに対する反対意見が多数寄せられていたそうです。
委員会では、審議会で議論をしている内容に関する陳情の審査をすることそのものがいかがなものか?という意見もあり、「審査を打ち切るべきではないのか」と主張なさる方もいらっしゃいました。そして、議会の‘模範すべき????’先例においても、過去に同様な状況下にて提出された陳情は審査を打ちきっているという説明もありました。
けれども、委員会の大半のメンバーは「議会は議会として議論をすることは問題がないのではないか。」との立場をとる人が多く、結局、今日の会議において結論は出さないこととし、今後も引き続き審査を重ねていくこととなりました。これは賢明な判断だと考えています。
もちろん、私も議会は議会独自として議論をすべきことであり、議論することができると考えています。ただし、審議会の結論の前に、議会としての判断を下すことは避けるべきで、審議会の動向を見守る必要はあると思っています。
ところで、学校の一定規模・適正配置ということについてですが、「一定規模」は教育の内容・質の部分、「適正配置」というのはまちづくりという視点からの議論が求められると思います。賛否はあると思いますが、多摩市としては小規模校は解消=「一定規模」と考えており、1学年複数学級をつくることが大目的になっているようです。
しかし、「適正配置」というところはどうなっているのか?教育委員会でどこまで「まちづくり」の視点からも取り入れて「適正配置」を考えていけるのか?という問題が重要です。
「あくまでも審議会の議論で。」「審議会には地域の住民も参加をしている。」とは言え、将来的なまちづくりのビジョンというものをどこまで考慮できるのか、審議会における議論の材料として提示することができるのかという問題があると思います。
なぜなら、イマの‘今’という状況だけでは判断できないこともあるように感ずるのです。そういう意味では将来的な展望をどこまで描ききれるのかが試されていると言えるでしょう。地域の人たちが参加をして決定をしていく・・・そのことはとても重要なことですが、そのとき判断の根拠になるものは?
なぜ、私がそう感じるのかと言えば諏訪小学校のことが頭に思い浮かぶからです。過去に中諏訪小学校と南諏訪小学校が統合して現在に至る諏訪小学校は、大変なお金をかけて校舎などリニューアルをしています。しかしながら、またまた・・・・小規模校化が進んでおり、多摩市が考える一定規模にはそぐわない悩ましい状況を抱えているからです。
「小規模校の解消」と掲げている限り、諏訪小学校も検討対象にしないわけにはいきません。しかし、学校の位置は諏訪の中でも南端にあるため、今後、一定の生徒数を確保するためにどのような対策ができるのか・・・・基本的な学区域の線引きを変えるとしても、学校の自由選択制がある中では安易に解決できるとは思えない問題です。
単に今わかっているだけのことの情報を提示するだけでは十分な判断ができない部分もありそう。例えば教育委員会では将来の児童数推計も出していますが、せいぜい6年後のことまで(当然ながら、現在出生している0(ゼロ)歳児よりの後続については誰にもわからない)。その推計だけを見て考えるとすれば、近視眼的になってしまうかもしれません。もっともっとの先のことまで見据えて考えることが必要になるということです。「10年後、20年後・・・・そのとき地域の状況は?」。地域のコミュニティを同考えるのか、そのためにどうしていくのか、いきたいのか・・・合せて語られなければ適正配置も不適正になってしまう可能性もありそうですね。
まちをどうしてくのかが問われる問題です。少なくとも「小学校が廃校になった周辺地域はどちらかと言えば高齢化が進んでしまう傾向にある。」これが今日の質疑にて明らかになった教育委員会の見解の一つであることは確かです。将来をどこまで見据えることができるのか。問われているのは教育委員会だけではないはずです。
2007年07月06日
多摩養護学校・学校公開
聖ヶ丘にある多摩養護学校の学校公開、道徳地区公開講座に足を運びました。以前、20周年記念の式典があった際、伺った以来。「盲・ろう・養護学校」の解体と批難されることもあるのですが、特殊教育から特別支援教育への移行に伴って、養護学校は「特別支援学校」という位置づけになりました。多摩養護学校という名称も今後変更するようです。
東京都の特別支援学校の再編・・・・ということでは、市内にある都立南野高校跡地に新しい特別支援学校の設置が誘致されるかもしれない、、、という計画をめぐってすったもんだしたこともありましたが、最終的には多摩養護学校に知肢併置「知的障害・肢体不自由両部門を併設する」校にすることになりました。多摩養護学校では知的障害部門で150名を受け入れる準備が進んでおり、すでに「知的障害
児」は小学校1年生のみ通学しています。新たなる児童数の増加のために校舎の増築も進む予定で、再来年の完成を目指すそうです。
「前向きに 今日より明日」をスローガンにして練られた学校経営計画の概要などの説明を受けた後、授業見学へ。
教員配置その他スタッフという面から養護学校を見るとかなり充実しているようにも思います。授業の様子は「教育の原点」を見るような、子どもたち一人一人にゆったりとていねいな対応が行われていると感じました。例えば、知的部門の小学校1年生3名はそれぞれの力に合わせ、個別指導を受けていました。シールをはる学習、線を引く学習、パズルゲームのように色と形を覚える学習などみんなが同じ教室で別の学習をしていました。
「子どもたち一人一人にあわせた教育を実施する」、養護学校のみならず、特別支援教育がスタートしている一般の学校でも「一人一人のニーズに応じた」ということが謳い文句のように言われます。けれども、一般の学校でそのことを実践することはなかなか難しい。多摩市の場合もピアティーチャーの配置など独自予算での対応を図っているものの、現状に見合って十分かと言えば決してそうではありません。そして、特別支援教育対応として配置をされているピアティーチャーの人材育成が進まなければ、人を配置しただけでは解決しない問題もあります。
多摩養護学校は地域の学校で特別支援教育を進めていく際のバックアップなど専門的見地からそのノウハウを提供することなど求められているのですが、その機能を地域がどのように活用していけるのかが課題です。東京都立多摩養護学校は「東京都教育委員会」というカテゴリーに整理され、多摩市教育委員会の「範疇外」とされているようにも思うので。市内の子どもたちも多摩養護学校には通学していることを考えても、よりよい関係性がつくっていけるような一層の工夫と努力ができそうですね。他市の事例などにも学びながら、多摩市の教育環境の充実を目指したいものです。
2007年06月29日
プレイセンター☆ピカソ
国分寺にあるプレイセンターピカソの見学に行きました。場所は西武線の鷹の台駅から徒歩。閑静な住宅地の一画にある国分寺神明宮の集会所です。樹齢○○年とはかりしれない大きな木に囲まれ、暑さの中でほっとする空間が広がっていました。
活動は10時スタート。自転車や車で親子が次々とやっていました。あっというまに集会所は満員。まずはお掃除、それから遊びの準備。担当のお母さんたちが遊びの企画をしているそうです。楽しいおもちゃもたくさんあり、子どもたちが思い思いに遊んでいました。今日は午後まで遊ぶ日だったので、お弁当持参。午前中で終わってしまう日はあっという間にお片付けになってしまうようですが、比較的ゆったりと時間が流れていた気がします。
集会所は立地条件に恵まれていて、公園が隣接。途中から子どもたちの大好きなしゃぼん玉の時間に。保育園か幼稚園のお庭のようなにぎわいでした。子どもの声が一面に広がる公園の風景に懐かしさを感じました。
そして・・・・子どもたちがしゃぼん玉から戻ってきたら・・・・かき氷の時間。それぞれ牛乳パックに氷を作って持参。かき氷機といっても、かなり本格的な手動式のかき氷機でつくるかき氷に銘々のシロップ、練乳、あずきを添えて「いただきま~す!」。大人も子どもも暑さを忘れる一瞬でした。何年ぶりかのかき氷でしたが、さすが本格派でふわふわのかき氷に喜びました。子どもたちはみんな一列に並び順番を待ちをするのですが、列からはみ出る子どもなどに自然と周囲の大人たちが声かけをしている姿は印象的でした。
「自分の子ども」以外の子どもに注意をしたり、声かけをしてくれる関係性があることは新鮮です。一緒に見学に行った友人も「そういうのって羨ましいし、いいなあって思った。」と話していました。自分の子どもだけに付きっきりにならなくても大丈夫。何かトラブルがおきた場合でも他の大人が適切に対処してくれる安心と信頼があります。4、5ヶ月の赤ちゃんも他の大人が‘我が子の乳児期’を思い出しつつ気配り目配りしてくれる場になっています。
そんな信頼関係の深さというのは・・・・単に子ども遊ばせに来るだけではなく、子育てに悩んでいるお母さん同士の出会いの場で子育ての息抜きの場だけではなく・・・・参加するお母さんたちがみんなが自分を高めあうための学習をしているということから生み出されるものです。ここがプレイセンターの一番の特徴。そこが・・・子育て広場などとは一味違ったところだと私は理解しています。
プレイセンターつながりから生まれる信頼関係は「一緒に学び、成長する」ことを共有しています。「つながる力」が希薄だと言われる私たち若い世代の弱さを克服することにもなっているように思いました。プレイセンターを多摩市でもぜひ!と思います。今日のピカソには・・・・北海道恵庭市役所から担当課長さん自らが視察に来られていました。
2007年06月12日
所得税が変われば・・・・保育料は・・・?
国の税制が変わり、所得税減・住民税増になりました。保育所保育料は所得税を基準にして保護者負担が決定するので、単純に考えれば所得税が減れば保育所保育料の負担も軽減されることになります。
そこで、多摩市では「使用料等審議会」が開催され、保育所保育料のあり方について議論されるようです。つまりは、保護者の負担が軽減する→多摩市の負担が増える・・・・「さて、どうする?」という状況なのでしょう。今年度については、基本的には前年度の所得税額がベースになっているために影響は受けないわけですが、来年度このまま現行保育料金表が継続されれば、保護者負担は減るといううれしい結果となります。そうなれば、保護者は「所得税減税」の効果を実感できることでしょうね(あくまでも保育所を利用している立場としては)。
しかし、「現行の保育料金表に改定を加えたい!」という意思が即座に示され、審議会の開催という運びになったようです。保護者負担が軽減する→多摩市の負担は増やせない→現行の保育水準を維持するのが困難・・・・・というような理由が述べられるのでしょうね。それも少しは理解できないわけではありません。
とはいえ、「子育て」は多摩市の重点施策。「それでも多摩市は頑張ります!」とせめて一年間くらいは現行の保育料金表を継続するとなれば、「なるほど!子育てしやすい多摩市」のために粉骨砕身の努力をしている・・・・との評価もさらにアップすること間違いなし。
ところが、用意周到でさっさか保育料金の保護者負担を議論しようとの意気込みなのですね。「それほどに厳しい台所事情である。」と素直に受け止めればいいのかしら?判断に難しいところですね。
以上の状況を踏まえて、保護者の立場で審議会に参加されている方よりアンケート調査が行われています。かなり、ボリュームの多いアンケートですが、回答しなくちゃ!と思っています。それにしても、実感できない「減税」って悲しいものがありますね。
ただし、住民税が増えるということは、それだけ多摩市の自由裁量で使える収入が増えることにもなるので、税金がどう使われているのかを見ていかねばならないと思います。市の裁量が増える=市長の裁量が増幅するということにもなるので。議会の役割もますます重要になるはずですね・・・・。議会でも活発に議論ができればいいなと思いますが、議員どうしの議論ほど・・・互いの利益をのつけ合いになる醜い争いになりそうなことは必至。そんなに簡単には行かないのが残念な現実です。
2007年06月04日
教育センターは本当に必要?
6月の一般質問では「特別支援教育」関連の問題をとりあげたいと考えているので、学校などにも足を運び話しを聞きながら、質問事項を取り纏めているところです。話しを聞けば聞くほどに思うことは「子ども家庭支援センター」に対する信頼感がとても厚いということ。多摩市には「教育センター」という、いわば学校をバックアップするような機能を果たす場所があるにも関わらず、機能が開花するにはほど遠い状況にあるらしいと言うことまでは何となく理解。学校であれば本当は「教育センター」をもっと活用してもらいたいと思うものの、残念ながら活用したくなるのは「子ども家庭支援センター」となっているのが実情です。
というわけなのですが、実は「教育センター」は一事業として実施されている「子ども家庭支援センター」とは異なり、「公の施設」として条例にて設置されているということを重要視せざるを得ないと感じます。条例で設置をしているということは、そのために議会の議決というハードルがあったことになります。にも関わらず、条例で謳われているように「学校教育の充実と振興を図るため」という目的達成にはなかなか近づけていないようですね。
議会としても「条例設置している」という重みを感じて、今後の改革改善の処方箋を考えねばならないように思います。すでに昨年度の決算特別委員会でも「大幅に見直すことが求められる事業」になっていたと記憶するのですが、単なる事業とは異なるので成果があがってなくとも簡単に「廃止する」ことはできません。「廃止する」ためには議会というハードル(条例を廃止しなければならない。)が立ちはだかっているわけですね。
私は現況を「大幅な改善」をし続けてし続けなければならない状況と理解しています。
もしかするとあまりにも成果があがらなすぎるのであれば、議会で「条例の廃止」をすることもできますが、それはあまりの荒療治過ぎると思われるので、せっかくある教育センターのよりよい運営を考えたいものです・・・・と今は前向きに考えています。
それでも、子ども家庭支援センターに対する期待と信頼の集まりを聞くにつれ、「『教育センター』が多摩市に必要なのか?」とさえ思えてしまうところが残念。子ども家庭支援センターの予算と教育センターの予算を合算してみたほうが機能が向上するのかもしれない・・・・とも考えてしまったり・・・・。そもそも目的もその役割も異なると言われるのかもしれませんが、本当に必要な施設づくりを考えていきたいものです。
教育長の弁によると「これから教育委員会では家庭教育にまつわる部分にイニシアチブをとっていく」とのことでしたが、それなら『地域において子どもと家庭の支援に関するネットワークの構築を図り、関係機関と連携のもとに子どもと子育て家庭を支援し、もって市民が安心して子どもを産み育てることができる家庭環境及び地域環境の形成を図ることを目的とする。』という子ども家庭支援センターとどういう関係性を持っていくのか具体的に示してもらいたいものですね。「縦割り行政」「自分の権限の範囲」「自分の抱えている予算の範囲」だけでしか考えないと非効率はなくならず、効果の発揮も減退してしまいそうです。
2007年05月17日
教育委員会は必要か?
6月議会の一般質問は学校教育に関することをテーマにしたいと考えているので、関係者に少しずつ話を聞いているところです。
とかく目標とすることは「生きる力」に「確かな学力」をつけること。教育委員会側が議会で答弁をする時に欠かせないこのフレーズ。よくよく考えてみると、わかるようでわからないようなとても抽象的な表現ではないかと思います。多摩市の教育委員会では具体的に「生きる力」や「確かな学力」がどんなふうに議論されているのか興味深いところです。
というわけで、教育委員会にも会議録が存在しますので、そちらを検索してみたところ、「生きる力」とか「確かな学力」について、あまり議論されている様子はなく・・・・さらに多摩市には教育推進プラン21という計画がありますが、この計画についても議論されている形跡がほとんどないのです。その理由を考えてみるのですが、「議論をしてもらうための環境」があるのか?ということが問題になりそうです。議事録を読む限りでは、「教育推進プラン」についてはあくまでも事務局からの報告に留まっているようです。
<議事録を抜粋>(*は補足事項/個人名は削除)◯委員長 報告1(*教育推進プラン21のこと)の説明が終了しました。質疑・意見を賜ります。といっても、今もらったので、なかなかこれは具体策で質問をすることが難しい部分があると思いますが、何か。
特に、具体策について、これが公的に示されるわけですね。配付などされるわけですから、こういうことをやりますよという。「プラン21」と書いてありますのは、これは多摩市教育委員会の公約というのか、活動計画みたいなものになるわけですから。
学校教育部長、これを拝見して、これで出しますがよろしいですかという質問なんですね。だから、この辺をもう少し委員さん方に読み込んでもらいたいような気もするんですが。どうしましょうかね。学校教育部長。◯学校教育部長 ほんとうに申しわけございません、当日配付ということで。事前にお配りしなくてはいけなかったんですが、いろいろ調整に手間取ったためで恐縮です。もし、見ていただいて、ここはこうしたほうがよろしいのではないかというようなことがございましたら、私ども多少は余裕ございますので、教育委員の皆さんの意見でもってまた修正等を加えたいと思っておりますので、そのような取り扱いにさせていただければと思います。最終的には、教育長決裁でもって、学校ですとか市民への周知等を図っていきたいと思っております。
◯委員長 ほんとうは、1年間の平成18年度の最初だから、これは遅くとも5月の初めあたりには皆さんにお配りしたいということですよね。今年度の場合には、しようがありませんから、今部長が言った気がつかれたことがあったら、何か寄せていただく。担当部課でよろしいですか。学校教育部長。
◯学校教育部長 教育総務課のほうにまとめて言っていただければ。
◯委員長 はい。いつまでに。学校教育部長。
◯学校教育部長 では、来週いっぱいまで。
◯委員長 来週いっぱいというと、26日ですね。
何か質問等ございますか、今までのところで。
具体的には、これは、もうちょっとやるんだったら、ここに、我々としては、冊子としてやる必要はないんだけれども、費用がどのくらいかかっているのかとか何とかというような部分が欲しいといえば欲しいですよね。こんなんで推進できるのかみたいな意見もね。でも、プラン21を出すという面で限って、お考えをいただきたいということです。
ご意見ございませんか。(全員質疑・意見等なし)
以上のようになっています。教育委員会の活性化は必要だと思います。来週の金曜日に定例会が開催されるそうなので傍聴に足を運ぶつもりですが、「議論しようにも議論できない」という状況は改善されてているでしょうか?ちなみに上記の議事録は昨年の5月定例会のものです。
ところで教育委員会については昨今、その存在意義から問われているわけですが、私も教育委員会そのものの役割とそのあり方については考えていかねばならないと感じています。教育委員会は残念ながら地方教育行政を担う重要な機関でありながら、市民にその姿が全く見えてこないのが実情かと思います。(市議会も同じかもしれませんが・・・・)
私は今のところ教育委員会を廃止すべきとの立場ではありません。市民に本当に必要とされる教育委員会にしていきたいと考える今日この頃です。
2007年02月27日
楽しい食育の取組み
パルテノン多摩の小ホールで行われた「子どもの食育シンポジウム」に参加をしました。東京都の南多摩、八王子、町田保健所の主催でした。先日、子どもたちの薬物乱用の話も聞いたわけですが、保健所も地域に開かれた活動を進めているのですね。改めてそのことを感じました。
今日のシンポジウムははほねぶとネットを主催されている大村直己さんの講演と、事例発表の2部構成でした。大村さんのお話しは「食育」にとてもわかいりやすい解説をつけてくださった感じで、その必要性が再整理できた感じです。
印象的なのは・・・豊かで便利な時代だからこそ「食」が難しいということ。それは食に対する感謝の気持ちを味わう心をまず持つところからスタートするのではないかと思いましたが、「飽食時代」にある私たちが「食」の大切さをどう捉え、そして「食」にどう向き合っていくのか、それは「食生活全体」・・・暮らし方全般にもつなげて考えねばならないことなのだと感じました。
「食べたい時に食べたいものがすぐ食べられる豊かで便利な時代だからこそ、食の大切さを再認識し、食の基本に立ち返ることが大切な時代」と表現されていましたが、生きる基本になる「食」への欲求が簡単に満たされてしまう社会環境があることが、子どもたちの忍耐力の無さにもつながっているとの指摘はあながち外れていないのではないかと感じました。
何と言っても今日は、以前から話は聞いたことがあったのですが、石坂ファームハウスの石坂さんからの活動事例発表があり、ますます参加をしてみたくなりました。時間ができたとき、早速訪ねていきたいと思っています。夏の日差しはちょっと恐怖ですが、昔から伝わる色々の伝統行事・食習慣を次世代に残していくことが大切だとの石坂さんの思いでスタートした活動がつながていくといいですよね。
2007年02月19日
薬物乱用とこどもたち
南多摩保健所が企画をした?「薬物乱用防止シンポジウム」に参加をしました。弁護士の小森榮さんからの「子どもの薬物問題の現状」をテーマにした基調講演と学校、学校薬剤師、住民、学生の立場から薬物問題に取組んでる活動報告がありました。
薬物乱用については、耳にしたこともありますが、未成年者が‘気軽に’‘気安く’手を伸ばしている状況を現場の事例を交えて伺い、背筋が寒くなる思いがしました。インターネットなどで情報がこれだけ流通している中、思っていた以上に子どもたちにとって身近な場所に薬物が存在していることを痛感しました。
私が中学や高校でビデオ教材などで学んだ時代とは全然違う、今の子どもたちが置かれている社会環境の厳しさを一段と感じました。何と言っても「メディア・リテラシー」教育が必要です。これだけの情報量、むしろ情報が氾濫しているとの指摘さえある状況で、子どもたちが自分の眼でしっかりと情報を受けとめ、判断できる力をつけることが求められることは言うまでもありません。薬物の問題に限らず言えることだと思いますが、今の社会で大人でさえ情報を選び抜く「選択眼」を持つことが難しい社会です。子どもであれば尚更のことだと感じます。そもそもメディア・リテラシー教育をできるようなノウハウやスキルがどのくら磨かれているのかも疑問ですし、それを教え伝えることができる人材がどのくらい存在しているのかも・・・・・。
今日のシンポジウムに一緒に参加した学生は「根幹には個人の心の強さ」が問われることだと感想を述べていましたが、子どもが大麻草などを栽培しているにも関わらず、「ヨーロッパのハーブ」だと説明をされ納得をして気がつかなかった保護者の事例など、親子関係や家族関係にあり方もまた問われるように思いました。
小森弁護士はこの問題は「なぜ、タバコ・酒はいけないのか。」ということを伝えるところからスタートしていると述べられていました。「法律あるから」とか「決められているから」「犯罪にあるから」という理由だけではなく、きちんと子どもに理解してもらえる教育ができるかどうかが問われていると言うのです。そこの伝え方ひとつで、この薬物問題にも善処してけるということなのでしょう。
2006年4月からすべての中学校高校で、そしてできれば小学校からも薬物乱用防止教育をすべきという通知が文部科学省から出されているそうです。ドラッグとかだけの問題ではなく、「クスリの正しい使い方」を含めて小さな子どもたちへの教育からはじめることの必要性が認識されていると言うことでしょう。今日のシンポジウムでは子どもたちそれぞれの年齢に応じて薬物への知識を学び習得していくことの必要を強く感じました。
ところで、住民の立場から・・・として落合地域の2つの青少年問題協議会が合同で取組みを進めている事例が発表されました。小学校5年生から中学生までを対象にして、薬物問題を考えるような講演会を実施してきたとのことです。薬物乱用防止教育を学校でプログラム化して実施することはもしかするとなかなか難しいのかもしれませんね。その部分を青少協などの活動が支えている事例は参考にできると感じました。
2007年01月28日
子どもの心と食と
永山公民館の食育セミナーに参加。静岡英和学院大学の佐々木光郎先生をお招きした学習会でした。先生は約30年間、家庭裁判所調査官として問題行動のある中学生たちと関わってきた経験から「食」の重要性を感じ、そのことをさまざまな著書にも記されている方。
実際に調査官として経験してきた実例をもとにしたお話は説得力があり、「食卓の風景」を改めて考えさせられるいい機会になりました。
とくに幼児期から小学生にかけての食事。思春期になり困難を抱える子どもたちの食事の風景には
①一緒に食べていても互いに好きなものをバラバラに食する「個食」これが共通事項になっていたということです。一緒に食事をともにすることやバランスのよい食事をとること、そして四季折々の食材を交えて心を育むことを大切にしていきたい・・・そんなことを提案されていました。先生のご経験からですが、非行少年の多くは「うまみ」を知らないと言うことも指摘されていました。ご飯に大量のマヨネーズや醤油や唐辛子などを食べて食する子どもたちが多く、味覚の混乱がみられる場合が多いのだそうです。そして、正しく箸を使える子どもたちが減っていることを指摘し、食事の場面で親から子に伝えることができる生活習慣の重要性をお話されていました。
②子どもだけで1人で食べる「孤食」
③親も子どもも朝食をとらない「欠食」
④互いに好きな時間に食べる「家族時間」の欠落
両親ともに働いている家庭、そしてひとり親家庭が増えている今、「食卓の風景」がサザエさん時代とは様変わりしていることを想像する事は容易です。小中学校でも朝食を食べてこず、集中力不足に悩まされている子どもたちの存在は市内の学校でも問題なっていることのひとつです。
「食事」というものは本来、家庭問題できわめて私的な領域の問題なはずですが、そうは言っていられない状況があると感じます。食育基本法もそのような考え方を背景に成立したものだと考えています。
でも、法律ができたとは言え、例えば・・・学校教育の中である程度の取組みができたとしても、そこには限界があることは確かです。やはり基本は家庭に根ざす問題で、教育でフォローしきれる問題ではないと思っています。そこで、どうすればいいのか・・・・が問われるわけですが、私的領域である「家庭」「家族」に関わる問題だからこそ、これと言った効果的な打つ手に乏しいのが実情なのかもしれません。
食育セミナーにも30名ほどの市民が集まっており、乳幼児も同伴して参加する熱心な方もいらっしゃいました。関心の有る方はどんどん学び、ますます知識を得ていくんだろうなあと思いました。だからこそ、ますます関心の有る人、全く無関心な人との差が広がってしまう・・・・。
どんなことにも共通して言えることなのだと思いますが、無関心である人の気持ちをひきつけることが求められるのでしょうね。何かいいアイデアがあったらぜひ・・・お知恵をいただきたいところです。
2007年01月26日
「30」がキーワード!
「30×30」×30
「志・タウンミーティング」http://www.e-kokorozashi.jp/の志は・・・30代を30人集めて、30自治体でタウンミーティングをやってみよう!というもの。
それのプレ・・・言ってみれば試験的に実施されたミーティングに参加してきました。今日のテーマは・・・「とある自治体で子育て施策のどんなところに力を入れたらいいのかを考えてみよう」
まずは参加者同志の意見交換から。15名ずつのグループに分かれて「子どもが病気になった時、困ったことは何ですか?」についてそれぞれの経験談を話し合いました。小児科医不足、緊急で受入してくれる病院は少ない等など小児医療が抱える問題は深刻。子どもの健康分野における重点施策ってなんだろう?を考えるための入口として与えられたお題は、各人が共有できるものばかり。
当然ながら、参加している人の約8割は夫婦共働き。まずは、「子どもが病気になった時、仕事をどうする?」というのは共通の悩み。保育園などは発熱37.5度以上になると、職場に電話・・・慌てて迎えに行くと意外に子どもはピンピンしている・・・ということ。そんな経験は誰もが味わっていることのよう。
そしてまた次には「病院」のこと。待ち時間のことやら、病院に行って、却って他のウイルスに感染するなど・・・という体験。特に兄弟がいる場合には、小児科に託児所がほしい・・・などという意見もありました。確かに病気じゃない子どもも同伴で医者にかからなければならないケースを考えると、待合室の空間は不安ですね。
・・・・ということで、その他にも「薬」のことや、「救急車」をめぐるエピソード等などとても楽しい議論が続き、盛りあがったところで小休止。残念ながら、私は多摩に戻り、会議に出席をしなければならなかったので途中抜けで、最後まで参加できなかったことは本当に心残り。
何よりも私がうれしかったのは・・・。「集まればやっぱり力になれる」を実感したひとときだったということ。私も3月には30代!ということで、「30×30」の志タウンミーティングの試みを多摩市でも実現したいという思いを強くしました。これからの時代を責任持って考えることをしていきたい!と思っている仲間はきっと多いはずです。
2007年01月15日
図書館協議会
今年度最後の図書館協議会が開催されるというので傍聴に出かけました。「子どもの読書活動推進計画」が議題に上っていたので、どんな議論が行なわれるのかと関心がありました。
今日の会議では推進計画のことともう一つ「組織」に関することが議題になっていたのですが、これは来年に向けた組織改正についての教育委員会の考え方に対し、図書館協議会としての意見があれば出してもらいたいという話でした。
現在、教育委員会は学校教育部と生涯学習部の2部制になっているようですが、これを1部制にするようです。より効率的で合理的な組織体制を構築するためなんだそうです。仕事のやりやすさなども勘案されているとか・・・・。
しかし、ズバリ!・・・・今日の委員会では的を得たというか、思わず傍聴席でも苦笑いが出てしまうような意見が・・・・「これ、部を一つにしたら、縦割り行政がなくなるんですか?」って。
「組織をいくらあれやこれやといじくったって、仕事のスタイル、職員の意識などが変わらないと意味ないのではないか?」
私もそう思います。1部制にしたところで、実は同じ部内でも課が違えば、担当が違えば、そこにすでに壁が生じているのが現状で、例えば問合せで電話などをかけても「担当者がいないので、ちょっとよくわかりません。」と言われた経験は何度もあります。
つまりは、組織が変わったら、どんなに良くなるかと思っても・・・・教育委員会だけで考えても、学校教育分野と社会教育分野を丸ごと抱えこまなければいけなくなった部長さんがパニックにならないことだけを祈るのみ。もちろん教育長もいるわけですし、まぁ・・・でも助役が一人増員されているわけで、そこはばっちり対応できるということなのでしょうね♪トップマネジメント効果を期待したいものです。
ところで、肝心な「子どもの読書活動推進計画」についてですが、なかなか見識の高い方々が協議会のメンバーにはそろっていらっしゃいます。
「子どもに読書を進めることはとてもいいことだと思うし、子どもが本を読むということは非常に素晴らしいことだと思う・・・・・けれども、子どもに良かれと思ってやっていることが逆に大人の『押し付け』になってしまわないように。」という意見が出されていました。本の好きな子どももいれば、本の嫌いな子どももいる。「本を読まなくてもいい権利」をきちんと認めてあげなければ、「本を読むことが義務」になってしまう・・・本嫌いが余計に本嫌いになる恐さだってある・・・・そんな意見を述べられていた方がいらっしゃり、私もハッとさせられました。
そこで思い出したのは・・・・自治基本条例で市民参加を議論がされていた頃「参加したくない権利」という話があった時のこと。私は「市民が参加したい」「市民が参画したい」と思った時に、その権利が保障されているが重要だと考えているので、今日の「子どもが本を読みたくない」という権利も認めていかなければならないし、子どもが「本を読みたい」と思った時に、その権利が十分に保障されるような豊かな読書環境が整っていることが何よりも大切だとの意見にはとても共感しました。
そう言えば・・・少々疑問に思ったことですが、中央図書館の建設に関しては無作為で選んだ市民を募り、協議会、意見交換会を行なうということです。無作為で選んだ市民に対し、どのような意見を求め、意見交換をしてくのかはわからないのですが、この手法が中央図書館建設という重要な方針決定に適切だと言えるのでしょうか?
2007年01月04日
保育園に入りたい。
就学前の子どもを抱えている保護者の間ではまことしやかに保育園不足の噂が流れているらしく、相談を受けました。話を聞いてみると、どうやら多摩センターなどにそびえたってきたマンション群を見て、心配になっている人が増えているようです。噂だけでなく、おそらく今度の4月には保育園の待機者数が一気に増加するのではないか・・・・とも言われていて、行政でも何らの手を打たなければいけないと思われます。
今度完成する多摩センターの大型マンションの購入者には私の友人も数名いるのですが、聞くところによれば、マンション内に保育施設ができるとの説明があり、既にある民間企業が運営するらしい・・・とかなんとか・・・という話もあるとか。これについては未確認情報。年末の段階で行政から保育施設の増設に関する説明は受けていません。春に入居予定の友人もマンション内にできる予定の保育施設の詳細を早く知りたいと話していました。
昨年12月の厚生産業常任委員会では今度の4月に各保育園が募集する人数の一覧が配布されました。これについては、もちろん市民にも公開されています。それによると0歳-211人、1歳-102人、2歳-55人、3歳-43人、4歳-22人、5歳-15人で合計448人分の募集を行うようです。けれども、保育園によっては0歳児は募集するけれど、1歳児の募集はしないというところもあります。
保育園の入所申請書を書く時には入所を希望する園名を第一希望から順番に記入する欄があります。希望を書く際、倍率が高そうなところをあえて避ける場合もありますが、そういう人が多ければ、逆にハイリスクでも倍率が高いところを第一希望にしていた人がラッキーという場合もあり、その判断は「運試し」みたいな面があるのが実情です。
とかく保育園に入所を希望する理由などを丁寧に記入した書類を提出した後は、行政の入所判定会議で公正公平な判断を受けるしかないのです。(⇒多摩市保育の実施に関する取扱い要綱)
さて、こんな時、ダイレクトに・・・「お願いしたら、なんとかなる?」と言われる場合もあります。これはいわゆる「口利き行為」になるのだと思います。もちろん目の前に困っている人がいて、相談を受けた場合には何とかしてあげるべきなのかもしれませんが、私はその時には保育の実施に関する要綱にある「保育基準」のことを説明することにしています。保育園に入所を希望する人がたくさんいる中で、やはり公平公正に判断されることが必要だと思うということを話します。そこに議員からの後押しがあるかないか・・・で、判定内容が変更してしまうことは望ましいと思わないからです。ちなみに、保育基準には「議員からの後押し」に該当するような点数基準は設けられていませんし。多くの入所希望者がいる中で、やはり公平かつ公正な判断がなされなければ、保育基準をわざわざ設け、必要度を点数化する意味は全くないわけです。
相談を受けた私ができる精一杯というのは、保育所の入所申込みにできる限り、自分の状況等を丁寧に記入することを助言するのと、各園の募集人数を知らせること。あとは、状況に応じて、自宅に近い園を選んだ方がいいのではないか?などと言うことくらい・・・・。
保育園が足りなくて、入所希望に応じられないとするならば、増設をするなり何なり、そこで新たな対応策を考え、税金の使いみちを考えることが議員の役割だと考えているので、そこもまた私は説明をすることにしているのですが・・・・先方が納得しているのかどうかはわかりませんね。
いずれにしても、保育園不足が目に見えている中で、保護者も戦々恐々としているようです。とにかく保育園に子どもを預けることができたら働きたいと考えている人たちもとても多いのが事実です。供給が需要を喚起するとも言われるように、認可保育所、認証保育所ともに増設もしたはずなのに、まだまだ保育施設の需要はうなぎのぼり・・・・。これは大きな悩みの種。しかし、ニーズにどう対応していくのか・・・・もたもたしてはいられないなと考えています。
2006年12月26日
軽度発達障害と特別支援教育
教育センターで行なわれた学習会に参加をしました。主催しているのはCEセンターというNPOです。
昨年の12月定例会で「発達障害者支援法の成立と特別支援教育の実施に向けて」をテーマに一般質問をしましたが、その際に東京学芸大学の上野一彦さんの本に数冊目を通しました。LD学会や日本発達障害ネットワークなどでも活躍されている先生なので、一度直接お話してみたいなあと考えていたところです。
今日は上野先生が多摩市の教育センターで話をなさるということだったのでとても楽しみにしていました。開口一番先生がおっしゃったことは、「ゴールが見えないで、あれこれその場凌ぎで対応しても上手くいかない。」ということでした。今日の講座は教職員や学校関係者を対象として実施されていたので、子どもたちへの指導のあり方をまずは問いかけられたのかもしれません。
本格的には来年4月から実施される特別支援教育に向けた教職員の心構えを中心としたお話で軽度発達障害のこと、特殊教育から特別支援教育に転換する意義、特にインクルージョン教育とは何かの適切な理解、そしてまた指導者として求められるあり方等など・・・示唆に富んだ話を伺うことができました。
上野先生のブログでも紹介されていますが、今日の講座内容については「LDとディスレクシア」という本にまとめられているようなので、こちらも購入し、さらに理解を深めたいと考えているところです。
先生は特別支援教育への方針が打ち出された際、現行の特殊学級の存続を求める署名が全国で展開されたことは残念だと指摘されていました。特別支援教育は「障害の種類や程度により子どもたちを種別し、特定の場で行なう教育から個の教育ニーズに対応する教育」をすることであり、まさに「学習などに困難を感じているすべての子どもに対して実施される教育」ということを述べられていました。海外の場合にはSpecial Educationと言われるように、‘スベシャル’のところにはいわゆる‘天才児’だって含むという考え方であり、まさに個々に応じた支援、援助をしながら同じ屋根の下で学ぶことだという話をされていました。
本来であれば特殊学級もすべて編成される方向性で進んでいくことが望ましかったのかもしれませんが、特殊学級存続を求める署名効果もあり、目指している方向的にはインクルージョン教育かもしれませんが、そうはならなかったのが新たに始まろうとしている日本の特別支援教育体制です。
いずれにせよ、来年4月から本格的にスタートするので多摩市教育委員会でも取り組んでいかねばならないわけですが・・・・何よりも円滑に進めていくためには特別支援教育に対する理解を深めることはもちろん、個々のニーズに応じた個別指導計画や教育支援計画を作成し、その子ども一人の状況を応援できる体制づくりだと思っています。そのために、各学校にはコーディネーターと呼ばれる人が配置されるのですが、多摩市の場合にはコーディネーターは教員が兼務しているようなので、本腰を入れて取組もうとするとかなりの激務になると予測されます。他市等、先見性がある自治体ではコーディネーターの任務を負うことになった教員はクラス担任などから外し、専門的に役目を果たせるようにする方向性などを模索しているとか。コーディネーターの任を負う先生の力量が問われることは言うまでもありません。
現在、多摩市教育委員会でも構想としては特別支援教育体制の充実など考えているようですが、そこにはやはりある程度の財源が伴うわけなので、市長自身の考え方が左右してしまうというのは言わずもがな。来年度に向けてどのようになっていくのかは年明けになればわかると思いますが・・・・。
上野先生のよると、軽度発達障害への対応については歴史的に流れを見てみると、これまでにも何度か転換点があったとか。しかしながら、風穴があきそうになったところでいつも前に進めなかったそうです。今回の特別支援教育への取組みもそんなに甘いものではなく、着実に前進していくようにみていきたいと述べられていました。特殊教育から特別支援教育への転換が単なる看板の架け替えに終わらないようにしていかなければ・・・・・というのは本当にそのとおり。新しい体制が目指そうとしている大きな方向を見据えながら、進めていきたいものです。
先生は「障害とは理解と支援を必要とする個性である」という言葉を締めくくりとしていましたが、ノーマライゼーション、共生社会を考えてみても、教育段階で障害の有無で垣根を作ってしまうような従来の体制が望ましくないことは一目瞭然です。中学生の職場体験で「初めて障害者の人に出会った。」と言う感想が出てきてしまうわけですので・・・・。
多摩市の特別支援教育体制が前に進んでいくように、今後も注目していきたいと考えています。
2006年12月01日
12月定例会初日! 行政報告/一般質問
定例会が始まりました。いつも通りに前回の定例会から今定例会までの期間について市長からの行政報告があり一般質問がスタートしました。私にも発言順がまわってきたので、そのことについて報告したいと思います。
今回は政策ゼミのメンバーと調査活動をしてつくった質問です。最終的には来年4月からスタートする「放課後子どもプランの実施に向けて」というテーマになったのですが、そもそも私たちの議論の出発点は「放課後の時間、学校が子どもたちのために活用できればいいのに。」「子どもたちが放課後にも学校で遊べるといいのに。」ということでした。子どもたちだけでなく保護者も安心でいる遊び場として考えてみると、子どもたちが自由に遊ぶ様子を見守る人がいさえすれば「学校」は一番の広場です。もっと学校は開放されていいのではないかという問題意識で、地域に開かれた学校づくりを進めている他市まで足を運んだりしてきました。
その中で江戸川区のすくすくスクールの取組みがとても参考になり、これを多摩市でも目指していけばいいのではないかとの結論に至りました。この取組みを進めていくためには何よりも行政内部での連携が不可欠ということ、それから地域の受け皿をどう整えていくのかも必要な視点、そしてやはりこのような取組みが必要とされているのかどうかを確認することも必要だという議論になりました。ニーズを調査するというのは、やはり税資源の有効な活用という点で、せっかく実施をしても閑古鳥が鳴いてしまうようでは困るからです。ニーズを適切に汲み取らないままに実施されている事業も中にはあるだろう・・・というのは、行政の無駄遣いの視点からもいわれるます。そこで、新たな事業を実施する時には何らかの手法でニーズを調査することは必要なことだと思っています。
ということで、以上のような視点から一般質問づくりに取組んでいた最中に提示されてきたのが文部科学省と厚生労働省との連携で進めるという「放課後子どもプラン」。実は江戸川区のすくすくスクールは「放課後子どもプラン」のモデル事業にもなっているもの。国の方針では来年度4月から早速に取り組むということなので、多摩市としても今後の方向性をどのように考えているのかを市民に対して、とりわけ子育て世代に示していく必要があると考えました。
けど、全然・・・・その方針は決まっていないようです。今回の質問で主眼においていたのは、「放課後子どもプラン」という国の方向性が示され、それに対して多摩市ではどうやって取組もうとしているのか。特に、教育委員会と子ども青少年部が連携をしてかなければならないわけですが、どういう方向性を目指して連携をするのか、そしてまた具体的な連携方策は何なのか・・・、そして何よりも重要なことは連携で進めていく「放課後子どもプラン」に責任を持つ主体は教育委員会なのか、子ども青少年部なのか・・・というあたりを明確化したいと思ったのですが、質疑と答弁はいつまでたっても「堂々めぐり」でした。
傍聴をしていた学生からは「答弁を聞いているうちに、岩永さんがしていた質疑の内容を忘れてしまった。」との感想がありましたが、その通り・・・「いいかげん、同じような質疑ばかりしないで次に進んで提案しろ。」とか「生産性がない議論。」とか「机上のことばかりだ。」という野次もありましたが、新たな取組みを始める時こそ重要なのは方針とそのための実施体制づくりで、せっかく取組むのであれば場当たり的にはなってほしくないし、本当に「放課後子どもプラン」をいいものにしてもらいたいと考えると、入口のところがより重要、プロセスも重要、特にこの場合には教育委員会と子ども青少年部がしっかり足並みをそろえてくれる必要性を考えているのですが、やる気には「温度差」を感じてしまいます。
そしてまた、多摩市は「子ども」ということでは、学校教育分野をのぞいては子ども青少年部の方にすべての事務が移り、より効率的効果的に取組もうとしているにも関わらず、また「学童クラブ」も含む「放課後子どもプラン」については「今のところ教育委員会が主導しなければいけない。」という教育長の考え方にもよくわからない。
「放課後子どもプラン」はその前段で、現在多摩市でも進められている文部科学省の「地域子ども教室」(地域教育力再生プラン)があり、そして「学童クラブ」があるわけで、当面はこの2つの取組みがそれぞれに進められていくとは理解するものの、予算の比較だけで言っても1千万円にも満たない「地域子ども教室」と運営経費では5億円超規模の「学童クラブ」・・・・当然ながら、子ども青少年部が主導的になるのではないの?と思うのですが。
助役を1人追加して、トップマネジメントの強化をしてきたけれど、まだその効果が発揮されていないらしい。そして、気になるのは市長と教育長との意志疎通。教育長の考え方は「子ども青少年部」の存在意義を理解しているようには感じられず、文部科学省や教育委員会の‘メンツ’重視のようにも感じてしまったのは私だけ?
放課後子どもプランは来年4月から取組むはずなのに、まだ「経営会議」の議題にもなっていなかったり・・・・と不安だらけ。「放課後の学校開放」を望む声は多い。強いていうならば、学校の管理者の校長先生たちに頷かせるためには教育委員会、指導室の役割は重要かも。しかし、いずれにしても方針がでなければいけないはず・・・・。私は「放課後子どもプラン」という国の方針が出たとき、目指すべき方向性が出たと思い、それこそ積極的に取組んでいきたいとの気持ちでいっぱいになったんだけれど、どうも行政は‘そうでもないらしい’・・・残念。‘そうでもないらしい’というところで強調したいのは「温度差がありすぎ」てチグハグにしか進めることができない現実があることが「よくよくわかって」悲しいっていうこと。
一緒に質問をつくってきた学生たちは「多摩市は来年から大丈夫なんですか?」と本当に心配する表情だったけれど、教育長からは「あなたたちに心配されるまでもなく!」と頭ごなしに言われてしまいそう・・・・というのが今日一番の感想。
2006年11月30日
続々・プレイセンター
今日は、継続して受講してきたプレイセンターの学習会の3回目です。子ども家庭支援センターの「子育て広場」を利用して、実際にプレイセンターで実施している‘小麦粉粘土’の遊びや折り紙やお絵描きなどの体験をしました。そこで、子どもも共にに連れ立って参加しました。ちなみに、「子育て広場」を利用したのははじめてです。
今日はとても寒かったのですが、午前中だけでも10組以上の親子が「子育て広場に」来ていました。普段通りに広場に遊びにやってきた親子も交えてプレイセンターでの遊びを楽しみました。小麦粉粘土は大人気。これは小麦粉と油と水と食紅(今日は黄色と水色)をねって作ります。何だか粘土は懐かしくて、私がむしろ楽しんでしまいました。
子育て広場の普段といえば、そこに親子でやってきてただ自由に遊んで、親どうしの意見交換をして終わりになるわけですが、プレイセンターの場合には、そこに「親のための学習コース」があることが特徴です。小難しく育児技術などを覚えるものではありませんテキストなどの勉強ではなく、親の気づきと発見を促すような学習プログラム。。今日は実際に国分寺のプレイセンターピカソに参加しているお母さんたちの活動記録ノートを見せていただいたのですが、このノ―トは一見の価値ありでした。
きっと多摩市でもプレイセンターの取組みがあれば、関心を寄せて参加してくれる親子がいると思います。今日の子育て広場を見ていてそう思いました。
今度、実際に国分寺のピカソまで見学にいきたいと思っています。明日から12月定例会。明日初日に早速一般質問の発言順が来てしまうので、準備のために一夜漬け状態だったりします・・・・。
2006年11月21日
給食の試食
今日は午前中に代表者会議がありました。そこである会派より提案があり、文京区議会のように災害などに際し、議会・議員としての行動に関するルールを定めることが必要ではないかという問題提起がありました。そう言えば、多摩市では災害の際、多摩市災害対策本部が設置され、議会事務局長はメンバーの一人になっているようですが、議会・議員がどう対応するのかについてマニュアルなどはありません。一定のルール決めをしておくことは大事なことかもしれません。
さて、今日は永山第1給食センターへ行き、‘地場野菜’給食の試食をしてきました(多摩市学校給食市民連絡会の企画です)。メニューは大根の葉入りご飯、ししゃも、おでん風の煮物、りんご、牛乳でした。・・・・このメニューに牛乳はちょっと勘弁してもらいたいと言うのはもしかすると大人だけの感覚かもしれませんが、私は牛乳は飲めませんでした。今日の地場野菜は煮物の中の大根。東寺方の生産者より届けられたものです。聞き間違いが無ければ・・・早朝に約130tほど届けられるとか。一体、何本なのでしょう・・・・?想像がつきませんが。
現在、給食センターは全部で3センターあります。永山第1、永山第2と南野です。けれども、ここを2センターにしていく方向性が出されており、この9月から南野にあったセンターは改修工事のために閉鎖しています。そこで、永山第1と第2センターが従来の南野分を引き受けているので、第1センターだけで考えても3700食分から5100食分へと変更したとか。食数が増えたので、献立にも一層の工夫が迫られているそうです。できるだけ季節感のある献立にしようと食材などの工夫もするそうですが、なかなか難しいという話でした。
給食は子どもたちが学校で「食」のことを考えたり、学んだりする一番の機会だといえます。そして、食育基本法が制定され、ますます学校教育の現場で「食」教育を進めなければいけない状況です。学校現場には栄養教諭の配置などが示されていますが、東京都は・・・・東京都だけは全校に栄養教諭を配置していないようです(という話でした)。
多摩市の場合はセンター給食なので、給食をつくっている調理員さんや献立を考えている栄養士さんと子どもたちとのつながりがどうしても希薄にならざるを得ません。学校側の依頼により、時には栄養士による出張授業が行なったり、また小学生は学校給食センターへの社会科見学もしているようですが、「顔の見える関係」がつねに存在する自校方式給食にはやっぱりかなわない部分を感じます。それでも子どもたちはとても素直なので、社会科見学などを終えた直後などには、地場野菜の生産者の方や栄養士さんなど宛てに手紙が届くようです。「食への感謝の気持ち」が綴られているのでしょうね。
ところで、給食センターの改修工事とともにメラミン食器が強化磁器食器に変わる目途がついています。12月の議会では、強化磁器食器の購入に伴う契約に関しても議案が提出される予定です。ちなみに・・・私は多摩市に住んで20年を過ぎますが、給食を食べたのは引っ越してすぐの1年間だけ。そのうち食器が変更になったので、お弁当を持参していました。その当時、食器を持参して給食を食べるかどうかも選択肢にあったのですが、私は迷わず「お弁当」を選びました。札幌にいた時には親子方式給食で、隣の学校でつくった給食が届いていたのですが、それと比べると多摩市の給食は「美味しくない」と子ども心に感じていたからです。
でも、今日は給食もそこそこ美味しいなと思いました(私は薄味なので少々味付けが濃いようにも感じましたが)。給食を美味しく食べるには、献立や味付けなどの問題もありますが、そこにプラスしなければならないのは「環境」があると考えています。何よりも給食の時間が短くてせかされるように食べるのでは美味しさも半減、食器についてもランチ盆とメラミン食器ではいまいち(私の時代はこれに先割れスプーンだった・・・)です。食器だけでも改善されることは「環境」改善につながることなので大歓迎。しかしながら、強化磁器食器は少し重ため、そして食器の数が増える・・・など、給食の準備片付け的な点からするとちょっぴり手間が増すのかもしれません・・・・そのことによって、給食時間にますます余裕が無くなり、各クラスの先生たちが‘ガミガミ’にならないで欲しいなと思います。
給食センターの方式だと希薄になりがちな、栄養士さんや調理員さんと各学校との関係づくりがこれからの大事なポイントになるなと個人的には感じています。栄養教諭が配置されないともなれば、ますますここが重要になるはず。
2006年11月12日
くらしの中に発見がある~身のまわり環境地図作品展
パルテノン多摩にて開催された「身のまわりの環境地図作品展」を見に行きました。毎年恒例の作品展。今年で10回目を数える作品展には小中学校全部で13校、全部で312の力作がズラリと並んでいました。
自分自身の生活の身近なテーマから発想し、地図にするので子どもならではの視点があります。例えば、「自分の通っている学校には心身障がい者の学級があるので、市内のほかの学校にもあるのかどうか調べようと思った。」ということで、多摩市内全部の障がい児学級の設置校を地図にしている中学生や、「他の小学校の飼育小屋ってどうなっているの?」と市内の小学校の飼育状況を調べている小学生、そしてまた多摩市の一大テーマであるゴミ問題に関し、「レジ袋の削減で資源が守れます」をテーマにしていた小学生は市内ス―パーマーケットでの取組みを調査していました。面白いのはロケ地調べ。多摩市内は多くのロケに使われていることを改めて知りました。どうやって調査をしたのかをむしろ教えてもらいたいなあと思ったくらいです。
とにかく地道に足を運び、写真を撮影したり、調べものをしたり、ヒアリングをしたり・・・・という中から地図が作成されていて、会場係として協力をしていた市民の方からは半分本音?にて・・・・「議員さんも見習わなくっちゃね。」とハッパをかけられました。そのとおりだと思います。
この作品展に足を運んで感じたもうひとつのこと。それは、作品展そのものに市内全小中学校が参加をしていないことからもわかるように、それぞれの学校の事情や先生の熱意などによって変わってくるのではないか?ということです。もちろん、そこが学校各々の特色ある教育の内容にも結びつくといえるので、個々の学校により取組み方が違ってもいいのかもしれませんが、私自身は子どもたちがこの作品展に参加することの意義はとても大きいように感じます。
ところで、昨年は「安心・安全マップ」などの展示もありましたが、これも「身のまわりの環境地図」のひとつに該当するでしょう。これについては、「安心地域づくり」の観点から全小学校で取組んでいく運びと聞いています。確かに、「身のまわりの地図」として、危険な箇所を探すことが主目的で作成する「安心・安全マップ」も大事な取組みかもしれません。しかし残念ながら、いわゆる「身のまわりの環境地図」として、子どもたちの豊かな感性が溢れる視点が存分に活かされるような、ユニークな着眼が中心に据えられているとは言い難いはずです。
その点では、「安心・安全マップ」とは別の取組みとして、全小中学校に広がっていけばいいなと考えています。身近なテーマを設定するところから始まり、実地調査をしながら、最後には真っ白な模造紙に調査した内容を人に伝えるための表現をしていく・・・「環境地図」の作成は素晴らしい取組みだと思います。今日は子どもたちの真っ直ぐな感性に触れ、力をもらいました。
2006年11月09日
親も成長できる場をつくる
先日に引き続いて「プレイセンター体験講座」に参加をしました。今日は国分寺でプレイセンターピカソを創設したメンバーの一人で、日本プレイセンター協会のスーパーバイザ-である足立隆子さんに話を伺いました。講座のテーマは「親のための学習会」について。プレイセンターの一番の特徴とも言える「親のための学習会」の必要性や意義に関し、実体験を踏まえた話を伺うことができました。
プレイセンターは親たち自身が運営をしていく場でもあるので、まずは初参加の人たちを「仲間」にしていくことが必要です。それほど堅苦しいものではなく、緩やかにつながり、そしてお互いの立場を分かち合えるような関係づくりをしつつ、参加している人誰もが必要とされる状況を創り出していくのだそうです。一緒に運営していく人になるための共通認識を作ることが学習会の役割。そのために、学習会では自分自身の答えを探すことが求められます。学習会を通じて、何を考え、何を感じたのかを毎回レポートにまとめ、それらを元に議論するためです。
実はプレイセンターの学習会は「子育て」に向き合う自分自身を深め、見つめ続けることを目的としてプログラムされているのです。これは「子育て」の本質に向かう大変な作業になります。答えや正解がない学習をすることになるからです。しかし、その大変さを分かち合うのがプレイセンターに参加をしている人すべて。互いの立場を理解しあうことで信頼関係も生まれ、その後のプレイセンターの運営にもつながってくるそうです。
確かに・・・子育ての渦中に置かれていると、「子育て」の本質云々など考える余裕などないと思います。その点で、プレイセンターで行なわれている学習会の意義には頷けます。子どもの成長とともに親も成長していけるような環境を整えているのがプレイセンターだと言えるのかもしれませんね。「親」として成長できる・・・・経験を積めば知らず知らず・・・・という考えもできるのかもしれませんが、その都度その都度で悩みを共有できる仲間がいることの意味は大きいはずです。私もプレイセンターの学習会に参加をしてみたくなりました。
2006年10月19日
子どもたちの居場所をつくる~続き
昨日に引き続いて、今日は午前中に政策ゼミの学生とヒアリング。多摩市の学童クラブのことについて話を聞くことができました。政策ゼミの学生たちが考えているのは「子どもの居場所」ということで、先般から話題に上っている「放課後こどもプラン」のこと。
文部科学省と厚生労働省とが連携しながら進めていく事業で市町村では「放課後子どもプラン」を作成。これに基づいて、子どもたちの放課後活動を進めていこうとするもの。小学校区ごとに事業を実施するとしています。
全国的には学童クラブに対するニーズに応えきれていない状況があります。厚生労働省は「一小学校区に一学童クラブ」を目標にして施設整備をしているようで、学童クラブの目標設置数は約2,0000ヵ所。多摩市の場合には小学校区ごとで考えれば、未整備だと言える地域もあるかもしれませんが、それでも学童クラブの充実には努力している方だと思います。
その環境を前提として、文部科学省が3ヵ年で実施してきた「地域子ども教室推進事業」と厚生労働省の「放課後児童クラブ(学童クラブ)」とを一体的に推進しようと考えている国の方向性に対し、どのような方針をたてていくのかが課題です。
国の説明によると放課後子どもプランについては3つくらいのポイントがあるようです。
①教育委員会と福祉部局などで二元的に実施されていた事業を一元化することで効率的・総合的な放課後対策事業を展開すること。その際、教育委員会が中心になることが基本。
②学校教育ではなく社会教育として位置付けることを念頭においている。しかし・・・・放課後といっても学校の教職員は忙しいので、主たる担い手は、従前の学童クラブを担当していた職員や地域子ども教室に協力をしてくれた地域ボランティアのひと。
③余裕教室などを活用し、将来的にはできる限り活動場所を小学校に一元化していく。
以上のポイントとしながらも、「現場の状況を十分に踏まえる」というのが国の考え方。自治体としては、現場の状況を踏まえながら制度設計することが求められるようです。
個人的に上記3つのポイントに対しては・・・
①多摩市には子ども行政を中心的に担っているのは「子ども青少年部」。学童クラブについても福祉部局が中心で進めてきている。これを教育委員会中心にすることは考えにくい。
②学校の教職員が忙しいから云々という理由で、担い手として想定されているのは先生以外の人たち。教職員が関わらなくても、学校の管理者としての校長先生の権限は大きい。校長先生に対する発言力が最も強いのは東京都教育委員会と直結している多摩市教育委員会の指導室。・・・・つまり、校長先生を動かすための司令塔は指導室であることが望ましい。なので、社会教育として位置づけることは構わないが、生涯学習部が中心になることは円滑な運営の観点からもどうかと思う。
③多摩市ではもともと「生涯学習部」が所管していた青少年の健全育成分野が、「子ども青少年部」の新設とともに移管されていることは考慮されるべき。
④将来的に活動場所を小学校にしていくことには賛成。そのことを踏まえて・・・・考えると、やはり小学校は地域の拠点施設になるし、地域の子どもは地域の小学校に通うことを原則として、「学校選択制」の考え方も見直す時期に来ているのでは?
今のところで思いつくのは以上。それから、とても大事な視点だと思うのは障害児のこと。地域の小学校に通っていない障害児の子どもたちも一緒に活動できる場にしていくことが大事だと考えるのですが、そこまでを範囲とした時には人員配置のことにも、学校の設備(バリアフリー)のこと等も見ていかなければならないでしょう。整理をして、ひとつひとつクリアすべき課題は少なくなさそうですね。
いずれにしても、「子どもたちにとって一番!」となるように考えるべきだと思います。あと1ヶ月・・・政策ゼミのメンバーと議論をしながら、一般質問の作成に取組みます。
2006年10月18日
子どもたちの居場所をつくる
聖ヶ丘小学校で行なわれている「「地域子ども教室推進事業」の見学をしました。いわゆる「子どもの居場所づくり」と呼ばれている活動で、その活動目的とは「家庭、地域、学校が一体となり、心豊かでたくましい子どもを社会全体で育む」ことであると考えられます。
ちなみに・・・改めて、文部科学省のホームページに書かれた趣旨・目的に目を通してみたのですが、「『子どもの居場所』づくりを通じて、退職した企業人や教員、NPOやNGOなど良識ある大人の活躍の場も広がります。」ということで、「良識ある大人」というのが面白いですね。
さて、この居場所づくりの活動は市内の全小中学校で行われているわけではなく、文部科学省が事業を開始した2004年度から徐々に広がりをみせています。開催されている学校によっては100名以上の子どもたちの参加があり、大盛況だと聞いています。
聖ヶ丘小学校の場合には居場所に参加登録をしている子どもは79名、指導員として登録をしている大人は15名。毎週水曜日、そして土曜日にも活動をしているようです。聖ヶ丘の地域には児童館がないので、子どもたちの遊び場として放課後の学校は最適だと感じました。参加をしている子どもは低学年が中心で、大人の目をうっとおしく思い始める年頃の子どもたちの姿は少なかったです。そしてまた指導員はリタイアした男性中心というのが特徴的でした。
遊んでいる子どもたちからすれば、指導員は「おじいちゃん」の年齢。お話を伺った指導員のリーダの方は「注意をしても、おじいちゃんから言われている感覚だから、あんまり効き目ないんだよなあ。」とのことでしたが、私の子ども時代を思い出しても、祖父祖母に言われたことの方がよく聞いていたかも・・・子どもたちが指導員の方々とふれあう様子からも、とてもいい交流ができているように思いました。
「子どもの居場所とは言いつつも、指導員の方々の居場所にもなっているような気がした。」というのが、学生からの感想。これについては私も同じく。
実は文部科学省はこの取組みを更に発展させるべく?厚生労働省と連携をし、「放課後子どもプラン」というのを始めるようです。来年度から始まりますが、国では結構な予算の額を手当するようです。いまいちどんな風に展開していくのか分かりませんが、放課後に学校開放をしていき、そこに地域の人が関わるという方向性には賛成。ただ、ある部分で『居場所』と強調して、大人が意識的につくらねばならない時代にあることには複雑な思いもありますが・・・。
2006年10月10日
中高生の居場所
「大人と一緒に行動したくない年頃の子どもたちの居場所はどうやったら確保できるの?」と尋ねられたので考えているところです。
「公民館や、コミセンは、20歳以上の人間がいないと、利用許可がおりない。10代後半の子どもたちは普通、大人と行動するのは大嫌いだから、大人に助けてもらってまで、そんなことはしない。」
「塾に行ったり、稽古事をしない子どもたちが、ゲーセンやファミレス、カラオケに群がるのは、他に行くところがないからだし、子どもたちがお金を欲しがるのは、彼らの行くところがみんな、お金でしか、彼らに居場所を提供してくれないから。・・・そこには、社会のルールを教えてくれる年長者や、大人がいないから、同世代だけで、情報交換をしてる。」
「本当のカギッ子もいるけれど、家に帰っても向きあってくれる親がいなければ疎外感を覚えてしまうだけではないのか。」
状況が目に思い浮かぶようです。中学生や高校生の居場所づくりのことはかねてから課題のひとつになっているものの、果たして行政が準備万端整えたところに彼らがやってくるのかどうか・・・・という疑問も。
ただ、杉並区(ゆう杉並)や調布市(青少年ステーションCAPS)にある中・高生向けの施設は人気があり、ずいぶんと利用されているという事実があります。もし多摩市の中で新たな施設を設置するとしたら?財政的な措置よりも以前に、「作るとしたら場所はどこ?」というのが最大の課題になりそうです。
以前、「学校跡地は?」ということも考えましたが、「下校したあとに、再び、同じようなハコモノに子どもたちが行くとは思えない。」とのご意見に納得をさせられて以降、すっかりとこの問題に関しては思考停止気味。
「子育て支援は乳幼児のためだけのものではないので・・・。」
その通りなのです。とは言え、私が中高生時代を過ごした時を思い出したところで、今に適応できるとは思えず。今のニーズを知ることからもう一度始めてみる必要がありそうですね。
2006年08月25日
児童館と学童クラブが指定管理者になったら?
狛江市の和泉児童館に視察に行ってきました。ここは「小学生クラブ」と呼ばれている学童クラブも併設されています。
ここは1階フロアが児童館、2回フロアが学童クラブになっているのですが、児童館は3年前から民間(社会福祉法人)委託により運営されてきましたが、去年までは学童クラブは狛江市直営で運営されていたそうです。なので、1階フロアは民間人で2階フロアには公務員職員がいるという複雑、心理的にも微妙な関係を維持しつつ児童館内全体が運営されていた模様です。
しかし、この4月より小学生クラブの運営も同じ法人が任されることになり、それにともない施設の運営方法も「指定管理者」という風に変更となったそうです。
それにしても・・・とかく学童クラブの民営化については保護者の反対が大きくスムーズには進まなかったそうで、何度も何度も説明会等を開催したとの話です。受託している民間事業者としては「どうして公務員の方のほうが民間よりも優れていると言えるのかなあ・・・・」と漏らしていましたが、児童施設の民営化問題ではどこの自治体でも反対運動に頭を悩ませていると聞いています。それでも、反対運動にめげず?行政も物事を進めていくので・・・・この4月より和泉児童館・小学生クラブは「指定管理者」となったわけです。(ちなみに、この法人は狛江市の岩戸児童センターと子ども家庭支援センターの仕事、ファミリーサポートの仕事もしています。)
さて、民間で運営することになってどう変わったのか?一例をあげると、小学生クラブの場合には子どもたちを預かる時間は午後6時から午後7時までに延長されました(この場合は親が引き取ることが前提だけれど、もしも7時すぎた場合でも子どもを帰宅させることはしない・・・タイムカードで管理されてしまい残業制限のある公務員ではできないこと)。また、児童館に遊びに来る一般の子どもたちと小学生クラブに通う子どもたちを一体で見ることが可能。そして、全館の運営を任されたことにより子どもたちの遊ぶ空間も広がったことはよかった・・・と言っていました。
特に小学生クラブに通う子どもたちを見るのは公務員、それ以外の子どもを見るのは民間人・・・・という構造であると責任主体についても明確化されない部分が発生しがち。どうしても「ウチの子ども」という視点で、子どもたちを分断する中で見守りをしていまう傾向が強くなってしまう部分は解消されました。それから・・・面白かったのは、狛江市の学童クラブでは大人を「先生」と呼ばねばならないのに、児童館では大人をあだ名で呼んでいる・・・というような違いにとまどう子どもと保護者・・・みたいなこともなくなったと言います。
「一概に民間はダメ!とは決めつけられない。」というのが一緒に視察をした学生たちの感想だったのですが、実際に子どもたちの遊んでいる様子を見ても、非常にいい雰囲気でした。
ところで、多摩市の場合には児童館と学童クラブが併設されているところが多いわけですが、既に学童クラブは今後民間に任せていくという方針なので、非常に参考になる事例だなと感じました。ちなみにスタッフは正規職員が5人、パートは8名(うち2人は相談員)という体制で、小学生クラブの定員は50名とのことでした。
そしてまた障害児も受入れており、そのノウハウについては同法人が別途運営をしている障害児施設に学んだりしているそうです。障害児の受入希望については人気があるとの話でした。
実は・・・「この法人がすごいスケール!」ホームページも見てわかるように、多くの自治体の児童施設などの運営を受けているようです。狛江の和泉児童館と同じような児童施設は都内全部で11館だそうで、その11館対抗でのドッヂボール大会など代々木にあるオリンピックセンターにて行なえば、300人が集まるとのこと。このような他との交流もまた行政とは一味違った取り組みとしてあげられるようです。
一方で、地元地域との連携、そしてまた施設運営に対する第三者評価の視点など気になるところですが、地元との連携はあまり進んでいるように感じませんでした。評価については年2回、地域の保育園、幼稚園、小学校、中学校、保護者などを交えた協議会を開催を予定しているとのことでしたが・・・。ここは今後の課題のように思いました。
それからもう一点。狛江市には他にも学童クラブがあります。こちらは直営で行なわれているところですが、そことのつながりや連絡会があるのかどうかを尋ねました。狛江市では「行なわれていない」ということでしたが、聞いたところによると、墨田区では児童館などを直営を含む4つの事業所で運営しているようで、その場合には連絡会的に館長会議の開催をしているとの話でした。
これは事業者というよりは狛江市の考え方によるのでしょうが、やはり狛江市としてどのような小学生クラブ、学童クラブ、子どもたちの育ちの環境をつくりあげていくのかというビジョンをしっかりと示すことは必要だと思います。その上で職員どうし(民間人と公務員)の意見交換や交流会をすることは大事ではないでしょうか。互いに切磋琢磨♪も必要です。民間事業者側としても、指定管理者になり、自由裁量の部分が広がったとは言え、民間には民間のやり方がある・・・ということで、突き話せない部分だと思います。
いずれにしても、民間に任せる時には、その移行までの間どういう引継ぎをするのかが課題になります。特に春休み中に学童に通ってくる子どもにとっては3月31日までと年度が変わった4月1日からとで、突然に職員の顔ぶれが変わると言うことで戸惑いもあるようです。
だいたいは体制が変更する2~3ヶ月前から準備(引き継ぎ)を設け、公務員とともに民間人が同居し、大人も子どもも新しい環境にスムーズに移行できるように配慮はするようです。
多摩市でも来年4月から多摩第2小学校に新しく設置される学童クラブが民間委託される予定です。その際、現在、東寺方学童クラブに通っている子どもたちへの対応をどうするのかなど課題になっていると思います。今日の事例を踏まえつつ、今後の多摩市の動きに注目したいと思います。
本当は全学年の児童を対象とした「小学生クラブ」の話しを聞きにいったのですが、私としては指定管理者制度の方に関心が寄せられ、肝心な小学生クラブに関することをあまり聞かなかったかもしれない・・・と帰り道に反省してしまいましたが・・・・。でも、とても参考になる話しを聞くことができ、一緒に視察をした政策ゼミのメンバーもいい視察になったとの感想を述べていました。
2006年07月16日
多摩市立幼稚園廃園・・その後未来
多摩市で唯一の公立幼児教育機関だった多摩市立幼稚園。市長部局、教育委員会、議会のせめぎあいのなかで、時期は一年延期されたものの廃園が決定しています。私も当時、悩んだ末に「廃園」に賛成をしました。その後の動き・・・・・。
おそらく一番正確なのは市のホームページだと思うので、そこからの引用。
市立多摩幼稚園廃園後施設を活用した保育及び幼児教育の充実を図るための総合的施設について検討する多摩市子育て総合的施設検討市民懇談会を設置しました。
つまりは、多摩市の子育て施策の発展に資する活用を目指すということになります。
というわけで、今日は新たな活用方針を待つ多摩幼稚園でシンポジウムが開催されたので参加しました。もちろんのこと、「多摩市子育て総合施設の目指すもの~保育・幼児教育の一層の質の向上を目指して~」がテーマでした。ちょうど懇談会では中間まとめを発表し、4月にパブリックコメントの募集を実施しています(あんまり知られていないと思います)が、さらに、市民との意見交換や問題意識共有の場として本日の会合は企画されたのだと思います。
パネラーは多摩市の次世代育成支援地域行動計画の策定メンバー、子ども家庭支援センター、私立幼稚園、私立保育園代表で懇談会の座長である金子先生がコーディネーターでした。
懇談会の中間まとめでは①研修・研究機能(多摩市の幼稚園や保育園などのスーパーバイズ機能や各種機関のコーディネート機能等を果たす)②主に就学前子どもたちを対象として子育て支援施設(これは保育園と幼稚園の両方の機能を持っているイメージらしい)③地域交流の場という3つの柱で総合的施設を考えています。
今日は、それも踏まえ、パネラーが各立場から総合的施設に望むものなどを出し合いつつ、これからの施設像を模索するかたちで議論は展開しました。
結局のところ、最終的には「そこに税金を使う必要があるのかどうか」を吟味しなければならないということにつきると思います。このような施設を多摩市がつくることが本当に必要なのかどうか、同じ子育て施策に税資源を投入するのであれば、もっと有効な使い道を考えるべきではないかという部分に議論が集約されそうです。
フロア発言の中で、ものすごく的を得ていると思ったのは「現在の子ども家庭支援センターの充実を先にすべきだ。」という意見でした。私もそう思います。業務量は増えに増えて大変なのに、人員配置もギリギリ以下の状況なことを見れば、もう少しそれなりの手当があってもいいと誰しもが思える場所です。さらに場所についても学校跡地施設の有効利用?と言えるのかわかりませんが、暫定活用になっているので施設の環境も相談室などもう少し整備されてもいいのではないかと個人的にも感じます。
さらに、この施設は公設民営による運営を考えるようですが、運営事業者を選ぶことそのものが非常に難しい感じを受けます。多摩市の子ども関連施設や機関をすべてネットワークでき、なおかつ専門的なノウハウも持っているような事業者ってそう思いつくものではありません。大学?とか思うわけですが、それにしても大学の付属機関ではなく、多摩市の機関として運営する必要があるので非常に難しいと思います。それなりの機能を発揮するのであれば、運営主体の選定が鍵になると感じました。
けど、いずれにしても私自身は多摩市独自の研究・研修機関を設置する気構えがどのくらいあるのかにかかっているように思います。要は税財源と密接にかかわり合う問題だからです。このような施設はいい人材の配置できなければ意味がなく、そのためにはしっかりと財源措置をしなければなりません。
会の途中まで参加していた市長は「今日はみなさんの議論のプロセスを見るために来ました。」という感想を述べて帰って行きましたが、最終的に懇談会でとりまとめられた総合的施設のあり方が、市長の多摩幼稚園の廃園に踏みきった思いと構想にどうつながり、重なっていくのでしょうか。多摩幼稚園での幼児教育の実践とその蓄積がどのようになっていくのか・・・も含めて、税財源の問題も絡み、まだまだ議論を尽くさなければならないように感じました。「多摩市独自」という部分にこだわった機能を作るのであれば、それなりに「多摩市独自」が説明できなければならないと思いますし、保育園、幼稚園、小学校などの子ども関連の施設がなかなかネットワークできないとする悩みそのものは、新たな施設をつくらなくても解決の方向が見つけると思うし・・・。
多摩市の幼児教育ってどういうコンセプトがあり、そしてどういう実践が積みあがっているのかをもう一度、捉え返してみたいと思っています。
2006年07月15日
保育所でも第三者評価
東京都では福祉サービスの第三者評価を進めています。子どもが通っている保育園でもこの調査を実施することになり、先日アンケート票を受取りました。
第三者評価を実施するのかどうかについては、保育園の運営側(経営者)の判断に求められるようで、義務付けされているわけでなさそうです。まだ、普及と啓発段階にあるようで、すべての保育園で第三者評価が実施されるまでには時間がかかりそうです。昨年度の評価などはホームページで見ることができます。
保育に限らず、福祉サービスの向上に第三者評価の仕組みを取り入れることには賛成ですが、さらにはその評価機関の評価そのものがどうなのか?という視点もひとつ加わってくるようにも思います。評価機関や評価者についてはやはり重要なことなので、東京都でも一定の基準や要件を設けているようです。
しかしながら、評価を受ける福祉サービスの提供事業者と評価機関との契約関係により第三者評価が行なわれるので、どの評価機関を選ぶのか?によって、もしかすると結果や分析が異なるとも考えられます。
でも、ホームページから過去の結果を見ると、評価そのものはかなり丁寧に行われているように感じます。(・・・・とは言え、結構、この評価機関の顔ぶれを見ていると商業ベース、あらたなコンサル事業の展開?なんて思ってしまいましたが。)
それにしても、私も初めて、どのような評価機関があるのかを少しだけ見てみたのですが、結構たくさんあるんですね。びっくりしました。
ちなみに、昨年度この第三者評価を実施した市内の事業所は14事業所で、そのうち保育園は1園のみのようです。
このような評価が発展していくと、福祉サービスを提供している事業者を選ぶひとつの手がかりにもなりますし、評価の比較などもできるので、結構興味深いです。
ただ、私の場合を考えても、保育園については現在通っているところだけしか利用したことがないので、他の園と比較をしてアンケートに答えているわけではありません。あくまでも主観で現在のサービスをどう感じているのかを答えれば十分と言う話なのかもしれませんが、本当の意味でそのサービスがいいのか悪いのかを知るためには、他との比較という視点をもちアンケートに回答できたほうがいいのかなあと感じたりもしています。
まだまだ第三者評価自体が発展途上の段階だと言えますが、福祉サービスの提供事業者が第三者評価を取りいれていこうとするのかしないのかという姿勢もまた、市民がサービスを選ぶ際の基準になっていくことと思います。特に、利用者のコメントが率直に記録されている点などは参考になります。
2006年07月11日
児童虐待への取り組み
児童虐待の件数は年々増えているようです。マスコミなどでもしばしばニュースになり、私たちの眼にも珍しくないと映っているのではないでしょうか?
児童虐待防止法が改正されたのは約2年前。その際、虐待かどうか疑わしい場合にも通告する義務(第6条)が課せられるようになり、通告件数そのものが増加しています。虐待件数の増加は、通告件数が増加されていることに連動していると思われます。厚生省の資料からも、法律が改正されたことにより虐待件数が急増していることがわかります。おそらく、今までは水面下で、見えていなかったものが法改正により、一気に噴出したとも言えるでしょう。
それだけに深刻だと考えています。内面傷ついたまま大人になった子どもたちが存在すると言えるからです。
さて、今日は立川市の子ども家庭支援センターに行ってきました。目的は「市民型ソーシャルワーカー」という取組みです。
「市民型ソーシャルワーカー」というのは、端的に言えば、児童虐待に関する相談に応じる市民ボランティアのことです。特に資格は必要とされず、ワーカーになるためには月に2回、1年間の講座を受講することが求められます。講座終了後卒業となり、「市民型ソーシャルワーカー」としての登録、そして実際の活動・・・となるそうです。実際の活動については、地域での相談活動がメンイになるようですが、地域ごとに設置される虐待防止ネットワークの会議などにも参加をすることが予定されています。
今年度からまずは受講生を募集し、ワーカーの育成が始まったのですが、募集人数20名のところ62名もの応募があったとのことです。市民ボランティアなので何よりも優先されるのは「志」「熱意」ということで、とりあえず全員受け入れる体制で講座をスタートしていますが、講座のカリキュラムには「講義編(基本的な知識の取得)」と「実践編(カウンセリングの技術を練習するなど)」になっており、後者については大人数だとやりきれないという状況が見えているとのこと。そのために、予定していた講師の人数を倍に増やして対応を図りたいとしています。
・・・・でも、実はかなり予算をどう工面するのかについては厳しいのが実情。本来であれば養成講座も二年くらいかけて行ないたかったようですが、そこはなかなか調整が難しい模様でした。「東京都に補助金を申請しているんだけれど・・・・・。」と言っていました。補助金が決定するかしないかにより、来年度以降の取り組みが大きく左右されるような口ぶりでした。
この「市民型ソーシャルワーカー」というのは、立川市の「夢育て・たちかわ子ども 21 プラン」(次世代育成支援行動計画)に家族デザイン研究所をやっている汐見先生が位置付けたんだそうです。
このプランに基づいて着実に実行をしているようですが、現状としては「手探り状態」・・・・「この先、どのように位置づけながら活動していくのですか?」ということや「民生委員や児童委員との活動のすみわけは?」、そしてまた「継続的にワーカーとしての力量向上のための支援は?」など質問をしたのですが、具体的なところは関係機関などともう少し調整も必要・・・というような回答でした。どこかに「市民型ソーシャルワーカー」をやっている自治体などモデルはあるのかと尋ねてみましたが、これについても「おそらく、ないと思う。」ということだったので、一年後、無事に養成講座を終了した市民たちの活動がどう展開されていくのかその行方を追いたいと思っています。
とにかく児童虐待の通告が増加している中、現在の体制では相談をやりきれないというのが現状なのかもしれません。そういう意味で、「市民型ソーシャルワーカー」という発想が生まれてきたのだと思っていますが、本来、ソーシャルワーカーとして必要な知識や技能を取得するにはそれなりの期間を要することを考えると、一年間だけの講座で・・・と不安もあるわけですが、看護婦やケアマネージャー、教師などなど多彩なバックグランドを持つ市民が受講している模様です。
そこで、担当者は「市民型ソーシャルワーカー」と相談先とのマッチング作業が鍵になると思うと話していました。
私の印象としては期待半分、不安半分というところ。来年以降にならないと実際に活動がスタートしないわけで、今の段階では「まだ、よくわからない。海のものとも山のものとも言えない・・・・」という感じです。
ちなみに、 「市民型ソーシャルワーカー」になりたいと養成講座に応募して来た人の共通点とは・・・・「人の役に立ちたい」という思いの強さだということです。20歳から71歳まで。もちろん女性が多いそうですが、参加している男性はあと数年で定年を迎えるという‘団塊の世代’さんたちだと聞きました。
2006年07月10日
特別支援教育説明会
教育センターで開催された特別支援教育説明会に参加しました。全国的には来年度から本格的に特別支援教育が実施されることが決まっているのですが、多摩市ではそれに先駆けるかたちで、今年度から各学校に「子ども支援教室」の部屋を設け、特別支援教育システムで求められる体制づくりを進めています。多摩市独自の制度であるピアティーチャーも増員しています。実際に学校現場がどうなっているのかは、もう少し時間がたってから調べてみたいと考えています。
自治体としては国の方針を遵守し、そしてまた東京都教育委員会の指導をばっちり受けているわけで、東京都でも「特別支援教育推進計画」を策定し、モデル地域を指定しながら、実験的な取り組みを重ねてきました。
特別支援教育に対しては、盲・ろう・養護学校の再編成に過ぎず、教育予算をカットするための対応だとの批判も受けながらも、新たな課題を抱えている学校現場に対応する(発達障害の問題など)という視点により進められてきました。(発達障害については発達障害者支援法が設置され、さらには先日、国には「発達障害対策戦略推進本部」なるものが設置されています。)
私としては新体制に移行させるためには相応の予算措置が必要だと考えているのですが、どうやら国も都も必要な(十分な)財源措置をするわけではなさそうな様子。多摩市の場合にはピアティーチャーなど独自財源で配置することもできましたが、全国どこでもこのような対応が可能なわけではないので、どうなっていくのだろう・・・と気になっています。
今日の説明会では、多摩市内の通級による指導学級(小中全5学級)、固定学級(小中全7学級)、養護学校、そして通常学級における特別支援教育の取り組み、最後に医療・療育・相談機関・・・・ということで、かなりの盛りだくさんの内容の説明会で、早朝9時から正午を過ぎてもまだ説明会は続きました。
私は次の予定があったので、正午過ぎて会場を後にしたのですが、参加されていた保護者の方々は真剣に話を聞いていました。説明する学校側の関係者も含まれるのですが、約70名から80名ほどの参加者があったのではないかと思います。
特別支援教育により学校がどう変わっていくのか、そして何よりも子どもたちの教育環境がどう充実していくのかが大切な視点です。現状では、まだまだ未知数だと言えるでしょう。通常学級での取り組みについては「手探りでやっている状況があることは確かです。
今日の説明会でも、通常学級における取り組みについては、「教員自体も本当に特別支援教育が正しく実施できているのか迷いながらやっている」という本音もチラリ・・・・と出ていました。私もそのように思います。しかし、子どもたち一人ひとりにあった就学の指導や対応をしなければならないのは当然のことで、今に始まったことではないはずです。
ただ、通常学級でもこのシステムに対応するということになれば、当然ながら子どもたちや保護者も含んだ学校全体で「特別支援教育」の理解を深めていかなければならないでしょう。そこが最も努力の必要な部分で、大変なところだと考えています。しかし、そのことは軽度発達障害を抱える子どもなどへの理解にもつながっていくはずです。そしてまた、今まで以上に、さまざまな個性を理解し、認め合うような素地づくりになることを少しは期待してみたいと思います。
いろいろな課題はありながらも、新しい取り組みがプラスの方向に向かわせることが必要です。そのために求められる教員の力量、学校の責任、そしてそれを指導する教育委員会・・・とこれからの動きを見ていきたいと考えています。
2006年07月04日
子育てバリアフリーマップ
障害者や高齢者の視点からバリアフリーのまちづくりはずいぶんと進んできたと思います。事前にホームページなどで、バリアフリーマップを見ることができ、例えばエレベーターの場所をチェックしておくなど、おでかけ計画が立てやすくなっています。どうやら、東京都ではまだ作成されてないようですね。オリンピックを呼びたいのであれば、早急にバリアフリーマップくらい作ってもらいたいものです・・・作るべきだと思います。
今は、バリアフリーではなくユニバーサルデザインという言い方に変わってきているのでしょうか?以前、行ったことのある浜松市でも「ユニバーサルデザイン条例」というのがありました。
最近、「子育てバリアフリーマップ」を知ったのですが、これは子育てに力を入れている多摩市でも取り組めそうなことだなと思っています。ベビーカーや小さい子どもたち、障害児などと「まち歩き」をしながら、まちの点検することから始まるわけですが、子どもたちにとって「安心・安全なまちづくり」が防犯だけではなく、それ以外にも視点を持たなければならないことも再確認できそうだと感じます。多摩市は何と言ってもバリアフルなまちなので。
インターネットで「子育てバリアフリーマップ」を検索すると「いしかわ子育てバリアフリーマップ」が出てくるのですが、これは「おでかけマップ」てきなもの。実はもうひとつ、読売新聞の記事にあるような視点から‘まち’のバリアを探してマップづくりをしてみると新しい発見ができそうです。
まずは、この記事に掲載されている「せたがや子育てネット」の活動内容に関心を持ったので、一度話を聞きに行きたいと思います。多摩市でも市民中心に楽しく「子育てバリアフリーマップ」の作成活動ができたらいいですね♪
2006年06月16日
少子化と学校と地域と
「学校の一定規模及び適正配置等に関する審議会(第2期)」からの答申素案がまとまり、文教常任委員会での報告とともに各議員に配布されました。学校の統廃合については学区の見直し問題などでも保護者や地域に混乱を招くこともあり、とにかく「ていねいさ」が求められる課題です。素案を作成する前の段階でも地域に出向き説明会を行ない、今回も答申素案がまとまり審議会としての地域説明会を開催すると予定で、段取りとしては出来る限りの取組みをしているかのように受けとめられます。
しかし、実は既に教育委員会の策定しているスケジュールに則って、着実に進められているだけ・・・という部分は心に留めておく必要があるでしょう。結局は教育委員会主導で事が運ばれていること、決して地域や市民主導になっているとは思えない部分もあるのです。
今回は「竜ヶ峰小学校及び多摩第二小学校」と「豊ヶ丘中学校及び貝取中学校」の通学区域の見直しを進めているのですが、後者については諮問を受けた審議会でも教育委員会の示している統廃合の方向性もも概ね地域にも受け入れられ、これからの流れが進んでいくと思われます。しかしながら問題は前者です。私自身は、ここの地域はかねてからどうするのか課題にあげられてきたものの、手付かずの状態で今まで来てしまったことが一番の問題だと思っています。竜ヶ峰小学校は全校生徒が55名と小規模、しかしながら、立地条件が百草団地ということが事を難しくしてきました。ひと昔前の学区見直しについても話題には上がっていた場所ですがとりわけ通学距離や通学環境を考えて、隣の地域の多摩第二小学校との統合が進まなかったとの事情が在ります。
さらには、いわゆる学校は地域の核とも言われるように、百草団地の住民にとって竜ヶ峰小学校は拠点になりうる施設です。学校が廃止されることについての抵抗感はそれはそれは大きいものがあります。そのことを考慮して、竜ヶ峰小学校をどうしていくのかは前々から多摩市にとっても大きな課題、普通に考えても高齢化が進むのに、百草団地のオーナーである都市再生機構が高齢者住宅として活用していくために事態がさらに悪化しつつあるとも言えます。学校が廃止されると言うことは尚更です。若い世代がますます住みにくくなる地域に追いやってしまう恐れが十分にあるからです。
ここに問われるのが多摩市のまちづくりのビジョンであり、そのもとでの多摩市の教育構想だと思うのですが、そこが明確に示されたとは言えないまま、教育委員会のレールにのらされて審議会の議論を進めざるを得なかったようです。
答申素案でも、「今回の素案作成にあたっては、教育委員会の諮問を受けてあくまで一定規模適正配置の考え方を前提として取りまとめたものであることを申し添えます。」と書いてあり、結論そのものが各委員の「苦渋の選択」であるとして強調されています。
そしてまた、聞くところによると審議会の委員(第一分科会)の中でも、当該地域代表として出席をしている委員たちは最後まで教育委員会の示した考え方、方針には納得していなかったそうです。その他から選出されている委員たちは納得、でも地域の人たちは納得せず・・・これをただ単にエゴとして切り捨てられるのかどうか・・・最終的には素案はまとまりましたが、私自身も複雑な心境になりました。
それにしても、前々からこの地域のことは課題になっており、特に中和田通りの安全性が指摘されてきました。小学生のみならず、中学校になれば和田中に通う子どもたちもいるので、そのことを考えれば、もっと早急に整備が図られていいはずです。でもそのことをずっと先送りにしてきた行政責任は問われるべきだと感じます。
そしてまた、今日の委員会ではあわせて、多摩第一小学校の建替えの進捗状況が報告されていましたが、ここでも「学校の地域開放」とか「地域住民の参加でつくる学校」というようなニュアンスの言葉が交わされていました。そういうことから考えても、「学校と地域」とをどう捉えているのかもいささか疑問になりました。やっぱり多摩市の学校選択制もそろそろ総括する必要があるでしょう。
少子化と学校と地域と・・・・これからの教育、これからの学校、これからの地域づくり・・・・今、多摩市において、そのことがどこでどう議論されているのかがよくわからない状況です。議論されている箇所はあってもまとまりがないと言えるのかもしれません。
竜ヶ峰小学校を廃止する方向であるならば、百草団地の方々の防災拠点の問題、そして前々から課題になっているコミュニティ施設の問題などあわせて早急に議論する必要があるなと個人的には感じています。
2006年06月14日
子育て支援の充実
厚生産業常任委員会に出席。
乳幼児医療無料の制度改正について。未就学児までのすべての子どもを対象とし、保護者の所得制限を撤廃することの提案があり、最終的には本会議の議決待ちですが、今日の委員会では全会一致で「可決すべきもの」と決まりました。既に、多摩地域では武蔵野市、三鷹市、調布市、狛江市、府中市、羽村市が未就学児まで医療費無料の制度を設けており、新たにこの秋(10月以降)には立川市でもスタートするそうです。
乳幼児医療の無料化と子育て環境への市民満足度がどれだけリンクしているのかわかりませんが、保護者の負担軽減という視点ではとてもありがたい制度です(私もそのことを実感していますので・・・)。そういう意味では、子育て支援策が拡充したと評価することは出来るのかもしれません。
この制度ついては対象を小学生にも広げていくべきだとの意見も出されましたが、行政の考え方では「疾病率の高さ」を考慮して対象者の線引きを未就学児としたという説明がありました。これについては私も納得です。私自身は対象者の拡大、保護者の負担軽減という観点だけで、ただ単に対象年齢の引き上げをすればいいという問題ではないと考えるからです。子育て環境の充実というのは負担の軽減を図る施策も必要ですが、それ以上に市民サービスとしての満足度が高まる方策があるのではないかと考えています。
今日の質疑の中で、私自身は乳幼児医療無料制度の利用実績として年齢別にデータを示せないかを尋ねたのですが、システムがそのようにはなっていないらしく、年齢別利用実績を統計にはしていないそうです。残念。年齢別の利用実績を知ることにより、より具体的に疾病率がどうなっているのか、そしてまたどのような症状なのかわかるかなと思ったのですが、そこまで詳細なデータをとるのは困難なのかもしれません。
しかしいずれにしても乳幼児医療無料の目的が「子どもたちの健やかな成長」ということにあるならば、私自身はこの制度の有効性を検証して欲しいなと思います。
というのは、私は乳幼児医療無料の制度もいいのですが、むしろ乳幼児検診に「大津方式」(滋賀県の大津市で始まったらしい)の導入を提案したいからです。今、多摩市の場合には、新生児健診、3・4ヶ月健診、6・7ヶ月健診、9・10ヶ月健診、1歳半健診、3歳児健診となっていますが、「大津方式」では4ヶ月、10ヶ月、1歳半、2歳半、3歳半となっています。母子保健法を調べてみると
(健康診査)
第12条 市町村は、次に掲げる者に対し、厚生労働省令の定めるところにより、健康診査を行わなければならない。
1.満1歳6か月を超え満2歳に達しない幼児
2.満3歳を超え満4歳に達しない幼児
第13条 前条の健康診査のほか、市町村は、必要に応じ、妊産婦又は乳児若しくは幼児に対して、健康診査を行い、又は健康診査を受けることを勧奨しなければならない。
となっていることがわかりました。
このような健診について、気になるのは財源について。電話で担当に問い合せたところ、どうやら東京都の補助も利用しながら実施しているものがあり、それとの兼ね合いにより多摩市の場合も健診体制が組まれていることがわかりました。財源などの詳細は後日報告してもらうことにしましたが、いずれにしても多摩市の場合には1歳半健診から3歳児健診までに1年半のブランクが生じてしまいます。この時期の成長のスピードはめまぐるしいものがあります。そのことからも、私としては子どもたちの発育を一年毎にフォローできる大津方式がいいなと思っていて(これは去年に発達障害者の支援で視察をした滋賀県湖南市でももちろん「大津方式」を採用していたが、滋賀県全域で「大津方式」らしい)、多摩市でも財源の手当などを工夫すれば実施可能ではないかと考えています。
そういう点で「保護者の負担軽減」を目的の一番に掲げるのではなく、「子どもたちの健康」が最大目的で行なわれる乳幼児医療の無料化であるのならば、その取組みと丁寧に発育をフォローしていく健診体制とどちらの政策の方が効果的なのか議論する余地はあるのかなと思っています。(もちろん両方兼ね備えていたらとてもいいけれど。あんまり欲ばれないので)
私自身は乳幼児医療無料の恩恵に預かっている保護者として、この制度に感謝している一人です(当然所得制限があれば私は対象外なので)。でも、子どもたち全員の健やかな育ちをどのように保障していけるのかについては「予防」の観点や早期発見、早期対応という意味からしても肌細やか健康診査が実施されていることの「安心」に重点をおくことも必要だと感じている今日この頃です。それに子育てで困っている保護者がいた場合にはフォローも出来ると思っているので、健診体制の見直しについては今後実現可能性を探っていきたいと考えています。
その他、今日は児童扶養手当の減額率の緩和に関する陳情が全員一致で採択されました。
2006年05月22日
ひまわり教室
「ひまわり教室」と言っても、ほとんど市民は知らないと思います。多摩市のホームページでも「ひまわり教室」の情報を探すには一苦労しましたが、ひまわり教室は総合福祉センターにあり、『心身に障がいのある就学前児童に対し、集団的・個別的に必要な指導・訓練を行っています。総合福祉センター2階にあり、マイクロバスによる送迎も行っています。』という施設です。
ここは、多摩市行財政診断白書でも見直し対象の個別課題としてあげられていました。確かにこれに対するパブリックコメントでも
、【ひまわり教室】(4件)と寄せられており、特に1件目の意見には私も同感できます。さらに、白書を受けて、障害福祉課でもひまわり教室の利用者アンケート(かつての利用者も含む)を行なっていますが、その調査結果を見ても改善する余地がかなりあることがわかります。特に専門性の向上や他機関との連携、小学校へのスムーズな移行などを望む声がありました。
・障がい児の母親として、(1)医師、心理相談員、指導員によるより専門的な療育、(2)親のカウンセリング、(3)幼稚園・保育園等に移った後の指導、(4)幼稚園・保育園との連携を望む。
・ひまわり教室の充実はわかるが、急激な変化や、有料になるなどすると家庭の財政も厳しい。親や子どもに負担がかからないような形での再構築をしてほしい。
・学校に入学する前の微妙な時期に、ひまわり教室とその先生達にとても助けられた。厳しい財政状況はわかるが、そのままにして残して欲しい。
・ひまわり教室の「より効果的な事業展開」とは、具体的にどのようなことなのか。
そのアンケートなどに基づきながら、昨年12月に行なった一般質問の発達障害者の支援と関連して、どのようにしていくのかを問題提起しましたが、現在は、上記パブリックコメントへの回答どおり「ひまわり教室については、早期発見・早期療育の必要性を十分認識した上で、より専門的な療育等が行えるよう、機能や役割を再検証します。また、16年度に、障がい者のニーズを把握するための実態調査を行い、障がい者施策を再構築する考えです。 」に基づいた取り組みが行われているようです。
実は、今日は「ひまわり教室」を初めて訪問しました。何となく敷居が高い感じがして、施設の性格を考えても視察しにくく感じていたのですが、担当の方にお願いをすると「ぜひ、見て下さい」と言っていただけたので足を運んできました。そして、一番の問題点を発見しました。それは人員配置体制です。
去年、教育センターに行った時に感じたことと同じです。当時の教育センターはセンター長も係長さんたちもみな行政職の方々。教育の専門家ではなく、言い方が悪いですが「事務屋」さんでしかありませんでした。・・・・つまりは、行政事務的なスキルがいくらあったとしても、現場で働いている専門的スキルを身につけた方々(not正職員)に対応すること(物申すこと)は簡単とは言えない雰囲気を感じました。当然のことといえば当然でしょう。できるならば教育センターに専門的なスキルのある人材配置をしてもらいたいと思いました。
教育委員会でも今後を見据え、少し人員配置体制を見直したようです。今年度から教育センターのメンバーに統轄指導主事が加わることとなりました。教育的見地から現場の専門職の方々と会話できる人の存在は大きいのではないかと感じていますし、それ以上に学校現場につながっているのが指導主事なので存在意義はやはり大きくならざるを得ないと思います。もちろん、そのことはしばらく時間がたってから改めて検証することが必要かもしれませんが、十分その効果が期待されます。
それと同じく、ひまわり教室の場合には室長さんだけが正職員ですが専門職ではありません。ここが昨年までの教育センターの状況と全く同様だったのです。つまり、ひまわり教室にも専門的なスキルを持ち、他機関とつないでいく役割のある人材、コーディネーター的な役目が必要だと感じたのです。
行財政診断白書では民営化の方向性もちらついていたものの、今後も直営での運営方針は変更せず、現在は施設のあり方そのものの見直しを図っている最中だとのこと・・・ぜひ、どういう人材配置をすべきなのかについても検討してもらいたいと感じました。
そう言えば、子ども家庭支援センターの現場には正職員の保健師さんが配置されていて、そのことがセンターの運営に非常に重要であり、果たす役割が大きいことを思い出しました。ただの事務屋さんでは対応しきれない部分もしっかりと対応できる・・・そのことが子ども家庭支援センターへの信頼にもつながっていました。
ということで、「ひまわり教室」も少しずつ、よりよい方向での運営を目指すべく努力中とのことなので今後の動きに注目をしつつ、また機会があれば、改善のための提案をしていきたいと考えています。
2006年05月11日
本当に望まれること
多摩センターの駅前保育園として4月にオープンした「あおぞら保育園」の開所式に参加しました。この保育園は長久保公園に隣接し、公園をお庭として上手に利用し、建設されているのですが、建物の底地は都市再生機構の所有で賃貸しています。すっかり不動産屋さんになった都市機構については、賃貸料を支払うと聞いていますが、多摩市の保育園で土地の賃貸料を支払うケースは初めてではないかと思っています。
ところで、多摩センター至近の保育園構想・・・と言うと、多摩市立幼稚園廃園後の活用をどうするのかで行なわれていた議論を思い出しますが、結果的には今回の場所に新たなる1園が増設となりました。場所的には多摩市立幼稚園も駅近に立地し、市民の利便性が高いことはうれしいことと言えます。(ただ、車での送迎にはやや不便。そして、道路が狭いので通園する子どもたちの安全確保がやや難点かもしれませんが・・・)
先日のたま広報では、あおぞら保育園の「ひだまりレストラン」が紹介されていましたが、ここでは「離乳食レストラン」(予約制)という多摩市の保育園では初めての取組みがスタートしました。既存の保育園の場合には施設的な制約もあり、一般開放の子育て広場を常設し、運営していくことはなかなか難しいのが現実です。その必要性は認識していても施設面がそのニーズに応えられない状況があるわけです。
しかし、新規に保育園を増設していく・・・という点では、行政側とのさまざまな調整があり、かなり要望もあったと思います。予め、子育て広場としての「ひだまりルーム」や「一時保育室」などのスペースが設けられ、‘いま’のニーズに即した対応ができるよう工夫がされています。さすが、現代の子育て事情を反映し、時代のニーズを上手く取り込んだ施設のつくりになっています。
「地域で子育て」と考える時、私はその拠点として「保育園」に求められる役割が今後ますます大きくなると考えています。これは、私が子育てをしていての実感だからです。その意味でも、新しいコンセプトが盛りこまれてスタートした新しいタイプの保育園と言えるかもしれません・・・あおぞら保育園のこれからが楽しみです。
実はいろいろな意味で期待をしたい反面、今日一番考えさせられたことは、「本当に私たちが望むことは何か?」ということでした。
あおぞら保育園の開演時間は午前7時から午後10時まで。最も遅いお迎えは午後9時半と聞きました。そのことが本当に「子ども」にとって望ましい状況であるのか・・・「子ども」のことを考えると、ここはやはり議論しなければならないことでしょう。決して、預けている保護者たちもそのことを良しとはしていないはずです。さまざまな事情があり、その中での選択だと考えています。
こういう話になると、やっぱり母親としての「女性」の在り方が問われてきそうです。子育て中の男性にも問われるべきことだとは思いますが、やはり子どもが母親に求めることを考えてみれば、まず一番には「女性」が問われてしまいます(それが現実。こんなところでつまらなく「男女平等論」なんて言ってられないと思います)。そこで、仕事上の責任をまっとうすべく働かざるを得ない、そしてまた働いている母親に矛先が向いていきます。「仕事を優先させるのはいかがなものか?」というわけです。
でも、問題点は明らかで、実は「仕事」と「子育て」の両立支援と言いながらも、支援体制が着々と整えられているのは「子育て」の面についてだけ。正直言って、「仕事」面、つまりは「会社」のあり方を見てみれば、相変わらず「子育て」には優しくない働き方しかできない職場がたくさんあります。その職場に負けてしまえば、女性は仕事をあきらめるざるを得ません。もちろん、そのことが自分自身の選択だと納得する女性はたくさん存在し、実際にもそうなんだと思います。しかし、子育てがひと段落して、再び働きたいと思った時にも・・・その環境は不十分すぎます。
ということで、私が今、望んでいることは「働き方」の見直し、改善です。そのことが大事な取組みだと思っていますが、それらを見直す前に、変に「母性愛」を持ち出した議論の展開が進んでいる気がしてならず、ここは危惧しています。そして、結局は最も手を入れていかねばならない部分への取組みが遅れている感じがしています。もちろん、大きくは国レベルの課題かもしれません。
・・・・果たして「議員」という仕事はどうなんでしょう。自分自身でスケジュール管理ができる点では子育てには優しい働き方も可能な職業だとは思います。でも、「どういう活動をしたいのか」という自分の思いと「子育て」とを両立させることはそんなに簡単ではないというのが実感。
投稿者 hisaka [子育て・教育]
2006年04月20日
子ども基金
子どもが保育園に通うようになり、家庭教育通信「のびのび育つ子」が手元に届くようになりました。今回届いた通信には「子ども基金」のことが書いてありました。少子化対策に取組みたいけれど、財源がまわらない!という悩みを解決するための新たな手法というわけです。通信によると、すでに都内では立川市や世田谷区でも準備が進められていることが紹介されていましたが、住民からの寄附を募るという手法はこれからの自治体運営で大事なことだと考えています。
例えば、その他にもみどりを守るための基金や市民活動支援のための基金なども考えられると思います。でも、「子ども基金」というのは、未来に対する投資、子どもたちへの投資という意味で理解が得られやすいかもしれない・・・と感じます。
しかしながら、基金の運営で難しいのは、その使いみちをどう決定するのか?というところ。多摩市には、基金ではありませんが「公募型補助金制度」があります。この制度の導入により、意欲ある市民活動団体に補助金を交付する仕組みができましたが、補助金交付先団体を決定する過程に難しさがあることは確かです。本当に補助金交付を受けることが妥当な活動であるのかどうか・・・というのは、判断する人の価値観などで大きく左右される問題です。市民的な合意形成のあり方について考えさせられる仕組みです。これは基金の運営においても同じことが言えるのだと思っています。(みどりを守る基金があった場合にも、どこから優先的に緑地確保してくのかを決定するのが難しいのと同じですね。)
「子ども基金」については、他市の場合でも、子育て支援関係の市民活動団体などに対する助成で使われるようです。
でも、もし多摩市で 「子ども基金」を創設するなら・・・・個人的にはまず、小中学校の修繕費用の一部に使うことをしてもらいたいと思っています。
投稿者 hisaka [子育て・教育]
2005年11月11日
地域の努力で・・・・
12月議会の一般質問で「特別支援教育」をテーマにしたのですが、これについて急遽、都の担当者とのヒアリングをすることになりました。
結局、私が一番聞きたかったことは「予算措置」について。特別支援教育を進めていくためには、臨床心理士などの専門家を手厚く配置することが求められるわけですが、それに対し、東京都(または国)の方で予算確保の見込みがあるのかが最も気になるところです。もし、財源手当がないとすれば、国と都の示す崇高な方針の基づいて市町村で財源のやりくりしなければなりません。
しかしながら、東京都自身も「そのあたりはまだ確定はしていないし、とりあえずは予算のかからない範囲でできることを。」という方針にて進めようとしているらしく、「市町村の創意工夫で・・・・。」と説明を受けたのでした。市町村の「創意工夫」が求められることは喜ばしいことですが、財源が移譲されることなしに「創意工夫」といわれても、本当に困ります。結局は、教育委員会では一定の予算を確保したいと考えていても、予算調整権を持つのは市長です。市長が「そんなに教育ばかりにお金はかけられません。」という考え方であれば、それで終わり。教育については、とにかく「人」の確保がとても大事になってきますが、人材確保にはある程度の「お金」が準備されなければなりません。今のところ、特別支援教育については「人材確保」について、東京都内のモデル地域でも「学生ボランティア」が活躍しているようですが、臨床心理系、もしくは教職を目指している学生などとの連携が主軸になりそうな模様です。それについては不安の声も聞こえてきます。
今、国と地方とで財源移譲をめぐってやりとりがされていますが、それと同じような構図が東京都と市町村の間にも存在しています。東京都はオリンピックを招致するための準備体制をつくるために約5億円手当をするとか聞きました。そこには投資できて、どうして教育には・・・・と思ってしまいます。
1時間以上、都の担当者と話をしたのですが、結局、「すばらしい方針」を考えて、理想は掲げたとしても、それに対する予算がどうなっていくのか誰もわからない状況におかれていることがわかりました。そんな状況の中、多摩市がどうしていくのかが問われます。「教育のまち」にしていくのならば、都や国の方針はさておき・・・という姿勢が求められると感じています。
それにしても東京都から求められる「地域の努力」。何でもかんでもこの言葉で片付けられては困ります。それは、何でもかんでも「住民の自助努力」を求めるような市政運営についても同じことが言えそうです。
2005年11月04日
教育センターって?
12月の議会では「特別支援教育について」をテーマにした一般質問をする予定です。
そのために多摩市の障害児施策を調べたり、関係者にヒアリングをしたり、文献、特に「発達障害者支援法」のことを調査中です。まだ、他人にしっかりと説明できるほどにならないと、本当に理解しているとは言えないので、とりあえずあと1ヶ月間、じっくりと勉強したいと思っています。
そして、特別支援教育ということで、教育委員会つまりは教育長に対して質問することになるわけですが、実は私は「教育分野」に関する一般質問初めてなので、改めて多摩市の学校教育分野全般の取組みをおさらいしているところです。
その中でとっても気になったのが、「多摩市立教育センター」。いまいち発信が不足していて、何をしているのかが伝わってこない場所です。しかしながら、聞くところによると、教育相談などは比較的活発に行われているようで、相談員の数も10数名と揃っており、この数他市と比較しても多いようですし、体制としては整備されている模様です。また、不登校の児童・生徒のための教室、日本語指導、それから教職員の研修や教育に関する情報収集なども業務にしています。場所は学校跡地で恒久活用施設に位置付けられた旧中諏訪小学校のところです。
今までは何となく敷居が高く、行きづらい場所だったのですが、これを機会に来週中にでも足を運んでみたいと思います。「教育センター」というと、その名称、そしてイメージからも多摩市の学校教育の中核を担うような場所?色々と資料が揃っていたりするのかな?と思うわけですが、どのくらい活用されているのかも含めて、これは見に行かないと実際のところはわからないと言えそうです。
2005年10月21日
「子どもたちのために」
北諏訪小学校の創立30周年記念式典がありました。ちょうど私が転入した時、クラスメイたちが創立10周年記念の下敷きを使っていたのをよく覚えています。転入生の私は持っていなかったので、おそろいの下敷きがうらやましいなと思っていたからです。というわけで、私も多摩に住んでから20年を経過しようとしています。
式典は校長先生の話から始まり、市長、市議会議長など来賓の挨拶が続きました。校長先生や公立小学校長会の代表の先生の話はとても意義ある話でしたが、子どもたちの集中力を考えるとき、一時間ほどに渡って話を聞き続けるのは苦痛であり、「我慢くらべ大会」になっていたように感じました。学校で行われる式典のあり方も、もう少し他のプログラムを立てられないものか・・・と考えさせられました。もちろん、5・6年の出席していた生徒にとっては、この「苦痛」もいい思い出に残るのかもしれませんが・・・・。
私は来賓挨拶の中でもPTA代表の方のお話がとても印象に残りました。「子どもたちのために」をもう一度確認したいと言う強い思いが込められた話でした。今更ながらであり、言うまでもないことだけれど、「子どもたちのために」ということを確認しなければならないという気持ちは、大人社会の在り方を見直し、今一度考え直すことが必要ではないだろうか?という問題提起だったと感じました。式典の参加者それぞれが個々の思いの中、PTA代表の話に耳を澄ましていたと思いますが、私は「子どもたちのために」との決意を述べた話が会場にいた大人の心に深く響いていたように感じました。子どもたちは社会の中ではやっぱり「弱い」存在です。大人の判断と行動が子どもたちを取り巻く状況を変化させていくのです。私も「子どもたちのために」という言葉を心に重く受けとめた次第です。
さて、式典の参加者には懐かしい先生方もいらっしゃり、かつて、担任をしてくれたことのある先生もいましたが、聞くところによると、式典や記念パーティの参加者呼びかけを広範囲にはできなかったとか。ここには郵送料との兼ね合いがあったようです。学校予算が本当に厳しくて、「切手代」、切手一枚にもピリピリしてしまうほどなんだとか・・・・。今、学校は切手に限らずですが、必要な物品を購入することもままならない相当厳しい状況がある実態です。
行財政改革はもちろん必要なことだと思います。しかし、「どこに無駄があるのか」を見極めないままに、これ以上の学校予算を削るのは、先生たちの職場環境にますますの余裕を消失させることにもつながるでしょう。ひいては子どもたちの教育環境までもがセコセコなっていくことは何としても阻止したいものです。ただ闇雲に、予算額を一律カットするだけでは新たなものを生み出すどころか、逆効果にさえなっているのではないかと感じてしまいます。
2005年10月07日
学校給食はやっぱりビンで
今年度から学校給食の牛乳は紙パックに変更しています。その大きな理由としては供給業者の営業戦略です。それは消費者意識にも支えられているわけですが、いまどきビン牛乳は流行らないし、紙パックの方が手軽なのでしょう。スーパーやコンビニの店頭でもビン牛乳を見かけることがほとんどなくなりました。
東京都からビンから紙パックの変更の方針が示された昨年の夏頃から、生活者ネットワークではいち早くビン牛乳を継続して欲しいと要望を続けてきました。一番には「環境」という理由があります。リターナブルビンを普及したいと考えている立場からは、学校給食において子どもたちにビンを使用してもらうことによる教育的効果も少しは見こんでいます。
子どもたちの生活全体を眺めてみると、まだまだ「使い捨て社会」です。学校給食だけでは効果がないと言う声もありますが、それでも「ビン牛乳」によりちょっとは意識を持つきっかけくらいにはなりそうだと感じます。もちろんそれには「ビン牛乳」を教材とした環境学習が必要とは考えますが・・・。
さて、学校給食の牛乳については、200mlという規格やその購入方法などにおき東京都主導で行われています。簡単に言えば、そこで都に従って行動をしている限りにおいては、金銭的な補助継続されることになります。つまり、市の負担を減らしひいては保護者負担も軽減することができるというわけです。
そこで今回の場合にも東京都から「紙パック」の指令に沿って、多摩市でも紙パックに切り替えました。しかし、自治体によっては独自行動をとっているところもあります。国立市、小平市ではビン牛乳の継続を決定し、ビン牛乳供給業者と独自契約を結ぶこととしました。東京都が指定するブロック制(いくつかの自治体でまとまって供給業者と契約をする)から脱退しているのです。
「紙パックでもいいのか、それともビン牛乳の方がいいのか。」ここには教育長、そして財政権限を持つ首長の考え方が反映されている格好です。独自契約を締結するリスクというのは、言うまでもなく、自治体の自己負担が増えるかもしれないという「金銭的」な問題ですが、そのリスクの捉え方(ビン使用への評価)により自治体それぞれの行動が決まってくるのでしょう。
そしてお隣の日野市では早ければ来年4月から市単独の負担、保護者負担もなく「ビン牛乳」に戻すことが決まりそうです。市の負担や保護者負担が増えないよう、ビン牛乳の供給事業者を探すとともに価格の交渉にもかなりの労を要した模様でした。負担が増えるとのなればビン牛乳へ戻すことが厳しかったかもしれません。
今日はその報告会を聞いてきたのですが、結局は行き着くところは「担当者の力」という話になっていました。担当者のごみ減量や環境に対する意識があってこそ、「ビン牛乳」への理解が進み、今回の結果につながったというのです。いずれにしても日野市のごみ問題に対する意識は高く、市長も上げてごみ減量に取り組んできた経緯もあります。その中で担当者の意識も「ごみの減量」「資源循環型社会」にきちんと向いていたことと思われます。もちろん市民の動きも上手いかたちでリンクしていたと考えられます。
多摩市も来年の7月からごみの有料化によるごみ減量化を図ろうとしていますし、資源循環型社会を目指すとしています。それが市長、そして教育長などの考えに沿っているのであれば、給食の「紙パック牛乳」だってきっと何とかしてくれると期待しています。「紙だってリサイクルできるからいい」その考えでは不十分なことは確かです。
2005年09月05日
官から民へ
昨日、多摩市学童クラブ連絡協議会の運営委員会があり、初めて会議の場に参加をさせてもらいました。この会議は、多摩市の全学童クラブの保護者会(っていうのだろうか?)の役員が集まり、意見交換や情報交換をする場です。多摩市の学童クラブのあり方を今後どのように考えていくのか、私も将来的には利用することになるはずなので、当事者の声を聞いてみたいと参加した理由です。
そのこともあって、今日の一般質問では「学童クラブの民営化」に関するやりとりがあり興味深く聞いていました。多摩市では学童クラブの民営化については「一つの手法」として検討しているようですが、私も必ずしも民営化することが悪いとは言えないと考えています。「官から民へ」という流れは国でも、そして自治体でも進められているのですが、これを一概に否定することはできず、民に委ねていくことの方がいい場合もあると考えられます。ただ、そのとき、民でどんな受け皿があるのかを十分にリサーチしなければならないでしょう。
「公立を民間に」という場合、例えば公立保育園を民間化しようとすると、ものすごい反対運動が起こります。それは今、公立保育園を中心に保育所を設置してきた自治体の状況をみればよくわかります。でも、多摩市の場合には公立保育園ではなく民間が保育行政を牽引してきた経緯もあり、「民営化されると保育の質が低下する。」という反対理由は通用しないと思います。私が反対運動の話を耳にするたびに「公立が質が良くて民間が質が悪い。」と最初から決めつけてしまってはいないかと感じます。もちろん「公立」であるだけで安心感は持てるのかもしれませんが、じゃあ、その内容が民間よりも優れているのかと言えば、自信を持って「公立のほうが民間よりも素晴らしい。」という風には言えないはずです。「公立」も「民間」も利用していてはじめて比較検討ができるはずなのに、「民間」と言うだけで、「質の低下が心配」とレッテルを貼ることは民間に対して失礼なこととも言うことが出来ます。私は公立保育園の民営化で住民運動をしている人たちには、多摩市の保育園を見てもらいたいなと思うこともあります。
多摩市の状況を知っているからかもしれませんが、私は公立もあっていいし、民間もあっていいと思っています。(そういう点では公立幼稚園の廃止問題でもかなりその結論を出すために悩みました。)
昨日の会議でも意見を求められたので、私自身は「必ずしも民営化が悪いとは言えない。」と意見を述べました。大事なことは民間に任せていこうという話が持ち上がった時、学童クラブの質を確保していくために行政がどのような役割を果たそうとしているのか、何ができるのか等、どのような話合いができるのかということです。鼻から「公立で無ければダメ。」と決めつけてしまっては、議論の余地はありません。子どもたちのために一体なにがいいのかをきちんと話し合い解決の道筋をつけていくべきだと考えています。私がそのような趣旨の意見を述べたところ、参加していた方からは「必ずしも民間がだめとは言えないだろう。」という意見もあり、そして「とはいっても、『公』が果たしてきた役割をちゃんと見据えるべき。」という意見が出されました。私も行政がそこに果たしてきた役割をきちんと総括し、その上で今後も公立ですすめるべきなのか、民間に委ねていくべきなのか、多摩市の方向性を決めるのが望ましいと考えています。もちろん当事者の声を聞くのは当然のことです。
その点では、「一つの選択肢として考えている」という今日の行政の答弁に今のところは納得できるものでした。
このことは「できるかぎり民間で」という「官から民へ」の流れが潮流になりつつあるさまざまな分野でもいえることだと思います。「なぜ、公立であるのか」という点を整理した上で、次のステップに進む必要があるでしょう。ただ、今は、その議論が不足していて、お金がないからどんどん規制緩和、民間に任せていくという感じがしています。だからこそ不安が倍増するわけです。
今日の質問は質問者が「公立ありき」の視点だったので、なかなか生産性のある議論にはなりにくく残念でした。それにしても、学校教育のあり方など教育分野に比べて、学童クラブなどの子どもに関する問題に対する発言は少ないのが現実です。それは議員の中に当事者がいないからだと思っています。そのことを考えると、議員にももう少し多様性が欲しいところです。今の議会は議員の年代に偏りがあると感じています。
2005年08月22日
ブックナビ
先般、教育委員会が「ブックナビ」を公表しました。小中学生の読書に役立ててもらうために作成されたものです。この内容はなかなか優れていて、市長や教育長の「私の1冊」という推薦図書、そして市内31の小中学校の図書館司書と校長から、それぞれお勧めの本を1冊ずつ選び出し、推薦文とともに紹介したものがまとめられた冊子です。ちょうど、今の時期は夏休み。読書感想文の宿題がある小中学生には、本選びの際にはぜひとも参考にしてもらいたい冊子です。目を通すだけでもなかなか面白いですし、それぞれの司書、校長先生の視点もわかります。
ところで市長と教育長のオススメの本は・・・
市長は「若いあなたへ!」千葉敦子作(中学生向き)
教育長は「モモ」ミヒャエル・エンデ作(高学年向き)
選書とは、選んだ人の感性が表われるものです。「なるほど、市長が選びそうな本だ・・・・」と納得したのですが、教育長には意外な感じでした。「モモ」はファンタジーな世界から、せせこましく生きている今の時代に鮮やかにメッセージを伝えてくれる物語。映画化もされましたし、エンデの代表作でよく知られている1冊でもあります。
私も初めて「モモ」を読んだのは小学生ぐらいでしたが、数年前、就職してから読んだときの方が感動も大きかった記憶があります。この物語は本当に奥が深くて、むしろ大人にも読んでもらいたい本ではないかと思います。大人が頭を冷やすにもぴったりの一冊だとも言えるでしょう。
それにしても教育長が「モモ」を選んだ理由をいつか聞いてみたいなと思いました。それから、せっかくの「ブックナビ」ですが、ホームページなどでも紹介してもらいたいですね。PRがいまいち不足しているようにも感じています。
2005年08月19日
「つくる会」教科書は不採択
教育委員会で来春から使用される中学校の教科書の採択がありました。もちろん注目されているのは「つくる会」の歴史・公民教科書。出版は扶桑社です。ちょうど、昨日の朝日新聞では「つくる会」教科書の採択率が1%前後になりそうという調査結果が掲載されていましたが、東京都立のろう・養護学校や、東京都立中高一貫校、そして先日は東京都杉並区も「つくる会」の教科書を採択するという状況があり、多摩市教育委員会でどのような結果が出るのかにも関心が高まっていました。
今日の採択にあわせて、「中学校の教科書採択についての請願」が提出されていました。今日までに1583人の署名が集められていました。「つくる会」の教科書内容の問題点を指摘し、教科書としてふさわしくないことを述べ、そして「採択すべきではない」という趣旨の請願でした。これについては国の教科書検定を通過していることを考えると、教科書の不備や問題点をいまさら多摩市教育委員会として論ずる必要もなく、「請願としては不採択にするべき」という意見が出され、教育委員全員の挙手にて不採択になりました。この時には一瞬、傍聴者からため息がもれました。
ちなみに、今日の傍聴者は抽選でした。実際には傍聴定員は10名なので、抽選に外れた人は別室で音声中継に耳を澄ましました。傍聴者は約60名ほどはいたと思います。私も別室で音声を聞きながら、会議の行方を見守っていました。採決の方法は無記名投票でした。挙手だと市民に対しても不明確な感じがあるので、投票が望ましいだろうという説明でしたが、市民的に考えた時には記名投票にしてもらいたいという声があがっていました。「つくる会」教科書を選ぶ人がいたら、それはどの人なのかを知りたいと考えるからでしょう。
さて、私は教科書が採択される現場に触れるのが初めての経験でしたが、学校で使用する教科書が教育委員会でこんなかたちで議論されていたんだと驚きました。例えば、今日は国語教科書から順番に選定が行われていくわけですが、本論と資料とのバランス、現場での使いやすさ、挿絵の効果、読み物の質がどうなのかなどなどさまざまな観点から全出版社の教科書を比較して分析をしながら選ばれるのです。相当な見識が必要だと感じました。資料が多すぎると、その資料をどのように先生が使いこなせるのかという点で、先生の力量にばらつきがあると困るだろうという意見があれば、先生の力量が試されるとなればそれぞれに工夫が講じられていき、結果授業水準が向上するだろうという意見が出されるなど、思ったよりも活気ある議論だったようにも感じました。歴史、公民分野とも「つくる会」の教科書を採択した人は一人もいませんでした。
肝心の歴史、公民分野の教科書ですが、結局は歴史分野は東京書籍、公民分野も東京書籍が選ばれました。「つくる会」の教科書については「読み物的」という意見が出ました。特に私自身は「この教科書については、もっと多面的に物事を捉えられるようになってから読むべきものだろう。かなり主張が強く、「読み物」としては興味深いのかもしれませんが・・・。」という見解に同感でした。
ところで、公民分野の教科書を選ぶ際(こちらも、あっさりと「東京書籍」に決定しましたが)、教育長から「公民分野の教科書としては経済分野よりも政治分野から入ることが望ましい」という意見が出されました。「民主政治、憲法から勉強をして、政治参加の意欲を高めていくようなことが必要」という認識をお持ちのようでした。議会においてはめったに聞くことのできない教育長の積極的な発言には驚きました。
でも、今日の話でも出ていましたが、中学校、高校にも通じて言えることですが、「近現代の歴史が薄い」のが現状で、ここは学校の課題です。教科書全般についても「近代以降もしっかりと記述して欲しい。」という意見が出ていました。現在のことはわからないものの、私にとって「歴史の授業」というのは「ひたすら年号を覚える」に終始していた記憶があります。「歴史を学ぶ意味」を全く理解もせず、受験のために、テストのために勉強をする傾向が強かったなあと・・・。これもまた問題ですね。
2005年06月01日
教育効果はどうなるの?
先月末から「多摩市立学校の一定規模及び適正配置等に関する審議会」によるパブリックコメントの募集が始まっています。この審議会のについて市公式ホームページによると「市では、多摩市立小・中学校における望ましい教育環境を整備し、充実した学校教育の実現を図るため、教育委員会の附属機関として」設置するとなっています。少子化によって、特にニュータウン地域では空き教室が目立っています。これまでには多摩市学区調査研究協議会による議論の積み重ねにおいて、通学区域の見直しも含めた学校の統廃合が行われてきました。全体としては少子化とそれに伴う児童減少に歯止めがきかないという問題がありながらも、いわゆる既存区域では大型マンション建設などにより児童数に伸長が見られ、教室不足さえ予測されていること、さらには多摩センター周辺の旧公団の所有地にも超大型のマンションが建設されつつあり、ここでも学校問題が新たな課題になりつつあり、「学校」をどうするかが非常に深刻な問題として浮上しています。学校数的に見れば余り気味にも関わらず、一つ一つの学校に着目をすれば「教室が足りなくなる・…」と悲鳴をあげそうなところもあり、アンバランスに配置されている既存の学校施設を活用しながら何とか問題解決を図ろうというわけです。
一方では財政難ということも大きく関わっており、小規模校であっても同じだけ投入される施設の維持管理経費の整理も課題のひとつにはなっているようです。
今日は、この最終答申案について教育委員会より説明を受け、意見交換をしたのですが、結局は「小規模校は望ましくない」とする説明に会派として「なるほど」と思える納得できる理由がなく、この答申を踏まえて上で教育委員会が何らかの方針を確定していくとは言え、現段階では歩み寄るのが難しそうだと感じています。
例えば小規模校であれば、単学級のところが多くクラス替えできないという悩みがあるようで、いじめにあった子どもはつらい思いを味わうことになるというのですが、しからばクラス替えすればそれが解消されるのか?と疑問で、小規模校のほうが不登校の生徒数が多いと決めつけることはできません。そのようなデータがあれば、納得できるのかもしれません。また、今はどちらかというと肌細やかな対応が求められるなかでは小規模校を一概に否定できるものではありません。
私自身は大規模校にも小規模校にもそれぞれに良さがあるわけで、全ての学校をほぼ同じ規格にあてはめていく「一定規模」という考え方に少々疑問です。なぜなら今は「選択」できる時代です。多様な選択肢があっていいと考えるからです。先に「規格」と書いたように、画一的、統一的にしていこうとする考え方そのものに賛同し難いのです。大規模なところがいいと考える人もいれば、小規模がいいと思う人もいるわけです。両方兼ね備えているほうが豊かであると考えます。
もちろん、さまざまな考え方があって当然です。最終的には世論を受け、市民のみなさんの意向を受け入れながら決定されることです。今、というよりも昔からだと思いますが、なによりも「教育」は大事です。「教育」なくして未来を創ることはできません。そういう意味でもぜひとも審議会の最終答申案についてのご意見を多くの人に寄せてもらいたいと感じています。
☆多摩市立学校の一定規模及び適正配置等に関する審議会
http://www.city.tama.tokyo.jp/machi/keikaku/ittei_shin.htm
2005年05月11日
北諏訪小学校の学校公開
1学期の学校公開が始まりました。明日は学校選択についての説明会が開催される予定です。学校公開の時も授業参観の時と同じく「よそいき」の雰囲気なのかもしれません。議会でも傍聴者がいるのといないのとでは緊張感が少々異なり、議場の雰囲気もちょっとは変わるので、きっと学校公開の時には普段どおりのつもりだろうなとは感じます。
ところで学校公開は保護者だけではなく地域住民にも学校の授業を公開しているわけで、これは「地域に開かれた学校」の実践として行われていることだと思います。しかしながら、もっと積極的に地域の人が関わっていくような、参加していくような流れが欲しいところです。今、コミュニティスクール構想なども全国で試みが進められようとしていますが、特に東京では三鷹市立第四小学校の取組みは有名です。地域との連携で子どもたちへの教育効果を向上させるような取組みを多摩市でもまずは1校からでも進めていけないものかと考えます。学校はとかく校長先生の権限が強く、斬新な取組みをするには校長先生の考え次第という面が大きいようです。
それにしても今日は学校公開の初日だったこともあるかもしれませんが、参観に来ている保護者はまばらで、高学年になればなるほど参観者が減っているなと思いました。これも保護者が働いているという状況を表しているのだと考えます。そのとおり、今、ここの地区では学童クラブが満員状況で小学校から一番近い諏訪の学童クラブは定員オーバー。希望の学童クラブに入所できない子どもが存在している状況なのです。
これについても今、各自治体では「全児童対策」ということで子どもたちの放課後対策に取り組むところが増えつつあります。例えば世田谷区の取組みは先駆的だと言われています。これも多摩市で取りいれていくことで、学童クラブの定員オーバー状況などの問題も解消できるのではないかと思っています。ただ、ここについても学校を使用するとの点で校長先生の考え方が大きく関わると言えます。
どちらかというと「失敗を恐れる」傾向の強い校長先生たちが新たな取り組みをしやすい環境や条件整備が求められているなと感じています。
2005年05月05日
こどもの日と児童館
多摩センターでの「こども祭り」は天候に恵まれて本当によかったと思います。しかし「こども祭り」とは言うものの、行政の窓口は多摩センター活性化推進室。残念なことは、多摩市の「こども青少年部」の関わりが薄いところです。
今日はたま広報の一面が『子育てサポート情報』になっていて、限られている紙面にも関わらず、結構コンパクトにまとめられてわかりやすいなあと感じました。せっかくの「こども祭り」…ということで、選挙管理委員会のブースが設けられているのと同様に多摩市の「子育て情報コーナー」とかあってもいいなと思いました。情報提供をどうやってすすめていけばいいのかは悩ましい課題のひとつなので、ぜひともこういう場所でもPRをしてみるのが一つの方法だと感じます。
「こども祭り」なのでこどもに関連する活動をしている地域の市民団体のコーナーがあり、多くの子どもたちでにぎわっていたのですが、こういう場所で多摩市の児童館が蓄積しているノウハウ(児童館の方はいろんな遊びを知っています。)を活かせるような仕掛けもあったらなと思いました。
ところでインターネットで検索してみると、「こどもの日」に開館している児童館もあるようです。多摩市の場合には休館していますが、私は学校の開いていない日曜日や祝日など、実は学校が休みの時の児童館の役割がもう少し注目されてもいいのではないかと感じています。もちろん、全部の児童館を開館する必要性については検討課題だと思いますが、カレンダーどおりの休日で児童館すべて閉まっている状況は考えなおしても良さそうです。広報の見出しになっていたように「地域のみんなで子育て・子育ち」するための拠点として児童館が持っている可能性をもう少し広げるためには休日開館が必要ではないかと感じています。
お隣の町田市には昨年4月1日に日本で初めてのNPO法人が児童館の運営が認定された「玉川学園子どもクラブ ころころ児童館 」があると聞いているので、一度足を運びたいと考えています。地域にも児童館が欲しいとの願い(町田市にはもともと児童館と言うものが存在せず、ようやく設置されたのが「ばあん」。「ばあん」は子ども委員会よる運営など、「こども参加」の点でも有名な町田市の唯一の児童館的施設)から、地域住民らの10年に渡る活動から誕生したのが玉川学園にある施設のようです。行政と市民と子どもたち三者のパートナーシップによって完成したと聞いています。ちなみにここはホームページによると日曜日や祝日など開いていないようで残念。とはいうものの、NPOが運営しているという点では参考になる話が聞けるのではないかと考えています。
それにしてもふと思ったことですが、「敬老の日」と言うと、行政も敬老の日にちなんだイベントなど派手に行なっている(行なってきた)という印象があるのですが、それに比べると「こどもの日」は寂しい感じがするのです。
2005年04月29日
アトピーと喘息
2週間前に子どものアトピーが発覚しましたが、その後経過を見せに再び新横浜の診療所に足を運びました。数日前から保育所を欠席していたのですが、今日は何とか体調が少しは回復したので予定どおり診察を受けましたが、「アトピーの方は気管支が弱いですからね。喘息持ちのことが多いですよ。こちらとも上手につきあって下さいね。」と言われたのでした。
アトピーと喘息ともに「上手におつきあいしていく。」方法ということですが、やはり1番目は食生活が大事なようです。特にアトピーのことでは、2週間前から授乳している私にも食事制限があります。すっかりと健康的な食事ですが、要は昔の日本人の食事をしてくださいと指導を受けています。
というわけで、ますますコンビニとは無縁の生活になりそうです。コンビニといえば、私のお気に入りは「フレッシュベーカリー」というようなかたちで各コンビニオリジナルでのパンの販売でしたが、これも自粛。季節ごとに販売される種類がさまざまで陳列棚を見るのも楽しみだったのですが・…。ちなみに私は懐かしさのあるピーナツクリームが挟んであるコッペパン好きなんですが、アトピーに最もよろしくないのは「コーヒー、チョコレート、ナッツ類」なんだそうで、もちろん、こちらも当分の間お預けです。
最近「食育」が大事だといわれています。「食」は生きるための基本なので、「食育」が大切だと言うのは当たり前のことです。むしろこれまであまり強調されてこなかったとすれば、そちらのほうが問題だと思っていますが…。
それはさておき「食育」と言っても、その内容はものすごく範囲も広いですし、どんな内容の「食育」を学校教育の中で取り入れていくのか注目したいなと思っているのですが、そもそも現代の日本の「食文化」を考えて見たとき、大人たちがよほどの理解と協力をして、社会全体のライフスタイル的なものまで見直す勢いがなければ、きっと子どもたちへの「食育」の効果が表われないように感じます。学校教育だけで何とかなる問題ではないからです。
「食べる」をどう大事にするのかが実は大人たちに問われていて、そこの議論抜きで「食育」だけを進めても思うようにいくはずがないと考えています。子どもたちの学校給食、このあり方も大人たちの考え方が反映されるのだろうなと思います。
2005年04月23日
「つくる会」の教科書
今年の8月までに、全国一斉に中学校の教科書の採択が行なわれるということで、新聞でも教科書問題が取り上げられています。いわゆる「つくる会」の教科書が検定を通過したため、中学校で使用できる教科書の一つとして選択肢に加わったからです。
今日はほぼ終了時間間近でしたが、とにかく資料だけでも手に入れたいと思い多摩市の教科書問題を考える市民の会が主催した集会に参加しました。
さて、いただいた資料の中で今月18日のニューヨークタイムズ掲載の記事が紹介されていました。それによると中国、韓国、日本の歴史教科書が政府の検定を経ていることにつき『・・・なぜ政府が検定するかといえば、この歴史教科書を通じて生徒に国民性を植えつけるのである。かくして各国とも現政権者に都合のよい歴史の見方が生徒に植えつけられることになる。』もちろんアメリカには教科書を政府がチェックすることはあり得ないので、この仕組みそのものに理解し難いわけです。教科書検定は「計算方法とか漢字など教えもれがないようにする」という点からは必要性を語れるわけですが、しかし歴史の問題ともなると執筆者個々人の歴史観が大きく関わってきます。そこでこの指摘は全くをもって今の日本の状況を言い当てているわけです。
多摩市ではすでに教科書選定に関わる事務取扱い要綱も制定されています。それによると教科書選定協議会では多摩市民代表として2名が加わるようですが一人は学識経験者、もう一人は中学校PTA代表と決まっています。またこの協議会の下部組織として教科ごとに教科書調査委員会」も設置できるようです。つまり、この調査委員会が重要な鍵を握っているのです。一体どこの出版社の教科書を「多摩市の教育費相応しい」とするのでしょうか?
結局のところ、調査委員会には市民が参加できる道が準備されておらず、各中学校から推薦された教員と協議会メンバーの中学校校長により構成されてしまいます。そこで教科書問題を考える会でも教育委員会や調査委員会、協議会に働きかけをしていく予定になっています。当然ながら、議員が関わるのも難しい問題です。市民の方々の働きかけを見ながら、教育委員会で最終的にどのような選択が行なわれていくのかじっと見つめていたいと思います。例えば、調査委員会や協議会などが市民に公開されるでしょうか?選定過程を市民の眼からクローズする必要はなく、むしろ積極的に公開をし、また意見交換までできたら素晴らしいと思います。
いずれにしても私自身も多摩市において「つくる会」の教科書の内容がどのように吟味されていくのか、できることなら議論の場を傍聴したいと考えているところです。
2005年02月19日
ファミリーサポートセンターの説明会
ファミリーサポートセンターの説明会に行きました。天候が悪く寒いにも関わらず、20名ほどの参加者がありました。ファミリーサポートセンターは地域で子育てを支えあうための仕組みです。手伝ってもらいたい人は利用会員として登録、手伝うことをしてもいいと考える人は提供会員として登録します。今日の説明会では利用したいと考えている人がほとんどでしたが、中でも4月の子どもの保育園入所にあわせて仕事に復帰しようと考えている人などが多そうでした。
ファミリーサポートセンターのニーズは増えているとのことです。地域貢献をしたいと考える人の存在が支えるのがファミリーサポートセンターの仕組みと言えます。利用したい人がいても、サービスを提供する地域の人がいなければ成立しないからです。現在は提供会員と利用会員はほぼ同数くらいであり、増加するニーズにも対応できている状況です。地域を支える力が表れてくる制度のひとつとも考えられます。
さて都内のほとんどの自治体が社会福祉協議会に任せているのとは異なり、多摩市の場合にはNPO法人に事業委託しています。このNPO法人は多摩市で子育て支援NPOとして実績を持っています。「地域での子育て支援」を目的に掲げ、自主的に活動を展開してきたNPOがその実績を買われ、ファミリーサポートセンターの運営を行うメリットは大きいように感じます。当然ながら今日の説明会も行政ではなく、運営委託されているNPO法人によって開催されました。いわゆる役人的な「お堅い」雰囲気ではなく、親しみやすい雰囲気の説明会でした。何しろ説明会に来ればサービスを担っている地域の人に出会うことができます。事業を動かしている地域の人の顔が見れることの安心感は大きいです。市民事業により展開されるサービスの良さが感じられる説明会でした。
2005年02月04日
子育てするなら「多摩市」で
子どもの健診先の病院の待合室で「子どもの医療費が本当に馬鹿にならない」と話している人がいました。
乳幼児の医療費について多摩市では3歳児まで所得に関わらず無料です。来年度はこれを一年延ばし4歳児までにすることが予定されています。都内では小学生までに枠を拡大するなど、子育て世代を‘まち’に呼びこむ作戦の一つとしてサービスを広げているところもあります。これは助かる話ですが、病院に行かない方がもっと助かるわけで、結局は子どもの健康管理などをきちんと考える方が大切なことだと感じます。
これには住環境もとても重要なポイントです。子どもにやさしい環境があるところでの「子育て」はとても魅力的だと思います。その点からすると、多摩市はほどよく都会でみどりも多く、子育てにとっては十分に最適な環境を有していると考えます。ただベビーカーを押すことを考えると坂道が多いことは難点に入るのかもしれませんが、それでも望ましい環境があると思っています。
さて、少子化に国全体で力を入れ始めた最近は、子育て世代を呼びこむ自治体サービスの独自色を出しにくくなっているように感じます。でも、多摩市の場合には自然環境だけではなく、特に保育所行政分野では充実しています。この充実ぶりは他市に住んでいる友人に羨ましがられます。最近の民活導入の流れにより、他の自治体では公立保育所の民営化問題で保護者が翻弄されているという話を聞いています。多摩市の場合にはもともと民間保育所が努力を重ねてきて、保育所行政を引っ張ってきた歴史があります。公立保育所を中心に保育所行政を展開している自治体とは違って、民間保育所に対しての信頼度は十分です。「公立が安心」というような考え方とは無関係といえます。これはとてもありがたい環境です。
子育て世代は当たり前のようにインターネットを使って情報収集すると思います。「子育てするなら多摩市で」をもっと全面的に打ち出したホームページにするといいなあとつくづく感じています。ここにいるだけではわからないものの、他地域の人からの評判を聞くと多摩市はかなりレベルが高いといえるようです。
2005年01月21日
父親の育児休暇のすすめ
内閣府男女共同参画局が発行しているメールマガジンで、調整官(これは役職名のよう)をしている方が「親父のための育児休業!!」として、自身が育児休業を取得した経験を綴っていました。「なんでも内閣府では3人目、管理職では初めてだそう」ということです。男女共同参画を進めている部局でさえ、父親の育児休業にはまだまだ積極的とは言えない状況のようです。そのとおり今回の経験についても、「今回の育休は、天の利(時代の趨勢)、地の利(仕事の状況)に加え、人の利が合わさって、初めて取得できたものと思っています。」と上司と同僚に感謝の言葉で締めくくられています。周囲の人的環境が鍵を握っていると言うことと思いますが、その上、彼の立場が管理職であったことの意義は大きいと考えます。
「この文章を読んで、一人でも多くのお父さんが、育休に関心を持ってもらえれば本望です。」としているとおり、男性の育児休業について、まだ今は「関心」を呼び起こす段階で、関心はあっても実際に行動へと変えていくためには、天の利、地の利、人の利含めた環境づくりへのハードルが高いということがわかります。制度が出来たとしても、やはりそれを運用する「人」の問題が課題といえるでしょう。意識変化には多大な時間を要します。
正直、まだまだ父親の育児休暇については消極的な人も多く、かつての生活者ネットワークの政策であった「父親の育児休暇を義務づけする。パパクオーター制度」についてもなかなか理解を得られない状況です。メールマガジンでは次のような感想がありました。
「確かに育児は妻一人でもできないわけではありません。事実、私の上の世代は、ほとんどの人がそうしてきたのでしょう。しかし、育休の間に得た思い出は何物にも代えられないものだと思います。それは、家族が家族であることの意味であり、自分が家族の一員であることを再確認するというとてもかけがえのない時間です。敢えて言えば、育休は妻のためではなく「お父さんが自分のために取れる」休暇です。仕事は待ってくれませんし、それぞれ職場での立場も難しいものがあるかもしれません。 しかし、取れるのであれば是非、お父さんには育休を取ってほしいと思います。仕事はせいぜい30年~40年ですが、家族は死ぬまで家族です。育休は生涯にわたっての財産をもたらしてくれるものと思います。」
この「敢えて言えば、育休は妻のためではなく「お父さんが自分のために取れる」休暇」…これが貴重な体験を通じての実感なのだと思います。おそらく体験した人にしかわからないことでしょう。体験できたこと自体が本当に稀なラッキーなチャンスだったとも言えますが、だからこそ、この体験がこれからの男女平等施策へとつながるのではないかと思いますし、つなげてほしいと願います。
女性の立場向上という視点が強調されながら進められてきたのが男女平等施策でしたが、少し発想を変えて男女平等施策を捉えてみると、風潮的に広がっている女性施策へのバッシングももう少し緩和されるのではないかと思います。「男女平等条例」は女性のためでなく、男性のためにも制定する必要があるという気運が高まる必要があります。そのことを語ることができる男性の存在が求められていることを感じます。
多摩市でもまだまだ育児休業取得の経験がある男性はごく少数に留まります。休暇の取得を強制することには賛成ではありませんが、しかし休暇の取得を促すような職場の雰囲気をつくっていくことで、状況は変化していくのだと思います。「性別役割分業」をあまり意識してこなかった私と同世代の女性も就職活動や就職を通じ、そのことを強く感じさせられたとの感想を聞きますが、これは男性にとっても同じだと思います。私たち世代が受けてきた教育からすれば、男性も育児休業を当たり前のように取得できる状況がないことの方が不思議です。
異なる時代背景の中で生きてきた上司の‘力’は大きいのだと思います。例えば、子どもが生まれることがわかった時点で父親の育児休業を取りたいかどうかの調査をし、取得を望む人がいるのならば、取得時期に向けた職場の体制づくりをしていくことができるはずです。女性で育児休業を取得し、職場復帰した時に仕事がなかった…という話はよくあることですが、そうしないためにはやはり管理職のさい配が問われるのだと思います。
このメールマガジンを書いた調整官も一ヶ月間の取得です。一ヶ月なんて短いと言う人もいるかもしれませんが、私自身はこの一ヶ月でさえもとても大きな意味を持つ時間だと思います。「一ヶ月」からの父親の育児休業を積極的に進めて欲しいと考えます。
ちなみに調整官の書いた文章について、「本稿中,意見にわたる部分については筆者の個人的意見であって,男女共同参画局の見解を表明したものではございません。」という但書き…これが現在の状況を物語っているのだと思います。
⇒リンクページへ(推奨)
http://www.gender.go.jp/magazine/backnumber0080.html
※関連資料もリンクページからどうぞ。
⇒男女共同参画局ホームページTOPへ
http://www.gender.go.jp/
2004年09月28日
「第二の実家に」
7月末にオープンした子ども家庭支援センターの見学に行き、担当者の方にお話を伺いました。
今まで、東永山小学校の跡地施設の一画には子育て広場がありました。このスペースのところも含め、新たに相談室やフリーで楽しめる交流スペースを設置。大好評を得ています。
元の子育て広場のスペースはは「団体活動室」として、子育て支援を実施している市民活動グループがミーティングなどでも活用することができ、今日も一団体が利用していました。
この部屋はレイアウトや設備含めて、使用している団体がくつろぎ空間を演出しています。現在でも引き続き、4つの市民グループが月に二回ずつほど、子育てひろば事業を行い、それぞれの団体の特徴を生かしながら、子育て支援活動をしています。ベビーマッサージを指導してくれる時もあるようなので、私も近々参加してみようと思っています。これまでは見学者にしかなれなかったわけですが、当事者として実際に現場に参加できるので楽しみです。
交流スペースには朝10時のオープンに合わせて親子がチラホラと集まってきました。ここには保育士が常時一名配置され、親同士の交流をコーディネートしたり、子どもを遊ばせながら親もくつろいだ状態で子育ての悩み相談を受けつけたり、また子どもの様子を見ながら、子育ち状況を把握し、親に助言をしていくなどなど・・・一見はフリースペースで、自由な親子のたまり場とも言えますが、そこは子育て支援にとって非常に意義ある場所です。
特に子育てで行き詰まりを感じていそうな親のケア、そして子どもへのケアの面では、まだ開設から二ヶ月たっていませんが効果をあげています。交流スペースの利用者からは、子育て感じていた息苦しさから少し解放されて、心が楽になったとの感謝の声も聞かれるのだそうです。まずはこの場所へ来た親子とスタッフとの信頼関係づくりが大切で、そこをきめ細やかな対応により積み重ねることを心がけているようです。
子どもに関する相談の幅は広く且つ深く重い中味であることもしばしば。なぜなら、乳幼児に関することだけではないからです。対象する‘子ども’とは0歳から18歳までです。そこで、市内の小中学校との連携も図っているところです。既に、小中学生についても数件の相談が寄せられ、スタッフ一丸となって解決策を見出してきました。学校や児童相談所、時には医療施設等地域の各組織との連携を図りながら、子どもたちやその家庭の見守りネットワークをつくり、その要としての役割を果たしています。
現代社会が抱えている家族、家庭問題の解決について、一つ一つの事例をめぐってケース会議を開催し、ケアプログラムを考えるのだそうです。一件一件を真剣に取扱うため、要する時間は莫大です。しかしながら、スタッフは6名。人手が足りない・・・のではないかと、こちらが心配になるほどにフル回転の状況が目に浮かびます。
とりわけ市の正職員は係長含めた3名のみ。時間のかかる相談も受けつつ、事務作業もこなすという、毎日つついっぱいで仕事をしている様子でした。
まだスタートして間もなく、産前産後支援ヘルパー派遣事業、ふれあいサポーター派遣事業の実施も行っていますが、軌道に乗るまでにはあと一歩。もう少々時間がかかりそうです。しかしながら、「育児のパートナー」としてこの施設が果たす役割はこれからますます大きくなっていくと思います。上手なPR方法が課題です。
「第二の実家のつもりで、気軽に遊びに来て」と書いてあるパンフレットのことば通り、スタッフはとても温かく、そして団体活動室でのひろば事業を展開している市民グループにもそれぞれユニークな人材が揃っていて、頼れる地域のお母さん的存在の方がたくさんいます。現在のスタッフは女性ばかりですが、ここに男性スタッフも加わりパワーアップしてもらいたいなと思いました。
それから、当然ながらもともと学校の教室。殺風景で冷たく四角い部屋です。施設を開設するにあたっては改装などが必要でした。それがまた見事な手づくり。(これは十分に予算が確保されていないから・・・とも言えますが)職員有志がボランティアでかけつけての日曜大工をしたのだそうです。また飾りつけなどは児童館職員が多大に協力をしてくれたとのこと。この手作り風なのが素晴らしい!と私は思いました。逆に施設の味を醸し出しているように感じたからです。もちろん、最新設備のきれいな施設もいいですが、「実家」の雰囲気とは上手く言い当てたもので、懐かしさが必要です。その意味からもぴったりの施設になっているように思いました。
2004年09月22日
子育て支援施策のヒアリング
東京生活クラブ運動グループ(生活クラブ生協の組合員が中心となって組織している各団体が集まっている。例えばNPOとかワーカーズコレクティブ等)から自治体における子育て支援施策の把握に関する調査を依頼されたので、生活クラブの担当者と子育て支援課長さんにヒアリングをしました。
一言で「子育て支援施策」と言っても、私自身もすみずみまで状況を把握しているわけではないので、調査項目に関して話しを聞くことで、全体像が少し掴めるようになりました。
さて、多摩市の子育て支援施策は周辺自治体よりも質が高いと評価されています。特に保育所は評価されていますが、延長保育などでは国や都に先駆けて取り組んだという経緯があります。保育所は公立2園と私立14園で、定員が2041名ですが、プラス25%までの運用定員が認められています。現在の純粋な待機児童は47名です。(なぜ純粋・・・と書いたかと言うと家庭によっては‘ここの保育所’と限定で空き待ちするケースもあるので、そうではない場合の待機児童数)これはかなり優秀だと思います。
保育需要などは、待機児童の解消ができる見込みで新たに保育所を設置すると、また新たなニーズが掘り起こされるという不思議な現象が起こります。再来年4月から多摩センターの駅前に1園がオープンする予定ですが、定員84名ですが、しかしこれで市内のニーズに対応しきれるのかどうかは微妙です。この新設の保育所では延長保育を21時までとする予定で、これについては既存保育所でも実施可能なところでは現在の19時からさらなる時間延長できるかを検討中とのことです。早朝から夜遅くまで子どもを預けっぱなしにしておいていいのかという議論があるとは言え、しかし事情が事情でやはり遅くまで預かってもらえる保育所が必要な人がいるので、21時までの延長は親にとってはありがたいことでしょう。そもそも子育て中の親が夜遅くまで子どもを預けなければならぬとの選択をせざるを得ない働き方をしている場合が少なくないのです。ここは労働のあり方そのものを社会全体で見直していく必要性の部分です。
子どもを育てていくためには経済力が必要です。聞くところによると保育費を支払うために働いているのではないかと思う・・・と言いながら、子育て期を乗り越えている人もいて、なかなかこの問題は根深いなあと思っています。
ところで、子育て支援施策は少子化の流れが止まらない現在、国全体で、そして各自治体も力を入れています。多摩市の施策全体を眺めても、国の方針に則って進んでいることがわかります。保育所では評価される多摩市ですが、やはりそれ以外の面での子育て環境の整備がより求められているところです。子供家庭支援センターのオープンもその一貫です。
私自身、このように子育て支援が充実していくことは喜ばしいことだと思う一方で、やはり、それだけで少子化が止まるとは思えずにいます。というのも、昔に比べれば格段に子育て支援策は拡充しているし、きめ細かくなってきているのに、少子化は進行するばかり。決して子育てのしにくさだけが原因ではないのです。
そのことを考えると、これだけ子育て施策に力を入れることで、どれほどの効果を期待しているのだろう・・・と殊に私は国の動向を見ていると感じています。現段階では、子育て支援策を充実することが、子どもを産み、育てる選択への動機づけになっているとは思えないからです。今日のヒアリングをして、ますますその思いを強くしました。
2004年06月14日
学校の適性規模は?
子どもの数が減少の中、学校規模の見直しが着手されています。現在、市のホームページでも公開されていますが、「学校の適正規模」を考えるために審議会が開催され、中間答申が発表されました。今日の文教常任委員会ではこれについての報告があり、質疑が行なわれました。
このような中間点で市民に対する報告などがあることで、最終的な提案がされる前段階で、審議会のメンバーでなくても意見をはさめる機会が増えることになります。今後、このようなスタイルで中間答申が出るような手法は増えると思います。審議会などではどうしても人数制約があり、本当は公募市民枠でメンバーになりたいと考えていた人であっても、参加枠に入れません。その意味では、議論の節目節目で経過の発表があれば、関心がある市民も含めて、意見をはさむ余地があります。
審議会として、市民説明会を行なうなどの試みや市民に対するアンケート調査をすることもこれからの課題だと思います。
それと合わせて、審議会と議会との関係性も再確認しておく必要性を感じます。要するに審議会や市民懇談会などは市長のための機関(…法律によって、議員が参加しなければならないものもあり)です。その機関に対して議員という立場からアプローチする技術は、その他大勢の市民と審議会などとの関係よりも難しく、大きな今後の課題です。
しかし、これらの審議会などでの決定をほぼベースしながら行政計画が策定されるのだとすると、議決事項ではないので、議会の意見もきちんと反映されるような道筋が必要です。学校跡地の活用方針案のことについて考えてもわかりますが、「自治」の枠組みをどうつくっていくのか、市民と議会と行政との3者の関係性が異同しているのです。
さて、今日の委員会の報告ですが、現在の最大規模校は小学校は多摩第二小の620人、中学では鶴牧中学校401人です。一番のピーク時はさかのぼること1973年(昭和48年)で南永山小学校の1111人、1976年(昭和51年)の多摩中932人!(私の生まれる前だと思うと歴史を感じてしまいますが)です。ちなみに最少規模は竜ヶ峰小学校が61人で豊ヶ丘中学校が166人です。最少規模については年々記録を更新しているようです。出生率1.29のショック、止まらない少子化を反映しています。
私はアットホームな学校が好きです。だから小規模だからダメとも言いきれないと考えます。山村の過疎地と言われる村や町を考えても、小規模校にはそれなりの良さがあります。けれども、学校の人数の問題はやはり地域性も考慮して考えるべきだと思います。都市における小規模校と山村地域のそれとでは、全く子どもたちの置かれている育ちの環境が異なるからです。さまざまな観点から考慮して、この学校規模の問題を考えるべきだと思っています。
審議会の行方を見守りつつ、どうしたら大人都合でなく子どもにとって一番状況にできるのかについて、来年度の最終答申が出る間にまとめておこうと考えています。
2004年04月07日
今日は中学校の入学式で・・・・。
昨日に引き続いて中学校の入学式に行ってきました。今年から諏訪中学校は制服のデザイン変更がありました。私も着てみたくなるような、チェックのスカートに紺のブレザーです。最近、白い靴下は流行らないのでしょうか?みんなが紺色のハイソックスをはいていました。制服の着こなし方にも時代を感じます。私たちの時にはハイソックス=ダサイだったのですが・…。
さて、小学校の入学式はいわゆる体育館の壇上(舞台)は使用せず、ピアノも演台も私たちとフラットなところに設置されていました。けれども中学校では壇上をしっかりと使用し、校長先生やその他高いところからフロア全体を見渡せるような形式でした。この違いには、なにか教育委員会などの指導があるのでしょか?ちょっと疑問に思ったことでした。
それにしても東京都の「日の丸・君が代」問題ですが、私はやはり強制されることは嫌いです。私は君が代そのもののメロディーが気分を盛り下げてしまうように感じます。せっかくの元気が吸い取られる気分になるので、どうも積極的に歌いたくないのです。そこで、全員起立にだけ応ずることにしています。
国旗に一礼をし、国歌を斉唱するから愛国心が増すわけでも郷土愛が深まるわけでもないのに、なぜ「強制」という発想が生まれてくるのかがどうも理解できません。そういう気持ちはごく自然につくられていくものであり、そうでなければ‘嘘’になると思っています。
卒業式、入学式で教育委員会の方針に従わなかった教員が処分されるというニュースが毎日のように掲載されているのを見る度に違和感を覚えます。本当に大事にすべきことは何かについて議論が不足しているように思います。それこそ「処分」されたくないので、本心を押さえて、嫌々でも国旗に礼をしたり、国歌を歌っている教師がいるとしたら、私はこちらのほうが問題だと思っています。「先生は嘘つき」になってしまうのでしょうか?
2004年04月06日
私も心が晴れやかになって。
小学校の入学式。自分が卒業した学校なので、やっぱり妙な愛着があるように思います。校歌の歌詞がメロディーに合わせ、知らず知らず記憶に蘇るのは思うと不思議です。市内でも一番多くの新入生123人を迎えます。クラスは4つで1クラスが30人前後でちょうどいい規模です。今、北諏訪小学校は6年生が2クラスしかありません。毎年、子どもの数が増えていて、昨年は新一年生が3クラス。自分の地域の小学校だけ見ていると「少子化」?という気分にもなってしまいます。
それにしても入学式とはいいものです。こっちの気分も新鮮な感じになります。子どもを見ると可能性がたくさんあるなと思います。いちいち「暗く」なってもいられないのです。子ども受難の時代とか言われますが、今、ここにいる子どもたちにとってはこれが「当然」として生まれ育っているわけで、そのことを悲観することはできない気がします。今、置かれている状況の中で生き抜く力を身につけていくことが必要です。いつの時代でも教育は重要です。時代とともに教育内容も質も変化を遂げてきたわけですが、やはり「時代」に対する感覚を鋭く持ち、「時代」に敏感に対応できる先生が求められているのだと思います。
先生たちが「変化」を嫌っていては、子どもたちが育っていかないのです。今回、北諏訪小学校の校長先生は交代しましたが、3月末まで校長を務められた先生はとってもいい先生で時代の変化を自らも楽しみながら教育環境を整備していたように感じます。昨年の夏、突然に校庭に畑ができたことには少々驚きもありましたが、しばらくして畑について先生と話をしたことがあり、その時にはこれも先生ならではのことだなと思いました。
入学式では小さなイスに座って、進行役が「新一年生も礼!」と号令をかけるたびに、床に頭がぶつかるのではないかと思うほどのお辞儀をする子どもたちがいました。純粋さを感じました。
私が小学校1年生だった頃の記憶ははるか彼方。ついに思い出せないくらいに昔のことになっています。ただ言えることは、私にもかつてはピカピカのランドセル時代があり、その時に今の自分の姿は全く想像もしていなかったということだけです。
2004年02月19日
武蔵野市の学校給食センター
「一度、見学に!」とオススメされたのが武蔵野市の学校給食センターでした。そこで給食市民連絡会のメンバーで「北町調理場」を訪問しました。
ここの調理場では約2300食を調理しています。ちなみに武蔵野市では中学校には給食がありません。武蔵野市の給食センターは建設の時に住民の強力な反対運動が起きたそうです。そこでセンター方式にしても手づくりを極力取り入れる方針で運営してきた歴史があります。
今日の試食メニューはあずきごはん、ハンバーグきのこおろしソース、信田煮、みそしるでしたが、まず驚いたのはハンバーグを全部手で丸めていることです。一つ一つを4人の調理員さんが手でコロコロ丸め鉄板の上に並べています。そしてもう一つ、炊飯器がないとのことで、大きなお釜でごはんを炊いているのです。途中で2回ほどかき混ぜる必要があって結構大変なんだそうです。
また、野菜なども出来る限りは機械を使わないでカットするのでしょうか?お味噌汁用の小松菜と長ねぎを包丁で次々と切っている調理員の方もいらっしゃいました。調理員さんたちの負担が大きそうだなと思いましたが、武蔵野市では自校方式で給食を行なっている学校が3校あるのでやはり、そこと給食の内容を同じようなレベルに保つためには必要な作業なのでしょう。約2300食分の長ねぎをひたすら刻みつづけている姿には頭が下がります。
さて献立ですが、週5回のうちご飯給食が3回あります。お米は実際に栄養士を中心に産地を訪問して低、無農薬・有機栽培米を使用しています。以前は長野ほまれという品種のみを使用していたそうですが、冷夏の影響を受けて困った経験から今では4産地より購入しています。
また食材はとことんこだわっていて、半加工品は全く使用せず、冷凍品もホールコーン以外はほとんど使用していません。地場野菜の使用も進めているそうです。野菜はいわゆる自然食品(低・無農薬、有機栽培)を使用し、その割合は73%にのぼります。
そして卵についても遺伝子組換えの飼料を使用していないものを選びぬき、パンも特注品で国内産小麦を使用して製品化の協力を仰いでいるそうです。すごいなあ!と思いました。
これらの食材の納入は月に一回の入札で行なわれるそうですが、センター給食に参加している小学校のPTAにはそれぞれ給食担当という役割の保護者がいるそうで、その方々9名も食材選びに参加出来るそうです。公募市民もいるそうです。過去の運動の中から「給食」がとても重要な分野と位置付けられていて、そこには市民の参加が行なわれているところは多摩市とは随分と違うなあと思いました。もちろん多摩市でも給食センター運営委員会がありますが、武蔵野市にも同じ主旨と思われる委員会も別途存在しています。
先日、アレルギー給食の講演を聞きましたが、武蔵野市ではアレルギー食を個別に作るのは難しいものの、発注時に使用する際の食材料やグラム数などが細かく書かれている資料をアレルギーを持つ子どもの保護者に渡す仕組みになっています。保護者の判断で当日の給食をどうするのか子どもと相談してもらうことにしているそうです。
給食費は低学年220円、中学年230円、高学年240円です。これは食材費です。その他の経費を含めれば大体800円前後が一食あたりの価格になるそうです。それから給食にはつきものの牛乳ですが、これについては毎日つけるわけではなく献立にあわせるようにしているそうです。献立全般をながめると、和食中心になっているので、牛乳は頻繁に提供されていないことがわかります。また、多摩市と違って、デザート類が少ないという意見もありましたが、結局、私たちは牛乳やデザートはなくても給食そのものの内容のよさから言えば、はるかに武蔵野市の給食は内容が豊かだと思いました。
実際に試食をしましたが、高学年用を全部残さず食べるとお腹がいっぱいになりすぎて苦しいぐらいでした。
給食センターではその他、春と冬休みには子どもの調理実習を行っているそうで、これは好評で、今では定員40名のところ応募者が約100名ほどいるそうです。これもまた面白い試みだと思います。実際に自分たちが食べている給食を作っている調理場で実習をするからです。また、調理員や栄養士と学校との交流も行なわれているそうです。
色々な話しを聞いてみると、やはり武蔵野市でも同じなのは正規雇用の職員は雇わないようにする…という状況でした。給食センターで働くのは再任用職員や嘱託職員にと切り替わっているそうです。その意味では現場はとてもキツイと言います。どこの自治体でも頭を悩ます人件費問題をここでも痛感しました。
「たかが給食、されど給食」…伝統的な食文化が失われようとしている中で、また家でしっかりとご飯を食べない子どもが増えつつある中で、給食が果たす役割は変質しつつも重要になっているような気がしました。
2004年02月04日
小学校の教育研究発表会
今日は午後からインターン生とともにパルテノン多摩で行なった市の教育研究発表会を見に行きました。この教育研究会は多摩市内の教職員400名ほどが18の部会にわかれ、それぞれ指導方法など「こどもたちが期待している‘よい授業’」を目指した研究をしているところです。研究成果については市民や地域にも開いていこうとのことで去年からパルテノン多摩での発表をはじめました。今年で2回目です。
今日の発表は学校保健、学校図書館、社会科、体育と4つの部会の発表がありましたが、普段、なかなか学校の先生との接点がない私にとっては非常に新鮮で、一生懸命子どもたちと向き合おうとしている先生たちの姿に出会うことが出来たなあと思いました。
私の小学校時代と比べたら、飛躍的に指導方法などもレベルアップしていて、特に学校図書館グループの発表では「アニマシオン」という手法を見て、子どもたちがどうやったら本に親しんでもらえるか…と格闘する先生たちの創意工夫に感激してしまいました。また、社会科グループの「人の営みに迫る社会科学習の在り方」をテーマにした研究発表の中では、より身近な‘社会’‘ひと’ということで、地域で‘ごみ’の活動に関わっている人たちや消防団の方々を招いた授業が披露されました。地域の人たちとの関わりが生まれるような授業を組み立てていくことはとても大事だと思います。地域との関係が希薄になっている子どもたちにとっては貴重な機会になるからです。
インターンを含めた4人の感想は、「今の子どもたちって恵まれているよね!」ということでした。もちろん社会環境の変化により様々問題点は指摘されていますが、それでも先生たちの新しい指導方法の研究成果を見ていると「こういう授業っていいなあ。たのしそう!」と思えるものばかりでした。
そして私たち4人が顔を見合わせてしまったこと…。それは終了直後のことでした。「先生方に申し上げますが・…勤務時間は(午後)4時15分までですので、誠実にご協力お願いします・…。」
発表会は約1時間半ほど、午後3時半過ぎに終了しました。もともと広報にも午後2時から4時15分までと書いてあり、なんと中途半端な時間なんだろう?と感じていたわけですが、その疑問が一気に解消です。つまり先生たちの勤務時間が4時15分までだからです。
私たちは苦笑いをしてしまいました。「小中学校の図画美術展をやっているので、そういうのをぜひご覧下さい。」との案内もありました、ギャラリーにはもちろん先生方が殺到していました。
せっかくいい発表を見ていい気分だったのに・…「そんな細かいことまで念押し」しなければならない状況でも在るのかしら?学校という場にある先生たちへの監視体制みたいなものをちょっぴり感じてしまいました。
2004年01月30日
給食におけるアレルギー対応食のこと。
長野県松本市では5年前ほどからアレルギー対応の給食を実施しています。現在は小中学生あわせて41名の生徒が対象です。給食センター方式ではなかなか個別対応は難しいといわれているわけで、多摩市ももちろん該当するわけですが、「なぜ、松本市ではこのような取り組みが出来るのだろうか?」そこに一番の興味がありました。
理由は簡単でした。「市長の方針」だそうです。市長がテレビで食物アレルギーが増加して、子ども達が大変苦しんでいるという状況を見たのがきっかけで、他の子どもと同じように給食が食べれるようにアレルギー対応に取り組めないものかと調査研究の指示があったそうです。市長の方針さえあれば、職員は動くわけです。どんなに難しく、手間がかかることであったとしても・…。といういい事例に出会えたという感想を持ちました。
この取組みは全国でも先進的で非常に注目を浴びていて、給食センターへの視察も非常に多いとのことですが、その状況を物語るように今日も市内だけではなく市外、遠方からの参加者が多くてびっくりしました。
アレルギー対応といっても全てに対応出来るわけではなく、やはり行政が責任を持てる範囲内での対応になっています。というのも近年のアレルギーは非常に多様化していることもあり、ほとんどの食材に対応できないような生徒の場合には、行政としての対応が難しい場合があるからです。リスクが大きすぎると判断した場合には「対応不可」とお断りをする時もあるそうです。担当課長さんは「行政は臆病なので」とおっしゃっていましたが、それでも精一杯の対応はしているみたいでした。特にアレルギー専門の調味料を使用してもらいたいとの要望があり、当初は「できない」としていたようですが、今では菜種油などをはじめとしたアレルギー対応調味料も使用して、出来る限り多くの生徒に対応できる努力をしています。
最終的には教育委員会において「アレルギー対応」のGOサインを出すそうですが、教育委員会のメンバーには医師がいるので、リスクについての判断も慎重に行われているようでした。
学校では一ヶ月前に食材などまで細かく記載した献立を配るそうで、それにプラスして、アレルギー対応給食の生徒には、対応食メニューも配布されます。例えば「桜海老のかきあげ」が「ひじきのかきあげ」に変更されたり、または「鶏肉入りのうどん」が「豚肉入りのうどん」に変更するという感じです。一人一人の状況は違っているのでもちろん個別対応になっていて、基本給食メニューで食せる物はそれを食べます。形や、色も見た目もほとんど同じようなのでとても好評なようです。食材を変更するという工夫を出来る限りしますが、それでも心配な場合には家からの持参をお願いする場合もあるそうです。
給食センターにはアレルギー専用の調理室があり、正規の調理員がローテーション制で2週間ずつ交代で対応食を作るそうです。そしてアレルギー対応食専門の栄養士がいます。栄養士は一ヶ月前から保護者と献立の調整をしながら、個別対応をしていくのですが、それはそれは非常に時間や正直手間もかかる作業だと感じました。当初は郵送により、事前に配布したアレルギー食献立の不都合などを保護者の方から再度指示を仰ぐような形だったそうですが、今では給食センターに直接足を運び、栄養士と個別の面談をしながら最終個別献立の決定をする保護者の方が増えたそうです。当の栄養士さんは「私に会うことで安心出来るみたいです。」ということ、そして何よりも「保護者の気持ちがわかるようになってきました。」という正直な感想を述べてくださいました。
これこそまさに私は職員の仕事をする励みだし、喜びで、実感だと思いました。それからもう一つ、長野県の知事の方針により「地場製品(もちろん調味料は別)100%」の給食を年3回実施してほしいという指示があるそうで、そのために県から自治体に一食あたりの補助金(確か、数10円でした)を出しているそうです。農業振興とリンクしているということもありますが、何よりも「地産地消」がこんな形で広がっていくことはすばらしい取り組みだなと思いました。
多摩市でこのような勉強会が開催されたことをとてもうれしく思います。多摩市に期待してもいいのかな~・・・・と感想を持ちましたが・・・。
2003年11月24日
土曜学校manaVIVA!
メーリングリストで面白そうなパネルディスカッションがあるなあと東京大学の駒場キャンパスまで足を運ぶと、なんと学園祭中。門のところから勧誘ビラを配布している学生や、たくさんの出店の中から「おいしいよ~!買ってくださ~い!」との声がかかります。何だか恥ずかしくなりながら、そして懐かしみながら会場までたどりつきました。
土曜学校manaVIVA主催で「生まれ変わる教育」というテーマで3時間ほど繰り広げられた討論はとにかくゲストが豪華。市川伸一東大教授、伊藤眞治公文式副社長、寺脇研文化庁文化部長によのなか科の藤原和博さんと土曜学校manaVIVA校長の鈴木寛さん。それぞれから、子どもたちのをめぐる環境の変化やそれに対応してこれからどんなことが求められているのか?という話を聞くことが出来ました。
私も日頃からそう思ってきたのですが、「学力低下論争」については不毛な論議としてすっぱりと東大教授に言いきってもらうとなんだかすっきりしました。そもそも「学力って何?」ということを論じることに無理があるからです。ペーパーテストで図れるものだけが学力か?といえばそうも言いきれない部分もあるし、その一貫で最近は「生きる力を育む」ことが多いにクローズアップされています。もっと至近では「人間力」というのでしょうか?市川教授はさまざまな業界の人たちと「人間力戦略会議」という名称の会議のメンバーだそうです。ちなみに人間力とは「人間として社会の中でよりよく生きようとする力」なんだそうです。(こういう定義になると教育像を広げることになるなあ・・・・と市川教授は一応理解されているらしい)
とにかく、どこでも言われていますが、地域の教育力を高めて、そして家庭まで巻きこんでいくような流れが必要なことは確かです。それにしてもパネラーが面白い取り合わせ。公文式の副社長からは公文の教室に不登校児も来ているそうですが、その子どものフォローとして公文の指導者と学校の校長先生とが連携をとっている事例もあるやの話を聞き、そして公文が地域の学び場の一つとしてただ単にプリント学習するだけでない新しい方向性を探ろうとしているのかな?と感じられてことで、今日招かれている理由もちょっぴり理解した気がします。
私が印象に残ったのは「失敗だってモデルになる」ということです。今の社会は「失敗を許さない社会」と民間校長で話題の藤原さんの指摘には同感しました。私も常日頃から「失敗は成功のもと」だと思わないとやっていれられない!と前向き志向になることを心がけているからです。得てして前例踏襲型の行政は失敗を嫌うわけですが、失敗を嫌っていると新しい発想も生まれにくいし、チャレンジ精神が削ぎとられてしまい元気が失せていくと思っています。それは学校も同じ。藤原氏は「先生だって公務員だからねえ」と一言付け加えていらっしゃいました。
ところでこの土曜学校manaVIVA!は月に二回ほど港区にあるNPOハウス(学校跡地)で開催しているそうです。大学生が中心になっていておにいさん、おねえさん、おじさん、おばさんなど「ナナメの関係」(「タテの関係」は親子、先生生徒/「ヨコの関係」は友達)をつくりながら、子どもたちと一緒になって学ぶ活動をしています。
今、「こういうのがいい」というモデルそのものがコンクリートされているわけではありません。その意味では学びの設計を市民と子どもたちが一緒に考えていくことが必要・・・これが結論だったように思います。
今までのカタチにこだわらず、新しい試みで教育をつくっていくこと。教育というのは私は「公」だと思います。どこが主体になろうが子どもたちを育てていくのはパブリックなこと。その意味では地域での新しいチャレンジがつまらない規則などにより頓挫してしまわぬよう工夫することが求められているのかもしれません。
2003年11月17日
‘正しい?’性教育のあり方
都議会で養護学校で行きすぎた性教育が行われていると問題視され、その後、都教委が立ち入り調査に入るなど「性教育」が後退しそうな気配すら見せています。
性犯罪や性の低年齢化が進んでいるからこそ、正しい性の知識を持つことが重要だと考えていますが、しかし、じゃあ一体どのような性教育が望ましいのか?というのは暗中模索なようです。今日は、日本の性教育の草分け的存在である世田谷区にあるアーニ出版で東京ネットの学習会があったので出かけてきました。
まずは性教育プログラムのビデオを見ましたが、性教育は「どう生きるか」「大切ないのち」と言うところが根幹にあり人権問題にまでつながっていくのだという話を聞きました。
おそらく「性教育」などときくと思い浮かべることは様々かと思いますが、例えば「きれいに手を洗う」ということも性教育の一貫でこれは「処置教育」部分に属します。処置教育とは簡単に言えばその他「月経の手当て」というのも同様です。そして「生理教育」「生殖教育」が大きな柱です。男女の違いを教えるだけなら「生理教育」、出産を教えるのは「生殖教育」という風になりますが、性教育と言うのは奥がとても深く、どういう出産方法を選ぶのか?と踏みこんで話すところから始まるのです。随分と「性教育」とは小難しいのだと感想を持ちました。
要は「性を通して何を伝えるのか?」が教育者としては大切なことなのです。性教育の中で南北問題だって語ることが出来る・・・・とお手本を見せてもらいました。
アジアの貧しい国ではたくさんのゴムを生産していますね。その生ゴムを日本に輸出して、日本ではコンドームを作っています。日本のコンドームは安全に作られていますが、そのコンドームをアジアの国の人たちは高くて買うことが出来ないのです。そして、自分たちは避妊用具がないために子どもが次々と生まれてしまい貧困から抜け出せないままだったり、または村中がエイズというようなところもあるのです。
みたいな感じです。これは素晴らしい「性教育」に一例と言うわけです。なるほどねえ・・・・と目から鱗でした。そしてもう一つ印象的だったのは「男女」の言葉は使わないとのことでした。なぜならいつも「男」が先だからそうです。私はあんまり、そういうことには拘らないのですが、拘らないという感覚がよろしくないのでしょうか?
しかしながら、なぜ女性が初潮を迎えた時にお赤飯を炊くのに男性の時には何もないのか?という問いかけには「そう言えば、そうかもなあ・・・。」と思いました。とてもつまらないのですが、昔、「ちびまるこちゃん」のマンガでまるこパパが「ふーん、まるこはまだヒラ社員かア・・・いつになったら所長さんになれるんだろう。」と言っていたセリフを思い出してしまいました。
とりあえず私がわかったことは「性教育」の内容がとても奥深いものであると言うこと。そしてきちんとした「性教育」を教えられる人になるためにはそれ相当に訓練が必要そうだと言うことでした。それにしても性教育のための海外メイドの人形は顔やカタチはとてもかわいらしく、飾っておきたくなるわけですが、その仕組みは案外グロテスク・・・高校生の時にも同じ印象を持ちましたが「親しみやすい顔をしている人形なのになあ・・・」とため息が出てしまいました。
性教育に対する考え方としては日本人的な「奥ゆかしさ」みたいなものがとてもハードルを高くしている気がしますが、その気持ちをまずは大人たちが取り払っていかなければ、とりあえず現代っ子には対応できないというのは誰もがわかる事実ではないかと思っています。
2003年10月28日
学校を刑務所にしてはいけない!
朝からあいにくの雨降り。肌寒い中での総選挙がスタートしました。私も雨を払いのけながらポスター貼りをしました。私の選挙の時にも、みんなが分担をしてポスターの掲示をしてくれたんだなと思いながら、しっかりとポスターを貼りつけしました。その後は選挙カーに乗って、うぐいす役をしました。雨の中の選挙戦はとても体にこたえます。初日のこの天候で候補者が体調を崩さないかが心配です。きっとどの選挙事務所でも同じ気持ちなんだと思います。
私は選挙の手伝いが初めての経験なので、こうやって周りの人たちがあっての候補者であることを別の角度から認識させられます。どこか自分自身の気持ちが初心に戻ったようでした。
今日は、実質的に第一小学校の建替えプランの基本計画策定の最終回でした。前回までの意見を参考にしながら、設計会社の素案に取りこめるところなどを整理した最終案に限りなく近い素案が示されました。市民の意見をどのように反映させたのか、そして反映できなかった部分についても説明を受けました。大方、メンバーの合意はとりつけられたようです。
さらに、今日は東洋大学の長澤先生がゲストでいらしてくださいました。これも検討委員会のメンバーの伝手があってのことでした。先生は「学校の安全」とりわけ‘防犯’という視点を取り入れた建築に造詣が深い方のようで、大阪の池田小学校にも幾度か足を運ばれた経験もあるそうです。
今、「地域に開かれた学校づくり」がさかんなわけですが、地域への開放と学校の安全性の問題がいつも天秤にかかるように思います。両者は相反するというわけです。しかしながら、先生によると、むしろ地域開放を進め、地域の人たちの眼が学校に向けられることにより、学校の安全性も高まるとおっしゃっていました。私もその意見には同感でした。
そして先生は防犯性を高めるために監視カメラの導入がぐっと進みそうな流れについて、「学校を刑務所にしてはいけない」とのことばを紹介してくださいました。もちろん安全性を担保するのは最低限の条件で、無防備でさらけだすことは危険です。
先生は「自然な=見通し」・・・つまり、監視しようとしなくても、自然に目が行き届くような空間配置をすることの重要性を強調していました。小学校の高学年になれば少しずつ「自己責任」を自覚することも出来るけれど、それ以前の子どもたちについては大人たちが全面的に「安全確保」するという視点を持たなければならないのです。
そしてもうひとつ「監視カメラや金属探知機では守れない」、こちらは機械設備で安全性が確実に担保されるわけではない・・・ということを表した表現だと思いますが、私はこれにも大きくうなづけました。
最近は何となく物騒で、安全なまちづくりを早急に進めることについて市民からの要望も強い今日この頃です。でも本当の意味で安心感や安全の‘まち’に変えていくためには、コミュニティの在り方が大きく関わってくるようです。先生の示唆に富んだ話の中心もここにあったと思います。
ところで、昨日の朝日新聞の夕刊に大きく採り上げられていた聖蹟桜ヶ丘駅前のライブバーのご主人クーペさんのCDを入手しました。クーベさんの少ししゃがれた渋い歌声に懐かしい音色は心に響きました。
単身赴任中の父はとてもオンチですが、最近、カラオケの練習をしているらしく、少し上達しているそうです。今度、その声を聞いてあげなくちゃなと思いました。
クーペさんのCDはオススメです。ぜひ、聞いてもらいたいなと思います。「感謝の気持ち」が素直に湧いてくる歌です。
2003年09月23日
子ども救済を語ろう!
子どもの権利条例東京市民フォーラムが3周年記念集会を開催しました。これは子どもの権利条例を東京都で制定しようと研究者や市民たちが結成しているグループです。
子どもの権利というと、「子どもが権利ばかりを主張してよろしくない!」との反論が返ってきますが、権利には義務や責任がツキモノだと思います。子どもなりに、そのことを自覚出来るような教育をすればいいだけの話です・…と私は思っています。「権利」を教えずして、義務や責任を果たさないから…と一方的に大人が決めつける状況のほうが問題です。
今日の全体会、パネルディスカッションでは埼玉県子どもの権利擁護委員会、東大和市‘子どもオンブズ’の活動、それから世田谷区の子ども条例についてはな市を聞いた後、東京都子どもの権利擁護委員会の活動やフリースクールの話、チャイルドラインの取組みを聞きました。
これらは子どもたち救済のためのいろいろなチャンネルだと言えます。昔に比べれば多様な選択肢が準備されてきたと思います。
ところが共通の問題点があります。それは様々な選択肢があるにも関わらず、その存在が知らされていないと言うことです。
例えば、東京都子どもの権利擁護委員会ですが、私もその存在を今日初めて認識しましたが、予算が十分につかないので、都内の小中学生全員に電話番号を掲載したカード(定期くらいの大きさ)を配布することが出来ないそうです。この3月は中学2年生にカード配布をしたそうです。カードを配布すると、やっぱり電話の本数が増えるという結果が出ています。やはり毎年一度、全員に配布出来るくらいの予算が欲しい…という担当弁護士の話がありました。ちなみに相談件数全体も増えているそうです。
カードを配布しなくても、生徒達に電話番号などを伝える工夫は出来ます。東京都の事業だから・…と東京都の責任でPRをするべきという姿勢ではなく、多摩市内の学校でもPRの一助は出来ると感じました。
世田谷区では子どもの社会参加に力を入れているそうですが、参加してくれる子どもを見つけることが大変だという話がありました。それは世田谷区だけでなく、多摩市も全国でも同じだと思います。つまり子どもたちの参加意欲を上手く引き出す策が必要なのです。まずは、子どもたちのアンテナに引っかかるようにPRをしていくことが重要で、力を入れているけれど、「なかなか届かない!」という壁にぶつかっているとの話でした。これは、子どもに限った話ではなく、人々の地域参加の課題だと思いながら聞いていました。
今日の全体会では都議会からの報告と言うことで、自民党を除いた会派の方々が現在の状況を話してくださいました。それから、フロア発言がありましたが、その際、不登校児の兄弟を抱える母親が自分の思いをつぎつぎと吐き出すように語り、なかなか話が途切れない様子が印象に残りました。「一番辛いのは子ども。」と切々と語っていましたが、私自身は母親の辛さが心に重く響きました。
2003年09月15日
市民が提案する図書館像その②
さて、昨日の続きで「市民が提案する図書館像」です。今日も、私はベルブ永山に行きましたが、図書館は大繁盛です。それに、参考書など持込みで勉強をしている高校生を中心に閲覧席は満員。ちなみに、図書館では中学生、高校生を‘ヤングアダルト’と位置づけて選書などを行うそうです。
そして、もう一つ、おそらくリタイアして地域に戻ってきた男性陣がたくさん。ソファに座って新聞や雑誌などなどに目を通している姿も圧倒的多数。平日なども開館前から図書館付近をふらっと歩いている男性の姿を見かけます。
つまり…図書館はただ本の貸し借りをして、調査をするだけでなく、気軽に入りやすい「地域の居場所」であるというわけです。公共施設のため、入場料も無く、そして入ってしまえばお気に入りの一冊を見つけるもよし、何となく本に囲まれる佇まいにぼーっとするもよし…背表紙だけを眺めるだけでも面白い…もしくはカウンター越しに仲良くなった職員さんとお話するも楽しみの一つだったりして…というわけで、図書館の果たす役割は多様なのです。
という諸々のことに注目をして、「市民が提案する図書館像」ですが、やはり成熟社会ゆえか?要求度は高い。特に注目はビジネス支援部門の強化です。地域活性化につながるビジネス支援と言うことでコミュニティベンチャー、NPOの企業支援を中心に相談業務も含めて図書館で請け負ってしまおうというわけです。つまり、資料などを揃えておき、相談員を配置する…何となくNPOセンターで現在行っている業務のようですが、‘縦割り’の壁さえ崩せれば、かなり図書館が有意義に使えそうです。
ところで、図書館にも市民向け講座があり、公民館主催のものあるし、女性センターでも市民のための一言でまとめれば教養講座がありますが、こういう生涯講座系のものは全て一本化できないのでしょうか?どこでどんな講座が行われているのかが、まったく分断されていてよくわからないのが現状です。これを一本化できるようシステム化すれば、かなり効率もよく、さらには現在構想としてあたため中?の「市民大学」にもつなげていけそうに思います。
ここで忘れてならないのが図書館の存在意義。図書館とは知の宝庫であり資料の収集により地の蓄積をするところ。つまりどんな講座にせよ、その実績を図書館に集めれば、それこそ貴重で膨大な市民、まちづくりの軌跡を知る資料になる気がします。
そして、注目は大学生の意見ですが、さすがに子ども心がわかる年頃…「今、調べ学習とかでかなり図書館の活用とかを勉強しているみたいですが、正直、図書館が‘勉強をする場所’として堅苦しい場所になってしまわないように。図書館に来ると‘楽しい!’ということをもっとアピールしてもらいたい」…つまり気楽さと安心感がある、なにかわからないことがあれば頼れる場所としての「頼り甲斐のある図書館」であり、「(調査などの)課題が無くても、ふらりと寄り道したくなる図書館」がいいというのが意見です。これには同感でした。
市民が提案する図書館も究極…つきつめるとやっぱり「ひと」が大事だという結論が導き出されるようです。親切な職員、館内のレイアウトに配慮して、見た目にも楽しませる図書館(特に子ども図書館)、資料などに詳しい職員など等…図書館運営に欠かせないのは市民に直接サービスを提供する職員です。なぜなら図書館が地域で担っていく、まちづくりの情報発信の拠点として重要な役目を果たすことが求められるからです。
「貸してあげるといった雰囲気が嫌だ」という市民の声もあります。やはり、ルーテインワークのお仕事…図書館の「お役所」化現象が進めば進むほど、市民との距離が遠ざかるみたいです。
ところで移動図書館「やまばと号」ですが、今回の行財政診断白書では重点見なおし11事業に入っていました。しかしながら、これは利用者が減少しているから…という前にもっと切実なる課題があるみたいです。それは現在のやまばと号の車両がディーゼル車であるということです。つまり、車両買い替えをしなければ、どんなに利用者がたくさんいたとしても継続することは出来ないのです。白書にはそのような事情は一切載せられていませんでした。
とにかく市民にとっていい図書館を創るためには行政側(図書館管理側)と市民とがいきいきした関係である必要があると強調されていた基調講演をしてくださった先生の言葉が印象的でした。互いに意見をぶつけ合い、ときには批判もしなければ、より良いものなんて生まれないというわけです。
これは図書館だけに限らない!私はそう思いました。市民の提案を行政がどこまで受容できるのか?市民と議論をし、対話を積み重ねながら、図書館もまちも発展していくのです。
2003年09月14日
市民が提案する図書館像その①
「多摩市に中央図書館をつくる会」のフォーラムに参加しました。中央図書館をつくって欲しいという要望は何と1981年の市民世論調査からあるそうですが、いまだに叶えられていないのが現状です。1998年には多摩市図書館協議会から中央図書館の施設整備などについての提言されていますが、第4次総合計画では中央図書館機能をつくるという表現に留まっています。市民の要望が叶えられないまま、こんなに財政状況が厳しくなってしまい、正直にっちもさっちもいかないのではないでしょうか?(図書館よりも温水プールが優先されている???)
私は図書館行政は市民の要望があるにも関わらず、軽んじられてきたように思います。その原因としては、おそらく図書館がいわゆる「貸し本屋」的な側面でしか捉えられてこなかったことが上げられます。市内に「本の貸出し場所」としての図書館施設をつくることだけに邁進してきたように思います。多摩市内には今、6つの図書館がありますが、私は地域バランスを考慮した図書館の配置なのかな?…それから、最近はちょっとうがった見方をしてしまう自分も嫌なのですが、図書館の誘致箇所には何となく政治力が働いていそうに思っています。
中央図書館の建設を目指す…これは図書館行政の本来の目的や、そしてその役割を問い直し、これから多摩市の中で目指していくべき方向を考える延長線上にあるように感じます。
ところで、多摩地域は全国的にも図書館サービスが実施されているそうです。そこには市民運動の中で図書館サービスが充実してきたという背景があります。多摩市も例に漏れず、比較的がんばって図書館整備をしてきたのかもしれません。でも、まだまだ「貸し本屋」機能面での拡大に留まっていると言えるのでしょう。そこで、中央図書館のニーズがますます高まっているのです。市民の図書館に対するニーズの広がりもありますが、やはり「知の蓄積」であり「知の宝庫」としての図書館として、機能の再確認は必要でしょう。ちなみに多摩全域で見ると多摩市の図書費はいつも平均並だそうです。(力を入れているわけでもなく入れないわけでもない…というと?)
「図書館行政」に対する意識ですが、まずは、議会図書室のあり方を見るとその様子がわかります。つまり、議会図書室の充実具合は、議員自身の図書館に対する意識を物語っていると思うからです。多摩市議会の図書室は残念ながら、十分にその役目を果たせているとは思いません。蔵書数も少ないですし、何だか物置のようになっているからです。議会事務局に専門の調査係りがないことも一つの要因かもしれませんが、一応資料はあるけれど…というのが私の感想です。
「本なら買ってあげる」という環境で育ってきたせいか、私にとっての図書館はどちらかと言うと、本を借りるのではなく、調べものをする場所です。どうも「期限付」で本を借りるのは苦手です。だから、図書館に求めるのは高価で、個人では入手しにくい資料の充実です。
さて、市民が提案する図書館像…それについては明日の活動報告につづく…
2003年08月04日
八ヶ岳少年自然の家など。
今年はデイキャンプから1泊の宿泊キャンプに変更した青少協の夏のイベント。八ヶ岳少年自然の家に泊まりました。2日間無事に過ごせたことにまずは感謝です。
八ヶ岳少年自然の家といえば、なかなか稼動率を上げるのが難しく、議会でも毎回厳しい指摘や意見が出される補助事業の一つになっています。最近は、営業にも力を入れていて、少年自然の家のある富士見町の近隣市町村の教育委員会に施設長自ら売り込みに出かけているらしく、その姿勢が(利用するしないは別として)、営業先では好印象だとの話です。近辺にある同様、またはリゾート施設もその経営には苦戦している模様です。
不景気により民間企業の厚生施設なども同じ運命を辿っていて、採算を取るのが困難で閉鎖、売却されています。先日出された行財政診断白書によれば、自然の家と隣接する市民保養所「ふじみ」は廃止の方向性で検討する重点事項になっていましたが、自然の家もその位置づけを含めて再確認していく必要があるでしょう。
その意味で、私自身は今回、自然の家の良さを探したキャンプでもあり、そしてもう一つは、こちらも議会で再三、必要性や積算根拠が問われる青少協への補助金を考えながらの参加でもありました。
少年自然の家は「宿泊体験学習」の場所なので、リゾート目的として宿泊するには難しいなというのが印象です。以前と違い、少人数でも宿泊可能と制限緩和をしたといいますが、それにしては部屋が広すぎて落ちつかないと思います。食事は食堂での合同であっても問題はないですが、やはり部屋での飲食禁止は厳しいし、寝泊りするところの居心地を重視したなら、多くの市民を客として招き入れるためには難ありだと思います。
ただ、破格であることは間違いありません。主催事業等をしながら、少年自然の家のPRをして、利用者を増やそうという努力はしているように感じますが、いかんせん宿泊訓練場の域を越えないところがネックでしょう。宿泊訓練としては市内の公立小中学校も活用をするわけですが、利用者の人数で見れば、当然少子化が進んでいるのに伴って減少しています。今後利用者を増やすには、魅力的な主催事業を企画することしかないと思っています。
なぜならば、正直、少年自然の家の立地条件を見ると、車がない人には不便だからです。歩いていける距離には観光スポット的なものが乏しいし、登山をするにしてもちょっと中途半端なところにあるように感じます。・…つまり私のように運転できない人にとっては魅力に欠ける場所です。「至れり尽せり」で移動の心配が不要なら話しは別だと思うからです。主催事業は人気があるのは当然です。
今回は宿泊して、野外炊飯場でカレーライスをつくりました。立派な施設です。屋根が大きいし、日焼けの心配なく行動出来るところが私にとっては一番嬉しい魅力です。ここは利用しやすく、非常に快適に使用できてオススメです。自然の家の魅力とは・…「意外にもいい施設だ!」って思える要素があるところでしょう。(それは宿泊料かもしれないけれど。)
もう一つの、青少協への補助金問題。補助金改革が求められる中では、その有効性などを見直すことも必要だと考えます。私自身はキャンプなどは、「子どもたちの感じ方」、親以外の大人とともに行動することで得られる情報が大事だと考えています。「こんな大人もいるんだ」と色々な大人像を子どもなりに体感できる場所になればいいなと思います。私は色々な子どもがいるな…ということを実感できる場所になっています。
青少協はわりと歴史が古いので、補助金をいきなり断ち切ることは出来ないと思います。でも、青少協以外にも、子どもたちと地域との関わりを考えて行動をしているグループなどが芽生え、少しずつ地に足をつけた活動をしていることに注目せずに入られません。それらを踏まえながら今後の方向を見いだすことが必要でしょう。
2003年07月15日
少子化は乗り越えられるのか?
昨日に引き続き、東京ネットの政策委員会に設置された部会に参加しました。昨日は女性政策でしたが、今日はこども部会で子ども政策について調査や研究などを行います。
深刻な少子化を乗り越えるために、国もついには法律を制定し、子育てを奨励するような方向に動いています。少子化社会対策法として審議されていて、衆議院はすでに通過しています。その中でも私は「次世代育成支援対策推進法」に注目をしています。来週、その法律について問題点などを学習する予定ですが、基本理念に掲げられた「子育てに伴う喜びが実感されるように配慮」する社会をどのように作っていくのでしょうか?
確かに子育て環境を整備するという点では子ども施策全般が総合的に進められそうで期待できる法律かな?と思える一方で、「子育てに伴う喜び」を実感することを強要されないといいなと思います。昨日も書いたように最近の「女性蔑視」発言をしている政治家たちが、この法律を審議しているのかと思うと何だかとても複雑な気分です。
私は子ども施策についても様々、個別課題はありますが、やはり「子どもの権利」を条例化して、多摩市としてどのように子どもの権利を保障していくかについて柱を策定するべきと考えています。特に子どもの意見を反映させるためのシステム設計が必要です。子ども参画の権利は子どもたちの年齢などに応じて質と量が充実していくと思っています。それはもちろん責任が伴うものです。次世代育成支援対策推進法で義務づけられる自治体の行動計画を確実に進めていくためにも、子どもの権利を再確認していきたいのですが、何せ、法律の施行期日などスケジュールがガチガチで、またもやそれに縛られて動くわけで、先が思いやられてなりません。
2003年07月05日
続・・・給食の話
給食市民連絡会の総会がありました。細々としか活動が出来ていないのですが、やっと人数が15人になりました。
今年は「強化磁器導入」を最優先課題として、まずはこれだけに特化した活動をしていくことに決めました。今日、話しながら、私も認識が誤っていたことに気がついたのですが、実は「強化磁器を導入する」と答申を出した給食センター運営委員会は市長からではなく、教育長からの諮問を受けていました。でも結局、教育長の考えや方針があったとしても財政は市長当局にあり、市長の考えが問われることになるというわけです。その意味で私たちも、教育長よりはお財布のヒモを握っている市長に嘆願するのが一番効果的だと考えています。
今年度、教育委員会側は当初予算で老朽化の進み具合を調査するために「コンサルタント費用」の要求を指定たといいます。けれども結局、予算として組みこまれなかったわけで、「給食センター建替えと同時に強化磁器ショック導入をはかる」という方針を聞かされてきた私たちは驚いたわけです。
つまり建替えが先延ばしになるということは、それだけ食器変更も遅れるわけです。何が何でも危険性たっぷりの食器を変更したいなら、「建替えありき」でなくとも、何らかの対応は出来るはずです。予算を見る限りでは従来通りに学校給食が続いていくとしか思えない状況に私たちも言葉が出なかったのでした。「建替えが出来ません。だから食器導入も先送りです。」では納得いくわけがありません。
とにかく私たちとしては「強化磁器食器導入」を求めていくことにしました。あとはどのような手法や段階を経て、導入へと踏みきるのかは市側が考えることです。
以前、私たちのメンバーで市長に申し入れをしたことがありました。その際に市長から「もし強化磁器に変更するならと、ご自分たちで試算してみてください…。」と言われました。私たちはそれは市の仕事ではないかと考えていたのですが、今日は、少しでも私たちなりに試算が出来るようにと教育委員会に資料作成を依頼することに決めました。何とか強化磁器の導入に対する理解を取り付けたいのです。私たち自身も「財政難」を理解していこうと思っています。
メンバーの中にはお子さんがホルムアルデヒドにアレルギー反応を起こすと診断されたという方もいらっしゃいます。これを個別問題として扱える時代ではありません。教育委員会にも協力をしてもらい、資料を作成してもらいつつ、私たちなりに今後の学校給食問題の理解を深めていきたいなと考えています。
2003年07月03日
再び学校給食の話
4月から学務課長が変わりました。ようやく、学校給食多摩市民連絡会で新課長さんを交えた意見交換をすることが出来ました。
活動報告でも何回かとりあげてきた学校給食問題ですが、人事異動で担当者や管理者が入れ替わるたびにゼロリセットされる傾向が強く、本当に不快に思います。
今日も私たちの最優先課題である強化磁器食器導入に対する見解を聞きました。「個人的には『食育』の観点を取り入れていきたい、強化磁器導入を進めていきたいと思う。」との答えでした。私も今日はちょっと力が入ってしまいました。なにせメラミン食器導入は私が10歳の時なので、悪い言い方をするならば環境ホルモン・ホルムアルデヒドを子どもたちに撒き散らして16年ということになります。こんなにも安全性が疑問視されているのになぜ強化磁器導入ができないのでしょうか?
メラミン食器導入してから4年後の1990年にメラミン食器・ランチ盆の廃止し強化磁器導入を求める請願が市議会で採択されているにも関わらずです。市議会の請願採択には重みがあると思いますが、一体どのように考えているのかと腹立たしい限りです。それから考えても、もう13年経過しています。
さらには1998年には学校給食研究会から「新食器導入と指導のあり方について」が報告され、昨年は学校給食センター運営委員会より市長から諮問された「21世紀に相応しい学校給食用の食器及び食器具のあり方について」の答申が提出されています。
けれども当初予算の中で食器変更は組み入れられることなく、結局は給食センターも老朽化していて、洗浄設備なども入れ替えしなくてはならない…などの理由により、給食センターの建替えまたは大規模改修の中で導入検討していきたいとの見解が示されました。その見解を聞いた時には青ざめました。「えっ、センター運営委員会に対する諮問って何?」と思ったからです。
私はとにかく学校給食を「子育ち環境」、多摩市の教育環境の中でどのように位置づけようとするかがわからないと意見を述べました。つまり「子どもたちにいい育ちをしてもらいたい!」と思うなら、安全な食材を使用して美味しい学校給食を目指すのは当然のことです。
学校給食が開始した昔と今ではその位置づけも役割も随分と変遷を遂げてきたと思います。でも、今の義務教育課程において「学校給食が必須」だとするならば、何のために学校給食があり、それを「子育ち」環境の一環に組していくのかを明確に打ち出すべきだと思います。
言えることは「お弁当がわり」ではないということです。教育委員会も「同じ窯の飯を食べる」という部分が教育目的として存在するとして再三強調してきました。教育目的、いわゆる「食育」を視野にいれるのならば、もっと真剣に取組んでもらいたいとも思います。
今日も連絡会メンバーからは10年前も「財政的な問題」を理由に強化磁器導入がなされなかったとの話も出ました。今は、本当に財政難ですが、10年前と今では「財政難」のありようも全く異なるはずです。それにも関わらず、以前と変わらない「財政が本当に厳しくて…」というのは何の説得力も持たないことを認識してもらいたいです。
メラミン食器は一食器500円だそうです。しかも耐用年数は4年です。でも4年間でちゃんと交換されているのでしょうか?実態は4年を過ぎても使用しているものは使用しているし、目に見えないような傷が一番恐いのですが、交換するしないも給食センターの担当職員たちが目で眺めて判断をしているのが現実です。ホルムアルデヒドが溶け出す…という責任をどう考えているのかと思います。(もちろん現場の職員のを責めることは出来ません。)
私たちはとにかく毎年毎年「財政難」を理由に断わりつづけられたことに不満があり、そして給食センターについても以前から老朽化が言われてきたけれど、その「老朽化」一つを考えても3年前と今では随分と事情も違っているはずなのに、明確にどこがどう変わってきたのかなどの説明が十分にされないことにも納得が出来ないのです。「メラミン食器を500円で買いかえるなら、私に税金500円返してください。そのお金で私は子どもに安全な食器を買って学校に持参させますから・・・。」との発言も飛び出しました。
環境ホルモン問題はすぐにその影響がつかめるものでなく、目に見えるものではないので、後回しにされるのでしょうか?本当にそれでいいと考えるのでしょうか?
私はこれまでどんな事情があって導入に踏み切れていないのかがわからないのです。「やる気がないからできないのか」「やる気はあるけどできないのか」・・・?その事情さえ公開されれば、克服できる道筋が見つかるかもしれません。先にも書いたとおり、学校給食センター運営委員会には市長からの諮問があり、強化磁器食器導入を回答しています。実はメンバーの中には学校給食センター運営委員会の市民委員もいるわけですが、答申したことに対して市長はどのように受けとめているのかが全くわからないとの声がありました。私は運営委員会側には答申を出した責任があり、やはり市長もきちんと答申に対しての取組み方針を示す必要があるのではないかと思いました。そうでなければ運営委員会を設置する意義も、「諮問」する意味もないからです。
10年以上も動いてこなかった原因がどこにあるのかについて、今更それを咎めてばかりいても始まらないことは確かです。でも、いつも「検討はしています。」という姿勢には全く誠意が感じられないのではないでしょうか?そのことに私は最も腹立たしさを覚えています。学校給食多摩市民連絡会を一部市民の声だからとして切り捨てることは出来ません。少なくとも連絡会での見解は、市長が諮問をした運営委員会のものと同一だからです。
2003年06月28日
不登校と言う選択
青少年問題協議会の地区委員会で合同委員研修会が開催されました。市内の全17地区から人が参加したので会場のベルブホールは満員に近くなったのには驚きました。ベルブホールで講演会などを開催しても、普通はあまり人は集まらないからです。
冒頭で「地区委員会」とは…という話がありましたが、歴史をたどると1960年(昭和35年)に条例設置された古い組織だということを改めて認識しました。なるほど「青少年」という呼び方には、「少女はどこにいったのか?」という声が聞こえてきてもおかしくないのが今の時代です。
研修は「不登校にみる子どもの心~親の心と教師の姿勢~」をテーマに多摩児童相談所の方が講演をしてくださいました。
私は「行きたくないのに、むりやり学校に行かせることはない」という考えがあるので、親や教師が「何としてでも通学させなくては…」とそれぞれの使命感に燃える必要はないと思っています。不登校児は色々な理由で「学校が嫌い」になってしまうわけです。学校に行かなくなったら勉強が出来なくなる…とか言いますが、それなら学校ではない場所で学習面をフォローできる体制さえ整っていればいいと思うのです。
今日の講演の中でも「不登校を認める」という言葉が一瞬だけで出てきましたが、私もその部分には同感です。子どもが不登校になった時、大人たちが大パニックを起こしている気がするからです。まずは子どもの気持ちを最優先にして「学校へ行かない」ということを認めてあげる必要があるのではないでしょうか?大人がパニックになればなるほど、子どもも混乱して、ますます不登校になった自分に責任を感じ、どんどん気持ちが後ろ向きになっていくと思います。
学校だけが子どもの居場所ではありません。学校は合わなくても、ほかの場所では居心地のよさを感じることもあると思います。不登校になったからといって、学校に通学できた通学できないで一喜一憂するのではなく、もっと大人たちが「子どもの気持ち」に目を向けて、大きく構えたいものです。
私にはもちろん子育ての経験はないので、あまり偉そうなことは言えないのですが、「不登校=悪」と考えがちな大人の価値観を変えていかなくては、みんなの気持ちを窮屈にするのではないかと思っています。不登校児に対する大人の眼差しが、そのまま不登校児でない子どもたちに与える影響が大きいと考えるからです。
不登校にみる子どもの心・…それを理解するならば、学校に行きたくない気持ちを認めることから始まると改めて思いました。
2003年06月27日
東京都の目指す心身障害教育
今日は午前中、都庁で「これからの東京都の心身障害教育の在り方について」の中間まとめについての説明を受けました。
国の動きをにらみながら、方針をまとめているような感じを強く受けましたが、「特殊教育」から「特別支援教育」へ変えていく流れになっています。いわゆる特殊教育というのは盲・ろう・養護学校や心身障害学級など「障害の程度等に応じて特別な場で指導を行う」教育のことで、特別支援教育は「障害のある児童生徒一人一人の教育ニーズに応じて適切な教育的支援の行う」体制のようです。いまいち説明を聞くだけでは違いがよくわからないのですが、このような考え方が出てきた背景にはLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥、多動性障害)、高機能自閉症の子どもたちが増加があげられています。
多摩市には瓜生小学校に「ユーカリ学級」があり、特殊学級としての受け皿体制は一応整備されているようですが、実は全国の調査でも一学級に平均6.3%の子どもがこれらの症状を抱えながら通学している可能性があるとしています。つまり、市内の通常学級に通うLD児などへのフォロー体制はまだまだ不十分と言えます。
これらの症状の難しいところは、医師からの観点で医学的には「障害なし」と判断されても、教育現場では「障害を抱えているのではないか。」と感じられる…という判断者の立場によって見かたが変わることです。診察の難しさもあり、判断の難しさもあるので両者とも間違っていると言いきれないのが現実です。
『特別支援教育』体制を導入することによって目指すのは、一人一人の子どものニーズに合わせた教育の展開です。そのためには専門的な立場から指導できる人材が必要だと考えているようですが、一体その求められる「専門性」とは何か?そして専門性は教員に求めていくのか?それとも教員免許はなくても指導に足りれば対応可能として外部の専門家を求めていくのか?非常にあいまいだと感じます。
今はモデル校として、大学や大学院との連携を図りながら「特別支援教育」を実施している事例があるそうですが、いわゆる学生レベルでの専門性だけで事足りるのかは非常に疑問だし、私自身は「指導する責任」を学生がどこまで負うことが出来るのかという点でも不安です。もちろん将来、教員を目指す学生たちにとっては経験をする場としては有効だと思いますが、いい経験を積む場所…として「ボランティア感覚」では決して出来ないという課題を克服する必要があります。(学生が参加をしていくことはとても大事だし、いいことだと考えるわけですが…。)
私はこの「専門性」というのが特別支援教育の中で一番のポイントではないかと思っています。教育は何といても指導者の資質が最も問われるからです。
それにしても、この中間報告書ですが、非常に素晴らしい内容になっていると感じます。けれども実際に障害児を抱えている親にとっては不安だらけの中味だとの感想がありました。それはこの報告書が行政主導で一方的に作成されたことに原因があるのかもしれません。一応、まだ中間報告段階で7月からパブリックコメントを集めるそうなので、切実な思いで障害児教育を考えている人たちの声が反映できる余地は残されているようで少しは安心しています。もちろん意見を収集するからには、きちんと生かしてもらわないと困ります。
東京都の説明を聞きながら、多摩市の状況を思い浮かべるのですが、多摩市では今、ピアティーチャー(市独自の制度)を導入していて、よりきめ細かな指導を目指して取組んでいます。でも私は、教員を増やしたから指導が行き届くのかといえば、まるっきりイコールの関係にはないと思っています。
一番大事なことはやっぱり指導する側の資質の問題なのです。私は報告書を見る限りにおいて、特別支援教育に転換することは悪い方向ではないと思うのですが、鍵を握っている専門家をむやみやたらに配置すればいいわけでないことを踏まえ、多摩市としての教育ビジョンをどう描くのかについて今のうちから真剣に考える必要性を感じました。
ちなみに国の予定では来年度法を改正し、再来年度から実行に移す運びになるようです。東京都の最終報告書は今年の10月を目途にまとめる予定になっています。
2003年05月10日
子どもたちと食
生活クラブ生協のまちづくり運動スタートアップイベントがありました。生活者ネットワークと政策協定を結び、食、環境、こどもの3つを柱にしながら調査活動などをしています。その中に学校給食問題連絡会チームがあり昨年は多摩地区の約2,000人の中学生に対してアンケートを行なっています。子どもたちの食の意識を知る貴重な調査結果になっています。そこで、今日の集会では‘食の専門家と一緒に考えよう!語り合おう!’ということで日野市の学校給食栄養士の方とフードコーディネータの方から話を聞きました。
学校給食といえば多摩市はセンター方式で何よりもメラミン食器であることで、「食の安全」を求める者にとっては悪評判。どんなにいい食材を使っていたとしても、環境ホルモンのホルムアルデヒド溶融の恐れがある食器を使っている時点でアウトです。
隣の日野市では小、中学校全27校全てに栄養士を配置している自校方式を採用しています。中学校のうち3校は調理業務だけ民間委託に切換わっているそうです。さて、自校方式の給食ですが、それはうらやましいものでした。例えば去年6月の献立表がサンプルで配布されましたが、ちょうどワールドカップの時期に重なっていることで、日本の対戦相手国の料理やワールドカップ参加国の郷土料理をメニューに取り入れます。ベルギー戦の時にはベルギーワッフル、韓国戦ならキムチビビンバ、トルコならオリエンタルライスなどです。そして、今日話をして下さった栄養士さんは毎日「給食室通信」を生徒に配布しているそうです。一言メモのようなかたちで、今日の地場野菜は○○地区の××さんがつくりました・・・と食材の話や健康の話などを葉書大ほどで、すぐに目を通せる大きさです。食べることを通じて健康をつくることを伝えたいといいます。さらには給食ポストを設置し、匿名で生徒の給食に対する感想なども寄せてもらっているそうです。毎日2、3件は投函されているそうです。多い時には10通くらい届くそうで、これには給食室通信で返事を書きます。
集会に参加していた人たちからうらやましい!というため息がもれていました。もちろん私も、こんな風に「食育」が進められていることに学ぶところは多いと思いました。
食教育の重要性はますます増してくると考えています。最近の子どもは肥満の子どもが増えています。コンビニやファーストフード利用など、今、食にあふれすぎ「どうやって「食」を選ぶか?」が問われています。そして、放課後も塾や習い事で忙しく孤食化が進んでいて「食べる」楽しさをなかなか実感できないのではないかと指摘がありました。食育とは「食べることの意味を理解し、一人一人が自立的に食生活を営む力を育てることや、それを実現しやすい食環境づくり、それらを支援、推進するネットワークづくり」と説明されるそうです。つまり大人の役割は子ども達に安定して安心してごはんを食べるという環境を作ることと言えると思います。
学校給食も「食育」の一環で求められる役割が多いのかもしれません。でも実態は時間がない中で配膳し食べる・・・時間に追われて昼食を済ませる状況にあります。食べることの義務化・・・早く食べなさい、残さず食べなさいなど言葉が飛び交っている状況もあるのではないでしょうか。これでは子ども達も会食の楽しみを学ぶ以前で「心」がストップしてしまうと思います。
食べて「元気」になります。どんな「食」を選択するのか、食材はもちろんですが、栄養バランス、楽しく食べる環境のことなどを含めて、子ども達に「食事力」を伝えるということは、実は大人の「食事力」を高めていくことにもつながります。これが、‘まち’の健康づくりにもなるのだとつくづく感じました。
2003年03月26日
学校給食を考えてみた
生活クラブ生協のミニ集会に行きました。学校給食の現状を少しだけ話しました。安全な給食というのは生活クラブ生協でも大きなテーマになっています。
集会に参加していた年配の男性に「一体、一食あたりいくらかかっているのか?」と尋ねられました。実は給食は一食あたり、だいたい900円です。すると男性は言いました。「それで、親の負担はどうなんだろう。」・・・「そうですね、小学校一年生だと220円の負担ですね。」・・・集会に来た人たちから驚きのため息がもれました。「900円もかけたら、もっと美味しいランチが食べられるよねえ。」「でも、保護者はわからないよ・・・だって自分の負担のことしか考えないもの。自分のお財布のことだけ考えているから、一食200円くらいなら割安だと感じるよね。」・・・という声が上がりました。
これまでは、食材の安全や食事マナーという観点で給食をとらえてきたわけですが、この男性の一言のおかげで、私たちはみんなで「給食」を通して税金を考えることができたのでした。給食にものすごい設備費と人件費がかかっていること、少子化が進んでいて子どもの数は減っているからなのか、一食あたりにかかっているコストは年々微増していることなど話しました。でも、このコストの伸びはおそらく人件費です。すると「本当に給食がいいのかどうかって思うよねえ。」男性は「900円もあれば立派な弁当が作れるんじゃないの。」と言っていました。安全な食材を使い、そして美味しい手づくりのお弁当です。でも母親にとっては「給食」は感謝する存在で、「この4月からは給食が早く始まるから助かる・・・」との率直な意見がありました。
私は「給食の役割」を見直す必要があると思っています。というのは貧しかった昔は、給食が子どもたちの健康を維持し、体をつくるために果たしていた役割が大きかったように感じます。けれども今の時代、給食に求められているのは決して子どもの「体づくり」が中心ではないように思います。「同じ窯の飯を食べる」という教育効果があると聞いたことがありますが、その教育効果については私は疑問です。そして安全性が疑わしい食器を使用している・・・これは教育的には本当によろしくないと考えています。食材の安全、食器のこと、食事マナーが育つかどうかなど話しあっているうちに本当は「給食」って何の役割を果たすんだろう?と思わずにはいられなくなりました。それは今の「給食」の現状が、自分たちの理想とする「給食」とあまりにもかけ離れたモノだからかもしれません。
そして私たちは多かれ少なかれ「給食」の費用対効果を考えさせられ、そして給食に対してもう一度、いろんな角度から考えなおす必要性を感じたのでした。子どもたちが一食900円のランチを食べている何て…OL時代、私は新宿でランチタイムを過ごしていましたが、900円のランチとはものすごく豪華過ぎて残さずにはいられないボリュームでした。そして同期などは人件費もコミコミで300円くらいの牛丼や安価なバーガーを食べていました。それと比較したら、子どもたちが900円のランチを食べているのはある意味贅沢なはずなのに、でも「給食」そのものを見れば、その「贅沢感」がありません。むしろ「えーっ、これが900円。」と思わずにいられない内容です。
「900円の給食」に求められるのは・・・?市民一人一人がまずは給食価格を知ることから話し合いが始まるのだと思います。
2003年02月07日
思想良心の自由
今日は午前中は少しゆったりして、ステイツマンのインターンシップ説明会に出席しました。3月議会に向けての一般質問を一緒に作ってみちゃおう!、選挙に向けての活動、その他私の日常を見てください!など、いろいろなプログラムを用意して地方議会・・・というよりも地域とどうやって関わっているのか?を体験してもらうことにしています。
5人の大学生が集まってくれて、それぞれの思いを今日の説明会に参加しようと思った動機を語ってくれました。さすが、突然の説明会開催に足を運んでくれただけあって、問題意識が高く、特に「何でも体験してみたい」という意欲はもちろんのこと、「考えているだけでは始まらないから行動してみたい」という現場主義を大事にするような思いを聞いてうれしくなりました。
私は議員として、はっきりいって自分から何かたいそうなものは与えられないけれど、でも一緒に作り上げていく面白さや楽しさを味わえる場所を提供したいと伝えました。インターンシップのプログラムはおそらく私という議員とインターン生徒の間でいかようにも作っていけると思います。かなり期待して楽しみにしています。
久しぶりに学習会に参加しました。教育基本法の改正がテーマです。早稲田大学で憲法学を教えている西原先生の話でした。まず始めに先生は一番の興味が「思想良心の自由」にあるといい、国旗国歌法などはこどもの思想良心の自由を侵すものだという説明をしてくれました。
私は国旗にも国歌にもあまり関心もなく、むしろ「どうでもいい」存在という認識しかありません。オリンピックの時に国歌を聞くたびに、「ダサイ歌」・・・テンションを盛り下げるように思ってきました。日の丸はなかなかシンプルでいいのですが、むしろお弁当のイメージが強いです。つまり私にはいわゆる「日の丸・君が代」問題が正直遠い存在なのです。なのでどうしてそのことが問題なのかについて、取り上げている人たちの話しを聞いて、薄すぎる問題意識を高めたいと考えています。
今日の話しを聞いていて、なるほど・・・と思うわけです。国旗国歌法は子どもたちや国民に強制するのではなく、教師の義務として存在してきた、、、そして教育基本法の改正でいよいよ子どもたちのところにまで国旗と国歌を精神の機軸にしようとしているという分析です。子どもたちを「洗脳」する状況が来る、そのときには例え、家庭の方針が国旗国歌に否定的であっても、子どもたちが一日の大半を過ごす学校での影響は強く、「日の丸・君が代」マインドになってしまう危惧が指摘されていました。
現場の先生も学習会に参加をし「教師の思想の自由はないのか?」と質問していましたが、それに対しては「より国旗や国歌を強制するような」先生も出てくるかもしれないので、やはり慎重に考えなくてはならないとの回答でした。
西原先生は子どもたちを守るためには今こそ地域や家庭との連携を強めるべきだと主張しましたが、その具体的な手立てはなく、どんな風に連携を強めればいいのかはわかりませんでした。学校、地域、家庭との連携は文部科学省自身も歌い文句にしているように思います。
いづれにしても、私は「日の丸」が掲揚されているのを見てもあまり何も感じない人で、恐らく去年のワールドカップを見ていても若者にとって「日の丸」は一応日本の国旗だから・・・くらいの意識しかなさそうに思っています。日頃から自分の家に日の丸を掲げている若者は多くないはずです。何となく国を表すモノを探すと「日の丸」に行き当るだけのように感じます。国歌についても同じですが、今日の学習会に参加して私自身も「国歌」の歌詞の意味などをきちんと説明されたことはなかったということに気がつきました。ただ、「君が代」が日本の国歌で、とっても覇気をなくすようなメロディだと思ってきただけです。今は歌詞の意味もわかるし、もともとこの歌は元気が出ないのであまり「歌いたくない」というのが私の感覚です。
でも西原先生の話しを聞いていてやっぱり「強制」するのはよくないなあと思います。学校現場でどのように「強制」されているのかということはいまいちよくわからなかったのですが、もし強制が行なわれているとしたら、それは良くないと思います。必要なことは国旗や国歌の成立ちやそれが持っている意味についてきちんと子どもたちに伝えることだと考えます。その後、どうするのかはまさに子どもたち自身のよるのではないかと。その時に大事なのは家庭の在り方かなあと思いました。学校で学んだことを家庭に持ち帰った時、どんな親子の会話があるのでしょうか?そこに一番の大事なところかなあと思っています。
2003年02月05日
赤信号は渡れない?!
朝は聖蹟桜ヶ丘の駅で遊説活動。途中で少し酔っ払い気味のおじさんにつかまり「だめだよ、お姉ちゃん、いくら言ったって変わらないよ。国会だよ。どうして多摩なんだ・・・。」から始まり、約10分間くらいおじさんの思いを聞いてしまいました。おじさんは酔っ払っていましたが、結構大事なことを教えてくれた気がします。「仲間を大事にしなさい。」と言っていました。「みんなたいしたことないんだよ。」とも言っていました。私もそのとおりだと思います。私なんてたいしたことなくて、私を支えてくれているステイツマンをはじめ多くの人の力が‘すごい’からです。
今日は予算の最終内示がありました。ほとんど前回の説明と同じですが、もちろん市の財政状況は完全に行詰り状態です。来年度の税収は落ち込みます。基金の取り崩しを行ないます。なんと財政調整基金と呼ばれる簡単に言えば、使途に制限ない市の普通預金は底をついてしまい残金が約5億円となってしまうのです。5億というのは私にとっては大金過ぎて想像つかない額ですが、市の予算全体として考えると来年度の一般会計では433億3千万円なので、どれだけ危機的状況にあるかがわかると思います。信号は点滅を通り越して赤に変わってしまっているのです。となればこれは断腸の思いで決断しなくてはならないこともたくさんあると思います。市長によれば市民生活に関わるサービスについては現状維持で努力をしたとのことでした。確かにそうかもしれません。でもそれはあくまでも「判断」にしかならないとも思います。恐らく今、必要なのは「決断」ではないか、それには恐らく痛みも伴うのだろうと思います。あとは議会として、どこまでそのことを認めていけるのかも重要な点です。要は誠実に説明責任を果たすことだと思います。それは市民に対しても同じことです。わたしたち市民一人一人も自分勝手になってはいけないと思います。全体的な視野を持ちながら、自分自身の‘くらし’が豊かになるように考えなくてはなりません。
ところで、今日は北諏訪地区の青少年問題協議会があり、始めの1時間ほど参加しましたが、その中でつい先日小学校が行なったアンケート調査に結果が公表されました。小学校の公開状況や、授業の指導方法や学校行事から子どもの様子などをたずねるものでした。私が驚いたのは、「生活指導がきめ細かく行なわれている」という質問項目があることです。私が小学校の時には考えられないことです。生活習慣などは家庭で教えていくものだと思っていました。そして何よりも、「自分からすすんで学習する習慣が育っている」「子どもが自分で考えて行動するようになった」「思いやりの心が育っている」という項目への回答で「わからない」という選択肢に数%の該当者がいることには、本当に寂しい気持ちになりました。どうして子どものことがわからないんだろう?と思うからです。『思う』『思わない』はあると思うけれども『わからない』というのは・・・・?私にはちょっと理解できない部分でした。でもきっとこの『わからない』という回答を0%にする必要があるのだと思います。
小学校の先生の話では最近落し物が多くなっているということや中学校の先生からは中学1年生なのに授業中に喉が乾いたと水を呑みに行く生徒がいるという話しを聞きました。「生活指導」のきめ細かさが求められる理由もわかる気がしました。そして要望として、土日に親子でふれあいが持てるような活動を学校を使用して開催して欲しいというものがあったそうですが、私は「親子のふれあい」とか「親子でできること」についてもそれぞれの家庭ごとに考えて遊んでいくものではないかと思いました。もちろんたまには、イベントに参加をしながらというのもありかもしれませんが、イベントがないと「親子のふれあい」ができないかのような気もしたのは残念でした。
何はともあれ、地域課題を少しずつ解決していけるようなコミュニティがなければ、まちづくりは動けなくなっているわけです。赤信号でもどうしても渡らずにはいられない現状に私は本当に落ち込んでしまいます。こんな状況で本当に未来はあるのかしら?と心配になるからです。でも自分自身でその心配を克服するためには、地域での活動などに積極的に参加をしながら人と人とのつながりをつくるお手伝いをしていこうと思っています。
2003年01月30日
これまで一体何だったの?
給食センター運営委員会の傍聴に行きました。つい先日の来年度予算内示の時に給食センター建替えの予算が認められていなかったので、私自身もこの問題が一体どうなってしまうのかと部長に質問をしました。そのときには「一時凍結」という回答があり、私は「一時」って言うけれど「一体いつまでの期間を「一時」というのかわからないですが・・・。」と聞き返しましたが、もちろんまともな答えが返るわけではなく「一時凍結でもう一度検討し直す」に終わってしまいました。
給食センター建替えに伴って、発ガン性物質を含んだメラミン食器を強化磁器に変更させようとの構想が進んでいたように思います。強化磁器導入を求めている市民にとっては全市的でなくとも一部からでも導入を進めて欲しいと要望しているのですが、これは聞き入れられることなく、そしてさらにはセンター建替えが宙ぶらりんになったと言うことは食器の導入までが先送りされたのでした。
この委員会は公募市民3名を含み、2年任期で開催されてきました。その間に強化磁器の導入を早期に実現すべきとの提言も出しています。今日は実質、任期中最後の委員会ということもあり最後には全委員の感想を聞く場面がありました。委員には小中学校のPTA代表もいるので、そう言う意味で、市民、つまりは給食を食べている子どもたちの母親が5人いますが、それぞれ口々にこの2年で検討してきたことが一体何だったのだろう?「残念」と語っていました。
私は今回のセンター建替え先送りについて事務局の行政側がどんな説明をするのかと見守っていましたが、その態度は誠実だったと思いました。けれども「来年度は・・・予算がない。」・・・でもそれならその次の年にはどうなるかという見通しについてはもちろん語れません、予測すらできないのです。
「お金がないといいますが、これから市税はどんどん減っていくわけだし、いつまでも‘ない’わけで、本当にセンター建替えは実現出来るのでしょうか?」という発言がありましたが、これについては行政側も苦笑いすら出来ず、苦し紛れに「教育委員会としては予算要望しましたが、最終的な決定権限は市長が持ちますので・・」との返答に留まらず得ません。
とんでもない時代になってきた・・・と思わずにいられません。ある意味では給食センター建替え、強化磁器導入などを含め「おいしくて安全な給食」を実現するためにセンター運営委員会に参加をし、発言をしてきた市民にとっては希望の光を断たれたと思います。これは私が自治基本条例でパートナーシップ協定が破棄されないかもしれない・・・という不安で残念すぎて悲しくなったのと同じ気持ちでしょう。
帰りがけ「あんまりだよね。」と言ったまま沈黙が続いてしまいました。既に小中学校の保護者宛てにはセンター運営委員会の答申として「強化磁器導入」があげられたこと、そして教育委員会もその方向を検討していくことが発表された便りが配られています。委員会に参加している5人の母親たちは「みんながこのお便りをみて、いよいよ強化磁器導入されることに期待をして安心している」という状況を訴えていました。教育委員会はこの便りについては何らかの対応をしたいとの話でしたが、希望や期待が一瞬にして消え去る時の状況を想像するだけで苦しくなってきます。
私はその一方で議員の立場で市の財政状況を見ていると、全て「やりきれない」ことを認識しなくてはなりません。私が言えるのは、変に希望を持たせすぎるのは良くないけれど、やっぱり希望を持てるような「まちづくり」をしていってもらいたいといことです。市民参加を呼びかけるのは当然ですが、きちんとした情報提供をしながら、市民の思いを少しずつ実現出来るようにはしてもらう必要があります。今回の給食センターのように一瞬にしてお先真っ暗!と市民が心から落胆してしまうような在り方に私はとても残念で腹立たしくもありました。まだまだ形式だけの「市民参加」しか無いのだと思います。その点でも本当にがっかりでした。
2003年01月25日
子どもの権利と義務
今日は午前中は議会対策の会議。3月議会に向けた一般質問作成です。今回は「子どもの社会参加」を考えてみようと思っています。これは私にとっても何となく追っていきたいテーマとして心に引っ掛ってきたことです。3月議会は任期中の一番最後の議会なので、どうしてもこのテーマを採り上げるしかありません。
子どもの問題は児童虐待やイジメからの救済を考えること、そして子どものまちづくりへの参加など市民としての子どもの立場を考えるという大きくは二つの側面があります。いづれにしても子どもの「人権」問題になります。
午後からは南多摩生活クラブ生協主催で講演会がありましたが、ここには「子どもの人権」といえばの早稲田大学の喜多明人さんが「子供の権利を考える」というテーマで話しをしてくださいました。とてもタイミング良く喜多先生と再会できてラッキーでした。
先生の話しの中では私が悩んでいたことがクリアになりました。それは一般的にもそうだと思いますが、「今の子どもたちは権利ばかりを主張する。」とか「権利権利というけれど、義務は果たしているのか?」など子どもたちがいわゆる自分勝手主義の権利を濫用しているではないか・・・という論調に対して、先生はどう考えているのか?ということでした。先生はもちろん権利と義務は一対であることを前提としながらも、子どもの権利については必ずしもそう言えないことを主張していました。それは例えば法律で考えてみても、憲法では(義務)教育を受ける権利は子どもが持っているけれども、教育を受けさせる義務は親が持つことになり、学校が負うことになっているからです。子どもの権利は大人や社会が義務として確保をすることだって存在するわけです。そして、子どもたちに権利意識、義務意識をきちんと教育できているかについて、権利学習の実態について調査をしてみても、ほとんど行なわれていない状況があり、それにも関わらず「子どもたちが権利を主張する」と批判もナンセンスなのです。学習していない、むしろ学習させるような場所がほとんど皆無に等しいのに子どもの状況を避難ばかりする大人たちもまた自分の姿を振りかえってほしいものです。そして子どもたちが、虐待やイジメにあった時、それは「権利侵害」なんだという自覚意識を持てるようにならなくてはいけません。
私は今日の話しを聞いていて、やはり「権利学習」が大事だなと思ったのです。でも正直、その「権利」なるものをしっかりと語りきれる大人はどれだけいるのでしょうか?そもそも一票を投ずるという権利をこんなにも無駄にしている大人たちがたくさんいる中で「権利」がこの社会の中でどんな在り方をしているのかからもう一度見なおす必要性を感じました。
2002年12月02日
学校のトイレ掃除
家で家族が使っているトイレ掃除もかなり憂鬱だけれど、これが公衆トイレともなるとますます憂鬱どころか、見て見ぬフリ・・・をしたくなるのが心情だと思います。
でも、近頃は駅のトイレやスーパーのトイレも随分と使い心地もよくなり、外出先でもいらない我慢をする必要がなくなった気がしています。
さて、今日の質問で「学校のトイレ清掃について」がありました。質問者の主張によると業者によるトイレ清掃の回数が減ったためトイレの臭気が漂って生徒が使えないというのです。私自身は実態がよくわからないものの、記憶を辿ってみれば、小学生の頃、なるべくトイレを使わないように心がけていたことを思い出します。ところがもうひとつの記憶に寄ればトイレ掃除が楽しかったことも覚えています。というのもトイレ掃除になると「もったいない」ほど水を使って掃除当番をしていたことがあるからです。クレンザーを使いまくり、とにかくきれいにしたいと思って掃除をするわけです。そして、自分がきれいにしたものだから、なるべく使用するほかの人には汚さないように使って欲しいと思うのです。つまり自分たちで掃除をするというのは自分たち自身でトイレを使うマナーを学んでいくことにつながると考えるわけです。
掃除をする人の気持ちになった使用者のトイレの使い方はやはり違ってくると思われます。これは全くまちづくりという発想にもつながってきますが、まちづくりを自らやっていく・・・ということはそこで自分自身が果たすべき義務とか責任感を次第に身につけていくからです。トイレを使うときにはなるべく掃除をする人、そして後から使う人のことを考える・・・この発想はこの間聞いた、小学生のまちづくりの話にもそのまま通じることで、自分たち自身がアイデアを出して完成した駅前通り(小学生のアイデアとは駅前通の敷き詰められたブロックのデザイン)に、ガムや小さなゴミくずが捨てられているのを見て、悲しい気持ちがした・・・・と似ていると思うのです。
そういう自分たち自身が小さいかもしれないけれど果たすべき責任を小さいうちから会得できる場面は貴重だと思います。確かにトイレがきれいで当り前・・・という固定観念を作ってしまうよりは、トイレのきれいさは使う人次第だということを学ぶことが教育ではないかと思います。とはいえ、学校も老朽化をしていて、子どもたちの掃除ではなかなか追いつかないのかもしれませんが・・・。
実態があまりよくわかっていないので、えらそうなことは言えませんが、業者が入ってのトイレ掃除の回数が減ったことを問題にするよりは、子どもたちのマナーとの兼ね合いで捉えた時にどのくらいトイレ掃除の大変さを伝えることができるのかや、トイレ清掃を通じて身につけるべきマナーを教えていくのか・・・まずはそのことを問題に取り上げてもらいたいと思いました。教育の現場で教育なされずにトイレが汚いまま放置されている現状自体が問題だと思います。それを業者の清掃の回数が減った責任へと転嫁しているようにしか聞こえなかったからです。 トイレ掃除ひとつを考えてみてもわかりますが、自分たちで自治していくことって本当に苦労の多いことです。自分でやってみて初めてその大変さがわかるからです。自分の嫌なことも嫌とは言えない側面もあります。人間一人で生きていくことはできない以上、自分たちの責任や役割を周りの人と分かち合いながら共同社会を作っていくわけで、そこは当然わきまえなくてはいけないルールは存在します。
それにしてもなぜあのように業者へのトイレ掃除を要望するのか未だによくわかりません。自分たちの使っているトイレなら、当然のごとく自分たち自身で清掃するべきなのになあ・・・と。トイレをめぐるルールはそれこそ人間のコミュニティづくりの基本になりそうです。
2002年11月01日
あったらいいな。コミュニティスクール
月曜日祝日続きで久しぶりの朝遊説でした。寒くなってくるので辛い辛い。まずは起きた時にまだ真っ暗・・・というのは億劫なこと。でもステイツマンのメンバーの一人は日高市在住。彼を前にして「辛い」なんて言えません。朝の遊説が終わった後、事務所で打合せをしました。今後どんな活動を組み立てていくのかネット事務局との調整が必要です。
午後からは急遽一般質問の組立てをしました。今回は「都市計画」がテーマです。多摩市の都市計画行政ではやはりニュータウン問題①未利用地②団地建替えの行方は大きな課題です。それともにいわゆる既存地区の整備も考える必要があります。
さて、今日は東京ネットの子ども部会で参議院議員の鈴木寛さんから「コミュニティスクール」について話を聞きました。コミュニティスクールとはつまり「新しい学校」のことで、学校や家庭の教育力低下が言われている中で地域にもっと学校を開放し、地域の人たちに学校運営、学校経営に加わってもらう、地域で支える、地域力を生かした学校です。アメリカのチャータースクールを見習ったもので運営費は税金です賄われる形式です。国会ではコミュニティスクール法案の審議されるのは、教育基本法の見直しや国立大学の法人化のあとで、おそらく本格的には来年度以降に行われる予想だそうです。今は研究校がいくつか指定され試行されている段階です。
私はコミュニティスクールそのものは否定するものではなく、地域に開かれた学校で、地域住民が講師をやったり、ユニークなカリキュラムを作成できたりなどすればいいと思っています。コミュニティスクールの人気上昇で周辺の学校が刺激されるという効果も期待できるからです。コミュニティスクール法というのは学校運営の在り方を変えていくという「仕組みづくり」の手法に主眼が置かれています。要は学校の中味については地域で独自に企画していくからです。
けれども私はコミュニティスクールの受け皿となる地域が存在しているのかが疑問で、さらにはコミュニティスクールを設置する要件を満たしているかどうか誰が判断するのか、もしコミュニティスクールとして不適格だとされたらその責任は誰がどのように請負うのか?という部分の議論がまだまだ不足しているように思います。私は開かれた学校づくりは大切なことで、「密室」と言われる学校を変えたいという気持ちはありますが、例えばコミュニティスクールがの認可が取消されたなら、その時そこに通っていた子どもはどうなるのでしょうか?が一番大事なことと思っています。運営協議会に異議を申立て、閉鎖に追い込まれた学校の生徒たちをどのようにフォローするのかが心配なことです。
確かにこの議論は「にわとりたまご」の世界ですが、その中で子どもが翻弄されることはならないと思っています。鈴木さんはこれまでの教育行政が変わってこなかったのも「子どもたちを巻きこまずに」という言葉が存在したと言います。この文句により守られてきたこともわかります。でもやっぱり、私は今のコミュニティスクールの議論の中に足りないのは「子ども自身の声」だと感じます。今でも実験校があり、3年目を迎えているところもありますが、そこに通わせている保護者の姿や学校運営主体の地域の状況がどんなに熱心であったとしても、それで学校がどう変わり、子どもたちがどう変化したのでしょうか?一番知りたいのは「子どもの姿」です。子どもの顔があまり見えてこないコミュニティスクールの議論に私自身は少々不安を覚えています。
でもやっぱりコミュニティスクールがあったら面白そうです。色んな人が関われるコミュニティスクールであることが不可欠です。一般的に言えばコミュニティセンターじゃないですが、一部の人だけのモノに成り下がることのないような運営を目指すことも第一条件です。そして両親共働き世帯が増える中、実はコミュニティスクールで一番重要なのは、そこの通わせている生徒の両親だったりするわけで、おそらく彼、彼女たちが学校(地域)に任せっぱなしてでは意味がなく、どんな関わりかたをしていけるかが一番の鍵だと思っています。平日は会社、平日午後もしくは休日はコミュニティスクールに関わる・・・・忙しい生活に楽しさを覚えられるでしょうか?どちらにせよ、コミュニティスクールの在り方が問われるし、それをどう創っていくのかについて一筋縄ではいかないと感じています。
2002年10月09日
フリースクールの見学「東京シューレ」
午前中は決算委員会に向けての対策。決算書を読みこなすのは本当に大変なこと。歳出はイメージができても、歳入についてはチンプンカンプンで、何についてどのようにとらえればよいのかがついていけないのが現状です。初めてなので・・という言い訳はできないので、少しでも自力で学習しなくてはと思うのですが、書店へ行っても、一体どの本を選んで読めばいいのかとボーッと書棚の前で立ち尽くしてしまいました。
午後からは東京シューレを見学しました。多摩南生活クラブ生協の企画です。生活クラブには「まちづくり委員会」があります。ここでは自分たちの住んでいるところ(まさに「生活」)の抱えている課題を自分たち自身でどう考えて、行動していけるのかと様々な取り組みをしています。例えば学校給食チームでは多摩南のエリア内にある自治体の学校給食の調査を行っています。その一つに子育てを考えるチームがあります。今、子どもをめぐっての社会環境づくりは大きな課題です。特に「子どもの権利」をわたしたち大人がどう捉えるのかについて、国連の「子どもの権利条約」をあわせながら考えていく必要があります。
さて、東京シューレとはフリースクールでいわゆる不登校の子どもたちが自主的に通ってくる学びの場です。NPO法人格を取得しています。全くの自主運営で、経営を支えるのは通ってくる生徒の親です。入会金が15万円、あとは月会費が4万5千円(施設維持費込)です。行政からの支援はありません。ただ、今日見学をした東京シューレ新宿は、新宿区役所の出張所跡地で、新宿区に借りているそうです。NPO法人格を取得して、行政からの例えば職場研修の講師受託がしやすくなったといいますが、これまで約18年間、行政との関係においては助成や補助はまったく無しで続けてきました。OBやOGの数は900人を超えるそうです。
見学中も何人かも子どもたちが年齢に関係なくパンづくり、パソコン、音楽などをしていました。放課後の児童館みたいでした。子どもたちの様子はみんな元気に好きなことをやっている、つまりそれぞれに楽しそうだなというのが印象です。施設の見学をした後で代表の奥地圭子さんの話を聞きました。ちょうど今朝の朝日新聞に彼女の投稿があり、私は呼んでいたのですが、文科省の設置した不登校問題の調査会議の中で不登校について学校復帰させることを強化していくべきだという意見が強く出されていることへの疑問をお話してくれました。なんと文科省は約80億円ほど不登校時対策に投資をして来たそうですが、その成果は・…?毎年毎年不登校の生徒数は増加しています。
結論的にいえば、その子にあったプログラムを提供していくことが大切なのです。学びは強制ではなくシューレでは自分が出席したいプログラムを選択するシステムになっています。シューレの一番の特徴は時間割なども子どもたちが自分たちで話し合って決定することで、すべて子どもたちの自主運営、大人は子どもたちの意思を尊重して、適宜手助けをしていくのが役割です。世界的にみるとこのようなフリースクールは社会的にも認められた存在ですが、日本の中ではまだまだ認知度も低く、むしろ「不登校は悪」という社会的通念の中にあり、子どももそして親や先生も含めた大人たちも苦しんでいるのが現状だと思います。
シューレにくることも、不登校の子どもたちにとっては大きな勇気がいることなので、ホームエデュケーションのプログラムもあり、シューレ大学では知的な探求の場として単位も学年もない学びの場所として解説しています。自分たちのやりたいことを探しながら、取り組む中で子どもたちも自分たちの不登校という事実をマイナスに捉えるのではなく、認められるようになり、そして成長するように思いました。
シューレの子どもたち2人と、シューレを卒業して今はスタッフとして働いている方の話を聞くことが出来ました。3人とも学校に行けなくなったのが「イジメ」だったといいます。そして3人とも、自分たちの親は無理矢理にでも学校に行くことを強制したといいます。だからますます学校嫌いになり、大人に対する不信感にもつながっていったのです。もちろん先生も不登校の生徒を学校に来させようとしたそうですが、お節介をされればされるほど行きたくなくなったそうです。
シューレに来て一番いいのは強制されないところで、先生が全てを決めるのではなく子供がやりたいことを決められることだと話してくれました。「好きなことをやろう。好きなことをやりたい!」と思えるようになったと言います。将来に対しての不安はないのかな?と質問してみましたが、「今からくよくよしても仕方ない」という前向きの返答が来ました。そしてスタッフの方は現在子どもに対しても「普通の学校に行きたいかシューレに行きたいかを選択させた」と言います。現在、親子でシューレに通っています。
「がんばらなくていよ」と言ってもらいたかった、「大丈夫だよ」って言ってもらえればよかった…何でも命令形で指示されることが嫌だったという子どもたちの声を直接聞き、私たち見学者ひとりひとり大人の価値観、特に社会通念がどれだけ子どもたちを縛っているのかを考えさせられました。「学校に行かなくてもいい」と認めることの出来る価値観がないことで苦しむ子どもたちがたくさんいることを知りました。
いろんな生き方を認めていこう!多様な生き方を認めることは大切です。だから、学校でもいいけれど、フリースクールでもいいよ…子どもたちの選択を認め、そして支援していくことも重要です。不登校問題が社会の大きな課題となっている中で行政としても何らかの応援策をとっていく必要があるように思いました。
2002年09月21日
どういうこと???
午前中の会議では都議会と稲城市議会との情報交換をしました。その中で「あら?」と思ったのは、都立高校の改革についてです。東京都は都立高校に新たな特色を持たせようと策略中です。例えば先日発表されたように公立校どうしでの中高一貫6年生学校を計画しています。これについては、(1)中等教育学校(前期課程3年と後期課程3年にわけ、一体的に一貫教育を行う)形態、(2)併設型(これは併設する中学校からの進学者(この場合中学も都立となる)と一部の生徒は高校入試で受入れ可能)、それから(3)連携型(地域の中学校と当該区域にある高校とを教員や生徒間交流などの面で連携を深めていく)の3形式が考えられていました。
先日17日に文教常任委員会が行われました。既に多摩市内の都立高校は中等教育学校にはならないことが決まっています。けれども市としては連携型で進めていきたいとして東京都教育委員会に働きかけをしているとの説明がありました。
ところが、今日情報交換をして判明したのは、既に東京都は連携型は実施しないという方針を打ち出したとのことでした。・・・となるとこの間の市の話は一体なんだったのだろう?東京都は随分前に連携型は採用しないという決定をしているにも関わらず、多摩市では都に強く働きかけていきたい・・・という姿勢を持っている???この齟齬は一体どこから起こっているのか本当に不思議です。どちらが本当なのか?多摩市が何も知らされないままに連携型を要求しているのでしょうか?なぜ、このような食い違いが起こるのか、さっそく休み明けに真相を確かめに行く必要があります。一体全体どういうことなのでしょうか?
さて、午後からフォトジャーナリストの桃井和馬さんのミニフォーラムに参加しました。桃井さんは世界中を飛びまわっている方です。国際政治とか環境問題を柱にしながら活動をしています。彼は世界中のさまざまな政治家に出会いを重ねています。そんな彼が言いました。「監査しなくてはならない。」それが政治家としての条件だと。自分自身でいつも自分を監査できなくてはいけないのです。人は誰しも自分のことが一番かわいいので自分自身を監査することは心がけても、そう簡単なことではないと思います。でも彼の言葉は本当だと思いました。
実は今日、ある大学の先生に言われました。「必ずしも自分自身の言い分や主張が通るわけじゃないんだ。自分が良かれと思っていても、それが市民全体を考えた時にどうなのか?通用しないこともある。その時には自分を捨ててでも市民のために働かなくてはならない。自分の面子なんて関係ないんだ。市民のために行動するんだから。」
もう一つ。夜、お食事会があり、以前から誘われていたので参加しました。そこで初めて出会った人に言われました。「これから勉強します。・・・そんな人は議員としての資格はないからやめてもらいたい。そんなことはいいんだよ。もっと勉強をして磨きをかけていく。そうならなくちゃだめ。自分の意見を持ちなさい。信念を貫かなくちゃダメ。それくらい責任が重いんだから。」さすがに私にはとても厳しい言葉で、ちょっと涙が出そうになったけど我慢しました。彼は言いました。「今まで一生懸命はやってきて、何かはあるでしょ。いいんだよ、それで。今、何もできない・・・それは赤ちゃんと一緒。そんな人は必要がないんだから。がんばりなさい。自分をしっかりと持って。」・・・励まされたんだけれど、泣きそうでした。とっても重荷であることはわかっているつもりです。でも「つもり」では務まらないのです。彼は4月の選挙で私に一票を投じてくれたとのことでした。言い訳はできない立場にあることをものすごく実感をしました。
2002年09月07日
てるてる坊主に感謝して
午後からの「子どもの王国」は諏訪児童館と青少協北諏訪地区委員会と地区の子ども会との共催によって開催されるイベントでした。児童館とタイアップするのは今回がはじめて、学校開放の制度を利用して、北諏訪小学校を借りて実施しました。前日から雨が降り続いていたので、「てるてる坊主」を用意して、せめて雨が上がってほしいと昨日はお願いしていました。おかげで、なんとか曇り空のもと、当初予定していた(出張)ミニ動物園は中止でしたが、その代りに体育館ではゲームコーナーを設置し、地域みんなで創るイベントがスタートしました。
青少協と子ども会はなんでも「10円」でポップコーン、ジュース、ウインナー、わたあめを販売、児童館の職員と小学校のPTAは体育館内でのゲームコーナー担当、中学生ボランティアが20名ほど、大学生も10名ほど加わって、イベントを盛り上げました。児童館でもこれまで単独で「子ども祭り」を開催してきたので道具例えばわたあめ製造機や、ウインナー販売のための用具などは全て児童館からの拝借、こどもが楽しめそうなゲームなどの企画などももちろん児童館の職員、そして児童館長が指揮を取って見回りを担当してくれる・・・・という児童館の能力を活用して、初めての開催にしてはなかなか良かったのではないかと感じました。参加者も幼児に同伴した親も含めて475人、それにボランティアやスタッフを加えると500人ははるかに超えると思われます。地域の資源を活用して、地域の子どもたちに楽しんでもらいたい!という目的はある程度は達成されたのではないかと思います。校長先生はじめ、小学校の教員もお客として参加しました。
それほど派手で華美でもなく、どちらかというと地味なイベントでしたが、みんなで少しずつ「持ち寄り」の精神で創ったことは大きな成果です。来年にもぜひつなげられるようにしたいと思っています。
青少協の活動は議会などでも指摘されるように、市内全てを見回すと活発に活動をしているところとそうでないところがあるようです。活動をしていないのに予算を一律に振分けていくことは問題だという指摘には同感です。少なくとも北諏訪地区委員会では、地区住民が協力的で、活動もとても活発。そして何よりも「今年よりも来年へ」という活動の質についても向上させようという意欲があります。これまでのように全ての地区委員会に同じだけの予算をつける時代は終わっているのでしょう。市長は同じ地区に住んでいるので、高齢者の慶祝イベントの合間をぬって一瞬だけ来てくれたわけですが、教育委員会の青少協を担当している職員が来てくれなかったことには少々不服です。
2002年08月23日
みんなで力をあわせなきゃ!
多摩NPOセンター主催の子ども漂流教室が無事に終了しました。今年が初めての試みです。何と言ってもNPOセンターのある西永山複合施設(旧西永山中学校・・・廃校になったところ)での開催はユニークです。 昨日の朝から校庭にテントを張り、ブロックでかまどを作り、ごはんを作り、キャンプファイヤーをして、きもだめし、花火にゲームまでの盛りだくさんの中味でした。とにかく初企画だったので、すべてがドキドキでしたが、台風が去って予想外の冷えこみと、今朝からの小雨だけがちょっと残念だったことを抜かすと、なかなか素敵な取組みで上出来だったのではないかと思います。というのもこれはNPOセンターの運営に関わる大人たちの発案で「子どもにいろんな事を体験してもらいたい!」だけではなく、特にニュータウン地域は核家族世帯が多く、なかなか世代間交流が生まれにくい!「あこがれのお兄ちゃんやお姉ちゃんを作っちゃおう!」というのがコンセプトでした。ガキ大将という言葉もかなり懐かしく感じる昨今です。地域ぐるみで楽しんじゃおう!というつながりが生まれにくい現状があります。それを打破すべき第一歩としての‘しかけ’づくりとも言えるかもしれません。
とにかく企画者側は縁の下の力持ちでスタッフに徹する。子どもたちは中学生から高校生、大学生までの若者のボランティアと一緒に過ごしました。企画者の大人は一切口を出さない!ことが約束でした。小学生から大学生までがグループを作り、その中で企画者の段取りのよさにも助けられ、さまざまな体験をしました。小学生のための体験教室だったけれど、反省会ではボランティア自身も学ぶことが多かったという感想が口々にありました。「普段、小学生と接する機会もないし、どうやって接したらいいのかわからなかったから、いい経験になった。」「小学生の方が年上慣れしていたからびっくりした。」などでした。考えてみると私も小学生と接する機会もなく、彼らたちがどんな発想をしているのか、何に興味があるのか等わからないわけです。子どもの社会参画を考える時にはやっぱり普段からでも彼らと一緒になって学びあいをする必要があると感じました。
老若男女が力を合わせて取組んだわけですが、その思いはひとつで、「小学生自身の力をひきだしてあげる。」自分自身で自分の可能性を知る経験をしてもらいたいということでした。なるべく手出しはしないで、けれども出来ないことはサポートしてあげる・・・ボランティアと小学生、そして企画者がそれぞれ役割分担をしました。さらには職員の協力もありました。特に朝方には夜通しで見回りなどにもつきあってくれた職員がキャンプファイヤーの残り火のわきでダンボールを敷いてイビキをかいている姿には小さな感激を覚えてしまいました。キャンプのテントは教育委員会から、そしてランタンは選挙管理委員会のものを借用してきたり、公民館の備品ももちろん貸してもらう・・・そのために走り回ってくれる職員には本当に感謝です。そして、そういう中で活動を組み立てていくことが職員と市民との信頼関係を築くことも感じました。
みんなで一緒になって取り組むことが新しい流れを創っていくことは間違いなし!この活動で生まれた世代交流が次につながっていかなくては意味がありません。また、何よりも「子ども」について真剣に考えて行動しようとしている地域があることに素晴らしいと思いました。
2002年08月22日
みんなで力を合わせなきゃ!!!
多摩NPOセンター「夏休み漂流教室2002」1日目・・・私自身も初めてのテントはり・・・
2002年08月21日
9月議会に向けて
いよいよ通告書締切りまでも1週間をきりました。本腰を入れなくちゃならないと、ひと踏ん張りなのに思うように進みません。そんな中、今日は市長より9月議会に提出が予定されている案件についての説明会がありました。今回の議会ではとりわけ重大!と思われる案件はなかったように思います。345,074千円の補正予算が組まれていたのと、前年度の決算における中間取りまとめが発表されました。歳入では個人市民税が4年連続で減収になっています。そのかわり固定資産税が少し伸びています。財政力指数も1.156なので、不交付団体になります。多摩市は急激な高齢化を迎えることもあり、交付団体になることも既に予測されています。市長は財政問題にも非常に危機感を感じていて、所信表明の通り経営感覚を取り入れた行政運営しようとしているんだという気合を感じました。「ここ1、2年が勝負です!」とおっしゃっていましたが、その言葉どおりに進めているように思いました。頑張ってもらいたいし、期待もしています。そして協力できるところは協力したいです。
さて、今日は午前中に調布市のこども家庭支援センターの見学に行きました。国領駅南側の再開発ビルの中にありました。再開発ビルの中に調布市が公共施設として使用するとして取得した部分があり、たまたまその時にこども家庭支援センター構想がもちあがり、実現をしました。平成9年から市民も交えた懇談会が開かれ、平成10年からは市民懇談会の答申を受けて検討会がより具体的なプランを練り上げたそうです。なんと1500㎡もの面積には、ファミリーサポートセンターも併設されています。ショートステぃ、トワイライトスティや子育て支援事業も含め8つの事業を展開しています。驚きなのは利用者ですが昨年は9万6千人ほど、そのうち市外からも約20%ほどの利用者がいるそうです。施設長さんは「立地がものすごいよかった」として市民が使いやすい場所にあるという好条件を指摘されていました。センター内を見学していると、おとうさんの姿もちらほら見かけました。子育てにおとうさんが参加してくれるのはうれしいことです。
この家庭支援センターは市からの委託事業で社会福祉事業団が運営しています。事業費は約130,000千円ほどだそうです。他にはビルの共益費として16,400千円があります。事業費額(市からの委託料)を聞くと驚きなのですが、これは保育園1園を考えてみると半分の経費で運営できる額だそうです。そう言われて思ったことは、比較対象って結構大切なんだなということでした。
ここでは子育て相談も多数受付していますが、子育ての悩みから夫婦の悩みなど…さまざまな相談が持ちかけられるそうです。育児ストレスなどの相談があれば、センターで行っているサービスの紹介がすぐできるというメリットがあります。実際にすぐにサービスの利用も出来るため、切羽詰った母親にはとても喜ばれるようです。
私にとってはまだまだ育児はイメージできない世界ですが、遊びに来ている親子の姿を見ると、私と同じ年くらいの母親がいます。ひとごと…だとして片づけられないなあと思います。自分自身の問題として考えてみるときには、このような施設があるだけで、利用するしないは別としても安心感が生まれる気がします。多摩市でもぜひこんな施設があればいいなあ…と思います。何と言っても一番は施設が新しい事もあり、清潔感あふれています。きれいな設備だというのは外せない条件です。1回訪れたら、また来たい!という気持ちになってしまう場所です。相談員の方は「誰でもがみんな高齢者になるのとは違って、子育ては一過性のものだからなかなか振り向いてもらえないのよね。育児をする人へのまなざしを変えたい」と語っていました。
少子高齢化が進むからこそ、子どもに対する施策をどのようにまちづくりの中に位置づけていくのかが問われるのではないか…私はそう考えています。
2002年08月08日
やっぱり子どもは変わらない!
今朝は毎週木曜日の永山駅前での議会報告。昨日ニュースレター「ほうれんそう」の第3号が完成して印刷をしたので、元気よく家を出たわけですが、何と…駅で他の議員さんと鉢合わせに。彼はこれまでに毎週木曜日永山駅で報告をしていたのこと。けれども私が7月からやってきた時には一回も出会ったことがないのに・・・。今日はステイツマンのメンバーも日程が合わず合流できなかったので、ちょっとひ弱になってしまい「すみません・・・。」と言って駅での議会報告を断念。毎週月曜日が空いているという情報を入手したので「1週間の始まりを元気よく!」とばかりに思いきって曜日変更をすることになりそうです。
今日は、朝から青少協の北諏訪地区で河口湖までデイキャンプに行きました。久しぶりに小学生中学生に囲まれましたが、現代っ子は様々な問題を抱えている…と言われているけれど、やっぱりそんなことはなく子どもは子どもだな…と思いました。ビンゴやじゃんけんゲームでの景品ドリにものすごく真剣で、景品が大したものでなくても(実際100円ショップとかで購入しているモノ)大喜びな姿、やんちゃなくせにお菓子のつかみ取りであんまり取れなかったら、ものすごく寂しい顔をしたり、カレー作りでは包丁をこわごわ持ちながら野菜を切ったり、特に目にいっぱいの涙をこらえて玉ねぎを切る姿は印象的です。それにカンカン照りにも関わらず、ひなたでボール遊びをしたり、草をとったりする姿、とても無邪気で純粋で、一生懸命だなあって感じます。驚いたのは液晶テレビを持参していた子がいたという話。どうしてこんなモノを家からリュックサックに入れてきてしまうのでしょう!それをカレーを食べながら見ているなんて…。これについてはちょっと問題を感じましたが、子ども自身をとがめることはできないなと思いました。
とにかく子どもたちが一喜一憂しながらゲームを楽しむ様子を見ていると私でさえも「未来」という二文字を強く心に感じてしまいます。帰りのバスの中ではアニメの「コナン」のビデオを流しましたが、これを真剣に見つめている子どもの目を見ているとごまかせないな…と。私自身も年齢がそれほどでもないので「おねえちゃん」扱いをされ、久しぶりに子どもたちに囲まれてみて、思ったことですが、子どもたちはやっぱり自分自身をアピールして表現したがっているということです。「自分の力でやってみたい!」という気持ちが多かれ少なかれあるのです。「私も何かやりたい!」「やったことがないから、してみたい!」こんな声をたくさん聞くことが出来ました。これは「子どもの社会参画」を考える上でとても貴重な体験になりました。子どもには秘めた力があり、それを上手に引き出せるようなコーディネーターの育成の必要性を感じます。「やってみないとわからない」「やらせてみないとわからない」。大人がやってしまうのは簡単だけれど、時間がかかっても子どもにやってもらうことが大切。そういうことってたくさんあるような気さえしました。来年のキャンプでは、実行委員会にも子どもも参加してもらえるような提案をしたいと思います。今回もキャンプ当日のリーダーには中学生の協力をもらいました。ちょっとずつ・・・を考えるとまずは彼らの参加の範囲を少し広げることから始められるかな・・・と思っています。
それから今日は18時すぎに無事に多摩に到着。それから急いで次の待ち合わせ場所へ。桜美林大学にサマープログラムで勉強に来ている留学生の金さんに会いました。彼女の熱心な学ぶ姿勢を見て、また私も元気をもらうことができました。彼女が言いました。「日本人も韓国人も心の奥底にはLOVEとPEACEがある。一緒なの。変わらない。」私も同感でした。彼女と出会えてとてもうれしく思いました。
2002年08月06日
児童館めぐり…最終回(連光寺)
6月末からの市内全児童館の見学がようやく終了しました。今日行った連光寺地区は子どもの数が急上昇中。大型のマンションが次々に建設されているので今年の4月には一年生が初めての3クラスになったそうです。連光寺小学校はもともと狭いので、これ以上児童が増えてしまうと、教室が不足してしまう恐れも…。ニュータウン区域では子どもがどんどんと減少して廃校もあるのに。こんなバランスの悪さは、やはり都市計画に原因があるのでしょうか?今だけを見るわけでなく将来を見据えるのもなかなか難しいことなんだと思わされます。すべては人間の行うことなので、完璧を求めることはできません。今、精一杯考えられることは半ば遊んでいる公共施設などの活用方法だし、連光寺小学校にしても教室が足りないからと言って増築するのではなくて、どうしても学区域の変更などで対応するしかないのかも…という苦肉の策を見つけていくことです。同時に児童が増えるということは学童クラブの人気も併せて増加することになるので、こちらの対応策も考える必要があります。
すでに、これまでに他の8つの児童館を見学していたこともあり、今日は最後ということで要領よく見学を終えることができました。連光寺児童館は広場のスペースがまったくないので、これは愛宕児童館と同じですが、思いっきり体を動かすようなスポーツなどは近くの公園などへ行く必要があります。愛宕児童館ではすぐ裏の小学校の校長先生との連携で、学校のグランドを使用させてもらい野球やサッカーをするという話でしたが、連光寺児童館はそういうわけにもいかず、一番近くても大谷戸公園へ出かけなくてはなりません。もちろん学童クラブも同じです。連光寺の児童館も小学校の方が近いのでグランドを使えばいいのになあ…と思いましたが、館長さん曰く「やっぱり怪我とかあったりしたら…責任とかあるし…」とのことでした。確かに怪我はあるとも言えないし、ないとも言えないけれど、そんなことを言っていたら始まらないじゃない…と思いました。私は児童館の職員の方は宝箱のようにいろんな遊び方を知っていると思っています。そういう能力をどんどん活用しなくては!と思います。とっても残念ですが連光寺児童館では例えば、児童館に来た子どもたちと一緒に職員が大谷戸公園まで出かけて遊んだりはしないそうです。学童クラブの子どもたちが公園へ行く時には学童クラブの職員が引率するそうですが、児童館へ来る子供たちについては、そこまで責任を持たないということなのでしょう。それは、それで理解ができないわけでもないけれど、やっぱりもっともっと児童館の職員たちも一緒くたになって子どもたちと楽しむことって大事な気がします。そういうのが子どもが地域で育っていく一つのモデルでもあると考えるからです。児童館の館内だけではなく、もう少し広い視野を持つことが大切な気がしました。児童館から地域を見ていくということかもしれません。
ところで、連光寺児童館には老人福祉館が併設されているのですが、ちょっと問題があるようです。というのも福祉館にはお風呂があって、毎日きれいなお湯を入れ替えているそうですが、平均でも7人前後くらいの利用しかなく、驚くべきことに一人も利用者がいない!なんて時もあるそうです。こういう現実をどう考えていけばよいのでしょう?そして、連光寺地区は多摩市の中でもニュータウンではない地域でわりに多世代家族が多いそうです。その点では、例えば老人たちが同居している孫からちょっと解放されるために福祉館に立ち寄るそうです。こういう話を聞くと、多摩市の中の地域性を感じます。ここでは高齢者と子どもたちのふれあいが昔ながらのかたちでまだまだ存在するということです。こんな風に考えてみると、やっぱりこれからの児童館など地域にあるひとつひとつの公共施設というのは、そこを利用する人たちのニーズにそう必要があることが明らかです。
「もっともっと住民たちで考えてもらわなくちゃ!」これまでのように行政が「良かれ・・・」として基準をつくる時代は終わっていることを痛感しました。
2002年08月02日
「地方自治と子ども施策」自治体シンポジウム2日目
全国初の試みとして兵庫県川西市と子どもの権利条約総合研究所との教師で行われたシンポジウムでした。なんと初日の報告会には約400名近い人が参加、分科会も3つにわかれましたがそれぞれ参加者が約50名程、最終日のまとめの討論会にも約200名近い人が参加しました。「子ども」の問題についての関心の高さが伺えるシンポジウムでした。兵庫県の川西市には全国に先駆けて子どもオンブズパーソン条例があります。先駆事例を持ってしまった自治体はどこでもそうだと思いますが、全国各地から視察が訪れてとても忙しくなってしまいます。ともすれば本業がおろそかになってしまう…くらいに恐ろしい数の視察を受けるともきいたことがあります。今回のシンポジウムでは川西市がイニシアチブを取って全国の「子ども施策」に関する先進事例を一挙に集めてみんなで情報交換をしましょう!という試みでした。全国から21自治体が報告者として名を連ねました。もちろんすべてをきくことは出来ません。(1)自治体で取り組む子ども救済(埼玉県・神奈川県・泉大津市・青森県) (2)自治体で進める子どもの参加・参画(宮城県・近江八幡市・滋賀県・鶴ヶ島市・高浜市・豊中市・中野区) (3)進行中の「子ども条例」づくり(小杉町・多治見市・日野市・高知県)の分科会にわかれました。そしてパネルディスカッションの報告自治体が川西市、箕面市、川崎市、大阪府、八千代市、国立市です。
私が参加したのは(2)の分科会で子どもの社会参加・参画をテーマとしたところです。発表したどの自治体の事例もなかなかすばらしいものだなあ…と思いましたが、一番面白かったのは教育審議会・学校協議会への子ども参加を進める鶴ヶ島市の事例でした。学校の現場は開かれているようでとっても閉ざされている空間だと思います。子どもが主体の場所なはずなのに、よく管理教育とも言われますが、本当の意味で子どもが主人公であるのかないのか?という点について、私も問題意識を感じているからです。
さて、鶴ヶ島市では「子どもは小さなまちづくり人」…現在の子ども自身が、まちづくりの主体である。子どもはまちづくりの協働の担い手である。子どもは、将来のまちづくりの担い手である。…とこんなスローガンがあります。今、ゆとり教育なども始まり学校の現場自体も大きく変化をしていますが、その中で子どもたちがもっと主体の学校づくりをしていこう!という教育行政そのものの改革はもちろん、もっとこの事業の一番の主眼はもっともっと地域に学校を開いていこう!地域の学校づくりをしていくことにあります。つまり、子どもたちが学校の主体というよりも地域の一員として、みんなで一緒に学校を考えていこう!としているのです。これは「まちづくり」です。学校への子ども参加は地域社会への子ども参加につながっていくというわけです。この事例には私は拍手を送りたいです。というのも学校と言うと教職員や校長先生たちの聖域のようで、なかなか踏み込めないと思うわけですが、その壁をあえて崩せたところがまず最大の成果だと思うからです。話をきいてみると、もちろん現場からの反発はあるけれど、妥協しながらでも少しずつ実現していくことを考えているそうで、時間がかかるけれども学校を開いていくことの可能性を探っている姿勢には立派だなあと思いました。その他、豊中市の「中高生のためのまちづくり講座」や滋賀県や近江八幡市の「日常設置型のこども議会」も面白い事例でした。
今回のシンポジウムで全体的に感じたことは「なぜ今、子どもの権利なのか?」について各地域が答えていく必要があり、そしてそこに施策を試みていかなくてはならないということです。子どもたちを取り巻く環境は変化しているとの認識はどこの地域でも共通していると思いますが、地域ごとにやはり特徴があり違いがあると言うことです。どこまでそのことを議論して政策をたてるのかどうか?ただ先駆的自治体の真似をしても上手くはいかないと痛感しました。
特に川崎市の事例(子どもの権利条例)や尾近江八幡市の事例を聞いてみると、その施策実現に至るまでのプロセスがあるからです。長い時間をかけて「子ども」問題を考える地域の下地を築いてきた経過を無視することはできないなあと思ったのです。「・・・・だからこそ、出来たんだ」と心底納得できました。
そして、自治体の報告なので「しっかり」した答弁が多かったのですが、やはりこれから克服すべき課題がたくさんある・・・・その時に行政だけで解決しようとしているのか?果たして行政の限界は感じないのだろうか?その辺りのことは質問をしてみてもあいまいな答えしか返ってこなかったのは残念でした。けれども誰が公共のサービスの担い手なのか。恐らく行政側も自分たちだけでは解決できない問題を抱えていることは既に承知済みだと思うのです。それならば・…今後どうやって行きたいのか?その部分をハッキリさせて提示してもらうことが、これからの子ども施策、もちろんそれ意外の公共サービスについても、求められる姿勢ではないかと感じました。とても有意義な2日間でした。
2002年08月01日
兵庫県川西市滞在…「地方自治と子ども施策」自治体シンポジウム1日目
東京の暑さなんて・・・。川西池田の駅を取りたとたんに関西の暑さを思い知りました。毛穴が全部開いて、そこからジリジリと紫外線が入ってくる感じがします。何のために日傘をさしているのかがわからない。一体この暑さ・・・。東京と違って蝉の鳴き声がまったくしません。東京は朝から蝉がわんわんと鳴いているのに・…。
2002年07月23日
チャータースクールを日本に!
昨日に引き続き、市民円卓会議に参加しました。テーマは「日本型チャータースクール法の制定について」です。チャータースクールというのは「公設民営型」の新しいタイプの学校です。公=行政は運営費用を出し、教育内容はすべて民間(認可を受けた法人)が決定します。市民が自分たちの理念に基づいて申請をして、認可が決まれば公立学校が作れる制度です。アメリカの教育改革の中で生まれたこの制度は、すでに全米に広がっているとのことです。
今の日本でも教育改革が言われていますが、その中でもっと多様な学校を設置して、いろいろな子供たちに対応出来るようにしていくべき…との考え方にチャータースクールのシステムの導入を提案していると言うわけです。ちなみにNPO法人で日本型チャータースクール推進センターが今日の円卓会議の提案者でした。なんと原因は様々でしょうが、いわゆる不登校の子どもたちは13万人を超えているそうです。少子化が進んでいるのに、不登校児の数は増加傾向です。何とかしなくてはならないと思っているのは行政も同じだと思います。
さて、この市民がつくる公立学校を・…ということで今回は法案(試案)が提示されました。
公教育を担うにふさわしいかどうかチャータースクールを開設するためには、開設を申請してきた法人の教育内容、カリキュラム、教材、そして教員などまでをまずは行政が審査をすること。つまり、独自の理念やアイディアをもとにして学校が作られるというわけですが、これが適切なものかどうか判断します。認可を受ければ開設が出来ます。そして教育委員会ではなく各チャータースクールごとに評議会のような機関が設けられ、学校の管理運営を行ないます。けれども本当に適正に運営が行なわれているかどうかは最終的には行政の権限で、不適切と認められた時にはチャータースクールの指定が取消されることとなります。ざっとこんな流れの試案でした。
この試案について日本教職員組合、都立大学の教育行政学の教授、フリースクールの先生、ベネッセコーポレーションの方、そして文部科学省の方が各立場から発言をする形式で会議がすすめられました。立場が違うものの今の、教育システムを改革して学校を活性化させていきたい!という問題意識は共通しているようでした。さすが文部科学省の方・・だけあって、この試案の大きな欠陥を指摘していました。…というのもチャータースクールとして不適切と決定された場合、閉校をするわけですが、その後、そこに通っていた子どもたちは一体どうなってしまうのか?ということです。やんわりな言いかたですが、つまり、誰が最終責任を負っていくのかについて明示されていないのです。
今、多摩市でも少子化によって廃校が増えていることもあり、私はこのチャータースクールが魅力に感じたので、この責任の所在をどうするかについてどこまで議論が進んでいるのかを質問してみました。残念ながら、まだそこまで議論が煮詰まっていないとのことでした。チャータースクールの理念には共感できるし、こういう新しいタイプの学校ができることにも賛成だけれど、もしこれを提案するとなると、やっぱり担っていきたい!と意気込みを持つ市民たちがどこまで責任を負う覚悟なのかが試されると思います。その意味でも、この「日本型のチャータースクール法の制定」については、もっと実現可能なところまで踏みこんだ議論をしてもらいたいし、私自身も一緒に考える機会を持ちたいと思いました。
2002年07月17日
ちょっと今日はフル回転で…児童館めぐりその7(諏訪)/在宅福祉サービスのこれから
午前中は私の住んでいる諏訪地区の児童館を訪問。午後は在宅福祉課にヒアリングをして、それから地区の青少協に出席しました。
まずは、意外にも私にも地区への帰属意識があることを発見。というのも懐かしい10年以上ぶりに訪れた諏訪児童館を、今までの児童館めぐりの中で感じたのとは違う「応援したい」気持ちが沸いたからでした。ここの館長さんは非常にユニークな方で、話をしていると私の中に次々とアイデアがわいてきます。それは地区に対する愛着意識も作用しているのかもしれないけれど、もっともっと子どもたちが主体的に楽しめるために地域がどう協力出来るか?その中での児童館の役割は?などなど諏訪の地域で今後の子育ち環境を整備するためにどういう方向を目指したらいいのか…ということで話が弾みます。理由を考えたのですが、それは私自身がこの地区に住んでいて、やっぱり地区住民の一人として協力できる部分がたくさんあるからだと思います。たまたま午後から青少協の地区委員会がありましたが、やっぱり学校と地域の大人とそして児童館とが連携を図ることが必要です。せっかくその三者が顔を合わす会議があるのにただ出席しているだけではつまらない。ここの場所を有効に活用しなくてはなりません。当事者として関わっているとどうしても熱が入ってしまうな…という自分をとても意識してしまいました。
諏訪の児童館はとても活発で、今まで訪問した児童館と大きく違うところがあります。それは職員の方も特徴として捉えていますが、昔ながらの子どもたちの風景があるということです。中学生も小学生の子どもたちも顔見知りで、自然と一緒に遊ぶ、小学生は中学生に寄って行くし、中学生も小学生の面倒をよく見てくれるのだそうです。これには地域性が影響していて、コミュニティエリアとしての諏訪地区と、児童館のエリアとしての地区=諏訪が重複していることが大きいということです。「団地の中にあり、子どもたちの『居間』みたいな役割だ…」と館長さんは表現をしましたが、まったくその通りで児童館のある諏訪2丁目地区の団地の子どもたちにとっては自分たちの『居場所』になりやすいところにあります。だからこそ子どもたちの縦のつながりも出来やすいのです。
…私が小学生だった頃は諏訪2丁目は北諏訪小学校の学区でしたが、現在は諏訪小学校の学区です。私は1丁目に住んでいたこともあり、学校から帰宅してからキツイ上り坂を超えて児童館まで行くことは滅多にありませんでした。そのことは今でも同じで、実は諏訪児童館は北諏訪小学区と諏訪小学校の学区がエリアなのですが、北諏訪小学校の子どもたちの利用率は低いようでした。先にコミュニティエリアとの重複と書きましたが、これは諏訪小学校とのことです。北諏訪地区にはちょっと遠い存在です。…というわけで北諏訪地区の私はやっぱり北諏訪地区にもぜひ児童館を生かせるようにしたいのです。だからこそ力が入るので、今日の青少協でも発言をする機会があり児童館をもっと活用して地域づくりをしていきたい!という思いを述べてきました。児童館の職員は「宝のもちぐされ」状態にあると思います。子どもたちを楽しませるノウハウなどもたくさんあるし、これを活かさないのは残念です。まだまだ地域(デビュー)では新参者ですが、ぜひいい形で地域が動いていけるように微力を発揮したいと思っているところです。
午後からは在宅福祉課へヒアリング。在宅福祉課ではなんと40人もの職員がいるそうで、まずはびっくり。事務量の多さを物語るものだと思います。私は昨日の介護保険の話に引き続きですが、『健康づくり』ことほど大事なことはないと感じています。なぜなら『まちづくり』の出発点はひとりひとりの市民で、その市民が健康でなければ、元気でなくてはやっぱり地域に力も出てこないと思うからです。だから私は多摩市の「健康福祉推進プラン」を行政の職員の中でどれほど共有化されているのかがとても気になっています。まだ今は、市民懇談会で介護保険制度の見直しとともに在宅サービスについても今後の方向性や目標を検討しているところです。そのためにこれまでのサービスについて整理中という感じでした。でも『誰を対象とするのか?』を想定して、もう少しサービス内容を細やかにしていきたいという姿勢があり、それはとても評価できるところなのですが、それを財政とのバランスの中で実現することが難しそうです。例えば送迎サービスでも要介護者向きの移送サービスと元気だけれどちょっぴり助けてもらいたい高齢者とではその内容が異なるだろうし、食事サービスでも要介護者向きには配食が必要だし、食事の内容も栄養面などで専門的になってきますが、元気な高齢者なら外出して色んな人との交流の中で食を愉しみたいと思うわけです。ひとつのサービスをとっても、その内容を充実させるのは大変です。
そして福祉サービスについて第三者の評価機関の設置をどうしていくかも課題とのことでした。本当にたくさんやることがありすぎて、私自身もヒアリングをすればするほどに課題がサンサンと降ってくるので、ついていくのが大変で、ちょっと消化不良になりそうです。
2002年07月12日
児童館めぐり…その6(永山)
多摩市の平和展の受付をしました。併設のロバート・キャパ展がとても人気があります。午前中だけでも70名ほどの人が集まりました。中にはキャパの写真をはじめ、原爆の悲惨な写真などをみてすすり泣きをしていらっしゃるご婦人がいました。そしてある人は私に言いました。「こんなの見たくないよ。また怒ってしまう。いやだね・・・。せっかく企画してくれたんだろうけど。本当に腹立たしい。」私はうなずくことしかできませんでした。たまたま15人ほど、理科の自然調査にきていた小学生たちがいました。時間が少しあるということだったので、ぜひ写真展を見てください!とすすめたところ、たった15分しかないけれどぜひ生徒に見せたいとのことで、先生も予定変更に応じてくださいました。子どもに感想を聞いてみました。「かわいそう・・・・」。とても正直です。自分たち自身の問題として戦争をとらえることは難しいです。
さて、午後は永山児童館に訪問をしました。永山児童館には知り合いが学生ボランティアに通っていたこともあり、親しみがあります。さっそくいつもどおりに話を聞きました。話しは今後の児童館の役割など、現場の職員の考えなどを中心にして意見交換が進みました。これまでは児童館での様子や、事業の内容などをヒアリングする形式が多かったように思いますが、今日はちょっとした議論が出来て、うれしく思いました。今日は夏休みの企画で「映画会」を行なう準備をしている場面に出くわしました。なんとこれまでの児童館にはない風景でした。というのも映画界の企画には中学生や高校生たちが実行委員会となって中心で動いていくそうですが、今日は中学校で「どんな映画を見たいか?」のアンケートを集計していたのでした。女子中学生四名がクラブ活動の前に集まって、職員と楽しそうにまとめていました。
これまでも私たちは中高生の居場所づくり…という観点から児童館を訪問していましたが、今日はしっかりと中高生の居場所づくりをしている場面を見られたのでラッキーでした。この「映画会」の実施には実は秘密があります。それは地区の青少協が関わって、児童館と一緒になって中高生をバックアップしようとしているということです。もちろん子ども扱いをするわけれはないけれど、彼ら自身ができないことがある。そういう手続きなどはかわりに大人たちがサポートしていく。けれども見たい映画決めやポスター描き、当日の受付、司会、挨拶はすべて任せてしまう…こんな形式でした。今年が2回目だそうで、青少協自体が中高生を事業の中心に据えて行なう試みは、たぶん他にはなさそうな気がします。その点で新しいと思いました。そして発見がありました。これまでの児童館見学の中でも児童館は中高生が利用すると考えれば施設的な限界が非常にあります。それならばと他の施設を建設することは考えられないし、今ある施設をリフォームしていくことなどを考えてきました。けれども今日の話を聞いていて思ったことは、やはりハードな面を作らずしても、ソフト面の充実を図っていくことで私たちの考える中高生たちの居場所が出来るのではないかということです。
つまり中高生たちが自分たちの思いを自分たちの持っている力で実現出来る場所…にはそれを上手にサポートしてくれる周りの人たちさえいてくれれば可能で、この永山児童館のように職員や青少協の保護者たちが「中高生たちの内在する、潜在的な能力」を生かせるような場所をいかにして創ろうとするのか…その意欲にかかっていると思ったのでした。となれば、例えば児童館が中心ではなくても「映画会」の実行委員会に中高生を参加させることも出来るし、様々な‘まち’での企画に中高生の視点をとり入れたい場所だって多くあると思います。とにかく「あれはダメ」「これもダメ」ではなく「あれもいいし、これもいい、でもこうしよう。」みたいな皆で意見を交換しながら、一つのことを実現出来るようなところが必要だと感じます。そういう意味ではこれまでの私たちがハードを充実させての居場所づくりの考え方に新しい視点が加わりました。永山児童館のような地域との連携を実質化させながら、その中で中高生への役割を果たしていくことが大切なのかもしれません。そして永山児童館では児童館のレターが幼児部門、小学生部門、中高生部門と分かれていて、きちんと情報の送信先を決めているのも特色でした。職員の姿勢が表われている気がしました。木目細かな対応をしていきながら地域と児童館を結んでいく、特に「中高生向けのレターの効果はほとんど感じられないかもしれないけれど、でも発信することが大事だから続けているんです。」という説明には心から頑張ってもらいたいと思ったし、応援したいと思いました。
2002年07月10日
児童館めぐり…その4(豊ヶ丘)
昨日に引き続きの児童館見学。今日は豊ヶ丘児童館を訪問しました。あいにくの天気でざあざあぶりの雨。にもかかわらず午前中の幼児プログラムに約15組ほどの親子が集まって遊んでいました。こんなに天気が悪くても児童館へ来るなんて!とびっくりしましたが、参加していた母親たちに少し話を聞いたところ、共通していたのは「探さないと遊び場もないし、同じ年頃の子どもを持ったお友達が見つからない・・・」というのです。そして他地域から多摩市に転入してきて「子育て」の環境(行政の子育て支援)がとてもいい・・・!と口々に評価していました。
この豊ヶ丘児童館の館長さんは今年で6年目になるそうですが、自らが大工さんとなり、廃材を利用しておもちゃBOXを作ったり、素晴らしい手づくりの学童クラブの看板を完成させるなど、とっても楽しい方でした。児童館のいろんなプログラムには担当職員とともに一緒になって参加するものの、幼児のお遊戯だけはどうも恥ずかしくて出来ないんですよ…とおっしゃっていて、私も思わず苦笑してしまいました。多摩市の児童館運営のための予算は毎年毎年約1割が削減されているそうで、「もう、これがギリギリ」と館長が言う通りに、とにかくお金をかけないで楽しい児童館にする工夫がいろいろなところで見られる気がしました。施設も古く、痛んでいますが、お掃除が行き届いていることと、児童館っぽいぐちゃぐちゃさがなくて、飾りなどがとてもセンスがいいので好感が持てました。児童館っぽいぐちゃぐちゃさというのは、壁にあれやこれやとお手紙や色画用紙を切ったものなど、いろいろ無作為で貼ってあったりすることですが、きちんとしすぎているわけではなく、とにかく入った時に清潔感を感じることはとても大切なことだと思います。これも実際の現場の職員さんのセンスに任されることのうちです。
私は昨日から多摩市としてどのように児童館を位置付け、どうやって児童館を活用していきたいのか?そのことがなかなか見えにくいと感じていたので、館長さんに尋ねてみましたが、やはり館長さん自身が多摩市としてどういう方針なのかについては「今は過渡期で、ここ1、2年の間に見えてくるものではないか?」と話してくれました。ご自身の考え方としては、やはり「もっと地域で認識されて、みんなが使ってくれるような施設になれば・・・。」とのことでした。施設だけではなくて、ここにはノウハウをもった職員がいるので、どんどんと活用して地域のために役立っていきたいという思いにはうれしく感じました。それとともに地域の人材を生かしていきたいとも考えているようですし、一番は特に中学校との連携の中で、もっと中学生たちが活用出来るようにならないのか?を検討しているところということでした。ここはすぐ側に中学校があり、帰りがけに児童館に寄ってから帰宅する生徒もいるとのことでしたが、とにかく中学生が遊ぶ場所としては施設的な制約があることは他の児童館と同じです。けれども小学生たちと上手く協力し合いながら卓球をしている姿が見られるといいます。核家族が多く、子どもたちは縦のつながりをもちにくくなっていると思いますが、こうやって自然に中学生から小学生までが触れ合う場所があること、そういう役目も児童館は果たすんだな…とつくづく感じました。
新しい児童館の利用方法…活用方法…というのはやっぱり地域の人で話し合って決めていくことが大事。職員だけで検討をするのではなく地域に根ざした児童館にしていくためには、やっぱり地域の住民もまじえながら、探っていってもらいたいと思っているところです。
2002年07月09日
児童館めぐり…その3(落合)
今日の午前中はステイツマンと、これからどのように活動を積み上げていくのかについて打合せをしました。今後の活動計画をたてるのですが、次回の選挙がすでに来年の4月ということもあり、どうしても来年の選挙をにらんだかたちで活動の組立てをせざる得ません。選挙だけを気にして、日々の活動をしていくことは本望ではないけれど、ある意味で致し方ない・・とも思います。でも、それだけで毎日が過ぎ行くことのむなしさ…もちろんそれをしていかなくては始まらないわけですが、本当の自分自身の役割だけを見失いたくありません。誰もが同じ長さの時間を持っています。その使い方を上手にしたいよなあ…と思います。選挙屋さんにはなりたくないです。
今日は午後から児童館めぐりでした。落合のコミュニティセンター『TOM HOUSE』のところにありますが、ここの児童館もまた活気にあふれるところでした。この地域は少子化真っ只中にあり、児童館そのものを利用者はどんどんと減少していますが、やはり併設の学童は大人気だそうです。児童館の利用者減少には週休2日制がものすごく影響をしていると言います。話を聞いてみると、小学校3年生でも毎日5時間目まで授業があり、帰宅時間などを考えてみると、そう遊ぶ暇も見つからないのではないか…とのことでした。なるほど!と思いました。ゆとり教育…で休みが増えましたが、これは子どもたちを逆に忙しくしている気がしました。それこそ毎日ゆとりを持って学習することが出来ず、おまけに習い事に通うとすれば、一日の中でぼーっと過ごせる時間が削られていく気がします。土日にまとめてゆっくり休むことがいいのか、それとも一日の中で心のゆとりを持ちながら過ごせる方がいいのか…?私は何となく今のこどもたちがあくせくしている気がしてなりません。もっとのびのびと遊べるような環境づくりが必要だと感じてしまいます。
そんな中で児童館に求められる役割が変化しているという話しを聞きました。『児童館がオアシス』、これまでのように児童館に来て、一緒に汗を流して遊びたい!というよりも、むしろ児童館に来てほっとしている子どもたちが少なくないと言います。つまり学校でも家でもせきたてられるけど児童館に来ると何の指図も受けなくていい・・・そんな居場所になっているし、それが今、児童館に求められる役割としてあると認識しているそうです。私はここの児童館ではしっかりと子どもたちの状況をキャッチしているな…と思いました。子どもの変化には非常に気を配っています。特に学童クラブに通っている子どもの様子によっては、児童相談所や学校との連携を図りながら心のケアや、家庭に対するケアをしているそうです。
それからこの館では幼児の利用率も高いです。多い時には一日に50組ほどの利用があり、地域外からもたくさん利用者があります。幼児そのものの遊び場としての利用はもちろんですが、母親たちの支援をしっかり行なっているように思いました。特に児童館の幼児プログラムに集まった母親たちの中から自主グループが生まれているそうで、その活動をしっかりバックアップしていく体制がありました。面白いことは幼児の時間はだいたいランチタイムと重なるそうですが、時に利用した母親たちは宅配ピザを頼むことがあります。普通、公共施設と言うと飲食禁止…のイメージがありますが、飲食可でその上デリバリーまで許されるなんて、ずいぶんと時代の流れにあわせて、行政も変わってきているなあ…と感心しました。これはいいことだと思います。やっぱり利用する人のニーズに最大限合わせられることが大切なわけで、あれもダメこれもダメ…と禁止ばかりしていると人はよりつかないと思うからです。
あとは今日の収穫はやっぱり館長さんの意欲的なところでした。私がとても好感を持てたのは「児童館の職員は本当によくやってくれているんだ!」と自信を持っているところです。部外者に対して、しかも職員に対して一番厳しい評価をする市民の前で、これだけきっぱりと言えるなんてすばらしいな!と思います。いろんな課題にはぶつかっていると思うし、もちろんすべて文句のつけどころもない…児童館の運営になっているわけではないと思いますが、市民の要望については最大限応えたいし、児童館の役割として出来ることを最大限果たしていこう…としているからこそ、こうやって言えるのかなと思いました。館長をはじめ一丸となって子育ち、子育てを支援して行きたいという気持ちは溢れている場所だと思いました。
今日で児童館めぐりも5館めです。あと残すところは4館です。中高生の居場所づくりを考えたくて訪問をしているわけですが、今の児童館には正直言ってその役割を求めることは困難なようです。第一、どこへ行っても設備が小学生向きです。18歳までを利用対象としているわけですが、そんな風にはとても思えません。それからやっぱり児童館の雰囲気はそこにいる職員たちが創り出すもの…が肌で感じます。特に児童館を小学生の時に利用していた子どもたちが、中学生や高校生になってもここへ足を運ぶ…ということについては、職員を慕って、おしゃべりに来ることが一番の目的です。何か心のよりどころを求めていると思いますが、そういう意味では児童館には顔なじみの職員さんの存在がものすごく重要だと言えます。児童館めぐりをしながら感じることは、『多摩市の児童館』として目指す方向とかがあまり見えてこないことです。これはとっても残念なことで、児童館ごとの特色はわかるし、熱心さも伝わってくるけれど、多摩市として全体として子育て子育ち環境をどのようにつくっていくのか?そして児童館をどう位置付けているのか?方向性が見えるようで見えないような…児童館そのものはバラバラで動いている気がしてなりません。
2002年07月07日
代理人運動交流センター・全国集会
生活者ネットワークの活動は生活クラブ生協のある全国各地で展開されています。北海道、岩手、千葉、埼玉、神奈川、長野、福岡そして東京より総勢180名弱が集まりました。慶應義塾大学の小林良彰さんの講演、それから5つの分科会にわかれ、各地の取り組みについて意見交換をしました。私は「子育て・子育ち支援の政策・制度提案」に参加しました。
この分科会では今年の1月に全国共通で行なった「子育てコスト調査」の集約・分析の結果を発表して、全国的な「子育ての現状」を共有化して、その中から今後の各地がどのような取り組みをしていこうとするのかについて発表を行ないました。「子育てコスト調査」の結果からは、全国でほぼ似たような傾向が見られることがわかりました。やはり保育園、幼稚園などをはじめ、子育てにかかる個々の費用が家計に負担であると感じている人が多いのです。特に両親ともフルタイムで働いているある世帯では二重保育などを活用していますが、1ヶ月でなんと約27万円もの出費です。当り前ですがびっくりしました。相当な稼ぎがあるとは思われますが、それでもこの数字は普通ではないと思います。
調査では更に子育てに関するニーズについても興味深い結果が出ています。自由な時間があったらどんなことをしたいのかについては1位が趣味やお楽しみ、2位は学習・技術取得、3位は仕事になっています。そして子育て支援にニーズについては1位が配偶者の協力、2位が職場の理解、3位が保育諸費用の引き下げとなりました。アンケートは全国約1450人の回答を得ています。しかも現在子育て中の世帯に対する調査で回答者の年代は30代が約74%をしめています。調査データとしては、かなり参考になるものだと思います。このアンケート調査については去年の2月からプロジェクトを立ち上げきました。そして様々な角度から検討をしてようやく今年の1月にアンケートを実施しています。準備なども全国のプロジェクトメンバーが集まり長い時間をかけ、自分たちで作っていくわけです。ものすごいエネルギーだなあ・…と改めて思いました。コンサルタント会社などに頼むわけでなく、自分たち自身で作成することは労力が要りますが、その分アンケートの内容が濃いと感じます。というのも、なぜこのアンケートをするのか?そしてこの結果をどうしたいのか?などの目的が深まっているからです。私たちは「子育ての社会化」を進める政策を考えていますが、今後どのようにこの調査結果を踏まえて、各地域の実態に合わせて制度設計していけるのか…課題を整理する必要があると思いました。多摩市では子育て支援政策がわりと充実している方ですが、それでもまだ解決すべき課題は残されています。大きな問題のひとつには児童虐待があげられると思います。とてもデリケートな問題だからこそ慎重な対応が求めらますが、慎重すぎて時間ばかりが過ぎ行き、なかなか対応策が実施できないのでは困ります。育児負担の問題も考え合わせながら、子どもたちが暮すためによりいい環境づくりをしていく必要があると思います。
それから今回各地からの発表の中で、私が最も興味深かったのは神奈川ネットワーク運動の子どもミニデイサービスプロジェクトでした。小規模で多様なニーズに対応できる子どもの拠点を創出することを目的としています。現在神奈川県内に16箇所あり、6箇所が準備中です。子育て支援と母親支援を同時に行なえるような場所というコンセプトでどろんこ遊び教室や、パソコン教室事業などを行なっています。私は‘小規模’で地域ごとに拠点があること、そしてそこが地域の交流地点にもなっている話を聞きました。ぜひ見学に行きたいと思います。
分科会は2時間の中で内容が豊富でおさまりきらなかったのが残念でしたが、全体的に見たらたくさんの情報を得ることが出来たように思います。この全国集会のあとには懇親会がありましたが、そこではとにかく「なぜ若いのにネットに関わっているのか?」とさんざん聞かれました。私は「気づいた時から始まるから・・・。」と答えました。多くの方に出会えたことがものすごく励みになり、多摩に帰って頑張ろう!という元気をたくさんもらえました。
2002年07月03日
幼保一元化の可能性を探る…
午前中は介護保険の資料調査。午後からは東京ネットの「幼保一元化」の学習会に参加しました。東洋大学の森田明美さんから話を聞きました。森田先生は児童福祉学が専門で、特に「子どもの権利」について熱心な取り組みをしています。先生が素晴らしいのは常に現場を大切にすることです。先生は「権利」というものをイメージで語りません。研究者の多くは理想論から「権利」を説明することが多いのですが、さすがに福祉が専門ということもあり、常に現場第一主義。これはとても大事な姿勢で、私にとっても忘れてはならないことだと思います。
さて「幼保一元化」ですが、保育園のニーズが増加する中で、そして私立幼稚園が廃園に追いこまれつつある中で公立幼稚園をどうすべきか…という議論の中から生じてきた争点です。争点というのも変ですが、今、多摩市でも市立幼稚園をどうするか?という問題を抱えていて、方向性としては「幼小一貫教育」…という流れが予定されています。公立同士だからこそ「幼小一貫」が実現できるわけで、全市的には「幼保小連携」を視野に入れた検討も進められるようです。まだどのように調整が図られ、「幼小一貫」との調和をとっていくのかは未知ですが、これが「多摩市の特色」になり‘まちの魅力’となるなら大歓迎です。
今日の話は「公立幼稚園の新展開」をどうするか?が中心で、やはり今後保育所のニーズが高まる中では、既存の施設などを工夫して使うことで対応していく必要があるだろう…という話であったと思います。けれども課題はたくさんあって、例えば幼稚園と保育所では管轄が全く異なり(幼稚園は文部科学省=教育、保育所は厚生労働省=福祉)、現在の縦割り行政の壁を乗り越えながら、新しい形を目指すことには、待っている暇はないけれど、相当な時間がかかりそうです。公立幼稚園の運営体制を見直すということでいくつかの自治体では「幼保一元化・一体化」に挑戦しているようですが、森田先生の専門家の観点からは、まだまだ上手く進んでいるところは少ないようです。というのは、『何が子どもたちのためなのか?』についてしっかり議論をしないままに、事が進んでいる傾向が否めないからです。公立幼稚園自身の役割を地域ごとに見なおした時、実はまだまだ必要とされる部分もあるかもしれません。要は「子どもの育ち」をどのように支えていくか?家庭だけでは解決できない部分を地域、社会でどこまで担えるかという部分を地域にあった形で結論を出さなくてはならないのです。ただ単に行政改革の中のリストラ対策で公立幼稚園を考えてしまっては、本当に地域にとって必要な児童福祉計画…地域福祉計画は策定することができません。
私自身は今日の話を聞いて、必ずしも「幼保一元化」ではないなあと思いました。こういうことも一つの選択肢として提案されることはもちろん必要ですが、そのことがどのように地域に受け入れられていくのか?この議論を抜きにして一方的に「幼保一元化」を実現することはできません。
地域のことは地域で決めよう!…という時代はみんなが納得をして責任を負っていく覚悟が必要で、ある意味で受難の時代とも言えます。いろいろな分野で過渡期だと感じます。これをどうやって乗り越えていくのだろう…面白いけど。「七転八起」最後にはしっかりと前向きで立てるように流れを向けていくことは至難の技だと今日もつくづく感じました。
2002年07月02日
児童館めぐり…その2〈一ノ宮/東寺方〉
午前中はネットで中期計画策定の作業を少し手伝いました。私はまだまだイメージの描き方が足りないな…と他の経験豊かなメンバーと話をしているとつくづく感じます。
今日は午後からがとても楽しみにしていた児童館めぐり。市内初の児童館、1973年オープンの一ノ宮児童館と今年で21周年を迎える東寺方児童館を訪問しました。両児童館ともいわゆるニュータウン地域外に立地していて、特に一ノ宮児童館はお隣が神社!なんとなく昔懐かしいにおいの漂うところにありました。前回の児童館訪問の時には担当職員の人にお話を伺ったのですが、今回は両館とも館長さんに話を聞くことが出来ました。
この2つの館に共通して言えることは「ただいま児童増加中」の地域にあり、併設の学童クラブのニーズが非常に高まっているということです。放課後の遊び場所ということで児童館そのもののニーズよりも「学童クラブ」の役割の方が大きいかなあという印象です。それはどの地域にも当てはまることかもしれませんが、一日の児童館利用者はだいたい30から40名くらいだそうです。そして、やはり現代っ子は忙しく、小学校低学年の児童が中心で中学生以上はほとんど利用がないようです。私は丸ごと児童館ではなくて学童クラブにしてしまえばいい!という提案をしてみましたが、これに対しては全く逆の発想で、学童クラブをなくして児童館だけにしてしまったらいい!との考えは多摩市以外のところでは既にあるそうです。
「必ずしも児童館に来る子どもが多いから、地域の子どもたちが健全だ!」とは言えない・・・との話もありました。それは同感です。子どもたちがそれぞれに快適な居場所を見つけているのはいいことだと思います。いろいろな選択肢があることが幸せだと思うからです。けれども例えば一ノ宮児童館などは近くに繁華街などもあり、子どもたちの遊び場所がショッピングとかゲームセンターにシフトしているのかなあ…とも思いました。それに現代は鍵っ子が多いと思うのですが、いったん帰宅したらテレビゲームとにらめっこしてしまうのかな?とか塾に行くのかな?とか様々な想像は働くわけです。でもなかなか実態がつかめない…というのは館長さんも同じなようでした。私自身が一番心配していることは学童クラブから卒業した子どもたちは放課後どうしているのかな?ということです。児童館に来るわけでもなく…だとしたら帰宅してポツリ家に一人でいるのかな?と思うのです。何しろ一ノ宮児童館エリアの小学校中学校は相当離れたところにあり、児童館に来たくても、児童館が遠すぎて来ない子もいるのではないかと思われます。『こどもたちの放課後』どうなっているのかな・…について私はとても関心があります。一ノ宮児童館に行って、ますますその思いを強くしました。
さて東寺方児童館の方は老人福祉館、図書館、地区市民ホールのある複合施設内にあります。その利点を生かした活動が少しずつ進められているようでした。今年は5月に老人クラブの人と一緒に柏餅を作ったり、毎月1回の囲碁・将棋クラブを開催しているそうです。これは子どもたちにも老人にも双方にメリットありです。共育だなあと思います。共に育ち合うことが地域のつながりを築くことにもなります。おじいちゃんおばあちゃんの知恵をもらって、子どもたちは元気をあげる!こういう世代間交流の仕組みこそが今の社会のキーワードにもなっています。東寺方の地区には旧家も多いですが、それでも新しい住民も多いわけで、そういう住民同士の交流も生まれるような場所になればいいなと思います。せっかくの複合施設なので利点をどんどん生かして活動をしてもらいたい!なんて思いましたが、やっぱり担当する職員は大変なのかもしれません。でも、それを住民との協働関係で乗り越えることこそ!求められる新しい社会像(理想像?!)。とても楽しみな場所だなあと思いました。
この2つの場所ですが、施設がずいぶんと古くなっていることは悩みだろうと思います。というのは自分自身が利用者の立場だと…思いながら施設を眺めてみると、やっぱり「できれば、小奇麗でお洒落っぽくてキレイなところが好きだよな…」と感じてしまうからです。特に、今、児童館でも乳児とか幼児を対象にした事業には取り組んでいますが若い母親であればその思いは同じだろうなあと感じるからです。建物は古くても、もう少し工夫をして明かりを取り入れられないかな・・と思いました。あとは施設の古さを乗り越えられる条件は…魅力的な職員!今日で4箇所目ですが、非常に大切な児童館のポイントには魅力的な職員という条件が一つにはあるなあ・・・・と思います!
2002年06月25日
学童館めぐり・・・第一弾
午前中の教育部会では、多摩市の学校教育や学校給食問題や子育て支援などのことを議論しました。現状、実態を把握することなしに提案につなげることができません。ニュータウンの高齢化で多摩市の少子問題もかなり深刻です。統計だけを見ていればまだまだ高齢化率も・・・なんて安心して入られません。こういう時に「備えあれば憂いなし」という言葉を用いたいものです。今、できるうちにできるだけのことをする必要があると考えています。私たちは5月に杉並区の児童青少年センターを見学に行きましたが、中高生の「居場所づくり」について提案していきたいと考えています。多摩市に児童青少年センターを新規に建設して欲しい・・・というわけではなく、多摩市内の中高生のニーズに即さなければ全く無意味なわけで、まずは市内の児童館を見学することからスタートすることにしました。多摩市の児童館では0歳の赤ちゃんから18歳の高校生までを対象にしています。今、市内の児童館はどういう状況に置かれているのか、利用実態や今後の課題点などを知るためには足を運ぶ必要があります。
今日は小雨の中、桜ヶ丘児童館と愛宕児童館を訪問しました。桜ヶ丘児童館はコミュニティセンター「ゆう桜ヶ丘」内にあります。さすが高級住宅街の一角に位置するだけあり、しっとりと落ち着いた佇まいでした。まだ小学生たちが来館する時間ではなかったこともあり、この静けさはどこかの会社の保養所!のプレイルームかしら?と思ってしまうほどでした。とてもステキな場所です。初めて訪れたとことも手伝い感激しました。次に行った愛宕児童館は私の生まれる以前に開館しています。大規模改修も必要だよなあ・・と歴史を感じさせる建物でした。ちょうど小学生、学童クラブの通う子どもたちと出会うことができ、のびのびと遊ぶ子どもの様子と児童館職員の厳しいけど温かい様子も垣間見ることが出来ました。
さて、今日2館をめぐり、職員の方にそれぞれ1時間ほどお話を聞き、本当に熱心に児童館づくりに取組んでいると感じました。特に両館とも赤ちゃんや幼児を対象とした事業には力を入れています。児童館の役割として新しく求められる部分です。赤ちゃん対象といえば健康センターで親子を対象のさまざまなプログラムがあるものの、そのニーズは増加していて、健康センターだけでは対応しきれないという事情があります。多摩市はニュータウンという地域特性があります。団地という閉ざされた空間の中での子育ての息苦しさ、核家族で子育ての悩みを近くで相談できる場所がない、高齢化の進む古い団地に転入してきた母親は近所に同世代の友人が出来ない・・・などなど本当に子育てをしやすそうでしづらい環境があります。そのために育児支援面ではかなり力を入れています。もともと児童館は地域の核施設として整備されているので、これから地域のコミュニティ育成という観点からも非常に重要な役割を果たしていくように感じます。
ところで中高生の「居場所」という点ではどうかというと、桜ヶ丘児童館では場所がらもあり利用はあるものの少ないそうです。その一方で愛宕児童館ではわりと利用する中高生が多いようです。けれどもここには共通のことが存在します。それは利用する中高生たちは児童館の職員を頼って来館するということです。特に愛宕児童館の職員は7年目、8年目を迎えていることもあり、本当に子どもたちに地域に受け入れられているようです。これは多分、実際に見たから言えることですし、職員の話からもわかることですが、子どもたちが心の底から信頼できる相手、親でも先生でもない頼れる大人がいる安心感が児童館にはありました。子どもたちは嘘をつかないので「嫌なものはイヤ!」だと反応すると思います。愛宕児童館に来る中高生たちは色々な悩みを抱えながら児童館の職員とおしゃべりをしに来るのです。私はその様子が目に浮かびます。中高生たちは真面目に机に向かって宿題をするのではなく、お菓子を食べながら、たわいなくおしゃべりをしながら、知らないうちに宿題が終っていた・・・っていうのが好き!という児童館職員の話にも同感です。ただ施設の限界があり、そういう意味では中高生たちも思いっきり自分の好き勝手は出来ずにいる現状があるといいます。本来なら幼児、小学生、中学生高校生・・・見たいな感じで部屋がわかれているのが理想的なんだろうと思いました。年齢に応じて児童館に求めるものも違ってくるわけで、そういう点では応えきれない現況を認識しつつもどうしようも出来ない現実もあり、職員自身も非常に苦労していると感じました。
私たちの目的である中高生の「居場所」はどんなカタチであるのか?やっぱり実際のところは当事者に聞くしかないと思っています。まだ他の地域の児童館にも行かないと確信することはできませんが、今日のヒアリングでわかったことは「ニーズがないわけではない。」ということです。その点では児童館めぐり第2弾につながる大きな収穫を得られた気がします。
2002年06月24日
多摩市の保育行政について
今日は私自身は議会の予定がなかったので、午前中は厚生産業常任委員会の傍聴に出かけました。傍聴をするというのはとても面白いものです。私なんかはまだまだ議員としても初歩の初歩にも達していないので、委員さん一人一人の発言にいちいち「感心」してしまうのです。「はーこんな意見の出しかたをするのか!」とか「こういう観点があったのね!」などなど色んなことをほとんど迷走しているわけですが、なかなか楽しいのです。まだまだ私の考えに柱がないことを実感出来ることはもちろんです。
次の予定があり途中までの傍聴でしたが、そのなかで保育行政について担当者から話を聞くことが出来ました。特に民間保育所に対する市の補助金についての話がありましたが、これを聞くと本当に目から鱗状態!全部で15種類の補助金がありますが、中には市が単独で補助しているものもあり、すばらしい中味だということがよくわかります。委員さんたちもみな、この資料には感激していましたし、これを見て「多摩市の保育行政は頑張っている!」と口々にもらしていました。もちろん私も同感です。
委員の一人がこんなことを言いました。「補助を否定するわけではないけれど、補助金に頼る体質はどうかと思う・・・。」他の委員さんたちはどのように思ったのでしょうか?なかなかこの厳しい財政事情の中で行政側がいつまでも変わらぬ水準で補助をし続けることは難しいことは確かですが、その一方で社会自体も不況で夫婦共働きを免れない状況もあるわけです。そしてそういう共働き家庭から保育料をむしりとるなんてこともできません。非常にバランスが求められる分野であると思いました。いろいろな状況の狭間で、行政も何とかやりくりをしているはず!多摩市の保育行政は本当に高い水準が維持されていると思います。
このこと一つを考えてみてもバランス感覚の大切さを痛感するわけですが、財源がどんどんと厳しくなっていく中では、やはり自分たち、この‘まち’の住民がどういう選択をしていくのかが一番問われるところだと思いました。何をするにしても自分たち自身がどう選択し、そして責任を負っていくのか・・・役割分担をして行政と市民が同じように責任を果たしていくことなしにはどうしようもない状態・・・この現実を私たち自身も知る必要があるのだとつくづく感じさせられます。自分のお財布の中身が寂しくなっていくということは、同時に行政のお財布だって厳しいことをつなげて考えている人が一体どのくらいいるでしょうか?私は今までのように、そのマイナスを行政が請け負ってくれた時代はもう来ないと思っています。自分たち自身もそこをしっかりと認識しなくてはならないのです。あまりこの話を進めすぎるとやっぱり社会構造そのものを急いで急転換しなくてはならない!という無理な極論になってしまうのですが、私自身は財政難でも行政は何でもやってくれる!という発想、そして行政が何でも請け負っていくんだ!という行政側のこれまでの姿勢を少しずつでも変えざる得ないと思います。結局のところすべてのしわ寄せが次世代にドサッとのしかかるからです。今、生きている自分自身のことだけしか考えない・・・自分勝手な考えはやめてもらいたいです。
本当に年金にしても、私自身がちゃんと給付されるのかも心配です。心配ばかりを積み立てしたくはありません。あとの世代に対して夢・希望貯金をしなくては罪作りだなあと思ってなりません。
冒頭に話を戻すと、多摩市の保育行政はかなり水準高く維持されているので、共働きの友人には教えてあげたいくらいです。都心から遠い・・・と言われそうですが・・・。
2002年06月05日
こどもたちは今・・・?
今日の午前中は家で本を読んでいました。『時代のきしみ<わたし>と国家のあいだ』鷲田清一著=TBSブリタニカ=です。最近はゆっくり読書・・・というよりも、一般質問の組立に向けて、大学時代のレポートを仕上げるみたいに本を読んでいたので、自分の選んだ本を読む時間は貴重です。この本の第7章の『「豊かさ」のみすぼらしさ』からの引用です。
自治体の政策や都市計画がその典型であろうが、とにかく「いいこと」だけが書かれ、配置される。それもどれかに特定・集約されるのではなく、いわば足し算で「あれもこれも」と。言ってみれば、幸福の一覧表であり、一覧図である。消費経済の社会を見てもおなじことだ。モードは、あるいは広告は気持ちのいいこと、快いもの、きれいなもので、メニューはうめ尽くされている。
この章の冒頭部分ですが、これを読んだだけで考えさせられます。
午後、青少協(多摩市青少年問題協議会)の北諏訪地区委員会に参加しました。多摩中央警察署少年課の方の話を聞きました。少年に関する事件は増えているということです。多摩中央署の管轄区域では今年の1月から5月まで66名の少年が任意同行など、そして13歳までの児童21名を合わせると87名が万引きなどなどで捕まっているようです。昨年は補導が多摩市で630名、最年少は9歳で家出が理由とのことでした。管轄区域内では合計1000人にのぼります。この状況をどう考えていけばいいのか、本当に頭を悩ませてしまいます。「誰が何をやるかわからない時代」とおっしゃっていました。
さて学校5日制がはじまって金曜日の夕方頃からの街頭補導に警察では力を入れているそうです。補導した数は昨年の同じ時期では183名と比べ、今年は既に499名だそうです。学校5日制が導入されたから・・・ではないかもしれませんが、驚くべき数字です。
私には身近に子どもがいないので、学校を通じて地域を見ることはなかなか難しいですし、子どもの育っていく様子を見ながら社会環境を肌で感じることは出来ません。でも、なぜこんなかたちで、少年犯罪が増えていくのかを考えて、そして少しでも犯罪者をつくらない地域づくりをしたいと思っています。たまたま午前中に読んでいた本がちょっとヒントになったのですが、子どもたちは「幸福の一覧表」に辟易しているのではないでしょうか?鷲田さんは「幸福は、不幸のはかでいわば影の影として思い描かれるものであるから、幸福の一覧表はじつは不幸の一覧表であるはずなのに、この一覧表からはそうした隠された影がちっとも焙りでてこない。この、倦怠感が漂うとさえいえる「だるい」幸福、「薄っぺらな」幸福とは、いったいなんなんだろう。」と書いています。私は偶然にも鷲田さんのこの言葉を思い出し、こどもたちは真っ直ぐに見つめ、実は一番この社会のことを感じている気がしました。ちょっと、こんな風に考え始めると、私が一体、何が出来るのかな・・・って落ち込んでしまいますが、とにかく地域、ヒトとヒトとのつながりをつないでいくことや、みんながあいさつを交わすような地域づくりから出発しなくてはならないと思っています。まだまだ地域の集まりに加えてもらったばかりで、何もできていないけれど、少しずつ何か役立てればいいなと考えています。
2002年05月23日
安心して子育て!・・・三鷹市子ども家庭支援センター
東京ネット主催の視察。都内でも先進的な施策をすすめる三鷹市の子育て支援を見学しました。三鷹市はこの4月から駅から徒歩5分ほどのところに新しく子育て支援の拠点を「中央通りタウンプラザ」の2・3階ににオープンしました
2階には公設民営の保育園、3階に子ども家庭支援センター、ファミリーサポートセンターがあり、公設民営のトワイライトステイ事業、一時保育事業、ひろば事業を行っています。「ファミリーソーシャルワーク」、子育てについて地域全体でのケアが必要だという認識に基づいているとのことでした。個々の施設を見学し、本当に行き届いた設備にも目を見張りました。けれども職員自身が自信を持ってアピールしているように「先ず相談に来る→その場で必要なアドバイスをしてあげる=子育て支援サービス(施設)の利用を勧める」と利用申込み手続きがその場で可能という『相談業務とのパッケージ』システムで利用者の増加をねらうというのには「なるほど!」と感心しました。大抵の場合、いろんな申込みには内部手続きなどで時間がかかりそうなものなのに、その場ですぐに利用することができるというのは魅力的です。
「子どもと向きあっているのが辛いんです。」こんな相談がくればすぐに「それなら一時保育を利用なさって、ちょっとぶらっとお一人でお茶でもお飲みになったらいかがですか?」こんな風にしてすぐに問題解決する仕組みがここにはあります。「利用登録をすることで一安心、何かの時に利用できる」という声が多く聞かれるそうです。利用券を購入しますが、場合によっては食事やおやつもつけることができます。
私は「ひろば事業」をすすめることが大切だと考えています。もちろん保育園の充実なども必要ですが、誰でもが気軽に来ることができる「ひろば」を求めている人が多いと思うからです。実際に三鷹市にも「のびのびひろば」「すくすくひろば」として2つのセンターがあります。職員の方の話しだと「他のお母さんたちがグループになっているのではないでしょうか?」と利用する前の不安を問い合わせてくる方もいらっしゃるそうです。よく「公園デビュー」と言われますが、上手に公園デビューすることができなくて逆にノイローゼになってしまう人が多いとの話しを聞いたことがあります。この「ひろば」では職員が新しく来た人と他の利用者さんたちのコーディネーター、仲立ちをすることで、誰もが排除されることなく「ひろば」に参加出来るようにとても気を遣っているようでした。飲食については持ちこみ自由で、会話の中からアドバイスをするそうです。「ファーストフードもいいけれど、でも手作りの味が大事ですよ」とか何気ないところでサポートするそうです。「何て素晴らしいの!」とため息がもれてしまいました。こんな素晴らしいサービスがあるのなら移住してくる人もいるのではないかと思います。
多摩市ではニュータウンという地域の特性もあって、母親の孤立が結構問題になっているそうです。高齢化の進んでいる地域に住んでいれば近くの公園に行ってもお友達ができない・・・とか何か困った時にでも近所づきあいがないからすぐに相談することが出来ないとか・・・の悩みを抱えているお母さんたちが多いようです。マニュアル世代のせいなのか子育て情報誌に載せられた情報で子育てをしようとすると上手く行かないことばかりで行き詰まる等など、いろいろな問題があります。
私は子育て支援サービスは育児負担?の軽減のためにあるのではなくて、子育てをもっと楽しむために!あるものだと思っています。「支援」から「自立」を目指すものではないかと考えています。最初は支援してもらう立場で、そのうちに自らがこのサービスを上手に使えるようになっている・・・そうすれば育児を楽しめるし、自分のくらしも楽しめるはずです。
多摩市の子育て施策も進んでいる方ですが、常設の施設として「子育て家庭支援」をする場所がありません。特に自由に解放して使える場所「ひろば」が必要です。三鷹市のように廃校などを上手く利用して「ひろば」にしていく手法が望まれると思いました。とっても有意義な視察で、もう一度詳しい話しを聞きに行きたいと思います。
その他、公設民営の三鷹市立東台保育園、武蔵野市のこどもテンミリオンハウスあおばにも行って来ました。
2002年05月16日
秘密基地・・・「ゆう杉並」
多摩ネットの教育部会で視察に行きました。杉並区の児童青少年センター「ゆう杉並」です。ちなみにこの施設は男女平等推進センターと併設されています。
「ゆう杉並」の児童青少年センター機能は本当にすばらしく、そのことは年に約250前後の視察を受け入れているということからもわかります。ここは杉並区の中・高校生の居場所なのです。話によると中学生の行動範囲は約1㎞圏内ということで近隣の三つの中学の生徒たちが利用しているそうです。高校生は区内全域から訪れるとのことです。ちなみに職員の方はかなり視察慣れされていて、説明の上手さには脱帽しました。どんな質問が今まであったかについて要領を得るとこんな風なガイドになるのね!と感心してしまいました。
設備がとにかく充実しています。スタジオ、ミキシングルーム、工芸・調理室、体育室、ホール、集会室があります。学習コーナーがあってちゃんとブースになっています。とにかく驚きは最寄駅からはバス・・・というちょっと不便な立地にも関わらず、子どもたちが通ってくることです。何がそんなに魅力なのでしょう?
それは「大人がいない!」ことなのです。職員の方が「秘密基地、隠れ家」と表現するようにここには大学生のボランティアもいません。ただ何かあった時に対応出来るように職員がいるだけです。子どもたちは銘々好きなことをします。お菓子を食べてたり、宿題をしたり、ゲームをしたり・・・メインのフリースペースにはイマドキの中学生や高校生たちが集まっていました。
ユニークなのは「中高生委員会」というのがあり、この施設の運営を子どもたちが考えるそうです。例えばここではテレビゲームも貸出しをしていますが、その利用率が低い・・・となると、どうやったらもう少しテレビゲームを使ってもらえるのか知恵を出しあいます。その結果、テレビゲーム大会!を開催しました。単なる大会ではありません。なんとホールを使って、ゲームをでかでかとスクリーンに映して行う!というとってもユニークな手法をとります。もちろん彼らのアイデアです。こんな斬新なアイデアは大人だと考え出せなさそうです。子どもたちが利用するところだからこそ、子どもたちの視点を第一にしながら、この場所を創りあげるのです。もちろん職員(大人)と合同の会議の時には議論になることもあるそうです。ただ単に子どものことを全て受け入れるわけではありません。納得出来るまで話し合いをするそうです。「やっぱり世代の差かな・・・」と答えている中高生委員の声に私は拍手でした。
「なんて素晴らしいのかしら!」私は感動感動!嗚呼感動!でした。公共施設ってとても不思議なのですが、中学生などは保護者同伴でないと使用することが出来ません。自分たちで自主活動のグループを組んでも、親(大人)の監督がないと使えないということには私も納得がいきません。「ゆう杉並」のような子どもたちが自分自身を大事にしながら仲間と一緒に自己実現していけるような場所をぜひ多摩市に・・・。
学校でも家でも大人が判断した「子どもにとっていいこと、いい環境」が準備されていると思います。でもそのことが本当に子どもにとって幸せなことかどうかはやっぱり当事者に聞いて見なくてはなりません。でもなかなか当事者の意見を聞くことが出来ていないのが現状ではないかと思われます。子どもたちは子どもたちなりに意見を持っています。大人にとってみたら、大したことでなくても子どもたちにとってみたら重大なことだってあると思います。
大人がいたらいけない場所・・・「ゆう杉並」ここは子どもたちが自分勝手ではない自分中心主義になれる空間です。子どもの時には「子どものルール」があります。それには大人は入れない!そう思いました。だから大人は遠慮をするのか?そういうわけではありません。大人はそっと子どもの成長を見守ります。子どもを「待つこと」が大切なのです。じっと耳を傾けてあげること、そして本当に困っている時に手をそっと差し伸べてあげること。「思いっきりやってみなさい!」子どもたちが<真剣に>遊べる場所づくり・・・が必要なんだなあと思いました。
ちなみに驚きデータですがここのスタジオ(もちろん無料)を使用しているのは約1000人、250グループあるそうです!