2007年12月04日

12月定例会 一般質問2日目

 どんな回答が返ってくるのかと注目をしていた「戦没者追悼式」に関する一般質問でしたが、「恒久平和を確立するために実施しているものとご理解ください。」とのことでした。質問をした議員は兵士・軍人に限定するのではなく、すべての犠牲者を対象として追悼式を開催すべきだとの見解をお持ちでしたが、市長側は「追悼式」の在り方を見直すつもりはなさそうでした。ちなみに、「追悼式」についてこれまでに取組んできた改善点とは、ご遺族の方々が高齢化してきているので会場をやまばとホールではなく関戸公民館のホールに変更したこと。さらにバリアフリーの観点からフロアをフラットにしました・・・・というのが回答でした。
 
 「戦没者追悼式」というのは平成9年から実施しているようですがそれ以前は「慰霊祭」という名称で同様な式典を開催していたそうです。初めて知りました。「慰霊祭」ということでは公金支出との問題とかいろいろ話題にもなっていたので形を変えたみたいですね。そういえば、大学時代に憲法の先生が「政教分離」と「玉串料裁判」のことを熱く語っていたのを思い出しました。

 多摩市では平和事業として毎年「多摩市平和展」が開催されています。「恒久平和を確立するために実施している事業」というならば、むしろ「多摩市平和展」がその象徴にあたるのではないかと考えます。「戦没者追悼式」についても広報で一般参列者にも広く呼びかけているそうですが、一般市民にとっては「平和展」のほうが敷居が低いのではないでしょうか。


 ところで、今回の定例会ですが市長答弁は「簡潔さ」を意識しているようで、とても端的であるのが特徴です。議事運営の効率化のためなのかもしれませんね。同じ会派の篠塚議員が「あまりにもあっさりした答弁」と指摘すると市長は苦笑していました。明日も一般質問が続きます。

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2007年11月26日

12月定例会に向けて

 今日は一般質問の通告書の締切日でした。くじ引きで決まった順番は21番でした。質問の内容は
①来年度以降のNPOセンターの運営について
②多摩市の教育行政について(・・・教育長が変わったから)
③ひまわり教室とこどもの発達支援について
 以上3つが質問項目。①と③は9月定例会に引き続いてのテーマです。3ヶ月前に質問したことをまた質問するなんて・・・行政にとっては煙たい存在だと思いますが、きちんと進んでいることが確認できない限りでは質問しないわけにはいきません。とりあえず、①と③についてはある程度納得できる段階での回答を得るまでは継続的に質問するつもりです。

 ところで週末に「身のまわり環境地図展」を見に行きました。今年で第11回目を重ねます。相変わらず?参加する学校は限定されていることがわかります。指導する先生がいるかどうかで参加するしないがくっきりと分かれるのかもしれませんね。

 私が印象に残った地図のは市内中学校の部活動を調べてあったもの。「今、夢中になっていることは部活。部活は生活環境の1つで大きな存在。」という調査の動機が書いてあって、そこが印象強かったです。市内には「部活は先生のボランティア」と仰るしかるべき立場の方がいるやに聞いているのですが、部活動の場で学び得られる経験ってこの上なく重要なものだと考えます。にも関らず、保護者に対して「部活は先生のボランティアにすぎない。」と回答することが許されるなんて・・・・・信じられない話です。多摩市の教育委員会では部活をどんな位置づけにしているのでしょうか?例えばそんなエピソードひとつとっても多摩市の教育行政は信頼される存在にはなれないだろうと思います。これは、一般質問の②の項目にも大きく関ってくるものです。
 そして、もう一つ・・・例えば「身のまわり環境地図展」って主催しているのは多摩市(で環境部)。教育委員会も共催とかできないのかなあ・・・と思いますし、教育委員会の方々はこの催しに足を運んでいるのだろうか?とふと考えてしまいます。もしかすると、このような企画に参加をするのも「先生のボランティア精神」という言葉で片付けられてしまうのかもしれませんが、いずれにしても指導者の存在が学校現場での取組みに大きく影響することは間違いなし。本当は市内のどの学校に通ったとしても同じ水準で教育環境が整備されていることが重要だと思いますが、「まあ、それは理想論であって現実的には難しい。」と言われておしまいなのでしょうか?
 教育行政の在り方を一般質問するのは初めてなので、どんな風に質問していこうか悩ましく思っているところです。


 12月定例会1週間前。今朝も永山駅前の遊説でスタートしました。顔見知りになった方に手を振っていただいたり、笑顔を向けていただいたり・・・・「寒さ和らぐ」瞬間でした。

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2007年11月21日

いろいろ事情があるらしいが・・・・

 今日は会派で意見交換。一般質問に向けての調整などをしました。今回の一般質問で会派として新たに項目を追加することになったのは「(仮称)犯罪のない安心安全のまちづくり条例」について。犯罪被害者や防犯カメラの運用に関することも含めて制定するところに多摩市の特色があるとの説明をうけたのが月曜日のこと。12月5日のたま広報で市民からのパブリックコメントを募集するとの話だったので、さっそく担当課に連絡をし条例文の素案を見せて欲しいとお願いしたところ・・・・「まだ調整があるので、案文はお渡しできません。」との話。よくわかりませんが、今の時点でまだ準備中というのも不思議な話。一体どのようなスケジュールになっているのかわかりませんが、来年の3月定例会には条例を制定したいという流れにはあるようですね。

 実は、これ・・・・多摩市安全安心まちづくり推進協議会からの提言書に基づいて制定されるものとのことですが、どうやら、提言が出された直後に受けた説明では今年の6月議会に制定をしたいとのスケジュールがしめされていたようですね。メモが残っていました。

 これまでは東京都で制定している安全安心まちづくり条例にて対応可能としていたのに、なぜ方針を展開したのでしょうね?市民ニーズが高いから・・・・というのが理由になるのかもしれませんが、「多摩市独自の条例制定の必要はない」と考えていたころも市民ニーズは高かったはずですが・・・・。


 「まだ、お見せできません。」という素案を早く見せてもらいたいものです。。。ただの「安全安心のまちづくり条例」ではなく「犯罪のない安全安心のまちづくり条例」ということになれば、例えばドメスティック・バイオレンスに関るようなことも含めて対応できるような内容になっているのかなど気になるところですから。

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2007年11月11日

私の週末♪・・・閑話休題

 土曜日、日曜日にblogをお休みしているのは、パソコンを開かない日だってあっていいじゃない!って思うから。パソコンはやっぱり生活を忙しくするツールだと・・・・最近つくづくそう感じます。それに・・・字を書くのがますます億劫になり、漢字をド忘れしちゃうことも本当に多くて。

 今週末と言えば、昨日は青少年地区委員会の会議から始まり、お昼には同地区委員会前会長が「東京都青少年健全育成功労者」の表彰を受けたとのことでお祝いのささやかな会合、その後、「‘ウツ’を身近に感じたら・・・」という話を聞きに足を運び、講演会の区切りのいいところで退席してから、多摩平和イベント実行委員会の催しに移動。ジャーナリストの森口豁さんの淡々と語る口調を耳に残しながら、最後に・・・・一ヶ月前くらいに公演した朗読劇のDVDが完成したので有志にて上映会を開催。・・・・それから食事をして帰宅。
 同じ地域に在住する議員の橋本さんとは森口さんのお話を聴く会までほぼ行動を同一にしていたのでした。笑


 そして今日は・・・午前中に諏訪商店街のあしたやさんが中心のオーガニック市に出かけ、その後・・・高さ制限見直しの説明会に参加。終わってから、パルテノン多摩大ホールでフレンドシップ・コンサートinTAMA
に。このコンサートはとっても素晴らしく、、、、学術・文化・産業ネットワーク多摩の企画によるもの。パルテノン多摩も共催しているみたいですが、大ホールは満席になっていないのが本当に惜しい!次回からはさらに宣伝をしてもらい、多くの市民の方に来場してもらいたい演奏会(入場料は大人1000円と破格だと思います)を楽しんで、最後は多摩センターのイルミネーション点灯式を眺めて、しっかりと打ち上げ花火も見てから帰宅。

 これが今週末でした。あしたやさんのオーガニック市の宣伝!!!明日もやっています。1枚150円のいか天、あじ&ごぼう天を購入しましたが絶品でした。長崎からの直送だとか。ちなみに私はくじ引き大会で4等が当たってフェアトレードのチョコセットをいただいてしまいました♪ラッキー。諏訪商店街の一角にこじんまりした賑わいですが、笑顔の‘交流’が広がるホッとする空間が生まれていました。とってもいい雰囲気でした。


 その賑わいとは全く異なる多摩センターのイルミネーションは人ごみ人ごみでイルミネーションを楽しむよりも人間観察会・・・・になっている感じ。我先にとカメラを握って写真撮影をする人たちを眺めながら岐路に着いたのですが、小田急線の駅のホームから見るイルミネーションのほうがよっぽどきれいかもしれない・・・・。笑
人が多いと寒さも忘れるか・・・・?多摩センターには人が集まるようになっています。大学時代の同級生は久しぶりに来た多摩センターに驚きますから。


 この季節・・・買ってきた切花が長持ちするのでうれしいですね!閑話休題でした。

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2007年10月26日

視察に関する意見交換・・・?

 建設環境常任委員会で視察についての意見交換を実施するとのことだったので傍聴に行きました。寝屋川市の北河内4市リサイクル施設組合と掛川市の資源環境ギャラリーへの視察だったようです。

 今後、多摩市が廃プラスチック処理問題をどう考えていくのかは大きな課題。視察を踏まえて、どんな議論が行われるのかと思っていましたが、今日のところはまずは委員同士が各々感想を出し合ったところで終了を見ました。特に、北河内4市リサイクル施設組合は廃プラスチックの処理について専門委員会を設置し、意見を聞くなど慎重な対応で進めてきている事例として全国的にも注目されていますが、多摩市のエコプラザとの比較からは規模に違いがあるとの印象が強かったようでした。だいたい処理量としてはエコプラザの5倍量ほど。そのことからどんな結論が導き出されるのだろう・・・?と思いながら、傍聴していましたが、おそらく「処理量が少なければいい」なんて単純な答えを出すわけではないでしょうね。

 今日は傍聴者の方でほぼ満員という状況で、いかに廃プラスチック処理問題に関心が集まっているかを実感したわけですが、委員会としても緊張感ある議論が展開できそう。期待倒れにならないように委員会を運営していくところに委員長の技量・手腕が問われそうですね。
 
 ちなみに、部外者かもしれませんが私としては、エコプラザに対し、北河内4市リサイクル施設組合のホームページのようにしっかりと情報公開できる体制づくりこそ求めていくべきと思っています。建設工事の概要などもわかりやすく掲載されていますし。市民にどうやって理解を求めていくのか、その態度が端的に表れるのは情報公開への姿勢ではないかと考えています。

 「こうやって視察に関する意見交換とかやっていくことが議会改革につながるんだ。」というのが委員長の弁ですが、視察をしたことについて意見交換をすると言っても、視察目的などがしっかり共有できていなければ議論が散漫になってしまうようにも感じます。やはり、視察地の選定をするところから委員同士が目的意識を共有し、ある程度の共通認識を持って実際の現場に足を運ぶ・・・・という流れを事前に作っておくことが求められるように思いました。

 
 それにしてもあっという間に月日が過ぎていきます。あと1ヶ月したら、また12月定例会の一般質問の事前通告締切日になってしまう・・・・・。そういえば、9月定例会で取り上げたNPOセンターの問題はどうなっているかしら?と担当部に連絡をしてみたのですが、動きがかなり鈍っているご様子。私が求めている「NPOセンターの今後の運営などどうするのか?」を話しあうための場の設置は先送りされそう!?
 ・・・・・答弁では「今年度中にやります。」とのことでしたが、「来年度の予算編成を考えると少なくとも年内には場の設置をしなければ遅すぎるのでは?」(って指摘しておいたんだけれど。)

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2007年10月25日

議会改革の進め方は?

 視察が終わり、久しぶりに会派で集まり意見交換。来週、「議会基本条例制定をめざす議会改革特別委員会」の実質1回目の会議が開催される予定ですが、まずは特別委員会そのものの進め方から議論をし、合意形成を図らなければなりません。時間のかかるのが民主主義。議会改革特別委員会を設置するまでのことを考えてみても、思いのほか時間を要したので、おそらく今回の特別委員会もそんなに簡単に合意点が見出されるものではないだろうと予測しています。

 特に、議会改革特別委員会を設置する必要性はなく、議会運営委員会の中で議論をすれば十分だとの考えもあったので、今のところ最も大きな懸念は「特別委員会で議論するのがふさわしいこと」「議会運営委員会で議論するのがふさわしいこと」を分類したり、区別するための議論に終始してしまい、肝心な議論がいつまでも先送りされるのではないのか・・・ということです。合意形成に時間がかかることは承知済。しかしながら、本質的な議論をする入り口の入り口で停滞することは避けたいですね。
 市民に最もわかりやすい改革・・・と言えば、やはり「議員定数」や「議員報酬」のことになると思いますが、定数が減ったとしてそれが市民にとってプラスの効果を発揮されるのかどうか、議員報酬を減らすことで何が想定されるのか・・・・などなど、市民の方と意見交換する場が設けることも考えられるでしょう。多摩の市議会は他の自治体よりは市民への公開度が高いと言われますが、議論そのものは議員だけ、市民には閉ざされた議論の場で行われます。これからの時代の議会は、市民と直接意見交換もできるようにしていきたいものです。議員だけで自己満足的、「お手盛り的」な結論を出すことはしたくないものです。

 ところで、市議会ウオッチングの会の方が以前、希望をしていたことのある「議員研修会」の市民の傍聴について。横須賀市議会では市民にも公開しているようですね。なんと!案内によると傍聴者定員が104名!!公開していることのみならず、傍聴者定員の人数にも注目。
 今のところ、多摩市議会ルールは「市民の傍聴は認めない」となっていますが、市民と研修の場を共有することは決して市議会のマイナスにはならないでしょう。そうであれば公開する方向にしていきたいですね。


 週末、市民の方が主催する学習会に参加することになりました。ぜひ関心のある方、お時間のある方お出かけください!

*多摩自由大学 市民企画講座「市議会に改革を迫る」
日時:10月28日(日)午後2:00~5:00
場所:永山公民館4階 ベルブ視聴覚室
コーディネータ:牛山久仁彦(明治大学大学院教授)
パネリスト:山内和夫(東海大学教授・多摩自由大学学長)
      :安藤邦彦氏(市議会議員)
      :岩永ひさか氏(市議会議員)

 地方分権が進んでいくなか、自治体は自立に向けた議会の活性化と改革が避けて通れない課題となっています。いくつかの自治体では、すでにこうした変革をしようと努力しているところから、多摩市においても議会にそのための特別委員会が発足しました。
 そこで今回の第4回講座では、これまでの多摩市議会はどこに弱点があり、どのように変革しようとしているのか、またすることができるのかについて、議員ご自身からお伺いしようとしています。同時に私たち市民も、議会の課題や改革案などについて考え、知恵を出し、いかに改善していけるのか具体的に議論したいと思っています。そして市民が主役として、その意思を直接反映してくれる市議会を、実現していきたいと念願しています。
 自由大学は、これまでの市民企画講座を通して得た知見から、とくに次の課題について実現を図るべきであろうと考えています。

1.議会と市民の距離を近づけるため、定期的に議会報告とともに、市民と広く意見交換する制度を創設すること

2.現行の26人の議員数を、次回選挙において20人に減らすこと 

3.議会の運営について、格段に効率化できる仕組みを採り入れること

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2007年10月05日

結果責任は負う。

 最終日から一夜明け、改めて昨日までの一ヶ月を振り返ってみました。最終日の前日まで、私のところには「家庭系ごみの有料化は絶対に阻止して欲しい。」と希望する方々から電話があり、そしてお会いもしました。「有料化になったら困る。」「主婦のことをわかっていない。」「お年寄りをいじめている。」などとご意見を伺いました。中には「あなたの支持者の中にも有料化をして欲しくないと思っている人もいるはずなんだから。」とも言われました。正直、翌朝まで自分自身の政策判断を確かめました。「家庭系ごみの有料化」という政策判断をしてきた理由を再確認しました。
 
 私たちは補正予算の討論でもこの件に対する民主党TAMAの姿勢を表明してきたので、改めて最終日に討論する必要もないと考えていましたが、傍聴に来られる市民の方が多いことも予想し、討論をすることにしたのでした。討論については同じ会派の遠藤議員を中心にまとめあげました。今まで議員をやってきたなかで、これほどまでに会派で議論をしまとめあげた討論はなかったように思います。

 最終日前日にお会いをした市民の方には「あなたの立場はとてもよくわかりました。でも、反対している人もたくさんいることを忘れないでもらいたい。」と言われました。そのとおりだと思っています。物事の判断をする立場で、常に肝に銘じておかなければいけないことだと感じながら、その言葉をかみ締めました。


 さて、家庭系ごみ有料化の議案に対する議決が終了したとき・・・・・傍聴席からは「落としてやる。」とつぶやく声が静かに響いていました。誰に対してぶつけられた言葉であるのか定かではありませんが、市民の方のお気持ちを端的に示す言葉であろうと受け止めました。
 

 一つ一つの判断をしていくとき、全ての人の思いに応えきることはできない。時には立場を厳しくするような判断が迫られるのだと思います。大事なことはそのとき・・・逃げないこと。「結果責任は負わねばならない。」


 賛成した立場はもちろんのことですが、反対した立場であっても・・・結果的に議会全体の意思は「有料化という新たな政策を実施し、ごみの減量化をさらに進めていく。」というもの。全議員がその結果責任を等しく負うこととなります。賛成・反対の立場それぞれの意見について、双方ともに問われるのが説得力であることは言うまでもありません。今回の結果については、新たな政策を実施することに対する説得性が高かったと受け止めています。


◇家庭系ごみ指定袋方式による収集方式について・・・<議会質問内容>民主党TAMAの討論を掲載しました

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2007年10月03日

障害者の権利に関する条約への署名

 市議会は明日が最終日です。今日はその前日で事務整理日と位置づけられた休会日です。昨日は会派で昨年度決算の認定にあたっての討論書を作成するために遅くまで話し合いをしていました。その議論をとりまとめて討論することになっています。私たち会派の市長に対する評価をしたいと考えています。

 ところで、最近の動きでちょっと注目をしたいのが「障害者の権利に関する条約(仮称)」への署名が閣議で決定したということ。

外務省のホームページより)

「障害者の権利に関する条約」(仮称)への署名について 平成19年9月28日

1 我が国政府は、「障害者の権利に関する条約」に署名することを閣議において決定した。
2 この条約は、2006年12月、第61回国際連合総会において採択されたものであり、障害者の人権及び基本的自由の完全な実現を確保し、促進する上で重要な意義を有している。

(参考) 障害者権利条約

障害者の固有の尊厳、個人の自律及び自立、差別されないこと、社会への参加等を一般原則として規定し、障害者に保障されるべき個々の人権及び基本的自由について定めた上で、この人権及び基本的自由を確保し促進するための措置を締約国がとること等を定めている。


条約に署名することの意味は大きいと考えます。でも、同じように思い出すのは「子どもの権利条約」や「女子差別撤廃条約」などのこと。条約を批准した後に国内の法整備などはどのように進んでいくのでしょうか。

 自治体でも障害者基本条例や子どもの権利条例、男女平等条例といったルールづくりへの取組みが望まれますが、マクロなレベルでは流れと方向性があったとしてもミクロ?地域レベルにまで来るとさまざまな価値観や考え方があり、内容を取りまとめることはかなり難しいのが現実です。(条約の本質的な趣旨・内容をそのまま条例にまで引用させていくことは大変な作業です。例えば・・・・女子差別撤廃条約→各自治体の男女平等条例など)そして必ずしも自治体レベルでのルールは必要がないという考え方もまだまだ主流です。多摩市も例に漏れず・・・・「自治体での制定は不要」との立場を貫いているように思います。

 それでも、国の動きをしっかりと受け止めることは必要でしょうね。市民向けに国の動きや流れを伝える努力はできるのではないかと思っています。もちろん、それについて多摩市がどう考えて取り組んでいくのかもあわせて。

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2007年09月07日

9月定例会 一般質問5日目

 一般質問の日程はすべて終了しました。週明けから補正予算の審議がスタートします。

 今日の一般質問では「エコプラザ多摩」に関し、予防原則の立場からも廃プラスチックの圧縮梱包装置の稼動を中止すべきとの発言がありました。行政側とのやりとりで、「それでは議員さんは廃プラスチックについてはどのように対応なさればいいとお考えですか。」と反問をされたことに対し、「プラスチックについてはサーマルリサイクルがいいと思う。」ということの発言があり、議場の空気の流れが一瞬・・・どよどよっとなりました。
 やっぱり、対案としてはサーマルリサイクルになってしまうのですね。確かに熱回収するのも一つの手法とは言えますが、それは最終手段にしなければいけません。「燃やす」ということは、最終処分場への焼却灰持ち込み量も減らさないということになるわけですから・・・・。「燃やさず、埋め立てず」これが多摩市の方針です。


 ところで、今定例会に提案されている主な議案については、すでに市長がメッセージとして発信していますね。
 家庭系ごみの収集方式の変更の件に対しては市民意見なども踏まえて、考え方が少し変更しされたようです。収集手数料についても前回提案内容とは異なっています。(大袋 80円だったものが60円に)。
 今、民主党TAMAではその考え方をもう一度確認するとともに、「ごみを減らす」という観点にたち、改めて収集方式をどうすべきなのかを議論しているところです。

 月曜日から始まる補正予算の審議。「家庭系ごみの有料化」にも関連する予算の計上もあり、議論が白熱しそう?個人的には「有料」or「無料」というような手数料負担の問題だけに矮小化されてしまうことには残念に感じています。なぜなら、大目的には「ごみを減らす」ということがあるからです。そのために何ができるのか、今以上の対策について積極的な提案が行われるような審議であってほしいものです。

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2007年08月09日

パルテノン多摩と多摩市の力関係?

 「パルテノン多摩と多摩市って一体、どんな関係なの?」と尋ねられたのですが、思わず返答に詰まってしまいました。

 多摩市の公共施設で市民の財産。昨年度から指定管理者制度が導入されたけれど、実質的には従前どおり財団法人多摩市文化振興財団が管理運営を担っている。そして建前的には独立採算で市とは別個に自立的に運営をしているというもの。

 まずは、以上のことを思い浮かべて答えたものの、質問意図は以下のとおり。

 先日開催された多摩市の平和展はたま広報でも1面に記事が掲載されるくらいのイベントにも関わらず、パルテノン多摩のニュース(新聞折込)での取り扱いが驚くほど小さかったということ。確かに、パルテノン多摩の自主事業でもなく、直接的に携わっている事業とは言えないまでも・・・・多摩市における平和展の位置づけなどなど勘案するならば、それなりに取り扱われてもいいのではないか?というのがその方のご意見。パルテのニュースには小さく一行だけでその案内が掲載されていたとか。

 早速、過去のニュースをチェックしたところ「貸館スケジュール」の一部に掲載されていましたが、全く目立たないというのは言うまでもありません。ちなみに平和展についてはパルテノン多摩も後援をしているわけですが、その「後援」というのはどういう意味合いを持つものなのでしょうね?年に4回しか開催されないパルテノン多摩・評議会の議会選出メンバーの一人としては考えさせられました。

 
 とりあえずはパルテノン多摩も・・・・というよりか財団法人も独立採算で歩いていかねばならず、自主事業に精力を尽くさねばならないことは確か。指定管理者になった限りでは、独立独歩でそれなりのビジョンと考え方を持っているのかもしれませんが、どうやらニュースにおける取り扱いの小ささ(冷たさ)は「主催者ではない」というところにあるようです。直接の主催事業ではない場合はすべて「貸し館事業」。貸し館事業主催者の希望によってのみ「スケジュール」としてニュースに掲載されていると理解しました。


 というわけで、それならパルテノン多摩も「多摩市平和展の主催者」にしてしまったらいいのかもしれませんね。有無を言わさず・・・・?!
 平和を考えることも文化の素地を培っていくことには重要な意味があるわけで、「多摩市文化複合施設」としても無視できないことだと思うので。従前のように「多摩市平和展」SANに場所を貸し出すというのではなく、この際、一緒になって「平和」を考える場づくりに関わっていけばいかがでしょう?

 ・・・・・そんなこと、できる余裕はない!と拒否されてしまう?!


 そもそも、それ以前の問題として「多摩市平和展」の私たちにとっての位置づけが問われているのかもしれませんね。そのことが市全体での取り組み方にも影響するのでしょう。指定管理者の運営云々に関わらず、公共施設としてのパルテノン多摩が果たさねばならない役割を考えていけば自ずから回答も出てくるように考えます。

 「それは公民館の仕事でしょ・・・・。」などと言われてしまうとはなはだ悲しいわけですが、多摩市平和展もパルテノン多摩も「くらしと文化部」が担当窓口ですよ!

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2007年08月06日

平和宣言

 我が家の目の前は公園。蝉が熱唱しているので、ますます暑さがかきたてられる今日この頃です。少々、夏休みモードに入っている私ですが、今日は午前・午後と市役所で情報収集活動などをしていました。市役所全体も‘おやすみモード’・・・かと言えば、決してそういうわけではなく、9月議会に向けての準備が進んでいる模様です。特に決算特別委員会があるのでそれに向けての準備は山をむかえているような気もします。議会の予定は、明日が「ストックマネジメントと公共施設配置」を考える特別委員会が開催されますが、今日は三重県の津市議会の方々が多摩市に行政視察に来られていたようでした。恰幅のいい方々のお姿をちらり拝見しました。

 さて、今日はヒロシマに原爆が投下されて62年目の夏。私は毎年、広島市長の宣言に注目をしています。今年の秋葉市長の宣言ですが、さっそく広島市のホームページに掲載されています。

 

唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。

 謙虚に学んでいくこと。‘省’として格上げされた防衛庁の長の不穏当発言が思い出されますね。平和宣言はシンプルな文章の中に‘まち’としての決意がとても強く述べられています。

 

同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。

 地方自治体の長であっても、このような強い意思の表明と決意、覚悟を述べることができることを改めて目の当たりにした感じがしました。戦争体験のある人々が年々少なくなっていくことだけはわかっている・・・・この時代に、今日、8月6日をいかに語りつないでいくのかを考える一日があるだけでも意義があるのかもしれませんね。

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2007年08月02日

ふるさと納税

 「自治体改革」をテーマにし開催された研修会があり参加しました。自治体の再構築に関する講演会、それから地方財政をめぐる動向についての話を聞きました。久しぶりに長時間の講義にはしんどさもありました・・・。

 ところで、最近ちょっとだけ?話題になっている「ふるさと納税」のこと。今日の講師は税の考え方そのものからしても、ふるさと納税はナンセンスだと仰っていました。

 当初、私は「ふるさと納税」もまた、面白い発想だと思っていました。しかし、私自身が「ふるさと納税」の納税者だった場合をよくよく考えてみた場合に・・・・最も気になる点はふるさとに思いを馳せて納めた税金の使い方について。口うるさい私としては、納めた税金の使い道について決定には全く関わることができないとするならば、やはり納税する気にはなれないでしょうね。

 例え、その‘まち’にも議会があり、そこが最も望ましく税収入の使い方を決めていくとは言っても・・・・・。万が一・・・思いにもよらない使い方をされたなら、黙っていられないようにも思いますし。その意味で、自分たちの住んでいる場所で議員を選ぶ権利ってとても大事だと言うことがわかります。

 というわけで、ふるさと納税が義務化された大変ですよね。自分が応援したくない‘ふるさと’である場合もあるでしょうし。・・・そもそも「ふるさととは?」という議論から出発しなければならないでしょうから、そんなに簡単に導入できるものとは思いませんが、私自身もこの制度はまだまだ時期尚早というよりも、「思いつき」っぽい感じがしてならないというのが感想です。

 この話題にて改めて認識をしたのは「議会の役割」ということ。税金の使い方を決めるというのはとても責任ある仕事で、そこに求められる説明責任こそを負うのが議員であるということ。なかなか理想どおりにはいかないのが現実ですが・・・・。

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2007年07月31日

唐木田コミニュティセンター

 唐木田コミュニティセンターの建設がいよいよ動きはじめました。公式ホームページにも実施設計事業者の募集について告知されています。

 以下、業界紙(建通新聞)より・・・。

■ 【東京】唐木田CC、公募型プロポで特定 多摩市(07/30)

■  多摩市は、(仮称)唐木田コミュニティセンター新築の実施設計を行う事業者を公募型プロポーザル方式で特定する。提案書の書類審査とヒアリングの2段階審査を行い、候補者を選定する。参加希望者は8月10日までに参加表明書を提出する。予定価格は2798万5000円(税抜き)の範囲内。
 同センターは、市民のコミュニティ形成の拠点施設と位置付け、指定管理者が運営する施設となる。当初、2006年度の開設を目指して事業計画されたが、04年2月に策定した行財政再構築プランにより事業が繰り延べになっていた。
 施設はコミュニティセンター、児童館、学童クラブ、図書館の機能を持つ複合施設として基本設計まで出来ているが、社会ニーズの変化などを踏まえて学童クラブの設置は取り止め、子育て広場的機能と中・高校生向け機能の充実を図ることとした。今回のプロポでは、基本設計の機能とコスト分析を実施し、ライフサイクルコストを含めて高品質な設計への最適化を図る。
 今後のスケジュールは、7月30日に実施要領をホームページに掲載し、基本設計書を8月7日~8月13日まで閲覧する。質疑書の回答を踏まえ、9月12日までに提案書を提出する。10月2日に1次審査の結果を通知し、10月16日に二次審査(ヒアリング)を実施。10月16日に2次審査結果を通知し、11月9日に契約を結ぶ予定だ。
 技術提案書には、▽基本設計の課題・制約条件の抽出と提案▽基本コンセプトの主旨を具現化するための再構築提案▽「児童館庭園」「コミセン広場」の効果的な広場機能のあり方と手法提案▽建設費、ライフサイクルコストの軽減対策提案▽設計にあたって市民協働で進めるための考え方とプロセスについて―を提案する。
 施設規模は、延べ2600平方㍍(自転車置場を除く)とし、建物の階層は3層までとする。建設総額目標は約10億円としている。参加資格要件は、東京都・神奈川県に本社または支社があることや指名停止処分を受けていないことなど。実施設計の期間は08年12月26日まで。

(2007/07/30)

 建設総額目標が約10億円。必要なところには税金を使って当然とは言え、そして、もちろん私も予算に賛成してきた立場とは言え・・・この金額の大きさになぜかため息をついてしまいました。

 先般の議会では和田地域のコミュニティセンターのことも話題になっていましたが、和田地域にはもともと区画整理地内にコミュニティセンター用地が確保してあったにも関わらず、建設の動きが今のところ見られないのが現状。にも関わらず、唐木田の場合は都市再生機構様より新たに土地購入を行い、いざ建設へ・・・・。

 和田地域の土地は青々と雑草が育って「塩漬け」されている?!


 唐木田コミュニティセンターについても、行財政診断白書、行財政再構築プランの流れにおいては一度は凍結されていたものの、市長が2期目になってからの動きは軽やかで、ホップ・ステップ・ジャンプ!!で今回にまで至る・・・・。


 次はどうするんだろう?どうなるのだろう?地域間バランスを考えるとしたら、「塩漬け」の土地を活用すべく動いていくのだろうか?


 そんな資金があるの?


 議会でも「ストック・マネージメント(資産管理)と公共施設の配置の在り方について特別委員会」を設置したことからもわかるとおり、現在抱えている公共施設だけでも維持補修費の不足に頭を抱えていることは間違いありません。公共施設のスクラップ&ビルドということを仰っていた方もいらっしゃいますが、今の状況ではビルド&ビルド&ビルド・・・・。
 特別委員会の第一回目は8月7日に開催されるので、そこでどんな議論が展開されていくのかが注目されます。 

 それにして・・・厳しい行財政環境で、「お金がない!」としているのが私たちの‘まち’であったはずなんですよね。

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2007年07月29日

自民党度は28%

 先日に引き続き、おもしろいテストを発見しました。政党との相性判断。私は自民党ではないということだけは明らかになりました。しかし、民主党度その他については・・・・ぼちぼちで、特に民主党度が飛び抜けていたわけではありません。

 今日は・・・・民主党TAMAの議会報告会でした。心配していた参加者は‘顔見知り’の方々でしたが8名(けれど、声をかけて無理矢理参加をした方々ではありません。)。けれども、このような会に初めて参加をなさった方もいらっしゃるのはうれしいことです。
 会の進行は6月議会の主な議案についての説明、質疑応答、意見交換でした。6月定例会では、最終的な判断において民主党内で分かれた案件があったことに対する失望感、厳しいご意見をいただくことができました。もっと党内(会派内)にて徹底的に議論をして、統一見解を出せるように努力をすべきだとのご指摘には反論の余地はないでしょう。

 「市民は議会だよりにおいて、議員の採決態度を○×表でしか確認することができず、その議論の過程まではわからない。」

 つまり、なぜ同じ党(会派)に所属をしながら、態度を分かつのかが市民には理解が出来ないということになるのでしょう。その通りであると思います。

 「わかりにくい。」

 これこそが市民と政治を遠ざける原因の一つ。私自身もその一因を作り出していることを改めて意識させられました。同時に、ていねいな説明を尽くしていくことが何よりも大切であることを痛感したことは言うまでもありません。


 本日は参議院選挙の投票日。テレビの開票速報では民主党の躍進と自民党の大敗が伝えられてます。民主党に集まった期待感というのは「政権交代」をし、長期政権による弊害に「NO!」と突きつけた結果だと思っています。
 でも、「民主党しかないから、民主党に期待するしかない。」というネガティブな意見も多く聞いてきました。その点では、消極的選択ではなく、積極的な選択をしてもらえるようになるかどうかが今後の大きな課題であると感じているところです。

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2007年07月26日

議会報告会のこと

 民主党TAMAとして先般の選挙で公約に掲げた定例会前後の報告会を開催について・・・実は今週末を予定していたのですが、ちょうど選挙投票日と重なってしまうという羽目に。しかし、日程を変更することはせず、予定決行で開催することになりました。

 <民主党TAMA 6月定例会報告会>
 日時 7月29日日曜日 14時~
 場所 ベルブ永山 学習室
 内容 議会報告 意見交換など
 

 ということなのですが、ここでちょっとした小話。
 ベルブ永山・・・つまりは公民館を借りるためには利用者登録が必要になります。会則などを作成、提出をした後に利用者登録の可否が判断されます。当初、私たちは「民主党TAMA後援会」という登録名を考えました。本会では学習会なども開催したいと考えているので、十分に条件は満たしていると思うのですが、これはあまりにも政治的な臭いがし過ぎるということで変更を迫られたのでした。わかりやすさから言えば、とても適切だと思うのですが、・・・・登録団体名称は「民主フォーラムTAMA」にすることとなりました。


 社会教育法において公民館は・・・・

(目的)
第20条 公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする。

(公民館の運営方針)
第23条 公民館は、次の行為を行つてはならない。
 1.もつばら営利を目的として事業を行い、特定の営利事業に公民館の名称を利用させその他営利事業を援助すること。
 2.特定の政党の利害に関する事業を行い、又は公私の選挙に関し、特定の候補者を支持すること。

2 市町村の設置する公民館は、特定の宗教を支持し、又は特定の教派、宗派若しくは教団を支援してはならない。


 「民主フォーラムTAMA」とつけることでカムフラージュしているかもしてしまいますし、「民主党TAMA後援会」としても遜色ないのではないかとも思いますが、やはり判断をするのは易しくないのかもしれませんね。でも、すべての政党に対して公平・公正なスタンスで対応し、使用の可否が判断されるのであれば問題は生じないと考えます。でも、それについても色々な考えのもと、様々な見解があるでしょうし、慎重なる判断で「名称変更」が迫られたことは公務員としては「ご尤も」って感じなのかなと思いました。


 週末、お時間がある方はぜひお出かけ下さい。報告会などは(そもそも私は個人後援会を持ちませんが)各人が支持者に呼びかけて出席を求めるような性格ではなく、誰でもが出入り自由の会です。参加者の見込みはたてずに実施いたします。会を乱す目的での参加は本意ではないところあたりだけは心配もありながら、当って砕けろ、、、、もしかしたら参加者0(ゼロ)かもしれませんし・・・・新しい試みに心がちょっとワクワクしています。

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2007年07月24日

期待以上の成果。

 選挙もいよいよ終盤戦にさしかかってきました。毎朝、毎夕と市内の4駅を巡りながらマニフェストを配布しています。世論調査の結果が報道されると与党はかなり厳しい選挙戦が強いられているようですが、一方で対抗する位置にある私たちも正直、、、、厳しい有権者の眼が注がれていることを感じています。「期待感を持ちたいけれど、でも・・・持てない。」という声も届いています。それでも、「今の状況は何とかしてもらいたい。」という心のモヤモヤ感があることは確か。その気持ちが一票に託してもらえるようにあと一踏ん張りというところでしょうか。投票率が上がって欲しい(下がらないで欲しい)という思いで最後まで呼びかけしていきたいと思います。

 「期待以上に成果をあげる」というのはとても難しいことです。そこには人知れぬ努力と忍耐が必要だと思っています。今、ものすごい期待感があるとしたら、それ以上の成果が出せて初めて評価は上々。「思ったとおり」ということだけではボチボチしか納得が得られないというのは常ではないでしょうか。そういう意味で今回の選挙についても与野党逆転が果たせたなら、その逆転具合にまたさまざまと論評がつくのだろうと考えています。

 いずれにしても、先のことはわからない。その時々に無理せずにできることを追求していくことが大事なのだろうと思いながら過ごしている今日この頃です。


 さて、投票は欠かさずに!大事な権利の行使をお願いするわけですが、こんな取り組みにもご参加下さい!⇒社会をつくり直す人びと2007・・・10万人提案運動
 

「・・・政治家は選挙の度に夢を語り、最近では“マニフェスト”という約束事を示していますが、その姿勢はいつも一方通行で、社会改革を市民から請負うことに一所懸命です。

 わたしたちはこう考えます。市民社会を、たがいに住み心地の良い状態に保つのは、市民自身の責任です。政治家の役割はあくまでその補助です。これからの社会は、市民自身が自らの責任で矛盾解決の手法を発案し、目標を達成する政策を討議し、その社会的責務を果たしながら改革の道筋をつくり出していく。このプロセスが最も大切になると確信します。」

 私たち一人ひとりが政治家に期待する以上にできることがある。私もそう思っています。この考え方は多摩市自治基本条例にも通ずるものですね。議員として私が持つべき姿勢を改めて確認させられました。


 そしてまた、こんな考え方が広がることで選挙の手法も選挙の風景も大きく様変わりしそうです!

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2007年07月23日

ささやかにPR♪

 多摩センターの駅で見つけました!

 「市民活動情報センターで、地域の活動に踏み出すきっかけを見つけて、新たなライフステージへの1歩を踏み出して下さい!きっと素敵な出会いが待っています!」

 ちょうど名刺大の連絡先カード。市民活動情報センターへのアクセス情報が掲載されています。ドナーカードやチャイルドラインカード等と同じようにお財布に入れておける大きさ。多摩センター駅中の多摩市広報等を配布用ポストのところにひっそりとカードの入った箱が設置してありました。
 

 名刺大の大きさであることの利点は、持ち運びに便利ということだけれはなく、普通のパンフレットやビラとは違って何となく捨てがたい大きさであるという点。
 ちらっと手にとって、・・・「とりあえずもらっておく。」という程度のものなのかもしれませんが、その時は必要なくてもどこかにしまいこんでもらえる大きさ。もちろん、しまいこんで忘れられてしまう場合も多いのだと思いますが、捨てられずに発見されたら吉。「あーそういえば。」と思い出してもらったならうれしいですね。そこから、すぐに市民活動情報センターに行ってみよう!という動機に結びつくほど単純ではないのかもしれませんが・・・・。

 密かに役立ててくれる人もいたらいいなあという願いを込めて、、、私も一枚いただいてきました。市民活動情報センターについては、私もかねてからその動向を注目してきました。特にこの4月から市民運営委員会が設置され、NPOセンターなど関係機関との連携等が議論されているようなのでその答申を心待ちにしています。このセンターは、将来的にどうすればいいのかが描かれないままに、現市長一期目最後のお仕事として鳴り物入りにてオープンさせてしまったわけですから・・・・。

 私はNPOセンター事業の委託について、不適切な事務手続きがあったことなどを指摘してます。そのことも含め、随分前から、NPOセンターの今後の展望を早急に示すこと、市民活動全体をどう進めていくのか整理すべきと主張しています。これは引き続きの優先課題として、今後もしつこく現状を確認して行こうと思っているのですが、その都度その都度市長は「真摯に受けとめて考えます。」とのことなので、その言葉どおりに取り組みが進んでいくことを期待するものです。

 ちなみに、そろそろ運営委員会の議論も終盤。明日の夜にも開催予定です。最終は9月5日の会議になるようですが、それを受けてから庁内論議をするとして、来年度に向けた方向性などいつになったら明らかにされるのか・・・?先が見えるような見えないような・・・・。


 期待せざるを得ず、期待したいとは思うものの、、、またまた拙速な議論により進められていくのではないかと・・・そんな心配無用なのかなあと思いますが、予感・危惧が当らぬことを祈ります。

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2007年07月16日

多摩市平和展~続けることの意味

 パルテノン多摩で多摩市平和展が開催されています。今年で16回目を重ねる企画です。毎年一回のことでも「場」があることの意味は大きいのだと感じています。

 多摩市の平和展は「戦争を考える」「戦争を忘れない」「戦争経験を伝える」ことを起点にしています。でも、そのことが本当に難しい。

 「平和って何?」アフガニスタンの子どもは「戦争と戦争の間」と答えるそうです。今、日本の子どもたちに「平和って何?」と尋ねられ、大人はどう回答することができるのでしょうか。平和展の展示を見ながら子どもにどう説明をしようか、どう説明できるかと・・・・そんな思いを毎年抱くのは私だけでしょうか。


 「戦争をしない」=「平和」


 単純な図式だけでは説明しきれないくらい難しい問題なのではないかと。今年は市民ギャラリーは桃井和馬さんの写真展。テーマは「戦争」ではありません。「生命(いのち)がめぐる星-地球-」。平和展の視点が新たに拓かれてきたように感じます。桃井さんの写真は「戦争」だけを捉えているものではありません。
 今度の土曜日にはパルテノン多摩小ホールで16時15分から「この大地に命 与えられし者たちへ」をテーマにしたトークもありますが、「自らの生き方や平和のことを考え探リ続ける」ために世界各国を写し、私たちに伝えてくれるのが桃井さん。「私たちが今、何に向き合い、そして考えていかなければならないのか」・・・そんなヒントが得られると思います。

 実は、桃井さんは多摩市在住。地域でも「自分の足もとから」と地道な活動を実践されている方です。多摩市の平和展で多摩市在住の写真家がメッセージを発信する。私にとってだけかもしれませんが、それもまた意味あることと受けとめています。
 そしてまた、世界各国幅広く歩き、撮り続けねばならないにも関わらず、「やっぱり、自分の周り、足元から変えていかないと!」・・・・と地域にも目を向け、地道な活動を実践されている桃井和馬さんのメッセージを一人でも多くの市民の方と共有できたらうれしいです。


○第16回 多摩市平和展-すべてのいのちに 平和な地球を-
 日時:7月14日(土)~22日(日)午前11:00~午後7:00
 会場:パルテノン多摩 入場無料
 主催 多摩市 多摩市民平和展市民会議
 
 <市民ギャラリー> 桃井和馬写真展「生命(いのち)がめぐる星-地球-」
 <特別展示室>原爆と人間展、広島平和記念資料館所蔵資料展  
    中西あゆみ写真展「Earth at Playー地球と遊ぶ子どもたち」
    多摩火工廠展
    旧連合艦隊司令部地下壕写真展示


 <小ホール> 7月21日(土)
 午後1:30長崎被爆体験談
 午後2:50ウクライナの歌姫 ナターシャ・グジーコンサート
 午後4:15桃井和馬フォト&トーク
 午後7:30丸山和範ピアノコンサート

 <第2・第3会議室> 7月15日(日)-終了-
 午後2:00 講演会「チェルノブイリ 核の被害」

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2007年07月13日

選挙中は自粛すべきなの?

 昨日から参院選がスタートしています。その間のホームページの更新については迷うところです。東京都選挙管理委員会のQ&Aによれば、

Q インターネットで政治活動はできる?
A 選挙運動にわたらない純粋な政治活動として、インターネットのホームページを利用することは自由にできます。
 しかし、純粋な政治活動として使用するホームページであっても、選挙運動期間中に開設したり、又は書き換えをすることは、新たな文書図画の頒布とみなされ、選挙運動の禁止を免れる行為として公職選挙法に違反することがあります。
となっています。

 ですが、選挙運動にはならない話題の範囲で更新ができるのではないかと思いますが、やはり違反になるのでしょうか?上記Q&Aによれば、「違反することがあります。」と書いてあり、「違反します。」と断言されていませんね。特定候補者の氏名など書いていなければ問題ないように思います。

 更新するかどうかを迷いながら、インターネット上でいろいろと検索をしていたら、ある議員さんのHPでは昨日、今日の活動報告として遊説中の選挙カー(政党名入り)の写真が掲載されていました。

 ですので、私も選挙活動に該当しないと思われる範囲で更新を続けてみたいと思います。


 さて今日は、南多摩保健所の母子講演会に参加しました。テーマは「発達が気になる児童の理解とその対応」。いわゆる発達障害の子どもたちへの対応方法に関する研修会です。講師は島田療育センターの心理相談室の山本秀二室長でした。

 「行動分析的手法を中心としたアプローチ」という小難しい感じがするのですが、「なぜ、そんな行動をするの?」ということを考え、それによって子どもの行動意図を探るというものだと理解しました。行動意図がわかれば、そこに適切な対応ができるわけです。大人の判断、大人の視点で子どもに言い聞かせるのではなく、子どもの持っている気持ち、プライドを傷つけずに大人が振舞えるかどうかが大切・・・とっても当たり前のことかもしれませんね。でも、専門家的な見地から話しを聞いたので、気分的にはちょっと理解が深まった(?)気分です。


 子どもたちの集団生活においては「一人一人に適切な対応をし、発達障害のある子どもと周囲の子どもの人間関係を育てていくためにできることは何か」を考えると言うことだと思いました。


 これは、「子ども」に限らず、大人どうしのコミュニケーションでも十分に当てはめて考えられることだとも思いましたが、大人どうしの場合には「あの人変ってる。」「あの人ずれてる。」で終わらせることも出来ますし、そこそこ我慢力もありますからそれなりに場を過ごすことが出来るのかもしれません。

 けれども、学校生活などは違います。ちょっとしたイサカイ、人間関係につまづいたところからイジメや不登校が始まってしまったり・・・・状況は深刻なのです。発達障害のある子どもの個性を理解する大人が、ちょっと仲立ちをすることでよりよい関係性を育てていくことができるというわけです。

 ・・・・と言っても、頭で理解できていても実際の場面でどうなるのか・・・と言えば、かなり隔たりある行動となってしまうのが現状でしょうね。行動分析的手法を日常的に意識しながら子どもに接するというのは、かなりな鍛練が必要ですね。大人力、子どもの集団生活を現場で支える大人の力が問われていること間違いナシです。

 いずれにしても、「なぜ、そんな行動をするの?」というのは発達障害があるなしに関わらず全ての子どもたちに向き合う姿勢としても大事な要素。子どもを理解するのであれば、そこを原点にすることは当然のことと言えます。つまり、発達障害の持つ子どもへの対応を考える取組みというのは、すべての子どもたちにとっても必要不可欠な取り組みなのです。


 だから、特別支援教育は発達障害のある子どものためだけの教育ではないとされるのです。何だか「特別支援」と言うだけで、拒否反応を示す教師たちも少なくないと聞いているのですが・・・・。発達障害を持つ彼、彼女たちにわかりやすい授業は全員にとってもわかりやすい授業になっていくからです。例えば、絵や図で具体的に示しながら授業内容の説明をする等など、これが特別支援教育で実際に行われている授業の工夫だったりします。これって「特別」なものではなく、先生が当然にできる(しなければいけない)工夫で授業改善の努力であると思います。
 ですので、私は特別支援教育はまずは指導者である先生一人ひとりの意識に帰する部分が大きいと考えています。


 それにしても「母子講演会」という名称は何とかならないものでしょうか。全く馴染めない表現ですね。おそらく「母子保健」の分野から企画された講演会(いかにもお役所的発想)なのでしょうが、「母親」が強調されるような内容の講演ではなく、全ての保護者等が聞くべき講演内容なのに・・・・。もう少し、今の時代感覚に合せてもらいたいものです。

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2007年07月10日

声のメッセージ♪

 引き続き参院選の話題。定例会が終了し、即選挙・・・・という予定が投票日が延期されて「間延び」している感がどうも否めないのですが。

 今日は昨日の午後に引き続き、街宣カーに乗車をして市内をまわりました。ところどころ?菅直人代表代行のメッセージを流しながら・・・。その威力抜群?!

 道行く方々は振り向いて車を注目して下さり、団地の中では窓から手を振ってくださったり、わざわざ玄関からお出ましいただける方もあり・・・。そのたびに「申し訳ありません。」という気持ちをこめながら頭を下げて「ただいま菅直人代表代行からの声のメッセージでした。」とアナウンスをするものの運転手をはじめ、車に乗車している一同、恐縮しきり。それと同時に、街宣カーからの声をキャッチして下さる人が意外にも存在していることを感じました。市議会議員選挙の時の反応とは大違い。

 もちろん、時期的にも「夏」ですし、軒並み窓を開放されている家が多いというのも反応の良し悪しに関わってくるのかもしれませんが。


 ところで、インターネットで一人ひとり市民も発言できる場所が持てるようになりました。ネットを通じて、世論がつながっていく、動いていく・・・・そんな可能性は今後ますます大きくなっていくように感じています。もちろん情報が多すぎて、逆に消化し切れなくなる恐れもありますし、その点では「メディア・リテラシー教育」の必要性も高まるのだと考えています。学校の授業ではインターネットを使用することは教えているのかもしれませんが、それとあわせてメディア・リテラシーを高めていくことができているのかと言えば不十分。そもそもメディア・リテラシーを子どもたちに伝え、指導できる人材がどれほどいるのかという点を考えることの方が先なのかもしれませんが。
 インターネット社会を生き抜かねばならない子どもたちにメディア・リテラシーを教えることのできる大人の存在が必要不可欠です。私自身も自分の課題として考えていることですが・・・・。

 一人ひとりの市民が声を出すこと、発言することが力に変っていく・・・ここのところ注目しているBlogです。「らんきーブログ」。
 そして、私が民主党公認で立候補する人物として注目をしてきたとくらたかこさんにがんばってもらいたい!

 もちろん東京選挙区では生活者ネットワークの元都議であった大河原まさこさん。懐かしい懐かしい私のOL時代に人生迷いながら色々な人に出会っていた時期・・・・知人つながりで存じ上げたすずきかんさん。当時、大学生から寄せられていた信頼と学生と一緒になって考えて行動するという姿は思い出します。

 「微力でも無力ではない」(とくらたかこさん)を一人でも多くの人に広げる選挙戦にしたいものです。

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2007年07月09日

ちょっと宣伝。

 今週の木曜日から参院選挙がスタートします。今日は・・・と言えば、話題のミュージカル♪を見に行きました。

 といっても、民主党の政策をわかりやすく伝えるというミュージカル。私が見たのは「幸福の王子-逆転の夏」編。配布されたプレス民主(民主党が発行している広報)仕立ての歌詞集によれば「ふるさと再生-土と緑と水に」編もあるようです。多摩地域では最初で最後の公演とか。最後には会場と一体になってテーマ曲の大合唱にて終了。。。

 政策をお堅い言葉で語らずに、もっとわかりやすく伝えることはできないだろうか?という菅直人代表代行の発案により実現したそうです。台本などは民主党の元衆議院議員の方の作品。キャストの方も本格派。内容には賛否両論あるようですが、私自身は期待以上に楽しんでしまいました。
 ちなみに、打ち上げ公演として明後日7月11日の午後6時から鳩山会館にて行われる予定が追加されていますのでお時間のある方はお出かけ下さい。


 それから「Oh!勝ってレディース」のメンバー、菅直人夫人、鳩山由紀夫夫人、羽田孜夫人が登場しそれぞれメッセージ。これは「かって=おかって(台所)」「かって=(民主党を)買って」「かって=勝って」ということで結成されたヴィーナス様たち。お三方以外には岡田克也夫人、前原誠司夫人など・・・いらっしゃるようでした。それにしても、さすがの論客揃いという感じでみなさんとってもスピーチがお上手でした。


 参院選は民主党にとっては背水の陣、代表も退路を立っての勝負ということで・・・・私もそれなりに活動しなければならないですね。しかし、その一方で市政の動きもまめにチェックしていかなければなりません。議員が選挙で東奔西走している間にも色々と動いていそうなので。
 中でも、6月定例会で話題にした障害児通所訓練の「ひまわり教室」が教育センターに移転する予定になった件。副市長をリーダーにして「大構想」が描かれているのかどうかはわかりませんが、小規模な移設ではない工事が行われるやに聞いています。将来的なビジョンをどう描いているのかがいまいちわからないので、やはりこれは9月定例会でも追跡していきたいと思っています。

 閑話休題。思わぬ観劇の機会を得られてラッキーでした♪

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2007年07月03日

迷ひ。

 最終日の本会議に向けて討論を書いたり、会派での話し合いをしたり。明日の採決に向けてどういう結論を出すのか会派で議論をまとめられるといいのですが・・・・・まとまらないから悩ましい。

 「会派」としてまとまることが重要なのか?それとも、個人の見解を優先するのか。

 もちろん「会派」として見解をまとめることは大事で、議論した上で合意点を見つけていくべきだとは思っています。思想信条に深く関わるようなものでない限りは議論をし尽くして結論を出していくことが望ましいのでしょうね。


 でも、今回の場合は「会派」で議論している途中に事故発生。途中で脱線させられたのと同じ。今回の定例会で最も懸案事項だった組織改正条例について、会派の見解がまとまりそうだった直前で、総務常任委員会で修正案が可決されてしまい、おまけに修正案の提案者が民主党だと受け止められているのですね。


 組織のスリム化をしていく必要性は一定程度理解したとしても、「環境部」を解体してごみ関連業務を「くらしと文化部」、それ以外を「都市環境部」にするという提案だけはどう考えても納得ができず。エコプラザ多摩のこと、家庭系ごみの有料化の方針・・・・どれをとっても解決しきれていない問題です。まさに「今が正念場」だと私は思っています。


 新たに衣替えする「都市環境部」にはコンセプトがあって、ニュータウンの問題など「都市基盤の再生」という新たな視点からの再編成だとか。その観点から「都市環境部」を編成するとごみ行政部門はハグレモノになってしまう・・・・ごみ行政はこれからますます実践が必要で、ごみの減量には市民との協働が欠かせない、なおかつ「ごみ」はくらしと密接な関わりもあるから「くらしと文化部」に仲間入りすることが相応しいとの説明。


 でも、私は爆弾を抱えているかのような環境部を現時点でなくしてしまうという見識そのものを疑わざるを得ず。家庭系ごみの有料化についても、「地球環境」「温暖化の防止」「Co2の削減」が目下最大の課題という認識が語られていたし、エコプラザ多摩の問題で考えても単にリサイクルを進める「ごみ行政」の範疇に留まらず「環境汚染(有害化学物質)」問題と切り離せない課題だし。ここで「環境部」をなくしてしまうことはできないはず。


 ・・・・という理由があったのかなかったのかはよくわかりませんが、総務常任委員会では施行日を「10月1日」から「来年4月1日」に変更をした修正案が可決されているわけですね。
 でも、そもそもの提案に立ち戻ると市長は「10月1日」で組織変更したいと考えていたわけで、その考えの裏にある「哲学」とか「思想」が私にはいまいち理解できないのです。やっぱり「無理がある」。


 どういうふうに組織を変更しても「連携」が必要。縦割り行政ではなく物事を動かしていかなければならない時代です。そのために副市長を一人増員し、よりよい連携体制を図れるようにしたはずです。そのことも含めて考えると・・・・組織改正にかかると試算されている諸経費「約1億円」(これは職員組合で試算した数字のようですが)って本当に必要なのだろうか?って思えてきます。

 むしろ、今の組織体制の中でも努力できることがあるのではないか?どう変ってもどう動かしても「連携」が必要で、そこには「連携」を上手にコーディネートできる「人」の存在が不可欠。その「人」=副市長二人であり、最終的には市長ではないのかなあ。そして職員としては「経営陣」に入っている部長たちがいるのでは?


 以上のように私の考えに基づいてツラツラと討論を書いていたらどこから読んでも「とんでもなく反対」にしかならない。施行日を変更する修正案についても賛意を表することのできる部分が見つからない!そんな状態で悶々としながら朝を迎えてしまいました。


 ・・・「さえずりの森」のブログで看板設置のニュース♪何だかものすごくうれしくって、ほんのひとときだけ気持ちが救われました。

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2007年06月26日

6月定例会~厚生産業常任委員会

 今日の委員会は予定どおりに審査が終了したとのことです。傍聴できなかったのですが、総合福祉センターの指定管理者の導入についても反対表明はあったものの委員会では可決したようです。

 「公の施設」は指定管理者もしくは直営による運営のどちらかを選択していくのですが、明後日の文教常任委員会でもアクアブルー多摩(温水プール)と八ヶ岳少年自然の家の指定管理者の導入が議題に上ります。
 特に、アクアブルー多摩については今日審査された総合福祉センターとの一体で指定管理者を募集することになるようです。温水プールと総合福祉センターは施設の目的も性格も全く異なるわけですが、施設管理面では従来も一体管理を行ってきたために、2施設それぞれに指定管理者を導入するのではなく一括して施設管理をしながら、事業運営できるような事業者を選ぶという運びです。どんな事業者が指定管理者に名乗りをあげるのかわかりませんが・・・・例えば1事業者しか公募に応じなかった場合などはどうなるのでしょう?・・・・・そんなことは考え損なことかもしれないのですが、「公募」を考える時にいつも感ずることです。
 1社しか応募しないということは、それだけ魅力のない仕事ということになりそうですね。競争性が発揮されることで「よりよい提案・民間のアイデア」を引き出せなければ意味もありませんし。1社しかなければ、選考するにあたっても他との比較のしようがなければ判断はなかなか難しいですよね・・・・そのあたりについてどう考えるのかも確認しておきたいと思います。
 官から民へということで、かなり注目を浴びてきた指定管理者制度も・・・・事業者の立場から「指定管理者ってそんな言われてたほど‘いい仕事ではない’」なんて声も聞こえてくるので。


 明日は建設環境常任委員会です。エコプラザ多摩に関する陳情の審査があります。

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2007年06月11日

パルテノン多摩の行方。

 パルテノン多摩に出向き、お話を伺ってきました。今後2年間は議会選出のメンバーとしてパルテノン多摩評議会の一員に加わります。先般、初めての会議に出席をしましたが、どちらかと「しーん」と静まりかえり、かすかな物音もたてられないかのような雰囲気で・・・・お世辞にも活気があるとは言い難い会議のムードそのままがパルテノン多摩全体の雰囲気につながっていやしないかと案じてしまいました。

 昨年度から指定管理者が導入されたものの管理運営をしているのは従前と同じく財団法人多摩市文化振興財団。財団についてはいろいろと問題点も指摘されてきたところですが、財団以外の団体で指定管理者を引受けしてくれるような先を見つけることは簡単ではありません。指定管理者は単なる施設の管理だけのとどまらず、館内での催しなどの企画すべてに渡って責任を持つことになります。いわゆるハード、ソフトも両方ともに通じている必要があります。なおかつ、多摩市の公共施設という点で考えれば、多摩市の文化行政を担うに値する十分な存在感も発揮してもらうという使命もあります(パルテノン多摩にかけている経費の存在感に見合って欲しい。)。
 となると、民間の文化ホールなどとは一味違った視点での運営が求められるというワケです。さらに、パルテノン多摩には博物館機能があり、そちらも合せての運営となればますます高度に水準が求められるといえるでしょう。以上を考えるだけでも、将来的にも財団による運営が続いていくのだろうと理解しています。(つまり、現在の財団に求められる水準は非常に高いということですね。)

 さて、パルテノン多摩には今年20周年を迎えます。10周年を迎えた時期はまだまだ金余り時代?だったのかはわかりませんが、その時から比べるとはるかに財源縮小状態での記念イベントを実施せねばならず厳しいようですが、「いつでも誰でも気軽に立ち寄れるパルテノン多摩」「地域に根ざした文化を創造していくパルテノン多摩」(という目標がある。)に向けた取り組みの展開を期待しつつ、見守りたいと思います。ちなみに・・・「多摩市民のパワーを集めて」の20周年イベントの準備は、「歴史がつくる未来のわがまち多摩」をテーマにした市民企画事業により進んでいるようです。


 けれど、事業計画書などを見ていてちょっと気がかりなところ。それは、20周年記念イベントに限らず、市民参画型の事業内容などを眺めていると・・・・・「敷居の高い」パルテノン多摩と市民との距離が近づくことは大歓迎!・・・・・けれど、「公民館事業との違いってあるのかないのかがわからない?」と思えるようなものが含まれているところ。

 そもそもパルテノン多摩と公民館との違いや役割分担、棲み分けなどを議論されてきたのかどうかも未確認ですが、わざわざ公民館でできることをパルテノン多摩でやる必要はないですし、またはそれとの逆の場合もあるのかもしれませんね。そんな視点でパルテノン多摩の市民参画事業などは評価されていく必要がありそうです。同時にわがまちそのものの文化行政や公民館行政に対する考え方が問われていることは言うまでもありません。


 パルテノン多摩の評議員である以上は、いやっ・・・・パルテノン多摩をなくすこと(壊してしまうことなど)は今のところ考えられない以上は、少しでも市民に還元できる場所としての活用を提案していきたいものです。ちなみに・・・・昨日聞いた中では・・・・人件費を除いても館の維持のために3億4千万円はかかっているそうです。


 ぜひ、パルテノン多摩に対するご希望などありましたらお寄せください!

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2007年06月10日

雨・・・憎し?!

 午後から予定をしていた民主党の街頭宣伝活動をひどすぎる雷雨で中止をしたのですが・・・・じきに晴れ間が広がった昼下がり。「中止にしなくてもよかったかも。」と反省しました。
 というのも、「今日、街宣はないのですか?」とわざわざ問合せを下さった方があり、本当に申し訳なく思ったからです。バスの時刻表のように「あくまでも予定ですから・・・・・」とは言えませんし、どうにかその日の予定変更があった場合に周知できる手段があればいいなあと思ったり・・・考えさせられました。

 小学校などの運動会の時も「中止の判断」が難しい場合もありますが、それと同様かもしれません。今は携帯電話のメールなどを使用するなど工夫もされているみたいですが。いずれにしても、今朝ほどの雨には参りました。


 先日、一般質問通告の〆切がありました。今回は24名が一般質問を行います。ちなみに私の発言順は一番最後です。質問内容は「発達障害児の支援と特別支援教育の充実に向けて」。2005年の12月定例会に「発達障害者支援法の成立と特別支援教育の実施に向けて」という内容で質問をしているので、それに引き続く内容になります。当時はかなり前向きな答弁もあったので、その答弁が現在はどのようになっているのかしら?・・・・ということも確認をしながら、私自身も「言いっぱなし」にはならないように後追いしていていければと思っているところです。


 いよいよ、参院選に向けての活動も始まっています。先週金曜日は大河原雅子さんが多摩市内で街頭宣伝活動を実施したので、‘地元市議’としてもお手伝いをしたのですが、今週水曜日には鈴木寛さんがいらっしゃいます。そちらの活動もしながら、今週は15日金曜日から6月定例会がスタートします。
 ちなみに13日に議会運営委員会があり、定例会日程が確定しますので、各議員の一般質問内容その他が市議会HPに掲載されるのは早くて14日になるはずです。


 あれこれと綴りましたが・・・・週末から始まる6月定例会!いよいよ3期目が本格始動です。

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2007年06月07日

反核平和の火リレー

 第19回目にもなる三多摩反核平和の火リレーに参加をしました。日野地区から「平和の火」を受け継いで、反核・平和のアピールを行いながら、町田地区に向けて走るというものです・・・・。宝蔵橋から桜ヶ丘駅、そして多摩市役所、永山駅を通過し、最後は鎌倉街道を駆け抜けて多摩卸売市場まで。ゴールの市場のところで町田地区のランナーの方々に「平和の火」を受け渡すというものでした。

 このようなリレーの存在を初めて知りましたが、民主党TAMAも本イベント(?)に協賛することになり、ランナーという大役がまわってきたというよりは・・・やらざるを得なくなったわけです。

 途中、市役所では市長に対する要請行動をしました。市長はとてもにこやかに「平和はとても大事な問題だと思っている。」と述べていました。

 ということで、最初から最後まで完走し、その直後から筋肉痛で太ももの表と裏が痛すぎです。すぐに痛みが走るということは、まだまだ若い証拠だと勝手に納得をしていますが、あまりのしんどさに体力低下を感じています。ですので、ひそかに体力づくりを考えたいと思いました。(でも、私は体育が何よりも苦手科目でした。体育といえば小学校の時、逆上がりが出来ずに放課後に残っていたことを今でも思い出します。)

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2007年06月01日

水道なんでも相談

 多摩センターに行く用事があったので、たま広報で見て気になっていた「水道なんでも相談」とは一体どんなことをしているのだろう?と様子を伺っていました。東京都の職員の方々もいらっしゃったようなので、遠巻きに見ていました。「人が集まるのだろうか?」

 呼びこみをしている方がいて、それにつられるように通行している方々がアンケートのようなものに答えていたよう。何やら白い袋を持ち帰る方がいらっしゃったので、中味を拝見させてもらったところ、「東京都水道経営プラン2007」を始めとする東京都水道局作成のパンフレット、それから水滴くんのピタピンという繰返して使用出来るシール、ポケットティッシュ、ノート、水滴くんの銀貨の形で圧縮タオルまな板気分、それから鍋敷きなどに使用出来るというマルチマットという景品入り。たくさんの景品が入っていることに驚いてしまいました。さすが東京都?!それから「東京水」というペットボトルも。子どもの遊ぶようなおもちゃもあったとか。


 この相談会は一体何を目的としているのでしょうか?「何でも相談会」って東京都水道局のただのPR?とか思ってしまいましたが?どんな相談内容があったのかたずねてみたいと思います。(多摩市の水道課で把握しているのかわかりませんが。)


 「未来をがぶ飲み『東京水』」・・・PRのためにうたまで作成しているようです

。「東京都水道局では、平成16年6月から「安全でおいしい水プロジェクト」を推進してきております。このプロジェクトでは、「蛇口から直接水を飲んでもらう」よう、水道水に対する安心感や信頼感を回復するため、各種施策を展開してきております。 水道局の取組を広くPRしていくため、このたび当局職員が作詞・作曲・編曲・演奏した「水滴くん♪のうた」のCDを作成しましたので、お知らせします。」

 それにしても東京都水道局のホームページの充実ぶり。東京都っていろいろやっているんだなあと驚愕しきり。「新デザイン車デビュー発表会」なども実施しているのですね。広報宣伝活動も大切なことだとは思いますが、その宣伝効果を検証してもらいたいものです。
 私たちの仕事は「税金」で成り立っている・・・その意識を忘れないように仕事をしたい・・・・ということをつくづく思った昼下がりでした。

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2007年05月27日

ようやく再開します。

 先週からちょうど一週間、ホームページの更新ができない状況でした。一週間分をどっと報告することは避けたいと思いますが、議会に関することだけご報告。

 25日金曜日に急遽、議会運営委員会が招集されました。昨年度の国民健康保険特別会計について、歳入不足が生じる見込みとのこと。理由は予測どおりに国からの交付金を‘いただく’ことができなかったため。昨年度分については、今月末までに出納を終わらせなければならず(出納閉鎖)、そのための緊急対応が必要になったことの報告がなされました。
 緊急対応の内容とは、今年度分の歳入より「繰上充用」するということです。要は、昨年度の不足分を今年の収入で補填するというわけで、その金額は約1億5千万円になるようです。見込み違い・・・・ということでは、「○○の皮算用」ということがありますが、全くそれと同じような状況に陥ってしまったとも言えるでしょう。議会としては出納閉鎖できなければ困ってしまうために、緊急対応止む無しと判断せざるを得ない事案です。

 そのことが判明したのは22日の火曜日で、この議会運営委員会が終了したら、即、市長の専決処分がなされるとの話でしたが、当日の委員会には説明資料が不十分で、口頭説明に終始していたことには疑問を感じました。他の自治体でも同様の対応が図られている場合もあるようですが、多摩市では初めてのケースとの話でしたし、今年度分を昨年度分にしてしまうというのは法律上認められているとは言え、本来は「ありえない」対応と考えたほうがいいわけで、これが「重大事項である。」と判断されるなら、それなりの説明資料を準備すべきと思います。一応、そのことは指摘をしましたが「どう伝え、理解を得ようとするのか」・・・・「情報共有」ということにもつながると思いますが、まだまだ課題があることは確かです。


 ・・・とは言え、どうやって伝えていくのか?というのは、どこまで進んでも難しい課題だと思っていて、やはり常に「よりわかりやすく」とか「よりていねいに」を心がけしなければいけないのだと考えています。他のことに指摘をすることは簡単かもしれませんが、いざ自分自身は・・・・ということを心に留めておくことも必要だと思われます。つまりは日々努力を重ねると言うことです。「伝える」にこだわった活動を明日からまた本格的に?再開します。

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2007年05月10日

市民記者の発信

 市民メディア・インターネット新聞JANJANは全国各地からの情報が満載されていて、しかも、市民記者が活躍をしている媒体。そんな中で・・・多摩市に関連する記事が・・・・。これは編集部のオススメ記事になっていたので、思わずクリックしたのですが、実はこの記事の件については昨年問合せをいただいき気にかけていた問題です。市民メディアの影響力はまだ日本では十分に発揮されているとは言いがたい面もありますが、だんだんその発信力は増すものと考えています。

 ということで、誰がどういう責任において管理をするのかということが問われ、そこが難しい部分ですが、JANJANの場合には誰でもが規約さえ守れば市民記者になり、情報発信することができるという「参加型メディア」。何よりも原則は実名による発信なので、匿名の投稿に見られがちな無責任体制を避けることができます。
 多摩市にも多摩市版でこういう取り組みができたら面白そうですね。
 
 話は少し変わりますが、町田市では今年度から地域や市民活動、行政などの情報を掲載したフリーマガジンが発行されることになっています。8月頃に第1号の発行予定と伺っています。行政が関わる10ページ分については団塊の世代など50歳代以上の市民を念頭に編集をしていく方針とのことですが、これも自治体の新しい取り組みとして面白そうだと感じます。市民の自治を広げていくための情報ネットワークをいかに広げていくのか?多摩市でもアイデアを出したいものです。いつもいつも二番煎じでは斬新不足。せっかく・・・・どこかの調査では市民参加度第1位だったはずなのに・・・・と思うのは私だけでしょうか?


 ちなみに・・・JANJANにて私が注目しているのは・・・地域の記事。最近は離島の真相シリーズです。


 

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2007年04月25日

世代交代への道のり。

 今回の選挙では20代、30代・・・朝日新聞で言うところの「ロストジェネレーション」世代が私を含めて5人が立候補。けれども最終的には現職有利で私一人だけが当選するという結果に。これについてはまた分析が必要だなと思っていますが、「若ければいい」という傾向もだんだんと薄れているのかもしれません。けれども、「若い人にがんばってもらいたい!」というエールを下さる人は多いのですが・・・。

 前回の場合は当選した26名の平均年齢は51.19歳、今回は52.57歳。この平均年齢が50歳以下になるとうれしいなあと思っていますが、結局私はまたもや多摩市議会最年少ということになります。
 ちなみに・・・・前回最年長は64歳で最年少は26歳。今回最年長は68歳で最年少は30歳。ここから見てもわかるように、議員が年齢を重ねた分だけ、最年長も最年少も都市を重ねたと言うことで・・・・。

 多摩市議会としての課題は世代交代を進めていくこと。つまり、これは私たち多摩市民の課題にもつながってくると思います。そのためには人材育成が何よりも必要になるでしょう。長期多選議員の弊害なども指摘される一方で、それが必ずしも批判の対象ではなく、1期や2期の経験が浅い議員が多数を占める議会の場合には老練な行政職員に太刀打ちできないというのも悩みの種。その点ではバランスよくさまざまな属性を持った議員が議会に存在していることが大事なのかもしれませんね。
 
 ただ・・・長期多選の方々が「議会改革」を訴えていることには非常に違和感を覚えてなりません。その方々では改革することができなかった「改革」があるはずだからです。どっぷりと先例や慣例につかりきってしまっている方々では無し得ないことってたくさんあると思うのです。だからこそ、若い力が必要・・・・そんな視点に立てば、いつまでも議席にしがみつくのではなく世代交代できる潔さや引き際を見極める謙虚さなども問われるような気がしてならないですし、それが問われた選挙戦ではなかったか?と個人的には考えていましたが、結果を見る限りでは・・・私の考え方はあまり反映されていないようにも思うので、まだまだ私の分析力は不足していることを感じています。


 いずれにしても、4年に一度の選挙の機会を一人一人の市民はもちろんのこと、多摩市の市民全体でどう活かしていくのか・・・・最終的にはそこが問われるのだと感じます。議員の人件費も含めて市民が必要とするからこそ「議会」の存在があるわけですから・・・。市民が必要とする「議会」を目指さなければいけないと改めて思う今日この頃です。

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2007年04月24日

謎な出来事

 夕方に突然、議会事務局からの電話が・・・・急遽、代表者会議を招集したいとのことでした。
 招集された理由は・・・既に引退を表明しているある議員から本日付で辞職願が提出されたので、取扱いを協議するため。

 議会閉会中は議長に辞職願を提出し‘許可’されれば認められ、議長は「正当な理由」がない限り、辞職願を拒否することはできないのだそうです。
 それにしてもあと一週間ほどで任期が終了するというこの時期になぜ辞職願が提出されるのか・・・・誰もが理解し難く、議長も提出した理由についてを尋ねたとのことですが「一身上の都合」という説明だけに留まり、それ以上でもそれ以下でもないような・・・・つまりは、議長の一存で‘許可’するかどうか判断にも躊躇するかのような理由しか述べられなかった模様です。

 私としてはあと6日間なので、それほど急いで辞職願に許可を与える必要性は薄いように感じたのですが、当の本人は「本日付」を頑なに希望しているとのことで、‘緊急性’は非常に高いらしく、やはり議長としては「正当な理由」による拒否は不可能であるとの判断。代表者会議でも「辞職願提出は不可解な行動だけれど、提出されてしまった限りでは認めざるを得ないだろう。」という結論で協議が整ったので、それを踏まえて議長は最終的な決定を下すことになるとは思うのですが・・・・。

 こんな前例はどこにも見当たらないので、辞職願提出後の議会事務局はかなりてんてこ舞いしたと思われますが、一体、真相はいかに?これは今後、議会の珍事として語り継がれるのでしょうか?謎に包まれた出来事です。明日から30日までの‘空白の期間’に一体何かあるのかしら?と勘ぐってしまう自分に正直、嫌気を覚えてしまいました・・・・。

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2007年04月23日

新しいスタートに向けて

 政党を変更しての選挙は私にとって決して楽なものではありませんでした。厳しい結果も予測していましたが、これまで積み重ねて来た活動の評価としてその結果を受け止めたいと考えてきました。民主党に入り、精一杯の努力をして悔いを残さないような活動をと心がけて来た半年間でした。

 結果的には3447票というご支持をいただくことができましたが、前回よりも票を減らしている点は今後自分なりに選挙総括や活動の総括もして考えていきたいと思います。また、民主党としては新人2名を当選させることができなかったことも深刻な課題だと受け止めています。

 まずは6月議会に向けての活動がスタートしますが、この選挙中に訴え続けてきた「議会改革」に何よりもまず着手をしていきたい。私一人の力でできることではないので、同じ志を持った方々とともに進めていけるよう話合いを進めていきたいと考えます。

 市民とともに将来の選択肢をしっかりと見据えることができる議会づくりを目指します。

 
 なお、公職選挙法で当選後のお礼は一切禁じられていますので(言葉での表現も含めて)、ご理解いただきますようお願い申し上げます。

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2007年04月14日

挑戦します!2007~その③

 明日からいよいよスタートします。今日は午後に民主党TAMAのメンバーが揃ってしない4駅での遊説を行いました。日差しがきつく紫外線が気になる一日でした。

 「凛と立つ。ひとり一人の声を力に」

 市民と政治との架け橋になれるようにと駆け抜けてきた5年間でした。政治の現場と市民の生活をつなぐために「伝える」ということにこだわって活動を続けてきました。私が伝え続けてきた理由・・・・それは政治を変えるのは市民。そしてまちをつくるのは市民。市民こそが政治を変える力を持っていると思うからです。「市民主権」ということをいつも考えてきました。

 政治へのあきらめが広がり、政治への期待感が低下をして、政治家への信頼感はますます喪失していくばかり・・・・だからこそ、私は議員の姿勢が何よりも問われていると思います。
 福祉政策の充実で有名な北欧の国では政策に不満は持っていても政治家に不満を抱く国民は少ないのだそうです。でも・・・日本は逆ですよね。政策はそこそこやってくれているけれど、政治家のあり方には疑問だらけ・・・というのが日本なんだそうです。
 
 政策を掲げる時、どうしても総花的になりがち。でも、ひとりの人間がそんなにたくさんのことをやりきれるわけではありません。だからこそ政党など政策集団がマニフェストなどを提案をすることが求められていると思うのですが、いずれにせよ、私自身は議員自身の「自己改革」こそがこれから大きく問われるものと考えています。

 そこで、私は3つのスタイルで貫いていきたいと思います。政策課題については公約に掲げても、議会の中で議論をすることが前提なのでそれは確約はできません。けれども、私のスタイルは私自身の努力でいくらでも積み重ねていくことができます。
 市議会は市民に最も身近な政治の現場です。でも市議会がみえないし、わからない。議員の活動はほとんど伝わってこない・・・それが市議会が理解されず、いつも市民には「わからない」存在でしかない理由です。

 政治をつくるのは市民。政治をかえるのは市民。まちをつくるもの市民。まちをつくるために出資をしているのも市民。

 もっと市民とともに対話を重ねていける議会に変えていきたいと思います。「市民が動けば変わる。」・・・そして私は市民と一緒に政治の流れを変えたいという思いを一週間の選挙戦で伝えていきたいと思います。
 

<Style-1 公平で公正な姿勢!>  自分の支持者・後援会や地元の声を大切にするのはもちろん、市民全体に向けた活動をします。 ・・・個人後援会組織はつくらず、すべての市民に向けてのホームページでの情報発信、定例の市政活動と定期的なニュースレター「ほうれんそう」の配布を続けます。

<Style-2 政策づくりが議員の仕事!>
議員の専門性を磨き、市民の自治力向上をバックアップします。
・・・予算や決算など市の財政状況を市民とともに学び、考える機会をつくります。
・・・政務調査費で購入した図書などの市民への貸出をします。
・・・政策づくりに欠かせない市民の活動に積極的に参加し、市民とともに考える機会づくりに努めます。

<Style-3 話し合いが大事!>
意見の対立、意見の違いにたいしては粘り強く議論を続けます。合意点をさぐり、「第三の道」を見つける努力をします。
・・・理想をかかげることは大切です。一方で、現実的な提案をし、少しずつでも改善していくことも必要です。具体的な政策提案を心がける活動をしていきたいと思います。批判をして批難をしているだけでは変わらない。「一緒に政治を変えていこう!」そんな仲間を増やしていきたいと思っています。


最後に・・・ちょっとした決意表明。


 

政治はもっと信頼されなければいけないと思う。そのために、私ももっともっと市民にわかりやすい政治となるよう努力しなければいけないと思う。
 私が議員になって実感したのは、何気ない生活の中にこそ政治の課題があるということ。素朴な市民の疑問こそ大事だということです。その疑問の一言から政治は動き変わります。そしてそれが、「市民自治」のはじまりです。だからこそ、このまちの日常を市民と共有することがなにより大切、その現場に向き合う政治は信頼されていなければなりません。
 「政治が信頼できないなら、信頼できるようにしていけばいい。政治家が信用できないなら、自分が信用できる政治家を目指せばいい。」それが私の活動スタイル。
 これからも、市民のみなさんと関わりながら、政治への信頼と共感を育み、未来のために今できる選択をともに考えていきたいと思います。議員の役割は市民と政治の架け橋になること。「信頼できる政治を創る」ことをめざし、政治の現場、市民の現場から発信できる議員であり続ける努力をしていきます。

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2007年04月13日

挑戦します!2007~その②

 「子育て・まち育て・ひとの輪づくり」
 

 【Enjoy☆子育て!!】子ども政策にこだわってみたい。10の提案。
 【Enjoy☆まち育て!!】自治基本条例を活かしたまちづくりをするのは市民。だからこそ徹底的に情報公開を進める。そして市民協働についても着実に進める仕組みをつくっていくことが行政や議会の役割。
 【Enjoy☆ひとの輪づくり!! 】地域社会に広がる不安を克服したい。そのためにはやっぱり「市民力」が必要。市民どうしの信頼関係を育むことが不安の解消につながり、地域も問題解決にもつながっていく。そのための仕組みや提案をしていくのが行政であり議会。

 政策は・・・・民主党TAMAとして政策提案集をまとめています。それをベースしながら、取り組みます。政策集団として政党が地域で機能をしていくように考えていきたいと思っています。
 
 【政党の役割について私が考えさせられた提言】 
 

政党の役割は国民の意見を集約して、政策体系に練り上げ、責任をもって実行することにある。しかし、中央レベルでは、国民のニーズに遠いうえ、政策立案を官に依存し、政党は十分機能していない。政党は、中央の閉塞状況から脱し、地方政治に深くコミットすることによって、国民生活に密着した政策を打ち出すことができる。そこには、わが国の政治スタイルを根底から変え、国民の根強い政治不信を打破する鍵が秘められている。「『政党の顔のみえる地方政治を』
 

 私たちは国政では2大政党を期待していると思います。国政選挙では政党の戦いになり、有権者は政党の掲げる政策で選ぶのではないでしょうか。けれども地方政治には政党は不要との立場から「無所属」という人が圧倒的に多いです。確かに地域の生活課題を議論する地方議会に党利党略が持ちこまれることのアレルギー反応を私は否定はしません。(でも、個人的には市民派無所属というのも保守系無所属というのは不思議な言いまわしだと感じています。)


 けれども現実問題として・・・・議会では最終的には過半数をいかに形成するのかが課題です。どうやって同じ方向を目指す仲間を見つけていくのか、そして議論をしていくのかだと思います。地方議会もその役割が問われ、変容が迫られてきました。
 政党としては都や国との風通しのよい関係が今後の課題です。党利党略ではなく、私はまずは地域の課題にともに取り組む仲間とともに議論をしていきたいです。そして地域の政治の流れを市民とともに創り、その声を国にまで届けていきたいと思います。
 そして、先日の「市民の逆マニフェスト」でも提案があったように、議員同志で多摩市の政策課題を共有し、例えば・・・・「ごみ政策議員連」とか「子育て議員連」のようなものを設置できたら面白いと思います。

 それから、かなりこちらは刺激的発言でした。「市民派」を考えさせられた提言。「『市民』は死んだ!? ―― 『市民派』への決別宣言――」 
 私はよく「市民派」議員と言われることもありますが、「市民派」とは難しすぎる言葉です。議員の職務につく人は皆・・・「市民派」でなければ困りますし。
 また、多摩市議会も会派中心に議会運営が進んでいます。無所属で立候補した人も会派を結成して議会活動をするところも不思議なことだと言われています。

 「まずは人で選ぶ」のかもしれませんし、それもとても大事なことだと思います。でも「政党」について・・政策の継続性を重視して、政策の体系化と政策の見直しを続け、将来に渡って責任を持つための政党の役割をもう一度考え直していきたいです。
 そして、何よりも私は政治へのあきらめや政治への不信感が募っている今の状況に問われていることは議員の姿勢だと思っています。それについては改めて明日に決意表明をしたいと思います!

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2007年04月12日

挑戦します!2007~その①

 告示日まであと3日。現在愛用しているPCがあと3日だけ踏ん張ってくれたらいいなと思っています。WIN98を使用しています。ここ2週間ほど、入力中にフリーズしてしまうので困っています。来週が終ったら、買い替えないと。

 というわけで、今、一番気になっているのはお天気です。毎日、朝と昼と夜に週間天気をチェックしています。あまり晴れすぎるのも困りますが、雨が激しくても困ります。空模様が心配だなと思っていますが、こればかりは心配しても仕方がありませんが・・・・。

 
 さて、私は「凛と立つ。一人ひとりの声を力に」というスローガンともうひとつ「子育て・まち育て・人の輪づくり」という政策タイトルをつくりました。残り3日間で、そのことについて書いてみたいと思います。

 私は政策課題と言うのはさまざま多岐の分野にわたると考えています。社会状況は刻刻と変化していますし、議員はその時々の課題を捉えながら、議論をしていく必要があります。否応無しに、福祉をはじめとして行政が取り組まねばならない課題が出てくるでしょう。いまや高齢化の問題は当然のことですし、関連して健康、環境のこと、まちの活性化のこと、特に多摩市ではニュータウンのリニューアルを含めてのハードの問題、それから教育のことも・・・・・・・さらに忘れてはならないのは行政改革のこと、これに関しては議会のチェック能力も含めてですが、市民の方の関心は最も高いかもしれませんね。市民に求める前に行政や議会は自らの姿勢を質すべき・・・というご意見は多いです。

 
 今は、とても難しい時代です。経済状況も社会環境も含めて、将来「バラ色」を感じさせるような兆しを持てる機会は少ないのではないかと思っています。 
 そして、目の前に迫る少子高齢化社会は支え手が減る社会。これまでと同じように行政サービスを維持するとすれば、それだけの税負担を確保しなければなりません。その将来を見据え、議会では政策の優先順位をつけていく必要があるでしょう。議論をしなければいけません。

 でも、実際の議会はなかなか議論をする場所にはなっていません。だから、まずは議会改革を進める必要があると思います。3月議会では議員定数削減を求める陳情が不採択になりましたが、それについても市民と共に報酬のあり方、定数のあり方、議員活動のあり方など考えていくようなテーブルを設けたていきたいものです。自治基本条例で市民参画と情報公開を基調としたまちづくりを進めることになっています。議会でももっともっと市民の知恵を取り入れる工夫があっていいと思います。議会への市民参画の手法が進めば、議員の定数も減らすことは十分可能です。そして、大事な問題の決定には「住民投票」があっていいと思います。議会でも住民投票の活用が積極的に議論されるべきだと思っています。

 議員は一度選ばれれば、全てのことを委ねられた・・・・全権委任、白紙委任されたと考えるのではなく、常に「時代、社会環境は刻刻と変化している中で政策課題も動いていく。」ということを念頭に置くべきと私は考えているので、「住民投票」は大事な手段と思います。

 もちろん、これは・・・・新しいメンバーになった議会の総意が必要で、私だけが主張していても始まらないわけですが・・・・。
 

 以上を踏まえて・・・・・・。これまで私は市民の自治にこだわった視点で活動をしてきましたが、そこに新たに自分自身の課題でもある「子育て」が加わってきました。議員はそれぞれに「こだわり」があった方がいいと思っています。いろいろと議論はしなければいけないのは当然のこと。けれども、政策の質を高めていくためには‘こだわる’ことが大切です。
 そこで、自治体の「子ども政策」については10の提案を考えました。


 1-■市民参加で「子ども安心」地域を!~世代間交流で支える「子どもの居場所」づくり~
   安心安全な地域社会をつくることは行政や警察まかせでは決してできないこと。すべての子どもと保護者が安心できる「遊び場・居場所」の確保が求められています。地域の小学校に学年や障害の有無などにかかわらずすべての子どもが集い、市民参加で遊び学べる「放課後寺子屋」の取り組みをすすめ、地域全体で子どもたちの放課後活動を支える仕組みをつくります。

2-■保育園を地域の子育て拠点に!~子どものために心にゆとりの持てる子育て支援~
増える児童虐待防止は緊急課題です。子育てをひとりでがんばりすぎないためにも、保育園はすべての保護者のために。保育園を地域の子育て支援の拠点の核として位置づけ「親子ステーション」を開設します。働いている人もいない人も誰でも育児の悩みを気軽に相談できる場所として、また乳幼児の「食育」をすすめる地域の拠点として機能の充実を図ります。

3-■「食」を見直し、考える!~子ども時代の「食べる力」からはじまる健康づくり~
食生活の変化で子どもたちの生活習慣病も問題となっています。健康づくりは子どものときから、味覚づくりも乳幼児期に始まります。親子でともに大切な「食」に関心を持ち、学べる身近な場として「食育」ステーションをつくり、地域の料理名人の腕なども活かした、市民参加で子どもたちの「食べる力」を育める環境づくりを進めます。

4-■障害児への総合的なサポート施策を!~子どもの発達を見守る体制づくり~
 発達障害者支援法の成立、特別支援教育への転換など新たな課題への取組みも進んでいます。ひとり一人の子どもをより大切にし、個性を伸ばせる支援体制が求められています。医療・福祉・教育のきめ細やかな連携をすすめるために「サポートコーディネーター」の人材育成を積極的にすすめます。また、健康センター、子ども家庭支援センターと教育センターの機能連携、保育園・幼稚園・療育教室と学校の連携による就学前後のフォローアップ体制の強化を図ります。

5-■もっともっと本とふれあう機会を増やす!~想像力で描く子どもの夢・希望と未来の社会~
明日の夢を描きづらい社会だと言われます。しかし子どもたちの可能性は無限大です。想像力こそ未来の社会を築く礎。「読む力」が想像力を磨きます。多摩市で育つすべての子どもたちが豊かな想像力を育むために、バリアフリーの視点も活かしてつくる「子ども図書館」の充実をめざします。また市民とともに子どもとふれあい読書をすすめる「読み聞かせ活動」などに取り組み読書環境を豊かにします。

6-■子どもの視点に立った相談体制を充実!~スクールソーシャルワークで子どもの悩みを解決~
 友達・親、学校・進路のこと、体や性の悩みから虐待や経済的な困難などまで…いま子どもたちは実に幅広い悩みや困難を抱えています。現在、小中学校には心の悩みを受けとめるスクールカウンセラーが配置されています。しかし、現在の体制では学級担任や学校長、地域の諸機関と密に連絡を取り合いながら問題解決のプロセスを見つけることが難しいのが現状です。子ども本人への直接援助に留まらず、さまざまな相談機関としっかり連携し、家庭・学校・地域ぐるみで問題解決を図れる体制をつくります。

7-■中学生・高校生の活動場所の確保を!~「育つ力」を見守り支援できる地域を~
 部活動への参加も強制はされない時代です。気軽に集まれる場所、ふらっと立ち寄れる場所がなく、行き場を失っている中高生も少なくはありません。思春期の子供たち、中高生が気兼ねなく集まり活動できる居場所づくりも重要な課題です。飲食やおしゃべり、ゲームなどが出来る交流の場、図書室や勉強ができる学習コーナーなど、放課後や休日を思い思いに過ごせる居場所づくりを、中高生の参加で地域ごとに進めます。

8-■情報化社会を生きぬく力を!~子どもたちにメディアリテラシー教育~
   インターネットや携帯電話など子どもたちの周りにも情報があふれる社会です。サイバー犯罪の増加、携
帯電話を介して子どもたちを巻きこむトラブルや事件も増えているのが現実です。多くの情報量を受けとめ取捨選択しなければならない時代です。子どもたちが、メディアを読み解く力とインターネットや携帯電話を利用する基礎知識を身につけることのできる「メディアリテラシー教育プラン」を作成し、進展する情報化社会を生きぬく力を育てます。

9-■すべての子どもに育ちを保障!~子どもひとり一人に育つ権利と学ぶ権利~
「ワーキング・プア」や増えるシングルマザー・・・若い世代は経済的厳しさにも直面しています。子育てへの経済的負担も軽くしていかなければなりません。親の経済力に左右されずに子どもが学べる環境を保障すること、格差を子供たち世代のスタートラインでのハンディキャップにはしないことは、政治の重要な役割です。ひとり親家庭への支援、就学援助制度の拡充など、子どもひとり一人の育ちと学びへのサポートの充実を図ります。

10-■四季折々に豊かな自然を!~子ども・未来のために守る「みどり」・育てる「みどり」~
「みどり」豊かな生活環境を守ることが多摩市の魅力につながります。四季折々の季節を身近に感じられる自然は子どもたちの感受性を育てます。この環境を子どもたち、未来世代にもつなげるため、市民の出資でみどりを守るシチズン・トラスト「みどりの公募債」の発行、市民の参加でみどりを育てるグリーンボランティアの育成と活動環境の整備、みどりの里親制度(アダプト制度)など、市民のちからで多摩市のみどりを守り・育む仕組みをつくります。


 

 この10の提案をする理由は・・・・子育て難の時代だと言われているから。いつの時代も子どもは社会の夢で希望であるはず。
 

 でも、今は「この先の未来」が描きにくい時代にあるのではないでしょうか?子どもたちの姿を見ていてつくづく思うのは、子どもたちそれぞれの将来にどんな成長を遂げていくのか?という楽しみもありますが、子どもが大人になった時にこの社会は一体どんな社会になっているのだろう?・・・・という不安の気持ちも決して小さいものではありません。

 だからこそ、「子ども自身」の力をしっかりと伸ばしていきたい。未来への投資をしていきたいと思っています。「子育て力の低下」が指摘されていて「地域で子育て」をすることの必要性も指摘されています。地域に「子育て応援団」をつくりたいですね。地域は人材の宝庫です。2007年、きっとこれからますます・・・・。


 とても長文になってしまいました・・・・・・・・・・・・・・・・・明日に続きます。

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2007年04月09日

都知事選終わって・・・。

 都知事選挙が終わって今朝から永山駅も賑わいが復活しています。今日も立候補予定者を含む10名が朝の街頭活動に立っていました。一夜明けて、駅前も戦場化しているような気もしますが、それは一部の人のことだけなのかもしれませんね。市民の見る眼はやや冷やか・・・・。今朝から突如として、市議会議員選挙本番さながらな様相でした。

 さて、昨日は都知事選挙でしたが、私が応援をしていた候補者は残念な結果に。再選された知事は都心部23区で圧倒的に強かったようです。もちろん多摩地域でも強かったですが、得票差を比べてみると23区では圧勝という感じです。それでも、投票率が前回よりも上昇したということはうれしいニュースではないかと思いました。選挙の雰囲気が全然盛りあがっていなかったので、前回よりも投票率が下がるのではないかと危惧をしていましたが、多摩市でも最終的には56.64%で、昨年度の市長選挙の投票率44.22%よりも10%以上高いものでした。よくよく考えてみると市民にとって身近なのは市政なはずなのに、市長選挙の投票率がまったく奮わないというのは寂しいです。来週からスタートする市議会議員選挙はどうなるのでしょうか?

 50%も満たない投票率でしか選ばれていないことの意味・・・・この4年間私が考えてきたことでした。だからこそ、昨年の市長選は・・・・と思ったのですが、やはり40%台前半というのが結果。今回の市議会議員選挙では50%くらいには達したいと思いますが、投票率を上げるために私にできることは何か?を考えているところです。なかなか一人だけで孤軍奮闘しても難しいのかもしれませんね。でも、一人でも多くの市民の関心が集められるような選挙をつくっていきたいものです。


 ところで今日は諏訪中学校の入学式に出席をしましたが、小学校の卒業式から2週間しかたっていないにも関わらず、新入生はぐん!と成長している気がするのは不思議です。顔見知りの子どもが入学する姿を間近で見ることができることはうれしいものです。

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2007年04月07日

市民の逆マニフェスト

 多摩自由大学が主催をしたシンポジウムに出席をしました。多摩市民は市議会に何を求むべきかというテーマのパネルディスカッションでした。途中でどうしても退席をせねばならなかったのですが、後ろ髪を引かれるような思いでした。参加者をあきさせない内容で、3名のパネラーからはそれぞれの立場から合計13項目下記のとおり、逆マニフェストが提示されました。

A.自治基本条例を多摩市の憲法として明確に位置づけ、職員・市民研修の徹底
B.多摩市の市長部局に市民協働局を設置
C.多摩ニュータウンの未来像の明確化
D.議員立法等条例提出案件の明示と実行
E.議員報酬・政務調査費の使途の徹底的な「情報開示」と「説明責任」
F.市民への議会報告の徹底と義務づけ
G.議会活動の透明化と議員相互の議論活性化策
H.市民活動・協働の場への積極的参加と情報提供
I.議員活動の年間報告の義務化と公開
J.議会は会期ごと、市民との間で市政の報告と意見交換を行う制度をつくること。この場合、議員は少なくとも年一回これに出席すべきこと
K.議会は立法能力をもつため、市民と連携した調査・分析機能を備えること
L.行政が主導する行政補助の支援体制を廃し、市民と行政が対等に共管する市民協働の推進機関を設けること、それには、連合した市民団体が当事者となること  
M.議会の効率を早急に改善する仕組みを作ること
      
 このうちAとBを除くところは市議会活動に直接関すること。すべて実践されたら、市民に見える、市民が見ることができる‘市議会活動’が実現できると思います。でも、議員個々人ではなく、議会全体で取り組んでかなければならないことなので実践に結びつけるまでの合意形成に時間がかかりそう。                  
 選挙の前はたくさんの印刷物を配布をして、若づくりの写真をとって市民へのアピールはするけれど、ひとたび当選してしまえば市民の目の前から姿がぱたりと見えなくなってしまう・・・・という市民感覚も示され、そしてまた「反対することだけが行政と議会の緊張関係をつくると勘違いしている議員」という指摘などなど・・・・耳の痛くなるような話も所々あり。いずれにしても議会でのやりとりを市民に見せることがとても大事であること、そして協働時代というのは市民も行政も議会も「一緒に悩む」そして「問題解決すること」ということには共感するものです。

 市民が逆マニフェストを示し、契約を結んでくれた人を応援する仕組み・・・・日本税制改革協議会のことを思い出しました。

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2007年04月02日

実る稲穂の謙虚さを

 しーんと静まりかえった議会フロア。今日は野暮用で市役所まで行かねばならなかったので、議員ポストに立ち寄ったところ「多摩市議会・議員の通信簿-4年間の議会活動から」という恒例の市議会ウオッチングの会作成の通信簿が届けられていました。

 早速・・・中味を拝見したのですが、4年前に発行した通信簿からかなりバージョンアップされており内容が充実していました。選挙で掲げた公約に対する取り組みの評価のみならず、情報公開度とさらにはそして寸評が付してあり、なかなか味わい深くユーモアと皮肉たっぷりなお言葉も。
 前回の通信簿では公約をどれだけ一般質問で取り上げたのか?という視点のみで評価されていた記憶がありますが、今回からは一般質問などについて議事録の読み込みなどもしたと伺っているので、「ただ単に発言しただけ」というのも論外として扱われているらしい・・・・。
 私のところには「多摩市民自治基本条例」に主力を置き取り組んでいる。他の公約は子ども関連問題を除いては一般質問であまり目立たず。」とのコメント。事実「そのとおり、」と思う。
 そして、寸評には「論客。丁々発止の質疑は論理的で明解であり行政をタジタジとさせており、行政を緊張させている。教育、子育て、環境、障がい者等、問題意識も旺盛、議場での迫力もあり、市政改善の牽引者の1人。情報公開度も抜群。時代感覚に敏感な若さもあるが、実る稲穂の謙虚さを。」と。この評価は高すぎるのでは?行政は決してタジタジとはしていないし、緊張もしていないようだ・・・・というのが私の実感・・・・その場凌ぎで答弁できればいいかな?と思っている部長さんたちは少なくないなあ・・・・というのが私の常日頃のつぶやき。
 問題意識というよりは、好奇心は旺盛というのはその通りなので、さすが!市議会ウオッチャーですね。市議会ウオッチャーというよりは、市議会議員ウオッチャーだなあと思いながら通信簿を眺めました。

 「実る稲穂の謙虚さを」

 これは絶対だと思います。謙虚さがなくなってしまうと人間の成長はストップしてしまいます。これは議員だから・・・ということではなく、いつも心に留めておきたいことです。


 それにしても通信簿に注文したいこと。


 ・・・・・・もう少し、似顔絵を何とかしてもらいたいです。美化して欲しいとは思いませんが、特徴捉えて書いてあるなあと思える議員さんの似顔絵もありますが・・・・たぶん、女性議員はみな似顔絵にクレームつけたくなると思います。


 この通信簿は公民館などで手に入るそうです。市議会ウオッチングの会の4年に一度の大仕事。力作です。

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2007年03月11日

ここが君たちのふるさと!

 金曜日の議会で話題になった中学生のキャリアウィーク推進地域指定のこと。昨日、職場体験報告会が開催されたので、参加してきました。中学生たちが実にさまざまな職場に出向き、体験学習をしたことを改めて知りました。職場といっても本当に幅が広く、スーパーマーケット、ファミリーレストラン、保育園、学童、病院、NPOの経営する地域の居場所、農園、新聞販売店、和菓子屋、いきがいデイサービス、テニススクール・・・・(思い出したのはこのくらいですが)・・・本当に多岐にわたる職場が中学生の受入に協力をしてくれたようです。
 仕事の大切さを学んだということはもちろんですが、「親を尊敬します。」との感想が私には印象的でした。報告会では受けいれ事業所のひとつである多摩センターにあるスーパーマーケットの方からのお話があったのですが、「ここがきみたちのふるさとです!」と多摩市で積んだ経験を持って、この街からしっかりとした社会人になって巣立って欲しいとの願いを語っておられました。その際・・・「最近は挨拶が出来ない人が多い。大人でも多い。あいさつができる、あいさつのある、あいさつをする。」・・・いつか必ず社会人になった時にそのことを実践して欲しいとメッセージを送っていました。「あいさつのある場所」は今更ながらとても大事なことだと思います。

 ところで・・・今日はパルテノン多摩で「EARTH VISION 多摩」が開催されました。配布されていたチラシで「食の未来」が上映されるとのことでしたので、ぜひ観たいと思い足を運びました。背筋に寒気が走るような内容でした。消費者、市民の「選択力」が問われることを痛感しました。「食育」の授業でぜひ・・・このドキュメンタリーとり上げてもらいたいとも思いました。


 さて、随時お知らせをしている永山駅前雑木林の話題です。「永山駅前雑木林の会」が「EARTH VISION 多摩」の協力団体になっていること。そしてまた市内にて環境に関する活動をしている団体の多くがこの催しに参加していることもあり、先日来募集をしてきた愛称について来場者の投票が行われました。その結果・・・・・。

「さえずりの森」
に決定しました!

 駅前雑木林・・・・駅前雑木林・・・・と呼んできたので・・・・「さえずりの森」でぴったりイメージがわきにくいかもしれませんが、おそらく今後定着していくものと思いますし、定着させていきたいと思います。ここもが子どもたちの記憶に残るふるさとの風景のひとつになってもらいたいものです。

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2007年02月05日

子どもたちの安全確保

 土曜日に安全安心マップづくりの取材活動をしながら、つくづく思ったこと。私は諏訪2丁目から4丁目の地域を担当し、保護者や子どもたちと一緒に歩いてみると・・・土曜日の午後だというのに(土曜日だから?)人通りは少ないし、公園も閑散としていて遊具が物寂しく佇んでいる感じ。平日の場合にもあたり一面がとても静かで、人とほとんどすれ違わないことが多く、本当に時々、大きな荷物を下げた高齢の方がゆっくりゆっくり歩いている姿を見かけるくらい・・・高齢化が進んでいるニュータウン地域で少なくなった子どもたちの安心や安全を確保していくことは簡単ではないでしょうね。
 保護者の方も「これで、本当に防犯ブザーは聞こえるのかしら?」「聞いたら出てきてくれる人はいるのかしら?」と不安そうに話をされていました。今の時期はまだいいものの、これから春・夏と木々が生茂る時期になった時には余計に心配が募りますね。背の高い木々が青々と茂ると団地の窓から遊歩道が見えなくなってしまうので、対策をしてもらえるとありがたいという声が出ていました。

 ところで、安全安心で気になることと言えば、北諏訪小学校の通学路に新たに信号機が設置されたのですが、諏訪団地の方から急坂を下りてくる車輌から信号機が見えにくく非常に危険だという声が出ています。先週末の北諏訪地区の青少年問題協議会で話題になりました。ちょうど歩道橋や歩道沿いの木の枝で信号機が隠れてしまい、認識されづらいというのです。「生活道路なので、どちらかと言えば地域の人が主に使用する道路・・・・信号機が新設されたことを知っていれば気をつけることができるのでは?」という意見もあるものの、見過ごしてしまい一大事になってはとても大変。ここも春・夏と緑が生茂る時期になるとますます危険になるのではないかと考えられます。信号機のことは警察の問題なると思われますが、まずは市に連絡をすることになりました。先日、私も道路交通課の方に確認をすることはお願いをしたのですが、「とにかく、まずは木の枝を切ってもらいたい」というので、改めて現地を確認してきたのですが、伸びやかなる枝が信号機をさえぎっていることは確かです。
 信号機で「青」になれば、子どもたちは左右の確認をしないで飛びだしてしまいますよね。あわせて、ここの信号機については全く無視して横断歩道を渡っている大人が多いので子どもが真似したら困る・・・という意見などがあり、「大人の背中を見て子どもが育つ」という言葉を思い出しました。


 子どもたちの安全確保の問題について思ったのですが、やっぱり「ご近所づきあい」が無視できない要素になると思います。諏訪団地などには若い世代も時々お住まいなのですが、「ほとんど近所の人のことがわからない。」と仰っています。そのことで不安はないのかな・・・と思いますが「不安といえば不安かもしれないけど、こんなものかなあと思っている。」ということらしいです。
 でも、‘スマート’なご近所づきあいだけでは子ども環境の向上もなかなか難しい・・・・安全安心マップづくりに参加した方の感想でした。

 

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2007年02月01日

今日のいろいろ。

 府中のハローワークに行き、障害者の求人情報を探しに行きました。ベルブ永山のところにあるブランチ施設、永山ワークプラザでは障害者を対象にした求人情報を入手できないので、府中まで足を運ぶ必要があるからです。相談員の方にもお話を伺ったのですが、「障害者」が対象となっていても知的や精神のハンディのある人の雇用はとても厳しく、面接を打診した段階で「受入環境が整っていない」ことを理由に断わられることも多いそうです。
 また、「働き方」についても、個々人の体調などに見合った働き方ができる職場は限られており、パートタイムとは言っても、ほとんどフルタイムに近い労働をしなければならず、短時間や週3日くらいで・・・というような条件で働ける職場は少ないのが実情だそうです。
 2時間ほどハローワークにいて、情報を検索したり、話を伺ったりしたのですが、障害者の雇用環境がいかに厳しいのかについて、改めて思い知りました。

 さて、中学受験のシーズンです。朝は多摩センター駅で遊説をしたのですが、塾のマーク入りのカバンを背負った子どもたちを見かけました。後ろ姿を見ながら、今、話題になっている教育問題のことを思い出しました。まだ、先日の報告書をちゃんと読んでいないことを思い出しました。何となく最近は議員活動が疎かになっている感じがしてしまい、チョット反省をしつつ・・・報告書を読んで、3月の定例会に向けて教育問題で発言する場面がある時には参考にしたいとは思っています。
 
 そう言えば、また話題が変わるのですが、今朝の朝日新聞の朝刊で、世田谷区議会が政務調査費に関する領収書など明細に関する書類をインターネットで公開する方向のようです。多摩市議会でも積極的に情報公開をし、曇りなく、市民に堂々と公表出来るようにしていきたいと感じています。これも合議制の会議で決まることなので、来期に持ち越されそうですが・・・。

 それにしても・・・正直なところ4月の統一地方選挙を見据えての活動が主になりがちな今日この頃。明日は予算の説明を受けますし、3月定例会は予算も審議される大事な議会なので、しっかりと臨んでいかねばと気持ちを入れ替えたところです。 

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2007年01月22日

どういうスタイルで仕事をするのか。

 今週はしとしと雨が降る中での朝遊説からスタートしました。午後からは天気も良くなり、日差しのうれしい冬の一日になりました。

 毎月定例で「ほうれんそう」を読んで下さっている方にお会いをしましたが、「もっと生活に密着した話題を扱って欲しい。」と言われました。「例えば、どんな話題なのかな。」と思いましたが、それについては「いろいろあるよ。」とのこと。確かにいろいろあるからテーマを設定することは難しいのですが、「生活に密着した話題」というのは市民の数だけ存在していて、十人十色だと考えたほうがいいのではないか?というのが私の心がけ。なので、その都度その都度、「ほうれんそう」のテーマ設定は市政で話題になっていること、そしてまた私の活動がわかるようなものや私が気になっている問題などを中心に選んでいます。

 ところで、生活に密着した課題を取扱う・・・ということについてですが・・・・もちろん日常的にそれぞれの市民のみなさんが抱えている問題について、相談を受けたり、話を聞くことはとても大切なことで、その中に今後取組まなければいけない課題が見えてくることは確か。けれども、大事なことは「なぜ、そういう問題が発生しているのか。」ということを考えることではないかと思っていて、話を聞いて、そこから多くのヒントを得ながら、現在の制度上の問題点は見つけることこそ議員に求められていることのような気がしています。
 
 でも、それではなかなか役立たない議員なのかもしれませんね。先日も「議員は困っている市民がいたらすぐに飛んでいって助けてあげなければいけない。」と言われました。「飛んでいくことはできて、話を聞くことはできても、すぐに手助けできるかどうかは話を聞いてからじゃないと判断できないのではないでしょうか・・・・」と回答したことで先方の怒りをかってしまったようです。


 という経験を幾度も重ねながら、私も今まで活動を積んできたわけですが、市民の方にはさまざまなご意見をお持ちの方がいらっしゃり、「苦情、要望ばかりを聞くような議員になったらダメ。」と口酸っぱくして助言して下さる方も少なくありません。私はどちらかというと、こちらの助言に近いスタイルで仕事をしてきたように思いますが、先日怒りを買ってしまった時には「地方議員は市民のコマヅカイなんだから、困っている人を助けられなければ全く意味がない・・・・」と言われてしまいました。

 しばしその瞬間に思わず回答に窮した私ですが・・・「どういうスタイルで仕事をするのか」についても市民の希望はさまざまあるのかもしれませんね。ただ、私が思うことですが、念頭におきたいことはやっぱり「公平な姿勢」を持ち続けたいということです。

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2007年01月21日

ここ2日間のこと。

 昨日は昼過ぎから雪。けれども、どうしても夕方から始まる信田さよ子さんのお話を聞きたくて、会場まで足を運ぶ。ドメスティック・バイオレンスの問題はとても根深い。信田さんがおっしゃるように私的な領域で、プライベートな場所で発生すること。そこに公権力が介入することの難しさが存在していて、そこが問題をさらに深刻化させるような気がしてしまう。行政は本当に当事者を守れるのだろうか。「24時間」休みなく対応できる体制になっていない・・・・というだけでも多摩市のみで問題解決できないことが明白になっているのではないだろうか。

 信田さんのブログに綴ってある最後のひとこと。「講演を聞いた女性たちは、たぶん変わらぬ日常の中に戻っていくのだろうと思った。」私が予測していたよりもはるかに多い参加者。会場は超満員だった。それぞれの日常がその場で語られたわけではない・・・けれど、会場には当事者もいたようだ。信田さんの講演会に参加したことが一歩踏み出す勇気につながっていくのだろうか。
 女性センターにも相談員がいるし、多摩市には市民相談などもあるけれど、当事者が信頼を寄せ、相談しようと思える場所になっているのかどうか・・・ここは課題のひとつ。


 今日は午後に「絆~かくされた二人」という講演会とトークに出席。重度障害者の三井絹子とハンセン病快復者の森元美代治さんそれぞれのお話とトーク。差別と闘ってきた人生を語り、これからの課題や希望をお話してくださった。三井さんに静かに秘められたパワーを感じ、森元さんは以前にお会いした時と同じように、次の世代に経験をつないでいきたいという情熱でみなぎっていた。

 「苦しまなくてもよい苦しみを味わってきた」・・・差別と偏見との闘いの歴史を学び、理解することはできるけれど当事者の気持ちになること、想像すら及ばないのではないかと思った。けれど、その闘いを孤独にはしなかった仲間がいたことは確か。
 森元さんは「社会に色々と文句を言っても始まらない。希望を持ってやるしかないんだ。」その言葉がとても印象に残る。


 ここ2日間はいろいろと考えさせられることが多かった分、力をもらった気がする。明日はまた月曜日。(読み返してみたらいつもとは違う文体になっている・・・・信田さんのブログを読んでいたからかも?)

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2007年01月11日

あらっ!!京王永山駅

 永山駅にて朝の駅頭報告。今週は月曜日が成人式で祝日だったので変更して今朝になりました。


 ・・・京王線が柱などの補強工事をするようですね。来週から始まって終了するのが3月30日という風に看板には書いてありました。すでに工事準備が進んでいて、フル装備されているようです。柱それぞれには囲いが組んであって工事現場の雰囲気です。

 というわけで、朝の演説をしている私たち議員にとってはどちらかと言うと・・・めぐり合わせが悪い時期の工事にあたってしまったものです。「あららららァ~~~」って感じですね。議員の方々など4月を睨んでボチボチと駅前での挨拶を始めていて、いよいよ選挙中のような様子がプンプン漂っているのですが、永山駅ではたいていの場合、駅の南北から来る人両方から見えるようにと小田急線と京王線の間の場所に立つ人が多いです・・・けど・・・・完璧に駅の北側(諏訪1丁目や永山1丁目方面)からは死角になっているのです・・・・おキマリの定位置が?!


 私の場合は個人で遊説をする場合には、グリナード永山側、諏訪側、真ん中(定位置)などでやっていたのですが、これもまたちょっと工夫が必要になってくるかなあと考えてみたところです。


 ところで、今日は先日報告したとおり、「ほうれんそう」の特別編集版も配布しました。特別バージョンなので「ピンク色」の紙で印刷してあります!いつもは「真っ白」な一番安価な用紙を使用しているので、もしかするとチラシの受取りが鈍ってしまうかも・・・などと心配をしていたのですが、だいたいいつもどおりでした。5年間続けている駅頭・・・顔見知りの方々も随分いらっしゃいます♪挨拶してくださる市民の方のおかげで寒さにめげずに乗り越えたいと思います。

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2007年01月07日

私への一票は・・・・。

 本日の朝日新聞の社説に共感した人は多かったのではないでしょうか。
 「政治の明日」という見出しにて書かれていた主張は「今年は統一地方選、参院選と続く。政治家を選ぶか、政治屋を選ぶか。国民一人ひとりが確かな目を持ちたい。」として結ばれていました。

 社説の中では昨年亡くなった後藤田正晴さんのことばが引用されていました。

「あいつは政治家だから」とか「彼は政治的に動く」とはよく使われる表現だが、それは「彼の行動は信頼するに足る」という意味とは逆である。これは、政治とか政治家に対する国民の不信感を物語るものであって、深く反省しなければならない(1988年「政治とは何か」)

 「政治家は次の時代のことを考え、政治屋は次の選挙のことしか考えない。」・・・・私自身にも大きく問われていることです。今朝は私の‘今’を見つめなおし、出かけた一日でした。
 
 恩師から届いた年賀状に書いてあったこと。「健康でうそをつかない、ごまかさない政治家になって欲しいと思います。」この一文に込められている願いもまた、とても深いものがあり、やっぱり一票の重みを改めて感じたものです。
 
 明日は成人式。私が成人式を迎えたのは10年前のこと。その頃の政治のイメージは「小汚い」という感じ。絶対近づきたくなかったことを思い出しつつ、その政治のイメージをまだまだ払拭しきれていない現実、もしかするとますます悪化する一方かもしれないと思うと・・・・やりきれない気分・・・・とは言え、だからこそ、「ささやかでも私自身ができる行動」にて伝えられるものを追求していきたいと心に強く思います 

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2007年01月03日

新年を迎えて。

 あけましておめでとうございます。日差しのおだやかなお正月だったなあと思います。寒いけど寒すぎず、ほんのりと暖かな日がこのまま続いたらいいのに・・・・。

 今日、電車に乗ったら、私と同じくらいの年齢の男性がエンデ作の「モモ」を読んでいました。思わず、声をかけたくなりましたがやめました。彼が「モモ」を手にしている理由を家に帰るまでずっと考え込んでしまいました。私も「モモ」を読みたくなりました。読もうと思いました。


 「今、私たちはどんな時代に生きているのか。」毎年毎年考えるのですが、なかなか上手くことばでは表現できません。でも、最近思っていることは、この問いに対する答えは他人に見つけてもらうものではないということ。実は、その答えの先に「自分の生き方」があるのではないかなあということ。・・・この「自分の生き方」というのが結構難しかったりするわけですが、それは今の自分を決して否定はせず、次のことを考えることではないかな・・・・と思っています。

 そんな私自身の生き方、そして考え方が日々問われるのが議員の立場にある者ではないかと感じます。だからこそ、「ぶれない自分自身」をしっかりと見つめ、捉えていかなければならない。最近強く思うことです。


 「議会では本当に市民から理解されるような合意形成がされているのだろうか。」


 多分、ここが私が議員になる原点の原点の原点にある気持ち。議会が見えない、議員を知らない、「一体、市議会では何をやっているの」「多摩市議会議員は何人いるの。」そして「議員さんってどんな人たちなの?」

 議会における合意形成は市民社会の合意形成にもつながっていく・・・本当に市民社会の合意形成に結びついているだろうか。本来は、市民にとって議会の動きや議会での決定が「自分事」にならなければいけないはず。
 そのために議員ができること、しなければいけないことってあるのではないかしら?・・・こんな素朴な疑問から私の活動が始まっています。


 原点に立ち戻ってみることはとっても大事なことですね。「まだまだ力不足」を感ずることも多いですが、そんな自分に後悔したり、反省している間にも次の可能性や「もっとよくなれる!」に向かって努力してきたいものです。

 2007年・・・・「きらっ」と光る一年にしていきたいなと思います♪私にとっては「30歳」という節目を迎える年でもあるので。

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2006年12月29日

真性団塊ジュニア世代

 「格差社会」にまつわる新書などを読んでいるところです。

「下流同盟-格差社会とファスト風土」(朝日新聞社)三浦展
「難民世代 団塊ジュニア下流白書」(NHK出版)三浦展
「ワーキンブプア いくら働いても報われない時代が来る」(宝島社新書)門倉貴史
「格差社会の結末 富裕層の傲慢・貧困層の怠慢」(ソフトバンク新書)中野雅至
「格差社会 何が問題なのか」(岩波新書)橘木俊詔

 以上5冊。
 中でも、三浦展さんが編著の「下流同盟-格差社会とファスト風土」が一番おすすめ。アメリカ化している日本社会に対して問題的を促す一冊とも言えます。ともすれば日本もこうなってしまうのではないか?(もう、そうなっているのかも?)と危機感を抱きます。決してアメリカの問題が極端な事例と思えない。「ファスト風土化」とは何か?を知ることだけでも本書を読む意義は大きいと思います。

 ところで、私は1977年生まれです。団塊ジュニアと言われる世代は私よりももう少し年上の世代(1971年から74年)ですが、実は団塊世代の子どもと言うのは1978年生まれを中心に考えているのが三浦氏。団塊ジュニアと呼ばれている世代はいわゆる第2次ベビーブームと重なります。それは団塊世代女性の出産力が貢献したと考えられるそうです。けれども団塊世代の男性に着目をすれば、女性よりも結婚する時期が遅く、また子どもを持つ時期も遅れること(75年、76年がピーク)となり、特に生まれた総数に占める団塊世代の父親率に注目をすると77、78年がピークになるそうです。
 そこで、三浦氏は本当の団塊ジュニア世代と言うことで1975年から78年を中心とする世代を「真性団塊ジュニア世代」と名づけました。私にあてはめてもちょうどピッタリ。父は2007年退職組の年齢(1947年生)ですし、母も1948年生まれです。真性団塊ジュニア世代というのは、民主主義や個人主義というような戦後的な価値観で育った団塊世代以降の戦後第一世代!と考えられるようですね。
 
 私は来年30歳になるわけですが、いよいよ社会を担う中核の世代になっていく自分たちの世代。私たち世代がどうやって社会を動かす力になれるのだろうか・・・・と漠とした不安意識にかられることもあります。戦後的な価値観で育った団塊世代の私の両親世代はフツフツとしたパワーみなぎる世代のような気がしていますが、「民主主義」とか「個人主義」をベースにしたパワーが私たち世代にはどんな内容、どんな形で伝えられてきたのだろう・・・ここは自分の在り方を考えるにあたっても大事な視点ではないかと考えています。「真性団塊ジュニア世代開花宣言」したいものです。

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2006年12月27日

「格差」社会のこと

 「格差社会」を知る手がかりとなるような書籍が店頭でも目立ちます。最近はそれに関する新書などを読んでいるところですが、特に「健康格差」の問題に注目していきたいと考えています。市民の関心度が高い健康問題。健康に対する不安、そしてまた医療費の問題など「今後力を入れてもらいたい課題」の一つとして答える人が多いです。
 アメリカでの分析やらを学んでみると、経済的格差と健康問題との関係性も指摘されているようですね。年末年始はそのことについて考えてみたいと思っています。もちろん高齢者のことも大事な視点だと思っていますが、それ以上に私と同世代のことも気になります。フリーターやニートと言われるような立場に置かれてしまうと、自分の健康状態を知る検診の機会に恵まれないからです。

 多摩市の健康診査は誕生月健康診査市民健康診査がありますが、30歳以上にならないと受診することはできません。私もそろそろ30歳になるので、先日健康センターから健康診査の案内が届きましたが、対象年齢を引き下げることも考えていいのではないかと思っているところです。受診するかどうかは個人の判断に委ねられるわけですが、会社などで定期的に健康診査を受診できない立場にある人の事を考えれば、もう少し対象年齢の幅を考えても良さそうに思っています。

 それから、ボランティア・グループ、市民運動、スポーツ、趣味などの社会活動への参加度合いが高い地域では、高齢者の健康状態が相対的にいいそうです。地域コミュニティの力が健康づくりにおいても大事・・・・それについても何となくわかるような気がしています。

 健康づくり、食の問題などなど、課題はたくさんあります。どうやって取組んでいけるのか、現在までの積み重ねの上にどうできるのかに知恵を絞らなければいけないですね。最近、「お金がない。」は理由にならない・・・と言われることが多いので、それこそナイ知恵を出来る限り絞りたいとは思います。

 あわせて、市民のみなさんからのご意見やご提案も随時大募集中です!

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2006年12月25日

こだわりを再確認

 今日はステイツマンのOBメンバーに会い、5年間の活動のふりかえりをしました。ホームページのことや朝の街宣活動のこと、ニュースレター「ほうれんそう」のこと等など。ステイツマン活動に支えられて今日の私の活動があることを改めて再確認しました。
 年明けになると、来春の統一地方選挙を意識した活動も本格化してくるのだろうと思います。‘まち’の雰囲気全体が変わってくるのだろうなあ・・・と。今日は朝と夕方に永山駅で街宣活動をしましたが、寒くなってくるとポケットに手をつっこんだままの方々も多く、ビラを受取り率は低下してしまいます。気候に関係なく「読みたい!」とビラに手を伸ばしてくれる人を増やすことが何よりもの目標ですね。

 というわけで、今日確認できたことは私の「こだわり」について。「何よりもこだわってきたことは、『できる範囲での情報提供をし続ける』ということじゃないの。」と言われて、「そう言えばそうかも。」と気がつきました。この「こだわり」は活動の柱として続けていくものだと考えていますが、不思議なもので5年間も続けてくると、例えば、ブログの更新は毎食後の「歯磨き」と同じような位置づけになっています。仕事の一部というよりは生活リズムに組みこまれているので、「欠かすことができない」大事な私の生活習慣と言う位置づけです。でも、基本的には「好き」なことだから続けられるんだと考えています。
 ひとつ話題に上ったことで「ご意見募集中」の掲示板のことがありましたが、「よく続いている」と言われました。私もそう思います。いたずらな書き込みはほとんどなく、利用して下さる方々がマナー、エチケットを本当に心得て下さっているからこそだと思っています。改めて感謝したいなと思いました。マナーが守られなければ即効クローズしなければならなかったので。
 そう考えると支えてくださる市民のみなさん一人一人の力がいかに大事であるのかがわかります。感謝せずして、私の活動が成り立たないことを痛感したところです。

 年明けまであと一週間。次の活動を考えたり、次なる活動につなげるための自分自身の「ふりかえり作業」をしながら、この一年間の多摩市政もふりかえってみようと思っています。

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2006年12月15日

昨日の委員会・・・レビュー♪

 文教常任委員会があったのですが、議題になっていたのは市民プールの廃止に伴う条例改正についての1件のみ。傍聴には行かず、こまごまと自宅で書類整理やらをしていました。

 昨日の建設環境常任委員会では「街づくり条例」や、まさに「街づくり条例」の内容にも関わるような住宅建設に伴う陳情などが審査されたわけですが、「街づくり条例の時の行政の説明を聞いていると何だかすごく期待できそうな感じだし、いろいろとやってくれるような感じの発言もしてくださって、ものすごく市民のことを考えてくれている気がしたけれど、陳情のことになったら態度が全然変わってしまって、びっくりしました。」という感想を述べられていた市民の方の言葉を思い出しました。

 陳情は「住宅建設そのものを否定しているわけではなく、高さについてはもう少し環境に配慮を求めたい」という趣旨になっており、開発事業者に十分な説明と協議を求めていきたいとの内容だったのですが、これに対する審査では、行政は非常に受身的で「街づくり条例」の審査の時に見せていた積極的な姿勢が感じられなくて残念だったということでしょう。
 それについては私も同感で、「街づくり条例」では開発事業者に周辺住民との十分な協議と合意形成を求めており、それらに行政としても積極的な姿勢で臨みそうな口ぶりを感じました。都市づくりに関し、しっかりした方針を持とうとする姿勢は評価できると思います。
 しかしながら、陳情内容についてさまざまな角度から質疑された時の答弁を聞くと「法律的には何も問題がありませんから。」という口ぶりで、「あまりこちらに責められても困る。」というような雰囲気でした。「法律的に決まっています。」と言われてしまえば、「あーそうですか。」としか答えようがなく、それ以上の話の発展性はありませんよね。
 この陳情の審査を聞いていて、私は「街づくり条例」の運用そのものに一抹の不安を抱いたというのは言うまでもありません。取り越し苦労の不安ならいいわけですけど・・・・。

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2006年12月12日

今日から委員会です!(総務常任委員会)

 今日は総務常任委員会でしたが傍聴には行けませんでした。滞りなく委員会は終了したかなと思っています。

 今回の定例会といえば明後日の建設環境常任委員会が最も大変。街づくり条例、いわゆる斜面地マンションの規制の条例やら、そしてまた陳情についても南野に隣接する場所に誘致されようとしている配送センターのことや、鶴牧2丁目に建設予定のマンションに関することなど重要案件が目白押しです。明日の厚生産業常任委員会では新たに設置される予定の広域連合規約に関すること等が議論される予定です。

 さて、今日は電博ドットコムというインターネットTVを手がけているNPOの方にお会いをしました。私はテレビを見るなら睡眠!という人なので、インターネットTVにはほとんど縁がないわけですが、視聴者は30代が中心で、視聴者も増えているとか。
 今度、企画の一つとして「TOKYO WAVE」というのを考えているそうで、20代30代で現在議員をやっている人、そしてまた4月の統一地方選挙などに立候補を予定している人たちなどに数分ずつ政治への思いを語ってもらおうという内容です。それに出演協力できないか?という依頼を兼ねた企画説明を受けました。出演は100名ほどを予定しているとか。なかなか面白そうですね。政治に関心を持つ層を広げるきっかけになりそうな予感もしますし、そうなって欲しいです。


 さっそく超人大陸コンテンツを開いてみたのですが、私が愛用しているWIN98では、画面映りがいまいちです。 

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2006年11月25日

よこやまの道

 ニュータウン学会のNTウオッチングで、「よこやまの道」を歩きました。本格的に歩いたのは初めてでした。

 はるひ野駅集合で、こちらも初めて下車した駅でしたが、風力発電が駅舎の屋根でクルクルとまわっていました。駅前はまだまだ未開発で、土地の整備が現在進行形で進められています。こういう場所を見ると難だかわくわくしますね。どんな駅前になるのかな・・・・と。ニュータウン開発の頃は、そんな気持ちで切り崩されていく丘陵地を眺めていた人が多いのではないかと思ったりしました。


 さて、今回の企画といえば、都市再生機構のOBで「よこやまの道」の整備に力を注いできた藤田道男さんと一本杉炭焼き倶楽部などに関わり、雑木林などにもとても詳しい祐乗坊進さんが案内役だったので、ニュータウンの歴史の話しや「よこやまの道」整備にあたっての苦労話など随所随所で説明をいただきながら秋を味わいました。
 改めて、多摩ニュータウンっていいところだなって思いました。ちょっと足を伸ばせば、とてもいい散歩道があり、都会の喧騒をすっかり忘れてしまうような静かな佇まいを味わえるわけですから・・・・「鎮まる」ことのできる場所って感じです。尾根幹線沿いを歩いていることも忘れてしまうようなひっそりした場所もありました。

 
 「毎朝、この道を歩くのが日課だ。」とおっしゃっていた老齢の方の顔をふっと思い出したのですが、この道を歩き自然に触れ、四季を感じることが元気の源だと言うのもわかります。ウォーキング人口は増えているとは言え、まだまだ「よこやまの道」を知らない市民もいると思っています。特に年代若い層で「よこやまの道」を歩いたことのある人は少ないのではないか・・・・って思います。若い世代にも知ってもらいたい場所だなと思いました。住んでいる‘まち’に新しい発見ができること間違いなし!です。

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2006年11月22日

11月のくじ運。

 12月定例会の一般質問の通告書の締切が金曜日の正午。それに先立ち、今日は通告書の提出をして、順番決めのくじ引きをしました。ちなみに・・・質問づくりに一緒に取組んできたメンバーの都合をあわせて今日の提出となったのですが、本日‘大安吉日’でした。
 私が通告を提出したのは3番目でした。私よりも前にも通告書の提出をし終えた人が二人もいて、ちょっとビックリしました。さっそくオミクジを引くように抽選くじをひいてみたら・・・3番目でした。というわけで、一般質問は議会初日となりました。12月議会は金曜日から始まるので、できれば土日をはさんで、その翌日くらいに順番が回ってくればいいなあと思っていたので、3番を引いてしまったのはちょっとアンラッキー。。。。


 抽選くじをひいてから、メンバーと意見交換をして帰宅しました。一般質問のテーマにしている「放課後子どもプラン」に対する現在の進捗状況を確認して、今後の方針や方向性を聞きたいものです。国が突然に方向性を示したものなので、自治体としてどう取組んでいくのかが難しい面もあります。とは言え、今後、ますます増加すると思われる学童クラブへのニーズ等も考えると、「放課後子どもプラン」をどう策定していくのかは重要なポイントになると思っています。子どもたちの放課後活動を支えるために学校施設をどう活用していけるのかを考えるきっかけになると考えています。現在は、校長先生ごとに学校開放に対する考え方に差違があるようですが、それを解消する糸口にもなる可能性もあると思っています。
 いずれにしても、通告書を作成する段階ではまだまだ「手探り」状態・・というのが現状のよう。一般質問でどんな回答が返ってくるのか予測もつきません。ただ、9月議会でも「放課後子どもプラン」に関する質問が出ているので、その時よりも前進していることがわかるような回答が欲しいものです。

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2006年11月17日

浅野さんの話から・・・

 今日は大田区で行なわれた「おおた環境・福祉展」に行ってきました。といっても、一番の目的は講演会。宮城県の元知事の浅野史郎さんが来るというので話を聞きに行ったのでした。
 講演会は「みんな(団塊世代・シニア)と共に考えるやさしいまちづくりとは」というタイトルだったので、浅野さんは主に3つ、障害者の話、担い手の話、地域づくりの話をされていました。人並みの感想かもしれませんが、とても示唆に富んでいて楽しいトークでした。浅野さんは今、「地域創造ネットワーク」の代表理事をされています。以前から、地域創造ネットの取組みには関心を寄せていますが、なかでも地域センターを多摩市でも開設できる可能性がありそうだなと思っています。

 ところで、浅野さんの話では友人である竹中ナミさんのことが話題に上っていましたが、竹中ナミさんもまた非常に素晴らしい女性です。竹中さんのプロップステーションの取組みは全国的にも有名です。彼女の話もどこかでぜひ聞いてみたいなと思っています。浅野さんは障害を持つ人が税金を払えるようになることの喜びを実例ととも披露してくださいました。プロップステーションで働き、福祉サービスを受けるだけではなく、税金を払うことができるようになった青年が「とてもうれしくて」自分自身で確定申告をしに税務署に行ったというエピソードです。
 浅野さんは、今、話題になっている障害者自立支援法ですが、法が目指している方向性は間違っていないと思うと何度も強調されていました。福祉のたずさわっている人は福祉の専門家であると同時に経営についても専門家でなければならない・・・・障害者が働いても1ヶ月に5000円の賃金しか払えないという作業所などの在り方そのものに問題があるとおっしゃっていました。浅野さんの言うように経営者の視点を持てばヤマト福祉財団のスワンベーカリーのように運営することも可能・・・・・確かに、その意見には同感する部分もありますが、しかし実態はなかなか厳しいと思われます。企業など、世の中全体的に、効率優先で進んでいく流れに適合していくことはとても難しいように感じています。それでもスワンベーカリーは目標にしたい姿です。


 冒頭にも書いたように、浅野さんの話は随所に地域づくりのヒントが散りばめられていてとても面白かったです。何よりも聴衆が「元気づけられる」ということが大事な要素だと思います。多摩市にも一度、お招きしたいなあ・・・。

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2006年11月14日

多摩センター駅前を歩く

 お昼過ぎ、用事ついでに多摩センター駅周辺をひととおり歩いてみたのですが、「どうして、こんなにのどかでのんびりしているのか・・・・」とつくづく感じました。広い空間とゆったりした人の流れは経済的な活気を期待する側とするといまいちなのかもしれませんが、あくせくすることなく自分空間が邪魔されずに過ごすことができて心地よい気がします。人の多い場所に行くとまずは歩くスピードに気を遣うので、私は多摩センター駅前くらい広いと落ち着けていいなと思います。なので、小さな子どもとちょっとしたお買い物を楽しむのには最適。日本社会は全体的に小さい子ども連れには冷たいと感じることが少なくありませんが、多摩センターは空間そのものに余裕があり、他人にそれほど気兼ねしなくても済むように感じています。(これはあくまでも個人的な見解にすぎませんが・・・・。)

 今日もいつものように三越の2階にある「赤ちゃん休憩室」のところを覗いてみましたが、ベビーカーの親子が数組いました。私が覗く時だけかもしれませんが、この場所が閑散としていることはありません。三越は小さい子どものお散歩ついでに立ち寄る場所としてちょうどいいのかもしれませんね。
 

 さて、多摩センターでは先週の土曜日からイルミネーションが始まっています。これも定着してきました。夜はイルミネーションが美しいとしても、昼間は全くの反対。大きなクリスマスツリーはいいのですが、動物のモニュメントはお世辞にも可愛らしいと言えないところが悲しいです。イルミネーションの期間中にあわせて、いろいろなイベントが行われるようです。子ども向きとどちらかと言うと高齢者向きのイベントが多いみたいですが・・・・。多摩センターのイルミネーションには何かテーマが設定されているのでしょうか?都内の繁華街とは異なって、「家族で楽しむイルミネーション」というのがテーマになりそうですが。


 ところで、気になっているのが先月末にオープンしたバスロータリーの「福祉ショップ」。駅前などにもう少し「案内表示」が欲しいところです。今日は遠くから眺めていただけですが、お客さんは今ひとつ。宣伝強化が必要だと思います。福祉ショップなどでお買い物をすると、どことなく「役立っている感」があるので、宣伝をすればお買い物をしてくれる人も増えるように思います。既に、図書館の本の受取りサービスもスタートしていて、こちらも少しずつ利用が広がっているようです。
 この福祉ショップには1坪ショップがあって、市民が借りることができます。先日はネイルサービスがあったとか。この1坪ショップの取組みも面白いと思っています。まずはお店の存在をもっと広げることからはじめなければ・・・・。社会福祉協議会のホームページでももっと宣伝すればいいのにと思います。イルミネーションの時期も重なっているので、少し工夫をすれば宣伝効果も上がりそう。


 多摩センターの活性化は多摩市の重点施策となっていて、それなりに力を入れてきている努力は感じます。でも、市長が目指している多摩センターが活性化した「像」というのが、私にはよくわからないのが正直なところです。個人的には・・・西落合中学校跡地に図書館本館が移転するということで、親子で楽しむ多摩センターに相応しく「子ども図書館」の充実に期待をしているのですが、それにあわせて、駅から図書館に行くまでの道のりにもおとぎ話や絵本の話題ができるような工夫があるといいなと思っているところです。一部には不評の声もありますが、スペースピコロンは子どもにはうれしいスペースのように・・・・。

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2006年11月10日

つくる側が心を寄せる

 多摩自由大学の公開講座で「映画とは何か」に参加をしました。多摩市在住の撮影監督、南文憲氏とテレビのドキュメンタリー番組を多く手がけている監督の森康行のトークでした。実は、両氏は今、多摩ニュータウンを題材にした「もうオールドタウンとは呼ばせない」というドキュメンタリー映画を企画中です。その縁で多摩自由大学の講座でお話をしていただきました。映画を撮影するためにはとてもたくさんのお金がかかるので市民からの出資も募っているそうです。
 森氏は多摩ニュータウンの問題は全国どこでも同じようなことが起きると思うと述べ、だからこそどうやってこの問題を考えていけばいいのか、共に考えていけるような作品にしていきたいとの抱負を語っておられました。ちなみに、ご自身は茨城県の団地にお住まいとのことでした。
 

 ところで、今日はとても驚いたこと。実は南さんが20年前に手がけた「旅路・村いちばんの首吊りの木」という映画があります。その撮影に多摩市を使ったとの話しだったのですが・・・・そのロケに使用されたマンションに私は住んでいました。当時、小学生だったのですが、夜の撮影で目がさめるようなライトの光が煌煌していたことの記憶があります。「倍賞千恵子」という女優さんの名前もその時覚えました。ロケといっても確か一晩くらいであっという間に終わってしまって、「倍賞千恵子」の実物が見れなかったのが残念だった覚えがあります。
 しばらくして映画が完成した後、「どんな映画?」と思ったわけですが、両親に「子どもが見るような内容ではないよ。」言われたことも思い出しました。・・・・そして、確かに、この作品は子どもが見るような明るさはないので、両親が「子どもは見なくていい映画だ。」と言った理由がわかるわけですが、当時は「子どもはダメ」と言われたことに不満だったことも思い出しました。
 南さんは地域がロケ現場になることで経済効果は大きく、多摩市はニュータウンの街並みなども特徴的でフィルムコミッションなどにも積極的に取組めるはずだとおっしゃっていました。これは多摩市の第4次総合計画の後期計画「戦略プラン」の取組み施策の一つですね。


 私は「映画」はあまり縁がない生活をしていますが、今日の話はとても面白かったです。それは監督さんが「記録映画」の撮影に力を注いでいる方だったからかもしれません。ドキュメンタリーなどは、より客観的な事実を捉えていくこと、ありのままの姿を映し、目に見えない人間の心を目に見えるように描いていく力が求められるようです。「客観的」という部分がとても大事だと思っています。森監督に「客観的」な視点を持つ秘訣について尋ねていました。それは「つくる側が撮影対象に心を寄せること」「よりそって一緒に考えていくこと」「それを通じて自分自身の成長もすること」と述べられていました。もちろん、客観的に捉えるとは言え、そこには自身の価値観や視点があるわけですが、いろいろな物事に対してなるべく先入観を捨てて見ようとする、捉えようとしているのではないか?と思いました。ここは議員の仕事をする上でも共通することではないかと感じました。

 来月10日の14時~ベルブ永山の視聴覚室で今日の続きで講座が行なわれる予定です。関心のある方はぜひ足をお運び下さい。

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2006年11月06日

地方自治は民主主義の学校

 今日は母校の中学校3年生の社会科の時間に招かれてゲストスピーカーをしました。

 「地方自治体の仕事は?」「地方議会の仕事は?」そして「地方議員さんのお仕事って?」ということで、実体験を踏まえて話をして欲しいとの依頼でした。実際の現場にいる人から直接話しを聴く時間を設けたいとのことで人を探していたそうです。議員から話しを聞くとなると人の選定が難しく、気も遣うと思いますが、「卒業生」ということで私に機会がめぐってきました。

 さて、中学生に「地方自治」のことを語るというのはとても貴重な経験となりました。中学生がイメージをしやすく、そして中学生自身が実感できる身近な事例を探してみると、ありそうでなかなか見つからず・・・、また、教科書通りではなく、「生の声」にて届けるということは簡単そうで実は難しいことがわかりました。
 特に「地方自治は民主主義の学校」とテーマで学習を進めているようなので、そのことの意味を中学生とともに共有し共感しあえればと思ったわけですが、俄仕立ての準備では全くの不十分。言葉の真意や意味を伝えきれなかったという反省が今日一番の心残りで、明日からの新たなる課題のひとつとして付け加わりました。


 それにしても「地方自治は民主主義の学校」ということを久々に思い出し、新鮮な気分になることができました。民主主義の「学校」’と言われるのかを考えてみると非常に奥が深いです。そこには「学びあえる関係」が存在していると思うからです。中学生に語ることの難しさと同時に、「民主主義の学校」を深化させるために地方議会はどんな役割を果たせばいいかについても、あわせて考えるいい機会となりました。

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2006年11月01日

市制35周年・・・・

 例年11月1日には市制施行を祝う式典が行なわれます。今年は35周年で節目の気分がしたので出席をしました。毎年、この式典では市民表彰があり、今年も24名と1団体のみなさんに賞状の授与がありました。
 式典でとても印象的だったのは、「多摩市は市民のみなさんの税金を納めてくださる力は全国でも20番目に入るので基礎体力はあります。」「住み続けたいまちにしていきます。」と強調して述べていた市長の挨拶でした。私の中では「基礎体力」という表現がいつもよくわからないのですが、やっぱり今日も内容を十分に理解はできず。
 そしてまた「住み続けたいまち」については、どうしても「永山駅前の電光掲示板」が頭に思い浮かんで仕方がありませんでした。ドデカイ電光掲示板は「住みたい」「住み続けたい」気持ちの阻害要因になる恐れあると思います。・・・・そのうち市民も見慣れ、掲示板も風景に溶け込んでしまうのかもしれませんが・・・でも、きっと私は見慣れることはないでしょう。目に入れば、一瞬でも不快指数が上がること間違いなし。

 今日は多摩市の公式ホームぺ―ジを開いたところ、「祝11月1日は多摩市(市制施行日)とキティの誕生日です。」というのが目に飛び込んできたわけですが、そう言えば・・・・「キティちゃんの住民票」・・・・どうなっているのでしょうね。


 さて、今日は議員には「多摩市ごみ減量協働プラン」の原案が配布されました。まだ原案ですけれど。これは市民、事業者、行政が一体で進めるごみ減量の計画で計画期間は「平成18年度~平成24年度まで」になっています。このプランは原案となっているので、改めて市民の意見を聞く機会など設けるのかどうかを確認したいと考えています。
 いずれにしてもこれを作成した担当部署が未だに「環境部ごみ有料化担当」にになっているところが悲しいですね。「ごみ減量化担当」に変えた方がいいのではないかとシミジミ感じてしまいました。


 あわせて、今日は「ごみ」について市民活動をしている市民の方からアンケートが届きました。有料化に対する意見を問う内容でした。アンケートは全議員に送付されているようです。全議員の意見を取りまとめ、ミニコミ紙面で公表したいとのことです。
 全部で4つの設問があるのですが、特に「ごみ減量のための市民への働きかけについて、今後、議員活動において実践できると思われることは何ですか?」というのは正直とても難しい質問で、朝一番でポストインされていたアンケート用紙を見てからずっと悩んでいます。誠意を持って答えを考えてみたいと思います。


 それにしてもあっという間に11月になりました。来月は定例会。一般質問づくりも山場を迎えています。4回目の政策ゼミで大学生とともに取組んでいます。今回は「子どもたちの放課後」についてをテーマして考えてきました。今日は関連して、教育委員会の指導室、生涯学習課にヒアリングをし、その後、多摩第一小学校で実施されている「地域子ども教室(いわゆる‘子どもの居場所づくり活動’)」を見に行きました。子どもたちが遊ぶ姿、関わっている市民の思いに触れることができました。来年4月から、この活動をどのような方針、方向性で実施しよう、実施したいと考えているのか・・・・残念ながら、行政のビジョンが明確化されていないようです。実際に、現在活動を支えている市民の人たちにとっては、ビジョンが確定していないことに不安要素が大きいとか。そのあたりの課題整理が必要だと考えているところです。

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2006年10月30日

広島県三次市

 朝日新聞に広島県三次市の育児休暇の話題が掲載されていました。これについては、ちゃんとPRできるように、トップページでも目立つようになっていますね。
 実は、私は三次市のことで別の話題を調べている時、ついつい先週のことですが「お父さん・お母さん休暇」のことを知りました。

 私が調べていた三次市の取組みとは・・・・「ノー包装運動」です。これは、レジ袋をもらわなければポイントがもらえ、それを貯めれば「三次市指定ゴミ袋10枚入り(資源物またはプラスチック資源)」と交換できるという仕組みです。
 多摩市ではスーパーなどの協力も得ながら「ノーレジ袋&マイバック持参」を進めているわけですが、もしかすると三次市に倣った取組みができる可能性もあると考えています。もちろん、三次市は「ごみを有料化している」という前提がありますが・・・・。市長は平成20年4月から「家庭系ごみの有料化」をスタートしたいとの明らかにしているわけですが、それまであと1年以上もあるわけなので、三次市の取組みを多いに参考にできると考えています。ただし、三次市と多摩市では商業環境そのものは違うだろうとは思いますが・・・・。

 ところで、「お父さん・お母さん休暇」の話に戻すと、休暇取得中の職員の代替要員などの対応もされていて、その財源は特別職と管理職の手当削減で賄うとか。このような「やりくり」がわかりやすく、目に見えていいなと感じました。

 こういう取組みをしている自治体の市長さんってどんな人?やっぱり興味がわきますね。ホームページもとてもわかりやすく、何よりも「子育て情報」が別扱いになっているところあたりも。ちょっとすみずみホームページを見てしまいました・・・・。さらに驚いたのは、職員配置のところに氏名まで公表してありました。ここまでできるというのはかなりすごいと思います。

 三次市は合併している自治体。市長のリーダーシップがかなり強烈ではないかと感じます。今後も注目したい自治体のひとつです。

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2006年10月29日

今後の活動に向けて

 今日付で発行された多摩・生活者ネットワークのニュースをご覧になった皆さんはすでにお気づきのことかと思います。裏面に「おしらせ」が掲載されています。
 

「多摩・生活者ネットワークは、市議会議員・岩永ひさかさんとの契約を本年10月末日を以って解消し、ネットを退会することに合意しました。なお、議会内の会派は、議会の解散まで一緒に活動します。」

 実は、来年の再選を目指すかどうかも含め、今後の自分のあり方を考える日々が続いていました。そしてネットとは夏ごろから話し合いを続け、先日、生活者ネットワークと結んでいる代理人契約を解消することに合意しました。そしてまた、来年には統一地方選挙がありますが、民主党の公認候補として再選を目指すことに決めました。それに伴い、来月から民主党の一員として活動をすることになります。現在も、議会内では「民主・生活者ネット」の会派で活動をしているので、会派の異動はありません。
 今、自治体議会は立法機関として役割が制度的にも強くなり、ますますその役割が重要になると考えています。その中で議員も政策に対する知識を深め、専門性を高めなければいけないと感じています。そして国や東京都都の連携も重要になると思っています。今後も毎日の積み重ねを大切しながら活動していきます。よろしくお願いいたします。

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2006年10月26日

トップ多摩市?!

 今週月曜日のPRESIDENT(2006.11.13号)を立ち読みするつもりが思わず購入してしまったのですが・・・・。
 特集記事の「全公開!日本人の給料」によると、市町村の年収ランキングでなんと多摩市は堂々と第一位!にランクインしているではありませんか!!!ちなみにトップ5が掲載されていて、多摩市(819.2万円)以下、東京・武蔵野市(814.7万円)、東京・国立市(809.9万円)、大阪・高槻市(804.7万円)、兵庫・尼崎市(803.2万円)。これは、全国の中の政令指定都市を除く市町村の中で・・・・というデータのようです。
 さらに・・・この特集では、その他、地方公務員に対して支給されている手当にも言及されていて、「調整手当」に関しては多摩市は全国市区町村(注:市町村ではない)のうちでこちらもトップで58.32万円。2位以下は東京・八王子市(57.00万円)、東京・国立市(56.76万円)、東京・武蔵野市(56.76万円)、東京・三鷹市(56.28万円)。

 もちろん・・・データは総務省が2005年4月1日で調査した結果がもとになっているので、現在はまた事情が変わっているのかもしれません。とは言え、このような調査結果が公表されてしまった多摩市!仮に市長がコメントを求められたなら・・・・。「今なら間に合う改革」を進めている市長は、人件費に対してどうアプローチしていくのでしょうか。


 さて、今日は公民館の市民企画講座でプレイセンターのお話を聞きました。以前にプレイセンター・ピカソの活動について話を聞いたことがあり、そのときにも魅力な取組みだと感じた記憶がありますが、今日もさらにその思いを強くしました。
 特に「親たちの学習の場」もプログラムのひとつになっているのですが、学習の場と言っても机上で勉強をするという講義形式ではありません。集う人たちが「子ども」のことを主眼に置いたディスカッションをしながら、互いに成長していくことを目指した学習プログラムが行なわれるそうです。これはとても大事な要素ではないかと思います。実際に日本で行なわれているプレイセンターの活動に参加した親からは、「子どもや子育てに関してこんなに真面目に話せる、真剣に話せる場所ははじめて。」という感想が聞くとか。それについては何となく共感できる部分もあるかも。

 ニュージーランドでは親たちが自主的に始めた活動の意義や価値を認め、公的な支援をしてきた成果が「プレイセンター」へと結びついているわけです。多摩市でも自主保育の活動など行なわれています。私は自主保育などの活動はプレイセンターの活動に通じる部分もあるように感じています。もしかすると後押しさえあれば多摩市にもプレイセンター的活動ができる可能性もありそうですね。実は重要なポイントは安定的に運営できる場所の確保ではないか?と私は思っています。色々と検討すべき課題はあるのかもしれませんが、プレイセンターの場所として使えそうなところ・・・思い浮かびますよね・・・?

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2006年10月25日

衣替え・・・?

 今日、諏訪にあったCSK情報教育センター跡地のところを通ったら、地下駐車場が月極駐車場になっていました。賃料なども知りたいところなので、問い合せ先になっている不動産屋さんに聞いてみようかなと思っていますが、名称は「多摩永山情報教育センター」に変更されているものの、何だか装いがとても変わった感じがするのは気のせい?

 CSKからこの物件を買い受けた企業のホームページを拝見するに(一応すみずみ探してみたつもりですが)、当物件のことがどこにも掲載されておらず、デザイナーズマンションを中心にとてもセンスいい感じのマンションばかり・・・・。
 

 数年たったら、もしかしたら情報教育センターがなくなってしまうのではないか・・・・という考えが頭をかすめてしまいました。これについて、市民の人からも新たな運営が始まっているようだということを聞いているので、近々話を聞いてみようかと思っています。

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2006年10月16日

そう言えば・・・。

 今日は定例の遊説でした。


 駅の改札に急ぎゆく人たちの姿を見ながら、土曜日のシンポジウムのことを思い出していました。週末土曜日に参加をした「ニュータウン再生シンポジウム」は、大盛況でした。テーマは「活力のある多摩ニュータウンを未来に継承するために~団地再生の手がかりを探る~」というものでした。
 特に団地再生提案の報告はとても面白かったので、さらにホームページで調べてみました。

 結局、大事なことは提案をどうやって実現させるのか・・・という視点。例えば「DIY改修」の取組みはとても魅力的ですが、まずはそれを担う主体をどう見つけるのかが重要です。要するに「人材」が鍵。素晴らしい提案があったとしても、その提案を実現するためには「行動してくれる人」がどうしても必要になります。提案から実現可能性をどうやって探っていくのかがこれから一番の課題になると考えています。

 地域の「人材」・・・。

 土曜日以来、そのことが頭にあるので・・・・今朝はマイクを持っている私の目の前を通過していく市民の方々のお顔を見ながら、どんな技術・ノウハウを持っているのだろう・・・と思ってしまいました。その方々のノウハウが地域に活かせれば・・・・・いいですよね。いわゆる「2007年問題」でも盛んに言われていることですが(言い尽くされている感じ)。


 まずは、培い磨いてきた技術やノウハウなどが実は地域で生かせることに「気づく」・・・・ここから始まるのだと思っています。
 というわけで・・・、「せっかくの技術を活かせる場所を探したい!」「地域貢献してみたい」!という人たちの思いを叶える場所として今年の4月にオープンしたのが市民活動情報センター。(私自身は市民活動情報センターの事業は開設当初から問題点多い取組みだと思っていますが)順調に利用されているようですけど、いまいちその評判のほどは聞こえてこないのは・・・・まだまだ実績がないから?
 もう一つ、市民活動情報検索サイトもあります。検索サイトは久々に点検してみましたが、まだまだ情報量も少ないですし、サイトそのものの存在も知られていないように思います。どうやったら市民に利用しやすい情報サイトになるのかについて検討を進める必要がありそうです。
 

 ところで、今、各自治体では2007年に備えて、「団塊プロジェクト」とか「生涯現役プロジェクト」と言われるような取組みが進められているようですね。多摩市ではどんな取組みになっていくのでしょうか?
 そう言えば・・・。生涯学習部ではアンケートをしていましたが、その後・・・・どうなっているのでしょうね。

 
 せっかくオープンした場所もせっかくとったアンケートも・・・・いまいち有効活用されているように思えないのはほんの気のせいかなあ・・・・。

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2006年10月12日

心を映す一枚

 ドキュメンタリー映画「心の杖として鏡として」を見に行きました。市内で精神福祉分野で活動をする「多摩くさむらの会」「サンクラブ多摩」「若人塾」により上映実行委員会が構成されていることからもわかるように、とある精神科病院の一角にある造形教室の物語でした。

 心の病をもつ人たちとアートとの出会い。そして、アトリエで行なわれる創作活動。アートを通じて彼らが表そうとしている心のひだは力強い筆づかいや彩色などにより表現されます。もしかすると見る人によっては刺激的過ぎるかもしれない、ちょっと恐い、悲しい感じがするものもあるかもしれません。でも、そこに彼らの心が真っ直ぐに映し出されているのです。
 感受性が強い、そして心が繊細で気持ちが優しい人。アトリエに通っている人の姿に感じたことでした。


 60分という短い時間でしたが、映画が問いかけているものはとてもずっしりとし過ぎていて、短い言葉だけで語りきれないというのが正直なところです。ひとり一人がそれぞれの個性を認め合えるような社会のことを考えさせられました。自分自身の居場所、自分を素直に表現できる場は誰にとっても不可欠な存在だと感じています。
 時間があれば、今度はもう少し、人が足を運びやすい場所で上映会ができたらいいなと思った次第です。


 ★映画の詳細⇒ドキュメンタリー映画「心の杖として鏡として

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2006年10月11日

少子化対策

 子育て施策は多摩市の重点課題。市長もずいぶんと力を入れていれて取組んでいます。子どもが生まれてからのサービスについては以前よりも充実してきたとは思います。
 でも、私は本当に少子化対策に力を入れるのであれば、「出産するまで」に対する手当もしてもらいたいと感じています。

 というのは「不妊治療」を受けている人が多いからです。そして不妊治療にはとてもお金がかかります。東京都でも助成制度があります。しかし助成対象となるのは「特定不妊治療(体外受精及び顕微授精)」となっています。‘特定’ということからもわかるように、これは不妊治療の中でも体外受精、顕微受精を受けた場合にのみ助成されるだけで、それ以外(つまりは ‘特定’でない)の治療を受けていたとしても助成が受けられるわけではありません。そしてまた、都の助成制度も1年度あたり10万円まで(通算2年度まで)となっています。けれど、特定治療の場合には一度に4~50万円ほどかかっていることを考えれば、助成額を増やすことも考えるべきではないかと思っています。
 そして、もちろん特定ではない不妊治療に対しても助成を検討してもいいと感じています。一回の検査だけでも受診すると2万円はかかると聞いています。検査だけでも何種類もあり、治療費の負担は相当なものになるそうです。「不妊治療の成果があれば救われるけれど、必ずしも治療が上手くいくとは限らないから辛い。」という話も聞きます。不妊治療の期間というのも人によって異なります。


 少子化対策の中で「子どもが欲しい。」と不妊治療を受けている人の支援をすることは目的に一致していると思います。「子育てしやすい社会」の前段にも積極的な支援をすることは必要ではないでしょうか。そこで多摩市も「不妊治療」に対する助成制度を考えることができると思っています。まだまだ独自の制度を設けている自治体は多くありません。多摩市が制度化することの意義は大きいのではないかと考えているところです。

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2006年10月02日

住みたくなる‘まち’って?

 団地のリニューアルに関してヒアリングを受けました。「特にニュータウンの初期入居地域のことを念頭に置きながら、若い世代にとってニュータウンの住み心地」という観点で意見交換しました。

 事前に、初期入居地域に住んでいる数名の知人(若い世代)に尋ねてみたのですが、「多摩ニュータウンを選んで移住してきた。」と積極的に選んだというよりは、「家賃のこととかを考えて選んだら、たまたまこの場所だった。」という人のほうが多く、「住んでみたら意外と住みやすい。子育てするにはわりといい環境がある。」という感想を聞きました。むしろ、子育てをするようになって住みやすさを実感したと言う方が強いのかもしれません。
 でも、「ずっと住み続けるのか?」と言えば、やっぱり建物の古さや部屋の狭さもあり「たぶん、ずっとは住めない。今のところは引っ越さないけれど、いつかは引っ越したい。(お金が大問題!)」と考えている人のほうが多いようでした。
 実は「場所へのこだわり」というのはそれほどない・・・つまり、今の場所で長く住み続けたいと思えるような理由を持っている人は少ないということがわかります。(もちろん、私が尋ねた人の場合には・・・ということかもしれませんが)

 それは、なぜか・・・と言えば、答えは簡単。私は「人のつながり」にこだわりを持たないからだと思っています。こだわるだけの「人間関係」が地域には存在していないということかもしれません。極めてドライな人間関係、「ほどよい」ご近所づきあいができれば上々とも言えると思います。
 そこで、「どうしてもここに住み続けたい」と思うような強い気持ちにはつながっていかないのです。ご近所ではなく、散らばって住んでいる「気の合う仲間」で十分満足できているから、そしてまた・・・実はご近所づきあいをするような時間的余裕がないという場合もあります(共働きの家庭だととても難しい。)。


 ・・・・一方で、若い世代といって学生はどうか?例えばルームシェアなどができれば、学生が住めるようになるかも・・・との期待感がありますが、学生たちにとっては「コンビニがない」こと以上に問題なことがあります。「静か過ぎる!」ということ。
 「ニュータウンはあまりにも静か過ぎるので、学生ならではの友達を招いたドンチャン騒ぎができない。」のが難点かもしれないという意見も出ました。確かにそれはよくわかります。ご近所に迷惑がられるのかもしれませんね。
 でも、そこももしかすると人間関係がありさえすれば、乗り越えられる場合もあるのかな・・・と個人的には思いましたが。


 最近は、転居してきた時に菓子折りを持って近所にご挨拶という習慣もなくなってきているように思います。(実際に「いつのまにか」お隣さんが入れ替わっているということもありますし。)
 『ご近所の底力』の番組があるのも、「ご近所づきあいの煩わしさ・・・けれど、ご近所づきあいの良さもある。」・・・「ご近所づきあいがあってこそ」を伝えるためだと思いますし。


 2時間ほど意見交換等行なったのですが、建物設備の問題だけではなく、人間関係やご近所のつながりをも含めた「住み心地のよさ」って何か?そして「住みたくなるまち」に選ばれる理由って何か?等など・・・老朽化するニュータウン。ハード面では正直、魅力たっぷりと言えない ニュータウンの抱える課題は少なくないな・・・と改めて整理できた気がします。

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2006年09月18日

決算特別委員会始まります

 明日から決算特別委員会です。議長と監査委員以外の24名が決算特別委員会の構成メンバーです。委員長は改革議員連盟、副委員長は共産党からそれぞれ選出されています。明日は昨年度決算全般に対する総括的な質疑、それから歳入の質疑に入ると思います。明日初日に限り、代表監査委員も出席します。
 毎年、決算時には監査委員会より意見書が出されています。その意見書には毎年とても厳しい指摘事項が並んでいます。昨年度分の決算に対する意見書については近日中にホームページにも掲載されると思います。本当はこのような情報を速やかに公表してもらいたいものです。


 さて、決算をどのように審査をするのかについては議会でも試行錯誤しています。今までのように個々人それぞれ思いのままに意見を述べるだけではなく、下記の15項目については重点審査事項とし、全員が評価づけをすることになっています。

・自治基本条例のこと(総務費)
・ミニバスのこと(総務費)
・市民提案型まちづくり補助金のこと(総務費)
・パルテノン多摩のこと(総務費)
・学童クラブのこと(民生費)
・子ども家庭支援センターのこと(民生費)
・シルバー人材センターのこと(民生費)
・心身障害者の通所訓練のこと(民生費)
・ごみ減量のこと(衛生費)
・東永山創業支援施設のこと(商工費)
・街路樹の剪定のこと(土木費)
・災害対策のこと(消防費)
・教育センターのこと(教育費)
・幼稚園・保育園・小学校の連携のこと(教育費)
・就学援助費のこと(教育費)

 これらについては、各会派ごとにあげてもらった約60項目の中から絞り込んだものです。それぞれ違う視点があるとは言え、やはり議員が関心を寄せる事業というのは重複する傾向があるようです。決算特別委員会は5日間、来週の月曜日が最終日です。

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2006年09月14日

建設環境常任委員会でした・・・

 今日は建設環境常任委員会でしたが、子どもが体調を崩してしまったので急遽予定変更。実は、「ゴミ減量のために、『まず有料化』ではなく、市と市民と事業者の協力で進めることを求める陳情」が審査される予定だったのです。傍聴に行きたかったのですが残念。結果だけは知らせてもらいました。陳情は「継続」となり慎重審査されることになったそうです。

 ところで、市のホームページではひっそりと広報されています⇒まったなしごみ減量懇談会。もっと目立つように宣伝すればいいのに・・・と思います。
 例えば、今回の陳情も提出された段階で227名もの署名が付されていますが、少なくとも署名に協力した市民の立場とは・・・「市と市民との協力とでごみ減量を進めるべき」と考えているのだと思います。つまり、懇談会に積極的に参加をし、協力をしてくれる見込みのある人たちのはずです。
 しかしながら、今まで4回の懇談会を開催してますが、全部を通して延べ人数での参加者が31名。署名数とちょっと比較してしまったりして・・・・。
 懇談会というのは参加者の数に関係なく、一度の開催にかかる手間は同じ。そのことを考えれば尚のこと・・・参加人数が多い方が望ましいですし、担当している職員にとってもある意味で励みになるのだと思います。署名数を考えてみれば、もっと多くの参加者を集めることが出来るように思うのは私だけ?


 特にこれだけ大問題になっている家庭系ごみの有料化問題。行政側がごみ減量の切り札として「有料化」を出していることを批判するだけでなく、その立場からしっかりと減量作戦に対する提案をすることが必要で、求められているように思います。今回、陳情を提出した団体に対して、懇談会への参加を呼びかけてみようかなとか考えています。市民の立場から、行政には思いのつかないような提案が寄せられるかもしれません。せっかくの懇談会という機会を大いに活用すべきだと思います。


 減量作戦への提案を集めるために実施しているのがまったなしごみ減量懇談会。市民への説明責任や周知のあり方を問われた「ごみ担当」の職員たちにより、考えられる範囲内で実施している取り組みの一つです。もっと他の効果的な取り組みがあれば「ぜひ提案を!」だと思います。


 「ごみ減量」は市政の優先課題なはず。優先順位づけをすると上位にランクイン、おそらくトップ3に入ると思います。でも、それにしては広報宣伝が何となく見合っていない感じもしてしまいます。せっかく開催するまったなしごみ減量懇談会・・・・公式ホームページでも「トピックス」に掲載すればいいのに。


 以上・・・単なるひとりごとでした。ところで、慎重審査になった陳情はいつ結論が出るのでしょうね。 

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2006年08月31日

明日から定例会なので・・・。

 明日から9月。定例会がスタートします。今日は都合により活動報告はお休みします。大した理由はありませんが、ちょっとエネルギー切れになりそうだからです。

 今日はステイツマンのメンバーたちとの交流会がありました。意見交換などもしました。ホームページや毎月発行している「ほうれんそう」のことなどアドバイスをもらいたいと考えています。そう言えば・・・私のホームページには政策が掲載されていないのです。これは改善点のうち優先度の高い一つになると考えています。今すぐというわけにはいかないのですが、徐々に改定作業を進めたいと思います。
 それから、「私以外の多摩市議会議員さんのホームページもリンクをしたらいいのではないか?」という意見もあるので、それも検討課題のひとつです。

 ぜひ、ホームページをご覧のみなさまらからもご意見をいただきたいと思います。よろしくお願いします。

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2006年08月18日

思いをつなぐ

 私はいろいろな場面で「思いをつなぐ」ことほど大切なことはないなと思っています。

 今日は「多摩火工廠って何?」というタイトルで元東京都議会議員の白井たけしさんのお話を伺いました。

 「多摩火工廠」と聞いても、よくわからないかもしれませんが、正式名称は「多摩サービス補助施設」のこと。もっとわかりやすく言えば「多摩弾薬庫跡地」のことです。多摩市と稲城市の両市にまたがって存在している「アメリカ軍のためのレジャー施設」。休日になると将兵やその家族が遊びにくるようです。
 面積は185ha。その敷地のうち多摩市の面積は約23%、稲城市は約77%です。この場所は山や谷があり、そしてまた多摩川からの水蒸気により上空から見つかりにくいという立地のために選ばれたとのことです。(しかし、実際は米軍はこの場所の存在は把握していて、戦後になり、ここを使用することを最初から決めていたよう。そのために爆撃を受けなかったのではないか。というのが白井さんのお話でした。)


 たまたま話を聞きに来た参加者の中には、実際に12歳の頃に火工廠内で労働していたと言う人があり、その体験談もリアルに聞くことができました。そしてまた、火工廠建設のため、タダ同然で土地の買収に応じた地元の方もいらっしゃいました。土地買収の際には、火工廠が建設されることなどの説明はほとんどなく、ただ単に役所に「認印」の持参だけが命令されたようです。当時のことを想像すれば、有無を言わず、心の中ではいろいろなことが錯綜しつつも、「お国のために」と・・・認印をついたのではないかと思われます。

 戦後になり、すぐに返還を要請すれば元の所有者の土地が変換された事例もあるようですが、ここの場合には返還運動なども起きず、そのまま今にいたっていると言うのが現状です。返還を求めた経緯もあるようですが、「手遅れだった。」というのが地元の方のお話でした。(泣き寝入りだったのかなあ・・・・と思いました。)

 白井さんは「この場所が返ってきていないのだから、まだ戦後とは言えない。」とおっしゃっていました。そして「戦争のことも、この場所のことも風化している。」ことに危惧していると述べておられました。
 私はこのことに尽きると思いました。この思いをつないでいくことが、今、必要なのではないかと改めて感じました。そのためには、火工廠のことを知ることからはじまります。私も今日初めて聞く話ばかりでした。語り部の存在は重要です。


 
 「9.11」のアメリカでの事件以降、この場所も厳重なる体制がしかれています。以前は、グループや団体見学などの受入にも場合によっては対応してくれた時もありました。しかし、今は、何度か申しこんでも全く拒否されているのが事実です。(ネットの場合には都議会議員を通じて申し込んで見るのですが、まったくダメなのです。)

 しかし、今度の10月から人数は限定、なおかつ稲城市民に限るということですが、季節ごとに2日間ずつほど中の見学が許可される模様です。先般、稲城市では見学希望者を募ったそうですが、多摩市でも制約制限つきでもいいので、稲城市と同じような市民の見学(立入)ができるような交渉を進めて欲しいなと思います。
 


 私も一度だけ、現地の見学をしたことがあります。実際に見るということの意味深さ、戦争を知らない世代にとっては「手がかり」になる場所だとを感じた記憶が蘇ったのでした。思いをつなぐためには足を運んで現地を見ることが不可欠だとの思いを一層強くしているところです。

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2006年08月14日

お盆休み?

 今日はお盆休みにして、朝の遊説はお休みしました。でも、今朝、女性センターに行き、「多摩市立TAMA女性センターの管理運営及び事業に関する検討報告書」をもらった後、その他、手元にある資料を見ながら一般質問のことをボーっと考えました。今までに女性施策関係で行なっている他の議員さんたちの一般質問と答弁の内容をチェックしたり、多摩市の「女と男がともに生きる行動計画」を見たのですが、どのような観点で質問をするのかが難しいなあと相変わらず出口が見えないまま悩み続けそうです・・・でも、来週の木曜日が通告書の提出期限。
 
 ところで、まちの様子はお盆休みだなっという感じです。お父さんと子どものペアを日中に見かけるからです。なので、私の気持ちも何となく開店休業状態・・・かも。

 けれど、そんなことは言っていられないと午後は気持ちを入れ替えて、9月議会に家庭系ごみの有料化が提案されるかもしれないので「市町村長・事務組合管理者のためのごみ政策ベースライン」という本を読みました。遅れ馳せながらで今更ながらかもしれませんが・・・・ごみ問題の奥深さについて改めて学びました。

 「ごみの有料化は、住民の財布に直接影響するだけに、事前の十分な検討と、関係者を含めた意見交換、方向に対するおおむねの合意形成と手順を踏んでの準備が重要と思われる。」そしてまた、「従来で、税金で負担してきたサービスを有料化するためには、十分な説明が必要である。」とありました。
 市長の議会対策はどうなっているのでしょうか。昨年12月市議会で条例は事実上の廃案になりましたし、市長選にて「ごみの有料化」を主張して当選をしたと言うものの、議会の構成メンバーが変わっているわけではありませんし。対市民に対する準備も大事だと思いますが、やはり議会に対する準備が必要になるでしょう。9月議会に向けた議案説明は今週17日の木曜日です。それまでに、この問題についても自分なりに調べなくてはならないし・・・。

 暑さと蝉にいちいちイライラしない心がけ・・・これが今週の目標です。

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2006年08月11日

心がけだけで変わるはず・・・

 早朝の多摩川。川辺りを犬の散歩をしたり、ジョギングをしたり、歩いている人たちがいました。これは、きっと毎日変わらぬ風景なんだなと思いました。
 
 ただ違うのは、公式発表によると22万8600人出があった花火大会の翌朝であるということ。今朝の多摩川沿いには片付け前の会場が残されて、ちょうちんやガーデン席や大会本部のテント、簡易トイレ、階段などが目に入ります。昨日のにぎわいを物語るようにごみが散乱していて、会場の数カ所に設置されたごみ箱に山盛り、大量のごみが積まれているということ・・・・そして、ちょっとはごみの臭いもしているということ・・・・いつものとおり、川辺りを利用する人も花火大会の余韻を感じる朝だったのではないかと思います。


 そして、私にとっては今朝はイレギュラーな朝。早朝6時に多摩川に足を運んだのは初めてでした。花火大会翌朝の清掃ボランティアの活動に参加。


 「去年よりはまだマシ」と言うものの、「ごみステーションに高々と積み上げられたごみの山を片付けて。中味の分別をしてください。」と指示が出たので、川沿いのごみ拾いではなくて、ごみの分別を手伝うことにしました。


 はっきり言って、「ショック」。この一言です。予想を超えてひどい現場。分別がされていないことはもちろんのこと、まだ開封していない食べ物や飲み物も廃棄されていて、蟻がはりついているごみ袋もありました。一つ一つ丁寧にごみ袋を点検。・・・・捨てていった人たちもご丁寧にきっちりとペットボトル・缶類と燃やせるごみとを一つのレジ袋にまとめてしっかりと袋の口を結わいてくれているので・・・・・。袋を破ってはペットボトルをとりだし、缶を取り出し・・・・を黙々と続けました。

 軍手をしていたけれど意味はありませんでした。手を洗っても洗っても、手にしみついた臭いがとれないほどでした。


 「事業系ごみなのでそこまでしなくていいですよ。」と最後の最後でやってきた職員に言われたので、一瞬は私を含む数名でやっていた作業は無意味だったのかなと思ったのですが、それでも、この作業をしてつくづく感じたことは、花火大会を楽しむ人たちのモラルとマナーについて。会場周辺の自治会の方々も清掃に参加をされていましたが、「自宅の周りに捨てられているごみも深刻。」という話をしていました。
 帰りがけに、メンイ会場とは少し離れた場所の自動販売機のところを通ったところ、ここでもごみが散乱していました。自動販売機のところには飲料専用のごみ箱が設置されているのですが、そのそばに生ごみ等が捨てられているのです。


 こんな状況を目にすると、「花火大会を開催する価値」を問いたくなってしまいます。本当にこれでいいのかなって思います。花火大会に限らず、人がたくさん集まるイベントでは同じような状況なのだと想像するとやりきれない思いがします。


 「心がけさえあれば」ということです。清掃ボランティアに参加をすると、いかに自分たちが身勝手に暮しているのかがわかるのではないかと思います。「ごみを減らしたい」と思いますし、「ごみの分別」にも心がけたいと思いますし、ごみ処理現場で作業する人たちのことを考えたいと思います。


 清掃ボランティアがたくさん集まって、花火大会の会場の清掃を行ないました・・・・というような‘ウツクシイ’話で終わらせてしまうことはできない問題だと感じました。

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2006年07月21日

取組み方が難しい

 今日は、三鷹市に男女平等参画条例のヒアリング。今年の3月に制定され、4月から施行されています。男女共同参画施策については、なかなか難しい舵取りが迫られている時期に、条例が制定されたという事実にまずは着目。そして三鷹市も多摩市と同様に市長が女性である点にも注目。三鷹市での取組みに学べるところがあるかもしれないと足を運んだのでした。

 ところが、実際に話を聞いてみると、「男女平等参画条例」を制定したのは、計画に位置づけられていたから・・・というのが理由のようでした。つまり、ものすごく積極的かと言えばそういうわけではなく、かと言って、消極的かと言えばそういうわけでもない・・・というニュアンスの回答でした。
 三鷹市には女性センターがないので「そういう点では多摩市さんのほうが進んでいる感じがしますね。」と言われました。・・・・どうなんでしょうか?


 私としては今日のヒアリングの結果、「計画に位置づけること」の重要性を感じましたが、多摩市の「女と男がともに生きる行動計画」の中にも「(仮称)男女平等推進条例」の検討・制定の位置づけがあるものの、今に至るまでずっと宙ぶらりんの状態です。
 「条例を制定したとしても、そのあと、どうやって取組んでいけばいいのかは本当に難しくて・・・・。」と三鷹市の方がおっしゃっていたことが印象的でした。職員の中でも「男女平等」がピンと来ないというか性別役割分業の考え方を持っている人もいることや、男性の育児休業のことについても「担当部署によっては休暇をとることすら難しいのに、育児休業なんて・・・。」という状況もあるという話も聞きました。多摩市の事情とそう変わらないのかもなあと思いました。


 ところで、多摩市の「女と男がともに生きる行動計画」については、先般、中間見直し版が完成しているわけですが、見直しにあたって行なった職員の意識調査の結果が惨憺たるもの・・・・・。
 結果と言っても、内容の問題ではなくそれ以前のこと。というのも、あまりにも職員の協力体制がなさすぎることが悲惨。「多摩市役所に勤務する職員」限定に実施しているものにも関わらず、調査票の回収率が45.9%と半分以下。強制されるべきものではないのかもしれませんが、行動計画等を策定するための基礎資料として使うものだと思えば、それなりの協力姿勢があってもいいのではないか?と思えてならないのです。

 ちなみに、市民を対象にした調査の回収率は45.7%なので、ほぼ同程度で問題を感じないという見解もあるかもしれません。でも、私はそうは思えないのです。男女平等に関する職員意識の在り方、個々人の認識度合い、そしてまた、このような調査をすることの意味をどのように捉え、職員一人一人が仕事に臨んでいるのか等など・・・さまざまな点が回収率の低さより見えてくるのではないかと感じるのです。それこそ、「取組むのが難しい」ようです。

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2006年06月26日

多摩市って余裕があるのね・・・?

 6月定例会の話題で、助役二人制にしたことや、乳幼児医療について就学前までの所得制限を撤廃して市民負担の軽減を図ったり・・・・という話をしていたところ、「やっぱり多摩市って余裕だよね。」と言われ、思わず「やっぱりそう感じる?」と返答してしまいました。

 「お金がない!」と言って、行財政診断白書を作成したり、行財政再構築プランを策定してきたからこそ、余裕が生れたのかもしれませんし、市長の表現を借りれば「今なら間に合う」という余力ある中での行財政改革なので、まだ少しばかりの余裕が存在しているのかもしれません。が、他の自治体から見るとやはり「とても余裕ある姿」に思えるのかもしれません。
 でも、実際には節約の涙ぐましい努力?が伝わることは少なくありません。特に印刷物を見てみると、質的には以前と比べるとかなり節約していることがわかります。例えば、先日配布された「多摩市教育推進プラン21(平成18年版)」はかなりの印刷費削減をしている模様。表紙にも色紙の使用をやめてしまい、本当に簡素な印刷物になっています。経費の見直しとなると、事務用品や印刷費などのまずは細かなところからの無駄を省くことになるわけですが、‘塵も積もれば’とは言うものの、これ以上簡素化することは考えられないので、いよいよ‘臭いもの’のフタをこれ以上に密封せずに、ちゃんと開ける必要性があるでしょう。議会もこじ開けていく必要があるのかもしれませんが・・・・。

 最近、自治体崩壊という本を見つけました。本を購入の際にはプロローグに目を通しますが「市の予算配分の優先順位は第一に役人のため、次が政治家のため、そして最後が市民のためになっている。さらに、市民が大好きな言葉である『市民本位と市民の目線』で作られる『わがまま予算』の実体を明らかにする。」という部分に妙に共感してしまいました。

 多摩市の財政状況は決していいとは思えません。それは一般的に言われているのと同じ状況です。ただ、他自治体との比較するための財政指標上では、まだまだ財政力があるとされることも事実です。でも、財政力があってもなくても、常に自己改革しなくてはなりませんし、今、多摩市が取組んでいるように「本来するべき行政の仕事」をもう一度見なおしてみることは必要なことだと感じています。そのことは当然に財政改善にもつながっていくからです。
 それにしても今の多摩市の取組みに「余裕を感じる」という率直な感想。これをどう受けとめればいいのでしょうか。そんな中で「多摩市‘も’厳しい」という状況がどう伝わっていくのでしょうか。「狼が来るよ~」と言われているわけではないのですが・・・。 

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2006年06月15日

ニュータウンの行方

 今日は建設環境常任委員会でしたが、条例などの審査案件の予定がなかったので、傍聴には行かずに過ごしました。

 ずっと気になっていた「マンション崩壊~あなたの街が廃墟になる日」を読みました。著者は山岡淳一郎さん。新たな角度からニュータウンの歴史を知ることができる一冊です。実名は伏せてありましたが、手抜き工事で建替えをしている現場でのレポートなどが綴られています。
 これを読み進めながら、都市再生機構から無償で雑木林の譲り受けできなかったことへの残念さを噛み締めてしまいました。多摩ニュータウンに移住して来た人には知り得ない開発前のことなども少しだけ垣間見ることができ、開発当時には生れてなかった私には興味深く読むことができました。

 私は「このまち、どうなっていくんだろうなあ・・・」と漠然とした不安感を持っています。議会などでは千里ニュータウンの建替えの話などが事例として出されます。でも、多摩市にはその事例は全くあてはまらないと考えています。参考程度にはなるかもしれませんが、多摩市が抱えているニュータウンの規模に着目すれば一目瞭然です。市域面積の約6割がニュータウンと言う自治体は他にありませんので。
 それに現在、建替え計画を進めている諏訪2丁目ですが、ここでの規模も640戸と千里ニュータウンでの建替え事例とは比較できない規模です。諏訪2丁目の建替えがどう進んでいくのか・・・その行方には注目が集まっています。まさに「ニュータウンの行方」に深く関わってくる事例とならざるを得ないからでしょう。ここが先行事例になるのです。

 ニュータウンの問題は多摩市の生命線とも言える問題。しかし、私的財産である分譲住宅の建替えに行政がすべき支援とは一体何なのか。どんなことができるのか・・・すべきなのか・・・最近、よく考えている課題のひとつです。

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2006年05月29日

人事案件をどうする?

 先日も報告を書いたのですが、6月議会には大事な人事案件が提出されています。収入役の人事についてです。

 今日はネットの会議があり、それに対してどう考えるのかを議論しました。結論的には「同意することが難しそう。」ということに。最終的には会派としての判断、議場での質疑のやりとりを踏まえて、採決に望むことになりますが、現段階では簡単に手を挙げることはできないということになりました。

 来年から地方自治法が改正されることを睨んでの人事とのことで提案を受けています。実は、収入役は廃止される運びです。もともと、収入役の仕事は市長から独立しています。いわゆる“金庫番”であり、お金の管理をしっかりせねばなりません。現在は、民間人登用ということで、銀行OBの方がその任務にあたっています。民間のノウハウを積極的に活用すると言うことでしたが、そのノウハウは一体どこに活かされてきたのかが正直、全くわからない・・・・というのが私の感想です。
 いずれにせよ、聞くところによると現収入役はすでに2月ごろには退任の意向を示されたようなので、市長選が終わった後、次の人材を確保することが市長の宿題になっていたことは確かです。民間人登用に対する総括はもちろんのこと、収入役という役職をどうしていくのかの2つの点については少なくとも選挙前から考えていたはずの事項ではなかったかと思います。例えば、選挙公約に「副市長制導入」とでも入れてあれば、話はもっとスムーズだったのかもしれません。(「市民のみなさんの信認を得られました。」と堂々と主張できるので)
  

 ところで、収入役が廃止されるということは、実は特別職が一名削減されると言うこと。人件費ベースでは約1,600万円の削減となります。1,600万円というのも微々たる補助金が削除されている中、大きなお金だと感じる人も少なくないと思います。他市(収入役を置かなければならない都市)の事例でも、収入役を空席にした組織改革を進めているところもあり、多摩市でも来年の収入役廃止までの一年間を「空席」にしたまま(その場合は助役が収入役の仕事を兼務することになるだろう)で進めることも不可能ではないのかなと思います。(例えば、収入役の人事案件が否決されれば、「空席」になってしまうわけですし。)

 今回の提案は「収入役として4年間お願いすることになりますが、そこには含みがあって、来年以降は副市長制を導入していきたい。」というわけで、1年間は収入役、来年以降は副市長として任務にあたってもらいたい人材を提案するとの話です。しかし、法律でも「そろそろ役目としては不要ではないか」と廃止される収入役と副市長との仕事は全く別物。ただの呼称変更という問題ではありません。
 しかも、収入役を廃止する、副市長を配置すると言うのは組織条例の変更も必要なので、当然ながら議会にて条例改正が議決されなければなりません。副市長制への移行など少しも議論がない中で、一方的に副市長制の導入を前提とした提案がされても困ってしまいます。収入役が法律改正で廃止されたとしても、即効、収入役解任というような無茶なやり方を法律で想定しているわけでもなく、強いられるわけではありません。任期中はお役目を全うしていただけることになっています。つまり、今、収入役として提案される人物は「収入役として最も相応しい人物」として提案されるのが自然かなと思います。

 収入役に相応しい人材と副市長に相応しい人材が同じとは言えない、議会直前の現段階で副市長の仕事が明確化されていない(策定されたばかりの戦略プランの中を見ても、どこにも触れられていない)、さらには市長からの一本の電話だけで「よろしくお願いします。」としか言われていないこと・・・等が議論され・・・今日現在では人事案件に同意し難いという結論に達しています。人事案件に同意しないということは色々な意味で後々「尾をひく」らしく、同意しないことにはエネルギーがいると言われています。提案されている人物ではなく、提案プロセスそのものに疑問があるわけで、まさに市長の市政運営力には同意できないというのが最大の理由ですが、かなり辛いものがあるようです。
 話合いの中では「再選直後の初めての定例会から混乱させられるよね・・・・」というため息がもれるほどでした。そのくらい対応が難しい案件と言えるでしょう。

 ということで、現段階での意向を助役を通じて市長に伝えたところ、改めて説明させて下さいことで急遽、明後日に説明を受ける予定が入りました。定例会の直前の説明・・・いろいろと臨機応変に対応を迫られることはありますが、今回はその中でどういう判断を下すことになるのでしょうか・・・。

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2006年05月02日

再び・・・‘時間’がたつということ

 今朝の朝日新聞の朝刊に世論調査の結果が掲載されていました。その調査によると、東京裁判について「知らぬ」と回答した人が7割もいるそうです。20代では9割の人がその存在や内容を知らないという結果になっていました。私も東京裁判の存在は知っていても、その内容まで詳しく知っているわけではなく、首相の靖国神社参拝問題に対しても、新聞報道などで騒がれていることと、自分の感じ方とに何となく落差を感じてしまい・・・おもわず別冊宝島のニッポン人なら読んでおきたい靖国神社の本を購入したことがあります。そうであっても知識として一応身についたという程度で、まだまだ認識不足の自分を感じるわけです。問題について直接関係がある人たち、当事者の立場や気持ちを理解したつもりにだけはなりたくないと思っています。
 最近感じることですが、私たちの世代は「戦争を知らない」と言われています。確かに直接的には知らない世代となってしまうのですが、それでも国際社会を見てみると戦争は発生しているわけで、「戦争を知らないから・・・・」と気軽に口に出してはいけないと考えています。私たちが言う戦争を知らないというのは、あくまでも歴史上、日本が当事者になっていた太平洋戦争のことです。確かにそれについては時とともに風化する速度が増していると感じています。戦後保障の問題なども未だに政治の課題になっているのですが、「なぜ、今ごろまでその問題が引き継がれてしまうのか」がわからない人たちも増えつつあります。でも、今でも戦争が現実の暮らしを送っている人たちが存在するわけで、せめて私ができることは「戦争をしていない状態」にまず感謝をすることだと考えています。そこからしか戦争の問題や、それに関わる問題を考えることができないなと感じています。

 
 ところで、話は変わりますが、今日とても強く感じたことがあります。今日は私よりも若い年齢の市議会議員の方と話す機会があったのですが、年齢を重ねると言うことは「知らない」の一言で済ますことができない問題が増えていくんだなあということです。もちろん、人は完璧ではないのですべてのことにオールマティであることはあり得ないのですが、自分があまりよくわからない問題や課題であっても、実はそれに対して「知らない」という一言ではなく、まさに自分自身の経験の積み重ねにより得られた物の見方や考え方が問われ、その視点から話すことが求められるということです。私の市議会議員生活4年間をふりかえりつつ、25歳で初めて当選した私も年月重ねて・・・この任期が終わる時には30歳になっているなあと言うことにしみじみしちゃったのでした。

投稿者 hisaka [その他]

2006年05月01日

とてもとても暑い一日でした

 今日は大型連休の狭間の平日。もしかしたら、いつもよりも人通りが少ないかもしれないな・・・と思いながら、定例の永山駅での朝遊説をしました。でも、普段と同じように人通りがあり、「連休!」と騒がれている(?)わりには、そんなにのんびりもしていないなと思いました。
 

 さて、今日は永山商店街にオープンしたデイサービス「お茶の間もえぎ」のパーティに寄ってきました。ニュータウン地域の商店街の活性化については、3月議会の一般質問でテーマにしましたが、高齢化が進んでいる永山地域において、彼らの居場所になるようなデイサービスのオープンは待ちに待った!と言えるのではないかなと思います。地域コミュニティに活力をわけてくれるような場所になってほしいなと思います。デイサービスが終わってからの18時~21時までは一般市民にも開放したいと言う意向があると伺いました。オープンセレモニーには高齢者の方々を中心に、ボランティアや協力者の皆さん20名以上の人が集まっていたと思います。この場所から生まれる人のつながりや集いがどう広がっていくのか楽しみです。


 それにしても、今日はとても暑い暑い日でした。そして何よりも・・・実感したのは、朝遊説をするには紫外線恐怖の時期に突入したということ。一応・・・平然として駅前にいるものの(そう振舞っているつもり)、気が気ではなく・・・・太陽の位置とともに変化する日影の場所を気にしながらチラシ配りしてしまいました。そんな自分に気合い不足だと思いました。でも、気になりますよね・・・日焼け・・・年齢とともにますます・・・。
 でも、ひとつ気がついたことがありますが、今日は諏訪1丁目側だったのですが、パチンコ屋さんの3階建てのビルがちょうどいい感じで日影をつくってくれているのでした(これは、気分的には複雑)。

 ついでに、今日、うれしかったことがあります。駅前で遊説をしていると、小学校に通学する子どもたちに出会います。補欠選挙以来、すっかり顔見知りになった女の子・・・通学路の変更があったらしく、ここ2年間くらいはご無沙汰していたのですが、再会したのです。彼女は中学生になっていて、私立中学に入学したために電車通学を始めたようです。「私のこと、覚えてる?」と言って、声をかけてくれたのでした。「もちろん!」・・・すっかり、お姉さんになった彼女に、今日一日分の力をもらっちゃいました。

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月30日

‘時間’がたつということ

 明日は5月1日。5月1日は何の日?・・・ちょっと活動家な人(?)は、「メーデー」って答えるかもしれません。(たぶん、活動家でなくても知っていることかもしれません。私がOLをしていた時も職場から何名かがメーデーに参加することになっていました。私の働いていた職場では、管理職を除いては確か、みんなが自動的に労働組合に加入していたので。)

 でも、明日は特別な日です。明日は「水俣病が公式に確認されてから50年目」の日にあたります。もしかしたら、私があまりにも知らなすぎたのかもしれませんが、最近になって私はこのことを知って、以前よりも関心を持つようになりました。昨日は、「水俣フォーラム」にて特別講演会でが開催されたようですが、かつて社会科の授業で学んだ以来だと思います・・・水俣フォーラムのホームぺージなどを見て、事の重大さをさらにさらに認識したところです。

 これについて、小泉さんも談話を発表していますが、そこには「長期間にわたって適切な対応をなすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかったことについて、政府としてその責任を痛感し、率直にお詫びを申し上げます。」と言うことが書いてあります。この発言が、どんな方向性を導いてくれるのだろうか?と思います。

 長期間にわたって未解決だと言われる問題で最も重大だと感じていること。それは時間がたてばたつほど、その問題が風化するし、そしてまたそのスピードが加速してしまうということです。当り前のことですが、時代は目まぐるしく変わり、当時のことを全く知らない世代、未経験な人が増えています。私も含めて、その時代に生きていなかった人たちが当該問題に向き合う際、そこには相当な想像力が要請されることでしょう。想像力だけでは乗り越えられないような憤りや悲しみがあるのではないか・・・そう思います。
 小泉さんが言うように、率直なお詫び、そして誠実なる対応はどのように表現されるのでしょうか。私と同世代が社会を中心になって担う未来に、水俣病の問題がどのように手渡されていくのでしょうか。

 「‘時間’がたてば忘れる」と言われるように、日常生活の些細な出来事などで時間の解決に期待することって少なくないと思います。でも、その一方で、時間でも解決できない問題。水俣病の問題など「‘時間’がたつということ」に悲しく静々とした憤りを覚えるような問題が多く残され、存在しているのではないでしょうか。
 もしかすると、この問題は日常生活の様々なこととは次元が違う問題だと感じると思うかもしれません。でも、違います。実は、日常生活においても私たちがどこか、記憶の中で留めておくことの大切さがあるのだと考えています。

 最近になって、私も知り得たことなのでそんなに偉そうには言えないのですが、この週末に改めて考えさせられたことなので、書きとめてみました。 

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月17日

今日からまたはじまる

 昨日の結果を受けて、今朝は永山駅前にて報告。敗戦者とは言え、23,300票はとても重いことを実感させられるほど、駅前で声をかけられました。「次に頑張って。」「また、応援するから。」「本当、おつかれさまでした。」・・・負けたことをふりかって悔やんでいる暇はなく、次を目指すしかありません。そして当面は、来年の市議会議員選挙に向けてどうするのかを考える必要があるでしょう。緊張感のある市長と市議会との関係を維持するためには、市議会議員のメンバー構成が重要だからです。

 ところで、選挙管理委員会の約35%という投票率はいい意味で裏切られました。最終的には44.22%。男性が42.72%で女性が45.68%です。前回は40.50%だったので、それから4%あがったことにはホッとしましが。それでも半分以上の人が投票に行かないわけで、まずはここを見た時にも、渡辺市長が実績と訴えている「市民参加度日本一」の実績に疑問。・・・・お互いさまだと言われるかもしれませんが、私にとって「日本一の実績」と大きく書かれたポスターは恥ずかしい存在。客観的な調査結果だと言うのかもしれませんが、それをそのまま素直に受け止めて宣伝するほどのことなのかどうかが問われているのに・・・・と思ってしまいます。

 これから「市民の声」を含めて、どうなっていくのか・・・・その方向性についても今週中に話合いが行なわれるそうです。今回の選挙で、生活者ネットワークは政策協定で妹尾さんを応援しました。私も「市民の声」のメンバーには加わらず活動してきましたが、選挙結果を受け、この流れを継続していくのであれば個人として「市民の声」に参加することが必要だと考えています。

 「今日からまたはじまる」・・・・もっともっと多くの市民(棄権した人が約60%もいる!)に響くような政治であり選挙戦を展開しなければならないと感じています。

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月16日

市長選の結果

 知名度ない新人を推薦した選挙戦。選挙は勝負の世界だから、悔しいけれど「負け」は負け。でも、確実に日に日に支持が広がっている手応えがあったので、これをまた4年間続けていきたいと思っていますす。「あともう少し時間があれば・・・・」という声もありました。現職2期目の選挙は一番強い(とんでもないことがない限り)と言われているので、そういう観点からみれば、「よく頑張った。」という声もあるかもしれませんし、実際、そういう声もありました。
 でも、せのお氏は23300票、現職は26869票で票数の差は3,569。この差は決して小さいとは言えません。一票を獲得するのは本当に難しいことだからです。

 でも、子どもたちの模擬投票の結果は・・・ちょっとだけ小耳に挟んだところではせのおさんの得票の方が多かったとか。子どもたちの眼、心に私は少し励まされました。

 いずれにしても今日からがリ・スタートだと思っています。諦めることなく活動を続けていきます。


 

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月13日

期日前投票

 選挙戦も5日目に入りました・・・・実は大事な大事なこと・・・・というのは、駅前投票所での期日前投票は明日にて終了してしまいます。「お早めにどうぞ!」なのです。うっかり、明後日になってしまうと、市役所のところまで行かねばならないので、ちょっと不便。ぜひ、お買い物ついで、会社帰りなどに投票してもいたいと思っています。


 ところで、多摩市の期日前投票について・・・・ホームページには下記のような記述があります。ちなみにたま広報にも同じ内容で掲載されています。

※ 期日前投票をする際は入場整理券をお持ちください(紛失された方は、運転免許証、健康保険証等身分を証明するものをご持参ください。印鑑は不要です)
※ なお、投票の際には宣誓書を記載し提出していただきます

 でも、他市の方に聞いたのですが、入場整理券は必ずしも持参しなくてもいいそうです。にも関わらず、多摩市での「入場整理券持参」はおかしいというのです。こう書いてしまうと、「ついでに投票しようかな」と思ってみても整理券を家に忘れていたとしたら、駅前投票所まで足を伸ばさないかもしれません。それはとても残念なこと。入場整理券がなくても、投票できることが浸透していれば、例えば・・・・夕方の買い物帰り、会社帰りに駅前での候補者による街頭宣伝を聞いて、「せっかくだから、今、投票してこよう・・・・」という気持ちになった人がその場で投票という行動を移すことが出来ます。
 

 というわけで、入場整理券がなくても駅前投票所に立ち寄って欲しいと言うこともあわせて宣伝したいなと思った次第です。(でも、考えてみたら、整理券を紛失した場合でも、本人確認さえできれば投票することは可能です。つまり、入場整理券がなくてもいわけですね!?)
 今回の市長選は争点が見えにくいと言われていて、とても低調です。でも少しずつ、選挙カーに手を振ってくれる人は増えつつあります。最終日までは、あとまだ丸2日間も残っています。選挙があることも同時に知らせていかねばと思っています。

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月12日

選挙公報

 今朝の朝刊に選挙公報が折込されました。選挙公報は公職選挙法で次のように定められています。

 

(選挙公報の配布)
第170条 選挙公報は、都道府県の選挙管理委員会の定めるところにより、市町村の選挙管理委員会が、当該選挙に用うべき選挙人名簿に登録された者の属する各世帯に対して、選挙の期日前2日までに、配布するものとする。ただし、第119条第1項又は第2項の規定により同時に選挙を行う場合においては、第172条の2の規定による条例の定める期日までに、配布するものとする。

2 市町村の選挙管理委員会は、前項の各世帯に選挙公報を配布することが困難であると認められる特別の事情があるときは、あらかじめ、都道府県の選挙管理委員会に届け出て、選挙公報につき、同項の規定により配布すべき日までに新聞折込みその他これに準ずる方法による配布を行うことによつて、同項の規定による配布に代えることができる。この場合においては、当該市町村の選挙管理委員会は、市役所、町村役場その他適当な場所に選挙公報を備え置く等当該方法による選挙公報の配布を補完する措置を講ずることにより、選挙人が選挙公報を容易に人手することができるよう努めなければならない。


 上記のことを受けて、選挙公報は新聞折込で配布されています。でも、最近は新聞をとっていない家が増えてきたので、やはり、「たま広報」などのように、インターネットで見れるようにすべきではないでしょうか。
 しかしながら、ここでもまた壁になるのが公職選挙法。インターネットによる選挙運動に該当してしまうようで、、当然ながら、多摩市長選の案内ページには掲載されていませんでした。


 選挙公報は「公正」な情報という位置付けです。インターネットが無理ならば、現在のように新聞折込に依存している状況を再考すべきだと感じます。戸別世帯への全戸配布形式に変更することも考えられると思います。
 ちなみに・・・・多摩市議会議員及び多摩市長選挙公報発行に関する条例があります。 

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月08日

明日が告示!

 いよいよ市長選挙戦本番がスタートします。先日、生活者ネットワークも遅ればせながら、せのお浩也氏の推薦を決定したので、できるところでは協力していきたいと考えています。当然ながら、知名度ではまだまだ現市長には及ばないわけですが、明日からがようやく選挙本番。実は選挙は有権者に「投票券」が届いてからが勝負だとも言われています。。逆に言えば、そのくらいの関心しか持たれていないとも言えますが、現実は厳しく、選挙の存在を知らない人がまだまだ多いのです。「えーっ。何やっているの。」「市長選挙だよ。」「ふーん。そうなんだ・・・・(知らなかった)」という会話を道端であった知人としている私・・・・・。
 この状況を見ても、私自身は市民参加度第一位を誇れるまちなんだろうか・・・・?と疑問に思っているのですが・・・・。


 私がせのお浩也さんに非常に共感していること。それは子どもたちや若者に対し「大人をチェックして下さい!」と呼びかける姿です。今、大人たちがしっかりと考える必要がある、そして子どもたちにその背中を示していかなければならないという気持ちは私の考えていることと全く同じです。子どもは言葉にはしないかもしれませんが、純粋な心と眼で社会を感じ取っているのだと思います。相次ぐ政治に関する黒い話題や子どもたちに対する凶悪事件、またその他にもさまざまな事項があると思いますが、「私たちは今、本当に子どもたちが目標に出来るような大人になっているでしょうか」・・・そのことを真剣に悩み考え抜く必要があると思います。

 先週土曜日に行なわれた公開討論会のアンケートで子どもたちに対するメッセージを回答する欄がありました。せのお氏は「わたしたち大人をしっかりチェックしてください。君たちの視線によって大人は「気づき」を得ます。いっぱい遊び、語り、創ってゆきましょう。」と書いてありました。ちなみに現市長は「誰にも良いところがあります。自分を大切にして良い所を伸ばして下さい。友達の良いところも認め合ってください。図書室で本を読んだり、調べ物をして、自分で考える力を高め、感性を磨いてください。そして大きな夢をもってください。」というのがメッセージでした。
 この短いメッセージからそれぞれに感じられる印象、そしてまた、子どもたちに対するスタンスの違いがあると思います。私はせのおさんの子どもたちに対する眼差し、その価値観こそ、今の政治や大人社会に求められる姿勢だと感じています。

 みんなでいっぱい遊んで、語りながら、創ろうとすることが「大きな夢」に結びついていくのではないでしょうか。実はその作業とは・・・・他人と共感をし合いながら進めていく「まちづくり」にもつながっていく価値観でもあると思います。
 「子ども」の視点を大切にしたまちづくりは、誰にとっても住み心地満点の場所になると言われるくらいです。以上が、せのおさんを推薦する理由の一つです。


 明日からの選挙戦。まずはお天気の良さが心配です。今日もとても強い風が吹き荒れていました。てるてる坊主にでも託そうかな・・・・という感じです。

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月06日

入学式

 北諏訪小学校の入学式でした。桜の花は散る寸前で頑張って咲いていました。菜の花の黄色とよく似合っていました。今年の北諏訪小学校も126名の子どもたちが入学し、4クラスの編成です。式が行なわれた体育館には今日を心待ちにしていた家族の皆さんでにぎやかでした。

 ところで、入学式や卒業式にはその年の服装のトレンドがあります。特に女の子の服装に目が行くわけですが、今年の入学式の子どものお洋服は紺色など黒っぽい色が中心でした。ピンクや黄色などのお洋服を着ている子どもたちは少なかったです。ちなみに卒業式ではチェックのスカートにブレザーというスタイルの子どもが多かったです。
 ・・・というわけで、子どもたちのスタイルをチェックするのも式典に参加する楽しみの一つです。

 そして、入学式には2年生に進級した子どもたちによる歓迎の音楽演奏がありますが、小学校生活一年を過ごしてきた子どもたちの成長ぶりには、毎年本当に驚かされます。明日は中学校の入学式です。


 
 それから、今日は、生活者ネットニュースの号外を地域にポスティングしました。応援するせのお浩也さんの紹介と「人を大事にした施策の展開を!」という見出しで、ネットの市長選へのメッセージを掲載しました。掲載記事の内容です。


□守ろう多摩市の生命線から豊かな住環境
 多摩市の6割を占めるニュータウンは緑地や公共施設そして住宅が計画的に配置されています。団地の住宅も容積率が低く抑えられ、ゆとりのオープンスペースが「みどり豊かな」多摩市のイメージに結びついていました。

 しかし、多摩市内にも容積率いっぱいの高層マンションが乱立し、建設中のマンションも数多くあります。そのうえ、新しいマンションは分譲価格も手頃で、多くはエレベーターが設置されているということもあり、建替えが進まないニュータウン内からの転居も多くあります。このままではニュータウンの空洞化が進みます。
 また、地域住民のマンション建設計画に対する反対運動が起きたり、永山駅前の雑木林を守る運動も広がっています。まちづくりのルールづくりが急がれます。現在、多摩市ではまちづくり条例の策定が進行中です。まちづくりの方針をしっかり示し、豊かな住環境を確保するために市民のまちづくりへの参画を保障していかなければなりません。

□市民の力がまちをつくる!
 市政への市民参画と言う点でいうと現在の多摩市の状況は大変後退しています。市民が出したパブリックコメントに対してはどのような検討をしたのかという返答はなく、時々開催される説明会はご理解くださいの一方的な話で終始しています。このままでは市民とともにまちづくりを進める体制づくりの道のりは遠いといわざるを得ません。自治基本条例の中で位置付けられている市民自治の推進を体系化し、市民活動支援を計画的に進めることが必要です。
 まちづくりの主体は市民です。市民の主体的活動がまちを元気にし、コミュニティを豊かにします。子育てや介護、防災、安全安心の確保もすべて地域のコミュニケーションが基本です。成熟したまちは成長指向でも建物指向でもない、人を大事にした施策の展開が求められます。

 


 こちらも久方ぶりに更新してみました⇒生活者ネットワーク内のページ☆岩永ひさか 

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月05日

市長選は その②

 生活者ネットワークで市長予定候補のせのお浩也さんと結んだ政策協定の内容です。 

1 市民が元気になるように市民活動推進計画の策定に取り組む  ・納税者が自らの市民税の1%を市民活動団体支援に使える仕組みをつくる ・パブリックコメント条例を制定し、市民参画を保障する

2 誰もが自由な移動を保障される移動条例の制定に取組む
・ミニバス運行事業を見直す
・ドアtoドアの移動の保障をする

3 市民の財産である学校跡地計画の見直し
・市民活動の拠点にする

4 公共施設使用料の見直し 
・誰でも気軽に使える料金設定にする

5 学校づくりは市民の手で
・学校は子ども、保護者、先生、地域の主体で運営する

6 まちづくり条例の制定
・良好な住環境を守る


 ところで、先日の公開討論会にて、最も気になった現市長の発言。「‘安く’でNPOの皆さんに働いてもらっている」という趣旨でした。NPOに事業委託することの意味をどこに見出しているのかが鮮明になった発言と受けとめました。NPOを語る時、‘安く’という枕詞を使うことは認識不足ほかならないと感じた次第です。

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月04日

市長選は

 ネットで臨時総会が開催されました。最終的に市長選に取組む姿勢を決めるためです。すでに現市長には反対の立場は表明しています。現在、「市民の声」からの擁立が決定しているせのお浩也氏の推薦をするのかどうかが話し合われました。結論的には「市民の声」からの推薦依頼に対しては応じることとなりました。

 市長選に向けては、さかのぼること昨年秋からの市民フォーラムの結成と解散の動きなどがあり、ネットでもどのように対応していくのが適切であるのか、時間がない中で検討を重ねてきました。今日の臨時総会に先立ち、候補者であるせのお氏とは政策協定を締結したのが先月末。告示は今度の日曜日なので、ネットが選挙協力する決定を下しても、できることは限られているのが実情です。
 臨時総会の議論では「選挙に取組まない」という選択はないだろうとしながらも、せのお氏を擁立している「市民の声」に団体参加するのではなく、勝手連として応援する形が望ましいとこととなりました。まずは、ネット独自でのニュースの発行とポスティングを行うことになります。といっても、告示までは残すところあと4日余りです。その間に最善を尽くすことになるでしょう。
 実は、私は市長選をどう戦うのかについて、市民は政党や各市議会議員の動きを見ていると思っています。そういう点では中途半端に行動することだけは避ける方がいい、地域政治の注目されるアクターとして自分たちの存在が問われているのならば、きちんと立場表明をしなければ、埋没していくのではないか・・・と思っています。その意味でもネットが時間的には遅いといわれるかもしれませんが、態度決定をしたことは望ましいのではないかと感じます。

 それにしても市長選をあることすら知らない市民が多いです。まずは、そこに最大の課題があると考えています。
 

投稿者 hisaka [その他]

2006年04月03日

市民の力はどこに行ってしまったの?

 本日付で掲載された市長メッセージ。その内容を見て、ちょっと涙・・・・悲しく、虚しく、寂しくなってしまいました。それは「永山駅前雑木林」のことでした。

 この雑木林をめぐる動向については、私も昨年の9月以来、活動報告の中で伝えてきたところです。もともと行政(市長)には駅前の雑木林を丸ごと保全すると言う考えはありませんでした。緑を残して、駅前の立地を生かした開発をするというのが当初の考え方でした。

 しかし、都市再生機構のフライング(都市再生機構が多摩市に何の打診もなく、地元住民に大型マンション建設と商業ビルの建設を完成モデル付きで提示したこと)により、この雑木林の運命は大きく変わることとなりました。


 住民にとって、そして市民にとっても寝耳に水の話。ニュータウン開発以来、永山駅を利用する市民にとっては心安らぐ空間を創出してきた雑木林が失われてしまうかもしれない・・・・その危機感で多くの市民が行動しました。地元の永山ハイツ住民はもちろんのこと、環境問題に取組む市民を中心に「永山駅前雑木林を守る会」が発足しました。そして、7,000筆をを超える署名を集めて市議会には請願を提出し、一名を除く議員全員が請願に共感し採択をしました。
 「守る会」では、都市再生機構に直接足を運び、担当者と面会をし、そしてまた理事長宛てに要望書を提出したり、市議会でも請願の採択の結果をもとに、先般、都市再生機構に対して議長名での要請を行ないました。「守る会」のスローガン通り、「永山駅前雑木林は市民の宝」という認識で市民が、議会が動き、そして、市の代表者として市長が都市再生機構との交渉を進めた結果、今日にいたっているわけです。

 まさに、自治基本条例にあるように、市民、市議会、市長がそれぞれの持ち場で努力を尽くしたことが身を結んだと言えます。もちろん交渉役だった市長には重責があったかもしれませんが、それは立場上当然のことであり、何も特別なこととは言えません。
 むしろ欲を言えば、市民は都市再生機構の多摩ニュータウン建設に果たしてきた役割、そしてまた未来に果たすべき責任を追及し、「無償による譲受」を願っていたわけです。もちろん時価よりは相当値切ったのかもしれませんが、「2億1千万円」というのは大きな買い物でしょう。


 市長メッセージで余計なことまで述べる必要はないと思います。でも、この雑木林の問題を一体どう捉えているのか・・・・市長の視点が鮮明になったように感じます。なぜなら、市長メッセージのどこを読んでも、雑木林保全の経緯の中で市民がどんな行動をしていたのか、市長は市民という味方がいたからこそ、都市再生機構の開発計画を阻止できたはずです。しかし、そのことについては全く触れられていないのです。市長が掲げている「市民協働」や市民、市議会とともにプロセスを共有しながら進めるまちづくりとは一体どのようなことなのか・・・・この問題を大事に取り扱ってきた私にとっては何ともぽっかりした気分になってしまいました。残念・・・・市民は一体どこにいってしまったのでしょう。何も市議会のことまで言及して欲しいとは言いません。せめて市民の活躍ぶりが市長の眼にどう映っていたのかぐらいは採り上げてもいいのではないでしょうか。

 雑木林の保全に成功したのは市長だけの力ではありません。そのことだけは確認したいと思います。市民の力なければ、従来の方針通りに、開発がすすめられたに違いありません。これだけ大きな問題となり、保全せざるを得ない状況に追いこんだのは市民です。(市議会に請願を出し、市議会の共感をとりつけたのも市民の力があってこそだと思いませんか?)それを語らずして、この問題を語るのはいかがなものか・・・・疑問に思います。


 それから、今日は「週刊大衆」という雑誌(読んだことない)に掲載された記事が手に入ったのですが、ここでも多摩市・町田市選出国会議員のことが話題になり、それに関連して多摩市長のことが名指しでとり上げられていました。記事の内容の信憑性を問う必要はあると思いますが、なぜ、このような話題がまことしやかにでもささやかれているのか・・・・多摩市がとてもイメージダウンする内容です。市長選前だからなのか、きな臭いきな臭い・・・・。

投稿者 hisaka [その他]

2006年03月24日

小学校の卒業式

 北諏訪小学校の卒業式に出席しました。卒業生は84名ですが、地域内にある中学校に進学するのは47名です。学校選択制によって市内他地域の中学校に進学、そしてまた私立などへ進学する卒業生が約半数近くいることになります。
 特に、ここの地域は中学校が「諏訪中学校」なのですが、「学校の一定規模・適正配置」の議論においても小規模校とされており、平成21年度以降に見直しの議論が行われる対象地域になっています。話合いに十分時間をかけるらしく、最終的には平成25年度以降に学校の統合や学区の変更が行なわれる予定です。(もちろん、あくまでも予定。この地域に先だって見直しが行なわれる地域の話合いの行方によって時期は左右されそうですね。)
 学校の規模をどうするのかも大事な見直しの視点かもしれませんが、学校選択制の導入についてはどう評価しているのか、本当に導入したことの効果があったのかなかったのかも含めて、検証することが必要だと感じています。そういう意見は保護者の間にもあるようですが、例えば、北諏訪小学校の場合でも学校選択制を活用して諏訪中学校に進学しない生徒が18人います。基本的に選択肢が多様にあることはいいことだと感じていますが、学校選択制という制度にはそれほどの意義が見出せないというのは私の意見です。

 ところで、小学校の卒業式と中学校の入学式・・・議員になってから式に出席するようになり実感できることは、小学校6年生から中学校1年生へ・・・その間で子どもたちの表情が様変わりします。2週間ほどの時間ですが、その間の心境の変化について、私自身はどうだったのか全く思い出せない自分・・・節目節目を迎えた時の自分の気持ちが今の自分にどう活かされているのかな・・・・と考えた次第です。
 卒業式のお祝の言葉には「今の気持ちを大切にして・・・。」ということが言われますよね。

投稿者 hisaka [その他]

2006年03月23日

永山駅前雑木林・続報

 建設環境常任委員会が開催されました。その報告事項には「永山駅前雑木林」の件が含まれていました。説明資料から抜粋しますと・・・・

1 土地所在  東京都多摩市永山2丁目1番4
2 土地面積  10,769.64㎡
3 取得予定価格  2億1千万円(財源 緑化基金を予定)
4 覚書の交換  平成18年3月23日
5 今後のスケジュール
  (1)補正予算    平成18年6月議会
  (2)契約議決    平成18年6月議会
  (3)土地譲渡契約 平成18年7月
  (4)土地の引渡し 平成18年7月
6 条件
  (1)現状有姿による引渡しとする
  (2)譲渡代金は一括払いとする
  (3)多摩ニュータウン永山ハイツ住宅管理組合所有の屋外排水設備などによる当該地の占用を認める。
7 留意事項
  当該団地は建築基準法(昭和25年法律第201号)第86条の規定に基づく一団地認定(平成2年4月12日付認定番号20015号)の区域に含まれており、建築基準法上の日影規制等の規定においては、当該地を含む区域内の敷地を一の敷地とみなす特例の適用を受けていることを了承する


 というわけで、抜粋と言うよりは配布された資料には以上の情報が掲載されていました。(2)契約議決と言うのは、『議会の議決に付すべき契約及び財産の取得又は処分に関する条例』に基づくものです。
 
 それにしても、都市再生機構にが唐突に示した売却方針の浮上から、やっと現在にいたっているわけですが、「永山駅前雑木林を守る会」が求めてきたのは「あくまでも無償譲渡」ということ・・・・つまり、取得予定として2億1千万で折り合いをつけてしまった市長に対しては、あと一歩の交渉力を発揮して欲しいなあという率直な感想も聞こえています・・・・でも、もしかすると、これ以上は交渉の余地がないということかもしれませんね。少し残念。
 とは言え、雑木林が保全されつづけることには大きな喜びを感じます。(参考:12月議会での発言

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2006年03月20日

思わぬ休日?

 予算委員会も終わり、今日から常任委員会が順次開催されます。今日は総務常任委員会。市民にとってはかなり重要だと思われる「国民保護計画」関連の条例などが審議されました。生活者ネットワークは国民保護法に対して反対の姿勢なので、今回提案されている関連条例についても否決の立場です。
 
 ところで常任委員会では委員以外の議員には出席義務がありませんが、特に「国民保護計画」に関する委員会での議論を傍聴する予定でした。ところが・・・何と今朝、左眼のコンタクトレンズが割れていて、朝から「ガーン!」・・・でも、実は今日はやっと定例での朝遊説を日程に組み込むことできたので、そのことを理由にして遊説を中止することはできないと・・・と右眼だけにコンタクトレンズをはめて遊説をしていたところ、視野は狭まるし、景色の見え方も焦点が定まらずに、途中で気持ちが悪くなってしまいました。

 で・・・思わぬ休日?!委員会の傍聴予定を急遽変更し、コンタクトレンズをつくり出かけました。出来れば今日中に新しいコンタクトレンズが欲しかったので、新宿まで足を運んでしまいました。以前、多摩市内でコンタクトレンズを作った時には即日受渡しではなく、数日間の入荷待ちさせられたので在庫が多いと思われる都心まで出かける方がいいと判断したからでした。おかげさまで新しいコンタクトレンズを待ち時間なく、すぐに手に入れることができ、快適な一日を過ごすことが出来ました。
 ただ、本当は使い捨てコンタクトを購入したかったのですが、眼科で受診した結果「使い捨てコンタクトはやめたほうがいい(やめるべき)」と言われてしまい、従来通りのハードコンタクトをつくりなおしました。カラーコンタクトとかにしてみたり?・・・などと少し憧れてみたのですが、それも束の間の夢でした。

 私の当面の議会の予定は水曜日の厚生産業常任委員会、来週の代表者会議、あとは30日の最終日。抱えている大きな宿題は最終日の時の討論原稿です。市長選のことをちょっぴり意識し、この間4年間の市政運営を評価しながら、原稿を取りまとめる必要があるので、「ふりかえり」作業を進めているところです。

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2006年03月18日

地域人間へ

 多摩NPO協会が「会社人間から地域人間へ」というタイトルで主催した「定年後の地域活動入門講座」に参加しました。全部で約25名の参加者でしたが、なんと女性は私を含めて4名だけでした。男性参加者が圧倒的多数を占めた理由を考えてみましたが、「定年」という言葉は、どちらかというと女性よりも男性の方に実感持って受けとめられる傾向があるのではないでしょうか。
 聞くところによると、この講座への参加のきっかけは、つい先だっての朝日新聞(多摩版)の掲載記事を見たからという人が圧倒的多数で、たま広報での参加者募集の記事を見て申しこみをしてきた人はごくわずかだったそうです。参加者のほとんどは定年間近か定年して直後くらいの人だったので、・・・・つまり、現役世代で仕事をしている人のほとんどは市の広報を注意深くは読んでいないのだろうと思いました。(全く読んだことない人もいるはずです。)


 それはさておき、今日の講座に参加をして面白かったのは会社人間の感覚を垣間見たことです。
 ・・・・「時間厳守をしないのはけしからん。」という意見がありました。というのも、講座の内容が盛りだくさんだったこともあり、予定時間よりも少しオーバーしてしまったのですが、発言をした方にはどうやら終了後にもスケジュールがあったらしく、予定通りに終了しなかったことに憤っていたようです。確かにその気持ちはよくわかる…そう思いました。段取りよく進む会議とはまったく異なるのが市民の会議。得てして市民活動や市民の論議というのは時間厳守とは無縁の世界。私の経験からも「2時間」と決められて、その時間内にきっかり終了することは少なく、「何でそんなにも時間ばかりを費やすのかしら!?」と思うことも多々あります。
 でも、さまざまな価値観を持つ人間どうしが、それぞれの自己実現を求めて市民活動をするとすれば、議論には時間がかかるに決まっています。でも、その議論の過程など最終結論が出るまでのプロセスをいかに共有化するのかが大事なことです。「金稼ぎ」、利益を追求する企業での行動様式や常識(特に効率重視)があてはまらないのが「市民活動」の世界。そのことをいかに伝えるのかが大切なことだと感じました。


 また、講座では現在、地域活動をされている方々がそれぞれの経験談を話す場面がありました。活動のきっかけなど体験談を聞くことは面白いものです。やはり「肩書きを捨てる」ことが地域活動入門者の心得のひとつと強調された方いました。「会社人間時代の肩書きは地域には通用しません!」とキッパリ断言されていましたが、そのとおり、会社を退職して初めて地域活動に加わる時は「わかばマーク」の一年生なのです。「上司のような物言い」は一番嫌われます。

 
 さて、地域活動入門編としては、まず「オリジナルの名刺づくり」をしてはどうかと思います。社名も肩書きも入らない、つまりは社名も肩書きも捨てるということですが、「わたし」の名刺は地域活動でも必須アイテムのひとつに入れてもいいのではないかと思います。そこに「わたし」のどんな情報を入れるのかにも個性が表われます。名刺交換をきっかけに、生まれる会話、交流のはじまりがあるのではないかと感じています。

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2006年02月28日

明日から定例会です

 明日から3月議会。市長選前の定例会です。来年度予算の審議もあり、盛りだくさんの内容だと言えるでしょう。去年は当初予算が否決されました。今回の予算は骨格予算とは言え、かなり充実した内容になっています。ただの骨格予算であれば、議会で賛成を得るのも難しくないと思いますが、骨太骨格予算になっているために十分な議論を尽くさねばならないと感じています。

 選挙前、つまりは現市長の任期最後の議会です。市長が議会からの質問について、どのくら自分の言葉で答弁をするのかも見所だと思います。傍聴者の数も気になるところです。ぜひ、お時間のある方は議会におでかけください!(午前10時から開会します。)
 
 

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2006年02月26日

地域ふれあいフォーラム

 永山公民館で開催された第一回の地域ふれあいフォーラムに出かけました。さわやか福祉財団との共催で住友生命健康財団からも協賛をとりつけて開催されたイベントです。市民、行政職員も入った実行委員会により主催されたようでした。
 このフォーラムのキーワードの一つには‘団塊の世代’があったようで、2007年問題を意識した企画ないようになっていたように思います。多摩市だけではなく全国的にも「退職後の人生」をどうするのか・・・特に男性に問われているように思います。「会社から地域へ」をテーマにしたさまざまな取り組み、例えば「退職準備講座」のような企画も展開されているようです。

 ところで、今回のフォーラムで感じたこと。それは団塊の世代よりも一回りくらい年上の世代の方々が実行委員会の中心メンバーでもあり、参加者のほとんどは団塊の世代以上の方々ということ。やはり、一番ターゲットにしたい層の参加は少ないです。もちろん若い世代を含めてですが・・・。
 地域で活動する人の輪を広げて行くことは大きな課題ですが、このフォーラムに参加をして、改めてそのことを認識させられました。シンポジウムに参加していた方々の半分くらいは私も顔見知りの人だったので・・・(決して、私の顔が広いという意味ではありません。悪しからず)。
 でも、「男性参加者が多い!」というのは、うれしいことです。何せ、特にニュータウンの場合には、地域活動は女性が担ってきた・・・という歴史がありますので。とはいえ、昼間は「高齢者、子ども、女性しかいない」と言われてきた状況からはまだまだ抜け出せていない感じがします。
 やはり現役世代は忙しくて、地域のふれあいどころではないのでしょう。私も自分の友人たちの様子を見ていて、そしてまた両親のことを見ていてもそう思います。


 (以下、つぶやき)
 フォーラムでは「地域デビュー手引書」というのが配布されていました。中味については見やすいレイアウトなどこれからの工夫に期待したいと思うところもありますが、それはさておき、「これって、市長の鳴り物入り、市長直轄で進めている「市民活動情報センター」(4月にオープン予定)で初めて取り組むべき作業じゃないの?」と感じました。
 ・・・「市民活動情報センター」がなくとも、オープン前に完成してしまった「地域デビュー手引書」。個人的には当手引書を拝見し「改めて「市民活動情報センター」の必要性に疑問符がついてしまったのですが・・・・・。十分に今ある資源を活用していけば、新たな施設に投資をしなくても対応できるという証拠ででは?(ひとりごと)

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2006年02月24日

決定までに時間がかかる

 市民参加して、市民たちの議論の積み重ねで物事を決めるというのはとても時間がかかることです。それと同じように、生活者ネットワークでも議論が重視されるので一つの結論を導き出すまでにかなりの時間を要します。

 市民の方から「ネットは市長選どうするのか。」とか「岩永さんはどうするの?」と尋ねられるのですが、ネット内部での話合いが続いているのが現状です。今日も話合いがありましたが、明日、今年度の総会があるのでそこでも議題にし、「市長選への取り組み」に関する話合いをする予定です。

 1月に「市民フォーラム’06」が解散をしました。私は少なくとも、現職に対し新たな候補者を擁立し、善戦をするためにも党派を超えた連携体制が必要だと考えてきました。「市民フォーラム’06」の解散にも反対の立場を主張しましたが、残念ながら「解散」という方向になってしまいました。
 さて、その後、どうしていくのか・・・がネットの中でも議論になっていますが、さまざまな意見があり、なかなか一本化するのが難しい、結論を出すのが難しい状況があります。
 しかしながら、「市長選には取り組む」という方針(現職は応援しない)があるので、それに基づいた方向を目指すことになるとは思います。
 最終的な結論がどうなるのかわかりませんが、もうしばらくお時間をいただきたいなと思います。

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2006年02月22日

通告書の提出

 今日は一般質問の通告書のしめきりでした。順番を決めるのはクジです。一般質問の日は全部で5日間。3月1日~3日まで、そして土日を挟んで4、5日の日程です。できれば避けたいのは3日目。中だるみしがちだからです。結局、くじを引いたら「24」番。最終日に順番が回ってくることになりました。土日が挟まるので、気持ち的には余裕を感じてしまいます。

 ところで、午後からは来年度「予算書」を眺めていたのですが、思い出せば1年前の当初予算は否決されました。去年の審議の時、私は新規事業として計画されていた「市民活動情報センター」について疑問を持ち、意見を述べました。この情報センターが桜ヶ丘のヴィータ・コミューネにある「情報ライブラリー」のところで開設するというので、そうであるならば、「情報ライブラリー」との事業統合を考えた上で計画をすべきだと主張しました。
 
 当初予算の否決後に再提案された予算案では「市民活動情報センター」に関する経費が削除され可決しました。しかし、このあいだの12月定例会の補正予算では「情報ライブラリー」事業との整理がついたとし、改めて予算が計上されました。補正予算が可決されたので「市民活動情報センター」は4月オープンに向けて準備が進められている模様です。
 ところが、この段階へきて、もう一つの課題が浮上してきたのです。それは「多摩NPOセンター」と「市民活動情報センター」との関係性が十分に整理されていないことがわかったからです。昨日の全員協議会において、両者の役割とその関係性が一体どうなっていくのかを尋ねたのですが、納得のできる回答が得られませんでした。この両施設を活用して、どのように市民活動の支援を行なっていくのかが全く示されない中で、「市民活動情報センター」という新しいモノを立ち上げることは無駄な投資になりかねません。当初から、市長の思いつきで進められている事業ではないか・・・という風評もありましたが、ビジョンがないままに「市民活動情報センター」をオープンさせても意味がないでしょう。
 そもそも多摩NPOセンターに対するビジョンがないのか、市民活動情報センターに対するビジョンがないのかを明らかにする必要がありそうですが、いずれにしても両者がほとんど同質同内容の事業を展開しようとしている限り、税金の二重投資にしかならないと思います。それほど大きな金額ではないかもしれませんが、「経営感覚」に照らすならば、ナンセンスな投資になるでしょう。予算委員会ではこの問題を取りあげたいと思っています。
 特に、多摩NPOセンターは、「市民設立」という基本的なスタンスに忠実にたちかえり、再度市民とともに今後の方向性を議論すべきです。私自身はNPOセンターの存在意義を問い直すこともあっていいと思います。

 今回の予算は一応「骨格予算」だと言われているので、最低必要な経費のみの計上になっているとの説明です。しかしながら、その内容を見ているととても骨太な骨格予算であり、私のイメージする「骨格予算」とはずいぶんとかけ離れている(そもそも骨格予算とは何かって人それぞれの解釈で違ってくるのが実情で、定義がありませんので)・・・・というのが予算全体に対する私の評価です。

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2006年02月13日

頑張れ議会!

 「永山駅前雑木林を守る会」の会合も今日で9回目。毎回の出席者も固定化しつつあるものの、それでも10数名は参加しています。今は、議会で請願が採択された後の動向、市長と都市再生機構との交渉の行方を見守っています。

 都市再生機構は今年度末で多摩ニュータウン事業を収束させることが決まっており、できれば今年度中にケリをつけたいと考えているようです。おそらく市長も4月の市長選挙を控え、その前には決着をつけたいと思っているはずです。先日、市長から受けた説明では「雑木林を無償で譲受することは法的に不可能ということがわかった。」とのことでした。しかし、どういう意味で法的に不可能なのか・・・市長は「会計検査院とかの関係で・・・」と言っていましたが、その根拠がどこにあるのかがはっきりと示されたわけではありません。その時、あえて聞き返さなかったものの、何となく腑に落ちない感じがしていました。
 今日の会合でも、市長の「法的に不可能」との見解については、その詳細までしっかりと説明責任を果たしてもらいたいという意見が出ました。同感です。

 ところで、今日は議会に対する叱咤激励の声があがりました。議会として都市再生機構に何らかのアクションを起こして欲しいと言うことです。請願を採択したらそれで終わり・・・というのではなく、より有利な条件を獲得し、雑木林を市民の財産にするためには、市長のみならず議会としての行動も期待されるというのです。確かに市民の議会に対する期待感はあると思います。「議会にも行動してもらえるように、働きかけて行こう!」と市民たちはとても前向きです。正直、議会としての行動ができるのかどうか自信が持てない部分もありますが、市民からの働きかけに議長がどんな舵とりをするのかは注目です。
 
 「頑張れ議会!」というのは、実は議員にとって、議会にとって一番難しい課題ではないかと思う日々です。議員個々人へのエールにはそれなりに応えることはできるでしょう。しかし、「議会よ!」と言われたときには違います。個人ではどうにもならない力学が働き、思惑が絡みあい・・・・とてもとても難しいのです。「議会が頑張ってる!」「議会がよくやってる」と市民に感じてもらえるような働きを目指したいものです。

 
 「議会」がどうするのかは別として・・・・すでに私の中では、雑木林が市民の財産になり、その後も市民中心の保全活動が展開されるという・・・イメージはできあがりつつあります。それにしても小田急永山駅が工事により、とてもステキな駅舎になりつつありますが、唐木田行きのホームから雑木林への眺めはすばらしいです。春になり、芽吹く季節、花の季節が今から楽しみです。

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2006年02月07日

市民意見募集

 条例が施行されると当然ながら、行政はそれに忠実なる活動をするわけで、自治基本条例もずいぶんと定着してきたように感じます。
 特にパブリックコメント、いわゆる市民意見の募集によって、市民にも発言、参加できる機会が増えつつあると思います。でも・・・・寄せられる意見はそれほどの数にはならず、片手で数えられるくらい・・・という場合もあります。
 
 今回、第2次多摩市健康福祉推進プランの改定に際し、意見募集が行なわれていますが、ホームページを見たとしても、市民が意見募集に応じるのはなかなか大変だと思うのです。
 なぜなら、まずはダウンロードしなければならないページ数が下記のようになっています。
 
 総論/地域福祉計画/生活援護計画(原案)(PDF形式:1.5MB)  97ページ
 高齢者保健福祉計画(介護保険事業計画)(原案)(PDF形式:1MB)  82ページ
 障がい者基本計画(原案)(PDF形式:898KB) 78ページ
 保健・医療計画(原案)その1(PDF形式:638KB)  8ページ
 保健・医療計画(原案)その2(PDF形式:472KB)  6ページ
 保健・医療計画(原案)その3(PDF形式:2,980KB)  19ページ
 保健・医療計画(原案)その4(PDF形式:592KB)  8ページ
 保健・医療計画(原案)その5(PDF形式:1,961MB)  14ページ
 保健・医療計画(原案)その6(PDF形式:819KB)  28ページ
 ※実施要項(PDF形式:107KB)  2ページ
 
 関心のある各分野に限定したとしても、保健・医療計画も合計すれば83ページにものぼりますし、かなりのページ数に及びます。このページ数では、個人的に関心のある一部分を探し当てるにもかなり苦労するでしょう。
 まさかパソコンで画面を凝視し続けるわけにもいかないとなれば、プリントアウトすればいいわけですが、両面印刷や割付印刷するとしてもかなりの量・・・・そこまでしなければならないと考えると意見する気も失せてしまうように思います。
 最悪?プリントアウトしたとしても、内容をじっくり吟味するともなれば、これもまた大作業になり、かなりの時間を要するでしょう。

 さらに、ダウンロードできない環境にある人(パソコンを持たない人を含めて)に対し、閲覧場所が設けられています。今回は下記の場所が閲覧場所になっています。市役所地域福祉課・高齢福祉課、図書館本館行政・郷土資料コーナー、市内各図書館、永山・関戸各公民館、総合福祉センタ-、健康センター、多摩センター駅出張所、総合体育館、市内各コミュニティセンタ-。
 でも、閲覧場所に行ったとしても、かなりのページ数にのぼる計画をその場で手に取り、時間をかけて読むことのできる人ってどのくらいいるのでしょう。

 ところで、市民意見の募集はどんな人を対象に行なっているのでしょうか。もちろん対象は全市民に違いありませんが、多くの市民は‘とても忙しい’ので正直、これだけの計画にゆっくり目を通すことはかなりの困難だと想像できます。その意味では、パブリックコメントをする際の工夫が必要だと思います。例えば、最も市民に意見の欲しい箇所をいくつか絞りこみ、それもあわせて提示するとか。
 せっかく意見を募集するわけなので、市民が意見を出しやすい環境づくりをすることが必要ではないかと思います。また、当事者の声を集めるための工夫、今回の場合には「障がい者基本計画」が含まれていますが、計画策定に直接携わっていない障害者の方々にも意見を聞くような工夫はされているのか等、意見募集の手法はまだまだ発展途上の段階です。
 もちろん計画などが原案の段階で示され、市民の意見を募集しようという手順そのものは、数年前よりも前進したやり方ですが、「意見下さい」という待ちの姿勢で臨むだけでは市民参画のクオリティーは向上しないのです。「市民意見募集」が単なる事務手続きの一つで、機械的に行なわれるだけ・・・・という状況にならぬよう見守っていかねばと思っています。

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2006年02月06日

「無所属」が好まれる時代

 大学院の集中講義で、「自治体首長」の選挙のことが話題になりました。

 話題提供に使用したのは「政党の推薦や支持を全く受けずに当選した首長」というデータです。データは少し古く2000年当時のものでしたが、とりわけ市区においては、「無所属」、政党の推薦や支持をまったく受けない人が増えており、2000年では調査対象の694自治体の中で199人(28.5%)は「無所属」という結果になっています。ちなみに、現在はますますそれよりも「無所属」が増えており、その割合が約40%くらいにまで達するという話です。この調査はとても面白いのですが、「無所属」人気という有権者の好みを如実に示しているのです。

 でも、「無所属」を名乗っていても実際にはどうなんでしょうか。私は「仮面無所属」という場合も多いのではないかと感じます。有権者には表面的には「無所属」を名乗っていても、実際にはそうではない場合もあると思うのです。例えばそれは選挙の際に応援している議員の顔ぶれなどから明らかになる場合もあるでしょう。応援している議員の「所属」というのがある時には、やはり純粋無所属とは言えない気もします。そういう意味では、「無所属」というのは有権者にとっては難解な肩書きではないかと感じます。つまり、有権者が期待している「無所属」の中味と現実の「無所属」には齟齬があるのではないかと言うことです。

 とはいえ、「無所属」嗜好が広がっているため、政党支持などを受けていたとしても、あえて「政党名」を名乗らないという選挙戦略をとる候補者は増えています。本当は支持を受けているのと全く同じ状態で選挙を戦っていたとしても、あえて政党名を出さないと言う場合もあるようです。その場合には何となく「だましうち」とか「まやかし」みたいな気がしないわけでもありませんが、それほどに「無所属」がブランド化していると言えるでしょう。
 多摩市でも4月に市長選挙がありますが、現市長を含めて候補者それぞれがどういう戦いをするのでしょうか。「無所属」という言葉だけで判断をしないことも有権者にとって必要な視点かもしれません。

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2006年02月05日

復活!

 やっと風邪ウイルスが退散してくれたようです。2日間ほどじっくりと静養しました。外を出歩かなかった分、本や雑誌などに目を通す時間がゆっくり持てました。改定される健康福祉推進プランの原案も読むことができました。ついでに図書館から借りてきた元ライブドア社長の「稼ぐが勝ち」と「儲け方入門」も読んでみようと手に取りましたが、両方とも3分の1くらいまで読んで読む気が失せてしまったのでやめました。

 今日は朝からネットの会議、その後、3月議会の一般質問づくりに取組んでいる「政策ゼミ」メンバーとのミーティングをし、午後は民主党の新春の集いに参加しました。
 3月議会の一般質問はテーマが「ニュータウンの地域商店街活性化」ですが、具体的にどんな提案ができるのか、かなり頭を悩ませています。まずは、現市長が就任1年目に完成した立派な「多摩市商業活性化計画」の進捗状況が気になるところです。この計画により、地域商店街はどのくらい蘇る道筋を見つけることができたのか、一つの目安になると思います。今のままの状況を良しとする人はいないと思いますし、ニュータウンの大きな課題の一つだと感じる人も多いはずです。でも、この問題を議会でとりあげ、発言する議員は少ないです。そのことは、この課題がいかに困難であるかを物語っていると感じます。最終的にどのような提案にまとめあげるのか、メンバーで知恵を出し合い中ですが簡単ではないなあと手強さを実感しているところです。

 ところで、「ご意見募集中」の掲示板ですが、当分の間クローズしなければなりません。というのも、いたずらな書き込みが増えていて対応に苦慮しているからです。あまりにも掲示板が荒らされています。悪質な書き込みがあった場合、それに即対応し削除したりすることができない・・・という事情があります。しばらく様子をみていきたいと考えていますので、よろしくお願いいたします。

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2006年02月01日

「ほうれんそう38号」の訂正;お詫び

 先月号のほうれんそう(38号)の記事に不正確な記載をしてしまったので訂正してお詫び申し上げます。読者のみなさまはもちろんのこと、関係者のみなさまにお詫び申し上げます。
 先月号は「家庭系ごみの有料化」問題をとりあげましたが、有料化の賛否だけではなく、議会において議論されたその他の問題点を記載しています。そのなかで「その他プラスチックのリサイクルについて中間処理をどうするのか中長期的な展望が示されていない」ことを指摘したのですが、『中間処理』という用語に対し「最終処理の前に廃プラスチックを減容化・安定化・無害化するために、破砕や焼却、物理的変化を加える」を付してしまいました。
 実は間違いであることが判明しました。正しくは、自治体で資源化のために行なうべき中間処理とは『廃プラスチック容器包装の選別(異物を取り除く)と圧縮梱包(ベールという1㍍四方の塊にする)』することです。

 多摩市ではまず、回収した廃プラスチックをエコプラザに運びこみ、一定の大きさに結束をします。その後、結束された廃プラスチックは民間事業者に引渡されます。民間事業者は結束された廃プラスチックをバラし、中間処理「廃プラスチック容器包装の選別(異物を取り除く)と圧縮梱包(ベールという1㍍四方の塊にする」を行います。中間処理が行なわれた後の廃プラスチックは再びエコプラザに運びこまれ保管され、最終的にリサイクル協会に渡すという流れになります。これは当面の措置であり暫定的な対応だとの説明でしたが、民間事業者に引渡し、再び引取るというのは非効率な手法であり、効率よく最小限の経費で対応できるようにしていきたいという話でした。

 いずれにしても「中間処理」の用語の説明が異なっていたことで、間違った認識を広めてしまう結果となりました。今月号の「ほうれんそう」でも訂正記事を掲載する予定ですが、この場をお借りして、お詫びいたしたいと思います。

 また、中間処理というと一般的には「環境汚染」というイメージがありますが、『廃プラスチック容器包装の選別・圧縮梱包』という自治体で行なう中間処理は健康被害が起こるようなものではないと報告されているようです。そのことも踏まえて、多摩市で今後どうして行くのか展望を描き、市民への理解を求めていくことが必要でしょう。

 ある本の中で「リサイクルを熱心に行うことにより「廃棄物等」を「循環資源」として利用することを免罪符にして、相も変わらず大量生産・大量消費が続けられることになっている」という嘆きが述べられていました。やはり最も大事なことは、市民一人ひとりがどうごみを減らすことが出来るのか、ライフスタイルの見直しも含めて、日々の工夫と心がけだと感じます。ごみの発生抑制を促進するために行政は粘り強いPRと啓発活動を続けなければいけないでしょう。これも大事な仕事だと思います。 

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2006年01月27日

障害者とともに生きる

 多摩養護学校の創立20周年記念式典に出席しました。小学部から高等部までの生徒のみなさんと保護者、そして多数の来賓を迎えて盛況に行なわれました。
 特別支援教育体制の確立と養護学校の再編、そして養護学校にも経営が求められる時代です。多摩養護学校は重度の肢体不自由を抱える子どもたちが通学しています。ほぼマンツーマンで子どもたちの学びの場を支える教職員の方々、その存在により、子どもたちの学ぶ権利が保障されてきました。
 養護学校に求められている学校経営とは一体どんなことであるのか・・・十分に情報を把握しているわけではありませんが、東京都の方針を確認しておきたいと思った次第です。

 明後日、「障害者自立支援法」についての学習会があります。この法律は本当に障害のある人ない人の「地域共生」を実現できる筋道をつけてくれるのだろうか・・・不安要素が多い法律になっている気がしています。当然ながら、この法律をベースしつつ、多摩市の障害者施策も展開されます。東京都では「障害者地域生活支援・就労促進3ヵ年プラン」というのが策定されています。障害者自立支援法の資料では障害保健福祉施策の直面する課題として「障害者が地域で普通に暮せるための基盤が十分整備されていない」としています。地域で‘普通に’暮らすってどういうことなんだろうと疑問はさておき・・・・多摩市では今年度予算の否決の大きな理由に西永山中学校跡地を活用した知的障害者通所施設の問題がありましたが、この問題も先送りされたままです。結局、否決されて以降、行政の取組み状況がどうなっているのか見えないのが現状です。あれほど切羽詰った問題だと説明されてきた割には、その後の動きが静かすぎます。あの時の市長の意気込み、障害者施策に対する思いはどこへ行ってしまったのでしょうか。

 「障害者と共に生きる」。そこには理想があり、そして現実があります。その理想と現実をどうつなぐのか、そこに果たすべき政治の役割、税の使い道に決定権を持つ議会の責任、議員の責任の重さをひしひしと感じながら、創立記念式典をあとにしました。


 【「障害者自立支援法」学習会のご案内】

『地域でともに暮すために~障害者自立支援法成立後の課題~』
日時:2006年1月29日 15時から
場所:たままち交流館
講師:石毛えい子さん(福祉の専門家・前衆議院議員)
問合せ:376-5758(生活者の会)

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2006年01月26日

活動拠点は必要だけど・・・・

 昨日の活動報告の訂正から。
 明日の「雑木林を守る会」の上映会ですが、こちらは守る会の活動記録ビデオ。そして「アースビジョン多摩」で上映されるスライドは「なな山緑地」という雑木林の市民による保全活動の紹介なども含めた内容とのことで、全く別物であるとのご指摘をいただきました。会議に出ておきながら、すっかり勘違いをしてしまったのでお詫びいたします。

 今日はネットの会議で先般示された「予算原案」のことが話題になったのですが、コミュニティセンターの必要性について、かなり議論がわかれました。私は「建設しない」派ですが、市民の活動拠点を多様につくるという立場からは、唐木田地域や和田地域にもコミュニティセンターがあってもいいだろうと考える「建設容認」派。もちろん、無いよりはあった方がいいのかもしれません。しかし、建設すると言うことはその後の維持管理経費などを含めて考えていくべきです。将来世代の負担のことをさておき、現時点での必要性だけで安易に判断することはできません。コミュニティセンターがある地域とない地域の「格差」を問題にする人もいるようですが、「だから全ての地域にコミュニティセンターをつくる」という結論にはならないというのが私の考えです。
 ところで、現在、第4次総合計画の後期計画についてパブリックコメントを募集中ですが、ここに示される予定の財政フレームの中でも今後5年間の「維持補修費」は2億円ほどしかありません。それにも関わらず、ハコモノを増やす方向には納得し難いものがあります。
  市民の活動拠点は確かに必要かもしれません。そういう要望も強いことは確かです。でも、活動をする「場所」ということだけを考えると、例えば、学校跡地施設や学校の空き教室などもあるわけです。今日は、コミュニティセンターにはそれなりの役割があるという意見もありましたが、「それなりの役割」しかないのであれば急いで建設する必要性がないと考えてもよさそうです。
 それにしてもコミュニティセンターのことで言うならば、和田地域には既に建設のために取得している用地があります。その用地を遊ばせたまま、唐木田地域の土地取得をするという順番もいささか疑問です。

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2006年01月23日

学校が多すぎる

 行財政改革の中で「効率」を求めるのは当然のことかもしれません。でも「効率」一辺倒で行財政運営を考えるだけで、何が無駄であったのかを適切に検証しているのか疑問を感じる今日この頃です。

 昨日は午前中、竜ヶ峰小学校で行なわれた「学校の一定規模及び適正配置等に関する審議会」主催の地域懇談会に参加しました。昨年、既に決定済みの「多摩市立小・中学校の一定規模及び適正配置等の基本方針」では「竜ヶ峰小学校・多摩第二小学校」「豊ヶ丘中学校・貝取中学校」が見直しの最優先校とされています。この方針に基づいた取組みが着々と進められています。

 そもそも全国的に見ても、少子高齢化社会において、既存の学校をそのまま維持し続けること自体に無理と考えるのは当然のことでしょう。それは公立学校だけではなく私立学校においても同様です。何と言っても通学生の確保が課題だからです。子どもの絶対数が少ないわけですから、学校が供給過剰状態におかれるのは仕方がない事です。


 「そんな中で公立小・中学校をどうしていくのか」について財政的な観点からも大きな課題になっていることは確かです。児童数の多い少ないに関わらず、ひとつの学校を管理するために一定の経費はかかります。その流れの中で、多摩市でも示されたのが「一定規模及び適正配置」という考え方だと思っていました。しかしながら、昨日の説明では財政的な問題以上に「教育的な効果」という観点から適正規模の確保が必要との認識が繰り返し強調されており、どうやら多摩市では財政問題とは切り離したところで、学校の再配置問題が検討されていることが明らかになりました。(本当にそうなのか疑問に思う点もありますが)
 特に「児童生徒の発達に必要な集団活動が十分にできない」ということ、そして「クラス替えができない」「中学校では教科担任を専任でおけない」「子どもたちの希望する部活動ができない」というデメリットの克服が必要であるということが説明されました。

 これに対し、地域懇談会の参加者からは「一般的な問題や課題はわかるけれど、特に現在の竜ヶ峰小学校で起こっていることは何か」ということ、「大規模校のデメリットは語られていない」という指摘などもありました。現在の竜ヶ峰小学校の一人ひとりの子どもに行き届いた指導などが却って学校の特色にもなり、大きな特徴になっていること、そのことが学校の魅力になってるとの意見もありました。学校選択制を利用して、わざわざ竜ヶ峰小学校に通学している児童もいるようです。
 
 財政問題を理由にしないのであれば殊更に「教育的」な観点から市民にも納得を得られる説明がされるべきでしたが、昨日の懇談会では残念ながらそのような状況にはなりませんでした。
 もともと私自身は審議会が主催する地域懇談会だと思って参加をしたのですが、内容的には「一定規模及び適正配置」の市の方針の説明会であり、説明者も参加者からの質問にも答えていたのは行政職員。おまけに、その説明や回答がまるで議会における行政答弁そのままの様子。質問にもはぐらかすような回答ばかりで、参加者の間には不満の声が広がっていました。

 「教育的な効果」を期待しているわりには、それ相応の教育ビジョンが語ることができず、ただ一貫して「統廃合は決して財政的な問題からではない。」と主張している説明する職員に同情してしまいました。逆に言うと、教育ビジョンが語られないことで、そもそもこの話自体が行財政を問題した効率的な行政経営の中で浮上してきた話に過ぎないことが明らかになったようにも感じました。
 


 教育のことを「効率」だけで考えてもいい問題なのかという意見が出されましたが、私もそれには全くの同感でした。現状で非常に素晴らしい教育内容が存在しているのに、財政的な理由でそれを無くしていくという方向が本当に多摩市のとるべき選択肢なのだろうか・・・・そう感じざるを得ませんでした。確かに学校は多すぎるかもしれない。でもその多すぎる学校を多摩市として、どう活用していきたいのか。まず市民にも共感の得られるような教育ビジョンを先に出すべきだろうと感じています。
 教育長は、市長は・・・・子育て・子育ち環境の充実の中で学校の問題をどう考え、今後どうしていきたいのでしょうか。色々な選択肢があることが大事なことだと感じています。小規模校があってもいいし、必要かもしれない・・・という視点もありかなと思います。

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2006年01月11日

自治労の旗びらきで

 多摩市役所内には2つの労働組合がありますが、いつも案内をいただく自治労の旗びらきに出席しました。来賓として多摩市の関係者としては、議員は4名が出席していましたが、理事者側として助役、総務部長、人事課長らも出席をしていました。
  
 さて、「言いたいことが言い合える」という雰囲気がなければ、いい仕事ができないと思っています。無理矢理笑顔をつくり仕事をするのは辛いことです。もちろん、価値観の違いからくる相違はあって当然で、そこは認め合うべきですが、しかし「いい仕事」につなげていくためには、年齢立場は関係なく、議論しあうことは大事な要素のひとつです。疑問を持ったまま仕事をすることはとてもストレスになるからです。そしてやる気の低下にもつながります。「自分はこう考える」ということを主張できる場所が必要不可欠だと感じてます。そして、自分を認めてもらうこともあれば、相手を認めることもある・・・という関係性を築き、よりよいチームワークができることが理想です。
 
 そういう意味で、労働組合の交渉はよりよいチーム(市役所)をどうやってつくっていくのかを考える場だと感じています。今日は、交渉の場とはまた一味違う旗びらきという場所で、おそらく交渉の時よりも緊張感が少ないように思うわけですが、このような場を生かし、理事者側が組合員の中に入っていき、会話をしているかと言えば…乾杯の後、しばらくし、助役の姿が見えなくなったと思い探したところ、いくつか設けられた他のテーブルを梯子して、組合員の方々をねぎらいに歩き回っていたようです。
 しかし、これにより、どのくらいの効果があったのかはは正直疑問。もちろんこれは私の勝手な感じ方でしたが・・・・。

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2006年01月10日

多摩焼展

 「たま・まち交流館」での多摩焼の作品展を見に行きました。主催している「やきもの世代交流会」のメンバーの方々による多摩の土100%で作成した縄文土器の数々、そして埋蔵文化センターからは本物の土器の出展があり、会場はにぎやかに飾られていました。
 「多摩の土100%」ということですが、これはニュータウンを開発したときに丘陵地を切り崩すなどの際、発生したものです。これに着目した「やきもの世代交流会」のメンバーの方が都市再生機構に協議をし、引きとることに成功しました。現在、その土は廃校になった南永山小学校の跡地で確保されているそうで、その量は約10トンだそうです。

 作品展の来場者には多摩焼の小さなぐいのみ、もしくはペンダントのプレゼントがありました。その作品もまたとても趣きがあり、来場者には喜ばれたようですが、実は・・・会では、これら多摩の土による小さな作品などを多摩市の名産にできないものか・・・・という可能性を探っているとの話です。ぜひ、私はこの取組みを支援していきたいなと思いましたが、「約10トンというのはどのくらいの寿命があるんでしょう?」と思わず尋ねてしまいました。(回答はありませんでしたが)

 残念ながら、作品展は今日で終わりです。ちなみに私は多摩焼のペンダントをいただきました。「そのペンダントをもらった人は多摩焼を宣伝する義務があります!」と冗談混じりに言われたのですが、「多摩焼」を広めていきたいと思うので、さまざまな機会を捉えて紹介したいなと思っています。
 

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2006年01月06日

「チャレンジプログラム」

 年明け初めての「市民フォーラム'06」でした。市長選に向けて、数回に渡って政策に関する話合いをしています。私はここ数回、参加していなかったのですが、今日は最後のテーマの「福祉・医療」について意見交換しました。福祉や医療とはいえ、子育て、高齢者、障害者、地域福祉など、範囲がとても広く、議論を尽くすだけ尽くした・・・と思えるまでには至らないのが正直なところです。けれども建設的な意見が出たように感じます。

 ところで、私は最近、人それぞれの「チャレンジプログラム」をつくることができ、そしてそのサポートできる体制があればいいなと思っています。
 今日の意見交換の中でも「勝ち組負け組」という言葉が出ました。「負け組の人がやり直しができるように」という発想での意見でした。でも私は、いわゆる「勝ち組」とか「負け組」というのは、誰かの尺度によるものでしかなく、私にとっては、あまり意味のある区分けではないと考えています。何となく、相変わらず20世紀にもてはやされたお金、地位、名誉みたいなものが尺度になっているとしか感じられず、使いたくない言葉です。私は「負け組をどうするのか」という議論の仕方は好きではありません。そもそも何が負けで勝ちなのかがよくわかりません。

 私は、自分が自分の生き方を「肯定」することができれば、私はそれで十分だと思っています。そこで、私が思うことは「チャレンジプログラム」。私だけの主観に過ぎないかもしれませんが、「チャレンジできる」環境があることはとても幸せなことだと思っています。もちろん、無理難題を押しつけると言うわけではありません。自分なりにたてた目標を少しずつクリアしていく、徐々に目標値を高くしていけるような、ステップアップもしていけるような環境があると楽しいように感じます。
 そのために「チャレンジプログラム」をつくります。高齢者、障害者、若者、子どもたち、女性、そして男性・・・いろいろな立場にいながら、それぞれの人が「チャレンジプログラム」をたてられるような環境整備という視点から、現状を分析し、政策立案へと結びつけていったらどうかと思っています。
 これからの時代は、従来よりもさらに‘キツク’個人の「自立」、誰もが自立して暮らし、生きていくことが求められる時代です。変な言い方かもしれませんが、サバイバルレースなのです。レースと言えば、誰かと競争するという図がイメージされますが、自分一人のレースという意味です。誰もが、いつでも、どこからでも、自分のために組み立てることができる「チャレンジプログラム」というのが最近のキーワードの一つです。

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2006年01月05日

「子育て」の話題

 こんな記事を見つけました。ぜひ、多摩市に誘致してみたらどうかな・・・と思いました。

<子育てコンビニ>働く女性に託児所併設 ローソン今春にも
 ローソンは4日、働く女性のために託児所を併設した24時間営業の「子育てコンビニ」を早ければ今春にも都内に開業することを明らかにした。託児所併設のコンビニは初めて。新浪剛史社長が毎日新聞のインタビューで明らかにした。
 従来のコンビニの1.5倍程度の広さの60~70平方メートルの候補地を検討している。企業の託児所は認可外保育施設にあたるため、児童福祉法で都道府県に届け出が必要で、規模に応じて保育士か看護師を配置する。ローソンではパートタイムでの採用の方向で調整中だ。
 新浪社長は「できれば託児所は無料にしたい。店内はお母さんがベビーカーをひいても回れるくらいの広さをもたせたい。1号店は子どもの多い住宅街を考えている」と話した。オフィスビルへの出店も検討する。
 店では、幼児用ミルクやおむつの種類を豊富にする。母親が子どもを預け、その店で働ける環境も考えているという。新浪社長は「女性が社会で働ける環境作りが必要。長い目でみれば、そういう企業が社会で受け入れられていく」という。
 コンビニ業界は、40代ぐらいまでの男性利用者を中心にしたこれまでの店づくりが飽和状態にあり、最近では女性向けの商品や高級な輸入商品を扱うなどさまざまな業態のコンビニが現れている。【小原綾子】 (毎日新聞) - 1月5日9時6分更新

 ところで、元日に発行した読売新聞の朝刊に「幼稚園から義務教育、延長幅1~2年…政府・与党方針」なんて記事が掲載されていて、すでにその政府はその方針を固めたようになっていましたが、一体どうなるのでしょうか。
 思い出すのは多摩市唯一の公立幼稚園廃止問題。考えてみるとつい最近の出来事です。
 実は、多摩市立幼稚園を廃園にするかどうかの議論の中では「幼少一貫教育」という発想もあったわけですが、市長が交替した際にその計画も全て白紙に逆戻り。それを応援したのはもちろん国で言うところの与党に属する人たち。それにも関わらず、ここへ来て「幼少一貫」という発想が国で浮上するとは・・・・。もし公立幼稚園が存続する流れなら、今回国が示した方針についても、とてもスムーズな対応ができたようにも思いますが。(もちろん国もまだ最終的な決定をしていないので、まだどうなるのかはわからないと言えますが。)
 それよりなにより・・・保育所利用者としては、保育園児はどうするのかが気がかりなところ。新聞報道からはその部分についてまで読み取れなかったので、情報集めをしなければなりません。 

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2005年12月23日

小橋のその後・・・

 昨日は議会が終了し、少々気が抜けてしまいました。でも、昨日は久しぶりに都議会、市議会の情報交換があり、都議会の動向を聞くことが出来ました。それにしても都議会は市民にとって最も遠い存在です。市議会ほど身近ではなく、国会のようにメディアで採り上げられるわけでなく・・・でも都知事については何かと話題になりますが・・・。


 さて、9月議会の補正予算の際、私たちの会派が修正案を出した「落合小橋」について。今日も電車の中から乞田川沿いを見たのですが、「親水化?」工事が始まっているようで工事のフェンスが見えました。聞くところによると、小橋の設置位置に対しては、近隣住民より苦情が寄せられたのこと。そのために設置位置の変更が検討されている模様です。
 さらに・・・ちょうど多摩センター駅から永山駅方向の乞田川沿いと言えば「桜」です。春になると、本当に遊歩道としては素晴らしい桜並木があり、たくさんの人が桜を楽しんでいる場所です。ところが、小橋設置のために桜が8本も伐採される計画が提示されています。当り前のことですが、桜を失いたくない都思う市民は多いことでしょう。その思いを持った市民グループがランドスケープの専門家とともに、桜を伐採しなくても小橋を設置することが可能という設計図を描き、行政に提案をしたそうです。しかしながら・・・・行政側は頑なな姿勢であり、「桜の伐採は本当は12本だったけれど、8本にとどめた。」と説明をしたようです。
 さらに、桜の伐採については、市民からの苦情が来ることは想定し、既に覚悟済みとか。そのために伐採時期も今年のお花見が終わる時期に設定した(予定していること)と明らかにしたそうです。

 市議会が予算を可決するということが行政に与えてしまうお墨付きを痛感しています。実際に、桜が伐採されて苦情が届けられる先は「行政」になるわけですが、市議会も同罪です。小橋をつけることを桜の伐採よりも優先していいと判断したわけですから・・・・。桜の伐採の有無に関しては、補正予算の審議の時にも質疑がありました。つまり、市議会としても未確認事項とは言えないのです。なぜなら、答弁の中で、桜が犠牲になることは明らかにされていたからです。修正案を可決することができなかったのは本当に残念です。その力不足には苦々しい限りです。

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2005年12月16日

引き続き・・・ひとこと

 代表者会議。昨日に聞いていたように、「議会への市民参加をどうするのか。」が議題になりましたが、正式な議題名は「多摩市議会において議員提出による条例案審査におけるパブリックコメントの手法について」でした。でも、実際には「パブリックコメント」だけの問題ではないわけです。年期入った議員からも「自治基本条例における議会に関する事項は極めてあいまいで、議会基本条例みたいなものが必要になっているのではないか。」という意見が出されました。それには同感。

 議長からは私が昨日の活動報告に書いていたように「特別委員会とは言わなくても、各会派から一人ずつ出てもらって別のプロジェクトか何かの場で議論してもらうのもいいけれど。」という提案がありました。自治基本条例を意識しながら、議会が今後どういう取り組みをしていくのか、そのことをルール化するのか、そして議長の提案があったような「別の場」を設けるのかどうかも含めて、最終的な議会としての取り組み方針を決定するのは先送りされました。
 なんと先送りされてしまうと、次の代表者会議は来年3月議会内での開催となってしまいます。そこで、来週の12月定例会最終日の昼休み、再度、代表者会議を開催し、結論を出すことになりました。

 今の議会のメンバーで自治基本条例を制定したことを考えると、このメンバーの任期中に「議会基本条例」のようなものが制定できたらいいなあと思います。もちろんその際には、新しい試みとして市民参加手法をとり入れるのも画期的だと思います。

 ところで、各地域で制定された自治基本条例で、特に議会の規定を比較してみると伊賀市の自治基本条例には「議会の情報共有と市民参加」というのがあります。

(議会の情報共有と市民参加)
第40条 市議会は、議会が有する情報を公開するとともに、全ての会議を原則として公開 とし、立法過程から市民と情報を共有するよう努めなければならない。
2 前項に関することは、別に定める。
3 市議会は、議会活動に関する情報を市民に分かりやすく説明する責任を有し、情報提供の充実に努めなければならない。
4 市議会は、会期外においても市政への市民の意思の反映を図るため、市の施策の検討、調査等の活動をし、市民との対話の機会を設けなければならない。
5 市議会は、議会の会議に出席を求めた者を協議に加えることができる。
6 市議会は、市民からの請願等に関して、その趣旨や意見を表明する機会を設けなければならない。

また、四日市市、ここは初めて「‘市民自治’基本条例」という名称が使われているところですが、ここでは「議長の責務」が規定されています。言うまでのないことだと感じるかもしれませんが、その当たり前のことを改めて制定する意味は大きいのではないでしょうか。下記のようになっています。
(議長の責務)
第12条 市議会の議長(以下「議長」といいます。)は、誠実かつ公正な職務遂行に努めるとともに、効果的かつ効率的な議会運営を図るよう努めるものとします。
2 議長は、市議会の事務局職員を適切に指揮監督するとともに、市議会の事務局職員の知識と能力の向上を図るよう努めるものとします。

 多摩市の場合の定めは以下のとおりです。

第4節 市議会の役割
 (市議会の設置)
第8条 住民の直接選挙による議員で構成された、市の意思決定機関として市議会を設置します。
 (市議会の権限)
第9条 市議会は、市の重要事項を議決する権限並びに市の執行機関に対し、監視及びけん制する権限を有します。
2 市議会は、法令の定めるところにより、条例の制定改廃、予算、決算の認定等を議決する権限並びに執行機関に関する検査及び監査の請求等の権限並びに市政に関する調査及び国又は関係機関に意見書を提出する等の権限を有します。
 (市議会の責務)
第10条 市議会は、その権限を行使することにより、私たちのまちの自治の発展及び市民の福祉の向上に努めなければなりません。
2 市議会は、情報を公開し、市民に開かれた議会運営に努めなければなりません。
 (市議会議員の責務)
第11条 市議会議員は、市民の代表者としての品位と名誉を保持し、常に市民全体の利益を行動の指針とします。
2 市議会議員は、市議会の責務を遂行するため、自己研鑽に努めなければなりません。

 これは、ほとんど地方自治法のとおりなので、そういう意味で何の特徴もない規定と言えるでしょう。そして、多摩市の自治基本条例においても、「参画・協働」の仕組みは一定ルール化されています。・・・が、それは「市の執行機関」に対する参画や協働であり、議会に対する参画・協働のルールにはなってないのです。(実は、ここは私は条例制定以来ずっと気になっていたこと。)つまり、いち早く「議会基本条例」に類するものを制定する必要があるのです。
 来週の最終日に、議会としての取組みが一歩進むことを願っています。

 

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2005年12月15日

ひとこと

 今日は傍聴はしませんでしたが、文教常任委員会がありました。パルテノン多摩の指定管理者の指定について等、審査は滞りなく終わったようです。昨日の「ごみの有料化他」の条例が審査未了になったことで、今朝の朝刊にも「事実上の廃案」という記事が掲載されていました。この記事(朝日新聞ですが)に載っていないことですが、あわせて「ごみの有料化に反対」を趣旨とした陳情は賛成多数で「採択」されている事実も見逃すことが出来ないと思います。改めて、議会最終日の本会議において陳情に対する「採択・不採択」が決まります。陳情についても議会の決定は、最終日に議題にならなかった条例の可否と同等の意味を持つと考えられます。

 ところで、私は今日は大学時代よりお世話になっている先生の授業に招かれ、「自治基本条例をめぐる住民・議会・行政」というテーマでの話をしてきました。自治基本条例に対してはいろいろと思うところがあります。特に、「条例が出来てから議会はどう変ったか」を考えてみると「暗澹たる思い」というのが今の私の心境にはぴったり。
 ちょうど明日の代表者会議では「議会への市民参加」ということが議題になると聞いているので、それについては前向きに考えたいと思っていますが、懸念事項としては代表者会議は非公式会議で議事録は残らないということです。そもそも、代表者会議という存在そのものが自治基本条例の精神に反するようにも感じるのは私だけでしょうか。「議会への市民参加」ということについては、私は代表者会議ではなく「議会運営委員会」にて、もしくは議会内に別のプロジェクトでも立ち上げて議論すべき事項だと感じます。議会で議論した形跡をしっかり残すべきだと思うからです。

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2005年11月25日

12月定例会前

 12月議会の一週間前になり、一般質問の通告書が出揃いました。今回は体調不良のために2名の議員が通告書を出さなかったので23名が質問に立ちます。ちなみに私は最終日なので、何となくまだ余裕があります。一般質問のテーマは最終的に「発達障害者支援法の成立と特別支援教育の実施について」としました。今回の質問では「多摩市にある社会資源を最大限生かす方法」を考えてみたいと思っています。
 今日は多摩ネットで議会前の打ち合わせをしました。提案される議案の確認や補正予算の内容等をみながら、対応(賛成するのか反対するのか)を考えるのですが、一番大きな問題としては「ごみの有料化」に対することです。これについては、出張説明会をしてもらったり、担当者とも機会があるたびに意見交換をしていますが、まだネット内部としての議論も十分深まっておらず、賛否両論をどうやって調整するのかが課題です。大きな流れとしては有料化の方向はやむを得ないとは思いつつも、でも、有料化をする前にすべきことがあるのではないか、また、廃棄物処理について果たすべき行政責任のあり方を含めて、再度来週中に話し合う予定です。これについては、地域でのごみ有料化説明会なども実施されていますので、ぜひご意見のある方はお寄せいただきたいと思います。

 いよいよ12月ですが、寒いとは言え、昼間は過ごしやすい陽気です。来週の水曜日、11月30日19時から開催する「みんなでトーク 多摩のいまと未来」に向けて、有志のメンバーで街頭宣伝をしていますが、天気には助けられています。あまり寒すぎるとチラシの受け取り率が悪いのですが、案内チラシを受け取ってくれる人は多いです。受け取ってくれても実際に、シンポジウムに来てくれるのかどうかわかりませんが、「そういうのあるんだ・・・・。」と気がついてくれる人を一人でも多くつくることが大事だなと思っています。
 ちなみに、私は高校時代の友人に卒業ぶりぐらいに遭遇しました。懐かしい出会いに、それはそれはうれしく思いました。彼女はすでに結婚しているのですが、多摩市が好きだから多摩に戻ってきちゃった!と言っていました。こういう声を聞くとうれしいですね。無意識ながらも育ったところに対する愛着って育まれていくのだと感じました。

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2005年11月18日

駅前雑木林を守るその後・・・

 「永山駅前雑木林を守る会」で署名活動が行なわれました。参加者のリレートークなどを行なったそうですが、概ね好評で、署名も約200筆ほど獲得できた模様です。
 肝心の私は、今日も一日中、家のなかで待機。子どもは保育園を3連休中です。視察に行ったり、議案説明があったりと2日間は「仕事優先」だったので、今日は「子ども優先」。
 でも、署名活動に参加したかったな・・・とちょっぴり残念。雑木林を守る会情報はブログにてどうぞ!

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2005年11月09日

‘ごみ’出前説明会

 生活者ネットワークの事務所にて、ごみの有料化についての出前説明会を開きました。聞いたところでは、思ったように出前説明会の依頼が少ないとのことです。そもそも出前説明会をしていることを知らない人のほうが多いと思われますが、10人以上のグループでという人数の条件も場合によってはハードルを高くしているのかもしれないと感じます。

 さて、多摩市ではごみの有料化とともにプラスチックのリサイクルも積極的に進めていく予定です。そのために燃えるゴミ、燃えないゴミ、プラスチックと多摩市専用の指定袋を作成する方針です。
 燃えるゴミと燃えないゴミ用の袋は大きさが4タイプ、それぞれミニ袋(5㍑)10円、小袋(10㍑)20円、中袋(20㍑)40円、大袋(40㍑)80円です。プラスチック収集用は小袋(10㍑)5円、中袋(20㍑)10円です。
 他市ではいわゆるプラスチック(容器包装リサイクル法に基づいて回収されるものに限る)の収集は資源ということで無料回収をしているところが多いようです。しかしながら、多摩市はこれに関しても有料指定袋にするということです。その理由は「無料」にしてしまうと、プラスチックとして資源回収できないものまでが混入してしまい収集つかなくなってしまうからだそうです。
 
 さて、「資源ゴミの回収」という視点からすればプラスチックと同様に、古紙も古布、もちろんビン、缶、ペットボトルなども資源にあたります。これらをリサイクルするためにも莫大な経費がかかっています。その中で、プラスチックだけ特別扱いし、有料指定袋での回収をする理由はどこにあるのかという意見がありました。プラスチックも無料で回収しているところは、すべての資源回収は「無料」で実施とし、なるべくリサイクルを促進していくという考え方に基づいているようですが、多摩市ではプラスチックは「有料」になっていくので、その考え方をどう整理しているのかを尋ねる意見でした。しかしながら、それに対して十分な回答は用意されていませんでした。ただ、先にも書きましたが、プラスチック回収を無料にすると混入してはいけないものまで入るから・・・という理由は幾度か説明されました。なぜ、プラスチックだけ有料にするのでしょうか。

 私はごみの減量のために有料化をしていく・・・ということですが、結局、プラスチックでリサイクルできるものだとしても、古紙であっても古布であっても、ビン、缶、ペットボトルであったとしても資源になるとは言え、やっぱり‘ごみ’には変りが無いと思っています。(一応、私は‘ごみ資源’と考えることにしてますが)
 ごみの減量とは、プラスチックなどの資源回収物も含めてすべての回収量が減ってはじめて達成できたと言えると考えています。今まで燃やせるゴミもしくは燃やせないゴミに混じっていたプラスチック類を資源回収にまわした分だけ、‘ごみ’として回収する分が減るのは当然のことで、そのことをさして「減量できた」とするのは、まったくの勘違いといっていいと思いますが、他市の場合でも有料化とあわせて、プラスチック資源の回収を行い、「ごみの減量を図った」としているようです。
 とかく、家の中から排出されるすべてのごみと‘ごみ資源’を減らしていくことが必要。リサイクルできるからと言って、‘ごみ資源’を増やさないような意識(資源になるから、「ま、いっか」という意識をなくす)を広げていかねばなりません。
 「ごみの有料化でごみの減量ができる」・・・でも「ごみ資源は増えている」という他市の事実を市民にも知らせて欲しいと思っています。

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2005年11月08日

パルテノン多摩

 「官から民へ」の改革の1つとしての指定管理者制度。地方自治法の改正により、指定管理者制度の導入に踏みきるしかなくなってしまった・・・というのが多くの自治体の本音ではないかと思っています。国の法改正に地方が翻弄されている恰好の事例として「指定管理者制度」があげられると個人的には感じています。

 パルテノン多摩も指定管理者制度が導入されることになり、いよいよ12月定例会には指定管理者の指定を行うための議決が行われます。この議決は、すでに市長が決めた指定先事業者を追認するかたちで行われると考えてもいいでしょう。パルテノン多摩については、現在の「多摩市文化振興財団」を指定管理者にすることが決定しています。これまでの実績などを勘案し、原則公募という事業者選定の手続をとらず、「公の施設の性格、規模、機能等を考慮し、設置目的を最も効果的かつ効率的に達成することができる団体」として、財団が指定される運びです(参考:多摩市公の施設の指定管理者の指定の手続等に関する条例)。

 しかし、私は今のままの財団にパルテノン多摩を任せていくことが非常に不安でもあり、決算委員会などでも意見を述べてきました。
 そこで、今日はパルテノン多摩を担当しているくらしと文化部長、それから財団に市から派遣されている常務理事(市職員)が、わざわざ足を運んでくれ、財団を指定管理者にすることについての‘ご’説明をしてくれたのでした。つまり、これはぜひとも指定管理者としてパルテノン多摩を指定することをぜひともご理解いただきたい・・・(賛成してください)というための説得作業というわけです。
 せっかくの‘ご’説明でしたが、そもそもパルテノン多摩を文化行政の中核を担う施設と位置づけて、どのようにしてきたいのか、そのビジョンがいまいち感じられなかった(限りなくゼロに近そうだ)というのが率直な感想です。もしかすると壮大な計画があるのかもしれませんが、少なくとも、もらった資料からもその内容は読み取れませんでした。一生懸命に財団の今までの実績やこれからの経営改善計画なども含めて力説してもらったのですが・・・・。(がっかり)
 市長は経営感覚鋭い市政運営が公約だったかと思いますが、パルテノン多摩に対してはどのように経営感覚を生かしたのかがよくわかりません。経営感覚ってただの経費削減だけでないはずですから。文化行政に対するビジョンがあいまいなために、パルテノン多摩の運営状態もいまいちシャッキリできないでいると思っています。経営再建とか建て直しとか言っている割には、どこがどうなったのかが市民の眼にもよくわからないと思います。(施設だけは老朽化していることはわかるみたいです。長期修繕計画はすでに破綻していますし。)

 パルテノン多摩は全く何の役割も果たしてこなかったか・・・といえば、決してそう言うわけではないと思います。でも、私自身は「文化の鑑賞」から「文化の創造」のために、いかにパルテノン多摩が活躍してくれるのかが問われていますし、今後、ますます問われていくと考えています。
 今日の説明でも「市民活動支援」にも力を入れていきたいとの話がありましたが、まさに、文化の発信基地になるために「一体、どういう市民活動支援をしてくのか」という部分を具体的に示してもらう必要があります。でも、残念ながら今日の‘ご’説明では、そこまで具体的な構想は持ち合わせていないようでした。

 同じ会派の篠塚議員は葛飾区文化国際財団でやっている「かつしか文化工房」のようなものに具体的に取り組むべきだといっていましたが、私も水戸芸術館の取り組み等もぜひ参考にしてもらいたいと思ってます。
 しかし・・・これも篠塚さんが言っていたことですが、葛飾区の場合には「パルテノン多摩」に学び、現在の運営体制を確立したそうです。「パルテノン多摩の一体どこを学び、参考にしたのだろうか・・・・」そこを聞き逃してしまったわけですが、当時は他自治体の参考にされるくらい注目された施設であったということだけはわかりました。財団法人多摩市文化振興財団には再奮起してもらいたいものです。もう一度、他自治体からもお手本にしたいと思わせるような運営体制の構築をし、「税金の無駄遣い施設」とのレッテル除去を当面の目標にしてもらいたいです。

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2005年10月17日

きょう一日

 永山駅での朝遊説。雨が降っているので、チラシの受け取り率はものすごく悪くて、正直気が滅入ってしまいます。そんな中でも顔見知りの数人の方と挨拶できることはとてもうれしいことです。名前は全く存じ上げないものの、声をかけてくれる人もいるので元気をもらいつつ、何とかやりこなすことができました。政治への関心を広げることは簡単ではないなあと思います。だからやりがいがあるのかもしれませんが・・・?

 今日は会派で打ち合わせをして、意見交換をしました。内容といえば、ただの情報交換でとりとめもないことですが、市政運営に関すること、ごみの有料化のことなど、定例会がないと会派3人で集まって議論する機会が減ってしまいます。12月定例会には重要な提案事項が出てきそうなので、前もって情報収集などをしなければいけないなあ・・・というのが今日のまとめでした。

 ところで、朝日新聞の夕刊で知ったのですが「まんが日本昔ばなし」が復活するのですね。子どもの頃、数少なく見ることが許可されていた番組のひとつでしたが、どちらかというと「静」な番組で、時々は夜に眠れなくなるような小話もあり、それほど好んでみていたわけではありませんでした。でも、「自分の子どもに見せたい」という視聴者からの要望があるということに今ではとても共感できて、私も「この番組なら」って思えます。うちの子どもはまだテレビを見るには小さすぎますが・・・・。復活するという話には「変わらない価値」みたいなものを感じました。時代環境に左右されないものってあるなと。それをを見極めるのって大切なことだと思っています。

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2005年10月14日

引き続き雑木林

 都市再生機構から永山ハイツ管理組合理事長宛てに文書が出されました。先般、都市機構が示した土地利用案はあくまでもケーススタディであり、多摩市とは全く未調整のものであり、かつ何ら具体性を持つものではないという内容です。機構側の説明が不十分だったことのお詫び、そして、今後、住民意見交換会(今月末に予定されている)で説明をしたいと思うのでご理解を・・・というものでした。
 都市機構は雑木林を守る会の結成や署名活動が始まろうとしていることを察知しているのでしょう。慌てている感じです。いずれにしても守る会の活動は続くのだと思います。

 
 さて、今日は生活クラブ運動グループで予算要望をしました。どんな予算要望をしているのかお知らせします。
 1 多摩市自治基本条例の精神に基づき、市民主権のシステムの充実を図る。
    ・パブリックコメントで出た意見は方針決定前に公表する。
    ・庁内の首脳部会議は公開する。
    ・図書館の行政資料コーナーに人を配置し、市民ニーズに応える。
 1 市民が元気になるNPO(市民活動)支援計画を策定する。
 1 良好な住環境を維持するため、雑木林や緑地を保全する。
 1 地下水を保全し、雨水の浸透・利用を進め、水源自立都市を目指す。
 1 保育園・幼稚園・学校や公共施設では、合成洗剤の使用をやめ、無添加せっけんを使用する。
 1 よりよい学校給食を実現する。
   ・給食センターの改修にあたっては、無添加せっけんが使用できる食器洗浄機を導入する。
   ・ビン牛乳を復活し、牛乳に依存しない献立にする。
 1 多摩第一小学校建て替えにあたっては太陽光パネルを設置する。
 1 公共施設や歩道などのユニバーサルデザインを促進する。とくに小中学校の整備は早急に対応する。
 1 学校の空き教室に保育園、障がい者や高齢者のデイサービスを併設する。
 1 高齢社会にむけて多摩市における移動を保障するしくみを充実する。
 1 子どもの権利条例を制定する。
 1 学童クラブ、児童館のあり方を見直し、誰でも集える場所にする。
 1 男女平等推進条例を制定し、女性センター事業を充実させる。
 1 介護保険認定変更にともなうサービス低下への配慮をする。
 1 都立高校跡地利用に際しては、地域住民、市、都が協議できる場所を設置するよう都に要望する。
 1 5R(Refuse、Reduce、Recycle、Reuse、Repair)を推進する。
   ・小中高校生に、清掃工場・廃棄物処分場の見学をさせる。
   ・二ツ塚廃棄物広域処分場への学校単位の見学受け入れを実現する。
   ・特に、単身者用共同住宅の所有者・管理者に、居住者に対する分別ルールの周知につき、責任を持って行うよう協力を求める。

 毎年、グループ内でひとこと提案でのアンケート活動をしますが、そのテーマが「ごみの減量と環境」だったので、一番最後の「5R」が今回の目玉でした。ちなみに昨年度は「居場所」がテーマだったので、オープンスペースやペットと遊べる場所、若い世代の自習室、木陰のベンチの提案をしました。
 しかし、全体的には例えば「○○に××をつくって欲しい」というような具体性がないので、この予算要望については「具体的ではない」とも言われています。確かにそうかもしれませんが、市の政策をどうしていくのかを問うていきながら、意見交換できる内容になっている点ではいいやり方ではないかと思っています。
 今日については「5R」の考え方に新しさを感じて、気がつかされたという行政側の感想が出ました。

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2005年10月12日

最近の生活

 秋の深まりを感じるこの時期、ちょうど9月の定例会も終わってほっと一息。会派の視察などで多摩市を留守にしている議員さんも多いようです。
 私は・・・といえば、現在、大学院の卒業に向けて単位取得のための課題と獲得中です。これは本当に正直な話ですが、私の人生設計に予想外の育児が組みこまれたので、苦労して授業に出席しているところです。
 全部が全部、自分の思いどおりにいくわけないので、今年については土曜日に通学、あとは集中講義方式の授業を受講しています。平日夜の授業でも学びたい分野があるのですが、子育て中にはなかなか厳しい。それについては自分でまたの機会で何とかしようと思っていますが、社会人大学院にも保育室あったらいいですね。カナダなどではあるそうです。育児中に育児のスキル+αで自分を磨ける環境が当り前のように整っているのは素晴らしいと思います。もちろん、育児の時には育児に専念するべきだという意見もあることは承知していますが、でも、育児をしているその間に社会との距離が遠くなり、復帰した時の‘空白’に愕然とするという話は決して珍しい話ではないのです。

 さて、私自身は、大学院に行ったとしても、その場を自分なりにどう活用してくのか問われるなと実感しているところです。社会人大学院はいわゆる修士・博士号を取得するために日夜、図書館にこもっているような大学院生活とは全く異なるので、論文も「リサーチペーパー」としてまとめれば卒業できる仕組みです。しかし、これまた「リサーチ」しなければならず、結構、色々な文献を探し歩くこと、また実際に足を運んで話を聞いたりする作業には一苦労。仕事を通じて学ぶことにプラスして、「学び」の場をつくっていこうと心がけていますが、そもそもいろいろなところに出歩くことについて、育児との両立をしようと思うとかなりかなり苦しいのが現状です。

 最近は、子どもがあちこちと動き回るようになっているので、子どもが寝静まった時間が私だけの時間。しかし、子どもと一緒に寝てしまう自分。その自分に後悔をし、深夜に起きて、朝方に寝て、すぐにまた起きる・・・という生活が続いています。考えてみると子育て中というのは、寝ている以外に「ぼーっとする暇」がないなと思います。
 私は「ぼーっ」とすることがなければ、「ひらめき」がなくなると思っているのですが、その証に・・・大学院での課題が非効率にしか取組めていない状況を痛感しています。「ぼーっ」っとしたい願望が最近とても強いので、今日の活動報告にその気持ちをまとめてみました。

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2005年10月11日

無添加せっけん

 昨年、生活クラブ生協のまちづくり活動のひとつとして行われた調査で、多摩市内の小中学校では日常の手洗いせっけんとして「合成せっけん」が使用されていることがわかりました。当然ながら、環境面でも安心な「無添加せっけん」の使用を進めていきたいというのが生協の立場です。南多摩地区の自治体を調査したようですが、多摩市では‘一校たりとも’日常の手洗い用として無添加せっけんを使用していなかったという結果です。
 ところが、注目したい別の事実があります。それは多摩市でも家庭科室や調理室では「無添加せっけん」が使用されているのです。これが何を意味するのか十分に汲み取り、「無添加せっけん」を推奨していくことが必要ではないかと思っているところです。

 誰が考えても環境にも優しく、体にも害が少ないと考えられる商品の方がいいはずなのに、なぜか全体の大きな流れが変ることなく、「無添加せっけん」は依然として少数派。市場に出回っている製品を見ても、店頭での「無添加せっけんコーナー」を見てもそのことを痛感させられます。「無添加」が社会的に推奨されていない状況では、需要と供給の関係で価格もなかなか下がることなく、結局のところ、消費者は安さを求めた購買活動をするわけです。それが今の多摩市のみならず、日本の現状です。
 こういう問題を考える時、とても大きな社会の渦というか、難しい社会構造(政治構造とも言える)を感じます。せっけんはただの一例に過ぎません。「本当はいいこと」であるのに、それが「いい」と認められないことは他にもあると思います。

 そういう意味で、一自治体の多摩市であっても、小中学校、公共施設において「無添加せっけん」を使うという方針決定をすること、「合成せっけん」を使用しないという方針決定をすることは非常に重いのです。学校施設のこととなれば教育委員会そして教育長の判断にもなりますが、些細なこととはいえ、やはり行きつくところには市長の姿勢に大きく関わってくるのだと思っています。
 冒頭でも書きましたが、既に家庭科室や調理室では「無添加せっけん」が使われているという事実があります。なぜ、「合成せっけん」を使用していないのか?・・・それを考えてみれば、方針として明らかにしないまでも、積極的に「無添加せっけん」の使用を進めることに不思議はありません。最終的には商品を選択する消費する側の選択が問われます。「環境行政」、そして「消費者行政」の立場からの選択をしたならば、当然に「無添加せっけん」となるはずと思います。

 何しろ、この調査をした方が「無添加せっけんを使っている学校がゼロというのは多摩市だけというさびしい結果でした。」という感想を述べたように、何となく先進的なイメージのある多摩市とのギャップが相当あるようです。子どもたちへの配慮(健康、未来の地球環境など含めて)を考えるなら、「無添加せっけん」。私もそう考えています。

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2005年10月05日

不燃ごみ処理の実態

 今日のたま広報には、ごみ減量の取組みが掲載されていましたが、その中で「市長から市民の皆さんへ」のメッセージが掲載されていました。内容は「不燃ごみ処理の実態」について、市民に対する説明不足への反省が述べられていました。つまりは、市民はせっせとごみの分別をしているのに、燃えないごみとして集めているものを燃やしていました・・・というわけです。
 これについては、9月定例会の一般質問や決算特別委員会においても市長は市民に対しきちんと実体を知らせ、謝罪をすべきであるという意見が出て、それに応えたものだと思われますが、そうであるならば、とても重要なことですし、広報の一面に掲載すべきことだと考えています。
 
 いずれにしても、今までの市民の苦労は一体なんだったんだ・・・という感じです。今日は生活クラブ運動グループで行っている「ひとこと提案」活動のアンケート調査報告会がありました。「ごみの減量と環境について考える」をテーマして調査を行ったのですが、もともと環境に対する意識が高いだろうと想像できる回答者のうち90%以上は「きちんと分類して出している。」ということです。今日のたま広報のことが話題になりましたが、せっせとプラスチック容器などを水洗いして、水を汚していた苦労が報われないという意見がありました。水を汚すという環境負荷にも心を痛めながら、それでも行政への協力をしてきたのに・・・・とやりきれない気持ちになるのは当然のことです。失望感を抱かずにいられません。
 「行政には本当にちゃんと説明してもらいたいよね。」という強い意見が出されました。実態がわからない中で、現在計画されているごみの有料化導入には賛成できないとの声もありました。

 広報によると「ごみ減量・有料化」の出前説明会が行われるようですが、それを依頼するグループがどれだけあるでしょうか。自治会や管理組合などでは説明することは決まっていますが、それだけで説明をしたことにならないことは確かです。だからこそ「出前説明会」の必要性を感じ、広報にて呼びかけしているのだと理解しています。特に、自治会などに属さない単身世帯に対して、どこまで説明をするのかだと感じています。今でもごみの捨て方などには問題があるからです。ある自治体では単身用アパートに職員が一件一件足を運びながら・・・という事例もあるようです。多摩市がどこまでの取り組みをするのか、どれだけの出前説明会が出来たのかに注目をしたいと思います。受け身ではなく、積極的に出前説明会を展開していく姿勢を期待します。
 

★永山駅前雑木林を守る会関連情報 
現在、多摩市長との面談を申し入れているのですが、回答がないようです。

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2005年09月09日

「選択の時代」だから

 予定通り、一般会計の補正予算には修正案を提出しました。もちろん、予想通り否決されました(修正案に賛成したのは7名)。最終的に補正予算は賛成多数(賛成は15反対が10)で可決したので、来年度から乞田川に人道橋の設置工事が始まるでしょう。

 さて、修正案の提案説明の後、質疑を受けました。「地元の意見を聞いたのか。」、また、あらかじめ都議会議員と多摩センター地域の自治会の会長名で提出されていた要望書も配布されていたので、「実際に自治会の人に話を聞いたのか」ということ、反対の根拠を明確にしてもらいたいと尋ねられました。私たちが反対した根拠は「もっと、先にやらなければならないことがたくさんある。」と考えるところにありました。しかし質問者からは「「それでは全く根拠が明確にはなっていない。」と言われましたが、私自身は逆に言えば工事をせねばならない明確な根拠は何かわからない・・・・地元の要望だけで工事を決定したのであれば、それこそ問題があると感じます。市民からの要望、地域からの要望は拾い上げればきりがなく、本当にたくさんの多様な要望があります。でもそれに、一つ一つ優先順位をつけながら、限られた予算を配分していかなければなりません。

 ちなみに、地域の人に不十分と思われるかもしれませんが、意見を聞きましたが、「あったら便利は便利。駅から蕎麦屋に行くのが便利になるなあ。」とか、「別になくてもいい。」という意見、それから自治会の会長名で要望書が上がっていたものの、肝心な自治会に加入をしている人に聞いたところ「そんな話知らなかったけれど。」というものもありました。
 私たちの会派では、この橋の必要性にどんな優先順位をつけてきたのか、そのためにどんな議論を積み重ねてきたのか、例えば公共事業の事前評価の仕組みを取り入れている自治体もありますが、組織全体でどのような整理をして、今回の予算計上に至ったのかについて納得できる説明がなかったこともありますし、全市的に考えてどう判断していくのかを議論して、今回のような結論に至りました。

 修正案の提案説明の一部でも述べましたが、「例え、地元の要望、地域の要望があったとしても、それにも優先させねばならない重要な課題解決を先送りにしていないのか、そして新たな公共施設を多摩市として保持することで、これらの課題がますます先送りにされる危惧がないのか真剣に考えたいものです。「選択の時代」です。誰しもの願い、夢を叶えたい、市民の期待に応えたいというのは市長も議員一人一人もみな同じです。でも時には辛くて、厳しい選択をせまられることもあるのです。」
 要望に応えられないことには残念ですが、もっとしなければならないことがあると感じています。特に小中学校の校舎の維持補修に至っては、本当に満足な手入れが出来ていない現状があります。そして「錆びたサッカーゴールを買うにも躊躇してしまう」という話も聞こえてきます。それほどに各学校に配分される経費には余裕がないのです。その他にも様々な状況を考える時、やはり、補正予算で計上するほどに重要で、緊急性のある事業だとはどうしても判断できません。
 市長はその状況をどう捉え、どうしていくべきと考えているのだろうか・・・・。ますます、私にはわからなくなったのです。

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2005年09月08日

本当に必要な公共施設

 一般会計補正予算の審議がありました。採決は明日に持ち越されました。私たちの会派では修正案を提出することにしました。やはり多摩センターの落合橋と上ノ根橋の間に設置提案された人道橋には賛成しがたいと判断するからです。
 
 一昨年の行財政診断白書では公共施設は縮減していく方向性が示されていること、そして現在ある公共施設に適切な維持補修が施されていないこと等など考えてみると、「ニュータウン受け入れ時以来の地元の強い要望がある」ことは理解し、重々承知をしたとしても、市政全体のことを考え、優先順位をつけるとすれば補正予算まで組んで実施すべきことだとはどうしても思えないのです。

 この橋の建設計画では市の負担がとても少なく(負担としては12%から13%とのこと)、工事費の半分は東京都の土木費補助で賄い、そして残りを同じく都からの市町村振興交付金にて充当していくとの説明がありました。でも、事前に調べた情報では、特に「市町村振興交付金については来年2月末にヒアリングをして年度末に決定をしていく」と言うのが東京都担当者の返答で、実際には都からの交付金が確実に見込まれていると断言する事はできないでしょう。そんな中で東京都の財源手当が確定しているかのような話でしたが、都の財政状況も厳しく、いつ何時心変わりされるやも知れません。
 いずれにしても、市の負担が少なければいいのかといえば、今は「ハコモノ」見なおし時代、何よりも都の負担であれ、国の負担であれ、「税金は税金」であることを認識することのほうが大切です。

すべてをゼロベース。必要なところに重点的に税金を投入する。そのための行財政の再構築が始まってから2年目。まだその成果が見えているとは言えません。他の市より高い水準で整備されている公共施設がたくさんあるのが多摩市です。そしてその施設群に満足のいく維持補修経費を計上できない状況が続いています。
 そして、昨日の質疑の中では本当に必要な公共施設であるのかどうか、全庁的に議論をした様子も見られず、最終的には市長判断だけで「OK」を出したこともわかりました。市長には予算の調整権があるわけですが、やはり総額では約3億円にものぼる工事をしようとしているわけで、その必要性を組織をあげて検討する姿勢がなかったことも不思議です。
 市長はかねてから、「私は強いリーダーシップを発揮するというよりは、みんなの意見を聞き、それを紡いでいきながらまちづくりを進めたい。そういうリーダーシップを発揮したい。」と言っています。そうであるならば、市長だけで決めてしまうのではなく、せめて部長が集まって会議をする首脳部会議などで議題に上げ、真摯な議論を尽くすべきではないでしょうか。明日、修正案の提案をします。

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2005年09月07日

市長の自己評価

 一般質問の最終日でした。今日も個性溢れる発言者が続き、議場の笑いを誘うような発言もありました。

 まずは、ごみ問題。今、市民はせっせと「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」の分別をしているわけですが、市長はようやく「燃やせないごみ」として回収しているごみの約90%を燃やしていることを認めました。一生懸命、分別に協力している市民にしてみれば馬鹿馬鹿しい話と言えます。この実態を知れば、「明日から分別はや~めた。」と考える市民だって少なくはないでしょう。
 ごみ減量の説明会では、今までの対応では追いつかないのでサーマルリサイクル(簡単に言えば、燃えないごみを燃やす)も導入してきますよ・・・・という方針が示されていましたが、今までだってプラスチックごみをどんどん償却してきました。今日の質問者はこの実態を正しく市民に伝えるべきであると主張していました。市長はごみ減量の説明会では現在の実態にも少し触れているとは言っていたものの、ごみ行政は全市民に関わる重要な問題であり、説明会に来なかった大多数の市民にはどのように知らせるのか重要であるとして、質問者が強くたずねたところ、「たま広報やホームページにて」と決して歯切れのいいとは感じられない答えが返ってきました。
 ごみ減量と有料化の導入は市長が全組織を挙げて、総力で取り組む事項としているわけです。今後の取組み方には目が離せないでしょう。

 ところで、今日は市長は残りの任期が半年あまり。市長のこれまでの自己評価をして欲しいという質問がありました。市長には①清潔な市政運営、②経営感覚鋭い市政運営、③互いに夢を持ち支えあうまちづくりという3つの公約があったわけですが、①と②についてはほぼ達成し、③については一部は達成したと言うことで点数化はできないけれど、自分としては精一杯やっているとの発言がありました。この質問の意図するところはいまいち不明ですが、市長は自己評価で言えば100点満点ではないけれど、概ね納得のいく成果を出せてきていると評価しているようです。
 ちなみに具体的には①では入札改革に取組んだこと、②では行財政診断白書や再構築プラン、そして③は取組みがまだ緒についたところとしていましたが、当初は市民とのパートナーシップ協定を破棄すると発言されるなど冷遇をされる目にあい、青息吐息だった自治基本条例ついても制定したことをひとつの実績としてとらえているようでした。
 
 私は市長が一生懸命に取組もうとしていることは認めたとしても、市長の「信念」を強く感じられるような議場での発言は聞いたことがありません。今日の発言の中でも「短期間の選挙戦だったので、十分な準備ができなかった。」という趣旨の前置きがありましたが、確かに前市長が逮捕されたことに伴う突然の選挙だったことは周知の事実ですが、今となってはわざわざ言い訳がましい前置きは不要ではないかというのが私の意見。 
 まあ、市長の「謙虚な」自己評価だった・・・・ということにしておくか・・・・?

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2005年09月06日

政策目的を明らかに

 ごみの有料化問題について、どうやら先般開催されてきた説明会での市民の反応では「有料も致し方ない」という雰囲気で、「反対」の意見を強く主張するひとは少数派だった模様です。有料化導入のスケジュールとしては9月10日から一ヶ月間のパブリックコメント、10月から2ヶ月間ほどは管理職による地域説明会や出張説明会を展開、12月議会で条例提案し、来年の7月から実施することで段取りが組まれてそうです。
 市長は就任以来「お金がない!」を市民にも印象づけてきたので、「ごみの有料化」も何となく新たな財源確保の一手段のように映ってしまいますが、実はごみの有料化の目的とは「ごみの減量化」にあることが明らかにされました。

 というのも、今日の一般質問で「政策目的を明確にしなければ、市民に誤解を生んでしまう。」という指摘があり、そのためにもごみの有料化の目的を再確認したいと吠えた議員に対し、はっきりと「ごみの減量化が目的。地球環境保全が目的。」との答弁がありました。確かに、目的を明確に説明しなければ、市民にとっては新たな負担増になるわけで、納得得難いだろうと考えます。
 

 今日の質問者は日野市でのごみ減量作戦成功の事例を披露していましたが、日野市では市民が減量を楽しんでいるそうです。・・・・いまいち私は果たしてそうなのだろうか?とも思っているわけですが、日野市の担当者は成功の秘訣をそのように説明していたのだとか。多摩市でもごみ減量を楽しめるものにしなければならないとのことでした。
 楽しくなるのかどうかは別としても、有料化するならばそこで得た収入を納得できるところに使うべきだと思います。ごみ減量の市民説明会アンケートにおいても「納得できる条件であれば賛成」という回答は多く、そこからしても、やはり収入を環境保全など目に見えるかたちで納得できる使途にして欲しいと望んでいる市民が多いのだと思います。今日の提案ではアマゾンの森林の一部を購入する・・・・などのスケールの大きな話でしたが、私は多摩市の‘みどり’を維持するため、例えば公団が売却しようと目論んでいるニュータウン地域内の法面確保するためであってもいいと考えますし、その他にも環境保全のために使えるところはたくさんあると思います。
 12月に手数料導入のための条例提案したいとのことですが、それにあわせて収入の取扱いにどのような提案がなされるのかが注目されます。市民がごみ減量を楽しめる秘策、工夫が問われます。
 ごみが有料化されて、目に見えてごみが減量し、さらに緑地保全などが進めば「一石二鳥」と言えるのかもしれませんね。

 それにしても市長の顔を見るととにかく「財政危機」と思ってしまいます。先日の長寿を祝う会の式典でも多摩市の財政危機に関するような内容を語っていたように、いつもお金がないことを強調した挨拶ばかりをしているからです。
 そういう意味で「いまさら政策目的を明らかにしたところで、市民がどのように受けとめるのか」についてはまた別の議論になるだろうことを心に留めておきたいものです。 

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2005年09月02日

再び交通施設公社の問題

 引き続き一般質問からの報告です。

 多摩センターにある駐車場を一体管理してきた外郭団体の交通施設公社については、とりもなおさず都市再生機構の天下り組織であることは周知の事実です。今日もまた、新たに公社の理事長(今は専務理事と名称変更しているらしいが)の退職金が約1800万円強に上ることが明らかになり、なんと、これは多摩市長の退職金約1600万円をも上回る高額であることまで披露されてしまいました。6月議会の時にも明らかになったように、交通施設公社はそもそも不透明な組織で、情報公開とは無縁の組織として存在していると感じます。だから今日も事実が「お披露目」されてしまった・・・と大げさかもしれませんが、そんな表現がぴったりの議場でのやりとりでした。

 それにしても赤字続きの業績不振が続いていて、ちっとも経営改善されない施設公社について、質問をした議員は「いち早く民間運営にすべきだ。」と主張していたけれど、この問題は非常に根深くて、いくら市に質問をしたところで、打つ手がない模様です。行政側の答弁は「今、多摩センターでも民間の駐車場が立地される中、ますます厳しい経営状況があり、交通公社にも一層の健全運営を目指してもらいたい。」という傍観者的な発言に留まり、交通施設公社との力関係を考えると相変わらず「非常に弱小」のようです。

 でも、この問題は、市民が実態を知れば憤って当然のこと。このような実態を放置しておきながら、市長についても思うことは、行財政再構築と言いながら、福祉予算等のそれこそ微々たる補助金を削減している状況には納得しがたいものがあると言うことです。もっとその前に手をつけるべきところがあるのではないか・・・?と。
 しかし、私も交通施設公社がいかなる権力をかざす組織なのか知らないので、市長がなかなか改革のメスを入れられない理由が理解できていないと言われるのかもしれません。少なくとも議場の場において、市長は深刻な顔を見せ、議員と部長とのやりとりを聞いてはいるのですが。

 それにしても、実態を知らせるとは言え、そのためには交通公社が誠意を持った情報公開をしてくれないことには始まりません。これだけ議場の場で取り上げられ、その全貌を早く解明すべきだと言われているにも関わらず、安穏としているようにも見受けられる状況は一体何なんでしょうか。多摩市の市議会と交通施設公社との力関係も‘そんなもの’だと言われているように感じて仕方がありません。ひどい話です。

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2005年09月01日

本日から定例会が始まりました。

 今日から9月議会が始まりました。市長の行政報告などの後、さっそく一般質問が始まりました。ちなみに私も今日の2番目に発言をしました。自治基本条例の施行後の市長の取り組み姿勢にたいする質問をしました。思いがあって自治基本条例を制定したのならば、それなりの取り組みをしてもらいたいと感じていたからです。
 自治基本条例は、正直なところ小難しい条例で、この条例は何のためにあるのかがわからないという人もたくさんいます。この条例に対する市民の理解を広げていくことには時間がかかって当然です。しかしながら、その中でどんな取り組みをしていくのかが問われます。自治基本条例では特に「情報共有」の重要性を謳っており、市長も市民との対話を大事にしていきたいと常日頃強調しています。その言葉どおりにもう少し努力をしてもらいたいというのが私の考えです。自治基本条例ができたのなら、なおさらです。直接市民と意見交換する場としての「いいまちつくり対話」、また一方的かもしれないけれどホームページでの「コラム」「メッセージ」など、市長の声を届けるような取り組みの実績を見てみると、条例制定前と制定後でほとんど変化も無く、むしろ後退している?と見受けられるものもあります。もちろん、先日「市長説明会」を開催しながら、市民の声を聞いていくという取り組みをしていることは私も認めるところですが、政策などへの意見を求めるような説明会の開催は、「自治基本条例」の範囲内での取組みだと言えます。私が市長に求めるのは、それ以外にできる市長独自の取り組みのことです。言ってみれば、職員の力を借りなくてもできることです。
 でも考えてみれば、市長という立場だと市の公式HP、市の広報でメッセージの発信ができます。それこそ、それを活かさない手はないはずです。有効にメッセージを発信することが可能なはずです。


 ところで、今日は市長の憲法に対するスタンスが初めて明確にされました。市長は前文の恒久平和や憲法9条については堅持すべきと言う立場とのことです。しかしながら、いわゆる現代になって新たに重要性が言われるようになった権利(一番言われているのは「環境権」)なども現行憲法に加えていくことは必要なことで、改憲することには反対しないということでした。憲法9条が改正されたとしても後者を選ぶのかどうかまでの見解を聞くことが出来ませんでしたが、今までのようにあいまいな回答ではなく「政治家としてスタンスを明らかにする」という前置きがされた点では、非常に新鮮な答弁ぶりでした。

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2005年08月29日

明日から選挙戦本番です

 あっという間に明日が衆議院議員選挙の公示されます。既にポスター掲示場も市内の各所では設置されています。今日は午前中は民主党の宣伝カーに乗車し、午後からは明日以降のうち合せなどを行いました。

 ところで、公職選挙法との関係で、選挙期間中のホームページの更新はストップさせるのが無難です。もちろん先般の都議選の際にも更新を中止しました。しかしながら、とても悩ましいのは9月1日より議会が始まること。そこで考えてみたのですが、市政に関する話題だけに限定して活動報告の更新をしていきたいと思います。次回の更新は9月1日になります。

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2005年08月26日

政務調査費の情報公開で

 市議会ウオッチングの方とお会いしました。先般、市議会各会派の政務調査費の使用状況について情報公開をしたところ、私たちの会派が約60万円近くも返納しているという事実が明らかになり、それに対して「政務調査費というのは、市民が議員の活動に対して支払っているものなんだから、もっと積極的に使用していいのではないか。」というご意見をいただきました。他の会派でも返納しているところがあったようですが、その額は少額とのことです。私たちの会派の不使用状況が目立ちすぎており、「何も活動をしていないのではないか」と誤解を受けるかもしれないと好意的には助言をいただいたと感じています。

 さて、政務調査費の使用状況については、その内容を詳しく分析してみると、他自治体に視察などに行っているけれど、そのことをどのように市議会の活動に生かしているのかが見えにくかったと言われました。必ずしも視察先で学んできたことを市政の場で活用できるとも限らないわけですが、それならばそれとして、しっかりとその理由なども含めて視察報告書に書くべきではないかというご意見でした。
 市議会ウオッチングの方々で各会派から提出されている視察報告書などを見る限りでは、「民間企業では書き直し。」になってしまうレベルだとのことでした。私たちの会派からも視察報告書を出していますが、どのような視察報告を行うのかについては特に決め事もないために各人に任せられているのが現状です。少々内容がお粗末に感じられたということでは、説明責任が求められる時代に応えられる視察報告書のあり方を検討することも必要かもしれないと感じました。

 政務調査費の情報公開については、領収書までもが対象文書になっており、以前に比べれば透明性が向上しています。それは事実です。しかし、税金の使い方に市民が求める透明性のレベルにはまだまだ到達していないのが現状です。
 

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2005年08月25日

膨大な資料

 今日は一般質問の通告書のしめきりでした。私は今回も自治基本条例をテーマに質問をします。「ちょうど施行から一年たって、市長は市内4駅でキャンペーンを終えましたし、今でも市役所のロビーでは自治基本条例1周年の展示?が細々と行われています。自治基本条例はその運用をいかに工夫してくのかが問われます。情報公開、情報共有と市民参画のあり方は市長の政治姿勢にも大きく関わります。机上の空論」と言われがちですが、市長のまちづくりに対する姿勢を問うためには有効なテーマではないかと個人的には考えています。ちなみに、発言順は2番目なので議会開会初日です。
 周囲からは「初日に終わってしまえば、あとは選挙頑張れるからいいじゃない~。」などと言われましたが・・・。

 ところで、昨年度の決算の資料が‘どっかーん’と届けられていました。何と表現すればいいのかと思いますが、本当に‘どっかーん’というのがぴったりで、机に上に置いた瞬間にため息が出そうなくらいです。昨年に初めて試みた行政評価の仕組みではすべての事業ではなく、一部の事業のみ行政評価がなされ報告書がまとめられたのですが、今年はそれが全事業にまで拡大されています。さらに、報告書を別冊とせず、今までの決算事業報告書と合体させたために悲劇・・・・・。何と今までの2倍以上の分量の資料となっているのです。決算事業報告書が2冊になりました。(ちなみに、一冊の分厚さは約5センチはあります。)全部に目を通さなければならない・・・・と思うと、本当に気が遠くなりました。持ち運ぶだけでも大変。

 市民にわかりやすい情報提供を・・・というわけですが、内容は別としてもとかく分量だけで‘わかりにくさ’を誘ってしまうような、そのくらいに膨大で、人を寄せつけないような資料になっている気がしてならないのですが。
 情報公開といわれ、情報共有と言われ、積極的に情報を提供していこうとする姿勢は評価できるものの、あまりにも資料が膨大過ぎて、かえって逆効果にならないようにする工夫が今後の課題のひとつに浮上した気がします。やはり見たくなる資料づくりという観点も大事かと感じました。

 仮に、今回の決算事業報告書を市民に販売するとしたら、おいくらになるのでしょうか?2冊で1,000円以上にはなりそうです。

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2005年08月23日

9月議会の準備

 選挙戦とぴったり重なってしまう定例会は一体どうなるのかな?と思います。選挙の方で忙しくて、定例会に身が入らない・・・もしくはその反対・・・?両方ともに全力投球と言うのはあり得るのだろうかとやや疑問ですが、しかし、総選挙に向けて活動をしている議員は誰しもが同じ条件のもとで、乗り越えなければいけないわけです。選挙も大切ですが、市議会で果たさねばならない役割と責任を忘れてはならないと感じています。

 今日は熱を出した子どもに一日つきあいながら、一般質問の通告書のことを考えていましたが、つい先日のたま広報の一面に「多摩市自治基本条例」の特集が掲載されていました。それによると条例の前文について「条例づくりのワークショップで参画した市民の皆さんが、思いを語り、知恵をしぼった前文です。」という紹介がありました。しかし、この紹介のされ方には疑問です。なぜなら、この前文は市民が市長に提出した「市民案」の内容と照らし合せてみると、ずいぶんと雰囲気が異なることがわかります。事実、行政に手渡された市民案には大幅な加筆訂正がありました。
 市民が前文をつくりあげるまでには、約10名ほどの市民がそれぞれの思いを前文に書き記し、その中から最も共感を得られた文章を選び、さらにその文章をも議論して肉づけをしてきたという経過がありました。前文をどうするのかというだけでも議論は尽きなくて、かなり時間をかけた記憶があります。しかしながら、行政は他の条文を法令などに照らし合せながら書きかえるのと同様に前文までをリメイクしてしまったということで、市民側にはかなりの不満がありました。
 しかし、たま広報を読む限りでは、市民がつくったものをそのまま前文として採用しているかのようです。ちょうど、多摩市の自治基本条例に関し、特に市民の関わりに興味があり、そのことについて原稿を書いてもらいたいという依頼が来たところだったので、余計にそう感じられたのかもしれませんが、市民が一番こだわっていた「市民自治の実現」という部分が少々骨抜きにされている・・・・というのが条例案策定に関わった市民の感想であることを行政はどのように受けとめ、感じているのかなと思います。
 あまりにも堂々と「条例づくりのワークショップで参画した市民の皆さんが、思いを語り、知恵をしぼった前文です。」という紹介がされていて、何だか複雑な思いを噛み締めました。

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2005年08月20日

正しく伝えてもらいたい

 「ごみ減量」の説明会に参加しました。ベルブホールで開催されましたが、まあまあの参加者でした。しかし20代の参加者はおそらくいなかったと思います。ほとんどが50代後半以上の市民ばかりでした。

 ごみの現状と今後の方向性について市長から説明があり、そして質疑応答がありました。なかには有料化に反対の市民の方もいたと思いますが、質問や意見には直接的に反対を唱えるものはなく、有料化の導入も致し方ないだろうというような雰囲気と、積極的に有料化を進めるべきだとの意見もありました。「ここの会場に来ている人たちはみんな関心がある人だと思いますが・・・。」との前置きしてから発言された方がいましたが、私もその通りだと思います。私が思うには会場に足を運んでいるのは、日頃からごみ減量に努めている方々だろうと感じました。

 さて、今日は市民の素朴な疑問は本当に大切だと感じました。というのは、市長の説明の冒頭は日の出町の二ツ塚最終処分場の写真の解説から始まったのですが、それによると「このままではあと10年程度で満杯になります!」ということでした。
 これに対して、「多摩市だけではなくて、他の市等でもごみを減らすとか努力とか工夫をしていけば、10年って言うのはどうなるんですか。」という質問が出たのでした。すると市長は「あら、ごめんなさい。私の説明が悪かったのかしら。申し訳ありません。・・・・」と言った後、「実は、ここにある10年っていうのは、2年前に出した予測なんです。実は、この写真の奥の方にちょっと写っていますけれど、来年からとにかく少しでも埋め立てを減らそうと言うことで最終処分場の組合、私も理事をしているんですけれど、組合では焼却灰については『エコセメント』にしようって決めて、来年からエコセメントの事業が始まるんですね。そうすると焼却灰については埋めたてなくていいので、処分場としては40年から50年程度は延命するとされています。」・・・・もちろん40年から50年程度延命化するからといって、安心出来るわけではありませんが、「あと10年ほどで満杯になる。」という言い方には疑問です。これは「説明が悪い・・・」ではなく「正しく事実を伝えていない。」と言うべきだと感じます。
 もちろん「あと10年」と言った方がインパクトがあるのかもしれませんが、しかし、莫大な費用をかけてエコセメントの事業を展開しなければならないことや、最終処分場への持ちこみ量が多ければ多いほどその自治体の負担が重くなることや、そしてもちろん次世代のことを考えれば「ごみ減量」の努力は欠かせないことも含めて、正しい現状を伝えるべきだと思います。
 余計に不安や心配をかきたてることはすべきではありません。説明責任が問われる時代です。できる限り事実に即して伝えてもらいたい、「都合よく」の説明責任では困るなと感じました。

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2005年08月18日

例え国政選挙があっても

 急遽、代表者会議が開催されました。共産党市議団より議長に申し入れがあったからです。突然の解散総選挙で投票日が9月11日に決まったことを受けて「9月定例会の日程と重なるために、定例会の日程変更を考えてみてはどうか」という提案でした。他市では日程を変更したところもあるようです。
 もちろん代表者会議は合議制、全会派の合意がなければ日程変更はできません。私たちの会派でもどうするべきかを考えてみたのですが、やはり「国政と市政の問題は別」という結論を出しました。そもそも、選挙があるから市議会の日程を変更することで市民の納得が得られるかどうかも疑問だからです。
 
 代表者会議では、あっさりと「変更の必要はなし。」との結論が出ました。他の会派からも「選挙で変更するのはいかがなものか。」という意見が出ました。確かに国政も大事なことなので、選挙にも真剣に取組まなくてはならない・・・という主張もあるのかもしれませんが、「そんなことで市政を停滞するわけにはいかない。」というのが大方の意見でした。市議会の日程変更はありません。

 そういえば、再三議会側から要請し、ようやく決算特別委員会を10月から9月へと一ヶ月前倒しで開くことが可能になりました。にも関わらず、国政選挙があるから日程変更をし、決算特別委員会の開催が結局10月になってしまった・・・なんてことになるのも、格好いいことではありません。今回の市議会の判断はしごく当然のことでしょう。

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2005年08月17日

ナナメの関係

 NPO KATARIBAが来月主催するイベントへの参加依頼をを受けました。今日はメンバーの大学生が、イベントの趣旨やカタリバの活動内容等の説明のために訪問してくれました。
 カタリバは主に高校生を対象として、少し年上の大学生が「カタリ場」という授業を行います。自分たちの高校生の時に「教えてほしかったこと」ってなんだろうか・・・・高校生の少しだけ先輩として語れることがあるのではないかというのが活動のきっかけです。首都圏を中心に展開している「カタリ場」は好評のようです。
 彼ら、カタリバのスタッフは高校生たちにとっては「ナナメの関係」なんだそうです。先生ではなく、両親というような「タテ」でなく、友人たちという「ヨコ」ではなく、ちょっと年上の「ナナメ上」にいるような存在というわけです。「他所度の高さによる利害関係の少なさと『少しだけ上』という世代の近さが「ナナメの関係」の有用性だということに説得力がありました。特に「直接利害関係のない第三者」ということには納得しました。

 「直接利害関係がないナナメの関係」を持つことは高校生に限らず、誰しもに有益だと思いますが、社会人になると、そのような関係をつくりづらいように思います。とりわけ「議会」というコミュニティの中で、「直接利害関係」を考えないちょっと年上を探すことほど難しいことはない・・・というのが私の実感です。いずれにしても身近なところで「目標」にできる、もしくは「目標」にしたいと思えるような存在に出会えたなら幸運!と言えるのではないでしょうか。

 ところで、今日、来てくれた大学生たちに「身近に感じる」と言われました。これは、とてもうれしいことですね。その意味では私は大学生にとって、まだナナメの関係で位置付けてもらえるのかもしれません。私は毎年毎年、一つずつ歳を重ねていくわけですが、大学生と言うのはいつも「18から22歳前後」なので、年々歳の差を感じているからです。「議員をやってみたいを将来の選択肢にしてくれる若者」が増えてくれるといいわけですが・・・・。

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2005年08月16日

小橋の話し

 落合橋と上ノ根橋の間に予定されている小橋について。東京都からは「もうそれ以上の資料は出せません。」との回答が来ました。そこで、多摩市の方に概算要求をいつしたのかがわかる資料をもらいにいきました。もちろん稟議書が保存してあったので、そのコピーをもらいたいとお願いをしましたが、起案日や決裁印のついている回議用紙についてはコピーできないと言われました。それ以外の添付文書についてはすべてコピーしてもらえたのですが、回議用紙については「しかるべき手続き(情報公開条例に則った手続き)をとっていただかないと渡せません。」の一点張りでした。そんなことを言われたのは初め
てのことだったので、「他の部署では言われたことないですよ。快くコピーしていただけるのに。」と言うと「よそはよそです。」との返答でした。『縦割り行政』をつきつけられた感じがします。

 さて、部長から直接に経過説明をもらい、結局は地元からの強い要望があったために小橋の建設の話しが進んでいったことがわかりました。ところで「要望が強かった」と言うのは、よく使用される言葉なのですが、これは「要望の多さ」とはまた別のようです。要望の「数」と要望の「強弱」とは同じことではなさそうに思いました。
 それから、「もし、小橋が要らないってなったら、明神橋も要らなくなってしまうんですよ。」と言われました。つまり、話しを聞いたなかで、私が理解するところによれば①小橋の工事に積極的なのは、どうやら東京都である。②多摩市としては小橋の工事よりも、同じくらい、もしくは優先してやりたいのが明神橋の工事だった。③そこで小橋の工事をするのならば、明神橋の工事もしたい・・・というふうに東京都に交渉をした(のではないか?)。④東京都にも明神橋の工事も小橋と同じくらい重要な事業であると納得してもらえた。⑤小橋と明神橋の両方の工事を一緒に進めることになった。
 要らぬ憶測かもしれませんが、「小橋をやらないなら明神橋もやりません」と東京都から言われ兼ねないような状況なのかなと思いました。部長の「小橋が要らないってなったら、明神橋も要らなくなってしまう。」という発言の真意をいまいち推し測れず・・・。今日の話を聞いた感想でした。
 2つの橋梁工事全体で約3億円かかると見込まれています。そのうち多摩市は約6千万円を負担するだけでいいのだから、「実現するための手法」でチャンスだと部長は強調していました。

 とてもていねいな説明を受け、「ぜひ、橋の工事に賛成してください。」と言われたのですが、やはり、もう一度、橋梁工事の予定地を見に行って来ようと思います。

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2005年08月15日

選挙の争点

 今日は終戦記念日。戦後60周年にあたります。今日は各新聞社、地方新聞社も含めて社説を読んでみました。なかでも私は北國新聞 の社説には同感でした。

 「まず、自分たちが住むこの地域に目を向けることから始めればよい。
 ふるさとの歴史や伝統、文化を虚心に学べば、自ずとふるさとが好きになり、地域を大切にしたいと思うようになるはずだ。そうしてはぐくまれる郷土愛や愛郷心の延長線上に、国を愛する心がある。
 また、自分たちのまちを美しくする取り組みが各地に広がり、積み重ねられれば美しい日本が形づくられ、それに伴って、ふるさとや国に対する愛着心や誇りもわき上がってくるだろう。美しいふるさとがテロや侵略の被害に遭っては困ると思えば、守る意識が生まれてこよう。
 そのようにして生じる「国を愛する心」はごく自然なものであり、憲法前文に盛り込まれてもなんら不思議ではない。
 ふるさとを大切に思う気持ちとその実践から、国づくり、人づくりが進むと心得たい。 」

 多様な選択肢の存在が認められ、それを自分自身で選び取ることができて、「ごく自然」が生まれてくるのだと思っています。強制されてしまっては元も子もありません。

 出生率が年々低下しています。躍起になって「少子化対策」を講じています。しかし一向に回復しない少子化。その理由をどんな風に分析しているのかと思います。
 少子化対策を傍観している友人が言っていました。「何だか『子どもを産まない人が悪い』って言われている気がするよね。」「子育てしやすくしてるんだから『子どもを産みなさい』って言われているようだよね。」確かに、捉え方によっては「強制されているかのような」気持ちになるのかもしれません。

 結構、私の友人たちはシビアです。子どもが生まれたら、小学校、中学校・・・・と先を考えなければいけないけれど「不安だよね。」って言っています。何が不安なのかはわからないけれど、漠然とした不安感があるのです。「子育てにはお金がかかるから・・・・」と単にそれだけの問題ではありません。今の教育現場から伝わってくる問題などを耳にすると、何となく不安だというのです。具体的に声には出さなくても、東京都教育委員会の国旗国歌の強制問題などには関心があるようです。

 ところで、郵政民営化問題でその他の問題がかき消されているわけですが、成果の上がらない「少子化対策」を忘れることなく、ひとつ争点に加えてもらいたいものです。「ごく自然」に子どもを育てたくなるような環境づくりの方向性とその内容をもう一度点検してもらいたいです。

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2005年08月13日

「Little Birds -イラク 戦火の家族たちー」

「戦後60年」多摩平和イベント実行委員会による上映会でした。
時々、目を背けたくなり、まぶたを閉じたくなる映像もありました、でも、それを見なくてはいけない・・・・そう思いました。戦争は誰のためにあるのでしょうね。改めて考えさせられました。
 この映画を見ること、そして映像を通じて感じて、想像することを一人でも多くの人に共有していきたいと感じました。大手のメディアが流しているイラクの様子にも嘘はないのかもしれませんが、この映画にも嘘はありません。
 ぜひ、機会があれば、見てもらいたい・・・私は人に強くオススメすることはしたくありませんが、「Little Birds -イラク 戦火の家族たちー」は見たほうがいい映画です。

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2005年08月12日

役人天国?!

 乞田川の落合橋と上ノ根橋の間に新設が予定されている人道橋(「小橋」と言うらしい。)について、その補助金の流れなどを確認するために都議の原田恭子とともに都庁でのヒアリングをしました。

 すでに約束の時間前から控え室の外で待機をしており、さっそく説明が始まりました。都議会議員の場合には職員も全議員の名前と顔を一致させるのが困難との理由から、とりあえずは議員バッチをつけている人には「先生」と言えば間違いなしとされていると聞いたことがありますが、「ですからね、先生。」「・・・といいますか、先生・・・。」「先生のおっしゃることも・・・・・」「いやいやいや・・・先生。」・・・と「先生攻撃」での説明には、一緒に話を聞いていて居心地が悪く感じました。そして、こういうコミュニティにおかれているから、議員は「先生」化させられるんだとも思いました。
 しかし10も20も年上、なおかつ私にしてみれば両親とほとんど年の変わらない職員から「先生・・・」と呼ばれると、むしろ「ぞーっ」としてしまうのですが・・・・。

 さて、肝心の小橋の件について。結局、補助金については「交通安全施設等整備事業」というものに該当するそうですが、実はこれは国からの補助らしく「1億円以上」の事業に摘要されるとか。明神橋は総額約2億3千万円の工事になっているので、この補助を利用することができることがわかりました。しかしながら小橋は総額約7千万円ほど。つまり国からの補助ではなく東京都の補助金で賄われるらしいことがわかりました。
 市長の説明では総額で約3億1千万円の工事になり、その中で市が負担するのは約20%の6千万円だとのことでした。私の理解と、私がその場で確認したことは「明神橋のほうも、小橋のほうもそれぞれに市の負担が20%ほどですね・・・。」ということで、「小橋のほうの市の負担は約1500万円」になると聞いていたわけですが、説明を受けた東京都の土木費補助規程だけをみるならば、経費に対する補助率は多くても「2分の1以内」でしかありません。つまりこの考え方でいくと、市の負担が約20%で済んでしまうという説明には一致しないわけです。これがまず第1点の疑問。

 そして、二つ目。これは全く腹立たしいことですが、実は説明してくれた担当の方は数日前の電話によるヒアリングでは「多摩市から、そのような橋の要望は出ていません。」と言っていたにも関わらず、今日は「5か6月の概算要求で要望があがっていました。」と説明が全く違っていたわけです。数日前にご自身がおっしゃったことを忘れてしまったのかわかりませんが、今日の説明では「多摩市さんから明神橋のことについては口頭による相談があり、小橋については書面で出されていた。」と言っていました。
 「騙された。」とか「嘘をつかれた。」とは思いたくないので、勘違いされたらしい・・・・と考えることにしましたが、何とも言い難い状況に直面したなと感じました。

 「役人天国」という言葉がありますが、そのことをちょっとだけ体験した感じです。「言わなきゃわからない」ということなんでしょうか。「そこまで聞かれないだろう」ということなんでしょうか。

 こちらとしても、「小橋」建設の問題があまりにも唐突過ぎるので、一応、納得いくまで調査しようと考えています。夕刻に再度東京都の担当者に連絡し「多摩市から東京都に出したと言う書面をFAXしてほしい」とお願いをしたところ、「いやあ・・・・私だけで判断できないので○○(部下)に聞いてみて連絡します。」という返答が・・・・。もちろんこれにもビックリしました。どうして上司が自分の一存では決められないわけ?部下に相談するわけ?・・・・不思議なことだらけ。

 そして、すぐに相談をし終えるのかと思って待っていても、全くの音沙汰がなく、結局は2時間ほどたってからメールが送られてきたのでした。私たちが見たいのは、きちんと書類提出の受付日などの判子が押されている書類なのに、メールの添付で送られてきたものには「日付」がどこにも入っていない不自然さがあり、なおかつメモまでつけてあったのですが、そのメモの内容にも疑問の点があり。
 なぜなら、「東京都も無駄遣いを減らすためには市の要望が適正なものかどうかを判断するために現地視察も必要ではないですか?」と私が聞いた時、「そうは言っても、全部を見ることなんてほとんどできないですし、多くは写真判定ですよ。」と説明をしていました。にも関わらず、そのメモには現地を視察したと言うことが書かれていたのです。現場を見たのか見ないのかと聞いた時には「見ていない。」と言っていたのに、なあ・・・と思います。

 この「小橋」をめぐってはひとくせふたくせありそうだと感じています。市長が来年度予算に関わる概算要求で「小橋」だけを東京都にお願いをしたと言うのも不自然です。なぜなら、もっと優先すべき歩道橋の整備はあると感じるからです。市長はこのあいだの意見交換の時には「当初予算では向ノ岡橋の調査費も計上していますし、そちらの方を優先しているとご理解ください。」と言っていましたが・・・。でも今回の小橋はすでに完成まで見通しが立っている様子で、力の入れようでは差があるように感じます。

 要するに「住民要望だから橋を作ります・・・・」とすんなりと住民要望を受け入れてしまった市長の姿勢に疑問です。市長に寄せられる住民要望はたくさんあるばずです。その中から何を基準にして、どのような観点から優先順位をつけていくのか・・・市長にはとりわけ「小橋」について説明を求めていきたいと思います。

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2005年08月11日

ニュータウンとふるさと

夕刻の多摩センター駅前で街宣をしましたが、この時期はやはり人が少ないと感じます。でも、サンリオピューロランド帰りなのかなと思われる人は普段よりも多かったです。

そういえば「ふるさと」ってどんなイメージでしょうか。私は山があって、川があって、田んぼがあって・・・という田園風景がどうしても思い浮かんでしまって、多摩市と頭の中で描かれる「ふるさと」というイメージがなかなか結びつかないのです。自分が生まれそして育ったところが「ふるさと」なんだとすれば、多摩市が「ふるさと」である人も増えていると思うのです。しかしながら、ニュータウンの街並みは、「里帰り」する場所として思い描いてしまうイメージとはずいぶんとかけ離れている感じがしてなりません。ずいぶんな固定観念ができてしまっているなあと思っています。

 ところで、昨日から多摩センターでは夏祭りが行われているようです。といっても、駅前からはお祭りの雰囲気を感じられないのですが、パルテノン大通りには動物のイルミネーションが配置されてます。今日は平日なので人も少なめでした。土日に期待したいですが、実際にこのお祭りには市外の人が多く来ているようです。ニュータウン地域は休みになると田舎に帰省する人も多くなり、「留守」のまちになってしまいます。市内よりも市外の人の方が多い理由も納得できます。なるほど・・・私の持っている「ふるさと」というイメージは祖父母の住んでいる田舎町につながるんだろうなあと思った次第です。
 

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2005年08月06日

多摩市平和展

 今日は正午から自治基本条例の1周年キャンペーンを見学し、その後平和展へ。平和展には生活者ネットワークは団体で毎年参加をしているので、展示会場のボランティアスタッフとして手伝いをしています。今日の夕方はいよいよ、吉永小百合さんが原爆詩朗読会がありました。 
 ちょうど一ヶ月前の7月5日号の広報一面にて平和展と朗読会のことが案内され、朗読会は観覧希望者を事前に募り抽選をしましたが、なんと約3000人からの応募があったとのことです。さらに、今日は午後3時から指定席券との引換えをしたのですが、正午すぎからぼちぼちと並ぶ人もいて、吉永小百合さんの人気はすごいんだなあと思いました。
 そしてもちろん、その内容は「原爆詩」ということなので、ここに集ったのは「平和」に対する関心がある市民の方々だと思いましたし、応募して下さった人々を含めても、多摩市で「平和」という問題を感じて下さり、強く願っている人たちは決して少なくないことが実感できました。例えば、駅前の広場などで平和問題をテーマに街頭宣伝をしても、何となく世間の風を冷たく感じることが多いわけですが、私は今日の会場で、いつもとは違う空気に触れることができました。

 ところで、多摩市の平和展ですが、これも予算削減対象の事業になっていて、来年度についても今年度の約半分の経費が示されているそうです。市民実行委員会や市民ボランティアの力に頼りながら、毎年工夫を重ね、平和を次世代に語り継ぐために、そして毎年一度かもしれないけれど、平和のことを考える機会にするために行われている事業だと思っています。そして、かつてとは違い、ずいぶんと市民力に委ねられた事業になり、今では無駄を省きに省いたやりくりがなされている様子です。それをさらに経費削減しようとするわけですが、ある程度の‘かたち’ある展示をするためにも一定の経費を見なければならないのに・・・と個人的には思います。
 
 「平和の問題は大事です。」と一応は語っている市長の発言から考えても、比較できる問題でもないのかもしれませんが、昨日、提案された乞田川に新設する橋にかなりの投資をする前にすべきことがあるだろう・・・・と思ってしまいました。

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2005年08月05日

市長からの事前説明

 市長との意見交換というか情報提供が以前よりも増え、今日は会派の代表として事前の説明を受けました。今日の説明を会派のメンバーと共有し、次回の会派との意見交換会に臨む段取りになっています。しかしながら、意見交換はしても、その意見がどこまで生かされるかについては微妙な問題で、ほとんどは説明を受けるけれど、あまり修正の余地は見られなさそうだと個人的にはそのような感想を持ってしまうのですが、そこは市長への影響力(支援力)の無さに起因するのかなと考えています。

 さて、今日は9月定例会に向けて提出が予定されている案件を中心に説明を受けました。そして昨年度の決算についてもほぼ確定してきているので、そのことの説明も受けました。昨年度決算はぱっと見では約13億円の黒字で終わっていて、財政力指数も前年度よりもアップしていました。内情は別として、表面的には外部に公開されているデータで多摩市の財政力を測るとしたら、どんなに悪かったとしてもA-(マイナス)くらいの評価が下るでしょう。「多摩市は財政的に厳しい」とあおられるような状況とは少し隔たりがある結果でした。

 ところで、今日の説明で最も印象的だったことは補正予算の内容でした。この中には2つの橋梁工事のことが計上されていました。一つは明神橋。ちょうど東寺方小学校の通学路にもあたるところです。ここは以前に橋の拡幅をしてもらいたいとのことで陳情が提出されていたところですが、現地を見てもやはり危険だなと感じる場所の一つなので、工事が行われることは地域の市民の方の願いでもあり、ひとまずはよかったなと思えました。
 しかし、もう一つの橋は(・・・・市長がなぜその橋を作ろうと思うのか動機がわからず、正直、市長からの説明を受けてすぐに質問することができないほど驚きすぎて、質問もできないほどでしたが)、私としてはその必要性に非常に疑問を持ちました。もちろん、9月定例会の審議の中で説明が行われると思いますし、次回の意見交換会の時にも説明を受けようとは思っていますが、ちょうど多摩センターの落合橋と上ノ根橋の間にもう一つ橋をかけるというのです。

 多摩市はとてもたくさんの橋(川などにかかっているものだけでなく、いわゆるペデストリアンデッキも含めてですが)があるといわれていて、当然、維持補修なども今後大変になってくるはずです。確か、行財政診断白書でも、そのことが指摘されていました。今回の橋梁工事は二つの橋をあわせて全部で約3億円の工事となり、そのうち市の負担分は約6千万円とのことですが、金額の問題ではなく、その橋が本当に市民生活にとって、必要なものであるのか、全市的な視点にたって考えたのだろうか?というのが私の最大の疑問点です。今の多摩市にとって6千万円の支出はとても大きなものですし、例えば同じ橋の問題でいうと、連光寺の大型マンション建設予定地に通じている「向ノ岡橋」の拡幅のほうがよっぽど重要だと思われます。一体、市長は何のためにこの橋をかける判断をしたのか、理解しかねるのです。

 「無駄な公共工事はしない」当然の事だと思いますし、市長も「無駄を省く」という姿勢で経営感覚鋭い市政を目指すとあらゆる場面で主張しています。しかし、私はまたもや市長の経営感覚に疑問を持たざるを得ない予算が計上されたのではないかと感じた次第です。(ただし、もう一度詳しく説明は聞いてみますが…)

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2005年08月04日

「自治基本条例」

 大学院での集中講義が終了しましたが、今日の授業で議論した大きなテーマの一つが「自治基本条例」について。ちなみに、今日から自治基本条例一周年キャンペーンがスタートしましたが、知人から聞くところによると、市長がしゃべりっぱなしで、職員が着ぐるみを来ていて、PRチラシを配布している・・・「本当にこの暑さのなか、ご苦労さんとしか言いようがないよ。」との感想でした。明日は桜ヶ丘、永山、多摩センターと3駅で同様のキャンペーンを行う予定です。明日は土曜日なのでちょっとは人でも期待できそうかなと思っています。

 しかし、大学院での議論でも「自治基本条例って、そもそも何なのか、よくわからない。」との意見から始まり、「自治基本条例が本当に必要なのかどうか。」「あってもなくてもいいのなら、わざわざ手間隙かけてつくることもないのではないか。」という議論になったように、市民にとっても自治基本条例はわかりにくいものなんだと思います。確かに多摩市で自治基本条例が制定されて、なにがどのように、しかも大きく変化したのかについて具体的に説明することは難しいですし、市民自身が生活実感として自治基本条例の意義を感ずることもほとんどないと言えると思います。
 市長がどのように自治基本条例について市民に語りかけているのか、明日は足を運ぶつもりです。自治基本条例を知ってもらったり、理解してもらうためにはマイクを通して大勢にではなく、じっくりと小さな集団の中で語るような「対話」形式がなければなかなか難しいと言うのが私の考えです。

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2005年08月03日

子育てと仕事と

 昨日の朝日新聞の夕刊に漫画家、紫門ふみさんのインタビュー記事がありました。子育てと仕事との両立についての彼女の意見には、きっと共感する女性も多いのではないかと思いました。

 「おしゃれでしごともばりばりやって子供もちゃんと育てて、というイメージに憧れて『私も』と思うのはやめたほうがいい。そんなこと、あり得ないからです。何もかも失わずに全部こなすのは無理。私は子供が小さい頃、どの時間を削れるかを考えて、おしゃれと友達との時間を全部削った。お茶も食事も誘いは全部は断わりました。何を優先するかは自分で決めること。人の3倍努力をしながら、いろんなものを切り捨てる覚悟が必要だと思います。」

 その通りだなと感じます。紫門さんは「若い頃に積み立てた経験と言う定期預金を崩しながら描いてきて、40歳でほぼなくなってしまった。」と話すように、子育てをしている間に新しい貯金をする余裕がなかなか持つことができないのが現実だなと思います。
 果たして今、私の貯金がどのくらいあるのかわからないし、それを取り崩す一方なのかもしれないけれど、それでも子育てから学べることや子供からもらえるエネルギーはたくさんあるのだと思っています。そこで考えたことや感じたことを、新しい貯金に変えていくことができるはず・・・。
 出産や育児が「リスク」と言う人も中にはいるわけですが、「リスク」って実は「チャンス」になるときが多いのではないかなと思います。「リスク」を「リスク」にしてしまうのか、それを「チャンス」に変えられるのかはきっと心がけ次第…紫門さんは「いろんなものを切り捨てる覚悟が必要」と言っていますが、「切り捨てた分、得るものが大きい。」と言っているに感じました。

 明日まで大学院の集中講義があります。仕事と学校と子育てと・・・・やっぱり全部を完璧にこなすことって難しいのかもしれないなと思いつつ、その中でできる努力をしたいなと思う日々です。

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2005年08月02日

市民説明会の開催状況は?

 多摩市の公式ホームページに「ごみの現状とこれからの取組み」の市民説明会について、改めて掲載されていました。それには、これまでに開催した説明会への出席者の人数も公開されていて、今までに約300人強の参加者がいることがわかります。7、8月の2ヶ月間の説明会は、各地域の拠点施設にて開催される予定で、その後10、11月には各町内会や自治会、管理組合などに個別に説明をしていく方針が示されており、その際には役所の総力を挙げて市民に説明会をしていきたいと考えているようです。秋の個別説明会に向けて、ごみ担当の職員以外もこの問題を理解し、市民にしっかりと説明できなければならず、現在開催されている説明会には職員の参加も見られると聞いています。この約300人の中には職員の数はカウントされているのかいないのか・・・?確認事項の一つです。

 ごみ行政というのは、私たちの生活にとって「ライフライン」と同じくらい重要で、行政サービスとして必要不可欠なものだと考えています。この説明会の開催状況、参加者数も含めて、どのように捉えていくのだろうか・・・先日の市長との意見交換では説明会でのアンケートでは、ごみ問題解決のために導入されるごみの有料化に対して概ね理解を得られていると言うような話がありましたが、私は本当にそうなのだろうかと思います。私の身近にいる人は市の説明会で「ごみの減量に努力している人が報われる仕組みとして有料化導入を説明しているけれど、努力している人にとっては有料化されることの方がよっぽど迷惑。」という声も聞きます。また、これは「なるほど、そういうこともあるんだ。」とビックリしたのですが、昨年に有料化を実施した八王子市に住んでいる学生などに話しを聞くと「ごみをコンビニに捨てに行く。」とか「学校に捨てに来ている人もいる。」とのことです。

 ごみの有料化をしてどこまでごみを減らせるのかについて「15%」という目標を掲げているということは活動報告の中でも何回か書いているわけですが、お隣の稲城市の実績(16%減)を鑑みて算出したと言う目標の立て方にもまずは疑問符ですし、私自身はもう少し高い目標を掲げてみてはどうかとも感じたわけですが、これに対して市長は「多摩市はダストボックスの廃止をしてまずは一定のごみ減量化に成功しているので、さらに減らしていくための努力で15%。つまりダストボックスの廃止の時から考えると15%以上のごみを減量させたという風にも考えられる・・・・」というような説明がありました。
 そして、「15%の減量は、それほど難しくないです・・・。」というような論調で説明をされればされるほど、「だったら有料化をしないで、市民のごみ減量の努力をとりつける。」ことは本当にできないのか?という風にも感じます。

 多摩市の公式ホームページにはごみ問題に関して掲載データなどが増えました。それから、「ごみから変えよう!環々学々の会」というごみにした環境問題に取組む市民のグループがが発行している情報誌「けせらん・ぱさらん」の最新号も発行されていますが、ここにも市民説明会に関する意見が掲載されています。公民館などにも置いてあるとおもうので、ぜひ一度ご覧いただければと思います。

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2005年08月01日

自治基本条例施行から一年・・・

 先日の広報に掲載されていた自治基本条例施行から一年を迎えてのキャンペーン。市内4駅におけるPR活動は4日(唐木田)、7日(聖蹟桜ヶ丘、永山、多摩センター)で行われるようですが、あわせて今日から庁舎のロビーで自治基本条例に関連した資料の展示をすることになっていたので、足を運んできました。確かに、正面玄関すぐのところに掲示物と資料が置いてありました。
 しかしながら、しばらくの間、その付近で様子を見ていましたが、私がその場に居合せた限りでは、立ち止まって掲示物や資料を眺める人はほとんどおらず、掲示ボードの前を素通りする人ばかりでした。その様子をじっと見つめながら、自治基本条例の役割を改めて考えさせられました。9月議会の一般質問のテーマにもなっているので、市民の自治基本条例に対する反応を冷静に受け止めたいと思いました。


 ところで、市議会ウオッチングのメンバーの方々と遭遇してしまい、政務調査費について話をしました。実は私たちの会派は支給されている政務調査費を使いきることなく、ほとんどを市長に変換している状況に対し、意見をいただきました。政務調査費を有効に活用していくべき、積極的に利用して、市政調査などに生かすべきだと言うことでした。もちろんそれについては、私も同様に考えています。
 しかしながら、かつては第二の報酬ともいわれてきた政務調査費。現在は、多摩市の場合には報告書も公開、そして添付した領収書なども公開することになっており、かなり使途も厳選されるようになりつつありますが、それでも市民にはいまいち理解されにくい存在のように感じています。
 
 そもそも「政務調査」ということの解釈が定まっていない現状で、何が政務にあたるのか?という議論がずっと残されていること。何となく使いづらさを覚えていますが、特に私が難しいと感じているのは、宿泊を伴う視察です。遠方地域まで行った場合には宿泊も必要になる場合があって当然です。しかし私は宿泊を伴うような視察はなるべく控えたいと思ってます。というのは、「宿泊料は1泊につき14,000円(定額)とすること。」というキマリがあるからです。今は価格破壊もありビジネスホテルなども1万円前後で宿泊することが可能ですが、実費請求ではなく定額請求をしなければならないので、実際の宿泊料と支給される宿泊料との間に誤差が生じてしまいます。
 この宿泊料をはじめとする支出基準は代表者会議で議論され決定される事項です。2年前の改選後も政務調査費に関しての意見交換がありました。私は会派を通じて、「実費請求」を主張しましたが、これは受け入れられませんでした。そこで妥協せざるを得なかったという経緯があります。代表者会議は合議制なので、一つの会派でも反対をすれば議論は中断してしまい、「話合いはこれにて終了」と幕を閉めてしまいます。そうなった場合には、物事の決定ができないので「従前通り」となってしまいます。宿泊料支給についても、従来と同じく定額15,000円を踏襲せざるを得なくなるわけです。
 そこで悩ましいわけですが、「従前通り」を選択するのではなく、それよりは1,000円であったとしても、支給額を減らすことができる方向に賛同したのです。

 しかしながら、やっぱり私は今でも「実費請求であるべき。」と考えていて、そのことを思うと、宿泊を伴う視察に積極的にはなれないのでした。このような宿泊料の計上の仕方は、市民にはなかなか納得されないものと考えているところです。それこそ自治基本条例の精神を生かして、市民とともに議論してみてもいいのかもしれません。


 何はともあれ、自治基本条例をもっともっと使いこなすことが必要なようです。そのためには、市民の中にこの条例を浸透させていかねばなりません。

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2005年07月27日

何も考えないこと

子どもが1歳になったので健康診断兼ねて神戸に行ってきました。2泊3日の予定で昨日かえってくる予定でしたが、台風予報で一日延期をして今日多摩に戻ってきました。朝7時すぎの新幹線はビジネスでの利用が多く、車内では朝の睡眠をとっている人がほとんどで、子どもが騒がないかどうかハラハラ・・・しながら過ごしました。それでも、新幹線には多目的室もあり、何かの時には利用できるので安心できますが、新幹線に乗るまでと降りた後の電車はさらにヒヤヒヤしてしまいます。
 それにしても子どもは「ここでは寝ていて欲しいな。」と思うところではなかなか寝てくれないものです。

 今日は午後から多摩ネットと稲城ネットの合同で選挙の総括をしましたが「勝ててよかった。」と言えない要素を探しながら話合いをしました。何しろ今回の選挙は「争点なき」と言われていたわけですが、最終的な結論としては「争点はつくりだすもの」という視点で有権者に‘今’を伝えるきる力が必要だというまとめができそうです。

 ところで、今日は道端で出会った知り合い数人に「いつもより生き生きしていて元気そうだ!」と言われました。それは大当たりで、やはり数日でも仕事のことをすっきりと忘れると、気持ちも体も元気になった気がします。何よりもパソコンがない環境はいいものです。「何も気にせず」という状況を創り出しながら、また元気になり、次に臨めるような自分づくりというのも、いろんなことがあっても前向きに考えを持ちながら生きていくために必要なことだなとつくづく感じています。頑張りすぎず、時にはサボる事も必要で、サボれる能力もあるのではないか?と最近考えています。

 明日からまた気持ちを切り替えて、9月議会に向けて準備を進めていきたいと思っています。

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2005年07月19日

休みあけ・・・

 脅威の日照りと暑さの続いた3連休でした。オゾン層の破壊と紫外線・・・昔は子どもには日光浴がいいと言われていたみたいですが、今では日光浴もそれほど推奨されていません。アトピっ子に紫外線は大敵のようで、私の子どもはなるべく紫外線にあてないようにと言われています。子どもは水浴びが好きですが、これも夕方以降にすること・・・・最もプールは塩素がキツイので入らないのが望ましいそうです。

 実は昨日からパルテノン多摩にて世界最大の国際クラリネット祭が始まっています。これは今年度、パルテノン多摩の催しでは一押し、鳴り物入りのイベントのようです。乳児づれでの鑑賞はなかなか難しいために、昨日のオープニングパレードには行ってみようと思っていたのですが、昨日の天気に子どもを連れ出す気分にはなれず結局、行けずじまいだったので明日のウエルカムコンサートには足を運びたいと考えています。
 盛りだくさんの魅力的な企画がありますし、海外からもアーティストを含め、多くの来客があるのではないか?と思っていますが、まだ足を運んでいないので、実際の様子を見るのがちょっと楽しみです。このようなイベントがあることで少しは‘まち’に元気が呼びこめるかなと思います。明大前の駅にもたしかポスターが貼ってあった気がします。

 ところで今日は健康診断に行ってきました。議員の健康診断は職員の健康診断とあわせて行われていて、希望制になっています。議員4年目にして初めて受診してみました。というのも、一応議会費の中には健康診断受診のための予算が計上されているからです。私の場合には市民健康診査を受けることが出来ないので、せっかくの機会にと受診をしました。
 私が今回初めて受診したと言うことからもわかるように、健康診査とかは結構面倒くさいもので、ついつい「健康だから大丈夫」と思って‘パス’してしまうことが多いのではないでしょうか。しかし病気など、体調不良になってからではなく、やはり「予防」という観点からもできるかぎり健康診査を推進していくことが大事なのではないかと思います。市民健康診査は30代の人が対象です。特に30代くらいですと油断してしまいがちではないかと考えます。ちなみに40代以降の人には誕生月健康診査があり、個別の通知が届くので、まだ認識しやすいと思われます。しかし市民健康診査は希望制になっているので、まだこの制度を知らない30代の市民も多いのではないでしょうか。

 健康診断は医療費の抑制にもつながっていくわけですし、市の健康づくりの中でも要として位置付けられると思います。何でもが‘自己責任’と問われる時代ですが、この制度は大事だと思っています。特に、今、若年層はフリーターやニートが多いとされていますが、その現状を鑑みても、必要とされているように感じていますし、むしろ必要とされなければならない制度だと考えています。

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2005年07月17日

選挙費用はどれくらい?

 ‘選挙’と言うと、「すごくお金がかかる。」というイメージがあり、だから「お金がある人しか選挙できない。」と言われます。
 *参考「三バン」

 生活者ネットワークの選挙といえば、「カンパとボランティア」と言われるのですが、一体どのくらいの費用がかかっているのか公開してもいいのではないか?という意見をもらったことがあります。確かに、ホームページなどに会計報告が掲載されていないので、情報公開の徹底を謳っている組織としては十分ではないのかもしれません。
 選挙はお金をかければいくらでもかけられるものでしょう。なぜなら、見えないところでお金が動くということが今でも存在しているとも言われます。法定選挙費用は決まっていますが、その実態はなかなか明らかにされません。・・・というか明らかになれば選挙違反です。
 
 もちろん生活者ネットワークは明瞭会計ですが、「カンパとボランティア」という点からすると、もしかすると疑問を持つ人もいるかもしれません。一体どのくらいのカンパを集めたのか・・・というと今回の場合には「カンパ」に相当するのは約120万円ほどだからです。残りはプール金によって賄われます。生活者ネットワークの組織の仕組みから立候補する場合、候補者が選挙費用を出すことはありません。そのかわり、当選して議員になると、その歳費を「20万円」だけもらい、残りはすべてを生活者ネットワークに寄付します。つまり、これが「プール金」なのです。寄付したお金をプールしておき、日々の活動資金や次の選挙資金にしていくという仕組みになっています。そこで選挙の時には「身一つ」で候補者になることが可能なわけです。

 さて、今回の東京都議会議員選挙は総額で371万934円かかっています(これは公費負担分を除きますので、公費負担を勘案すると実質のネットの負担はもう少し減額されます)。これが多いか少ないのかというのは評価する立場からは異なるのだと思いますが、法定選挙費用よりはかなり少ないと言えそうです。
 このうちの半分は「広報物」の費用です。リーフレットからポスター、公選はがき、それからネットニュース作成と折り込み費用分が含まれています。やはり政策をていねいに伝えていくためには広報が書かせません。ニュースの原稿は議員や事務局が分担して書き、校正やレイアウトやデザインなど等は全てボランティアなので、リーフやネットニュースの作成費用は印刷代と新聞折込分だと言えるわけです。ちなみに、リーフレットは多摩と稲城で4万枚、ネットニュースは3回発行しましたが合計で24万枚を作成し、ほぼ全部の配布を行いました。
 候補者を知ってもらうためにはあらゆる広報手段を駆使する必要があるわけですが、インターネット時代たと言われていても、やはりきちんとした印刷物がまだまだ必要です。ちなみに配布については新聞折込もありますが、全戸配布でも行っていて、この配布ももちろんボランティアの方にお願いをしています。
 
 やはり人件費が0であること。ここがネットの場合「ボランティアでの選挙」と言うことができる由縁かもしれませんが、選挙カーのウグイスはもちろんのこと(今回の場合は市議会議員6名が中心でした)、選挙カーのドライバーから、事務所での作業員もすべてすべてがボランティアです。人件費分を換算するとどのくらいになるでしょうか?
 
 ところで、私はつい最近おもしろいページを発見しました。これは神奈川県大和市の市政ウオッチング大和のページなんですが、「選挙運動の収支報告」 が掲載されているのです。議員が自らではなく、市民がこのような経費を明らかにさせて、ホームページで公開してしまう時代になったんだな・・・としみじみと市民力を感じている次第です。

 選挙費用の公開は選挙を理解してもらうため、そして政治活動を理解してもらうためにも大切なことだと思われます。

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2005年07月15日

(仮称)市民活動情報センターのその後

 当初予算が否決された後に、削除された項目に「(仮称)市民活動情報センター」がありました。これは聖蹟桜ヶ丘にある情報ライブラリーの一角に名前どおりの情報ステーションを開設し、市民活動をしたい人などへの相談窓口などを行うというものでした。
 私はそもそも考え方として情報ステーション的な場所を設けることに反対を唱えるつもりはないのですが、その進め方などには疑問がありました。まず一点目としては現在の情報ライブラリーの使われ方です。どのように活用されているのか、情報ライブラリーのところは何度も素通りしたことや、中にもは行ったことはありますが、それほどたくさんの人でにぎわっている様子はほとんど見たことがありません。実は本当にここの施設が有効活用されているのか疑問ですし、何しろ桜ヶ丘駅前の一等地にあることを考えても、もっと有効に市民に使ってもらえるように衣替えするべきだと考えてきました。
 今回の「(仮称)市民活動情報センター」を開設するのならば、同時に現在の情報ライブラリー機能についても見直すべき、私としては廃止統合していくべきだと思っています。当初予算の特別委員会では、周囲の議員に「しつこすぎる」と言われながらも、私がこだわって質疑をしたのは新規事業で市長が目玉の事業だと言っていた「(仮称)市民活動情報センター」のことでした。

 このような情報ステーションの必要性ですが、これは各自治体とも認識をしています。なぜならば、いよいよ団塊の世代のリタイア組が地域に戻ってきた時に備えるためです。
 そこで今日は国分寺市の方に出かけ、市民活動センターをはじめとして、市民活動状況などの話しを聞いてきました。どのようにオープンにたどりついたかの話の中で、最も参考になるなと思ったのは「市民活動」のデータベースをつくるために市民協働による調査活動をしたという点です。
 約4ヶ月間、のべ50名ほどの市民の協力を得て、全市の市民活動(自治会や町内会も含みます)の調査をしたというのです。経費はヒアリング調査とホームページの設計料等を含めて550万円ほどかけて下準備をしました。
 多摩市の場合には、とりあえずは場所をつくる・・・という発想からスタートしていたようですが、国分寺市のように設立するにしてもその下準備をしっかりとしてからすべきだと思いました。場所だけあっても使われなければ、意味がないわけで、「場所ありき」の発想では看板が泣いてしまいます。

 実はデータベースづくりには、ホームページに掲載を望む市民活動団体に「登録」をしてもらうというような方法もあるのかもしれませんが、それはただの「待ち」の姿勢でしかなく、やはり国分寺市のように積極的に市民活動団体のデータ収集に取組んでいくような姿勢が欲しいと思いました。
 実際に、アドバイスをもらいなるほどなと思ったのですが、今は個人情報保護との兼ね合いで、例えば教育委員会(公民館)で把握している情報を別の部署が簡単には活用できず、情報をもらうことが出来なかった分、調査活動が大変だったという話です。公民館でもサークル情報をデータベースにしており、それを借りることができなかったのは残念だったと感想をもらしていました。確かに個人情報保護との関係で、情報の取扱いは慎重にすべきですが、このような場合にはもう少し臨機応変な対応ができないものかと思います。

 さて、一旦は削除されてしまった「(仮称)市民活動情報センター」ですが、その後、どうなっているのかが気がかりです。私はこの事業については情報ライブラリーとの統合をはかるべきだと思っているので、まずは教育委員会との話し合いが大事なことだと思っていますが、情報ライブラリーは教育委員会サイドで見れば「欠かせない非常に重要な市民のための教育施設」であるという位置付けなのかもしれません。もしそうであるならば、これまでの実績をしっかりとみせてもらいたいですし、今後の展望も、そこに税金を投入することに納得出来るだけの説明で語ってもらいたいものです。

 団塊の世代が地域に戻ってくる・・・それに向けて「(仮称)市民活動情報センター」のオープンをしていきたいとの方針がどのように具現化されていくのか注目したいと思っています。

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2005年07月11日

選挙の総括・・・

 先日終了した東京都議会議員選挙を総括するために会議をしました。今回、南多摩選挙区で生活者ネットワークの候補者が当選した理由について、やはり「民主党が候補者の擁立を見送ったこと。」が勝因の大きな要素だろうという話になりました。
 というのも生活者ネットワークは全部で10名の候補者を擁立しましたが、当選したのは3名、選挙前の6議席からの半減という厳しい結果でした。そのことについて少し分析をしてみてわかることは、やはり生活者ネットワークという組織単独で都議会議員選挙レベルを戦うことが難しいという事実です。地域によっては民主党の推薦もとりつけたところもありますし、南多摩選挙区でも選挙戦を通じて民主党推薦をアピールしてきました。しかしながら、民主党公認候補がいる選挙区にて民主党推薦を主張してもそれほど大きな効果はなかったようです。そのことは一目瞭然、選挙結果を見たらわかります。

 選挙の時には「公約」を掲げます。生活者ネットワークでも政策を提示してきました。その政策を実現するからこそ評価されるのだと思っています。その意味では、前回の都議戦で6人擁立全員当選を果たした以後の生活者ネットワークの都議会での活動に厳しい評価が下されたと言えるわけです。評価があり、今後への期待も加味されて「一票」につながっていくからです。
 さて、南多摩選挙区で当選を果たしたことについて、まずは安堵の気持ちがあります。しかし、これからが厳しい道のりだと感じています。何をどのように市民に還元していけるのかと言う点では非常に高いハードルをクリアしなければならないからです。
 都議会の定員は127名なので「一体、3人で何ができるわけ?」という厳しいご意見も既に耳に聞こえてきます。確かに、生活者ネットワークの「公約」がどう実現していけるのか、正直、そのことについては自信を持って臨める体制ではなく、市民と交わした約束をどうしていくのかが大きな大きな課題です。
 
 「生活者ネットワークの候補者だけど実態的には民主党の準公認候補」とも言われていることも考えつつ、これから都議会の中での生活者ネットワークの存在価値をどのように創っていくことができるのか・・・私の中ではまだ答えが見つかっていません。
 

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2005年07月10日

子どもが病気になった時・・・

 夏風邪が流行しているようです。私の子どもも金曜日の朝よりすっかりダウン、熱が40度からなかなか下がりません。解熱剤も一向に効き目がなく、熱が下がっても39度台どまり。金曜日にかかりつけのお医者には診てもらったものの、熱が出て頭がフラフラで、さらには喉がゼーゼーして、咳込んでは目を覚ますのでほとんど眠ることができず・・・という状況が続いていました。
 もともと体が強いほうではなく、遺伝的にも気管支炎や肺炎を起こしやすいことがわかっているので、下がらない熱に心配になり、真夜中に途方にくれてしまいました。すでに準夜診療所も終了しています。「かぜは万病のもと」なので、大事に至らしめないためにもできるだけ早く対応したほうが良さそうだと判断しました。

 そこで病院にかけこんだわけです。ところが、医師から見たら‘たいしたことのない病状’とのこと。このような状況で救急で駆け込むことが、非常に煩わしかったようです。昨日の場合にも、「なんでこんな症状で来るんだ。」と言いたげな表情でご立腹模様の対応を受けました。
 結局は夏風邪は高熱がずっと続くこと、子どもにとっては38.5度以上の熱であれば、39度も40度であってもどれも同じであること、かかりつけ医の先生から処方をしてもらった薬で対応できること、そして解熱剤をつかいすぎなこと(でも使用方法は守っているのに)・・・などなどと指摘をされ、手持ちの解熱剤がなくなってしまったこともあり、薬だけ処方してもらい帰宅をしました。
 「病気と戦っているんだから、熱が出るのは当たり前でしょ。そんなことぐらいわかるでしょ。」と吐き捨てるように言われてしまいました。

 でも、初めてのことだらけの子育てには、わからないことづくしです。子どもの病状のことも、素人目にはどうにもこうにも判断のしようがありません。特に、まだお喋りもままならず、ただ泣くだけの子どもの場合には、こちらもどうしたらいいのかわからずに、逆に泣きたくなってしまいます。こういう状況では、すぐにお医者にかけこんでしまいたくなります。例え、お医者さんから見ればたいしたことがなかったとしてもです。
 「わからない。」からこそ病院へ行くわけです。好き好んで病院に子どもを連れて行くわけではありません。それにも関わらず、とても面倒くさそうに診察をされ、「現段階では、私も医者ですからたくさんの子どもを見ていますけど、この子はそんなひどくありません。ただし‘現段階’ではですよ。」と言われては、もちろん、ひと安心はもらえたものの、病院に行ったことに心底、後悔しました。・・・・でも、後から考えて、どうして患者がこのような気持ちにならねばいけないのだろうと思ったのです。医者にとって私は「大げさな保護者」なのかもしれませんし、オバカな親でしかなかったのだと思います。でも、私は小児医療の専門家ではありません。

 医師からもらった処方箋をたまたま見たところ「前と同じ。当直医師激!」と書いてありました。おそらく激怒の「激」だと思いますが、今日の私のように救急でかけこんだ人がいるんだろうなと考えました。そこで、薬局の人に「お医者さんから見てたいしたことのない私のような患者さんって多いのですか。何だか先生が怒りっぽかったのですが・・・」と尋ねてみると「そうですね、多いんですよね。ほとんどが救急じゃなくてもいい人が多いんですよね。でも心配ですからね。ただ、小児科の当直の先生が一人しかいないので、きっと眠っていないんでしょう。」と言われました。なるほど、ご立腹気味で機嫌の悪い対応をされた意味を理解しました。
 
 しかしながら、「病院に行ったのは、非常に申し訳ないことだった・・・」という感想を持ちました。次から病院に行くことをためらってしまいそうですし、そうならざるを得ません。昨日はタクシーに乗りましたが、タクシーの運転手さんも心配してくれるほど子どもの喉はゼーゼーなっていたのに・・・・。どうなったら救急でかけつけたらいいものか素人目で子どもの状態を判断する基準がわからないと思いました。


 来月から、多摩市では「多摩市準夜診療所(内科・小児科)」を「多摩市こども準夜診療所(小児科)」として衣替えします。ホームページの中にも「子どもの突然の病気については、小児科専門の医師への受診要望が高く、ご家族が不安のあまり、小児科のある病院に直接行かれる方も多く、病院では対応が困難な場合もおこっています。 」という説明書きがありますが、おそらく小児科医不足で当直医師が一名しかいないような体制の中、医師からみて‘たいしたことのない症状’で駆け込まれることは非常に迷惑なこととも考えられます。
 
 昨日、「子どもって言うのは夜に熱を出すんですよ。大人もそうですけどね。夜に熱が高くなるのは当り前のことでしょ。」とも言われました。ホームページでは「そこで準夜帯における小児の初期救急については、小児科医がこの「こども準夜診療所」の診療を担当します。これにより、必要な場合には病院への紹介を含め、医療連携もスムーズに行うことができます。 子どもが急病の時は、まずこの診療所で受診してください。 」ということのようですが、準夜という時間帯が19時~22時(受け付けは21時45分まで)ということでは、やはり真夜中の対応はできないという課題があることは否めません。子どもの体調は22時以降に悪化する傾向がありそうなのですが・・・・。不安な家族の気持ちをカバーすることもとっても大事な医師のお仕事だと思います。医師に見てもらって家族が安心をもらうこともまた、子どもの体調を快方に向かわせるための条件のひとつで、子育て・子育ち施策の中でも大切な観点ではないかと感じています。それに本当に対応しきるだけの体制が整っているのかどうか・・・もう一度点検してみてもよさそうです。

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2005年07月05日

たま広報のつかいかた

 いよいよ今週末から「ごみ有料化」に向けての市民説明会が開催されます。前回のたま広報に開催日時などのお知らせが掲載されていました。あわせて「ごみ量速報」も特集されていましたが、ごみの全体量は微減ですが、もちろんまだまだ減量を進めていかなくてはなりません。

 ところで、市民説明会開催の周知ですが、開催間際の広報で日程が掲載されていては、予定がたちにくいわけで、なるべく早い段階で知らせる方が望ましいと言えるでしょう。ところが逆に、早く知らせすぎて忘れてしまうから、早過ぎるのもいかがなものか?と言われました。なるほど、前回の広報が発行されたのは6月20日で、市民説明会のうち初回は7月10日日曜日なので、その間は20日・・・となると間が開きすぎているというのも決して的外れな指摘とは言えないような気がします。

 そこで「知らせ方」というのが、また一つ重要なことだと思うわけです。そこで多摩市のホームページを見てみたのですが、とりあえずはトピックスに「市民説明会」の案内が告知されているものの、他のトピックスと横並びになっていて、見やすいとは言えません。こと、本件ごみの有料化問題と言うのは、市民のくらしにとって非常に重要なことなので、もう少し目立つように表記する工夫が必要だと感じます。一人でも多くの市民に参加をしてもらえるように、やはり呼び掛けが大切です。
 
 さらに、考えてみたのですが広報についても継続的に市民説明会の日時を掲載しておくといいかもしれません。7月10日から始まり、終わりは8月26日になっています。毎月5日と20日にたま広報が配布されることを鑑みれば、少なくとも6月20日号から4回分には日時掲載が可能です。
 たま広報にも掲載したい記事が山ほどあり、広報担当は苦労しながら記事の編集など考えていると聞いていますが、全ての情報を掲載することは絶対に無理です。そうであるならば、「ごみの有料化」への取組みは毎回の広報のどこかに記事掲載をしてもいいくらいの重要な事項ではないかと考えます。限られた紙面を市民のためにより有効に活用していくために、まだまだ工夫と改善ができそうです。

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2005年06月24日

都議会議員選挙がスタート!

 都議会議員選挙戦がスタートしました。今日は一日、選挙カーで市内をかけめぐりました。まずは選挙があるということをPRして、候補者の名前を大々的に宣伝することが必要です。残念ながら、選挙があることする知らない人がたくさんいるので、選挙カーで宣伝することは実はとても重要な選挙活動のひとつだと言えます。少なくとも「選挙が始まったのかも・・・?」くらいの注意はひけると思うからです。
 
 とは言っても、選挙カーを迷惑車と位置づける人は少なくありません。ただの騒音公害でしかないと怒鳴られることもしばしばあります。しかしながら、例えば保育所、幼稚園、学校施設、病院の付近では大きな音は出さないようにとできる限りの配慮をしています。そうは言っても、全ての人への対応ができるわけではありません。保育所でお昼寝をしている赤ちゃんには気配りができたかもしれないけれど、自宅でお昼寝中の赤ちゃんには配慮が行き届かないわけです。これは致し方ないこととは思うのですが、一方で市民の気持ちも十分にわかるので、選挙カーに乗車していて肩身が狭い気分になることもしばしばです。一応、選挙カーも合法的に動いていることは確かで、街頭演説をすることも認められています。どんな候補者で、どんな政策をもっているのかを知らなければ選びようがありません。法律の中では結構な位置付けをもらっているのが選挙カーです。

 さて、低投票率が心配されているのが今回の選挙です。そうなると尚のことPRが大事です。一票、一票の積み重ねが大事なことを決定する場所の品質を決めていくと思っています。個人的には一票の意味についてをていねいに訴えていく選挙戦にしていきたいと考えています。す。
 ちなみに今日は投票券が送られてきました。気軽に投票できる期日前投票(駅前投票所)に今回から多摩センター駅前が加わりました。投票日は7月3日となっているわけですが、実は明日から不在者投票が可能です。つまり明日からは「毎日が投票日」と考えることができそうです。

□不在者投票 6月25日(土)~7月2日土曜日 8:30~20:00
          多摩市役所西第1会議室

□駅前投票所 6月29日(水)から7月1日金曜日 10:00~20:00
         (桜ヶ丘駅)  関戸公民館情報ライブラリー
         (永山駅) ベルブ永山講座室
         (多摩センター) カリヨン館8階

    
           

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2005年06月23日

明日から都議会議員選挙が始まります

 今日は一日どっぷりと選挙態勢。朝の遊説から始まって、政策宣伝車に乗車をして市内をかけめぐり、その後少しの時間をもらって帰宅して子どもに出会ってから、再び夕方の街宣活動があり、明日以降の日程確認など打ち合わせ。すっかり家に着いたのは午後10時を過ぎていました。それでも、まだ選挙事務所にはスタッフが明日を迎えるための準備をしている状況です。

 都議会議員選挙は国政選挙の前哨戦という言われ方もありますが、実はここ多摩市では来年4月に市長選が控えており、巷では市長選の前哨戦ともささやかれています。いずれにしても私にとっては選挙が終わってまた選挙・・・・(市長選が終われば一年後にはまた統一地方選挙で市議選があります)これは議員であるならば宿命なのかもしれませんが、どうも選挙ばかりに追われてしまいそうな・・・あまり考えたくないことです。選挙だけが仕事にならないようにしたいものです。

 ところで、「政治は誰がやっても変らない」とあきらめること、あきらめてしまうのも今の状況では致し方ないのかもしれません。社会全体が停滞モードであれば尚のことです。しかし「誰がやるかで政治は必ず変ります。」そのリアリティを多くの市民が体感していないことが現況を生み出し、「投票に行く気すらおきない。」というため息につながっているのだと思います。
 でも、ため息をちょっぴり憤りに変えてもらい、行動をしてもらいたいなと思います。行動しないことが結局はいつまでたっても「誰がやっても変らない」を温存しつづけるからです。実は「市民(有権者)が変らなきゃ!」なのです。
 今まで投票に行かなかった人が投票に行く!これが政治を変える力になっていくはずです。本当の意味で「政治を変える力」を持つのは市民なのです。これこそが選挙戦を通じて、私が何よりも強調したいところです。


 *都政に対するご意見やご提案、ぜひともお寄せください!お待ちしています。

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2005年06月22日

6月定例会が終了しました

 定例会最終日。全ての議案は可決されました。毎年、6月議会は年度始めということもあり、わりと無難に終わるのが通例です。
 今回は来年4月から導入される指定管理者制度に向けた準備段階の条例が数件可決されました。具体的に指定管理者の指定をするのは今後になります。現在示されているスケジュールによると12月議会に指定管理者決定の議決が行われる予定ですが、指定管理者に移行する公の施設〔パルテノン多摩、多摩中央公園内駐車場、コミュニティセンター、駐輪場(現有料駐輪場3か所)、永山複合施設駐車場(ベルブ永山)〕のほとんどは現在の管理委託先がそのまま横滑りで指定管理者になる模様で、公募による指定管理者の選定を行わない方針のようです。

 指定管理者制度では民間活力を導入し、 より効率的で質の高いサービスを提供することが求められます。特にパルテノン多摩に関しては現在の財団法人多摩文化振興財団が指定管理者になる方針で段取りが進められています。既に3月議会の段階でその方向性は明らかにされています。
 公募せずして指定管理者を選定するためには、市長により「公の施設の性格、規模、機能等を考慮し、設置目的を最も効果的かつ効率的に達成することができる団体があると認められ」なければなりません。市長からは12月議会の中でパルテノン多摩が指定管理者として最も相応しいと判断した理由が述べられることでしょう。十分に市民にも納得のいく説明をしてもらいたいと考えています。
 
 

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2005年06月21日

雑感

 蒸し暑い日が続きます。都議会議員選挙の告示まであと3日に迫りました。そして明日は6月定例会の最終日です。
 今日は午前中に1時間弱でしたが、土地開発公社の評議員で集合し、公社が所有している土地を見学しました。3ヵ所ありますが、すべて聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩ですぐの立地条件の良い場所にありました。それぞれ保育所用地、駐輪場、家庭菜園用地として使用されていました。3ヵ所あわせて用地代(取得価額)は約19億で、現在価額は約4億8千万円です。ため息を出すことすらためらってしまうような減価です。バブル時代のツケ・・・。悔やんでも悔やみきれませんが、これも結局は税金で何とかするしかないのです。

 ところで都議会議員選挙が近いにも関わらず、いまいち盛り上がりに欠けるというか、争点なき都議選と言われるように有権者の関心をぐっと引くような課題がないからなのか・・・お寒い選挙戦になりそうです。午後からは杉並区から立候補を予定している女性の応援に行って来ました。
 多摩市の駅の雰囲気とは全く異なる荻窪駅前での街頭演説。人々の通行量はとても多いのですが、政策ビラの配布に関しては悲しくなるくらいに目を背けられ、ビラを渡そうとする瞬間にそっぽを向く人がほとんどです。杉並区では立候補予定として名乗りをあげている人が12名もいて選ばれるのは6名という候補者乱立に近い状況です。その点から考えて、有権者の関心は高いかと思っていたのですが、‘無風’と感じている多摩市での有権者の様相とほとんど変りがありませんでした。心底、政治が見放されていることを感じました。「それほどに、期待されていないのかなあ。」と。議会では大事な決定が行われているのに・・・。

 今回の都議会議員選挙を控えては投票率が35%にも達しないのではないか?とも言われています。本当に「悪循環」という言葉がぴったりくる状況です。投票率が下がれば、ますます一部の人たちだけで選んだ代表者が税金の使い道を決めていくことを助長するだけだからです。何とかこの状況を克服したいのですが、なかなか打つ手がない現状に焦燥感が募る日々です。この暑さにイライラする人々も多く、そこに輪をかけて大きなマイクの街頭宣伝に怒鳴り散らす人も増えてきました。

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2005年05月04日

ホームページリニューアル計画

 ホームページのリニューアルを考えています。大幅な変更をするわけではありませんが、最近流行りの‘ブログ’により活動報告をしていくことなど考え中です。といっても、私にホームページ作成の技術がないので、知人を通じて人を紹介してもらいました。本業がありながら、お手伝いをしてくださることになり、本当に感謝です。ホームページを通じた議員活動も周りの人があってこそのものです。議員は一人の力で仕事をしているわけでないことを実感しています。
 さて、新しくするホームページには議員報酬の中味などもう少し詳細に掲載できたらいいなと思っています。リニューアルの時期については確定していませんが、できるところから順次進めていく予定になっています。
 
 「活動報告が読みづらい」という意見をしばしばいただいているので、リニューアル計画の中ではその点は改善できると思います。

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2005年05月02日

活動報告お休み

 明日は多摩センターの「こどもまつり」。どうしても明日までには子どもが少しでも回復してくれれば…と思っているのですが・・・。「乳幼児医療費無料」は保護者にとって本当にありがたい制度だと実感中です。

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2005年05月01日

活動報告おやすみ

 子どもの体調不良も少し深刻です。中途半端な回復状況で保育所に預けては風邪が長引くだけだと言われています。何とか連休明けまでには回復を・・・と思っています。「病気の時ぐらい」と言いますが、できるだけ家でゆっくりと子どもに付き合ってあげようと考えています。

 ところで、かかりつけ医の先生が病状を気にしてわざわざ電話をかけて来てくださいました。今日は休診なはずです。とても意外な出来事で、ありがたいと思いました。またひとつ「かかりつけ医」の先生への信頼度が増えました。

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2005年04月13日

音楽で国際交流を

 桜ヶ丘のヴィータホールで行なわれた「音楽で国際交流を」に行きました。オーストラリアとスロバキアのコーラスグループ、多摩市からは「名曲をうたう会」「コール・グリツィーネ」が参加をし、各団体からの演奏と最後には会場の人も全員参加で「上を向いて歩こう」の合唱が行なわれました。ただ単なる合唱の発表会ではなく、歌を通じた交流が目的のこととした企画意図を汲み「コール・グリツィーネ」の皆さんはオーストラリアとスロバキアの民謡を歌って下さいましたが、そのときには客席にいたオーストラリアの方は喜びの歓声をあげていました。

 ところでオーストラリアの合唱団が歌った曲目に「I am Australian」というものがありました。この歌は「I am Australian」と何度も繰返しました。これを聞いていて、「私は日本人」として繰り返す歌は未だ耳にしたことがないものの、もしこんな歌があったら私は歌うだろうか…と考えさせられてしまいました。そして仮にもこういう歌があるとしたら、これはみっちりと音楽教育の中に盛りこまれる一曲になってしまいそうだとも思いました。オーストラリアの人たちの歌声などを聞いていると例えば日常的にも何となく口ずさんでしまいそうなメロディーでありフレーズじゃないかと感じたのですが、やはり、強制に近いかたちで指導されて歌うものではなく、自然と歌いたくなる‘もの’として生活の中に浸透している気がします。
 ぎりぎりと強制されればされるほど、それに対する軋轢や反発も大きくなりそうだし実際そうなっている状況・…君が代問題を頭に描いてしまったのでした。

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2005年04月08日

お知らせ

諸事情により、活動報告はお休みします。

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2005年04月06日

国歌と国旗

 卒業式そして入学式のこの時期に毎年話題になるのが「君が代・日の丸」問題です。今日は北諏訪小学校の入学式に出席してきましたが、そこでもピアノ伴奏で「君が代」斉唱が行なわれました。来賓として出席している議員でも考え方によって斉唱せず、起立しないという姿勢を貫いている方もいらっしゃいます。私は一応起立はしているのですが、歌う気持ちにはなれないので、じっと下を向いています。私は歌うのも歌わないのも個々人の意志に委ねるべきだと思っていて、東京都教育委員会のように口のあけ方や声量までを指導するかの勢いで国歌斉唱の義務づけをすることは望ましくないと感じます。

 日の丸や君が代にはその歴史的経緯があり、消極的にしか受け容れられないという面がありますが「国旗」であり「国歌」であることは紛れもない事実です。しかしながら、デザイン的な問題でもなし、音楽的な問題でもなく、論点としては非常に重い問題を内在している旗や歌を「国旗」「国歌」として決めてしまうことが原因で、事あるたびに紛糾の種になるとは、考えようによっては不幸だと感じます。
 こんなにもめるのであれば、いっそのこと「国旗」「国歌」ともにリニューアルさせてはどうかと思います。愛国心や郷土愛が強調される昨今ですが、どう考えても、このような気持ちは自然発生するもので強制されて抱くものではありません。
 今日の入学式での「国歌斉唱」。教職員、来賓席からは朗々と聞こえるものの、保護者席を見てもそれほど歌っている人は見られませんでした。新一年生に至っては、突然起立させられて、大人たちが厳か?に歌っている姿にむしろキョロキョロと不可思議そうな様子でした「一体何が始まったんだろう」とその一瞬思っただろうなと感じました。

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2005年02月02日

大きな公共事業

 今年は阪神大震災から10年が立ち、その記憶を継承しながら、まちづくりに生かすための活動が行なわれています。
 
 さて、都内では大規模な大規模な公共事業をあまり目にすることはありません。しかしながら、実家より車で30分ほど行ったところに三木震災記念公園があり、その周辺では今も整備工事が続いています。消防学校などもできる予定のようです。また、大きなスタジアムもあります。正直、目を見張る公共事業です。一体、このスタジアムはどれくらい活用される予定なのだろうかと思いつつ、その前を通過しました。
 阪神大震災を軽んじているわけではありませんが、現在進められている工事を見ていると土木系公共事業のばらまきのように思えてならないのです。これだけ大規模な公共事業となれば、それに対する投資は莫大だと考えられるからです。景気回復といえば国内投資で土木系関連事業が注目されてきた時代そのものの姿に感じます。確かに雇用創出にもなっているのかもしれませんし、この事業がもたらす需要こそを評価する人もいると思います。
 でも私はここに投下されている莫大な資本に見合った成果とは何か?考えさせられるのです。そもそもこの公園の名前自体「震災記念」となっていることにも疑問です。なぜ‘記念’なんでしょうか。記憶にとどめたり、記録をしておくことの重要性はあると思いますが、もっと他の手法でできるはずですし、そうしていくべきだと思うのです。
 有効な税金の使い道を強く考えさせられる現場のひとつです。

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2004年09月30日

次の一般質問に向けて

9月議会の反省と12月議会に向けての一般質問のテーマ決めをしました。私はせっかく?なので「子育て支援」をテーマにして質問をすることになりました。次の議会までの2ヶ月間とは、あっという間に過ぎてしまうもので、一般質問をこなしていくだけでも意外と大変です。自転車操業のようになってしまい、次の一般質問をする時には前回のことをきれいサッパリ忘れて臨む・・・みたいになりがちです。
 議員になってから3年が経とうとして、改選の時からは2年が過ぎようとしています。今までに自分が発言してきたこと、一般質問の内容を再度見直しながら、後半の任期に向けて臨む必要性を感じています。その時には自分の発言内容と、行政の進み方を見ていく必要もありますし、時間をかけて丁寧にやってみたいなあと思っています。

 ところで、先日、新聞沙汰になった「銃刀法」違反で多摩市等が書類送検されたという話し。これは、単純な行政の事務手続きミスですが、とかく送検されるに至るまでには半年以上の経過があります。例えば個人で違反があれば即、警察が対応をするわけですが、今回のケースは関係機関との様々なやりとりの中で半年以上もかかっていたのようです。9月定例会の最終日に、この問題について日程が追加され、行政報告として議会でも報告され、議員が質疑をしました。その中では半年以上も時間がかかっている不自然さなどが指摘されていました。

 私は、そのことよりも、この問題が「非常に重大」という認識があるのならば(教育長はそのように発言していたので)、もっと早い段階で議会の報告すべきであったのに、なぜしなかったのか?を尋ねました。この質問はとっても単純な質問なのに、答弁にずいぶんと手間取り、またいわゆる‘与党’と見られる会派のほうからは「前に聞いていただろう」などと野次が飛びました。
 けれども少なくとも私たちの会派は聞いていませんし、「新聞報道されるかもしれませんから」と慌てふためいた様子の教育長から事情説明を受けたはついこの間のことでした。同じように全く聞いていないと言っている議員もいました。
 行政はずいぶんと答弁までの間に時間を要し、事実確認をしたわけですが、その結果…4月末ころに議長副議長と文教常任委員長副委員長に話しをして、先般9月7日に皆さまにお知らせしました・・・という内容の回答がありました。それでも、何だか腑に落ちないところもありましたし、何しろ私は「他にも隠している、もっと重要な情報があるのではないか」と思ってしまいました。実際にこんなことがあれば、不信感がいくばくかでも生じてしまいます。
 いずれにしてもきちんと事実確認がされて、教育長が答弁に立ちましたが、やはりその事実確認も不正確。「前に聞いただろう」と今回のことを知っていた会派の人たちは既に6月の会派説明の段階で行政から情報として聞いていたそうです。
 行政側・・・というか市長は全く今までの体質と変わらずに、結局、会派ごとに濃淡をつけて情報提供しているんだなと感じますし、そう判断するしか仕方ないと思います。嫌な体質だし、本当に残念なことです。公正で、公平で透明性の高い市政運営とは全くかけ離れていると思います。そういう眼で市長の動きを見る必要があるなと思っている自分にもさらに嫌気がさし、気分が悪くなっています。

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2004年09月27日

もうはや都議選に・・・

  南多摩協議会が開催されました。都議会と稲城、多摩市議会の情報交換会です。両市議会ともに終了したばかりで、一般質問や委員会などの報告をしました。都議会は今、開催真っ最中で、明日がネットの代表質問の日です。
 東京都の情報として大きいものは「水・水道料金の改定」についてです。今までは10トンまでを一律920円としていましたが、この基準を5トンにして基本料金もあわせて値下げするそうです。これは節水インセンティブが働くようにとの報告に基づいて(審議会などがあったのだと思いますが)、行われる改定だそうで、どの家庭でもだいたい水道料金の負担が軽減される模様です。しかしながら、一部、生活保護世帯などでは今までよりも約50円ほど上乗せされる試算があるために、銀行などの引き落としで料金の支払いをする場合には100円マイナスしますという策を提示するそうです。そうすることによって、いずれにせよ、どの家庭でもプラスマイナス50円は引き下げられる計算になるからです。振替方式であれば料金の未納も防止することが出来るとの目論みもあるそうです。

 さて、来夏には都議会議員選挙があり、生活者ネットワークでも候補者を擁立し、先日第1次で氏名を公表したところです。各政党も次々と候補者容認に向けて動いているようです。私たちもいよいよ来夏に向けて、現職新井美沙子の2期目を目指して、活動することが課せられます。議員の大きな仕事の中に他の選挙の手伝いをするというのがありますが、それがメンイになることだけは避けたい・・・というのが本音です。しかしながら、自分の市議選が終わって以来、衆院選、参院選、都議選・・・・と毎年毎年選挙が必ず行われる状況です。選挙のために活動するわけではありませんが、選挙のために活動をしている感が否めない・・・これは議員の宿命なのでしょうか。
 正直言って、ため息が出る・・・・選挙活動での労力だけでなく、選挙のためにかかりすぎる費用を思う時、選挙の時でしか有権者にアピールできず、また一目置かれることもない(もちろん、選挙の時にもほとんど注目されていないとも言えますが)政治って何なんだろうと情けなさを感じます。全国中の選挙を通じて拠出される全資金を合わせたら、一体どのくらいになるでしょうか。馬鹿にならず、その資金でできることは少なくない・・・これは思い過ごしではないと考えます。

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2004年09月19日

ホームページを何とかしなくちゃ!

 ホームページが更新できなくなってしまったので何とかせねばと思いつつ、今日に至っています。一応、復旧依頼をしているのですが、ちっとも回復しないので、自分ではどうにも出来ないことにイライラしますし、「あ~どうしよう…」との思い、焦りだけが先立ちます。

 昨日の交流会でも、ホームページの話題が出ました。しばらく別のかたちでも毎日の活動報告だけは更新していった方がいいとのアドバイスも受けたので、久々にパソコンに向かった一日でした。
 私のパソコンの技術がないこともそうですが、機器そのものが最近調子が悪く、作業中に何度もフリーズしてしまうたびに、中座してしまい、また、合間合間で育児の時間もとらねばならず…と結局、深夜遅くになり、ようやく活動報告の暫定ページの目途がたちました。

 「育児にもちゃんと専念して下さい」というメールが届きます。もちろん、そうでなければ本末転倒になってしまうと考えていますが、やはり生活リズムを整えていくのは大変だなと感じている日々です。
 「育児の合間に仕事」「仕事の合間に育児」…議員の仕事はプライベートな生活との境界線をきっちりと引くことが難しいのが事実で、とにかく時間ある限り続いていくもの。時間のやりくり上手、それから短時間で効率よく作業が進められるような集中力…大変は大変ですが、これをしんどがらず、忙しさを楽しんで活動しなくちゃなと思っているところです。

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2004年09月18日

キーワードは「出会い」…ステイツマン7週年記念交流会

 補欠選挙から約2年半。私とステイツマンとの活動も同じだけの月日を重ねていますが、実はステイツマン今年で7周年を迎えました。その記念として、今日の交流会が行われ、ステイツマンの活動に何らか関わった人たちが集まりました。設立メンバー、パートナー議員で設立者の一人でもある衆議院議員の加藤公一さん、また新たにパートナーとして加わった衆議院議員の中野譲さんもかけつけて盛大に行われました。
 歴代の代表や現役メンバーによるパネルディスカッションではステイツマンに関わるようになったきっかけをそれぞれが語り、またステイツマンを通じて得たものを披露していました。それぞれに表現は異なるものの、やはりステイツマンの活動から獲得をした一番大きなものとしては「出会い」ということです。ステイツマンでは「市民と政治の架け橋をつくる」ことを使命として政治家を送り出すことを目的にしていますが、共に活動をする仲間以外にも、とりわけ選挙活動の中からは一度きりしか会わないかもしれない有権者、また日常の活動でも朝遊説などでチラシを手渡しながらの出会いなど、さまざまな人に触れ、政治の難しさや政治の存在価値を個々に体感しているのだと思います。
 特に、ステイツマンのメンバーだけではなく、ステイツマンが政治を体験する場所として提供しているインターンシップのプログラムを経験したメンバーも多数集まり、またさらに新たな出会いを今日の交流会でも得ることができる・・・価値ある時間になり、また参加者は新たな刺激を持ちかえったのではないかなと思います。ステイツマンのインターンシップは、学生の政治家像を予想外にも裏切るような地味なもの。朝遊説のチラシ配布、ポスティングが入門段階ですが、実はこの活動こそが、ステイツマンの活動そのもので、少しでも政治に関心を持つ人を広げていきたいという思いの実現につながっています。そこには地道さこそあれ、マスコミ報道から見受けられるような派手さはちっともない…というのが現実です。インターン生は加藤公一さんのところであれ、私のところであれ、そのことだけは共有しているのではないかと考えます。それがステイツマンのインターンシッププログラムの特徴だと私は思っています。

 この共有している思いはとても大切で、今日のこの場で初めてであった人どうしでもすぐに息が合うと言うか、話しがわかりあえる部分があります。約80人ほど集った会場のあちこちで懐かしい出会いや新しい出会いがあり、話に花が咲いていました。ステイツマンでの経験を共有した人たちの集まりは貴重だなあと思いました。このつながりを少しずつ広げていくことが大切だと思いますが、7年間も活動を続けるなかでステイツマンが築いてきた「出会い」の蓄積の大きさを感じました。
 
 特に、インターン生たちはステイツマンでの経験をもとに、それぞれインターンの期間が終わればそれぞれ元の生活に戻ることが多いわけですが、以前とは違った眼を持ち政治のことを見つめられるようになったとの感想を述べる人が多く存在しています。直接、選挙活動に関わったり、日々の政治活動をするわけでなくとも、政治に関心を持つきっかけを得て、自分自身の政治へのスタンスをつくることができた経験は大きいのだと思います。

 人に出会うことが大事、そしてそれが政治だと言われますが、そのことを実感したひとときでした。

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2004年09月12日

神戸の‘まち’から・・・

 産後健診を早めに受けてから多摩に戻っていたので、週末から神戸へ。病院へ行き、体調が良好であることも確認できたので、これで私のほうはひと安心です。あとは子どものことですが、健康管理などの面からも、まだあと数回は折をみて、病院へ行くことになりそうです。

 さて、神戸で滞在している須磨区は多摩市と同様に大規模団地群が存在しています。ここは神戸市が民間より土地を買収して開発したところで、やはり整備された街並みが広がります。ニュータウンらしく、小奇麗でおしゃれな駅前空間があり、ちょっとした買い物が出来る小さめのデパートもあり、ちょうど多摩センター駅周辺が、もっとコンパクトに集合している感じのところです。
 ここで、私が着目をしていたのは・・・・。駅前から団地群に向かい、ほんの2分ほど歩いた場所に民間のセレモニーホールがあることです。しかもちょうど目の前、北側は道路を挟んで団地の一角と隣接しています。(ちなみに南側は線路ですが)
 こんな風にセレモニーホールがあるとは驚きです。セレモニーホールとは…ある意味、'迷惑施設'扱いをされるからです。ところが、団地のベランダに出れば、ドーンとセレモニーホールのビル4階建てがあるわけで、私はビックリしたのです。これはさぞかし、建設時には反対運動が起こったはずだと思いました。やはり、当初は、もちろん反発もあり、住民運動で反対の声があがり、「建設反対」の幟も立っていたそうです。けれども、今ではまったくその面影すらありません。
それもそのはずです。このセレモニーホールは外見からは、企業の研修所のような建築物で、ちっともそれらしくは見えないからです。正直な感想として、私が思ったことです。セレモニーホールと言って、抱くイメージとは全く正反対だと私は感じました。
 ホールを使用している時には、入口外の案内板にはお通夜や葬儀などの時間が書いてあること、セレモニーがある際には、駅前に黒い服装の方がいることなどありますが、おそらくホール側も近隣住民への配慮、それから隣接道路も一般自動車が頻繁に通行するので、とても速やかな出入りで式を進めているようです。
 ホールが完成してからも、近隣には「建設反対」の幟がはためいていたらしいですが、今は静かな佇まい…セレモニーホールも住空間に上手に調和しつつあるのだと思っています。

 セレモニーホールが利便性の高いところに立地されることは、実は私たちにとって歓迎できないとは言えないことです。改めてそのことを感じました。けれども、このような住宅地に隣接して立地する場合には、やはり近隣住民との話合いを重ね、例えば出入り口をどこにつくるかなどの問題で、従来の心地よい住空間に配慮することが求められます。音の問題もあるかもしれません。
 こんなケースでも「まちづくり条例」が役立ってくるのです。ぜひ、多摩市の条例策定に関心の輪を広げていきたいなと思っています。

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2004年09月05日

「老い」とは「介護」とは

 自由大学の講座に参加しました。89歳の男性からは「老いとは」、82歳の男性からは自らの介護の経験を「仏心と鬼心」として語っていただくとともに、ケースワーカーで最近になり市内で介護支援の事業所を起業された50歳代の女性より現状も含めたお話を聞きました。

 ちょうど今朝の朝日新聞で、私の大好きな画家である長新太さんのインタビューの中にあった「生は偶然、死は必然なり」との言葉が心に響いていたこともあり、高齢になっても一生懸命に社会のことや未来のことを考えて語るお二人にはただただ敬服するばかりでした。
 特に「老々介護」の経験は私にとっては生々しい現実であり、介護は社会の仕事であるとして制度上では確立しているけれど、しかし、そう言いきれない側面が存在することを改めて認識しました。その方はパートナーが半身不随で、言語障害がありました。赤ちゃんと同様、泣き声で彼女の意思を判断する訓練から介護がスタートしたそうです。「しも」の世話をする時、彼女は申し訳なさでいつも泣いていたこと、でもヘルパーさんに世話をされることをもっと嫌ったこと、自分しかいないんだと感じる時には優しい心(仏)で接することが出来たこと、しかし鬼の気持ちになり怒鳴ってしまうこともあった経験、そしてある時に「おばあちゃん、頼むから死んでくれよ。」と口から言葉が飛び出してしまったこと…そのことには今でも申し訳なさを背負っていると言います。ニュースなどで老々介護の悲惨から殺人が発生したとの事件も決して他人事ではないことなどをとくとくと語ってくださいました。介護の経験からは本当に「長生き」してもらってよかったのだろうか、人様に迷惑をかけても生きつづけることの意味を考えるようになったそうです。

 さて介護の問題はそれこそ他人事ではなく、みんなが自分自身の問題として捉えていかなければならないと思います。若い世代にとっては、まだまだ先の話しかもしれませんが、社会保障費のことから考えてみたら、実は一番切実なのではないでしょうか。本当に社会で介護を担いいきれるのだろうか。仕組み、制度では社会全体の仕事とされている時代に、果たして‘親の面倒’を見るという価値観が備わっているだろうか…。そんな疑問を抱かずにいられません。そんな私たち世代が介護の問題を自分のこととして感じるようになった時、私は社会で支える「介護」があるのかどうか不安です。介護保険の大幅見直しの時期が到来しています。この仕組みが将来的にも継続していくようにと考えてもらいたいものです。目先の事柄にばかりとらわれた制度改正ではうんざりです。とはいうものの、目先の事項を解決しなければ何も始まらない…これもまた現実なのかもしれません。ますます保険料があがるのでしょうか。負担も責任も重く重くなっていくばかり…明るさが見えてこない厳しい時代を感じます。

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2004年09月04日

みんなで考える問題にしていけば…

 今日は一日、家で書類の整理などをして過ごしました。特に今までの一般質問でとり上げてきたテーマの復習をして、自分自身の発言したことを点検するとともに、来議会の一般質問のテーマを何にするかを考えました。質問のテーマは生活者ネットワークの会議で最終的に決定しますが、どの質問でも必ずすることは、市長の方針がどんな流れになっているのかを確認する作業です。ちょうど来月には決算特別委員会もあるので、過去の施政方針を読んだり、昨年の決算事業報告書で気になったところをチェックしました。今月号のニュースレターでお知らせしたいと考えていますが、今年度の決算特別委員会は昨年までの方式からガラリと様変わりします。

 ところで、私は昨年の12月の一般質問で「補助金交付のあり方」をテーマにしましたが、既に、その時点で行財政診断白書が出され、再構築プラン案の公表段階で、改革の一環としても「補助金問題」は柱になっていました。我孫子市や八王子市の視察からも、各自治体が補助金を巡って抱えている課題で特に最大の壁である「既得権化」をどう変えていくことができるのか、両市とも第三者的機関を設置していることから、多摩市でもその方式は取り入れ、大幅に補助金見直しを着手すべきことを再確認しました。当時、すでに行政側にも第三者的機関設置は視野に入っていたと思うので、私の質問で流れを後押ししなくてはならないと考えていました。言うまでもなく、補助金問題は利権が絡むような、政治的な動きにも翻弄される事項だからです。
 
 そしてこの度、「多摩市補助金交付システム検討委員会」の報告書が出されました。これは5月から月に2回ペースで補助金のあり方を考えてきた公募市民参加の委員会が作成しました。昨日は、この報告書について実際に公募市民として市民委員で話合いに参加された2名より内容説明を受け、議論の様子なども聞くと共に質疑をして、これからどんな風に変わろうとしていくのかについて多摩ネットメンバーと学習会をしたので、再度、この報告書を読みました。
 私たちは当初予算審議の際、この委員会の予算が計上されていたものの、あまりにも短期間で検討をすることが明らかだったので、それで本当にいいものかどうかと危惧していましたが、報告書の内容は短期間での議論に比して、かなり凝縮されていると思いました。公募市民の二人の感想では、まだまだ自分たち自身もきちんと理解するためには時間がなさ過ぎたとのことでしたが、それでも補助金の仕組みがとても複雑であることを知ったとの話です。
 近々、この報告書が公表され、パブリックコメントを募集する予定で、さらには第三者的機関を今年度中に設置する運びで公募市民も募集されるそうです。このスケジュールには拙速過ぎるのではないかとの批判も出てきそうですし、実際に私もその感が否めませんが、この問題は長年の目の上のたんこぶ的存在なので、全部とは言わないまでも、できるところからでもやっていくべきと思います。
 しかしながら、議会でも度々問題となる社会福祉協議会やパルテノン多摩、交通公社などのことは除外されているようで、ここは私は気に入らないところです。

 いずれにしても補助金を受けて活動をしている団体は少なくありません。つまり関わっている市民も少なくはないと言えます。そこで私は、この補助金問題を通じて、市民が税金に使われ方などに一層厳しい視線を向けてくれることが大事だと思っています。実際に、市民団体などに交付されている補助金の削減効果は微々たるモノ。これは我孫子市でも八王子市でも同じ感想を聞きました。
 でも、市民が納税者として一層厳しく施政に目を向けるようになっている気がするというのが両市の担当者の声でした。きっと私はそうなると思います。みんなで考える問題なっていくことを望みます。

 そして、私は今回の多摩市の報告書の中で、議員に対する政務調査費の扱いがどうなっているのかと気になったので聞いてみました。すると、市民からすれば、この調査費の使われ方がよくわからないし、こちらも今回の報告書で新たに提案されている「公募型補助金」にしてもいいのではないかとする意見も出たとのことでした。私たちにとっては大変になりますが、私はそれくらいは覚悟して議員もやったほうがいいのではないかと思っています。しかしながら、どんな調査が必要なのか?これは緊急的対応が必要になるときもあるでしょうし、議論の余地がありそうです。とは言え、市外への視察などであればある程度予測できるでしょうし、前年度からしっかりした視察計画を立てておくこともまた大切なことかもしれないと思うので、一長一短ありですが、一部を公募というカタチをとるのも面白いと考えています。

 この問題について、9月20日の広報に詳細が掲載されるとの情報です。「補助金」の存在を自分の支払っている税金という観点から見てもらいたいなと思っています。

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2004年08月25日

できることから少しずつ

 9月定例会を前に今日は一般質問通告書の提出〆切でした。2ヶ月間多摩市を離れていたものの、ネットの事務局などの助けも借りながら、情報のやりとりをしてきましたが、「百聞は一見にしかず」と言うように、自分自身が現場にいることの価値を痛感しました。
 6月の最後にネットで打合せをし、今月1日より施行されている「自治基本条例」をテーマに一般質問をすることを決めていましたが、今月上旬に開催された説明会に自ら出席できなかったことなど少々残念な部分もあります。とは言うものの、できる限りの情報をかき集めながら質問に臨むことになります。

 さて、2ヶ月間の間ですが、6月議会に端を発した調査特別委員会(接待疑惑事件)のこと、そして廃校の活用問題などなど様々気がかりなことは多数ありました。特に議会のこととして、調査特別委員会の件では7月23日に臨時議会が開催されています。この問題ついて、直接その場に居合わせずに会議の模様や、または特別委員会での様子を聞く限り、何だかモヤモヤしていて少々泥沼化しているような様相を感じますが、どのようにこの一連の出来事が解決されていくのか…市民が静観しているように思っています。私自身は、市民はもちろんのこと、‘議会のコト’という意味では行政の職員たちが沈黙しつつ、すみずみまで議会の行動を見ているのではないかと考えています。
 
 廃校の活用問題では、総務常任委員会も7月中の開催され、提出されていた跡地施設活用に関する陳情の審議がなされたようです。この陳情は昨年度来ずっと慎重審議が繰り返されてきました。6月には行政が作成した最終報告書案をめぐって全員協議会が開催され、さまざまやりとりをしたところですが、結局、委員会では陳情の採択不採択など最終的な結論を出すには至ってないようです。ちょうど7月上旬に市民への説明会、そしてパブリックコメントを実施しました。これらを集約する形で9月議会中に最終報告がまとまるとしたら、それに合わせるかたちで委員会でも結論をみなければなりません。
 仮に行政の最終方針に一致せず、議会の結論が出た場合にはこの問題はどのように進展していくのかと思っています。

 行政の方針と議会の結論との乖離があった…ということでは市立幼稚園の問題があります。これも様々な論議を呼び、3月議会では廃止にストップをかけたいと願う陳情が採択されました。それを受けてか、今年度末廃止が一年延期されることになりました。けれども9月議会には市立幼稚園廃止のための条例が提出されています。
 一年延期されることの意味って何なのかをもう少し詳細にヒアリングしたいなと思っています。当然ながら、つい最近までは今年度末廃止ということで全ての予定が動いていたはずです。廃園を取り止めるのではなく、いずれにせよ廃園は決定しているとすれば、資金計画などの面でも一年延期の影響が出てこないわけがありません。そのことなど改めて調べなくてはならないと思っています。一年延期することで、行政にも市民にもメリットがあるのかどうかを見極める必要がありそうです。

 その他にもいろいろと状況の変化はありそうですが、大きく自分が気にしていたことは上記の3つのことでした。そしてもう一つ、学校給食の牛乳がビンから紙パックに変更される方針が出されました。(これは大元は東京都の意向)資源問題を考えても紙パックへの移行をすぐに了解することはできないということで、ビン牛乳を継続できないものかとネットでも申し入れをしているところです。牛乳については納入業者の都合や、また納入方法もなにやら複雑な構造になっているらしく、今までの手法は他市とグループを組んで安価に購入をしていたようです。これを多摩市で単独でビン牛乳を購入しようとすれば、一本あたりで現在の約2倍にと単価があがるとのことです。
 給食の牛乳ですが、暑い季節は牛乳がぬるくなっているし、冬は冬で冷たいし…ととりわけ中学校での残が少なくないと聞きます。となれば、給食から牛乳をなくしても…と私は思ってしまうわけですが、ネット内での議論では、栄養の面からも完全になくすことは不可能で、やはり牛乳は必要としています。昔は脱脂粉乳で、それがいつしか流通も良くなり牛乳へと移行してきたんだろうなと推察しますし、牛乳の栄養価もありますが、必ずしも給食で牛乳を摂取しなければならないという時代でもないのかなと個人的には感じます。でも、最近の食卓事情などを考えると給食の役割も無視できない新たな理由も浮上していることも否めません。これからの給食のあり方を議論する時期がきているのかもしれません。

 ところで、私の状況も今までとは異なり、子育てと言う新たな忙しさが加わりました。何でもできることから少しずつやっていくことが大事…自分のペースを上手くつくりながら、一息に焦ることなく活動を続けていきたいと思っています。当面は9月定例会、そして10月の決算特別委員会に向けた準備の日々となりそうです。

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2004年06月08日

新スタイルの窓口で

 国民健康保険についての手続きで、リニューアルした1階の窓口を使用しました。郵便局や銀行のように番号待ちカードをもらって、自分の順番を待つシステムを導入し、カウンターテーブルなども新しくなっています。
 銀行でもATMを使用する以外の時には、一体どこに相談をすればいいのか?とか、申請などをする場合にどの用紙をしようすればいいのかがわからずに、キョロキョロすることがありますが、市役所での申請や手続なども、そう滅多にあることでなければ、とまどいますし、やり方がわからずに迷ってしまうと思います。そのために銀行でも案内係がいて、親切な対応をしてくれます。今日は、それと同じように窓口のガイドをしてくれる職員がいて、非常に丁寧な対応で、私は印象よく感じました。
 「どんな目的でいらっしゃいますか?それならば、こちらの番号カードをお引きになってお待ち下さい。」…フロアに来て、どこに行けばいいのかと迷っていそうな市民にきちんと声かけをして、案内をしていました。このような対応は今までではあまり考えられなかったと思います。何となくお役所と言えば、「どーぞ、次の方」みたいなカウンター越しに見下ろされるようなイメージの方が先行してしまいますし、職員の方から「どうなさいましたか?」と声かけをしてくれることも、少なかったように思いますが、今日の窓口の雰囲気を見る限りでは、ずいぶんとその意識も変化していて、「THE お役人」ではなくなっている感じがしました。

 ただの一画だけを見ているだけ…と思われるかもしれませんが、市民への応対を意識的にでも変えようとしている動きが、一画にでも見受けられたということは、そのことが徐々にでも広がっていくことを意味すると思いますし、何しろ、その部署にいる管理者の姿勢こそが、部下にも伝わっているんだろうなと想像しました。
 先日もちょっとだけ窓口を利用した時、昼休みだったので市民課長さん自らも様子を見ながら、市民への応対をしている姿を見かけました。私は上司自らが案内役を引き受けて、その姿を見せることはとても大事だと思います。口だけで命令しても人は動かないと思うからです。
 以前、どこかの銀行でも支店長自らが、お客さまの案内係りに率先して立つような話を耳にしたことがありますが、それと同じだと思います。

 なるほど・…まずは新人職員の研修として一ヶ月くらい窓口を経験することも大事ですし、管理職になった時に、職員に就いた時の初心を取り戻し、思い出すために窓口などでの対応を復習するなどの研修を取り入れることは案外、意味のあることかもしれないと感じました。

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2004年06月02日

もっと自由であって欲しいけど。

 卒業式、入学式では一大問題となった「国旗・国歌」の東京都教育委員会の対応。私はもっと「自由」な心を大事にして欲しいなあと思っています。
 このことについて尋ねた議員さんがいます。「君が代の歌詞の意味をどう教えているのですか?逐条的に解説して下さい。」…これについて指導室長の答弁ですが「日本の国歌として尊敬すべきものだと教えています」とのことでした。私も「尊敬すべきもの」なんだと、今日、初めて意識させられましたが、自分の感覚には「尊敬するものですよ。」と言われてもしっくりきません。今の学校ではそのように教えられているのかと思いますが、事実として「国歌」なのかもしれませんが、だから「尊敬する」という考え方には疑問を感じました。
 「歌」には歌詞も含めて、曲調もありますが、「好き」「嫌い」があると思いますし、それは人それぞれの感じ方でいいのだと思います。好き嫌いは関係なく、「尊敬しなければなりませんよ。」と言うのは心の自由を考えた時には反すると思います。何らかの理由で「嫌いだな」と思っている先生を、先生なんだから尊敬しなさい!と強要されるのと似ていると思います。

 これは今日の質問のやりとりで疑問と、そして強制されることへの器具を感じたところです。

 ところで、行政評価システムの必要性は高まる一方です。それは全国的な流れでもあります。行政の在り方が問われる中で評価システムを導入することで仕事の質を変えていくことが求められているからだと思います。多摩市でも取り組みが進もうとしています。昨日も書いたことですが、行政の評価をする時に、「議会」という存在をどのように位置づけするのかは課題のひとつです。行政を評価するのは議会だけではありません。むしろ市民がどう評価するのかが大事です。昨日以来、行政評価システムが「市民とのコミュニケーションツール」になることが最終的な目標だと答弁が繰り返されていますが、まったくその通りだと思います。
 今日の質問に対する答えでは「市民の代表としての視点を持った議員の方々からの評価だけでなく、生活者の視点を持った市民からの直接の評価を受けることも必要だし、それは時代の要請だと考えている。」という認識が示されました。これは私の意見とも同じです。議会には「議決権」があります。これがものすごく大きい権力ですし、個々の議員はその重みを感じる必要があります。この議決に参加する権利を持つか持たないのか…議員である市民、議員でない市民の違いです。しかし生活者として意見を持つという意味では対等平等です。それを思えば、もっともっと議員でない市民の意見を取り入れる場所を広げることは、むしろ議員個々人では掬いきれないところまでもカバーするという意味もあるのだと思います。

 この考え方をかたちにすることは容易いことではなく、時間がかかることですが、それでもスピーディな取組みを期待したいですし、議員が自分たちの存在を否定された気分で行政への市民参加と対置していては始まらないと思います。まさに「時代の流れ」「時代の要請」に対応しながら、市民にとってよりベターな状況を目指していくのだとつくづく感じています。

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2004年05月17日

もしも、スイスのように・・・

 朝日新聞の夕刊で目に留まったのは「スイス政府、国民投票‘三振’」の記事。年金、税制改革などの是非を問う国民投票が実施されて、すべてが大差で否決されたとのこと。スイスというと中立国で牧歌的で平和そうなイメージしかなかったので、私にとってはとてもインパクトあるニュースでした。
 何と記事によると、年金改革法については約7割の国民が反対したとのこと。投票率など詳細は調べてみなければわからないものの、結果はどうあれ、私自身は、この国民投票は改革に反対する国民が規定の5万人以上の署名を集めて投票実施にこぎつけたという事実に「すごい」と考えさせられたのでした。
 ちょっと調べてみたところ、スイスの人口は720万人くらいなので、単純に5万人以上でとなれば、人口の約7%以上の署名があれば国民投票が実施できる計算です。日本では地方自治の現場にて住民投票がありますが、例えばこれを住民発議でやるためには、有権者の50分の1…つまり2%以上の署名が必要です。しかし、これは相当大変です。
要するに、厳密に比較しなくても、スイスで5万人以上の署名を集めたということがどんなにか「すごい」ことなのかがわかると思います。
 
 さて、慌ただしくてドタバタしている「年金改革」。これについて今朝の朝日新聞では今国会での改革法案の成立反対が70%だという世論調査の結果です。これは、スイスの国民投票の結果とほぼ同じ数字なのですが、しかし行く末がどうなるのか…。自衛隊の派遣が決まった当初のように、国民の意識と国会での結論との「ねじれ現象」で終わってしまうのでしょうか?
 しかしながら一方で、ニュースなどを見ていると国会劇「年金改革の巻」みたいになっている状況があり、例えば朝日新聞の世論調査にしてみても法案の内容をきちんと理解した上で「成立反対」なのかどうかも疑問です。この状況では年金制度への信頼回復自体もそっちのけで、政治への不信感ばかりが増幅してしまうばかり。私たち自身も本来考えるべき事項をきちんと捉えられていないようにも感じます。
 スイスのように直接民主主義は魅力的ですが、今の日本の状況でスイス同様に国民投票を導入したとしたら…。これは考えさせられる問題です。スイスにおける政治状況や国民投票の実態をもっと知る必要はありますが、国民投票をするためには国民自身が正しく事の本質をつかめるように政府が説明責任を果たさなければなりません。おそらくスイスでは説明責任のあり方が、今の日本で私たちが置かれている状況と異なっているだろうと考えたのでした。
 それにしても署名を集める国民パワーに脱帽です。「喉もと過ぎれば熱さ忘れ」がちな日本社会の状況(例えば消費税導入とかのケース)とは相当違いそうです。国民性の違いとして片付けられることではなさそうです。

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2004年05月16日

イスラームの心を知ること。

 午前中は多摩市身体障害者協会の総会に行きました。今日は午前中に一ノ宮の多摩川河川敷では消防署と行政が主催の水防訓練もありましたが、あいにくの雨ということでパスしました。水防訓練など一度は見ておきたいなと思いますが、晴れたら晴れすぎたで見学するにも紫外線が気になったりしてしまうのも事実です。
 身体障害者協会の総会は水防訓練と重なっていたので市長は欠席、議員も数名と少し来賓席が寂しく感じました。お昼を挟んで懇親会があったのでそちらの方に市長も顔を出す予定だったみたいです。
 この間の時と同じく総会の場では行財政再構築プランに関しての資料が配布されました。健康福祉部長が市長に代わって、サラリと説明を終えたので聞いている私はなんだかホッとしました。あらゆるところで財政難財政難とギリギリ言われると、気持ちが縮こまってしまいます。
 私は財政が厳しいのは事実かもしれないけれど、そればかり言われて不安ばかり掻き立てることが嫌です。もちろんいい顔ばかりできないけれど、それでも財政難と言うことと障害者福祉政策とは一旦切り離した上で考えなければいけないと思っています。障害者福祉政策の目指すところの理念や目標の示し方が少し弱いように思います。
 障害者福祉は支援費制度になりました。前までは「措置」でしたが、「契約」で障害者自身がサービスを自己決定していくという視点こそ、これからのサービス構築でも重視しなければなりません。「措置」であれば、行政サイドの担当者が個々の障害者に見合ったサービスを与えていくという考え方ですが、支援費制度の発想は違います。これは実は行政にとっては大変なことです。つまり「選びたいサービス」のメニューを豊かにする必要があるからです。とうてい行政だけでは担えないことが目に見えているのではないでしょうか?
 だからこそ地域や市民の力をどのように生かせるのか、もちろん行政がそのパワーを引き出せる仕掛けをつくることは大事ですし、このことは同時に私たち市民の力も試されていると言えます。
 今すぐに私自身、上手い提案を持ち合せておらず、何だかもどかしく感じますが、うれしかったことは「行政の窓口の方の対応がとっても良くなっています。」との意見が出て、「ぜひ、何か困ったことがあれば、障害福祉担当の窓口に行かれるといいですよ。」と会員同士でのアドバイスの声を聞けたことでした。

 午後からの懇親会は多摩自由大学の講座のために不参加。今日の講座は「イスラームを知っているか?」というテーマで中央大学の松田先生をお招きした学習会でした。一番印象的だったこと。
 イスラームとはそもそもアラビア語の「サラーム」=平和を語源としているそうです。そして、イスラームの人たちの挨拶「アッサラーム×××(ちょっと聞き取れなかったのですが)」は「あなたに平和が訪れますように」と言う意味だそうです。挨拶をされた方も「あなたにも…」と返すということです。
 これが私はイスラームの人たちの心なんだと思います。イスラームの人たちの純粋な‘心’って本当に伝わってこないもんだなと思います。報道のあり方、もちろん私たちの受け止め方も考え直す必要性をまたまた強く感じた昼下がりでした。そして「知る」と「知らない」の間にある‘差’を意識しました。

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2004年05月15日

PPTのつながりで

  PEACE PROJECT@TAMAでピースボートに派遣代表者の湯澤くんを送り出してから、一ヶ月をすぎ、そろそろ船旅も半分に差しかかろうとしています。湯澤くんから届けられる船上メールは昨晩で20通目。現在はスエズ運河にで、エジプト入りが目前に迫っているということです。湯澤くんが経験している事を丸ごとそのまま共有出来るわけではありませんが、ライブ中継のように届くメールを読みながら、私だったら…と想像力が働きます。現在スエズ運河にいるとの事実そのものにも感激があります。ピースボートの旅はフルコース料理と同じ。私だったら満腹感で一杯。消化しきれずにどんどん目新しい体験が積み重なっていきそうです。日本に帰る頃、湯澤くんは一体どうなっているんだろう?と今から帰国する彼に出会うのが楽しみです。

 ところで、PPTの集まりはとっても幅が広いです。年齢はもちろんのことですが、価値観考え方もそれぞれ異なり、顔を合わせればそれぞれが議論を始めるような面白い場所です。昨日もすでに私が会と合流した21時頃には、みんなの熱い議論が展開されていました。PPTに対する考え方や思いも全く一致するわけではないのですが、どこかPPTに共感するからこそ集っているんだと思っています。それが「どこにあるのか」という部分を昨日も大分ひも解けるかと探したのですが、なかなか見出せないところが、また面白いと言えるでしょう。
 市民運動などは同じ価値観同じ方向を持ち、同じ行動が出来る人どうしが結集するという中で繰り広げられてきた感が否めないのですが、PPTの集まりはとにかく「バラバラ」なところが魅力です。この「バラバラ」さは、湯澤くんのメールでつなぎとめられていると言えます。湯澤くん帰国後、どんな展開をするのでしょうか?PPTの足を運ぶたびに思うことです。

 さて、私はあまり意識せずにいるのですが、「(去年の選挙で)あんなに票を獲得したら、誰でも天狗になる。だからこれから心配だ。」と思わず私もドッキリすることを尋ねられました。「(あの票を得て)何がしたいの。」と言われたのでした。
 正直、ものすごく答えに困惑しました。自分自身の在り方、核心部分を問われることだからです。今、何がしたいのか…票数によって自分にできることが増えるわけでも減るわけでもないのが現実で、たくさんの票を獲得しても「天狗」になれるわけではありません。議員として‘まち’を変えることができる力とは、本当に小さく、どうやったら議会として‘まち’を動かす力を持てるのかが私にとっての壁になっているのが現実です。
 「何がしたい…。」と言われ、思わずその場では一議員の力量アップと言う意味で「勉強がしたい」と答えてしまいましたが、帰り道になんとトンチンカンな返答をしたものかと自分自身を振り帰りながら「議会を変えたい、議員のあり方を変える必要がある。」それが私のやりたいことだなと思ったのでした。そのためには、地道にやらなければいけないことがとってもたくさんあるのです。「天狗になるでしょう。」と言った人の真意を聞いたわけではありませんが、一議員の獲得した票よりも、全体の投票率や得票数をもっと問題にしてもらいたい…その場で口に出しそびれた私が言いたかったことでした。

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2004年05月08日

最近、痛感していること。

 ニュースの特集で連休の過ごし方について紹介されていましたが、資格試験を目指すための集中講座などが社会人には大人気だそうです。企業神話の崩壊などの現実に思い知らされ、自分自身のスキルを磨くことへの関心が高まっているのだと思います。

 大学院には多様な人材が在籍しています。地方公務員、地方議員が学生の6割を占めています。年代は様々、それぞれ背負っているものも違います。けれども共通していることは、やはり地方分権の流れの中で、仕事の上でも生き方のうえでも同様ですが、自分たち自身をどう位置づけていくのかについて見定めていく必要性を感じていると言うことです。ここに「自分自身のスキルを磨くことへの関心」と通じるものがあります。
 
 しかし、公務員という職業は雇用の安定が約束されていることから、民間企業での労働と性格も異なり、危機感も違うとされます。最近ではかなりの批判の的となっていますが、同級生?の公務員の方は大学院に通うだけあり、問題意識が高く、豊かな見識を持った方ばかりです。
 ある程度、時間を自由にやりくりできる議員とは違い、平日夜の授業を終えてから、翌日も定時に出庁する公務員学生は、大変だろうなと思うのですが、残業三昧の民間企業に比べたら…なのかもしれません。私は会社時代にも真面目に夜遅い帰宅ラッシュに紛れたことは少ないので、帰り道に毎回、電車の中や永山駅で、疲れた表情で階段を降りる人と一緒になりながら、「労働」について考えるようになりました。クタクタだよなと思います。
 そしてそんな人たちを横目で見ながら、市民参画とか市民協働を考えさせられます。余裕は無いだろうなと思います。だからこそ、特に議員や首長といった政治家に課せられる責任の重さを感じる日々です。

 ところで、大学院の授業で面白いところは、それぞれ自治体が全く異なるので、議員、職員の壁は全く関係なく議論ができることです。これが多摩市で職員と話す時にはどうしても「議員先生」みたいな取扱いをされることが多く、私にとってはこれほどなく居心地の悪さを感じるのですが、余計な気分を味わうことなく、「公務員の立場」を理解できる場面もあり、また「議員の立場」を理解してもらえる部分もあり、双方にとってとても有効な場所だと思っています。
 また、議員どうしで話すと話題になることは「授業に来るとなかなか地元に顔が出せない。」と言うことで、それについても地域によって随分事情も異なることがわかります。地元と学校との間で苦労している人が少なくありません。土曜日、日曜日の週末とは議員にとって地元との交流には欠かせない2日間で、参議院選挙が近づいていることも考えるとなおさらのようです。私の場合は大学院に通うという点では恵まれた環境に置かれているようです。(もしかすると自分自身の中にある「わりきり」かもしれませんが…。)選挙を意識しすぎると、毎年何かしらの選挙があり、それで一年が終わってしまうのが現実です。これではあまりにも虚しいわけで、そうじゃない時間の使い方をしたい心がけています。
 もちろん地域の課題を見つけるためには、地域に積極的に足を運び、地域の人との交流を持つことは大切です。どうやって地域の政策課題を広いながら、議員としての活動を並行させるのかが、これからの地方議会には重要だと感じます。

 先にも書きましたが、「クタクタ」の労働を強いられている人が少なくない現実を見て、そして「公」の仕事をしていく…これは政治家だけでなく、公務員も同じですが、そこに求められるスキルと責任の重さを再認識する必要があります。それは税金を労働の対価としていることの意味をもっと強く感じるということにもつながるのだと思います。大学院に通う公務員の方を見ていても感じさせられることです。公の仕事に携わる人に問われる倫理観の綻び…問題化している今日この頃。問いなおし、考えなおすべきことが山積みです。 

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2004年05月07日

広報には何をのせる?

毎月5、20日に新聞折込で全戸配布される多摩市の広報。新聞を購入していない人には届かないことになるけれど、駅や公共施設等には置いてあるので、欲しいと思えば手に入れることが可能です。
 駅においてある市広報はあっという間になくなりますが、それに引き換えて市議会だよりは人気がないように思います。私は京王永山駅を使いますが、市議会だよりはいつまでも残っているイメージです。

 さて、最近はインターネットも普及してきて、それに対応してホームページも開設し、まだまだ改善の余地はあるけれど随時情報が更新されるようになりました。ホームページでの情報公開の仕方はなかなか難しいです。それは私も自分でこのホームページを管理している身なので良くわかります。ただ、私のようなプライベートなサイトと多摩市の公式サイトとでは求められる質も違うと思いますが、やはりすべての情報を載せれるだけ載せるということができないというのは同じだと思っています。さらにはわかりやすく情報を載せるとは…が問われるのだと思います。
 私は他自治体のサイトを見ますが、これは「隣の芝生は…」との感覚なのかどうかはわかりませんが、例えば昨日は松戸市のサイトにアクセスして、見やすさを感じました。
 多摩市のホームページは一度でも市民モニターに評価してもらう必要があると思っています。昨年、より充実したホームページを目指してレイアウト変更などをしましたが、私はどこが充実したのがわからず、プラスもマイナスも感じませんでした。ただ単にメールなどでご意見下さいではなく、意見を聴く必要があるのではないかと思います。レイアウトについてはもう少し研究してもらいたいです。

 ホームページはそれとしての課題がありますが、一方で多摩市の紙媒体である広報。こちらには紙面の限りがあり、それこそ厳選した情報が掲載されているし、それしか掲載できないという悩みがあります。その分、私はどの情報を選んで載せていくのかが非常に重要だと考えています。今回は特別面(A/B)は納税についての特集でした。裏面は一年間冷蔵庫や壁に張れるに納期一覧表になっていましたが、これをどのくらいの人が利用するのか疑問です。
 ホームページと違って、月2回の広報は原稿の締め切りとの兼ね合いがあります。そのためタイムリーに情報が欲しければやはりホームページでということになるのですが、私は多摩市の広報を一年ほどずっとほぞんしてきましたが、振り返って見てみると、「広報をする」際のコンセプトを持っているのかしら?と疑問です。月に2回も全戸配布しているわけで、そして市民も広報はすみずみまで読む人が多いと聞いています。つまり、この広報の位置づけはとても重要ですが、私はただ単に情報を掲載しているだけに留まっていて、市民に何を訴えたいのか、そして市民に理解してもらいたいことがいまいちわからないと感じます。
 しかしながら、これは今までの広報の作り方とも言えます。要するに、市役所がやっていること(または市民のサークルなどの情報も掲載されているけれど)を知ってください…ということに留まっていると言うことです。私はこれからは、今、行政が何を考えているのかについても、市民に知らせていくことが求められると思っています。例えば、今、多摩市は行財政改革を掲げていて、今年は「再構築元年」なわけですが、おそらく最近引っ越してきた人のことを考えれば、広報を見ただけでは行政が抱いている行財政への危機感はちっとも感じられないと思うのです。今回の広報で言えば、当たり前の様に子育て支援サービスがあり、前回ではガーデンシティがあり・…ということです。きっと今回の紙面で、どうして「お出かけください!多摩センター」となっているのかもわからないと思います。
 「新しい公共」をつくるということで、この言葉も随分と使い古された感がありますが、市民との協働を進めていくのなら、行政の進んでいる方向性をどこかで市民に感じ取ってもらえる部分をつくる必要があります。今までの行政運営の在り方が問われている時代です。広報だって、その時代のニーズに合わせる必要があるのではないでしょうか?
 
 それから・・・多摩市のホームページの情報によると・・・「補助金の見直し検討」がスタートします。多分これは、今回の紙広報には情報掲載が間に合わなかったと思いますが、第一回目は来週火曜日11日の19時より市役所の3階特別会議室にて開催されます。市民が納めている税金、これをさまざまなまちづくり活動団体などに助成しています。これは捉え方によっては、市民相互の助け合いともいえるのかもしれません。その仕組みを変えようとの取組みは注目です。これも「新しい公共」をつくるための制度設計です。公平で公正な補助金の交付システムの構築を目指します。
 残念ながら、私は授業があるので傍聴できませんが、ぜひ、お時間のある方は傍聴に足を運んでいただければと思います。議会もそうですが、傍聴者が多いほうが委員の緊張感も高まるからです。

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2004年04月03日

顔の見える関係をつくる

  久々に私用があり、新宿の方まで出かけてきましたが、人の多さに正直、息が詰りそうでした。でも、これだけ人がいれば、飲食店は繁盛もするだろうし、特にデパートよりもミロードやルミネといった駅ビルの混雑には気後れしてしまいました。セール中のように商品がぐちゃぐちゃで、入れ替わり立ち代わりに高校生や大学生と見えるお客があふれていて、一言「参った」と思いました。
 購買力というよりは購買意欲はものすごい。実際に買う人よりも、とにかく鏡の前で合わせてみるとか、雑貨類を手にとって友達同士できゃあきゃあ言っている姿には何だか泣けてきます。私は「物質的な豊かさ」からは卒業する時代に入っていると常々考えているので、自分は間違っているんだろうかという錯覚にさえ陥りそうです。私たちが放りこまれている社会の複雑さを痛感させられました。

 さて帰宅して、たまたまテレビをつけると「21世紀ビジネス塾」という番組をしていました。この不況化で業績をあげている企業の戦略を紹介していました。海外ブランドと無名の国産ブランドでは競争力の差は歴然です。そこをどのようにリカバーしてくのか?その企業が目をつけたのはデパートの店員でした。実際に販売員に工場まで足を運んでもらい、商品づくりの現場を見てもらうのです。これは皮製品ですが、まさに職人の世界です。販売員さんにも実際に手作業を体験してもらい、製品ひとつ完成までの高く磨かれた技術と、職人さんの思いを実感してもらうのです。それによって、ただ製品を販売するだけではなく、職人-製品-販売員-お客さんという顔の見える関係をつくることができます。そのことにより売上も伸び、業績も向上しているのです。
 「つくった人の顔が見える」ことは消費者にとってだんだんと不可欠になりつつあります。例えばスーパーなどの生鮮食品でも生産者の氏名や顔写真つきでの販売をしているところがあります。特に有機野菜や無農薬野菜などでは顔が見えることで、その商品の信頼度が高まるようにも思います。

 ここから考えて、今後の行政サービスにも「顔の見える関係」づくりを導入していく必要はあると思われます。「新しい公共」といわれるように、公共サービスの担い手も市役所だけではないとの考えが広がりつつある時代です。しかし…とは言っても、市役所の在り方はとても重要だと考えています。

 今年度の事業の中で、実はとても面白いものがあります。それは「産後ヘルパー派遣事業」を昨年度からやっていますが、利用者側からすればなかなか利用しようと決心するのに時間がかかりそうです。なぜなら、自分の家に他人が入ってくるわけですから、色々考えた時には躊躇してしまうこともあるかもしれません。・…ということで、今年度からは「お試しサービス」で無料でヘルバー派遣を利用できる仕組みができました。そこで、納得がいけば、次回からは有料でヘルパー制度を利用出来るというわけです。これはナイスアイデアだと思っています。
 これも行政のサービスの「提供者」と「利用者」との顔の見える関係づくりにもつながる発想だと思います。「提供者」の顔が見えれば、安心し、次回から、有料であってもサービス利用しようという動機づけにもなるでしょう。

 昨日の番組でも、山形県で売上を伸ばす電化製品販売店の話が出ていました、電化製品を2日ないし1週間ほどお試し体験をしてもらい、気に入ったら購入してもらう…というサービスを展開し大成功をおさめているとの話です。
 これからの行政サービスにもこういう工夫がいると思います。今までのように「無料」で当然ではなく、受益者に対しては見合った負担を求める時代に入っていることを考えればなおさらです。「新入社員には試用期間があるけれど、議員には試用も何もないもんな…。」こんな厳しい言葉をかけられたことを思い出しました。

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2004年03月28日

明日が締めくくり!

 議会最終日に向けて大詰めです。会派で分担をして討論書を書いていますが、お互いにチェックなどしなければなりません。
 昨日も夕方から集って、それぞれ準備した原稿を読み合せしたのですが、切羽詰らないとなかなか文章が書けない…という部分もあり、今日に先送りされていました。特に来年度予算に対する討論原稿を書くのは大変だと思います。5日間に渡る委員会で採り上げたことを事細かに採り上げ、個々の事業についてを集約して原稿を完成させるのも一つのやり方ですが、私たちの会派では、自分たちの主張したいところに力を入れた討論をしようと決めています。昨日のうちに、討論の大きな流れと枠組を昨日の話合いでは目途をつけていましたが、まだまだ会派内での議論も不十分で、もっと政策的な部分で議論を深める必要性を感じたところです。

 でも、とにかく最終日まで迫っているので、今更あたふたしても仕方が無く、夜中の間に新聞受けに届けられた原稿を、早起きして眺めながら、そして自分の担当している「自治基本条例」の原稿は特に念入りに推敲していると午前中が終わってしまいました。

 午後から、PEACE PROJECT@TAMAの壮行会があり、派遣代表者の湯澤くんを囲みました。コアスタッフを中心に約10数名の市民が集まりました。私は一応、このプロジェクトの言いだしっぺメンバーに含まれているのですが、年末に体調を崩して、いまいちスタッフの動きに出遅れていたため、ちょっと気がひける部分が…。しかし、精一杯のねぎらいの言葉をかけてきました。
 若い人や子どもたちが夢を持てないとか持ちにくい社会だと言われていますが、それは大人も同じです。私は今、大人たちが夢を語らなくなったと思います。子どもはとても素直です。敏感に社会の風を受け取っているといると考えています。
 このプロジェクトのコアメンバーは理想主義で夢みがちな人々の集まりだと思われるかもしれないけれど、でも一緒にいると元気がもらえる仲間たちだなと思います。
 湯澤くんが「3ヶ月ほど前の自分と比較しても今の自分は違う」と振り返っていました。これはプロジェクトをやっているメンバーの最も励みになる言葉だと思いました。ピースボートへの乗船はいよいよ来週です。湯澤くんの3ヶ月後、日本に帰国する時が今から楽しみです。
 メンバーたちはその後、お花見に行ったのですが、私は・…と言えば、明日に備えて再度会派で集まりました。

 討論書を書くにはコツがあると思います。その辺りは代表の武内からアドバイスを受けます。とは言っても、私たちの会派は経験浅い人ばかりの集まりなので、結構苦労しています。「新人が経験をして、書く訓練もしなくては!」との方針で、今回は篠塚さんが予算についての討論の担当です。でも、まだ原稿が完成していません。明日の朝、早めに集って最終確認をしなければならないようです。ジタバタするのは好きではないので、とりあえず自分のやることだけ済ませて、ゆっくり床につくつもりです。

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2004年03月27日

『世界の複雑さに耐える』

 春らしい天気で人の動きも軽やかだなと思います。お昼頃、多摩センターの三越前で「容器包装リサイクル法改正」に向けて署名活動をしました。チラリと見向きもせずに足早に歩く人の多い寒い時期に比べて、署名活動も好調でした。

 混沌とした世界情勢です。自分の地域だけで暮しているとそんなことをこれっぽっちも実感できないのが現実があります。けれどもマスコミ報道を通じて伝え聞く世界の模様は決して他人事とは思えません。求められるのが「想像力」。自分自身の想像力が試されるなとつくづく感じる今日この頃です。

 今日は「平和集会」ということで、「中東とアメリカの関係を考える」をテーマにした学習会に参加しました。対イラク進攻から1年過ぎましたが、爆撃の恐怖と背中あわせの毎日を送ってきた人々がいることを思いつつ、私の一年を振り返ると、とても複雑な心境に陥ります。
 学習会の講師は都立大学の教授で社会人類学(文化人類学)がご専門の大塚和夫さんです。多摩市在住です。中東などイスラム関係では日本の第一人者とされる程の有識者の方です。
 「新聞には載っていないこと。普通の人々のこと。」大塚先生がイスラム地域を歩き、出会った市民たちの生の声や、日本のマスコミでは報道されない現地の新聞記事などを資料にし、非常に示唆に富む話を聞くことができました。
 日本ではなかなか感じることができない宗教の問題が根深くあることは少しはわかりましたが、それでも私はそのことが内包している‘モノ’までを理解することが出来ません。それは私自身の生活で宗教を意識することが皆無に近いからだと思います。

 先生は冒頭で、死者や負傷者の背後にあるたくさんの悲しみと怒りが強調されていましたが、それこそ「想像力」を持つ私たちが考えなければならない部分であり、そこから行動につなげられるところではないかと感じました。
 「復興支援」は誰のためにあるのか?現在、日本で語られている中東問題は国内政治や対米政策が優先されているのではないかとの見方を示されました。実際に、この問題についてはマスコミなどで中東学者の発言の機会がほとんどないことも指摘されました。(政治学者や国政政治学者の出番の多さ!)

 日常生活で、私たちはどんな情報を得て判断しているのか?…また改めて考えさせられました。先生も「情報化時代に生きるということ」を最後のまとめとしていましたが、自分自身の話したこともあくまでも1つの情報であり、それぞれの人が、もっと「外に向いて耳に障る情報も積極的に受け入れ、慎重に吟味をして主体的に判断」してもらいたいと強調されていました。
 先生は「文明対テロ」や「信仰者対不信仰者」のように単純な二元論だけでは説明がつかないのだと言っていました。もっともっと多様で複雑な問題が絡みあっているということです。私も同感でした。だから「世界の複雑さに耐える」なのです。

 中東地域の歴史だけではなく、私は最近、自分自身の歴史認識や歴史観をつける必要性を感じています。まずは日本についても同様です。今の社会を理解するためには「歴史」を抜きにして語れないからです。…大学時代のノートを引っ張り出してきましたが、これはあまり役立ちそうにありません。

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2004年03月26日

今議会のまとめと来議会に向けて

 午前中は3月議会の最終日に向けた確認でネットで会議をしました。大型マンション問題や市立多摩幼稚園の問題など盛りだくさんで、さらにはネットで積極的に進めてきた自治基本条例についても、昨日の議会運営委員会で修正案が提出されたこともあり、再度議論をしました。
 
 自治基本条例については修正案をまとめること、そして取り纏め時期も一定区切りを設ける方がいいだろうとのことで3月の議会にすることでは今年1月の総務常任委員会で確認された事項です。この3月議会中に開かれた委員会では残念ながら全委員の合意をとりつけることはできず、どうしても見解の相違があり、溝が埋められなかったことは残念でしたが、それでも委員会にて修正案は可決されたところです。
 ところが、総務常任委員会の委員が提案者になり、なぜか昨日になって、また新たな修正案が提出されました。確かに、最終的には全員一致には至らなかったという事実はありますが、委員会での議論は一体なんだったのか?と思わずにはいられない行動です。委員会で各委員はそれぞれに自分の主張をするわけですが、それについて他の委員の同意をとりつけられなかったという議論のプロセスを一体どのように考えているのか?と思います。ちょっと私には不可解で、腑に落ちない部分です。

 さて、6月議会に向けた一般質問のテーマ決めをしました。昨年来、ネットとして取組んできた「移動困難者」に対する問題解決を目指した提案をすることに決まりました。この問題は厚生労働省、国土交通省のせめぎあいの中で揺れてきた課題です。一から勉強のし直しだなと思っているところです。しかし、まだ3月議会が終わらないので、気持ちは切り替わらないのですが…。

 午後からは個人的に市立多摩幼稚園の存続を望む会の方とお会いし、意見交換をしました。その結果をもう一度会派に持ちかえり最終確認をしようと思います。
 今日は最終日に向けての事務整理日で休会。しーんと静まりかえった4階の廊下にちょっと気味悪さを感じました。そのくらい、今週はせわしくてバタバタしていた1週間だったなと思います。 

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2004年03月21日

ここ3日間をまとめて報告

 お知らせをしましたが河口湖までゼミ合宿に参加をしていたので活動をまとめて報告します。大きく3つ。

■厚生産業常任委員会の傍聴で…(3月19日午前中)

 この議会では一番議題が多くてメンバーはとても大変だったと思います。私も午前中だけ傍聴しました。特に条例の改正について「多摩センター地区市民ホールの廃止」問題があったので、ここの議論は聞きたいと思っていたからです。
 多摩センター駅周辺には市民が気安く利用できる公共施設はないと言えると思います。パルテノン多摩やたまヴァンサン館も利用料金がかかりますし、その料金設定は残念ながら「お手ごろ」とは考えられません。永山にはベルブ、桜ヶ丘にはヴィータと親しまれているように社会教育施設がありますが、多摩センター駅前では類似施設がついに消滅してしまうのです。地区市民ホールができる以前は、ちょうどモノレールの駅の所に「コミュニティ館」がありました。私もかつてピアノの発表会で数回利用したことがありますが、「駅前」という立地はやはり外せない施設の要件かなと思います。地区市民ホールは「コミュニティ館」の代替施設としてオープンしたものです。多摩センター駅の東口で、線路高架下なので決して会議室としての立地条件がいいとは言えませんが、それでも市民の会議などの後に近隣で「ノミニケーション」が出来る!という条件面でも非常に優れた施設であったと私は考えています。
 ところが今回、行財政再構築プランにあわせてというよりは、むしろ京王電鉄との契約で、引き続いて「地区市民ホール」としての活用が不可能になってしまいました。契約の更新が出来なくなったのです。京王電鉄側は数年前から、場所提供の賃貸契約を解消したいとの意図があったとのことです。
 契約の解消で年間経費約3千万円の縮減につながることもあり、行財政の再構築にもとりあえず寄与することができたのはおそらく結果の問題かなと思います。しかしながらこのホール廃止の件、契約解消は事前から薄々でもわかっていたことであれば、もう少し早くから代替施設の提案、その他情報告知の面では工夫の余地があったことと思っています。

 担当所管の説明では、いよいよ地区市民ホールが廃止されると言うことで、代替施設を探す努力はしているようです。例えばカリヨン館の8階(もと映画館だった)や7階のスペース(飲食店街の空きスペース)、それからNTTや東京電力などの企業からの協力も得られるようにと話を進めているようです。サンピア多摩がありますが、そこについても協力要請をお願いしている模様です。しかし正直、どの話もなかなか上手くいっていないようです。
 となれば、パルテノン多摩の活用が求められるのですが、こちらについては現在、「地区市民ホール」の代替機能を果たせるようにしていく方向性で積極的な取組みを進めるとのことでした。

 さて、行政は努力に努力を重ねているのかなあと思いますが、不幸はなかなか思うように事が運ばないということ。行政だけではなく民間も採算ベースを考えるので当然のことです。ただ、一つの救いとも言えるのかもしれませんが現在、約120団体ほどが地区市民ホールの利用者団体として登録されているそうですが、これらの団体は必ずしも「多摩センター」にこだわっているのではなく、永山や桜ヶ丘などの他の施設も併用しながら活動しているのが実態です。その点では廃止されたことによりダイレクトに影響を受けて路頭に迷うという状況は何とか回避できそうです。ただ活動スペースの選択肢が少なくなったことは残念でなりませんし、他の活動場所の予約が大変になることは予測できますが…。

 これが大体の今の状況で、行政側としては多摩センター駅周辺での活動スペースの確保は今後も続けていき、なるべく来年度には目途をつけていきたいと思っていることがわかりました。既に私たちは予算が成立しているので、多摩センター地区市民ホールのは廃止も了解していることと同じと考えられます。そこで今日の委員会での質疑のやりとりでは「行政の今後の方針」が明らかすることが目的でした。概ね、行政の方針は明確化されたので、その方針をあとは実現するために努力をしてもらいたいと考えています。

 ところが、一つの会派?(ある議員)から「附帯決議」をあげたらどうか?という意見が出ました。現在の市議会の決まりでは「全会一致」原則があるので、委員会での議論にはなじまず、代表者会議の所掌事項ではないかということで話がまとまりましたが、この「附帯決議」の内容としては「費用対効果を理由にして、努力を怠るのではなく、多摩センター駅周辺で市民活動が出来る場所の確保を可能な限りで推進すべき」ということで、行政の背中をもう少し強く押したほうがいいのでは?という見解より提案されたものでした。
 結局、委員会での議論にはなりませんでしたが、傍聴していた私には「行政が(正直、いつもよりかは)前向きな姿勢を見せているにも関わらず、なぜ附帯決議」を出す必要があるのか?ということです。仮に行政が「もう必要ないから、行動しません」と答弁したのなら、私は附帯決議でもあげた方がいいのかなとも思いますが、「必要性を感じているから努力をしてみる」と言っているので、あとはそれを信じて、行政の発言がちゃんと伴った行動として表現出来るのかどうかを議会はちゃんと後追いすればいいと考えます。
 「性善説」は甘いのかもしれませんが、不信感ありき…というのもいかがなものかと思います。信頼関係の中で動く力の方が私は大きいと考えるからです。もちろん、どうやってその信頼関係を築くのかが需要ですが・…。

 これは非常に甘い考えでしょうか?「やるといっても、どうせ行政はやらない…・」という先入観だけで判断しない方が良さそうだと思っています。この辺の判断には個々の議員の感性と言うか「さじ加減」みたいなものが問われてくるような気がしました。と同時に、仮に附帯決議を議決した時に議会として取るべき責任も考える必要があります。ここは大きく予算編成、今後の税金の使い方にも関わってくるでしょう。なかなか奥深い問題だと思っています。

■ゼミ合宿にて(3月19日午後~21日)

 ゼミは班活動が中心なので、主に春合宿では班づくりをします。学生が個々のテーマを持ちより、そのテーマ関心について他の人と共有をし、またはすりあわせをしながら班をつくるのですが、その過程はまさに「政治」だと思っています。自分だけの主張をしていれば、絶対に班を組むことは出来ません。お互いに意見交換をし、議論をして「班を結成」を目指さなければなりません。そして調査研究テーマを決定し、企画書づくりをします。
 しかし事前に、学生の問題意識などを深めるための課題が出されていました。「日本の論点2004」の中からそれぞれ4つのテーマを選び出して、それについて要約をする宿題でした。
 この課題については8人ほどのグループで、お互いに選んだテーマのプレゼンテーションや意見交換をしました。私は一つのグループで「まとめ役」として参加をしましたが、そのときに非常に大きな特徴を見つけました。・…というのは、私はそれぞれプレゼンテーションの時に「なぜ、そのテーマを選びぬいたのか?」を話してもらったのですが、「何となく」という返事が多かったと言うことです。私は物事「何となく」ということもあるかもしれませんが、自分自身で「選ぶ」という時には何かしらの理由があると考えています。しかしながら選んだ動機の多くは積極的ではなく、どちらかと言えば「何となく」。
 …私はここに日本の社会の動き方や流れがあるように思いました。特に選挙なんかでは顕著です。「何となく○○さんに投票してみた。」…実はこの「何となく」の裏側に私はとても危惧を感じます。「主体性」に欠けるように思うからです。自分自身がなぜそうしたのか?そう考えたのか?とても重要な事項です。
 例えば・・「面白そうだから」という答えには「なぜ面白そうだと思うのか?」を説明することが求められるわけですが、なかなかその回答に迫ることができていかないことが不必要な「あいまいさ」を生むのではないでしょうか?「自治」の視点から、この傾向が持つことの意味を考え、捉えなおしていきたいと思っています。

■政策ゼミの最終報告会(3月21日)

 半年間の活動の総括をしましたが、参加したメンバーの多くから「本当に活動をしてみてよかった」という感想が聞かれました。若い人たちの政治参加のきっかけづくりをしていくことの意味を感じました。報告論集が完成していますので、もしご覧になりたい方は多摩生活者ネットワークまでご一報を!(office@tama-net.jp)

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2004年03月19日

活動報告はお休みです。

 今日から2泊3日でゼミ合宿に参加してきます。場所は河口湖です。(大学生って感じがする場所です。)
 私が所属していたゼミは先輩と後輩との交流が盛んです。卒業生もできるだけゼミの催しに協力します。…ということで、日曜日に帰宅。

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2004年02月24日

議員への信頼と議会への信頼

 4月に町田市で開催されるフォーラムの打合せをしました。町田市でも自治基本条例をつくる動きを盛り上げていきたいと考えている市民のグループの主催です。この会は名前からユニークで「焼きうどん的発想で町だの市民自治をひらく会」と言います。もう随分前、私がまだOLをやっていた頃になりますが、町田市の公民館講座で「自治基本条例」の関する学習会があり、それに参加したのがきっかけで町田市でさまざま活動をしている市民の方に出会うことが出来ました。私はこの町田市の公民館講座に参加している方々にも知恵をもらいながら、多摩市の市民ワークショップに関わってきたのです。

 今度のフォーラムでは第3部として、町田市の1期目議員を呼んでパネルディスカッションを開催するのですが、なぜか私が司会を頼まれているというわけです。当初は多摩市の自治基本条例のことを話しをするのかと思って参加依頼を引き受けたのですが、この間、別の人からフォーラムの案内をもらってびっくりしたのは「コーディネーター」になっていたこと。「えっ、話が違うのでは…」と思ったのですが、既に町田市のごく一部にでもこのチラシが配布されているとなれば、今更お断りすることはできません…、ちょっとした冒険をしてみようかと思っています。

 議員を招くフォーラムの作りかたはとても難しいと思います。政策的なことを質問すると会派などの考え方に縛られたりと、なかなか個々人の議員の良さが引き出せない場合もあるからです。それから議員の中には当日の会場からの質疑は勘弁してもらいたいとの方もいらっしゃいます。公開討論会を開く時でもそうですが、事前に質問の‘通告’をするのが普通です。・…など色んな話をしている間に「議会への信頼」という問題に話しがたどり着きました。多摩市のみならず、おそらくどこの自治体でも議会と市民との関係がものすごく問われているという話しで盛りあがりました。これは私の大きなテーマでもあります。「議員への信頼」と「議会への信頼」は全く別物で、議員は議会への信頼を高めるために何が出来るのか、どういうシステムをつくるのかという観点をもっと持つべきだと思うからです。議員個々人だけへの信頼が高まったとしても、議会に対する信頼感が回復するわけではありません。同じ議員としても、ぜひそのあたりのことを話題にしてパネルディスカッションを進めていければと考えています。そのことと自治基本条例ともリンクしてくると思うからです。

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2004年02月22日

みんなで少しずつ考え合うこと

 三多摩自治体学校が土日で開催されました。これは色々な自治体の持ち回りで行なわれている企画です。実は昨年、府中での開催の際「自治基本条例」の分科会がで発言者としての参加を依頼されたのですが、ちょうど別の予定と重なっていたのでお断りしたという経緯があります。来年は多摩市ですので、ぜひ協力を!というのがきっかけで今年の開催のお手伝いをしました。正直、ほとんど中心になって手伝いをしたわけではなく、他のメンバーに頼りっぱなしでしたが…。
 しかしながら、今日2日目の第一部で司会をお願いね!と頼まれてしまったのでお引き受けをしました。すっかり準備については司会原稿などが用意してあるとばかり思っていたのですが、それは大きな間違いでした。朝、打ち合せをして、はじめて「えっ、原稿ないの?…」と非常に驚き、焦りました。
 今日のプログラムのメンイは午後からの分科会でした。まちのさまざまな課題をそれぞれ少人数のグループで共有しあいながら議論しようというものです。全部で子育て教育・まちづくり・地方財政・地域産業・憲法と地方自治という5分科会がありました。第一部ではなんと各分科会ではどんなことを行なうのかの導入として、それぞれアドバイザーとしてお招きした有識者の方々から短いプレゼンテーションをしてもらうというものでした。つまり私に課せられた役割は、ただ単なる司会ではない…という重大事実を本番直前に認識したということです。しかしながら、今更断るわけにもいきません。「安易だったわ…」と思いつつ、司会に臨みましたが、大きなミスもなく、無難に終了できてほっとしました。何せ、タイムキーパーの役目も同時にしながら進行役をするという新たな経験をしました。アドバイザーの方やフロアからの質問者の発言を途中で冷たく制するのは苦手で難しい技が要求されることを実感しました。結局予定のタイムテーブルよりも大幅な時間を遅らせて終了…となりました。

 私は「まちづくり」という分科会の担当でした。この分科会ではマンション紛争など景観問題について、また団地建替え問題などを事例としながら、どうやったら自分たちの臨み描く住空間をつくりだせるのかについて意見交換などをしました。今、全国でも「まちづくり条例」の制定を進める自治体が多いです。多摩市でも来年度予算の中では「まちづくり条例」の検討をする準備会が立ちあがる予定になっています。
 この「まちづくり条例」の問題は一度一般質問で採り上げたテーマですが、その際には「自治基本条例が制定され次第…」ということで答弁がもらえていた気がします。ニュータウンの建替え、またニュータウン地域の公団所有の土地売却の問題、その他の地域でも大型マンション建設問題などなど住民との合意形成、協議をどう進めていくのかという問題を解決するためにはやはりきちんとそのプロセスをルール化しておく必要があります。いよいよ自治基本条例が制定されるか…とにらんで、「まちづくり条例」の制定を一気に進めていくのだと思います。
 新しい大型建物建築は特に周辺環境との調和、周辺住民との協議などが求められます。しかしながら、土地所有者本位、経済活動主導型で進められてきた今までのまちづくり活動では周辺住民との合意形成の面は軽視されてきたように思います。法律さえ守れば、あとはいい・…というわけで、道義的な責任はあまり強く問われてこなかったとも言えます。しかしながら、これからの時代は違います。国立市でのマンション紛争などに一連の動きでも、時代の変化を少しは感じるからです。「豊かに生きる」ということの中味の変質がさまざまな社会ルールの変更にもつながっていくのです。そのことを考えさせられる分科会でした。

 さて、私はこのような自治体学校の取組みは面白いなと思いました。なによりもさまざま個別テーマに関心のある市民が集まってくるからです。まちづくりの課題はさまざまありますが、わりと個別テーマごとに活動が進んでいき横のつながりが持てていないという現状があります。このような会を持つことで、それぞれの専門分野を持つ市民同士の横のネットワークができていくことは、個々のテーマにおける地域での活動がより豊かになると思うからです。つまり基盤できるということです。
 さまざまな個別活動に横つながりとつくれば百人力になるのではないかと思いました。終わった後の交流会には出られずに残念でしたが、このような会が継続させていくことがなによりも大事なことでしょう。

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2004年02月15日

自治基本条例を修正する?

  自治基本条例をどうするのかについて議論が大詰めを迎えています。議会で修正案を作成するのかどうかも含めて、そして多摩ネットとしても修正をするならどうしていくのか?について打合せをしました。
 全体的に修正をかけるとなれば、かなりの作業量になります。そしてさらには全体的な修正をかけていいものかどうか?という部分も議論になっています。行政から提出されたものに対しては極力修正をかけない・・・というのが今までのやり方のようです。なぜならば議会に市長を支持している議員が多い場合には、市長から提出された議案に対して、議会として修正をかけていくことは市長をある意味で否定するという風に解することができるからだそうです。
 しかしながら、これは全くおかしな話です。二元代表制の緊張感とはそもそも議会として市長の方向性に対して異議を唱えるところから始まるとも言えるからです。何でもに「異議あり」の前提で物事を進めることは賛成はしませんが、しかるべきところで議会としての態度を表明していくことは大事なことだと思います。
 特に自治基本条例ともなれば、大きな自治の枠組みという点で議会も大きくかかわる問題です。そういう点から考えれば、議会として、議会にかかわる部分だけでなく、全体を通しての条例のかたちをどう捉えていくのかを現段階で議論を深めておくことは重要なことだと思います。
 そういう意味からして、自治基本条例の行政案に対し、議会としてできればまとまった「議会案」のようなものを提示できるなら、私は大きな進歩かなと思います。いつも可決、いつも否決・・・ということで議会として意見を二分しているだけでなく、議会全体として意見をまとめていくことができるのが理想です。そのことが持つ意味は非常に大きいからです。
 来月の議会には少なくとも議決をしたいとの方向があるようです。どういう議論がこれから進んでいくのかはわかりませんが、意見の違う人たちが「でも、自治基本条例は必要だよね。」という最終目標を同じにして、個々にどのような判断を下していくのか、それが見ものかなと思っています。

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2004年02月11日

目的はなにか。

 朝からネットの運営委員会、途中から政策ゼミ、お昼休みをとる暇もなく障害者施策に対する意見交換とネットで主催をしたイラクについての学習会に団地の建替え問題についての話しを聞いて…と1日が慌ただしく過ぎていきました。
 政策ゼミではいよいよ一般質問の通告書に向けてラストスパートですが、何でもそうですが「期限が迫る」ということで湧いて来る力ってすごいなと思ってしまいます。私の意見もありますが、政策ゼミのチームメンバーたちの意見を自分の意見として消化していかねばなりません。ようやく議論にも熱が入ってきた気がします。ぎりぎりまで話合いをしていたので昼休みをとる間もなく次の約束の時間が来ました。
 
 行財政診断白書、再構築プランの内容も含め、知的障害者の通所授産施設に関する話でした。どこの自治体でも似たような状況はあると思いますが、社会福祉協議会(社協)は自治体の福祉施策の担い手として一定の役割を果たしてきたと思います。しかしながら、現在では社協だけではない担い手が多く成長し、活動を展開しています。社協の役割は何かを問われる時代に入っていることは確かです。さらには社協は財政的にも自治体からの手厚い支援(委託金、補助金含め)を受けているので、議会などでも問題だと指摘されることが多々あります。その意味でも役割、在り方など等「見直し論」が出ています。
 
 そのような流れを受けて、これまで社協が運営している様々な事業の在り方にも見直しが迫られているのですが、当事者の立場からすれば、今までのやり方で問題少なく運営できているものを変えて欲しくないとの意見が出るのも当然です。今日の話しで出てきたのは知的障害者の通所授産施設関連のことでしたが、地域で障害者の働く場づくりについて今までは社協が全面的にバックアップしてきた方式を変えていく時期にある?と考えつつある市の方針への不安の声を聞きました。
 現在、障害者の就労の場は不足気味です。市のほうでも今後場所の確保として新たな授産施設の設置も視野に入れて考える必要がありますが、それについて必ずしも今まで通りの手法でやらねばならないというわけではありません。もっと別の効率いい手法の検討も出来ると思います。
 そうとは言え、現在に至るまでのやりとりでは、社協運営での施設を増設する計画もあったようです。その経過も踏まえた上で話しを聞けば、既存の手法のままで就労の場が増えることへの当事者の期待感は大きかったことと思います。だからこそ、反動として、市の方針が転換しようとしていることへの反発が出てくるわけです。
 でも、時代環境が大きく変化しています。要は地域に障害者が安心して働ける場が増えることが大事なことで目的です。その場所の運営主体は社協でなくてもいいわけです。質の確保をどう図っていくために、行政は例えば評価システムの構築などを行なっていけばいいと考えます。目的は社協運営の授産施設を増やすことではないはずです。いかに地域で共に暮すが実現できるのかということです。その目的をきちんと見据えることが重要です。行政だけではなく、当事者含め市民もその目的が共有できなければならないのです。今までの関係性もあるので、理解しあうことがなかなか困難というのが事実のようですが、私自身は行政の一方的な裁量で結論が出た…という状況にならぬよう事を運んで欲しいと思っています。「目的が何か?」というのがとても大切です。

 そして、それと同じようなことを感じたのは団地の建替え問題でした。建替え問題では一番注目されているのが諏訪2丁目団地です。一見、その地区に住んでいる人だけの問題と片付けられそうな気もしますが、これは全市的な問題で、「諏訪2丁目の建替え」ではなく「ニュータウンの再生」という視野で取組む必要があります。目的は「ニュータウンの再生」にあります。このことがニュータウン面積が半分以上を占める多摩市の再生にもつながるからです。目的が「諏訪2丁目の建替え」に集約されたかのように、市民の眼に映った時に全市的な課題にならず市民の共感も得られなくなります。「目的がどこあるのか?」という視点を定めた上で、問題解決を図っていかねばならないと思いました。

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2004年02月08日

知らされないからわからないこと

 「知らぬが仏」という言葉があります。言い得て妙だな…と思える瞬間は誰しもにあると思います。知ってしまったということの重さを感じた時、人は動くんじゃないかなと…最近そう考えるようになりました。だからこそ自分が当事者にならなければアクションにつながらないということが多いのだと思います。でも、本当は誰しも「いつ当事者になるやわからない。」そんな可能性と背中あわせに暮しているのだと思います。そこにある想像力が社会を見る様々な視点にと結びつくのかもしれません。

 
 さて。今日の夜は本当にブルーでした。緊急イラク報告ということで細井明美さんからのイラクの現状の話しを伺いました。彼女が実際に見たこと、聞いたことで私は「知ってしまった。」と強く思いました。
 とうとう自衛隊が派遣されました。日本の国際協力がどうあるべきなのか?という議論がまだ十分にはし尽くされていないこと、そしてイラクの人々が本当に必要としている支援は何か?が十分にこちらには伝わってこないこと…支援する支援されるという需給関係がやはり上手くマッチングできなければ、せっかくの支援も支援にならない場合があるわけです。さまざまメディアを通じての報道からは真相がわからないし、見えてこない部分が多い中、細井さんの現地報告は生々しく、私にとっては知ってしまった…でも今、とりたてて何も出来ない自分に罪悪感さえ覚えました。
 世論調査では政府の支持率も上昇傾向にあるし、自衛隊の派遣についても支持が増えているような報道がされるわけですが、本当にそうなのか疑問です。誰しも殺し合う、戦争…一人一人は個人の意識として決して肯定しないはずです。でも、その一人一人の思いが本当に政治に届いているのか、そして私は政治の一端に関わるものとして、一人一人の思いを汲み取って、力にと変えていけているのか?を考えたときには何とも言えない歯がゆさを感じています。

 とかく細井さんの話しを聞き、実体験に基づいた話を聞かなければわからないということを心底思い知らされ、ショックを受けたのが今日の私です。「劣化ウラン弾」の恐ろしさ。実際に細井さんも現地で被爆体験をお持ちです。
 湾岸戦争時代の劣化ウラン弾の影響が年々深刻になっているにも関わらず、それを恐らく承知で今回の戦線では前回の約7倍もの使用をしています。あまり公表はされていませんが、湾岸戦争時代のアメリカ兵士たちの子どもにはイラクの子どもと同じように白血病や欠損症の重い障害を抱え、生を受ける状況があるのです。でも、日本ではそのような事実も十分に伝わっていません。もし仮に正しい現状が伝えられていたならば、私たちは一連のイラクを巡る動きについてどう行動できたのかと考えさせられるばかりです。
 細井さんは最後に日本のマスコミは「テロ」と報道するけれど欧米のメディアでは「レジスタンス」と報道をしているという話をしてくださいました。この言葉の違い・・・私たちはある意味で大きく誤解させられている部分もありやしないかと思います。
 
 これだけ情報化時代なのに、本当に必要で、正しい情報ってどうやったら伝わるんだろうか?そのことを他物にあてはめて考えつつ、自分の情報発信の在り方についても抱える課題は大きいなあと感じたのでした。

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2004年01月31日

地方自治は民主主義の学校

 午前中は多摩ネットで総会がありました。代表が世代交代したので、また少し新鮮さが生まれるかなあと思っています。色々な人が気軽に関われる政治のチャンネルが開かれていくことって大事だと思います。人が入れ替わることは新たなチャンネルが増えることにもなります。新体制になり、どんな雰囲気になっていくのか楽しみです。

 今日は午後から東京ネットでの学習会がありました。新春の集いでの講演会も含めて、自分たちが目指していく社会像、ビジョンを確認する時期がちょうど今ごろです。今日もてる峻淑子さんの話を聞きました。彼女の著書「豊かさとは何か」、「豊かさの条件」は私にとっても教科書のような本ですが、それよりも「サンタクロースって本当にいるの?」これは小学校6年生の時に何度も何度も読み返したこの本の著者も彼女であることを最近知った私は、とても感激をしました。当時は理解したくて読んでいるのに、なぜか理解できたようなできないような気分に陥ってしまう一冊で、私にとっては印象深い心の一冊とも言える本だからです。
 
 「何よりも生活実感」。「生活実感が一番に届くのは自治体だからこそ、地方自治が大切。と有名なトクヴィルの言葉「地方自治は民主主義の学校」という言葉からはじまり、2時間たっぷりと聞くことが出来ました。上記の2冊の「豊かさ」シリーズで地方自治は触れきれなかった部分だそうです。書きたかったそうですが字数オーバーになってしまったので泣く泣く削った部分でもあるようです。地方自治についての彼女の見解を聞く機会に恵まれ、ありがたいなあと思いました。

 みんなが参加をして考えるところ、生活の要求が一体どこにあるのかを考えるところ…これが自治体です。生活者の判断にはかなわない。彼女はそのことを強調していたように思います。今、政治に対して「傍観者」になっている人たちが多い状況に彼女もまた危機感を感じている一人でした。
 生活者の中から生まれてきた問題点、ここには何らかの共通の利害があるわけです、個別に抱えている問題かもしれないけれど、隣の人に話してみたら共感を得られるかもしれません。何気ない会話から生まれる人と人とのつながりで共感を広げていくこと…これはみんなで考えあう場を広げていくことにもなります。そこに彼女は地方自治を見出していました。
 特に都市では差し障りのない付き合い…あっさりというか味気ないような付き合いかたが増えているような社会、そのなかで人間関係をどうつくっていくのか…ここに地方自治を考える時の原点があるのです。

 経済学者としての立場からは「人間的なものに共鳴して動く経済活動の支配原理」・…彼女なりの明確な回答についてまで今日は聞くことが出来ませんでしたが、「ヒトというものは協力せずにいられないのです。」という言葉が私には妙に響きました。
 そして、自立するということは、自分が自分の主人公になること、そしてそのことが自分に由ることに「自由」になっていくのよ…というメッセージに同感でした。「自由」というのは簡単そうなことだけれど、実はちっとも簡単なことではないなあと私も苦戦している一人だからです。「自由である」というのはとっても難しいことだと思っています。

 すぐに実践に生かせる技術も大事だけれど、やはり政治をまっすぐに見つめていくための自分自身の視点を磨くことを忘れてはいけないとしみじみ感じました。

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2004年01月29日

「定常型社会」の構想。

 東京生活者ネットワークの新春の集いがありました。今年はゲストに千葉大学の広井良典さんをお招きしての講演でした。広井さんといえば岩波新書の「定常型社会」という著書。私もこの本には学ぶところが多かったので、今日の講演会を楽しみにしていました。
 とかく全ての物事が右肩上がりを前提としていたという部分は誰もが納得のいくことでしょう。政治の舞台を見ても、土木事業に偏った公共事業を推進してきた人たちも、それを「悪」として、社会保障や福祉を手広く手厚くと主張してきた立場の人たちも富の拡大を前提として発言をしてきました。要はどのように富の分配をするかの考え方の違いでしかありません。どちらにしても低成長時代、経済停滞時期にはとうてい馴染まないわけです。そのことを踏まえて、これからの社会構想をつくっていく必要があります。その一つが「定常型社会」です。

 日本は2006年以降人口減少社会に突入します、そして昨今の環境保全、環境調和の立場から生産消費の構造を見直す必要性が言われています。この二つが「定常型社会」の要素です。つまり人口がどんどん増えるとなれば、それに対応した社会資本の整備などが必要です。まるで戦後の日本のようにです。そのためにはガムシャラに頑張り続けることが求められるように思います。けれども人口減少、もしくは人口が横ばいのまま推移をするならば、物の豊かさについてはこれ以上を求めずしてもいいのではないでしょうか?
 そしてもう一つが環境との調和。人口増と環境破壊はこちらもつながりあっている問題です。地球環境をこれ以上悪化させない「暮らし方」、これは物の豊かさの問い直しということにもなります。要するに定常型社会というのは「もう少しのんびりしようよ」という社会だと私は捉えています。毎日にあくせくするのではなく、ちょっと自分自身の周りに眼を向けてみて、空や緑を楽しむ余裕を持ちながらゆったりと暮そうよということです。
 そのときに見えてくるのは、もっと自分自身の時間を大事にした働き方であったり、環境に配慮したエコ生活だったりするのかな…と思っています。今の日本と比べたら本当に質素な暮らし方だと映るかもしれませんが、オランダではワークシェアリングがとても進んでいます。夫婦共にパートタイムという働き方を選択して、子育てができる社会です。ここにはオランダの人たちの価値基準の問題も大きく関係しているわけですが、ワークシェアをすることである意味失業者を救えることにもなります。私はモデルとしてはいいなと思っています。

 とは言っても、現実を突きつけられれば、理想論ばかりを言っているわけにもいかず、社会は動いているわけで、その中で自分の考えていることをどうやったら実践していけるのかを具体化しなければならず…膨大な課題と大きな壁があるなあと思うのでした。

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2004年01月18日

家に閉じこもりぎみ・・・

  天気予報ほどには雪が降らなかったけれど、土曜日はとても寒すぎて、それでもどうしても行きたかった三鷹市主催の自治基本条例のフォーラムに参加してきて、そのために一日「家ごもり」をせまられてしまいました。
 
 自治基本条例がようやく議案として出てきて、本格審議が週明けから始まるので、やはり市民参画では先進的だと言われる三鷹市の動向は一件の価値ありか…と期待して、フォーラムに行ったのですが、思った通りに市内だけではなく市外からもたくさんの参加者がいました。何と、横須賀市から足を運んだ人もいる模様でした。「さすが!三鷹!」と思いました。
 多摩市でも市民主体での中間報告会を開いた時には、市民ワークショップ形式による条例の策定が全国的にも注目を浴びていたので遠くから足を運んできたという人もたくさんいました。その時の活気を懐かしく思い出してしまいました。しかしながら、そんなセンチメンタルな気分に浸っている場合ではないな…・とすぐに現実に引き戻されたのでした。というのも、三鷹市でも自治基本条例をつくろうとする動きが始まってから、途中で市長が交替しているのですが、その交替した市長から(もちろんドタバタの市長交替劇ではありませんでしたが)力強く、三鷹市の総合計画に位置付けられている自治基本条例の制定には全力を尽くしたいということ、そしてこの条例は分権の基盤として制定するわけで「自治基本条例」というからには行政のみならず議会も含めていくべきだと考えるし、その意味では議会とも協働してつくり上げていきたいが、前提にあるのは「市民の視点」に立つことだとはっきりと、恐らく三鷹市の議員さんも数名いたように思いますが、何の躊躇することなく断言に近い発言をしたことに凄みがあったからでした。

 とにかく三鷹市に行って、ちょっとしたカルチャーショックに陥ってしまいました。三鷹市の‘協働’の進め方の上手さ…歴史の積み重ねがあるからかもしれませんが、こうやって市民との協力関係が築けたらなという姿を見た気がしました。
 今回のフォーラムは行政が主催でした。けれども来月には市民主催でのフォーラムが開催されるのです。多摩市の場合だと「協働」と言えば今までは行政と市民とが一緒に行動するという面から捉えられがちだったと思います。三鷹市の場合には、(自治基本条例の制定を目指して活動をしてきている)市民たちが、行政とは独立したかたちで動くけれども、目指すところは自治基本条例の制定というところを明確にした活動を展開しようとしています。フォーラムで市民グループからの発言者がいたのですが、その方は行政は行政で市民の声を集め、自分たちも自分たちで他の人の意見を集めていきたい、そしてそれらを全て市民の声として最終的な自治基本条例案へと結びつけていきたいと言うのです。むしろ別行動をとることで、より多様に市民への広がりをつくっていきたいとしているように感じました。そのことが自治を進めていくためにも必要なことであるとの自覚が市民にも備わっているように思いました。それもそのはずでした。三鷹市では総合計画を策定する際、市民参加のワークショップ形式で行い、当時はとても斬新な手法を採用しました。そのワークショップに参加した市民の中から「自治基本条例を策定しよう」という発案があり、さらには発案したからにはそのことに責任を持ちたいと、行政が音頭をとる前から、自治基本条例の必要性を感じていた市民たちが自主的なグループを結成し、細々とでも活動をしていたというのです。この経緯を聞いて納得しました。
 三鷹市には下地があるように感じました。「隣の芝生は青い」と言うように、うらやましがっていて多摩市の実情を悲観しているばかりもいられないし、三鷹市は三鷹市で別個の課題を抱えているとは考えますが、三鷹市はやっぱり注目に値されるだけの積み重ねがあることは確信したのでした。

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2004年01月14日

明日は全員協議会です。

 12月議会中に途中のまま先送りされていた行財政再構築プラン(案)についての全員協議会が明日開催されるので、そのための打合せをしました。それと合わせて、多摩テレビで録画放映されているプランの「市長説明会」を見ました。市長も何度も同じ説明をしているからか、説明文を暗記したかのような口ぶりでとても流暢な説明をしていました。ほぼ内容としては、議会に対する説明の時と同じでした。一番見たかったのは、市民の質疑だったのですが、その場面に来る前に放映時間が終了してしまったので「なーんだ。」とがっかりしてしまいました。
 さて、市民との合意形成がどう行われてきたか?、それから担当職員との意志疎通がどう図られ、最終案として提示されてきたのか?そこがとても大切だと考えていますが、プランの案だけを見てもなかなかその部分がわからないのが現実です。特に経費の削減部分では、どの部分を削減したのか?例えばイベントなどへの補助金は今までかかっていた費用をただ削減したわけではなく、おそらくその積算根拠があるわけで、何でも今以上に市民主体でのイベント実施へとシフトさせていきたいとの思いはわかるものの、市民でやればなぜ‘安価’になるのかという理由が見えてきません。もし人件費分をということでは、今までは当然に市民は手弁当で参加をしていても、職員には手当がつくこともあり、この手当分が削減されたとしたら、人手としての職員の数までも減ってしまうのか?という問題などなど…わからない部分があります。
 経費削減はわかるけれど、ただやみくもに削減しても意味がなく、何をどう削減し、今までの仕組みを含めて変えていこうとしているのかが具体的に見えてこない、今後、その部分が明らかにされるのでしょうか?
 本来は、今までの行政計画の作りかたをなぞるかたちで、踏襲して計画を作成するのでは不十分だという認識からスタートして計画づくりに着手してもらいたいわけですが、その議論をするためには時間が足りなすぎたのかもしれません。このプランは、いわゆる毎年毎年ローリングされる形で示される実施計画と同様です。私は今までの実施計画の中味そのものに不十分さを感じているので、やっぱりプランに対して「これなら…。」と納得することができないのです。

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2004年01月12日

実行委員会形式の成人式だけれど・・・・。

 成人式の日はネットで恒例の遊説をやります。気持ちをシャキっとさせて、パルテノン多摩で行われた式典にも出席し、その後、3駅での遊説を行いました。
 成人式の日にちょうど合わせてなのか、今日はイラク派兵反対のデモ行進があったので、こちらにも合流したかったものの、ネットでの予定がもちろん優先。 デモ行進は式典と時間が重なっていた事もありますが、自衛隊の派兵反対はネットも訴えているところなので、できればこのような市民の行動には一緒に合流する…という臨機応変な対応をしたほうがいいのに…と私は思いました。
 結局、私たちが三越前で遊説を始めた時間に、デモ隊がパルテノン多摩のところに到着し、マイクの音声が少し重なってしまいました。何だか違和感を感じました。

 さて、成人式の式典ですが、地域によっては「大荒れ」との報道がなされていて、若者のモラルが問われているようですが、今日はわりと静かでスムーズな式典でした。私は自分の成人式には出なかったので、去年としか比較できませんが、去年に比べたら格段にざわめきが少なかったです。聞くところによると、「あんなにおとなしく席についているのも珍しい…しかも全席がほとんど埋まっているのも珍しい。」…と今年の成人式はやっぱり落ちついていたみたいです。
 これはゲストの効果なのでしょうか?今回はプロレスラーの蝶野正洋さんが新成人へのメッセージを講演してくださいました。非常に人気のある方のようです。私はプロレスとかはよくわからないので、全く始めての人でしたが…。
 
 ところで、成人式は去年から新成人たち数名による実行委員会形式で企画されています。これは私はとてもいい試みだと思っています。町田市の「二十祭」を私は見に行ったことがありますが、町田市の場合はもっと自由な活発な雰囲気があったと記憶しています。多摩市の式典は一応実行委員会形式になっているけれど…という試行段階に留まっている印象なので、もう少し体裁や形式にとらわれないという若者らしい感性を引き出せればいいのにと個人的には思ってます。
 これも実は企画している実行委員会のメンバーの力量によるというわけではなく、担当している職員の手腕にかかっていると思っています。というのは、私が最も強く感じたことは「せっかくの実行委員会形式なのに、実行委員会の新成人の司会原稿は一体誰が書いたの?」と思ったからでした。
 例えば市長の式辞の際「渡辺幸子より…」とのアナウンスが入りました。そして議長の時には「小林義治様より…」となるわけです。行政が何もかもとりしきり、市長が主催者という形で打ち出すならば、当然に敬称は省略されるのですが、今回の場合、市が新成人たちをバックアップする形で成人式を行なっているわけですから、せめて「渡辺幸子市長より…」とするほうが自然なのです。
 ということで、私はどこか不自然な言葉の言い回し、司会者のアナウンスを聞いていてぎこちなさを感じたのでした。成人式の式典の在り方を見れば、「成人になったことをお祝してあげる」式から「自分たちで成人になったことを喜び合う」式へと変化しようとしています。その点で私はもう一皮むけた成人式を見たいなと思っています。

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2004年01月11日

『当事者主権』

 大学のほとんどのゼミでは春合宿をして、新しく入るゼミ生どうしの顔合わせなどを含めて問題意識共有の第一歩をスタートします。今年のゼミの春合宿で使用すると言う『当事者主権』(岩波新書)をやっと手に入れたので、今日は一日この本に没頭してしまいました。
 著者はは中西正司さんと上野千鶴子さん。まずは、この組み合わせから面白いのですが、中西さんの障害者運動、上野さんの女性運動ともに『当事者』の運動ということで深く結びついているわけです。

 この『当事者』という部分には「自己決定権」という大きなテーマがあり、「自分のことは自分で決める」という発想に基づきながら、社会をどう動かしてきたかについて書かれています。これは、今、私が考えている「誰が地域のことを決めるのか?」課題にも密接に関連してくるわけです。
 『障害者は一歩先に自立したが、むしろ多くの非障害者はまだ自立できてはいない。世の中をこんなものさ、と受け入れていれば、自分のニーズにさえ気づかない。そのために、非障害者は当事者にさえ、なれないのだ。』という‘おわりに’の鋭い指摘にはハッとさせられます。
 
 いわゆる今の政治をめぐる色々な状況を見ていると、「当事者」が増えることを恐れているのではないかと考えさせられてしまいました。『世の中こんなもんだろう』と思ってくれる人が多ければ多いほど権力者たちの思い通りに事が運ばれていくのです。だからこそ、低投票率に対する危機感が肝心のところには生まれてこないのではないかと思っています。どんなに低投票率であっても、法律に基づいて淡々と選挙が行われていれば、選ばれた人は権力の座につくことができ、そして結局最後は投票権の放棄こそが問題で、選出された人の正統性は保たれる。私は「本当にこれでいいのか?」という疑問を抱えています。もちろん常にその事を意識しながら、自分の活動をしています。

 私は社会の中で、誰もが『当事者』のはず・・・と思います。なぜなら、この本で説明されているように『私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持った時に、はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者となる。』と思うからです。少し小難しい解説かもしれませんが、何度も読めば読むほどに意味深い一文で、実は『当事者』とは何も特別な存在でないことがわかるのです。
 久々に私のオススメ図書ベスト10入りの一冊となりました。

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2004年01月09日

組織の課題は?

 今月末の多摩ネットの総会の準備を含め、話合いがありました。生活者の視点で地域から政治を変えていくことを掲げて20年以上も活動を続けてきたのは‘すごい’と思います。ともかく政治の世界は、今でもまだまだ男社会です。性別でわけてみれば女性議員の比率は圧倒的に少ないのが現実です。もちろん女性の社会進出は昔よりは進んでいると言われます。私の世代では昔ほど「男女」という性別を意識せずに、さまざまなことにチャレンジできるようになっています。しかし実態は別ですが・…。
 政治に女性がかかわるということを考えれば、20年前というと相当勇気が必要だったんじゃないかと思っています。その点で、私はネットを支えてきた女性たちは強いなと感じます。今では、いわゆる「セクハラ」も随分と社会権を得てきて、「女は…」と露骨な態度を表すことも少なくなりつつあります。特に多摩市では市長が女性なので、意識的には随分と開かれてきたと思っています。

 さて、ネットを支えてきた女性たちの一番の特徴は「専業主婦」というところにあります。日常的に地域にいながら課題を見つけることができる人といえば自然とその条件に当てはまる人が浮上してきます。私はここが組織にとっての大きな課題だと思っています。というのも、現状ではネットの組織を支えてきた会員の中の多くが、NPOなど市民活動に大きくシフトしています。地域の課題を政治的に解決するより前に、自分たちで別の形で行動をしたほうが、より課題解決に近づけるからです。ホームヘルプサービスや地域のデイサービスなどなど市内の活動を展開するグループにはネットの支えてだった人たち(女性)が多く関わっています。
 ネットの活動に直接ではなく、地域の現場に出て、自分の手で直接課題解決をしようと行動する人が増えている状況と、そして一方ではフルタイムにせよ、パートタイムにせよ女性も仕事をする時代となり、ネットの支え手は一体どんな変質を迫られているのか?この課題にぶつかっていることを今日の話合いでも痛切に感じました。
 「議員を職業化しない」とは言うものの、意識的には私もそうは思っていても、現実は私にとっては転職での今の、‘職業’になっています。私がネット議員になったこと自体も組織の在り方が変わっていく第一歩につながるのかもしれませんが、いずれにせよ、ネット創設者たちが現在に至るまで中心的存在で支え手である状況は組織にとっては好ましいとは言えません。どうやって新陳代謝をはかっていくかという問題に直面をしています。
 時代環境に合わせて、組織形態をフレキシブルに見直すことが必要ですが、その流れを読みながら組織を運営していくことって本当難しいことだと感じます。組織化するということがいつも抱えている問題だと思います。ネットのことで考えてみれば、この政治運動をどう展開していくか?という部分で、漠然とですが大きな決断がせまられているような気がしています。

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2004年01月04日

静かに年明けを迎えました

 お正月三箇日は気持ちゆったりと過ごしました。「私って頑丈だ。」という思いこみは捨てることにしました。でも、どちらかというと皆勤賞タイプで今まで暮してきたので、正直、年末の体調の悪さにはショックでした。

 去年当選してから…というよりは、議員になって以来、私なりにとにかく突っ走ってきたという感があります。それだけでは市民の期待や一票を投じてくれた人の思いには応えられていると言えません。私の場合は生活者ネットワークのメンバーと政策をつくってきました。当然、公約実現に向けて努力しなくてはいけません。「政策実現」こそが政治家の一番の仕事です。政策実現という観点から評価するには時期尚早かなと思う気持ちもありますが、それにしてもまだまだ道のりは険しいことだけは自覚しています。
 今、議会のあり方含め、政治というもの自体が問われています。「公約で選ぶ」選挙、「政策実現」によって評価される選挙にならなければ、市民から信頼される政治は生まれません。低投票率の状況を政治にダイレクトに関わっている政治家たちはどう改善しようとしているのか?私自身も一端を担っているものとして、もっと真剣に考えて行動していきたいと考えています。口利き…など古くから批判される悪しき政治の体質を変えていきたい、政策で正々堂々と勝負をできる政治の在り方を追求していきたいと思います。
 そのためには私自身も政策形成能力を身につけ、自分自身で問題解決の糸口を探れるように日々の努力を忘れてはならないと思っています。議員は「まちづくりのコーディネーター」として市民と政治の架け橋の役割を果たすというのが私の考えです。もちろん私だけの価値観で全ての物事をはかるわけではありません。いつも自分だけが正しいわけではありません。常に「民意」がどこにあるのかにアンテナをはりながら、判断の柱を固めていきたいなと考えています。
 今の私があるのは「自分の力」だけによるわけではない。いつもこの考えを原点にして、政策実現に向けた活動を通じて市民の皆さんに還元していけるよう一歩一歩の積み重ねを続けていきたいと思います。

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2003年12月31日

一年間を振りかえる・・・その⑤【まとめ】

 大晦日を迎えるとなんとなく神妙な気持ちになります。同じように明日が来るけれど年が変わるということだけで、いつもとは違う心地がします。毎年思いますが、何となく自分をリセット出来る感じがします。

 一年間を振りかえってのまとめはやっぱり「元気」というのがキーワード。年末に崩した自分の体調のことももちろんですが、一年間を通じて‘まち’の元気ってなんだろう?ということを考えなかった日はなかったなと思うからです。

 私は、元気の源には「夢」があると思っています。「Dream is making myself」、夢があるからこそチャレンジ精神が湧いて来るし、その気持ちこそが物事を動かしていく大きな力になります。
 今、動き始めた市民の「夢」のプロジェクトがあります。とにかく共感してくれる人を一人ずつ増やしていこう。人から人をつなぎながら、多摩市で新しいかたちのネットワークを創っていこうとしています。「本当にそんなに人を集められるかな?」「やってみないとわからないよ。」「でも、やれたら面白いよね。」…一人一人のささやかな力を結びつけたなら大きな市民力になるよね…というのがこのプロジェクトのスタート。できるかできないかわからない。だからこそ挑戦する価値がある。新年を迎えるにあたって、このプロジェクトの成功を祈る気持ちです。‘まち’の夢へとつなげていきたいなと思っています。

 ☆「多摩から世界へ! 世界から多摩へ!」
   あなたも「多摩の未来を担う、若者」を支援してみませんか?
   あなたも「地球一周」の旅をしてみませんか?
   http://www.e-mb1.com/ppt/

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2003年12月30日

一年間を振りかえる・・・その④【自治基本条例】

 自治基本条例は私の「こだわり政策」のひとつ。正しくは「市民自治基本条例」でしたが、最終的に行政案は「自治基本条例」という名称に。名称へのこだわりもあるけれど、それよりもやっぱり中味重視でいきたいもの。大学卒業後に地域でフラフラしながら、土曜日に市民ワークショップに参加していた一人ではなく、議員として条例を審議しなければならない立場になり、ここは大きな試練だなと感じている日々です。ワークショップに参加していたから…というだけで、市民提言案をまるごと受け入れることを主張するのではやはり説得力がないからです。

 それにしても、自治基本条例が12月議会に出されるまでの長い長い道のりには「生みの苦しみ」という言葉がぴったり。市民ワークショップと行政側とのせめぎあいは本当に緊張感に満ちたものだったと思います。市民ワークショップの立場からすれば「我慢勝負」。市民参加とそれにかかる時間との兼ね合いを考えさせられました。行政と市民とが互いにいい関係で物事を運ぶためにはある程度「時間」の区切りをつける必要があると思いました。それはおそらく「目標」になるからです。達成しなければならない目標があるとして、その達成度合いは最初から決めることは出来ません。市民参加でやろうとすると尚更です。けれども時間の区切りを持つことで、挑戦意欲がわく気がします。そのことで市民側も行政側も「火事場の底力」が出るのかもしれません。
 私は市民ワークショップが市民提言案まで策定してしまった「市民自治基本条例」の事例は条例案そのものの精度は別としても、参加していた市民の持ち合せている力は最大限発揮できたのだと考えています。一番重要な力は「調整力」です。ワークショップに参加した人たちは自分の考えだけが通らない辛さ面白さを感じながらも、様々な価値観をぶつけ合いながら最終案をまとめました。もちろん、自分の意見が通らないことへの不満から途中から参加しなかった人もいますし、毎月二回責任もってワークショップに出席することの大変さも思い知りました。私は珍道中のような条例策定プロセスに価値があると考えています。

 さて、年明けに自治基本条例を委員会でじっくりと審議します。自治基本条例の審議があるからこそ所属した総務常任委員会です。市民提言案が市長に提出されてから、一年以上も経過してしまったあまりに、私自身の自治基本条例に対する考え方も少々変化、自分では発展を遂げていると考えています。もちろん委員会でもワークショップと同様に、さまざまな立場から選出された議員同士の話合いが繰り広げられます。しかしながら私は「妥協の産物」のような結果にはしたくないと考えています。

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2003年12月29日

一年間を振りかえる・・・その③【行財政改革】

  あっと驚く「白書」が公表され、現在は白書に基づく行財政再構築プラン(案)の市民説明会中です。年末年始のこの時期に…と思いますが、「背に腹は変えられぬ」という状況まで追いこまれていることを物語っていて危機感が感じられます。お役所は26日の金曜日が仕事納めでしたが、この土日にも市民説明会がありました。担当者が土日返上で仕事をしていること。このことは私もしっかりと心に留めておきたいと思います。自分の体調を崩して改めて思い知らされることですが、適度な休息がなければ仕事がはかどりません。息抜きできる年末年始をゆったりした気分で送りたいものです。

 さて、行財政診断白書や今回出された再構築プラン。小泉首相も「改革には痛みがつきもの」などと言っているわけですが、誰が一番痛みを被るのか?と言ったとき、少々見方を変えた時、改革断行した政治家本人に振りかかる痛みというのが結構あると思います。だから改革が骨抜きになりがちなわけです。本当に改革をすることはとても大変なことだと思います。
 でも、「改革しなければならない」という強い信念のもとで進めていかなければなりません。そのためには、改革のプランなどをいかにして理解してもらえるのか?理解してもらうためには、やはりそれなりの段階を踏む必要があります。どのように市民との合意形成を図ったのか?という点です。
 「情報共有」が何よりも大事としているものの実際はどうなのか?という点から評価した時には決して十分なプロセスをたどったとは言えません。
 
 けれども私は、実は夏に白書を出した際に市民から寄せられた意見について、今回の再構築プランの市民への公表にあたってはかなり反映されているように感じます。例えば、販売について。白書の販売は初め、市民説明会では販売されていませんでした。しかしながら、今回は再構築プランをすぐに販売出来る体制で望んでいます。私はまだ市民説明会には足を運べていない状況ですが、説明会の開催の仕方についてもレジュメ不足などが指摘されていたのを覚えているので、おそらく今回は改善されているだろうと期待するところです。
 私は行財政診断市民委員会の傍聴に行っていましたが、始めのころは傍聴者に感想・意見カードが配布されていませんでした。しかし、これについてもちょっと意見を言えば、次の時からすぐに用意してある状況に。お互いに気づいたことを指摘しあえば、互いにとってよりベストな状況を創り出すことが出来るわけです。私はこういう姿勢で市民と行政が対話をすることが大切だと思っています。
 
 反発起きずに改革出来るか?と言えば、私は全ての人に満足を届けられるような改革をすることは難しいと考えています。すべてのことは一長一短だからです。でも、私は「納得の取り付け方」があると思います。まだ私自身も「納得の取り付け方」に対する自分の満足いく回答を出せていません。けれども一つ言えることは「嘘はつかない」ということだと思っています。都合いいことだけでなく都合の悪いことも誠意持って語らなければならないということです。

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2003年12月28日

一年間を振りかえる・・・その②【議会】

 選挙が終わり、市議会も新体制になりました。新しくスタートした市議会はまたもや会派乱立・・・から突然に「市議会の改革」を掲げた最大会派が誕生する波瀾の幕開けでした。
 この新しい会派が誕生したことについては賛否両論。けれども私は「会派って何?」という根本的な考え方、そして議会運営そのものについて大きく問題提起をしたという意味では一目置いてきました。
 主義主張がまったく違う議員同士が、政策で一致をしないけれども「こんな議会の運営ではダメだ!」という点で一致しての会派結成。私も現在の議会運営のあり方には疑問を抱く部分もたくさんあり、共感できるところもあります。けれども主義主張の違いがいざ本会議などの場面でどのように影響するのかと考えてきました。でも、あまり体制には影響がなく、最大会派とはいうものの、予算や決算、または個別条例で意見が違うところは議員が個々バラバラに挙手しているのが現状です。つまり同じ会派で賛成、反対が分かれることが前提で動いているために、当初私が考えていたよりは会派としての威力には欠けてしまって残念だなと思います。
 でも、代表者会議や議会運営委員会などでは議会を改革したいという方向性で私たちの会派が足並みをそろえられる部分もあり、心強くもあります。議会を変えたい!と思っている議員たちが緩やかに連帯できるのが望ましいかたちです。もちろん、どの議員も議会を変えて、もっといい方向にしていきたいと考えるのは当然ですが、実はその方向が微妙に違っているのです。
 例えば「政務調査費」について。私たちの会派では現行、宿泊費「上限一万五千円」をどうしても実費請求に変えるべきだとの主張をしてきたわけです。やっぱり一万五千円使っていないにも関わらず、支給されてしまうことには疑問だからです。しかしながら、代表者会議の場で全会派一致はせず、結局「上限一万四千円」ということで落ち着いたのでした。もちろん不服ですが、全員一致というヘンな規則がある限りは仕方なく、来年度から資金使途について「領収書添付」が原則となったので、そこで譲歩したというわけです。
 このように改革をしたい部分や価値観によっても方向性には自ずから違いがあるわけで、議会改革をすることがどれだけ大変かを思い知った一年でもありました。

 さて、新しい会派ですが、出来た当初はものすごい反発があったものの、まるで喉元過ぎれば熱さ忘れるかのように今では「そういうのもあり!」という感じで、淡々と議会の運営が進んでいるのが現状です。これは「泣くまで待とう」なんだろうか・・・?と私も静観していますが、「慣れ」なんだろうか?とも考えてしまいます。日本人的なのかな・・・とも思っているのですが。例えばこれは税金が上がった時は反発するけれど、あとは忘れたようにその状態に慣れてしまう…これと似ている感じも。

 議会改革に必要な力はやっぱり有権者、市民の力だと考えています。なかなか傍聴にまで足を運べるだけの余裕がないのが現実ですが、少しでも多くの人に議会がどうやって運営されているのかなど見てもらいたいなと思っています。「議会はダメ」「あてにならない」とか言われます。実際にそうかもしれません。でも本当にそうなのかどうかを有権者、市民が自身の目で確かめられるように条件整備をすることが必要です。現在、議会運営委員会では議会のテレビ放送を検討中です。早期に実現してもらいたいと思います。情けない話ですが「議会改革は議員の力だけではできない」正直、これが私の結論です。議員を動かす世論が必要だからです。

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2003年12月27日

一年間を振りかえる・・・その①【選挙】

 病院に行くだけでとりあえず安心していましたが、やっぱりまだまだ回復せず。パジャマで過ごす毎日です。それにしてもボーッと横になっていると妄想癖かと思うくらいに、あることないこと含めてさまざまなことを考えてしまいます。年末ということもあり、一年間を簡単に振りかえってみました。

 今年のスタートはやっぱり選挙を意識して始まったといっても過言ではありません。選挙を意識して活動をすることほど馬鹿馬鹿しいことはないと思ってきましたが、いざ自分が当事者になれば、やっぱり選挙で勝たなければならない・・・という自覚が生まれます。ここにはものすごく大きな葛藤がありました。
 とにかく「補欠選挙でトップ当選女性」が抱えるジンクスがあるようで、補選で当選した人は本選ではそう簡単に通過できない・・・・という話を聞かされていたこともあり、相当なプレッシャーがあったことは事実です。「顔は口ほどにモノを言う」というのが私にはぴったり。ポーカーフェイスでいるために訓練をすることが大変でした。
 選挙前、もちろん選挙戦を通じてもですが、あることないこと噂が立つのが常識。いちいち気にして入られないわけですが、やっぱり「気にしなくていいから」と言われれば言われるほどに気になってしまいます。候補者が弱音を吐いたら、一緒に当選を目指している仲間の気持ちまで下がってしまいます。その意味では私は候補者として不適格者だったなとしみじみ思います。
 でも、正直、選挙を通じて私は「打たれ強くなった」と思います。ちょっとやそっとのことで動じてしまっては始まらないということをイヤでも学ばされるからです。一方で選挙というのはある程度のがめつさが必要で、とにかくどこでもかしこでも恥を捨てて自分のことをアピールしまくらなくてはなりません。それでも「品良く」振舞いたいと思ってきましたが、実際に私がそうであったかは疑問です。
 選挙に勝つためには支えてくれる仲間が必要です。私は仲間にとても恵まれていると思います。もちろん所属している生活者ネットワークの力も大きいですが、それ以上にステイツマンの存在は大きいです。同世代である彼らは私と同じように悩んでくれ、考えてくれる仲間です。そのことを改めて実感した選挙でした。
 候補者あっての選挙ですが、「候補者ありき」ではないのが選挙。私はそう思っています。

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2003年12月22日

青空を見ながら・・・・。

 昨日は助役のお通夜、そして今日は葬儀に参列しました。とても天気がよく、青空が広がっていました。よかったなと思いました。
 助役と言うお仕事は庁内だけではなく、議会との調整役も果たさなくてはいけないとても大切な任務です。今年の6月議会で監査委員選出の際、助役が粘り強く私のことを説得しに来たことを思い出します。私は正直、自分でも泣きたくなるくらいどうすればいいのか迷いに迷っていたけれど、同じように助役もどちらかというと悲壮感たっぷりの顔で「お願いしますよ。」と言われたなと。
 私はいつも議場で思うことは、自分の両親と年齢が同じ位の部長さんたち・・・まるで子どもが親に意見しているみたいだ・・・ということです。いつかその話を助役にしたことがありましたが、そのときに「親だって、すぐには認めたくないけれど、子どもから教えられることってたくさんあるんだから。それに当り前ですけど市民には色んな年齢の人がいるんだから、岩永さんが議会にいるということは貴重ですよ。」「まあ!そうですか!そう言って頂けるとうれしいです。」と単純な私はとても喜んだことがありました。
 ある時、他の市の職員である知人に「古藤さんって助役になったんだね、びっくりしたよ。とてもいい人だよねえ。」と言われ、こちらがびっくりしたことも思い出しました。そのことば通りの人だったんだと思います。
 去年、私が補欠選挙で当選して初議会が6月。そのときに助役や収入役の人事がありました。反対の声もありながら、なんとか助役と収入役が決まりました。その議会の最終日、市長が議員に向けて、なぜか大洲部の涙をぽろぽろこぼして「ありがとうございます。」とお礼発言がありました。私は当時、市長の涙の意味がわからずに「どうして、こんな場面で泣くのかしら?」と感じていたわけですが、何となく意味がわかったような気がします。それは助役を引き受けた古藤さんの決断がそれこそものすごく大きなモノであった・・・ということです。

 それにしても助役なしでしばらくの間は動いていくのでしょうか?今、とても大事な時期であることを考えれば、職務代理者を置いたほうがいいように思っていますが。

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2003年12月17日

静まりかえった庁内で。

 昨日の予定通り、午前10時から全員協議会を行うつもりで、市役所に向いました。
 すでに午前9時から議会運営委員会が開催され、今後の日程などの話合いをしているところでした。聞くところによると、代表者会議のメンバーと合同での打合せだったそうですが、私の会派の代表のところには連絡がなかったとのことでした。昨日の一件があまりにも衝撃的すぎたことがわかります。
 結局、全員協議会は中止することになりました。傍聴者も何名か来ていましたが・・・。話合いでは「行財政構築プランについて、議決事項でもないので、全員協議会は取りやめてしまおう。」との意見も出たそうですが、やはりそれはそれ、これはこれ・・・1月に延期をし、仕切り直しで開催することが決まりました。

 午前10時から、議場に全員が集り黙とうをささげることになりました。助役席には花が運ばれ、静かに置かれました。そして、合図がありました。議場とあわせて庁内にいる職員も黙とうする運びとなったからでした。
 「総務部契約課からお知らせします。」というアナウンスが流れ、黙とうが始まりました。私はこのアナウンスに心寒々しました。あまりにも機械的で形式的過ぎたからです。正直、さらに寂しい気持ちになってしまいました。

 その後の日程などの連絡を待ち、控え室で待機をしていました。全員協議会の傍聴に来た市民の方が数人いらっしゃいました。あまりにもしーんとした4階の議場の雰囲気にとまどわれている様子でした。しかしたまたま知っている方だったので、事情を話すと「え、そうだったんですか・・・・。」と「じゃあ、来ても仕方なかったな。とお帰りになりました。わざわざ午後から仕事をお休みして足を運ばれたようでした。
 せっかくホームページがあるので、リアルタイムで、このような情報は流したほうがいいなあと思いました。

 庁内全体が静まりかえっていた一日でした。全員協議会は中止になったけれど、庁内の仕事は滞るわけには行きません。私自身はいつも通り、用事のある市民が足を運び、そしてそれにきちんと応対している職員の姿を見て、そして何も知らずに傍聴に来た市民の姿を見て、議会の判断は一体どう評価するべきなのかなと考えさせられました。

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2003年12月16日

訃報

 市長の片腕的存在、渡辺市長を就任以来支えてきた古藤純一助役が今夜お亡くなりになりました。

 行財政再構築プランについて、内容は別としても、とにかく職員含め連日連夜、休日も返上して、非常に激務をこなしていることを耳にしていました。そして、特に事務実務上での実質責任者としての助役は調整役として気苦労の多い立場であったのでしょう。性格的にも生真面目な方なのでそのストレスはものすごく大きかったのだと察します。
 正直、言葉が見つかりません。改めて、私は今、「働く」ということを考えさせられています。
 
 事態はいつも通り、淡々と議事が進められている午後に起きました。今日は多摩市の今後の方向性を打ち出した「行財政再構築プラン(素案)」に対する全員協議会でした。今日と明日の二日間での開催。通常の定例会とは異なるイレギュラーな日程です。
 実質ナンバー2の立場である助役は議場では答弁に立つことは滅多にありませんが、要所要所、市長が答弁を求められた時や事務実務上全般で重要な判断が求められる答弁などには発言をします。今日も午前中から、特に行財政の危機を回避するためにと練り上げられたプランに対する議員の質問に、言葉をひとつひとつ選び、丁寧な答弁を繰り返していました。
 そして、午後2時を過ぎた頃、再び助役が答弁に立ったのでした。理路整然と口調も変わらずにしっかりとしているように見えました。ところが、突然に「どさっ」という音とともにその場で倒れてしまわれたのです。議場には激震がはしり、傍聴者も含め、その一瞬の出来事に凍りつきました。
 とにかくすぐに救急車をと呼んだのですが、多摩消防署は議場の窓からも見える距離であるのに、なかなか救急車が来ず、消防署の隊員が駆けつけたのは20分ほど経過をしてからでした。もちろん市役所では保健師がいるので、それまでの処置は講じました。誰もが救急隊員がなかなか到着しないことに焦りと苛立ちを覚えたように思います。しかし救急車も署から出払っていれば即対応できないことのです。さらに私たちは呆然としました。遅れ馳せながらレスキュー隊が正式に到着しましたが、そこでもまた、市役所のエレベータが狭く担架が入らないという不便さを思い知ったのでした。

 緊急事態に全員協議会も今日のところは終了し、明日にということで議会運営委員会の結論が出ました。行政側も議会側も動揺が大きすぎて、進行は難しいと言う判断です。

 そして、あまりにも痛々しく、悲しい現実がつきつけられました。私は助役の死が残したメッセージを受けとめたいと思います。心からご冥福をお祈りいたします。

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2003年12月15日

もちろん続けていきます!

 「ほうれんそう」中止しちゃったのでしょうか?・・・と心配の声が寄せられています。決して中止はしていませんが、体調との相談をしながら、今朝も遊説は中止をしました。そして今月号のニュースもまだ作成できていない状況です。今月は議会月なので盛りだくさんの報告や連絡があります。そして行財政再構築プランが出ているので、これはやっぱり相談事項・・・年末が押し迫って、もう既に半月過ぎているので気持ち的には焦っています。しかしながら、「ちょっとの無理」以上の無理は禁物と思いながら、活動を再開しようと思っています。

 さて、今日は、これまた前々から約束をしていた出身校である桐朋女子中学校の総合の時間のお手伝いをしてきました。「人とのつながり」というのが総合学習の年間テーマで、今日は色々な人をゲストに呼び、話を聞いたり、体験学習を共に行っちゃおうというプログラムでした。たまたま私が「議員」という少し特殊な立場にあるために、招かれて後輩たちに話をしてきたのでした。
 本当はもう少し事前に準備をして、話をするつもりでしたが、いかんせん体調を壊したために思ったような準備が出来ずに話だけをしてきてしまいました。そこは致し方ない反省点です。本来は地方議会の女性議員の数や20歳代の議員数、自治体ごとに違っている議員報酬などを話題にしながら、地方議会の現状をレクチャーできたらいいなあと考えていたのですが、それについては「ぜひ、関心があれば自分で調べてみて下さい。面白いと思います。」ということで、桐朋の文化祭では中学生はクラス発表でテーマを決めて調査などをし、展示発表をしますが「そのテーマにもなるかもしれない・・」などと偉そうなアドバイスをしてきてしまいました。でも実際に自分の手足を使って調べるということはとても重要なことだと思っています。自分自身の中にある謎解きの作業だからです。
 私は結局、何を話したかというと中学二年生が相手ということもあり、自分の中学生時代を中心の話をしました。そこで思い出したのですが、私はいつも「~してはいけない」とか「~してください」と言われた時、「一体、誰がどこでそんなこと決めたのか?」と常に考えているヘンな子でした。その当時の私にとっては理不尽だなと思えることなどは「誰の都合で決めたの?」といつも考えていました。例えば、私の学校ではライン入りのベストは禁止というきまりがありました。一応拘束ではありませんが「自主規制」と言う名前のきまりがあり、私たち生徒はそのルールに従うわけですが、私はなぜライン入りが制服にふさわしくないのか?という理由が全然わからなかったのでした。そこで「誰がライン入りはふさわしくないって決めたんだろう?」というのは常に疑問でした。自主規制というわりにはそう簡単に変更できないことも不思議でした。
 ・・・・という体験談を中心に話しながら、特に地方議会では私たちの生活の身近なルールが決まったり、税金の使い道を決めるとても大事な決定の場所であることを伝えました。
 それから、やっぱり投票に行くことの大事さも、まだあんまり実感がわかないかもしれないけれど・・・と思いながらも話をしました。そのときに一番大事なことは「自分の価値観で自分の判断で決める」ということだと伝えました。

 どこまで私の話が届いたのかは・・・わかりませんが、とても真剣に話を聞いてくれたことはわかりました。とてもありがたい貴重な経験でした。特に中学生を相手に話をするというのは至難の技でした。難しいことをわかりやすく伝えることには一苦労。それを思えば学校の先生ってやぱりすごい!と思いました。
  
 そして最後に「ほうれんそう」をアピールしてきました。これは友達との関係でも、先生の関係でも、そして家族との関係でも・・・人とのつながりのなかで「ほうれんそう」の姿勢を持つことって大事だろうなあって思うからです。

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2003年11月26日

昭島市まで出かけてみたら・・・・

 昭島市でも自治基本条例を策定しようという動きがあり、多摩市と同じように?市民会議形式を採用します。たまたま昭島の市民検討会議の代表者の方が私のホームページを見てくださった縁で今日は多摩市の「つくる会」の代表が会議に呼ばれて話をしたわけですが、私もくっついて出かけていったのです。というのは、多摩市での取組みが他自治体はどう見ているのか?を直接知ることの出来る機会はとても大切だと考えているからでした。立場上、議員という肩書きがつきまとうので参加をしてもいいかどうか事前に問合せをしておきました。昭島市の会議には議員の参加はないからです。何とか私の気持ちを理解していただいて、出席の許可が出た時にはありがたいなあと思いました。

 本当は傍聴者のつもりだったのですが、多摩市の「つくる会」代表の説明の後で少しだけ発言の時間がもらえました。私自身は市民としてワークショップに参加をしていた時と、今、議員という立場で議論を進めているところの気持ちとか、その上で必要だと考えたこと等を感想めいた話をしてきました。

 要するに、自治基本条例というのは市民と首長(行政)だけでなく議会も含めたうえで、どのように自治体としての意思決定をしていくのか?というデザインを描いていくことが必要になりますが、策定過程において、多摩市のように市民ワークショプ(もちろん議員も一市民として参加をしてもいい)で行政との協働だけに重きが置かれて進行してしまうと、対議会との関係性が少しゆがんでしまう感じを持っています。最終的に条例が可決するためには議会を通過しなければなりません。つまりは議員個々人の自治基本条例に対する理解が必要になります。
 
 多摩市の場合は市長も交替、議会も改選という悲劇的な運命を辿っているわけですが(交替をすると言うことはある意味でリセットになってしまうのです)、議会では4月の改選以降、特に私の所属している総務委員会では委員長の掛け声のもとで、各委員はそれぞれに勉強もしながら、そして参考人制度を用いて、市民側「つくる会」からも説明を受けるなど市民提言案の理解にも時間を割いてきました。
 昭島市議会がどのように対応するのかはわかりませんが、市民検討会議の中でまずは市民側の思いなどが出されるわけなので、その部分を議会側でも汲み取れるような工夫を市民側で考えてみることも必要ではないか?と提案をしておきました。
 
 昭島市では市民検討会議と並行して、庁内のプロジェクトチームも動いていて、両者それぞれに出てきた案を審議会にかけて最終的な議会への提出議案にするようでした。策定プロセスは少々異なりますが、市民検討会議ではパートナーシップ協定を市長と結ぼうとしているようです。やはり市民側の提案がきちんと生かされるように・・・というところが危惧されるからでしょうか?しかしながら、昭島市のパートナーシップ協定案の中には市民側の案の変更箇所などに対する説明責任とか意見交換という多摩市の協定の中で最も争点となった部分はそのまま削除されているみたいでした。(なんのためにパートナーシップ協定を締結するのかわからないのでは?と指摘だけしておきました。一番大事な部分が市民案の提言後の行政とのヤリトリだと感じているからです。ここについては昭島のメンバーの方も「そうなのよねえ」とおっしゃっていました。「この案は行政が作ってきたものなのよね!」と。)

 とにかく私自身が感じていることは自治基本条例の条文の作文は、それこそ事務局担当の職員の力を最終的には借りながらわりとすぐに完成させることができると思うのですが、市民検討会議の側でいかに議論を積み重ねておくのか・・・特に「なんのためにこの条例をつくるのか」というところのイメージをメンバーが会議を重ねる中で共有するのかが鍵になってくると再三強調しておきました。この議論をしっかりとしなければ条文づくりの時の柱がユラユラしてしまうからです。
 それから市民が議論をしていく時、初めは個々人の思いを自由に出し合うことが大事だけれど、自分の思いだけを通すことは難しく、全体を見まわした中で、どんな判断をしていけばいいか・・・というオトシドコロも意識をしておかなければ、いつまでたってもまとまりっこない・・・これは少々偉そうながらアドバイスをしてしまいました。

 何はともあれ、多摩市の事例を参考にしつつ、そして「つくる会」としても、今、振り返るからわかることもあるわけで、そのことを伝える機会がもてることはありがたいことです。
 それから今日、やっぱり確信できたことは多摩市で採用した市民ワークショップ方式というのはかなり先駆的で斬新な取り組みだということ。「多摩市は進んでいる。」というイメージがとても先行していることを痛感しました。

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2003年11月20日

「出来る範囲でやれること」

  午前中に生活クラブ運動グループの地域協議会でした。協議会の中長期計画をたてるということで話合いをしました。今日は「安心」というカテゴリーについて、地域で何が出来るのか?を議論しましたが、それぞれに「安心」ということばを聞いても思い浮かべるイメージは多様です。「ことばの具体化」というのはとても重要なことだなと思いました。

 午後からは国民健康保険運営協議会の会合でした。昨日提案された通りの国保税増に伴う条例改正の説明を受けました。今朝のニュースで全国約3300自治体のなかで63.3%の2051市町村が既に赤字会計に陥っていると報道していました。こういう報道を聞けば、何だか多摩市が一生懸命赤字会計にしないようにと一般会計からの繰入れ対応や、または基金(貯金)の取崩で赤字補填をしていく対応する手法もあるのかもしれませんが、とにかく踏ん張っている地方自治体の努力がいかにして報われるのかと考えさせられます。もっと国会議員にがんばってもらいたいものです。

 さて、今日は知人に誘われて「小口ゆい」という女性の語りと唄のライブに行ってきました。彼女は14年前に金子みすずに出会い、その後みすずの詩を語り、時には歌いながら日本語の力強さや美しさなどを全国伝え歩いているそうです。彼女はトークの中でこう言いました。「今・・・「何か」というのはわからないけれど、私の全身での表現、心も体を子どもたちに開いていくことで、きっと何か感じてくれると思っているんです。」「・・・・こうやって次の世代の子どもたちに日本の素晴らしさを伝えていきたい。それがささやかに私が出来ることかなあって思っているんです。自分の出来る範囲でこれからも続けていきたい!」
 実は私は地域というのはそれぞれ人の「ささやか」な力が集まることなしには支えることが出来ないと考えているので、とても共感しました。自分の出来る範囲は「ささやか」・・・って私もいつも思っていることだからです。
 小口さんの披露してくれた「私と小鳥と鈴と」という金子みすずの詩は私もお気に入りの一つでしたが、この詩はいつ読んでも心に響きます。おすすめの作品です。

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2003年11月05日

毎日が投票日!

  不在者投票がより身近になっています。桜ヶ丘と永山の駅前で今日から3日間、駅前投票所が設置されます。今は、細かな理由を問わずに不在者投票出来るようになりました。その重みこそ違うかもしれませんが、出かけるついでに手紙をポストに投函するのと同じ気分、気軽に不在者投票することができます。投票が「ついで仕事」になってしまうのも、なにやら複雑、残念に思いますが、それでも手軽さが生まれたことはうれしいことです。
 不在者投票が市役所でしかできなければ、ちょっと頑張らないと足を運ぶ気にはなれません。私はその気持ちがよくよく理解できます。そんな私も以前までは「知らない人たち、せいぜい頑張ってもらいたいものだわ。」と政治には無関心ではないけれど、縁遠さを感じていた一人です。

 さて、今日はスターが多摩市にやってきました。華奢な体にあふれるパワーはものすごい!圧倒されました。・・・全国各地の候補者を応援するのに行脚する夫に代わり、妻が地元(夫の選挙)を支えているわけですが、彼女が応援弁士として多摩入りしたのです。
 さすが、「彼女あっての夫だわ・・・。」と誰もが思うくらいに、彼女も十分政治家、候補者として通じるくらいの話し上手、しかも積極果敢に周囲の人たちに握手を求めることにも私はすっかりとその様子に気を取られ一部始終を観察してしまいました。

 いよいよ選挙戦もラストスパートに突入していきます。しかしながら、気がかりなのは投票日の天候。なんとか雨降りではなく、適度な曇り空がちょうどいい。晴れすぎると朝からレジャーにお出かけしてしまう人もたくさんいるからです。
 選挙事務所のスタッフのゴールも見えてきたところで、私の睡眠不足にも明かりさしてきました。「日曜日の朝は寝坊出来る!」・・・残りの3日間でせっかく応援するのなら、やっぱり中途半端にはしたくない。精一杯やらなきゃな!と気合いの入れ直し。

 外を見たらざあざあぶりの雨。明日の朝には小雨になっていて欲しい。願掛けで残りの3日間の天候を祈って、てるてる坊主をつくってみましたが・・・効果はいかに!?

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2003年11月01日

活動報告おやすみ。

 今日はちょっと外出するので報告は明日に・・・

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2003年10月27日

政治的判断・・・ということ。

 多摩ネットで市民自治基本条例のこと、それから来年度に向けた予算要望についての議論をしました。
 木曜日に総務常任委員会が開催される予定です。継続案件の「自治基本条例」が議題になる予定なので、ネットとしての考えかたをまとまなければなりません。
 ネットの会員の中には、市民提言案の作成に関わった人が数人います。個人として関わってきて、それぞれの市民自治基本条例に対する思いがあるわけです。けれどもイチイチ政治的動向を意識して関わっているわけではなく、あくまでも自分自身の興味関心の領域のなかで、新しい時代の枠組み(ルールづくり)をしてきたまでです。そのスタンスは私も同じです。
 ところが、ひとたび生活者ネットワークという政治団体における判断をどう下していくか?となれば、やっぱりそこには「政治的判断」を介入させなければならないのでしょうか?それについて議論が分かれました。つまり、条例案が提出された時に賛成なのか、反対なのかを決めるのには「政治的判断」も必要になってくるというのです。
 そして、もちろん私にもただ個人として、「つくる会」に関わっていた市民としての見解ではなく、議員として(正しくは生活者ネットワークの代理人として)の判断が求められます。つまり個人的な感情ではなく、とてもとても客観的な立場になり、今までの動きやもちろん条例案を見ながら、最終的な結論を下していかなければならないのです。

 政治は「権力争い」だなと思います。例えば、明日から総選挙が始まりますが、「政権交代」ということばに表されるように、やっぱり政治を動かしていくためにはパワーが必要です。「どんなに正しいことを訴えていても、権力に近くなければ、実現できない。」そういうことがたくさんあります。
 市民はいわゆる政治的権力を意識しながら動いているわけではなく、市民活動のほとんどは身近な自分たちの生活の中にある課題解決のために動いています。そのことが時に「政争の具」に使われることもあります。例えば「環境問題」などではそういうことがよくあります。よく解釈すれば市民が政治を創っていく・・・象徴とも受け取ることが出来ます。でも、私は市民自治基本条例がそうなって欲しくないという思いが強くあります。とは言え、この問題が残念ながら、私の思いとはまったく逆方向に向かっていることを感じています。これが「政治的課題」になり、政治的な判断をしなければならないとき、私は自分を一体どうやって納得させればいいのかと考えているところです。
 まだネットとしても結論が出ていないのですが、これからの議論はとってもシビアなものになることは間違いありません。

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2003年10月25日

ちゃんと確認をしてから・・・早合点に反省!?

 昨日の活動報告の話。早速、午前中10時になる前に担当の課長さんより連絡が来ましたので、私も、まだ一日が終わっていないのに、活動報告でみなさんに事実をお知らせします。

 私は昨日の話合いの中で出されたことをそのままそっくり信じてしまっていたわけですが、課長さんの話によると、「原稿が今、手元にあるけれど、原稿そのものが「行財政診断白書の問題点」となっている。」とのことでした。あまりにも朝早くから、しかも今日は市役所はお休みなのに課長さんから電話がかかって来たことにもびっくりですが、私も昨日まるまる聞いてきた話を確認しないままに書いてしまったので、やっぱり一呼吸置くべきだったなと反省しました。
 私が余計な行政に対する不信感を生んでしまう・・・それは一番避けたいことです。行政を擁護するわけではありません。まったく行政が悪いわけではなく、かと言って、原稿を出した側の勘違いを責めるわけにもいきません。要は私がすぐに何でも鵜呑みにしてしまうところの失敗だったなと思っています。

 ホームぺージで発信することの威力は計り知れません。正確なことを出来る限り伝えたいと思っています。反省も込めて、これは今日の活動報告です。

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2003年10月24日

確認しなければわからないけれど・・・・。

 今日も朝からの予定を変更しました。というのも、視察疲れ?視察の時に急に睡眠をとりすぎて、今までの疲れが呼び醒まされたようです。体が唸っている感じがします。

 さて、今日は夜に多摩自由大学の打合せがありました。そこでの聞いた話です。というのは、20日に発行されたたま広報に、11月9日に開催される多摩自由大学の講座の案内を掲載してもらいましたが、そのタイトルが原稿と違っているというのです。もちろん決められた字数内で原稿は作成したとの話です。多摩自由大学の運営委員の人たちは市民活動のプロの領域の方ばかりなので、そのようなところミスをするとはとても考えられません。
 ところが、掲載された原稿には重要な2文字が抜けているのでした。講座の名前は「行財政診断白書の問題点を突く」でしたが。掲載されていたのは「行財政診断白書の問題点」・・・『突く』という言葉がどこへやら?飛んで行ってしまったわけです。

 「行財政診断白書の問題点」というのと「行財政診断白書の問題点を『突く』」とではニュアンスも異なれば、講座内容も全く似て非なるものになってしまいます。打合せの中でも、早急に市のほうに事実確認をしようということになりました。

 原稿を担当していた人のところにも、会の代表者のところにも何の連絡もなかったので、単なるミスなのか?といことが話題に上ったのでした。・・・でも、もしかするとこの講座のタイトルが行政にとって、不都合なニュアンスで、削られたのかもしれない・・・という話になったのです。仮にそうだとすれば、誰のどのような判断によるのでしょうか?そして広報作成のルール(あるかどうかはわかりませんが)に抵触する部分があったのでしょうか?とりたてて公序良俗に違反するとも思えないのですが、なぜそのような結果に至ったのか真意を確かめる必要があるのです。
 
 もし、削除する必要性が何かあるののならば、私はせめて電話一本の連絡でもあれば、よかったなと思いますし、これが恣意的な削除であったのか、それとも単なるミスなのかがわからないものの・・・とりあえずは5日の広報に間に合えば訂正を載せる必要も出てくるように思います。
 発言をすると言うことはとても難しいです。私も活動報告を書いていると、時に表現の仕方に誤解が生じるかもしれないので・・・・と言われることもあります。でも、出来る限り事実をちゃんと述べていきたいと思っています。誹謗中傷でない限り、私は発言する自由を認めて欲しいと思います。何かに余計な気を遣って、発言に制限することがあったなら、本当に伝えるべきことを伝えきれなくなってしまいます。

 今回の広報の一件でもそうです。「真相はいかに?」。いづれにしても、行政にとっては「突く」という表現がとっても居心地悪い2文字かもしれませんが、やはり(原稿の文字数がオーバーしていない限りは)過不足なく原稿をそのまま載せる必要があったことは確かです。

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2003年10月10日

潜在的な有権者の反応は?

  衆議院が解散しました。生活者ネットワークは地域政党で、国政は守備範囲ではありませんが、「女性議員を増やそう!」ということで国政を見守っていきたいと考えています。

 議員は選挙ばかりやっている・…と言われがちです。この4年間の多摩市を見ても、衆議員、参議院、都議会、市長・市議補選、統一地方選挙・…と盛りだくさん!議員は本来は政策をつくるのが仕事なのに、じっくりと腰を据えた活動をする時間を削ってしまうケースが多々あります。人の選挙を手伝うことがひいては自分の選挙につながる…こういう人的関係がしがらみ的につくられていく気がします。

 そんな政治屋の姿を見て、幻滅している人がたくさんいると思います。選挙を通りぬけなければ力の発揮しようがないわけですが、選挙にのみ固執してしまい本来の目的を見失ってしまうケースが目につきやすいのかもしれません。私のところにも「初心を忘れないで欲しい」とか「本来やるべきことをもっとやって欲しい」という声が届きます。地道にコツコツと仕事を重ねてもらいたい・・・というのが市民の一番の願いなんだなあと切に感じます。

 さて、夕方に桜ヶ丘の駅で「解散報告会」がありました。でも、道行く人の反応を見ていると、そ知らぬ素振りの人がとても多いことがわかります。政治が嫌われモノであることを痛感します。どうやったら政治を一人一人の心に届けることが出来るのか…と思います。
 結局、政治の世界は、特に国政ともなれば芸能界と同じ。テレビの向こうの世界でしかないのでしょうか?いかにして「リアリティを伝えられるのか?」が課題です。
 ところが、伝えるのはとても難しく、ある意味でパフォーマンスの要素が不可欠。そうなれば市民の切なる願い「地道な政治活動」とは全く相反することになります。パフォーマンス要素が強くなればなるほどに、何となく市民は離れて離れていくような気がしてしまう…少々無責任ながら、傍観者としてこの構図を眺める自分は「政治に対して‘勝手にやって!’と思ってしまう冷めた有権者」の一人です。
 表向きには政治に対して冷たい有権者であっても、潜在的にはどんな反応を秘めているのかはわかりません。圧倒的多数の政治に対して心の扉を閉めている人たちにまずは鍵をあけてもらわなくては何も変わらないと思います。
 各政党はマニフェストを掲げていますが、それ以前に重要な政治への信頼をどのくらい回復できる心構えがあるのかについて…その秘策をまずはお尋ねしてみたい…そんな気分です。

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2003年10月02日

決算事業報告書から その②

 たばこ嫌いの私を悩ますのが市タバコ税。昨年度は約7億円強の実績を誇っています。もちろん税率アップや税制改正なども伴うわけですが、とにかくタバコ税収入はうなぎのぼり!これだけ健康被害の大きさが騒がれていて、市役所内でも原則禁煙、市内の小中学校の敷地内でも全面禁煙なのに・・・。

 さて、このタバコ税が入るためには、なるべく多摩市内でタバコを買ってもらう必要があります。つまり市内でタバコ販売促進キャンペーンをする意味は少なくないのです。タバコ販売はもちろん許可制です。たいていの場合、販売店ネットワークというか業界団体にみたいなものが地域には存在します。それと同様に、市内のタバコ屋さんでも「多摩市たばこ増税収対策協議会」という組織を結成しています。でもこれへの加入は任意です。現在は会員は減少傾向にあり10年ほど前と比べれば20者ほど少なくなり、昨年は48人です。

 この組織の名前からもわかるように、この協議会はとっても市への貢献度が高い・・・と考えられます。「増税収・・・」ということで、市から、この組織には補助金が出ています。年間120万円です。10年前は40万円でしたが、いつしか82万1千円になり、ここ5年間は120万になっています。もちろん「喫煙キャンペーン」をしているわけではありません。現在は定期的な美化活動をしているそうです。それから例えば携帯灰皿やライターをおまけにして配布しています。そのための補助金です。

 要するに、増税収につなげるためにはもちろん販売努力をする必要がありますが、それはめぐりめぐれば・・・健康被害を広めていることになるのではないでしょうか?つまり、税収減としてのタバコ・・・健康に悪影響を及ぼすタバコ…この補助金の意味ってどう考えればいいのでしょうか?とても悩ましいのです。

 たばこを吸っていても病気にならない人もいるという反論がきそうですし、実際のところ、その言い分はあたっているのですが、それでもやっぱり私は禁煙キャンペーンのほうに力を入れるべきだし、美化ができれば喫煙したっていいでしょう!という考え方にもやっぱり賛成できません。

 私の知人で受動喫煙の健康被害の調査をしている人に話を聞きましたが、彼女曰く、現在の研究の中でタバコ被害と医療費との相関関係も進められていて、すでに禁煙を進めることによる医療費削減の効果がほぼ実証されつつあるとのことです。
 やはりそれを考えても、このたばこ増税収対策協議会への補助金は見直してもらいたいと思います。

 しかしながら、それにしても市役所の職員や議員をみまわしたところ・・・本当に愛煙家は多いです。ところで、長年愛煙家だった人(高齢者)がドクターストップでタバコをやめたとたんに早死にしてしまう・・・・ことを立証した面白いデータもあります。特に男性に多いそうです。つまり、そのことから考えるとタバコは『いきがい』を支えるツールにも入ってしまうということです!信じられない本当の話です。

 今日も一日、決算事業報告書を眺めてみましたが、縦割り行政で進められている事業を自分なりに横つながりにしていく地道な作業をしていると時間がいくらあっても足りないわ!と途中で投げ出したい気持ち、めげてしまいます。数字はもともと嫌いだし、自分でコスト計算書を見よう見真似で作ろうとしているのですが、その作業完了にはしばらく時間がかかりそう。

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決算事業報告書から その①

 午前中は、ひとこと提案のまとめをしました。今回はテーマが「活性化」です。さすが10代の意見には聞くべきところあり!「多摩センターにマック3つ、ウエンディーズ2つはいらない。モス、ミスドが欲しい。」…なるほど、そう言われればそうだなと同感。
 それから多摩センターは銀行に行くためには絶対に雨に濡れなくてはならない…その点で永山は屋根つきで便利。唐木田駅を使用する人は多摩センターよりも永山の方がコンパクトにまとまっていていいらしい。
 落合地区に住んでいる人の意見でも、どちらにしてもバスで駅に行くのなら、多摩センターよりも聖蹟桜ヶ丘まで行ってしまう。その方が買い物にも便利との意見。これにも頷いてしまいました。
 多摩センターはとにかくあまり便利ではないそうで…私たちもどうやったら、もう少し活気が出るのかなあと頭を抱えてしまいました。
 
 さて、今日は午後から、決算事業報告書とにらめっこ。1989年度分(平成元年以降)からの事業報告書を議会図書室から借りてきて、まずはパルテノン多摩への投資額の推移を見ました。

 決算委員会を控えて、事業報告書だけではわからない内容について資料請求をします。でも、行政側に一方的に資料を請求すれば、それで事足りるわけではありません。特に行政から資料が提出されるのが、ぎりぎり決算委員会に間に合う9日。(決算委員会は14日からスタートします。)待っているよりは、自分で作成した方が早い感じもします。そこで今日は、データ作成をしたと言うわけです。
 ところが、残念ながら、昔の事業報告書はとても不親切なので、自分で調べるにしても調べきれないところがあるのです。そうなるとやっぱり行政頼みになるということがわかりました。

 この在り方自体が問題です。議員は本来自分で調査活動をすべきなのですが、要するに行政との情報共有ができていないために、資料請求をし、行政側に資料作成のお願いをする手間がかかってしまうからです。
 もちろん「資料を作成させて、行政にも勉強してもらわないと」と言う人もいるのですが、私は議員にも時間がたくさんあるので、出来る限りは自分で調べて自分で資料を作成し、それを職員にも提供しながら自分自身の問題意識を共有できればいいなと考えています。
 行政と議会との情報共有のあり方も今後の課題だと感じます。

 話を戻すと、私は多摩市は文化意識が高い都市だと思われていて、その象徴がパルテノン多摩だと言う人もいるので、文化薫る都市のためにどのくらいのお金を使っているのかを知ろうとしたのです。
 
 何と、1989年度以降では総額約140億円、そのうち事業の補助金だけでは約64億にものぼ巨額投資額、残額は施設の管理運営委託費です。どちらも外郭団体である(財)多摩市文化振興財団に拠出しています。途中からエクセルデータに数値を入力するのが恐くなり、さらには合計をするのも恐ろしくなりました。
 ちなみに1990年度からの10年間は年間約10億円以上ずつ投入しているのです。ようやく今年度約8億6千万円で1989年並に戻りましたが…。

 ひとこと「すっごーい!」と思いました。さらに付け加えると管理運営している外郭団体に対しては、これ以外にも事業委託などが数件あるのです。それに施設買取り費(借金返済)や、日頃の修繕費も別途存在しています。
 
 本当に、冷や汗ものです。この豪華施設って一体?

 その一方で、文化に親しむ心は子ども時期が肝心で、やっぱり子ども時代にいい音楽を聞いたり、いい絵画を鑑賞することなどが重要なことだと思っているわけですが、いわゆる「一流品」に触れる機会として、市内公立小中学生たちへの鑑賞教室は年々予算が削られている始末。本当にこれでいいのかしら?と思います。一回の鑑賞教室には約3百万円。パルテノン多摩への巨額投資に比べれば…。現在、鑑賞教室は現在小学校6年生のみになってしまいました。
 これは週5日制がはじまって忙しいからなのでしょうか?私はパルテノン多摩が本当に有効活用されているのか少々疑問です。
 
 
 それにしても、決算の報告書も昔から比べると、情報がていねいに載せられていて、わかりやすくなってきたと思います。昔の報告書を見ると、税金を使っていると言う意識の希薄さを今以上に感じます。各事業にどれだけの税金を投入しているのかが一目瞭然で事業内容とともに分かる今の決算書はものすごく水準アップしています。昔のをひっくり返して内容を見てみると、まるで「どんぶり勘定」ではないだろうか?と勘違いされても仕方ないような決算書の作り方をしているのです。

 決算書はとても重要です。1年間の間に、どんな風に税金を使ってきたのかを市民に知らせるものだからです。その意味で、ようやく『市民に見せるための資料』になってきたなという印象があります。行政の意識変化が感じ取れた一日でした。ここは大いに評価すべき点!
 
 それにしてもパルテノン多摩に毎年、ジャブジャブ税金が注がれているのかと思うと・…。人気不足の多摩センター。そこにあるパルテノン多摩。正直、気が遠くなりました。

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2003年09月29日

多摩市のダイエットメニュー

 今日は朝遊説から始まって、都市計画審議会に国民健康保険運営協議会、会派で決算特別委員会に備えて話合いをして、行財政診断市民委員会を傍聴しました。

 「そんなものかな・…」と思いますが、審議会みたいな場所ではきちんと台本が用意されていて、説明者はそれをただ棒読みで読み上げます。まちがえたことを発言しないように台本を準備するわけですが、それなら事前に文章化された説明資料を配布しておけば、会議が質疑応答から始まるので効率いいように感じます。
 これは議会の一般質問でもそうですが、事前に通告書を出すので、それに対する第一答弁は文章で返却してもらえば、あとは再質問を議場で行えばいいだけで、合理化されると思うのです。
 でも、問題はおそらく議事録だと思います。どんな会議を行ったのか?議事録として残すことが最重要ポイントだからです。でも、そのための時間の消費は大きいなあと感じる今日この頃です。

 国民健康保険運営協議会では保険税の税率引き上げについての諮問を受けていました。それについて「状況を考えると引き上げの方向もやむを得ない」との答申を出しました。全員一致ではなく、賛成多数です。ただ、滞納者への徴収努力をもっとしてくださいという付帯意見などがついています。もちろん税率を引き上げてほしくないと言うのが本音です。低所得者に対する配慮は相応に継続してもらいたいことも意見してあります。
 国民健康保険制度そのものの存続は課題です。これは一自治体だけでなく国全体の保険制度の在り方にも問題があるわけですが、国の改革を待っていても始まらず、結局は保険者としての自治体が出来る範囲で対応を講ずる必要があります。国民健康保険特別会計への一般会計からの繰入れ金を少しでも削減していくことが当面の課題だと考えています。そうなれば今までのように国民健康保険加入者に対する+αのサービスは全て廃止(例えば健康世帯の表彰など)し、事業そのものをスリム化することが必要です。これは協議会の中で、ほぼ一致した見解のように思います。
 自治体の中には医療費を増やさない対策として「健康づくり」に力を入れているところもあります。多摩市では「健康づくり」というと健康課を中心にして様々な取組みがなされています。「健康づくり」が多摩市の中でどのように進められているのかも視野に入れながら、国民保険課の日常業務である保険税の計算や徴収などをしてもらいたいと思います。

 行財政診断市民委員会もいよいよ終わりに近づいてきました。今日は委員の中から「多摩市は太りすぎ!」という発言がありましたが、ダイエットメニューの組立ては相当大変だと言うことは感じます。市民委員会ではメールによる意見交換も活発に行っているようで、顔を合わしての話合いは「オフ会」みたいな感じです。
 この市民委員会では何となくの方向性だけを出すので、結局のところ最終的なダイエットメニューについては庁内検討になると予想されます。今日の話題はパルテノン多摩や社会福祉協議会など外郭団体にまで及びましたが、委託金や補助金額が大きすぎることや、職員構成、待遇などを見て「第2、第3の市役所化」という指摘もあったものの、「もう一度委託内容や補助の中味を再検証する必要がある」というのが結論になった気がします。私は「一体誰が再検証するのか?」が大事だなと感じるのですが、そこについてはあまり踏みこんで議論はされません。
 委員の中ではやはり税金を納めている市民がもっとチェック出来るような体制を作る必要がある、そのためには十分に情報をオープンにしていくことが必要だと強調する人も居るのですが…。
 行政の仕事をチェックする機関として監査委員や議会があるという話題もさらっとだけ出ましたが、「やはり『外部監査』みたいな機能が必要なんでしょうね…」というのが一致点のように思いました。

 それから人事について。白書の中では多摩市は職員一人あたりの市民の人口が多いように記述されていました。それも正しくて、東京都内類似都市での比較では①小平市173人②府中市156人そして多摩市が148人となっています。ちなみに少ないところは①青梅市92人②武蔵野市112人です。ところが一般行政職と税務職の合計では多摩市は職員一人あたり184人になります。これは先のデータで少ないところ青梅市189人、武蔵野市185人よりも更に下回ります。ちなみに多いところは小平市と府中市で248人です。
 つまり多摩市の職員構造は不思議なのです。部長の説明では、学童クラブや児童館、学校事務、図書館等の職員が多いとのことでした。
 これについてはまだまだ各自治体のデータをもとにして調査が必要だなと思っています。職員問題もダイエットメニューに組み込まれることは当然でしょう。

 とりあえず私自身はこの市民委員会が最終報告書を取りまとめた時、もしくはアクションプラン完成時にでもいいですが、市民委員と行政との合同で市民向けの説明会を開くことを傍聴者の意見として提案し、帰ってきました。

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2003年09月21日

市民力でできること

 今年の1月にオーストラリアのゴスフォードという街からバレエ学校の生徒たちが多摩市にやってきて、市内のバレエ連盟にも協力をしてもらい交流公演ありというハードなプログラムでホームスティ受け入れ企画をやりました。この企画はCOATという小さな市民グループが行っています。
 実はゴスフォードは江戸川区の姉妹都市です。たまたま江戸川区内で国際交流に関わっている中心人物がCOATの発起人と懇意にしている関係があり、ゴスフォードからの留学生たちを多摩市にも招待することが可能になりました。そのつながりを生かして、先週金曜日から15歳の女の子と14歳の男の子の2人が5日の日程で、現在多摩市に来ています。

 私はCOATが発足した時から手伝いをさせてもらっていますが、最近は活動そのものには協力できていません。まるで「いいところどり」みたいで少々気が引けるのですが、午前中に多摩太鼓の見学に同行してもらえれば…との要請に応え、近所の北諏訪小学校の体育館まで出向いてきました。そして一緒に太鼓をうたせてもらいました。本格的に太鼓をうったのは今日が初めてで感激でした。ちょっと真剣に和太鼓体験をしてしまい、おかげで明日は腕が筋肉痛になりそうな予感。
 多摩ニュータウンで生まれた多摩太鼓愛好会(今年で23年目)。指導者の安部さんはニュータウンから巣立っていく子どもたちの思い出に残るもの、この‘まち’が故郷になれるように…という気持ちでずっと続けてきたそうです。
 
午後からはTAMA映画フォーラム実行委員会主催の上映会を見に行きました。引きこもりの兄を抱えた自分の家族を映像に綴り、話題になった作品「home」をようやく観ることが出来ました。
 引きこもった極度の潔癖症の兄を抱え、うつ病になり兄に怯えている母親が拒むにも関わらず、「カメラがないと家族に向き合うことが出来ない」と息子(監督)が放つ言葉が耳に残っています。
 11月には13回目の映画祭(TAMA CINEMA FORUM)が開催されます。公民館が事務局を担当していますが、ほとんどは手弁当で実行委員会に参加する市民たちが作品を選んでプログラムを組みます。回数を重ね、かなり知名度のあるイベントになっています。
 
映画終了後、たまたま「多摩市に中央図書館をつくる会」が先週日曜日のフォーラムの反省会をしているところに遭遇し、飛び入りで参加させてもらいました。フォーラムに市長が顔を出してくれたことが話題になっていました。

 多摩市は市民たちの活動が多種多様にあると思います。草の根国際交流ホームステイの受け入れ(全く行政は関わっていない)、映画祭、中央図書館をつくる会など、‘まち’に出ればなにか一つ自分のやりたい活動に出会うことが出来るところだと思います。市民の活動はお金がないので、いかに知恵を絞り合うかが勝負です。「お金をかけないで、楽しくする方法」を探すのです。例えばホームステイにしても、ただの日本観光なら簡単ですが、市民のつながりで多摩太鼓の見学や、私立中学校の文化祭見学、お茶体験などなどCOATのホームステイの特徴は「多摩市の市民活動」がテーマになっていることです。

 市民活動の一番の面白さはどこにあるのかというと私は地域の人との出会いだと考えています。出会いの輪を増やすことで、面白いことが実現していくからです。OL時代にたったの一歩、‘まち’に踏み出したことが、今の自分につながっているなあとしみじみと感じた一日でした。

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2003年09月16日

えっ。ホントに???

 文教常任委員会で起こった珍事?でも、笑えない。

 私立幼稚園児保護者補助金の増額と私立幼稚園児健康管理費補助金についての請願がありました。陳情と違い請願には紹介議員がいるので、より協力な後押しを得た市民から議会への働きかけと言えます。
 今、行財政診断白書が出された中、補助金などの増額をすぐに受け入れることも出来ず、しかしながら、確かに私立幼稚園に通わせる保護者に対する助成は保育所との格差があると指摘されることも理解できる…という狭間で、請願の主旨は十分にくみとって今後の財政再建のアクションプランに生かしてもらいたいと多くの議員は考えていたように思います。
 私たちの会派でも、この請願については「わかりました。」とすぐに採択出来る内容ではないと判断していましたが、かと言って、不採択していいものか…とも考える点から「趣旨採択」が妥当だと判断していました。

 私たちの会派は人数の関係で文教常任委員会のメンバーに加わることができず、傍聴参加にとどまっています。今日もある意味で、他の会派などがどんな議論を展開するのかをちょっとハラハラしながら見守っていました。

 ところが、この請願書については一致点として「趣旨採択」を目指そうとしていたようですが、なんと結果「不採択」になってしまったのです。その理由は、紹介議員に署名している議員所属する会派は賛成に、そしてそれ以外の議員は趣旨採択になる予定が狂ってしまったからです。
 最終的に自分自身の立場をはっきりとさせ、請願陳情などについても意見討論をした後に結論を出すわけですが、今回は賛成討論に2名、そして「趣旨採択」討論に2名がまわり、残り一人は意見の討論をしませんでした。そのことが「不採択」を招いてしまったのです。

 委員長は最終的な手の上げ下げについて、原則「採択」か「不採択」で意見を諮るわけですが、通常は「趣旨採択」者が多数を占めなければ「趣旨採択」による挙手は行われません。今回のケースでは、意見討論の際、賛成者と趣旨採択者とも2名ずつであったため、委員長が「採択すべきものの挙手」を求めざるを得なかったのです。
 要するに、それにより採択(賛成)に挙手したのは2名であり、「少数」として結論が出てしまったのです。委員長は議会運営のルールにより「趣旨採択」では諮ることが出来ないため、「不採択」になるしかありません。
 そこで結果、恐らくその場にいた人誰もが予測しなかった「不採択」になってしまったのです。もちろん私たちも「趣旨採択」として意見をまとめ、行政に対する議会としての働きかけをすべきだと考えていたのに「不採択」というのは、何とも苦々しい・…。
 これは珍事です。議員自身の議事運営に対する認識の甘さが招いてしまった「不採択」だからです。笑えないのです。

 渦中に居なかったとは言え、私自身も認識不足は同様でした。すっかり「趣旨採択」での挙手もあるだろうと考えていました。しかしながら、議事のルールに乗っ取っているために、「趣旨採択」での挙手はありえないのです。要は、議事進行のルールを把握していなかったために、全く意図せぬ結果に陥ったのです。思わず「まじ?!」という空気が会議室中に広まりました。「不採択」ということは、保護者への増額は不要であり、園児に対する健康管理補助金も必要なし…という結果になるからです。でも、後戻りできません。

 これは議会にとっても痛恨の出来事といえます。9月議会の最終日に何とか「不採択」という結論をひっくり返すことができるのでしょうか?私たちにとっては「採択」とも言いきれないところがあり、「不採択」でも「採択」でも挙手できない境地に追いこまれます。(たぶん他の会派もそうだと思います。)どうやって最終結論をだそうかと知恵を絞り中ですが…。


 さて、今日は第一小学校の建替え検討委員会がありました。委員会としての最終プランを確定するのが今日の目標で、恐らく今日が実質最後の委員会と言うこともあり、市長を筆頭に豪華キャスト(関係部の部長課長勢揃い)が出席。
 やっと今まで、私たちが一番不安だった「一小建替えの今後…」について表明されました。12月末で基本設計は終了、年明けから実施設計に入る予定でしたが、それがもちろん財政事情のこともあり一時ストップ。実施設計は来年度以降に…というのが結論のようです。市長は現在の状況を行財政診断白書の市民説明会の時よりも丁寧に説明をし、そして参加しているメンバーに対して「ぜひ、実現出来るように努力はする」との態度表明をしました。
 それについてもちろんメンバーからは少々意見もありましたが、結局は「市長自らの説明は内容はさておき、比較的わかり易かったと思います。しかしながら核心部分は市長でもわかない?ということで、11月を待つしかないようなことでした。また、11月になってもはっきりしない可能性もあるということで、結局、私たちに約束してくれたものは一つも無かったような気がします。今後の動向に注目ですね。」という市民の感想に集約されているように、小学校の建替えというある意味で明るくて夢のある事業の行く末…まだまだ期待を捨てきれないまま、メンバーは当初建替え計画がスタートした時の気持ちを持続させなければならなそうです。

 市長は「なんとかできる…。」みたいな口ぶり。そして子育て環境は充実したいという市長の方針も既に了解済みのメンバーたちは今年度内の実施設計着手を延期することは「ここは飲むしかないけれど」という気持ちだったように思います。「まさか『実現はします』なんて期待だけ持たされたわけではないよね…私たち」これが正直な感想です。「『財政の目途が全くたたないので、ちょっとの間お休みさせて下さい。』…なんて言うけれど「ちょっとの間」ってどのくらい?」これも市民の声です。

 「何はともあれ、市長にはっきりと今の状況を語ってもらえたことは評価しなくちゃね」という肯定的な意見もあり。私も先週の様子だと出席予定の無かった市長が会議に足を運んだというところは積極的に評価をしたいと思います。でも、第一小学校の建替え計画も暗礁に乗り上げてしまいました。 

 かなり気持ち的にはこたえた部分もありますが、それでも市長も含めて誰もが口をそろえて言うように「これまで取組んできたプロセスを重視」して、今後につなげていけるような動きを作れなければなりません。まちづくりにとって大損失!にならないことを祈りつつ、そして私も行動しなくちゃなと気持ちを新たにしました。

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2003年09月07日

リーダーの手腕

 矢祭町の住民意識調査。調査結果の集約は秋以降になるけれど、ヒアリング対象になっている住民を尋ねて改めてわかることは、かの有名な根本町長はワンマンな部分もあるけれど、やっぱりその実力は認められているし、住民が認めざる得ないと思っていることです。
 「根本町長は言うだけで行動が伴わないというイメージがある。」と思うかについての問いかけに、町長に批判的な住民であっても「そう思わない」という回答が多いことが印象的でした。
 
 特に驚きの話。「町長は言うことやってくれるんだよ。路線バスが走っていなくて不便なので、ぜひ自分たちの地域にバス停を設けて、少し迂回してもらいたいと申し出たら、すぐにやってくれたよ!」と言うのです。なんと1ヶ月後からは試運転が始まり、その直後のバスのダイヤ改正に合わせて新停留所が完成し、今ではやっとバスが通るようになったとのことです。

 バス停をつくるには確か「許可」の手続きがものすごく煩雑だったように記憶しています。そんなに簡単にバス停なんて設置出来るわけないのですが…私の常識からはかけ離れたスピードで対応している町長の豪腕ぶり。畏れ多いです。
 
 実は、今回の住民意識調査の中では「根本町政」というものにかなり焦点を当てた質問があります。当初、この質問書を見た町の総務課長さんは驚いて、一時は調査出来るのかどうかも危惧されました。そして町長も初めは渋っていたようですが、やはり肝がすわっていました。「調査の結果を恐れるなんて。」と態度を軟化し、その後は全面的なバックアップを約束したとのことです。

 残念なことに、明日、合宿最終日に根本町長が学生たちとの懇話会があります。議会中でなければ・…根本町長に会いたかったです。町長のカリスマ性や町長が放つオーラが見れなかったのが心残りです。とにかく町長に対する畏敬はものすごい…このことは感じました。独裁者じゃないですが、町長の影響力は私の想像を超えていました。それだけ信頼が厚いのか、もしくは反論できないのか…?わからないけれど、町長のリーダーシップぶりには目を見張るものがありました。

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2003年09月06日

活動報告はお休みします。

 学生時代のゼミの合宿に顔を出してきます。行き先は福島県矢祭町。社会調査をやります。

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2003年08月30日

変革の風は上空を吹いている?!

 午前中は八王子生活者ネットワークの勉強会に参加してきました。八王子でも自治基本条例を策定する動きをつくろうとしています。多摩市の事例を話してきました。
 ちょうど9月議会の一般質問のテーマと重なるので、自分の問題意識を整理する意味でもとても貴重な時間でした。

 今日はゼミのOB会がありました。実はどういうわけか私のゼミには地方議員が5人もいます。先生の悩みは「卒業生に議員がいるなんてさすがですね…」と政治家輩出していると思われることだそうです。それはその通りで先生は政治家になることをゼミ生にオススメするなんてことは一切ありません。
 もちろん5人いますが、それぞれスタンスも全然違い、いわゆる保守系で自民党に所属している人もいれば一人会派の人もいて、バラエティに富んでいます。
 今日はゼミのOB会を創立しようということでスタートの会で、企画として現在議員をしている立場の4人がパネラーになり話をしましたが、それぞれの置かれている環境によって随分と考え方、活動の仕方が違うことが浮き彫りになりました。でも一致したことは「もし次の選挙で落選したとして、将来に不安がありますか?」という質問には4人ともが「不安ナシ」と答えました。これはとてもインパクトがあったようです。
 たぶん不安の方が先立ってしまったら立候補することができないと思います。かといって先が見えているわけでもなく、4人とも「何とかなる」と考えています。

 でも、話の中で「交際費がかかる」という発言があり、これには私もびっくりしました。地域の盆踊りなどに行く時にはお金を包む…というわけです。私はそんなこと要請されたこともないですが、地域によっては要請されてしまうところもあるようです。
 これについてゼミ生から「議員報酬をそうやって使ってもいいのでしょうか?」という質問がありました。つまり特定の地域グループだけに配慮をするというのは議員活動として公平性にかけるというわけです。私もそう思っています。

 今回、私たちの会派では来年度の議会費について議長交際費を現在100万円から50万円に引き下げることを提案しています。交際費はかかりすぎです。特に市から補助金などを受けて運営しているような団体が何か催しをしたりする際にお祝金などを包んで持っていく必要はないと考えています。交際費の支出状況は多摩市のホームページで見ることが出来ますが、支出項目一覧を眺めても「やめるべき」と思えるものが列挙されています。
 議長もさながら、全市民を代表している市長が交際費を使用する時には、それは全市民が支出していることを意識してもらいたいと考えています。「税金」の使い方として交際費は最低限にするべきです。

 さて、パネラー4人の発言を聞いていて先生が一言「変革の風は上空を吹いている。」これはかなりの名言だと思います。思わず笑っちゃうのですが、実はとても深刻に受けとめるべきことばです。

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2003年08月26日

初日の結果は?

 昨日、一番気になったことは、新聞報道でもちょっぴり話題の大きかった住民基本台帳ネットワークの本格稼動について。
 一体多摩市ではどれくらいの人が申しこんだのかを早速問い合わせてみました。

 申請者は25名。そのうち11名はパスポートや運転免許証による本人確認が済んだのでその場にて即発行。残りは本人照会をするために少し時間がかかるそうですが発行手続き中とのことでした。
 一体、どんな方が申請したのかが興味深いですが、年代別を尋ねたところ50代の男性が一人、それ以外は全員60代以上だそうです。思わず「えっ!」と聞き返してしまいました。考えてみれば、そもそも平日の昼間なので若い人が市役所でわざわざ手続きを取るとも考えにくいわけですが、「待ちに待って待ちわびてきた」という人はどれくらいいるのでしょうか?
 申請者の多くの方は「身分証明証が出来てうれしい。」という感想を述べられていたそうです。残念ながら身分証明証にするというのは住民基本台帳カードの使用目的としては積極的とは言えなさそうです。ちなみに写真つきのタイプの希望者が22名です。

 ところで、多摩市役所の職員の中で住民基本台帳カードを作成する人は一体何人いるのでしょうか?そんなに便利なツールで、市民に普及させたいのならば、その利便性を理解しようとせず、「割に合わないリスク」を主張する私に代表されるような市民に先だって、職員が動くように思います。職員は住基カードについての情報も市民よりもたくさん持っていると考えられるからです。

 多摩市のカード発行の手数料ですが、またもや『500円』として9月議会に提出されます。6月議会の時には否決された議案が、そのままそっくり出されるということで驚いています。

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2003年08月25日

傍聴者の立場から

 今日は朝遊説に始まり、一般質問の通告書を提出、東京ネットのこども部会に出席し、夜は行財政診断市民委員会の傍聴をしました。

 行財政診断市民委員会の傍聴ですが、午後7時からの会議というのは庁舎の冷房がオフになっているので蒸し暑すぎて、頭の働きが鈍くならざるを得ないように思います。昨日までの市民説明会では今日の市民委員会開催もアナウンスされましたが、庁舎の立地条件を考えると、都心から急いで帰宅をした現役会社員が覗いてみようかという気にはならなそう。駅前の公共施設で順番に会議開催をする出前方式、出張会議方式で行うとか、工夫をするのもありだなと思いました。ちなみに傍聴者は5名(うち私を入れて議員は2名)で全員顔なじみ。

 この委員会に求められるのは「多摩市内を知りすぎていない」ということだと思っています。事業、補助金の見直しともに客観的に、多少厳しく、感情抜きにして精査していく必要があることを考えると当然だと思います。委員会のメンバーはそういう人選になっているはずです。その意味では私自身も期待の大きいところです。
 
 ただ、一応は「市民委員会」を名乗ると言う意味で、行政主催の市民説明会にひっそりと参加してもらいたかった気がします。というのは、第1回目の会議の時に、白書に対する市民からの意見なども取り入れながら議論を進めようという意見があったそうですし、昨日も会議が終わりに近づいたころ、せっかく傍聴者の方もいらしているので、感想などを聞いてみたいし…と委員からの発言がありました。この会議は傍聴可能であり、その意味では公開性は担保されている気がしています。
 しかしながら、実は他自治体で同様の見直しを行う市民委員会はクローズで開催されていました。というのは、市民に左右されないで議論をしてもらいたい!という意図があるからでした。市民の顔を意識してしまうことで、議論がダイナミックに進めていけないという懸念があることからクローズでの会議開催をしてきた経緯があります。
「情報共有」という観点からすれば、私は多摩市のように会議の公開をするのは当然だと考えますが、傍聴者を意識するあまりに委員会が萎縮しているとすれば、よろしくないなと思っています。

 ところで、この委員会が萎縮しているか…はわからないのですが、傍聴者としては非常に腹立たしいことがあります。それは委員会のメンバーが白書をどのくらい読みこんでいるのか?についてです。最初は、行政側の白書の記述に問題があり、記載事項とメンバーの理解に誤差が生じるのかと考えたわけですが、再度、白書を読んでみると誤解しようがない部分で、メンバーの認識不足を感じるところが少なくなかったのです。(もちろん全委員について共通して言えることではありませんが、会議全般の印象として受けたことでした。)傍聴者からの発言が出来なかったのですが、途中で何度も「すいません」と挙手してしまいそうになりました。「もう一度、白書を熟読してみて下さい…・」と。
 これを感じたのは私だけではありません。傍聴者全員同じことを思っていました。

 そしてあまりにも時間を意識しすぎてか(あと会議は残り3回)、十分に議論し尽くすところまで至らずして、白書内の課題を解決しようとしていることも問題です。市民委員会への期待が大きい分に見ている側としては不満と言うか、不安です。特に補助金見直しや事業見直しについても、どこまで踏みこんだ議論をしてくれるのだろう…と思って傍聴しているのですが、なかなか期待するような活発な議論展開にはならないのです。他自治体では補助金の見直し期間を3年としているのに「5年くらいがちょうどいい」という意見が出ていて、何だかのんびりしすぎている気もします。それに既に6年前に「多摩市の補助金の現状と見直しについて」という行財政診断委員会の報告書が出されていますが、その存在もあまり知らないようです。もう少し「情報収集」してもらいたい、その上で意見交換してもらいたいと思いました。

 「こういう話題については、なかなか意見を一致させて一本化するのは難しいですから…。」というのが委員長の見解が示されましたが、私自身は意見をしっかり取り纏めて、行政に「バシッ!」とぶつけてもらいたいのですが・…。
八王子や我孫子市へのヒアリングで同様の委員会を開催した時には行政側が「えーっ・・・そんなことまでしちゃっていいの?」みたいに驚かされるような意見もたくさん出たと聞いています。それが委員会の存在意義として最も大きい部分ではないでしょうか?

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2003年08月18日

限界はあるかもしれないけれど。

 夏の暑さは勘弁してもらいたいと思うほうですが、やっぱり夏には夏らしくあってもらいたい。季節がちゃんと来ないのは寂しい感じがします。

 朝遊説をしましたが、お盆あけとは言っても、まだ人がいつもよりは少ない感じがしました。今日は永山方面側で「ほうれんそう」を配布しましたが、目を合わせてくれる人が増えたように感じます。今朝は「行財政診断白書」について連呼してしまいました。なるべく多くの人にこの白書の存在を知ってもらいたいからです。でも、そう簡単に人は動かないことだけはわかります。とにかく改札をめがけて急ぎ足で歩く通勤人たちがほとんどです。私の力だけではとうてい及ばないのです。

 今日は午前中には一般質問に向けて打合せをしました。午後から「行財政診断白書」についてレクチャーを受ける予定でしたが、急遽とりやめに。おかげで午後がフリータイムになったので改めて白書を読んでみました。
 私は「見直しのバランス」がとても大事だと考えています。この白書の中では市民サービスの見直しにおいて、
①法令により関与が定められているもの
②市民の生命、財産、権利を保護するため、特に行政が関与する必要があるもの
③市民が社会生活を営む上で最低限必要な生活水準を確保するため、特に行政が干与する必要があるもの
④施政方針上の重点施策に位置付けられ、特に市の関与が必要であるもの
以上の4点は検討対象から除外するとなっていますが、それらにどんな事業があてはまるのかがどこにも書いていないのは不親切に感じます。もちろん書いてしまうと、さらに膨大になるのかもしれませんが、②~④までの「特に」という言葉がポイントだと思います。どんなものを「特に」だと考えているのでしょうか?
 「聖域なき見直し」というのは例外を設けずに全てを見直すことだと考えていたので、そのあたりが少々疑問です。だからこそ、私はもう少し「見直しのバランス」をとってもらいたいと思います。公共施設についても「公共性カルテ」を用いて公共性診断をしていますが、‘診断’結果の客観性がどのくらい担保されているのかも市民側で検証する必要がありそうです。これは市民サービスについても同じだと思います。
 …とこのように、行財政診断白書は「市民の意見を集める土台であり、市民自身が考えるための材料」として位置付けられているので、疑問点などをどんどん声に上げてもらいたいと思っています。でも、せめて名称を「多摩市行財政診断白書‘試案’」くらいにしてもらいたかった気がします。この白書を手に取ると‘案’であることは感じずに、これが全てだと勘違いしてしまう恐れが大いにあるからです。
 いずれにしても議論を巻き起こすためにせっかく作った白書です。白書を生かしていきたいという行政側の熱意をもっと市民に伝える努力をすべきです。それがまだまだ不十分な気がしてなりません。もちろん、私も限界があるかもしれないけれど、できるだけ多くの人に白書の存在を伝えていきたいと考えています。

***多摩市ホームページ:白書に関する市長のメッセージ掲載されました***

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2003年08月15日

手をつなぐ親の会研修旅行

 ボランティアで参加します。活動報告はおやすみ (15日・16日)

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2003年08月14日

雨降りのおかげで。

 毎年、予算提案のためにアンケート調査をしています。午前中の‘まちあるき’は、あまりにも雨が降っていたので予定変更。束の間の夏休みになりました。
 
 「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」を観ました。イマドキの警察の捜査はすごいと思います。それにしても監視カメラが街中の至るところに設置されているのかと関心してしまいました。ただ笑ってだけ見ていられない映画でした。
 最近はますます、監視カメラが捜査ツールとして重要になっています。最新技術を駆使した捜査(もちろん現実は映画以上だと思うけれど)で犯人を突き止めることに異議を唱えるわけではありません。でも‘監視’という言葉、ホントに好きになれない響きです。監視カメラの設置が奨励されたとして、‘まち’を見張っているとしたら、居心地とても悪そうで、異様な社会のような気がします。窮屈で伸び伸び出来ない感じです。

 ところで、世田谷区では住民基本台帳ネットワークの運用停止をしているそうです。新種のコンピューターウイルス対策だとのこと。急遽「セキュリティー会議」を開催して、「万全の対策を採る必要がある」と判断し、「万一のため安全対策として停止した」とのニュースでした。多摩市はどうなんでしょうか?今回の新種のウイルスもかなり手強そうです。

 先日も書きましたが、広報の特別版には25日から本格稼動する住基ネットをにらんで、住民基本台帳カードの発行について説明がされていました。ご丁寧に「当分の間無料となります。」と書いてありました。しかしながら、なぜ「当分の間」なのか説明がまったく掲載されていなかったことに不満です。
 「情報共有」の在り方が問われていると思います。仮に今回は、まだ感染していないかもしれませんが、今後、多摩市のネットワークシステムに以上があった場合、そのことは公にされるのでしょうか?市民に正しく現況を伝えてくれるのでしょうか。そのあたりに不安を感じざる得ないことが私にとってのストレスになりつつあります。

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2003年08月03日

活動報告はお休みします。

 小学校の林間学校以来ぶりに八ヶ岳少年自然の家に泊まります。青少協のサマーキャンプに参加します。

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2003年07月25日

矢祭町の静かさ

 福島県の矢祭町といえば「合併しない宣言」で一躍有名になりました。辻山ゼミでは夏合宿で社会調査をしますが、今回の調査地が「矢祭町」です。今日はそのプレ下見に行くと言うので、ついて行くことにしました。

 矢祭町までは東北道の白河ITで下りてから、車で約1時間ほどのところです。町に入ると生活基盤安定事業として道路工事をしていました。いわゆる日本の‘町’の風景が広がっていて、田んぼが見えて、その向こうに集落がありました。白河市からつながる道路は矢祭町の北から南への幹線道路で、中心街へ行くと道路沿いに商店街が広がってきます。
 まず、町役場に行きましたが、同じく道路沿い中心街の「東館」という地区にある役場は通り過ぎてしまうほど小さな建物でした。地方のほうへ行くと庁舎が‘まち’のシンボルのように立派な場合が多いのですが、矢祭町の場合は全くそれとは正反対でした。
 正直、1961年に建築された庁舎は歩くと少々ミシミシ音をたて、役所と言えば大量の書類がこの建物のどこに保存されているのかと心配してしまいました。職員の方に尋ねてみると「そうなんだよねえ、でもお金がないからなあ。」それでも2年前にようやくクーラーを導入したそうです。町長が不在だったのがとても残念でしたが、町長室はすぐに誰でも入りやすい場所にありました。職員の方はみなさんとても人が良さそうな、親しみやすい方ばかりで、私たちが立ち話しているのを笑顔で見ながら必ず会釈をしてくれるところが温かいなと思いました。

 町には単線のJR水郡線があります。駅前に行ってみると中学生の3人の女の子がいました。話しかけてみると彼女たちも合併のことは知っていると言うことでした。そして「町長さんがいると手を振るよ。」と話していました。みんな町長さんを知っているのだそうです。「どこにでも来る。」との発言には笑ってしまいました。
 矢祭町にはこれと言った産業がなく、昔は名産品だったこんにゃくも今ではふるわないそうです。お昼に入った食堂を商う女性に話しを聞きました。矢祭で生まれ育った彼女は「少子高齢化だし、高齢者が増えているしねえ…」と言っていました。若い人もほとんど後継ぎをしないし「就職するところがない」と声を落としていました。お出かけをすると言えば白河市に出かけるそうです。
 矢祭には高校がありません。中学生たちも隣の大子町(茨城県)か白河に行くと話していましたが、矢祭町からは人が流出せざる終えない状況があるわけです。そんな中で「合併しない」という判断をどう見ているのでしょうか?
 矢祭町のある東白川郡では矢祭以外の4自治体での合併を協議していたようですが、矢祭が「合併しない」ことを宣言したことが要因なのか、7月13日に合併の白紙撤回が決定したので、「やっぱり合併しないほうがいいのかな。」とも感じている・…というのが食堂の方の感想のようでした。

 「合併に賛成の人も反対の人も自分にとっていいことしか言わない…」ということを言っていた男性もいました。「だからどっちがいいかわからないしね。」30代の彼は何がいいのかよくわからないよねという表情で話していました。「矢祭町という名前がなくなるのは寂しいよね」というのが彼の合併に対する一番の思いのように感じました。

 とにかく矢祭町は静かでした。ただ「合併しない」宣言をしてから、町職員の削減や財政難への全職員あげての対応(町民に説明をする)や町民への負担(できるところはやってもらう)など様々な手段を講じる計画をたてています。何と議員も10名まで削減をする…・という決定をしています。ちなみに今は18名なので、この議会の決定がどれだけ大きなことかわかると思います。
 町は静かでも庁内は慌ただしい感じです。全国の自治体の約1割くらい(合併で悩む自治体の)がすでに視察に来ているそうです。それくらい「合併しない」が注目されているわけです。
 
 そして、もう一つ、「住基ネット」に接続しないことでも有名ですが、「だって、接続してもしなくても、何も変わらないんだよ」と話している職員のことばは印象的でした。「別に町民にとってのメリットってそこまでないしさ。お金かかるんだよ。」とおっしゃっていました。「接続してお金かかる分の負担がないから、その分を町民に還元しないといけないし、住民票を当面無料発行することが決めているよ。」…「本格的に始まってみないと、わからないことも確か。町の人にとって何が一番いいのかって考えなくちゃね。」 とても冷静だなと思いました。

 「(町長に)他に立候補する人がいない」という声もあります。対抗馬が出ない…6期目の首長はもともとは家具屋を商う商売人です。その感覚で矢祭町をひっぱってきたのでしょうか?ある意味で町長色に染められた町とも思えて、悪く捉えるとしたら「君臨」というイメージも持つことが出来るのかもしれません。いづれにしても首長に対する手腕は町中が認めるところなのでしょう。

 ちょうど今日も「合併」についての講演会が行われるようでした。みんなで一緒に「合併しない」を乗り越えるしかないと腹を括っている首長と議会と町民たちがどんな風にこの場所で暮しつづけていくのか私も東京で見続けていたいと思いました。矢祭がぐっと身近なところにかわりました。

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2003年07月21日

ポスティングの感謝と苦労

 今日はポスティングの日。けれども月曜日なので、やっぱり天気が悪いのですが、紫外線対策としてはばっちりで、長袖に帽子着用、さらには手袋まで…重装備をしなくていいのは楽でした。

 一軒家地区と違って、集合住宅はポストがあるのでとてもラクチン。担当した諏訪4丁目地区を2時間かからずにチラシをまき終えてから、次の仕事…今日は遊説が予定されていたのですが、あまりにも久しぶりのために事前に遊説原稿の組立をしました。

 実は、最後までポスティングを手伝えないというのはとっても残念なことです。ポスティングの苦労を自分自身でも味わうことが、政治活動の原点だなと思うからです。一枚一枚に「読んでもらえますように…」と気持ちもポストに入れるわけですが、「ごみ箱行きなのかな?」と想像したり、「気がつかれないかもな」と思ったり…それでも「ここで止めたら始まらない!」と気合いを入れなおす瞬間には、同世代で活動を支えてくれているステイツマンの存在の大きさに感謝をするばかりです。
 ほんの一部の活動しか、伝えることは出来ないけれど「ほうれんそう」が政治への窓口の一つになるように・・・というのが最終的な目標です。

 さて、話は変わりますが、多摩センター三越前で遊説をしていたところ知人に声をかけられました。ちょうど今、三越の中で土日休日とお盆休みの期間に「子育て広場 CouCou」を開催していますが、その運営スタッフとして任されているグループのメンバーでした。
 土日となれば忙しくて、まだ私も足を運んでいませんが、なんと今日1日で122人もの利用者があったとことでした。開催期間が8月末までなので、何としても一度は見に行きたいと思いますが、休日だけしか開かれないというのは残念です。
 ちょうど議員研修で茅野市の駅前の大型空き店舗に設置された「0123広場」も子育て支援広場として同じような趣旨で展開している場所ですが、少子化が進む中で「(母)親つながり」をつくれる拠点はますますますます重要になりそうです。
 CouCouには「休日だけでなく平日も開催してもらいたい」という声もたくさん寄せられていて、何とか今後も継続できないかと考えているみたいですが、運営資金をどうやって捻出するかが大きな課題です。今は新都市公社などの企画事業と言うことで、行政の負担はないそうですが、「子育て支援」に力をいれていくとするならば、今回のCouCouの実施状況を見ながら、今後の市としての対応を考える必要があるのかもしれません。
 聞くところによると来年度は歳入が約30億円近く減収になるとの見込みです。ますます「どんな‘まち’をつくりたいのか?」が問われ、それに対してメリハリをつけた予算組みが求められるはずです。庁内では事業の抜本的な見直しをして、行財政診断も行っているそうです。それについて市民の眼でチェックをしていくことが必要だろうな…と思っているところです。ちなみに行財政診断市民委員会も開催されますが、公募市民が男女一人づつの二人のみ。専門的なのであまり委員会の人数が多すぎるのも…という説明でした。私はこの市民委員会での議論がどのようにオープンにされていくのか注目しています。

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2003年07月16日

常任委員会の開催が226日!

 今日は午前中は議会運営委員会を傍聴しました。「議会運営」をどうするかがテーマで議論が続くのですが、「全員一致」の合議制方式で物事を決めるのはどんなに大変かを感じます。

 まず、改選前の議会運営委員会からの申し送り事項として、補正予算や条例の審議の方法を議論しました。
 予算、決算の特別委員会の時には、各会派の人数に応じて時間制限を設けています。日程通りに議事進行をするには、ある程度時間制約をしなければまとまりつかなくなるのは当然のことですが、時間の制限があることで議員の多くは「十分に議論できない」という感が残ってしまうのも確かです。指摘事項について優先順位をつけて質疑をしていくと、時間不足で取りあげられない問題が出てしまいます。
 それとは違い、通例、補正予算や条例は2日間で審議され、質疑について回数や時間の制約はありません。それに対して「従来通り」という立場と「制約がないために、議論の質が低下している」と指摘する立場で議会運営委員会でのやりとりがありました。
 最終的には、議会運営委員会のメンバーに新人が多いので、9月議会で実際の現場を知った上(6月議会の時には補正予算がなかった)で、再度議論をしようということとなりました。
 私は議員自らが発言する機会を制限する必要はないと思っています。納得するまで議論をすることが大事だと思うからです。でも、取りとめなく続けていくことは好ましくなく、全議員が平等に発言する時間を持つということを考えても一定のルールは必要になります。
 議論を聞きながら、「じゃあ、どうすればいいのか?」となかなか対案が思いつかないわけで、私自身は今までどおりでも別に支障はない気がします。「議論の質が低下する」という意見に対しては、一体誰が判断するのかしら?と疑問でした。

 ところで、今日は午後から川崎市民アカデミーの「川崎学Ⅱ」という講座の最終回に参加しました。5月に多摩市での自治基本条例の取組みを話した縁があり、今日が最終まとめだと聞いていたからです。
 肝心の自治基本条例の話しの前に「議会」についての話がありました。川崎市議会の議会事務局の方が議会の仕組みなどを丁寧に解説してくれました。「法律の規程と実際の運営とが乖離している」とまずは指摘されました。丁寧に法律を解釈していくといささか疑問を覚えるところもあるそうです。なるほど、私も必要な時にだけ法律を読まないので、一度ゆっくり読み返してみなくては…と思いました。
 それにしても驚いたのは議会活動の状況です。いわゆる常任委員会は毎週水、金曜日に定例で開催され、なんと一年間では262日。5つの常任委員会があり、全ての委員会が毎週2回ずつ委員会を開催しているわけです。一体どんな風に活動をしているのでしょうか?自治体の規模が違うので、議員も63人、各常任委員会も定数が13名か12名です。多摩市では常任委員会の定数が7名か6名なので、議論の進み具合など簡単には比較することができないかもしれませんが、それにしても毎週2回ずつ開催しているなんて・…むしろ「そういうこともできるんだ」と感心してしまいました。

 以下、 議会事務局の職員と市民とのやりとり。私も同じことを感じているよなと思って印象に残りました。

 「川崎市では最近「市長の多選禁止」が条例化されました…でも議員にはどうして定年制度がないのでしょうか?」「やはり職業選択の自由がありますからね。それを理由にして、定年制度に反対される議員がいます。」…「でも、じゃあ、一般市民は職業選択の自由が保障されていませんね。だってみんな定年制度があるじゃないですか。」

 「どうして議員に対して‘さん’をつけるんですか?‘市民さん’とか‘職員さん’とか言わないのに・…」「それに議員に ‘先生’ってつけるのはどうしてですか?」・…「人数が多いのでなかなか顔を覚えるのは大変なんです。とりあえず‘先生’って呼べば間違いないんですよ」

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2003年07月10日

議員研修<岡谷市/茅野市>

市民保養所「ふじみ」に一泊。活動報告はおやすみ。

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2003年07月04日

『新人発掘プロジェクト』

  ステイツマンでは「信頼できる政治家を創る」ということで新規支援に取組むことになっています。今日はその打合せをしました。ステイツマンの最終目的は支援している議員を通じて少しでも政治に対する関心を広げていくことです。
 その思いは私もまったく同じです。議員活動はもちろん政策を実現するのが仕事ですが、それ以上に私は政治に対する期待感を取り戻していくことをしたいと考えています。「政治=政治家」ではなく政治本来の役割を考えた時には、決して‘怪訝な目’で見ることは出来ないはずです。しかも政治家というのは有権者一人一人の一票により生まれるということも事実です。怪訝な目を持ち、接触しなければしないほどに怪訝さが増幅することを私は心配しています。

 政治に関わっている人は決して特異な存在ではなく、みんなが政治に関わりながら暮らしているのに、なかなかそのことが伝わっていかない現実にステイツマンも私もぶつかりながら活動をしています。「政治に関わっているんだ」と言うだけで奇異な眼や稀有な存在として位置付けられることも多く、私はとても不満です。
 不満を感じれば感じるほどに私自身も虚しくなって、ますます不満が積もっていくのは確か。だからこそ、私自身はその不満を解消するために試行錯誤で行動しているんだと思います。議員は決して「特別」でもなく、特異な存在でないことを伝えるしかありません。そして理解者を増やしていくのです。
 政治に対しても批難や批判はたくさんあり、そして不平不満をもらす人も多いと思います。でも文句を言うだけでは決して変わらない・・・そこがステイツマンの行動力に結びついています。

 ステイツマンの新人発掘プロジェクトのリーダーは大学2年生、メンバーはほとんどが新入生です。彼らが本当にまっすぐな気持ちで、自分たちの行動力を生かす場所を探そうとしていることを少しでも多くの人に伝えていきたいなと思いました。その思いを広げていくことが私は「みんなで創る政治」につながっていくと考えているからです。

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2003年06月17日

議員アンケート・・・多摩市議会ウオッチングの会

 選挙前には「議員の通信簿」を作成し、そして今回は早速に議員アンケート調査回答集を完成。精力的に活動をしていることは議会にとってうれしいことだと思います。
 ところが・・・今回の議員アンケート、回収率が半分以下。11名の議員からの回答しかなかった模様です。何と一緒に会派を組んでいる篠塚さんはアンケートを送りそびれてしまった…とのことでした。厳しいことに期日厳守。篠塚さんによると「もう、送っても間に合わないな…って思ったんだよなあ」とちょっぴりため息まじりでした。
 当選後にはバタバタとアンケートが届きます。私も他に3つのアンケートに協力しました。それぞれ議員としてのスタンスを聞くものでした。結構、答えるのは難しいです。
 それにしても、この調査回答集ですが、私が書いたそのままの原稿が印刷されていることにビックリ。一応は編集してくれる(に違いない)と考えていたので、もっと丁寧に書けば良かったと反省しています。恥ずかしいくらいの字の汚さが目立ちます。もう後のお祭りですが…。
 こういう市民の取組みは議会に緊張感をもたらすわけですが、ある意味、議員もちょっぴり慣れが出てくると市議会ウオッチャーに対しても「あーまた、来てる。」みたいな雰囲気が出てくるのが厄介です。
 どうして、こういう空気が生まれるのかなあ…と考えてみたのですが、このウオッチングの会を客観的に見てみれば、少し偏りがあるからかもしれません。例えばこのアンケートでも議員の通信簿に対する意見が載せられていましたが、採点された議員からは「公平に客観的に」が求められているようです。私自身は1年間しか議会活動をしていなかったので採点対象者外だったのですが、私の眼から通信簿を拝見しても、確かに面白いし、議会が遠い存在にしか感じられない人にとっては読みやすく編集してあると思いました。でも、この通信簿しか知らない人にとっての影響についてどう考えるのか?という部分を重視した時には、もう少し作成の仕方に工夫が欲しいと感じました。

 こう考えると、確かにウオッチングの会の活動の意義は大きいわけですが、この会が本当に議員全員に対して同じスタンスで対応しているならば、私は今回のアンケートについてももう少し回収率が上がった気がするのです。その点でちょっと残念だなと思いました。
 せっかくの機会だと思います。アンケートの内容も一見、無難だけれど議員個々人のスタンスがはっきりとわかるような構成になっています。私もこの調査回答集を見て、他の議員さんの考えていることがわかります。議員にとっても非常に有効な資料なのになと思いました。

 恐らく、公共施設等に置いてあるので、市民の方の眼に触れると思うと(自分の乱筆乱文さには恥ずかしいけれど)反応が楽しみです。

 今日は、午前中は厚生産業常任委員会の傍聴に行きました。この委員会は今回新人議員の方が半分以上なので審議を丁寧に行っています。陳情についても非常に誠実な対応をしようとしているので、その意味ではいい傾向だと感じました。ただ、陳情について採択か不採択かの見解を出す上では、陳情者らの立場を最大限尊重しつつも、どこまで客観的に、全体的(全市的だったり、全都的、全国的…など)に捉えた中で個別事情に対する判断を下すのかが重要です。陳情について丁寧な対応をしすぎ、陳情者の要請や要望事項を「情によってだけ判断する」(かわいそうだから…などと同情心だけで陳情の採択をすると危険)とはならないようにはしたいものです。
 情がないなんて冷たい!と思われるかもしれませんが、誰もに公平に対応をするという部分を忘れてはならないのです。個別課題を全体課題をするにふさわしいかどうかを議論する必要があるように感じています。または個別課題はたくさんあるので、その中で優先順位をどうつけていくかの視点でも公平性も求められます。改めて、陳情の審議に対する自分自身のスタンスを確認しました。

 夜は子育て支援検討市民懇談会の傍聴に出かけました。「子育ての支援はお母さん支援」という委員の発言があったように、まだまだ育児というと男性の参加は少ないのが現実なのかもしれません。でも私は、最近増えつつある父子家庭のサポートへの取組みも進める必要があると感じています。その部分にはあまり触れられていない気がしましたが、母子家庭の抱えている深刻さとは全く別の深い悩みを抱えているのが父子家庭です。これに対する取組み方針もぜひ組みこんでもらいたいと思いました。

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2003年06月14日

市民は監査委員になれない?!

 午前中は「住井すゑ百歳の人間宣言」の上映会の手伝いをしました。客入りをかなり心配していたのですが、朝早くからたくさんの方が会場に足を運んでくださいました。実行委員会としてはほっとしたわけですが、私は若い世代にもっと見てもらいたかったので、客層については私ももうちょっと頑張って、声かけしたら良かったなと思いました。
 数人の友人からメールが届き、「住井すゑという人をこれまで知らなかったけれど、こんな人がいたんだってびっくりした。」とか「思いを実行し、戦っている人を見ると本当に衝撃を受けるし、自分も頑張りたいと思う。」という感想、「もっと若い人にも見てもらいたいと思った。」などをもらいました。住井すゑの考え方に共鳴するかどうかは別にしても、存在そのものに価値が在ると感じる人は多いように思います。すごいオバアチャンです。

 午後はゼミ出ました。土曜日はいろんな催しがあるのですが、昨日の監査委員のことを調べたかったのと、先生にも見解を聞いてみようと思ったからです。
 「なぜ、議会から監査委員が選任されるのか?」という部分についてですが、ようやくその理由が明らかになりました。先生によると「立法趣旨からすれば、昔は、特に町や村には監査出来るような能力を持っている人は‘議員’しかいなかった」というのが理由だそうです。
 つまり、議員しか監査委員ができないだろう・・・・という判断があったというわけです。市民は一体?市民には能力がないから議員に任せるのが適当だとされたのです。
 この考えかたは、全く現状にそぐわないと思います。市民の中には議員以上に専門的に監査出来る人が存在します。立法趣旨を考えれば、法律改正をしなければ時代に合わないのは確かです。
 でも、やっぱり法律で決められているので、議選議員を選任しなければならない現実。となれば、議会としての「申し合わせ」や「決めごと」の中で、監査委員の位置づけを再確認する必要がありそうです。例えば「予算に反対した人の中から選出する」という風にです。それに、例えば決算委員会の審議は全議員で行うことを提案したいと考えるのですが(今は半数で行っている)、監査委員をしている議員も審議に加われるのか?などの問題が起きてきそうに思います。

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2003年06月07日

人類の進歩と調和

 昨年と言えば「夢をありがとう。」が日本全国に広がったように思います。サッカーのワールドカップににぎわいは、サッカーにそれまで関心がなかった人までを巻きこんだのはないかと思います。私の記憶では、その勢いは25年間の中でもかなりの旋風で、オリンピックを見ている時とは全く違う「国民」意識の凄さを感じたものです。

 地道な活動が大事・・・と言いながら、一緒に地域で活動をしている仲間に久しぶりに会いました。そのときに出たのが「人類の進歩と調和」の話です。小学生でも読める漢字、理解できるキャッチフレーズは大阪万博のものです。彼らの話によると「あれほどインパクトのあるイベント、出来事はなかった。」と言います。老若男女が全国から足を運び、そして会場で‘月の石’を見るために炎天下5時間6時間の長蛇の列を並んでいた、‘月の石’を見た人は学校でもヒーロー、万博の180日の会期で日を追うごとに来場者数が増大し、それこそ全国一色「大阪万博」だったそうです。テレビをつけても、学校の話題も「大阪万博」。その頃に小学生時代を過ごしたことが「今の人生に大きな影響を与えている。」と懐かしい話をしてくれました。

 そのときに初めて見た漢字入力出来るコンピューター、初めて通った自動改札、動く歩道にテレビ電話、コードレス電話機・・・数えるときりがないわけですが、とにかく「未来を予感させたし、夢があった。」…万博で日本人がものすごく夢を見て、元気になったと言うのです。その頃に政府が書いた2003年の未来の話では海上交通システムの普及(地上交通網は混雑するので海上交通網で全国を結ぼうとしていたらしい)やリニアモーターカーなどのことがあったようですが、もちろんそれは未だに実現していません。でも、何しろみんなが万博の先進的、そして斬新さに心をうたれ、未来に対する希望がますます膨らんでいった時期だったことは確かです。
 小学生で「ぞっと」するようなワクワクする体験をして、万博にあった未来像を信じて、将来にドキドキ感があったわけです。

 残念ながら、私はまだ生まれてなく、大阪万博と言えば岡本太郎のモニュメントを知っているくらいです。でも、ちょうど70年代は高度経済成長期をくぐりぬけ、ますます日本経済が元気になっていく時代です。その元気さはバブル時代の好景気とは違って、ものすごく一歩一歩進んでいる感じがした・・・という感想を聞きました。次々に新製品が発売されることに驚き、それこそ鉄腕アトムも夢ではないような技術革新に感動したというのです。

 その時代にあった「夢」と昨年のワールドカップに「夢」、明らかに質が違うよな・・・と思います。昔の「夢」は長期的で、ゆったりと構えられた気がします。もちろん当時は「豊かになりたい」「欧米を目指せ」ということで国全体で夢があり、個人の夢がありました。今は「夢」は本当に個人化、個別に帰属しているだけのように思います。

 「夢を描く」ことで人はとても元気になる。その話を聞いた気がしました。だから「まちづくりの未来に夢を語ること」が必要なんだと思います。‘まちづくりへの夢’を一人一人の‘夢’へとリンクしていかなければ全く意味をなさないのです。この‘まち’を元気にするとためには、いかに市民の夢をかたちにしていくのか・・・ということに突破口があります。でも、それはやっぱり要望を受入れるだけではないのです。
自分たち自身で紆余曲折しながら、つくるものだと思います。
 
 大阪万博で描いた未来像に立ち向かった世代は、まさに今、地域に帰ってきたシニアの人々をリーダーとしています。「人類の進歩と調和」があるとしたら、これからはもっと「調和」を必要としている時代です。70年代はきらびやかな一方で公害がどんどん発生した時代。自然環境、人とのつながりなどなど調和をつくり‘かたち’にしていくのは今からです。だから私は大阪万博の熱狂を知っている世代に人たちにも、ぜひ、もうひと踏ん張り頑張ってもらいたいわ!と思いました。

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2003年06月05日

6月議会に備えて・・・・

 明日から議会です。今日は最終的に、一般質問のテーマである行政と市民との協働について、再確認を含めて担当部署である市民活動推進室にヒアリングに行きました。市民活動推進室は市民との協働を進めていくための鍵を握っている部署です。でも、何と市民活動推進室の専任はたった1名しかいません。初めは「えっ?・・・市民協働を進める時代にたった一人だけ?・・・」と驚かずに入られませんでした。
 通常「××室」というところは、普通の部課よりも少々力を入れる分野で設置されるように感じます。例えば「多摩センター活性化」「子育て支援」も‘室’扱いになっていますが、職員体制は充実しています。市民との協働が欠かせない時代に入っていて、市民活動推進‘室’も行政の中では非常に重要な立場だと思うわけですが、なぜか専任担当は一人だけ・・・という状況です。そこにも私自身は市民協働の方向性を少し疑っています。
 そうは言っても、市民協働は時代の要請でもあり、おそらく年々、その事務は煩雑になってきたはずです。(これは簡単に推測できます。)市民活動との協働についての基本指針が出た4年程前と比較しても、市民協働の流れは進んできています。つまりは当初は担当職員が一人でも事足りたかもしれないけれど、未だにそのままというのは・・・少々考えなおす余地があると考えています。担当職員の負担は増えていて、おそらく大変だろうなあと思います。
 多摩市では昨年に「市民協働事例集」という冊子を発行していますが、行政が積極的に「市民協働事例」を集約したことは非常に画期的で、他自治体からも多くの問合せがあるそうです。この事例集にしてみても、市民活動推進室のたった一人の職員が取りまとめたわけで、そこにある職員の苦労を推し量るわけです。やっぱり一人で全てを行うというのはキツイと思います。一人でやれることには限界があるので、その意味では今以上に市民協働を広げることが難しくなるとも言えると思います。
 今回、質問を組みたてる中でヒアリングをしながら、「たった一人だと大変でしょう・・・」と尋ねるわけですが、当の担当者は飄々と「いやあ、やれることはやらなくちゃ。」と語るだけ・・・。
 私はこのヒアリングを繰り返す中で、まさに縁の下の力持ち的な立場で一生懸命に仕事をしてくれる職員がいることを実感し、そしてそんな職員に支えらながら市民協働が進んできたと感じています。公務員批判もある中で、地道な活躍をしてくれる職員の存在を知ってもらいたいと切に願っています。

 いよいよ改選後の初議会です。市民協働という言葉だけが一人歩きしないように踏ん張れる環境づくりを提案したいなと思っています。

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2003年05月28日

科学的観測精神について

 今日は「地誌学」の日です。テーマは地域学習をしていくために、科学的に物事をとらえ、考えることの意味を把握すること。
 事前に柳田邦男氏の「空白の天気図」というノンフィクションが紹介されていましたが、この本は絶版で市の図書館の検索をかけてみたところ‘書架’となっているほど古い本のようです。

 この本がなぜ今日の講義のテーマになるかというと、1945年8月6日の広島で原爆が落ちた瞬間をどう記録したのか?という部分で学ぶべきところがあるからでした。
 私もそうですが、原爆のイメージというと大きなきのこ雲を思い出す人が多いと思います。原爆が投下された瞬間を克明に記憶するというのはなかなか難しいのは当然です。爆弾が落とされたと山の上から見ていた人も瞬間ではなく、強い光と雲が脳裏に焼き付いていると思うからです。私も幾度か被爆体験を聞いてきましたが、そのときに語られるのは教科書でも見ることが出来る投下後にモクモクと広島の上空を覆った雲のことが多かったです。
 この「空白の天気図」は当時、広島気象台で天気図描きの仕事をしていた北さんという人物の物語です。彼は原爆が投下された瞬時に、「一瞬目も眩むような閃光」「白い朝顔のような巨大な光幕のひろがり」その光幕は「太陽が突然何千倍にもその輝きを増したのかと思われる衝撃的な明るさ」で「目撃した時間はほんの一瞬0.5秒程度」を感じました。そして「1、2秒」で「天地が避けたかと思われる轟音と振動が響いて爆風が頭上をかすめ」ました。
 読めばわかりますが、たったの数秒の間に北氏はさまざまなことを感じているわけです。さらに今日は北氏が実際に語る映像(講師が話しを聞きに行った時に撮影)があり、その中では温度が800度くらいあったと言うのです。
 お気づきになった人もいるかもしれませんが、「温度800度」を人は感じることが出来るでしょうか?そして数秒のほんの一瞬になぜこれだけのことを彼は克明に記録することが出来たのでしょうか?
 ここに科学的観測精神が存在するのです。気象情報は戦争中は国家機密になるほどに重大情報で、もちろんそのデータは科学的に蓄積される必要があります。自然現象は二度と繰り返されないものなので、観測が自然現象を正確に記録するということであれば、決して測定を欠くことは出来ないのです。欠測すればそれだけデータの価値がなくなるわけです。機械があったとしても、それが故障する可能性もあります。それをカバーできる能力、観測というのは測器を読み取るだけではなく、‘観察’・・・全人格と全知識をこめて当るものだという精神を北さんは徹底的に学んできたのでした。その精神が北さんの原爆の記憶へとつながっているのです。

 さて、この講義から私は何を学べたでしょうか?科学的観測精神ですが、これ状況を冷静に捉え、判断する力であると思います。つまり客観性がなければならないからです。主観的に物事を捉え、何とかしようと思うことも大事です。でも今の状況を的確に捉えて行動をすることがとても重要なことです。これは議員活動をやる上でも欠かせない精神だと思いました。物事の優先順位をつける時、そこには主観もありながら、「なぜそのことが大事なのか」を説得力を持って語れる力が必要だとつくづく感じさせられるからです。
 大事なことを要望することは簡単ですが、同じことを全体の‘まちづくり’にとってどんな意味を持つのかを分析しながら提案をしていくことほど難しいことはありません。でも、昔のように何とかお金で解決できた時代とは違い、あるモノをどう生かしていくか(少ないお金)でせめぎあいが続いている現状には‘科学的観測精神’を持って政策提案をしなければ本当に説得力がないよなと思うわけです。
 でも思うのは簡単で、実際にやってみるとこれほど至難の技はないのです。心がけは出来ても・・・・。

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2003年05月14日

森を守ってきた人々の思い

 『地誌学』の講義で箱根山禁伐林組合のことを知りました。函南原生林を守るために明治13年につくられた住民の自治組織です。森林の恵みを受けて生活をしていた地域農民たちが自主的に禁伐の掟を作り、資金と労力を出し合って森を保護して来たと言います。現在に至るまで監視人が森の見回りをしています。今は1週間に一度の取締りをしているそうです。
 私はこのような自治組織の存在に非常に感激したわけですが、さらに紹介された組合が作成したパンフレットにも共感したのでした。自然保護って一体どういうことなのか?を改めて考えさせられるからでした。 『函南原生林と維持管理について』として2001年に書かれた文章には「・・・今流行の自然保護で無く、農民が自らの労力と資金を拠出して残された森です。この点が一番理解していただきたい点です。」という思いが切々と綴られていました。
 今は保護規定や不伐の森条例を定めたとのことですが昭和に至るまでの間、明文の既定は無いにも関わらず、従来からの‘掟’に守られてきたこの森が持つ意味はとても大きいのです。
 組合の設立趣旨から言うと、多くの人にきてもらうようなことは必要なことでもなく、好ましいことではないのです。昔から、例え権利者(土地は村落の共有地で集落ごとに所有権があった)でも入山禁止でしたが、自然ブームで立ち入る人が増加してきたことから、やむを得ず観察歩道を設けました。
 この観察歩道ももちろん組合主体で設置して、整備費用や管理経費の大部分も組合負担です。この負担については当初の組合設置趣旨から逸脱しているとの声もあるそうです。なぜなら人を入らせないことが筋だからです。
 先生の話によると森林に設けられている‘木道’は樹木の根っこを保護するためという目的だそうです。木道を設置することで、それ以外の場所は人の歩行を防止出来るからです。原生林に人造の木道があることに私自身もがっかりなのですが、自然を楽しむことと自然を保護することの調整をすると‘木道’の設置が一番の結論なのかもしれません。

 テレビなど報道で自然を見ると、素晴らしいと思います。そしてもちろん行ってみたいとも思います。でもその気持ちだけに突き動かされていいものかどうかと私はいつも思います。むしろ「この森を宣伝し多くの人に来てもらうというような事は、組合の設立趣旨からも必要でなく、収入の無い山の維持、管理のためには来てもらいたくないのが本音です。」と強調されている組合の訴えは私たちの在り方にものすごく大きな警告を発していると思うのです。一人一人の受け止めかたは違うかもしれないけれど変わらないのは、この原生林を守ってきた地域住民の努力です。‘森とともに毎日を生きる’、自然とともに苦楽をともに生活をしてきた人たちの心を忘れてはなりません。
 決してその道のりが楽ではなかったという事実をきちんと理解した時に私は自分自身のその次の行動をどうすべきかという答えが出てくるように感じます。
 「観光客がたくさんきてくれていいものかどうか・・・・」というブラジルに行った時に立ち寄ったイグアスの滝で出会った現地のガイドさんのつぶやきを思い出しました。

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2003年05月09日

政治家のイメージって?

 私が「こうありたい」とか「こうなったらいいな」とか「こういう地域に住みたいな」という思いがあります。そしてその思いを叶えるためには、他力本願ではなくて自分で行動して実践してみるしかないなあと思って活動していたことが、今の自分の姿へとつながっています。
 
 これからは女性とNPOの時代。新しい時代のキーワードの2つを学生時代に学びました。けれども大学卒業後、本当に新しい時代が来ているのかどうか社会人として感じる機会があまりなく、NPOという言葉自体もまだまだ普及していないことも知りました。その時私は「学生時代に描いた新しさって社会のどこにあるわけ?」と疑問を持ったわけです。まさに、私の原点はここにあります。つまり本当に女性やNPOの時代なのかどうかを確かめて見たいという気持ちがありました。
 女性やNPOが新しい時代に地域社会を創り、‘まち’の活性化、特にこれからの高齢化社会を支えていくんだという学者の展望に私はとても共感していたことは事実です。そして私も「そうか、NPOの役割が大きいならNPOを起業するのも面白そうだ!」と思っていたのでした。当初NPOの大変さもまだ全く知るわけでなく、働きながらNPOを起業することもあり得ない話ではないと青い考えを持っていました。就職する時も、有名企業等で体力的にはかなわない男性たちと肩を並べての働き方ではなく、将来のことを考えれば仕事も家庭も自分の時間も大事に出来そうな職場を選んだのでした。
 その時の私には全く今の自分の姿は想像外です。新しい時代の生き方を考えてみたいなと思ってきたからです。私が会社時代に一番嫌だったことは「どうして大学を出ているのに、なぜ、こんな仕事を選んだんだ。」と平気な顔をして尋ねてくる人でした。もちろん事細かに説明するわけではなく、「そんなのいいじゃないですかー、大卒はしてはいけないんですか?」と答えていたわけですが、それだけ社会の中に出来あがった価値観の旧さを感じたものです。
 
 「政治家を志した理由、いつ頃から・・・。」と尋ねられると私は答えに苦慮します。本当に新しい時代が来て、新しい働きかたや生きかたが出来るのかどうかをしっかり自分の眼で確かめようと思ってきた延長線上で今の自分がいるからです。
 そのことを説明すると一般的な「政治家」のイメージでないんですね・・・と納得してもらえますが、実は「一般的な政治家像とは何なのかな?」ということ自体、これまで十分に議論されてきたとは思えないのです。ただ、学生などに話を聞くと「政治家のイメージ」はネガティブな回答が返ってきますが、それは本来の政治家のイメージではありません。最近「政治家という職業」という有名な本をプレゼントされましたが、ますます「政治家」って何なのかを考えさせられる今日この頃です。

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2003年05月01日

宿泊研修のためお休み

東京ネットのリーダー研修に参加します。報告はまとめて明日に。

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2003年04月28日

‘身の引き締まる思い’を初心にかえて

 一年間という任期が終わろうとしています。そして昨日、多摩市議会議員選挙が行なわれ、引き続き『議員』という立場からの‘まちづくり’提案活動ができることとなりました。
 
 4年に一度の選挙は、普段は余裕がなくて、なかなか‘まちづくり’に関われない人も直接‘まちづくり’に発言できる機会です。昨年の補欠選挙の時には投票率が約40%だったので、とにかく少しでも投票率が上昇してもらいたい!という強い気持ちがありました。今回は約46%だったので、ちょっぴりうれしく思いました。
 現行では民主主義のルールとして選挙制度が位置付けられています。けれども半数以上の人が投票を放棄する状況があります。その意味では今、「民主主義」なるものが問われているようにも思うし、なぜ選挙制度が機能不全に陥ってしまったのか、そしてどうやったら正常に機能するかの道筋を持ちながら、活動を続ける必要性を感じています。

 私の道筋は何はさておき「議会をもっと身近に」です。・・・引き続きニュースレターの発行や駅頭での市政報告をホームページでの活動報告継続しながら、「議員の活動」を知ってもらう努力をしていきます。
 
 一人一人の発言が政治を変える力になる・・・それは一票から始まると思います。政治が変われば、確実に「まち」が変わるはずです。その実感を市民とともに創りたいです。
 私は今回の改選結果に「世代交替」を強く感じました。行政や議会ではなく、市民が政策を作る時代への転換期が来ています。その意味では、やはり市民一人一人自身も「お任せ主義」からの脱皮をするのかなと考えています。つまりは「自分の納めた税金の行方を追う!」ということかもしれません。

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2003年04月19日

「聴く」政治へ 「伝わる」政治を

 いよいよ明日が市議会議員選挙の告示です。またたく間の一年間の総括をしながら、心の準備をしています。

 政治はみんなが幸せになる方向性を拓いていくものだと思います。だから議員の仕事は夢を描きながら、市民と一緒に今をつくるのだと思います。

 新しい時代のまちづくりは市民が主役です。でも、忘れてはならないのはたくさんの市民がいるということです。声が大きい人も小さい人も、もしくは声を全く出さない人もいるからこそ、議員には「聴くことの力」が求められていると思います。ひとりの利益が、実はみんなの利益につながることもきっとあると思います。声を聴くこと、拾うこと、耳をすますことを大事にしていく「政治」を目指します。

 新しい時代のまちづくりのリーダーは市民です。だからこそ、もっと伝えることを大事にする必要があります。行政も、議会も縁の下の力持ちです。今までの行政主導でまちづくり、特に多摩ニュータウンは行政の巨大実験都市です。でも、この無機質な‘まち’の心を造ってきたのは行政でも議会でもなく、ここに住まう人々だったと思います。時代も大きく変わりました。ますます一人一人の市民の力が注目されるのはやはり「心」を重視するからだと思います。
 地方分権が目指すのは、住んでいる人の「心」を大事にするまちづくりです。当事者なき政治の状況を変えていくためにも、国の大きな権限を市民により身近な自治体へ分権し、より当事者感覚を反映させたいとしています。当事者にきちんと意見を求めていくためには、もっと「伝わる」政治をしなくてはなりません。

 「聴く」「伝わる」を大事にした議員活動は、きっと議員と市民との距離をより密接なものへと変えていき、そして議会という場所を市民の身近な存在へとつなげていくはずです。
 政治は私たちの暮らしそのものです。誰もが幸せになりたいし、暮らしをよくしていきたいと願っています。政治にはその思いを実現させるお手伝いができるのです。だから、私はもっともっとたくさんの人が気軽に政治に関われるような窓口を広げていく仕組みをつくっていきたいと考えます。なぜなら政治は「まちづくり」だからです。

 たくさんの人の願いがかなえられる「まちづくり」は、みんなに同じようにチャンスがあることが欠かせない条件です。私はそのためにもまず始めに市民自治基本条例を制定して、誰もが「まちづくり」に直接関わろうと思った時、その思いがカタチにできる万全な体制をつくることが目標です。

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2003年04月18日

政策⑫ 「まちづくり条例」の制定

 これは都市計画を市民の手でつくるためのルールです。この条例については昨年12月の一般質問のテーマにしましたが、行政の方向性の中にも「まちづくり条例」を視野にいれているとの確認ができました。条例の制定過程にはもちろん市民参加が欠かせないでしょう。
 例えば「突然に奇抜色の建物が住宅街に建築されたら?」という問題も、この「まちづくり条例」により一挙に解決です。建築前から周辺住民との協議を図ることが目的で策定されるからです。市民の「居住福祉権」は守るのに大きな役割を果たします。
 
 市民の眼で都市計画デザインを考える。これは難しいことではありません。「当事者に意見を聞く」ことだからです。公共的な施設のバリアフリー化を考えてみればわかると思います。点字ブロックの設置のされ方など、実際に障害者にとってはまったく不便でしかない箇所がたくさんあります。当事者の眼でまちデザインをしなければなりません。スロープや障害者用のトイレ、音声案内板なども同様で、設置前の段階で当事者の参加を得ながら一番使いやすいを実現しなくてはならないと思います。
 最近、まちデザインに対しては本当に腹立たしいことがあります。それは永山駅前の改修工事で、まったく使いにくくなったのです。特にタクシー乗り場ですが安全確保をイメージしたのかもしれませんが、雨に濡れないとタクシーに乗ることが出来ない設計になっています。新しく設置された柵が本当にじゃまです。安全確保に設置した横断歩道は渡る気がおきません。多くの人がそう考えていると思います。時間はかかっても市民に参加を得れば、この信じ難い駅前構造にならなかったと思っています。
 市民にも建築のプロがたくさんいます。市民が使う場所だからこそ、例えば駅前デザインも市民公募で選ぶなど、「市民が主役」を目指すなら、もっと工夫が出来たはずです。私は新品にリニューアルした駅前に無念さを感じています。
 
 「まちづくり条例」は‘まちデザイン’をするためのルールです。市民参加でまちづくりという点で「市民自治基本条例」と混同しやすいのですが、全く違う性格のものです。つまり「まちづくり条例」は具体的な手順を定めたものなので、「市民自治基本条例」の市民主体の理念を都市計画決定の中ではどのように具現化するのかについて実際の手続きをルール化するからです。例えば「建築計画は○日前に市民に知らせる・・・」のような感じです。

 市民参加はものすごい時間も苦しみも伴うものだと思います。百人いれば百通りの答えがあるからです。これを一本化するのはとても大変なことです。でも、「市民が主役」というならば、絶対に避けて通れないのが「手間をかける」ということです。行政の理屈ではわりきれないのが市民参加。これを具現化していく道のりの一苦労が面白い!私はこんな時代に入っていると思います。


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2003年04月17日

政策⑪ 星の数ほどNPO!

 NPOがだんだんと認知されてきていると思います。まちづくり活動でNPOが果たす役割はこれからどんどん大きくなるはずです。なぜ、NPOがこんなに注目されるのでしょうか?もちろんNPOの活動自体にも意義があります。行政では出来ない「公共サービス」をNPOなら出来る、または行政でやるよりもNPOでやった方が上手くいくという場合もあり、これからの新しい時代のまちづくりの担い手として、NPOを無視するわけにはいかないのです。
 
 私はNPOがこれからの多摩市を元気にする鍵を握ると思っています。というのはこれから団塊の世代の市民が都心からたくさん地域に帰ってくるからです。今までは都心で生かしてきた能力や技術をやっと地域で使ってもらえるからです。「都心から多摩市へ!」のステージチェンジです。その活躍の場所、地域の受け皿の一つとしてNPOがあります。
 NPOは単なる利益追求型の企業とは違います。NPOは自分自身の身の丈にあった活動が出来る場所でなければなりません。つまり最も大事なのは個々人の自発性です。自分の思いを素直に活動として表現出来る活動であり、上司と部下の関係から生まれる不必要な緊張はいりません。自己管理の中で社会的な責任を果たしていける場所です。そういう意味でNPO活動に魅力を感じる人が増えつつあると思います。
 NPOに関わる人たちは自己管理の中で身の丈にあった活動をしていくわけで、つまりはNPOも本来は自主運営、自立した活動を展開を目標にしなければなりません。けれども現実は厳しく、そう簡単に活動を軌道にのせることは出来ません。今は、まだ発展途上段階にあります。だからこそ、一歩二歩と前進させるための行政の支援が求められるのです。
 
 実は、多摩市がNPOに着目したのは早い時期だったと思います。市民の力でNPOセンターが設立され、多くの自治体からの見学を受けていますが、多摩市のイメージとしてNPO活動がさかんな‘まち’というのもあるようです。けれども実態は、先にも書いた通り、厳しい状況です。NPOに従事する市民はほとんど無償のカタチで働いています。私はこの状態を徐々に改善しながら、「贅沢は出来ないけれど、暮らしていける」レベルにまでNPOが発展出来る仕組みを作りたいと思っています。
 昨年は行政がNPOとの協働指針をつくりました。これはNPOが‘まち’の中で活躍できるための第一歩として評価したいと思っています。けれども、例えば、NPOに対しての税の優遇措置や、NPO活動を支えるファンドの設立なども計画していく必要があります。けれども私が今、一番すべきことは行政の仕事の見直しです。もしも本気でNPOを活用しようとするならば、「行政がすべきこと」「行政がしなくてもいいこと」「行政がしない方がいいこと」「行政が出来ないこと」など行政が自己評価をするっともに、市民とともに行政の仕事を点検していく必要があると思います。これはNPOに対する期待でもあり、市民に対する期待をカタチにすることにもつながってくるからです。
 これまで行政がやってきたことをただ単にNPOに任せるだけでは意味がありません。「なぜNPOなのか?」を行政が意識をしながら、NPOをパートナーとしてまちづくりの中で活用をしていく必要があると思います。「だからこそNPO!」という理由が一番大事です。
 「地域に何が必要なのか?」この問いに対する回答を持つのは市民です。そのことは周知の事実だと思います。NPOが星の数ほどあり、人も‘まち’もキラキラ輝くを目指し、あとは行動するだけです。


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2003年04月16日

政策その⑩ 在宅福祉を支える‘まちづくり’

 介護保険制度、そしてこの4月から障害者支援費制度の導入など福祉サービスの在り方も大きく変化しています。「措置」ではなく「契約」によるサービスは利用者とサービス提供者が対等な立場でなければなりません。この関係を確立させ、福祉サービスを豊かにしていくためには、やはり利用者の主体性を最大限尊重すること、そして利用者の権利を守る仕組みを作らなければなりません。
 今、多摩市には福祉オンブズマン制度があり、苦情申立てや相談を受けつけていますが、サービス提供者には常に良質な福祉サービスの確保してもらうことが欠かせません。そのためには第三者評価機関を設置し、公平な視点からサービス提供者を評価し、さらなるサービスの質向上へとつなげられるようにすべきです。
 さて、生活者ネットワークではみんなが安心してともに暮らせる地域を目指してまちづくり活動を進めてきました。介護が必要な人も、元気な人も、障害を持つ人も持たない人も、お互いに支えあいながら生活していくためには、やはり「地域福祉」の拠点整備を進める必要があります。地域の身近なところに福祉や生活の相談を受けつけ、そして必要に応じたサービスをコーディネートするの拠点設置です。この拠点ができれば「住みなれたまち、住みなれた家で暮らす」が実現に近づきます。
 特に私自身はグループホームの設置を進め、地域でグループホームを支えられるような仕組みを作りたいと考えています。地域に住んでいる人たちの「見守り」のなかで利用者の自立生活をサポートする体制は、これからの新しいまちづくりの目指す方向だと思います。地域のことは地域で考え地域で解決策を見つけて行動をしていく、まさに「地域福祉」の原点です。
 また、地域福祉の担い手となるホームヘルパー、ケアマネージャー、サービスコーディネーターなどの人材確保、人材育成計画を持つ必要があると思います。ただ単なる増員ではなく、関わる人たちの技術が常に磨かれるように研修体制も充実させていくことが重要です。さらには、地域に根ざして活動をしているNPOやボランティア団体に注目をし、その活動を盛り上げていくような支援体制を構築すべきです。
 昨年9月議会でも提案しましたが、市内の各地域ごとに住民参加による「地区福祉計画」を策定しながら、地域の人とともにコミュニティ・ケア体制をつくり、在宅福祉の充実を目指したいと思います。


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2003年04月15日

政策その⑨ 自然エネルギーを活用しよう!

 ゴミ問題も含めてですが、やはりみんなで地球にやさしい「エコ生活」をしなくてはならないと思います。
 私たちが必要だと思い、そして実現させてきたことがたくさんあります。そして私たちの生活がとても豊かになってきました。でも、その中で忘れてきたのが「謙虚さ」。そのために地球環境が破壊されてきたことを既に私たちはわかっていると思います。だからこそ、軌道修正ができます。率先して行政が自然エネルギーの活用をしていくこと、そして市民の暮らしの中にも自然エネルギーを普及させていくことに努める必要があると思います。
 公共施設や公営住宅には太陽光発電の設置、雨水利用や屋上緑化を進めることが出来ます。今でも街灯、公園の時計などには太陽光発電の小さなパネルがついています。小さすぎて、市民からは見過ごされがちなのが残念です。市民生活の中に自然エネルギーが定着するまでにはまだまだ時間がかかりそうですが、「ご意見募集」の提案の中にあったような市民発電所が実現するのは夢です。北海道では市民風車が設置されました。主体は市民でNPOです。地球環境への関心は高まっています。
 化石燃料や原子力ではない新しいエネルギーに注目し始めた市民の力を生かして、これ以上地球環境を悪化させないために行政が出来る支援体制が求められます。
 さらに、行政と契約を結ぶ企業などの環境配慮度をチェックし、入札条件の審査項目の中に加え、環境保全活動にも貢献している企業を優遇するなども有効です。すでに一部の自治体では導入されているそうです。多摩市も積極的な取り組みをし、そして市内事業者が環境に配慮した事業展開ができるように支援していかなければなりません。中小企業が環境配慮の設備を導入するコストは、経済状況の厳しさもあり、負担が重いと考えられます。環境を守るための行政の役割は大きいのです。
 みんなが気がついている地球環境の悪化。経費はかかっても何をすべきかはわかっています。わかっているなら行動するしかありません。目先のことだけではなく長期的な視野を持ち、今、何をすべきなのかについて考え、多摩市の「エネルギービジョン」をつくることも必要です。
 もちろんエネルギー確保の問題には国の政策も大きく関わってくるはずです。そういう意味では多摩市から国に対してできる提案もあると思います。エネルギーの自治を目指す。地域で小さなコミュニティごとにエネルギー活用ができる体制は、地球にやさしい自然エネルギー社会になるはずです。


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2003年04月14日

政策その⑧ 市民とともに「ごみゼロ計画」

 6万3千円。これが年間のごみ処理経費、一世帯分です。ごみに対する市民の意識が大きく変わったのは、数年前のダストボックス廃止だったと思います。ダストボックスは自分の家からゴミをなくすためには好都合でした。私もダストボックス廃止はとても残念で、そして不便さを感じていました。これは全く「自分さえよければいい」という発想に基づいていたなあと反省です。つまり、自分の家の中にゴミのない状況があれば、自分はスッキリし、快適だったということです。もちろん当時も環境問題の深刻さが言われていましたが、とにかく「ゴミを減らさないといけない。」と意識的になったのは、やはり家の中で数日でもゴミを保管しなければならない状況が生まれてからだと思います。

 私は市民の一人一人にもっと「ゴミの行方」を追ってもらいたいと思います。収集日にゴミ出しをするところで市民の責任が終わるのではありません。分別収集も進み、かなりのリサイクル意識が浸透しています。けれども、大量生産大量消費型社会の「大量廃棄」の構造が大きく変わったわけではありません。「大量廃棄」が「大量リサイクル」に置きかえられただけです。例えば、便利さからペットボトル使用はますます高まっているようです。この冬にはホット専用のペットボトル商品も多く流通していました。「リサイクル」されればいいのではありません。ゴミは発生そのものを抑制しなければ、根本的な解決にはならないのです。本当は私たちの「お買い物」を点検すると、実に多くの「ゴミ」購入をしているのかわかります。豪華に見せる過剰包装、便利な個包装の商品・・・包装にも経費がかかっています。それだけでも割高なのに、さらに比例してゴミの量も多い・・・ゴミ処理経費がかかる・・・私たちの家計簿には自分自身で見えていない分も含め、無駄な出費がたくさんあるのです。

 私自身はゴミ問題について、徹底的に減量(リデュース)、再使用(リユース)、リサイクル(再生利用)・・・「ゴミをつくらない」の一人一人の市民の強い意識でしか解決できないと思っています。そして市民が最も身近でかかわりやすい‘まちづくり’だと思います。日々の生活で、自らの心がけひとつで地球にやさしいまちづくりに貢献することが出来るからです。まず行政がすべきは、ゴミ処理の実態とコストを明らかにする『廃棄物会計』の作成です。ゴミがどれだけ資源化されているのか、そしてゴミ処理や資源にいくらかかっているのかをデータをもとにして公表し、私たち自身がゴミ問題を捉え、そして考え、解決しなければならないという危機感を持てるようにしなくてはなりません。
 「ゴミ」問題は私たちの問題として、もっと深刻な事態として受け止められるようになりたいものです。私もゴミを減らすことを意識してきたものの、議員になり現実のゴミ処理の実態をより詳しく知ることで、より切実な問題としての実感がわきました。私たちが「ゴミを買わない」生活を追及していくことが大事です。そうすれば次第に、環境に負荷のかかる製品をつくらないことにもつながります。

 ゴミを分別し、ゴミ収集日にゴミを出すことが市民の責任ではないのです。そのためにも実態を市民に公表しながら、市民とともにゴミゼロに向けての行動計画を作ることを提案したいと思います。
 多摩市には立派な清掃工場があり、リサイクルセンターがあります。最新の設備を持っていることに満足をしていてはならないのです。ゴミに囲まれた生活を送っていることを知り、そしてどうやったらもっと必要最低限での暮らしが出来るのか、もちろん製造者責任なども問われ、環境負荷の少ない製品をつくることを求めることも大切ですが、それ以前の問題として私たちの社会の価値観を変えていく必要性があるのだと思います。
 価値観転換のために行政はもっと深刻さ、切実さを伝える努力をするべきで、そしてゴミ行政の中で最も重要なことだと考えています。


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2003年04月13日

政策その⑦ みんなが健康で暮らせる‘まち’へ

 生活者ネットワークでは「アレルギー疾患に関する調査」を行ないました。東京都全体で6400人の方から回答結果から、80%を超える人が本人、家族に何らかのアレルギーがあることがわかりました。そして半数以上の人は日常生活の中でアレルギーの原因を避けるよう心がけている実態が明らかになりました。
 私たちがアレルギーの原因として1位は化学物質が多用されている、2位空気が汚れている、3位に食品添加物が多いとしていますが、原因をひとつに絞れないとして複数回答がなされました。そして「ストレス」や「過度な清潔志向」という現代病も上げられています。つい最近まで大きなマスクをしている人をたくさん見かけました。花粉症の原因についても花粉と車の排気ガスが融合しあうことが深刻な事態をもたらしているといわれるように、もともとアレルギー症状を持っていなかった人も突然変異のようにひどい花粉症に悩まされると聞いています。アレルギーの原因は複合的であり、原因解明はなかなか困難です。

 さて、私たちは数万種類の化学物質に囲まれて生活をしています。化学物質が有害であることを知りながらも、その便利さから、なかなか使用を止められない状況があります。除草剤を始め、医薬品、化粧品、食品添加物など化学物質を使用していないモノを探す方が難しいかもしれません。アレルギー防止対策としてはやはり私たち一人一人がライフスタイルを見直すことから始まるのだと思います。けれども一人一人の意識変革だけで太刀打ちできるものではありません。既に悪化している都市環境も含めた対応が必要です。アレルギーの原因を社会的に減らす努力が求められます。原因究明、化学物質がひきおこす被害を検証し、市民に情報提供をすることが必要です。
 なんと学校で教科書に使用されているインクによるアレルギーの発症例が報告されています。行政が化学物質の不安に対して対処しなければならないことは既に明らかです。そして最近はシックハウス、シックスクール対策も求められます。私自身もきれい化けるために使用した化粧品でかぶれた経験があります。このような事例をしっかりと把握し、市民に知らせなければなりません。「臭いものにフタ」では困ります。
 
 冒頭に書いたとおり、まずは「子ども」を取り巻く状況を把握するべきと思います。市内の学校、児童館など主に子どもたちが使用する公共施設を含め、民間保育所の実態調査をまずは早急に取り組んで欲しいと思います。例えば、乳幼児はおもちゃを口にすることもあります。子どもの遊具、玩具についても健康にやさしい商品を選ぶ指導なども欠かせないと思います。
 そしてあわせて、アレルギーや化学物質過敏症に関する相談窓口を広げていくべきと考えます。これだけアレルギーに悩む人が増えている状況を思えば、悩みの早期解決の為に地域の診療所が正確な診断を行ない適切な治療方法をするケア体制を確立することも重要です。
 未来を担う子どもたちが暮らしにくい社会であることは間違いありません。みんなが健康に毎日を送れるようにするためには、アレルギー症状を未然に予防できる体制づくりが必要です。アレルギー症状に対する理解を深め、健康な人も油断せずアレルギーと常に背中合わせで暮らしていることを認識して、自らのライフスタイルの見直しへとつなげなければという危機感を持たねばなりません。そのことが市民どうしでの健康の支え合いにもなることを強調したいです。これは自治の精神です。
 市民の健康をつくり、守る、生活環境をどのように保持していくのか?やはり市が現状分析と課題を整理することは必須です。その結果を受けて、市民に対する説明責任含め行政としての対応策が見えてきます。便利になりすぎた社会の闇を示すよう、アレルギー疾患が目に見えて増えている現実を直視すべきです。

 みんなが健康に暮らせるために・・・という点では「健康のまちづくり条例」などを設けている自治体もあります。「健康」がなければ‘まち’が元気になれません。そういう意味でまちづくりの原点には市民の健康があることはまちがいありません。
 また、東京都では「化学物質の子どもガイドライン」を策定しました。多摩市でも‘わがまち’ガイドラインが欲しいところです。


    ★ぜひ、政策に対するご意見やご提案などおよせください★


 ちなみに・・・今日はステイツマンと1年間の活動の締めくくりとして「活動報告会」をしました。私自身も1年間の総括ができました。私の目指している「普段着の政治」の実現の道のりはまだまだです。政治というと畏まってしまうのではないでしょうか?市民がもっと気軽に‘まちづくり’に物申せる状況をつくりたいです。

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2003年04月12日

政策その⑥ 「食品安全条例」をつくる

  人を良くするのが「食」。命をつなぐためには欠かせません。だからこそ食の安全確保に向け、これまで以上に積極的な取り組みが求められます。
 狂牛病の問題をはじめとして食の不安が一気に広がりました。特に偽装表示や、使用不可の添加物の使用はあってはならないことです。今では、一頃の食に対する不安が落ち着いていますが、まだまだ予断は許さないと思います。「なぜ、そのようなことが起こってしまったか?」についてはきちんとした説明責任がされたわけでなく、私自身もまだ納得できない面があります。さまざまな事件が発生した後の今、「これでいいのか?」と思います。
 生活者ネットワークはもともと「食」を出発点として活動の取り組みをしてきました。食品の安全に関わる法律改正によって、国レベルでも対応をする、東京都では「食品安全条例」を制定する方針ですが、やはり住民に一番身近な自治体としての多摩市が住民の窓口になり食品安全行政をできる仕組みが必要だと考えます。

 多摩市の食に対する安全性の意識は希薄です。「疑わしきは使用せず」が持つべき姿勢だと思いますが、あれだけ危険性が言われているホルムアルデヒドを含有するメラミン食器を未だに給食食器として用いている、しかもホルムアルデヒドについては「認識をしているけれど、本当に危険なのかどうかがまだ定まっていない」との態度をとっています。成長期の子どもの受ける影響は、体力が低下するだけの大人とは全く違います。その意味では子どもにあわせた安全基準を持つ必要があります。市の意識改革が不可欠だと思います。
 そしてもう一つは、多摩市には「農」がほとんど残されていません。「農」ばかりだった‘まち’が一挙に住宅地に変貌してしまったからです。日本の食糧自給率が38%しかないことに憂慮しているわけですが、多摩市だけで見た場合はどうでしょうか?さらにこれが低い水準になるのではないかと予想しています。本当の意味での「自治」を確立し、住民の生命と財産を守ることが求められる時代です。市内の食糧自給率を把握し、「食」の現場でも自治を構築しておかねばなりません。

 「食」の現場での自治を構築する意味でも食品安全条例を制定し、多摩市がイニシアチブをとり、食の安心や安全を確保していかなければなりません。ベルブ永山では消費生活センターがありますが、まだまだ消費者としての住民が積極的に活用している状況にはありません。消費者の立場から生産から消費までをすべて包括する仕組みと市民がチェックできる体制づくりをすることは、市民の「食」に対する意識を高めることにもつながるはずです。
 来年度予算では消費者対策費として、消費生活センター管理運営の為に計上されているのは約1,000万円です。これはほぼ相談員の人件費と雑費と考えてもいいと思います。つまり、多摩市の食品安全行政はまだその取り組みすら始められていない状況です。
 もちろん商品を「買う」「買わない」という選択は消費者である住民自身がするわけですが、誰もに安全な食卓を保障できる状況をつくる責任があると思います。
 昨年、遺伝子組換えイネ反対の署名活動を行ないました。そして多摩市議会では厚生労働省に対して遺伝子組換えイネの商品化を中止することを求める意見書を提出することができましたが、私たちの食卓の安全にはまだ予断を許さない状況があります。「遺伝子組換え」を認めることで流通するわけです。経済効率を優先し、消費者の保護の視点を欠いた体制で「食」が存在しています。そのことが様々な恐ろしい事件を引き起こしたことを忘れてはなりません。
 
 私たち市民自身も「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」ではなく、生きていくために欠かせない「食」に対する自覚を深めていくことも大切だと考えます。そうなると「食育」の重要性も見えるはずです。こだわるようですが、やっぱり給食食器問題は早期に解決したいことです。


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2003年04月11日

政策その⑤ 「子どもの権利条例」をつくる

 権利にはいつも義務が伴います。「子どもの権利」を認めたら、ますます子どもたちが権利ばかりを主張するという反論がありそうです。最もだと思います。なぜなら、私たちは『権利』、とりわけ子ども時代には「子どもの権利」をしっかりと教えてもらったことがあるでしょうか?
 「子どもの権利」の中で私が一番尊重していきたいのは、国連子どもの権利条約の中の「意見表明権」です。子どもたちが個々人に応じて、きちんと自分の考えや自分の思いを人に伝えていけること、伝える場所があることが大事だと思います。子どもたちの意見を受け止める場所はまだまだ少ないのが現実です。
 特に私は子どもの社会参加、まちづくりにもっと子どもの視点を取り入れていきたいと考えています。たいていの場合「市民参加」の‘市民’には「子ども」の姿が見えてこないのが残念です。子どもの視点を生かしたまちづくりをする必要性については3月議会でも一般質問のテーマとしましたが、子ども時代の経験は「原風景」となることを考えれば、市民自治がもっともっと要請される時代に向けて、まちづくりに参加する面白さ、辛さも含めた楽しさを味わうことは貴重なことです。未来の大人育てという観点からも子どもたちの意見表明権を大人たちが支えていけるようにしたいです。
 そしてもう一つ、児童虐待、いじめが増加していると言われています。この子どもの人権侵害についても、さらに地域で学校や児童相談所などの連携を密にしながらの対応が求められています。私自身は「先生にも親にも言えない・・・・」というよう悩み事を子どもが気楽に相談できる場所が必要だと考えています。スクールカウンセラーの設置などがありますが、私はこれでも不十分だと思います。子どもがプライヴァシーが保護されると信頼をおける場所でなければならないからです。そのためにも第三者機関として、子どもの権利救済の仕組み「子どもオンブズパーソン制度」を設置することが必要です。

 多摩市には東京都多摩児童相談所が配置されています。これは好条件とも言えます。でも児童相談所は何だか大げさな感じがして、敷居が高いです。その点、地域ごとにある児童館は気軽に利用できる場所だと思います。そういう意味で、私は地域の児童館がもっと生かしたいと考えます。児童館は子どもの居場所として地域に存在します。そこには先生でもなく、親でもない大人(職員)が子どもたちを迎えます。まだ子どもオンブズパーソンの仕組みがない段階では、児童館が子どもたちの相談、そして子育てを含む子どもに関する親の相談も受付けるなど地域相談所として役割をもっと機能させるのも一つの方法だと思っています。

 「子どもの権利」自体がまだ十分に日本の社会で確立しておらず、なかなか語ることが難しいわけですが、私自身は多摩市として「子どもの権利」をどのように捉え、そして考えていくのか?という姿勢を持つことが必要だと思います。子ども施策は学校教育もあれば児童福祉の問題もあり、市役所内部ではまさに「縦割り行政」。縦割り行政に横のつながりを持たせるためにも多摩市としての子どもの権利条例を制定する必要性が見出せると思います。
 地方分権になり、求められているのは「地域眼」です。地域の実情に応じた条例を制定し、まちづくりを充実させていく時代に入っていることを痛感しています。


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2003年04月10日

政策その④ 「男女平等条例」をつくる

 政策③とも関連する話になりますが、性別に関わりなく一人ひとりが「自分」らしい生き方を選択できること、みんなに同じようにチャンスがあり、チャレンジできる社会が一番楽しいと思います。
 私の母親世代の女性たちが求めてきた平等は、女性が男性の水準まで追いつけ追い越せでバリバリと活動する「男女平等」という側面ばかりが強調されてきた気がします。男女平等に頑張ることで本当は男性も女性にも有益なのに、なぜか男性は「男女平等」の言葉を聞くだけでアレルギー、「生意気な女」というレッテルが貼られる場合もしばしばです。でも、男性がもっと積極的に「男女平等」を推進すれば、男性自身がもう少し社会の中でゆとりが持てるはずです。。例えば会社で、男性がこれまでの仕事の3分の1減らすとします。そうすれば、その分を女性が担うことができます。男性の負担は減り、女性は活躍の場が広がります。こんな風に互いに調整しながら「役割分担」できることが必要です。「ワークシェアリング」を実現することで男性にも女性にもメリットがあるのです。

 男女平等は遅々として進まないのが現実です。その認識の下、国でも男女共同参画基本法が制定されています。これに基づいて地方では、地域の事情に合わせた取り組みをすることが求められます。そういう意味ではやはり男女平等条例を策定する必要性がありそうです。3月議会の予算特別委員会でも発言しましたが、国が「基本法」を制定した意味を十分汲み取る必要があると思います。もちろん市民一人一人の意識変化でしか変わらないのは当然のことですが、例えば女性を積極的に採用している企業に対しての優遇策など、行政の支援によって「男女平等」を推し進めることができます。パート労働についても課題です。
 男女ともが「仕事と家庭の両立」させるが条例化の目的だと思います。多摩市の中でどの部分に対し行政が役割を果たすべきなのか?そして果たすことができるのか?を整理することから策定作業は始まると思います。市が出来ることを明確にし、そして一自治体だけでは解決できない部分については都や国に協力を求める姿勢が重要だと考えます。
 「自分流」とか「自己実現」、「自分らしさ」という言葉が流行している一方で、まだまだ「男らしさ」「女らしさ」という言葉が根強く残っているようですが、私の中ではこの言葉は既に死語です。私は「自分らしい」ことが一番でその中の一つに「女性」という要素があるに過ぎません。結局は男だから、女だから・・・と選択肢の幅が狭められない社会が誰もが生きやすいのだと思います。


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2003年04月09日

政策その③ お父さんお母さん一緒に子育て

 多摩市の子育て支援は充実していると言われています。さらに今年度から公募市民を含む「子育て市民検討委員会」が発足しました。2ヵ年計画で多摩市の18歳までの子ども環境整備方針をまとめるようです。
 私は大学時代、未完成品として先生に十分に評価してもらえなかった論文を書きました。そのテーマが「多摩市の子育て支援について」でした。当時、私は「女性が女性を支える仕組み」を考えていました。というのも、保育園の待機児の問題を耳にすれば「行政も頼れない」と思い、そして家庭での育児はどうかと言えば、昔よりは解消されつつありますが、以前として家事や育児が女性の仕事になったまま・・・つまり「男性も頼れない」状況があるわけです。それなら女性自身がもっと積極的に女性支援をしながら、女性全体の地位向上を確立すればいいと思っていたのです。これもまた、今思えば、非常に偏った見解かもしれないと思うわけですが、私自身がイメージをしていたのは、「子育てを卒業した女性」と「子育て真っ最中の女性」とをつなぐことで女性自身が女性の助けをかりることで、「女性」の社会での活躍の場所をもっと広げることができると考えていたのです。
 今で言う「ファミリーサポート」の仕組みをつくれば、私の母親世代の人たちの活躍の場所を地域で作ることできます。そしてニュータウンという閉じられたコミュニティの中で孤立している子育て中の女性も救うことができるかもしれないと感じていました。これには、やはり私の母親が知人の子どもを保育園に迎えにいき、延長保育を受けられない時間帯のフォローをしている姿を見てきたことの影響が大きいと思います。私は母親の姿を見ていて、母のように少し時間もあり、余力もある人たちの「何かしたい!」という気持ちを応えるため、「ファミリーサポート」の仕組みに可能性を感じていました。
そして、私が就職をして、私のように定刻で仕事を終え、いわゆるアフター5を満喫できる立場と、夜遅くまで残業に追われる友人を見てみると、彼女たちが結婚して育児をするようになるとき一体どうするんだろう?彼女たちは仕事もバリバリこなしたいと考えているんだから、私が何か彼女たちのお手伝いが出来ないだろうか?と思案した時もありました。

 これまでの育児支援と言えば、どちらかというと「働く女性向き」でしたが、多摩市でも理由を問わないで保育サービスを受けることができるなど、「育児中の女性」に向けてサービス内容を拡大していると思います。特に母親が日中、ずっと家の中で子どもと向きあっていることの辛さを少しでも解消できるようにと子育て相談体制、子育て広場、児童館でも幼児プログラムを設け、母親ネットワークのつながりをつくるコーディネートをしています。公民館でも保育室の開放デーも大人気です。自主保育活動も活発です。

 でも、やっぱり「お父さん」の顔が見えないのです。まだまだ育児が母親の仕事になってしまうのだと思います。でも、その理由は「男は仕事、女は家庭」という昔のように性別役割分業意識が根強いからではありません。むしろ私は「男性はかわいそうだな。」と思います。育児に関わりたくても、十分な時間を持てない現実があるのです。子どもが誕生したと言うのに、出産に立ち会うために会社を休んだからと次の日からは残業をする・・・というのが男性の多くが置かれている状況だと思います。私もそういう男性を何人も見てきました。その意味では会社の経営方針の中に「全員育児休業義務づけ」をしてもらいたいと考えています。生活者ネットワークでは「男性の育児休業を義務づける」としています。女性も男性も育児休業を取得することができるのに、なぜか取得するのは女性ばかり・・・・という状況を変えるためには、まず男性にも育児休業を取得してもらうようにしなくてはなりません。だから「義務づけ」と表現されています。
 でも私は、そもそも「子育て」にお父さんもお母さんも一緒に関われなくてはいけないので、どうせなら「全員育児休業義務づけ」でもいいと思っています。「義務づけ」というのは好きではありません。けれども、育児の負担を分かち合うと言う意味での「義務づけ」ではなく、子どもの成長を一緒に喜び合うという観点で私は「育児休業」を考えています。


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2003年04月08日

政策その② 学校を地域に開く

 第一小学校の基本設計に向けた市民検討委員会に参加しました。今日は実際に平面配置図を考えました。現存の校舎を残しながらの建替えなので、敷地面の制約もあり、全く思い通りにいかない・・・前回までコンセプトを様々出していた時の楽しさとは違い、一気に現実をつきつめられ、ションボリでした。建替え手順としては、まず体育館とプールを取り壊すことになっていました。私たちのグループでは、どうしても敷地の西側部分に体育館を配置したいと考えました。ところがどうしても、イメージする配置図では今の校舎の一部分と重なってしまうわけです。つまり、市側から提示された条件で現在の建物は最後まで残して・・・と考えると私たちのイメージは全く実現できなくなります。
 そこに助け船のような呟きがありました。「一気に全部の建物を壊さなくてもいいのでは?時間差を設けて、最初に校舎を建てた後、旧校舎を取り壊し、その後に体育館をつくることもできるじゃない?」まさに、みんなの眼が輝いた瞬間でした。「そうだ、そうすれば、体育館が使えなくなるという先生達の心配もなくなるし、一石二鳥だ。」「有効にスペースを利用すると言う意味では、少し完成時期が遅れるとしても、無理矢理全部の建物を建設して、『やっぱり・・・』という禍根を残さない方がいい。」との意見が飛び出しました。
 そして私たちのグループでは、行政側から提示されていた条件の変更を申し出たのでした。担当職員はその場で勝手に判断することはできないけれど、意見をきちんと持ち帰って再度検討してみますと答えていました。市民の意見に聴く耳を持てるのかどうか?の結果は少し見ものだと思います。どうせ建替えるのなら、長年使用するわけで「いいもの」、納得のいく学び舎にするべきです。そういう意味ではこの検討委員会に参加をしている市民たちの「納得」をまず取りつける必要があると思います。まだ準備段階なので、工期スケジュールなどの変更ができればいいわけです。
 これが「市民参加」の面白さで、メリットだと思います。もしも市民が参加していなければ、無理矢理に体育館から教室棟までを建設して、敷地全体として有効活用ができていない配置になることは目に見えているからです。この段階で市民の参加があるからこそ、行政側も柔軟な対応ができます。建物完成後に「あーすればいいのに、こうすればよかったのに・・・」にはしたくありません。

 私はこの小学校の建替えプランづくりに参加をしながら、やはり学校を地域にひらいていくことの大切さを感じます。今日は「学校をめぐる防犯環境をどう構築するのか」という研究をしている学生の方が「『学校が地域の人に見られている』」という関係性をつくることで防犯が強化される」と言っていました。
 私自身は地域拠点施設としての小学校の活用と言う観点もありますが、それ以上に必要なのは地域の大人たちをもっと生かすことだと思います。もっと地域の人材として生かすせば、学校経営をより豊かなものにしていけるはずです。週5日制になり、総合学習などが導入され、教師の負担増が言われていますが、だからこそ地域の力を借りるべきだと思います。そして地域は学校に力を貸したいと思っています。とても不思議なことですが「子ども」という存在に対しては、大人たちの利害対立が少なく、立場に関わりなく子どもたちのためにできることを必死に考えています。建替え検討委員会に参加して、さらにそのことを確信しています。
 これは歓迎すべきことで、いい傾向だと思いますが、でもやっぱり所詮「大人が考えた子供たちにとって『いい』」であることはまちがいありません。そういう点では自戒も含めてですが、「子どもの視点」をどう採用し、そして実現していくのかについても、大人が今後に頭を悩ませる必要があります。本当は子どもたちにも私たちと一緒に作業をしたい、丸ごと参加してもらえるのが望ましいのですが、今回の検討委員会では無理そうなので、配置平面図が終わり、もう少し校舎のかたち含めて具体化した時にでも、もう一度くらい、子どもたちの意見を聞く会を設けたいとの思いがあります。
 学校の主役は「子ども」です。でも「子ども」はまだまだ未熟だからこそ、大人たちが「子ども力」を応援していくのです。昨日、小学校の入学式に参加をした時、印象的だったのは「先生やお父さん、お母さんもはじめはみんな何もできない子どもだったんだよ。でもいろんな人たちにお手伝いしてもらいながら、大人になって、自分でできるようになったんだから、みんなもわからないことや困ったことはどんどん周りの先生やお父さん、お母さん、近所の大人やお兄さんやお姉さんに聞いてくださいね。知っていることはきっとみんなが教えてくれるよ」というPTA会長さんのお祝のことばでした。
 まさに、このことば通りだと思います。学校を先生と子どもたちの場所にしておくのではなく、「子どもたちの育ち」を応援する地域の拠点として地域の人たちとともに創っていくのがこれからの学校のスタイルになっていくことは間違いありません。
 「学校を地域にひらく」というのは時代の要請です。どうやってひらいていくのかについては地域ごとに検討すべきことです。けれども上意下達の傾向が色濃く、文部科学省の方針ありきの「地域開放」が現況です。「なぜ今、地域に学校をひらいていく必要があるのか?」という地域での議論は不足しているように思います。私は建替え検討会に参加をしていて、先生と地域の人たちとの直接対話の重要性をリアルに感じます。この議論の積み重ねこそが「学校を地域にひらく」を具現化していく道につながると思うからです。先生と地域の人の議論の中で「噛み合わない」が「噛み合う」に変わっていく瞬間に喜びを感じています。


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2003年04月07日

政策その① 市民自治基本条例をつくる

 生活者ネットワークと私は13の政策の柱をつくっています。それらを紹介していきたいと思います。
 「なぜ、今、この政策が必要なのか?」について私なりの解釈を含めての紹介です。

 市民自治基本条例をつくることは一年前の補欠選挙の時からの私の最優先課題です。今まではとにかく憲法と地方自治法と言った国のルールの中で「地方自治」が存在しました。でも地方分権の時代、「地域のことは地域の人たちが自ら決める」時代です。「大切なことは地域で市民が決める」ことができなければ実現することができません。今、「市民自治」についてのルールは確立していません。口では「市民参加」「市民参画」そして「市民協働」と言いますが、実質そのことを制度的に保障するルールがなく、長の方針や、担当職員の裁量によって「市民協働」が左右されてもおかしくない状況が生まれます。
 私自身は「市民自治基本条例」の制定は多摩市の「地方分権宣言」になると考えています。つまり国からの分権を受身で待つだけではなく、自分たち自身で「地方分権」を推進していく姿勢を明確に打ち出すものだと考えます。まさに自ら切り拓くためには不可欠なものだと思います。
 この条例の有無により、「地方分権が誰のものか?」という意識をどう創っていくかのプロセスに違いが見えてくると思います。市民も行政も議会も「何のための分権か?」そして「誰のための分権か?」この価値を共有しておく必要があります。その価値を‘まち’に関わる全ての人で共有し、そしてさらに深みを持たせていこうとするのがこの条例だと思っています。
 ニセコでは全国で初めて自治基本条例をつくりました。でも制定したからといって、別に大きな変化はなかったといいます。それは当然です。なぜなら、制定する前からずっと行われていたことをルール化しただけだからです。
 それならば策定する必要がないという考え方もあるかもしれませんが、これは全く違います。先にも書いたとおり、「個人の判断」によって「市民自治」が左右され、後退させることはできないからです。
 この条例はあまり具体性がないと言われてきました。「理念」を語る必要性がないとも批判を受けます。でもそれならば逆に、多摩市の「まちづくりの理念」ってあるのでしょうか?そしてそれは市民にも共有されているのでしょうか?全くされていないと思います。
 この理念を明解にしていく必要があります。それは紛れもなく「市民自治」だと思います。とするならば、少々理念的かもしれませんが、住民投票での意思決定を含む「市民自治基本条例」を制定する異議は大きいと思います。
 「制定してからスタート」、条例を制定することが目的ではありません。私は制定してから、いかにしてこの条例を生きたものにしていくかでも行動したいと思っています。その具体的な方策はやはり市民ととも知恵を出し合いながらしか、見えてこないと思います。これは条例制定後の段階です。早く次のステップへと移行させていきたいです。

 本来は今年度から「市民自治基本条例」が施行される予定でした。でも、昨年の市長の交替でこの条例制定の動きが止まってしまいました。多摩市での条例制定では私も再三強調しているように、自発的な市民たちが集まって粘り強い議論の後に「市民案」が作成されています。「市民案」は昨年の6月に市長に渡されました。もともと市長とのパートナーシップ協定を制定していて、その中での「市民案」作成期限を守ったからです。この協定では施行時期についても明記されていましたが、そこが市長の交替もあり遅れているのが現状です。
 今年度中には議会に対して提案されるということです。現在、市長に提出された「市民案」に、さらに市役所内部のプロジェクトチームで検討を加えている段階のようですが、政策決定過程におけるインプットとアウトプットに大きな差異が生じないことを今は祈るしかなさそうです。


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2003年04月05日

冷たさに 骨休めする さくらの精

 大学の同窓生で結成された多摩白門会の桜ヶ丘公園で予定していたお花見も、信じられない天気のいたずらで中止になりました。急遽雨バージョンの企画に変更はしたものの、集合場所の聖蹟記念館に行くと雨がみぞれに姿を変え、氷の中でじっと佇んでいるさくらの木を眺めました。さくらの妖精もちょっと一息で、明日から再び活躍するはずです。明日はお花見日和になりそうです。
 今日は今月末の選挙に向けての事務所を開設しました。いよいよだなと緊張感が高まっています。
 さて、昨日は「選挙費用」に着目して「一票の価格」を考えてみましたが、今日は『議会費』に注目してみたいと思います。
 『議会費』には議会事務局スタッフ(市職員)の人件費、議会だよりなどの作成費用、それから全国市議会議長会、関東市議会議長会、東京都市議会議長かいといった組織の参加費用があり、もちろん最も大きいのは議員人件費、そして政務調査費が含まれています。
 今度の改選以降は議員定数が削減されるため、前年度の予算と比較すると今年度は約3千9百万円少ない、約3億8千万円です。そのうち議員人件費等は全部で2億6千万円です。それにプラスされるのが政務調査費ですが、こちらは年間の予算額が約810万円なので、議会事務局費用を除く部分、単純に「議員個々人」に対して支払われるのは2億7千万にのぼります。
 この『議会費』のうち「議員個々人」分について年間では、市民一人あたりの負担金額が約2千円となります。だいたい議会費は毎年ごと横ばいに推移していくので、4年間では市民一人が議会に対して8千円の負担をする計算となります。つまり、4年に一度の選挙は自分の8千円の投資先を選ぶことだと言えます。と考えれば、自分の一票には「8千円」の値をつけることができるのです。一票を価格に置き換えることは、あまりにも短絡的過ぎるかもしれません。でも私は、やはり向こう4年間という未来に対して投資をするという捉え方があってもいいと思います。無駄に投資をする人はいないと思うからです。
 そして議員として選ばれるということは、市民一人一人に対して投資額以上の効果を生み出すことが求められます。責任は重大なのです。みんなが同額の投資をしていることを忘れてはなりません。そこに「公平心」が存在します。得をする人、損をする人がいることは許されないというのが本来の姿だと思います。市民はみんなが同じように得をすれば損もするのです。
 市民は投資先を4年間は変更をすることはできません。だからこそ私は「一票」はものすごい大きな可能性を持つものだし、これを無駄に捨てることはできないと考えているのです。
 一票の力はもちろんですが、それ以上に「『一票』という自分にとっての価値」について答えを出すことが、きっと未来をもっと明るくしていく力にとつながっていくと思います。

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2003年04月04日

一面に 光り輝く なの花きいろ

うすピンクの桜の花とは違って、なの花は強い感じがします。なの花でうめつくされた斜面はまぶしいくらいです。
 さて、今回から世帯ごとに投票券が送られてきました。そして多摩市明るい選挙推進協議会、多摩市明るい選挙推進委員会が発行する「多摩市しろばら」というチラシが届きました。このチラシは選挙の啓発情報誌だと思いますが、私は初めて目にしました。せっかくのPR誌ですが、あまりインパクトがないので残念です。この情報誌を見て、ふと・・・そう言えば一度の選挙でどのくらいの費用がかかるのかを調べてみました。
 まず、常設されているのは4名の委員からなる選挙管理委員会です。急な欠員に備えるために補充員が2名います。この選挙管理委員は特別職の位置づけで、事務局は市職員で構成されています。選挙がある年はめちゃくちゃ忙しい部署のようです。逆に、選挙が落ち着いた時には一体どんな仕事をしているんだろう?とも言えます、これについては今度ヒアリングしてみたいことの一つです。それから、明るい選挙推進委員が各地域にて活動をしています。私は推進委員の方々がどのような活動をされているのかが、あまり伝わってきていないのですが、おそらく「しろばら」を個別配布したりしているのだと思います。これら事務局の人件費などを含めて、約4千5百万円が計上されています。
 さて、では「市議会議員選挙費」となると合計で約6千5百万円かかります。投票管理者、投票立会人、選挙立会人のほか、選挙事務にかかる経費など人件費類で約2千3百万円ほど、それから投票所設置や選挙広報関係の費用で約1千万、選挙運動用について、いわゆる選挙カー、ポスター作成、公選葉書作成については公費負担分があり、ここで約2千6百万円とあとは雑費で使われるようです。
 ここで注目をしたいのは立候補者はすべて自分のお金で選挙活動をしているわけでなく、きちんと税金での負担分(公費負担)として計上されている部分があるということです。つまり、この公費負担がされる部分はきちんと選挙運動として市民が認めている活動なのです。
 考えてみれば当然です。この選挙運動はすべて「どんな候補者がいるのか?」を知るためには必要なことだからです。それを考えてみると、ますます選挙が私たち市民一人一人のためにあることがわかると思います。有権者ではなく、市民全体で考えると一人あたり470円ほどの負担です。となれば、有権者数で考えると「一票の価格」はもう少し高値になります。
 投票に行かないということは、それだけ自分自身が納めている税金を無駄遣いしていることになるのです。この認識がまだまだ不足しているように感じます。それは、一票が値段以上の価値があることの実感が少ないからかもしれません。この実感を持てるようにするには、少しでも多くの人が投票所に足を運ぶことが必要です。それ無しには、広げていくことができない・・・とにかく一人一人の行動から変わっていくことを私は伝えられる人になりたいと思っています。
 ちなみに常設の選挙関連費用約4千5百万円、市議選挙費約6千5百万円、そして都知事選挙費約3千万・・・合計で私たちは今年、1億4千万円ほどを「選挙」・・・民主主義ルールのために使うのです。

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2003年04月03日

ほんのりと まわりを囲む さくら色

日に日に桜が広がっています。桜の木のまわりの空気もうっすらと桃色です。乞田川沿いは一番、いい頃合いです。花びらが散るわけでもなく、花が風でゆらゆらしている時期が一番きれいだと思います。
 多摩市の市議会ウオッチングが作成した「議員の通信簿」を改めて眺めていました。不十分さはあるけれど、市民が自分の出来る範囲やわかる範囲で議員の採点をするのは面白い取り組みで、私はこういう動きこそが「変える力」を大きくしていくのだと思っています。
 私はちょこっと1年間だけ議席に座っただけなので、もう一人の補選で当選した議員とともに採点からは除外されていたので、ちょっとほっとしたものの残念でした。
 この採点表は4年前の選挙で掲げた公約をきちんと一般質問でとり上げたかどうか、そして持ち時間をどのくらい使ったか?を根拠にしてあり、そして傍聴者から見た一言コメントつきとなっています。でも、これを見ただけではなかなか議員の顔が見えてきません。一番重要なのは、「公約」をどのような観点から採り上げ(議員個人の視点)、そして質問をしたのかだと思うので、この「議員の通信簿」を見ただけでは恐らく市議会ウオッチングのメンバーが伝えたいことの半分以上が伝えきれていないのではないかと考えています。とは言うものの、4年間の議員一人一人の議会活動を集約したエネルギーはすごいと思います。
 私は、さらには議員がこの採点結果をどう受け止めたのかまでを、把握するべきだと考えています。それが双方向のコミュニケーションだと思うからです。ただ通信簿を作成して配布をしただけでは無意味で、それぞれの議員さんがどう感じたのかを聞くことが「通信簿」の充実へとつながるからです。もちろん反発もあるかもしれませんが、なぜ市民がこのような通信簿を作成しようと思ったのかを説明しながら、その議員と市民と間にある確執や壁を取り除いていくことが必要だと思っています。この垣根を越える努力は市民側にも議員側にも必要です。
 「通信簿」を作成した責任は実はとても重いのです。「通信簿」の価値を市民と議員が共有しなければ、せっかくの活動の存在意義まで問われると思うからです。
 私も含め、誰もが議会改革の必要性を訴えています。議員定数を削減したことも議会改革、活性化につなげるためだという主張もありました。私は議員定数の削減と議会の活性化という視点を未だ、結びつけて考えることは出来ないのですが、いずれにせよ、議会改革の必要性については市民も多かれ少なかれ意識していることだと思います。その意味では議会活性化に市民も参加してもらうために、せっかくの「議員の通信簿」を生かす方向で動いていければいいなと個人的には思っています。
 「公約」って何かなあと思います。自分自身の主張がもちろん実現することが一番ですが、必ずしも自分の主張ばかりが通るわけではありません。もちろん時間の経過とともに変更する部分もあると思います。私は変更したり、実現できなかったりした時にどうやって市民に対して説明をしていくのか?その上で自分としての責任を果たしていくことが最も重要なことだと考えています。責任の果たし方は議員を辞めることでもなければ、続けることでもなく、結局はその人自身の決断ですが、そこには、「個人の生き方」がきっと見えてくるだろうと思います。
 「公約」は実現するためにあるわけですが、それ以上に問われるのは「公約」を実現していく過程での自分自身の姿勢です。やっぱりそこには「嘘はつかない、誤魔化さない」が存在していると思います。私が一番大事にしたい姿勢です。

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2003年04月02日

春色の しずくの音に しばし聞き入る

雨が降っていると、どうも元気が出ないようです。今日は一日、事務作業をしていました。雨降りを口実に活動休止しているとも言えるかもしれませんが。
 いよいよ統一地方選挙ということもあり、公民館へ行くと「負ケルナ、20代」というチラシが置いてありました。テレビでもかわいい池脇千鶴ちゃんが選挙に向けたPRをしています。年々下がりつづける投票率を何とかしたいということだと思います。
 この前者のチラシは、総務省と(財)明るい選挙推進協会が発行しているものですが、私自身は本来は立候補者自らが、または多摩市議会としてもっと投票率を上げるための呼びかけをすべきだと考えます。多摩市では去年4月の選挙で投票率約40%。この結果をどう考えても、やっぱりこの投票率では、満足の行く市政運営はできないことは確かです。そして自分達の議員としての正当性も高めていく必要があると思います。
 私はとにかく「投票所へ足を運んでください。」という呼びかけをしますが、「行ったって意味無いじゃん・・・。」との答えが返ってきます。本当に期待感が全く失われている状況を思い知ります。
 ところでこのチラシですが①日頃から政治・選挙に関心を持とう。②選挙の時は、投票に積極的に参加しよう。③ルールを守り、きれいな選挙を心がけよう。・・・この3つのことが書いてありますが、これは選挙権を持てる20歳までに当然のこととして、認識すべきことなのです。
 つまり私は「教育」を変えることで、この3つのことも自然と身につけることが出来ると考えています「政治教育」というのはその在り方が難しく、先生の価値観を子どもに押しつけるような教え、イデオロギー、先生の主義主張を子どもに植えつけることの危険性もあり、教育プログラムの中から遠ざけてきた存在だったと思います。でも、私は政治、特に選挙の重要性を教育の中で習得していかなければ、突然権利を行使しろといわれても難しいと思います。「何のための権利なのか?」「この権利が何に役立つのか?」がまったくわからないと思うからです。
 例えば、喫煙権や飲酒権については20歳になり、獲得出来ることの喜びがあると思いますが、選挙権も本当はそれと同等の価値があることを伝える必要があります。
 では、それをどうやって教育の中に取り入れるかという時、思い出すのは「模擬投票」です。海外では大人たちの選挙にあわせて、子どもたちも学校などで投票ごっこをします。つまり選挙が大人たちだけのもので無く、子どもたちのものにもなり、それこそみんなが選挙をしていると状況があるのだと考えます。もちろん子ども達は候補者の政策についても学ぶそうです。「教育政策」は子ども達に直接かかわってくることなので、それが自分にとってはどうなのか?を子ども達なりに判断するのです。
 東京でもある都立高校では模擬投票を実施しています。政治経済の授業の中でです。実際の投票日過ぎに公表される生徒達の投票結果はなんと大人達の結果とだいたい同じような傾向を示すそうです。生徒達もはじめは面白がっているようですが、そのうちに真剣に「選ぶ」をし始めるそうです。そして両親と選挙について会話をし、むしろ親のほうが「子どもに目覚めさせられた」というくらいに波及効果もあると聞きました。
 私は模擬投票のような仕掛けをすることで、PR誌に載せられている3つの事項はおそらくクリアできると考えます。そもそも、選挙制度はこの国のルールとして当たり前のことなのに、それが全く機能できていない状況に、本当はもっと危機感を抱く必要があると思います。本当に求められている「政治教育」を遠ざけてきた結果としては当然の状況です。つまり、高齢になるほど投票率が高いというのは、選挙権を得てからしばらくしないと、「選挙をする意味」がわからないからだと考えています。「選挙」というリアリティを感じないからでしょう。
 今、その「選挙の意味」を感じない人たちが年齢にか変わりなく、増えつつある状況の責任は一体誰にあるのかを、誠意持って考えるべきは「政治家」です。だからこそ、候補者は盛りあがるかもしれないけれど、それに反比例して、ますます冷え冷えとしていく有権者たちの「心」を変えていくには、やっぱり「選挙」というものの大切さを候補者一人一人が伝えていくことが一番の近道だと思っています。

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2003年04月01日

花開き 桃色の陽に 心がなごむ

新年度がスタートです。永山駅でも新入社員風の団体を見かけました。乞田川では桜が咲き始めています。テレビでは東京の桜が満開になったと言っていましたが、多摩はまだ5分咲きくらいです。今週末には聖蹟桜ヶ丘で桜まつりがあり、来週から小学校、中学校の入学式があります。ちょうどそのころに満開になればいいなあと思っています。
 私も気持ちを新たに次のステップへと向かいたいと思います。去年も「今日から出勤しないんだっけ・・・」と非日常感を持って4月1日の朝を迎えました。今日はたま広報に「平成15年度当初予算特集」ありました。でも、これだけ見ても一体、多摩市の財政状況がどのくらい厳しいのかがなかなか伝えられないように思います。
 「家計におきかえると・・・。」としてせっかくいいコメントが載せられているのに、「足りない分を貯金を取り崩したり借金をしたりして生活する」・・・でもその貯金が不足していることを知らせて欲しいと思いました。私もそもそもの危機感はいわゆる「普通貯金」を食い潰すしかないという状況に、これでは‘まち’の持続はあり得ないと思ったからこそ生まれました。今回の予算は「何とか組めた」状況にあるのに、そのことがこの特集号ではあまり伝えられていないことが残念です。
 今、一番必要なことは「どのくらい厳しいか」ということをもっとリアリティ持って伝えることだと思いますが、それはなかなか難しいこととも言えます。でも、難しいからこそ、そこに創意工夫の面白さがあります。月並みの「厳しい」という言葉では、赤字国債を発行している状況にそれほどのリアリティを感じられない私のように、本当の危機感が生まれないと思っています。
 そして、そもそも「ちゃんと税金を払ってるんだから、行政がちゃんとやればいいだろ!」と思う人も多いと考えます。そういう意味ではこの状況が発生するまでの経緯なども含めて、本当に市民に対して誠意ある情報提供と、説明責任を果たしていく必要があります。
 今後に課せられる行政への課題、そして議会に対しても同様ですが、ますます難題が増えるように思います。「お金があったからごまかせた部分」が少ないにしろあったように思うからです。当然ながら「ごまかし」を払拭する必要があるし、すでに「ごまかし」も出来ないほど硬直した状況に置かれている事実をもっと直視していくべきです。
 この厳しい状況をどうやって乗り越えればいいのかと考えながら、ふと、川沿いを見れば、まったく何事も無いかのように桜が咲いていて、心が一瞬穏やかになるのでした。

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2003年03月31日

明日への力に

 乞田川の桜が少しずつ咲き始めているのを眺めて、去年は桜がもう少し早く開いていたことを思い出しています。
 今日は会派交付金としての政務調査費の最終報告を作成しました。年間27万円で、一ヶ月では2万2500円。交通費は上限が一人あたり6万円なので、一ヶ月でだいたい目安として5000円です。結局、私の会派(生活者ネット)では政務調査費をすべて使いきることはしませんでした。というよりは、むしろ「どこからどこまで・・・。」を政務調査費から支出してもいいのかという基準がわからないので、わかりやすい例えば視察や研修に参加した費用について使わせてもらいました。
 政務調査・・・ということでは書籍を購入したりする費用も支出できるわけですが、例えば購入した書籍は誰のものになるか?とか突き詰めて考えて見た時に、非常に難しいなあと思います。議員控え室でみんなで共同で使用している法令集などは追録を含め、議員の入れ替わりがあっても随時、その書籍を引き継いで使用することが出来ます。けれども、個人的に購入したものについては、一体どうするのか?という部分はなかなか整理しきれていないと思います。
 会社などで本を購入した場合には、必ず購入日と会社の印鑑が押されます。そして例え、その時は個人的に使用をしていても、必ず書籍保管記録簿にチェックされているので、使用期間が終われば、それは自動的に共通の財産として誰もが使用出来るように本棚に並びます。・・・となれば、もし政務調査費から購入した本などは議会図書室(あまり図書は充実していないし、使われていない)に保管するなどした方がいいのかもしれません。
 私もこの1年間で、かなり書籍を購入しましたが、結局「私物」として使用したいので、これを政務調査費から支出することはできないと判断しました。
 実は、多摩市議会の政務調査費について、領収書を含む一切の資料を開示請求した人がいるそうですが、「領収書は存在しない」との理由で拒否されたそうです。今年の夏のことです。そして「領収書を添付することが要件となっていない」という見解でした。やはりこれでは市民は納得が出来ないと思います。私自身も自分がきちんと政務調査費を運用していることを伝えたい、そしてそのことが市民が議員の活動を理解できる一端にもなると考えます。開示請求した市民に対して、応えきれなかったというのは在り方として考え直すべきだと思います。
 私たち議員は、1年間の政務調査費については、領収書を添付をし、議会事務局に対して、すべての活動報告とともに使用明細書の報告書を提出します。そして事務局はそれをチェックをしますが、最終的には領収書などは会派できちんと保管しておくことにはなっています。これらは、公文書の扱いではないので、市民に開示をするかしないかは各会派次第になります。
 3月議会では政務調査費が増額されました。そして議会事務局の方は「実は政務調査費は活動の一部を補完する役目なんだ。」と教えてくれました。もちろん私が1年間にやってきた活動の一部として、政務調査費を使っての活動が存在します。でも私の全ての活動を換算するのはとても難しく、そして政務調査費の支出基準もそれほど明確ではないので、本当に支出先として適当かどうかの判断も難しいのが現実です。つまり政務調査費を全て使用しなかったとしても、全く活動をしていない・・・とは言えないわけです。
 それに、視察にあちこち出かけたり、さまざまな研修に参加して忙しいことが議員の活動として結びつくとも言えません。そう考えてみれば、政務調査費とは非常に使い方の難しいお金だと思います。自分自身が調査や研究をし、そして何を学び、何を得て、そして何をつくりあげていくのか?という部分がまさに問われるはずです。
 だからこそ、政務調査費の在り方は、市民の方々ともっと議論をしていく必要があると考えています。
 その問題点を考えてみても、私は何とか解決の道筋を見つけていきたいです。この気持ちが私の明日からの力に変わっていくに違いありません。

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2003年03月21日

もう戦争はいらない

 文教常任委員会を傍聴しました。この議会は、日程がぎっしりなので、一日に二つの常任委員会が開催されています。そのために厚生産業常任委員会の様子は後から他の議員に聞く必要があります。
 さて、文教委員会では教育関係全般を審議します。私が今日注目をしていた案件は2つの陳情でした。一つ目は12月の議会に審議がかかり、そのまま継続審査案件になっていた「30人学級(少人数)の実現を求める請願」と今回提出された「教育基本法の改定に反対する意見書の提出を求める請願」でした。どちらも多摩市教育委員会の教育方針を問うものだったと思います。
 30人学級については、今でもニュータウン地域の小規模校では1クラス30人以下のところもあり、そして少人数での学習指導としては多摩市独自のピアティーチャー制度を導入しています。現在は40人以下で一学級の編成がされています。「ある程度の人数がいる方が子どもたちのパワーの育ち方が違ってくるし、子どもたちの社会性を身につけるためには人数が多いほうがいい」このような教育委員会の姿勢でした。現在のままで考えてみれば、確かに1クラス30人以下のところもあるし、ピアティーチャー制度で少人数指導に対応している・・・例えば30人学級にした時に現在、31人のところは15人と16人の2学級になるわけです。私自身はたくさんの人数がいる方が楽しくて好きなので15、6人ではちょっと寂しいかなあと思います。
 30人学級を求めている人たちは今の社会状況が昔とは全く異なっていること、この環境にあって子どもたちの状況を考えると、先生たちのキャパシティ等も考慮して、特に低学年で30人を実現して欲しいと考えているようです。もちろん私はこれについても反対するものではないなと思います。何しろ私は今の学校状況を直接に知っているわけではないのですが、伝え聞くところによると昔とは違って学習指導の前に生活習慣指導に先生たちはものすごくエネルギーを使っているといいます。昔の小学校1年生と比べれば、入学時点での子どもたちが身につけているマナーなどが全く違っているらしいです。
 そのことを思えば、私は先生の大変さもわかり、先生たちの眼がきちんと行き届くためには30人を限度にする必要性があるのかもしれません。というのも多摩市ではこれから「多摩市立学校の一定規模及び適正配置に関する審議会」が発足しますが、もしこの審議会からさらに学校の統廃合が進むような答申などが出された場合にはクラス規模が当然大きくなってくることも予測できるからです。
 そもそもこの審議会で話し合われる「一定規模や適正配置」の方向性ですが、「市内全域の学校を全て同じ規模にする」ようなことを目的とするのでしょうか?私は学校選択制が導入されたことで発揮されるのはそれぞれの学校が地域との関わりの中で、その風土(地域の人とのつながり)を生かしながら独自の学校色を作っていくことにあると考えていました。つまり一番小規模な市内の竜が峰小学校では全生徒が70名ほどで、家庭的な雰囲気の中での指導が行われています。私はこれは特色として残して欲しいと考えています。一定規模に該当しないから・・・という判断をしないでもらいたいです。もしかすると家庭的な雰囲気の教育指導を求めて市内の他地域から竜が峰小学校にやってくる子どももいるかもしれないからです。
 そういう意味で私はこの審議会が求められているものがいまいち良くわかりません。ここに何を求めているのかがハッキリしないからだと思います。
 少人数学級を求める請願は趣旨採択になりました。ところで「教育基本法改定に反対の意見書提出」についての請願ですが、今日教育基本法改正の中間答申が出されました。この請願は現在の状況は教育基本法の理念をまだまだ実現できていないのに改正する必要はないという立場でした。今日の中間答申など見てみないと改正を反対するのかしないのかわからないし、「良い方向」に変わるのならば改正していいのではないか・・・という意見が出されました。結局は採択、不採択同数だったので委員長採決で「不採択」となりました。私が現在の教育基本法で最も嫌いなのは「人格の完成を目指し」となっているところです。そもそも「人格の完成」という響きが私は嫌いです。でも、今の教育基本法改正の動きの中で求められている「愛国心」については少々違和感があります。
 市の教育委員会として「基本法の改正をどう考えますか?」という問いは非常に難しいと思います。なぜなら、法律に縛られるのが地方自治体だからです。でも私は、少なくとも今の多摩市内の学校の様子を把握する中で法律改正をする必要がありそうかなさそうかについての客観的な判断はできると考えています。でもそれを明らかにしていないのが現状です。なんだか煮えきらない議論で終わってしまいました。

 お昼休みに「イラクへの攻撃開始」を知りました。多摩市議会でも3月議会が始まってすぐに、世界の緊張関係を緊急事態と判断し「イラク攻撃反対」の意見書を国に提出しました。先日には都内で大規模なデモがありました。でも「反戦」の声が届いていません。私は日本政府が戦争を追認している限りは、どんなに私が戦争反対であっても「戦争に参戦」していることになると考えています。日本の市民は自分の手を汚さずして戦争をしているのです。恐ろしいことが起こっているのだと思います。本当に悲しくてなりません。そして自分たちが参戦していることを感じられない日本の社会に私はやりきれなさを感じています。

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2003年03月15日

地域の問題を普遍化すること

 全市的に見ると本当にさまざまな課題があります。その課題に優先順位をつけて解決していかなければなりません。行政の仕事として一番大きな割合を占めるのは、言うまでもなく「福祉」だと考えています。
 でも「福祉」とはとても難しい言葉です。「幸せ」な生活を送るために行政がやるサービス分野と考えれば、すべて行政がやることは「福祉」につながるわけです。
 今日、諏訪団地の建替え問題の話しを聞きました。私はこの問題を解決する糸口を早く見つけなければならないと思っています。諏訪団地の問題は約10年ほど前から取り組まれています。ニュータウンでも初期入居地域、築30年を超えています。当時はとにかく住居を造れと国策によって開発された土地と建物、建物はトッカン工事、じっくりと建築された建物とは全く異なります。建物の老朽化は激しく、長持ちできないわけです。
 今年度は多摩センターの活性化と子育て支援のサービスを強化していくとの市の方針が出されていますが、私はニュータウンの建替えにも目を向けなければ、みんなが沈んでしまうように考えています。市域の6割、人口も半分以上がニュータウン在住です。何とかして、大規模団地建替え計画を市として持つ必要があると思います。国や都に働きかけることはもちろんです。国と言えば公団ですが、公団も都も、ニュータウン区域にある未利用地売却に全力を注いでいるようで、市としては、同時並行的に、多摩センター駅前未利用地の活用方策に頭を悩ましているようです。でも、それこそ同時に、ニュータウン老朽化のことについて、もっと強く公団や都に働きかけなければ、「負の遺産」として市が負わされるツケはタダならぬものだと思います。
 「廃墟」という言葉があります。私たちは世界のさまざまな遺産をめぐると思います。海外の巨大都市を見物に行くと思いますが、私はもしこのまま何も出来なければ、ニュータウンも世界遺産の一つになっているかもしれないと心配しています。雨ざらしになり、風にさらされ、コンクリートは劣化していく・・・・・人はみんな快適な住まいを求めて、ニュータウンに別れを告げる・・・・こんな状況も想像できないわけではありません。
 母の友人には多くの建築家がいます。最近知ったのですが、「居住福祉」という権利があるそうです。「安心して、快適に雨露を凌げる家がなければ、人は心を落ち着かせて生きていくことは出来ない」というわけです。私は今、ニュータウンで課題になっているのはまさに「居住福祉」をどう保障するかだと考えています。
 今日は建替え問題に取り組んでいる管理組合の方に話しを聞くことが出来ました。彼らは自分たちの問題がニュータウン全体の問題であると言いました。私も同感です。目先の利益だけを考えただけではないのです。今、団塊の世代の方々が多く住んでいるそうです。私の両親世代です。私と同世代の子どもたちは皆、転出しています。私の同級生も、ほんの数人しか残っていません。彼らもそのうち出て行くと思います。取り残されているのは年配者。ひっそりとした「まち」が未来に「遺跡」となってしまうやもしれません。最悪の事態は避けたいです。そのためにはニュータウンに対する危機感を市民ひとりひとりが自分の問題として考える必要があると思います。
 私の出来ることは、この問題をもっと多摩市全体に普遍化させて考え、そして理解者を増やすことだと考えています。

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2003年03月09日

わたしの「つうしんぼ」

 今日はわたしの「つうしんぼ」の最終集計をしました。ステイツマンのメンバーがアンケート回収をした分とFAX、メールで届いたものは全部で約40通ほどです。これが多いか少ないのかについては色々な見方が出来ると思いますが、私は約40人もの方が採点してくださったことに本当に感謝しています。というのも私のことを「見たことがない」方、そして「駅頭でだけ見たことある」方も協力してくださったからです。
 もちろん「つうしんぼ」の取組みには今後の活動を充実するために、「ほうれんそう」のテーマ設定や情報公開度合いなどを把握する目的があります。でも、それ以上に重要なのはコミュニケーションです。市民と議会との架け橋になるためにはやっぱり、一方的に情報提供をするだけでは不十分です。特に出会ったことのない人、駅頭でしか私を見かけたことがない人からの声は本当に貴重だと改めて感じます。そして、市民一人一人の声をキャッチするのがどんなに難しいことで、もっと苦労しなくてはダメだということもわかりました。
 この取組みで見えてきたのは双方向のコミュニケーションに必要なのはやはり「努力」だということです。地道にコツコツと人と会うことでしか本物の情報共有は出来ない…そのことを実感して、残りの任期の毎日を過ごそうと心新たにしました。

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2003年03月02日

いつになっても答えられない質問・・・?

 ステイツマンを取材したいとCS放送のテレビ局の取材がありました。統一地方選挙があるからか、ステイツマンの取組みには注目が集まっています。取材の一環でインタビューを受けることになったのですが、想像していた通り「どうして政治家になろうと思ったのか?」という質問からスタートしました。
 実はこの質問は私の中で、尋ねられたくないランキング1位です。というのも私には漠然とした「(やっぱり)今よりも良くしていかなくちゃ」という思いだけがあっただけで、具体的に「政治家志望」で活動をしてきたわけでもなく、自分が「こうなったらいいな。」という思いを自分なりに叶えられるようにと地域の活動へと参加してきたことの延長に今の‘私’がいるとしか思えないからです。だからこの質問をされると「来たかァ・・・」と軽いノックアウト状態に陥ります。なぜなら、地域活動をしながらでも、もちろん自分の思いを叶える場所はあるからです。もちろん今日のインタビューも、あまり上手く答えられずにいたので、帰り道では就職活動とステイツマンの審査の時以来に、ちょっぴり真剣な「自己分析」をしてしまいました。
 その結果出てきたのは、やっぱり私のこだわりは「自治」にあるなあということです。去年、立候補をした時には全然意識していなかったけれど、私は‘まち’に自治基本条例を制定したいと思っています。それは、自分が議員以外の職業を持ちながら、地域で暮らす時に最も必要なツールだからです。市民参加や市民参画と言うけれど、そのことが権利として保障されなければ意味がありません。
 つい最近読んだ(随分前に書かれた)ある本には、国への地方の参加と言うけれども、地方の参加の権利(地方の権限や権利)を制度で保障していない中では‘絵に描いた餅’で終わってしまうと書いてありました。つまり中央集権で、結局は地方が意思表示をしたとしても、そのことが生かされない体制を批判するものでした。だから地方分権しなければならないという趣旨でしたが、私はこのことが市民参加、参画、協働にもそのままそっくりあてはまると思います。
 国にお金がなくなったから、地方で考える、地方もお金がないから市民(住民)で考えることを推進しようとする・・・全く今の分権の進められ方にはいささか不満ですが、それでもようやく「自分たちで考えて行動をする」という実感が持てるような時代に入ってきたことは喜ばしいことです。だからこそ地域が元気にならなくてはいけないと感じます。それには社員が元気な会社には勢いがあるのと同じように、市民が元気であることが不可欠です。
 自治基本条例はその扉を開くものになると考えています。だから私はこの条例を制定したいと思います。これが、ある意味で「どうして政治家になろうと思ったのか?」についての回答になりそうです。

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2003年03月01日

わたしの「つうしんぼ」

 今日は雨。しかも昼過ぎからはかなりなきつい雨降りになりました。けれども真冬の痛みある寒さに比べれば少しは和らいだ冷たさでした。
 わたしの「つうしんぼ」企画の方もそろそろ終盤戦を迎えていますが、今日はステイツマンのメンバーが突撃隊を結成して、「つうしんぼ」を集めに出かけました。私は「つうしんぼ」の採点が返ってくる度に、この試みをやって良かったと感じます。採点結果は宝物です。明日からの活動へとつながるからです。活動の方向性を見直したり、自分の在り方を再確認するためにはやっぱり「議員」を見ている人たちの声を大事にしていかなければなりません。厳しいことを指摘してくれる人ほどありがたい存在だと思います。
 議員の活動として、任期中最後の議会を迎えようとしています。「当選を自分の力と思いたくなる日がきます。(例えば一緒に選挙をした仲間から批判されることがあったときなど)当選者はいつも他人の力でしか生まれないことを忘れないで下さい。」大学時代の恩師からもらったメッセージを改めて思い返しています。当選だけでなく、私の議員活動も決して自分の力だけでは生まれていないことは確かです。
 私は「公共」を問い直す必要性があると考えてきました。今までは「個の利益よりも全体の利益が優先するという考え」が公共の概念でした。そんな中でのまちづくりは、「公共性」についての判断の大部分はは議員個々人に委ねられてきたように思います。でも私は「公共」は、関わる人々なりに、個々人が持つ利益について、相互に調整しあいながら形成されると考えています。つまりどの範囲を「公共」とするかについては当事者同士でしか編み出すことができないのです。だからこそ私は「公共」を編み出すプロセスをもっと重視しながら進められるまちづくりをしていきたいと考えるのです。
 つまり議員活動についても同じで、自分自身だけで「公共性」を判断するのではなく、私の活動の「公共性」を紡いでいく必要があります。そのためにステイツマンと私が「つうしんぼ」企画に挑戦しているのだと思います。ある意味で「議員とはどうあるべきか」の答えを探し、考えていくきっかけだと思っています。これはなかなかの難問です。でも議員が「公共の人間」であるならば、先にも書いたように、周りの人々の力がなくてはその「公共性」を高めていくことは出来ません。市民とのフィードバック重視で活動を組みたてていく手段として「つうしんぼ」をぜひとも活用したいと考えています。市民によってしか「議員」は生まれないし、創られないのだと思います。

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2003年02月26日

「時間をかける」が大事

 今日は夜に2つの会議が重なってしまいました。一つは「住井すゑ百歳の人間宣言」の上映に向けての打合せ、そして高齢者いきいき祭の企画運営委員会です。「あら、忙しいのにこんなところに来て大丈夫?」と心配の声をかけてもらってはじめて、こんな時間にひょっこりと会議に顔を出している私って変なのかな?と思ってしまいます。
 けれども私自身は、市民と一緒にやっていくということの中で一番重要なのは、一見時間を効率良く使っていないと思えるような思考錯誤の時間を参加している人みんなで共有することだと考えているので、やはり私も参加を表明したメンバーの一人としては出来る限り会議に出席したいと思っています。
  今日、一通のFAXが届きました。映画「一票のラブレター」という作品のことを採りあげた読売新聞の記事でした。私もまだ観に行けていない映画ですが、若者たちが非常に感銘を受けるイラン映画だそうです。そのFAXには若い人たちが選挙に行かなければ政治の流れを変えられないと書かれていました。私も同感でした。辛いところです。「子供たちは選挙に行かないのよねー。」とこぼす方にしょっちゅう出会うからです。なぜ若い人は選挙に行かないのでしょうか?その一番の要因は「変わる」ことを実感していないからです。恐らくそれは若い人だけではなく多くの人が同じ思いを抱いていると思います。
 長野県の知事選挙を機に長野では有権者の意識が変わったと聞いています。一人一人がリアリティを持ててこそ、そのことが次の「変える」力にと結びついていくのではないかと私は長野を傍観しています。多摩市の一人でも多くの人が一票のリアリティを持てるように・・・そのためにはやはり投票率を上げていかなくては全くの無意味だと考えています。
 ステイツマンとの活動は思考錯誤続きです。例えば、より市民に声を届けるための朝遊説計画。永山駅では一般的にみんながマイクを持つ場所ではなく、東西南北と4ヵ所の立ち位置を決めて遊説をしています。これは恐らくちょっぴり珍しいと思います。これも思考錯誤です。でもそのことが少し効果をあげているとも思います。というのも私自身が、例えば北側から歩いてくる人、南側から歩いてくる人・・・・のようにの朝の急ぎ足の方の顔までを覚えられるからです。マイクで話しながら「あ、いつもの人だ!」と思う瞬間がうれしくなります。初めは4ヵ所で遊説をやるというアイデアは珍しすぎて「変」なように感じましたが、今まで約10か月ほどやってきた効果が自分自身に上がっているのにはつくづく良かったなと感じます。
 時間をかけるほうがいいこと、時間がどうしてもかかることの方がきっと多いんだろうなと思いながら毎日を過ごしています。そういう意味ではステイツマンと私がやろうとしていることには「時間をかける」愉しみがあるように思います。それを考えるとどんな風になるかわからない、ちょっと先に期待あり、不安もあり。いづれにしても「時間」を大事にしなくてはと思うのです。

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2003年02月14日

記録映画の試写会で「住井すゑ」

 今度の6月に平和映画を上映する会のメンバーを中心にドキュメンタリー映画「住井すゑ百歳の人間宣言」の上映会を開催します。撮影監督の南さんとのつながりで、私も参加しています。今日は試写会だったのですが、約50人くらいの方が足を運んでくださいました。6月の上映会では2000人規模とイメージしているのでこれからチケットを広げなくてはならないという一仕事があります。 
 私はこの完成披露の試写会に行ったので、今日は2回目を観ましたが、住井すゑさんという人の凄みを感じさせられます。住井さんの作品といえば「橋のない川」ですが、彼女はこれを執筆し始めたのは、何と56歳の時だそうです。びっくりしてしまいます。そして亡くなる直前まで、ずっと書きつづけていました。彼女は小学校3年生の時に幸徳秋水の大逆事件を目の当たりにして、「幸徳の敵をとろう」と決めたと言います。「橋のない川」は彼女の感性に響いたこの事件をずっと追究してきたからこそ生まれたものです。「人間はみんな平等」というのは、今の私たち若い世代にとっては、改めて何を今更・・・・という感覚かもしれませんが、住井さんの生き抜いてきた時代に「平等」という言葉はなかったのかもしれません。彼女は死ぬ直前までも、彼女の言わんとする「平等」を獲得するために戦いつづけていた気がしました。
 ところで試写会に同伴していた学生は「住井すゑを知らなかった」そうです。私は住井さんは有名人だと思っていたのですが、それほどではないのかもしれません。けれどもこの映画を見て一言「衝撃を受けた」と言っていました。彼の一言にそれ以上のことは聞かなかったのですが、私たち世代がこの映画を見るとやっぱり「考えさせられる」し、衝撃を受けると思います。だから私は多くの人に、この映画を一度見てもらいたいと思っています。
 撮影監督の南さんは「住井さんは年をとっても、ずっと元気で自分自身の敵と戦いつづけていました。「生き甲斐」ということかもしれませんが、多摩市でも高齢化を迎えて50歳以上の人もどんどん増えてきますが、ぜひこの映画の住井さんを見て元気をもらって欲しい!」という趣旨の挨拶をなさいました。私も同感でした。いつまでたっても自分の立ち向かいたいものや生き甲斐を持ちながらの暮らしは本当に人を元気にすると思いました。
 終わった後で観客の一人と話しをしましたが、彼女も「住井さんを見ていたら、私も「やりたい」ことはあきらめたらいけないと思いました。」と感想を述べていらっしゃいました。
 人が絶対に超えられないものは「時間」。そして「時間の前に人はみんな平等」という住井さんの言葉は私の心に留まりつづける一語です。

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2003年02月09日

ステイツマンが天声人語に登場!

 今日は朝からうれしいニュース。というのも朝日新聞の天声人語にステイツマンのことが・・・。取材を受けたことは聞いていたのですが、朝刊を手にしてびっくりでした。ステイツマンという小さなグループが動いていることの大きな意義を感じました。そして支援議員としての役割を再確認しました。
 私は自分の力で信頼できる政治家をしているわけではなく、ステイツマンとともにより信頼できる政治家、議員になろうと活動をしています。私はもちろん、ステイツマンにとってもどうあれば「信頼できる」のかについて明確な答えは持っていないと思います。その答えは自分たち自身でしか掴み取れないものだと感じています。つまりステイツマンとともに「信頼できる」を獲得するために、毎日の活動を積み重ねているのです。「毎週駅で見ているよ!」と声をかけてくれるおじさんに出会うことが出来ました。毎週重ねるごとに「ほうれんそう」をもらってくれる人が増えているように思います。わざわざ取りに来てくださる人もいます。これが「信頼」になるのかどうかはわからないけれど、私と市民の方との間にある扉にちょっぴりの隙間が開いたかな?と感じています。
 ステイツマンの凄さというのは決して拡大を考えないことです。もちろん会員の間口を広げ、会員数を増やすことでグループを、数の力を大きくすることも考えられます。普通は「大きくなる」を考えるように思います。けれども、ステイツマンはまさに「やり抜く」人を大事にしています。つまり「やり抜ける」人となれば、どうしても少数にならざるえないという悩みもあります。でも、そうであってもこれまでに6年間あまり継続して活動しているのです。活動はあくまでも「コツコツ」続けられてきました。
 天声人語に掲載されると一見、華々しい感じもして立派な感じがしますが、ステイツマンは地味なグループです。行間からだけでは感じることが出来ないくらいにとにかく地道な作業に価値を置いて活動をしているところです。それを一番知っているのは、そして彼らの活動にすっかり脱帽しているのは、おそらく活動をサポートしてもらっている支援議員だと思います。明日の朝もステイツマンが助けに来てくれます。毎週月曜日の早朝から一緒に「ほうれんそう」を配布してくれる、そして一緒に議会報告まわりをしてくれる、ポスティングを一緒にしてくれる・・・私にとっては「お手伝いしてくれるので、本当にありがたい」と考えずにいられないのですが、ステイツマンのメンバーたちには「してあげている」という意識は毛頭なく、みんな一同に「やりたいからやっている」との純粋な思いで行動をしているのです。そしてむしろ「一緒にやっているんだから、変に気を遣わないで欲しい。」とも言ってくれるのです。変な気遣いが生まれれば、そこには対等な関係がなくなってしまうからです。
 一年前、支援してもらうことが決まった時に私は「立候補する」を実感したことを思い出します。そのくらいステイツマンの面接は密度濃く行なわれます。じわじわと「やるんだ!」という思いがわいてきて、ステイツマンとともに新しい政治の流れを創ってみたいという意欲が生まれました。今、どこまでそのことが出来たのかはわからないけれど、とにかくステイツマンと一緒に活動を出来ていることが私に大きな力をくれていることは間違いないと思います。

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2003年01月27日

ネットの主張は・・・

 月曜日は相当雨降りの日が多く、今日も朝から雨模様。雨と寒さを跳ね返す演説も辛いものがあります。それでも「ほうれんそう」を受け取ってくれる人を見ると励まされ、うれしくて「がんばらなきゃ」と思います。
 今日は休息日として過ごしました。これから4月までの間に選挙を抱えながら、議会ではしっかり責任を果たさなくてはならないし、考えるとちょっぴり「どうしよう・・・。」と思ってしまいます。選挙の時期を何とかできないものかと感じます。3月議会は予算の委員会もあって忙しいと聞いてます。そのことを思うと3月議会できちんと役目を果たすためには4月選挙は少々スケジュールが厳しい感じです。やっぱり何はともあれ「選挙」ということになると落ちついた議論って出来るのかなあと自分自身のことを思っても不安になるからです。でも考えたって仕方がなく、とにかく議員としてやるべきことに手抜きをすることは出来ません。
 事務所に行くと1通の手紙が届いていました。「ほうれんそう」の読者からの感想が届いていました。選挙政策について「お客さんの喜びそうな品目を並べて、とりあえず客数を増やそうとするようにみえます」とありました。「その先にある姿はどうなのだろう」と。「世の中金を得る側とそれを使う側との組合せでしょう。後者ばかりの主張では前者の人たちは理解できないでしょう。」と書いてあるのです。
 改めて選挙政策を見てみました。政策はもちろん「くらし」に関わる全てが網羅されています。確かに「言うは安し」かもしれないと思います。でも政策全てに共通点があります。それは「自分たちで出来ることは自分たちでやる」という『自治』の考え方です。政策では全て「行政も責任を負う」部分、そして地域レベルで自分たちも責任を担っていく部分、むしろ積極的に担っていくという方向にあると考えています。それが「まちづくり」だからです。そのことを少しでも感じてもらえるようなパンフレットになっていなかったかもしれません。そう思うとちょっぴり残念です。そこを私がどうカバーをして人に伝えていけるのかが勝負だということが認識できて良かったとは思いますが。
 何はともあれ「金」で人の関係はつくれないことはわかっているけれどでも現実には「金」の持つ力の大きさは否定できず、私たちの主張も「金を得る側」の人たちには理解ができないこともあると思います。でも私は「金」ではつくれない関係を少しずつでも広げていきたいと思います。お金の循環が悪くなっている今だからこそ、ネットの政策の意味をきちんと伝えていける可能性が広がっていると考えます。私はネットの政策を実現するためにはもっと私たち市民一人ひとりが考えて行動することが不可欠だと感じてます。だからこそ私はまずは自分から行動をしていきたいと思っています。そして共感してくれる人を増やしていきたいです。これが不十分かもしれないけれど、今の私が考える最大限出来る事です。その上で私はネットの掲げる一つ一つの政策の実現に向けて学習をしながら、行政に提案をしていこうと思っています。

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2003年01月26日

「格好つけ」ても始まらない

 多摩障害者福祉協会の新年の集いに出席する前に、永山駅で議会報告をしていました。私はとにかく多くの人に「議会」という存在を知ってもらいたいと思っています。選挙の前だけに「はーん、議会ね・・・選挙ね・・・うるさいなあ。」と市民の方に感じさせてしまうこと、言わば急に市民と議員や市民と議会とが急接近する構造を変えたいのです。そのために、本当は議員個人個人ではなく「議会」全体としての取り組みも必要だと思っています。でも、これはなかなか難しいことです。街頭演説の活動などはやはり個人的なPR要素の方が強いからです。
 実は今日は議員の定数が削減されたことを話していました。するととっても恐い顔で私の方をにらみつけてくるおじさんがいるのです。あまりの目つきの鋭さに私もそっちの方向を見ないようにしてしゃべっていると、突然に大きな声で「かっこつけるな、お前たちは議員定数に反対したんだろ。」と言われました。そしえ「おれも議員だよ!」とおっしゃるのです。私は多摩市の議員ではないで、一瞬キョトンとしてしまいましたが、そういう声は聞こえなかったことにして話しを続行しなくてなりません。結構辛い・・です。これも私がたった一人だとどうしようもなくおそらく演説中止になっていたと思うのですが、救世主はやはりステイツマン。怒りに満ちたおじさんに走りより、話しをしてくれていました。
 彼はどうやら近隣市の自民党所属の議員さんらしく、そこの議会でも「ネットが議員定数削減に反対した。」と怒っていたそうです。私自身は「かっこつけるな!」と言われたわけですが、どうして議員定数削減に反対した理由を述べていることが「かっこつけていること」なのでしょうか?私はきちんとした議論をしたいと思っているので、今回の議員削減の提案理由に納得がいかなかったことを強調しています。とにかく市民参加が制度的な保障を得ること、そして本当に議員を削減してでも議会費を削るとするなら、もっと議員を減らすとか、議員の手当てそのものをカットするなどの選択肢も議論すべきだと思います。そして不況で苦しんでいる市民生活の痛みを分かち合うならば、自分自身の手当てをカットし、自分の生活そのものを犠牲にすべきと思います。議会費を削減したいというわりには、政務調査費を年間一人あたり12万円アップを提案している議会の矛盾にどうして同調出来るのでしょうか?
 とにかく怒る議員でしたが、私は他の自治体の状況は知りません。私は多摩市の議会における議論は不足していると思うだけです。今日のように演説している私に怒鳴りたてる人に出会うのは初めてで、ある意味「こんなこともあるんだ。」と勉強になりました。
 そしてステイツマンには本当に感謝しています。私の主張などはステイツマンのメンバーとも議論をしています。なので私たちは今回の問題についても共有しているのです。同世代のつながりが持つ力強さを感じます。私たちは同世代として、今の議会をもっと改革しなければいけないし、そのためにはまず議会と市民との信頼関係をつくっていきたいと思っているのです。そして私がいる多摩市で私たちの思いを少しでも実現したいと考えています。もうはや2月です。ステイツマンと一緒に活動してきて、ちょっぴり何かが変わったのでしょうか?全く変わらないようにも見えます。でも変わったところもあるのかもしれません。私が変わったかな?と思えるのは、「ほうれんそう」を受け取ってくれる人が以前よりも増えているところです。
 それにしても「かっこつけるな。」という罵声でしたが、そもそも議員とは「かっこつける」存在ではありません。そんな風に言われてがっかりしてしまいました。議員である彼は、おそらく議員は「かっこつける」モノだとは思っているのではないかと感じたからです。

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2003年01月22日

よく考えてみると。

 自治労の新年旗開きに参加させてもらいました。私はまだまだ職員の現場を知らないし、私よりもよっぽど職員の方が経験も知識も豊富ということもあって話しをしたいと思っているからです。何だか議員というだけで端の席へ案内され、しかも同じテーブルには市当局として助役と人事課長、係長の3人と一緒。ちょっぴり隔離されているようにも感じました。おかげでいろんな職員の人と話しをする・・・という私の目的は達成できず。それでも何人かの職員の方とお話できたことはうれしいことです。
 同じテーブルにはあと二人の議員もいました。そのうち一人は助役がやってきた途端に来年度予算の編成の状況について話し始めました。多摩市として公共施設の中・長期にわたる修繕計画がない!ことが良くないのだと助役に対して迫るのでした。確かに・・・その通りです。公共施設を建てるのはマイホームを建てるのと同じ気持ちにならなくてはなりません。私は常に『お金』問題を考える時に、自分自身のお財布に置き換えたり、資産運用をするとしたら・・・みたいにしてイメージするわけですが、これは結構いい捉えかたかもしれないと思っています。それにしても昨日の学校跡地問題の資料を見ても、多摩市の厳しい台所事情があるわけで、中・長期修繕計画を持ってこなかったことは更なる悲劇です。
 でも、私はふと思ったのですが、実はそのことを熱心に語る議員だって約10年以上前から議会で発言をしていたはず・・・・もっと前にそのことを指摘できなかったのか?ということです。思わず「あら、そんなに必要ならどうして10年前に強く発言してこなかったのです?市だって悪いかもしれないけれど、議員としてだって責任があるのでは?」と尋ねてしまいました。すると「そうなんだよ。」。10年前ほどには気がつかなかったんだそうです。10年前なんて私はまだ中学を卒業する頃。その当時は「バブル」なんてことすら意識してなかった時代です。今、その時代のツケを残されて問題解決をしなければならない私たちの世代・・・「何も悪いことしていないのにな。」と思います。でも時間はつながっています。だからこれまでにやってきたこと、してきたことは全て負わなくてはならないのです。
 会話のヤリトリを聞いていると「バブル時代」には、本当にみんなが錯覚に陥っていたんだと思います。まさに今、「夢破れたり」です。そんな風に考えると、暗い気分になってしまうわけですが、やっぱりこれをバネにしなくてはならないと思います。その時代が過ぎたからこそ気づいたことを生かしながら切り拓きたいと思います。それにしても、ただいま社会全体が「入院中」という感じです。誰がどんな手術をすればいいのか、手当てすればいいのかすらわからずに、いつまでも…こんな状態が続くのでしょうか?それは多摩市でも同じです。あちこちに一時的な緊急手当てだけをやっていてはダメだと思っています。
 「おっ、なにか市役所が活発に動き始めた」とか「何かやり始めたみたい・・・。」という空気を市民にじわじわと伝えることが出来るように市役所が変わったとすれば、‘まち’の人々も変わってくるように思います。そのためには職員のやる気が高まるような方策はもちろん、士気が鼓舞するような職場風土ってものすごく大事だと思います。
 最近思うことですが「待っていてもダメ!」ということです。市民全体の意識の高まりを待つのではなく、ちょっと「攻め」の姿勢で市民に挑戦してみたらどうかと考えています。どうにかして悶々としている空気を変えたいと思っているのはきっと私だけではないと思います。

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2003年01月20日

「しつこさ」を持って

 午前中はステイツマンとミーティング。来月号の「ほうれんそう」についての編集会議などをしました。実は今月はほとんど‘身になる・実になる’活動をしたとは言えないので一体どんなテーマをとりあげようかとかなり悩みました。選挙の前で、ネットニュースも増刊されるのでテーマの重なりがないようにも考えなくてはなりません。
 今、多摩市にとって一番必要な事はやはり議会という場所を少しでも多くの人に認識してもらうことではないかと最近つくづく感じます。ほとんど意識されることなく議場が存在し議員が存在する状況に私は無力感すら覚えるからです。おまけに「あーあんなとこダメダメ・・・。」と面と向かって言われ、「だめよ、関係ないのよ私たちのことなんてね。」と残念がられると私も返す言葉がありません。一方で「でも、そこで‘まち’のことが全て決定されていくのに。」と思います。「ダメ」という人たちは「ダメ」だからこそ何か代案を出してくれるのでしょうか?そして行動してくれるのでしょうか?・・・蛇口をひねると出てくる「水」も政治なんだよ・・・ということをいちいち感じながら生活をするなんてうっとおしいですが、実はそういうことを認識することから始まるのかもしれないと思います。子どもは蛇口から水が出てくるのは当り前だと考えていると思うし、実際、自分もそうでしたが、自分自身で川や井戸へ水組みをしなかった世代にとっては水道、そして道路が「政治」であるなんて考えることすらしないと思います。
 今日、元新聞記者の方にお会いし、話しをすることができました。彼に言われたのは「念には念をいれること、丁寧さ、根気」でした。「どうしてなのか?」というしつこさを持つ必要があるということです。なぜあの人は「賛成なのか?」「反対なのか?」、表面だけで捉えるのではなく、その『理由』を自分なりに見つめなくては議員の仕事はできないというわけです。「みんなで渡れば恐くない」という社会ができあがりつつあり、彼に言わせれば、既に完成しているのかもしれませんが、「みんなで渡らないことの選択」にはそれこそしっかりとしたビジョンが必要になります。つまり「どうなるかわからないから、ちょっとみんなで渡ってみよう・・・」とするのではなく、「絶対に渡らない方が言い・・・と言えるだけの根拠」が示さなくてはならないということでしょう。ビジョンを持てるための「なぜそうなのか?」について追求する執着心に欠ける私にとってはちょっぴり耳の痛い話でした。
 でもこれって「どうして蛇口から水が出てくるんだろう・・・」と考えることからも始められるのかもしれません。

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2003年01月09日

代理人運動の原点

 議員を「代理人」として位置づける生活者ネットワークの運動ですが、そもそもの原点は生活クラブ生協にあります。協同組合の発想から生まれています。
 午前中に南多摩生活クラブ生協との政策協定のつどいがありました。生活クラブ生協も3年前から体制が変わったとのことですが、南多摩としての政策3本柱、さらに地域単位の重点政策が示されました。南多摩生活クラブは①学校給食の食品安全基準を自治体ごとにつくる②循環型社会を目指し、ごみ削減に取組む③子どもの権利が大切にされるまちをつくるの3つ、多摩市としては生協運動の原点として最重点課題『食の安全』を掲げました。
 生活クラブ生協では「まちづくり委員会」が地域ごとにあります。この委員会では‘まち’(自治体ごと)の組合員の声を聞きながら、商品の品質や新しい商品開発の提案、組合員の拡大などを行なっています。そしてまちづくり委員会とは別のプロジェクトも組織し、調査活動などをしています。学校給食問題連絡会では南多摩地区の自治体全ての学校給食の実態を調べ、3R推進プロジェクトチームでは各自治体のごみ処理ルールや施設状況、身近な店舗のゴミ削減対策調査などを行なっています。そしてこどもの問題については子育て支援のプロジェクトを立ち上げています。とりわけ、何よりもまずは自らが「子どもの権利」を学ぶ必要があるとの認識から「子どもの権利はなぜ大切にされるべきか?」という連続の学習会を開催してきました。私も子どもの権利についての企画には参加してきましたが、かなり密度の濃い活動をしています。プロジェクトの報告書では組合員を通じた子育てに関するアンケート結果が載せられ、これは行政への提案活動をするための材料にもなるほどです。その活動は消費財を購入するだけの生協のイメージとは全く異なります。この任意で参加出来る3つのプロジェクトを根拠にして南多摩生活クラブ生協ではネットとの政策協定を結ぶのです。
 もちろん私も一応、組合員に加入していますが、生協の活動にまで積極的に参加をしているわけではありません。今日の生協の政策発表を聞いて、生活クラブ生協の運動論が『自治』から始まっていることを強く感じたのでした。『自治』というのは自分たちが自ら問題発見をし、問題解決のプロセスを編み出していくわけです。けれどもどんなにいい解決方法を見つけたとしても、時にそれは議会の決定がなくては進んでいかない、つまり生活と政治が密着していることに気がつきます。そこに代理人運動が存在し、自分達の『自治』における議会の存在を認識するわけです。
 でも、ほとんどの組合員はただ商品を購入するために生協を利用するのだと思います。もちろん私も客観的に見ればその一人です。議員になり9カ月、つまり代理人運動に関わり9カ月ですが、私の「代理人」という意識は薄く、代理人運動をしているという実感もあまりありません。私の生活クラブ生協の活動への関わり方の問題なのかもしれないし、代理人という存在自体をどのように社会と結びつけていいのかについての自分自身の解答がまだ見つけられていないのかもしれません。 
 いづれにしても代理人かもしれないけど私は「議員」でもあるわけで、実は代理人として「議員」の立場を与えられることの難しさってあるよなあと痛感したわけです。これまでは生協の活動やまちづくり委員会で積極的に活動をしていた人の中から「議員」を誕生させてきました。今日のつどいでも、日々の生協活動をしていた方が予定候補者となっていました。私のように全く関係のないところから代理人運動に参加していく人は稀なケースです。まだ、私自身でも消化しきれていない部分はあります。議員になって以来ずっと「代理人とは何か?」を考えているからです。それは頭の中では理解できても、実感としてわいていないからです。これは私の大きな課題として克服すべきことだと思っています。でも、政策協定のつどいに出席したことで少しだけ解決の糸口につながるものに出会ったような気がしました。

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2003年01月05日

寒かったけれど

 今日は都議の新井美沙子さんと新年の挨拶まわりをしました。どちらかというと選挙も近いのでポスターを壁に貼らせてくださいとのお願いを兼ねてです。なかなか個人宅の壁などにポスターを貼ってもいいですよと気軽に引き受けてくれるお家は珍しいので、本当にありがたいことだと思います。
 選挙前で「地区割り」があります。私は市の北部、東部が割り当てなので、その地区以外に私の顔つきポスターは貼らないことになっています。違う地区に住んでいる人から、私のポスターはどこに貼っているのかという問合せが来ますが、それは住んでいる場所によって違うので、私の顔を見たければ永山近辺に来てください・・・との返事を出したばかりです。もっともネットでは無断で塀や垣根に張ることはしないので、他の立候補予定者のポスター数よりも圧倒的に目に付きにくいことは確かです。
 それにしても寒い一日で気持ちもダウンしそうですが、新井さんが一緒なので一応最後まで元気が持続しました。私は本当に寒さが苦手で、毎年この時期は活動としては冬眠期間。でも、そんなことも言う暇ないことも確かです。他の政党の立候補予定者に途中でバッタリ出会うと、その気持ちがますます募ってきます。
 選挙のために活動をするわけではありませんが、現実問題としては選挙に通らなければ意味がなく、心の中ではものすごい葛藤があります。でも理想論だけで現実を語ってはいられないのも事実。そう思うと「わりきり」って大事と思います。今からの数ヶ月「わりきり」を持って活動をしたことが成果に結びついて欲しいです。もちろん結びなくてはなりません。葛藤との戦いは正直言って苦しいけれど、そこに悩んでいる暇はなさそうです。
 寒さを超えて、そして葛藤を超えて、その先に本当に私が超えていく、超えなくてはならない壁がたくさんある・・・きっと。だけどGoing my way!なのです。

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2003年01月04日

伝えることが第一だから

 まだまだお正月モードが抜けきらず、朝はゆっくりとしてしまいます。考えてみたら、今日は普通のタダの土曜日です。シャキっとしなくちゃ!と言い聞かせて、午前中は事務所へ行き、昨日に引き続いて印刷をしたり、ポスターの準備をしました。それから、家の近くに1月号の「ほうれんそう」を配布しました。
 「ほうれんそう」も1月で第8号になりました。諏訪と馬引沢の地域と毎週月曜日の朝遊説の時に配っているものの、まだまだ定着していないようです。一軒一軒訪ね歩き、本物の私の顔を見てもらって、「ほうれんそう」を覚えてもらいたいなと思っています。「ほうれんそう」もステイツマンのアドバイスもあり、顔写真などを載せる工夫をしていますが、やはり情報の発信者そのものへの信頼をがなくてはなりません。ていねいに発信者である自分に出会ってもらうことは重要なことです。
 ポスティングをしても、宅配寿司やピザやマンション売買のチラシにまじってゴミ箱行きの運命になる「ほうれんそう」もきっと多いと思うので、まず手にとってもらえるように存在をアピールしなくてはなりません。 とは言え、これはまだ「伝える」段階にも至っていません。やっと「ほうれんそう」が認知されて、私の「伝える」が始まります。情報も一方的に公開しているだけでは無意味で、その情報が公開されているという事実を伝える努力は少なくともする必要はありそうだと感じる今日この頃です。あまりにも存在を知らされずに存在している情報がありすぎます。だから私も「情報共有」と言っているわけですが、まだまだ序の口で活動としては甘すぎると痛感しています。
 でも、不思議なのは「ほうれんそう」を届けると「まあ、偉いはねえ・・・。」と言われることです。けれども私はどうして「偉く」なってしまうのかがよくわかりません。とりあえずは「いいえ、どうしても覚えてもらいたくって・・・。」と答えます。
 今、「まち」で起こっていることや議会で話し合われていることを正確に伝え、それに対する自分自身の考えを示すこと議員としての最低限の役割と考えています。実際、その「伝える」手段がなかなか難しいです。Aという意見があり、Bという意見もありCという意見もあり、でも私はDという考えかたを持っています・・・という形での情報を提示出来ると市民は一番うれしいのではないかと考えています。議会としても定例議会ごとに「議会だより」を発行していますが、これを見ただけでは、例えば陳情・請願に手をあげたかあげなかったかの賛否はわかるのですが、審議の経過はわからないからです。もしかすると最終的な判断がどうであったかのみわかれば足りるという人もいるかもしれませんが、もし私ならどういう意見によって賛成なのか反対なのかを知りたいと思います。
 議会に居ながら思うのは、何てたくさんのことが気づかれることなく決定してしまうのだろうということです。これはとっても恐いことです。今日も「ほうれんそう」で議員定数の削減について書いたところ、「あら、そうなの・・・。」という反応がありましたが、こういう状況は全く好ましいとは思えません。議会の存在する意義すら問い直したくなります。さらには「偉いはね。」と言われると、本当に市民と議員になってしまった市民との距離感がものすごく遠いことも感じます。
 私は今、「伝える」ための準備からはじめる必要があります。きっと私の「ほうれんそう」だけではなく、市議会そのものにも関心を持ってもらえるようになると信じて、コツコツと続けていきたいと思っています。

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2003年01月03日

ひたむきに、そして自分を信じてやりきること

 お正月といえば箱根駅伝です。中大出身の私としては力を入れて応援してしまいます。どの選手も、この駅伝のためにひたむきに努力を積み重ね、そして自分の力を信じて走りきっているのだと思います。最後まで走りぬいて、倒れ込む選手は痛々しいけどまぶしく映ります。私もそんな風に完走したいと思うからです。
 来週の月曜日の朝遊説に備えて、今日はニュースレター「ほうれんそう」を印刷しました。雪がちらついて、とっても寒い一日…しかもお正月三箇日なので、ハァ…中止したいなという弱虫に。けれども定刻どおりにステイツマンのメンバーが到着。この天候のせいか、テンションが妙な盛りあがりをしている彼らにのせられて、私自身もそれなりの気合いを入れました。午後いっぱいかけて印刷終了。これで準備万端です。何だか気持ちはすっきりです。
 家に帰ると、母が「無償でこんなにやってくれるなんてね…。」しみじみと言いました。私も黙ってうなずきました。私の力だけではなく、私の力以上に大きな力に支えられているんだと感じるばかりです。
 それにしても去年のまでのお正月3日目にはライスボウルの観戦、そしてバーゲンめぐりで忙しかったなあと思い出します。考えてみれば、OL時代の年末は会社帰りにデパートに寄ってはバーゲン前の下見をする毎日でした。そしてお正月明けバーゲンが始まるとデパート開店と同時に人ごみの渦にまぎれこみ、でも人ごみに根負け・・・それにも懲りずにを毎年繰り返していました。
 今はそんな生活とはもちろん無縁です。むしろ今年は、バーゲンに行く気力さえわかずに、とにかくゆっくり休息したくてたまりません。頭をゆっくり休めて、そして新しいひらめきが欲しいなって感じです。何となく重苦しいような閉塞感漂う雰囲気を明るく打ち破っていくような強さのことかもしれません。
 実は、今年のお正月はいつもよりも時間がたっぷりあって、ゆっくり過ぎている気がします。それはバーゲンの喧騒に紛れていないからかもしれません。そんな気分の不思議さを楽しんでいます。

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2003年01月02日

「鏡よ…かがみ」ではなくて・・・。

 今日は毎年恒例の大学時代のゼミの先生宅での新年会でした。約15名ほどが集合しました。いつもの「名物おでん」は残念ながら、おでんのネタが品切れだったとのことで、何とジンギスカンが今日のメニュー!さすが、北海道出身の先生、とっても美味しくいただきました。
 議論好きの集まりは、お酒が入るとノンストップ状態になります。その議論に私はあんまり参加できません。いろんな意見があるなあと思うことが楽しいし、勉強になります。最近、不容易に発言しないようにプログラミングされつつあることを感じます。聞かれたことに対して「イエス」「ノー」は答えるけれど、人の意見はどんな意見も大切にせよ…という姿勢をまず第一にしているからのようです。でも一方で、自分の考え方を適切に発言する場所やタイミングを心得る技術も磨かなければと感じています。ゼミの場に参加すると、正直、まだ自分として、そのことが感覚として掴めていないことがよくわかります。
 今日は先生にとても大事なことを提言されました。「壁を持つことが必要だぞ。」です。これまでは「自分を映す鏡が必要だったけれど、人は鏡をのぞくと微笑んでしまう…これではまずいんだよ。」というわけです。つまり、自分の考えや意見のひとつひとつを丁寧に確かめるためには鏡ではなく、壁を持ちなさいと言われたのです。この表現は言い得て妙です。「鏡よ、かがみ・・・」の白雪姫の世界になってしまうと危険であるという先生の指摘は何となくわかります。私がいろんな壁を所有するためにはまだまだ多くのところに足を運ぶしかないなと思っています。もちろんゼミもある意味では私にとっては「壁」な場所です。また、先生にはよく「議員になってしまうなよ。」と言われるのですが、これもまた言葉どおりに受けとめるのではなく、暗に意味するところを汲み取らねばなりません。難しいことを簡単な言葉で表現して、もっと難しくしてしまう先生マジックにはいつも頭を抱えてしまいます。
 先生は「議員って特別な存在なのか?」を常に問いかけてくれます。もちろん私は議員は特別な存在でないと考えているし、政治も特別なものではないと思っています。人が生きるということそのもの、人が二人以上集まれば政治が始まる…・と言われますが、政治の原点と言うのは「共存のルール」だと考えています。つまりは本来はみんなが政治家なのです。人が自分一人だけの力で生きていない以上は、みんなが「政治」に関わっているのです。そしてみんなでみんなの暮らしを向上させていくための仕組みづくりに知恵を寄せ合うのです。
 私はインタビューなどで目指す政治家像を問われた時、「普段着の議員」でありたいと言います。そのためには私の普段着度をチェックしてくれる先生や仲間を大事にする必要があります。それが先生の指摘する「壁」だと思います。今日もつくづく感じたことは、もちろん今後も仲間を増やすことは大切なことだけれど、議員になる前からの仲間は本当に貴重な存在だということです。
 去年の新年会はOL、そして今年の新年会は議員で参加したけれど、何も変わらないみんなが居てくれたことに心底うれしくて、ありがたいことだなあと感じました。

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2003年01月01日

新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。
 人生の一大転機を迎えた昨年は、本当に多くの人に支えられた年でした。たくさんの勇気をもらい、励まされながら乗り越えた年でもありました。心からの感謝をしています。
 私が頼りにしている先輩に言われました。「幸せはいつも過去形なんだ。」とても奥が深いと思いました。今が辛くても、未来のある時点から振りかえってみたら、それが「幸せ」なこともある・・・今年はこれをしっかりと心に刻んで進みたいなと思います。
 私自身は今年のスタートを飾る言葉『夢はいつでもあなたとともに・・・』を年賀状に書きました。「あなたが生きている限り夢がある。夢がある限り、きっとみんなが頑張れる。」という思いを込めてみました。そして私も夢を信じて、人を信じることを恐れないでいたいと思います。
 議員の仕事をやっていて一番辛かったのは信じることをあきらめそうになってしまうことです。誰が正しいことを言っているのかがわからない、噂も75日以上…人間不信に陥ってしまいそうになります。でも、私はやっぱり疑うことはしたくないと思います。事実から真実を見つめられるような自分になるために日々研鑚!元気が一番で頑張りたいと思います。 

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2002年12月30日

今年も終わり

 朝は予定通り朝遊説で、予想通りの人の少なさ、そして駅の静けさ。しーんとひっそりとしている駅前は、いつもと違う趣きで、そして歩く人々も何だかゆったりと落ちついている気がしました。そのためか、チラシを取ってくれる人や振り向いて見てくれる人も心持ちいつもよりもソフトな感じがしました。
 遊説後、ステイツマンのメンバーとチラシのポスティング。その後、家でまったりとミニ忘年会を開催。そしてNHKをつけ、アンコールの人間ドキュメント小沢征爾とジョン・レノンのイマジンを見て過ごしました。そしてほんわか感動をして忘年会も幕締め。
 その後は大学時代のゼミの先輩に出会いました。何とびっくりなのは同じ小学校出身だということです。おもしろおかしなつながりです。不思議な共通点で妙に盛りあがりました。
 それにしてもジョン・レノンの「イマジン」は本当に大きな遺産です。想像は現実を超えます。想像をするのが人間です。想像力の豊かさが人と人との関係を創っていくのだとつくづく思いました。それは「平和」のつながりです。想像をやめてしまったら、相手を必要以上に傷つけたり、痛みつけてしまったりするのだと思います。
 『想像してごらん。』と呼びかけるこの歌のメッセージに私たちが今、どう応えていくべきなのか、改めて考えさせられました。
 「Think globally Act locally」で行動をする時代です。「グローバル+ローカル」で『グローカル』がこれからの社会のキーワードになりそうです。これはまさに議員としても問われている姿勢です。自分自身の利益のためだけに行動するのではなく、自分自身の利益がどれほど社会的に価値があり、普遍化することができるのかについて、誠意を持って市民に説明責任を果たせなければ議員としては落第点です。そして市民自身も同様です。自らが求めている価値を追求するだけではなく、そのことがどれだけ社会にとって必要なことかを考えて行動をするのが好ましいと思っています。すべて『想像してごらんなさい』からスタートします。何かを動かそうとする時、一瞬立ち止まり、深呼吸することがどうやら大切なようです。
 今年の活動は今日で終了です。年末の今日まで支えてくれたステイツマンのメンバーには本当に感謝です。多くの人からの学び多き一年だったとつくづく思います。そしてたった一人では何も無し得なかったことも…。「ありがとう」がいくつあっても足りない一年でした。

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2002年12月26日

さすがの私も・・・・

 早起きは苦にならずの私も今日ばかりは大寝坊。平日に寝坊をすると、定刻に起床、定刻に出社している友人に申し訳無く思ってしまいます。でも、今日ばかりは勘弁・・・。
 そんなわけで、ちょっと気がひけながらも朝は「ほうれんそう」を配りに団地を歩きまわり、その後、来月号の「ほうれんそう」の原稿を執筆。夕方からネットの運営委員会の忘年会に参加しました。
 団地を歩いている時に諏訪に住んでもう30年になるというおじさんに声をかけられ、しばらくの間話しをしていました。彼は社会に対して、そして政治家に対しても、とても不信感を抱いているようでした。「若い時や始めはいいんだよ。今、見てご覧。まともなのは一人もいないよ。」と憤慨していました。「政治家なんて底辺を知らないんだよ。お宅みたいに若い人はわからないでしょう。私の弟は栄養不足で3歳まで歩くことが出来なかったんだよ。アフガンの子どもと一緒だよ。私は今でもサイレンを聴くとぞっとするよ。」もちろん私は黙ったまま、硬直していました。「市民のために働くんだよ。自分の為じゃないんだ。政治家は忘れているよ。そうならないでよ。選挙の前だけ頭を下げに来るなんてとんでもないよ。始めのうちは頭を下げるけれど、そのうち頭を下げるどころか命令口調だよ。たまらないよ。」・・・・「もっと勉強しなさい。若い人もいいけれど、でもお年寄りの話だって聴きなさい。それが大事だよ。底辺を大事にしなくちゃだめだよ。政治家は底辺の生活を知る必要があるよ。年金だって方や30万以上ある人だっていれば、6万円にも満たないような人だって知ってるよ。どう思う・・・?」私は言いました。「きっともっとその人それぞれの事情に合わせた福祉のサービスが必要ですよね。」全く何の回答にもならないような返答に彼は言いました。「また、話しを聞きにいらっしゃい。」
 「底辺の生活」という言葉が耳にこびりついて離れません。今の私に必要なのは見て・聞いて・感じることなんだと思います。人に出会い、人の生き様を見て、一つ一つに丁寧に答えを返していけるような人になりたいと思いました。
 まだまだ私の知っている世界は狭すぎること、力の限界を思い知らされるばかりです。

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2002年12月11日

何をすればいいのか?

 今日は朝、駅頭で活動報告。月曜日は祝日が多いので、どうしても日数的に一日水曜日にいれる必要があると判断したためです。申し訳ないのは駅改札の目の前で他の議員さんも遊説をしていたことでした。でも私は今日は永山のマクドナルド前でやる予定だったので、一応は譲り合いながら活動報告をすることが出来ました。感謝です。これから選挙が近くなるとドンドンと駅前で活動報告等をする人が増えてくるといいます。どんな感じになるのかは予想がつきませんが、かなり混み合って、十分な報告活動が出来ないとの噂です。
 午前中に諏訪地区にニュースを配りました。そして午後からは総務常任委員会の傍聴です。総務委員会では前市長の事件後、契約入札制度の検討を続けていて、さらには収賄事件そのものについての検証にも取組んでいます。同様な事件を二度と起さない為にどうしたらいいのか?やはり関心があります。委員会を傍聴していると、いろんな空気を感じることも出来るのでとても勉強になっています。今日も傍聴席では時折異様な空気の流れを受けました。これまでに3回ほど、総務常任委員会の傍聴をしてきましたが、変わらないのは、委員会としてのまとまった視点がないということです。常に、この事件の真相を議会としてもっと解明、究明すべきだと言う立場と、そんな必要がないという立場がせめぎあっています。そのぶつかり合いの空気とは異様なまでの緊張感・・・とも言えます。あまり好きではありません。傍聴席にいるので、まだ耐えられますが、自分自身がもしも委員会のメンバーなら頭痛が起こりそうなのは間違い無しです。
 さて、こんなときどうしたらいいのでしょか?私は傍観している立場ながらボーッと考えていたのは「市民が何を求めているのかな。」ということです。徹底的に事件の真相究明を図るべきだと考えている市民以上に多いのは「二度とこんなこと起きてほしくない」という思いでしょう。
 事件そのものの判決が確定しています。市民自身の関心も、もう既におさまっているようです。そもそも市長一人が事件を起こしたところで全国的には不名誉かもしれないけれども、実際に市民の個人的生活に深く影響を及ぼすような事態が引き起こされたわけではありません。本当はこんな事件のために、選挙が行なわれて多額の税金が使われているのに、そんなこと知る由もない・・・というより、むしろそこまでに関心が至らないのが大多数のように思います。納税者意識の低さが表われているとも考えれます。事件が起きて、市長が変わった・・・このくらいの認識でしかなさそうです。市長が変わったからと言って、私たちの生活が大転換したわけでもありません。
 結局のところ、市民が議会や行政に対して求めていることって何なんだろう?と正直言って考えこんでいます。とりわけ前市長の事件について、今、多摩市の市民はどう考え、そして議会に対しては何を求めているのでしょうか?
 私は前市長の事件起こった時思いました。「やっぱりか・・・・。」「なあんだ。」・・・この気持ちはかなり一般的ではないかと考えます。政治家なんて所詮そんなもの・・・「多摩市も例に漏れず・・・。」、そして市民参加を推進している部分を評価しながらも、「さんざんだよなあ、市民参加も陳腐化してしまう。」という気持ちを抱いていました。
 今、議員の立場で事件を考えてみると、「議会として何とかできたのだろうか?」・・・「事件を防止するためのことなんて、きっと、何とも出来なかったろうな」と思います。もし出来ていたら、事件は発生しなかったと考えるからです。議会として、真相究明にもっと力を注ぎこむ必要があるとするならば、なぜ議会が事件防止することができない無力な立場でしかないかについてを考えるほうが有効だと思います。例えば、そうすれば契約入札のあり方が議会に対しても不透明であることがもっと見えてくるだろうし、そして委員会でももっと前向きな議論が出来るはずだからです。そこでは議員としての在り方まで問われると思います。
 事件を通じて知ることになった様々なことが、市にとってプラスに作用しなければ、それこそ議会の存在意義を問われるのです。そのことをもっと重く受けとめる必要があると感じています。

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2002年12月08日

いろいろな動きを楽しめるように

 ‘まちづくり’には決まった‘かたち’がないのが面白い。だからやりがいがあって、楽しいんだと思います。
 今、多摩第一小学校の建替えワークショップの参加者の中から、今度の土曜日に小学校の施設を使用した宝探し大会をやろうという企画が持ちあがって進んでいます。この企画はワークショップに参加している第一小学校に通う子どもの父親たちが中心になっています。もともと市民のワークショップには自治会長さんや卒業生の会の代表の方、地区委員の方などもいますが、全て個人の任意での参加にしています。つまり自発的に‘やりたい人’が集まっているので、毎回の会議への出席率も優秀です。市民参加といってもなかなか市民も忙しいので、二週間に一度の会議に毎回出席するのも至難の技だと考えるわけです。だいたい気力を維持するのが・・・・。でも、この会議に出席して感じることのもうひとつには、にわか仕立ての市民ではなく、本当に昔の昔の多摩を知っていて、第一小学校を知っている人が多いので、それだけ愛着や思い入れがあるようなのです。「‘まち’への思い」が原動力!を見せつけられるような場所です。
 さて、今度の土曜日の企画は寸劇方式でやることになってしまい、なぜか私もチョイ役を担うことになってしまったので今日はその打合せをしました。打合せとは企画者の作成したシナリオの読み合わせや自分たちがなぜ今回の企画をしたいのかという目的などを話し合う会でした。ほとんどは今の学校の様子や学童クラブの様子や地域をどうしていきたいか・・・・という思いを口々に語り合っていた感じでした。
 私はそんな考え方などを聞きながら、やっぱり‘まちづくり’には決まったかたちがなくて、手を上げた人が自ら、まずは自分の責任で始めることなんだなあと思ったのです。もしかすると、それは自分の家の前の道路を掃除することからかもしれないし、近所の子どもたちの悪さに対して時に注意を与えることかもしれないし、となりの家の宅急便の荷物を快く預かることかもしれません。どんなことでも‘まちづくり’には欠かせない要素で出発点になるのです。
 でもそこで大事なことは、そうやって自分自身で、または数人の仲間が集まって、何かしらの行動をしたいな!と考えた時、その時にそれを後押しするようなしくみがどんな風にあるのかな?ということです。もちろん行政がバックアップ出来る部分もありながら、地域自身がどう受け入れていくのかな?ということもとても重要なことです。別に自治会や町内会じゃなくてもいいわけです。多様な主体がそれぞれに活躍してくれること、活発になってくれば‘まちづくり’ではなく‘まち育て’が加速すると考えます。
 今は‘まちづくり’の時代なんでしょうか?実は、最近ですが都市計画についてちょっと学んだ結果、‘まち育て’時代という方がわかりやすい感じがするのです。都市計画のことも、最近は‘まちづくり’と置き換えていうわけなので、今、すでに都市の設備基盤が出来ている地域では「行政と市民の‘まち育て’」として、使い分けてみたいなと思っています。結局は行政と市民の育ち合いが‘まち’の在り方を決めていくのです。そして私はいろんな‘まち育て’を楽しめるような環境づくりの一端を担いたいと思っています。

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2002年12月04日

社会という現実

 まだ自分自身の質問日まで2日もあると変に余裕があるようで困ります。最終日の一番最後まで緊張感をずっと保つのって難しいなあと感じています。会社に行っていた時も水曜日はノー残業デーで、、木曜日の午前中が一番辛くて、金曜日と言えば「あー明日はお休み!」と気が抜けていました。
 今日は私の見てきた社会や私の見ている社会はまだまだ狭いなあと感じながら、他の議員さんの質問を聞いていました。もちろん視点が全然違うということかもしれないですが、‘まち’の中の課題は本当に多岐にわたると思います。私は9月議会の時に介護保険制度をテーマにして一般質問をしましたが、その時には今後の高齢者福祉がどんな方向にあればいいのかに力点を置いていました。介護保険制度の改正は急激に人口増の予想される多摩市でもとても大きな問題なので、12月議会でも一般質問のテーマに取り上げる議員が数名います。
 介護保険制度を考えてみると、やはり一番の心配は介護保険料の改定です。サービスを充実すれば充実するほどに、保険料が高くなるのは当然の事です。この給付と負担のバランスをどう図っていくのかは微妙なさじ加減だと思います。保険料は払うだけで、元気なら介護保険のサービスを受けることはありません。元気な高齢者は自分にとって不要な介護サービスのためにお金を払うことを拒否したいと思います。これもまた理解できます。もらえるかもらえないかわからないのに一方的に給料から年金を天引きされている若い世代の感情とある意味近いと思うからです。でも介護の社会化、介護を社会全体で支えていく理念なしに社会の経営はやっていけないのが事実です。
 ところで今日の質問者が行政に要求した資料によると所得の低い高齢者の方が要介護度が高いとの結果です。つまり所得が低いため、住環境も悪いし、栄養も十分でないし、医者にもかかることが出来ない・・・・・悪循環が起きているわけです。これは多摩市内のデータとして市が作成したものなので確実な数字を示しているわけですが、所得が低い層ほど介護保険料の未払い率も高くなります。びっくりするようなデータですが、おそらくそれが現実なんだと思います。私にはまだ見えていない社会構造なんだと感じます。
 私と親しい地域の先輩たちの多くは、もちろん地域活動をしているだけあっていきいきとして元気で、どちらかというと「お金のある」人たちなんだと思います。でも、彼らは現役時代に死ぬほど働き蜂だったんだろうし、会社人間だったんだと想像するわけです。彼らはあまり、介護保険料のこととかも気に留めていないようで、保険料の負担が重いとか何とかの話題が出ることってほとんどありません。
 つまり、私が今日、質問でのやりとりを聞いていて思ったのは、これだけ「豊か」だと言われてきた社会だけれど、そうじゃない社会の構造は存在しているし、憲法で言う『生存権』、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」って一体なんなんだろう?と感じたわけです。今、求められている「生存権の保障」はものすごく難しいと思ったからです。何故かと言えばとにかく価値観が多様化しすぎていて、人によって求める水準が違うからです。でも、それなら行政として守るべき『生存権』の最低ラインをどこに位置付けるのか?これを説明することもまた簡単ではないわけです。
 これまで行政の守るべき「生存権」のことを深く考えてみたことはありませんでした。どんなに市民自治が進んだとしても、行政がやるべき部分はやっぱり『弱者を守る』ということだと思うので、その視点を忘れずに持ちながら社会を捉えていきたいし、「生存権」に対する私の哲学の必要性を感じました。

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2002年11月30日

こんな時に限って

 私は運がいいなあ、ラッキーだと思うことが多いけれど、自分で勝手に運を悪くしてしまったと反省することも多い。
 朝昼晩の気温差が激しいからか、火曜日くらいから実は咳がひどくなって、なかなか治らないのです。今年の風邪はしぶといのでしょうか?私は病院が大嫌いなので、とにかく睡眠療法をしようと試み、木曜日以降は夜8時前には寝ているのに、ちっとも治らないのです。そこで観念して病院に行きました。すると普段は薬を飲まないせいか、今度は薬が効きすぎて眠たくなってしまうわけです。
 今日は朝から、プレイパークのシンポジウムが開催されていて参加する予定でしたが、もちろん断念。けれどもどうしても午後からの予定、公会計の話だけは聞きたかったので、家で元気を蓄積していたのですが、なんと寝てしまって遅刻・・・・・。さんざんな一日です。今日みたいな日に風邪を引くなんて最悪です。 
 さて『公会計』の話ですが、これは知り合いの税理士さんに教えてもらう予定でした。というのも9月議会の時に去年の決算について総括質疑をしたわけですが、とにかくまだまだ勉強不足で、何をどのように捉え評価していけばいいのかがチンプンカンプンだったからです。12月議会を過ぎれば、3月議会では来年度の予算についての審議があるので、それまでに少し公会計を学ぶ必要があるなあと感じていたところ、ちょっとした知り合いが快く引き受けてくれたのです。
 まずは地方自治法上の制度面からのレクチャーで長、議会の権限や決算といえば監査委員の制度ですが、そう言えば監査委員とは一体どんなことをしているのかがわからなかったので、その仕事や位置付けについても説明を受けました。監査委員が行政から独立しているので、庁内にある監査委員事務局も独立しているはずなのに、なぜか議場では行政側に座席があり、議員のほうを見つめてくるわけで、私はすっかりと行政の一部だと勘違いをしていました。もちろん事務局は市職員が人事異動でかわりばんこに担当するのですが、監査委員の仕事はとても専門的な知識を要求されるので事務局職員があまり入れ替わり立ち代わりなのは好ましくないように感じました。 
 私はOLの時に粗くですが企業の決算書を整理する仕事をしていたのでちょっとだけ簿記をかじっていました。企業会計は全て複式簿記ですが、公会計では単式簿記で、現金主義で組み立ててあることを再認識しました。現金主義では現金のヤリトリが実際に発生した時に帳簿上にあがってくるので、複式簿記で言う買掛金、売掛金などの発想が存在しません。まだ、あまり上手く説明できないので、これは要勉強ですが、実際に今後市として払うべき費用があったとしても、それを未払費用として計上しないので、「わかりにくい」わけです。例えば市の関連として、福祉協議会や土地開発公社、交通公社などもありますが、それらの分まで含めての連結決算を組んで、複式簿記採用の決算書を作成すれば、それこそものすごい債務負担が露呈するのではないかと思うのです。
 今日は公会計の話の第一弾で2回目も予定されているので楽しみです。なかなか公会計システムはわかりにくいし、単に収支だけをみて判断することも出来ません。なぜなら行政の仕事は民間企業なら採算とるのが難しい仕事が多いわけで、赤字が出ているからダメというようにすぐに結論付けることができないからです。
 でも、今後の多摩市の財政状況を考えてみればやはり、少しでも赤字を減らすにはどうしたらいいのか?を考えるべきです。赤字補填に市民の力を使うわけではなく、本来の自治を実現するために市民活力を育てていくことが、将来のいい結果に結びついていくのではないでしょうか?ちょっと楽観過ぎるかもしれないけれど私の意見です。

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2002年11月26日

代理人運動を考えながら

  生活クラブ生協は地域ごとに‘まち経営委員会’というのを設置しています。午前中は‘まち多摩’(まち経営委員会・多摩市)に参加してきました。メンバーは生協の組合員5名と職員、理事の構成で、毎月一度の会議では組合員獲得に向けた拡大活動の企画や、商品企画、生活クラブ生協自身のあり方などを話し合っています。
 生活者ネットワークは生活クラブ生協を母体としています。生協は政治団体にはなれないので、生活クラブ生協の組合員たちが自分たちの生活の中からの実感からの政策提案をするために生まれました。食の安全から始まり、環境問題など身近な生活課題を解決するためには政治の場に直接自分たちの思いを提案する人を議会に送りこむ・・・・つまり議員は自分たちの‘代理人’という位置づけで政治への関わってきた経緯があります。けれども生活クラブ生協の組合員=ネットの会員ではありません。緩やかに結びつき、互いに協力し合う関係で存在しています。生活クラブ運動グループを形成して、ネットは生活クラブと政策協定を結んでいます。
 ネットが発足した当時は生活クラブとの関係も言わば‘がちがち’の状態であったことは当然ですが、今はその運動形態も時代と共に変化をしてきました。ネット自身が政治団体として一般に認知度があがってきたことや、他団体とのつながりも出てきたこともあり、例えば私のように生活クラブ生協に加入していない立場の代理人が誕生するようになりました。本当は生協組合員の中から代理人が出てくることが望ましいのかもしれませんが、必ずしも組合員というわけではなく、代理人運動への理解を前提にして‘議員’を創り出すことが筋違いとも言えないでしょう。
 とは言っても、日常生活の中で生活クラブ生協の運営委員会の方たちや組合員との接点はなかなか持てずにいるのが実情で、まち多摩の会議に関すれば、前回出たのは選挙の最中に挨拶をするため・・。そういう意味でも最近「代理人運動って何なのか?」を考えています。自分自身が生活クラブへの関わりが薄いことへの反省も含めて、今日の会議のなかでどんな風に連携を取りながら活動が出来るのかについて少しディスカッションをしました。
 すると代理人運動のあり方はもちろんだけれども、生活クラブ生協自体の様相も随分と変わってきて、これをどう建て直していくのかも課題だという発言が出されました。今では「利用者」としての組合員がほとんどで、昔のように利用者=生産者、つまり自分たちの欲しい消費財を作りだし、それを責任を持って購入するような構図がほとんど完成型に近くなり、新規加入の組合員のほとんどは自分たちが共同購入する責任をあまり理解していない「利用者だけ」の立場だというわけです。さらには昔のように班単位ではなく、現代のライフスタイルに合わせて戸別配送システムも導入したことにより、組合員の顔が見えにくくなっているのです。
 そして多摩市では特にその傾向が強く、他地域では組合員向けの様々な企画にわりと大勢の人が集まるようですが、多摩市ではモトモト市民活動が活発なこともあり、生活クラブを媒体としなくても人と人とのつながりを作りやすい環境があるのではないかという指摘がされました。
 私は代理人運動のこと以上に、生活クラブ生協の変容から分析した多摩市の状況に非常に興味を持ちました。なるほど、ニュータウンが出来た当初はまだまだ生協を媒介としたつながりによる人との出会いや交流の必要性が高かったかもしれないけれど、多摩市のようにこれだけ趣味のサークルなどが活躍しているところで、わざわざ生活クラブの催しに出ずしても事足りるってわけなのね・・・・と思ったのです。
 代理人運動を考えたいなあというヒョンなところから、思わぬところに議論が展開しとても有意義な会議でした。そして午後は南多摩生活クラブ生協の子育てプロジェクトのまとめの報告会に参加し、地域協議会にも飛び入り参加することが出来ました。
 時に代理人って一体どんな立場をとりながら活動をすれば良いのかわからなくて悩む時もありますが、生活クラブの組合員の活動に触れることで、何となく掴めるような掴めないような・・・試行錯誤でやるしかないのかな・・・というのが結論です。
 理念はわかっても実際に行動をすることの難しさを感じている今日この頃なのです。

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2002年11月25日

月曜日は雨降り続きで・・・

 本当に月曜日は雨の日が多い。今日も朝からあいにくのしとしと雨のなか永山駅での遊説をしました。雨が降っていると傘をたたむ手間もあり、なかなかニュースビラを受け取ってもらえないのが残念です。
 さて、今日は12月議会の一般質問通告書の〆切日でした。私は運がいいのか悪いのか?くじを引いたら27。つまり一番最後の順番となりました。早く終わってしまったほうがい・・・・という考え方もありますが、私にとってあまり順番の早い遅いは関係がありません。むしろ気にするのは一般質問日の前日の夜に予定があるかないかです。仕事をしている友人と会うとなるとたいてい夜遅い時間になり、帰宅時間ももちろん遅くなるからです。
 今日は午後から総務常任委員会があったので傍聴に行きました。この間に引き続き「贈収賄事件及び契約事務」が議題です。前回同様に、この議題をどんな風に審議していくのかについてのコンセンサスを図るまでの調整が大変です。刑事事件である贈収賄事件、しかも決着がついている事項ついて一体議会として何が出来るのか?という立場と検察に提出していた資料について議会としても、くまなく目を通すべきだという意見のぶつかりあいです。さらには、市職員が兼職していたことを追及するかしないかをめぐっての議論もありました。この兼職については契約事務にも贈収賄事件にも何ら関係のないことなので、別物として考えるべきだとの方針が出ました。確かにちょうど贈収賄事件と同時期に新聞報道もされた件ですが、直接的にこの議題に無関係と主張のほうが通ずると思います。
 何はともあれ、庁内にもこの事件をめぐって、今後どのような契約制度を目指すかを検討する委員会が設置され12月議会までに報告書をまとめる予定になっているわけで、議会としても行政側の報告書を見てから再検討、吟味するというのは得策だと思われます。もともと総務委員会としては契約の見直しについて12月に委員会見解をまとめる予定でした。ところが先般の9月議会で新たに「贈収賄事件」が追加され、少々議論の展開方向が変わってきつつあるのです。それでも、委員会としての決着の目途をいつに設定するのかでは議論が真っ二つです。「延ばす必要性があるのか?」という意見があれば、「なぜ延ばしたくないのか?」という反論もあり、つまりはいつまでたっても平行線を辿るんだなあとしか傍聴の私には見えてこないのでした。
 見るに見兼ねたのか?議長から地方議会の運営のありかたとして、刑事事件に踏みこむのがふさわしくないとの見解があるらしいとの助言により、「12月議会中の総務委員会で最終的に決める。」ことになったようです。いずれにしても「何のために贈収賄事件を議題」にしているのか全然わからないというのが感想です。事件を調べあげたところで、一体何をしたいのか?仮に、新たに明るみに出た事実があったとして、それで何を問い正し、そしてその先に何を描いているのか?これらについてはっきりと明確な焦点を出さないままに、兼職問題までが混入してきて審議の在り様が消極的、否定的な方向に進んでいくことが私としてはもどかしくてたまりません。
 委員会は一体何を目指しているのでしょうか?何のために贈収賄事件を調べているのでしょうか?
 また、契約制度についても数名の委員からは提案もありましたが、私はもっと透明性を図ってほしいことだけお願いしたいと思います。例えば工事などを発注した会社から、またその子会社などへと発注をする・・・ということをどう考えればよいでしょうか?つまり、それならば元から子会社に発注をすれば仲介料的なマージン分を浮かせることができて、行政にとってもラッキーはずです。もともと子会社と契約をした方が得になります。工事をさせるつもりで1000万円の契約をして、そのうちの800万円分を中小零細企業に丸投げをするという状況そのものを捉え、行政としてどうすべきかを検討してもらいたいと思います。もちろん議会しかりです。
 多摩市には地元業者が少ないといいます。だからこそ他市の業者の参入を求め効率性、競争性を図っていくわけです。でも地元業者の育成は重要な課題です。中小企業が元気な街の活力って溢れているイメージだからです。中小企業に従事する人々の多くは職住近接のケースが多いと予想でき、そうであるからこそ、企業が元気になれば、そこでの働き甲斐を背景として‘まち’に住んでいる人が明るくなる気がするのです。
 もともと中小企業に関連する職場だったので、公共事業がめっきり減って、企業体力が超減退してしまった会社をいくつか目にしてきました。決してきれいごとばかりではないと思っています。
 私は民間事業者同士でコスト削減のもとギリギリの状況で労働する人がいる、それを選択する人はいいと思います。でも私自身は労働環境を含めて考えた時、行政が例えば工事発注した先での労働者の状況などをきちんとトレースすることもまた必要な作業だと感じています。
 とりとめなく色々なやりたいことが後から後からとひらめいていますが、今、優先してすべき課題についての自分自身のポジションを早く見定めたいなあと思っています。

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2002年11月12日

写真撮りからスタート

 半年後に統一地方選挙。そろそろリーフレットの作成などが始まります。肝心なのは写真。渋谷にあるスタジオに写真撮影に行って来ました。
 私は半年前にもポスター写真を撮りました。カメラマンは偶然にも就職活動の大学生の頃にもお世話になった方で、再会には本当に驚きました。こんな奇遇ってあるんだなあと感慨深かったことを思い出します。半年ぶりにお会いして「雰囲気が変わった。」と言われました。一体どんな風に変わったのかな・・・と突っ込むことはしませんでした。でも「落ち着いたわよね、随分と、いい感じになっている」との評でした。
 私は自分自身がどう変わったのかよくわからないけれど、明らかに変わったのは置かれている状況です。一年前の自分は今の私の姿をこれっぽっちも想像すらしていませんでした。だから私は運命論者ではないけれど、さまざまな流れの中に身を置き、時間を過ごしていくことの不思議を感じています。決して人生なんて自分だけでは決められないと思うわけです。OL時代の気楽さもあれば、議員であることの気楽さもあるし、どちらがいいかは比べることはできません。「どちらもいい」と言えるからです。ただ自分での「選択」であることは紛れもない真実で、どうせやるなら楽しむしかないので、今の環境を最大限生かしているのが現況です。
 いよいよポスター写真を撮ると選挙に向けての気持ちがちょっぴりと高まるみたいです。一番大事なのは私はポスター写真を撮る時にどれだけ楽しめるかだと思っています。その時の気持ちが楽しければ楽しいほど、選挙戦が楽しめると考えるからです。今日は前回よりも楽に笑顔になれました。前の時は笑顔をつくるのは難しい・・・と思ったわけですが、今回は違います。自然な笑顔がどうして出てくるのかって言うと「気張るのは不要」なことがわかったからです。
 選挙活動とは人との出会いだなあと思います。人に出会うことが私の心を広げてくれます。「本当にたくさんの人がいてたくさんの考え方、価値観がある。」これを知ることがとても楽しいのです。これからの半年間、「出会い」を大切にしながら一日一日を積み重ねていくことに不安はありません。そう思うと、どんな毎日が訪れるのかが楽しみで笑顔になれます。この調子で大嫌いな冬の寒さにも打ち勝ちたいものです。

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2002年11月04日

休養中・・・

 今日は一日、家でゆっくりと過ごしました。お昼前から友人が来て、一緒にアンサンブルをして楽しみました。ちなみに私はヘボピアニストで彼女はヴァイオリンです。これは唯一の楽しみです。
 こんな日がなくては、まったく気が滅入ります。気張ると気張った分だけ損をするのは自分だなあと思います。だから「ええかげん」にサボって、またその次から意欲的に・・・っていう自分のリズムのために欠かせない一日を過ごしました。

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2002年11月01日

紅白まんじゅうはまだイイホウ?

 市制31周年記念式典、それと自治功労賞、市民表彰式が行われました。自治功労賞は議員が1名、市民表彰は団体を含む30名の方が受賞されました。
 私はもちろん初めての式典出席です。入り口のところでまず受け取ったのが紅白まんじゅうでした。確かにお祝いの席には欠かせないものかもしれませんが、私が気になったのは紅白まんじゅうの準備数でした。表彰式が開催されたやまばとホールを見まわせば、空席も目立っています。おそらくせっかくの「まんじゅう」は余ってしまったのではないか?と思ったわけです。
 そして、こんなものをもらってもいいのだろうか?とも思いました。結婚式でも地味婚が流行り(という一方で派手な挙式もあるけれど)の近年、毎年毎年市制○周年の祝いをするなんて・・・・と感じます。特別なことではないと思うからです。10、20、30、40・・・・といった節目ごとでも良いのです。この式典に関わる、例えば筆耕さんによる招待状から会場準備、紅白まんじゅうの手配など(恐らく他にもあると思いますが)を考えてみてもです。
 以前の職場も会社の○周年行事をやっていましたが、私が入って2年目の時からは記念品もなくなりました。民間企業がどんどんと自粛モードに入っている中で悠長に毎年のように記念品をばらまくようなことはまかりならないという意向からのようでした。
 とはいうものの、「紅白まんじゅう」だけというのは「まだいいほう。」だと言います。昔はもっと豪華絢爛、昔を知っている人たちからすれば随分と簡素になったという話です。それにしても必要性の賛否は問うてみたいです。
 あわせて市民表彰についてですが、こちらのほうは表彰されたことで、さらなるモチベーション向上などなどの効果を期待するものかもしれないけれど、表彰すべき人の選考基準がいまいちよくわかりません。例えばノーベル賞の田中さん・・・!というなら「まあ・・・なるほどねえ。」と思えるわけですが。表彰されるためにやるわけではないし、もちろんたまたま表彰者になっただけとは思いますが、地域には表には目立たずとも貢献している人はたくさんいるので、こちらについても必要性をもう一度考えてもらいたいと思いました。

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2002年10月28日

正しい情報を伝える責任・・・お詫び

 昨日、新聞の折りこみで『ネットニュース 71号』が配布されました。その文中で非常に大きなミスをしてしまいました。「児童館めぐり」という記事の中で、児童館の開館時間を17時までとしてしまったのですが、正しくは18時までです。
 市内児童館9館すべてを見学したにも関わらず、このような初歩的なミスをすることにとても残念だとの指摘とともに、市民に対する混乱を招くという苦情のメールをいただきました。当然、ミスをしたことについて速やかな対応をしたいと思いますが、次回のネットニュースの発行が年明けなので、まず児童課の課長さん、そして各児童館に謝罪の電話をかけました。本当に迷惑をかけてしまったとの思いと恥ずかしさがありました。担当の行政職員の方々に対しては電話ででも何とかお詫びすることができましたが、問題なのはニュースを読んで下さった市民の方々への対応です。今すぐの対応、例えば号外の発行などはどうしようも不可能なのです。発言の取消しがきかないことの恐ろしさを身にしみて感じました。今日は一日中、落ち込んでしまいました。
 市民に対して正確な情報を伝えるべき立場なのに、混乱を招きかねないミスをしてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。今回の件で市民はもちろん、行政の担当者の方には多大な迷惑をかける結果となりました。それ以上に私は私自身のミスが原因で多摩ネットに対する信頼感まで傷つけるということ、「情報」に対する認識の甘さ、特に発信者としての自覚のなさを痛烈に感じました。正確な情報を流すべき立場としての責任の重さは事の重大性や問題の大小には関わりなく、常に意識をしなくてはなりません。
 今日のことはただ単なる反省で済まされる問題ではないと思っているのですが、それでも現実的には今回の失敗を二度と繰り返さないようにするが今の私が精一杯出来ることとして、前に向いて進んでいこうと思っています。
 朝は元気に朝遊説をした後はかなりの落ちこみモードでした。午後からは少し回復してネットでの打合せ、そして夜は東京大学大学院生の板垣竜太さんの「歴史から見た韓国の住民登録制度:日本との関係で」という学習会に参加をしました。板垣さんは国民主義に立脚した住民基本台帳ネットワークシステムへの反対運動の限界性を指摘しました。国民のプライヴァシーの侵害として住基ネットを反対する人は多いけれども、今一度、日本社会の中の外国人登録の問題をも考える必要があるとのことです。反対を主張をするならば、同じように日本社会で生活をしている外国人に対しての日本政府の在り方、日本社会のしくみを同時に語る必要があるとのことでした。これには私もハッとさせられました。「在日の問題は私たち(日本人)の問題でもある」という結びに解決すべき課題が複雑に絡みあっていることを再認識しました。まだまだ勉強不足ですが、外国人参政権の問題などの捉え方については考えを深めていきたいです。

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2002年10月24日

寒さと共に気持ちまで・・・

 急に寒くなってきました。気分的にお日様が見えないとやる気がわきません。今日も午前中、寒さと天気の暗さで気分が滅入ってしまうし、おまけに体調もすぐれなく家で寝ていました。
 午後から少し起き出して来月号の「ほうれんそう」を作成したり、「ひとこと提案」のまとめをしました。16時から永山駅で昨日に引き続き署名集めをする予定になっていたので、なんとか元気を回復しました。それにしても駅前は寒くて困りました。そして19時からは高齢者いきいき祭の実行委員会に出席しました。開催までもう1ヶ月ないので、最終的な確認だからです。私はほとんどやることはなくて、実行委員会を仕切ってくれているのは感性工房TAMAのメンバーたちです。私は何をしているかと言うと市民がどうやってどんな気持ちでこの祭に関わろうとしているのか?を客観的に見ることです。
 この祭の特徴は何せすべてを自分たちでやらなくてはならないところです。開催場所の旧南落合小学校跡地の清掃、地域へのポスティングなどすべてを祭りの参加者で行います。もちろん行政側もそうじ用具を貸してくれたり、プログラム作成には印刷機を使わせてくれます。でもあとは主催者=参加者なので全員プレーでやるしかないのです。面白いのは、清掃に参加してくれる人を募ると進んで手を挙げてくれるグループと、「せめて各グループについて1名は人を出してください。」と言わなければ関係なさそうにしているグループがあったり、プログラムも印刷をして半分折りは人の手で行うわけですが、それへの協力を募ってもあまり協力者が得られないなど、色々な市民模様が垣間見れます。
 さらに、一番うれしいのは、やはり「出会い」があることです。このお祭りでは国士舘大学の学生が手伝ってくれます。彼らは「いきいき体操」をやりますが、そこではタオル25本、青竹を使用します。学生だけでは集められない備品について参加者に呼びかけたところ、すぐにシルバー人材センターから「タオルは『シルバー人材』って書いてあるのがあります。」そして「青竹も大きさを言ってくれれば用意できるし、ヤスリもかけなくちゃよね。」と進んで申し出がありました。何気ない「出会い」、ただ同じ会議の場に居合わせたという偶然からつながりが生まれていくことはうれしいことです。周囲から拍手がわきました。
 こんな風に祭が創られていく経過をみると、気持ちがだんだんと楽しくなってきます。そしてコア・スタッフの感性工房TAMAの目標としては回数を重ねるごとにパワーアップしていきたいというものがあります。これは祭自体を成功させるとの意味とは別の目的です。それは「つながり」です。前回と今回を比較すると、地域のつながり・・・で国士舘大学のゼミが参加してくれるという新たなルートを作ることができています。これが成果です。この祭を通じて、どうやって地域づくりをしていけるのかがスタッフ内での一番の勝負どころです。
 私自身はなかなか雑務に協力することも出来ず、いつも申し訳ないなあと思いながら参加しているわけですが、この祭のリーダーを筆頭にして、とかく市民は日々動いている・・・そのパワーを感じながら、今後私自身が何をどのように表現していけばいいのかを考えていきたいと思っています。

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2002年10月05日

もっと気軽に文化鑑賞できるといいのに!

 いつも情報交換をしている「手をつなぐ親の会」の方よりお誘いを受けてミニコンサートに行きました。市内在住のヴァイオリニスト堀由紀さんとピアニスト、ハンス・リケリンクさんのデュオでした。堀さんはベルギーを拠点に活動をしています。今回のコンサートはおそらく堀さんの帰国にあわせたのもかな?と思いましたが、彼女の弟が知的な障がいがあるという背景が今回の障がい者とその家族のためのコンサート実現に結びついたのでしょう。
 日本ではもともとクラシックコンサート、特に一流の演奏家を招いた時にはそのチケットはなかなか私たちの手には届かないものです。どんなに音楽が大好きであったとしても、1万円台チケットは高価過ぎます。多摩市にはパルテノン多摩がありますが、そこで開催されるコンサートは贅沢な楽しみで、せっかく市内に立派な文化施設があるとしても市民としては敷居の高い場所になりがちです。
 チケットが高価だという理由のひとつには、例えば交響楽団などの演奏旅行にはその移動などの含めてとてもお金がかかることがあげられると思います。そして会場を借りるのにも同様です。その上で音楽を生活の糧にしようと考えると困難なのは当然です。交響楽団を応援してきた企業など不況により、それを存続するかどうかの選択を迫られています。そんなとき一番初めに目をつけられるのが文化事業です。それは交響楽団のみならずです。絵画や演劇などなど文化に対しての支援を中止していき、私たちが文化に触れる機会がどんどん減っているのが現状です。
 私はこの傾向をとても残念に思っています。確かに「嗜好品」と見なされるの意味も少しは理解できますが、文化に触れる機会を持つことが私たちの心を豊かにしていくし、そこから想像力や創造力の発揮につながっていくと考えているからです。もともと文化触れることは特別なことのようで、入場料がかかることが海外との大きな違いだとはよく言われています。一流の作品に触れることにおいては特にです。私は「いいもの」を知ることが人の感性にとって非常に大切なことだと思っているので現状にはとても不満です。もっと身近に気軽に文化に触れられる機会を増やしたいという願いがありました。
 今日のコンサートへ行き、もうひとつ感じたのは、障がい者にとってはコンサートに行くことそのものに大きな壁があるということです。子どもについても同じですが、「しーん」ということが会場内の条件ともなると壁向こうの世界になってしまい、会場に出かけることすらできません。これもまた私は大きなバリアだと思います。文化には気楽さが必要です。コンサートなどがかしこまった非日常の時間である限り、私たちの生活の中に根付かず、どこか「特別なもの」としていつまでたっても「嗜好品」とされてしまいます。
 今日の会場に来ていた人は一流の音楽に気軽に出会うことができました。入場料も500円でした。誰もに開かれたコンサートがもっと地域にたくさんあったらいいのにと思います。そしてせっかく多摩市にあるパルテノン多摩、立派な文化施設をもっと市民に開放して欲しいと思います。なかなか文化にお金がかけられない時代であることは確かですが、私は文化にお金をかけることをしなければ育つものも育っていかないような気がしています。文化は耕すものだからです。種まきと水やりとついでに肥料も必要な時期があると思います。その価値から目を反らさずにいたいものです。

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2002年09月29日

ゆっくりだけど着々と

 プレイパーク、冒険あそび場を多摩につくりたいな!と頑張っているグループがあります。今は固定の場所がなく、市内の公園を転々としながら「あそび場」づくりをしています。私も子どもが大好きで、子どもと遊ぶことも好きなので前から参加したいな・・・と思っていました。昨日雨が降っていたので、今日は開催するのかと心配でしたが、永山南公園の片隅で予定通り「あそび場」がひらかれました。私はその後の予定もあったので、スタッフの準備時間1時間ほどを見学して終わってしまいました。残念ですが、次回はゆっくりと参加したいと思っています。午後3時くらいまでやっていて「いつでも、どうぞ」でオープンしているからです。
 今日は雨上がりのせいか蚊が飛びまわり、なぜか遅れ馳せながらの蝉もないていました。スタッフは3人で、木にロープをはり、不要なカーテンでハンモックを作ったりと、子どもたちの冒険あそび場をセッティング。・・・お昼ごはんはスタッフ手づくりのおにぎりが準備されていました。いたれりつくせりのあそび場です。きっと昔は当り前のように木登りをしたり穴を掘ったりして遊んだんだろうなと想像しました。気分はハックルベリーです。私はかなりおてんば娘で蝉を取るために木に登って、登ったはいいけれど降りるのに恐くてものすごい苦労した覚えがあります。すり傷を作りながらずるずる木をずり降りた苦い経験です。でも木登りほど楽しいものはないありません。考えてみても私が木登りをしていた公園で遊んでいる子どもの姿ってほとんど見ない気がします。少子化が原因なのでしょうか?子どもたちの放課後…関心があります。
 多摩市のプレイパークづくりは始まったばかりで、本当はプレイリーダーがいるといいのですが、まだまだそこまでに至っていないそうです。けれども行政、公園緑地課の職員には少しずつ認知されてきたようだとスタッフは喜んでいました。というのも公園の水道は蛇口を借りる必要があるのですが、以前と違ってすぐに「どうぞ」っと言ってくれるようになって嬉しいというのです。「細々だけど、職員の人にも認めてもらえてるなってことがわかるよね。」と話していました。
 今日はあっという間に時間が経ってしまって中途半端で帰宅したことが心残りなので、次の時には気合い十分で差し入れを持って出かけたいと思います。多摩市の中にいつでもハックルベリーの気分になれるような場所があるといいなと思います。町田市ではある地主さんが1区画を提供して下さり、プレイパーク「たぬき山」を市民たちの手づくりでつくりあげました。多摩市内にもどこかそんな場所が見つかるといいな…なんて願っています。
 その後、今日は母校の文化祭に行きました。8年ぶりで行った文化祭ですが、いかにも「桐朋らしい」祭でパワーに圧倒されました。パンフレットに載せられていた校長先生の言葉が印象的です。「『個性とか協調性とかが問題になるのは主に他人との共同作業をする時です。』…『個性豊かな人生とは個の確立に努めている人の人生だ。』。つまり「存在」=「個性」ではない、ということです。個性は桐朋教育のキーワード。(『 』はアメリカの大学で建築学の教授をしている岸本雄二氏の言葉だそうですが)」そして今年の高校文化祭委員長はパンフレットにこう寄せていました。「人は、毎日必ず誰かの助けを借りて生きています。時にはぶつかり合いながらも、助け合い、励まし合い、それがお互いの心の支えとなります。一人ではできないことばかりです。…皆で協力し合って何か大きなものを作り出す時、たった一人の欠損で大きな穴が空いてしまいます。それが皆を『自分も参加しているんだ』という気にさせ、桐朋の行事を活気に溢れさせ、感動が生まれるのだとも思います。」高校2年生の彼女の実感が素晴らしい力強いさで表現されています。そして私は私の「まちづくり」に対する考え方の原点もここにあるなと実感したのでした。

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2002年09月27日

今年のひとこと提案は?

 ネットがメンバーの生活クラブ運動グループでは「ひとこと提案」という活動をしています。これは日頃から感じている疑問点、意見などを市民から集めるものです。一軒一軒アンケート用紙を持って協力のお願いをするのはもちろんですが、6月議会報告を掲載した新聞折りこみのネットニュースにもハガキをつけて募集をしました。それから生活クラブ生協の組合員の方々にも協力してもらっています。
 これらの声を集めて来年度の予算要望として提言書をまとめます。今日は第1回目の集約会議でした。今年はテーマを「公共施設」にしました。というのも多摩市はハード面でみれば施設が充実しているけれど、例えば職員の対応などを含めたソフト面ではまだまだ改善の余地があると思われるからでした。例えば児童館などは日曜日も開館してもらいたいとの要望もあり、コミュニティ館は一部の人が占拠している気がする・・・という声もあります。そのような市民の不満も含め、今後よりよい公共施設運営をするための提案をすることが、「ひとこと提案」の最終目標です。
 けれども市民の意見とは公共施設には限りません。集まった提案は違法駐輪、年金、介護保険、住基ネット、教育、ミニバス、保育所、幼稚園などなど様々です。今日は環境問題を提起してくれた方が集まってくれたので「環境」をテーマとして話合いをしました。もちろん「環境」の分野も幅広いので、話をしてもなかなか一つに纏めることは難しく、結局は意見交換に終わってしまいましたが、目新しい話を聞くことが出来ました。
 それは「ミチゲーション」というものです。都市開発などの時、アメリカで使われている手法のひとつだそうです。(1)回避(2)縮小(3)代償の3つの視点を採用しながら(A)これ以上悪くしない(B)もっと良くするという2つの方向性を考えて、要するに「持続可能な発展」の方向性をを導き出すのです。ミチゲーションには決まった手法はなく、住民との対話によってその方策が見出されるので、大成功する例もあれば全くの大失敗もあります。だから「危険な手法」と言うことです。というのも「いい」とか「悪い」とかには客観的な判断が必要だからで、それは人によってそれぞれ違うため、ある一定の指標を数値化しておかなくては、時と場合で導き出される方向性が全く正反対です。例えば全体的な方向性としては環境保全なのに、個別的に見れば開発奨励の場合もあります。でもこれは矛盾でもなんでもなく「経済」という切り口から見ると、開発そのものを否定することはできません。つまりミチゲーションの手法を上手く用いれば、まずは、開発地区周辺の住民と開発事業者との協議の中から双方が納得のいく結論を出す可能性は十分にあるわけです。
 この話はニュータウン全体の未利用地問題にも適応していけるものではないかという提案です。要は未利用地に豊かな緑が残されている場所もあります。残された自然をいかにして保存するのか?どれだけの「みどり」があれば十分と言えるのかをトータル的に考えないといけないという意見です。例えばミチゲーションをしても、ある区域で100本の木の伐採をやめて10本だけにしたとしても、そういう場所が10ヵ所になればトータルで考えれば100本の木が失われるわけです。あとは目から鱗と言うか、ニュータウンは緑が多いけれど、それのほとんどは手入れが必要で、結局ゴミを出す・・・・という意見です。剪定にも莫大なお金がかかっています。つまり何がいいのか?どうしたいのか?これについて市全体としての考え方をただ一言で「みどりの保全と維持」と言うわけではなく具体的にしていく必要があるだろうとの厳しい意見でした。
 最終的には「私たちにできること」がたくさんあるよね・・・という結論を共有化しました。でもやはり「きっかけ」が必要なんだろうなと痛感しました。というのも今日、ミチゲーションの話をしてくださった方はとても「みどり」には関心があり、勉強をされているようでしたが、これまでは行政との関わりがほとんど皆無だったからです。実は行政でも様々な市民に対するイベントや講座を行っているので、やはりそういう場所にどんどん参加をして行政と意見を交換することって大切なのではないか?という話をしました。そして来週の土曜日の「大栗川を考える会」市民ワークショップにお誘いしました。「ぜひ参加したいです」との返事をもらいました。人との出会いが輪を広げていくなあということを実感して、うれしい気持ちになりました。

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2002年09月23日

「多摩レクリエーションセンター」の見学

 ここは横田基地で働く人々など、日本に駐留する米軍関係者のための施設です。多摩弾薬庫跡地とも言われます。小学生の頃、どうして多摩弾薬庫のところには鉄条網がはられているのかと不思議でした。そこの中に外国人しかいないことも子どもの私にとっては不可思議なことでした。その理由を知ったのはほとんど最近のことです。小学校では毎夏に多摩弾薬庫跡地でのキャンプの案内が来ていたので、そこの場所がアメリカであることなんて想像もしていなかったのです。
 初めての見学。昨年の事件でアメリカも厳重警備の姿勢です。私も本人確認をしてもらえるようパスポートを持参しました。正門を入るとアメリカンな遊具にかわいいクリクリのブルーの眼の子どもと家族がいました。改めて「ここが外国」だと意識をしました。
 噂では聞いていたけれど、想像していた以上に豊かな自然が残されていました。そして静かな森の中を散策していると、突如現われるのが火薬などの製造工場跡地。かなり朽ちてはいるけれど、それでも当時の形が生々しく残っているのです。ここで武器を製造していた人の声や音を聞いていた柱や壁があるんだと思うと、痛々しいのです。
 これだけの財産・・・自然だけではなく歴史も考えてみると、この場所を保存したいと思います。今はほとんど手を加えられずに残された場所、一部はゴルフ場としての開発もされた部分もあるけれど、でも全敷地の半分のたたずまいは残すべき歴史です。いっしょに見学をした方々もその思いは同じだったと思います。
 ただ、もしもここが日本に返還されたとして、どうなっていくのでしょう?私たちが残したいという姿で未来まで残せるでしょうか?「日本に戻ってくるのはうれしいけれど、このままの方が現状維持できるのかもしれない」という会話を交わしましたが、私も同感でした。戦後以来、ほとんど手を加えられず、そして日本が作った工場跡地がそのまま保存できているのは、ある意味でアメリカの手で管理してきたからかもしれないからです。とは言ってもやはり、ここが「アメリカ」であることには違和感がありました。・・・本当に素晴らしい森の散策コース・・・私たちも自由に出入りができたらいいのになと。

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2002年09月19日

何もない一日・・・?

 今日は静かな一日でした。「ほうれんそう」5号を朝の9時から印刷開始。お昼くらいまでかかって印刷を終了しました。その間に事務所に来た事務用品販売の営業マン、「選挙とか言っても、ホントに誰にいれたらいいのかわからないっすよね。…でも自分はこれまで120%選挙行ってますよ。わかんない時は何も書かない。」これが市民の肌感覚なのです。半年前の私も彼と同じような考え方をしていました。
 午後からは9月議会の最終日に行われる昨年度決算についての総括質疑に備え、話合いをしました。つまり昨年一年間の行政の取組みなどを大まかに捉え、それに対して例えばこれまでの進捗状況や、今後の方向性などを含め、質問を行うのです。当日、生活者ネットにはたったの20分(質疑と答弁を含めて)しか割り当てられず、この限られた時間の中でやりとりをしていかなくてはなりません。相当難しそうです。その役目を受けることになったのでちょっと気が重いです。
 今日一番のうれしかったことは、やっと一本目の歯が完治したことです。でもまだ、治療は続きます。歯医者は何度行っても好きになれません。歯医者独特の音は、余計に痛みを増すように思います。
 夜は久しぶりに、高齢者社会参加拡大事業協議会の定例会に出席しました。そこで一緒になった方から私の「ほうれんそう3号」についての感想をいただきました。「本当は電話をしようと思ったんだけれど、やっぱりおじいさんが電話をするのはなかなか気がひけちゃって・…」。 彼は『中高生の居場所について学校跡地などの施設を活用できるのではないか?』という私の意見について、こう述べました。「中高生は学校が嫌いなんだよ。学校が嫌いなのに、放課後までもまた、学校の校舎に行きたいと思う?彼らは目立ちたがりやなんだよ。多摩市で見てご覧。学校はみんな駅からも遠いしぽつんとしてるでしょ。そういう場所に行きたいと思う?確かに財源のことはあると思うけど、やっぱりそんなねぇ…かわいそうだよ。管理されていて放課後までも、また管理。そういうのはよくないよ。もっといい施設があればな・・・。」
 なるほど、その通りだなあと思いました。でも、もしかするとちょっと駅から離れていても、例え学校の跡地だとしても、中高生たちが『自分たちの空間』だとして実感を持てるようなつくり方をすることでクリアできることかもしれない…私はこちらの可能性にかけてみたいと思います。「まちづくり」でもそうですが、『自分たちの足跡』がある場所には思い入れも深まります。だからこそ自分たちでつくることの必要性があるのです。それと同じで、私はやはり中高生たちの居場所をつくるなら、彼らを主体にして『彼ら自身の足跡』を着実に残していけるような手法を取りたいです。そのことで恐らく、どんな古ぼけた施設であってもそこは愛される空間になると思うからです。

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2002年06月16日

ステイツマンの活動に参加!

 今、ステイツマンでは来年の統一地方選挙に向けて、ステイツマンの支援で選挙を創りたい!応募してきた立候補予定者の方々の審査をしています。
 思い出してみると、私もドタバタの中3月31日にステイツマンと初めて出会い、審査を受けたのです。その時には「ステイツマンと出会えてよかった!今日、ここに来てよかった!」という感動がありました。その時を振り返りながら、今日は書類審査にオブザーバーとして参加させてもらいました。

 なかなか審査をすることは大変で、審査されるほうがむしろ気楽だなあ・・・と感じました。それにしても長丁場で朝の9時から、面談の練習・・・今回初めて審査に参加する人のために模擬面談をしましたが、全て終ってみて時間を見たら21時30分!ステイツマンのメンバーの気力とか熱心さには本当に頭が下がりました。
 何を基準にわたしたちは議員を選ぶのでしょうか?それは人それぞれの中に答えがあると思います。何が正しくて、何が正しくないのか・・・これだって人それぞれ違います。○とか×をつけることがどれほど難しいことかを感じました。
 ただひとつ「あなたは何を見てきましたか?何を聞いてきましたか?そしてあなたは何をしてきましたか?」上手に語れる必要はありません。「そのなかのあなたって?どんな人?」私がもしステイツマンの審査員だったら一番大事にしたことだなって思いました。
 みんなと一緒に貴重な体験ができて、心から感謝しています。審査は一回一回が真剣勝負。そしてみんなの個々の視点を大事にし合うことって本当に大切だなあと思いました。

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2002年05月15日

ホームページオープン!

 岩永ひさかホームページがオープンしました!これからよろしくお願いします。

 こんなステキなページを作成して下さったステイツマンのメンバー岡田さんに本当に感謝しています。

 さて、今日は午前中は「有事法制」の勉強会があり、前田哲男さんのお話を聞いてきました。前田さんもご指摘されていましたが、この法律案にある「事態」って一体全体どんな「事態」なのでしょうか?本当に概念規定があいまいです。私は「平和」をうたっている日本の憲法が好きです。けれどもなぜこんなにも多様に解釈できてしまうのか不思議でなりません。この憲法がスタートした時のこめられた‘思い’がそのまま今まで変わらないで来ているとは思えません。憲法はそれでいいのでしょうか?
 午後からは大学時代にお世話になった広岡守穂教授のゼミで「どうして選挙に出たのか?」など話をしてきました。なんともまあ、どうしてこんなにまとまりがないのかしら・・・と反省しました。限られた時間の中で「きっちり」話をすることは難しいです。その後、あわてて多摩に戻り、多摩市青少年問題協議会(青少協)の北諏訪地区委員会総会があったので顔だけ出しました。すでに会議は終わりかけていたのでギリギリセーフでした。子どもの問題には関心があるので、みなさんに教えてもらいながら一緒に考えていきたいなと思いました。夜は感性工房TAMAの打合せに出かけました。感性工房TAMAにはお芝居をやりたくて参加しています。

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