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2007年10月29日

市民が求める議会改革とは...

 明後日に予定されている「議会基本条例制定をめざす議会改革特別委員会」(以下、「議会改革特別委員会」)の事前打合せをしました。
 ちょうど昨日、多摩自由大学の市民企画講座があり、その場で印象に残ったのは「市民が求めている議会改革の内容と議員が思っている議会改革の内容はどうやら違いがありそうだ。」ということだったのですが、私とともにパネラーで出席していた安藤議員も全く同じことを印象強く感じていたとか。

 これから進める議会改革の内容をどうしていくのか・・・・考え方では議会だけの閉鎖空間で議論するのではなく市民の参加も得ていこうという方向性もあるものの、実際に具体化していくことはそう簡単ではなさそう。合意形成にはかなりの時間を要するのが現実。議会改革特別委員会を設置するだけでも半年もかかったことを考えると、気が遠くなるかも。昨日のフロア発言では「議会改革が2年もかかること自体、時間に関する感覚を疑わざるを得ない。時間がかかりすぎではないか。」との趣旨の意見もあったものの、私は2年どころで結論が出れば「おめでたい!」と思えてしまう。・・・これは、やっぱり既に市民感覚には乖離した「議員感覚」になっているのかもしれないので、ちょっとは反省しなければならないかも。

 いずれにしても、私はスタートラインをつくることが大変な苦労を伴うものだと考えていて、26名の議員の足並みをできる限り揃えていく必要を感じています。私に言わせれば「議会改革は議員改革から始まる」ということで、例えば、どんなに闊達な議論を市民が望んでいても、議員がそういう議論ができなければ無意味。
 例えば、議会改革としてあげられるものの中に一般質問を「一問一答形式」にするというのがありますが、一問一答形式を採用していたとしても、もともとその質問そのものを議員ではなく行政職員が作成していて予定調和的に質問・答弁が繰り返されるだけなんてことも随分な昔にはあったようですから・・・・・。ちなみに、多摩市の場合には一問一答形式はそれこそ昔の時代から採用されていることで、それが当たり前のルール。議会改革の提案として一問一答形式がこれだけ言われていることのほうが私には不思議なくらいです。

 それからもう一つは議会に市民の意向が反映されているのかどうか?という点について。これについては議員の立場や市民個々の立場によって評価は全く分かれると思いますが「議会における議決は(何はどうあれ)市民の総意によるもの。」という前提は認識しておかなければならないと考えています。自分の意見と議決が異なるとついつい「議会には全く市民の意見が反映されていない。」と批判的な意見も述べたくなるものですが、「市民の総意として判断される場=議会」という事実には眼を背けられないと考えています。
 ただし、問題になるのはどうやって議会の意思決定が行われているのか?ということで、意思決定過程をできるだけ市民にわかりやすく説明し、伝えていく努力こそ問われているのだと思っています。それと同時に、行政はさまざまに市民の参画を実施しているのと同じく議会にも市民の参画を得ていく努力も必要でしょう。行政(市長権限)と言うチャンネルと議会(議会権限)と言うチャンネルに参画する市民は顔ぶれが同一ではないはず。異なる人たちが自分自身にあった参画のチャンスを得られる環境をつくることがますます求められるように思います。そのことは多様な市民の参画を得た最終的な意思決定へとつながるからです。


 というわけで明後日の議会改革特別委員会では、まず13名の委員それぞれが考える「議会改革の内容とそのあり方」を議論してもらうことにしています。議員になって初めて触れる議会の慣わしに違和感を感じる人がほとんどだと思います。その違和感の解消を進めることは議会改革の第一歩になるように思っているのですが、既に「違和感を覚えたことすら忘れてしまった」なんてことがあると悲しいですね。
そのとき感じたことはまさに市民感覚に合致すると思うので。


 それにしても市民が求める議会改革とは一体どんなことなのでしょう。その内容にしても多様な課題を内包しているような気がしていて、スマートに中味が整理されているわけでもないようにも思います。ただし、「議会では議員が活発に議論している場」と考えている人は多いはず。・・・・・現実は「議会では議員同士が議論する場面はとてもとても少ない」という悲しき状況にあるわけで、そこを改革することから始まるとは思います。
 私たち議員はただ単に市長からの提案に挙手する・挙手しないを個々人で決める主体ではないはず。議員同士がそれぞれの考え方をぶつけ合いながら政策決定に臨んでいることが誰の眼で見ても明らかになるような議会運営をすることが求められています。議論するためにはそれなりに見識を高めていく必要もあります。議論することを望まないような議員はどんどん時代遅れになっていくと言うことですね。(極端に言えば、市長に「おねだり」をするだけなら市長の提案には黙って手を上げていれば十分ともいえます。)
 なので、結局は議会改革は議員の自己意識改革がなければ進まないと言うことになるのです。


 少々評論家ぶって書いてしまいましたが、まずは自分の足元をちゃんと見つめておきたいと思います。

投稿者 hisaka : 2007年10月29日

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