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2007年02月18日

昨日・今日。

 昨日は、民主党TAMAの早春の集いでした。いわゆる「決起集会」みたいな位置づけで、4月の統一地方選挙に向けて公認が決定している候補者の紹介がメンイでしたが、生活者の感覚に照らし合せながら考えてみて、このような集会をどんな企画にて行なうのかなどに宿題をもらった気がします。何となくこのような集会は一般の市民からはハードルが高い感じがして仕方なく感じるのでは私だけかもしれませんが・・・・・。

 さて、今日はポランに足を運びました。「岡田清和ちぎり絵の世界」を開催中しています。

 しかし私の目的は、ドキュメンタリー映画「心の杖として鏡として」の舞台である平川病院の造形教室を主宰されている安彦講平さんにお会いすることでした。安彦さんのお話会があることを先週末の朝日新聞多摩版で知ったからです。
 昨年10月に中沢にある東京都の多摩総合精神保健福祉センター で開催された映画会にて安彦さんの実践を目の当たりにしたわけですが、その実践を直接伺うことができる貴重な機会です。今日の予定を急遽変更して参加をしました。

 想像していたとおりでした。安彦さんのアートに対する哲学は奥深いものがあります。アートセラピーなども今では随分と取り入れられるようになっていますが、絵画療法も間違うと患者のトラウマになってしまい逆効果を招くこともあるそうです。

 ひとつの枠組や価値観では判断できないもの。 

 「教育や治療のように、上から、外から課題を与えていくものではない。そして、外から解釈していくものではない。」との考え方は、「癒しとしての自己表現」として患者に受入れられ、多くの患者を支えてきました。描くことは自分の存在と向き合うことであり、その表現方法はまさに多様で多彩。造形教室を長年続けて来た経験に基づいて語っていただいた「アートセラピー論」は説得力がありました。
 

 「癒し」「ヒーリング」・・・・一頃の「ブーム」は過ぎ去った気もしますが、今でもやはり私たちが強く求めているものではないかと思っています。それは、「自分を素直に表現をしていく」ということに結びつくのかもしれませんね。自分の心が解放されていくわけですから・・・・。

 安彦哲学に基づけば、誰もが素晴らしい芸術家になれる気がします。自分自身の表現として‘描く’という作業は一つの手段。芸術の分野はとても幅広いわけです。絵画だけではなく、音楽や陶芸などなどさまざまな分野があります。もし私が選ぶとしたら・・・何かなあ・・・・と考えてみたのですが・・・・。無理やり考えるのはやめました♪

投稿者 hisaka : 2007年02月18日

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