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2007年01月13日

在宅ホスピスを学ぶ

 市民福祉ネットワーク多摩が主催した公開講座に参加をしました。「在宅ホスピスの事例を共に学んでみませんか」をテーマに十和田市立中央病院の院長で蘆野吉和さんが講師でした。蘆野先生はその道では草分け的な存在らしく、今日の講演会にははるばる都内から足を運ばれてこられた方もいたようです。

 「自宅で最期を迎えたい」と考えている人は多いにも関わらず、病院で亡くなる人が多数であるというのが現状。病院で亡くなる人の数が家で亡くなる人の数よりも多くなったのは昭和54年のことなんだそうです。資料として配布された小冊子には次のように記載されています。

「生・老・病・死」が医療にとりこまれ、日常から隔離されてしまいました。20世紀の科学技術の進歩は、人々に幸せをもたらすかに見えましたが、必ずしもそうではなかったし、また医療の進歩も例外ではありません。
 日常のほとんどを専門家に依存して暮らしている私たちは自分自身の最期をどこで迎えるか・・・・ということさえおまかせしなくてはならないのでしょうか。
この一文はとても考えさせられる重い内容ではないかと思いました。
 特にがんの治癒率は男性で55%、女性65%なんだそうです。半分は治らない。けれども「治すこと中心の医療体制」になっていて、「治らない人のための医療」という視点が不足しているというのが先生の指摘でした。「治らない人のための医療???」・・・それでは医療にはならないという考え方もあるのかもしれませんが、私は先生がおっしゃる意味がとてもよく理解できました。そこには治癒しない病気を引き受ける覚悟がまず先に求められることになるのかもしれませんね。

 私がとても印象的だったのは「『死』というものを地域社会にかえす」ということでした。いのちの継承やいのちに対する感性を磨いていくためにも、「死」が日常生活にもっと身近な問題として存在しなければいけないのではないか・・・・先生は「看取り」ということを盛んにおっしゃっていました。周囲も「看取り方」を心得ていかなければなりません。
 「看取り」「看取られる」というのが‘いのちの営み’であるということは考えてみればすぐに当然のことだと理解はできるのですが・・・・どこか掴めない感じを覚えます。


 在宅ホスピスや在宅緩和ケアを考える時、そこにやはり求められるのが地域環境。核家族が主流、核家族世帯向きに提供されている住宅が多いニュータウン地域では今後ますます独居老人、高齢者のみ世帯が増加するでしょう。多世代での暮らしが難しい地域環境にて「看取り」「看取られる」関係性を構築するというのは、まさに「ご近所づきあい」「地域ぐるみ」ということばが‘しっくり’くるような地域づくりをしていくことにつながるのでしょうね。


 今後少しずつ取組んでいきたい新たな問題のひとつとして「在宅ホスピス」や「在宅緩和ケア」問題を考えていきたいなと思いました。

投稿者 hisaka : 2007年01月13日

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