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2005年05月23日

ごみの有料化の前にできること

 今日は強行スケジュールで日帰りで名古屋市に行ってきました。知人を通じて名古屋市のごみ政策についての視察です。午前中は担当者より話しを聞き、午後は家電リサイクル法、容器包装リサイクル法の中間処理施設、焼却灰の溶融を行なっている3つの会社の見学をしました。

 現在、市長から示されているスケジュールとしてはごみの有料化方針を5月に決定し、12月には条例を改正をしていく予定です。実際に有料化が始まるのは来年の6月以降でと考えているようです。それまでには十分な周知期間を置くとともに容器包装リサイクル法への対応も検討をするようです。ちなみに容器包装リサイクル法への対応というのは、今よりもさらに分別の徹底が必要になります。
 さて、ごみの有料化のことですが、日野市、稲城市そして町田市も導入が決定しています。府中はまだダストボックスがあるようですが、結局は周辺が有料化する…ということで周辺より多摩市へごみが持ちこまれるのではないかとの危惧もあるわけです。しかしごみを有料化することの減量効果を含め、本当に有料化が最善策であるのか…これについてはまだ疑問が残ります。有料化の前にできるあらゆる手段を全てし尽くしたのかどうかを検証することは必要です。

 そんな中、ごみの有料化をせず、ごみ減量に成功した名古屋市の取組みに学びたいと考え、足を運んできました。さすがに政令指定市で多摩市とは規模が違いましたが、市長の「ごみ非常事態宣言」を転機とした取組みには目を見張るものがあります。なにせごみ減量目標20万トンを2年で達成したという実績があります。
 ここにはやはりごみをできる限り資源化していくという発想のもとで容器包装リサイクル法に沿った細かな分別収集があり、また市民の取組みである集団回収の強化などがありました。もちろん容器包装リサイクル法に基づいた分別を市民が理解し、取組むためには徹底的に周知していく必要があるわけで、行政の広報活動や説明会の開催の努力もありました。とは言え、やっぱり名古屋市が成功した秘訣には「市民の意識」が大きくかかわっていました。
 というのもこのままごみが増え続けることで干潟が失われてしまうと言う危機意識が市民と共有されたわけです。実は最終処分地としての埋立地計画が昭和50年代から進められており、市はそのために土地の買収など約57億円に上る税金をつぎ込んできました。しかしながら、それをしてでもなお、ごみ問題が解決しない現実があり、一方では自然が失われていくことへの市民の怒りや悲しみ(処分地計画には反対運動もありました)、憤りがあったわけです。名古屋市民にとっても切実に迫った環境破壊に市民自身も意識を変革せざるを得なかったとも言えます。その世論の後押しも受け、市長は埋立地計画を断念し、市民に対しもごみ減量への協力を仰ぐことに成功、まさしく市民全体での環境保全、ごみの発生抑制などへの取組みがスタートしました。ここで大事なことは名古屋市民自身が選択をしていると言うことです。自分たちの‘まち’の環境選べば、それなりに自分たち自身がやらねばならない義務があるのです。

 この名古屋市民の状況と同じことが実はここ多摩市にも当てはまるわけです。しかし残念なことに私たちにはその切実さ、切迫感がないようにも思われます。なぜならば、私たちの最終処分場は多摩市になく、日の出町に存在しているからです。その分、本当はもっと身近な問題として捉えるべき問題にも関わらず、何か他人事にしてしまいがち、またその問題があること自体知られていないような気がします。でも、日の出町の市民のことを考え、想像してみればわかります。他人の家のごみを自分の家の庭に埋めているようなものなのですから・・・。そして自分の庭にはもうそろそろ埋める場所すらなくなっていく状態です。その立場の人々の心境を自分に置きかえることが求められます。
 つまり、私たち多摩市民は名古屋市民よりももっと厳しい判断をしなければならず、覚悟も求められるのです。この現実に市民自身が向き合い、行動することが必要です。
 
 ごみの有料化・…それがゴミの減量政策の一環として捉えられるのであれば、それは有料化をしなければできないことなのかどうか・…。名古屋市の取り組みは、必ずしも有料化だけがとるべき道ではないことを物語っているなと思いました。ただ、歳入確保の視点から有料化というならば話しは別なのかもしれませんが。

投稿者 hisaka : 2005年05月23日

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