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2005年05月22日

里山の思想

 多摩ニュータウン学会の総会と公開シンポジウムがありました。ニュータウン学会も9年目に入りました。今日の総会でも「宙に浮いていて何をしているのか前々わからない。」という会員からの意見が出されたように現在のところ、少し活動が停滞気味です。今までのニュータウン学会は「ニュータウンの新たな方向性」に目を向け、将来像をどう描くかを中心に議論を深めてきたと言えますが、今年度からはニュータウンの歴史やその軌跡に着目をした研究活動を行なう方針が出されました。

 今日のシンポジウムでは中沢新一さんの基調講演がありました。ここ多摩ニュータウンの地域が縄文時代は文明の中心地であったそうです。ニュータウンの歴史はたかだか30年ほどで歴史が浅いようにも言われるわけですが、実は縄文時代にまでさかのぼることが出来るという視点に新しさを感じました。はるか昔に存在していた里山、里山と育んできた思想にまで話が及び、非常に示唆に富んだ話を聞くことができました。 特に里山の思想については自然と人との調停(ネゴシエーション)であるとの捉え方により、それが今の日本人にも脈々と流れる感性になっているとの指摘がありました。とてもスケールが壮大な話だったわけですが、私もこういう話にはかなり関心があるので面白く聞くことができました。

 過去のニュータウンの軌跡を探ろうとしている今年度のニュータウン学会のテーマには相応しい話しを聞くことができたなと思いました。ただ単なるニュータウンの歴史だけでなく、そこにいた人々の気持ちや思いをも含んだニュータウンの記録、それは「ニュータウンの記憶」だと思いますが、ここまで踏み込んだ研究が進むなら、ニュータウン学会として、ものすごく意味あるものになりそうだと感じました。

投稿者 hisaka : 2005年05月22日

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