« 誰のために・・・ | メイン | 予算特別委員会2日目 »

2005年03月13日

「協働」のための協働

 PPT(PeaceProject@Tama)が主催したシンポジウムに行きました。「だって、楽しくしたいよね!Tama」をテーマに市民、企業、行政各立場から多摩の活性化について発言がありました。
 市民からはNPO法人多摩子ども劇場が多摩センター活性化事業の一環で行っている「ハロウィンin多摩」、そして‘まち’の一大イベントとも言えるTAMA映画フォーラム実行委員会の「映画祭」の事例報告もあり、企業や行政と連携を進めるときの苦労話なども聞くことができたわけですが何と言っても印象的だったのは「『協働』のための協働では意味がなく、協働して何をつくりたいのかが共有されてなければならない」という実感こもった言葉でした。
 
 とかく多摩市の財政難が強調され、今日もシンポジウムの途中で飛び入り?で行われた市長のあいさつの初っ端も多摩市の厳しい台所事情の解説から始まったわけですが、行財政の再構築を進めていく上でも「市民協働」がひとつの大きなキーワードになっています。それはそれで全く否定するものではなく、市民力を活用することの効果が期待される場合も多くあります。しかし「何をつくっていきたいのか」という目的共有が十分になされていないと全く悲惨な結果に陥るのです。

 得てして市民活動は資金不足、かたや行政のお題目は経費削減。この2つの利害が一致することで結果としては「経費削減のための市民協働」が生まれやすく、これは決していい状況とは言えません。市民としては少々無理をしても安価な請負をしてしまい、その結果として活動を苦しくしてしまう場合も少なくありません。特に「非営利」という市民活動は誤解される傾向が強く、「利益をあげない」活動と捉えている人がまだまだ多く存在します。議会での答弁を聞いていてもNPOに対する間違った認識があるなあと感ずることもあります。非営利活動というのは営利を目的としないのではありません。活動によって得た利益を次の活動に充当していくだけの話です。利益を株主への配当金にしないだけで、決して「利益をあげない」活動ではありません。だからこそ「市民‘事業’」と言われるのですが、そこがなかなか理解されず、市民が担えばコスト削減につながるだろうと思われがちです。
 今日の2つの事例でもほとんど市民がボランティアスタッフとして関わっていることがわかります。例えば「市民協働」をするための打ち合せのことを考えてみても、当然ながら職員は勤務中で人件費がかかっており、対する市民はタダという場合がほとんどです。つまり、市民協働というのは「市民の志」によって支えられているのです。NPOでもボランティアでも同じです。その「志」に対する理解不足があることで、単なる行政のコスト削減にしか思えないような協働事業が生み出される危惧を感じます。
 来年度の予算書から「協働費」という記載がされているわけですが、これも何のために記されているのかもいまいち不明です。やはり「協働の自己目的化」という傾向がどうしても拭えない…そう思っています。

投稿者 hisaka : 2005年03月13日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/825