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2005年03月04日

市長の声が聴きたい

 議会での答弁に市長が立つかどうかは毎回話題にのぼることです。議員は予め一般質問の項目を通告しているので、事前に回答を準備し、第一答弁については市長がそれを読み上げます。
 しかし、第一答弁を受けた後の議員の再質問や予算等はその場でのやりとりになります。たいていの場合、事業などの詳細までを把握しているのは部長なので答弁(説明)するのは市長ではありませんが、内容によっては市長に対し直接答弁を求める場合も少なくありません。その場面で市長が答弁するかどうかですが、市長に代わって部長が答弁をすることが目立ちます。この多摩市議会の現状に憂いでいる人は少なくありません。議員もそうですが、傍聴に来ている市民も市長が議員の求めに応じず、席を立たないことに疑問を持っています。
 といっても、いわゆる‘与党’的立場の議員は答弁に立たない市長に気を遣っているのか、擁護しているのか、「必要ないのに市長は立たなくていいんだよ。」などというわけですが、議員が必要だと思っているのに、市長が自分自身の必要性だけで答弁に立たないのはおかしな話です。市長は自分が必要だと判断した時にだけ答弁すれば十分との主張を繰返す議員がいること自体にも疑問です。市民が必要だと考えているからこそ議員は市長自らの言葉と声での発言を求めているわけです。それに対してはやはり誠意ある対応をしてもらいたいと考えます。
 
 このように多摩市議会で市長があまり答弁に立たない状況を一般質問の中で指摘をした議員があり、今日は少しばかり市長の出番が多かったように思います。特に旧西永山中学校の跡地活用問題に対する質問では市長自らが考えている「福祉」の考え方が少し明らかになったかなと感じます。100人規模の福祉施設を建設することそのものがノーマライゼーションや地域分散型福祉という考えに逆行するのではないかと主張する議員に対し、考え方としては全く同意見なものの、しかし今の状況では精一杯の対応として今回の計画があることに理解を求めたいし、この計画がノーマライぜーションなどの考えに逆行はしないとする考えが繰返しの市長から主張されました。

 随分昔の市議会の議事録を読んでいた時に「私も精神的には全くそのとおりだと思う」と回答していた部長がいたことを思い出しました。精神的には同じでも手法が違えば、まったく結果が異なります。「精神的には同じ」という言葉に惑わされないようにしたいものです。

投稿者 hisaka : 2005年03月04日

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