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2004年09月23日

イベント実施に思うこと

 女と男がともに生きるフェスティバルがスタートしました。今日と25、26日の土日に様々企画の催しがあります。今日の市民企画講座「‘いのち’を伝える授業~保健行動の選択ができる子どもに」に参加してきました。この話は以前にも聞いたことがありましたが、いわゆる性教育をどのように行っていくのかについてワークショップも取り入れながら、みんなで議論をする楽しい企画でした。東京都の教育委員会は養護学校問題や教職員の処分問題など、「性教育」には非常に敏感です。そのあおりを受けてなのか「性教育」という言い方を「保健行動」に変更しているというのが、今日の講師の話でした。この方は世田谷にあるアーニー出版のスタッフの方ですが、ここは日本の中でも性教育に関する取組みでは有名で、全国各地から「性教育」の実施にをどうすればいいのかとの問合せが殺到し、また年間数百回と全国出張して研修等を行っているところです。
 参加者の感想でも「自分自身が気がつかされた」という話があったように、子ども達向けの性教育の授業の中に、大人である我々自身も学ばされるヒントがたくさんある・・・それがアーニー出版で紹介し、実施している授業なのです。

 さて、今週末と言えば、永山フェスティバルもあります。女と男が共に生きるフェスティバルは女性センターのある桜ヶ丘、関戸公民館施設も利用したイベント、そして一方の永山フェスティバルは永山公民館を中心としてグリナード永山も参加するイベント・・・・市内あらゆるところで、このような市民を中心としたイベントが開催されることを決して否定するわけではありませんが、日程が重なっていることに私はいかがなものかと感じざるを得ません。
 なぜなら、人が分散してしまうのではないかと思うからです。もちろん市民にも興味関心の違いはありますし、イベントそのものの趣旨も異なるわけですが、しかし、あまり重ならずに開催するほうがいいと思います。
 特に、男女平等、男女共同参画社会を推進する一貫として開催されている女と男が共に生きるフェスティバルは毎年、参加者をどうやって集めるかに頭を悩まし、アピールがなかなか難しいイベントの一つ。けれども、フェスティバルの目的とする価値はとても大切なことで、より多くの人たちに呼びかけるべきこと。けれども、毎年思うことは、なかなか参加者の輪が広がってかないということです。そうすると、イベントの掲げる趣旨や目的がいかに重要なものであったとしても、そのイベント自体は、内輪だけでの集まりに留まってしまい、そして自己満足的にしか終了できず、またそのようにしか周りの目には映らない…という悪しき結果を招いてしまいます。
 そのことを考えると、今回のように日程が重なるとそれこそ最悪な事態だと私は感じるのです。永山フェスティバルに参加している客層があるとしたら、それらの市民の目が、もう一方の市民が中心として企画した女と男が共に生きるフェスティバルにも向いていくようなつくり方があるのではないかと考えるのです。
 両者ともに、市民の実行委員会が組織されているわけですし、何か上手く調整はできなかったのかと思えてなりません。それも使用している施設は公民館と同じです。(もちろん女と男が生きるフェスティバルは公民館主催ではありませんが。)それなのに、趣旨は違うから良しとしたのかバラバラにそれぞれのところでイベントが開催されている状況。これは是正してもらいたいなあと思います。

投稿者 hisaka : 2004年09月23日

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