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2004年09月05日

「老い」とは「介護」とは

 自由大学の講座に参加しました。89歳の男性からは「老いとは」、82歳の男性からは自らの介護の経験を「仏心と鬼心」として語っていただくとともに、ケースワーカーで最近になり市内で介護支援の事業所を起業された50歳代の女性より現状も含めたお話を聞きました。

 ちょうど今朝の朝日新聞で、私の大好きな画家である長新太さんのインタビューの中にあった「生は偶然、死は必然なり」との言葉が心に響いていたこともあり、高齢になっても一生懸命に社会のことや未来のことを考えて語るお二人にはただただ敬服するばかりでした。
 特に「老々介護」の経験は私にとっては生々しい現実であり、介護は社会の仕事であるとして制度上では確立しているけれど、しかし、そう言いきれない側面が存在することを改めて認識しました。その方はパートナーが半身不随で、言語障害がありました。赤ちゃんと同様、泣き声で彼女の意思を判断する訓練から介護がスタートしたそうです。「しも」の世話をする時、彼女は申し訳なさでいつも泣いていたこと、でもヘルパーさんに世話をされることをもっと嫌ったこと、自分しかいないんだと感じる時には優しい心(仏)で接することが出来たこと、しかし鬼の気持ちになり怒鳴ってしまうこともあった経験、そしてある時に「おばあちゃん、頼むから死んでくれよ。」と口から言葉が飛び出してしまったこと…そのことには今でも申し訳なさを背負っていると言います。ニュースなどで老々介護の悲惨から殺人が発生したとの事件も決して他人事ではないことなどをとくとくと語ってくださいました。介護の経験からは本当に「長生き」してもらってよかったのだろうか、人様に迷惑をかけても生きつづけることの意味を考えるようになったそうです。

 さて介護の問題はそれこそ他人事ではなく、みんなが自分自身の問題として捉えていかなければならないと思います。若い世代にとっては、まだまだ先の話しかもしれませんが、社会保障費のことから考えてみたら、実は一番切実なのではないでしょうか。本当に社会で介護を担いいきれるのだろうか。仕組み、制度では社会全体の仕事とされている時代に、果たして‘親の面倒’を見るという価値観が備わっているだろうか…。そんな疑問を抱かずにいられません。そんな私たち世代が介護の問題を自分のこととして感じるようになった時、私は社会で支える「介護」があるのかどうか不安です。介護保険の大幅見直しの時期が到来しています。この仕組みが将来的にも継続していくようにと考えてもらいたいものです。目先の事柄にばかりとらわれた制度改正ではうんざりです。とはいうものの、目先の事項を解決しなければ何も始まらない…これもまた現実なのかもしれません。ますます保険料があがるのでしょうか。負担も責任も重く重くなっていくばかり…明るさが見えてこない厳しい時代を感じます。

投稿者 hisaka : 2004年09月05日

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