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2004年09月03日

回答が出ない質問

 一般質問が終わり、ほっとしています。今回の質問は「市民合意」ということでテーマでした。これは正直、質問をする私にとっても難しい課題で、それと同様に行政にとっても、どう答えていいのかと悩ましい問題です。けれどもあえて、このことを採りあげたのは、多摩幼稚園の廃園問題や学校跡地施設の活用問題、または行財政改革をどうしていくのかという問題、様々な局面で市民とどのように向きあって、解決策を見出していくのかは避けて通れない問題だからです。
 今日の発言順の一番最後だったので、一日中落ち着かず、さらにベテランの議員さんからは「岩永さんの質問は、答えが出るわけないよ…」と言われる始末。そのことは予め承知の上、私の質問でのスタンスは、「市民合意」という課題に対して、行政は現段階で、どんな認識にたっているのかを確認するということでした。しかし、やはり「答えが出るわけないよ…」と言われてしまえば、「そっか…、こういう質問は馴染まないのかな…。」と思ってみたり、「完璧な答えは求めないし、出せるはずがない。」と確信して納得していた気持ちが揺らいでしまいました。
 それでも、自分の番が回ってきてしまえばそれまでで、あとは35分の発言時間が意外とあっという間に終わってしまい、予想通り、「市民合意」という課題に対して行政にも考えてもらい、そして自分も考えるというやりとりをしました。
 私自身もどこまでとりつければ完璧な「市民合意」であるかと提示ができるわけもなく、結局は「実践の積み重ね」でやっていくことでしかありません。そこの認識では行政ともほぼ一致していることがわかりましたが、残りの課題は、それではその実践をどのように積み重ねていくのかという部分です。
 「ていねいに」プロセスを踏んでもらいたいし、そのためには時間がかかるのは当然…というのがこちらの主張ですが、スピード感覚も求められているし、そのバランスを図らなければならないとも主張するのが行政…その調和点をどこに見出すのかが、お互いに大きな課題であることだけわかります。その課題をやはり行政だけでなく、議会も共に考えなければならないと問題提起できたことだけでも良かったと思います。

 使えるお金が溢れている時代にも、市民合意が欠かせなかったのは当然のことですが、使えるお金に限りが見えてきて、何とか配分をしなければならない時代になれば、どこに行政として手当をしていいかをより鮮明にしなければなりません。最終的には議決というかたちで正統性を付与するのが仕組みとして位置付けられていますが、より自己決定自己責任が求められる時代になり、状況は厳しくなっています。だからこそ、市民が自分たち自身で考える機会を持ち、そして責任をとっていくような構造に転換しつつあるのです。市民は税金などを払っているわけですが、それだけでは収まりきれず、解決できない課題が出てきた、だからこそ責任分担のあり方や、責任の果たし方にも変容が迫られてるとも言えます。NPOやワーカーズコレクティブなどの存在が、そのことを示していると思います。介護保険などのことを考えても払っていればそれでいいのかといえば、それだけではどうしようもできない側面があります。この時代がいいのか悪いのか・・・どこを基準にして考えるのかはわかりませんが、この状況を受け入れなければ始まらないことは確かです。

 「市民合意」という課題。いつの時代もこれには挑戦しつづけるのだろうなと感じます。

投稿者 hisaka : 2004年09月03日

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